て日々

2019年8月

目次へ

朝の電車で松山を出発し、大阪へ向かう。第2回数学カフェ@関西に参加するためだ。講師は松森さん。曲線と曲面の微分幾何のレクチャーをなさる。小林昭七『曲線と曲面の微分幾何』の内容をベースに、空間曲線のフルネ=セレの公式から始めて、ガウスの《驚異の定理》で終わる5時間のコース。クリストッフェル記号や曲率テンソルがからんだややこしい計算もきちんと説明してもらった。とても有意義な時間だった。閉会後は会場近くの中華料理店で懇親会。

懇親会の話のなかで松森さんに「クラスって何なんですか」という質問をもらったので、ひとまず「朝起きて、仕事行って、帰りに一杯ひっかけて、あと家で風呂入って歯磨きして寝る。これが《くらす》やな」とベタにかましたった。もちろんそのあとで、集合論におけるクラスと集合の区別についてひととおりマジメな説明を試みたが、そちらのほうはイマイチわかりにくかったようだ。

あとで考えたら、いきなり《クラス vs 集合》で説明せず、より基本的な《クラス vs 個物》の話からすべきだった。それに、松森さんの話に出た曲面論における《内在的な量と外在的な量》の対比のアナロジーで、集合論にも(というかすべての数学的構造に)対象を見る複数の観点がついて回っている。そのあたりのことを話せればよかったのだけれど、それは後知恵だ。きちんと考えを整理してどこかで一度まじめに書かくか話すかしないとな。

解散後は京都に移動し、夜10時すぎに実家に到着。

昨日の雨に懲りて、日中は傘を持って電車で移動。楽器店に行って11月の音楽教室の発表会にエントリーしてきた。職場のホームページをほんの少し更新した。夜には明日からの旅行に備えて荷造りをする。

来週は出張で、いま借りている本の返却期限日に県立図書館に行けそうにないので、きょうのうちに行ってきた。雨が止んだスキに自転車で行ったのだが、閲覧室でしばらく本を見ているうちに、窓の外がまた雨になった。仕方がないので雨が止むまで待って、自転車で帰った。

夕方には医者に行く。これまた雨が止んだスキに自転車で行ったのだが、今度は帰りがちょうどどしゃ降りの通り雨のタイミングで、靴からズボンからびっしょり濡れてしまった。持っていっていたコリンズの本が濡れずに済んだのがまだしも幸いだった。

ずぶ濡れになって帰宅し、シャワーを浴びて着替える。着替え終わるころには雨は止んでいた。気をとりなおして夕食に出かけたいが、ズボンと靴をどうするか。代わりの靴は黒のフォーマルしかないから、半ズボンというわけにいかない。濡らしてしまったやつの他にもスラックスはあるが、丈がちょっと短かめでなんだかカッコ悪い。まあしかし背に腹は替えられない。その格好でフジグランに行った。そしたら、先週金曜日と今週火曜日に Garakta で顔を合わせたある若者にフジグラン店先で遭遇した。こんなふうにお互い笑顔で挨拶できる相手が増えたのはいいことだ。家で独り飲みしていたら、いつまで経っても友達は増えない。

夕食はマクドで済ませ、それだけではアレなので、野菜ジュースを買って帰宅後に飲んだ。

夏休みのせいか、キャンパスも静かだし、隣りの中学校も静かだし、この数日は仕事関係のメールもずいぶん少ない。サマースクールの講義本編の内容を考える。半年以上前にひととおりのことは書き出してあるので、内容をセレクトして90分×3回にまとめあげるのだ。その他に、学部の会議に出る。結城浩さんの本のレビューについて学生たちに連絡する。知識社会学者ハリー・コリンズの本を読む。家に帰ってピアノの練習をする。水曜日は定例の休肝日。

朝のうちに連載原稿を確認して編集部に送り、それから数学基礎論サマースクールの講義第0回のスライドに若干の図と視覚効果を追加してお粗末ながら完成したことにして、ハンドアウト版を「なげやりアカデミア」に置いた。ちょっとひと息つける感じだが、このあとにはサマースクール本編の講義の準備が待っているのである。本編の3回の講義については、スライド作りは絶対に間に合わないとわかりきっているので、黒板を使うことにする。

夜にはピアノのレッスンに行き、発表会の曲と、2月に予定されている出番の曲を先生と相談して決めてきた。詳しくは本番が近付いてから言うけれども、どちらもクラシック系。仕切り直して丁寧に練習したいものである。レッスン後、いつものように Garakta Cafe & Bar に行った。今日はじめて来たという同年輩の紳士と意気投合。何人かのお客さんと連絡先を交換したり、再来週のコンサートの情報をもらったりした。ふむ。家で一人で酒を飲むなんてことはやめて、機会を捉えてこういう気軽な店に飲みに出るほうが、精神衛生上もよほど好ましいな。

講義のスライドは一段落したものと無理矢理決め込んで、連載の11月分の原稿を書く。

一時期と比較してツイッターでの口数がずいぶん減ったと自分でも思う。俺が他のことで頭が一杯ということもあるし、タイムラインを見ていてもあまり楽しい話題が流れてこないということもある。だが一番の理由は、このごろ気の利いたダジャレが浮かんでこないことだ。まあツイッターに関してはなんというか、このままつかず離れずでもいいかなと思っている。自分としては、むしろ「て日々」を充実させたほうがいいし。

狭いアパートで、倅に布団を譲って部屋の隅で寝るので少々寝苦しい。5時半に起きて朝食と弁当の用意をし、6時半に倅を起こす。8時に倅が模試に出かけてから、模試が終わる14時半ごろまで、スライド作りを少し進めた他は、ひたすらグダグダ過ごした。

倅が泊まりに来たので食事等々の面倒をみる。昼飯は味噌ラーメン、夕飯は天津飯にした。明日は倅が模試を受けに松山大学に行くというので、出発時刻等々を打ち合わせる。

昼間は家にいてサマースクールのスライド作り。順序数の定義まで作ったが、まだ基数の議論が残っている。しかも、このスライドは4回の講義の1回目の分なのだ。2回目以降は黒板を使うつもりではあるが。

夜はピアノの本番。楽器店主催の「大人の夕涼みコンサート」だ。20組ほどの出演者がいろいろな楽器で思い思いの曲を演奏する。小柄な女の子が驚くほどダイナミックなピアノを聞かせてくれたり、一瞬で空間をジャズバーに変えてしまうソロピアノのお父さんや、映画の一シーンのようにクラリネットを聞かせるお姉さん、大人な音色でラフマニノフ「ヴォカリーズ」を弾くチェロのお兄さんもいて、かなり充実のプログラム。俺は桑田佳祐の古い曲を弾いた。会場のピアノはスタインウェイ。客席側では豊かすぎるほどによく響いて聞こえるが、弾く側では聞こえが全然違っていて、弾きはじめにそれで戸惑う。耳が慣れてくるころには、曲は終わり近くになっているというありさまで、要するにヘボヘボな演奏になった (いや、もちろん楽器の聞こえ云々は言いわけで、常日頃の練習の足りないのがいけないのだけどね)。

終演後の懇談の時間には、いい演奏をした人たちに個別に挨拶に行って、いい演奏だったと言葉ではっきりと伝えた。そういうことって大事だなと、ようやく少しわかってきたのだ。演奏会は夜10時前にお開き。自分の演奏があんまりヘボかったので、バーでひとり反省会でも、と思っていつもの Garakta Cafe & Bar に行ってみたら、大入り満員で、聞けば、常連のナンポーさんのお誕生パーティーをしているという。それでご相伴にあずかり、夜中まで飲みつつおしゃべり。帰宅したのは1時過ぎだ。

午前中は大学院入試と会議。午後はいろいろの文献読み。思いがけない雑誌から原稿依頼が舞い込んだ。これについては後日あらためて。客観的には平穏無事な日々だが、どうも精神の脆弱な俺のような人間には夏休みはメンタルが厳しい。

昨日の日記にあんなことを書いたが、さりとてきょうからすぐに日記が充実して面白くなるというわけにもいかない。なにしろ、日常の仕事の内容についてあまり詳らかに書くわけにもいかないからな。

来月上旬の数学基礎論サマースクールの準備に着手。いや、だいぶ前から準備は進んでいるのだが、ようやく初日の講義のスライドづくりに着手したという意味ね。ときおり手を休めて『圏論の道案内』を開いたりしつつ、90分の講義の半分くらいの内容を半日がかりでTeXファイルに打ち込む。45分でしゃべる分量にしちゃスライド枚数が多いが、そのへんは全体を大まかに作ってしまってから調整する。初日は本題に入る前の予備知識で「集合の濃度」「順序数」「基数」といった話を90分でやるのだ。初日はそのほかに、菊池さんが俺の前にロジックの基本について、俺の次のコマに酒井さんが集合論の公理的展開について話すという予定。聞くところによると今年のサマースクールは参加者がずいぶん多いそうで、テーマに対する関心の高さがうかがわれる。こいつはおっかない。いいかげんな話はできないぞ。

夕方、ピアノのレッスンに行く。金曜日の本番直前のレッスン。ミスらないように頑張ったりすると、かえって弾けるものも弾けなくなる。無駄に力むことがないようにだけ気をつけて、金曜日まで練習する。

レッスン後、いつもの Garakta Cafe & Bar は開いていない。きっと遅めのお盆休みなのだろう。ジュンク堂書店に行って、西郷甲矢人・能美十三『圏論の道案内』(技術評論社2019年)と遠山啓『数の不思議』(国土社1974年/SBクリエイティブ2014年)を購入。

倅が川添愛『数の女王』(東京書籍2019年)を読んで整数の性質を面白がっているようなので、その線で何か読めそうな本を買ってやろうと思って『数の不思議』を選んだ。扱っている題材は初等的だが、いろいろの事実にちゃんとていねいな証明がついている。『圏論の道案内』は圏論の初歩を饒舌な対話形式で案内してくれる。面白いが、語り口に特徴というか癖がある。特徴のある文体は、慣れるまで読むのがしんどいのは確か。

しかし、それは俺が書くものも同じことだろう。考えてみればこの「て日々」だって、ずいぶん妙な語り口である。だってこうしか書けないんだもん、と言いわけしたくなるが、そういう言いわけは、いろいろな本を幅広く読んでいろいろな書き方を試みるという努力をした上でないと許されんわな。俺はもっといろいろな本を読み、もっといろいろな文章を書くべきだ。「て日々」の内容だって、ダラダラ書いていないで、もっと充実させるべきだ。日記の内容を充実させるというのは、つまり日々の生活を充実させるということ。だがそれは何も、毎日をイベントだらけにするという意味ではない。

ひとまず、ぼんやり過ごすのをやめようね。

お盆休みが明けて大学に戻る。『数学セミナー』9月号が届いている。「エレガントな解答を求む」の出題者として大学院の先輩であり恩人である米澤佳己さんが登場しているのが嬉しい。見れば、若い頃からの米澤さんのお気に入りの問題である。詳しくは誌面を見てほしいけど、これ、選択公理を使って非構成的に作るなら濃度の議論を使って一発でできるし、少し工夫すると選択公理なしで作れるので、そのあたりも含めて、楽しんで解いてみてほしい。

いつものように、日中眠くて仕方ない。夕方になってようやくエンジンがかかり出したので、『朝倉数学辞典』などの資料を繰って、《クリフォード代数》について調べる。といっても、まず定義を確認した程度。思っていたよりシンプルだが、ちょっと奇妙な定義で、こう定義したい気持ちはすぐには伝わってこない。知りたいのはその《気持ち》のほうなのだけどね。

たとえば、俺がいま『数学セミナー』で連載させてもらっている位相空間の抽象的な議論にしたって、初めて触れる人は、まさにこの、気持ちがわからない歯がゆさを味わっているはず。どうやら、数学を学ぶにあたっては、気持ちのわからなさ、歯がゆさは、不可避でユビキタスなものだ。

数学者のセミナーでは「これの何が嬉しいかというと」という言葉がよく出る。定義の気持ちや定理の意義を説明するときの、ひとつの決まり文句なのだ。プロの数学者だって、議論の途中では、気持ちがわからなくて道に迷いそうになるのだ。数学を学ぶには、息を切らせながら山道を登る胆力というか脚力というか、そういうものが必要だ。ずっと登っているうちに、ときおり見通しのよい峠にたどりついて、先の景色が広がる嬉しさを味わう時がくる。まあ、俺自身は、現実の脚力も、数学の議論を追う気力も、もうすっかりダメになったけど。

朝食。ピアノの稽古。県立図書館。近所のスーパー。昼食。昼寝。読書。妻からのメール。夕食。それから、明日以降のための惣菜づくり。しかし、休日を二日続けてこんなふうにダラダラと無為に過ごしてしまうと、夜に気分が沈んでしまう。

いたってのんびりと一日を過ごした。いい天気なので昨日までの旅行で着たものをひととおり洗濯した。昼飯にゴーヤと豚肉の炒め物を作った。いつものように、多めに作って冷蔵庫に保存。ひよこ豆を炊いてこれも保存。

ペンローズ『心の影』第2章のゲーデルの定理に関するディスカッションをひととおり読んだ。ペンローズが採用している解釈(ある種のプラトニズムを含意するものとみなす解釈)は、ゲーデルの定理に対する《ふつうの数学者》の反応としてごく自然なものだと、俺には思える。

いや、《ふつうの》というのは、ロジックの専門家ではないという意味であって、決してペンローズが数学者として《ふつう》という意味ではない。それに、ふつうの数学者がゲーデルの不完全性定理をふつうに学べば、ペンローズと同じ見解が自然に出てくる、などと言うつもりもない。凡庸な数学者だったら、むしろ「自分の研究している数学の問題が独立命題だったら怖いな」という程度の浅い感想を持ってしまうかもしれない。ペンローズの見解が数学者にとって自然なものに思えるのは、ゲーデルやテューリングの業績をまっとうに理解し疑問点を詳しく検討したうえで、現場の数学者のもつ、「証明」と「理解」の違いの感覚とか、あるいは「論理」と「直観」の相補性の感覚に、ペンローズが明晰な表現を与えているように思われるからだ。

とはいえ、本書のテーマはロジックでも数理哲学でもなく、心の探求のための新しい物理学を探ることだ。そして俺がそれを読む目的はまた少し違って、まあいろいろあるのだけど、いずれにせよ、さらに読み進めなくちゃならない。

というわけで、すぐに『心の影』第3章へ進んでもよかったのだが、先週までに半分ほど読んでいた竹内薫『ペンローズのねじれた四次元[増補新版]』(講談社ブルーバックス2017年)を手にとって読み終えた。途中で『心の影』の(たぶん第2部の)内容に言及されていて、ちょっとネタバレ感があった。まあ小説やマンガではないので、それはかまわないのだけれど。

母と倅と3人で京都アバンティの銀座ライオンで早めの昼飯を食い、俺と倅はその足で新大阪へ移動。松山へ戻る。松山駅に着いたのは18時半ごろ。妻が迎えに来てくれていた。

帰りの電車では倅は赤塚不二夫のマンガの《目ん玉つながりのおまわりさん》がピストルを撃った回数を数えたり、宿題の読書感想文の下書きをポメラに打ち込んだりしていた。俺は銀座ライオンで飲んだビールの酔いも手伝って、岡山から先の行程の大部分でうたた寝をしていたようだ。

台風のため山陽新幹線と予讃線が運休。実家で一日おとなしく過ごす。ペンローズ『心の影』の訳本を読んだり、本の原稿を見返したり、あるいは倅の勉強につきあったり。

台風10号が来ている。明日の午後に松山に帰るつもりでいたが、山陽新幹線と瀬戸大橋線が運休し、足止めを食うことが確定してしまった。まあ、こればっかりは仕方ない。昼飯のざるそばを作る。

夜は今年で4回目となる同窓会ライブ。会場はバハブラットという祇園花見小路の小さなバー。昨年はディナーショー形式の少ししゃっちょこばった会だったが、今回は気軽な飲み会という感じで大変よかった。俺はテナーサックスを吹き、松並の歌う「デイ・バイ・デイ」「ルート66」に参加したほか、樋上のピアノに合わせて「カーニヴァルの朝」「枯葉」「恋の味をご存知ないのね」を演奏した。それと、今年は同窓生おぐちゃんが演奏に初参加して「イエスタデイズ・ワンスモア」を演奏してくれた。しかしなんといっても今回の目玉は「ウィ・ウィル・ロック・ユー」をバックに登場した特別ゲストの《フレディくん》が司会を務めてくれたことである。もっとも、このフレディくん、背格好が幹事の米田くんに若干似ている気がしたし、その米田くんはフレディくんのいる間は姿を見せなかった気もする。しかし、まあそんなことはどうでもよろしい。二次会にも行きたかったが、老母と倅が実家で待っていることもあり、一次会で退散。

朝、なにやら数値解析する夢を見た。

日曜日にフジグラン松山ですだちを買って持ってきている。京都の実家近所のスーパーでは、夏場にすだちを売っていないのだ。昼飯にすだちおろしうどんを作った。

午後、暑い中を倅と二人で太秦広隆寺へ歩き、宝物殿を見る。宝物殿はエアコンが効いておらず暑くてまいったが、倅は千手観音をおもしろがっていた。

夕方、母と兄、義妹と姪、それにわが倅は「和食さと」へ夕食に出かける。自分は部活の同期の何人かと飲み会のため、西院へ向かう。参加者は、ひき、くすべぇ、たいこちゃん、オカモトと俺。会場は「布」という小さな居酒屋で、料理がどれも大変美味しかった。話が弾んで大変楽しい飲み会になった。いっぽう、母のレポートによると倅は「借りてきたネコ」状態だったらしい。

倅を連れ、鉄道を乗り継いで京都へ移動。朝9時台の特急しおかぜで松山を発ち、乗り換えの岡山駅で弁当を買って新幹線で食べて、京都の実家には14時半ごろに着く。例によって暑いが、きょうは風があってまだしもしのぎやすい。夕方、ひとりでふらりと散歩に出て、小一時間歩いて実家に戻ると、姪のリコちゃんもやってきていた。

残ったご飯で雑炊を作って朝食にする。それから再度アパートに移動し、倅に勉強をさせ、ゲームをさせる。昼飯は焼きそば。豚肉と冷凍シーフードを使い、オイスターソースで味付けする。午後も倅は勉強とゲームをし、夕方からは塾に行く。夕食は二人でフジグランのフードコートで済ませた。妻と娘の帰りが遅いこともあり、また、明日から俺の実家に倅を連れて旅行することもあり、アパートに倅を泊める。狭い部屋で二人寝るのは難しい。

妻と娘が他県のオープンキャンパスに出向くので、きょうと明日は俺が倅の飯の用意などなどを担当する。お昼前に倅がうちに来た。夏休みの宿題をしたりゲームをしたりしている。昼飯にはひさびさに味噌ラーメンを作って二人で食った。夜は倅の希望により元家に泊まる。俺にとっては11か月ぶりである。

うちの職場もご多分に漏れずオープンキャンパスということをする。写真を撮ってまわるのだが、どうもいい写真が撮れない。写真もアートなので技術と感性の両方が必要なのだろうが、職場のグループでたまたま写真係を仰せつかっているだけの俺には、技術も感性もない。少し練習すれば多少の技術は身につくだろうが、たまさか回ってくる業務で仕方なしに撮影して回っているだけでは上達はしない。

そういえば、リニューアル以前(昨年まで)の「て日々」は画像データをいろいろ載せていたが、スマホで見栄えよく表示するにはどうするかという戦略が立たないまま再開し更新を続けた結果、テキストだけの日記が続いている。なんとかしたいところだが、さてどうしたものか。ひとつの案として Instagram に写真を載せてこんなふうにリンクを張るということは考えられる。これは技術的には簡単でいいが、しかし面白くはない。やはりスタイルシートの書き方を工夫して絵入りブログを再開すべきなのだろう。

macOSを使わなくなってしばらくたつし、Windowsも仕事でしか使わないので、なんだかもう iPhone でなくてもいいやという気になってきた。それに、すべての情報をスマホに集約するよりは、タブレットと携帯電話とデジカメを別々に持つべきかもしれないとも思っているのだ。電子書籍を読むにはスマホの画面は小さすぎるし、スマホのカメラはレンズが小さすぎる。いろいろの画像処理ソフトウェアはありがたいが、それはパソコンでもできるものだし。なんだか時代に逆行しているようだが、画面の大きさとカメラのレンズの大きさは大事だからな。いまの iPhone に不満があるわけじゃないが、次に携帯電話の機種変更ということになったら、本気で機能の分担を考えることにしよう。

連日暑いけれども、きょうは比較的カラっとしていて、風もあってしのぎやすい。

本の原稿の軽微な変更点をファイルにあらかた反映しおわったので、4か月ぶりにプリントアウトしなおした。ペンディングになっている検討事項はまだあるし、書き加えるべき内容もあって、完成までは長い道のりだが、この夏の間になんとかしたいところだ。

ゼミ生nCoくんが、前期の授業もゼミも済んだし、どっかでメシ食いましょうという。それで、二番町3丁目の《やまや》で焼き肉を食ってきた。これがまた美味しい肉で、少々値は張ったが大満足。nCoくんは、よく喋りよく考える男で、一緒にいて退屈しない。だらしない師(=俺)には似ず、よくできた弟子である。

その後はひとりで Garakta Cafe & Bar に行ってウィスキーを飲んでから帰宅。

どうにかマトモな時刻に目が覚めたので、ご飯を炊いて弁当を作って洗濯をしてピアノの練習をして、早めに大学に行く。朝こなすべきメニューは意外と多い。

前期の成績処理が済んで、ようやくまた本の原稿と向き合う気力が湧いてきた。レビューアのコメントをプリントアウト原稿に書き込んでいく作業がようやく終わったので、すぐに済みそうな簡単な誤記の修正や小規模な改編をまず片付けることにする。全体の導入となる序章をつけることにしたので、その内容に集中するためにも、せめて現時点での軽微な修正点はお盆休みまでに片付けておきたい。

午後の大学院ゼミではキューネン本第VI章が終わった。次回は夏休み明けだが、それまでにJansの本とEklofの論説を読んでおかなくてはならない。サマースクールの準備も後期の特論の授業準備もせにゃならん。

特論では1階算術と不完全性定理をやる。2013年に某所で開催した勉強会の内容を再現する所存。だから当時の講義資料を流用できるのではあるが、あれには直すべき点が多々ある。特に、文章を書いてる途中で寝落ちしてパラグラフが尻切れトンボのまま、気づかずに印刷所に入稿してしまったという痛恨のミスを修正せねばならん。

やらねばならんことがてんこ盛りで、暑さでへばっている場合ではない。

ようやく《数理論理学》の期末テストの採点を済ませ、先に採点してあった《集合と位相I》と共に、評価システムに成績データを入力した。前期の授業に関する業務はこれで完了のはず。生協に行くと、物理学書の棚にペンローズ『心の影』(林一訳、みすず書房2001年)の新装版(2016年)があったので上下巻あわせて購入。評判どおり、翻訳のまずい所が散見されるので、必要に応じて原文も参照しながら読むことにする。

今夜はピアノのレッスンはお休み。工学部の若杉さんの送別会で飲み食い。6月の100000000さん、7月のO下さんに続いて、立て続けに3回も優秀な若い同僚の送別会をせにゃならん。とはいえ、3人とも研究環境のよいところへ、いわば栄転していくのだから、笑顔で送り出そう。

フタをあけてみれば、3年生ゼミを4人みることになった。テキストには放送大学の教材から橋本義武『非ユークリッド幾何と時空』を採用。本を読んで学ぶこと、学んだ内容を言葉で人に伝えること、人の話を聞いて議論すること、それを3年生ゼミでは経験してもらいたい。

お盆の京都への帰省に倅を連れていくことになった。夕方に松山駅へ行って切符を買ってきた。

午前中、井手神社にお参りしておみくじを引く。小吉である。まあ、そういう時期だ。そのまま帰ってもつまらないので、大学へ移動し、期末テストの第4問の採点を済ませてから、帰宅して、昼飯を食って昼寝してしまう。晩飯はいつもの手羽元のタレ焼きなのだが、タレとしては、昨日の土曜夜市の福引でもらった「しょうが焼きのたれ」を使った。

一日だらだらと過ごしてしまったので反省している。3年生ゼミのテキスト候補をジュンク堂書店で探し、そのあと土曜夜市を見物する。最終日だからか三津浜で花火大会がある日だからか、露店がずいぶん少ない。まんまみーあ で夕食。それから Muguet に行って、ウィスキーを飲み、僭越ながら店のBGMについて提案してきた。ジャズピアノがいいだろうと言って、ためしにスマホでビル・エヴァンスをマスターに聴かせるなど。

7時に家を出て自転車で勝岡の運転免許センターへ向かう。途中、和気の円明寺で休憩をとり、運転免許センターに着いたのが7時50分ごろ。8時半から免許更新手続。申請書を窓口に出してお金を払い、いつものとおり、視力検査と写真撮影。9時から講習を受ける。いつも思うのだが、運転免許センターの講師の人は、さすがに話のペース配分が上手である。

講習が済んで新しい免許証を受けとったら、来た道を戻らず、海沿いに進み、白石ノ鼻、高浜から、三津浜を経由して帰る。来るときは早朝だからよかったが、帰りはさすがに暑くて大変だった。炎天下で小一時間自転車をこいで、ちょっとくたばりかけた頃合いに、休憩をかねて中央通のサニーマートで買い物。チーズとピーマンを買って帰宅し、ピザを作って昼食にする。

午後から夜にかけて大学で期末テストの第3問の採点。与えられた命題論理の論理式の真理値表を書いてトートロジーかどうか判定せよ、という、よくある問題なのだが、出題時に命題変数への真理値割当てを解答欄に決めうちにしておかなかったせいで、思いがけない順番で真理値を割当てている答案が多数あり、採点に思いのほか手間どった。20時過ぎに帰宅。昼に作ったピザの残りと作りおきの惣菜で夕食にし、ビールを飲む。

午前中、数理論理学の期末テストを実施。8問中でヒネった問題は第4問だけで、あとは基本的な問題ばかりだし、自筆ノート持ち込みOKにしていたので、あっけないくらい簡単だったはずだ。きょうはひとまず、8問中2問を採点。

夕方、県立図書館に行った。昨日の日記に書いたような事情で、世紀末のウィーンに関する本ばかりを5冊借りた。

明日は運転免許証の更新手続に行こうと思う。免許をとって25年経つから更新は5度目か6度目だが、今回初の試みとして、勝岡の運転免許センターまで自転車で行くことにした。それできょうのうちに自転車のタイヤに空気を入れ、Googleマップでルートを確認。5月の連休に太山寺まで自転車で行っているから、道のりに不安はないが、このところ連日暑いから、熱中症対策をしっかりしないといけないな。