て日々

2022年1月

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先日から倅が聴こえにくそうにしているので、午後の授業を休ませて耳鼻科に連れていった。かなり耳垢がたまっていたらしい。耳そうじをしてもらって聴こえは回復したようだ。

遅まきながら、10日前に実施した集合と位相の中間テストの採点をした。いろいろの事情でテストを受けられなかった受講者のための代替措置も、やるやると言ってまだできていない。急がなくちゃ。それと、非常勤の講義の最終レポートは今夜が締切である。メールで届くレポートを手元のUSBドライブに保存しては「受けとりました」の返事を返す。130人ほどが受講しているので、なかなか大変で、この作業に夜中の1時近くまでかかった。

とかなんとか言っている間にもう2月である。引き続きがんばりましょう。

倅はきょうも模試があるとかで学校に出かけた。俺は家にいて、火曜日の集合と位相の授業の準備などなどをする。

アダム・ベッカー『実在とは何か — 量子力学に残された究極の問い』(吉田三知世訳, 筑摩書房, 2021年)を読み終えた。量子力学の基礎に依然として残る疑問をめぐって、さまざまな物理学者のエピソードを辿り、科学哲学における実在論の復興にまで話が及ぶ。大変面白く、いろいろ考えを刺激された。それで午後には県立図書館に行って戸田山和久『科学的実在論を擁護する』(名古屋大学出版会, 2015年)などなどを借りてきた。

夕方、科学コミュニケーション勉強会。テーマは「科学コミュニケーションにおける定量リテラシー」で、来年度のデータリテラシーの講義の参考になりそうな話がいっぱい。利用させてもらおう。そのあと、キッチンで夕食のカレーを作りながら、数学カフェのオンライン会議にも顔を出した。

午前中は家でリモート授業。午後は大学に行き、3年生のゼミをやる。

一昨日、『実在とは何か』を大学に忘れて帰ってきたと書いたが、大学に行ってもどこにも見当らない。前にもこんなことがあったけど、読みかけの本を失くすというのは、なんとも気持ちが悪い。とかなんとか思っていたら、実は家の積読本が山をなしている、その合間の谷底に落ちていたのだった。ちゃんと持って帰ってきていたらしい。見つかってよかった。そして、積読の山々をなんとかせねばならん。

昨日は大学に忘れものをしたせいで夜に作業ができなかった。きょうの午前中にそのぶんの埋め合せをする。午後は卒業研究ゼミ第2組が発表の練習。それから解析の演習。昨晩提出を締め切った問題の解説をする。

夕方には医者に行っていつもの薬を出してもらう。医者に行く日は帰りが遅くなるので、晩飯は外食にする。倅のリクエストに応えて、はま寿司に行った。

医者では、このごろグータラしてばかりでどうもいけないという意味のことを話した。モチベーションが下がっているというわけだが、モチベーションなんてものは、そうそう自力で上げられるものではない。人と話すべきだ。

朝から会議が3つ。

夕食には味噌鍋を作り、うどんで締め。夕食後に作業しようと思っていたデータを入れたUSBと、寝る前に読もうと思っていた『実在とは何か』を、大学の自室に忘れて帰ってきたのでちょっと困った。かわりにフォン・ノイマン『計算機と脳』(ちくま学芸文庫)を開く。とはいえ序文しか読めなかった。というのも、解析の演習に今晩が締切の課題があって、メールの対応に追われたからだ。

朝は集合と位相のリモート講義。集合族の和と共通部分についての記法を説明し、ド・モルガンの公式(と呼ばれるものはいろいろあって、その一種)を論じた。午後の卒業研究ゼミ(第1組)は来月の発表の準備。

夜はピアノのレッスン。あいかわらずクレメンティのヘ長調のソナチネをさらっている。

朝、非常勤の講義の最終回。今回だけは、しゃべりたいようにしゃべらせてもらった。ミームという概念がなかなか上手に説明できなかったし、話の論理的な組み立てもいまひとつだったかもしれない。ともあれ今年もどうにか最後まで授業が済んでひと安心。きょうは本務先の業務は先日の休日出勤の代休でお休みにさせてもらっている。本務先の第4クォーターの授業はまだまだ終っていないから、やることは沢山あって、本当に全面的にお休みしてしまうわけにはいかないけれども、ああきょうは大学の仕事はお休みだと思うだけで、ずいぶん気持ちが楽である。非常勤の講義からの帰りに銀行に行って地震保険の更新手続をし、その足でカフェに寄ってカフェラテを飲んで休みの気分を味わう。昼過ぎにいったん帰宅し、残り物で適当に昼食にする。

午後、最小限度の仕事を済ませて『実在とは何か—量子力学に残された究極の問い』の続きを読む。第4章「マンハッタンのなかのコペンハーゲン」では、物理学が第二次世界大戦やその後の冷戦との関係のなかで大きく変貌していく様子が描かれている。おそらく、数学もこうした時代の大きな流れと無縁ではないだろう。たとえばフォンノイマンが電子計算機の開発に関与した背景にも戦争が関わっているわけだし、ウィーナーの提唱したサイバネティクスなどもそうした文脈に置いて見てみるべきなのだと思う。

寒さは少しだけやわらいだが、一日中雨が降った。こういう日はなんだか物憂い。模試があるという倅を学校へ送り出して、明日の非常勤の授業の準備をした。午後はアダム・ベッカー『実在とは何か—量子力学に残された究極の問い』(吉田三知世訳, 筑摩書房, 2021年)を読んで過ごす。

未明に地震があった。震源は日向灘で、マグニチュード6.8だそうだから、まあまあ大きい。松山でも震度3くらいで長く揺れたので恐ろしかった。大分県、宮崎県では震度5強になったところもあるらしい。大きな被害がなければよいのだが。

昨晩から掛け時計が止まってしまっている。しばらく前にもそんなことがあって、そのときはエディオンの時計屋で修理を受けつけてくれたが、たしかけっこう日数がかかった。今回はどうだろうな。掛け時計なしで生活するのは心細いから、朝一番に美沢のダイキに行って代わりの安価な掛け時計を買ってきた。

今朝は松山にしては珍しく気温がマイナス1度まで下がったらしい。

集合と位相の授業はあいかわらずリモートでやるが、テストだけは対面でやらせてもらう。許可が下りたので今朝の1時間目に中間テストをしてきた。午後には3年生のゼミを、こちらはリモートでやる。

解析の演習の提出締切日なので深夜までメールに対応する。間違えて集合と位相の演習問題を送りつけてくる受講者がちらほらいた。そりゃまあ、学生さんたちだって混乱するわな。このようにメールでの課題提出はトラブルに見舞われがちなので、来年度からは遠隔授業にはMoodleを使うようにしたい。

午後、卒業研究ゼミ第2組は研究発表の打ち合わせ。3人が共同で発表するので分担を決めた。それから解析の演習。リモート授業で演習なんて、本当にどうしようもないが、さりとてやらないわけにもいかない。本当に困っている。

演習が済んでから夕方まで、それから夕食後も夜なべして、来週月曜日の非常勤の講義の準備。なんとか形にした。最終回ではデータリテラシーから少し外れて、「フェイクニュースとメディア・リテラシー」というタイトルで話をする。「新型コロナウィルス陰謀論」や「トンガの噴火なかった論」などに言及したあと、エコーチェンバーとフィルターバブルについて話し、SNSがフェイクニュースの温床になりがちな理由を理解してもらう。拡散してしまったフェイクニュースは、虚偽ではあってもミームとしての強さがあるので、事実を冷静に伝えるという戦略だけで対抗するのは難しい。だから、治療より予防が大切で、自分がフェイクニュースを拡散しないようにメディア・リテラシーを高める必要があるよ、と、そういう話をする。

そういう議論をする関係上、ミーム論の初出であるリチャード・ドーキンス『利己的な遺伝子』(紀伊国屋書店)の第11章を読んだ。いや、もちろん他の章も読むべきなのだが。

朝5時半ごろ、まだ起きるにはちょっと早いかなと思っていたが、寝返りを打とうとした拍子に右足が腓返りになって、いっぺんに眠気が飛んでいってしまった。それでまあ、普段より30分ほど早く行動開始。ミルクティーを飲んで朝食と倅の弁当の支度をして、いつものメニューをひととおりこなした後、倅を起こしにいく時刻までに空き時間ができたので、デジタルピアノに向かって昨日のレッスンのおさらいをする。ふむ。ピアノの練習は短時間でも朝にやるしかないかもしれない。毎朝このペースでもいいかもしれないな。ただし、腓返りは遠慮しとく。

火曜日だが大学は金曜日の授業をする。なので午前中の2コマは集合と位相の講義と演習。午後は本日締切の書類仕事を片付け、3年生ゼミをやり、研究室の本の整理を少しする。これでも、いろいろの懸案事項のうち半分も片付いていない。ううむ。

夕食後は例によってピアノのレッスン。この一週間というものまったくと言っていいほど楽器に触れていないので、当然進捗も何もない。だが気がついてみるとこのごろは手元を見ずに弾くということが少しはできるようになっていて嬉しい。あきらめずに続けていれば何かしら進歩はある、ということなのだろう。これはきっとピアノに限らない。何事にせよ簡単に投げ出さずに継続しよう。そうしよう。

いつも月曜の朝には非常勤の講義をやるのだが、今週は先方の都合でお休み。月曜日は他の授業はないし、新型コロナに関するBCPの関係でオフィスアワーに学生が訪ねてくることもない。銀行のATMでいろいろの用事を済ませたり、加藤公一『機械学習のエッセンス』(SBクリエイティブ, 2018年)の第4章の復習で、勾配降下法や多変数ニュートン法などをPythonでコーディングしたり。束縛条件のある2変数関数の極値問題の簡単な例題を自分で作って解いてみたら、計算間違いを頻発してとても時間がかかった。計算力が落ちている。もっと手を動かさなくちゃ。

たとえばこんな例題だ。関数 \(f(x,y)=x^2y\) の極値を束縛条件 \(x(x-1)+y^2=0\) のもとで求めたい。これは束縛条件が座標平面上のある円周を定めていることに気づけば高校数学の範囲で解ける問題なんだけれど、そこをあえてラグランジュの未定乗数法を使ってやる。高校数学っぽい解法での答えと未定乗数法で求めた答えは当然一致するはずだが、俺の場合はまず高校数学の三角関数の式変形のあたりで計算間違いをやる。そして未定乗数法で場合分けの見落しをやる。ひどいもんである。どうにか計算が合ったら、こんどはパソコンの数値計算で同じ問題を解いてみて、できれば視覚化までやる。未定乗数法のラグランジアンの極値を求めるとき、勾配降下法では計算が収束しなかった。多変数ニュートン法でやってみたら、極大でも極小でもない鞍点のような偽の停留点に軌道が収束する確率がとても高くて驚いた。

毎年恒例のあの仕事。ただし今回は予備役の稼動順位4位という位置づけなので、基本的に研究室で待機。待機中はもっぱら、24日の非常勤の最終回の講義をどうするか考えていた。試験監督業務は、予備役にお呼びがかかることもなく無事に済んだようでよかった。

それはよかったのだが、きょうの業務のために通販で買ったアナログ時計が壊れていて使いものにならなかった。どこか海外の謎な業者がAmazonに出品していたもので、注文からひと月ほども待たされたわりに、届いたものはなんだか安物で、何度か時刻合わせをしているうちに動かなくなってしまった。なんとも不愉快だ。

昨日の噴火とそれに伴う津波によるトンガの被害への義援金を、ごく少額ながら送ることにした。

あわただしいこのごろの毎日の中にぽっかりと泡のように浮かんだ休日である。寒いが天気がいい。こういう日を気持ちよく過ごせる心の持ち方をすべきだと思う。

かつてツイッターで100日ほど連日「#本日の無料ダジャレ」というくだらぬツイートをしていたことがある。そのときのツイッターアカウントは廃止したが、無料ダジャレはアメブロに記録してある。そのほかに「ヘタ字百人一首」と称してド下手なボールペン字で小倉百人一首の書きとりをしてツイートしたりしていた。どちらも客観的にはまったくくだらないことをしていたわけだし、主観的にもべつだん意味のあることをしているとは思っていなかったけれども、本人はそれなりに楽しんでいたし、誰かを著しく傷つけたということもなかったようだ。別にこれでいいのだと思う。有意義なことができればそれが一番いいが、それができないなら、せめて楽しいことをしていよう。

大学入学共通テストの前日なので会場準備のため授業はお休み。午後にはキャンパスに下見にくる受験生たちがいっぱいで、大学前の通りがなんだか初詣の参道みたいな人の流れだった。

加藤公一『機械学習のエッセンス』(SBクリエイティブ, 2018年)の第4章までを読んだ。ここまではPythonの基本的な使い方と若干の数学の知識を心得ていればすんなり読める内容だった。最後の第5章がいよいよ機械学習に特化した話になるはずなので楽しみである。

いやあ寒い寒い。しかしくたばっている場合じゃあない。朝には非常勤の講義がある。この時期、成人の日の代替とか共通テストの準備のための休講とか、いろいろの要因で大学の授業スケジュールがイレギュラーになりがちで、しかもあちらの大学とこちらの大学でそのイレギュラー具合が統一されているわけでもない。あちらの大学ではきょうが月曜日のスケジュール、こちらの大学では来週の火曜日が金曜日のスケジュールで授業である。ややこしいが仕方がない。いつもの教室で授業をする。午後はいつものとおり卒業研究ゼミ第2組。それから解析の演習の授業。夕方には学生とのアポイントメントもある。

年明け以降の新型コロナウィルスの感染拡大が急なもので、われわれも急ピッチで対応に追われている。案じていたとおり、来週の授業もリモートで実施することになった。再来週以降は改めて判断するらしいが、そう簡単に状況が改善するとも思えないので、やはり昨年同様ずっとリモートが続くことは覚悟しておいたほうがよさそうだ。かなわんなあと言いながら、バタバタと対応作業をする。

楽しいことはなかなかないものだが、それはまあ自分の姿勢の問題もある。前向きになろう。

寒いが天気は悪くない。洗濯を済ませたあと、ひさしぶりに歩いて大学へ行く。明日はイレギュラーに非常勤の講義があるので、きょうのうちにスライドの手直しを済ませる。それと、今週末のあの仕事のための説明会もある。空いた時間には加藤公一『機械学習のエッセンス』(SBクリエイティブ, 2018年)を開いてみる。対象読者層がよくわからないけど丁寧に書かれていて面白そうである。それと、Chris Heunen & Jamie Vicary『圏論的量子力学』(川辺治之訳, 森北出版, 2021年)が届いた。読むべき本はすでに手元に山ほどあるけど、読む気力・体力はどこで手に入るんだろうね。

朝、雨が降ってずいぶん寒い。倅の寝起きがいつになく快調だったのがありがたかった。8時半から集合と位相のリモート講義。内容は全射・単射・逆写像といったところ。そのあと、明後日の解析の演習の授業のための問題を用意する。演習のリモート授業というのはなかなか難しい。

午後は卒業研究セミナー第1組。そろそろ発表の準備を始める。

夕食は親子丼。夕食後、俺はピアノのレッスンに行き、倅は塾に行く。冬休みの間、なんだかんだでピアノを弾いていなかったので、レッスンはなかなか悲惨な状態だった。ううむ。なんとかとり返さねば。

そんなこんなで、長めの冬休みがようやく終わって、平常運転に戻った。

昨晩9時ごろ、1時間だけ仮眠をとろうと思って横になったら、今朝5時までしっかり眠ってしまった。やはり疲れていたらしい。きょうは天気がよくて気分も悪くない。朝食後、いつもの温泉に行ってリフレッシュ。昼食にはスパゲティ。茄子とベーコンを炒めてアラビアータソースをからめる。

今日もyouwht著『コピペで簡単実行!キテレツおもしろ自然言語処理』(翔泳社, 2021年)のコードを入力して試してみる。青空文庫からテキストをダウンロードして整形する付録のプログラムが少々長かった。これは自然言語処理の本筋からは外れると著者みずからが言っているので、出版社のサポートサイトからコードをダウンロードしてそれこそコピペで走らせればよかったのだろうけれども、こんなものでも自分の勉強になるかと思って、本に記載されたPythonのコードを手で入力する。

ほぼ一日家にいて、授業の準備をする。酒は飲まない。ちょっと疲れがたまっているみたいだ。倅は絶好調だが、こういう日は倅のアホ話にはちょっとつきあえない。

昼食の焼きそばと夕食の牛スジ大根はまあまあ上手にできた。

朝食後、きょうも倅は塾の自習室へ出かけていった。俺はお昼前にいよてつ高島屋の紀伊國屋書店に行って絹田村子『数字であそぼ』第7巻(小学館, 2022年)を買ってきた。内容は季節が一巡して夏の話題が多く、いまの冬空にはちょっと似合わない感じ。それと、先日半分ほど読んだところで娘に奪われた永井路子『源頼朝の世界』(朝日文庫, 2021年)を、仕方ないので再購入。

数日前から日合文雄・柳研二郎『ヒルベルト空間と線形作用素』(オーム社, 2021年)を読んでいる。けっこう難しい。吉田耕作の古い『ヒルベルト空間論』(共立出版, 1953年)のほうが俺には親しみやすい。さすがに昭和28年刊というのはいろいろ古すぎるのだけど、日合と柳の本も1995年すなわち平成7年に牧野書店から出された本の復刊で、新しいとも言いきれない。まあ、ヒルベルト空間まわりの議論じたいはそうそう古くなったりしないのでかまわないのだけどね。

本当なら、今朝は新年初授業と倅の学校の三学期の開始が重なって、とても慌しい朝になるはずだったのだが、昨日書いたように、要するに新型コロナ感染拡大の様子をうかがうため、あれもこれも延期になってしまい、なんとも気の抜けた朝になってしまった。9時前に倅を起こし、トーストとオムレツの朝食をとる。倅は塾の自習室で勉強するといって出かけていった。俺は洗濯を済ませてから大学へ行き、いろいろの書類仕事をする。

大学というところはもう何年も前から改革の大波に揉まれている。波に揉まれるどころか、もはや漂流しているといっていい。由良の戸を渡る大学舵を絶へ行方も知らぬ改革の道かな。そのせいで、俺もなんというか、否応なくいろいろ新しいことにチャレンジせねばならぬ流れである。とはいえ、新しい科目を担当することになるというのは、いろいろな分野を勉強する機会を与えられるということでもあり、そう思うとありがたくもある。

早朝、娘が出発するのを見送った。いよてつ松山市駅から長距離バスに乗るのだが、荷造りやらなにやら直前までバタバタしていたせいで、松山市駅に向かう電車に乗り遅れた。仕方がないからタクシーを呼んでやる。いろいろ予定が決まっているのに直前までバタバタしている娘の様子は母親によく似ている。荷物を段ボール一箱残していったので、コンビニに行って発送した。

ともあれ、妻のはからいのおかげで3年ぶりに娘とこうしてまた話ができるようになったのはありがたいことだ。

さてさて、妻も娘も帰っていった。俺たちも普段の生活に戻らねばならない。

県立高校は明日が始業式の予定だったのだが、感染症対策のためか何か、連休明けの11日に延期になり、明日は休業になってしまった。聞けば、通常の授業のスケジュールの合間に始業式をするらしい。そりゃ先生たちも生徒たちも大変だ。

倅はともかく俺は明日の朝から授業があるからと思って講義ノートの準備をしていたら、夕方になって明日は全学的に臨時休講にするという連絡が入った。しかも来週の授業は原則としてリモートでやれ、とのこと。これは昨年と同じ措置だ。昨年は大学入学共通テストの直前になって「やっぱり後期の終わりまでリモートでやってね」というお触れが出たのだったが、さて、今年はどうなるか。夕食後にとり急ぎ来週以降の授業のスケジュールの変更作業を済ませた。

本をいろいろ並行して読み、面白いことを探し、簡単にはあきらめない。しばらくはそういう進み方を試みる。youwht著『コピペで簡単実行!キテレツおもしろ自然言語処理』(翔泳社, 2021年)はタイトルに違わず面白い。以前にも «Land of Lisp» (No Starch Press, 2010) に関連して、こういうザックバランで面白い本が学術書とくに数学書の世界に登場しないものかと書いた(→2013年9月21日2015年10月24日)。その気持ちはいまも変わらないけれども、そういう学術書が登場しにくい理由も、ある程度は理解できる。IT関連書と数学書では、読者の数も違うだろうし、執筆者の立場も違ってくるだろうし、書物としてのライフサイクルも違うだろう。いろいろの事情が、キテレツおもしろ数学書の成立を難しくしている。ただ、最近のちょっとした数学ブームを背景にして、あたらしいスタイルの数学書が試みられる機運が高まっているようにも思う。「キテレツおもしろ数学書はなぜ書きにくいのか」なんて愚考している暇があったら、周囲をよく見回してキテレツおもしろ数学書が世の中にすでに存在していないかどうかを確かめるべきだな。

昼食はもやし炒め。夕食は麻婆豆腐とスープ餃子。夕食後、永井路子『源頼朝の世界』(朝日文庫, 2021年)を読んでいたら、国文専攻で義経が大好きな娘に本を奪われてしまった。まあいいけど。

朝、まだ外が暗いうちに、朝食を作って妻と二人で食う。妻は朝の飛行機で東北の赴任地へ戻るのだ。もっと長く、というか、本当を言えばずっと一緒にいてほしいところだし、それは妻も同じ気持ちだと思ったけど、まあこればっかりは仕方がない。10時前に倅が自室から出てきたので朝食を食わせた。11時前に娘が帰ってきた。缶詰トマトソースを使ってミートソースを作りスパゲティを茹でて昼食にした。妻は夕方には無事に北国の赴任地の家に戻れたらしく、駐車場でクルマが雪に埋もれている様子の写真を送ってくれた。

きょうは鳥海不二夫編著『計算社会科学入門』(丸善, 2021年)とChad Fowler著『情熱プログラマー』(でびあんぐる監訳, オーム社, 2010年)を並行して少しずつ読んだ。『計算社会科学入門』の第10章で紹介されいている社会物理学という研究方法は興味深い。

昨晩は数年ぶりに家族4人で夕食のテーブルを囲んだわけだが、一夜明けたらすでに朝食の足並みが揃わない。午前中、妻は知人と会うために出かけている。娘と倅はそれぞれ思い思いの時間に起きてくる。まあ、皆もうお子さまじゃないのだから仕方ない。

昼、娘と倅に昼食のチャーハンを出したら、俺と妻のぶんの食材がない。妻が帰るのを待って様子をみて買い出しに行こうと思って待っていたが、妻は外で食事をして帰ってきて、家に着くなり「つかれた」と昼寝を始めた。これは妻が怠け者だという意味では決してない。むしろ逆で、妻はあまり身体が丈夫でなく疲れやすいのに妙に頑張り屋なのだ。現に昨晩も真夜中過ぎまで荷物をまとめたり掃除をしたりしていたから、午前中のお出かけはこたえたのだろう。それはそれでいい。妻の昼食の心配はなくなったけど、さて、俺の昼飯はどうしようか。

というようなわけで、午後はひとりで出かけた。まずいよてつ高島屋の紀伊国屋書店に行って文庫本を2冊買い、銀天街のロッテリアで絶品チーズバーガーとポテトLを買って、それからいつもの地下BALに行って初飲み。ほどなく、常連仲間のOがいつも通り夫婦でやってくる。

夕方、少し酔って帰宅。高校時代の友達と夜を徹して遊ぶという娘を送り出してから、3人分の夕食を用意する。

昨日書いたとおり、この「て日々」を充実させるという目標を立てた。なにしろ「て日々」は俺にとっては物書き修行の重要な一部なのだ。これを怠っているようでは、先行き望みはない。

昨晩から今朝にかけて、三輪裕範『時間がない人が学び続けるための知的インプット術』(ディスカバー携書)を読んだ。この本の主なターゲットである若手ビジネスマンに比較して、俺が《時間がない人》に該当するとは思わないが、時間というものの本性からして、誰しも時間がないのがデフォルトであるから、勉強する時間のつくり方、本の選び方などなど、参考にさせてもらう。それに、読みやすい文章の実例としても、こうした本から学ぶべきことは多いと俺は思う。

午後、実家から倅と娘を連れて妻が戻ってきた。今年は子供たちにお年玉を用意しておいた。妻が「あたしには?」などと言う。アラフィフの女房にお年玉を催促されるなんて前代未聞である。

娘がフジグラン松山に行くというのでお供する。昨年20歳になった娘とは、顔を合わせること自体3年と4か月ぶりだし、一緒に外出するなんてそれ以上に久しぶりである。フジグラン松山まで歩いていく。行ってみると、なかなかの混雑だった。2階で財布を買ってやり、1階で夕食の材料を適当に買った。それから阿沼美神社にお参りしておみくじをひいたら俺も娘も大吉だった。なかなか幸先よろしい。

夕食は質素に、かつおのたたきとかけうどん。この4人で食卓を囲むのもずいぶん久しぶり。夕食後、妻が知人に送るという荷物を近所のファミマまで運ぶのを手伝った。コンビニからの宅配便の発送は、このごろはネットで宛先などの情報を入力し、送料の支払いもオンラインで済ませねばならない。つまり、仲介するコンビニ店員に個人情報がわからず、現金の受けわたしも発生しないように、システムが変わったらしい。何か従来の方法を悪用した事例でもあったのかも知れないけど、おかげで、なんだかややこしい。

あけましておめでとうございます。みなさま今年もよろしくお願いします。

元日に一年の抱負を書いて、実現したためしがないのだけれど、今年はどんな年にしたいかを元日に語るとか、そういうのはやはり大事な気もする。まずなにより、この数年で以前にも増して仕事や趣味のいろいろなことがガッタガタになっているのを立て直したいのだけれど、そういうのは抱負とは言わない。一年の計は元旦にあり、だから、元日くらいは、もっと夢のあることを言わなくちゃ。ふむ。

やっぱり、こうして生きているからには、この世の中のいろいろな面白いことを勉強したいですね。ずっとやりたいやりたいと思っていて、ぜんぜん実現していないことがたくさんある。たとえば、コンピュータを利用した音楽づくりとか、自然言語処理とか、量子情報理論(に立脚した新しい量子論理)とか、フランス語とかドイツ語とか。それから、これは仕事がらみで乗りかかった舟という感じだけど、機械学習とか、確率解析とか。いっぱいある。しかし、これを一度に全部やろうなんて思ってしまうから、すぐパンクして、何ひとつ実現できなくなってしまう。俺は器用な人間ではないのだから、一度に二つ以上のことを考えることができない。なので一つずつ取り組んでいくほかない。優先順位をつけなくてはならない。

そう。いつも、ここまで考えてうんざりしてしまうんだ。

俺はいわばこの世界に物見遊山にやってきたツーリストで、行ってみたい場所とか見てみたい景色がたくさんある。だが、一度に全部の場所に行くことはできない。あの建物やあの景観を自分の目で見たければ、それぞれの場所に足を運ぶことだ。それはそのとおりだ。だけど、たとえ「あの有名な観光スポット」に辿りつけなくても、自分の足で歩けばいろいろな発見があるというのは、経験上知っていることじゃないか。優先順位がどうたらなんて、俺らしくもない。いいから動き出すことだ。とにかく、たくさん本を読むことだ。そして手を動かして勉強しよう。

というわけで、朝のうちに近所の神社にお詣りして、学業成就のお守りをもらってきた。まあそれは、今年いよいよ高校三年生になる倅のためなのだけど。近所の神社でも、午後に行った井手神社でも、たまたま小銭がなかったこともあって、おみくじをひかなかった。きょうは笹原和俊『フェイクニュースを科学する』(DOJIN文庫, 2021年)を読み終えた。昼食にはレトルトのカレー、夕食にはひとり鍋。

あ、そうそう。もっと身近な目標として、最近たんなる生存報告に成り下がっている「て日々」をもうちょっと充実させたい。そしてそのためにはもちろん毎日を充実させるほかない。日記に限らず、自分が運営するウェブサイト、とりわけ なげやりアカデミア に、もうちょっと手を入れたい。