て日々

2019年4月

目次へ

6時30分ごろ起床。くもり空。おなかの調子はよくない。

昭和の終わりの日、俺は名古屋にいて、ちょうど修士論文を書き上げて提出しようとしていた。自然数の集合の hyperdegree と呼ばれる同値類のなす順序構造を調べるために集合論の強制法を応用する話を書いたのだ。

30年前の修士論文の最後に、オマケのように俺は次のような考察を付け加えた。可算な admissible ordinal \(\gamma\) を考える。それが自然な順序づけで \(\tau\) 番目、すなわち \(\gamma=\omega_\tau\) であったとする。いま \(\gamma\) より小さい admissible ordinal の全体は \(\gamma\) において上に有界であったとする。ここで \(\alpha\) を \(\gamma\) より大きな任意の可算 admissible ordinal とするとき、自然数の集合 \(X\subset\omega\) を、 \[ \forall\xi<\tau\big[\,\omega_\xi^X=\omega_\xi\,\big],\quad \omega_\tau^X=\alpha \] となるようにとれる。すなわち \(X\) に相対化された admissible ordinal の系列は \(\tau\) 番目のところで、初めての、しかも好きなだけ大きなギャップをもつことができる。

俺にとっては、この結果は修士論文で使った技法をちょっと応用した、いわば埋め草にすぎず、たいした意味をもつものとは思えなかったのだが、指導教官の篠田寿一先生はこれを面白いと言ってくださり、この結果を、admissible ordinaladmissible な極限である順序数にも拡張するように勧めてくださった。俺は自分ではそれほど意味のある結果と思っていなかったから、師の勧めに対してずいぶんと気の乗らない反応を返してしまっていた。失礼な弟子である。半年ほど後になって篠田先生ご自身が admissible ordinaladmissible な極限の場合を含む一般の形の結果を、セミナーで報告なさった。JensenとSolovayの almost disjoint coding を使う巧妙な証明であった。当時の名古屋基礎論グループのレギュラーメンバー全員が出席するセミナーではあったが、いまにして思えば、あれは完全に俺をターゲットにした報告、いわば個別指導だった。当時の俺は、そんなことすら感じとれない、いわば人間音痴だった。先生が俺のために話してくれているのに、俺はノートすらまともにとっていなかったのだ。あのときもっと真摯に話を聞き、先生のアイデアを真剣にうけとり、その内容を発展させるように努力していたら、俺がそういう、ふつうの人間並の真面目さを身につけていたら、その後のいろいろなことは、まったく違っていただろう。慚愧に堪えない。

修士論文の提出から30年が経ち、きょうは平成の終わる日である。いろいろなことがすっかり変わってしまい、俺たちは二度目の改元を経験することになった。

先日書類ケースを整理していたら2年前に池上くん相手に議論した古い未解決問題に関する手書きノートが出てきたので清書してみた。これも hyperdegree の順序構造と集合論的な仮説に関連する問題で、この「て日々」でも何度か話題にしているものだ。自分の修士論文のテーマとの関連も深いこの問題を、俺は博士課程に進んですぐに知った。つまり平成元年(1989年)に知ったのだ。問題の源泉となったS.G.Simpsonの論文は1975年のもの。hyperdegree というマイナーで小難しい分野に関連する問題だからだろう。いまだに解決していないし、関連する論文すらほとんど出版されていない。すぐにヘコタレてしまうのが俺の悪い癖だが、この問題をめぐって、俺はもう一度悪あがきすべきなのかもしれない。

昭和から平成への改元はひどい自粛ムードのなかで静かに行なわれたものだが、平成から令和への改元をいま見るようなお祭り騒ぎとして経験できるのも、きょう退位される今上天皇の配慮があったればこそである。明日からの令和をいい時代にしたいものだ。

きょうも5時半に起床。天気は崩れるという予報。

太山寺や円明寺に行ってみたいわけだが、それはもっと天気のよい日に自転車で行くことにしよう。きょうはあいにく天気がよくない。横河原行きの電車に乗って香積寺へ行った。田窪駅から歩いて3分ほどのところにあるこの香積寺は、むしろ隻手薬師(かたでやくし)の名で知られている。べつだん仏さまが片手というわけではなく、片腕の不自由な老人が片手で拝んだら、動かなかったもう一方の腕が動くようになった、という伝説からこの異名があるとのこと。縁日でもなんでもないので境内は静かで人もほとんどいない。

松山に住み始めたのは平成3年5月からだから、かれこれ28年が経つのだが、実は横河原線で田窪まで足を運ぶのはこれが初めてだ。香積寺にお参りして気が済んだから、これで帰ってもいいのだけど、このさいだからと、もう少しだけ足を延ばして終点の横河原まで行ってみた。とはいえ、行ってみても何があるわけでもない。駅前のローソンでトリスハイボールを買い、すこしそのあたりを歩き回ってから、駅に戻って逆向きの電車を待つ。

横河原線の「梅本」が《うめのもと》、「田窪」が《たのくぼ》であることに、今回初めて気がついた。ただし「牛渕」は《うしのふち》ではなく《うしぶち》だ。駅名の読み方くらい、少し注意して観察すれば路線図などから読みとれるはずの情報ではあるが、利用しないと案外気づかないまま過ごしてしまうものだ。帰りは久米でいったん降りて、ハードオフとブックオフを見る。

帰宅後、遅めの昼食と長めの昼寝。夜には加藤文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学』を読了。第2章で一般の読者には馴染みのないであろう数学者の日々の仕事(研究業務)の実際を、丁寧に説明している。これはおそらく、近年喧しかった「数学は役に立つ」アピールがデータサイエンスの隆盛などの事情も手伝ってようやく奏功しはじめたこの頃、さらに突っこんで数学コミュニティの存在を世の中に認知してもらおうという、加藤さんの作戦のように思われる。また、IUT理論の生みの親である望月新一教授が世界中からの講演の依頼を断わり続け、しまいに秘密主義ではないかと疑われた件に対して「望月さんの行動は決して常軌を逸したものではない」との、加藤さんの弁護でもあるだろう。俺としてはこの本、とくに第2章を、将来は数学者になりたいと夢見る、しかしまだ大学院に進む前の若い人に読んでもらいたいと思う。全体に実に実に丁寧に書かれていて、第7章の群の説明など一読して頭が下がる思いだ。

朝、5時半に起床。昨日行かなかった温泉に行く。いつもより少し早い。また体重が増えているので気をつけねばならん。

『予測不可能性、あるいは計算の魔』を読み終える。プトレマイオスとケプラーの天文学、天体力学とカオス理論、進化論とカタストロフ理論と進んできて、最後の章では一転してホメロスやプルーストの作品を題材とした時間論が展開していて、なんだかごまかされたような印象を受ける。数学と文学が当たり前につながってしまうあたり、フランスの知識人の書いた本らしいなあと思った。それはともかく、カタストロフ理論の説明は、いままで読んだどの本よりもよくわかった。次に、昨晩ジュンク堂書店へ行って買っておいた加藤文元『宇宙と宇宙をつなぐ数学 — IUT理論の衝撃』(角川書店2019年)にとりかかり、第3章まで読む。

休肝日。

というわけで連休に突入。朝9時まで寝た。天気がよいが風があるおかげでちょっと肌寒い。朝食のあと、ズボンとシーツを洗濯して、ざっと掃除をして、県立図書館に行った。堀之内の緑地にはワゴン車が何台も停まって屋台を出していた。そのうちのひとつの屋台でスパゲティを食った。黍の実の入ったトマトソースで美味しかった。

午後、図書館で借りた5冊の本のうち、イーヴァル・エクランド『予測不可能性、あるいは計算の魔』(みすず書房2018年)にとりかかる。昨年の刊行当初から、俺はこの本をてっきり計算可能性理論と決定不能性と計算論的ランダムネスに関連する本だと思い込んだのだが、そうではなくてカオス理論とカタストロフ理論に関連した本であるらしい。それならそれでよい。読むとしよう。

朝と晩に、昨夜遅くに作った「牛すじと焼き豆腐の煮物」を食う。牛肉の旨味が焼き豆腐によく滲みて美味しい。

今朝もくもり空。少し迷ったが洗濯をして干してから大学に行く。午後に演習の授業。この回の演習では、濃度の概念に関連して、集合 \(\{0\}\) と集合 \(\{0,1\}\) とが対等でないことの証明を考えてもらう。いわば \(1\neq2\) の証明というわけだ。前にも書いた気がするが、大学の数学科で学生たちが苦労して \(1\neq2\) の証明をしているというのは、事情を知らない人が見たら憤慨するかもしれない。だが、これは全単射とか濃度とかの概念を理解するため、あるいはもっと重要なことだが、定義にもとづいた推論に習熟するための、大切な演習なのだから、ユルガセにはできない。無駄なことをして時間を潰しているわけでは決してない。

結局雨は降らず、一日曇ったり晴れたり。夕方までに洗濯ものは乾いていた。ただし、深夜にけっこうな雨が降った。

連休中は《酒を飲みすぎない》《無駄遣いをしない》《適度に外出する》を心がけながら、本を読んだり原稿を書いたり楽器の練習をしたりしていようと思う。

朝、くもり空。昨晩作っておいたミートソースでスパゲティを食う。きょうは夜が外食になるのでメシを炊かないことにしたのだ。

講義。濃度の概念。アレフの書きかた。可算集合と非可算集合。予定していた講義内容をしゃべり終えて中途半端に時間が余ってしまったので、予定していた追加の講義内容(濃度の大小関係の定義に関すること)をしゃべったらやっぱり中途半端なことになってしまった。いっそ早仕舞いすりゃよかった。

午後には陽が戻り、さわやかな天気になった。夕方にはTGSAセミナー。京大の田代さんの幾何学的群論の講演。シャクマトフ教授はいろいろの用事でロシアに帰省しているけれども、いつものようにアミティエで懇親会。メインの料理は鯛のムニエルで、バターとハーブの効いたソースがかかっていて、とても美味しかった。

朝5時40分起床。昨年の12月ごろから毎朝血圧を測っている。高血圧ぎみで心配になったからだ。医者で降圧剤のいちばん軽いやつを処方してもらっている。おかげでこのごろはずいぶんいい値に安定している。ありがたいことだ。

小雨なので自転車を使わず市内電車で大学へ行く。午前中は「集合と位相I」の演習。前回よりは手の動く問題が多かったせいか、雰囲気はよかったが、教室がなんだか蒸し暑かった。さして広くもない講義室に二十歳そこそこの若者を40人から集めているのだから仕方ない。午後には大学院のゼミ。キューネン『集合論』第III章が終った。途中、雨が激しく降り雷が鳴った。

朝6時起床。

日記の下書きは、Simplenoteにマメに書いていくのがいい。

講義は濃度の話に入った。集合どうしの「対等性」を定義し、全射と単射と全単射について復習し、対等な集合のいろいろな例を示し、自然数の集合 \(\mathbb{N}\) と実数の集合 \(\mathbb{R}\) が対等でないというカントールの定理を証明して時間となった。次回には濃度とか可算無限と非可算無限、あるいはアレフとかの話になる。だから集合論はここからが面白いのだが、さて上手に面白さを伝えられるかどうか。

対角線論法によるカントールの定理の証明に関連する話。カントールの対角線論法は、実数の数列 \[ x_1,x_2,x_3,\ldots \] に現れない実数を構成する具体的な手順を記述している。いわば、実数の数列を入力するとその数列に出現しない実数を出力してくれるマシーンの設計図になっている。それによって、実数の集合が可算でないことを証明している。

では、実数の数列ではなくて、実数の可算集合を入力したら、その集合に属しない実数を出力してくれるマシーンの設計が具体的にできるか、というと、これができないのである。選択公理の力を借りれば、そのような「マシーン」の存在証明はできる。しかしそのマシーンは、人間が書いた設計図に沿って作られているわけではない。

実数の(空でない)可算集合 \(C\) が与えられれば、それを \[ C=\big\{ x_1,x_2,x_3,\ldots\big\} \] と数列の形にアレンジすることは常に可能で、だから \(C\) が与えられるごとに、そのつど \(C\) に属しない実数を対角線論法で必ず見つけられるのだが、実数の可算集合 \(C\) ひとつに対して、そのすべての要素を数列の形に並べる方法は無数にあり。対角線論法を適用するためには並べかたをひとつ指定せねばならず、出力される実数は入力の並べ方に依存する。並べ方に依存しないで、実数の可算集合 \(C\) を受けとるたびに \(F(C)\notin C\) となる実数 \(F(C)\) を返してくれるような写像 \(F\) の存在は、選択公理を用いなくては証明できない。もしもそのような写像 \(F\) があれば、超限再帰的に可算順序数 \(\alpha\) に対して実数 \(x_\alpha\) を \[ x_\alpha=F\big(\{\,x_\beta\mid \beta<\alpha\,\}\big)\qquad(\alpha<\omega_1) \] と定義できて、\(\omega_1\) から \(\mathbb{R}\) への単射 \(\alpha\mapsto x_\alpha\) が作れる。したがって \(\mathbb{R}\) の濃度 \(\aleph_1\) の部分集合が存在し、\(\aleph_1\leqq2^{\aleph_0}\) となる。

逆に、\(\aleph_1\leqq2^{\aleph_0}\) が成立し、\(\mathbb{R}\) が不可算な整列順序づけ可能な部分集合 \(X\) をもったとすれば、与えられた実数の可算集合 \(C\) に対しては \(X\not\subseteq C\) だから、\(X\) に属し \(C\) に属しない実数のうち \(X\) の整列順序で最小のものを \(F(C)\) として返せば、上に述べたような写像 \(F\) が作れることになる。

こうして、実数のすべての可算集合 \(C\) に \(F(C)\notin C\) をみたす実数 \(F(C)\) を対応させる写像 \(F\) の存在は、濃度の不等式 \(\aleph_1\leqq2^{\aleph_0}\) と同値だということになる。ところが、選択公理のない集合論では、最小の不可算整列濃度 \(\aleph_1\) と連続体濃度 \(2^{\aleph_0}\) が比較できるとは限らない。たとえばソロヴェイのモデルや決定公理のモデルにおいては、\(\aleph_1\) と \(2^{\aleph_0}\) とは大小が比較できない。

朝6時起床。飯を炊いて弁当を詰め昨日の残りもので朝食を済ませ、それからシャワーを浴びて少しピアノの練習。

銀行で通帳記入。2月に確定申告した税金が無事に旅立っていった(涙)。これからクレジットカードの請求も来るし、元家の浄化槽の維持費も払わねばならぬ。連休はどこにも行かずおとなしくしていなければなるまい。まあ、この機会に積読消化だ。大学で明後日の演習で配布するプリントを用意し、カプランスキの本を定理13まで進めて、質問に来た学生さんに対応した。明日の講義ノートはできているが、進み具合がどうなるか未定なこともあって、木曜日の講義ノートに手をつけにくい。とはいえ、演習問題のプリントがすでに最後までできあがっていて、それが講義のペースをあらかた決めてしまっているのではある。

夜はピアノのレッスン。ブルグミュラー18の練習曲のうち15番「空気の精」が通った(ことにしてもらった)のと、11月の発表会の曲についての相談。他の生徒さんのスケジュールの都合で、次回からレッスンは火曜日に替わる。

休肝日。

いい天気なので窓を開けると、外がヘイトデモで騒がしい。他国を貶めることで人類の幸福に貢献できるなどとどうして思えるのか、俺にはわからないが、どうもそう考え行動するひとがいるらしい。 アマルティア・セン『アイデンティティと暴力』 (勁草書房) が冷静にしかし言葉を尽くして批判する、アイデンティティの暴力的な押し付けの、わかりやすい実例を見せられた感じ。ともあれ、せっかくのいいシーズンのいい天気の休日のムードがだいなしである。

夕食に麻婆豆腐を作る。前回(14日の夕食)には、中華スープの元を使わなかったのと片栗粉が少なかったのとで、見るからにワイルドな食いものになってしまった。今回はその反省を活かしたつもりだったが、少し味付けを辛くしすぎた。しかしまあ、これはこれで悪くない。少し多めに作ったので冷蔵庫で保存して明日また食うことにする。

平日の弁当はたいてい、休日や早く帰れた日の夕食後など時間のあるときに作りおきしたおかずを朝に詰めるだけだ。きょうも作りおきをする。朝食後にほうれん草と豚肉のオイスターソース炒めとニラのポン酢和え、夕食後に鶏ムネ肉のトマト煮を作った。そのついでにトマトソースもたっぷりできた。これも早めに使ってしまわねばならんが、さて何かいいアイデアはないか。

朝は6時前に起床。メシを新たに炊いて、昨晩多目に作ったカレーを朝食に食う。チーズをトッピングしたらなかなか美味かった。洗濯と掃除をして温泉に行く。昼食のあとは、コミセンの図書館に行ってハイゼンベルク『部分と全体』そのほかの本を借りてきた。ピアノを少し練習し、11月の発表会の出し物をどうしようかと考えた。

昨日ダウンロードした Feren OS のisoイメージは、調べてみると sha256sum が合わない。ダウンロードをしくじった壊れたイメージだったようで、そりゃあインストールに失敗もするだろう。きょうも早朝からダウンロードしなおしてインストールに再挑戦し、首尾よくインストールには成功したが、使っているうちにタッチパッドが反応しなくなる不具合に何度か遭遇。これでは真剣に使う気にはならない。仕方なく Debian に戻す。これは Feren OS がよくないというより、どうやら E200HA というハードウェアが、やたらクセの強いやつなのだ。DebianのWikiに E200HA へのインストールの要点が掲載されているので、他の Linux OS でも同様の細かいチューンナップをすれば安定する可能性はある。しかしいまは、初めて触るディストリビューションでそれを試す気になれない。

金曜日は午後に「集合と位相I」の演習。昨日の講義に沿った演習問題なのだが、みな最初のほうで四苦八苦しているので、机から机へ見てまわりながらアドバイスをする。こういうときは「ここがわからんのですけど」と言ってくれるほうが、黙って悩んでしまわれるより、教える側として、よほどありがたい。この「集合と位相I」はそういうわけで、講義よりむしろ演習のほうが重要なのだ。

夜はカレーを作る。ちょっと辛めに作った。夕食後、フジグラン松山にコメを買いに行った。

5時40分に起床。いつものように血圧を測りメシを炊く。味噌汁は豆腐とニラ。体操をして朝飯を食ってシャワーを浴びてピアノの稽古をする。

午前中は「集合と位相I」の講義。大田先生のテキストの§4.4の内容で、同値関係のもとで不変な写像は商集合上の写像を引き起こす、という議論。人と生年月日と干支の対応などを例に引きながら話すのだが、初めて聞く人には難しいだろうなあ。

午後は、Brian Hallの本を見ながらホワイトボードでいろいろな計算をたどりつつ、裏番組では、ASUS VivoBook E200HFeren OS をインストールする作業。ところが、何度試しても、インストーラが途中でエラーを吐いて止まってしまう。これは俺には直せない。残念ながらインストール断念。内蔵ドライブが書き変えられてしまったから、またイチから Debian を再インストールする羽目になった。

少しばかり後味のせつない夢を見て、早朝に目を覚ます。昨晩コメを水に浸しておくのをサボったので、4時半に起きてコメを洗った。7時すぎから洗濯もした。早く起きれば朝のうちにいろいろと用事は捗るが、午後に使いものにならなくなるようでは、それも困りものである。さてどうしたものか。

給料日とて、銀行ATMとコンビニATMをハシゴして、いろいろの資金移動をすませ、9時に大学に到着。午前中は演習の授業3回目。午後はゼミと会議。ゼミは会議のために早じまいしたが、整礎的関係と基礎の公理をやった。会議のあとは夕方まで来週の授業の段取りを考える。明日の授業で同値関係の話は一段落で、来週からは集合の濃度の話になる。学生さんたちにとっては、ここからが取り付きにくい、食えないところなのだ。

晩飯には手早く野菜炒めを作った。どうにか一日「使いものにならない」状態に陥らずに過ごせたのはありがたいことだ。(俺が「使える」人間かどうかは、それとは別問題だが。)

朝5時くらいに目が覚めて、さすがに早すぎるが二度寝できそうにもなかったので起きてしまった。8時にはピアノの稽古を含めていろいろの準備も済んでしまったので、そういう日くらいはと、普段は斜め読みしかしない結城浩メルマガをきちんと読む。

午前中に講義の3回目。同値類と商集合の話。集合 \(X\) における同値関係 \(R\) による商集合 \(X/R\) を作ることを《\(R\) による類別または分類という》とテキストにあったので、ついつい力説しまったこと。この用語は間違いでは全然ないのだが、しかし外でたくさん走っている4つのタイヤのついた乗り物を「自動車」と呼んだり、みんなが持ち歩いていてネットにつないだり電話をかけたりする道具を「携帯電話」と呼んだりする、そういう「改まった」感じがある。あの乗り物が普段は「クルマ」と呼ばれあの道具が普段は「ケータイ」ないし「スマホ」と呼ばれるのと同様、同値関係 \(R\) によって集合 \(X\) の商集合を作ることを、研究の現場の数学者はまず間違いなく《集合 \(X\) を同値関係 \(R\) で割る》と言っているはずだ。教科書にクダけた言い方を載せにくいという事情もわかるが、こういうあたりからすでに書かれた言葉と話された言葉のギャップが始まり、専門分野の独学しにくさが始まっているように思う。そうはいっても、俺は「教科書に現場のクダけた言い方を掲載せよ」とも「現場でも教科書どおりの言葉遣いで話せ」とも言いたくない。それは結局、教科書は絶対的に正しい、という権威主義的な考えに奉仕することになるからだ。そういうのはイヤだ。俺としてはただ「教科書とはそういうもの」「生きた言語とはそういうもの」と言うしかない。

ともあれ、そういうことを含めて、きょうの講義でも俺は余計なことをしゃべりすぎた感がある。予定どおりに進みはしたのだが、これでは聴き手の事情を斟酌した講義とはいえない。

午後は授業も会議もないので、ゆっくり自分の勉強ができる、と思ったけど、早起きしすぎたせいで眠くて仕事にならなかった。

話は変わる。このところずっと、量子論のテキストを探して右往左往していたが、Brian C.Hall “Quantum Theory for Mathematicians” (Springer, 2013) にようやく落ち着いた。サンプル版で第1章を読み終え、Kindle版をダウンロード購入して、いまは第2章の古典力学のところを読んでいる。ケプラー運動のルンゲ-レンツ ベクトルというのは初めて知った。どうせ古典力学の話だろうと侮っていると後で装いも新たに量子論の世界に再登場して泣かされるオチが待っているに違いないから、ちゃんと勉強する。

職場や家のLinux PCでこのHallの本のKindle版が読めればいいなとは当然思うのだが、どうしたものかKindle Cloud Readerではこの本が表示できない。なんとかならないかとウェブを検索してWINEをインストールしてWindows版Kindle for PCが走らないか試みたが、WINEとて完璧にWindowsの代用になるわけではない。さしあたりダメのようだ。

昨日FireタブレットとiPhoneとdynabookにインストールしたSimplenoteを、仕事場のDebian (iMac2007)とWindows PCにも入れる。オープンソースソフトウェアで、無料であらゆる種類の端末で使えて、手軽にメモを同期できる。とても助かる。

次はELECOMのBluetoothキーボードをFireタブレットに接続するテスト。最初はUS配列キーボードとしか認識してくれず、日本語入力と英数直接入力が切り替えられなくて、こりゃ使えないかと思ったが、ちゃんと「設定」アプリでキーボード配列を指定できて、その点は問題なかった。ただし、矢印(カーソル移動)キーが使えない、というか、カーソル移動とは別の機能が割り当てられてしまっているので、長文を打つにはちょっと苦しい。まあ、Fireタブレットはあくまで文書リーダーの機能をメインに使うしかあるまい。やはり俺はノートパソコンを持ち歩く必要がありそうだ。

本を読んでいるときなど、コピー用紙の裏にノートを書くのが気楽でよいのだが、書いたものを保存するときに少々なさけない気持になる。そこで、スキャンして画像データを保存し、紙のほうは処分してしまう。この画像データはUSBメモリドライブに保存しているが、これをタブレットで読めるようにAmazon Photosのクラウドにもアップロードしてしまおう。iCloudとAmazonのCloud Driveは、そのへんで役割分担しよう。

夕方にはTGSAセミナーで東北大の見村さんの講演。有限生成群全体のなす空間に位相を入れて群の列の収束を考えるという話で、たいそう面白かった。月曜日なので、夜の懇親会は欠席してピアノのレッスンに行く。休肝日。

天山のアプライドに行った。FireタブレットのmicroSDを128GBのものに変更し、画面に保護フィルムを貼った。これでハード的な整備はひととおり済んだ。FireタブレットのメモアプリはINKredibleSimplenoteの二本立てでいこう。SimplenoteはWindows PCとOS XとiOSとAndroidとLinux(ia32とamd64)と、機種を選ばず軽く動き、ほぼリアルタイムでメモを同期してくれる。メールクライアントもあるけど、メールの読み書きはiPhoneでやることにして、これは使わないでおこう。いろいろなアプリを入れて機能を増やすのではなく、文書リーダーとしての機能に特化して内容を充実させるほうがいいと思う。

午後は小雨。家で Brian C.Hall “Quantum Theory for Mathematicians” (Springer, 2013) のKindle版サンプルを読んですごす。

午前中、いつもの温泉。日光の射し込む浴室は気分がいい。温泉のあとはDAIKIホームセンターへ行って、昨日届いたKindle Fireの入れ物を探そうと思ったが、その前にちょっとオフハウスに寄ってみたところが、Toff and Loadstoneのロゴ入りのポーチが300円で、これがちょうど手頃なサイズだった。なかなかラッキーだ。DAIKIではタッチペンを買った。以前iPadで使っていたのと同じINKredibleという手書きメモアプリをFireタブレットに入れて使うことにする。

午後は、コミセンの図書館に本を返しに行き、大街道のREDONDO COFFEEでソイラテを飲む。帰りに堀之内を通ったので、ついでのことにと、県美術館でやっているエッシャーの展覧会を観てきた。《滝》《ヴェルヴェデーレ(物見の塔)》《上昇と下降》といった有名な作品が間近に見れる。だまし絵とは無関係な聖書の寓意図やイタリアの風景の版画などの作品もたくさんあるし、版木の展示もあった。見応えがあるし6月中旬までやっているというので、そのうちもういっぺん行くことにしよう。堀之内公園にはポケモンが出るらしく、たくさんの人が手に手にスマホをもって芝生広場に集まっている。何十人もの人が黙って自分のスマホを覗きこんでいる様子は少々気味が悪かったが、ポケモンGOを楽しんでいる当人たちにしてみりゃ、もちろんそんなことは大きなお世話である。

きょうも飯を炊かず、パンと麺で食事を済ませる。休肝日。

昨日は夜が外食なのに普通に飯を炊いたので、一食分ご飯が残っている。きょうはそれを朝食に食って、飯を炊かないことにした。昼飯は久々に生協のカレー。夕食には定番の味噌ラーメンを作った。ただし、いつもと違って、具にワンタンを入れる。

金曜日は午後に「集合と位相I」の演習。現在のところ、いい雰囲気で授業が進行している。演習のあと、夕方までは来週の講義の準備。4月と5月は、今週と同様のサイクルで毎週の授業が進行する。

夕方、銀天街GETの3階の100均セリアへ行って、パスタやカレーを食うときの皿と、台所で箸やフォークを整理するためのカトラリーボックスを買い、自宅近くのファミマでAmazonからの荷物を受けとる。Kindle Fire HD8という安価なタブレットを買ったのだ。講義のテキスト、大田春外『はじめての集合と位相』(日本評論社)にはKindle版があって、すでに購入ずみだ。それを始めとして、いろいろの本や文書を手軽に持ち運べるようにしたいというのが購入の目的なので、このタブレットではTwitterをしないことにする。そう思って、一度は入れたTwitterクライアントを削除。

午前中、講義。集合の分割という概念を説明するのに、バーベキューパーティーの準備の役割分担を例に挙げた。そのついでに、例年開催していた新歓バーベキューが今年はいろいろの事情で開催できそうにない、と話すと、受講生たち(おもに2年生)は残念そうにしていた。昨年夏の豪雨のおかげで会場が壊滅的なダメージを受けたのと、学部の改組の直後でいろいろややこしいのとで、今年は無理なのだ。「毎年のバーベキュー大会が大好きな学部長がぎりぎりまで手を尽してがんばってくれていたのだけれど」と、俺が喋っているちょうどそのタイミングで、ミキ学部長が廊下を通ったので、学生たちは面白がって学部長を指さす。講義棟の教室のガラス窓を通して、学生たちの様子は廊下から見えるが、俺の話は聞こえない。学部長はさぞかし不思議に思っただろう。

講義は、初回よりは手応えがあった。

午後、ここに詳しくは書かないが、若い友人から、第一子が生まれたとの知らせ。なにかお祝いをせねば。

夕方には医者に行く。また、理学部に来た加藤さんと工学部に来た森岡さん、新しい数学教員の歓迎会が大街道の「一進丸」で開かれる。職場の飲み会なんて仕事の延長で、それほど楽しくもないのだが、なにしろ歓迎会であるから欠礼はしない。さりとて医者に行くのも休めないから会場にオンタイムには行けない。まあ、医者の診察が思いのほか早く終わったので、遅刻は15分ほどですんだ。料理はなかなか旨かった。

このところ早起き生活なので、飲み会後半は眠くて仕方なかった。

今日が生まれてからちょうど二万日なのだそうだ。

傘をさしたもんだかどうだかという程度の小雨が、一日じゅう降ったりやんだり。自転車で行けないこともないが、たまには大学まで歩いて行き帰りするのも気分が変わっていいや。水曜日は午前中に演習の授業があり、午後にゼミがある。ゼミでは累積階層の定義と整礎集合のクラスWFの定義をやった。そのあと明日の講義と明後日の演習の準備をする。さすがに自分の勉強の時間があまりとれない。まあ、しゃあないな。

水曜日は定例の休肝日。日記には書かなかったが、一昨日も昨日も酒を飲んでいない。明日は飲み会。

昨晩は深更の妙な時間に起き出して長々と「て日々」を書いていた。ちょっと睡眠不足だが、今朝はそれでも6時半には起きて朝食と弁当を用意し、体操を少しして、ピアノを少し弾いて、それでいて9時には大学に着いていた。毎朝こんな感じで過ごせるといいな。あるいはあと30分だけ早くできればもっといい。いつものノートパソコンを持たずに出勤したので荷物が軽くて楽だった。今日が、自分の担当する授業の初日である。4月の最初の講義の直前の数時間というのは、どうも不安になる。いざ始まってしまえば毎年同じようなものなのに、毎年同じように不安になるのだから面白い。いや、面白くはないか。講義ではごく普通に同値関係の定義と例をやったのだが、毎年のことながら、くどくどとしゃべり過ぎな気がする。もっと要点を押さえて話したほうが、自分も聞き手も楽なのだろうな。

朝、SF的なややこしい夢をみて目覚めた。よく覚えていないが何度か見ている気がする、いくつかある夢のパターンだと思った。

数学の本や論文でよくある「…と仮定しても一般性を損わない」に、カプランスキのアーベル群論の本を読んでいて遭遇した。つまり、ある特別な場合だけを詳しく検証して、一般の場合はそこへ帰着できるからいいよね、と言っているわけで、著者がそう言った場合、読者としては「へえ、そうなの」で済ませてはいけない。一般の場合が本当にその特別な場合へ帰着できることを検証しなければならない。ところがこれが簡単でない場合も多い。

と書いただけでは、あまりに漠然としていて面白くないので、詳しく話す。カプランスキの本の17ページの補題4。ある素数 \(p\) のある冪乗 \(p^r\) についてアーベル群 \(G\) が \(p^rG=0\) をみたし、かつ、特定の要素 \(x\in G\) について \(x\) の位数が \(p^r\) であったとする。この仮定のもとで、この特定の要素 \(x\) の生成する巡回群 \(K=(\mathbb{Z}/p^r\mathbb{Z})x\) が \(G\) の純部分群であるという主張だ。つまり任意の整数 \(m\) と \(n\) について、\(y\) の方程式 \(mx=ny\) が \(G\) に解をもつならば \(K\) に解をもつことを示さねばならない。ここでカプランスキは \(m\), \(n\) が \(p\) の冪乗である \(p^ix=p^jy\) という場合に話を限定しても一般性を損わない、と書く。この特別の場合の証明はとても簡単だが、なんでこの特別の場合だけで話が済むのかは書いていない。その理由は、読者が自分で見つけ自分で納得しなくてはならない。まあ、数学ではよくある話だ。

このさいだから全部書いてしまおう。一般の場合の係数 \(m\) と \(n\) のそれぞれを、 \(p\) の冪乗と \(p\) と互いに素な約数の積に分解して \(m=m_1p^i\), \(n=n_1p^j\), \(p\not|\,m_1\), \(p\not|\,n_1\) とすれば、整数 \(a\) と \(b\) を \[ am_1\equiv1\pmod{p^r},\quad bn_1\equiv1\pmod{p^r} \] となるようにとれる。これは \(m_1\) も \(n_1\) も \(p^r\) と互いに素だからよい。仮定 \(p^rG=0\) から一般に \[ c\equiv c'\pmod{p^r}\Rightarrow cz=c'z\;(\forall z\in G) \] となっていることを利用すると、このとき \[ \begin{gather} mx=ny\Rightarrow p^ix=p^j(an_1y),\\ p^ix=p^jy\Rightarrow mx=n(bm_1y) \end{gather} \] となる。したがって、\(G\) においても \(K\) においても、\(mx=ny\) が解をもつことと \(p^ix=p^jy\) が解をもつこととは同値になる。

このとおり、やっていることはほとんど初等整数論で、代数を専門にやっている人なら一目で見抜けることなのだろうが、どっこいこちらはそうはいかない。きょうはこれに半日かかった。半日がかりで理由を見つけ、わかってしまえば、なんだ簡単じゃないか、となる。これがまた悔しい。その日のうちに解決したから、これはまだいいほうなのだが。

夜はピアノのレッスン。まだ全然弾けているとは言えないレベルだが多少の進歩はあり、そうなるとだんだん練習が楽しくなってくる。音楽にも数学にも、そういうところがある。最初は何をやっているのか自分でもさっぱりわからなくて苦しいものだが、あきらめずに続けないことには、その道を楽しむことはできない。

春らしく暖かい日。午前中、県議選の投票に行った。そのあと古町駅の操車場で車両がシャワーを浴びてピカピカになるのを見ながら横河原行きの電車を待ち、久米のブックオフ/ハードオフへ行ってみた。

ハードオフにこれといって探しものがあったわけではないが、GeChic OnLap1502Iという外付け液晶タッチパネルを買った。ノートPCのサブモニタとして使ってみたら、なかなか快適な使い心地だ。1366x768ピクセルのノートPCの画面の他に1920x1080ピクセルの15インチモニタが目の前に出現したわけで、PDFの文献読みのときなど、小さい文字に目を凝らす必要もなければ拡大しすぎて横スクロールさせる必要もない。それだけでもずいぶん楽になる。TeXでの文書作成や、あるいはWebサイトづくりのように、成果物を見ながらソースを編集する作業の場合が特にありがたくて、画面の切り替えを気にせずに作業に集中できるというもんである。(と絶賛していたら、一時的に画面がチラついて慌てた。中古品だし、Amazonの製品レビューの評価も辛いし、メーカーのWebサイトは、「鮮やかフォーカス」のはずのところが「鮮やかつオーカス」になっていたりして所々日本語が変だし、あまり褒めすぎず用心しながら使ったほうがいいのかもしれない。)

日曜日とて、またまた飯炊きを休む。朝飯はスパゲティ、昼はフジグランの大岩の担々麺、晩飯は自宅でうどん。その他に、明日以降に備えて煮豆を作り、豚の生姜焼きを作る。

天気のよい休日である。洗濯をし、ピアノの練習をし、温泉に行き、県立図書館に行き、井手神社でおみくじを引き、石手川沿いの公園でサックスの練習をした。県立図書館のある堀之内公園は花見をする人でいっぱいだった。涼しい風のなか、石手川緑地の木陰でサックスを吹くのは気持よかった。

新2回生ガイダンス、教室会議、寮の入居式、などなど、ようやく新学期らしい業務が入ってくる。この数ヶ月のんびりしすぎた感があるが、そのわりに、6時半に起きて夜まで眠くもならず過ごせたのでよかったとしよう。週明けにはいよいよ前期開講である。

朝から晴れているが、このごろどうも肌寒い日が続くのでこちとら風邪ぎみで、昨日から葛根湯をのんでいる。「集合と位相I」の来週分の講義ノートを用意する。受け持ち学生と面談する。『Pythonから始める数学』(オライリー・ジャパン2016年)という本を読んで、matplotlibというグラフ作成モジュールをパソコンにインストールしていろいろ試してみる。

例年、俺は出席しないが、きょうは大学の入学式の日。いつもの県民文化会館(ひめぎんホール)が改修中とのことで仕方なく中央公園の武道館で開催。JR四国が市坪までの特別列車をピストン運行してくれたのだけど、大学院の新1年生として出席してきたnCoくんの報告によると、JR松山駅がすでに大混雑でどうにもならなかったという。何が混雑したといって発券が間にあわなかったらしい。うーん。松山じゃSuicaもICOCAも使えないからね。

きょうはカプランスキの古い本(Irving Kaplansky “Infinite Abelian Groups” Revised Edition, University of Michigan Press, 1969/Dover 2018)を読んで可除アーベル群の構造定理を学んだ。可除アーベル群というのは、アーベル群(可換群)のうち、任意の要素 \(x\) と任意の正整数 \(n\) に対し \(x=ny\) をみたす要素 \(y\) が見つかるという性質のもの。\(\mathbb{Q}\) や \(\mathbb{R}\) のような標数ゼロの体の加法の群が典型的な例だ。標数が正の体の場合はそうでもなくて、極端な話、位数2の巡回群 \(\mathbb{Z}/2\mathbb{Z}\) は \(1=2x\) をみたす \(x\) が存在しないから可除でない。位数2に限らず巡回群はどれも可除でない。

可除アーベル群の特徴として、任意のアーベル群の可除部分群はかならず直和因子である。可除アーベル群の直和因子はまた可除アーベル群である。

そして、可除アーベル群の構造定理というのは次の主張だ。可除アーベル群は各因子が \(\mathbb{Q}\) またはなんらかの素数 \(p\) に対する \(\mathbb{Z}(p^\infty)\) に同型であるような直和分解をもつ。ただし \(\mathbb{Z}(p^\infty)\) とは分母が \(p\) の羃であるような有理数の \(\mathbb{Z}\) を法とする合同類のなす群のことだ。そこで、直和因子として \(\mathbb{Q}\) がいくつ、各素数 \(p\) に対する \(\mathbb{Z}(p^\infty)\) がいくつ含まれるか、その濃度の情報が可除アーベル群の構造を完全に決めてしまう。

本を読み、行間を埋めながらメモをとり、あるいはホワイトボードで計算して、自分で証明を再構成し、清書した手書ノートはスキャナで画像データにしてパソコンに溜める。…勉強が進んでいるときは楽しくて時間を忘れてしまう。いっぽう、「あれもせんならんこれもせんならん」とか「嗚呼、我は何を為す可き哉」とか、ぐちゃぐちゃ考えているだけのときは、気持ちばかり空回りして何も進まない。ちょっとでもいいから前進しよう。どんなに小さくてもイプシロンはゼロとは違う。

水曜日は定例の休肝日。

普段は弁当を作って持ってくるんだけれど、きょうに限って昼食を外食することにして、nCoくんと一緒に樋又通の向日葵亭へ行ってとんかつを食った。nCoくんが時間割表を作って自主的にスケジュール管理すると言っているので、俺も少し見習おうと思う。夕食は自宅で味噌ラーメンを作った。

年度が替わったけれど、まだキャンパスは静かなもの。とはいえ、いつまでも気を抜いてないで、新学期の授業の準備をきちんとしなくちゃ。

5月に天皇が代替わりなさる、その新しい元号が《令和(れいわ)》と決まったそうな。なんでも、万葉集のある歌会の様子を描いた序詞にある「初春の令月にして/気淑(きよ)く風和らぎ/梅は鏡前の粉を(ひら)き/蘭は(はい)後の香を薫らす」が典拠だという。令月は旧暦二月の別称、珮は「おびだま」すなわち腰につけてアクセサリーとする玉だそうだ。この文はさらに遡れば漢籍にその元ネタが見つかるらしいのだけど、国書から元号を採ったのは前代未聞のことだそうだ。元号の決め方や漢字の選び方について文句を言う人がさっそく昼過ぎにはツイッターのタイムラインに見られた。それもわからないことはないし、俺だっていまの政権が好きなわけじゃ全然ないが、誰がどう決めたかを一旦忘れれば、これはいい元号だと俺は思う。「りょうわ」と読ませてくれたらもっといいんだけど、そうなるとますます昭和とまぎらわしいかな。

そもそも、元号を作るのはお上だが、時代を作るのはすべての人民、つまり俺たちひとりひとりだ。人々が、きよくうるわしくなごみあう、そういう、令和の元号に違わぬいい時代を、これから作っていきたいものだ。

月曜の夜はピアノのレッスン。進捗は、少しずつだがゼロではない。あきらめずに進もう。レッスン後にジュンク堂書店に行き、新刊の新井朝雄『数理物理学の風景』(日本評論社)を買って帰宅。休肝日。