て日々

2017年8月


2017年8月31日(木)はれ

天気がよく、比較的涼しくて爽やかな日だった。夕空を見て、俺にしては珍しく、ゆく夏を惜しむような気持ちになった。

理学部キャンパスのけさ9時40分ごろのようす
朝9時40分ごろの理学部キャンパス

夕方から元町珈琲でひとり作戦会議。いろいろの事情で晩飯が随分遅くなった。


2017年8月30日(水)はれ

今朝までに洗い出した文章の間違いや図の不適切なところを修正し、最後に序文「はじめに」を書き直した。これで原稿は一応の完成形ということにして、版元へ送った。この原稿をもとに、これからしばらくは編集部で作業を進めてもらう。編集者さんによると、ゲラができるのは10月初めだそうだ。これで9月は他のことに頭が使える。ありがたいことだ。

哲学者中村雄二郎さん逝去の知らせ。若いころにいろいろ読んだ。とくに岩波新書の『知の旅への誘い』と『術語集』は大好きだった。最近思うところあって『共通感覚論』を再読しようかと思っていた矢先である。御冥福をお祈りする。


2017年8月29日(火)くもり

一日、原稿の読み直しをしたり、原稿の読み直しをしたり、原稿の読み直しをしたり、原稿の読み直しをしたりして過ごした。お盆休み前後の第1回目の読み直しよりも、今回のほうが修正点が多い。なぜなんだ…

付箋がいっぱいついた原稿

夕方、《19世紀初頭のジョゼフ・フーリエの業績は数学史上ではたいへん重要視されているけれども、熱学研究史の中では、どのように位置づけされるのであろうか》などということを考えながら外へ出たら、物理学科の 持国天さま(=とあるけみすと)ジョセフくん が友人たちと一緒に理学部の裏庭で熱学の実験…ではなくてバーベキューコンロの用意をしているところに出くわした。きっと卒業研究のグループでパーティーをやるのだろう。

炭を並べて、これから火を入れる段階のバーベキューコンロ

その後は元町珈琲に行って原稿の読み直し。帰宅して夕食をとって風呂に入って、その後さらに原稿の読み直し。夜11時になって集中力が底をついたので、あと少しで終わりそうだったが打ち切って寝た。


2017年8月28日(月)くもり

朝と午後に会議。ピアノのレッスンの日だが楽譜を忘れてきたので夕方に一旦帰宅。すこし練習してからレッスンに向かった。レッスン後は今夜もドトールコーヒー。帰宅後、夜も更けてから、少しだけ原稿の読み直し。また間違いを見つけた。わはははは。慎重に、ただし確実に進もう。

大学生協で本日発売の板井昌典『情報理論のための数理論理学』(共立出版)を購入。時間をみつけて中身を吟味しなくては。

巖谷國士『シュルレアリスムとは何か』(ちくま学芸文庫)を読み終えた。いろいろ考えさせられた。

とくに気になったのが、いまの(と言ってもこの本の元になった講義がなされたのは1994年だからずいぶん前だが)日本社会が、プラトンやトーマス・モアが本に書いた理想国家あるいはユートピアに非常によく似た管理社会であるという指摘だ。この指摘は当たりすぎるほど当たっていて、この本から二十数年も経ったこの頃になって、ようやくわれわれのユートピア幻想の綻びが明らかになってきたように思う。巖谷が理性的でユートピア的な管理社会に対置するのは楽園的なもの、《夜・無秩序・迷路・闇・非合理・ついでにいえばシュルレアリスム》だ。ここを安直にとらえるのは少々危険だ。なにしろ相手は《正しさ》であり《秩序》であり《理性》なので、そこへ小規模かつ非公式に《無秩序》や《非合理》を対置してみたところで、病院送りか、下手すりゃ刑務所行きが関の山だ。だからこそ、隔離され管理された《ユートピア》でも失なわれた《フェアリーランド》でもなく、現実の世界に連続するものとして現れる《超現実》、現実の否定ではなくむしろ強度の現実として現れる《超現実》を追求する、シュルレアリスムという思想をいま再評価することは有意義だろう。ここでの巖谷の(反)ユートピア論はかつて『都市は、発狂する。』で栗本慎一郎が展開した「光の都市/闇の都市」論に重なるもののように俺には思われる。


2017年8月27日(日)はれ

県立図書館で本を借り替える。目当ては山本義隆『熱学思想の史的展開』(現代数学社)だが、他にも物理学史・数学史の本、それと山川出版社の『もういちど読む世界現代史』を一緒に借りた。

堀之内公園ではなにやらイベントをやっていた。フジグラン松山やエディオンに寄りつつ、歩いて帰宅。

エディオンでは富士通のキャンペーンでタイピングのテストをやっていた。タイムリミット60秒のところを30秒で終わらせ、ウルトラマンのマウスパッドをもらった。この程度のものなら3人に1人くらいは楽勝でやっちゃうのでは?とキャンペーンの女性に言ったが、案外そうでもないらしい。


2017年8月26日(土)くもり

一日寝て過ごした。朝のうちけっこうな雷雨だったらしい。あまり覚えていない。日記を読み返すとわかるとおり、どうも土曜日はだめだ。

というわけで身体が動き出したころにはもう夕食の時間。妻が子供のおやつに用意していた「ベビースターラーメン塩レモン味」というやつが、食卓に残っていた。それについての俺たちの会話:

妻「このごろは、レモンラーメンって流行ってるみたいね」

俺「南江戸の「りょう花」では柚子ラーメンが食べられる」

妻「いや、あれはすだちラーメンでしょ」

俺「そっか…。そのうち愛媛のどっかの店が《みかんラーメン》を出したり」

倅「未完成のラーメンが出てくる」

俺「そうそう。それで、食い終わらないうちに、下げられちゃう。…って、たまには倅も面白いこと言うねえ」

倅「えへへ(嬉)」

妻「普段はしょうもないことばっかり言うのにねぇ」

娘「倅くんて《ソシャゲのガチャ》やからね」

妻「なるほど(笑)」

俺「娘もうまいこと言うなあ」

娘「わたし一応、文学少女なんで表現力だけはね(誇)」

普段ならこういう話は妻がFacebookに投稿するのだが、きょうに限って、妻が先に寝てしまっているので、忘れないうちに俺が日記に書いておくのだった。


2017年8月25日(金)くもり

午前中は街のカフェで本の原稿を見直す。来月中旬に京都で開く「第10回関西すうがく徒のつどい」に行くため、大阪行きの夜行バスの切符を買い、実家の母に連絡を入れる。その次の週にはしんじけさん主催の数理哲学史夏期合宿セミナーに呼ばれているから、その講演の準備もせにゃならない。しかし午後は例によって集中が続かず、あまり捗らない。結局ぼんやりとしているうちに夕方になった。どこかのカフェで原稿読みを続けるかどうするか考えながら歩くが、結局はブックオフに寄って本を3冊買って帰宅。買った本についてはまた改めて。歩数計カウント11,307歩。


2017年8月24日(木)くもり

午前中は大学院入試の面接。

午後は本を書く。まえがきを書き、少しだけ本文に書き足す。話の流れにいくぶん未整理なところがある。ずっと前に編集さんに指摘された疑問点を今さら確認していたら、数学上の間違いを見つけた。なんてこった。いや、読み返しは大切だ。

これまでにも何度も書いていることだが、調子が出始めるのが夕方の5時とか6時ごろというのはさすがによくないな。

行きは妻の運転。帰りは徒歩。歩数計カウント7,125歩。


2017年8月23日(水)はれ

大学院入試の採点をした以外はろくに進捗がない。身体がしんどいので電車で帰ることにした。夕方の空が夏の終りの色だった。


2017年8月22日(火)はれ

昨日やり残した第7章の図版を作って、原稿に挿入する画像データは、あとはイラストレーターさんに任せるものだけになった。久々に全体をプリントアウトして、改めて読み返す。まだまだ整理の行き届いていない部分が見つかる。それに、全体のイントロになる「まえがき」も書かねばならない。それでも、なんとか今月中には編集さんに原稿を渡せるだろう。

倅がmBotというロボットのプログラミングをやりだした。mBotはマイコン制御の三輪車のようなロボットで、超音波距離センサーとライントレース用のセンサーを搭載し、制御部にArduinoを使っているという。プログラミングはScratchを応用したmBlockという環境でやる。夏休みの自由研究にロボットのことを調べる一環だが、倅はすでに機材に名前をつけて、ペットのように可愛がっている。Scratchなら慣れたものだろうから、いろいろ自発的に試して楽しんでほしい。

ボリス・ヴィアン『北京の秋』(岡村孝一訳・早川書房)を読了。すべてが明晰で不条理で諧謔的。難しいが面白かった。この本を読むことも、清水靖晃の同名のレコードを聴いてから、30年来の宿題だった。お盆休みのライブ同窓会の出し物に «Everything Happens to Me» をやろうと決めた時にそのことを思い出して、今月9日に図書館で本を借りてきたのだ。ライブ同窓会では他に «Night and Day» もやって、数日間は頭の中でこの曲のリピート再生が止まらなかった。

歩数計カウント7,185歩。


2017年8月21日(月)はれ

おかげで図版づくりはだいぶ進捗した。編集さんに問い合わせたところ、図版のうちマンガ的な数カ所については、絵描きさんに頼んでもらえるという。それで大いに肩の荷が降りた。あとは第7章の2箇所の図版と、第1章の既存の図版の調整を残すのみとなったところで、そろそろピアノのレッスンに行く時間である。

ところが、この10日ばかりほとんどピアノに触れていない。まあ帰省中は仕方がないとはいえ、直近4日間については言いわけできない。サボっていたツケは正直に回ってくる。先生ごめんなさい。

レッスン後は例によってドトールコーヒーに行く。そろそろ『北京の秋』も読み終えたいところだが、図版づくりを途中で打ち切って出てきているのでそちらが気になる。第7章の2箇所の図版というのは、6月に書いた原稿に「ここにも図を入れたい」という文字のメモだけが残っていたもの。2か月を経てしまうと、どういう図を想定していたのかがハッキリしない。うーん。図を入れようと思った時に、紙にエンピツのラフスケッチでいいから、何かアイデアを書き残すべきだった。帰宅して夕食後、2箇所の図版のうち1つは仕上げ、もう1箇所のアイデアも復元したが、エネルギー切れで、作業は明日に持ち越し。


2017年8月20日(日)はれ

キャメリアホールで「俳句甲子園全国大会」という高校生向けのイベントをやっていて、お茶席では娘の学校を含めて市内の高校の茶道部が接待をするという。それで娘は早朝から出かけていった。どこかの美容院で浴衣の着付けをしてもらうのだという。妻はこの「俳句甲子園」がわりと好きらしく、さっそく和服に着替えて出向いていった。

俺は家に残って、昨日あんまり進まなかった図版づくりを進める。

きょうは第5章の図版の残りを片付けて、それから第4章の図版を作る。ε-δ論法を図解する少し込み入った図版などもある。作業を進めるにつれて、Asymptoteの使い方を思い出してきた。作図ツールの約束事が飲み込めないうちは、簡単な図形ひとつ描くのに百万時間かかったりしてストレスの元になるが、集中して使い込んで慣れてくれば、だんだん楽しくなってくる。作図ツールに限らず、お勉強でも音楽でも、そういうところがある。ただ、作図ツールの場合は、感覚をとり戻して面白くなってきた頃合いに、ひととおり用が済んでしまう。次に論文なり本なりを書くときまで使わないでいると、すっかり忘れてしまう。数年間も使わずにいると、その間に技術の主流が遷り変わったりする。

実際、数学の図版作りにおいてはAsymptoteはTikZにとって替られつつある。今回も自分ではAsymptoteを使っているが、たとえば学生さんたちが来て、修士論文に図を挿入したいがどうしようかと相談すれば、やはりTikZを勧める。俺も今後のことを考えると、そろそろ乗り換えるべきなのかもしれない。ふむ。

さてさて、俺も倅も、冷房の効いた部屋で長時間パソコンに貼りついてばかりである。倅をいったんパソコンからひっぺがす目的を兼ねて、散歩に行くことにした。歩いて30分ほどのところにある家電店に行き、ロジクールのワイヤレスマウスを2台買った。職場のWindows PCのマウスとiMacのトラックパッドがどちらも不調で、だましだまし使うのもそろそろ限界になっているのだ。買い物が済んで、ローソンで倅にアイスクリームを買ってやり、来た道とは違う経路で、歩いて帰る。夜は三津の花火大会だ。大輪の花火が高く上がったときには、2階の窓越しにちょっとだけ見えた。


2017年8月19日(土)はれ

昨日の続きの作業をやりたかったが、どうも調子が出ない。イライラするばかりで作業に集中できないので、あきらめて蕎麦を食って昼寝してしまう。

衣山の用水池(A) 衣山の用水池(B)

夕方から少し散歩に出かけた。衣山5丁目のなんでもない用水池が総合公園のフライブルグ城を映して不思議な佇まいを見せるなど。妻が町内会の用事で外出しているので、俺が晩飯を担当し、豚しゃぶを作る。むきエビのボイルしたやつも添えたら子供らに好評であった。

というわけで、原稿のほうは、あまり進捗なし。


2017年8月18日(金)はれ

今日も今日とて、本に挿入する図版を作る作業。メモがわりに仮に挿入されていた手書きの図をみながら、Asymptoteでベクタ画像を記述していく。いくつかの画像をコメントつきでツイッターにアップしたら、思いのほか多くの「いいね」がついた。ありがたいことだ。そういうことがあると、本を作る励みになろうってものである。きょうはセクション5.7の13枚の画像のうち、昨日までに作れなかった8枚を作った。これまでと比較するとずいぶん進んだわけだが、まだまだ、今月中にあと30枚近くの図版を作らねばならない。


2017年8月17日(木)くもり

午前中、銀行に行く用があるので、倅を連れて出かけ、子供の頃に歩いた町内を歩く。初めて歩く倅にはわからないだろうが、俺には、目の前の景色に、40年前の同じ場所の様子が重なって見える。いまはどちらを見ても、なんでもない普通の家が並んでいるが、あの頃は、ここには玩具屋さん、ここには金魚屋さん、ここには肉屋さんがあって、あそこの市場は、買い物のおばちゃんたちで賑っていた。向こうの並びには、婦人服の店とプラモデル屋と大衆食堂。だが、さすがに40年は長い。あれもこれも、ほとんど何も残っていない。まあ、仕方のないことだ。

今回の帰省で思ったこと。送り火にしても、いろいろの神社のお祭りにしても、京都の人たちが勝手にやっていたことで、それを世界中の人たちが面白がって見に来てくれている。それはすばらしい、ありがたいことなのだが、このごろの京都は、「地元のニンゲンが勝手にやっている」という基本のところから、観光客誘致のためにどんどん逸脱しはじめている。お寺をライトアップしたりとかね。それが、俺は見ていて痛い。たとえていえば、地味だがちょっとした美人が幼なじみにいて、その人が、普通にちょっとした化粧をして普通に座っていればいいものを、似合いもしない流行りのメイクと派手なドレスで街角に立って客引きをしている、そんな姿を久々に帰郷してたまたま見かけてしまった、という感じだ。まあ、それにもいろいろ事情があるんだろうけど。

早めの昼食をとって実家を辞し、午後の電車で松山に戻る。きょうは医者に行く日だ。駅から直接医者に行く。医者からの帰り道、夕空に雨が降り、あたりの景色が烟っている。山の端が水墨画のようだ。宮脇書店に立ち寄り、昨日見かけて買わずにいた出口治明『「全世界史」講義』(新潮社)上下巻を買った。


2017年8月16日(水)くもり

昨日に引き続き、原稿と向きあう。文章の変更点はおおむね原稿ファイルに反映されたので、挿入する図版を作る作業を開始。Asymptoteを使ってベクタ画像をPDF形式で生成していく。

夜は五山の送り火を見に出かける。母の高校時代の友人が四条通りのマンションに住んでいて、その屋上で見せてもらおうと、母が話をつけてくれた。行ってみると、他にもたくさんの人が来ていた。遠くに見える大文字や鳥居形を見ながら、周りがみんな、お祭りみたいにわあわあキャアキャアと騒いでいる中、お数珠を手にした見知らぬ若い女性が、黙って送り火に向って合掌していた。なんだかとても尊いものを見た気がした。


2017年8月15日(火)くもり

子連れ帰省4日目。さすがに足腰と財布がくたびれてきたので、一日じゅう実家にいて、少し仕事をする。赤入れした原稿の変更点を反映させる作業。近所のショッピングセンターの衣類売り場に行くと、娘が探していた「目が笑ってない着ぐるみたち」のTシャツが安くなっていたので、「鷹の爪」の吉田くんのTシャツと一緒に購入。吉田くんTシャツは姪のリコちゃんにあげた。


2017年8月14日(月)くもり

昼間は子供らを観光に連れ出す。まずJR奈良線で稲荷へ行き、伏見稲荷神社に詣でる。なかなか大変な人出。境内を歩く人の言葉は、日本語と中国語が半々。やはり中国からの観光客がえらく多いようだ。千本鳥居ではみんながスマホで写真を撮るものだから、渋滞してしまって大変だった。次に京阪で七条へ移動し、三十三間堂へ。京都に生まれ育った俺だが、三十三間堂を拝観するのは、実は初めてだ。千一体の千手観音像は、さすがに見応えがある。娘が妻へのお土産に頭痛封じのお守りを買った。妻と娘はしばしば衝突して俺を悩ませるのだが、冷静になってみると、娘は思いやりのあるやさしい女の子である。本当は国立博物館にも行きたかったが、月曜日とて休館であった。

京都駅前、ヨドバシカメラの6階カプリチョーザで昼食。小エビのアヒージョとパスタとピザを食って満腹。ちょっと高くついたが、まあ仕方がない。それからまた歩いて西本願寺へ。御影堂では盂蘭盆会法要の最中だった。お経なのか何なのか、参拝者たちが声を揃えて歌っている。ラ・ソ・ミ の3音だけの不思議な節回しである。そのあと、アバンティに足を伸ばしたが、6階ブックセンターは改装のため閉店中。残念である。 まあ、娘はそれでも「アニメイト」に来れたのでご機嫌であった。

さてさて、夜は四条大宮の ふら〜っとホーム でライブ同窓会。これが今回の帰省の主目的である。仕掛け人は高校の同期生、ジャズシンガー松並順子とピアニスト樋上千聡。昨年8月12日の催しが好評で、今年もやるぞ、という話になったのだ。会場の「ふら〜っとホーム」は高校時代に松並がジャズピアノを習っていた田久保先生の店だという。参加者は30人近くて、昨年に比べてほぼ倍増となった。田久保先生にベースを弾いてもらって、松並のボーカルと樋上のピアノを中心としたライブが続くが、たまに、俺がフルートで参加したり、石浦が歌ったり、タカゾーがギターを弾いたり。昨年よりも演奏への参加者も多く、和やかな会になった。

休憩中の楽器たち

演奏は楽しかったし、褒めてくれる人もいたが、自分ではぜんぜん思うように演奏できんで、それがちょっと悔しかった。やはり練習せねばならない。こういうイベントに呼んでくれる人があり、演奏を聴いてくれる人があるというのは、なんともありがたいことである。次回も来れるように、そしてもうちょっとマトモな演奏ができるように、少しは努力ということもしてみようかな、なんて気分にもなった。


2017年8月13日(日)くもり

午前中、散歩がてら、子供らを木嶋神社と太秦広隆寺に連れていく。広隆寺の池には綺麗に蓮が咲いている。宝物殿では、倅は千手観音がずいぶん気に入ったらしい。

濃いピンクが鮮やかな蓮の花

午後は高校のOBバンドの吹奏楽の練習に参加。4時間の練習はなかなかハードだったが、ベテランのバンドマンでトランペッターの川嵜淳一の直接の指導が受けられるのは幸運というものである。OBバンドは来年2月上旬の演奏会に向けて練習をしているというのだが、俺は出演できる気がしない。1月2月はいろいろ多忙だし、なにしろ松山は遠い。


2017年8月12日(土)はれ

妻に見送られ、俺と娘と倅の3人で、特急しおかぜに乗って京都へ移動。倅にとっては4年ぶりの京都である。中学生になって背も伸びている倅をみて母はびっくりしていた。京都はもっと暑いかと思っていたが、意外と涼しいので助かる。

夜は西院の居酒屋で高校時代の吹奏楽部の同期と飲み会。これまであまりなかったことだが、俺がLINEの同期グループで「12日に京都に帰るから飲み会やろうぜ」と言ったら、9人が集まった。ありがたいことである。それこそ30年ぶりくらいに会う人もいて、昔の話やら近況のことやらで盛りあがった。


2017年8月11日(金) 山の日くもり

月曜日のライブ同窓会。自分のソロは“Everything Happens to me”をやることにした。それと、石浦が“This Masquerade”を歌うから間奏でソロをとれ、という指令。きょうになって樋上から連絡があり、なんかもう一曲やれという。急な出し物追加で大いにあわてるが、松並が歌う“Night and Day”にフルートで合わせよう、という話になった。家にあった楽譜を移調して書きなおし、コードをピアノでさらって作戦を考えていたら、妻が「綺麗な和音で素敵やねえ」と感心した。


2017年8月10日(木)くもり

昨日終えられなかった原稿の読み返しを、朝のうちに家で終わらせてから、電車で大学へ行く。午前中に会議があるのだ。学科の将来像に関わる、なかなかに大事な会議で、12時半まで続いた。

大学図書館の本館へ調べものに行きたいが、その前にメシも食いたいので、校友会館のhacoに行った。500円のランチ。ご飯とドリンクのおかわり自由。

図書館に入ったのが14時20分ごろ。エウクレイデス全集から文を引用したり、岩波文庫版『エチカ』(畠中尚志訳)の訳者解説を読んだり。夏休みの大学図書館は明るく静かで心地良い空間。エアコンも効いていて、調べものや勉強にはもってこいなのだが、夏バテ気味の俺は、2時間ほどたったあたりで、だんだん眠気との戦いにエネルギーの大半を持って行かれるようになってきたので、当初考えていた調べものがひととおり済んだ時点で退却した。


2017年8月9日(水)くもり

県立図書館に行って本を借り替えてから大学に向う。きょうはオープンキャンパス2日目。理学部のイベントがある。俺は例によって単なる写真係だが、以前作った「ペンローズの三角(実写版)」を展示品として供出した。展示と学科紹介をするサブの部屋の写真は撮れたが、100,000,000さんが模擬授業をするメインの部屋まで行ってみると、ドア間際の席に生徒さんが座っていて、部屋に入れない。まあ、2時間目に来ればいいやと、一旦自室に戻った。そうしたら、そのあと1時間半も居眠りして、すっかりタイミングを逃してしまった。ひどいもんである。とにかく午後はテンション下がりすぎで、原稿の赤入れも全部は終えられなかった。それでも、県立図書館から大学まで歩き、帰りも小雨の中を歩いたので、歩数はまあまあ伸びた。歩数計カウント12,086歩。


2017年8月8日(火)くもり

台風のあとのクリアな晴天。暑いが台風前のいやらしい暑さではない。きょうと明日がオープンキャンパスで、大学が賑やかになる。キャンパスが喜んでいる。やっぱり大学は賑やかでないと。

昼食には、集中講義にいらっしゃった熊本大学の城本先生を交えて数学科教員一同で仕出しの弁当を食った。高砂町の「たいよう農園」の弁当。うたい文句通りの新鮮な素材。サラダに生ハムが乗っていたりして、なかなか美味しかった(…というのは言葉の綾で、空腹だったのであっという間に食ってしまった俺は、本当は味をよく覚えていない。)

前期の成績評価そのほか、夏休み前の気がかりなタスクが今日の午後で一段落して、ようやく原稿と向き合う気持ちの余裕ができた。帰り道に元町珈琲に寄って、赤ペンと付箋を持ってプリントアウトを読み返す。1時間半ほどいたら、冷房で体が冷えてしまった。

歩数計カウント10,064歩。


2017年8月7日(月)くもり

午前中、かなり強い雨。台風5号が通過中で、暴風警報も出ているので大学は終日休講、といっても、日程的には前期の最後の補講日だから、もともと授業はほとんどないのだが。

夕方。期末テストの採点を中断して歩いて音楽教室まで行ったが、誰もおらず灯りもついていない。これまた台風のせいだろう。で、ピアノのレッスンなし。家に帰るか大学に戻るか本屋に行くか夜の街に消えるか。少し考えたが電車で大学に戻ってテストの採点を済ませた。

歩数計カウント12,060歩。


2017年8月6日(日)くもり

妻のiPhoneが不調なのと、子供らに長らく服を買ってやっていなかったこともあって、まあ久々に皆で街へ出かけようかという話になった。妻がカメラのキタムラでiPhoneの交換手続きをしている間、ちょっと大街道をうろうろして、帰省の参考になるかもと、セレンディップ明屋書店で「るるぶ 京都編'18」を買った。(いつも思うのだが、この手の刊行物って、なんでいちいち '18 なんてサバ読んだ番号をつけるんだろうか。) 老舗の鞄屋で閉店セールをしていた。入ってみると、懐しくも、米米クラブの歌がかかっていた。娘のためにクラシックなデザインのスーツケースを妻が買った。それから、妻の車でエミフルMASAKIに移動。フードコートで昼食のあと二手に分かれる。俺と倅はユニクロに行って、倅の服を選ぶ。といっても、大したものは買わない。デニムの半ズボンと、スーパーマリオのキャラクターTシャツ2枚。さらに2階のRight-Onに行って俺の新しい半ズボンとTシャツも買った。まあ、俺の買いものはすぐに済むが、妻と娘の女の子チームのほうはそうはいかない。娘の服と靴を選び終えてエミフルを離脱したのは16時30分ごろ。3時間以上滞在したことになる。近所まで戻り、台風に備えて明日の食材を買って帰宅。

休日かつ主に車での移動ながら、大街道とエミフルでのうろうろが効いて、歩数計カウント10,695歩。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

エミフルMASAKIでハンドスピナーが売られているのを見ての、倅と俺の対話…

倅「ただ回すだけのものが大流行だなんて、こんな変なものにハマる人が増えたのはどうしてだろう」

俺「倅だっていろいろ妙なもんにハマってるじゃないか。Scratchとか。」

倅「Scratchは変なものじゃないよ。たくさんの人が楽しんでる。」

俺「たくさんの人が楽しんでることが変でない理由になるんだったら、ハンドスピナーだって変ではない。お前さん、言ってることの筋が通っとらんよ。」

倅「あっ、そうだね。」

念のために言うが、ハンドスピナーやScratchが変か変でないか、そんなことは問題にもしていない。俺はそんなことより、倅の心の持ちようを心配している。理解できないものや関心がもてないものは、誰にだってある。そういうものを簡単に「変なもの」扱いにしてはいけない。ハンドスピナーを楽しむ/楽しまない、あるいは、Scratchを使う/使わない、そういう基準で、人々が2分されるのは、これは仕方がない。だからといって、あちらとこちらに、変/マトモという線を引いてはいけない。


2017年8月5日(土)はれ

お盆の帰省には電車を利用する。午前のうちに倅をつれて松山駅まできっぷを買いに行った。無事に往復の指定席が取れた。窓口のお姉さんが端末を操作すると、プリンタが鍵盤ハーモニカのような音を小さく立てて動作し、きっぷを印字する。3人でしおかぜとのぞみを乗り継いでの往復だから、全部で18枚のきっぷを受け取る。その足でフジグラン松山へ行き、ツタヤで京都市の地図を買う。どんなところに行くのか倅にわかってほしいからだ。タリーズで倅にアイスクリームを食わせ、じぶんはカフェラテを飲んで、歩いて帰宅したら、妻はすでに仕事に出ており、娘が昼飯の用意をして待っていた。午後は昼寝をしたりしてダラダラ過ごした。少しは本も読まないとな。

京都の帰省中には子供を連れ出す機会は2日ほどありそうだ。伏見稲荷と三十三間堂と国立博物館に行く日と、銀閣寺を中心に東山の寺を見る日にしよう。


2017年8月4日(金)はれ

いろいろ時間がとれない。まあそういう日もある。朝8時半ごろの電車で大学へ出かけ、一日いろいろ作業をして、夜9時すぎに歩いて帰宅。なんなんだ、これじゃ昨日とまったく一緒じゃないか。それに加えて、昨晩眠れなかったので一日つらかった。卒業研究ゼミでは「意味論的パラドックスは文そのものの構造にばかり責任があるわけではない。なんでもない文も状況によってはパラドックスを生むことがある」という話が面白かった。


2017年8月3日(木)はれ

いろいろ時間がとれない。まあそういう日もある。朝8時半ごろの電車で大学へ出かけ、一日いろいろ作業をして、夜9時すぎに歩いて帰宅。歩数計カウント11,235歩。


2017年8月2日(水)はれ

お盆の帰省を控えて、LINEで高校の部活の同期たちに「飲みに行きたい」と言ったのをきっかけに、飲み会の日程調整が進行中だ。その様子を見ていて、ずっと忘れていた「何を決めるにしても一度はひととおり全員に発言させる」という往時の部活の不文律を、久々に思い出した。

ことの性質上、関係者一同にきちんと話が伝わること、関係者一同が納得したうえで意思決定すること、そしてなにより、疎外感を持つメンバーを残さないことが大事。そこをゆるがせにすると禍根を残す。まあ言ってみれば旧式の空気醸成型のコミュニケーションで、きょうびそういうものの弊害がいろいろ指摘されてるわけでもあるが、だからといって拙速や独善が正しいわけでもない。つい結論を急ぎたがる自分の悪い癖を反省した次第。

さてさて、子供二人を連れての帰省なのに、自分の遊ぶ段取りばかりトントンと決まってしまった。娘と倅をどこかへ連れ出してやらねばならん。娘は伏見稲荷大社に行ってみたいという。あそこはかなりスペクタキュラーだから、倅も喜ぶだろう。五山の送り火を見る段取りは母が考えてくれたらしい。他にも何か所か、あまりお金をかけずに遊びに行けるところを検討しておこう。

夕方からTGSAセミナー。アミティエで料理とワイン。徒歩で帰宅。歩数計カウント11,772歩。


2017年8月1日(火)はれ

「数理論理学」の期末テスト。8問も用意したのに、時間の余った人が多かったようだ。どうやら簡単すぎたらしい。試験後、答案は返してもらえるんですか、という問いあわせが出た。そりゃ気になるわなあ。今週はなんだかんだで時間がとれないので困っているが、なるたけ早めに採点してやらねばならんな。

歩数計カウント11,991歩。大学まで徒歩で往復したのは、けっこう久しぶりだ。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

けさ、歩きながら考えたこと。

先日読んだ安藤俊介の『アンガーマネジメント入門』(朝日文庫)という本では、ストレスというかフラストレーションの原因を、《切実である/切実ではない》《自力で変えられる/変えられない》という基準で4分割して考えよう、と勧めている。自力で変えられる厄介ごとなら自力で解決する。いくら切実でも自力ではどうしようもないことなら、自分の考え方を変えるか、あるいは自分の居場所を変える。切実でなくて、変えられないものは、まあ放念する。そういうふうに、問題を整理するのだ。

こういう2軸による4分割というものごとの捉えかたというのは、他の本でも読んだことがある。

斎藤孝『質問力』(ちくま文庫)では、ものごとの尋ねかたを《重要/重要でない》と《具体的/抽象的》の2軸で4分割したうえで、ひとに何か質問するときには「重要なことを具体的に尋ねる」ように心掛けるべきだという。斎藤によれば、どうでもいいことを抽象的に聞くのは「たまにいる、哲学的に頭がねじくれた人」のやることだそうだ。

あと、往年のパソコン情報誌 MacPeople に「締切が守れる人になるための秘訣をさぐる」というような記事が載ったことがある。自分も締切が守れなくて困っているという女性ライターが、フランクリンなんちゃら研究所とかいう会社に取材したところ、まずはタスクを《重要性》と《緊急性》の2軸で4分割しなさいという。重要かつ緊急なタスクは誰でもすぐにやるだろうが、重要でないのに緊急性があるげな「錯覚」タスクに振り回されないように、また「緊急性がないけれども重要」なタスクが疎かにならないように、タスクを4分割の図式に位置づけて評価する癖をつけるといいというのだ。(それに、ある程度手間がかかることが予想されるタスクは、To Doリストに載せずスケジュール帳に入れてしまうべきだ、という実践的で有益なアドバイスもあった。)

他にも、90年代の人気TV番組「タモリのボキャブラ天国」では《バカ/知的》《インパクト/シブイ》という2軸で作品を評価していたし、古代ギリシャの「火風水地」の四大元素説は《乾/湿》《上昇/下降》の2軸4分割だし、ユング心理学でのタイプの4分類は《思考/感情》と《直観/感覚》の2軸によるものだ(さらにユングはこの4分類を四大元素説に重ねて論じてもいる。)こんなふうに、いろいろな場面で2軸4分割という考えが提案されている。

きっと、ヒトの認識能力の基本である2項対立に基く分類を、ビジュアルなイメージのしやすさと兼ね合わせた結果として、2項対立の軸を2つ用意した4分割がちょうどよい、ということになるのだろう。分類の軸は多いほうが細かく詳しくなるのは当然だけど、3軸8分割というと、もうすでに入れ物が多すぎて、てっとり早く物事を整理するには向かない。その点、2軸4分割なら、平面にパッと図示できてわかりやすいからね。

で、何が言いたいかというと、そうした分割思考法を利用しながら、いろいろの問題に合理的に対処していきたい。自分なりに課題を整理するための図式をもとう、というのがひとつ。それと、今後ともツイッターでは「どうでもいいような抽象的なこと」をつぶやき続けるからひとつよろしく、というのがひとつ。