て日々

2024年4月

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朝食のあと、シャワーを浴びる。マテ茶を飲みながら、引き続き神田乃武など津田梅子の周りの人たちのことを調べる。

自転車で大学へいき、午後は卒業研究ゼミをやる。寺澤順『現代集合論の探検』(日本評論社)第1章から、直積集合、二項関係、関数といった話題だが、これちょっとどうなんよというような、迂闊としか言えない記述もテキストにちょくちょく見受けられる。

やっとのことで橘木俊詔『津田梅子 — 明治の高学歴女子の生き方』(平凡社新書, 2022年)を読み終えた。橘木俊詔は経済的・社会的格差を実証的に論じる社会学者であるから、この本で採用された高学歴女子の生き方を探るという切り口は、この著者にして誠にもっともなものである。とすれば、この本のハイライトは、梅子・捨松・繁子の生き方に重ねつつも、現代の女子の就業と結婚についてデータに基づいて論じる最終章にあると言ってよいだろう。客観的でドライな記述は、抒情的な大庭みな子の本と対照的だった。

それにしても、新書一冊に三日も四日もかけるこんなペースでは、発表内容をまとめることもおぼつかない。しっかりしないと。

今週はGWだからとて、先週に引き続き、ピアノのレッスンがない。

昨日・今日と、朝6時前に目が覚めた。ありがたいことだ。ただし両日とも、朝食後、7時から9時くらいまで長々と二度寝したのだけれど。

マテ茶を飲みながら、橘木俊詔『津田梅子』を読んだり実践女子大学のウェブサイトで下田歌子のことを調べたりして午前中を過ごした。天気は良くないがお昼前に久万ノ台のコスモスに歩いて行って食材を買い足す。

午後は久々に本棚の整理ということをした。可動棚の差込ダボが足りなかったので近所のDCMへ買いに行ったのだが、なかなか見つけられず、店内をウロウロして、最後に店員さんに聞いた。こういうのはなかなか楽しい。妻が未整理のまま置いていた文書をファイルボックスに入れて空きスペースを作り、枕元に積んだ本を片付けた。おかげで少しばかり幸福度が上がった。幸福度というものは自力で上げるものなのだが、そのために何かするというのは、グータラな俺にはなかなかできないのだった。

それにしてもたくさんの本を積んでいるものだ。自分の興味関心に従って買ったものだから、いろんな本があって面白いのだが、さて、いつ読むんだろうね。

朝のうち晴れ。朝食と洗濯のあと、歩いて県立図書館へ行く。日のあたる道を歩いていると汗ばむような陽気。そろそろ柑橘の花の香りがする季節だ。

図書館では日本近代史関係の本を5冊借りた。ハイライトは伊藤博文の本と下田歌子の本だ。伊藤博文はともかく、下田歌子とは誰か。俺もこれから学ぶのだけれど、華族女学校の学監、かつての津田梅子の上司であり、実践女子大学の創立者で、女子教育への貢献において、これまたなかなかの偉人であるらしい。

帰りも歩く。いい運動になった。

朝からぐずぐずした天気。玄関先を掃除し、食材を買いに行く。手羽先が欲しかったが近所のスーパーになかったので、代わりに手羽元を買ってきて、塩とハーブをふりかけて蒸し焼きにした。うちの最寄りのスーパーでは、日によって手羽先や肝はあったりなかったりするのだ。鶏という生物の身体の構造からいって、手羽先と手羽元は同じ分量しか取れないはずなのに、なぜか手羽元は品切れにならず、手羽先は品切れになりやすい。羽先だけに飛んで行きやすいということなんだろうか(←多分違う)。

橘木俊詔『津田梅子 明治の高学歴女子の生き方』(平凡社新書)を読む。

アルゼンチンの次は、今年7月の新五千円札発行に合わせて、明治四年にアメリカに留学した少女たち、津田梅子、大山(山川)捨松、瓜生(永井)繁子について調べる。

今日は大庭みな子『津田梅子』(朝日文庫)を読み終えた。アメリカ留学時に身を寄せたミセス・ランマンに宛てて日記のように書き続けた数百通の手紙を主な題材として、女子教育に捧げた生涯をたどる評伝に、戦後焼け跡の時代に津田塾に学んだ著者自身の思い出が重なる。読む人はみな、津田梅子に惚れ込むに違いない。おっと、これはいけない。責任逃れと願望の入り混じった欺瞞的な言い方をしてしまった。言い直す。俺はこれを読んで津田梅子に惚れてしまった。

言語表現ってのはいろいろあって、「俺は〇〇だと思う」と言えばいいところを「誰しも〇〇と思うところだろう」なんて言ったりする。持って回った言い方はよくない。ほかに、この頃よく聞く表現として「〇〇します」で済むところを「〇〇してみたいと思います」というのもある。やってみたいと思うなんて告白する前に、やればいいのである。「〇〇です」で済むところを「〇〇かなぁと思います」というのもある。そこで断言を避け言葉を濁してどんな得があるのか。持って回った言い方はよくない。いや、文化というのは全体にそういう言語表現の綾に宿るものかもしれないので、一概に否定はできないが、ううむ。ご用心、ご用心。

俺としては、欺瞞的な表現は避けたい。責任持てないなら発言すんな。

ようやく晴れたので洗濯をする。靴下が11足あったから、先週の日曜日から11日間も洗濯をサボっていたらしい。それから自転車で郵便局へ倅宛てに届いた郵便物を受け取りに行く。暑くも寒くもなく天気がよいので、自転車で出かけるのがちっとも苦にならない。

午後にはいつもの集合論Zoomゼミをやる。フィルターの超フィルターへの拡大の定理が証明できた。

夕方通りかかった堀之内公園の、あの木の下で、高校生くらいの女の子が友達に縄跳びを教えていた。こっちのあずまやでは、制服の高校生たちが語らっていた。とても微笑ましい、いい光景だ。すれっからした大人たちがどう言おうと、いま世界は彼らのものなのだ。

どうも、Obsidian を iCloud で同期して使っている限りでは、複数のデバイスでの編集がコンフリクトした場合の解決策は用意されていないようだ。MacBook Pro 上で VS Code を使って編集しているぶんには、 そのあたりの面倒を VS Code が見てくれるようだ。Obsidian アプリ自体で編集しているときはどうなるかわからない。まあ、俺としては、Obsidian が管理する Markdown ファイルを VS Code で編集するにあたって、こまめにファイルを保存するように心がける。未保存の変更がある状態で MacBook Pro をスリープさせたりしなければ大丈夫だと思う。

昨日豚肉が安く手に入ったので、今日の夕食はトンカツにする。子供や妻と一緒に食事をするときの練習を兼ねて、改めてネットでレシピを調べながら作るわけだが、衣をつけるところがなかなかうまくいかない。

昨日不調だった Apple Watch は、いったん iPhone とのペアリングを解除して、再度ペアリングしなおすことで復旧した。これでしばらく様子をみよう。

小雨が降るあいにくの天気だが、会議と打ち合わせがあるので大学へ行く。

この頃は飲んで食って寝てばかりだからか、ちと胃が重い。なにしろ運動不足である。本当なら昨日同様歩いて大学に行きたいところだが、まあ、雨だから電車を使い、車内で本を読む。

会議と打ち合わせのあといくつかデスクワークをした。夕方には雨が止んだので、帰りは歩く。

今朝は合宿形式の学術研修に行く夢をみた。夢の中で俺はB7の和音に右から単位行列をかけて何かを表示しようとしていた。

目が覚めて、いつものように Apple Watch を操作したら、ふいに画面が真っ暗になった。何か不調ならしい。どこかで修理に出せるのだろうか。今日はもう一つの時計をして、歩いて出かける。Apple Watchをしていないので、歩数や消費カロリー数はわからない。そのぶんのんびりとしていられる。とはいえ、今日はそれなりに歩数は稼いだと思う。天気が良くないので傘を持って出たが、結局使わなかった。

火曜日は卒業研究ゼミ。通常の集合算の復習のあと、ラッセルの逆理と、ZF集合論の公理の紹介まで。このテキストのように、ラッセルの逆理を「お話」で済ませるのは、かえって誤解を招く原因になると思う。難しい話ではないのだから、厳密な定式化をして話をしてもいいはずだ。

ピアノのレッスンは先生のご都合でお休み。

今朝は、数学の演習の指導をする夢を見た。夢の中で俺は、η をどう読むのかわかりません、とか、\(x^x\) の微分がわかりません、とか、そういう疑問に、ぶっつけ本番で対応しながら、「小テストとか、全然用意できてないよ。どうすっかな」と考えていた。

長らくサボっていた物書き稼業を再開するため、計算用紙にボールペンで草稿を書き出す。何をどう書くか考えながら、室内ウォーキングと称して家の中をぐるぐると30分も歩き回った。

今朝は「遠足の集合時間ギリギリの時間で貸切バスに乗り遅れる夢」を見て目が覚めた。朝食後ぼんやりしていたら午前が終わった。これはいけない。

昨日を限りに頭をアルゼンチンから離して、知の旅の次の目的地へ出発。次のターゲットは、歴史に名高いあの人だ。

さて今日はパルタジェのアルゼンチン会の当日である。パワポのスライドとプレイリストの最終チェックをして、歩いて出かける。前回はMONKの渡辺貞夫のライブの裏番組だったが、今回は松山市民会館のチューリップの公演の裏番組だ。

この会では、パルタジェ店主カズノさんが厳選したアルゼンチンのワインと、ロープウェイ街のエスコバールからとったアルゼンチン料理を振るまう。講演では、アルゼンチンという国の簡単な紹介をし、アルゼンチンタンゴのルーツからピアソラたちの現代タンゴまでの流れを駆け足でたどった。プログラムとしてかけた音楽は次のとおり

  1. イラディエールのハバネラ「エル・アレグリート」
  2. モンテビデオのカンドンベの動画 (YouTube)
  3. ミロンガ「バルドサ・フロハ」
  4. フランシスコ・カナロ楽団の「ラ・クンパルシータ」
  5. 藤沢嵐子の歌う「ノ・テ・ペルドノ・マ」
  6. ダリエンソ楽団の「エル・チョクロ」
  7. イツァーク・パールマンの演奏で「ポル・ウナ・カベサ」
  8. ヨーヨー・マの演奏で「リベルタンゴ」
  9. 作曲者自身の演奏で「ア・フエーゴ・レント」
  10. カルロス・ガルデルの佳曲「想いの届く日」

この数ヶ月というもの、アルゼンチン関係の本ばかり読み、アルゼンチンタンゴばかり集中的に聴いた。おかげで今まで知らなかったことがいろいろ知れてよかった。カルロス・ガルデルの「想いの届く日」という名曲に出会えたのは、それだけでも収穫であった。

長く生きていれば、アルゼンチンタンゴのDJをするという珍しい機会もあるわけだね。聴いてくれたのはお客さんが17人、スタッフが5人。話の前後にもBGMとしていろいろなアルゼンチンタンゴをかけたから、パルタジェはいつにないタンゴ・バーの趣となった。

お開きのあとは少人数でアマーレ・アマーレに行って、今回のウチアゲと常連仲間かおりんのお誕生会を兼ねて飲み食い。ただし俺はさっきのアルゼンチン会でいろいろ食べたので、せっかくのイタリア料理がほとんど入らず。

このごろどうしても朝寝坊しがちなのだが、その時に「海外旅行に出発する当日になってパスポートの取得を忘れていることに気づく夢」をよく見る気がする。これは何かの暗示なのだろうか。よくわからん。先日から言っているような事情でアルゼンチンのことをいろいろ調べているのは確かだが、べつだん海外旅行をしたくてやっているわけではないのだ。

数ヶ月にわたって集中的にアルゼンチンタンゴを聴いてきて、そろそろ味がわかってきたところなのだが、ひょんなことから今日は日本の往年のフォークソングをいろいろ聴くことになった。そうなるとやっぱり母国語の歌はエモーショナルな力が違うと思った。もちろん日本語の歌ならなんでもいいとか、フォークソングは全部いいなんて、そんな単純な話ではないが、たとえば京都育ちの俺にとって、諸口あきらの「リターン・トゥ・パラダイス」や高石ともやとザ・ナターシャ・セブンの「街」は涙なしには聴けない。それに、上條恒彦と六文銭の「出発の歌」など、いまの時代の若者にも響くものがあるのではないかと思うのだけど、どうだろうか。

午後にはいつもの集合論Zoonゼミをやった。選択公理のもとで任意の真フィルターが超フィルターに拡大できることの証明を整列定理を使ってやるのだが、途中までで時間切れになった。

来年3月の吹奏楽のステージの楽譜が追加になったというので、一色楽器に受け取りに行き、社長と四方山な少し話をした。帰りの電車をわざと少し乗り越して、散歩を兼ねてコンビニに寄ったりしながら家まで歩いた。

バンマス白石先生の指示により、もらった楽譜には小節番号を記入せねばならない。夕方にはこの作業をしたのだけど、数え間違いなどもしたので、思いのほか時間がかかった。

あと、夕食後は仕事の書類を少し書いた。かなりひさびさに休肝日にした。

土曜日の《アルゼンチン会》のためのスライドはだいたい出来上がった。あとはトークのためのノートを用意せにゃならん。

夜遅くに地震があった。愛南町や宇和島で震度6弱、松山は震度4だったそうだ。俺のところには、特に被害はない。

この頃にしては早く目が覚めた。昨日こしらえた惣菜を朝食と弁当にする。昨日書いたようにまあ「見義不爲無勇也」な人生を生きているわけだが、あまり「不爲」ではお給料がもらえないので、少しは仕事をしようと思って大学でぐちゃぐちゃと書類を書いた。

午後には卒業研究セミナーをやった。初回なので集合の概念といろいろの記法についての話だった。先週の木曜日にも書いたとおり、俺のためのゼミではないのだから、俺には自明で退屈と思われるところも、ある程度丁寧にやる。

夜にはピアノのレッスンに行った。いま練習している曲は、ちゃんと弾ければ痛快なはずなのでがんばろう。

「義を見て為さざるは勇無きなり」とかいう言葉がある。出典は『論語』の為政第二の第24章。

子曰:「非其鬼而祭之,諂也。見義不爲,無勇也。」

「先生がおっしゃった。《自分の祖先でもないのにお祭りするのはへつらいだ。やるべきだと知っていてやらないのは勇気がないのだ。》」

俺は生まれてこのかたずっとこの無勇也できた。そろそろ還暦なのだから耳順の歳である。このまま無勇也で死ぬのだろうか。

ただまあ、無勇也でも腹は減るので、夕方に惣菜を2品だけ作り置きした。

「頭がハゲつるぴかになり、そんな自分の頭を別の自分が斜め後ろから見て嘆息している夢」を見て目が覚めた。大変よい天気なので窓を開け布団を干し部屋を掃除して、ピザ生地を打ってベランダで寝かせる。こんな天気の日に家にこもっているのはアホくさいのだが、先日雨樋の修繕を頼んだ業者がきょうの午後に工事終了確認のハンコを取りに来るので、それまでは家にいる。

それで、昼食の手打ちピザのこと。生地を打つのに水の代わりに牛乳を使ったら、ちょっとビスケット的な生地になった。ピザらしいピザではないが、これはこれで悪くはない。いずれにせよ、美味しい手打ちピザへの道はなかなか険しいようだ。

どうもこのごろ朝寝坊がすぎる。おかげで午前中というものがほとんどない。それでもまあ、遅い朝食をとり、倅に送る荷物を近所のコンビニで発送する。

倅は、今日は新入生全員に課されるTOEFLの試験を受けてきたそうだ。もともと英語は数学と並んで倅の得意科目だが、けっこう難しかったと本人は言う。まあ、そう言いつつもまあまあの点数を取ってくるんじゃないかと思う。

俺はというと、20代30代の頃はクルマの免許を取ったりTOEFLでそこそこの点数を取ったりしたこともあるのだが、最近はただのアル中だ。クルマは免許を取って以来一度も運転したことがないし、英語も最近はあまり話してない。このまま終わるのは残念すぎるが、さてさて。

外は天気がいい。午後は歩いて出かける。県立図書館に行って本を借り換えた。

なんだか奇妙な夢を見た。どんな話だったか詳しくは思い出せないが、西洋の教会建築のようなものの間を駆け抜けたり、巨大な弘法大師像が周りの岩山と一緒に空に浮かんでいたり、ビジュアルは見ごたえがあった。

ムスメの23歳の誕生日だ。LINEでひとことメッセージを送る。古くからの読者のみなさんならどなたもご存じのように、かつて「て日」と名乗っていた頃のこのウェブ日記は、小さいムスメの話題でもちきりだった。そのムスメも、もうすっかり大人である。親としては、それぞれ自分の道を歩み始めた子供らの前途が息災であれと祈るばかり。

理系大学生になった倅は、実験のときに白衣が必要だという。高校時代に持っていたはずなのだが、家を探しても見当たらない。俺が30年ほども前に買って、ろくに着ずに置いてあった白衣を譲ることにした。さすがに袖口のゴムが駄目になっていたので、ダイソーでゴム紐を買ってきて修繕した。

ダイソーからの帰り道にドラッグストア・コスモスに寄ったら、珍しいことにアルゼンチン産のワインが売ってある。CUMAという銘柄のカベルネ=ソーヴィニオンとトロンテスだった。ひとまずカベルネ=ソーヴィニオンを買って試飲してみた。一杯目の最初のひと口だけちょっと酸味を感じたが、千円のワインにしては悪くない。

アルゼンチンについてもう一件。Todos Tango というウェブサイトがある。日本語のページはない(英語版ならある)が、アルゼンチンタンゴについて膨大な情報を集めている。

簡単な朝食のあと、マテ茶を飲み、かみなりこんにゃくを作った。

なんだかんだで集合論Zoomゼミは一年が経過した。新年度の少なくとも前期は木曜の午後にやる。ツォルンの補題を応用して、任意の全順序集合に共終な整列部分集合が存在することを証明する。素直な論法でやるのだが、構成した半順序が本当に半順序であること、特に推移律の検証、そしてその半順序が「帰納的」であることの検証を、きちんとやってもらった。俺にとって自明でも他の参加者にとって自明とは限らない。ゼミ発表者のためのゼミなんだから、そこは丁寧にやろう。

午前中は学部の高大連携委員会。午後はボケボケしている間に時間が経った感じだが、前期の開講日で、久々にキャンパスにたくさんの学生たちがやってきた。やはり大学はこうでないと。なんだかんだ言っても、キャンパスは学生のものだ。

アルゼンチンのことをいろいろ調べる一環として、2013年夏発行のムック『TRANSIT』の第21巻「美しきアルゼンチン」を入手した。幅広い内容が、ほどよい粒度でまとめられていて大変よかった。TRANSITのウェブサイトも充実していていい。アルゼンチンについて調べる過程でいろいろのものや人を知る。たとえば、スペインのギタリスト・歌手・作家のパオラ・エルモシンとか、関西圏で活動するギターとバンドネオンのデュオのタンゴ・グレリオとか。こんなふうに新しいことを知れるのはありがたい。

卒業研究ゼミの初回。簡単なガイダンスのあと次回以降のローテーションを決めて、短時間でおしまい。昼飯を買いに外へ出たときは春らしいいい陽気だと思ったが、夕方帰宅する頃になるとちょっと肌寒かった。夜にはピアノのレッスンに行った。行き帰りの電車ではアルベルト松本『アルゼンチンを知るための54章』の続きを、ペロン大佐が登場するところまで読んだ。なんか、ここまでは、金持ちの保守層の支持を背景に軍部のなんちゃら将軍が取っ替え引っ替え権力の座についてはまた追放され、そんなことばかりしている印象である。まあ、どこの国も似たようなものなのかもしれないけど。

Lightning接続のiOSデバイス用外付けキーボードをしばらく前に買ったけれども、結局使っていない。本にせよデバイスにせよ、こういうことばかり多いのでいけない。実は iPhone や iPad に外付けキーボードをつけて使うと、けっこう快適なのだが、普段は MacBook Pro を持ち歩いているわけだから、そこまでする必要もあまりないのだ。

わけもなく物憂い日々が続くわけである。しかしそんなことばかりも言っていられないので、本を読む。アルベルト松本『アルゼンチンを知るための54章』(明石書店2005年)を、とりあえずアルゼンチンが独立するところまで読んだが、20世紀の到来を待たずに最初の債務不履行をやっているし、大丈夫なのかこの国、という感じがする。まあ、面白い国だ。

雨樋が壊れているので、業者に電話する。明日には修理に来てくれることになった。

小雨の中だが、散歩に出るとそれなりに心地よい。ケーズデンキで、iPhoneのケースを買い、256GBのSDカードを買った。これまでたくさんのUSBメモリドライブを使ってきたし、今でも使っているが、MacBook Pro が USB-C とSDカードしか受け付けないので少々不便だったのだ。USB-Aのメモリドライブはバックアップ用途にして、仕事用のデータのやり取りにはSDカードを使うことにしたい。とはいえ、職場のPCが256GBのSDカードを受け付けてくれるかどうか。

それと、古野正憲『ワインは恐竜の時代がお好き』(メディア・ケアプラス, 2023年)という本を読んだ。ワイン好きの地質学者がワインと土壌と地質の関係を語る本で、たいへん面白い。ただし、地質とワインについて語ってりゃいいものを、そこへちょいちょい「波動」とか「量子もつれ」とか「引き寄せの法則」とか「光の速度を凌駕する素粒子の波動共鳴現象」とか、似而非科学めいた発言を挟みこむものだから、人には勧めにくい。そういう話に耐性がある人なら、ワインをめぐる蘊蓄の一環として、読んで損はないと思う。

朝、立て続けにサックスがらみでイヤな夢を見た。「学校へ練習に行ったら楽器をどの教室に置いたかわからなくなって探し回る夢。」そのあと「もらったリードがボロボロでどれも使い物にならない夢。」夢というものの常として、よくわからんなりになんだか意味ありげだ。

昼には手打ちピザを作った。

自宅でゴロゴロするのにも飽きた頃、本をバッグに入れて出かける。あちこちの桜の木が競うように花を咲かせている。宮前川ではカモの夫婦が歩き、コイとカメとナマズが悠々と泳いでいる。

さて、特に行くところもないので、いつものBALにいってビールを飲む。帰りも歩き、歩数計カウント13,488歩。

夕食は自分でスープを調合した激辛ラーメン。スープは今までで一番辛かったかもしれん。ただし、いつもと違うスーパーで買ったチャーシューは少し甘かった。理想のラーメンにはまだまだほど遠い。

以前にアパート暮らしを引き払って以来しまい込んであった春物のシャツなどなどを引っ張り出してきて洗濯した。ネタバレはいかんのでここにはまだ書かないけど、パルタジェの《アルゼンチン会》でかける音楽を決めた。夜には地下BALにも顔を出した。

毎年同じようなことを書いているが、この時期に、数学・数理情報コース(かつての数学科に相当するもの)への所属が確定した2年生に向けたガイダンスがあり、そこで教員一同が自己紹介をする。実質的に、これが年度初めのセレモニーというわけだ。今年は説教がましいことは言わずに簡単な挨拶だけして済ませた。

倅の入る大学では今日が入学式で、妻が遠いところをわざわざ出向いていってスーツ姿の倅の写真を撮って送ってくれた。

今月20日のトークのスライドをPowerPointで作り始める。まだ全然情報が足りない。ふむ。がんばらねば。

昨日までの雨で石手川の貯水率も100パーセントに戻った。ありがたいことだ。きょうは重たい感じの曇り空だが、雨は降らない。

いつもの医者に行く日なので、家から歩いて出向く。朝が起きられないというと、血圧や薬の飲みかたには問題がなさそうだから、酒の飲みすぎと運動不足が原因なんじゃないの?という話だった。そんな気がしたし、交通費をケチる意味も兼ねて、歩いて行ったわけである。もちろん、帰りも歩いた。

前期の卒研ゼミは火曜日の3限〜4限と決まった。数学棟3階の第4演習室が会場だ。前期はこれに第2クォーターの大学院の講義「解析学特論」があるだけ。時間をいろいろ有効活用したいところだけど、さてさて。

昨晩からずっと雨で、きょうは一日じゅう雨が降る予報。ときおり雷鳴も聞こえる。四国の瀬戸内海側は水不足になりがちだから、たまにこういう日もないと困るのだ。

それでも、いっとき雨の小止みになる時間というものはあるわけで、その隙をついて出かける。

昨日借りてきたボルヘス『伝奇集』(鼓直 訳、岩波文庫)から、松山市駅に向かう電車では「『ドン・キホーテ』の著者ピエール・メナール」を読んだ。電車を降りたら、「死とコンパス」を読みながら歩く。ヘブライの神の名にかこつけた連続殺人事件が起こって話が面白くなってきたころに、パルタジェに着いた。パルタジェでは「死とコンパス」に続いて「バベルの図書館」を読み、さらに「ユダについての三つの解釈」にとりかかった。

今月20日にパルタジェで開催する《アルゼンチン会》で出すワインのラインナップが決まったようだ。アルゼンチンといえば牛肉料理とワインとマテ茶、それとアルゼンチンタンゴ。パルタジェの料理監督との異名をとるれいこさんが、さてどんな具合に料理を用意しようかと知恵を絞っている横で、俺はどんな音楽をかけるか考える。

さほどの夜更かしはしていないのだが、どうも朝起きられない。ひどいもんだ。

外を歩いていて通りすがりに耳に入ってきた言葉「もはやバイトが気分転換になるらしい」

そうだ。そうなんだ。元の文脈はわからないけど、俺だって大学の仕事が気分転換になるくらい、好きなことに打ち込めばいいのだ。(こんなこと公開のブログに書いていいのか⁈)

県立図書館に行って本を借り換えた。岩波文庫版のホルへ=ルイス・ボルヘスを2冊借りた。

夜にはピアノのレッスンに行った。特に進捗はないが、ちゃんとやらねばという気になるだけでも行く意味はある。

《今朝の夢:古い城下町。時が止まっているような古い街並みが好ましいが、お城の周りはそれなりに観光地化している。坂の上の橋の袂に自転車を止めて街を歩くうちに、自転車をどこに置いたかわからなくなる。研究集会に集まった学生たちが一緒に探してくれる。似たような坂、似たような橋、似たような自転車はいろいろ出てくる。仮によく似た別の自転車に乗って見て回るが、元の自転車は見つからない。お城の周辺ではアナウンスのような演説のような声がスピーカーから響いている。》

夢について考えたこと:俺は本来の乗り物を捨てて、別のよく似た乗り物に乗り、時の止まった奇妙な世界に入り込んでいる。城下町のイメージは彦根か松山か。乗ってきた乗り物のことは、思い出すものの、もう見つけられない。この奇妙な街を出るには、それに乗らねばならないのだが。

久々に Simplenote にログインして、古いノートを Obsidian に移植した。Obsidian Sync は高価でないとはいえ有料サービスなので当面は使わないことにする。職場の Ubuntu パソコンと MacBook Pro でテキストを共有したいとなると、ひとまず Vivaldi ブラウザのメモ機能が第1の候補になる。そのほかに Simplenote も選択肢に含めておこう。