午前のうちに「すじこん」を作った。牛すじとこんにゃくを生姜と砂糖と醤油と味醂で時間をかけて煮込む。ちと味付けが甘かったが、俺にしてはまあ上手にできたと思う。
午後にはちょいと買い物に出かけねばならない。長年の使用に耐えてきた敷布団カバーがとうとう擦り切れて破れてしまったからだ。歩いて出かけ、DCMなどの店をはじめに見てまわったが、フジグラン松山に行ったらちょうど1階の催し会場で日用品の特売をしていて、ペイズリー柄のちょっと気の利いたやつを、DCMにあった色無地の布団カバーの定価の半額以下で手に入れることができた。ありがたいことだ。
その後、いつものコースで宮西のブックオフとオフハウスハードオフをチェックした。特に買うものはなかったが、ホビーオフのぬいぐるみのカゴで異彩を放っていた大きなクマのぬいぐるみが、俺が店内を見てまわっている20分ほどの間に売れていた。うちの主であるテディベアむうむうたんのざっと倍ほどの、大人の身長くらいある特大のクマで、小さい子供のいる家に連れて帰ったら、さぞ子供らが大喜びするだろうと思った。まあ、どこに買われて行ったのか、それはわからないんだけど。
先日「みずがめ」で食べた里芋の唐揚げがとても美味しかったので、夕食時に自宅で再現を試みた。あれにはとても及ばないが、それなりのものができた。俺にとって、里芋を扱うのは実はこれが初めてだ。今後はいろいろ作ってみようかな。これからのシーズンならいもたきとかね。
きょうは一色楽器で川尻さんに会って、古いほうのソプラノサックスをある人に譲る相談をした。まだヤマハの店がアオノホールのビルにあったころ(2018年2月11日)に買った、アルフレッド・リュポSS-241Lだ。高級品ではないし、オクターブキーのメカニズムまわりに気になるところがあって調整が必要だが、調整すればまだまだ使えるはずである。
このソプラノで、2018年の8月に松並順子や樋上千聡というプロの演奏家と一緒に演奏させてもらう機会をもらったし、2019年の6月には高校のOB会の演奏会に出て《ユーミン・ポートレート》の「あの日に帰りたい」のソロを吹いた。
もう一本のソプラノサックスはアンドレアス・イーストマンのESS-652RLという型番で、渋いアンラッカー仕上げの、アルフレッド・リュポより多少鳴らしやすい楽器である。楽器ケースに入っている領収書その他によると、買ったのは2023年の12月24日となっている。その日の「て日々」にはあえて書いてなかったわけだ。クランポンのテナーともども、この楽器とも、これから末長く付き合いたい。
昼間は少し本を読み、少し書類仕事をした。夜は旅の(元)プロのカズノさんとお役所ピアニストの石本誠さんと3人で、本町6丁目〜高砂町界隈を「みずがめ」「鉄屋」「クロスロード」と飲み歩いた。「みずがめ」はこれまで全然知らない店だった。気のいいお姉さんがやっている店で、食べ物が旨かった。「鉄屋」と「クロスロード」は、名前もわからないなりに、職場から家路をたどる途中になんか面白そうな店があるなと気になっていたので、石本さんの案内で今回訪問できたのはありがたかった。
さてさて、食事をするにしても洗濯をするにしても、来週の出張をそろそろ視野に入れておかねばならない。
朝のうちに洗濯を済ませて午後から大学へ行く。ちと夏バテ気味である。
夕方にはDS研究セミナーを兼ねた数学談話会があった。講演者は早稲田大学の岩沢宏和客員教授で、保険データサイエンスという領域での機械学習の解釈可能性をめぐる話をしてくれた。予測モデリングと生成モデリングの文化の違いなんかも面白かった。
談話会が終わって自室に戻って本を見直したりしているとけっこう遅くなった。自転車で家路をたどる。途中の中学校の前あたりでまいなちゃんに遭遇した。「せんせ〜い♪ おひさしぶり〜♪」と手を振ってくれた。ありがたいことだ。
帰宅してみるとムスメが出かけている。なんでも、普段オンラインでやり取りしている北海道かどこかの友達と会って遊ぶために、夜行バスで東京に行くらしい。洗濯物はちゃんと取り込んであった。
すべてを事細かに書くわけにいかないのだが、弁当を作って自転車で大学に行き、ゴニョゴニョと仕事を済ませ、夕方になってからエスコバールに電話してメガネを回収に行き、スーパーで食材を買って帰宅し、手早く夕食を作った。
『イリアス』第二歌を読んだ。前半で総帥アガメムノンが兵士たちの士気を試すために「この戦争つらいから、もう撤退しちゃおうかな」とカマをかけるところは面白かったが、後半は、アカイアとトロイ双方の指揮官と軍勢のリストが延々と語られるばかりで、ちと退屈であった。
あと昨日と今日で船蔵颯『言語の数理とLLMの知能』(オーム社, 2025年)の第2章に目を通したが、これがまたひどく難しかった。型理論(数理論理学で言うカリー=ハワード同型対応)を背景とした自然言語の証明論的意味論について語っているのだと、一応は推測できるが、初めてこのテーマ(依存型意味論)に触れる俺には、この記述では何が何やら全くわからない。まあ仕方がない。カリー=ハワード対応の自然言語への応用については別に勉強することにしよう。第3章は大規模言語モデルの原理的なことを解説しているらしい。こちらはもう少しtractableだろうと期待して読み進む。
数理科学系の物書きには、厳密性を損なったら死んでしまう派と、わかってもらえなかったら死んでしまう派がいる。船蔵さんや、依存型意味論の発案者である戸次大介さんは前者なのだと思う。俺は断然後者である。幼い頃から寂しがり屋で愛情に飢えている一方で、幼い頃から親しい人々から「お前の言うことはわけがわからん」と言われて失望を続けてきた俺が、わかってもらうためにはわかってもらうための努力が必要だというアタリマエのことを学んだのは、ようやく中年になってからだ。その一方で、数理科学の身上である厳密性を、わかってもらうために捨てるわけにはいかないということも、俺は知っている。そのうえ、上手に説明することと上手にゴマカスことがほとんど区別できないことも知っている。だから、正しくわかってもらうための努力には、終わりというものがない。終わりのない努力。そしてまた努力。ところが、一方では寂しがり屋で愛情に飢えている俺は、もう一方では努力に希望を見出せないひどいグータラなのだ。どう考えても詰んでいるが、生きているうちは仕方がない。ときおり自分の心に灯る「これをわかってほしい」という火は本物なのだ。そう信じて前進しましょう。
昨日どこかにメガネを忘れてきたらしい。どこかといっても、エスコバールかリモナディエのどちらかに違いない。あとで店に電話しよう。
夜はピアノのレッスンに行く。少しは弾けるようになってきたが、まだ人前には出せる状態ではない。練習しなくては。
いま思ったが「弾ける」と書くと「ひける」か「はじける」かわからんね。まあ、ピアノのレッスンでハジケても仕方ないけど。
けさも宵の口に寝落ちして未明に目が冴えてしまういつものパターンになった。まあ仕方がないから起き出して、3週間ぶりにカレー作りをした。カレーはうまくできたけど、睡眠不足で昼間がちょっとつらかった。
前にも書いたように夕方のオンラインセミナーで10年前の小野さんの研究の結果について話した。オンラインで3人が聴いてくれたほか、菊池誠が神戸からやってきて俺が喋っている横で聴講し、コメントしてくれた。
もっとも、菊池さんは何もこのセミナーに陪席するために来たわけではない。いま懸案のまだ見ぬ本の企画について意見交換するために、彼はいろいろな研究者を訪ねて全国を飛び回っているのだ。神戸での大学運営の仕事も多忙を極めているだろうし、実際きょうの午前中は神戸で大学院の修士論文の審査をし、明日の午後にはまた神戸に戻って会議に出るという。そういう忙しい毎日の合間を縫って、どこからか降って湧いた本の企画なんぞのためにもこのように尽力していて、まったく頭が下がる。俺にはとてもマネできない。
というわけで菊池さんと夕食に行くが、月曜日というのは飲食店がお休みのところが多い。スリーバーチュもお休み、びんび家もお休み、せっさたくまもお休みだ。まあ、どこなっと開いてるでしょうから街へ行きましょうと歩き出す。で、どうしたかというと、ロープウェイ街の南米料理店「エスコバール」に入って土佐あか牛のアサードを張り込んだ。ひさしぶりに牛肉らしい牛肉を食ったという感じだ。アルゼンチン産のクラフトジンを飲み、懸案の本の目次案をめぐっていろいろ話した。
それから毘沙門坂のリモナディエに移動して、イタリアのワインを飲み、居合わせた他のお客さんとの雑談も交えつつ、さらに話した。ゲーデルの第二不完全性定理の集合論の文脈での別証明について菊池さんがいろいろ情報提供してくれた。これは、来年度以降の大学院の指導のネタとして利用させてもらうかもしれない。
昨日の日記に書いた「これホンマに成立するんかいな」という命題は、けさ少し考えて、ホンマに成立するということで決着がついたが、それでも不思議な結果には違いない。記述集合論の文脈で類似の結果が言えたら面白いだろうなと思った。ともあれ明日のセミナー発表用のスライド作りもどうにか一段落してひと安心。
いつだったかブックオフに本をひと山売ったときに、末次拓斗『誰でもわかる大規模言語モデル入門』(日経BP)も売ってしまったらしい。これは後期の非常勤の授業の参考に使えそうな本なので、買い戻してきた。先のことを考えずに本を売ってしまってあとで買い戻すなんて、なんだかマヌケな話だ。遠き慮りなければ近き憂いあり。
昼飯には冷やし中華、晩飯にはポークソテーを作った。
高校生向けレクチャーが済んだので次は明後日のオンラインセミナーの準備をせねばならん。ごちゃごちゃとスライド作りをしているうちに、これホンマに成立するんかいな、と疑わしいところが出てきた。多分大丈夫なのだけど、確認せにゃならん。
午後はほぼ1ヶ月ぶりに一色楽器で社長とどうでもいい話を延々とした。川尻さんにも会った。
昼飯はムスメがお好み焼きを作ってくれた。晩飯にはとろろ蕎麦を作った。とろろ蕎麦でけっこう腹一杯になった。
今日は県下のある高校の生徒8人を相手に、研究室体験として、数学のレクチャーをする。午前中はA4とB4のコピー用紙の寸法の設定に \(\sqrt{2}\) とか \(\sqrt{3}\) といった無理数が関連していることを説明した。午後は三角数が平方数になる場合を探索してペル方程式 \(X^2-2Y^2=\pm1\) の解との対応を考え、ペル方程式の解を系統的に作り出す漸化式を論じた。昨晩遅くまで夜なべしてそれなりに準備して行ったつもりだったが、やってみると少し時間が余った。大学の講義ではわりかし喋りっぱなしの俺だが、今回は、生徒さんたちにいろいろ計算してもらったり、簡単な質問に答えてもらったり、多少はインタラクティブな展開を心がけた。楽しんでもらえただろうか。
まるっきり整数の世界の問題なのに、\(\sqrt{2}\) という無理数を考えに入れてはじめて見通しのよい考察ができるという点、それから 99対70 という比率が繰り返し現れる点、このあたりを面白がってもらえたと思いたい。俺としては睡眠不足をおしてけっこうがんばって喋ったので「やったった感」は十分にあるが、受け手の印象はまた別問題ではあるからな。
夕方、スーパーに寄ってから帰宅して、いつもの(でもないかな)お惣菜を作った。牛すじと大根と厚揚げの煮物。まりえさんレシピの電子レンジで作るチャプチェ。白菜と油揚げの煮浸し。鶏キモの生姜煮。
煮物の番をしている間に、こないだからゆっくり読み進めていた玉村豊男『料理の四面体』(中公文庫)を読み終えた。たいへん面白かった。玉村豊男の本は以前に『パリのカフェを作った人びと』(中公文庫)を読んだことがあり、さらにまた『健全なる美食』(これまた中公文庫)もすでに買ってある。こうなりゃ、どんどん読もう。
電車で大学に来た。明日の高校生向けレクチャーは一昨年の8月22日に行った内容を再利用するつもりなのだが、話す俺自身の頭から内容が(特に午後に話す予定のディオファントス方程式についての議論が)あらかた蒸発しているので、準備をしながら思い出さねばならない。陽の高いうちはなかなか気乗りがしないでダラダラしてしまったが、午後も遅くなり出してからちょいとがんばってなんとか目鼻をつけた。
夜は教室の同僚の中島さんと佐藤さんの提案で、いよてつ高島屋8階のビアブッフェで飲み会となった。飲み会があるので自転車での出勤は控えたというわけだが、誰とは言わないが自転車で飲み会に来ていた人もいる。まあ、飲んだ後は自転車を押して帰ったと思うことにする。
参加者は10人。シャクマトフさん、庭崎さん、俺、平野さん、松浦さん、尾國さん、寺本さん、中島さん、大西さん、佐藤さんというメンバーで、それなりに楽しく飲み食いし語らった。下世話な話もアカデミックな話も交えて閉店まで飲み食いしたあと、二次会とてカラオケに行った。明日のことを考えておとなしく早めに帰るべきだったのかもしれないが、ついついサービス精神を発揮してしまって、3曲歌った。松崎しげる「愛のメモリー」、沢田研二「カサブランカ・ダンディー」、ボーイズ・タウン・ギャング「君の瞳に恋してる」と、テンション高めの歌ばかり選んだ。俺以外の二次会メンバーもその辺りは同様だ。
終電に間に合うように脱出して帰宅。永井博の画集が届いていたのでムスメに見せる。夜も遅かったが、妻の提案に従って、音声をミュートしたZoomのビデオ会議でお互いの顔を見ながら黙々と作業する時間を2〜3時間ほどもとった。おかげで、明日のレクチャーの準備のうち手薄だった午前の部の内容を練ることができた。それはいいのだが、流石に寝るのが遅くなって、そういう意味では明日ちょっとキツいかもしれない。
朝から大学に行く。大学院入試のペーパーテストの待機時間中に、『イリアス』第一歌を読んでみた。予想以上に面白い。
午後には会議があった。会議の時間中はいたって真面目に取り組んだが、終わった後、研究室に戻ってからが眠くて仕方ない。明後日の高校生向けレクチャーの準備が急務なのだけど、あんまり進まなかった。夕方にはスマホを研究室に忘れて帰宅してしまった。
晩飯には、家にある材料だけで、ゴーヤと豚肉の炒め物を作り、ナスの焼きびたしを作った。味は悪くないが、なんか、変わり映えしなくて申しわけない。
久々に弁当を持って大学へ行く。来週月曜日のリモートセミナーの発表の準備と、金曜日の高校生向けの講義の準備をする。
お昼前に科学基礎論学会の会費を振込に郵便局に行ったついでに、大学生協で岩波文庫版『イリアス』(松平千秋訳)上下巻と、同じく岩波文庫版『バカヴァッド・ギーター』(上村勝彦訳)を購入した。いや、『イリアス』はジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』でさんざん引用されていたので読んでみたくなったのだが、本当なら『バカヴァッド・ギーター』は見送るつもりだった。だが、なんでも今夏の岩波文庫フェアでは対象の文庫本を3冊買って帯の応募券を3枚集めると、特製文庫本カバーなるものがもらえるというのだ。そのように生協のなじみの店員さんに勧められたので、やはり『バカヴァッド・ギーター』も買うことにして、応募用の官製はがき(って最近はいわないのか?)も一緒に買った。ちなみに『イリアス』と並び称される『オデュッセイア』は、すでに家に松平千秋訳の岩波文庫版上下巻を積んである。
ちなみにジュリアン・ジェインズが『神々の沈黙』で言うところによると、『イリアス』と『オデュッセイア』が同じ作者によって書かれたとは思えないし、そもそも同じ時代の作品ということ自体があり得ないらしい。『オデュッセイア』のほうが数百年新しいと考えるべきなのだそうだ。おそらくはどちらも平家物語的に口伝で伝えられたものがある時期に書物にまとめられたのだろうね。
夕方には歯医者に行った。左下の奥歯の処置をしてもらって、治療は一段落した。今後は半年に一度くらい定期的に様子を見てもらうことになりそうだ。
歯医者のあと、近所のスーパーで食材を買い足した。ピアノのレッスンもあって時間的にタイトなので、夕食はスーパーにある刺身で済ませることにした。たまにはいいだろう。
夜にはピアノのレッスンに行って、例によってバッハのハ短調のシンフォニアをみてもらう。それと、10月の大人の音楽会でサックスを吹き、手島先生に伴奏していただくことになっているので、その楽譜をお渡しした。
けさは味酒町の総合保健協会へ健康診断を受けに行く。本当は5月なかばに職場で定期検診を受けるべきだったのだが、ちょうどその時期ちょっと体調(というか心の調子というか)を崩してしまって受けられなかった。日記からは読み取れないかもしれないけど、5月なかばというと、1年のうち一番お金のない時期で、それがどうしても気持ちに響いてしまって、体が動かなくなる。それが今年は普段よりキツかったのだ。いっぽう、勤務先としては、職員の健康管理上、検診はゼヒトモ受けてもらわにゃならんという。それで、体が動くときに総合保健協会へ行く。4年前にも行ったな。
というわけで朝飯を抜いていき、バリウム飲んだり血を採ったりした。職場検診でなく人間ドックに行った昨年のデータとはすぐに比較はできないが、2年前と比較すると、体重が5キロ以上減っているし、腹囲もまだまだ大きいとはいえ2年前から5センチばかり減っている。薬で抑えているのではあるが、血圧も114/83と、いたって正常な値だ。いっぽう、左耳で高音(4kHz)が聴こえなくなっているのは残念な変化だった。
午後は大学に行き、前期の授業の成績を報告した。それと、今週金曜日に高校生相手にするレクチャーの準備にとりかかった。これまでに何度か使った話題の使いまわしなのだが、なにしろ数学のネタは情報リテラシーや何かのネタと比較して賞味期限がきわめて長いのに対して、高校生は3年で入れ替わるので、そこは勘弁してもらう。
うちの2階のトイレが壊れた、というかムスメに言わせると前から壊れていたというので、便器と水洗のタンクを新しく交換する工事をしてもらう。思わぬ出費だが、まあ仕方がない。この家に2007年に住みはじめてから、もう18年にもなる。そりゃいろいろガタもくる。
あとひと月ちょっとで今年度の非常勤の講義が始まる。そろそろ準備にとりかからないといけない。それに関係して、先日取り寄せた高校の情報科の教科書を読んでみる。萩谷昌己編著の実教出版の教科書だ。今度の新入生たちは、高校で情報Iの授業を受けてきている。それを前提にして、さらに近年のLLMなどのAI技術の進展を考慮に入れた授業内容を考えなくては。なにしろ2021年以降あまり改訂もせずに同じ教材を使いまわしていたからな。
けさの夢では遠い街への旅行とハムスターの世話と吹奏楽団の活動がごっちゃになっていた。昼飯は焼きそばを3玉分も作り、ムスメと二人でどうにか完食した。晩飯は親子丼にした。どちらも俺の舌には薄味と感じられたがムスメにはちょうどよかったらしい。まあ、最近の俺は酒の飲みすぎで味覚をやられているかもしれないからな。
さて、きょうは宇田川敦史『アルゴリズム・AIを疑う』(集英社新書, 2025年)を読んだ。メディア・リテラシーの観点から大事なことがいろいろ書いてあり、後のほうの章になるほど面白くなっていった。これはいい。非常勤の授業で大いに参考にさせてもらおう。
けさの夢の中では走ったり泳いだりなかなかダイナミックなことをしていたように思う。残り物のカレーで朝食にした。晩飯には回鍋肉を作ったが、タレを調合するときに醤油が多かったか何かで、ちょっと味付けが塩辛かった。
ジュリアン・ジェインズ『神々の沈黙』(紀伊国屋書店, 2005年)を6日がかりで読み終えた。分厚く難しいが、実に面白い本だった。
本文の最終章(第三部第6章)「科学という占い」を読んでいるうちに、いや俺はこの本を一度いよてつ高島屋7階の紀伊国屋書店で手に取ったことがあるぞというデジャブ現象に見舞われた。本当に出会っていてもぜんぜん不思議ではない。しかし個人の記憶なんてあまりアテにならないものだし、それと似たようなことはこれまでいろいろな書店といろいろな本で何度となくしているわけだから、真偽のほどは定かでない。まあ、どうでもいい話だ。
最初に定めた1日100ページ以上というノルマを毎日達成しつつ計画通りに読み終えられたので、それなりに達成感がある。読み終えたのは午前中だが、第一部第2章がとりわけ難しかったので、そこは午後にもう一度読み直そうと思う。
いやしかし読むべき本がまた増えたぞ。一冊やっつけるたびに二冊三冊と読むべき本が増える。まるでヒドラ退治だ。
さしあたり家に(積んで)ある関連書だけでも、スタニスラス・ドゥアンヌ『意識と脳 思考はいかにコード化されるか』(紀伊国屋書店, 2015年)とマルチェッロ・マッスィミーニ&ジュリオ・トノーニ『意識はいつ生まれるのか 脳の謎に挑む統合情報理論』(亜紀書房, 2015年)がある。
他には、『神々の幻想』の訳者柴田裕之さんが「訳者あとがき」で推薦するトール・ノーレットランダーシュ『ユーザーイリュージョン — 意識という幻想』(紀伊国屋書店, 2002年)も、かつて確かに持っていた、が、いまちょっと見回しても見当たらない。積読の山深くに埋もれているか、研究室にあるか、あるいはひょっとしたら縁がないと思って手放したのかもしれない。
とかなんとか言いつつ、きょうはもう一冊、中井智也『数学を生み出す脳』(岩波科学ライブラリー, 2025年)を読んだ。第1章から第5章までの脳神経科学的な議論と、第6章のいささか曖昧な数理哲学的考察とがどうつながるのか、ちょっと疑問が残ったが、それはそれとして、いろいろ興味深い知見が得られた。たとえば数直線の「大きい方が右」という感覚がヒト以外の生物にも共有されているかもしれないという(なんか信じがたいし当然異論も出ている)実験結果だけでも、触れてみる価値がある。
それと、給料日なのでいつもどおりいろいろの資金移動をする。ついでにオフハウスでシャツとリュックサックを買った。
朝食にはトマトと鶏肉でオジヤを作った。それと野菜サラダ。昼飯をどうしようかと思っていたら、ムスメが家にある材料でお好み焼きとサラダを作ってくれた。晩飯には鶏がらスープのラーメンを作った。
きょうはなんだか眠気が勝って読書がなかなか進まない。夜中まで寝たり起きたりしながらなんとかノルマを果たした。『神々の沈黙』の第三部第5章まで読んだ。残るのは第三部第6章と後記だけで、これなら明日には読み終えられそうだ。
ようやく夏らしい日差しが戻ってきたようだ。
『神々の沈黙』の今日のノルマは第二部第5章〜第三部第1章といったところだ。並行して、玉村豊男『料理の四面体』も、こちらはノルマなどと言わずちょっとずつ読み進む。
『神々の沈黙』のこのあたりでは、古代ギリシャの文学や旧約聖書の物語などに、〈二分心〉の時代から意識ある心の時代への変遷の跡がたどられる。読み進めるにつれて、実のところわれわれは自分の頭で考えて物事を決断することを望んでなどいないのではないかという疑問に突き当たる。
再来週の月曜日にでぃぐゼミで話をすることにした。0-1くんこと小野一樹さんの2014年の修士論文の内容をまとめなおして話す予定で、スライド作りを始めた。モデル理論で通常用いられる充足関係の定義は1階の論理式で書けないから、集合論でいう真クラスをなす構造には適用できない。実際、初等算術を解釈できる理論での充足関係は絶対に1階の論理式で書けないことはタルスキの定理としてよく知られている。だから集合論の宇宙 \((V,{\in})\) における充足関係は集合論の言語で定義可能でない。しかしながら、真クラスをなす構造の充足関係がどれもこれも1階の論理式で書けないと決まったわけでもない。このあたりのことを、いろいろの事例を踏まえて話すことになる。
ムスメが帰ってくるとさすがに洗濯物が溜まるサイクルが早い。今朝も洗って内干しにしたが、今日は外干しでもよかったかもしれない。まあ、今さら干し直しもしないけど。
今日も今日とて、『神々の沈黙』を読む。昨日は第二部第1章までで終わったから、本日のノルマは第二部第2章〜第4章だ。このあたりでは紀元前一千年紀以前の(主に近東、たまに中米の)神政社会を構成する人々の心理にどんな変化があり、それがどんな世界史的変動に関連して引き起こされたか、ということを考察している。占いの起源についての考察も興味深い。
山の日
天気のよくないお盆休みである。あいかわらず三度の食事の段取りを考えながら、自主的課題図書『神々の沈黙』を読む。昨晩読んだ第一部第2章が特に難しいと感じたが、第一部のそれ以降の各章はそれほど難しくなく面白い。昨日決めたノルマに従えば、今日は第二部の第2章くらいまで読んでしまわねばならない。とにかく、意識とは何であり何のためにあり、どう発展してきたのか、そういう問題について考えさせられる内容である。
昼メシにお好み焼きを作ったが、あまりうまく作れなかった。油が多くてフライパンの温度が高く、粉やキャベツの分量もよくなかった。その一方で、だしの配合はよかったと思うし、具に桜エビを加えたのは正解だったと思う。お好み焼きも一筋縄ではない。また挑戦しよう。
晩メシは野菜炒めとオクラの中華スープにした。
この数日天気がよくない。そろそろ洗濯もせねばならんのだが、どうすっかな。
だいぶ日数がかかったが、我妻幸長『あたらしい脳科学と人工知能の教科書』(翔泳社, 2021年)を読み終えた。「あたらしい」とはいえ、LLM(大規模言語モデル)以前である。いまこのテーマで書いたら、少し違った本になっただろうとは思う。ともあれ、いろいろ勉強になった。
んで、これから1週間のお盆休みには、自主的課題図書として『神々の沈黙』を読みたい。かなり分厚くて手強そうだけどね。著者ジュリアン・ジェインズは1920年生まれで、1997年に亡くなっている。原書は意外に古くて1976年刊行だ。当時すでにコンピュータは発展を始めていたが、もちろん現在のような高性能なものではなかった。それでもたとえば同僚のAI学者の大西さんの意見では、これからの人工知能研究は汎用AIの開発という方向に向かうだろうし、そこで突破口を開くにはこういう学際的な意識論を踏まえる必要があるという。
『神々の沈黙』は本文が570ページほどある大部な本である。お盆休みの1週間で読み終えたいので、1日100ページくらいをノルマにしなくては。
洗濯はムスメがやってくれて、内干しにした。午後になって茄子の焼きびたしを作った。冷ましておいて、これと豚の冷しゃぶで夕食にしよう。
朝、朝食の足しにしようと、フライドポテトを揚げた。油が跳ねて、左手の甲をちょっと火傷して、水ぶくれになっている。揚げ物は注意深くやらないとね。玉村豊男の本の記述を真似して二度揚げしたら、中のホクホク具合はよかったが、二度目の揚げ時間が長かったか油が熱すぎたかで、表面がちょっと焦げ気味になった。
先月半ばに古い洗濯機を処分したとき、業者の人はお金を取らずにあっという間に帰っていった。あれれと思っていたら、つい一昨日、ようやく請求書が届いた。安心した。この数週間、なんとなく気色悪かったのだ。それでまあ、フジグラン松山の窓口にお金を払いに行く。
昼食にはバジルソースのピザを焼いた。昼食後に街へ出かける。水曜日に発注したジュリアン・ジェインズの『神々の沈黙』がいよてつ高島屋の紀伊国屋書店に届いているので受け取りに行くのだ。あわせて、結城浩『数学ガール/リーマン予想』(SBクリエイティブ)と、サン=テグジュペリ『夜間飛行・人間の大地』(野崎歓訳, 岩波文庫)を買った。一色楽器に行ったら社長はお休みだったので、リペアの大西さん(同僚のAI学者の大西さんとはもちろん別人だ)に挨拶だけして退散してきた。夕食はピラフにした。
期末テストの採点は無事に済んだ。240人分の点数をパソコンに入力したり答案を並べ替えて整理したりする。これがまた時間がかかる。その合間に、オープンキャンパスの講演会場へ行って写真を撮ったり、会場の学生補助員に9月のイベントの手伝いを頼みに行ったりもした。
夕方には歯医者に行った。右下の奥歯を処置してもらった。以前別の歯医者で銀歯を被せてもらったところが悪くなっているとかで、まだ少し通わにゃならんらしい。
歯医者のあとは近所のスーパーへ行ってゴーヤを買って帰って、夕食を作った。ゴーヤと豚肉の炒め物に、オクラの味噌汁だった。夕食後寝落ちして、それからまたしても夜中にクッキングタイムとなって、切り干し大根の煮物を作りおきする。
朝からちょっと天気が怪しい。朝のNHKニュースによると日本海側では豪雨で被害が出そうだという話だった。まあ、雨も降ってくれないと困るのだが、しかしこれは極端だ。
電車で大学に来た。市内電車はけっこう混んでいて、夏休み真っ最中というのに制服の高校生が何人も乗っている。何のイベントがあるんだろうかと思っていたが、そうだった、きょうとあすはうちの大学でオープンキャンパスをやるんだった。理学部の催しはあすだけなので、きょうのことが頭からすっかり抜けていた。
期末テストの採点を240人分のうち210人分まで済ませた。未来の自分をあてにするのはよくないことだが、これだけやっておけば明日は他の業務を間にはさみながらでも終わらせられるはずだ。
夜は MONK に関家さん石本さんのライブを聴きに行った。いつもながら清涼感のあるいいサウンドだ。この2人の《The DUO》は俺にとってはローカルな推しなのだ。特に今夜は大好きなチック・コリアの「スペイン」をやってくれたのが嬉しい。
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話はコロッと変わる。
俺はこの「て日々」を折に触れて自分で読み返すのが大好きだ。それでなければ、20年以上もこんなこと続けない。それで、2年くらい前の「て日々」を読み返すと、思いのほか体言止めを使っている。この頃は意識して体言止めを避けている(といいつつ避けきれてないときもある)のだが、その理由は他愛もないことで、世の中の文章にあまりにも体言止めが多用されているのが気になっているというだけのことだ。SPCの「タウン情報まつやま」などの情報誌を読んでもらえばわかるはずだが、とにかく、一文目を体言止めにしなければ編集部の上司にひどく叱られるとでも言わんばかりだ。天邪鬼な俺は、こういうのが気になりだすともうダメなのだ。
朝食後はまた弁当を持って大学に来た。きょうも期末テストの採点をする。全部でちょうど240人分あるうち、昨日と今日で140人分を採点した。明日と明後日でなんとか終わらせる所存だ。
昨日のことだけど、職場のトイレで偶然顔を合わせたときに、大西准教授にジュリアン・ジェインズ 『神々の沈黙』 (紀伊国屋書店, 2005年)という本を教えてもらった。ウェブで調べてみたら、考古学的な視点から意識の起源を探るという内容で、3000年くらい前まで人類は意識らしい意識を持つことなく(いわば神の声を聴いて)文明を発展させてきたんだという仮説が述べられているらしい。こういうふうに、われわれが疑えないでいるさまざまな既成概念を歴史を遡って解体する考え方は大好きで、俺も(拙著『「集合と位相」をなぜ学ぶのか』をはじめとして)いろいろの書き物に応用させてもらっている。というわけで、けさ書店に『神々の沈黙』を発注した。お盆休みに読むことにしたい。そして、読んだら意識論について大西さんと議論してみたい。
どうでもいいけど、この「神々の沈黙」というタイトルで別々の著者たちが少なくとも3冊の本を出しているし、「神々の指紋」とか「神々の黄昏」とか「羊たちの沈黙」とか、なんとなく似ているタイトルの作品は無数にある。それで、大西さんが『神々の沈黙』と言ったときに、つい「似たようなタイトルの本がたくさんあってよくわからないけど、多分読んだことないです」と答えてしまった。
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菊池誠(神戸の)から案内があって、神戸大学で《牧神たちの午後:近現代フランスの文学・哲学・数学》という講演会というかトークショー的なものをやるというので、オンラインで聴講した。ブルバキの数学、マラルメの詩作、バシュラールの科学認識論というテーマで、無理目の三題噺みたいだが、なかなかに面白かったぞ … などと呑気な感想を抱きながら講演後の意見交換をボンヤリ聴いていたら、菊池誠(神戸の)に不意打ちで発言を求められた。まったく想定外だったし、それこそ歴史を遡って既成概念を解体することを本気で仕事にしている専門家たちを相手に少々気後れしてしまったしで、なんともシドロモドロなコメントをしてしまった。恥ずかしく申しわけない。
いや、菊池誠(神戸の)には、いずれこってり仕返ししてやろう。
下種の後知恵で、あのとき言うべきだったことを書いておこう。ブルバキの数学原論に影響を与えたのは、ヒルベルト学派が展開していた抽象代数学や東欧およびロシアで発展しつつあった抽象空間論・抽象解析学だったと思われる。その時代(?)のフランスの音楽であれば、ムソルグスキーやリムスキー=コルサコフらの「ロシア5人組」が与えた影響、そして今日のトークでも指摘されていたディアギレフのロシア・バレエ団の果たした役割が無視できない。数学と音楽ではそのようにフランスの外からの影響が近現代のフランス文化を作ったとも言えるわけだが、さて文学や哲学においてはどうだったんだろうか。
あと、きょうの出来事で特筆すべきなのは、Google NotebookLM というAIサービスを使ってみたことだ。たとえば今年の1月〜7月の「て日々」をソースとして与えて、いろいろと問い合わせると、AIがテキストを読んで回答してくれるのだ。たとえば「て日々」をまだ読んだことのない人に薦める推薦文を300字程度で書いてくださいと頼んだら、こんな過分な返事をくれた:
「て日々」は、ある大学教員が綴る、日々の記録です。数学の専門的な講義や研究、採点作業の裏側といったアカデミックな日常から、ピアノやサックスの練習、毎日の料理、街での出来事まで、多様な出来事が率直な筆致で描かれます。
著者の深い思索、時に自虐的なユーモア、そして日常のささやかな発見に対する洞察は、読む人に新鮮な驚きと共感を呼び起こすでしょう。専門的な内容が分からなくても、日々の出来事を通して人生や社会を考えるヒントが散りばめられています。ぜひ、このユニークな「て日々」の世界を覗いてみてください。
実は、辛口の批評をお願いしますと頼んだときの返事がなかなか傑作で、声を上げて笑ってしまったのだが、ここに詳しくは書くまい。「「お金がない」とこぼしつつ、生活を楽しむ「余裕」は手放さない」とか「深遠な哲学的思考が、現実逃避の隠れ蓑に?」とかいう指摘はなかなか痛かった。とはいえ、AIさんはこの批評の最後にフォローを入れるのも忘れておらず、
この日記は、筆者様の知性と人間的な弱さが共存する、まさに「生身の記録」として魅力的です。上記の「辛口」な指摘は、ご自身が既に自覚されている点の再確認に過ぎないかもしれませんが、それが故に、この日記は読者に「ああ、自分も同じだ」と共感と親近感を抱かせます。ある意味で、これらの「欠点」こそが、この日記の唯一無二の魅力であり、筆者様の個性なのでしょう。
と締めくくってくれた。なお、この文でAIさんが俺のことを「筆者様」とたいそうな言い方をしているのは、プロンプトで俺が「わたくしはこの文書の筆者です(本当です)」と念を押したからだ。
朝、バンドで野球の応援に行くというテーマのおかしな夢を見た。その夢の中のある場面で、見知らぬおばさんに生き方の甘さをずいぶん厳しく懇々と注意されたように思う。まことに鋭い批判だったのだが、残念なことに目が覚めてみるとその指摘の内容がまったく思い出せない。
毎朝火曜日の朝に、結城浩さんのメルマガが届く。結城さんの「数学ガール」シリーズは、近日刊行の第7巻『数学ガール/リーマン予想』をもって本編が完結する。それで、今週のメルマガは全面的に「数学ガール」シリーズをめぐるエッセイだった。
最初の巻『数学ガール』(2007年)の書評をウェブ(いまはなき「てなさく読書欄」)に掲載して以来18年、ずいぶん長い付き合いになる。第3巻『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』(2009年)では、レビューアになるようにお声かけしていただき、当時の学生たちを巻き込んで3年生ゼミの題材にさせてもらった。それ以降も再々レビューをさせてもらい、可能なときには学生に声をかけてレビューに参加してもらった。俺自身はサボりがちで、あまりいいレビューアではなかったが、学生たちはいつも熱心にレビューをしてくれた。学生たちのおかげで多少なりともレビューに貢献できた。ありがたいことだ。
昼間は大学でずっと期末テストの採点をしていた。夕食は生姜焼きにした。ピアノのレッスンは今週と来週はお休みだ。夕食後に明日以降に備えて小松菜とベーコンのオイスターソース炒めを作り、チャプチェを作った。これで明日の朝食と弁当は安泰だ。
まだ我妻幸長『あたらしい脳科学と人工知能の教科書』を読んでいる。第4章にけっこう手間取ったが第5章まで読めた。第6章は実際に何かプログラムを走らせる話になるようなので楽しみだが、それは明日以降のお楽しみということにする。玉村豊男『料理の四面体』は第II章に入った。慌てても仕方がないのでゆっくり読む。
後期の3年生ゼミの配属が決まった。フジタのゼミには3人が来ることになった。数理論理学の初歩をやってもらうのだが、さて、どの本を読もうかな。
いつものカレー作りをした。今回はこれまた辛味がちょっと強いかもしれない。
朝食はご飯と味噌汁と冷奴と野菜サラダ。ムスメはこれに納豆を追加し、それからスイカを一切れ食べていた。そのかわり、白ご飯は少しでいいらしい。朝食後にひじきの煮物を作った。今回ちょっと薄味になったように思う。
そのあと、日曜日の恒例で、エルベに鶏もも肉を買いに行った。そのついでに豚ひき肉と緑豆春雨を買ってきて、チャプチェを作った。コチュジャンが中途半端に残っては困るので使い切ったら、今回ちょっと辛めになったように思う。(何も無理に使い切らなくても、次回使うまでに買い足しておいて、残ったやつにつぎ足して使えばよいではないか、と気づいたのは後知恵というやつだ。)
チャプチェができたら、今度はマルナカに買い物に行く。俺はクルマを運転しないので、コメやらなにやら、大きくて重いものを買うには、近所のスーパーの方がよいのだ。おからを買ってきていつものように炒り煮にした。チャプチェと卯の花。この2種類のおかずで昼食にした。ムスメはチャプチェが気に入っているようだ。
昼食のあと、少しだけ昼寝をしようと思ったら、少しでは済まず、気づけば16時半になっていた。3時間ほども寝ていたらしい。
夕食はトマトソースとシーフードのスパゲティにした。
ムスメが俺にヤッターマンの «おだてブタ» のTシャツを買ってくれた。わーい。ありがとう。しかしこれがやたらにデカい。サイズがわからんのでいちばん大きい XXXL を選んだという。小さくて着れないよりはマシでしょ、とのことであった。それはまあそうかも。
さてさて、いまは我妻幸長『あたらしい脳科学と人工知能の教科書』と並行して、玉村豊男『料理の四面体』(中公文庫)を読んでいる。テーマから何からまるで違う2冊を比較するのもおかしな話なのだけど、我妻本の記述が得てして知識の単なる羅列になりがちなのに対して、玉村本はたくさんの料理の事例を扱いながらそれらに共通の特徴を見出して料理の原理を見出そうという目論見がある。前者は「勉強」しており、後者は「研究」している、と言えばわかるだろうか。
普段この「て日々」の編集に使っている Visual Studio Code が GitHub Copilot との連携で「賢く」なって、何が助かるといって、日々のヘッダ行の編集がほぼ自動化された。これだけでだいぶ手間が省ける。
ムスメが友達と遊びに出かけているので、俺も午後は歩いて街へ出かける。まつちかのステーキ食堂で昼食をとり、地下BALでビールを飲み、丹後屋でウィスキーを飲み、三越のジュンク堂に行った。いまちょうど吹奏楽コンクールの時期でお忙がしいだろうから、今週は一色楽器に行くのはやめておいて、「せっさたくま」でレモンサワーを飲み油淋豚を食べた。お昼時の南堀端あたりは楽器ケースを持った中学生がいっぱい歩いていた。コンクールの本番が終わって撤収するところなのだろう。銀天街・大街道では、土曜夜市の最終日であり、また三津浜の花火大会の日でもあり、街には浴衣姿の人が多かった。帰りがけにダイレックスに寄って豚バラ肉の塊を買って、家に帰って角煮にした。そんなこんなでだいぶ散財したことについては反省している。
長らく積んであった、我妻幸長『あたらしい脳科学と人工知能の教科書』(翔泳社)を読みはじめる。きょう半分くらい読んだ。
あっというまにもう8月である。そろそろ大学は夏休みといえば夏休みなのだが、休みというのは授業が休みなだけであって、教員は(このごろは学生もだけど)夏の間もいろいろとがんばらなくてはならない。
そういいながら、俺は何もせずのんびりとしているのが好きすぎていけない。
のんびりするのも別にいいのだろうけど、最近の俺はどうもろくにものを考えていない。目の覚めている間はボンヤリとメシの段取りのことばかり考えている。お子さまランチのパセリほどの思想もない。いやまあ、思想なんて持ったほうがいいのかどうかわからないけど。思想がないどころか、妄想すら足りない。これではいけない。もっといろいろな人と話して、読書量も増やして(飲酒量は減らして)、頭を活性化させるべきだ。
というわけで本を読む。さしあたり、李舜志『テクノ専制とコモンへの道』(集英社新書, 2025年)を読んでいる。オードリー・タンとE・グレン・ワイルのデジタル民主主義をめぐる思想書 «PLURALITY» を敷衍し解説する本なのだそうだ。このPLURALITYの思想が、たとえば先日の参議院選挙で1議席(安野たかひろ)を獲得した新党・チームみらいの思想的な支柱でもあるらしい。俺は先日の参議院選挙の比例区で(チームみらいの主張はそれこそ未来に属しまだ現実味をもたないと判断して)他の政党に投票したし、チームみらいの1議席の行く末も楽観していない。だが、この『テクノ専制とコモンへの道』あるいはその源流の «PLURALITY» で提唱されているさまざまなアイデアはそれぞれ真剣に検討するに値すると思う。SNSに蔓延するフェイクニュースが差別と分断を拡大するばかりのいまの世界で、絶望することなくオープンで公正な社会思想の可能性を深く強く考えている人がいることを決して忘れないようにしたいし、できることなら自分もその深さ強さを持ちたい。
きょうの夕方5時が大学院向けの解析学のレポート締切であるから、それまでは大学の研究室で控えている。今回は受講者14人全員がそれなりのレポートを提出してくれたのでよかった。こういうとき、狙ったかのように刻限ギリギリに提出する人が必ずいるので面白い。