て日々

2024年7月

目次へ

飲み水のペットボトルを片手に、酔狂にも暑い中を歩いて大学へ。今日と明日は、後期の3年生ゼミの担当教員を選ぶために、学生たちが研究室を訪ねてくる。そのこともあって、久しぶりに仕事部屋に掃除機をかけた。ちょっとのことで居心地がだいぶ良くなるもんだと思ったが、雑多な物が無造作に積み上がっている状態が解消したわけではないので、訪ねてくる人たちがどう思うかはわからない。

今日の学生の訪問は短時間で済んだ。そろそろ後期の授業の準備にとりかかった方がいい。第3クォーターにバナッハ空間論、第4クォーターに基本群の話をすることになっている。ほかに例年の解析学(週4コマ)と「集合と位相」の授業(週3コマ)が第4クォーターにある。隣の大学での非常勤の講義も1コマある。今年からは俺の受け持ち授業がとにかく第4クォーターに集中することになる。

夕方にはTGSAセミナーがあった。広島の博士課程在学中の長屋さんによる、粗幾何学の不連続群論への応用にかんする発表で、細かいことはわからないが、なかなか面白かった。いつもの懇親会は都合により欠席する。

朝《イベント用に荷物を置いていた物置に、古いMacintoshがひと山廃棄されている》という夢を見て目が覚めた。いつものように朝食、服薬、洗濯、シャワー。少しピアノを練習し、カフェオレでひと息入れて、自転車で大学へ行く。暑いが、だいぶ風があるので日陰ではしのぎやすい。

前期最後の卒業研究ゼミをやった。『現代集合論の探検』第2章の演習問題をひととおり片付けた。巻末の問題20の略解には不具合があった。

夜にはピアノのレッスンがある。わずかながら進捗があったので嬉しい。本番まであと1か月なのでがんばろう。

クマゼミの鳴く中を自転車で大学へ行く。今日も暑いなあ。

夜になって涼しくなってから散歩に出かける。ブックオフにはいろいろ掘り出し物があった。メアリアン・ウルフ『プルーストとイカ』(インターシフト, 2008年) とかサイ・モンゴメリー『愛しのオクトパス』(亜紀書房, 2017年) とか 柄谷行人『坂口安吾論』(インスクリプト, 2017年) とか、あとは、いろいろのお手軽レシピ本とか。だけど、なにしろ手持ちの現金がない。au Payは使えない。クレジットカードも持ってきてないし、持ってきていても、使うには覚悟がいる。というわけで、今夜は何も買わずに帰宅。

いよてつ高島屋8階のラ・クレモンティーヌで兵藤満のギターとYAMATOのヴォーカルのライブを聴いてきた。往年のスクリーンミュージック中心の親しみやすい選曲で、大変よかった。

昨日のカレーづくりだが、なんと計量スプーンが規格外だったかもしれない。大さじが15ml、小さじが5mlなのだが、うちにある計量スプーンには大さじ小さじのほかに、2.5mlのスプーンがついている。俺は今の今まで、この2.5mlスプーンを小さじと勘違いしていた。ということは、昨日はターメリックやカイエンペッパーをかなり少なめに入れたことになる。ううむ。

ううむと言いつつ、朝食と昼食で昨日作った “カレー” を完食した。ショウガとニンニクがダメになる前に同じレシピで再挑戦する所存。

きょうは、月末までに受講するように求められている教職員向け各種オンライン研修を済ませる。めんどくさくて後回しにしていたが、やってみればもちろん難しいことではない。この後回しにする癖を直したほうがいいとは、自分でも思っている。

大学院の解析学の講義の最終回。変分法の近似解法を直接法と反復法の両方を手短に例を挙げながら説明し、パソコンで画像を見せた。反復法を説明するにはグラジエント・ベクトルの意味をつかんでもらわねばならん。黒板やスクリーン上の図を指さしてああだこうだ言ったり、クリップボードを傾けて「接平面がこうなってて…」とやったり、身振り手振りも混じえてけっこうがんばったが、さてどうだったろうか。受講者各位がクラジエントとラグランジアンを混同していなければ幸いだ。

さて、今日の晩飯には、昨日買った水野仁輔のカレー本の最初に載っている基本のチキンカレーというのを作ってみた。市販のカレールウを使わずスパイスからカレーを作るのは、なにせ初めてだから、極力本のレシピの通りになぞろう。いきなり応用問題を解こうとしたら、きっと失敗する。そんなわけで分量も本に載っている通りにした。3〜4人前である。「切る」「炒める」「煮る」のそれぞれに丁寧に時間をかけて(あ、炒めるときはスピード感も必要だそうだが)作ったつもりだ。1時間ちょっとかかった。

できあがったものは、思っていたものとはちょっと違うが、それなりにインド風の味で、初めて作ったにしてはまあ悪くないと思う。生姜やトマトの味があまり馴染んでいなかったのは、炒めるときの念が足りなかったのだろう。それとスパイス(ターメリック・カイエンペッパー・コリアンダー)が、とくにコリアンダーが少なかったかもしれない。このあたり、計量のしかたから見直して、いずれ再挑戦しよう。さしあたり今晩はパンと一緒に1皿食べて、残りは冷蔵庫へ。

今朝は勝岡の運転免許センターへ5年ぶりの免許更新に行った。平成6年6月に免許取得というから、かれこれ30年になる。

30年前の若い頃には、友人がそれなりにたくさんいて、彼ら彼女らがよくドライブに誘ってくれた。それで、自由にあちこち出かけられるのも楽しそうだなと思ったのが、免許を取得しようと思ったきっかけだ。だが、それ以来30年、公道で運転したことは結局一度もない。妻の車を何度か車庫入れした以外は、ハンドルを握っていないのだ。そういう純粋ペーパードライバーだから、まったく何の免許なのかわからないのだが、公的機関が発行した身分証明書というのは何かと便利なのでまだ免許は返上していない。70歳を過ぎると更新前に高齢者教習を受けたりいろいろ面倒になるようなので、そのタイミングで返上しようと思っている。

更新手続きは簡単に済んだ。免許証の写真は順当に経年変化していた。前回は自転車で来たけど、今回は迷った末にバスを利用した。バス代が妙に値上がりしていた。天気も悪くなく、かといって、炎天下の帰り道で身の危険を感じた前回と比べると暑さもそれほどでもなかった。なんだ。自転車で来ればよかった。

夕方から街に出た。いよてつ高島屋の紀伊国屋書店に行ったら、平台にカレー関連の料理本をいっぱい並べて「カレー本フェア」みたいなことをしていた。その中の一冊、水野仁輔『3スパイス&3ステップで作る はじめてのスパイスカレー』(パイ インターナショナル, 2012年)を買った。このごろろくに料理をしていないことを反省して、前からやってみたかった手作りスパイスカレーに挑戦してみよう。

地下BALで一杯やっていたら、帰る時にちょうど大雨だった。ゲリラ豪雨というほどでもないのかもしれないが、1時間ほど集中してかなり降った。駅で雨宿りしていたら、近くに雷が落ちてびっくりした。20分ほど待って雨足が弱まった頃に帰宅した。2階の窓が開いていたものだから、雨が降り込んで、布団が少し濡れた。こりゃいけない。今夜はリビングで寝ることにしよう。

きょうはオンライン会議が2つあった。

木田元が『わたしの哲学入門』で一読を勧めているハインリヒ・ハイネ『ドイツ古典哲学の本質』(伊東勉訳, 岩波文庫)を古本で取り寄せた。きょうは第一巻を読んだ。ここでハイネは、北ドイツの土着の民俗・宗教意識とマルチン・ルターの思想を、ローマ・カトリック教会の教え(それと、旧教の背景にうごめいていた有力者たちの思惑)と対比しつつ論じていた。しばらくはこの本とゴドフリー=スミスの『タコの心身問題』を並行して読むことにしよう。

卒業研究ゼミはあいかわらず『現代集合論の探検』第2章の演習問題。この章は面白い問題がいろいろあって楽しい。たとえば、平面 \(\mathbb{R}^2\) 上に大小さまざまなプラス記号をさまざまな向きに、ただし互いに交わらないように描くとき、たかだか可算個しか描けないことを示せ、とかね。

もうひとつ面白い問題があったので紹介したい。実数の集合 \(A\subseteq\mathbb{R}\) の各点 \(a\in A\) に対して実数 \(b\) が存在して \(a<b\) かつ\((a,b)\cap A=\emptyset\) となるならば、\(A\) は可算集合である。これは \(a\) ごとに決まる \(b\) として有理数を選べることに気がつけば簡単だ。各点 \(a\in A\) に対して有理数 \(b_a\) を \(a<b_a\) かつ \((a,b_a)\cap A=\emptyset\) となるようにとれる。有理数全体の集合は可算だから、もしも \(A\) が不可算集合だったなら、ある有理数 \(b\) が存在して不可算個の \(a\in A\) に対して \(b_a=b\) となるだろう。そこで、\(a,a'\in A\) かつ \(a\neq a'\) かつ \(b_a=b_{a'}\) となるような \(a\) と \(a'\) が存在することになるが、\(a<a'\) ならば \((a,b_a)\cap A\ni a'\) となるし、\(a>a'\) なら \((a',b_{a'})\cap A\ni a\) となるから、これは不合理である。

今日も今日とて、とても暑い。まあ、夏らしくていいや。

今日は外山美樹『勉強する気はなぜ起こらないのか』(ちくまプリマー新書, 2021年)を読んだ。このごろ自分がとんでもなく無気力なので、何かやる気を出すヒントが得られたらいいなと思ったわけだが、読んでみて、やる気が出なくてつらいなあと思っているのは決して俺だけではないということがわかったのが、まずありがたい。

いわく、目標を二段構えで立てるといいらしい。こんな人生を歩みたい、こんな人間でありたいという、人生設計にかかわるくらいの大きな願いを長期目標あるいは最上位目標として設定し、それに向けてさしあたり具体的に実現すべき内容を下位目標として設定する。最上位目標については簡単にあきらめちゃいけないが、下位目標は状況に応じて、適宜再設定する。たとえて言えば、最上位目標はサインペンで書き、下位目標は鉛筆で書く。

あと、無気力になりやすい人は物事のとらえかた、その《説明スタイル》がよくないのかもしれない。有名なセリグマンの実験などが紹介されていた。うまくいかないことがあったとき、「この悪い状況はずっと続く」と永続的ととらえるか「この悪い状況はじきに終わる」と一時的にとらえるか。また、「自分はなにをやってもうまくいかない」と普遍的にとらえるか「自分はこれに関してはダメのようだ」と限定的にとらえるか。そういう《説明スタイル》が人それぞれにあって、自分にとって嬉しくない状況を永続的かつ普遍的にとらえる人は無気力になりやすい。そりゃそうだろう。で、《説明スタイル》は無意識に身につけているもので変えるのは困難だけど、ものごとには他の説明の仕方もあることを、ちょっと意識してみるだけで、だいぶ違うはずだ。

あと面白かったのが、悲観主義者でも、どうせ何もうまくいかないと曖昧に決め込む俺のような悲観主義ばかりではなく、ものごとがうまくいかない状況を具体的にあれこれとイメージし、先回りして対処できる《防衛的悲観主義》というタイプの人がいるらしい。そういう人は、ぜんぜんポジティブ思考じゃないけど成功する。むしろ、ポジティブ思考を強制すると、そういう人はかえって失敗しがちだという。そして、楽観主義者はそういう防衛的悲観主義者がいろいろと気に病むような具体的なことを、なんでもいい方向に考えるというより、あえて何も考えないようにする習慣があるという。

これは実験した人がいるらしい。悲観主義者と楽観主義者にダーツをやらせるのだけど、グループ別の被験者に競技の前に「うまくいかない状況を詳細に想像する」「うまくいく状況を詳細に想像する」「南国風の音楽を聴いて何も考えず瞑想する」という課題を与えたそうだ。すると、うまくいく状況を想像した楽観主義者より、何も考えず瞑想した楽観主義者のほうが有意に成績がよかったらしい。悲観主義者の場合はそうでもなくて、うまくいかない状況を想像した悲観主義者が成績が若干よかったようだ。

あと、昨日の日記でも触れた真貝寿明『宇宙検閲官仮説 —「裸の特異点」は隠されるか』(講談社ブルーバックス, 2022年)を読み終えた。昨日はむずかしいと思ったが、終わりにさしかかるにつれて面白くなってきてよかった。

さてさて、後回しにしていたタコの本をいいかげん読まなくては。

電車で真貝寿明『宇宙検閲官仮説』(講談社ブルーバックス)を読みながら街へ出かけた。この本も一般読者向けに書いていると言いながら随分むずかしい。いや、最近俺は文句ばっかり言ってるなあ。いかんいかん。がんばって読まなくちゃ。

毎朝、クマの抱き枕の写真を撮ってTwitterにアップして「おはようございます」と挨拶するのが日課になっている。この抱き枕が少しばかり薄汚れているのが気になっていたので、近所のコインランドリーに持って行って洗濯しドラム乾燥機で乾かした。真っ白ふかふかになって、クマも嬉しそうである。待っている間に木田元『わたしの哲学入門』(講談社学術文庫)を読み終えた。

さすがにもう梅雨明けしたのだろうか。天気がよくかなり暑い。

午前中に大学院の講義をする。束縛条件つきの変分問題に対するラグランジュの未定乗数法のあらましを述べ、実例として懸垂曲線を求める計算をやってみせた。準備してから10日くらい経って、見直しが不十分だったこともあり、だいぶグダグダしてしまったかもしれない。

午後は遅ればせながら先日の理学部公開講座の残務処理でデスクワークというか卓袱台ワークをやり、夕方になってから図書室へ行って数学セミナーの連載2つ、池上大祐さんの「集合論の雑学」と立川裕二さんの「場の量子論の数学をめぐって」を8月号まで読んだ。立川さんの連載は俺にはまださっぱりわからないが、勉強しなきゃならんという気にさせてもらえるだけありがたい。

読まなきゃいけない本がたくさんあり、なんなら書かなきゃいけない本まである。ピアノの練習もサックスの練習もせにゃならん。くたばっている場合じゃないぞ。くれぐれも夏バテしないように用心せにゃ。

今日も集合論Zoomセミナーをやった。ZFC集合論の公理のうち和集合の公理、冪集合の公理、無限公理について学び、冪集合の公理との関連で集合の直積の構成を学んだ。さらに直積集合との関連でn項関係、関数、同値関係といった集合論のいろいろな概念について、公理的集合論での扱いを学んだ。

夕方にはいつもの医者に行った。普段と比べて、今日はずいぶん患者さんが多かった。

月曜日からちまちまと読んでいた松浦壮『時間とはなんだろう』(講談社ブルーバックス, 2017年)を読み終えた。時間あるいは時空というテーマについて考えたい人に向けて、関連する物理学の知見を古典物理から最新の量子重力理論まで要点をまとめて説明してくれる本で、たいへん読みごたえがあった。俺にとっては一般相対性理論を解説する第5章が特に面白く、かつ頭がこんがらかりそうで難しかった。

晴れたので洗濯をして、パソコンに向かって昨日引き受けた原稿のことを考える。このテーマで書きたいことはいくらでもあるが、ページ数と対象読者のことを考えると、書けることはかなり限られる。そこが書き手の腕の見せどころというわけだが、さてどうなることやら。きょうのうちに第1稿をざっと書き上げた。これを数日後に見直す所存。

卒業研究ゼミでは『現代集合論の探検』第2章の演習問題7〜9をやった。ペアノ曲線の構成などなど、どれも少しむずかしかった。演習問題7の巻末の解答例で \(2^{a_n}\) となっているところは、\(a_n^2\) にしたほうが議論が明快になるように思われる。というのも、(いろいろの記号の説明は省略させてもらうけど) \(A,A'\in\mathcal{M}\) を相異なる二つのメンバーとするとき、\(A\cap A'\) が有限なので十分大きな \(n\) については \(a_n\neq a'_{k_n}\) であり、両者とも整数なので \(|a_n-a'_{k_n}|\geq1\) であって、構成から \(a_n\geq n\) かつ \(a'_{k_n}\geq n\) であり、これらをまとめると \[ |a_n^2-(a'_{k_n})^2|=(a_n+a'_{k_n})|a_n-a'_{k_n}|\geq2n \] となるからだ。同様の評価を \(|2^{a_n}-2^{a'_{k_n}}|\) に対してどうやるのがいいのか、すぐには思いつかなかった。後知恵では、関数 \(2^x\) に平均値の定理を使って、 \[ |2^{a_n}-2^{a'_{k_n}}|\geq\left|\frac{2^{a_n}-2^{a'_{k_n}}}{a_n-a'_{k_n}}\right|=2^\theta\log 2 \] ただし \(\theta\) は \(a_n\) と \(a'_{k_n}\) の間のどこかに位置する実数で、したがって \(\theta\geq\min\{a_n,a'_{k_n}\}\geq n\) だから \[ |2^{a_n}-2^{a'_{k_n}}|\geq 2^n\log 2 \] とでもすればいい。が、やっぱり \(a_n^2\) の方が明快だと思う。

某所から短い原稿の依頼があった。

夜にはピアノのレッスンに行った。本番が来月末なので、そろそろ「音を減らす」などの処置も必要だろうという話になってきた。ううむ。そうかもしれない。だがそれはそれとして、もう少しだけ楽譜どおりに悪あがきしてみよう。レッスン後は普段なら電車で帰るのだが、きょうはコンビニやブックオフに寄り道しながら、歩いて帰った。

せっかくの連休だがこう天気が悪くては仕方がない。午前中から昼の2時半ごろまで、パソコンのお守りにかかりきりだった。昨日戻ってきたASUSパソコンX515JAのWindows 11で「回復ドライブ」なるものを念のために作り、その間に別のパソコンでUbuntuのインストール用メディアを用意する。それができたら、ASUSパソコンのWindows 11を消して、Ubuntuを入れる。無事にインストールできたことを確認して、俺にとっての必須ソフトウェア (Vivaldi, VS Code, TeX Live) を入れる。それらが一段落する頃には雨も止んだので、街へ散歩に出かけた。

街をほっつき歩きながら考える。ASUSパソコンの設定はひとまずこれでいい。いっぽう、いまDebianを入れているHP Spectre 13-ac008TUでは、何度か試したところ、Ubuntuのインストーラがどうもうまく動かない。グラフィカルなインストーラの設定が、このマシンの高すぎる解像度にマッチしていないのが問題だと思われるが、本当のところはわからない。ネットを検索しても、HP SpectreへのUbuntu 24.04のインストールに成功しましたという話は見当たらない。だが、それはたぶんUbuntuそのものの問題というより、インストーラの不具合で、ひとたびインストールさえできてしまえば、システム自体はちゃんと動くように思われる。乗りかかった舟だから、いろいろ試してみよう。

電車賃をケチって歩いて家に帰り、Ubuntuインストーラを «safer graphics» モードで起動したら、時間こそかかったが、ちゃんとインストールできてしまった。いや、以前はこの方法もうまくいかなかった気がする。ただ今回はUbuntuのバージョンも前とは違っているし、途中で「インストーラのアップデートがあります」という今までにない表示が出たりもしたので、そのあたりでなにか変化があったのかもしれない。これまで散々困らされてきて、今回も何度かトライアンドエラーを繰り返すつもりでいたので、ちょっと拍子抜けした。若干の不安を抱えつつも、今のところちゃんと動いているようなので、これにもVivaldiとVS CodeとTeX Liveを入れておく。

「て日々」の過去ログを検索してみたら、確かに2015年12月に木田元の『わたしの哲学入門』を一度通読している。しかもそのとき、ルベーグの1905年の論文「解析的に表示できる函数について」と、P・K・ディック『ヴァリス』との3本立てで並行して読んでいて、当時の日記でも「頭が妙にネジクレた感じになって酔いそうになる」と言っている。まあそれはそれ。『わたしの哲学入門』はもう一度最後まで読むとしよう。あのころ『ヴァリス』を読んでそれなりに面白かったから、次は『聖なる侵入』も読もうかな。でもその前に『タコの心身問題』を読まなくちゃ。

修理に出していたASUSパソコンX515JAが帰ってきた。Ubuntuを入れて使っていたが、帰ってきた時にはWindows 11がインストールされていた。しかし当方、Windows PCは間に合ってるぞ。さてどうしたものか。

先日図書館で借りたタコ関連の本にはまだ手をつけず、前に一度読んだかもしれないなあと思いながら木田元『わたしの哲学入門』(講談社学術文庫, 2014年)を読んでいる。木田が説き明かしてくれるハイデガーの構想(テクストの読解と哲学史の解体)は、まるでデリダの仕草のようだ。デリダはフッサール研究から出発した人だが、どうもハイデガーになりたかったようにも思われる。ただし、ドイツの山里で存在の呼び声に耳をすましつつ黙々と働くような生き方をよしとするハイデガーとは、デリダの目指すものは違いそうだ。デリダにも目指すものがあったとしたら、それはなにか。知りたい気もするが、それはもちろんデリダを読んでみないとわからない。さらに言うとハイデガーにはどこか、ニーチェになりたかった人という感じがある。

さて今日は春に大学院を修了して某所で就職したHRTさんが松山に遊びに来たというので、夕食をご一緒させてもらった。還暦祝いのプレゼントまで頂戴して感謝感激である。二番町の「きんぎょ」で飲み食いしたあと、パルタジェへ行って飲み直した。

昨晩また大雨が降った。お城山の大規模な土砂崩れで、緑町の住宅街に被害があったようだ。緑町といえば学生マンションの多い地区だが、みんな大丈夫なんだろうか。

大学院の解析学の講義では第2変分の話をしたあと、束縛条件のある場合の話に入り、月曜日の日記に書いた線形代数の話題に入る直前で時間となった。残り2回でどれだけ話せるか。有限要素法の話はできないだろう。

昨晩から今朝にかけて結構な量の雨が降った。雷も聞こえた。いかにも梅雨の後半らしい。

午後に集合論Zoomゼミをやった。3週間ぶりである。テキストをJechのSet Theory第3版に替えて、今日は最初の集合論の言語や公理を検討するところをやる。ゼミだから、黒板の代用のホワイトボードサービスが必要だ。これまでずっとGoogle Jamboardを使っていたが、10月にサービス終了だというし、Googleのトップページからのリンクも無くなったし、それに何より、今回に限って発表者が妙に使いづらそうにしている。Zoomのホワイトボードでいつだったか参加者に発生したトラブルも解消しているようだったので、今回は試験的にZoomのホワイトボードに戻した。

昨日読み終えたロヴェッリの本で紹介されていた、ピーター・ゴドフリー=スミスの『タコの心身問題 — 頭足類から考える意識の起源』(夏目大 訳, みすず書房, 2018年)を借りに、県立図書館へ行った。行ってみたら、新着図書の棚にサイ・モンゴメリー『神秘なるオクトパスの世界』(定木大介 訳, 日経BPマーケティング, 2024年)があったので、同じ著者の『愛しのオクトパス — 海の賢者が誘う意識と生命の神秘の世界』(小林由香利 訳, 亜紀書房, 2017年)ともども借りてきた。なにしろ、タコはすごいらしい。神経回路網の発達の具合が哺乳類並みで、しかもその中枢というべき脳が頭と8本の腕のそれぞれに、計9つもある。哺乳類や鳥類とは全く別種の知性が、タコに宿っている可能性がある。なので、心とか意識とか知性といったものをタコの神経系や行動パターンから考えてみるというアプローチができる。なんとも面白い話じゃないか。

話は変わる。

金曜日の講義の準備の一環として、ちょっとした計算の事例を追いかけた。いつものとおり、計算ミスを連発してしまって、 \[ \left\{\; \begin{aligned} \pi a_0 + \frac{\pi^2}2a_1 + \frac{\pi^3}3a_2 & = 2 \\ \frac{\pi^2}2 a_0 + \frac{\pi^3}3a_1 + \frac{\pi^4}4a_2 & = \pi \\ \frac{\pi^3}3 a_0 + \frac{\pi^4}4a_1 + \frac{\pi^5}5a_2 & = \pi^2-4 \end{aligned} \right. \] という連立1次方程式を解くのに、たっぷり1時間かかった。ナサケナイ話である。それでも、SymPy などの数式処理ソフトでいきなり正解を出してオシマイでは自分の勉強にならないので、手計算でひととおり答えを出して、Python で数値的に検算するというサイクルでやった。それで(数値の上で)計算が合ったのを確認してから、最後に SymPy で記号計算の答え合わせをした。ちなみに答えは \[ \left\{\; \begin{aligned} a_0 & = - \frac{120}{\pi^3} + \frac{12}{\pi} \\ a_1 & = \phantom{-} \frac{720}{\pi^4} - \frac{60}{\pi^2} \\ a_2 & = - \frac{720}{\pi^5} + \frac{60}{\pi^3} \end{aligned} \right. \] である。この問題のネタ本である戸川隼人『変分法と有限要素法』(日本評論社, 1994年)では、解はこの形では与えられておらず、数値的に \[ \begin{aligned} a_0 & = -0.044470 \\ a_1 & =\phantom{-}1.300786 \\ a_2 & = -0.414053 \end{aligned} \] と与えられているのだが、これはかなり誤差がひどい。上で代数的に求めた解の数値は \[ \begin{aligned} a_0 & = -0.050465 \\ a_1 & =\phantom{-}1.312236 \\ a_2 & = -0.417698 \end{aligned} \] だから、戸川本の数値は小数点以下2桁目で違っている。コンピュータの資源が今ほど潤沢でない1980年代に書かれた本とはいえ、こんなに解の精度が悪くなった事情はよくわからない。

再び話は変わる。

夜になってから「数学者」という呼称をめぐって旧Twitter(いまX)でいろいろ所見を述べた。俺は、「数学者」という呼称が何の権威ももたず、人々がただ事実と理性だけにもとづいて数学的な主張の当否を判断してくれる状況を夢見ている。数学者を自称することと、たとえば酒飲みやイヌ好きを自称することに、なんの違いもないような、そういう世界を夢見ている。その観点から今夜俺は、ええやん言いたい人には数学者って自称さしといたらええやん、という趣旨のことを言った。

そう言ったからとて、議論の渦中の某氏が数学者を自称することを弁護しているのではない。現状において「酒飲み」「イヌ好き」と比較したとき「〇〇学者」の呼称に纏わりついて見える重さと光を嫌がっているんだ。その重さと光があるがゆえに某氏は数学者を自称したがり、その重さと光が危険な魅力をもつがゆえに、周囲の数学徒は某氏の自称を非難している。

実際のところ「〇〇学者」という呼称に纏わりつく重さと光、要するに権威の匂いは、人を惑わせがちだ。だから、俺みたいに夢うつつで寝言をつぶやくことではなくて、大事なのは、自分たちの呼称に纏わりつく権威という危険物を〇〇学者たちが引き受けて、悪用・濫用されないように適切に管理することなのだろう。まあ、そのことを俺もわかっていないわけではなくて、数学専攻の学生たちに向かっては、大学の数学科の卒業生が数学について何かひとこと言ったら、世間の人たちはそれを《ザ・正解》と思い込んじゃうかもしれないから、いい加減な勉強はしてくれるなと、常々注意喚起している。

そのことをわかった上でなお、この危険物が最終的に無害化するように、つまり権威が無意味化して、事実と理性だけに基づいて学問的な主張の当否を人々が判断する、世界がそういう方向に変わっていってほしいと、俺は願っている。これは、夢物語だと批判されても、まあ仕方がない。

朝から5年ぶりの人間ドックに入ってきた。前回は胃カメラを鼻から入れるやつにしてもらったので今回は口から入れるのをやってもらう。鎮静剤を打つか打たないかというオプションがあったので、ものは試しで打ってもらったら、胃カメラを入れる前から意識がなくなって、気がついたら休養室の椅子で寝ていた。診察台から休養室までどうやって移動したのかも、まったく記憶にない。何事も経験だと思って受けた人間ドックなのだが、これでは自分が何を経験したのかわからない。ともあれ、検査の結果はややメタボ気味であること以外には特に異常はないとのことで、ひと安心。鎮静剤の残ったぼんやりした状態で帰宅し、長々と昼寝した。

夜はピアノのレッスン。まだまだ人前に出せる演奏ではないが、どう弾くかについて先生の指導をもらう。ボケボケしていたらすぐに本番の日が来るので油断せずに練習しよう。

カルロ・ロヴェッリ『規則より思いやりが大事な場所で』(冨永星訳, NHK出版, 2023年)をようやく読み終えた。この本で著者は、人類が自ら招いたこの困難な状況を生き延びるためには世界中の人々が争いより協働を重視するように舵を切る必要があると、くり返し主張している。同感である。味方の結束を固めるために敵への恐怖心を煽るようなことは即刻やめて、敵とて人間であり理解し合うための共通の基盤があると信じて対話を試みるべきだ。人類の生存について楽観はまったくできないが、あきらめずに声を上げていかなければならないとは俺も思う。

午前のうちに大学へ行って昨日の公開講座のために借りた看板を倉庫へ返す。それから研究室で変分法の講義ノートの下書きをする。束縛条件つきの変分問題でラグランジュの未定乗数法が有効である理由が、どのテキストを見てもいまひとつ納得できなかったのだが、自分でごちゃごちゃ考えているうちに、ベクトル空間上の線型汎函数についてのある補題に帰着することがわかって、たいへんスッキリした。これで金曜日の講義は大丈夫だと思う。昼に教室会議があった。

その線型汎函数についてのある補題とはこうだ。\(\mathbb{R}\) 上のベクトル空間 \(V\) に2つの線型汎函数 \(f,g\) があるとき、\(\mathrm{Ker}g\subseteq\mathrm{Ker}f\) であることと、ある定数 \(\lambda\in\mathbb{R}\) が存在して \(f+\lambda g=0\) となることとは同値である。この定数 \(\lambda\) がラグランジュ未定乗数に相当する。

さしあたってこれで用は足りるが、一般には未定乗数法は束縛条件が複数になった場合にも用いられる。それに対応するには、さっきの補題を、次のように強化しておく必要がありそうだ:

\(\mathbb{R}\) 上のベクトル空間 \(V\) に線型汎函数 \(f,g_1,\ldots,g_n\) があるとき, \[ \mathrm{Ker}g_1\cap\cdots\cap\mathrm{Ker}g_n\subseteq \mathrm{Ker}f \] であることと, 定数 \(\lambda_1,\ldots,\lambda_n\in\mathbb{R}\) が存在して \[ f+\lambda_1g_1+\cdots\lambda_ng_n=0 \] となることは同値である.

これは上の補題を出発点として数学的帰納法で少し頑張れば証明できる。どこかに書いておかないと忘れそうなので、LaTeXで短いノートを作って、講義ノートと一緒に残しておくことにする。

だいぶ飲んだ翌朝だが、理学部公開講座のために休日出勤する。化学物質の環境リスクについての田上さんの講演と浜辺のダンチクとハマダイコンについての佐久間さんの講演の2本立てだった。入りは40人弱で、小学生からご隠居さんまでわりと多様なオーディエンスだった。きっとバックグラウンドも多様な人々が集まってくれたのだろうと思う。講演のあとの質疑でも「一般のお客さま」の知的なレベルの高さを実感させられた。

今年も誕生日が来て、とうとう還暦である。そういう実感はないが、60年生きたのだなあ。

午前中は家で変分法の講義ノートのために計算やら何やらをした。計算の調子が出てくると、メモの切れ端でも広告の裏でも構わずどんどん書いていくスタイルなのだが、いざ計算が終了して振り返ると、メモが無惨に散らばっていて、どこにどの順番で書いたのかを復元するのに一苦労だ。

午後はパルタジェに行った。去年も書いたが、パルタジェの創業記念日は7月7日で、俺の誕生日と同じだ。ところが日曜日が定休日なもので、記念パーティーを一日前倒しして、今夜やることにした。となると、俺も否応なく参加である。まあしかし、いろんな人と飲み食いしながら楽しく話して、還暦祝いの赤いちゃんちゃんこ代わりの赤いTシャツやら赤い靴下やら、赤い花束やら、いろいろプレゼントまで頂戴して、ありがたい限りであった。いやあ、生き延びてみるもんだなあ。さて、だいぶ飲まされたので、明日の休日出勤を忘れないように用心しながら寝るとしよう。

朝、大学へ向かう途中に、今年初めてのクマゼミの鳴き声を聞いた。いよいよ夏である。きょうも天気が良くて暑かった。

大学院の講義では変分法における自然境界条件の話と、二変数関数の変分法の話をした。この講義の残り回数はあと3回だ。この後は、束縛条件のある場合の解法と、近似解を求める方法の話をする予定。

午後は明後日の公開講座の準備作業をした。

今日の午後は、今月から隔週になった集合論Zoomゼミの予定だったが、これが都合により来週に変更になった。そのせいというわけでもないが、どうも気だるく、やる気が出ない。とは言いつつも、週末に理学部の公開講座を開くので、その準備のために、大学へ行っていろいろな印刷物を用意する。掲示のための看板やなんやかやは、明日の午後に用意することにする。

久々にお日さまが見えた。洗濯物を外に干せるだけでも、ありがたいことだ。しかし暑いな。

『ペンローズとホーキングが語る時空の本質 ブラックホールから量子宇宙論へ』(林一訳, 早川書房, 1997年)という本を手に取るが、第1章からさっぱりわからない。まったく歯が立たない。一般向けの啓蒙書のスタイルで出版された訳本ではあるが、序文には一般相対論と量子論を学んだ人向けに語った講義録だと書いてある。これはいけない。俺も少し一般相対論を勉強してから読み直そう。というわけでこの本は閉じて、カルロ・ロヴェッリ『規則より思いやりが大事な場所で』(冨永星訳, NHK出版, 2023年)を読み始める。

午前中、数学教室の図書室で雑誌『数学セミナー』4月号〜7月号の池上さんの連載「集合論の雑学 — 無限についてのおはなし」を読んでキャッチアップを試みた。あと、現在の数セミ連載では立川裕二さんの「場の量子論の数学をめぐって」も要注目だ。ふむ。俺もボケボケしてないであれやこれやについて書かなくては。

午後は卒業研究セミナーをやる。『現代集合論の探検』第2章の演習問題2から6までをわりかし丁寧に見た。テキストの巻末に解答例があるが、これが穴があったり、トンチンカンなところがあったり、油断ならない。

夜にはピアノのレッスンに行く。左手の運指が決まっていないところが何箇所かある。左手だけの練習を少しやったほうがよさそうだ。

なんともう7月である。1年の折り返し地点である。わはははは。がんばろう。

というわけで本を読む。斎藤哲也[編]『哲学史入門 III 現象学・分析哲学から現代思想まで』(NHK出版新書, 2024年)を読み、次に谷岡一郎・荒木義明『ペンローズの幾何学』(講談社ブルーバックス, 2024年)を読み終えた。面白いなと思いながらも、こういう有限的で明証的な図形や数の数学に、いまひとつ引き込まれないのはなぜだろう。それから、先月くらいに半分読んで放ったらかしにしていた佐藤優『読む力を鍛える』(PHP文庫, 2021年)を読み終えた。

一日中、雨が降ったり止んだり。暑くはないがジメジメしてどうも気分が良くない。