て日々

2017年11月


2017年11月30日(木)くもり

午前中は散髪に行き、電車で大学へ移動。いつもと違う電停から市内電車に乗っただけでちょっとした旅行気分になるという安上りな精神状態だが、その秘密は、patoさんというライターが«おでかけ体験型メディア SPOT»という旅行情報サイトに書いた《四国の全駅制覇とお遍路を同時にやったら大変なことになった【徳島・高知編】》という旅行記を昨日から読み進めていたことにある。質・量ともたいへん読みごたえがある記事なので、あなたもぜひ読んで四国を好きになってほしい。

午後はnCoくんの3年生ゼミ。順序数の算術の基本性質を超限帰納法を駆使して証明する。そのあと、初校ゲラ読み2巡目を済ませて版元へ返送。

夜、帰り道のダイソーで高島暦を買った。といっても、俺は日の吉凶自体にそれほど関心があるはずもなく、むしろ日の吉凶を決めるルールのほうに興味がある。ダイソー版の高島暦は、元プログラマの暦研究家が編纂しているらしい。暦の基本は天文計算であり、プログラミングに大いに関係があるから、これは驚くにあたらない。久々に元町珈琲に寄って一息つき、懸案だったコーヒーチケットを買った。歩数計カウント11,611歩。


2017年11月29日(水)あめ

学部の会議の前に危機管理セミナーというのをやるから、皆こぞって出席するようにとのお達しが出ていたので、これも仕事と参加する。マズいことが起こってから対応するのは当たり前であるから、普段から身の周りのリスクに注意をはらっているべきだという話だった。無関心がいちばんのリスクだと言われて、心の中で「あ、俺が最大のリスクです。ごめんなさい…」と思ったのは内緒である。あとは引き続きゲラ読み。


2017年11月28日(火)はれ

朝、海外出張中のD教授の代役で工学部の線形代数の中間テストをやってきた。ベクトルの計算問題(線形結合・内積・長さ)が1題、行列のランクを求める問題が1題、連立方程式を解く問題が3題、3本の2次元ベクトルの自明でない線形関係式を挙げよというのが1題。テスト中は手持ち無沙汰なので、俺も問題を解いてみた。どの問題もべつだん難しくはないが、計算の速さでは俺は学生さんたちにとても(かな)わない。

本の初校ゲラ読み2巡目。30日までにこれを読み終えて版元に返す約束なのだ。1回目のゲラ読みのあと時間を置きすぎた。少し急ごう。言い回しのおかしなところがまだ少しある。

たとえば、《コーシーは解析学の教程の革新に大きな貢献をしたのですが、そのひとつが積分の定義の改良でした。》という文があった。ここで「そのひとつ」は「大きな貢献」を受けている。だとしたら、大きな貢献がいくつもあったことをハッキリ言ったほうがいいし、「したのですが」と逆接を予感させる表現は避けたほうがいい。なので《コーシーは解析学の教程の革新にさまざまな貢献をしました。そのひとつが積分の定義の改良でした。》と書き直す。

朝、テスト監督中に歩数計を落としてしまい、拾ったときにうっかりリセットボタンを押してしまった。したがって、歩数計カウントはなし。


2017年11月27日(月)はれ

NHKでやってるTVアニメ「忍たま乱太郎」のテーマソング「勇気100%」の2番の歌詞を思いだそうと頭の中で努力しながら大学に向かった。道のりを半分以上歩いてしまった頃にようやく思い出した歌詞は《昨日飛べなかった空があるなら/いまあるチャンスつかんでみよう》だった。若々しい前向きさに溢れた、すごくいい歌だ。俺はどう転んでも若くはなれないが、それでも前向きにはなれる。これまでの人生は、昨日飛べなかった空だらけ。それはもう仕方がないので、いまあるチャンスをつかむしかない。

ピアノのレッスンはお休み。歩数計カウント14,425歩。


2017年11月26日(日)あめ

ピアノの発表会当日。昨晩の寝方がよくなかったようで、少々風邪気味である。足裏とふくらはぎにサロンパスを貼り、お腹に貼るカイロを仕込んで出かける。しかし、今回プログラムを事前に確認しておらず、早く出かけすぎた。13時過ぎに会場に行ってみると、開演は14時で、2部構成。自分の出番は第II部の10番目だ。前半の第I部にも15人の発表がある。15時すぎに来れば十分だ。

それまで、街をウロウロする。松山市駅のドトールコーヒーはほぼ満席で落ち着けない気がしたから入らない。銀天街を歩き、Get3階のセリアを少しひやかして、さらに少し歩いて三番町ガーデンプレイスカフェに行く。こんなこともあろうかと、一応は一冊だけ本を持ってきた。高橋正子『計算論』(近代科学社1991年)。12月からの大学院の講義の参考図書だが、さすがにこれは紙とペンがなければ読めない。ボールペンはあるが、きょうに限ってメモ用紙の一枚も持っていない。さっきセリアでルーズリーフなりレポートパッドなり買うべきだった。まあ、しゃあない。楽譜に挟んであったライブのチラシの裏にメモを書いて計算を追いながら、第2章「λ計算の基礎」を読む。1時間弱過ごして、さらに、ちょっとだけジュンク堂書店をのぞいて、15時10分ごろに会場に戻る。スタジオから「子犬のワルツ」が聞こえてくる。第I部の大詰めなのだが「第II部は16時開演」と掲示が出ている。ありゃりゃ。もうちょっとどこかで時間を潰そう。ドトールコーヒーはまだ混んでいるので、まつちかの珈琲館に行った。30分ほどさっきの本の続きを読み、15時45分ごろに、ようやく会場入り。

第II部のトップは当年83歳のおばあちゃんが先生と連弾で弾く「上を向いて歩こう」。「ブランデーグラス」をピアノで弾き語りをしたマツダさんの声が渋かった。曾孫のいるおばあちゃん、リタイアしたおとーさん、うら若き女性、いろいろな人がいる。ただまあ、若い人が少なめなのはちょっと残念だ。そうこうするうちに、自分の番が来る。出し物は大貫妙子「突然の贈り物」。練習に費した数ヶ月に比較すると本番の5分は本当にあっけない。緊張で指が震えて全然思うように弾けず、心の中でドッタンバッタンしているうちに、演奏はなぜか進行して、最後まで行って弾き終わってしまうのだ。今年も不本意な出来になったが、もう終わったものは仕方がない。礼をして席に戻り、他の人の演奏を聴く。「ベニスの謝肉祭」ジャズバージョンがかっこよかった。トリをつとめるWKさんの「幻想即興曲」はやっぱり上手で、しかも楽しんで弾いているのがよくわかって、とてもよかった。俺もああいう風になりたい。さらに第II部の最後には、さっきソロでそれぞれ演奏したヴァイオリンの生徒さん(TU2さんとM1さん)が二重奏を聴かせてくれた。これまた楽しい。

赤いカーネーション、黄色いバラ、白い…何だっけ?
先生に頂いた花
帰宅後ビアジョッキに活けた

終演後、TSM先生から花束をもらい、楽器店から記念品をもらい、皆で写真を撮る。今年も打ち上げパーティーはカフェ・カバレ。さてさて、来年こそはもうちょっとマシな演奏ができるように、明日からまた練習しよう。


2017年11月25日(土)くもり

午前中に近所の温泉に行った。そのあと散歩していたら昼になってしまった。秋に安くなってまとめ買いしておいた「五木の冷やし中華」を、賞味期限が来ぬうちに昼飯にした。ただし、このシーズンであるから、冷さずにつけ麺にした。午後は、明日に備えてピアノの練習などなど。夕方から、妻の車で松江町のフジに行って紙ゴミをリサイクルポストに入れ、三津のラムーとセブンスターを回って、食材を買って帰り、夕食のおでんを作った。妻が作ってくれたタコとキュウリの酢の物がおいしかった。


2017年11月24日(金)くもり

午前中は510くんの自主ゼミ。飽和モデルの存在について。このあたりは無限基数の性質との関連がありそうで興味深い。たとえば、\(\aleph_\omega\) 未満のところでGCHが成立している状況において、濃度 \(\aleph_\omega\) の \(\aleph_\omega\)-飽和なモデルが存在しないような理論は考えられるか、などなど。

昼休みに会議が入っている。自主ゼミ終了後に会議までの10分間でメシが食えるかと思ったが、そうもいかなかったので、食ってる途中の弁当を持って会議室に行く。仕方あるまい。午後もゼミがあるから、食事は昼休みにするほかないのだ。

午後は卒業研究ゼミ。10kくんは球面の逆説的分解にかんするハウスドルフの定理の証明の手始めの回転群の議論。枝eくんは述語論理の形式化の手始めのところ。今年の卒業研究ゼミは3人がそれぞれ違うことをやったこともあって、進行が遅めである。それでも、そろそろ着地点を考えながら進めねばならん。

ゼミ終了後、いくつかの書類書きをして、20時ごろ帰る。


2017年11月23日(木) 勤労感謝の日くもり

昨晩思いがけず生中華麺が手に入ったので、昼食のラーメンを作る。スープは味噌味にしたが、豆板醤が多かったのか、思いのほか辛かった。午後は子供らと出かけた。まず井手神社にお参り。人々の勤労のおかげでいま生きていられることに感謝し、そして曲りなりにも自分も勤労できる状態にあることに感謝した。おみくじは中吉。それから天山のイオンに行った。娘のローファーを買うためだ。子供らが本屋や文具屋に行きたがるかと思ったが、聞いてみるとそうでもないらしかった。


2017年11月22日(水)くもり

先月21日の休日出勤の代休をとって、家でだらだらしていた。風呂屋なり散髪なりに行けばよかったのだが、ほぼ一日寝てすごした。まあ、ピアノの稽古と、メシの用意はした。夕食に牛肉の野菜炒めとかみなりこんにゃくを作ったら好評だった。「いい夫婦の日」だからとて、夕食後に夫婦で飲む酒を買いに近所のマルナカに行った。カンパリとグレープフルーツジュースを買う。いままで扱っていなかった「菊水の札幌生ラーメン」を置いていたので、明日の昼食を中華そばにするつもりで、これも購入。


2017年11月21日(火)はれ

天気がよく、寒さも昨日ほどではない。久々に自分で弁当を作り、歩いて大学へ。木曜日の3年生セミナーが先々週と今週お休みになるので、nCoくんの要望により、きょう追加ゼミをやった。順序数における超限帰納法、それから順序数の算術の定義。

早めに帰宅し、妻に車を出してもらって三津浜のピコア21の靴屋に行って靴を買い換えた。7月30日の日記に書いたのと同じ靴屋。そのとき買った靴がわりと気に入ったのだが、3か月半履いたら内側がけっこうくたびれてきたので、同じものを買うことにしたのだ。それからダイソーとラムーとローソンでいろいろ買って帰宅。歩数計カウント17,736歩。


2017年11月20日(月)くもり

朝は雨、日中くもり、夜は晴れ。天気が思わしくないので、電車で大学へ。仕事部屋は北向きで、11月のあいだはまだ暖房が入らない。なんだか妙に寒くて、仕事中もコートが脱げなかった。

夕方、ツイッターのDMで、相互フォロー中のとある大学教員から、高階論理に関心のある学生がいるんだけど、何か薦められる文献があるか、という質問を貰った。高階論理にも圏論にもラムダ計算にもなんら見識のない俺のこととて、あんまり言えることはなかったのだが、トポスなら P.T.Johnstone “Topos Theory” (Academic Press 1977/Dover 2014) とかどうですか、ラムダ計算なら古森・小野『現代数理論理学序説』(日本評論社2010年)など、日本語でも良い本がないことはないですよ、と答えた。圏論と高階論理と聞いて Jacob Lurie “Higher Topos Theory” (Princeton 2009) なんてのがあるなあと思ったのではあるが、図書室に行って現物をざっと見たところ、代数幾何あるいは代数トポロジーがこの本の主戦場らしい。これからロジックを学ぼうという人に薦める本ではなさそうだ。そして圏論と高階論理なら、竹内外史『層・圏・トポス』(日本評論社1978年)が真っ先に思い浮ぶ。これは先方もたぶんチェック済みであろうと思って挙げずにおいたのだ。

あらためてググってみると、高階論理 (Higher Order Logic/abbr. HOL) は、数学基礎論よりもむしろコンピュータ・サイエンスや言語学の関心事であるようだ。もしもその学生さんがそういう意図で質問に来たのだったら、ちょっと申しわけないことをしたかもしれない。とはいえ、そうだとすれば今度こそ俺は何も言うことができない。

夜はピアノのレッスン。発表会は次の日曜日なのでこの曲を見てもらうのは今回が最後である。それで、なんだか作戦会議的なレッスンとなった。本番までの6日間で、まあなんとかしましょう。ドトールコーヒーで一息入れて、駅で倅と合流して電車で帰宅。夕食は娘が作ったビーフシチュー。なかなか旨かった。歩数計カウント10,907歩。


2017年11月19日(日)はれ

朝のうちに岩波文庫版『土左日記』を読み終えた。

それから、娘と二人、愛媛県美術館『アンギアーリの戦い』に関する展覧会を観に出かける。

堀之内公園の愛媛すごいもの博は、昨日とは比較にならない人出でとても賑わっていた。たくさんのブースをざっと見て回った後、昼飯がわりにケバブを食べた。展覧会はレオナルド・ダ・ヴィンチが手掛けたヴェッキオ宮殿(現在はフィレンツェ市庁舎)大会議室の幻の壁画『アンギアーリの戦い』を基本テーマとして、その模写や関連作品などを展示するもの。『タヴォラ・ドーリア』のほか、レオナルドの名画『聖アンナと聖母子』の弟子によるレプリカ、クリストーファノ・デッラルティッシモによるチェーザレ・ボルジアやニッコロ・マキャベッリの肖像画など。それに『タヴォラ・ドーリア』の戦闘場面を東京藝術大学の研究グループがフィギュアで再現したもの(東京富士美術館所蔵)などもあり興味深かった。こちらもなかなかの人出だった。展示を見終って陳列室から出ると、エントランスホールでは合唱団がミサ曲を歌っていた。展覧会の後は、娘の希望で高島屋7階の紀伊国屋書店と、銀天街のダイソーに行って、電車で帰宅。

レオナルド自身かそれに近い人がこの壁画の主要部分を模写したとされる板絵『タヴォラ・ドーリア』が、どういう経緯でか2012年まで日本にあって、東京富士美術館からイタリア政府に寄贈されたそうで、今回の展覧会は、そのさいの協定により、来年までの期限つきで、『タヴォラ・ドーリア』が関連作品とともに貸与されて日本国内で展示される、というものらしい。

La Battaglia di Anghiari di Leonardo
タヴォラ・ドーリア

壁画『アンギアーリの戦い』については、ちょっと古いがGIGAZINEの次の記事が参考になると思う:ダ・ヴィンチの失われた大作が宮殿の壁の裏に隠されているかもしれない

『聖アンナと聖母子』は完成度の高いレプリカだが、ここではアンナとマリアがサンダルを履いているのが目をひく。美術館で絵を見ながら「このサンダル、いま製品化したらけっこう売れるかもしれんね」と娘と話していたのだが、Wikimedia Commonsの写真を見る限り、ルーブル美術館にあるというオリジナルではアンナもマリアも裸足である。衣装や人物の顔付きもまったく同じというわけではない。面白いものだ。

夕方からは妻と2人で精米と食材の買い出しに行った。一旦帰宅し、妻が車の給油に行っている間に俺が夕食の用意をした。といっても、昨日作ったイカの墨煮とカレイの煮付けの他には先ほど買った鰹のタタキがあるだけだから、大した作業量ではない。カレイの煮付けはとても旨かった。妻の示唆に従ってロールキャベツの煮物も作ったが、これはあす食うことになるだろう。台所の片付けをして入浴したあと故紙を紐でくくって、さらにピアノの練習を1時間ほどして寝た。

歩数計カウント18,836歩。


2017年11月18日(土)くもり

昼飯のうどんを作って皆で食ってから、昨日シャットダウンしたWebサーバの再起動のため大学へ顔を出す。そのあとは県立図書館に向かう。

堀之内公園で「愛媛すごいもの博2017」というイベントをやっているので、いろいろ見て回った。伊予農業高校の生徒さんのつくる「じゃこ玉ドッグ」(パンに焙ったつくねと玉子をはさんだもの)を食べたり、ビールを飲んだり。売り子さんや、相席になったグループの人たちとも話して、なかなか楽しかった。ステージでは沢田知可子が歌っていた。待っていれば岡本真夜やトワ・エ・モアも登壇するはずだったのだが、惜しむらくは天気がイマイチで、風が強く寒かったので、適当に切り上げて図書館へ移動。しかし、相席のおとーさんが食べていた「キッチン加藤の和牛カレー」が美味そうだったので、家族を連れて明日また来ることにしよう。

木軸のボールペンいろいろ
いろいろな材質の木軸のボールペン
現在のところ受注生産のみだそうな

伊予農高のじゃこ玉ドッグ
これが伊予農高の「じゃこ玉ドッグ」
キュートな女子高生が売ってます

ビールとポテト…
違う!!
こんなことをしに来たわけではない!!

その後、娘に読ませる本(𠮷野敬介『学校では教えない古典』(東京書籍)など)を買いにジュンク堂書店に行き、愛媛CATV本社で美術展の前売チケットを買い、フジグラン松山のフードコートで「紀貫之はなんで女のふりをして日記を書いたんだろうなあ」と思いつつ岩波文庫版『土佐日記』を読み、エディオンの3階でパソコンを見て「新しいMacBook Proは欲しいが当分手が出せんなあ」と思って、歩いて帰宅。歩数計カウント17,509歩。帰宅したら19時すぎ。たっぷり6時間も外をほっつき歩いていたことになる。

夕食は娘が作ってくれたビーフシチューと豆腐ハンバーグ。なかなか美味しかった。夕食後、昼に買ったイカで墨煮を作り、残りもののカレイの切り身を煮付けにした。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

きょうは、いつになく沢山の人となんでもない会話を楽しむことができた。ありがたいことだ。それで気づいたのだが、普段の俺は市井のリアルな他人に対する関心がなさすぎる。そのくせ、抽象的な人間一般にとって善いことを言ったりやったりしたいという考えだけはある。これは、とても危険なことだ。孔子のいう《思而不学則殆》だ。

俺は学生時代にカミュの翻訳ものをひととおり読んだつもりでいたが、日々を普通に生活する普通の人々のリアルな姿に目を向けることを学ばなかった。フランスの文壇はカミュの斬新な文体に衝撃を受けたというが、彼の作品を翻訳でしか読めない俺たちには、その衝撃は味わいようがない。となると、俺たちがカミュから学ぶべき最大のものは、絶望のぎりぎり一歩手前で人生を肯定し、人々と手をとりあって世の不条理に抵抗する姿勢だろう。俺はそれをみすみす受けとり損ねていたことになる。


2017年11月17日(金)くもり

長らく金欠で苦しかったが、やっと給料を頂戴した。午前中の510くんのゼミがキャンセルされたこともあって、音楽教室へ発表会の料金を納めに行った。電車に乗る前にICい〜カードに2,000円チャージしたら、駅員さんが、だいぶポイントが貯まってるからチャージに使えますよ、と言ってくれた。松山市駅のチケットセンターでポイント還元してもらったら、2,500円分チャージできた。となると、さっきチャージした2,000円は蛇足だったかとも思ったが、まあいずれ使うものだから無駄にはならない。

午後は卒業研究セミナー。うれしいことに、思ったより早く10kくんが復帰できた。それと、2週連続でゼミがお休みだったので、遅れを取り返すべく、きょうはゼミを普段より大盛りにして、A7くんとITくんと10kくんに発表してもらった。A7くんの読んでいるテキストは板井昌典さんの『情報科学のための数理論理学』(共立出版2017年)である。論理関数というかブール式についての命題で証明のついてないやつがあって、A7くんは力の及ぶ限り自分で証明をつけてくれるが、まあできないところもある。それを皆で考えて証明をつけたのが、なかなか面白かった。

夕方は明日の工事のための停電に備えて学科のWebサーバのシャットダウンをしてから帰宅。歩数計カウント10,768歩。


2017年11月16日(木)はれ

俺と妻が揃って寝坊したため、かなり久々に、お昼は生協の弁当。午後は会議があり、そのあと、nCoくんの3年生ゼミ。順序数の話の2回目。すべての整列集合がそれぞれ一意的な順序数と同型になることの証明、順序数の全体が線形に順序づけされていることの証明、この本独自(?)の定義と従来の定義との同値性と、ひととおりの基本性質をやる。

各パソコンにGoogleの「バックアップと同期」をインストールしたついでに、過去のGoogleドキュメントを開いてみたところ、2006年11月29日付のこのままでは何も成し遂げないうちに寿命が尽きてしまうという見出しの私的なメモがあった。なんだ、11年前にも今と同じことを言っていたわけだ。そのメモには、1.時間管理についてもっと真剣になろう2.目標設定をきちんとしよう3.集中力を養おうなんてスローガンが書いてある。それはそれで、まことに結構だが、それから11年の間も、そんな結構なことはほとんど実行できていない。それでも、2006年から今までの間に、本も幾つか出したし(これからも出すし)家も手に入れたし、決して何もしていないわけではないのだ。俺はどうも「結論を急ぐ」「功をあせる」ところが多分にあって、ことあるごとに、このままではいけない、なんとかせにゃならん、なんて言う。しかしもっと大切なのは、物事に腰を据えてとりくむことで、これは「急ぐ」「あせる」の対極にあるものだ。

夕食は鍋。歩数計カウント10,510歩。

【11月21日追記】書き忘れたが、9日に買った池澤夏樹『知の仕事術』(インターナショナル新書)をこの日に読み終えているはず。池澤夏樹の本も、若いころによく読んだ。本と旅行が大好きな人なんだろうという印象をずっと持っていたし、それはいまも変らないが、この『知の仕事術』を読んで、職人肌の文筆家なのだと知った。


2017年11月15日(水)はれ

これから12月1日まで、夕方から宵の口の20時まで、キャンパスの南加記念ホール周辺の樹木をライトアップするという。大学のイメージ戦略の一環なのだろう。たしかに、秋のこの時期、うちの大学の城北キャンパスでは、樹木が見事に紅葉して、天気のよい昼間などは、歩いているだけでじつに気分がいい。それで、どんなものか、帰りに見に行ってみた。

夜に不思議な色のカクテル光線で木々をライトアップするというのは、幻想的なムードが醸し出されて、まあ悪くはないが、こうなると、葉っぱの色はあんまり関係なくなるから、紅葉のすばらしさをアピールする効果は薄い。そして、学生が大学にさしたる用もなく(たむろ)するということもあまりないようで、夜の19時半ともなると(夜間主コースの授業はしているし図書館も開館しているのだけど)なんだかキャンパスがとても静かだ。せっかく道沿いの並木をライトアップしても、建物の電気が消えていてキャンパスに活気がないというのでは寂しい。生協ショップの「えみか」や「ひめか」の営業時間を延長するとか、あるいはおでんの屋台、せめてコーヒースタンドでもあればいいなと思った。いずれにせよ、大学が敢えて本気でこの路線に色気を出すというのであれば、学生たちからもいろいろ知恵を貰ってキャンパスをショーアップしてみるといいとは思う。

lit-up-20171115

話は全然変わるけど、やっぱり1日に飲むアルコールは缶ビール1本くらいにしようと思った。歩数計カウント11,199歩。


2017年11月14日(火)はれ

昨日いろいろ頑張ったWindowsタブレットの設定だが、ChromeもFirefoxもDドライブにインストールする方法がわからず、かといってEdgeではCorvusSKKでの日本語入力に支障がある。起動ドライブが16GBしかないタブレットでマルチアカウントというのは、たとえ32GBのmicroSDカードを別ドライブに挿していても、かなり苦しい。ここで無理に頑張るのはやめて、もうあっさり、このタブレットは妻に譲ることにした。

午後、ねげろんとak10mが来てTeXで図を入れる方法を教えてくれと言う。今年もそういうシーズンが来た。TikZの基本を伝授するが、俺だって詳しくはないのだが、ともあれ直線とベジェ曲線の描きかたを説明したら、ねげろんが俺が説明した範囲のことだけはすぐに習得して、横でまごついているak10mを親切にリードしはじめた。なんか寺子屋みたいだ。


2017年11月13日(月)はれ

恵安のWindowsタブレットに入力メソッドCorvusSKKとテキストエディタMeryと、あとTeXLive2017をインストールしてみた。MeryもTeXLiveもDドライブに入れたのだが、それでもCドライブの空き容量が心もとないので、泣く泣くChromeブラウザをアンインストールした。その上、OneDriveの保存場所もDドライブに変えようと設定しかけたが、保存先はNTFSフォーマットでなければならないとかで果たせず。さてどうしたものか。そして、Chromeのインストール先はDドライブに変更できるのだろうか。

夜はピアノのレッスン。多少の進歩はあるとはいえ、発表会までにあと2回しかレッスンがない。そろそろ本格的にマズイ。

夕食の片付けをしてからゲラ読みを少しして、ピアノの練習をしたら、ええ具合にくたびれた。日付けが変わるころに風呂に入って、それから土曜日からの三日分の日記を下書きして、すっかり遅くなった。


2017年11月12日(日)はれ

午前中は地域のイベントに顔を出すが、いろいろの行き違いですっかりイヤになって午後は寝て過ごす。倅を学生祭に連れて行くつもりだったのだが妻に代わりに行ってもらった。いつもすまない。


2017年11月11日(土)はれ

大学の学生祭の日。開学記念日でもあり、ホームカミングデーでもある。例年どおり理学部公開講座を開く。今年の講師は100000000さんで、最小作用の原理と等周問題がテーマ。シャボン膜を使った実験を交えつつ、平面上の等周問題の解が点以外にない円しかないことの初等的な証明を紹介する、わかりやすく面白い話だった。

【後日追記】等周問題の解が「円以外にない」というつもりで「点以外にない」と書いていた。そんなアホな…(2017年12月5日)

等周問題というのは、決まった長さの閉曲線が囲む図形のうち、面積が最大なのはどんな図形だろうか、という問題だ。経験上、円だろうなと見当はつくのだが、じゃあそれをきちんと証明できるか、という話。何通りかの証明が知られている。

で、以下は、講演内容とは直接関係ない俺の愚考。

等周問題の解が円である、といったように、経験上まず間違いないだろうと思うことでも、きちんと証明できるか気にするのが数学マインドというもの(の一側面)だ。わかりきったことをいちいち確かめるわけだから、くだらないことにエネルギーを使っているように見えるかもしれない。だが、既知のことに改めて光を当てることで現象を解析するための新しいツールが手に入り、それが未解明の現象を調べることに使えるというなら、それは決してくだらないエネルギーの浪費ではない。わかりきったことをきちんと確かめられないようでは、未知のことにチャレンジすることだって出来ない相談なのだ。

また、経験上いかにも確からしいことでも、物事の理解が進むうちに、実はそうでもなかったということが、数学の歴史においても、いくらでも起こりうる。その意味で、証明が与えられないうちは安心して正しいとは言えない。するとどうなるかというと、正しいと思うからこそ証明したい、という話になる。


2017年11月10日(金)はれ

例年どおり学生祭の準備のため卒業研究ゼミをお休みにしたのだが、他の先生たちは普通にゼミをやっていた。あちゃー。

午前中の510くんのモデル理論ゼミは通常どおりにやった。基本鎖定理を証明したあと、モデル \(\mathcal{M}\) 上のタイプを定義し、その解をもつ拡大モデルの存在証明をした。読んでいるのは『ゲーデルと20世紀の論理学(ロジック)』第2巻「完全性定理とモデル理論」の第II部。坪井明人さんの「モデル理論とコンパクト性」である。これはていねいに書いてあって読みやすいテキストだと思うのだが、ところどころ、記述の粒度がデコボコしている。たとえば今日読んだところでは、基本鎖定理みたいな簡単な命題にちゃんと証明がついているわりに、論理式の有限充足的な集合がタイプへと拡大できることの証明は実にそっけないし、タイプの解を追加してモデルを基本拡大できるという結果は練習問題あつかいであった。まあ、後者はそれほど難しい問題ではないが、論理式の集合のタイプへの拡大の手順の自明でない部分を学習者が見過すと、ちょっと困る。そう思って身構えたが、まあ、510くんはさすがにそんな初歩的なヘマはしない。

それにしても、モデル理論や集合論で重要な役割を果す用語であるはずの elementary に、われわれはどうしても「基本」とか「初等」という訳語を当てざるを得ないのだろうか。モデル理論の elementary は “1階論理に関する” という意味を担っており、「基本的」とも「簡単」とも「初歩的」とも限らないのだが…

コロっと話は変わる。

思うところあって、アルベール・カミュを再読する機運が少しばかり高まっている。きょうは、高畠正明訳の『カミュの手帖-1 太陽の讃歌』(新潮社)から、1939年(第二次世界大戦勃発の年)ごろに書かれたと思われる「絶望に暮れる男への手紙」を、長くなるけれども、以下に引用したい。

この戦争は私を圧しつぶしてしまう、死ぬことはかまわない、だがこの世界の愚劣さや、血ぬられた卑劣さや、人間の問題を血を流すことで解決できるといまだに信じている罪深い愚直さには耐えられない、と君は手紙に書いている。

ぼくはそれを読み、君のいうことがよくわかる。とりわけ、喜んで死のうという善意と、他人の死を見るには忍びないという相反する気持ちのあいだに立たされて、あれかこれかと思い惑う気持ちがよくわかるのだ。そうした気持ちこそ人間のしるしといえよう。それこそ君を、ともに語りうる仲間のひとりとするものだ。実際、どうしたら絶望しないですむのだろう。非常にしばしば、われわれが愛する人びとの運命は脅かされてきた。病い、死、そして狂気と。けれどもわれわれや、われわれが信じたものは残されている。非常にしばしば、いわばわれわれ自身の人生に外ならなかった価値は、危うく崩壊の危機にさらされてきた。かかる運命やかかる諸価値は、全体では、また同時には、決して脅かされたことはなかったのだ。われわれは決して全的に絶滅の危機にさらされたことはなかったのだ。

ぼくには君のいうことはよくわかる。しかし、君がこの絶望から人生のある規範をこしらえようとし、すべては空しいと判断して、あるやりきれなさの背後にかくれてしまおうとするとき、ぼくは君にもはや承服できない。なぜなら、絶望は気持ちの問題で、ひとつの状態とはいえぬからだ。君はそれによりかかっていることはできない。それに気持ちというものは、事態の明確な把握には席を譲らねばならぬからだ。

君はこういっている。《だがそれ以外にいったいなにをしたらいいだろう? そして私になにができるだろう?》しかし問題は、はじめはそんなふうには提起されていないのだ。君はまだ個人を信じている。それは確かだ。というのは、君は、君を取りまく人びとや、君自身のなかで、快いものをちゃんと感じているからだ。けれどもこうした個人はなにもできぬし、君は社会に絶望しているのだ。しかし気をつけ給え。君は破局の訪れる前にすでに社会を見捨ててしまっているのだ。また、君とぼくは、この社会の終局が戦争であることを知っていた。それに君とぼくは、そのことを予告していたし、結局ぼくたちと社会のあいだにはなんのつながりも感じられなかったのだ。こうした社会はこんにちだって同じことだ。それはあたりまえの結末に到達しただけだ。そして事実、事態を冷静に観察するならば、1928年当時以上に絶望しなければならぬ理由はないのだ。そうだ。まさにあの頃と同じくらいの絶望でしかないのだ。

それに、よく考えてみると、1914年に戦った連中は、いまよりもっと絶望する理由があったのだ。というのは、彼らは事態をあまりよく理解していなかったからだ。すると君は、たとえ1928年は1939年と同じくらい絶望的だったということを知っても、それは私にはなんの役にもたたぬ、というだろう。だがそれは、うわべのことでしかない。なぜなら君は、1928年にはまだ全部が全部に絶望していたわけではない。だがいまでは、君にはすべてが空しくみえるからだ。だから、もし事態が変らなかったとしたら、君の判断こそ間違っているのだ。それは、とある真実が論理的に把握されるかわりにいきなり直観されると、そのたびごとに判断を誤ってしまうようなものだ。君は戦争を予見した。そしてそれを妨げようと考えた。それこそ君が全的に絶望するのをとどめるものなのだ。こんにち君は、もはやなにも妨げることはできないと考えている。そこにこそ議論の糸口があるのだ。

しかしその前に君にききたいのは、この戦争を防ぐに必要なことを、君がちゃんとしたかどうかということだ。もししたのだったら、この戦争はそれこそ君には宿命的なものと思えるだろうし、もはやなすべきことはなにもないと判断するだろう。しかしぼくは、それに必要なすべてのことを君がしなかった、われわれ以上にしたわけでは決してなかったと確信している。君は防ぎえなかったのだろうか? いやそれは間違っている。この戦争は、君も知っているように宿命的なものではない。ヴェルサイユ条約をそれまでに再検討すればじゅうぶんだったのだ。それがそうならなかったのだ。それこそ歴史というものだ。そして君には、歴史が別な進展をたどることもありえたのだということがわかるだろう。しかしこの条約は、あるいは外のどんな原因でも、いま再検討することだって可能なのだ。ヒットラーのああした言明にしたところで、その正当性を無効にすることだってまだ可能なのだ。これらの不正行為は、つぎつぎに別の不正行為を呼び起したが、いまでもそれらを拒絶することだってできるし、彼らの返答を無効にするよう要求することだって、可能なのだ。やらねばならぬ効果的なつとめはまだひとつある。君は、君の個人的役割は実際には皆無だと思っているだろう。しかしここで、これまでのぼくの議論を逆にさかのぼっていうと、それは1928年当時よりも大きくもなければ小さくもないといえる。それにぼくは、君にしたところで無益だという考えにそうあぐらをかいているわけでもないことを知っているのだ。なぜならぼくは、君が、そういつまでも良心の申し立てる異議に耳をかさぬはずはないと思っているからだ。そしてもし君がそれを認めないとしても、それはまったく勇気を欠いているからでもなければ、感嘆する心を欠いているからでもない。そうではなくて、それにはいかなる効果もないと君が判断しているからだ。しかも君は、いまではもう、それにはある種の効果があるという考えを知ったわけだ。とすれば君は、これからするぼくの議論についてこなければならぬはずだ。

君にはなすべきことがある、それを疑ってはいけない。それぞれの人間には、多かれ少なかれ影響を及ぼしうる領分があるものだ。各人はそうした影響力を、長所と同様短所にも負っているのだ。だがそんなことは問題ではない。影響力があれば、それをすぐにも活用することだ。なんぴとをも反抗におもむかせてはいけない。流血は避けなければならないし、他人の自由は大切にしなければいけない。けれども君には、「この戦争は宿命的なものではなかったし、現にない。それを防ぐ手段は、いままでは試みられていないがいくらでも試みることはできる。だから、それが可能なときにはそのことを言い、あるいは書き、必要とあらば叫ばなければならない」と、十人、二十人、いや三十人の人間に説得することはできるはずだ。その十人あるいは三十人が今度はほかの十人にそのことをいうだろう。そしてその十人がまたそれをだれかに伝えるのだ。もし面倒くささから彼らがそれをやめてしまったら、またほかの人たちに向ってやりはじめるのだ。そして君が、君の領分や君の地域でやらねばならぬことをやってしまったら、そのときこそ説得をやめ、あとは随意に絶望し給え。だれでもごく「一般的な」人生の意味には絶望できる、だがその特別な形、その実存には絶望することができない、ということをわかってくれ給え。というのは、ひとは人生にたいしては力が及ばぬ。しかし個人がすべてでありうる歴史においてはそうではないのだ。こんにちわれわれを死にかりたてているのはある数人の個人だ。だとすればなぜある数人の個人が世界に平和を与えられないことがあるだろう? 大きな目標などは考えずに、ただはじめさえすればいいのだ。そして人々が戦争をしているのは、それを望んでいる人びとの熱意によるのと同じくらい、全身全霊でそれを拒む人びとの絶望によっているのだということにどうか気づいてくれ給え。

2017年11月9日(木)はれ

きょうは快晴。

朝のうちグダグダして、ピアノの練習をせずに出てきたのが内心けっこう心残り。午後のnCoくんのセミナーは本人の都合でお休み。再来週の火曜日に補填する予定。空いた時間で、昨日までの図書室整理についての相談内容をまとめてレポートを作って関係者にメールで送付。というと、つまらない仕事みたいだが、本のリストを調べるためにRubyのスクリプトを書いたりするので、けっこう楽しい。

夕方はいつもの医者でいつもの薬を出してもらう。「このごろ、あんなオファーやこんなオファーがあって、ピアノの発表会も近い。いろいろのことにじっくり取り組む時間の余裕にも恵まれている。だから、客観的には楽しく充実していてしかるべき状態なのだけど、どうにもやる気が出ない。どうなっちゃったんでしょうね。」と医者に相談したら「いままでだって、直前になるまで動かなかったでしょ。あたしもそうよ。」との返事であった。いろいろのオファーにわくわくしないのは、新しい取り組みではなく従来の守備範囲内のことだからだし、これまでにしたことの自己評価が低いのはプライドが高くて本当はもっとできると思いたいからでしょ、とのご指摘。もっとスゴいことができると自分では思いたいだろうけど、そんなスゴいことが一朝一夕でできるはずもない。高く登りたければ一段ずつ上ることよ、と。さすがは人の心をみるプロ。お見通しである。それじゃあまあ、あまり自分を責めずにゆるゆると進むことにしよう。


2017年11月8日(水)あめ

朝から夕方まで、小雨が降ったり止んだり。

夕方、学科の図書室の整理・充実のため、大学図書館の事務の人と打ち合わせ。図書館の奥の広い書庫に入って本の数に圧倒されるなどした。古い本を納めた立入禁止エリアにも特別に案内してもらったが、高さ3メートルくらいありそうな棚に古びた革張りの洋書がずらりと並ぶさまは、まるで映画に出てくる魔術師の書斎のようであった。この書庫に何十万冊とある本のそれぞれに著者があり、読者があるわけだが、そのうち何冊を、俺は読めるだろうか。


2017年11月7日(火)くもり

一日何もしなかったわけではないが、しかし午後はほとんど無駄にした感じ。ダメダメすぎてしょんぼり。

ひとりでじっと部屋に閉じこもっていては働く頭も働かないという当たり前のことなのだが、いまはカフェに本を読みに出かけるコーヒー代もおいそれとは出せないひどい金欠なのだ。次の給料日までなんとか持ちこたえる算段はあるし、そうそうお金を使わなくてもべつだん死にゃしないのだが、こういうときにどうしても気持ちが塞ぐのも事実。まあそれだって今に始まったことではない。自分がそういう人間なんだとは、前からわかっている。多くはないとはいえ一定の月給をもらっているんだから、普段からお金が底をつかないように気をつけて暮らせばいいことだ。遠き慮りなければ必ず近き憂いあり。どこに文句を持って行くわけにもいかぬ。

それにつけても、頭を活性化しておくことはつくづく大切だ。だらけて受け身になり物事に流されている限り、何にせよ最善の行動はとれない。


2017年11月6日(月)はれ

夜、ピアノのレッスン。発表会も近いのに課題山積。まあ、時間をとって丁寧に練習するほかない。レッスン後のドトールコーヒーはTポイントで購入。先々週の工業高校の生徒さんがあの時と同じ席に今日もいて、同じように関数電卓をテーブルに置いてレポート用紙に立ち向かっていた。自分はキューネン Set Theory 2011年版の§IV.8を少しだけ勉強。難しい内容ではなかったが、ノートを取ってみるとやたらと書き損じをした。サボっていたツケだなあと思うと恥ずかしくなった。食べたり飲んだりと同じく、読んだり書いたりも生きることの一部。やめちゃったらソレマデなのだ。続けよう。歩数計カウント11,757歩。


2017年11月5日(日)はれ

娘と倅を連れて松山ブックマルシェ再訪。イエムラコーヒーの入れたてのコーヒーがとても美味しかった。

本が大好きな娘は、このイベントに昨日から興味津々で、実際けっこう楽しんだようだが、倅は自分がどんな本を読みたいか自分でわからないうえ、積極的に探そうともしない。困ったものだが、まあ仕方がない。

倅に「面白いもんは自分で探しに行かんと見つからへんねんで。面白いもんが向うから勝手に歩いてきたりせえへんねんで。」と説教したつもりが、要らんサービス精神で「走ってきたりもせえへん」と言ったのがいけなかった。「転がってくる? 匍匐前進は?」などと、妙なところに乗ってくる。本当に困る。まあ、きっと俺もいまの倅の年齢の頃はこんなふうにわけのわからんガキだったんだろうけどな。

昼食はフジグラン松山のフードコート。なんだか昨日と同じコースだ。それから宮西のブックオフに行き、ドラッグストアコスモスに行っておやつを買って、歩いて帰宅。


2017年11月4日(土)くもり

第5回松山ブックマルシェに行ってきた。会場は例によって若草幼稚園。きょうは特に、トランペッター唐口一之さんたちのジャズのライブがあって、これが場所のムードにぴったり調和していて、なんとも心地良い時間を過ごさせてもらった。愛媛大学の法文学部の学生さんたちがゼミの研究で柳井町商店街あたりのことを調べて(「やないすと」と題した)おしゃれなパンフレットにしたものを売っていたので、少し話をさせてもらい、パンフレットを娘に見せようと思って買ってきた。平成生まれの学生さんたちやうちの娘の目には、寂れた商店街に残るレトロな風景は、懐しいものではなく斬新なものと映り、娘などは、そういう風景が大好きなようだ。なのでこの学生さんたちと娘は感性を共有できるかもしれない。いまとにかくお金がないので、その他には本は買えなかった。

それから、フジグラン松山3階のフードコートに移動し、読みかけの的場昭弘『マルクスを再読する 〜主要著作の現代的意義〜』(角川ソフィア文庫)を読み終えた。これまでに培ったマルクスのイメージががらりと変わる。大変面白く、読み応えのある本だ。

フジグラン1階でブリのあらを買い、家に帰って大根と一緒にあら炊きを作って夕食に出した。


2017年11月3日(金) 文化の日はれ

午後は倅の中学校の文化祭を見に行った。5年前の6月23日の日記に書いた《とても可愛いおしゃれさん》は、中学生になった今でも、あいかわらず倅とはけっこう仲よしである。ありがたいことだ。そのおしゃれさんが有志発表会で「朧月夜」を伴奏なしで歌った。エモーショナルないい声だし、身体で歌っている。すばらしい。そのほか、筝の演奏、お茶席のパフォーマンス、ドラムの演奏、ヒップホップなダンス、なぎなたの演舞、ピアノの演奏、日本舞踊などなど。最前列で観ていたが、なかなかみんな楽しそうである。ドラムやダンスのときは客席から歓声だって上がる。フィナーレで、みんなが肩を組んで歌いだしたのはなかなか感動的だった。実をいうと、俺は自分が中学校時代にいい思い出がないものだから、もうちょっと暗くてつまらないものを見せられるかと覚悟して行ったのだが、いい意味でアテが外れた。

終演後は県立図書館に行って本を借り換える。ロープウェイ街では城山門前市というのをやっていた。歩行者天国にして、商店街の各店舗が店を出すのだが、売り子を松山商業高校の生徒さんたちがやっている。いや、酒を出す店は例外。ステージではフラダンスのパフォーマンスをやっていた。のんびりした休日らしくていいが、お姉さんたち寒くないのかなあ。

図書館からは歩いて帰宅。途中で味酒町のトマト書房の前を通ったので寄ってみた。侮れない品揃えだ。きょうはいろいろお金がないから、日を改めてくることにしよう。


2017年11月2日(木)はれ

nCoくんの3年生ゼミ。寺澤順『現代集合論の探検』第3章。整列集合の一般論をザッと済ませて、順序数の理論に入る。順序数を、整列集合 \((X,\trianglelefteq)\) であって、各要素 \(x\) における始切片 \(X(x)\) すなわち集合 \(\{\,y\in X\mid y\triangleleft x\,\}\) が \(x\) 自身と一致するという条件をみたすもの、と定義している。フォンノイマン流の順序数の定義(関係 \(\in\) によって整列順序づけされている推移的集合)と、確かにこれで同値になる。なかなか巧妙だ。


2017年11月1日(水)はれ

数学科お茶会。ショートトークはワニさん。あみだくじで実現される置換の位数の話題だった。それを聞いて、可算無限本の縦線を持つあみだくじというものをうまく定義できないかという問題を考え、しばし楽しんだ。

夕方からTGSAセミナー。HDさんの力学系の理論。なんだったかいう積年の未解決問題が解けるかもしれないという現在進行形のレポートだったのだが、俺の粗雑な頭には、少々難しかった。

TGSAセミナーのあとは例によってアミティエで会食。ワインを飲むとどうも早々に酔ってしまっていけない。お開きを待たずに退席し、歩いて帰宅。

久々に歩数計をつけて出かけた。歩数計カウント11,853歩。