て日々

2018年7月


2018年7月31日(火)はれ

市役所に提出する書類がかれこれ1か月も遅れているので、夕方、西郵便局へ出しに行ってきた。妻の車で行き、郵便局の手前で古三津のファミマに寄って、こまごまと買いものをする。さして広くもないコンビニの店内を、きょうに限って妻がずいぶんゆっくりと見てまわったもので、買い物をしているうちに郵便局の窓口が閉まる19時を過ぎてしまった。時間外窓口に行ったのは19時17分とか、19時をちょっとだけ過ぎた程度だったが、すでに長い列ができている。俺と同様、19時までに行けばいいやと思っていたら、なんだかんだあって思いがけず遅れて、間に合わなかった、そういう人がたくさんいるのだろう。

さてさて、連載原稿の〆切日。文章はどうにか夜21時には書けていたのだが、今回はちょっと図が多い。Tikzを使って作図していたら、日付が替わって2時までかかった。いまから辰馬本は読めないが、百人一首の書きとりだけはやっとこう。今夜は喜撰法師の「わが庵は」だ。


2018年7月30日(月)くもり

朝、家の外に出てみると、空にキレイな虹がかかっていた。

住宅街の空にかかる虹
やっぱり能天気でいようよ、と
虹に声をかけられたように思った

かつて俺は「虹は偽善者である」と書いた(→2008年11月26日の日記)。だが、けさの虹をみて、少し考えが変わった。たしかに虹というやつは、腹が立つほど能天気だ。だが、能天気さは俺の持ち味でもあった。この数週間というもの、俺は心の中の様々な思いごとや夏休みに向けての予定に追い立てられるあまり、自分の持ち味をすっかり見失っていた気がする。

それに気付いて急に思い出したことがある。大学を卒業した1987年の夏、同窓の学友たちから、思いがけず何通か暑中見舞の葉書が届いた。そのなかの一つ、俺と同じ森島ゼミの絢子さん(苗字を失念。ごめんなさい。)からの葉書には「藤田くんは、いつも飄々としていて、強い人だなと思ってました」と書いていた。

その10年ほどあと、初めての海外旅行に行き初めての英語での研究発表ということをした。どうにか無事に発表を済ませたあと「いやあ緊張しました」と言ったら、横で聞いていた神奈川大の矢島幸信先生が意外そうに「藤田くんでも緊張することあるの?」と仰った。そりゃ緊張しますってば。俺にはむしろ矢島先生の反応のほうが意外だったが、周囲の人は、どうも俺をそういう飄々とした自信満々・余裕綽々のキャラと見るらしい。

ここで俺が「そうじゃないんだ。俺は実は小心で未熟なハッタリ野郎なんだ。いろいろ楽々と成し遂げているように見えてることも、実はツナワタリなんだ。」と主張したところで、これは仕方がない。そんなのは、俺の言動をひと目見れば、わかる人にはわかることだし、わからない人にわざわざ知らせても知らされたほうが困るだろう。

これまで俺はあのいけすかない虹の野郎が嫌いだった。だが、何を思ってそこに立っているのか、虹の真意はわからない。その裏返しで、あの日の日記に書いた「(俺は)虹と違って登場するだけでは誰にも喜んでもらえない。」というのも、本当はどうなのか、俺にはわからない。ともあれ、いろいろの人から話を聴くに、つねに飄々として余裕綽々、自信に満ちたキャラクターであると、俺は皆に見られているらしい。それが周りの皆から見た俺の持ち味なんだろう。それが本当なら、もちろん悪くない。本当にそんな人間だったら、それは素敵なことだ。このさい肩の力を抜いて能天気なキャラでいよう。ただし、どうせ能天気なら、強い能天気でありたい。天気が回復しないと出てこない虹の野郎のように困難が去ってからようやく「やあやあ、みんな元気?」と出てくるんじゃなくて、雨のさなか、夜の闇の中でも、飄々としてアホ歌を歌っているようなキャラになりたい。それには、いまの俺はいくらなんでも弱すぎる。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

午前中は「毎年この時期特有の学内業務」の続き。昼休みから15時までの3時間は空き時間。といっても、これはその「この時期特有の学内業務」の空き時間という意味であって、休み時間ではない。学内某所に拘束されていてこなせない通常業務のあれこれを、この時間に済ませなきゃならん。まず期末テストの問題を作る。ひと区切りしたところで弁当を食うが、そこへ4年生の受け持ち学生の一人が進路の相談に来たので対応する。それが済んで、期末テストづくりに戻ったら、今度は3年生が3人やってきた。教員たちの部屋を訪ねて、後期の「数学セミナーII」でどんなことをするのか聞いて回っているという。テスト問題を表示させていたパソコンの画面を慌てて切り替えて応対。高橋正子『コンピュータと数学』、竹内外史『線形代数と量子力学』、スマリヤン『数理論理学講義|上巻|』、田中俊一『位相と論理』と、テキスト候補を並べて、これこれこういうことをやるよ、と説明。大学院入試に関連した用事で山内准教授が来る。来年度の教員免許状更新講習の日程に関連してユーキ教授から電話がかかる。そんなこんなですぐに15時近くになった。弁当を半分も食ってない。

15時からは大学の寮の指導主事会議というものに出席する。さてこの大学に勤めて27年経つし、最初の6〜7年は毎朝毎夕この寮の前を通勤していたが、初めて敷地内に立ち入る。会議の前に建物を案内してもらった。毎日前を通っていた20年前と比較して、ずいぶん小綺麗に建て替わっているし、セキュリティもちゃんとしている。入居者居室のある棟の中は少々殺風景ではあるが、敷地の周囲は閑静な住宅地で、かなりいい環境だ。会議は事務的なことの他、今年度から管理体制が替わりましたとか、来月7日・8日のオープンキャンパスに合わせて寮の見学会をやりますという連絡とか、ゴミ出しのルールが留学生たちにいまひとつ周知できていないようだけどどうしようかといった相談とか。

会議が済んで、小雨の降るなか大学に戻り、弁当の残りを食い、ひと息入れてから、期末テストの問題を確定。きょうはピアノのレッスンがお休みなので、その時間を研究室で過ごす。このごろの日課である百人一首の書き取りということもやる。きょうは七日目、阿倍仲麻呂の歌「天の原」だ。21時過ぎに大学を出るが、ちょうどその時分に、これまた仕事を終えた妻から、帰り道に車で拾おうかと連絡があったのを知らずに歩いて帰った。歩数計カウント7,195歩。


2018年7月29日(日)あめ

台風12号の影響でよく降った。妻はきょうもショッピングモール医務室詰めの仕事。俺は日中は家から出ず、昨日買っておいた食材で昼飯のラーメンを作って子供らと一緒に食う。あ、念のために言うけど、これは俺がラーメンと子供らを食ったのではなく俺と子供らがラーメンを食ったと言っているのであるよ。

午後は久々にショスタコーヴィチの《レニングラード交響曲》を聴きながら、あのころ(2004年)マエストロ大久保が俺たちに語ったことのうち、当時の「て日」には書かなかったこと、この曲の終わり方について、ツイッターに連投。その後、ツイートの内容がヘタレな自分についての泣き言になり、さらに繰り言になりかかったところで、我に返って話を打ち切って晩飯の用意。晩飯と風呂を済ませてから辰馬本読みを再開するが、零時近くになって眠くて何をやってるのかわからなくなったので、第1章を終わらせる直前だったが諦めて就寝。


2018年7月28日(土)くもり

このごろ睡眠と食事が不規則だったり気がかりなことが沢山あったりで、情緒が安定しない。これではどうしようもない。他のことは置いといて、自宅の自分の部屋を片付ける。倅に個室を開け渡した一昨年からこっち、俺の部屋が物置状態で、本棚にもおいそれと近寄れなかったのだ。荷物の大部分は古いパソコンなどなどのジャンクだから、クリーンセンターに簡単に持ち込むこともできず、業者に頼んでひきとって貰うほかない。だからいますぐには荷物を減らせないのだけど、いろいろまとめて並べなおすだけでもずいぶんスッキリして、少なくとも、本棚へのアクセスは確保できた。これだけでも大した改善だと、ひとまず思い込むことにする。

本棚の本と本棚からはみ出した積み本
しかしまあ読んでない本の
多いこと多いこと

スマホはiPhone Xで、ストレージが256GBある。これまで、古いiPodの使い方をずっと引きずって、聴きたい音源だけを選んでiPhoneにコピーしていた。ジジイは古いやり方にこだわりがちなのだ。ところが、このごろはMacBook Proを開く機会がずいぶん減って、聴きたい音源もiPhoneにないという理由で「まあええか」と聴かずにいることが増えた。だがストレージが256GBあれば、古いMacBook Proに置いてあるiTunesライブラリ32GBをまるごと転送しても痛くも痒くもないはずだ。それでiTunesの設定を変更して、家事をしている間に音源をすべて転送させた。おかげで夕方から夜にかけて、マーラーの第三交響曲、リムスキー=コルサコフ《シェヘラザード》、オネゲルの第三交響曲、マーラーのアダージェットのピアノ独奏版、アルヴォ・ペルト《フラトレス》と《タブラ・ラサ》と、いろいろ楽しめた。パソコンのiTunesの大きな画面と比較して、iPhoneのミュージックAppでは、目当ての曲を探すのにちょっと手間がかかるけれども、そんなことより、家にある音源がすべて手元にもあるというのは大したことで、音楽を聴く機会が間違いなく増える。

《シェヘラザード》はコバケン(小林研一郎)の日フィル。2006年7月の日記では、コバケンの他にマゼールとゲルギエフも持っていることになっているが、なぜかiTunesライブラリにない。これは残念すぎる。持ってたはずの楽譜もない。どないなっとんねん…

そうなると、Bluetoothヘッドフォンというものが欲しくなるね。なにしろ、iPhone Xにはイヤホンジャックというものがなくて、有線インターフェイスはLightningコネクタだけ。となると、有線イヤホン(というのは言葉が変だけど)で音楽を聴いている間は充電もできない。(あ、このごろは充電をコードレスでやるデバイスもあるのか)

さてそんなこんなで、ものすごくひさしぶりに、自室で机に向ってノートを広げて勉強するということができた。机といってもデスクではなく、ここへ引っ越してくるまで10年ほど毎日の食事に使っていたダイニングテーブルのおさがりだ。大きさだけは事務用のデスクに遜色ないが、整理棚やらテレビやらが乗っているから、作業スペースとしては小学校の教室の机くらいしかない。このあたりも改善が必要だな。例によって、辰馬伸彦『位相群の双対定理』を少しだけ、p.12からp.13にかけて読み進める。なさけないスローペースだが、とにかく毎日やる。


2018年7月27日(金)くもり

「数理論理学」講義最終回。完全性定理の周辺の話題。述語論理の健全性を復習し、完全性のステートメントを述べ、モデルの存在定理との同値性、コンパクト性定理、すべての有限群に共有される初等的(=一階述語論理の言語で書ける)性質は少なくともひとつの無限群にも共有される事実に言及。

夕方にはふたたび例の業務。18時40分ごろに業務終了。歩いてフジグラン松山に行き、タリーズコーヒーでソイラテを飲みながら、連載の原稿書きを21時ごろまで進める。帰宅後はダイナブックのDebianにインストールしたSkypeで「第11回関西すうがく徒のつどい」の運営会議に参加。その後、辰馬『位相群の双対定理』を少しだけ勉強。進捗は1ページと4分の1。この調子ではいつになったら本題に入れるやら。歩数計カウント13,414歩。


2018年7月26日(木)はれ

二人のゼミ生がそれぞれに都合がつかず、卒研ゼミがお休みになった。A7くんのゼミはこれでおしまいである。

仕事で行った部署に三省堂『あたらしい国語表記ハンドブック【第七版】』という本があった。常用漢字の筆順一覧とか、カタカナ語の表記ポリシーとか、送り仮名についての方針とか、そういうリファレンスをまとめた本だ。これはいいと思って、夕方、ジュンク堂書店に行き、アップデートされた『あたらしい国語表記ハンドブック【第八版】』を購入。それから市内電車で元町珈琲に移動して、連載の原稿を少し進める。


2018年7月25日(水)はれ

毎日凶暴な暑さ。キャンパスの隣の小中学校が夏休みに入り静かになった昼日なか、灼熱の大気に包まれた世界を隅々まで照らし出す容赦のない太陽の光が、メディアの伝える社会情勢の混迷とあいまって、なんだかSF的な終末感を醸し出してしまっている。脳味噌が茹で卵になりそうな状態で、数理論理学の講義。恒真論理式とか、公理系Γからの論理的帰結とかいう、真理性をめぐるモデル論的な概念と、それに関連した「述語論理の健全性」について、自分なりにきちんと説明した。昨年までとほぼ同様のペースで、次回はいよいよ最終回だ。それ以外の時間は、学部の会議と、月曜日までに引き続き某所で缶詰になっての業務。夕方も18時半くらいになってようやく解放され、21時過ぎまで、少し自分の用事をして、歩いて帰宅。歩数計カウント12,445歩。

その他には日記に書くような面白いネタもないので、試しに記録にのこっている歩数計のカウントの合計を計算してみた。2007年5月以来の合計で、10,329,817歩であった。これは1歩が60cmだとして6200キロメートルくらい。調べてみると、おおむね松山からインドのムンバイまでの直線距離に相当する。塵も積もれば山となる、というやつだ。


2018年7月24日(火)はれ

朝、電車に乗ったら、たまたまユウキ教授と同じ車両だったので、二人で話しながら大学まで来た。どういう流れだったか、大学の周辺に、喫茶店(俺とユウキ教授は同年齢。昭和の生き残りの俺たち同士の会話では、カフェという言葉をあまり使わない。)やなんやかやがあまりにも少ない、という話になった。ゲストの研究者やなんかと、ちょっと場所を替えてディスカッションをしよう、なんて思った場合、学内のカフェテリアでは落ち着かないから、日赤病院内のタリーズに行くぐらいしか、選択肢がない。かつては「紙ふうせん」とか「カフェSHIMIZU」といったちょっと気の利いたカフェがないでもなかったのだが。それで、樋又通の来来亭のとなりのサークルKの跡地に今度できるというコメダ珈琲店には、俺はけっこう期待しているのだ。

とはいえ、愛媛大学の城北キャンパスはまだしも恵まれている。キャンパスのすぐ近くのエリアこそ、たしかにこの20年で少々寂れたが、少し歩いて道後湯之町なり大街道商店街なりまで行けば、まだまだたくさんのカフェがあるからね。

ああそうだ。思い出した。この話になったのは、水害で山陽本線が不通になり、広島大学に通う人たちの足が奪われている、という話題からだった。それで《大学は街の中にあるべきだと俺は思っている》と話が続いたんだ。大学の周りには、喫茶店と、よい品揃えの大きな書店と、特徴のある古書店と、映画館とか美術館のようなものと、あとライブハウス的なものがあるべきだと、だいぶ古臭い感性だが、俺はいまだに思っている。その観点からいえば、一地方都市の小さな大学とはいえ、愛媛大学の周囲の環境はけっこういい線いっていると思うし、松山を訪ねてきたゲストの先生たちも、よくそう言ってくれる。

それなら、そのような恵まれた環境が残っているうちに、街に出て、風を吹かせることだ。何も若い人任せにすることはない。さて、ではそのために俺にできることは何だろうか。いやいやいや、何が「できることは何だろうか」だ。こうなったら、どっからなと行かな。本を読み、人の話を聴いて、見聞を広める。たとえば県立図書館にもっと頻繁に足を運び、たとえば三番町ガーデンプレイスカフェで過ごす時間を増やし、もっと人に会う機会を増やす。そうして、人と語りあい、人と人が出会う交差点になることを心がける。きっと簡単ではない。しかし不可能でもない。どっからなと行かな。いつも世の中に背を向けて自分の脳味噌ばっかり見つめていながら、「できることは何だろうか」もヘチマもあるものか。おもてへ出よう。関心をもとう。

区切り線がわりのGIFアニメーション

話は変わる。新入生セミナーAの授業の最終回。うちのクラスのグループのひとつの、酸性雨についてのポスター発表が、学部長賞第3位を獲得した。もちろん俺は傍から見ていただけだから、これはあくまでこのグループの4人が偉いのであって、俺の手柄でもなんでもないけど、やはり、こういうことがあると嬉しい。

5月1日の日記に書いたとおりで、俺の受けもった12人は、押し付けがましくない適度な協調性と自発性を備えた連中で、これまで何度も学生生活担当教員をやってきたなかでも、とくに印象がよかった。そして、好印象で終わることができたのは、どうやらお互いさまだったようだ。男子学生のひとりが「このクラスこれで解散ですか? 残念だなあ。」と言っていたし(いや解散じゃないよ君たち次第だよ)、出席カードのコメント欄には「藤田先生おもしろい方だと思いました!」とか「藤田先生に会えなくなるのが少しさみしいです。短い間でしたがありがとうございました。」とか書いてくれている。初回のコメント欄に第一印象で面白そうな人だと書いてくれた学生はこれまでにもいたけど、最終回のコメントで言ってもらったのは初めてだ。もちろん、第一印象よりは、3か月半にわたって毎週顔を合わせ続けた後に結論として書いてもらったほうが、よほど嬉しい。ありがたいことだ。

女子学生のひとり、明るく積極的なMzさんがムードメーカーになってくれたことも、お互いの好印象に一役買っている。そして、いまの4年生を受け持ってからの3年間で、自分でも気付かぬうちに、学生に対する俺の姿勢あるいは視点も変わったのかもしれない。

歩数計カウント11,448歩。


2018年7月23日(月)はれ

数学をやっていると、しばしば、そこに見えている正解にたどりつけないという経験をする。先月は強制法の基本事項に証明をつけようとしてつらい思いをした。けさは高校数学のある問題に関して同じ経験をした。与えられた条件を考慮すると何が正解かは明らかなのに、やってもやっても計算が合わない。まあ、たいていはどこかで計算ミスをしていたり、簡単な条件を見落したりしてるだけなのだが。

こういうとき、自分がすっかりダメになったような気がして落ち込む。正解が見えているばっかりに、なんでこんな簡単なことができないんだろうと、余計に落ち込む。だが、計算以前のところで正解を見通す直観は、ある程度その道に通じているからこそ得られる大切なスキルなのだ。決して本当にダメなわけではない。それを《俺はダメだ》と決めつけて手を止めてしまったら、その時こそ本当に、ダメを自己成就してしまう。これはもちろん、数学に限った話ではない。

というわけで、諦めずに手を動かすことにする。いつものことながら、やるべきこととやりたいことがたくさんありすぎて、何から手をつけたらよいのかわからない状態が続いている。ものは考えようで、これはある意味、何から手をつけてもいいということだ。

俺の大好きな上方落語、桂枝雀の名演『天神山』で、登場人物のヤスベエが「こうなったら、どっからなと行かな」と言うシーンがある。ある怪事件をきっかけにヤスベエがミナミの一心寺の墓地に(かか)つまり結婚相手を見つけにいく。が、むろん見つかるはずもない。探しあぐねて一心寺の向かいの天神山(安居神社)にたどりつく。「ひとつ天神さんに嬶頼んだろ。こうなったら、どっからなと行かな。」このあと、この天神山を舞台に起こる事件がこの噺の中心なんだが、それはぜひ、どこかで録音を見つけて聴いてみてください。すごくいい噺です。なんならCD持ってどこへでも駆けつけますぜ。 なんやったらどこへでもCD持って駆けつけまっせ。

さてさて、やるべきことがたくさんありすぎて、何から手をつけてよいのかわからない。わからないが、手をつけなければ進歩はない。そして、複数のことを一度にはできない。ひとつずつやるしかない。まずは手をつけよう。最適な順序なんてものは手を動かしながら考えたほうがいい。こうなったら、どっからなと行かな。

品名: とてもむずかしい本
現在までのところ
「む」を「は」に見間違えたという報告はない

壬生雅道『位相群論概説』(岩波書店1976年)という古い本を人に譲ることにした。何年か前、「て日々」によれば2010年3月に、大学の図書館を除籍になったのを譲り受けてきたものだ。俺が死蔵しておくよりは、誰かに読んでもらったほうがいい。先週末、相互フォローのキョウさんが「位相群論の教科書ってどんなのがあるだろう」とつぶやいていたので、目次を紹介し、ざっと見ての印象を伝えたうえで、必要ならばとお送りすることにしたのだ。

夕方、普段より少しだけ早めに大学を出て、大街道のローソンでレターパックを買った。三番町ガーデンプレイスカフェに行って、発送の準備。レターパックに宛先を書き、短い手紙を添えて本を封入。すぐそこの中央郵便局へ行ってみると、局の前のポストは投入口から郵便物が溢れんばかりになっている。仕方がない。局内の差出口に投函したうえ、局員さんに「オモテのポスト満杯で入れられへんから、ちょっと見とってくださいね」とひとこと告げて、ピアノのレッスンに向かう。

三番町ガーデンプレイスカフェは正しく《カフェ》であって、ビアホールを兼ねている。夕方に行くとビールが飲みたくなって困る。しかしまあ、少なくとも今月中は酒を口にすまい。

ピアノ教室に行くと、いつもは空いている1つ前のコマで、ヴァイオリンの原瀬万梨子先生がレッスンをなさっていた。昨日のN響を聴きに行ったかと聞いたら、原瀬先生も手島先生も行ってないとのこと。原瀬先生のレッスンを受けていたヴァイオリンの生徒さんは行ってたらしい。すばらしかったですよねと頷きあう。で、ピアノのレッスン。この1週間は本当によくサボった。仕事と家の事情で仕方がないと言いわけはいくらでもできるが、言いわけは言いわけだ。練習不足がやっぱり音に出る。ただ、無駄な力をガンガン入れることはなくなってきていて、その点は評価してもらえた。来週はレッスンが(子供クラスの発表会があるため)お休みだそうだ。8月にはお盆休みもあるから、8月24日の本番までレッスンはあと2回しかない。むむむ。家でしっかり練習するしかないぞ。

コーヒーはレッスン前に三番町ガーデンプレイスカフェで飲んだから、レッスン後はドトールコーヒーに行かず、歩いて宮西のブックオフ。それからフジグラン松山へ行く。1階の食品売り場で「キリン零一」を買って3階のフードコートに席を占め、昼の作業の続きを考える。

俺にとっても、位相群とその表現論はやるべきことやりたいことのひとつである。これを期に俺も勉強を始めよう。しかし譲ってしまった『位相群論概説』を読むことはできない。辰馬伸彦の『位相群の双対定理』(紀伊國屋書店1994年)を読むことにする。こうなったら、どっからなと行かな。

第1章でいろいろの基礎概念を復習している。たいてい証明がついていないので、自分で考える。局所コンパクトT2空間が正則であること。局所コンパクトT2空間のコンパクト集合とそれに交わらない閉集合が連続関数で分離できること(いわゆるウリゾーンの補題)。局所コンパクトかつσコンパクトなT2空間がパラコンパクトであること。このあたりはどうにか自力で証明がつけられる。次が、局所コンパクトかつσコンパクトなT2空間の任意の開被覆に従属した単位の分解の存在証明。これだって難しくはないのだが、ウリゾーンの補題を適用して連続関数族をとるために、開被覆の細分についてのコマゴマした条件を整えてやらねばならない。べつだん難しくはないが、面倒ではあり、条件を見落としては書きなおすことを何度も繰り返す。これまた、正解は見えているのに、なかなかそこへたどりつけない。まあ、ゆっくり行きましょう。

フジグラン松山からは電車で帰宅。先日注文した中公バックス「日本の名著」の『世阿弥』が届いていた。歩数計カウント13,527歩。


2018年7月22日(日)はれ

午前中、家のまわりの草引きをした。玄関から駐車スペースにかけてと、家の裏側ね。途中から倅にも手伝わせる。倅は手先が不器用で、そのうえこのごろは外で遊ばないので、こういう作業の要領はよくない。俺が一人でやったほうが手間がないくらいなのだが、家のことは家の者が力を合わせてやるということを教えるために、敢えて参加させた。午前中いっぱいかかったが、家の西側と北側の草引きが済んで、それなりにすっきりした。

夕方からは妻とN響の演奏会に出かけた。二人でのこういう外出は、本当に久しぶりだ。俺は普段仕事に行くときとあまり変わらない格好だが、妻は新婚時代に買ってあげたブルーのワンピースドレスを着ている。演奏会の出しものはシベリウスの弦楽のための小曲「アンダンテ・フェステーボ」とヴァイオリン協奏曲、メインはブラームスの交響曲第1番。最初から俺としてはシベリウスが目当てであった。前プログラムの「アンダンテ・フェスティーボ」を一聴して、妻を連れてきて正解だったと確信した。バイバ・スクリデの弾くヴァイオリン協奏曲は、期待に違わぬ素晴らしい演奏だった。この曲の、とくに第2楽章が、俺は大好きなのだ。ソリストのアンコールは(作曲者を失念したが『鐘の模倣』というタイトルだったように思う)繊細な急速なアルペジオが続くエチュードで、会場は全神経を集中させ水を打ったような静かさで聴き入っていた。ブラームスはあまり期待していなかっただけに、いい方に裏切られた感じ。第2楽章のオーボエが美しかった。第4楽章のフルートソロは、あの息の長いメロディーをノーブレスで吹いていたように思ったが、そんなことできるもんなのだろうか。オケのアンコールはシベリウスの『鶴のいる風景』とかいう曲。これも繊細で緊張感のある、しかし静かな美しい曲。俺はそういうのがとりわけ大好きだから、もう大満足。帰りは電車が混むので、二人で小一時間歩いて帰宅。

ところで、真剣に音楽に聴き入っているときの妻の真顔を見ると、俺はけっこうビビる。演奏会の休憩時間にそう伝えると、妻は「そやけどあたしが真顔のときがヤバイってわかるの てなぴょん(俺のこと) だけよ。」と言った。仕事で顔を合わせる人たちには「フジタはこの件について議論するためにこれからちょっと真顔になります」と宣言しても、それがどれほど深刻なことかわかってもらえない、というのだ。そういうものなのか? そういえば、歩いて家路をたどっているときも、疲れて口数が減った妻が心配で、俺のほうがいつになくよく喋っていた。普段の妻は、真顔とか寡黙さなんてものとはおよそ無縁の存在なのだ。ただ、体が丈夫なほうでもないので、長距離を歩くときは息を整えるため口数が減る、とは本人の談。帰宅して一息入れたら、ちゃんと饒舌が復活した。

たまにこういうイベントに出かけるくらいのことは、もっとすべきだと思う。俺はもっともっと音楽を聴きに出かけるべきだ。そのほうが、自分の活動のモチベーションが高まるし、そのぶん、くだらないことを考えずにすむ。ぼんやり過ごす時間が多すぎて、俺はすっかりダメになっている。屁理屈をこねたり妄想をたくましくしているヒマに、もっと体を動かして、たとえば草引きくらいするべきだし、もっと人と話すべきだし、世の中のことに関心をもつべきだ。


2018年7月21日(土)はれ

午前中はいつもの温泉に行く。ヘアトニックを買いにファミマに寄ったら、くじ引きで「第3のビール」が当たってしまったので飲む。禁酒は12日で中断。まあ今日は禁酒のお休みということにして、明日からまた始める。昼飯に焼きそばを作る。

午後は倅を連れてコミセンの図書館に行った。一昨日の医者からの帰りにコンビニで買った湯川久子さんの本を読んで感じるところがあったので、世阿弥の『風姿花伝』を読んでみようと思ったのだ。ツイッターのフォロワーのくろひつじさんから、中央公論社「日本の名著」の世阿弥編がよいというアドバイスをもらったが、それはコミセンの図書館(松山市立中央図書館)にはなかった。世阿弥についての本とサルトルについての本とビートルズについての本を、合わせて8冊借り、倅が読みたいという本も1冊借りた。松山市立図書館は貸出期間が2週間だが上限が10冊なのだ。(いっぽう、愛媛県立図書館は5冊を3週間だ。)

図書館で借りた本8冊

図書館で借り出すときは、サルトルとの関連は意識していなかったが、『世阿弥 「まなざし」の超克』の高野敏夫によると、世阿弥は「見られるもの」としての演者ということを深く考えていたという。その観点はサルトルの《対他存在》に通じるものかもしれない。この高野敏夫は、松浪信三郎のもとでサルトルを研究した人であるらしい。

コミセンを出て、倅にアイスクリームを食わせようと街へ向かう。マツチカのジェラート屋でもよかったが、高島屋の8階に行ってソフトクリームを買ってやり、自分は禁酒のお休みをいいことに生ビールを飲んだ。中公「日本の名著」版はアマゾンで中古をポチすることにして、ジュンク堂で角川ソフィア文庫の竹本幹夫訳注『風姿花伝・三道 現代語訳付き』も購入。

ツイート:そうとも。俺は女好きだ。ただし、女たちのうち男前な奴らだけが好きであることを、ここに宣言する。

ツイッターで「オトコマエの女が好き」と宣言し、あまつさえプロフィールに固定してしまった。冗談めかしているが、俺の偽らざる本心である。それで夕食を作りながら妻とオトコマエ女子談義になった。ツイートではわがTLの3大オトコマエ女子とピアノのテシマ先生を挙げたが、ゼルプスト殿下史上最強のオトコマエ女子はかつて松山ウィンドにいたアキヒメか、妻との共通の友人であったナリマツだろう。そして、この2人の間に優劣をつけるのはヤボというものである。たいていの読者には何のことかわからんと思うが、ここではこれ以上の説明はしない。


2018年7月20日(金)はれ

午前中は会議。

講義は構造における論理式の真偽の定義。すなわち、ゲタ記号 \(\vDash\) について。 \(M\vDash\varphi[a_1,\ldots,a_n]\) ということの再帰的な定義をやり、次に群における交換法則を例にとって説明した。

講義のあと少し空き時間ができたので、今月1日に前半を観たNHKスペシャル『神の数式』の後半を観た。「点でなく弦であるというアイデアで、量子重力理論から無限大を追放した」「弦が振動する空間の広がりに含まれる余分な次元は、原子よりはるかに小さい領域に閉じ込められていて見えない」という、超弦理論のいちばんの要点が説明されていた。とはいえ、前半と比較して、よりいっそう、理論を作った人のドラマのほうに力点が置かれ、「お話に徹する」姿勢で作られていたように思う。そういうものと割りきって見る限り、とても面白かった。

夜は元町珈琲に行って10月号の連載原稿のことを考える。位相空間論の基本中の基本の重要事項のうち、8月号までに積み残した重要事項である「閉集合」「部分空間」「同相写像」を片づけねばならない。たぶん、それだけで紙数が一杯になるだろう。必ず何かの実例を扱い、何か図を入れるという方針を守って、レムニスケート曲線とその有理式によるパラメータ表示を利用することにした。何に使うかは、まだ内緒。あと、それ以降の進行についても考える。直積位相や等化位相、可算公理、分離公理、コンパクト性、といったものについて、初歩的な内容を3月号までで扱う。来年度は、それらを踏まえて少し高度な内容に踏み込みたい。何をやるかを早めに決めて、準備しておかなくてはならないな。


2018年7月19日(木)はれ

昨晩は、時間こそ長くはなかったが、久々によく眠れた気がする。きょうも朝から、とある業務であんな計算やこんな計算をしなけりゃならん。昨日は睡眠不足でろくに使いものにならなかったが、きょうは大丈夫。ありがたいことだ。

午後は卒研ゼミ。A7くんがエルブランの定理、nCoくんがa.d.集合族の話。ゼミが済んだらまた朝と同じ業務に戻らにゃならん。これから2〜3週は、俺ごとき窓際要員ですらほとんどの空き時間が埋まるほど、この業務のスケジュールがたて込んでいる。ただし、きょうは医者に行く日なので、早めに抜けさせてもらう。

いつもの医者に行って、最近の悩みごとについて相談に乗ってもらう。客観的な情況にとりたてて変化がないのに自分の感情だけが昂っているとしたら、まあテンションが上がってるってことでしょうから、感情の起伏を抑えるほうの薬の分量を増やしましょうか、ということ。昼間眠くて仕方ないなら20分の仮眠を必要に応じてとるように、ということ。あとは、空き時間が多過ぎるのはどのみちよくない、忙しくしてなさい、ということ。

【20分の仮眠】というアドバイスの要点は次のとおりだった。(1)少し離れた場所にタイマーを置いて寝る.(2)タイマーが鳴ったら止めに行って顔を洗う.(3)長く昼寝すると夜に眠りにくくなるから短く.(4)それで作業を再開して眠ければまた仮眠する.

医者が済んで薬を出してもらって、帰りにどこかでひと息入れようと思ったが、医院と家を結ぶ経路にカフェらしいカフェがないので、フジグランのミスドに行ってカフェオレとエンゼルフレンチ。このごろは隣りのタリーズコーヒーに入ることが多くなって、ミスドは久しぶりだ。本を読んだり昼間の業務で懸案になった計算をパソコンで確認したりしてる間、店員さんが定期的にカフェオレのおかわりを持ってくる。体の組織の8割方がカフェオレに置きかわった頃、手土産のドーナツを買って帰宅。歩数計カウント9,886歩。


2018年7月18日(水)はれ

朝から某所でこの時期特有の学内業務。その後、研究室で受け持ちの学生さんの海外渡航届出書にサインしたり、nCoくんの質問に答えたりする。1年生のY'zくん、夏休みに語学研修でアイルランドに行くらしい。アイルランドいいなあ。羨ましい。ケルト音楽、アイリッシュウィスキー…。

nCoくんの質問はキューネン本第II章のΔシステムの話。後半の、帰納法で \(x_\mu\) を選ぶところがさっぱりわからんとnCoくんが言うので、図を描いて説明する。図のひとつくらい描いておいてもらわんとイメージが湧かないとぼやくnCoくんを「イマジネーションは、こういう議論を通して育てるものだよ」と宥める。著者が図を載せたとすれば著者のイマジネーションに発したその図が読者を拘束するだろう。証明を読んで俺が図を描いて説明すれば、その図は俺のイマジネーションと画力の枠から出ない。それらは、参考にはなるだろうけど、nCoくんはnCoくんで、自力でイメージを涵養せねばならん。著者の描いた図といえども、それがザ・正解というわけではない。それに、ヘタな図がミスリードすることも皆無ではない。

午後、数理論理学の講義。きょうからセマンティクスの話。構造の定義と例。項の解釈の定義と例。原子論理式の解釈。きょうはこれまででいちばん出席者が多かった。初回より多くて不思議なくらいだ。

講義のあとは朝と同じ学内業務に戻る。夕方からは昨日の作業の続きで、2013年までの「て日々」の書式を整える。これでスマホでも多少は読みやすくなったと思う。いずれもっと大幅に手を入れて改装することも考えねばならんけどな。

歩数計カウント11,365歩。


2018年7月17日(火)はれ

午前中、2か月ぶりに散髪にいく。頭が軽くなった。

新入生セミナーAのポスターセッション後半。いろいろなテーマの発表があったが、ポスター発表という形式の場合、数学をテーマに選ぶとどうしても見劣りがする。数学科とはいえ俺の受け持ち学生の3つのグループは数学以外のテーマを選んだ。しかし他チームの中には数論や複素解析などのゴリゴリの数学をテーマとする発表もあって、やはり伝え方に苦労していた。

古い「て日」(2002年10月〜2008年7月の日記)を手入れした。再利用しやすいように文字コードをUTF-8に変更する。ファイル名やエントリのIDを現「て日々」のやり方と統一する。書式をHTML5に合わせる。スマホで見やすいようにビューポート設定を加える。tableタグを使ってコンテンツを配置しているところを改める。画像の置き方を統一する。古くなったリンクを削除する。娘や息子の実名を伏せる。そして、思い出したくない痛い出来事をなかったことにする。けっこう手間がかかった。なんでこんな一文にもならんことに労力を注ぎ込んでいるのかといえば、記録というものが俺には大事だからだ。定期的に読み返して、自分を取り戻すためだ。

あのころ、俺は仕事とピアノの他に、市民コンサートや吹奏楽の練習に定期的に出かけており、子供たちも小さかったから、いろいろ話題を提供してくれた。そのうえ、今と違って、言いたいことをツイッターに吐き出して気が済む、ということがなかった。いまの「て日々」より当時の日記のほうが数段面白いのは当然なのだ。

「て日」の手入れが済んだら、次は2013年までの「て日々」も同様に整えねばならん。本当を言えば、レスポンシブデザイン化ということをしたいところだが、まあ、それは追い追いやることにする。

歩数計カウント11,290歩。


2018年7月16日(月) 海の日はれ

娘の作ったハッシュドポークライスで少し早めに昼食にして、妻と娘と3人でエミフルMASAKIに行く。自分の靴と娘の新しい服を買うためだ。倅は退屈するだろうから留守番。数年前までジャージとか黒いTシャツとかそんなのばかり着ていた娘だが、このごろ実は アクシーズファム がお気に入りらしい。さすがにそう何度も買ってやれるもんではないけどな。俺の靴は普通にABCマートでGTホーキンスのウォーキングシューズを買った。

帰り道、空港通りの海響市場で夕食の食材を買って16時半ごろ帰宅。夕食は刺身(鮭・はまち・鯛・鰹タタキ)と、イカとホタテのねぎ塩焼き。祝日だがピアノのレッスンがあるので、ねぎ塩焼を作るところまで俺がやって、刺身を切るのは娘に任せる。このごろは、キッチンに立てる人間が3人になったので、休日くらい、妻にはくたばっていてもらおう。

で、19時からピアノのレッスン。このごろは、8月のイベントの曲を見てもらっている。運指の工夫の必要なところなど、いろいろと指導をもらった。レッスン後はジュンク堂書店にちょっとだけ寄った。いま陳列の変更作業の最中らしい。これまで3階にあった哲学書のコーナーが4階に引っ越してきた。ひとまず数学や物理の本とコンピュータの本と哲学の本が4階に揃ったのは、俺には便利で嬉しい。そのあと、いつものドトールコーヒーには行かず、市内電車で萱町へ移動して元町珈琲へ。


2018年7月15日(日)はれ

午前中、高校野球地方大会の、ムスメの通う学校の試合をテレビで観戦。若い奴らが何にせよ一生懸命に打ち込んでいる姿は尊い。高校野球に限らず、学校の部活、あるいはもっと広く若者をとりまく情況については、いろいろ言いたいことがないでもないが、それは生徒たちの責任ではない。

昼食には小豆島の素麺を食い、少し昼寝をしたあと、例によってゲーム漬けの倅を外へ連れ出す。きょうは松山市駅から市内電車で道後の温泉街に行くことにした。まず長い石段を登って伊佐爾波神社に詣で、倅におみくじを引かせる。第一番大吉を引いて、倅は喜んでいる。俺は思うところあって、きょうは神籤を引かなかった。石段を下り、次は湯神社にお参りして、冠山駐車場から道後温泉本館へ回る。商店街を抜けて、からくり時計前のベンチに座って倅にソフトクリームを食わせ、自分はALL-FREE ALL-TIMEを飲む。三連休の中日なので、そぞろ歩く浴衣姿の男女が多い。なかなか眼福。少なくとも家でボケボケしているよりはずっといい。

夕食は野菜炒め。昨日買ったもやし2袋を使わねばならないので、もやし炒めを多めに作った。ほかに満願寺とうがらしを炙り、冷蔵庫にあった昨日の残りの煎り鶏を温めなおす。夕食後は普段より多めにピアノの練習の時間をとった。禁酒が一週間続いた。あまり気負わずにテキトーに続ける。

日記を読み返してみると、今月1日にも倅を連れだして神社に行っておみくじを引いている。そしてその晩のおかずももやし炒めだった。どうも変りばえしなくて申しわけない。うん。俺は新しい料理を覚えるべきだ。


2018年7月14日(土)はれ

午前中は温泉に行った。暑い日の午前中だからか、いつになくすいていた。昼食にサラダうどんを作った。紙ごみを紐で縛り、車に積んでフジ松江店にリサイクルポストに持っていく。自分用の靴下が黒系のしかなかったので、明るい色の靴下を6足買った。普段はそれほど気にもしないが、夏場は半ズボンだってはくので、靴下が黒だけではちょっと合わせにくいと思ったのだ。それと、クール素材の敷物を買った。いかにも妻好みのシロクマ柄だ。これはリビングに敷く。

思い立って、ノンアルコールビールを箱買いすることにした。もしも酒を箱買いすると言ったら大反対して運転をボイコットするだろう妻が、これには二つ返事で車を出してくれた。安く買えるかと思って高山町のダイレックス三津店に行ってみたが、ノンアルコールの箱売りはしていなかった。向かいのレディ薬局三津店にもない。まあ、限られたスペースに効率よく商品を陳列せにゃならん店員の立場になれば、俺だってこの売り場でノンアルコールは箱売りしない。スーパードライとか、ストロングゼロとか、そういう売れ筋のもののケースを置くだろう。しかし、今回の俺のテーマはあくまで「ノンアルコール」かつ「箱買い」である。それで、中央通りのラムーに行って、サッポロプレミアムアルコールフリーの24本入りケースを買った。ペヤング超大盛りが1個178円で、コンビニで買うより30円か40円も安かったのだが、こちらの箱買いは見送った。

夜、ある出版社からのメールでの問い合わせに返事を書く。一度にたくさんのことを聞かれると、答えを作文するのが難しい。単に聞かれた順番に答えたのでは、こちらの考えが説明できないし、考えをそのままの順序で書いたのでは、何に対する答えなのかわかってもらえない。設問の大枠に対するこちらの考えをひととおり開陳してから、個別の質問に箇条書きで答える。2時間ほどかかった。


2018年7月13日(金)はれ

川北稔『世界システム論講義 — ヨーロッパと近代世界』(ちくま学芸文庫)を片手に電車に乗って、科学論には近代の世界史についての視点が不可欠よのぉなどと考えながら大学へ行き、生協で新しい本を3冊買った。ジョルジョ・アガンベン『実在とは何か — マヨラナの失踪』(上村忠男訳,講談社選書メチエ2018年)、ヴォルフガング・ギーゲリッヒ『魂の論理的生命 — 心理学の厳密な概念に向けて』(田中康裕訳,創元社2018年)、三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか』(講談社ブルーバックス2018年)。読むべき本が溜まるいっぽうだ。

午後、「数理論理学」の講義。期末テストを8月1日水曜日にするか3日金曜日にするか、1日の午前中には幾何学のテストがあるはずで、同じ日に2つのテストはイヤだという考えもあれば、それでもいいから早く終わらせようぜという考えもある。それで授業のはじめに出席者に挙手してもらったら、みな3日がいいという。というわけで、期末テストは8月3日金曜日。自筆ノート持ち込み可。

きょうの講義は、述語論理における一般化定理。公理の集合 \(\Gamma\) と論理式 \(\varphi(x)\) について \(\Gamma\vdash\forall x\varphi(x)\) であることと、もともと\(\varphi(x)\) に含まれず \(\Gamma\) で言及されてもいない定数記号 \(c\) について \(\Gamma\vdash\varphi(c)\) であることとが同値であるという定理だ。証明を見ればわかるとおり、これはすべての変数 \(v\) について(それが \(\varphi(x)\) の自由変数 \(x\) への代入条件をみたすかぎり) \(\Gamma\vdash\varphi(v)\) であることと同値になる。坪井先生のテキストではさらに、代入条件をみたすある変数 \(v\) について \(\Gamma\vdash\varphi(v)\) であることとも同値だと主張するが、これには実は \(v\) が \(\varphi(x)\) に自由変数として出現しない (したがって \(\varphi(x)\) の自由変数 \(x\) に \(u\) を代入してできる \(\varphi(u)\) の自由変数 \(u\) に \(x\) を代入した結果がもとの \(\varphi(x)\) と同じになる) という条件が必要で、文字通りには正しくない。たとえば \(\varphi(x)\) が \(v\cdot x\geq 0\) だったら、これは原子論理式だからもちろん \(v\) は \(x\) への代入条件をみたすし、\(\varphi(v)\) すなわち \(v\cdot v\geq 0\) は順序体の形式的体系で証明できるけれども、\(\forall x\varphi(x)\) すなわち \(\forall x(v\cdot x\geq 0)\) は証明できない。とまあ、反例を挙げながら話した。次に、背理法の原理を説明。最後に、昨年と同様、次回以降への布石として《この形式的体系は通常の数学の証明に必要な論理の法則をすべて再現できるだろうか。できるとして、そのことはどうやって確かめられるだろうか。すべての数学を形式化してこの論理体系で展開すればいいだろうか。それなら確実かもしれないが、しかし数学はわれわれがここでこうやって喋っている間もどんどん発展を続けていて、その全部を再現するというのは事実上不可能。では、どうするか。》と言って、きょうの授業はおしまい。

講義のあと研究室に引っ込んで、本日〆切のちょっとした学内業務に取り組む。少し疲れた頃合いに、小休止をして立ち上がったら、どうも尻のあたりに違和感がある。なんだろうと思ったら、知らない間にズボンが派手に破れていた。

ユニクロの古い黒デニム。左の尻ポケットの下から横へ7センチほども破れている。

古いズボンだから、尻の骨の当たるところから布が傷むのは仕方がないが、こんなになるまで気がつかなかったのは不覚だ。さっき床に胡座をかいたときに破れたのか、あるいはひょっとして、この状態で電車に乗り、生協の本屋に行き、教壇に立ってロジックの講義をしていたのか。むむむ。かのダフィート・ヒルベルトは、穴のあいたズボンで講義をしても一向気にしなかったというが、俺はむしろ穴があったら入りたい。ロッカーに置いたスーツのズボンにはき替えて仕事を続け、できあがったものを担当のD教授に手渡したら、そそくさと大学をあとにする。この派手な破れかたでは、このズボンは廃棄にするしかない。このさいだから、フジグランに行って1本ズボンを買い足そう。

電車にフジグラン松山に移動。3階のTHE SHOP TKでセールをしている。なかなかいい感じのがあったので試着室で合わせてみると、サイズはいいが、フォルムが細すぎる、スキニータイプのズボンである。これでは、仕事にはどのみちはいて行けないから、真面目なブルーグレイをやめてレンガ色を選ぶ。これに明るいオレンジ系のトップスをうまく合わせれば、来月京都の某所でフルートを吹くときの衣装にいいかもしれない。次に4階でコクヨのソフトリングノート5mm方眼B4サイズ、それとビクーニャの4色ボールペンを買って、1階のタリーズコーヒーに行く。ソイラテを飲み、買ったばかりのノートに買ったばかりのボールペンでぐちゃぐちゃと走り書きしながら、アガンベン『実在とは何か』を読む。

なかなか難しいが、どうやら、この論考でアガンベンはシモーヌ・ヴェイユを長々と引用しながら、量子力学や確率論が実在に向かうのを諦めて可能性の重ね合わせばかりを相手にしていることを批判している。面白いけど、確率や物理を真面目に研究している側としては、これは「そんなこと言われても」と言うしかないだろう。たとえ「実在」と「可能性」が別物でお互いに相容れない対立概念だとしても、複数の可能性の重ね合わせのように振る舞っているのは、ほかならぬ粒子たちである。べつだん物理学者が観念の遊戯として確率解釈を物理学に持ち込んだわけではないし、すべての確率の計算に還元したからといって、物理学者が「実在とは何か」という問いを等閑視しているわけでもない。

倅を塾に迎えに行っていた妻にフジグランに回ってもらって、同乗して帰宅。


2018年7月12日(木)くもり

朝、出かける準備をしていたら、キッチンカウンターの下に置いたローテーブルの上にダイナブックのACアダプタがあるのが見つかった。ここは、いろいろなものが積み上がって、しかも変転窮まりなくつねに流動しているところ。しばしば思わぬものが思わぬ隙間に紛れ込んでいる。なるほど自室や立ち回り先をいくら探しても出てこんわけだ。ともあれ、これでひと安心。

午前中は昨日読んだGarnirの古い論文に関連して岩波数学辞典第4版の「線形位相空間」の項目を読んだりして過ごす。

Garnirの論文では選択公理を可算族に制限するかわりに《実数のあらゆる集合がルベーグ可測である》という仮説(彼の言葉では「ソロヴェイの公理」)を置いて関数解析を展開するとどういうことが言えるか、ということを論じているのだけど、ここで得られた結果に関する限り、必要な仮説をルベーグ可測性よりも真に弱いものに置き換えられるように思われる。さしあたりそのことを確認し、次はできれば数年前に \(\ell^\infty\) の双対空間について考えたこととの関連も調べよう。本当は類似の結果を関数空間 \(L^\infty\) で考えたいところだが、この場合は双対空間における \(L^1\) の補空間を \(\ell^\infty\) の場合のように具体的に定義できるかどうかがそもそもわからない。わからないが、そういうことを考えるのは、実はとても楽しい。

午後は卒業研究ゼミ。nCoくんがケーニヒの定理の証明と基数の冪乗の話をして、キューネン本第I章を済ませる。A7くんは就活のためお休み。

夜、帰宅してみると、「数学セミナー」8月号と、一昨日注文したスペアのACアダプタが届いていた。届いたスペアは純正品と定格が同じで寸法が少し大きめの互換品。これは家に据え置きにして、普段は研究室に純正品を置こう。このダイナブックは電池の持ちがとてもよいので、出張のとき以外は、それで困ることはあるまい。

歩数計カウント10,672歩。夕食は娘の作った親子丼。なかなか美味しかった。月曜日から禁酒継続中。いろいろの不調が酒のせいであることが、いよいよハッキリしてきた。ううむ。


2018年7月11日(水)くもり

昨日からダイナブックのACアダプタが見当らない。昨日の朝に行ったカフェか銀行にあるのだろうと思ったが、問い合わせたところ、どうもそうではないらしい。家のどこかからひょっこり出てくる可能性もあるが、あまり期待できない。電池の残量があるうちに、近々更新が必要になりそうなデータをUSBメモリにコピーしてダイナブックをシャットダウン。スペアのアダプタを(Amazonでは見つけられなかったので)楽天市場で注文した。数日は、パソコンを持ち歩くのはやめよう。

「数理論理学」講義の9回目。前回やり残した∃除去の推論法則の詳細をやって、次に仮定をもつ形式的証明の話をし、いわゆる「演繹定理」を証明。

演繹定理とは、閉論理式の集合 \(\Gamma\) と閉論理式 \(\phi\) があったとき、任意の論理式 \(\psi\) について \(\Gamma\vdash\phi\rightarrow\psi\) と \(\Gamma\cup\{\phi\}\vdash\psi\) が同値であるというもの。われわれは論理演算 \(\rightarrow\) について《\(\phi\rightarrow\psi\) とは、\(\phi\) という仮定のもとで \(\psi\) が成り立つことにほかならない》と、インフォーマルには理解している。このインフォーマルな理解がフォーマルな論理体系に適切に反映されていることを、演繹定理は意味する。だから、意味内容を考えれば当たり前のことになってしまうけれども、ごく少数の推論規則だけを認め公理からの導出ですべての論理法則を確証しようとするヒルベルト流の論理体系においては、これは有用不可欠な定理である。まあ、そうはいっても、証明はそんなに難しくはない。もう一つの、∃除去の推論法則については、2010年6月29日の日記に少し書いてるので、そっちを見てください。

夜は元町珈琲に行ってH.G.Garnirという人の古い論文を読み、少し食材を買って帰宅。休肝日3日目。歩数計カウント16,581歩。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

この数日「数学の勉強において暗記は是か非か」という話題がツイッターを賑わしていた。俺は数学者あるいは研究者として成功しているとは言えないし、そもそも勉強嫌いなので、本来ならば勉強法を云々する資格がないのだが、因果なことに大学の教員などという稼業だから、学生さん相手に勉強法の話をする必要に迫られることはある。

大学教員が勉強法を語るとしたら、受講者全員にその科目の勉強法を語るか、個々の学生が自分に適した勉強法を考えるのにつきあうか、このどちらかだろう。いずれにせよ《数学の勉強法という名の一般論》がありうるかどうかという問題とは、一応別の話になる。俺は、何かの試験に合格させることを目的として人にものを教えることは、ないというか、できない。(大学院生時代に予備校の講師のバイトを紹介されたが1週間でクビになった実績あり。)何らかの話題について、聞き手がある程度体系だった理解をしてくれることを目的に説明するということになる。そこで「理解」というものの成り立ちを考え、それを目指して進む。以下の話は、そういう目標を前提として読んで欲しい。

今回話題になっている、暗記を排除するかしないか、という話に対する答えは明快で、「前もっては、何も排除しない」

昨日配信の結城浩メルマガでは、受験勉強のスケジューリングが話題に上がっていた。以前に質問箱に来た話題だとしたら、TLにも流れたんだろう。そこでは、入試当日という絶対的デッドラインを睨んで全体像を描き、個別項目の進捗を自分で把握しなさい、というアドバイスがあった。大きなプランの中で作業をする。それは大事なことなんだろう。(18歳のときに俺にできていたかどうか。たぶん全然できていなかったはずだ。)ただ、個々の作業は、いつでも一個のトピックに対してなされる。この一個のトピックに取り組む姿勢として、あらかじめ何かを排除してはいけない。できることは何でもしないといけない。

暗記の是非については、相転移Pがツイートしてたように「ほんとうにくだらなくて」と言ってしまえばそれまでなのだ。勉強ということをするにあたって、有効かつ合法的な手段はなんであれ採用しなければならない。となると、話は「暗記は有効か」という論点に移るが、そりゃ有効になる場合があるでしょうよ、と言わざるを得ないだろう。

たとえば公式なら公式を、まず覚え、それを使いこなせるように演習問題をひと山やる。最初の段階は暗記でかまわない。だいいち、覚えてなきゃ使えない。

ただ、使い道や値打ちがわかってくれば、そのうち(ちょっと適切な言葉が見つからないんだけど)手に馴染むというか、親しみが湧くというか、そういう状態になる。それが理解の第一歩だ。それからは、その公式が生えてる地面とかその周辺の風景にも目が向くようになるだろう。

数学のトピックは歴史上の人名のような偶然的な任意定数ではなくて、背景に議論の流れが必ずある。その議論の理解が進み、納得できれば、もはやそれは、身についた状態になっているわけだから、もう暗記とは呼ばれない。勉強というのは、そのような状態を目指して進むもののはずだと俺は思う。だから、暗記の段階で止まっていては仕方がないというのも本当なのだ。

それでも、暗記の段階で止まっていては仕方がないというのと、勉強法として暗記を排除するというのとは、全然別のことだ。そもそも、暗記すらできないなら、使いこなす段階へ進むための道が断たれているわけで、もう仕方がないではないか。ついでに言えば、暗記の段階で止っていては仕方がないというのは、ひとまずヤミクモに記憶するしかない歴史上の人物の名前にしても、元素の周期表にしても、およそ学ぶに値するものなら、何であれ同じことだろう。

ツイッターで流れてきた研究者さんたちの意見では「研究者は手持ちのカードが多くなきゃいけない。覚えてなきゃ仕方がないから、暗記も大切」というのが多いように思った。が、彼らが「暗記」という言葉で意味しているのは、きっと公式が生えている地面やその周辺の風景まで含めたその土地に、ある程度馴染んでいる状態のことだ。

というわけで、結論としては「暗記の是非」が「暗記もアリですか?」という意味だとすれば「是(できることは何でもやろう)」だし、「暗記だけしか能がないけどいいですか?」という意味だとすれば「非(学問をなめんな)」である。

いや、長くて雑で読みにくい文のうえ、結論が当り前すぎて申しわけない。


2018年7月10日(火)はれ

朝、いよてつ高島屋前の広場にはクマゼミの声がする。夏だ。

三番町ガーデンプレイスカフェでコーヒーを飲みながら、D.A.Martinの2003年の論文を読んだ。内容は決定公理からルベーグ可測性が導かれるというMycielskiとSwierczkowskiの定理の第3の証明だが、ゲームのルール自体がとてもシンプルなのが特徴だ。そのゲームの議論でうまく可測性が示せるという証明も、追っていくのは難しくない。しかし、細かいところで疑問が少し残ったので、あとでもう少し考えよう。

そうこうするうちに、郵便局の開く時刻になったので、中央郵便局に行って、赤十字の「平成30年7月豪雨災害義援金」にいくらか送金した。窓口の局員さんの話では、災害義援金などの寄付金は本来なら振込手数料が免除になるはずだが、機械ではそこの判断をしてくれないのでATMからの振込では通常の手数料がかかることになる。だから、できれば窓口を利用してくださいとのことであった。まあ、手数料はたいした金額でないから、どうしても人と対面したくない、あるいはできない場合は、ATMからでもいい。寄付してやってください。

新入生セミナーAの授業は、いよいよポスターセッション。2回のうち1回め。いろいろ思いもよらないテーマの発表があって楽しかった。来週もがんばりましょう。その他にも、仕事の進捗が少しだけあったのでよかった。昨日に引き続き休肝日。


2018年7月9日(月)はれ

きれいに晴れた。昨日までの大雨が嘘のようだ。山を見ると、太陽の光を浴びた木々の緑が目に鮮やかで、これは美しい景色と言わざると得ない。しかし、大雨で日本中に沢山の死者が出ていることを考えると、この美しい世界というものが、実に残酷なものに思われる。パスカルの『パンセ』ではないが、人間は葦のように弱い。だから、多くの人と連帯して、強くならにゃならん。そのためにも、よく考え、よく学び、そしてよく働かにゃならん。酒の飲みすぎで腹を壊している場合ではない。

日本赤十字社が明日から「平成30年7月豪雨災害義援金」の受付を始めるという。義援金・支援金のいろいろな窓口がある中でも、赤十字は信用してよいと、俺は思っている。雀の涙ほどで申しわけないが、明日さっそく郵便局から送金することにしよう。

夜は例によってピアノのレッスン。それからドトールコーヒー。『線形代数と量子力学』を読んで少し計算する。といっても、随伴写像の存在とその線形性とか、射影作用素が線形であることとか、正規行列の対角化とか、そのあたりの、要するに線形代数の復習レベルだ。


2018年7月8日(日)あめ

雨はほぼ上がっている。しかし、この雨で、全国で70人、愛媛県内だけでも18人が、洪水や土砂災害で亡くなったという。(しかも、行方不明者がたくさんいるから、これから犠牲者が増える恐れがある。)大洲など肱川水系には集落がまるごと水没したところもある。えらいことだ。さりとて、今のところ俺には何もできない。せめて、どこかの窓口から些少の義援金を送ろうと思う。

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さて、以前からの約束だったから、娘をエディオンに連れていって、ワコムのペンタブを買ってやる。パソコンは、しばらく倅に使わせていたLenovo Ideapad 300を娘に回して、お得意のお絵描きをさせる。倅にはもう少し小振りのLenovo Ideapad Flex 10を使わせる。ただしこれはHDDが遅くてつらいので、SSDに換装したい。交換用のドライブはあるが、自分でやるとWindowsの移植ができなさそうなので、業者に連絡してやってもらおう。

エディオンから市内電車で移動してお絵描きソフトの参考書を探しにジュンク堂へ行く。そのあと、娘はアニメイトに行きたいというが、さすがにお供する気にならないので、別行動で小一時間銀天街をうろうろし、サンマルクカフェで合流。サンマルクカフェのフレンチトーストはすごく甘かった。マツキヨで 《麻婆豆腐の素》と《かに玉の素》を買って、17時すぎに帰宅。夕食は俺が担当。玉子がすでに1パックあるところへ、昼に妻がもう1パック買ってきたので、夕食には玉子料理をしようと思ってかに玉にしたのだ。市販の《素》を使う手抜き料理だが、形を綺麗に作るのがとても難しい。それと、冷蔵庫に長いこと置いてある豆腐が使えるもんならと《麻婆豆腐の素》を買ってきたのだが、その豆腐はさすがに古くなっていたので、近所のスーパーで買い直し。ついでに甘長ししとうを一袋(3個)買ってきて、炙って削り節と醤油をかける。


2018年7月7日(土)あめ

54歳の誕生日。何人もの人からお祝いのメッセージを頂戴した。妻が新しい弁当箱をプレゼントしてくれた。ありがとう。

早朝5時、iPhoneの警報音に起こされる。土砂災害の恐れがあるための避難指示だ。山沿いの人は避難するようにとのこと。うちはどう考えても山崩れに巻き込まれることはないので、ヘタに動かず、ひとまず家でおとなしくしておく。さすがに、週末恒例の温泉にも行けない。

先日帰りがけに本町のファミマで見切り品ディスカウントになっていたの買ってきた「キューピーチョレギサラダドレッシング」というものが、サラダにかけるのもいいが、むしろ焼き飯の味付けに好適であることを発見。玉子と豚肉と刻み高菜で焼き飯を作って、ソースとしてこのドレッシングを使うとなかなかいい。読者もやってみ。で、朝飯にそれを作って白ごはんがなくなったので、昼飯は中華つけめんにした。それと、久々に、ゴーヤと豚肉のオイスターソース炒めを作った。倅がゴーヤを食わないと思って、長らく使わずにいたが、先日あらためて聞いてみたら「いや食べるよ」とのことだった。これから真夏にかけて、炒めものや焼きそばの具に使ってみようと思う。夕食も作る気だったが、長々と昼寝しているうちに妻が作ってしまっていた。


2018年7月6日(金)あめ

各地で天気が大荒れで、九州北部に大きな被害。京都でも桂川や鴨川があふれそうだとか。実家の母によると、桂川流域は周山から淀まで避難指示。鴨川にヌートリアが出没することはこれまでもあったが、ツイッターで流れていたレポートによると、イノシシもシカも出たし、とうとうオオサンショウウオまで現れたらしい。

松山も、いまのところ平穏だがずっと雨が降って、11時現在、大雨と洪水の警報が出ている。こんな日だが、朝から大学院入試関連の業務。昼休みには会議があり、そのあと講義があるから、ヘタすると14時半まで昼飯が食えないかもしれないと警戒していたが、10時半には業務終了でひと安心。昼休みの会議というのははっきり言ってうちの教室の悪習だが、今回は20分足らずで終了。結局あまり心配することはなかった。

「数理論理学」講義。さすがにこの天気だから、お客さんの入りが少ない。高座に上る者として、こういう日は、わざわざ来てくれた人にサービスしてお得感を持って帰ってもらうべきなのか、あるいは今後の授業の進行を考えて、あまり新しいことを言わずに済ませるのがいいのか、迷うところだが、少なくとも「せっかく来たのになんだこのダラシナイ芸は!!」と言われることだけは避けねばならん。授業の冒頭でそういうことを言ったら、最前列の秀才172くんに「そんなこと考える学生いませんって」と笑われた。

講義は形式的証明の例。三段論法、等号の対称律、等号の推移律と説明したあと、論理式への項の代入条件(代入したら束縛変数になる変数が項に含まれていないこと)について問う小テスト。それから、ラベルつきタブローによる命題論理のトートロジー判定の手順について話した。トートロジーについては真理値表の方法をすでに紹介しているし、今後の授業で必須というわけではないが、面白く有用である。そういう意味で、こういう出席者の少ない特別な日に触れる特別なトピックとしてふさわしい。


2018年7月5日(木)あめ

昨日は天気がよかったが、今日はまた雨。時々やんだりしながらも、夜まで降り続いた。

午後は卒業研究ゼミ。A7くんは足し算やかけ算を表現するラムダ項の例と、ラムダ項が正規形をもつかどうかの判定アルゴリズムが存在しないことの証明など。nCoくんは共終数など、基数の理論の初歩的なところ。

仕事場の新しいプリンタ、沖データC332dnwが届いた。これで、小テストやら原稿やらの印刷がスピードアップする。

左がC5900dn, 右がC332dnw
業務の引き継ぎについて語りあうOKIのプリンタ2台

前のC5900dnは長年にわたって本当によく働いてくれた。古い「て日」の記述でも2007年の6月に登場しているから、かれこれ11年以上になる。このごろ、印刷結果にトナーがこぼれたような汚れがちらほら見え始めた。そろそろ定着器とかベルトユニットとかの(二度目の)交換時期なのだ。それで、見積をとったところ、どう考えても新しい新品の(という日本語は変だけど)プリンタを買ったほうが安いぞこれは、ということになった。

天気もよくないし、明日の朝も早いし、今夜はパソコンをもたず、いつも持ち歩く本もほとんど全部置いて帰る。荷物が軽くていいや。


2018年7月4日(水)はれ

このところずっと同じことばっかり言ってる気がするが本当にこれはまずい。昼間に働いて夜に休むのがヒトというものの正しい生き方だと思うのだが、このごろは、昼間に眠くて仕方がない。今日など、研究室で読み書きをしていると、たびたび寝落ちして、おまけにいろいろ妙ちきりんな夢まで見た。海外旅行でもないのにまるで時差ボケだ。とかなんとかいいつつ、まあ何もしなかったわけではなく、第4章の赤入れをファイルに反映し、nCoくんの質問に答え、数理論理学の講義(推論規則と形式的証明の概念)をやり、夜になってから、いくつか事務仕事を片付ける。帰り道のコンビニでお酒を買って、ほろ酔い気分で歩いて帰ったら、普段40分のところ、2時間かかった。ベンチに座り込んでツイッターしてる時間が長すぎたからだけど。歩数計カウント13,215歩。


2018年7月3日(火)あめ

天気もよくないし気分も乗らない。パソコン屋さんに見てもらって、プリンタの部品交換を手配。夕方は新入生セミナーの授業。1年生たちがいそいそと発表の準備をするのを見守る。電源の壊れた先代Windows PCの廃棄。帰宅途中のスーパーで明日の弁当の食材などを買って帰る。歩数計カウント12,112歩。夜に届いた見積書を見る限り、プリンタは新品を張り込んだほうがむしろ安上がりのようだ。


2018年7月2日(月)はれ

朝は三番町ガーデンプレイスカフェに行く。次に市役所に行って固定資産税を納める。11時に仕事場のプリンタのメンテナンスに業者の人が来てくれると思って10時前には研究室入りしていたのだが、1日勘違いしていた。プリンタのメンテナンスは明日だった。先週金曜日の授業でやった小テストの採点と集計。集合論テキストの手直し。

古いノートを少し整理。雑記帳がわりにしていろんなことを書いたダイソーのスケッチブックが、ずいぶん増えた。一番古い日付が2015年の4月ごろだから、3年くらいのあいだに12冊ほど使った。まあ、たいしたことは書いてないのだけどね。読み返してみると、ヒルベルト空間がどうしたとか、ホモロジー代数がどうしたとか、多少は勉強しているのだけど、どれもこれも、ぜんぜん身についていない。つまり、なんというか、知識の歯車が噛み合っていないのだろう。しかし諦めることはない。めげずに続けましょう。とかなんとか言いながら、半年前のRSL(というのは記号論理学協会ASLの論文誌The Review of Symbolic Logicのこと。2017年12月発行の第10巻第4号)を開く。目的は量子集合論についての小澤正直先生の論文だけど、不完全性定理の拡張にかんする菊池誠(神戸の)と倉橋くんの論文も載っているし、「フッサールはゲーデルの不完全性定理を学んだか」というテーマについての哲学史的な論文も載っている。

夕方、向う半年分の月謝を先払いしてから、ピアノのレッスンに行く。しばらくは、ブルグミュラーはお休みして8月のイベントの曲と11月の発表会の曲を見てもらう。俺の場合、常に脱力が課題だ。それに、そもそも、もっと楽器に触れる時間を増やさにゃならん。レッスン後はドトールでひと息入れる。いつものコーヒーではなく、パインヨーグルトというものを飲んだ。歩数計カウント12,893歩。


2018年7月1日(日)はれ

今日は朝のうちに、昨日行かずじまいだった温泉に行った。昼食は今日も半田そうめんだが、娘と倅と俺の3人でそうめん一袋だと、俺と倅には物足りないので、追加で信濃のそばを茹でた。これからのシーズンは昼飯にそうめんやそばが嬉しい。阿波の半田そうめんは小豆島やなんかのそうめんと比較して太めでコシがある。なんか、ひやむぎに近い。そうめんにもいろいろあるんだな。

半田そうめんと小豆島の「島の光」の比較
上が半田そうめん
下が小豆島の「島の光」

午後は倅を連れて、井手神社に行っておみくじを引く。参拝のとき40円お賽銭を出したら小銭がなくなったので、千舟町のローソンで飲み物を買ってお金を崩したが、うっかりしていて、500円玉+30円という結果になった。おみくじは1回100円だが、まあいい。神社に戻って参拝からやりなおす。500円をお賽銭箱に入れて、自分と倅がそれぞれおみくじを引く。俺二番大吉、倅十一番大吉だ。

続いて立花町を散歩。大音寺にも詣でる。雲が多いけれども、それなりに夏らしい日射し。けっこう暑いので自分がかぶっていた帽子を倅にかぶらせる。それで天山のイオンまで行って、フードコートでひと休みしてから、2階で自分の帽子を買い直し、ついでに小銭入れを買い替える。どうしてもたくさんのポイントカードを持ち歩くことになるので、札入れと小銭入れを別にしているのだが、とくに小銭入れは傷みが激しい。前回買い替えたのは一昨年の11月13日だそうだ。それから電車で帰宅。歩数計カウント12,825歩。

コンパクトなサーキュレータ
夕方にはダイキに扇風機を買いに行った

夜、夕食の足しに、もやし炒めを作った。彩りを考えると「うすくち醤油」を使うべきだと思った。

妻が借りてきたNHKの『神の数式』のDVDを、夕食後に観た。といっても全4話のうち第2話までで、ヒッグス粒子の存在が確認され、素粒子の標準理論が完成したところまで。なかなか面白かった。エモいBGMや中二病的な演出などなどは蛇足だと思ったけど。

ヒッグス粒子発見が話題になった数年前にも思ったが、《真空が粒子で埋め尽されていることに起因する物質の動きにくさが質量の起源だ》という説明は、どうも腑に落ちない。「動きにくさ」というと、どうしても摩擦のようなものをイメージしてしまうが、ニュートンこのかた一貫して、質量とは「速度の変えにくさ」であり、それは、単純な「動きにくさ」ではない。たとえば《クルマは急に止まれない》で、速いものを遅くすることへの抵抗もまさに質量のハタラキなのだ。また、アインシュタイン以後は、質量はエネルギーと等価であるらしい。このことと「動きにくさが質量」という説明との整合性も知りたい。まあ、このあたりの疑問については「ちゃんと理論を学べ」と言われれば、それまでなのだろう。

いっぽう、質量をもつ物質の間には、互いに引きあう重力がはたらく。重力のカラクリの説明は、まるまる宿題として残ってしまうらしい。それで、この『神の数式』の第3話と第4話では、重力を含めた究極の理論(超弦理論)がとりあげられるのだそうだ。早く続きを観たいが、妻も倅も早々にドロップアウトしていた(娘にいたっては、最初から乗ってこない)ので、もう借りてきてくれないかもね。