て日々

2017年7月


2017年7月31日(月)はれ

日中は、会議そのほか、地味な作業。夕方、ピアノのレッスンはお休みだが、そうとは知らない妻が、倅に、塾からの帰りに俺と松山市駅で合流するように伝えたという。今夜は妻が某所でNPOの打ち合わせ会だか勉強会だかに出ていて、塾に迎えに行けないのだ。まあそんなわけで、今週も松山市駅のドトールコーヒーに行って、コーヒーを飲みながら『クラウド時代の思考術』を少しだけ読んだ。この本、そろそろ半分を少し過ぎるあたりまで読み進んだのだが、ここまでのところ、知識がいかに大切か、そして、そうであるにもかかわらず、一般のアメリカ人がいかに無知か、そういう話ばかりが続いている。それはいいけど、「思考術」の話には、いつなるのだろうか。頃合いを見計らって駅に行ってみたが倅の姿は見えない。いつもの電車が来るころに、「いま家についた」と倅からメール。普段より一本早い電車で帰ったらしい。まあ、しゃあないな。


2017年7月30日(日)はれ

妻と倅は、朝からずっとインターステラテクノロジズのロケット発射実験のネット中継に釘付けであった。俺は10時半ごろから散歩に出かける。昨日よりだいぶ暑い。

先日の海の日に高浜あたりを歩いたので、きょうはもうちょっと手前の、これまで一度も利用したことのなかった港山駅で下車して歩いてみる。といっても、港山駅から南へ5分も歩くと、もう三津の渡しの船着場である。ミンミンゼミが鳴いている。

minatoyama20170730
港山側から三津浜側を見る

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三津浜側から港山側を見る

「三津の渡し」は港山と三津を結ぶ市道の一部として無料運行されている。古く室町時代に港山城に三津から物資を運ぶために渡し船を使ったのがはじまりという。航路はほんの80メートルで、あっという間についてしまうが、それでもなんだか楽しい。

今回はすぐに渡し船に乗って対岸に渡ってしまったが、湊三嶋神社や港山城跡なども見ておくべきだったな。まあ、近いうちにまた行こう。石崎汽船旧社屋の写真を撮り、恵美須神社にお参りし、港の景色を見ながら歩く。

社屋正面の写真
石崎汽船旧社屋

三津浜のラムーの近くの道の側溝に、カセットコンロのボンベがひと山捨ててあった。どうやらガス抜きもしていない。不心得者がおるなあ。使用済みとはいえ少しは可燃性ガスの残っているであろう缶が炎天下に放置され日差しを浴びているのは心配なので、ラムーの向かいの西消防署に行って通報した。

ラムー併設の靴屋で懸案だった新しい靴を買い、ダイソーでゴムバンドを買い、ラムーで缶ビール(スーパードライ350ml)を買って飲んだ。それから、酔いざましに、三津の町を少し散策。汽船のりば跡の立て札を見て、三津浜公民館のモダンな建物の前を通って、正覚寺と願成寺で手を合わせる。住吉公園を抜けて旧三津浜商店街に出て、伊予鉄三津駅から電車に乗って帰った。近場の短時間の散策だったが、普段あまり通らないコースでなかなか新鮮であった。

願成寺山門にて
この泥があればこそ咲く蓮の花
願成寺山門にて

帰宅して昼食、それから昼寝。16時過ぎに、新しい靴に慣れるためもあって、ふたたび徒歩で外出。といっても、あまり行くところも思いつかないので、古町から宮西町のあたりをうろうろ。田んぼでまじないの護符を見つけて、その家の奥さんに謂れを聞いてみたり、エディオンでApple Watchを見たり、ミスドでカフェオレを飲みながら本を読んだり。その後、靴の中敷と、寒暖計を買って帰宅。歩数計カウント14,009歩。

県立図書館で昨日借りた5冊の本のうち、中沢新一『三位一体モデル』と高橋雅延『変えてみよう!記憶とのつきあいかた』を読み終えた。とすると次は『クラウド時代の思考術』に戻るか、あるいは出口顯『ほんとうの構造主義』(NHKブックス2013年)を読むかだが、寝苦しい深夜に枕頭で読む本でもなさそうなので、きょうのところはこれで終わり。


2017年7月29日(土)はれ

近所の温泉に行こうかと思ったがだらだらしているうちに行きそびれた。まあ、明日でもいいや。先日借りた本を返しに、またしても県立図書館に行った。外は暑いが、我慢できないほどではない。風も少しは吹いているし。中沢新一『三位一体モデル』(ほぼ日ブックス2007年)、高橋雅延『変えてみよう! 記憶とのつきあいかた』(岩波書店2011年)そのほかを借りた。フジグランに寄ってさっき借りた本をフードコートで読んだりしつつ、歩いて帰宅。歩数計カウント9,118歩。


2017年7月28日(金)はれ

午前中は某所で、難しくはないが大量の細かい計算に追われる。午後は卒業研究ゼミ。枝eくんの発表は命題演算子「ならば」の真理値表があのように定められている理由などなど、命題論理の面白いところ。ITくんは集合の無限和に対する共通部分の、ごく普通の分配法則の証明を、ナラバ博士の教科書で読んだが、場合わけの仕方が予想外だったのでちょっとびっくりした。その後、510くんが整列定理のツェルメロ流の(順序数を使わない)証明について質問に来た。

ごく普通の分配法則、の話を少し補足。集合族 \(\mathcal{F}\) と集合 \(A\) について、等式 \[ A\cap \bigcup\mathcal{F}=\bigcup\big\{\,A\cap B\,:\,B\in\mathcal{F}\,\big\} \tag{1} \] が成立するというのが、「和集合に対する共通部分の分配法則」で、これ自体はなんでもないごく普通の集合算だ。で、こいつを証明しようという場合、集合の等式の証明の定石としては、まず左辺の任意の要素が与えられたと仮定して、それが右辺に属することを示し、次に右辺の任意の要素が与えられたと仮定して、それが左辺にも属することを証明する。この方法こそが「任意のものについて、それが(1)の左辺に属することと右辺に属することとが同値である」ということを示す、実際上唯一の方法であろうと、俺などはついつい考えてしまう。ところが、ナラバ博士の教科書(鈴木登志雄『例題で学ぶ集合と論理』(森北出版))では、要素 \(x\) が、\(A\) に属する場合と属しない場合にまず分類し、それぞれの場合に、(1)の左辺に属することと右辺に属することとが同値であることを確かめる、という順番で証明を述べていた。\(x\in A\) であるような \(x\) については、それが左辺に属するのも右辺に属するのも、どちらも \(\mathcal{F}\) のあるメンバー \(B\) について \(x\in B\) であることと同値なので、互いに同値である。また、\(x\notin A\) であるような \(x\) については、等式(1)の左辺に属することと右辺に属することとは、(どちらも不成立という意味で)これまたたしかに同値である。だから間違っているわけでは決してないが、目的が上記の分配法則の等式の証明だけだとすれば、俺にはこのような場合わけは無駄な回り道に見える。この例題は、これと双対な、共通部分に関する和集合の分配律 \[ A\cup \bigcap\mathcal{F}=\bigcap\big\{\,A\cup B\,:\,B\in\mathcal{F}\,\big\} \tag{2} \] とセットになっていたので、あるいはナラバ博士はその点を考慮して、証明がパラレルになるように工夫したのかもしれない。後者の証明においては、\(x\in A\) と \(x\notin A\) に場合わけするのは自然な発想だから。

朝はまたしても妻の車で大学に運んでもらい、夜は夜で寄り道もせず帰ったので、今日はあまり歩数が伸びなかった。歩数計カウント7,041歩。


2017年7月27日(木)はれ

きょうはやることが多いので、なるべく体力を温存しておきたい。天気はよいが、電車で大学へ向かう。電車の乗り換えの間にと、コンビニでコーヒーを買って、駅の待合いで飲んでいたら、少しこぼしてしまい、新しいシャツに染みができた。しょんぼり。

午後は数理論理学の講義の最終回。述語論理の完全性定理とその周辺の話題。ただし、完全性定理の証明はしない(いや、時間の余裕があったので、アウトラインだけは言ったけど。)モデルの存在定理と完全性定理の同値性。述語論理のコンパクト性。すべての有限群に共有されるすべての初等的性質はある無限群に共有されるため、群の1階の言語では有限群の特徴づけができない、ということをコンパクト性を用いて説明した。《完全性定理によれば、われわれの形式的体系で証明できない論理式は、ある解釈のもとで偽な命題になる。そのような論理式は、われわれの形式的体系に限らず、どんな方法でも証明できない。というか、できたら困る。われわれの形式的体系は、ごく限られた公理と推論規則からなるオモチャのような体系でありながら、われわれの形式言語で表現できる数学的な正しさを余すところなくとらえられる。そういう意味では、形式的手法はまさしく完全だ。だがしかし、有限群の例で示したとおり、そもそもわれわれの形式言語で表現できない性質もある。そういう観点からいうと、形式的手法は、数学的な正しさを把握する手段として、べつだん完全無欠でもなんでもない。そのことも、まぎれもなく完全性定理の教訓である。》という趣旨の言葉で、講義をしめくくった。

講義を終えてからの反省になってしまうが、最初の導入のところで、論理学のぎりぎり基本のところ(妥当な推論とは真な前提から偽な結論を決して導かない推論のことだよ、とかなんとか)の解説と、あと、数学の形式化という着想の背景にある考えの説明などに、もっと時間をとったほうがよかったかもしれない。だって、数学の形式化に至る議論の流れを知らない人が「形式的手法は、このとおり、わりかしうまく行きますが、いっぽうで限界もあります」という話だけ聞かされても、ああそうですか、としか言いようがないではないか。今後のことを思うと、フレーゲやラッセルやヒルベルトが、なぜあのようなことを言い出したのか、というあたりの話を、おおまかにでも押さえていたほうがよい。まあ、数学の理論にそういうストーリー性を求めすぎるのは、俺の悪い癖なのだが。

帰り道には元町珈琲に寄って少し本を読んだ。歩数計カウント10,333歩。


2017年7月26日(水)はれ

午前中、県立図書館に行った。伜が読み終えた本と俺と妻が伜の利用者カードで借りていた本を返しに行ったのだが、そのついでに、何か面白い本はないかと見ていたら、ウィリアム・パウンドストーンという人の『クラウド時代の思考術』(森夏樹訳, 青土社2017年)というのがあった。序文と第1章をチラ見してみると、なかなか面白そうだった。インターネットのおかげで物事を記憶しておく必要性がわからなくなっているこの時代に、なお知識を求めることに意味があるかどうか、あるとすればどんな意味があるか、というのがテーマである。これは俺のような稼業の人間にとって、かなり大事なテーマだ。書店で買ってゆっくり読もう。というわけで、午前中は結局、図書館とジュンク堂書店をうろうろして終えてしまった。

さてさて、きょうは伜のところにお友達が遊びに来る関係で、お弁当がない。昼食には一番町のココ壱番屋に行った。納豆のせ400グラム2辛。741円。午後は研究室で過ごし、夕方から会議に出る。この会議が長引くかと思って、明日の講義の準備を昨晩のうちに済ませておいたのだけど、実際には、会議は明日以降の作業の打合せがメインで、思いのほか早く終った。時間ができたので、夜は先日誂えたメガネを受けとりに、フジグラン松山へ行った。歩数計カウント10,433歩。


2017年7月25日(火)くもり

昨晩なかなか寝付けなくて困った。いくら月曜の夜にはピアノのお稽古が控えているからといっても、夕方にモンスターエナジーを飲むのは考えものだ。今度から、ああいうものは、先を見越してお昼かせめておやつの時間くらいに飲むことにしよう。

そんなこともあって、きょうは昼間眠くて仕方がなかった。

午前中に数理論理学の期末テスト問題を作り、午後には講義をした。ゲタ記号の働きの例示という意味を込めて、述語論理の健全性を丁寧に説明したつもり。

夕方から明後日の講義ノートを書き始め、2時間ほどかけて書き上げた。歩いて帰ったら夜の10時になった。

歩きながら考えた。エンジンがかかって頭が回転しだすのが夕方6時とか7時というのはさすがに遅すぎる。昨晩寝つきが悪かったのが直近の原因ではあるが、朝の過ごし方、スタートの切り方を考えよう。何か頭がしゃんとする習慣を見つけるべきだ。子供らが小さい頃には、小学校まで毎朝ついて行ってやり、そのあと1時間ほどカフェで本を読んだり勉強したりしていた。いまにして思えば、あれはいい習慣だった。いまはもう子供を巻き込む理由はないが、何かそういう朝の習慣を見つけよう。

歩数計カウント10,234歩。


2017年7月24日(月)くもり

午前中、明日の講義の準備。講義は残すところ明日と木曜日の2回。たいていのことを明日1回で話し終えてしまうかもしれんと、今朝までは思っていたが、講義ノートを書いてみると、そうでもなさそうだ。午後、3年生の課題科目「数学セミナーI」の発表会というのがあって、鈴木くんと510くんがルベーグ積分について勉強した内容を発表した。少なからぬ「数学セミナーI」履修者の中でも、発表は志願者のみがする。さすがにきちんと理解してわかりやすく説明しようという意欲が見えて好ましい発表だった。

俺がルベーグ積分を勉強したのも大学3年の夏だったな。ってことはもう32年も前だ。当時の俺は遊び呆けてばかりのまったくグータラな学生であったが、ある聴講生の頼みで、ルベーグ積分を講じる実関数論の講義のノートを用意することになった。その聴講生さんは教職志望で、実関数論の単位が必要だったのだが、聴講の手続きをとった後でどこかの高校の非常勤講師の仕事が決まってしまい、講義に出席できなくなったのだ。世の中いろいろ思うに任せない。それで、まあ俺が一肌脱いで、この科目に限って、毎回欠かさず出席しきちんとノートをとり、しかも清書までするという、普通の学生並みのことをした。その結果、あまたある数学の科目のうちでルベーグ積分だけは、俺も人並みに理解するに至ったわけだ。期末試験のとき、聴講生さんは手土産にお菓子を大きな袋にいっぱいもって来てくれた。彼が首尾よく実関数論の単位を取得できたかどうか。それは俺にはわからない。それなりにマジメに清書したとはいえ、俺の下手な字で書いたノートが唯一の情報源では、さぞかし大変だったろうと思う。

夕方からはいつものとおりピアノのレッスン。進捗は遅い。なかなか進まない。が、まったく進んでいないわけでもない。功を焦ってはいけない。レッスン後は例によってドトールに行って少し本を読んだ。

きょうはiPhoneを家に忘れて出てしまった。日中はあまり困らなかったが、夜、妻がピアノ教室のすぐ近くまで、塾を終えた娘を迎えに来ていたのに、連絡が取れなかった俺は合流できなかった。

出勤時に妻の車に乗せてもらったうえ、日中わりかしじっとしていたので、大学からピアノ教室まで歩いたわりに歩数は伸びない。歩数計カウント7,752歩。


2017年7月23日(日)はれ

例によって妻はバイトに行ってる。昼食はペペロンチーノ、タコと生ハムのカルパッチョ風。夕食は野菜炒め。

地域の輪越し祭。金比羅さんに茅の輪をくぐってお参りしてから、子供らにかき氷を買ってやり、自分は久々に、実に1か月ぶりにビールを飲んだ。いやあ、久々のビール、どこででも飲めるキリンの一番搾りなのだが、夏祭りの夕方に神社の青天井の境内で飲むそのビールの、もう美味かったのなんの。ちと大げさかもしれんが、「これよこれ!! これこそ生きるヨロコビ!!」と思いましたわよ。思えば、ついこの間まで、いつでもどこでもという感じで、メリハリなく飲んでいたわけで、そのせいでかえって、せっかくのビールの美味しさをわからなくしていたのかもしれない。その点を反省しつつ、明日からまた当分は禁酒。

そのほか、日中にも薬局やらダイソーやらスーパーやら、ちまちま歩きまわったので、歩数計カウント12,373歩。


2017年7月22日(土)はれ

おかげさまでよく眠れた。このごろは朝に血圧測定をしている。先日の定期検診では140近くて、ちょっと血圧高いかな、というレベルだったのだけど、朝のうちは 120/80 くらいで推移している。ありがたいことだ。ただ、測定中に妻に話しかけられて、「えっ」と思うと、特に返事をしなくても130くらいに上がってしまうこともあるようで、難しいもんだと思う。

さてさて、木曜日の通り雨のおかげで、ベランダに娘が干していた蕎麦枕がパァになったので、買い換えることにした。聞けば、娘はニトリの ひんやり抱き枕(Nクール シャークS) というのがいいという。それで中央通のニトリまで行ったのだが、たまたま品切れだった。通販で買おうかと思って引き上げたが、妻が仕事の帰りにエミフル松前のニトリで買ってきてくれた。同じNクールのひんやり抱き枕でもペンギンアザラシではなく、ちょっとひねってサメなところが、うちの娘らしい。妻はメールで「パパはいらないの?」と聞いてくれた。アザラシがいいなとちょっと思ったが、まあ遠慮した。


2017年7月21日(金)はれ

なんだか一日無駄にした感がある。心配かけて済まない。早く寝る。


2017年7月20日(木)はれ

おおむね天気がよい一日だったと言いたいところだが、午後に通り雨。授業中に窓の外を見たら思いがけず雨だったので驚いた。妻が朝に干して出かけた洗濯物はパァになっただろう。なんだか、そのためだけに降ったような雨だった。講義内容は述語論理の意味論の2回目で、論理式の解釈の定義と例。歩数計カウント12,843歩。

夜、妻の愛するぬいぐるみ「クマのしらゆき」が行方不明で、捜索に時間を取られたおかげで風呂に入り損ねた。きょうは子供らの終業式。明日からまた家がやかましいことだろう。あー。


2017年7月19日(水)はれ

午前のうちに、自宅から銀行へ1往復、近所のコンビニへ2往復、スーパーへ1往復。昼飯を作って食って片付けて、炎天下を大学まで歩いていく。朝のうち天気が読めなかったが、これだけ晴れるなら洗濯もすりゃあよかった。

前学期最後の数学科お茶会。ショートトークはYGさんによる、円周率が無理数であることの証明。高校レベルの微積分の知識で理解できるようにまとまっていて面白かった。

明日の授業の講義ノート、方針はとっくに決まっているのに、書いたものが自分でなかなか気に入らなくて、まる2回書き直して夜の9時前にやっとできた。ややこしい定義はこれでひと通り済んだので、残る来週の2回については、それほど不安はない。

ローソン限定 タヌキとキツネ オリジナルシール

帰りにローソンで「ガルボ」を買っておまけの《タヌキとキツネ》(©アタモト) オリジナルシールをゲット。歩数計カウント16,114歩。わりとよく歩いた気がしたが、距離にすると11キロくらいか。


2017年7月18日(火)くもり

妻が車を出してくれるというので、先日(→今月1日)職場から持ち帰ったバケツ一杯くらいの資料を大学へ持っていく。数理論理学の講義は述語論理の意味論。構造の定義と例。それから項の解釈の定義。

夕方、フジグラン松山へ行く。メガネの田中で(実にていねいに)検眼してもらい、新しいメガネをはりこむことにした。来週水曜日に受けとる。思いがけず大枚をハタくことになったので、妻のエフカカード経由で支払いしてがっつりポイントを獲得することにしよう。靴も買い換えたいがそれはメガネを受けとるときでもいいや。

歩数計で測ってみたところ、西一万交差点から古町までおよそ2,000歩。古町からフジグラン松山までおよそ500歩だった。とすると、俺の平均の歩幅は70cmといったところなのだろう。行きは妻の車だったが、授業で歩数を稼ぎ、帰りは寄り道をしたので、歩数計カウント13,927歩。


2017年7月17日(月) 海の日はれ

妻はバイトに出ている。子供らは家でダラダラしている。俺はどうしようか。天気もいいし外へ出よう。

高浜から興居島をみる

海の日だから海を見に行くことにする。まずは、電車で高浜へ向かい、興居島を左手に見ながら松山観光港まで歩く。時々足を止め、岸壁に腰をおろしてボンヤリする。ダラダラする子供らを置いて外に出てきた俺だが、家でグータラするのが嫌で出てきただけで、ボンヤリするのが好きな点では子供らには負けない。

ターナー島と漁船
高浜の漁港から見る四十島
またの名をターナー島

観光港の冷房の効いた建物内で一休みする。このごろ毎日同じことを言ってる気もするが、こういうときにビールが飲めないのはつまらんなあ。

よく冷えたアサヒドライゼロの缶を手に持っている

さて、特に用事もないので引き返す。今度は、高浜を素通りして梅津寺まで歩くことにしよう。途中、わざと県道から逸れて、黒岩を回る。このあたりは古くから釣りの名所であるらしく、夏目漱石の『坊っちゃん』で主人公が赤シャツと野だいこの釣りに付き合うシーンのロケーションになっている。もともと四十島と呼ばれていた海上の岩山がターナー島と呼ばれるようになったのは『坊っちゃん』に因んでのことだ。現在も、マリンスポーツや釣りを楽しむ人たち向けに黒岩マリンとか黒岩フィッシングサービスといった施設がある。このあたりが、かつてはリゾート地として開発されようとしていた形跡があり、別荘的なものがいろいろ残っており、道路脇には、誰かが植えたのか、サボテンらしき多肉植物が花を咲かせている。「昔の光いま何処」みたいな趣きだ。

これはサボテンなのか何なのか

なんとはなしに、アルベール・カミュの処女作『幸福な死』に出てくる「世界をのぞむ家」のことを思い出しながら、海を見下ろす高台の道を通り抜けて県道へ戻ると、梅津寺公園まではすぐそこだ。高浜から梅津寺は歩いてみれば案外近くて、暑い中がんばったわりに、歩数が伸びない。歩数計カウント10,004歩。

綺麗な景色を見て、iPhoneのデジカメで写真をたくさん撮ったのだけど、たいてい失敗ばかり。俺の腕がもともとたいしたことないのももちろんだが、今回はそのうえ、周囲が明るすぎてスマホのモニタがろくすっぽ見えなかったのが敗因だと思う。これは、何か工夫が必要だ。

さて祝日だが夜にはピアノのレッスンがある。その前にジュンク堂書店に行って、アンガーマネジメントに関する安藤俊介の本を買った。土曜日に県立図書館で借りた小林浩志の本の読後感がいまひとつだったので、もう一歩源流へ遡って読み直すのだ。レッスン後はドトールコーヒーに行って明日の講義ノートを書くつもりでいたが、休日の夜とて、いつもより店内が賑やかで集中できなかった。講義ノートは帰宅して夕食後にダイニングテーブルで作業して書きあげた。


2017年7月16日(日)はれ

きょうもきょうとて、妻は某巨大ショッピングモールの医務室勤務。なので、食事は三食とも俺が支度した。

久々に井手神社に行ってお神籤を引くことにした。昼食後に少し昼寝をして、2時半ごろ出かける。日射しが強く暑いが、そこそこ風もあり、帽子で日差しを遮れば、耐えられないレベルではない。普段は松山市駅で電車を降りて中の川通りを東へ歩くのだが、今回はものの試しで、石手川公園駅で電車を降りる。このほうがだいぶ近い。

石手川公園駅を北側踏切近くから撮影
石手川公園駅は鉄橋がそのままプラットホームになっている小さな駅。
日曜の午後だが暑さのためか公園に人影は少なかった。

井手神社正面
そして井手神社

いつものようにお参りをしてから、お神籤を引くと、第一番大吉だった。ありがたいことだ。神の教え「花の木陰にねるような気持ち、感謝感謝の礼ごころ」だそうである。なんか都々逸みたいだ。しかし「色に溺れ酒に狂えば凶なり」とクギも刺されている。はい。気をつけます。

いつもはこのあとは立花町を南へ歩き、大音寺に行ったあと、天山のイオンに行ったりアプライドに行ったり、朝生田のジョープラに行ったりするわけだが、きょうはコミセンの図書館に本を返す予定もあるので、西へ進む。中の川通りより一筋南側の、井手神社からまっすぐ西へ向う道を歩くと、横河原線の踏み切りを越え、末広町を越えて、北藤原町まで行ける。だがこの道は郡中線の線路のところで途切れるので、今度は済美高校の南側の道を歩いてコミセンへ向かう。

以前住んでいた、コミセン間近の賃貸マンションの1階、コーヒーショップだったところが日本酒専門の酒屋になっている。妻が言うには、試飲もできるという。立ち寄ってみたかったが、試飲するだけして「あ、ごめん、俺いま禁酒中なんで…」と言って立ち去ったら、店の人は怒るだろうなあ、と想像して、むふふと笑いつつ、きょうのところは通りすぎる。

コミセンの図書館に本を返し、フジグラン松山まで歩いて、タリーズコーヒーに入った。人の出入りの頻繁な休日の午後に、4人がけのテーブル席に1人で座ったら、かえって落ち着かなかったので、アイスコーヒーを飲んだらすぐに店を出て、4階のツタヤをちょっとひやかしてから、歩いて帰宅。歩数計カウント13,922歩。


2017年7月15日(土)はれ

午後、倅と二人で県立図書館へ。倅は「ヒックとドラゴン」の第8巻を借りた。俺はテレンス・タオ『ルベーグ積分入門』(朝倉書店2016年)、岡谷公二『郵便配達夫シュヴァルの理想宮』(作品社1992年)、小林浩志『パワハラ防止のためのアンガーマネジメント入門』(東洋経済新報社2014年)などなどを借りた。暑かったので、図書館を出たあと南堀端のセブンイレブンで倅にアイスクリームを買ってやる。こんなとき、これまでの自分は何の迷いもなくビールを買っていたわけだが、いまは禁酒中である。こういう暑い日に冷えたビールをグイっとやるのを我慢せにゃならんのは、なんともつまらんが、ものは考えようだ。コンビニでおやつを何にするか選ぶ楽しみが増えたともいえる。まあ、今回は結局倅と同じアイスクリームを食うことにしたが。


2017年7月14日(金)はれ

Association for Symbolic Logicの雑誌 (Journal of Symbolic Logic, Bulletin of Symbolic Logic, Review of Symbolic Logic) の今春刊行分が届いた。BSLの今号はほとんど全部がWoodinによる論説で、いわゆる Ultimate-L 理論の現状報告というものらしい。俺にはもはや、細かい議論を追うことはできないが、巨大基数公理の内部モデルをめぐって、この20年のあいだに、綺麗な結果がずいぶんとたくさん出ていることはわかった。

午前中は教員志望の学生さんたちの模擬授業につきあう。他の先生たちと話してみて、数学的帰納法の説明の言葉遣いひとつとっても、いろいろな考え方があるものだと思った。午後は卒業研究セミナー。先週に引き続き10kくんの担当で、デデキント有限と有限の関係。夜は元町珈琲に寄って帰る。


2017年7月13日(木)くもり

朝、晴れたり曇ったり。

数理論理学の講義10回目。一般化定理と背理法の原理をやった。ラッセルによる「\(1=2\) ならばわたくしは法皇である」の証明もちゃんと紹介したぞ。そのあと「ここまでの話はわれわれの形式的体系が数学におけるいろいろな推論を上手に実現できていることのデモンストレーションだった。では、われわれの形式的体系は、数学におけるすべての妥当な推論をカバーできるだろうか。そのことは、どうすれば確かめられるだろうか。」と問うて、次回以降の話への予告とした。

夕方からはTGSAセミナー。Alexander Shibakovさんの講演で、第一可算公理をFrechét-Urysohn性やsequential性に弱めた位相群の話。可算空間の位相をカントール空間の部分集合とみて、それが解析集合になっている場合を考える、というアイデアを含む話で、なかなか面白かった。いつもなら、このあとアミティエでの懇親会でワインを飲むのだが、今日は医者に行かねばならない。セミナーが終わると医者の予約時刻まで30分しかないので、タクシーを利用。医者から家までの帰路は徒歩。歩数計カウント13,341歩。

(7月17日追記) この日は書き忘れたが、医者に向うタクシーは、シートの座り心地もいいし、エンジンの振動も感じられないほど静かだし、運転手さんの対応は丁寧だし、運転は的確。なんとも申しぶんがなかった。いつまででも乗っていたいくらいだったが、そんなことしたらメーターがえらいことになるので、医者に着いたら普通に降りた。これまで何度もタクシーは利用したが、降りぎわに「すごく乗りごごちよかったですよ」なんて言ったのは、これが初めてだ。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

不勉強なもので、郵便配達夫シュバルと彼の「理想宮」のことを知らなかった。昨日読んだ柏端達也の本に、ソラリスの海について議論したすぐ後に言及されていたものだから、てっきり何かの外国小説の登場人物かと思ったけれども、フランスの実在の人物だという。あるいは、若い頃に何かの本で読んでいたかもしれない。たとえば澁澤龍彦なんかが好んで取り上げそうな話だからね。

フェルディナン・シュバル(1836-1924)は、フランスの片田舎の無学な郵便配達夫なのだが、43歳のころ、急に思い立って、自宅の庭に石を積み上げて建物を築きはじめ、33年かけて、奇怪なデザインの巨大な城塞を作り上げたという。周囲からは変人扱いされるが、彼の城塞はアンドレ・ブルトンやピカソといった芸術家に絶賛され、いまでは重要文化財に指定されて少なからぬ観光客を集めているという。「理想宮」というのはどうやらブルトンの命名らしい。中学生のうちにプロ棋士になって公式戦で29連勝しちゃう藤井聡太四段も、9歳から量子力学を独学して12歳で教科書を書いちゃう近藤龍一さんもすごいが、周囲の白眼視も意に介さず、何年にもわたって一人で黙々とやりたいことをやり続けたシュバルの情熱というか根気というかに、俺は少なからぬ羨望を覚える。


2017年7月12日(水)くもり

午前中、大学生協の本屋に行った。近藤龍一『12歳の少年が書いた量子力学の教科書』(ベレ出版2017年)を買うためだ。タイトル通りの本である。著者は現在中高一貫校の4年生だから、うちの娘と同年だ。9歳のときに量子力学を学ぶことを決意し、独学でいろいろの本を読んで、12歳のときに、自分の理解を本にまとめた。それが決して小学生の自由研究というレベルではなく、本職の物理学者を唸らせる本格的なものだという。まだチラッとしか読んでいないが、アインシュタインの重力場の方程式も出てくるし、デイヴィッド・ボームのキャリアに関連して、マッカーシーのレッド・パージなんてことにまで言及している。まったく驚嘆するほかない。一昨日ジュンク堂に寄ったのも、昨晩明屋書店に寄ったのも、この本を探していたからだ。うん。さっさと大学生協に行くべきだったのだ。

で、行ったら、共立出版アリがと蟻さん(こと営業の稲沢さん)にお会いした。わりとちょくちょく、こうやって全国の書店や大学を回っておられるのだ。

5冊の本

さてそんなわけで、きょうは5冊の本を買ったが、そのうち野矢茂樹『論理学』(東京大学出版会1994年)戸田山和久『論文の教室』(NHKブックス2012年)は、以前たしかに持っていたのに見つけられないでいたもの。読まないと判断して手放してしまったのか、あるいは自宅でモノとモノの隙間にこっそり落っこちているのかもしれない。

慶應義塾大学三田哲学会叢書の2冊。最初に山内志朗『小さな倫理学入門』(慶應義塾大学出版会2015年)を読んだ。ひとつひとつの論点はよくわかったのだが、全体としては、とりとめもない語りという感じで、どうも核心がとらえられない。一番言いたかったことが何なのかを掴み損ねて、ぼんやりとした印象だけが残った。次に柏端達也『コミュニケーションの哲学入門』(慶應義塾大学出版会2016年)を読む。こちらはなかなか刺激的で読んでいて楽しかった。

行きは妻の車。帰りは徒歩で、昨日行かなかった元町珈琲に寄った。歩数計カウント9,783歩。


2017年7月11日(火)くもり

大学の仕事部屋のパソコンの話。Windows機のマウスの右ボタンが壊れた。マウスはもっぱら左ボタンを使うと思っていたが、いざ壊れてみると、いかに右ボタンを多用していたか、今更ながら思い知る。さしあたり使っていないMac miniにつないだUSBマウスを流用して急場をしのぐ。あと、iMacのBluetoothトラックパッドの左ボタンも不調だ。いろいろ思うに任せない。

数理論理学の講義。∃除去の推論。仮定をもつ証明。演繹定理。だいたい予定どおりの進行だが、昨年に引き続き、喋れども喋れども、ちっとも埒が開かない。興味を持ってくれる受講者が0人でなさそうなのが、せめてもの救い。

帰り道、元町珈琲に寄ろうかとも思ったけど気分を変えて、いつもは寄らない明屋書店に寄ってみる。ジュンク堂書店では関心のある分野の棚にしか足が向かないが、ここなら割といろんなジャンルの本に目がとどく。まあ、結局何も買わなかったのではあるが、たまには世の中で流行ってるものとかがわかる雑誌のひとつもめくってみるべきなのかもしれないと、ちょっと思った。さしあたり、そのために書店で雑誌を買うよりは、それこそ元町珈琲のようなカフェで備品の雑誌や新聞を見ることにしよう。

昼間、少しは晴れ間も見え、大変暑かった。歩数計カウント11,922歩。


2017年7月10日(月)くもり

次々回かその次くらいの数理論理学の講義ノートを書く。「一般化定理」はテキストの記述通りではちょっと条件が足りないなあ、どうしようかなあと思っていたが、去年も同じところで同じように困っていたことが、ちゃんと 2016年7月18日の「て日々」 に書き残してあった。記録は大切だ。去年は変数 \(u\) が論理式 \(\varphi(x)\) に出現しないという条件をつけて講義したわけだが、今年はもうすこし詳しく、\(\forall x\varphi(x)\) が証明できて \(u\) が代入条件をみたすなら \(\varphi(u)\) が証明できるし、逆に \(\varphi(u)\) が証明でき、\(u\) が \(\varphi(x)\) への代入条件をみたしていて、もとの \(\varphi(x)\) に \(u\) が自由変数として出現していないなら、\(\forall x\varphi(x)\) が証明できる、という話にしよう。

もうひとつ数理論理学に関連して思い出したことがある。バートランド・ラッセルが論理学についての講演で「矛盾した仮定からはどんなことでも証明できる」と話したら、聴衆から「では \(1=2\) を仮定してあなたが法皇であることを証明してくれ」と求められた、というエピソードを、竹内外史先生の本で読んだ覚えがある。ところが、別の時に別の本で、同じ話を別の学者のエピソードとして語っているのを読んだ覚えもあって、これがラッセルの逸話であるという確信がもてない。ツイッターでこの話を持ち出すと、何人かが、あれはラッセルの話だったと思うけど、どこで読んだか思い出せないと、俺と似たりよったりのことを言う。

しかし「別の学者のエピソードとして語っているのを読んだ覚えもある」という俺の記憶もずいぶんいい加減だ。それだけでは、昼寝の夢に見たというのと変わらないわけで、「記憶」か「創作」か「妄想」か、わかったもんじゃない。おやっと思ったら、小さなことでもメモをとるように、普段から心がけるべきだ。つくづく、記録は大切だ。

たぶん、それはラッセルのことだったのだろう。「\(1=2\) を仮定してあなたが法皇であることを証明してくれ」と求められたラッセルは、困った顔ひとつせずに「わたくしと法皇は2人の人間である。しかし \(1=2\) なのだから、この2人の人間は1人の人間である。ゆえに、わたくしは法皇である」と即答したという。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

夜はピアノのレッスン。ブルグミュラー18の練習曲から第8曲が終わった。今夜は妻が宇和島まで出向いていて娘が1人で留守番をしているので、レッスン後はどこにも寄らずに帰宅。歩数計カウント10,888歩。


2017年7月9日(日)くもり

銀天街に出かけて、化粧品のフジカワで久々にポーチュガルのコロンとヘアトニックを買った。昼食は炎やラーメン。ダイソーに行ってから、市内電車でフジグラン松山へ移動し、ズボンと靴下とトランクスを買う。そこからの帰りは徒歩。娘のい~カードにチャージもしたので、けっこうお金が飛んでいった。

夜、仕事から戻った妻に車を出してもらって、扇風機を買いに再び外出。手近なところで、まずダイキに行く。ところが、閉店時刻を待たずにATMが閉まっている。これはいけない。それで本日2度目のフジグラン松山へ。一番安いジェネリックな扇風機を2台(俺の部屋と娘の部屋で使うため)買い、夕食のおかずと明日以降の食材を買って帰る。そんなこんなで、歩数計カウント11,680歩。


2017年7月8日(土)くもり

天気のせいか何のせいか、どうも気分が晴れない。

昨晩あまり眠れなかったので午前中はグダグダと過ごした。妻は仕事、ムスメは学校に行っている。倅と自分の昼飯に中華つけ麺を作ったが、つゆがうまく作れず、倅のために二回も作り直さねばならなかった。仕事から戻った妻が疲れているっぽかったから夕食も作った。豚肉を炒めてとろみをつけた中華スープのタレで味付けしてご飯に乗せた豚丼。幸いこれは家族に好評だったが、自分の感想としては、ちょっと薄味だった。


2017年7月7日(金)くもり

お昼休みに会議。それから卒業研究ゼミ。10kくんが「集合の対等」の話をしてくれた。しかし10kくんほどのレベルの人にいつまでも2年生の科目の復習みたいなことをさせていては、せっかくの実力がもったいない。この先どう持っていくか。

誕生日が来て、53歳になった。これといってお祝いもしないが、せめて何か美味いものを食いたいので、家族そろって近所のスシローで夕食にした。子供らは満足してくれたようなのでよかった。しかし俺としてはちょっと不満だった。というのも、俺は考えてみれば尿酸値を気にして禁酒中の身なのだから、プリン体の多いものは避けにゃならない。となるとイカとエビとカニと数の子とイクラは控える。あと念のため飛び子も見送る。食いたいものが軒並みアウトである。仕方がない。ノンアルコールの«オールフリー»を飲みながら鯵と〆鯖ばっかり食っていた。我ながら、なんで寿司屋に行こうなんて言い出したんだろうね。


2017年7月6日(木)あめ

朝、家を出た頃がちょうと雨のピークの時刻だったようで、大粒の雨がどしゃどしゃと降っていた。その中を歩いて大学に行く。大学に着く頃には、ズボンが膝のあたりまで水浸しだ。布のリュックサックもずぶ濡れで、中に水がしみこんでいる。こういう天気だからと着替えのポロシャツを入れてあって、それが水を吸収してくれたおかげで、本や書類が濡れるということはなかった。ポロシャツくんには感謝だが、これではなんのための着替えだかわからない。ともあれ、研究室のロッカーに置いてある短パンとTシャツを着ることにして、脱いだズボンに扇風機で風をあてる。これが講義の時間までに乾いてくれねば、夏休みの悪ガキみたいな短パン姿で講義をせねばならん羽目になる。こういうときの常として、大学に着いた頃には、すでに雨は小降りになっていた。そんなことなら、出かけるのを30分遅らせればよかった。

数理論理学の講義は8回め。形式的証明のいろいろな例を説明したが、思うほど進まなかった。次回は今日のやり残しから始めることにすると、午前中に書いた演繹定理の証明のノートまででお釣りがきそうだ。

しんじけさん(富山大学の哲学の先生、池田真治さん)から、数理哲学史夏期セミナーに来て何かしゃべってくれ、というオファーがきた。9月下旬に草津セミナーハウスだそうだ。せっかくなので参加させてもらう。しかし何を話そうかな。

夜になって帰る頃合いになっても、リュックサックは乾いていない。どうしようかと思ったが、妻が近くまで車で来ているというので拾いに来てもらうことにして、荷物をダンボールに入れて持ち出す。歩数計カウント11,010歩。


2017年7月5日(水)あめ

朝、妻が娘を車で学校まで連れて行くというので便乗し、大学近くのローソンまで行ってもらった。ローソンでアイスカフェラテを2杯テイクアウトして、駐車場に停めた車で妻と飲む。たまにはそういうのもよかろう。

朝のうち晴れ間も見えていたが、しばらくすると空全体が雲に覆われ、11時過ぎにとうとう雨が降り出した。それがまた大変な土砂降りで、いままで我慢してたものが一気に飛び出かのかという感じだった。まあ、激しく降ったのはほんのいっときだったけど。

きょうのお茶会のショートトークでは、山内さんが無理数の集合と自然数の無限列の集合の間に連分数展開を介した同相写像があるよ、という話をしてくれた。久々に増長天さまと、もっと珍しいことに持国天さまが来た。510くんが三角級数の一意性定理の勉強をしているというので、何を読んでるのかと思ったら、なんとケックリスの1990年ごろの論説だ。俺もその当時かなり熱心に読んだ覚えがあるが、そういうものがネットを検索したら見つかる時代なのだなあ。

歩数計カウント8,711歩。往路は車で運んでもらったし、授業もなかったし。


2017年7月4日(火)あめ

台風が来て雨を降らせてくれた。水不足を思うと、もうちょっと降ってくれてもよかった。そうかと思えば、北陸地方では大雨で大変な被害が出ているという。なかなか思うようには行かぬものだ。

昨日に引き続き、明後日以降の授業の準備をしながら《∃除去の推論》についてごにょごにょと考える。講義は述語論理の論理の公理と推論規則、それから形式的証明の定義。小テストをして、自由変数と束縛変数の区別をきちんと把握できてない受講者が少なからずいることが判明。これまた明後日の授業でフォローせねば。

日暮れごろには雨も上がり、西の空には晴れ間も見えた。電車で行ったわりに、授業があったためか、わりと歩数が伸びた。歩数計カウント11,277歩。


2017年7月3日(月)くもり

朝、一番ガーデンでコーヒーを飲みながら、Thomas Hawkins, “Lebesgue's Theory of Integration, Its Origins and Development” (ホーキンス『ルベーグの積分論・その起源と発展』, 1970年, ウィスコンシン大学. 1975年第2版)という本を読む。この本もいいかげん読み終えてしまわねばならない。いや、これに限らず、読むべき本はいっぱいある。

後期の3年生セミナーの内容予告をするシーズンになった。遠慮していても仕方がないので、臆面なくロジックの看板を上げることにした。寺澤順『現代集合論の探検』、田中俊一『位相と論理』と、あと「ゲーデルと20世紀の論理学ロジック」第2巻所収の田中一之『述語論理入門』などをテキスト候補にあげる。

夕方は、例によってピアノのレッスン。ボーナス月なので半年分の月謝を先払い。週末があの調子だったので、あまり練習できていないが仕方がない。

明日の授業の講義ノートは昼のうちに作ってあったので、レッスン後はドトールコーヒーでその先の話を考える。形式的証明の例としては、《∃導入の推論》《三段論法》《等号の対称律と推移律》《∃除去の推論》をこの順に話すことにして、要点を確認。

レッスン後にGarakta Cafe&Barに行かなくなったのは、定期検診の結果で尿酸値がずいぶん高いことがわかったから。痛風になってはかなわんので、しばらく酒は控える。まあ、飲み会の誘いでもあれば行くのだけど。

歩数計カウント11,552歩。


2017年7月2日(日)はれ

昨日に引き続き晴天。妻は香川県のどこへやら研修に出かけているので、子供らの食事の世話だけは俺がせねばならん。朝食にホットドッグ、昼食にラーメン、夕食に回鍋肉を作る。今回の回鍋肉はソースを豆豉醤と味噌と醤油で自分で調合した。思いのほかうまくできた。それ以外の時間は、原稿書きに集中、と行きたいところだが、なかなかそうは問屋が卸さない。子供らがいろいろ話かけてくるからね。まあ、仕方のないことだ。しかし、妻は連日こういう状況で、論文を書いたりレポートを書いたり授業のスライドを作ったりの仕事をしたりしているのかと思うと、改めて頭が下がるのだった。

それでもまあ、夜までかかって、どうにか原稿に最低限度の目鼻をつけた。必死で書いてるときに限ってテキストエディタがクラッシュする。いまのところデータは無事なのだが、どうも心臓に悪い。


2017年7月1日(土)はれ

先月中にやると、自主的な締切を設定していた原稿、まだ仕上がっていない。この土日で仕上げねばならない。それはそうなのだが、髪が伸びているのが気になっていたので、午前中は散髪に行くことにした。松山農協近くの1000円カットで散髪して、コミセンの図書館に行って、農協のスーパーで揚げ物を買って帰る、例によってお気に入りのコース。

それでまあ、午後は多少の進捗はあった。だが、TeXのちょっとしたことで奥村晴彦さんの『美文書作成入門』を参照したいと思ったら、家に置いていない。第5版から第7版まで持っているのに、どれも大学の仕事場に置きっぱなしのようだ。そう言ったら、妻が車を出してくれて、大学まで取りに連れていってくれた。3冊あるうちの第6版と、それから何冊かの資料を大学から持ち出す。帰りにはスーパーに寄って、夕食のおかずを買う。このごろは妻と二人の時間はなかなかとれないので、こんなひとときでも、ちょっと嬉しい。