て日々

2019年12月

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夢の内容がちと気に入らなかったことを別にすれば久々によく眠れた気がする。午前中、数日ぶりにシャワーを浴び、髭も剃ってリフレッシュする。

某所に講演のアブストラクトを送る。これは数行のものだが、来月中に10ページほどのやつをひとつ書き上げねばならないのでもある。それについても紙のノートでアイデアを練る。まだ形らしい形は見えない。連載記事の執筆こそ終わったが、ありがたいことに、来年も年明け早々、いろいろやることがあるというわけだ。

夕食には妻が差し入れてくれた蕎麦を食った。その後はEテレでN響の第九コンサートを視聴。家から出られないなりに気分は悪くない平和な年越し。

さてこの1年を振り返ってみよう。年頭に掲げた抱負はこうだった

「あの本とあの本」と言ったのが、どの本とどの本のことだったか、もう思い出せないが、あの本とあの本のことだとしたら、あの本は自分の担当部分のカタはついている。もう一冊のあの本のほうはあと少しのところで滞っていて、これもできれば来年1〜2月のうちになんとかしたい。ところが、他に全然手のついていないあの本やあの本もあって、本の原稿は遅れがちだ。いっぽう、雑誌記事の原稿の締切りはどうにか守ることができた。休肝日がいちばん崩れやすいかと思っていたが、毎週もれなく1回以上を確保できた。鯖鮨の件はさっぱり手つかず。ピアノは短時間だがほぼ毎日。いっぽうフルートとサックスはほんの時たましか練習できなかった。眉間に皺のよらない表情を心がける。これは自分では評価が難しいが、以前より「怖い顔」をしている時間は減ったと思いたい。

みなさまよいお年をお迎えください。

頭痛もだいぶ治まってきた。食欲も戻ってきた。ありがたいことだ。

病気になってみると、普通の状態に戻るというだけのことが嬉しくて仕方がない。面白いもので、それなら、常日頃、普通であること喜んでいられるかというと、なかなかそういう心構えになれないものだ。俺が普段あんまりアレもできないコレもできないと無能ぶっているのをみた神さまが、ひとつこいつに本当に何もできないというのがどういうことか教えてやろうといって、俺をインフルに(というのか、俺にインフルをというのか)感染させたんじゃないか、とかなんとか思ってしまう。常日頃の「できない」はつまるところ「やりたくない」の言い替えにすぎない。俺だって、年がら年中何がなんでも何もできないわけではない。できるときにはできるのだから、できるときにはできることをやろう。まだ外出するわけにもいかず、またその元気もないが、寝てばかりいるとロクな考えにならない。なにかインプットせねばならん。先日頂戴した田中一之先生の近著『山の上のロジック学園』(日本評論社)を読み始める。

夕方、兄から電話。用件は大したことではなかったが、見舞いの言葉をもらった。ありがたいことだ。

仕方がないから、年末年始は家に籠っている。このごろのインフルエンザ治療薬はたいしたもので、熱は昨晩のうちに下がったようだ。食欲もないのだけれども、薬を飲むためと自分に言い聞かせて、少しずつ食べた。

熱にうかされていると、自分の頭の中に壁や曲がり角や階段がたくさんあるような奇妙な感覚を覚える。

朝のうちに、近所の医者で診てもらう。やはりインフルエンザだった。薬を出してもらった。ひたすら寝る。年末の帰省は残念だがキャンセルだ。

午後、妻が食料を一山届けてくれた。ありがとう。

微熱があるので、家でおとなしくしていたいところだが、なにしろ課題提出締切日なもので、研究室に控えておらねばならない。昼すぎから夕方まで大学で本を読んですごす。

夜、熱が39.2度まで上がる。これはいけない。

雨である。電車で大学へ行く。古いパソコンの処分時期の通知がきたので、古いiMacとMacBook Proを廃棄処分にすると返事した。沖データのプリンタC5900dnも廃棄せねばならない。どの機材も長年にわたってたいへんよく働いてくれたものだ。

日中はもっぱら本を読んで過ごし、気付いたことをノートにメモする。

帰りは小雨の中を歩く。いつもと気分を変えたくて、普段通らない裏通りを歩いた。まあ、雨の夜道だからムードも何もないんだけどね。近所のファミマでファミチキを買って夕食の足しにする。昨日に引き続き休肝日にすると決めたので、ファミチキと一緒にキリンフリーを買ったが、帰宅してみると、なんだか飲む気がしない。少し風邪ぎみなので、夕食後は葛根湯を飲んで早めに寝ることにしよう。

県立図書館に行って本を借り替えた。中村桂子対談集『ゲノムの見る夢』(青土社)、カイザー・ファング『ナンバーセンス〜ビッグデータの嘘を見抜く「統計リテラシー」の身につけ方』(CCCメディアハウス)など、5冊を借りた。大学へ行って、昨日やり残したデスクの引き出しの整理を済ませた。夕方、フジグラン松山の4階へ来年のカレンダーと、なぜか家になかった油性マーカー(いわゆるマジック)を買いに行った。夕食はフジグラン3階のザ丼でかつ丼。夕食を済ませて帰るころには雨。天気予報を信じて傘を持ってきて正解だった。折り畳みの小さな傘なんでちょっと濡れたけどな。休肝日。

午後、書類戸棚の文書を整理して古い不要なものを処分した。その勢いでデスクの引き出しの整理を始めた。平成3年に着任して以来の給与明細とか預金通帳とかが、すべてデスクの引き出しに無造作に放り込んであるもんだから、けっこうなカオスである。それ以外にも細々としたつまらないものが、まあ出てくる出てくる。これは大変なことに手をつけてしまったわいと思い始めたころに、会議の時間になったので、書類の整理は明日に延長して、学部長室で新しいデータリテラシー科目についての相談。泥縄式でいろいろの勉強をして、1月半ばまでにシラバスを書かねばならず、正月休みがぜんぜん休みじゃなくなりそうな予感がする。

そのあと、ピアノのレッスン。どうしても、左手のリズムが固く重たくなる。ううむ。普段の練習でもっと左手を意識すべきなのだろう。

レッスン後は Garakta Cafe&Bar でクリスマスパーティー。プレゼント交換で電気式たこやき器を頂戴した。ありがたいが、いまの生活では使う機会がなさそうである。まあそれはともかく、牡蠣を食い、鍋をつついて、大いに飲んでバカ騒ぎをして、夜11時半ごろに帰宅。

午前中は天気がよかった。連載原稿の最終回の分を書く。二年にわたって連載させてもらったが、これを位相空間論のテキストにまとめ上げるには、うんと書き足す必要がありそうだ。

午後、3年生ゼミ。年末ということで早めに終わって、ゼミ室の掃除をする。いままでは大学院生nCoくんが1人でやらねばならぬのが気の毒で手伝っていたが、今回は3年生が4人加わったので、あっという間に済む。ありがたいことだ。部屋も喜んでいる。たいていの学生さんはそろそろ年内の授業はおしまいだ。3年生KRくんは、このゼミのあとすぐにバイクでしまなみ海道をわたって帰省すると言って、ゼミ室で着替えはじめた。どうぞ道中ご安全に。

ピチカート・ファイブが「世の中にはスイートやキャッチーがいっぱいあるよね♪」と歌ってからもう四半世紀が過ぎた。さて俺はこの世の中のスイートやキャッチーを味わいつくしただろうか? そんなことはない。俺は世の中の提供するレビューをすべて見つくしただろうか? そんなことはない。では、すべてを見るまでもなく、この世の中の提供するレビューの底が知れたと思っているのだろうか。だとしたら、その底とやらを誰にでもわかる言葉で明快に言語化しただろうか? それができれば、それだけでもたいしたものではないか。もちろん俺はそんなこともしていない。俺はただ、スイートを味わうのをやめ、キャッチーを面白がるのをやめ、レビューを見に行くのをやめてしまっているだけだ。それで「世の中がつまらん」「人生がつまらん」と言っているとしたら、つまらんのは世の中でも人生でもなく、俺自身である。生きやすい世の中ではないが、面白いかどうかは受け取り手の気の持ちようにかかっている。世の中に、まだまだスイートやキャッチーはある。それを見つけに行こう。何か意味のあることを語るには、それ以外に道はない。あまりに世の中に背を向けてばかりいたら、死んでから閻魔さまに「お前さん、わざわざ娑婆まで何しにいっとったんや?」と言われてしまう。

夜には大学時代の同期生NMBくんからメールで連絡があったので返事を書く。来年3月の数学会のときに会えるかもしれない。

朝、温泉に行く。普段より1時間ほど早くに行ったらそこそこ混んでいた。午後は散歩をかねて外出し、こまごまとした買いものをする。昼食にはラーメン。菊水の生麺を買うと3玉あるので1玉半ずつ昼食と夕食にあてる。夕食にはそのほかにもやし炒めを作った。年齢ということを考えて、湯浅景元『老いない体をつくる』(平凡社新書)という本を読んでみる。要点は、必要最小限の筋トレと、たとえばウォーキング。それから手を動かすこと、そして、新しい刺激に触れつづけること。

生きていればいろいろ不思議な体験をするものだ。きょうはなんかそういう日だった。不愉快な不思議さではなかったのでよい。詳らかにはすまい。ひとつだけ言うとしたら、久々にカラオケということをして、ろくに声が出なくなっているうえ、音程もとれなくなってることに気付かされた。これは残念な発見であった。

あまり書くことがない。出来事といえば、出版社の営業の人が来たのと、学生さんが質問に来たのと、あとは夕方から一昨日の図書室での作業のやりなおしをしたことくらい。あ、そうだ。昨日動かなくなった腕時計は裏蓋を開けてモジュールをとりだしてみたら動き出した。バンドとケースをきれいに掃除したら、リフレッシュしてまた使える状態になった。ただ、電池が消耗しているっぽいけど俺の技術では交換できそうにないので、どこかの時計屋に持っていかないといけない。

まだ肩がこり頭痛がするが、昨日のように危険を感じるほどではなくなった。午後の大学院のゼミでは、\(V=L\) のときサイズ \(\aleph_1\) のホワイトヘッド群が自由アーベル群になることの証明をおおむね済ませたが、途中のなんでもないところで手間どり、結局そこのディテールが埋められなかった。\((B,\mathbb{Z})\)-群の構成について師弟ともきちんと考えていなかったことが原因である。そんなこんなで12時40分に始めたゼミが17時にまでずれ込んだ。

この数年使っていた腕時計が電池切れか何かで動かなくなってしまった。たしかエミフル松前で2,000円ほどで買った安物で、3年ほど使ったからもういいかな。それで、夕方、フジグラン松山の2階で新しい腕時計を買った。値段は4,000円ほどだが、文字盤が大きいちょっとオシャレなやつだ。本当を言えばそろそろApple Watchを持ちたいと思っているのだが、なにしろYOGA Bookを買ったばかりだから、いますぐというわけにはいかない。

今朝はなんだか妙にハードボイルドな夢を見た。どうもこのごろ夢見が悪い。飯を炊き、豚肉とほうれん草の炒めものを作って朝食にする。厚い雲が空を覆っているが雨は降っていないようなので自転車で大学へ行く。

午後は障がい者修学支援委員会の会議に出る。学生さんと面談する。図書室で雑誌の在庫をリストと照合する。大学院ゼミに必要な文献のコピーをとる。刷りあがった名刺をキンコーズで受けとり、ピアノのレッスンに行く。レッスン後、いつもの Garakta Cafe&Bar が開いていない。まあよくあることなのでジュンク堂書店で30分ほど時間を潰してからもう一度行ってみるがまだ開いていない。あきらめて帰る。

図書室で作業しているときに何度も頭がクラクラした。通勤時に厚着をして重いリュックサックをかついでいるのと、長い髪を扱いかねていることがあいまって、ひどく肩がこるのだ。帰宅してすぐに肩と腰にサロンパスを貼った。

MacBook ProでiTunesを使っているときには問題にならなかっが、Macを使わなくなってから、CDのリッピングにはBlurayプレイヤーを使ってMP3に変換するということをやっている。そうするといろいろの情報がサウンドファイルに埋め込めない。それでLinuxパソコンにKID3-Qtというソフトをインストールしてタグを編集する。なんだかめんどくさいし、最近YOGA Book C930にiTunesをインストールしたことを考えると、なんだか遠回りしている感もないではない。とはいえYOGA BookにはCDドライブはないので、外付けCD-ROMドライブが使えるかどうか、そのうち試してみようと思う。

朝、なにやら実数値関数の集合に確率測度を入れようと四苦八苦する夢を見て目がさめる。三番町ガーデンプレイスカフェに行ってコーヒーを飲みながら数学史に関する本を読む。9時半ちょっと過ぎに大学に行くと『数学セミナー』2020年1月号が届いていた。巻頭のcoffee breakを池上さんが、ネット環境その他の充実で若者の学びがスピードアップしている現象について書いている。若者について期待こそすれ心配はしていないという趣旨であった。

大学で文献読みを少ししてから菊池誠(神戸の)と昼食に行く。かつれつ亭でひれかつ定食を食ってからジャルダン・ド・カファでコーヒーを飲みつつ仕事の話をして解散。大学に戻って3年生ゼミを見て、それからTGSAセミナー。そのあとキンコーズで名刺の校正をして、TGSAセミナーの懇親会に行く。

というわけで、わりかしよく動いた1日だった。

先日も言ったが最近寝坊ぎみになっていて、そのせいで午前中には特筆すべきことがない。午後、フジグラン松山とトマト書房に行く。実はトマト書房には昨日も立ち寄っていて、中央公論社「世界の名著」シリーズのトマス・アクィナスの巻に目をつけていたのだが、今日行ってみると、誰かに先を越されたと見えて、その巻がなくなっていた。こればっかりは仕方ない。ジャズのCDを3枚とユング『個性化とマンダラ』を買って帰る。

夜は突然やってきた菊池誠(神戸の)と会食。急用があったわけではなく休養をとりつつ原稿書きをしに来たらしい。ダイワロイネットホテル松山1階のピッツェリア「サルヴァトーレ・クォモ」でワインを飲みながら、日本を代表するあのロジシャン(物故者)のことやら、仕事のことやら、いろいろと話をした。その中で、菊池が俺の最近の言動について忠告してくれたことがある。たとえば今月7日のこのツイートの、若い人に自由な時間を与えたいという趣旨には、基本的に菊池も同意する。だがそれをツイッターのようなSNSで言ったとしたら、読者は圧倒的に若い人たちだ。俺はこれを自分と同年代の大人たちに向けて呼びかけたつもりだったが、若い人たちに向けたメッセージとして読めば、若い人たちにとって重荷にしかならない、大きなお世話ということになる。ふむ。自分が若いころを思えばそれはそのとおりだ。俺はやりたいようにやる以外の生き方を知らないし、自由にやりたいようにやらせてもらったことを篠田寿一先生や角田譲先生に感謝しているが、だからといってその当時に「お前のためにお膳立てしてやったぞ」と言われたかったかといえば、やはり言われたくなかっただろう。そういうお節介なことを言いつのるのは、自分に自信のない年寄りにありがちなことで、「若い人のためを思って」ということを、仕事のできない自分の免罪符にしているのだ。こういうときの菊池の鋭さには脱帽する。そういう心理的メカニズムがあることは、たしかに自分でもうすうす勘づいていた。菊池が言うには、大人は黙って仕事をすべきだ。本当に若い人に自由を与えたいと思うなら本当に政治をして学生の自由を確保すべきだし、俺のようにそれができない人間は割り切って芸人に徹するべきだ。俺が森毅や倉田令二朗の芸風を慕うように俺自身が俺の芸に磨きをかける他はないのだ。この批判はこたえた。たしかに奴の言うとおりだ。ふむ。ツイッターでの発言や「つどい」とのつきあい方も含めて、考え方を改めるべき時なのかもしれん。

午前中、温泉に行った。帰りにマルナカでやきそばを買って昼飯にした。具は豚肉とほうれん草。午後は少し昼寝をしたあと、ダグラス・アダムスの「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズ最終話『ほとんど無害』(安原和見訳・河出文庫2006年)を読み始める。夕方から外出。いろいろの資金の移動をしたあと、キンコーズに行った。名刺を作ることにしたのだ。きょうテンプレートに流しこむ文言の指定をして、月曜日に校正して、火曜日に仕上がる。

名刺の注文を済ませたあと、すぐ近くのはなまるうどんで夕食。銀天街の明屋書店の店先のワゴンにあった安いジャズのCDを買って帰った。深夜までかかって『ほとんど無害』を読了。なかなかブラックな終わり方だった。

さらにその後、とあるSNSのチャットにて、とある方の相談に乗る。「よい行い」とか「主観と客観」とか「自由」とか、そういうものについて考えさせられる。とはいえ倫理学や認識論や形而上学について語りあったわけでは決してなくて、セミナーの指導のしかたとか、そういう話だったのだけれども。

このところずっと朝起きられなくて困っていたのだが、昨日いろいろな人といろいろなことをしゃべったせいか、昨晩早めに寝たせいか、単に好不調の波の具合なのか、今朝はちゃんと7時に起きることができた。朝食をとりシャワーを浴びて、三番町ガーデンプレイスカフェに行き、昨日読みかけた「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズ第4冊『さようなら、いままで魚をありがとう』を読み終えた。前の3冊とすこしトーンが違って、ラブストーリー仕立てになっているのが新鮮で(途中で「リア充爆発しろっ!」と思わないでもなかったが)面白かった。

幸いにもこれまで何箇所かに書いたものを発表させてもらう機会を得た。ところが、いつもサボってばかりで着手が遅く、力を出し切れない。それで、つまらぬものを発表してしまったと、あとになって思うハメになる。それでまた仕事ができなくなる、典型的な自己嫌悪スパイラルで、最近では「手をこまねいていること」が一番得意なことになってしまっている。だが、俺がどういう経緯で心理的ブレーキをかけるようになったか、そんな事情など、書かれたものやその読者には、何の関係もないことだ。俺の書くものに価値があるかないか判断するのは読者であり、書いたものがなければその判断すら不可能なのだ。書かねば話にならん。

烏滸がましいかもしれないけど、『さようなら、いままで魚をありがとう』の巻末の「訳者あとがき」まで読んで、俺ももっと饒舌にいろいろなことを書いていいんだ、むしろ書くべきだと思った。いやもちろん、SFやラブストーリーを書くという意味ではないのだが。

俺は書くことで自分の考えが形を得るのを見るのが好きなのだ。だからこそ「て日々」もなんだかんだ言って長く続いている。読んでくれる人がいるのかどうか知らないけれども。で、人に読んでもらうに値するものを書くためには、インプットが必要だ。アウトプットは無からの創造ではなく、キュレーション、あるいはブリコラージュなのだから、意味のあるアウトプットを生むためには、たくさん読まねばならないし、他の人の話を聞かねばならない。幅広く経験しインプットせねばならない。というわけで、ひとまず好奇心は雑多でよいのだと思うことにする。

午後、学生寮の運営に関する会議に出る。それ以外の時間は、思うところあってもっぱら国立科学博物館編『科学を伝え、社会とつなぐ サイエンスコミュニケーションのはじめかた』(丸善出版2017年)という本を読んで過ごす。

夕方、nCoくんが来て、冬休み前にどっかにメシ食いに行きましょうよと言う。来週の金曜日にするつもりでネットで店を探していたが、たまたまそのとき俺はとても腹が減っていたので、もう今日行っちまおうよという話になった。それで平和通の「やみいち」という焼肉屋に行ったら、これがとても旨い肉で感激した。安くはなかったが。nCoくんとは店の前で分かれ、理由あって Garakta に移動。ウィスキーを2杯飲み常連さんたちと少し話して帰った。

午後、街へ歩いていく。天気がよく、厚着をしているのがアホらしいくらいだ。楽器店でピアノの月謝を半年分先払いしてから、銀天街のサンマルクカフェに来た。平日の昼下がりにカフェで談笑するのは小母さまたちばかりかと思ったが、そうでもない。PCを広げてパワーポイントか何かで作業するビジネスマン風の男性と、シャーペンを片手にラメ入りの表紙のノートブックに何かを一心不乱に書き込んでいる若い女性の間の空いている席について、ウィンナ・ラテを飲む。斜め前の席の若い男女が早口で会話しているのがどうやら韓国語だと気付くのに20分近く要する程度には、店はガヤガヤしている。昔の喫茶店とはまた違う形だが、こういうのも悪くはない。

そのあと、まつちかのBALに立ち寄った。これまでお客の少ない時間にしか行かなかったせいもあって知らなかったが、ここはJリーガー(本物)やら、カウボーイ(たぶんコスプレだが靴に拍車がついている程度には本格的)やら、一級建築士と会計士の陽気な夫婦やら、妙に濃い人たちが入れ替わり立ち替わりやってくる店なのだ。いつもの飲み屋に来たつもりが異星人の集まる銀河のはずれの酒場に転送されていたみたいな気分だが、その異星人たちに言わせると俺もなかなかのエイリアンっぷりだったらしい。「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズの読み過ぎかな。

Mathematical Logic Advent Calendar 2019の11日目の記事を書いたPDFが無事公開された。決定公理がらみの記事は今回妙に多いので、古い「て日々」に書いたものの焼きなおしにすぎない俺の記事など蛇足もいいところなのだが、まあ、枯れ木も山のにぎわい、というやつだ。

ただ一人のゼミ生nCoくんの要望により大学院のゼミはお休み。ただし、夕方、図書室で雑誌の整理作業をしているところへnCoくんがやってきて、\(\diamondsuit(E)\) から定理6.1が出てくる証明が自分でつけられんというので、図書室のホワイトボードを使ってひととおり説明。

ダクラス・アダムス「銀河ヒッチハイク・ガイド」シリーズの残り3冊が届いた。そのうちの『宇宙クリケット大戦争』(安原和見訳・河出文庫2006年)を読んだ。

風邪ぎみなので葛根湯を飲む。休肝日なので酒は飲まない。

あんまり書くことがない日。洗濯をする。ピアノの練習をする。大学に行く。学生さんが質問に来る。ドイツ語の論文を読む。ピアノのレッスンに行く。書店に行く。Garakta でウィスキーを3杯飲む。飲んでいたら外人の若い女たち4人のグループが店に入ってきてクリスマスソングを歌いだした。なんかの募金をしているらしい。まあ昔の「流し」みたいなもんか。

書店では『サイエンスコミュニケーションのはじめかた』(丸善出版2017年)という本ほか2冊を入手。先日 のうこ(←若い友人で医師で哲学徒)と話していて思ったが、科学コミュニケーションはこれから真剣に考えるべき広く深い問題だ。「科学者と公衆」あるいは「科学者と政治家」というチャンネルの重要さもさることながら、俺としてはとりわけ、専門を異にする専門家どうしのコミュニケーションの問題が厄介ながら重要だと思っている。あとの2冊は竹村彰通『データサイエンス入門』(岩波新書2018年)とアレックス・ラインハート『ダメな統計学』(勁草書房2017年)。統計の誤用・濫用というのは、これまた広い意味では科学コミュニケーションの問題である。

足立恒雄先生から『よみがえる非ユークリッド幾何』(日本評論社2019年)が届いた。拙訳『キューネン数学基礎論講義』(日本評論社2016年)と相互に贈りあう形で交換したのだ。俺はなにせ、いわゆる集合論のアンチノミーよりは非ユークリッド幾何の確立のほうがよほど《数学の危機》だったんじゃないかと疑っているので、足立先生のこの本も読むべき本のリストに載っているのだ。

午前中はA.A.フレンケルの1920年代の論文に向きあう。公理的集合論の沿革を知りたいのだが、ドイツ語がろくに読めないので、なかなか苦しい。午後は3年生ゼミ。火曜日が時間割的に不都合なメンバーが出てきたので協議して月曜日に変更したのだ。主なお題は作図題で、KDくんの調べてきた正五角形の作図法が、正しいのは正しいのだろうけど、そのことの確証がなかなか得られず、一同首をひねる。

ゼミのあとはAlweさんMathematical Logic Advent Calendar 2019の11日目の記事の推敲。…などと書くと、一日じゅう仕事ばかりしていたと思われそうだが、一日じゅうボケっとしていたという見方もできる。その証拠に、帰宅時にWiMAXルータを研究室に忘れて帰ったりしている。

実際休んでみると、予定のない4連休は長すぎる。洗濯をし、ピアノの練習を少しして、昼食のピザを作り、『宇宙の果てのレストラン』を読み終えてから散歩に出る。といっても特に行くところはないので、ひとまず研究室に寄って連載のゲラをプリントアウトし、大街道のスマートラボでiPhoneのケースを新調し、湊町のオレギョでビールを飲み餃子を食った。秋分の日にナンポーさんに連れられて来て以来で、オレギョに来るのはまだ2度目だが、店長のまさやんがちゃんと俺を覚えてくれていて嬉しかった。

しかし、きょうはそれより何より、LINEで高校時代の部活の同期の面々との会話が盛り上がって楽しかった。15歳とか17歳とかの頃の写真が続々と流れてきたり、新年会の予定を相談したり。

朝、久々に温泉に行った。「いつもの温泉」に行くのは、記録に残っている限りでは6月以来だ。サウナに入ってリフレッシュしてきた。

午後、YOGA BookにiTunesをインストールして、古いMacのバックアップから音楽のデータを引き継ぐ。プレイリストの情報は消えてしまったから、それはおいおい作り直すことにする。

茂木健一郎『結果を出せる人になる!「すぐやる脳」のつくり方』(河出文庫)という長いタイトルの本を読んだ。俺は、数学者の禄を食みながら研究論文がちっとも書けないでいることに引け目を感じていて、そこからくる焦りと心理的ブレーキが思考の自由を奪っている。そういうブレーキを解除する必要があると思い始めた矢先のことなので、いろいろ参考になったし、常日頃から俺が言っている「学生たちにもっと自由な時間を!」という主張に通じるものもあって心強く感じた。

iTunesをインストールした勢いで、昨日小説を読んだ『銀河ヒッチハイク・ガイド』の映画版をiTunes Storeでレンタルして観た。小説とはかなり違うものになっているが、これまた面白かった。なので夜には小説版の続編『宇宙の果てのレストラン』を買いに書店に行き、その足でGaraktaに行って例によってウィスキーを3杯飲んで帰ってきた。

先月24日の休日出勤の代休のため、昨日に引き続きお休み。昨日買ったイカを料理したり、ダグラス・アダムス『銀河ヒッチハイク・ガイド』(安原和見訳,河出文庫)を読んだり。キッチンタイマーを買いに出かけたり。イカは墨袋がほとんど空っぽだったので、普通のトマトソース煮込みになった。キッチンタイマーは100均で買ったのが壊れてしまったのだ。あと、YOGA Book C930に挿したMicroSDカードを256GBのものに交換し、「ドキュメント」「ダウンロード」「ピクチャ」あたりをこちらのドライブに移動した。起動ドライブに余裕をもたせたいから。それに、今さら感はあるがYOGA BookにiTunesアプリを入れてもいいかなと思っているのだ。

休肝日。

年休消化のためのお休み。県立図書館に行って本を借り、市役所にマイナンバーカードを取りに行き、日曜日に買った頼まれもののCDをまつちかのBALに持って行き、さらにお使いを頼まれて銀天街のmono-clipにワイングラスを受けとりに行き、電話で美容院の予約を入れ、ジュンク堂書店に行き、ブックオフに行った。ダメ押しにフジグラン松山でイカを買った。

ゼロ・シャープの記事も書きかけだが、Mathematical Logic Advent Calendar 2019にまだ埋まっていない日がいくつか残っていたので、この「て日々」で2012年10月に書いた決定公理がらみの記事をリメイクして、11日目に寄稿することにした。そんなわけで、家にいる間はもっぱら日記に書いた記事のLaTeXへの移植作業。11日の寄稿予約をした数時間後にもう一度見に行くと、カレンダーの日付が全部埋まっていた。よかったよかった。

夕方に美容院に行った。春分の日に行って以来、ざっと9か月ぶりである。前回担当してもらった綺麗かわいい美容師さんに今回もお願いした。長さはあまり変わっていないが、かなり量をすかして軽くなった。そのぶん首まわりが寒いので、これからのシーズンの外出にマフラーは必須。

朝、目が覚めて寝床でボンヤリしていると、昨晩公開したPDFのスコーレム関数あたりの話にちょっと間違いがあるのに気づいた。起きて応急処置的に書きなおして再アップロード。その後、大学に行って、午前のうちにラムゼイ基数からのゼロ・シャープの存在証明を書き足し、またアップロード。これでもまだ完成とはいえない。

大学院ゼミではエクロフの論説のセクション5を読んだ。ゼミのあとは学部の会議。夕方には妻子に東京のお土産を届けた。お返しに妻が料理したものをくれたので、それで夕食を済ませる。水曜日は定例の休肝日。

昨日に引き続きゼロ・シャープの記事を書く。こういうことをやると、自分のものごとの理解がいかにアヤフヤなものであるかを痛感させられる。なるべくコンパクトに、しかもあまり専門的でなく書く、ということには、真の専門家の力量が必要なのだろう。とかなんとか語っている場合ではない。今夜には公開される記事なので、とにかく今日中に形にしなくてはならない。

午後、3年生ゼミ。急に方程式論の話になって一同困っている。3年生ゼミのあとも引き続きゼロ・シャープの記事を書いて、少し調子が出てきたかな、と思ったらピアノのレッスンの時間まであと10分と迫っている。こりゃいけない。大慌てで自転車を飛ばす。

レッスン後はGaraktaでいつものように3杯飲み、家に帰って簡単な夕食のあと、物書きに戻る。11時半ごろにはどうにかゼロ・シャープの定義にたどりついた。このゼロ・シャープというやつ、定義だけでは何のことやらわからないのだが、さりとて約束は守りたい。未完原稿であることを朱書きで明記した上でPDFをアップロードする。本当なら、可測基数が存在するならゼロ・シャープも存在する、という証明と、ゼロ・シャープの存在・不存在に応じて成立するいろいろな命題の紹介をすべきなのだ。時間を見つけて補完・改訂せねばならん。

AlweさんMathematical Logic Advent Calendar 2019の4日目の記事を書く約束をしているので、いいかげん準備せねばならん。ゼロ・シャープのことを書くのだが、その一部として可測基数上の正規超フィルターの存在とラムゼイ型定理の証明を書いたら、けっこうくたびれた。

午前中の飛行機で松山に戻り、ちょうどお昼ごろに帰宅。天気がよいので洗濯をし、まつちかのBALで昼食のピザを食いワインを飲んで、花園町のスタジオMへ向かう。きょうは音楽教室の先生たちの演奏会があるのだ。出演はソプラノの菊池先生、ピアノと電子オルガンの下橋先生、ピアノの手島先生、ヴァイオリンの原瀬先生。曲はバッハあり、「千本桜」あり、クリスマスソングあり。やっぱり音楽は生がいい。ワインの酔いも手伝って、聴いていて何度もウルっと来てしまったよ。音楽は素敵だ。音楽のある世界に生まれてよかったと思う。先生たちに敵うはずもないが、俺も練習をがんばらなくちゃ。

演奏会のあと一度帰宅して、第2弾の洗濯ものを干し、今日が返却期限の本をもって県立図書館へ行った。今回は特に何も借りずに図書館を出て、大街道へ。BALのワダさんに頼まれたCDをDUKEで買う。