2026年2月28日(土)
土曜日だが昨日までの作業の続きで出勤する。まあ作業は午前中で終わったので午後はロジック・ウィンタースクールの講義の準備を少しやり、ジュンク堂書店に行き、いつものように一色楽器で社長とシマタニを相手に油を売った。一色楽器ではトロンボーンのマウスピースが売れて、セルマーのヴィンテージっぽい中古アルトサックスが入荷してきた。サックスは30年ほど前からある人の家に使わずに置いてあったものらしく、ケースのネジに緑青が浮いていたりタンポに少しカビが生えていたりしたが、楽器自体の保存状態はなかなかよかったので、メンテナンスしたら中古とはいえまだまだ現役で使えると思う。いい楽器である。誰かいい買い手がつけばいいな。
あっという間に月末だと思ったが、日記を読み返せば、今月もいろいろなことをしている。来月もがんばろう。
2026年2月27日(金)
早朝に起き出して弁当やら何やらの段取りをしているところへ、旅行に行っていたムスメが帰宅した。朝のうちは曇り空。歩いて大学に行く。ちょいと分厚めのコートを着て行ったので少しだけど汗をかいた。今日も昨日の続きのあの仕事である。日中わりかし大部分の時間を注ぎ込んだ結果どうにか峠を越えて、あとは何段階かの確認を残すのみとなった。
午後からは雨になった。まあ、雨もたまには降ってもらわんと困るので文句は言わぬ。電車で帰って、BGMにいろいろな音楽をかけながら、厚揚げの旨煮と、牛すじの煮物を作った。
2026年2月26日(木)
早めに起きて朝食と弁当を作り、洗濯をして、早めに出かける。きょうから日曜まではこの時期恒例のあの仕事だ。各学部の数学専攻の教員が集まって、ああでもないこうでもないと相談しながら作業を進める。
夕方には医者に行き、いつもの薬を出してもらう。花粉アレルギーの薬も忘れずにお願いしなきゃいけない。飲み忘れたのが10日分くらいあるのは、研究室にストックしておくことにする。
2026年2月25日(水)
前期日程の2次試験の当日だが、朝のうちあいにくの雨模様である。電車はどうせ混むだろうからと歩いて大学に行ったら荷物がずいぶんと濡れてしまった。パソコンは無事だったが、本を持ってこなくて正解だったな。午後には雨は止んだ。日中は空き時間に来月の講義ノートづくりをそれなりに頑張ってやった。夜は、卒研ゼミのウチアゲに出かけた。だいぶ飲んだ。シラフのときは平気なくせに、酔ったときはふだんの荷物が肩にめりこむくらい重く感じるので、リュックサックの中のものの大部分を研究室に残し、帰りの荷物を極力少量にして、電車で帰宅した。明日からまた例年この時期ならではの仕事で大変なので、今夜は無理せず早く寝よう。
2026年2月24日(火)
朝のうちに急いで学生と面談しないといけない案件が発生したので、急いで大学に来たら、朝食後の薬を飲み忘れている。研究室の薬のストックから飲んだが、これも残り少ないな。まあ、明後日に医者に行くことになっていて、これまでの数日分の飲み忘れが余るはずだから、それをまたストックに回そう。
来月のロジック・ウィンタースクールの講義の準備に取りかかる。まずはボレル集合族をめぐるいろいろの結果に証明をつけていこう。明日から月末まで、昼の間はこの時期恒例のあの業務にかかりきりになるので、きょうのうちに離陸してできるだけ高度をとっておかなくては。
そんなわけで夕方まで講義ノートの下書きをいろいろやって、小雨の中を自転車で家路をたどる。夜にはピアノのレッスンに行った。今夜のレッスンでは、練習が足りてないなりに、弾いてて楽しいと思えたのでよかった。うん。頑張れば頑張った分だけ、もっと楽しくなるはずだ。
いつもならレッスンの後は一杯ひっかけて帰るのだけど、今週は明日に飲み会を入れてしまっているので、きょうを前倒しの休肝日にする。今夜は雨がけっこう本格的に降るらしい。まあ、雨もたまには降ってくれないと困るからな。
2026年2月23日(月) 天皇誕生日
昨晩「地球 ( テラ ) へ…」を視聴した名残りだろうけど、妙ちきりんな夢をいくつも見て目が覚めた。ありがたいことに休日である。飯を炊き、洗濯をする。
昨日は久米のブックオフに行ったので、今日は松前のブックオフに行ってみよう。電車で出かけた。結婚当初ちょっとの間住んでいたこともあるが、松前に来るのは久しぶりだ。ブックオフはいつの間にか売り場の半分がオフハウスになっていた。ブックオフ側の品揃えはコミックとラノベが主だった。店によって違うもんだなあ。國分功一郎の新書本『はじめてのスピノザ 自由へのエチカ』と、木田元訳のF.フェルマン『現象学と表現主義』の講談社学術文庫版を買った。あとはエミフルの島村楽器とエディオンを冷やかして、お昼過ぎに松山に戻った。
きょうから椿まつりだから、市駅前のバスターミナルにも人が多い。松屋の牛めしで昼食にして、食後の運動に、井手神社まで歩いてお参りした。境内には梅の花が綺麗に咲いている。みんなの無病息災と学業成就をお願いした。おみくじは大吉だった。
市駅前に戻って、キャンドゥに寄り、いつもの地下BALで軽く飲み、歩いてフジグラン松山に移動した。古着のジャケットのボタンを付け替えたいので手芸用品店に行ったのだが、買って帰ったボタンは大きすぎて、ジャケットのボタン穴を通らない。これは不覚。選び直しだ。
2026年2月22日(日)
思い立って久米のエコタウンに行ってみた。オフハウス、ブックオフ、ハードオフと見て回った。あんなものやこんなものがあればいいのにと思う品々がどれも見当たらないので、特に買うものはない。お昼近くに電車でいよ立花まで移動し、イオンのフードコートでリンガーハットのちゃんぽんを食った。それから歩いてスーパー木村チェーンに行って、「スタミナ漬」を2パック買ったのはいいが、さてどうやって帰ろうか。仕方がないので県立中央病院の前の道を松山市駅まで歩いて、そこから電車に乗って帰った。そこそこいい運動になったが、きょうはなにしろ最高気温が21℃という、春すぎて夏来にけらしき日で、それなのに大層なウールのコートなんか着て来たもので、少し汗ばんでしまった。
行き帰りの電車では稲垣良典『トマス・アクィナス『神学大全』』(講談社学術文庫)を少しずつ読み進めた。先月も同じようなことを書いた気がするが、締め切りに追われて数学の原稿を書かねばならん時にかぎって、こういう本が面白くていかん。
帰宅してシャワーを浴び、豚肉を角煮にし、煮豆を作る。とか言っていたら、ムスメは泊まりがけで東京に遊びに行ってしまった。いや、遊びなのか就活なのか何なのか、詳しいことを尋ねなかったのはまあいいんだけど、「スタミナ漬」を2パックも買うんじゃなかった。
夜には竹宮恵子原作・恩地日出夫監督の往年のアニメ映画「地球 ( テラ ) へ…」をAmazon Prime Videoで見た。ざっと46年前の作品だが、いまでもじゅうぶん通用する、というか、むしろいまこそ訴えかけるものがある作品だと思った。グローバルな環境破壊も人工知能による支配も、当時よりいまのほうがリアリティをもって迫ってくる。
2026年2月21日(土)
楽しい夢をいくつもみて朝6時前に起きた。夢の中で俺は、助走をつけた勢いで空中を滑走したり、楽器を運んだり、吹奏楽部の先輩たちやかつてのバンド仲間と顔を合わせたり、楽器倉庫でテレビを見たりした。これはきっと、そろそろ来月下旬の吹奏楽の演奏会のことを気にしようという呼びかけだと、そう解釈する。
今年は会場のキャパが大きいこともあり、ふだんより多くのお客さんに来てほしいので、事前に宣伝する。HTML内チラシとでもいうべき <div> 要素を作って、この「て日々」を更新するたびに目立つところへカット&ペーストすることにしよう。まあそんなわけで、HTML内チラシを見た人は聴きに来るように。
と書いた舌の根も乾かぬうちに、裏番組のことも書かねばならぬ。中央大学大学院理工学研究科数学教室が定期的に開催しているENCOUNTER WITH MATHEMATICS という数学者の集会の、第80回が、来月の3月28日(土)と29日(日)に東京で開かれる。第80回のテーマはゲーデルの不完全性定理 で、菊池誠(神戸大学)、倉橋太志(神戸大学)、黒川英徳(金沢大学)という、いつもの人たちが講演する。いつもの人たちなのだが、不完全性定理まわりの数学を日本で一番わかっているのがこの3人だろうと、俺は思っている。どういう経緯かしらんが、これに藤田も来いと声がかかった。そりゃ行きたいのは山々だが、白石バンドの先約があったから断ったのだ。なので、東京近辺の人で、白石バンドのために松山まで行くのはさすがにムリ、という人は、こぞってこちらに行くように。
ジュンク堂書店で散財し、一色楽器で油を売る、いつもの土曜日である。一色楽器ではチューバが買われていくのを見守るという稀有な体験をした。
2026年2月20日(金)
弁当を作って歩いて大学に行く。午前中、大学院の2次募集の面接試験があり、それに関連して、午後に会議があった。
キリスト教の「神からいただいた理性」の思想と仏教の「六道輪廻」の思想の比較。自分には後者がしっくりくる。俺の考えでは、人間は気を引き締めて身を慎んでいない限り、生きながらにして餓鬼道とか畜生道に落ちる。キリスト者にとってはそうではなくて、理性は神さまの賜物であり、これがあるがために人間は動物たちから絶対的に抜きん出た存在である。この考え方の違いをわきまえていなければならん。こんな考えは杞憂であってほしいが、欧米のインテリは理性をうまく働かせない人を(ということは俺のように六道輪廻の思想にシンパシーをもつ人間を)人間以下のサルと蔑んでいる気がする。
だがしかし、ユダヤ・キリスト教でいうところのサタンは、そもそも天使がドロップアウトしたもの、グレた天使、グレ天なのだから、肉体に束縛されない純粋に理性的な存在なのである。日本人(というか俺)が普段なんとなく思っていることとは裏腹に、理性的でありながら絶対的な悪であることは可能なわけだ。ここは俺たちにとって大事な教訓だと思うぞ。俺たちは、理性というものに対する認識を改めんといかんぞ。ウクライナとかパレスチナに戦争を仕掛けているあいつらは、頭がパァになったわけではなくて、なんらかの理性的な判断に基づいて殺戮行為をしているらしいぞ。俺に言わせれば、彼らは生きながら修羅道に落ちているわけだが。
こう考えると、六道輪廻の六道に人の境界が含まれてるのって、無意味なようで実は意味深長だね。人はいつでも他の5つの境界(天・修羅・餓鬼・畜生・地獄)を行ったり来たりしている。生きながらに六道輪廻しているわけだけど、ただ、人は仏の法を聴聞でき、発心することがある。天の神々だって、いったん人にならねば仏にはなれない。おそらくこのことだけが、人を他の5つの境界と分けている。この意味ではヨーロッパ思想の「理性」と仏教の「人の境界」は似ているのかもしれないけど、さて、どうなんだろう。まあ、宗教的な背景がなんであれ、人は状況が許せば大量虐殺でもなんでもやってしまうのだから、結局は大差ないのかもしれない。
自分でも何をいってるのかわからなくってきたので、この話はいったん打ち切り。
2026年2月19日(木)
このあいだ八木雄二の本を読んで、改めて驚いたのだけど、ヨーロッパの哲学史において、多くの哲学者が、物質世界を超越して、理性だけがアクセスできる実在のレベルというものを本気で信じてきたらしい。古くはプラトン、近世のライブニッツ、近代のヘーゲル、現代なら(不勉強で他にあんまり知らないけど)ゲーデルなどがそうで、八木の著書によれば、むしろそちらのほうが、西欧的知性の伝統においてはごく自然な当たり前の考えであるらしい。イギリス的な経験論やフォイエルバッハとかマルクスとかの唯物論なんかは、そうした形而上学的な伝統があってこそのアンチだったという。うーむ。数学に棹さす人間として、その言いたいところが多少なりとわからないわけでもない気もして、それがかえってモヤモヤする。理性の世界と感覚の世界というレベルの違うふたつの実在の世界があるということなのか、あるいは、実在というのはそもそも理性の世界のほうであって、物質や感覚の世界は見せかけの現象に過ぎないという話なのか。
という哲学上の大問題はさしおいて、ゲーデルの考えがどうだったのかなと思って、竹内外史『現代集合論入門』(日本評論社)に収録された «logicians小伝» のゲーデルの項を読み返してみる。ゲーデルの業績を紹介するためとはいえ、どうやら竹内自身の考えも強く出ていて、ゲーデルの見解か竹内の主張か、よくわからない箇所もある。その点でも、これは面白い文章だ。読んでみると、上に書いたとおり、ゲーデルは理性にだけアクセスできる実在があるという考えで、竹内は全面的に賛成するわけではないがその主張の理路はわかるという感じであった。
午前中にちょっとした仕事の打ち合わせがあったが、その前後で竹内の «logicians小伝» を読み終えた。午後は今後のことを考えて図書館で資料を調べたり本を読んだりした。
ふむ。日本人は、というと主語が大きすぎるから、俺は、理性というものについて、これまで(ということはおよそ62年間)考えが足りていなかったかもしれない。
2026年2月18日(水)
朝の早いうちに自転車で大学に行き、昨日半分(A面だけ)済ませた期末テストの採点にとりかかる。ブルックナーの4番からマーラーの3番という流れでBGMをかける。両方聴き終えてマーラー2番の第1楽章を聴いているところで採点が済んだ。すぐに問題ごとの点数をExcelのワークシートに入力する。問題ごとの点数分布をしらべることと、合計点数のチェックを兼ねているのだ。実際、自分が合計点数を間違えて書いているケースが1件あった。助かった。
昼飯を食い終え、マーラー2番もフィナーレの第5楽章が終わるころには、昨日とは別の3年生との面談の時間になった。数理論理学と集合論の両方のゼミをやることになりそうだと話したら、両方に興味があるげな様子だった。
その後、学部のオンライン会議があったが、これはすぐに済んだ。きょうのうちに、集合と位相Iの成績処理を終わらせよう。演習・中間テスト・期末テストの点数にいろいろな重みをつけて配点を工夫して、最終的な評点を決める。それを修学支援システムに反映させて、相方の中島さんに連絡する。これで後期の授業のあれこれがひととおり終わって、だいぶ肩の荷が下りた。
というわけで、ロジック・ウィンタースクールでの講義の準備を始めよう。いつものことながら、頭がなかなか回らないけど、あんまり日数がないからがんばろう。
2026年2月17日(火)
先週木曜日に実施した集合と位相Iの期末テストの採点にとりかかる。午前中にA面の丸つけを全部済ませた。
土曜日の日記 に書いた《面白げな企画での講演》というのは、2023年2月に沖縄で第1回 を木原貴行さん(名古屋大学)が開催して俺が講師として加わり、同年12月に俺が主催者として第2回 を松山で開催した「ロジック・ウィンタースクール」の第4回 である。(俺は第3回 をスルーしたが、こちらは昨年2月に埼玉県和光市の理化学研究所で開催された。すっかり恒例行事として定着した感がある。)今回の主催者は秋田大学の新屋良磨さんで、開催地は岩手県北上市だ。これに来て記述集合論の講義をしないか、との打診をもらっていたのだ。木原さんの尽力で旅費の目処が立って、どうやら俺も行けることになったので、大急ぎで旅程を組んだ。飛行機で羽田まで行き、東京から東北新幹線で北上に行く作戦だ。
宿と飛行機と新幹線の予約をして、旅程について木原さん新屋さんにメールで報告しているうちに、昼休みが終わって、ある学生さんのアポイントメントの時間になった。新年度の卒業研究ゼミを選ぶために3年生が研究室訪問ということをする時期なのである。次の卒研では嘉田勝さんの新しい『数理論理学』 (森北出版)を読むつもりだ。だが、きょう研究室訪問に来た学生は、集合論をやりたいと以前から言っていて、その件で一度相談に来たこともある。すでにHrbacek & Jechのテキスト も手にしている。それをムゲに拒絶するわけにはいかないので、集合論のゼミは、それはそれでやることにする。だが集合論をちゃんと勉強しようというなら、数理論理学の知識(形式言語と形式的証明、完全性定理、不完全性定理、などなど)だって、どのみち必要になるのであるから、その勉強も決して無駄にはならない。最終決定は新年度の卒研のメンバーが確定してからにするが、彼にはそんなわけで週2回のゼミに参加してもらうことになるように思う。それで俺は、毎週木曜日が朝から夕方までゼミまみれになる。
そういう話をして学生さんが帰って行ったのが午後2時前で、ようやく弁当にありついた。昼食後、それじゃあ期末テストのB面の丸つけをしようかなと思ったのだが、ふと気を抜いたら居眠りしてしまい、気づいたら午後4時を過ぎている。こりゃいけない。2時間も溶かしている。B面の丸つけは明日に延期して、さしあたりの事務仕事をいくつか片付ける。副指導教員として関与している大学院生の成績評価を確認する。木原さんに旅費の振込についての書類を送る。それに、給料日だから、母への仕送りと倅への仕送りも忘れちゃいけない。などなど。バタバタするうちに夕方になった。
夕方、一旦帰宅して鶏鍋2人前の用意をして、それから電車でピアノのレッスンに向かう。あいかわらずろくに弾けていないが、ほんの少しの進捗が感じられる。ありがたいことだ。これまた、がんばるしかない。
レッスン後、地下BALに寄った。どういうきっかけだったか、店主ミチコさんが、NHK大河ドラマとか司馬遼太郎とか吉川英治とかの歴史小説だけで歴史を知ったと勘違いするのはとても危険だ、と言い出した。原典にあたるべきだ。司馬遼太郎でなく司馬遷を読むべきだ。と、ミチコさんらしくもないマトモなことを言う。その結論に至るまでのロジックはともかく、どうせ教養をつむなら原典にあたろうという主張は大賛成である。この店では珍しく、意見の一致をみた。
電車で帰宅してみると、鶏鍋はあらかたムスメがたいらげた後だった。
2026年2月16日(月)
天気は良くないなりに、けっこう暖かい日だった。いろいろやるべきことはあるが、あんまり、というか全然、進捗がなかった。前進すべきところで、足踏みしたり、横歩きしたりしている。なんなんだこれは。
2026年2月15日(日)
例によって日数がかかったが、八木雄二『神を哲学した中世』を読み終えた。とても有意義な本だと思った。西欧と日本の考え方の溝に思いを致すとき、われわれは、科学革命・産業革命をなしとげて世界を征服した西欧の科学技術に目を奪われて、どうしても、自分の側を反省して、日本的なもの/東洋的なものの性格について考え込んでしまいがちなわけだが、その発想からいったん離れて、相手の側の、西欧の思考を実は根底で支配している神学的発想の特殊性を学び理解すべきなのかもしれない。
などということを考えながら、コミセンまで歩いて行き、図書館で本を借り換えた。他の本と一緒に、岩波書店版プラトン全集の第4巻を借りた。だけどこれは家にあるような気もする。
2026年2月14日(土)
休日となると、例によって洗濯と料理と散歩と読書である。いつものように一色楽器に行って油を売ってきた。いつもいる島谷が今日もいた。バレンタインデーとて、帰りがけに、社長夫妻からお菓子(ルコアンデザミのマカロン)を頂戴した。ありがとうございます。美味しかったです。
東北地方から面白げな企画での講演の打診がきたが、時期的・予算的に、お応えできるかどうか心許ない。行けるようならまたここに書く。行ける行けないはともかく、しゃべる内容の準備はしておかなくちゃ。
つまりあれだ。俺は年齢その他の事情が重なって、数学の研究なんてできなくなっている。論文なんて書けなくなっている。そろそろ数学者の看板なんか降ろして他の生きる道を探そうかなと思っている。ところが、そうは問屋が卸さないらしい。周囲の人々には、俺にもまだ数学の世界でできることがあると見えるらしい。喜ぶべきか悲しむべきか、それはわからない。だが、もらったオファーが面白そうなのは確かだ。もう一度くらい、誘いに乗ってみてもいいのかもしれない。とはいえ貧しいから、手弁当は勘弁してほしい。さてどうなることやら。
2026年2月13日(金)
けさはおかしな夢をみた。ディテールは省くが、エレベーターの小部屋がやたら広い大部屋で、そこでいろいろな人と会ったりキーボードで合奏したり、マンションの自室がなかば公共の場所で、外を通る人たちが覗きこんで声をかけてくれたり、大風で散らかっていたのを隣人たちが片付けてくれていたり、吹奏楽団の若い人たちが三々五々やってきては管楽器の練習を始めたりするのだ。エレベーターやマンションがテーマの夢は、ときおり見る。細かい筋書きは毎回違うのだけど、集合住宅的な巨大な建物で迷うとか、自分の住まいに人が集まるとか、共通したモティーフの夢をわりと何度も見るのだ。
ともあれ6時過ぎに起きて活動開始。きょうは朝から卒業研究発表会だから昨日にもまして早めに大学に着いておきたいが、発表会後の懇親会で酒を飲むというタスクもあるので、自転車はやめておく。歩いて行こう。
卒業研究発表会では、学生の発表をきっかけにして、教員同士が質疑応答の時間や休憩時間に、ついつい学生そっちのけで熱い議論を闘わせたりするけれども、もちろん本当は、学生を交えて数学の話がしたい。大学なんだからね。教員は普段はみんな、そこのところをいろいろ我慢しながら、教育や大学運営の仕事に忙しい毎日をすごしている。なので、毎年のこの卒業研究発表会が、教員たちは嬉しくて楽しくて仕方がないのである。
最初の平野ゼミの発表が済んだ9時半ごろにゼミ室を覗くと、うちの5人のゼミ生のうち2人が発表の準備をしている。今日の夕方には発表の本番だというのに、まだ、どう喋るかの相談をしている。熱心さは買うが、少し心配だ。他のゼミの発表を見て雰囲気をつかんでおいでと促す。それで自分はというと、教室の写真係なので、代数・幾何系の部屋と解析・応用系の部屋とを行ったり来たりしながら写真を撮る。それに、明日がタイムリミットの資金の移動が(理由についてはまた改めて書くけど)あるのでATMに行ったりもするし、発表会の午後の始めの尾國ゼミのセッションでは座長と進行役をうちのゼミが受け持つので、タイマーの準備などもする。午前のセッションが12時半まであり、午後のセッションが13時からである。12時45分にうちのゼミ生に招集をかけていることもあって、昼飯を食う時間がほとんどなかった。(食ったけど。)
尾國ゼミの発表の進行役としては、機嫌よく和やかに進行することを心がけた。そこは評価してもらえたらしい。そのあと、シャクマトフゼミ、山内ゼミと聴く。例年のことだけど山内ゼミの発表は刺激的だ。今年もいろいろ考えを刺激されて、発表者と山内さん、シャクマトフさんを交えていろいろ議論してみた。わが藤田ゼミの発表は夕方、全体の大トリである。少したどたどしいところを残しながらも、長い時間かけて準備しただけのことはあった。それなりにちゃんと発表が済んでよかった。
今年は久々に、発表会のあとの懇親会が学内のレストラン「メイプル」で開催された。昨日の修論の審査を終えたM2院生ときょうの発表を終えた学部4年生がけっこうな人数集まって、教員を交えて飲み食いする。大役を果たして肩の荷を下ろしたせいか、みな上機嫌でよく喋る。二次会のカラオケにも20人ほどがやってきて、これまた盛り上がって楽しかった。俺もサービス精神を発揮して3曲歌った。それなりに女子学生にもモテて嬉しかった。こういう機会があるたびに思うのだが、べつだん皆に嫌われているわけじゃないとわかるのは、ありがたいことだ。うん。明日からまたがんばろう。
2026年2月12日(木)
弁当を作って、歩いて大学に行く。朝から修士論文の審査がある。そのあと、午後の遅めの時間に集合と位相Iの期末テストがある。これが済めば後期の授業はおしまいで、明日の卒業研究発表会を残すのみだ。卒研ゼミ生たちはきょうも朝からゼミ室に集まって発表の準備をしている。俺は、修論審査と期末テストのため、ゼミ室に行くいとまがない。いや、行かなかったわけではないのだけど、修論審査と期末テストの合間の短い時間にゼミ室をのぞいた時は昼休憩中で留守であり、期末テストが済んでから行ってみたら、ゼミ室の予約時間も済んでいて、すでに撤収していた。なにしろ、その次の時間帯に授業のあるゼミ生もいるのだ。これまでの年度と比較して、今年度は発表の練習をあまり見てやれなかったのが心残りだ。明日の発表がうまくいくといいな。
2026年2月11日(水) 建国記念日
せっかくの休日だが天気がよくない。洗濯物を内干しにして、本を読んですごす。午後は雨が止んだので、久々に喜助の湯に行ってみた。入湯料が少々高くて驚いたが、ゆっくり風呂に入った後のラガーゼロ は美味かった。(きょうは休肝日なのだ。)エルベで大豆を買って帰った。夜まで水に浸しておく。煮豆にして、明日の弁当に入れよう。
近所のセブンイレブンで買ったルイボスティーを飲みながら、八木雄二『神を哲学した中世』と、野本和幸『現代の論理的意味論』(岩波書店, 1988年)を交互に読み進む。少々、頭がこんがらかる。
夕食には麻婆豆腐を作ったが、どうも一味足りない。
2026年2月10日(火)
昨日は散歩を兼ねてのんびり歩いて帰ったのはいいが、マフラーと手袋を研究室に忘れて帰ってしまった。今朝もだいぶ寒い。1限の授業があるのと、昨日棚卸しした大学図書館の蔵書を一山運ばねばならないのとで、寒い中を自転車で大学に行く。マフラーはなくてもまだなんとかなるが、手袋なしで自転車に乗るのが思いのほかつらかった。まあ、たまにこうして身の回りの品の大切さを思い知るのも、俺にはいいクスリかもね。
朝は集合と位相Iの演習をやる。期末テスト直前なので新しい問題は配布しない。そのせいかどうか知らんが、とても静かな演習の時間になった。
いろいろの本を読まねばならん。コミセンの図書館で借りてきた八木雄二『神を哲学した中世 ヨーロッパ精神の源流』 (新潮選書, 2012年)は大変面白い。近代以降のヨーロッパの人々の精神の原点は古代ギリシャ世界の哲学とキリスト教の信仰が遭遇した中世にこそ見出せる、神の摂理とやらを知らぬ日本人はヨーロッパ人の目には未開と映っている、アンセルムスの神の存在証明をめぐって《信仰者からすれば、神の存在を信じていない人間が見ている世界こそ、幻想の世界なのだ。この隔絶は埋めることができない。》(p.68)、科学技術による自然開発をめぐって《自由意志をもつ人間が自然法則という必然を自由に利用して生きていく、というこの近代思想は、明らかにスコトゥスに淵源するものなのである》(p.109)などなど、いろいろ説得力がある。翻って、アジア人の精神の原点についても考えさせられる。
午後は卒業研究の追加ゼミで発表の準備につきあう。一同なかなかのガッツで、ぎりぎりまで頑張るつもりのようなので、明後日も(俺は顔を出せないけど)セミナー室を予約した。
帰宅していつものカレー作りをした。まあまあの仕上がりになったと思う。
2026年2月9日(月)
朝、洗濯を済ませてから、歩いて大学に行く。あちこちの日陰には、昨晩の雪が消え残っている。けっこう寒いのだが、それほど風もなく天気がよいので、まだしのぎやすい。大学に着いたら、研究室にある大学の蔵書の点検をする。自腹の本と比べると大学の管理下の蔵書は冊数もそれほどでもないので、さしたる苦労もなく点検ができるのだが、何冊か自宅に持って帰っている本などがあって、その確認は今晩せねばならない。
午後は3年生ゼミの最終回だった。山田俊行『はじめての数理論理学』 (森北出版)を、3章の演習問題だけを残して、概ね読み終えた。今年度の3年生ゼミは一貫して「毎回全員参加」で進行できてたいへんよかった。新年度の卒業研究ゼミもこの調子でいけたらいいなと思う。いやいや、今年度の卒業研究ゼミもみんな積極的でなかなかたいしたものなんだけどね。
お昼休みに、卒業生の(某所ではハリ崎ポタ助で通っていた)岡崎さんが訪ねてきた。ずいぶん久しぶりだ。お互いに歳をとった。いまでも塾の先生でがんばっているらしい。
2026年2月8日(日)
衆議院選挙の投票に行き、フジグラン松山に行き、夕方からはMONKへライブを聴きに行った。とても寒い日で、ときおり雪が降った。松山でこうなら、倅のいる京都や妻のいる東北はとんでもないことになっているに違いない。
カズノさんから、お父さまの遺品のウールのコートを頂戴した。大事に着ようと思う。
2026年2月7日(土)
いろいろ思うところあって、カンタベリーのアンセルムスの『プロスロギオン』 を繙く。俺はラテン語は読めないが、ありがたいことに、ダビデの詩さん の平明な翻訳をネットで読める。(シドニー・ディーンによる英訳 もある)読んでみると、アンセルムスは神の存在証明よりずっと多くのページ数を、悪人の裁きと赦しというテーマに割いている。哲学史に名高い「神の存在論的証明」は、かなり最初の方に手短に述べてあって、むしろそっけないくらいだ。こういうことは、実際に読んでみないとわからない。当時のヨーロッパの人々にとって、神の存在は自明の前提だったのだろう。そして、神がいながら悪があるとはどういうことか、ということの方が大問題だったのだろう。
コミセンの図書館に行って本を借り換え、例によって一色楽器に行ってひとしきり油を売って、歩いて家路をたどり、食材を買って帰宅した。晩飯は肉じゃがにする。
2026年2月6日(金)
自転車で大学に来た。朝は集合と位相Iの講義で、集合の濃度の話をした。\(\mathbb{N}\) と \(\mathbb{R}\) が対等でないこと、\(\mathbb{R}\) と \(\mathbb{R}^2\) が対等であること、などなどを話して、2年次以降の位相の授業への導入にもなるようにしたつもりだが、さて、受講生に面白さは伝わっただろうか。
午後には卒業研究ゼミをやる。来週金曜日の発表に備えて、ゼミ生たちは準備に余念がない。分担して作業しながら、実に熱心に議論している。見たことはないが、漫画家やコンテンツ制作会社の仕事場って、こんなのかもしれない。大学だって、こうであるべきだと俺は思う。
今年も職場の事務連絡メールで「人事マスタ確認依頼」というのが来た。おかげで脳内でフォーク・クルセーダーズの「帰ってきたヨッパライ」 がループ再生されている。
夕食はムスメ(ジョジョヲタ)と2人でスシロー に行った。期間限定でジョジョ第3部とのコラボメニューがあるのだ。予約なしで行ったら、なかなかの人で、だいぶ待ったが、寿司はそれなりにうまかった。なにしろコラボメニュー目当てであるから、ふだん倅と行くはま寿司 より多少高くついたが、まあいい。
2026年2月5日(木)
きょうは朝から修士論文発表会がある。ホームページのイベント報告に載せる写真を撮らねばならない。なにしろ俺は教室の写真係というのを引き受けているのだ。弁当を作り、早めに家を出て、歩いて大学に行く。最初のいくつかの発表を聴いてからいったん研究室に戻って文献調べなどをして、午後のセッションからふたたび発表会を聴きに行った。来週の審査では三件の副査を務めるので、その人たちの発表はちゃんと聴いたよ。
発表会が終わったら、集合と位相Iの演習の時間だ。同値類と商集合、それから写像の分解についての問題に取り組んでもらう。手を動かして解ける問題を多めに出したつもりだったが、どうだったろうね。
帰りも歩いたが、左脚のふくらはぎにダメージがあってなかなか大変だった。ずっと以前から右脚に不調をかかえているので、それをかばう左脚にかえって負担がかかっているのかもしれない。夕食はラーメンにした。Youkiのガラスープ を使って自分でスープを調合して、味噌ラーメンにした。それなりのものになったと思う。
2026年2月4日(水)
一夜明けると立春である。とはいえ実際にはまだまだ冬である。冬のさなかにようやく春が立って、これから歩いてやってくるわけだ。大学のホームページのサーバ管理がらみの作業などなどをした。教室会議もあった。卒研ゼミ生が「発表の要旨」を書いているのをチェックしたりもする。
家にある本を少しだけブックオフに売った。研究室にある本もいくらか古本屋に売るなり古本募金なりに持っていくなりしてちょっと減らさにゃならん。
2026年2月3日(火)
朝の講義は進度調整のためにお休みにした。どこがどう例年と違ったのかわからぬまま、今年は早いペースで講義が進んでしまったのだ。なにか大事なことを話し忘れているのではないかと心配になる。
午後は卒業研究の追加ゼミで、作業の進捗を確認しに行く。昼の1時半ごろにゼミ室に行ってみると、ゼミ生たちは留守で、ホワイトボードに近所の食堂をリストしたあみだくじが残っている。どうやら長めの昼休憩をとっているらしい。ゼミ室で本や論文を読みながら、帰りを待つ。休憩こそ長かったが、戻ってきたゼミ生たちはじつに熱心に発表準備に精を出していた。スライドをブラッシュアップしたり、発表の内容で不明な点についてお互いに議論したり、あるいは俺に質問を投げたり、自分たちなりにいい発表にしようという意欲が感じられて、頼もしい限りである。
夜にはピアノのレッスンに行く。この曲はどうも運指がパズルみたいになるところがいくつかあって、先生と二人で頭をひねる。
ChatGPTさんにフロイトの精神分析と世紀末ウィーンの文化について尋ねてみた。フロイトの精神分析の思想的背景、グスタフ・マーラーやシェーンベルクの音楽、エゴン・シーレとグスタフ・クリムトの絵画、アドルフ・ロースの建築などから、ウィトゲンシュタインの思想、エルンスト・マッハやウィーン学団の科学哲学と世紀末ウィーンの文化的退廃の関連、当時のオーストリア帝国の政治的退潮、などなどに話が及んだ。いろいろ面白い話が続いたが、どうした流れだったか、ChatGPTさんが、「あなたは《世界が壊れていることを、利用したくない人》です。」と言ったのは、ずいぶん刺さった。ChatGPTさんは、俺がカミュを愛読していることを知っているので、こういう発言になったのだと思う。しかしどうだろう。実際のところ、俺は、世界より先に自分が壊れていることを知っていて、世界が破綻していることを言いわけにできないと思っているだけだ。
今夜は節分である。うちでは豆まきもしないし恵方巻きのまるかぶりもしないけど、無病息災を祈る気持ちはある。鬼は外、福は内である。
2026年2月2日(月)
さて月曜日である。非常勤の授業の成績を無事に登録できて、おおいに肩の荷を下ろした。次には本務先の「集合と位相I」の期末テスト問題を作らにゃならん。基本的に昨年度までの形式を踏襲して、LaTeXの文書クラスを ltjsarticle から jlreq に変更した。残り2回の演習のプリントの準備も済んだし、期末テストの印刷も、もう手配した。ここまでくれば、今週金曜日の講義で俺がしくじらない限り、この授業は無事に終わる。ありがたいことだ。
午後には3年生ゼミをやる。今回は形式言語の解釈の話だった。そろそろ学期末で、今回で終わろうかと思っていたのだが、ゼミ生たちはやる気満々で、来週もやるつもりらしい。実に頼もしい。俺もやらんならんことがたくさんあるので、彼らのやる気を見習って体を動かさんといかん。やりたいことがないわけじゃないし、それなりに期待されている案件だってないわけじゃないのだ。あえて大袈裟にいうけど、このまま埋もれてしまっては人類の損失だぞ。
2026年2月1日(日)
例年この時期に開催される「えひめサイエンスチャレンジ」の審査員を務めてきた。県内の公立高校の生徒たちが科学研究の成果を発表するイベントである。この歳になると、高校生たちの熱気にときたま触れられるだけでもありがたい。指導の先生たちの尽力もあるんだろうけど、思いのほかみんなちゃんと研究して、ちゃんと発表しているし、高校生同士の質疑応答も丁寧かつ実質的で、なかなかたいしたものだ。そういうものに点数をつけるなんて野暮なことは、本当はしたくないのだが、まあ仕方がない。朝から夕方までかけて、務めを果たしてきた。
夕方に業務が済んで、徒歩で家路をたどる。ただし、ちょっと遠回りをして、エルベで鶏肉を買った。晩飯にクリームシチューを作るのだ。家の近くの交差点の信号待ちで、知らないおばちゃんが声をかけてきた。俺がApple Watchを見ていたら、そのおばちゃんは「何してるん?」という。たいしたことはしていない。で、そのおばちゃんが「相方が車で出かけて帰ってこん」(それは誰しも出かけることくらいあるでしょ)とか、「家はこのへんかね」(そうですけど詳しくは秘密ですよ)とか、「ケータイの画面が真っ黒だ」(電池がヘタってるんじゃないですか、ショップに持ち込んでください)とか、「あんたきれいな顔しとるよ」(ほめても何も出んよ)とか、いろいろ言ってくるのに適当に相槌を打ちながら、どうやって逃げるか必死で考えているところへ、これまた見知らぬおっちゃんが来て、おばちゃんに「こんなとこで何しとるん」俺に「こいつそうとう痴呆が入っとるけど、なんか迷惑かけんかったかね」という。まあ確かにどうやって逃げようかとは思っていたが、迷惑というほどのことではない。おばちゃんも素直におっちゃんについて帰ったので、俺は無事に解放された。先月11日 に引き続きの逆ナンパ案件であった。