て日々

2017年4月


2017年4月30日(日)はれ

時間がゆっくり流れている気がする日曜日。天気もいいし、なんともありがたい。

昨日のLCDの実験の成功に気を良くして、加速度センサの実験もしてみた。今回使ったのは、マルツの地磁気&3軸加速度センサモジュールMLSM303DLHCで、昨日使ったMI2CLCD-01とともに、マルツの教材セットであるMAPLE-mini基板キットtypeAというものに含まれていたものだ。セットで買ったが、結局バラで使っている。

地磁気・加速度センサモジュールの実験

例によって最初はどう使っていいかわからない。IchigoJamのI²C通信機能の使い方がよくわからないせいだ。IchigoJam BASICの公式リファレンスには十分な情報が記載されておらず、I2CW/I2CR関数の引数情報が書いてあるだけ。関数の戻り値の意味もわからない。結局、PCN金沢の解説ドキュメント(→PDF)を見て謎が解けた。これまでわかってなかったのは次の2点:I2CW/I2CR関数の第1引数でI²Cスレーブデバイスのアドレスを指定するさいは最下位ビット(R/Wビット)を除いた7ビットで指定する。そして関数の戻り値は、正常終了なら0/エラーがあれば1となる。

ともあれ、必要な情報が得られたので、加速度センサの値を読み出して利用するプログラムが書けるようになった。デバイスの傾きによって画面上のキャラクタの動きを制御するとかできるようになったわけで、これで何かゲーム的なものを作ってみたい気もする。が、今夜の実験はここまで。


2017年4月29日(土) 昭和の日はれ

昼食にラーメンを作り、それと並行して、夕食のために、牛すじの煮物を準備する。出来合いの麺を使うのではあるが、自分で作る味噌味のラーメンスープはだいぶ味が安定してきたと思う。夕食には、牛すじの煮物のほかに、焼き豆腐の田楽を作った。このごろは、週末に妻が仕事に出ていることが多い。そういうときは、俺が何食かは用意することになる。

2年前に買った液晶ディスプレイモジュールMI2CLCD-01というものを使ってみた。

Hello IchigoJam!

といっても、やったことはサル真似で、Googleで型番を検索して見つけた こちらのブログ記事 を参照し、そのとおりやってみたらうまくいった、というだけの話。試験的に簡単なメッセージを表示させただけで、使いこなすレベルまでは行ってない。

以前にも、IchigoJamに加速度センサをI²C接続してデータを読み取れないか試したことがあって、そのときはなんともうまくいかなかった。今回は、サル真似とはいえ、少し前進した気がして嬉しい。


2017年4月28日(金)はれ

演習。連続体の濃度を \(2^{\aleph_0}\) と書くのはどうしてか。これは、出るべくして出る疑問である。詳しくは写像の集合の濃度の話をせねばならないが、てっとり早くは、要素が \(n\) 個の有限集合 \(X\) については冪集合 \(\mathcal{P}(X)\) の濃度が \(2^n\) になるので、一般の集合 \(X\) についても \(\mathcal{P}(X)\) の濃度を \(2^{|X|}\) と書くことになっているんだよ、と言って、それから実数の2進数展開あるいはカントールの3進集合に注目して、\(\mathcal{P}(\mathbb{N})\) と \(\mathbb{R}\) が対等であることを説明する、という順番になるだろう。その場合でも、けっこう説明は長くなる。冪集合の濃度に関するカントールの定理を証明する第9回目の講義のときか、その後にでも、この話題には触れたいと思っている。


2017年4月27日(木)くもり

講義。濃度の定義から再出発し、\(\mathbb{N}\) と \(\mathbb{N}^2\) が対等であること、開区間と閉区間が対等であることを証明した。それから、さてそれでは \(\mathbb{Q}\) の濃度はどうなってるんだろうか、と問を立てて、有理数全体の集合 \(\mathbb{Q}\) と \(\mathbb{N}\) について、\(\mathbb{Q}\) から \(\mathbb{N}\) への単射の存在、それと \(\mathbb{N}\) から \(\mathbb{Q}\) への単射の存在を示した。「このように全射でない単射が存在したからといって、全単射が存在しない。ということにはならない、それはわかるよね?」と話して、そのあと、濃度の大小関係の話に入ったのだが、それは濃度の不等号≤の定義をしただけで時間切れとなった。連休中には演習が1回あるだけで、連休明けには中間テストをやるから、つぎの講義は5月10日。なんとも区切りが悪い。


2017年4月26日(水)あめ

演習で、\(\mathbb{N}\) と \(\mathbb{Z}\) の間の全単射が一個の綺麗な式で書けないか、という話が出た。というのは、テキストでは、\(\mathbb{N}\) から \(\mathbb{Z}\) への写像 \(f\) を \(n\) が偶数のとき \(f(n)=n/2\), 奇数のとき \(f(n)=(1-n)/2\) と、場合分けで定義していたからだ。

公式見解として、集合の対等性を示すときのように「全単射の存在」を示すことが問題である場合には、どんなものであれ全単射をひとつ出して見せるか、あるいは少なくともひとつ全単射が存在することを論理的必然として証明できれば、それでよくて、その全単射が、目に見える形で定義できるかどうか、ひとつの式で書けるかどうか、あるいは、その式が綺麗な式かどうか、そういうことは考えなくてもよい。どんな奇天烈な写像であっても、上への1対1写像という意味の全単射でありさえすれば、条件に合致しているのだから。

とはいえ、綺麗な式で書けるものなら書いてみたい、というのもあるし、写像を明示的に定義できれば、そこからまた有益な情報が引き出せる可能性も出てくる。

実際のところ、先ほどの \(\mathbb{N}\) から \(\mathbb{Z}\) の上への1対1写像 \(f\) は \[ f(n)=\frac{1+(-1)^n(2n-1)}4 \] という式で書ける。逆写像となるともっと綺麗に \[ f^{-1}(x)=\frac12+\left|2x-\frac12\right| \] と書けてしまう。ただ、このように定義した写像 \(f\) が最初に述べたものと同じ写像であることは、ちょっと考えないとわからない。

このあたりは、数学好きの人の頭の体操としては好適だが、対等関係をテコに集合の濃度を定義して無限集合の要素の個数を評価する尺度とするという、今回の講義の本筋とは無関係だ。だから、講義ではこういう話にはあまり触れられない。演習でも、もっとベーシックなところで頑張ってもらわにゃならない場所がたくさんある。そんなわけで、数学好きで自分で数学書をいろいろ自習しているような「ちょっと進んだ学生」には、「集合と位相」の授業はちょっと退屈かもしれない。しかしこの例のように、話の発展させようが全然ないわけではない。


2017年4月25日(火)くもり

午前中は講義。自然数全体の集合 \(\mathbb{N}\) と実数全体の集合 \(\mathbb{R}\) の間に全単射が存在しないことを主張するカントールの定理。それから、集合の濃度の定義。カントールの定理はともかく、集合の濃度の定義は、どうしてもわかりにくい。ごくあっさりと「集合 \(A\) の、対等性にかんする同値類を \(A\) の濃度という」と済ませたいところだが、この«同値関係»がいかなる集合において定義されているのか、それが言えないところがやっかいだ。どうしても「すべての集合の集まり、というものが何であるにせよ、ともかく、そこにおける同値関係としての集合の対等性」などと言葉を濁さねばならない。もともと話がひどく抽象的なうえに、この部分は特に歯切れが悪いので、どうもわかってもらえた気がしない。木曜日の講義もこのあたりからやりなおすことにしよう。

午後は卒業研究セミナー。10kくんと枝eくん。10kくんの出し物は測度の話。とくに、不可測函数の存在をいうヴィタリの定理の証明をやった。枝eくんは戸田山本の続き。こちらはいまのところ、まだまだ3年生の講義「数理論理学」の範囲を脱していない。

妻の誕生日である。花を買って帰る。


2017年4月24日(月)はれ

午後、大学院の1年生になったヲタク多聞天さまが「ルベーグ不可測集合を作るには選択公理が必要なのか」と質問に来た。確かに選択公理なしでは(ということはZF集合論だけでは)ルベーグ不可測集合の存在証明はできない、と伝える。この議論はどうしても集合論の専門的な話になり、一般的数学徒のレベルで解説した手頃な文献は、いまのところ存在しない。しかし、解析学専攻の若い人がそういうことに関心をもってくれるのは嬉しいことだから、可能な限り敷居を低くしたいところではある。これに関しては、俺たちがなんとかするしかない。

夜はピアノのレッスン。ブルグミュラーは少しは練習したが、もう一曲のほうは全然だ。まあ仕方ない。ゆるゆると進む。レッスン後、松山市駅ビルのドトールコーヒーでひと息入れて、明日の講義内容の最終確認をする。そんなわけで、今夜は書店にもバーにも寄らず。


2017年4月23日(日)はれ

昼食にはイカ墨の煮込みスパゲティなるものを作った。出来あいのソースだけど家族にも好評であった。午後、ひさしぶりに井手神社に行った。おみくじで大吉を引いた。「する事なすこと幸(さいわい)の種となって心配事なく嬉しい運ですからわき目ふらず一心に自分の仕事大事とはげみなさい 少しでも我儘の気を起して色や酒に溺れるな」との教えだった。はい。お酒は少し控えます。それから立花町を歩いて朝生田のアプライドに行き、SATAハードディスクの外付け用ケースなるものを買った。これは、自宅で使っていたWindows PCが壊れたときに取り出しておいたHDDから必要なデータを取り出したりHDDを再利用したりするためだ。

まあ、PCが壊れてからすでに4年も経っているので、いまさら「必要なデータ」もあるまいと思っていたが、古い写真データなど、それなりに貴重なものも残っていた。

午前中と夜の2回にわけて、今週の火曜と木曜の講義ノートを作った。普段は前日の夜にやる作業だが、例年とは違うペースで進んでしまったので、講義と演習の今後の進み方を明日のうちにYさんと相談せにゃならん。


2017年4月22日(土)はれ

午前中、倅を連れてダイキに行き、こまごましたものの買い物をする。工作の補助に使うマスキングテープとか、換気扇フィルターとか。それから昼メシ。ざるうどんを作る。

壁掛け時計を買わねばならないので、午後に一人でフジグランに出向く。長年使っていた柱時計が修理中なのだ。その間は代替の時計を使い、もとの時計が戻ったら代替品は俺の部屋なりムスメの部屋なり、どこか他の部屋で使うようにする。フジグランの4階には思うようなものがなかったので、向かいのエディオンに行き、3,000円の電波時計を買って、歩いて帰宅。いい天気だったので外歩きは気分がよかった。


2017年4月21日(金)くもり

朝わりと早くに起きたので、大学に行く前に少し時間をとって、電子工作の構想をブレッドボードで確認してみた。IchigoJamなどのマイクロコントローラでビデオ信号のスイッチを制御しようという話で、74HC4066というデジタル制御のアナログスイッチICを使えばできるはずだと思ってそれを確認したのだ。だが、ブレッドボードに回路を組むさいに、電源まわりの配線ミスで、USBシリアル変換アダプタを1個とLPC1114FN28を1個、オシャカにしてしまった。合計1,200円ほどの部品代が一瞬でパァである。後悔先に立たず。電源を接続する前に、回路のチェックはくれぐれも慎重にしなくては。まあ、作りたいもののコンセプトは確認できて、それがせめてもの救いである。

午後に演習をやる。「商集合は集合の集合なのに商集合族と言わないのはなぜか」という質問が出た。これはなかなか考えさせられる質問だ。

思うにこれは、同値類の集合としての商集合を考える場面においては、個々の同値類を1個の対象としてとらえたいからだろう。同値類はある同値関係 \(R\) に関して同値な複数の要素をひとまとめにした集合だ。商集合が実際に用いられる場面では、同値類の「複数の要素を」という多数性の側面より「ひとまとめにしたもの」というマトマリの側面のほうが強調されている。個々の要素の個性を忘れて同値なものを同一視してダンゴに丸めたカタマリだと思いたいわけだ。だから「集合の集まり」を強調する「集合族」という呼称が用いられない。


2017年4月20日(木)くもり

講義。大田本第4章の同値関係の話をちょうどよいタイミングで終わらせて、やれやれ、と思ったが、去年までは4回目の講義で第6章の最初の定義まわりのところまで済ませていたのだった。講義だけなら、これくらいのペースの乱れは大した問題にはならないのだが、この科目はなにしろ演習とセットになっているので、講義のペースが違ってくると、演習担当のYさんが困る。ということで、来週の授業計画をYさんと相談。週末のうちに講義ノートを作っておくことにした。

夜、仙台のなんちゃらknowsさんからたいへんいい報せ。めでたい。


2017年4月19日(水)はれ

午後には、まず演習の授業があり、次に数学科お茶会の初回があり、次にTGSAセミナーでアレハンドロの講演があり、夜にはTGSAセミナーの懇親会がある。つまり午後は夜までずっと予定が詰まっているので、明日の講義の準備は午前中に済ませておくに越したことはない。そう思って、朝、大学までの道を歩きながら「剰余類」とか「同値関係と整合する写像」とかについて考えていた。ところが考えがどこかで脱線したようで、大学に着く頃には、なぜか「六曜」について考察していた。六曜というのは、暦で日ごとに赤口・先勝・友引・先負・仏滅・大安が割当てられている、あれのことだ。これを気にする人はいまでも多いようだけど、実は七曜(日月火水木金土)と同じく機械的に割当てられるもので、本来ならべつだん吉凶を云々するようなものではない。ただその機械的に割当てるルールが陰暦に基いているもんだから、陰暦を常用しない今日の我々には、なんだか神秘的に見えるということらしい。うーん。こんな話を「集合と位相」の講義でするわけにはいかないだろうな。

少し考えを巻き戻して、人の属性として血液型・12星座・十二支を考える。これらは各人に割当てられている属性だけど、このうち12星座と十二支は生年月日で決まるから、「人に12星座を割当てる写像」は「人に生年月日を割当てる写像」と「日付に12星座を割当てる写像」の合成へと分解される。十二支についても同様に「人に生年月日を割当てる写像」と「日付に十二支を割当てる写像」の合成へと分解される。いっぽう、血液型は生年月日では決まらないから、このような分解は血液型に関しては存在しない。以上のことは、単なるアタリマエである。明日の講義ではこういうわかりきった考察の一般の場合を数学の言葉で述べる。つまり「同値関係と整合する写像(その同値関係の不変量)は、商集合からの写像とみなすことができる」という話。

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わかりきった考察を一般的・抽象的に数学の言葉で述べるなんて、そんなことをしても、簡単な話を無駄に難しくするだけだと思われるかもしれない。が、決して無意味なことをしているわけではない。

理学部数学科の学生さんたちでも、1〜2年生のうちは、数学とは数と式の計算の技術である、と信じて疑わない人が多い。中学と高校で学ぶ数学がそういうものだったというのが大きな理由だが、それだけで終わってもらっては困る。せっかく学んだ数学を役立てるためにも、自由に自分のアイデアを展開して、しかもそれを他の人に通じる数学の言葉で表現できるようになってもらわないといけない。そこのところの訓練を「集合と位相」の授業、とくにその前半の「集合」の部分が担っている。

ある人の知っているフランス語が「ボンジュール」と「コマンタレブー」だけだったとして、その人が「フランス語は挨拶のための言語だ」と勘違いしていたら滑稽である。たとえば「このホテルの備え付けの石鹸はどうも自分の肌に合わないようだが、どこかで別のもっと肌にやさしい石鹸を買うことはできないだろうか」という考えは日本語でしか表現できずフランス語とは何の関係もない、とその人が信じていたとしても、それは、単にその人が日本語でしか表現できないだけで、世界中の人がさまざまな言葉で同じようなことを表現し、日常の用を足して生活している。

どんな言語も、ひとつには実際の用を足すため、もう一つには考えを表現するためにある。思いどおりに考えを表現できてはじめて人は自由に振舞える。

数学にしたって同じことだ。数学の世界で自由に振舞いたければ、まずは自分の考えを数学の言葉で思いどおりに表現する方法を身につけないといけない。その基本中の基本として「区別と同一視」「数えること」「比較すること」などなどのプリミティブな概念が、数学の言葉でどのように表現されるかを学んでもらおうというのが「集合と位相」の趣旨だ。

そこで「集合と位相」の(うちのカリキュラムでは「集合と位相」に先立つ「数学基礎」という科目にその大部分が任されているのだが)授業はどうしても、中学1年生の英語の授業で、実際上無意味な短文をひとまず言って貰うことから始めるように、実用上無意味な小さな例を引きつつ一般論を語ることから始まる。これはもう、仕方がない。

いまからちょうど40年前のことになるが、俺が学んだ中学1年の英語の教科書の最初の分は «This is Japan.» だった。実際には「これは日本です。」なんてことを言う機会はまずないのだが、この «This is Japan.» が言えない人が、もっと実用的な「日本ではうどんや蕎麦を食べるときには音を立てて啜ってもよいことになっています。」という意味のことを英語で言えるはずもない。

とまあ、そういう考えで日々の授業に臨んでいるわけだが、こんな話は授業中には全然しない。

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このごろ急に早起き生活にシフトしたので、昼間にどうしても眠くなることがある。演習の授業やお茶会の写真撮影などなど、普通に仕事をしているときはいいのだが、きょうはTGSAセミナーの講演を聴いているうち、いつの間にか居眠りしてしまい、大事な部分を聴き逃した。夜の懇親会でも、例によってたくさんのワインがふるまわれることもあって、酔いがまわって、起きていられない状態になったので、お開きを待たずに退席させてもらった。駅のベンチで寝入って危うく乗り損ねかねず、電車のシートで寝入って危うく降り損ねかねず、とにかくウトウトしながら、どうにか帰宅。


2017年4月18日(火)くもり

午前中から昼ごろまでは曇り。午後遅くなってからはきれいに晴れた。今朝も弁当づくりからやるが、作ってみると、なんだか分量が少なかった。

午前中、講義3回目。同値類と商集合。商集合の例として整数の剰余類の話をしたのだが、途中で時間が来てしまった。おまけに、出席を取るのを忘れていた。いかんいかん。午後は卒業研究セミナー。発表は枝eくんとITくん。前回の反省を踏まえて多めに準備してくれたITくんだったが、どういうわけか、今回も予定より30分早く終ってしまった。

昨晩寝る前に、書き上げた講義ノートの写真つきでツイートした。今朝になって結城浩さんが「美しいノート!」と返信してくれた。俺自身は、字のヘタさもあって、自分の書いたものが美しいとはぜんぜん思っていないのだが、結城さんは「こういうのはたくさん公開してほしす」とおっしゃる。確かに、これまでも講義ノートやゼミの準備のノートなどの写真をツイートして何人かのふぁぼを貰ったことがある。今回も、この結城さんのメンションが引き金になって、50人を超える人にふぁぼってもらった。俺自身の手柄では全然ないのだが、それでもなんとなく嬉しい。こういうことは記録しておくに限る。

MathJaxの公式CDNサービスが今月いっぱいで廃止されるというので、夕食後、「て日々」と「なげやりアカデミア」のHTMLソースを書き換えて、サードパーティのCDNにリンクしなおす作業をした。全部で500近い数のファイルを処理せにゃならんが、Rubyで書いたスクリプトを走らせて、書き換え作業は瞬時に終わった。


2017年4月17日(月)あめ

妻がいないので、俺が朝飯の用意をして子供らを起こし、娘と自分の弁当の用意をする。味噌汁が思いのほか旨くできて嬉しかった。

午後、ひどい降りである。空の上にこれだけの水があるというのは、なんだか不思議だ。

金曜日のCooper本ゼミで聞かれた問題について、Lindström本で証明を追いかけたあと、明日の講義の準備をするが、最初のんびりとやりすぎたせいで、講義ノートを書き切らないうちに夕方になってしまった。夕食の段取りがあるのだが、昨日の買い出しが十分計画的でなかったせいで、食材を買うところから始めないといけない。仕方がない。ピアノのレッスンをお休みさせてもらう。計画性なく出たとこ勝負ばかりの生き方をしていると、こういうときにいろいろ困ったことになる。

もやし炒めを作るつもりで近所のスーパーに行ったが、なぜか今日に限ってニラがない。これまた仕方がない。回鍋肉にメニューを変更して、キャベツと豆豉醬を買って帰る。それと、明日の弁当の材料にレンコンやら塩鯖やらを買う。

夕食のあと、倅の勉強机に電気スタンドを取りつける作業。妻が通販で買った、明るくて省エネなLEDライトなのだが、アームをデスクに固定するバイスのような部品を、デスクのどこにも設置しようがない。困っていたら、娘がいろいろアイデアを出してくれて、結局デスク備えつけの本棚の天板部分にどうにか設置できた。

さらにそのあとの明日の弁当の材料の仕込み。さつまいもの甘辛い煮物、レンコンのきんぴら、キャベツときゅうりとにんじんの浅漬。台所仕事がひととおり済んだら、夜の11時ごろだった。それからようやく講義ノートづくりを再開。12時過ぎに寝た。


2017年4月16日(日)くもり

花見にでも行きたいところだが、お弁当もっていくのも大層である。散歩がてらフラっとどこかの花見スポットに立ち寄る、さらにその足でどこかでお昼を外食する、そのくらいがいいと思って、妻にそう言ったのだけど、まあ途中いろいろあって、いざ出掛ける段になってみると、すでに正午をたっぷり過ぎており、しかも、妻の運転する車で行くことになってしまっていた。しかし、今日みたいな日の昼過ぎに、車で行ける花見スポットに出向いたって、駐車スペースなんかあるはずもない。みな考えることは同じだからな。

おなかが空いたので花見はさっさと諦めて、天山のイオンに行き、1階フードコートで昼食。イオンとジョープラをハシゴして、倅が学校で使うノートなどなどを買う。

午後、IchigoJam 互換機の製作を再開。昨日の成果について写真をつけてツイッターで呟いたら、IchigoJam 開発元の福野泰介さんから直々に、12MHzのクリスタル(水晶振動子)を使うようアドバイスをもらった。試してみたところ、画面のチラツキは覿面におさまった。原因はビデオ信号のノイズではなく、同期周波数が安定しないことだったらしい。

ichigojam-clone-20170416
完成したもの
ボタンとLEDも装備

明日と明後日に高知で仕事があるとて、妻が今晩から出かけてしまう。それで、俺が晩飯を担当する。麻婆豆腐を作った。夕食後、明日の朝食と弁当のために作りおきをした。厚揚げと牛肉のすき焼き風煮物、小松菜と油揚げの煮びたし、ほうれん草とベーコンのソテー、もやしの和え物。煮物に入れるマロニーを戻しすぎて余ったので、カマボコやキュウリといっしょにこれまた和え物にした。朝食には、こいつを茹でたウィンナーと一緒に出してやろう。


2017年4月15日(土)はれ

午前中、倅を連れてスーパーへ中華麺を買いに行った。特にどうということのない、「菊水の生ラーメン」とかいう、よくある麺なのだが、自宅至近のマルナカには、なぜかこれが置いてない。なので少し離れたスーパーに買いに行くのだ。5玉入りを2袋買ったが、昼メシのつけ麺で4人がかりで完食。久々におなか一杯。

夜、木曜日にブレッドボードで組んだ IchigoJam 互換機をユニバーサル基板に組み直す。やはり画面がちらつく。夜8時半に始めて、なんだかんだで12時ごろまでかかったので、原因究明は明日にして寝る。


2017年4月14日(金)はれ

きょうも晴れた。銀行に寄ったりしながら歩いて大学に行ったら大汗をかいた。このごろは大学生協の売店にマルツオンラインの直販ブースなるものがあるので、昨晩の実験で足りなかった100Ω1/4Wの金属皮膜抵抗100本入り袋を買った。こういうものが大学で買えるとはありがたい世の中になったものだ。まあ、秋月電子通商とか若松通商の通販よりだいぶ割高にはなるけどね。

演習2回目。一昨日よりも丁寧に見て回ったら、受講者の理解度のバラツキが意外に大きいことがわかった。

その後、Cooper本講読ゼミ。セクション9.2を済ませた。第8章のおしまいのところに、すべての c.e.集合を semi-represent する算術の理論に関する仮定にあった「ω-無矛盾」を、たんなる「無矛盾」に弱められる、と証明抜きで書いてあったので、発表者510くんに「これどうやるんですか?」と以前から聞かれているのだが、ちょっと考えてもわからない。調べてみたら、Lindström本 (Per Lindström «Apsects of Incompleteness», Lecture Notes in Logic No.10, Association for Symbolic Logic, 1997/2003) の第3章にあるようなので、来週説明できるように準備しておこう。


2017年4月13日(木)はれ

久々の快晴。

講義2回目、さすがに初回よりは落ち着いて話せたはず。題材は集合族という概念と、集合の分割について。なにしろ抽象的すぎて捉えどころのない話になりがちなので困る。講義のあと、次回の同値類と商集合についての講義の段取りを考える。こちらは整数の剰余類の例などがあるので、まだ話しやすい。

夜は9時ごろ帰宅し、ブレッドボードで IchigoJam の回路を組む。100Ωの抵抗の持ち合せがないので120Ωを使ってみた。まさかそのせいではないだろうが、画面表示がちらつく。ビデオ信号にノイズが乗っているんだろう。だが原因をつきとめる前に眠くてダウン。


2017年4月12日(水)くもり

雨の心配はなさそうだったので、革ジャケットを着ていく。

午後に演習の授業がある。演習の時間はまず宿題を提出してもらい、直前の講義内容に関連した小テストをやる。そのあとは、演習問題を配布し、学生さんたちは思い思いにグループを作って自習する。教員2名とTA2名が教室内を巡視して、必要に応じてアドバイスをする。この演習が週2回。講義が週2回。これを1クォーター、8週間続けて、4単位の科目である。


2017年4月11日(火)あめ

朝から小雨が降り続いたが、夕方には上がった。

きょうは倅の中学校の入学式。妻は早朝に着付けに出かけてしまったので、子供らを起こし、朝飯を食わせるところから俺が担当する。慣れない詰襟姿の倅と電車に乗って出かけ、着物姿の妻に引き渡す。俺は入学式に参列はしない。「三番町ガーデンプレイスカフェ」改め「ビアレストラン一番ガーデン」に行ってコーヒーを飲む。そこから、歩いて大学に行く。昨日が前期の開講日で、きょうが自分の担当する授業の初日である。

午前中は講義。このところ毎年担当している講義だから内容は頭に入っているし、昨日のうちに準備は十分にしておいたのだが、昨年の第3クォーター以来久々の講義ということもあって調子が出ず、つまらない言い間違いをずいぶん沢山してしまった。とはいえこれは、次回以降、教室のムードが掴めるにしたがって改善するはず。

午後は卒業研究セミナー。今週の担当はITくんと10kくん。二人とも、しゃべりの内容にはとくに問題はなかったが、いかんせん準備してきた分量が少なくて、大幅に時間を余らせていた。指導教員としては「慣れれば時間配分はできるようになるはずだから、今回はかまわない。が、一般論として、大幅に時間が余るのはよくない。余らせた時間の分だけ寿命が縮む…というのは冗談だが、多めに準備するように心掛けてほしい」と指導したのだった。

セミナーの指導中もいろいろと言い間違いをした。セミナー後の雑談で「桜のシーズンは雨が多いねえ」と言うつもりで「桜のシーズンは花が多いねえ」と言ってしまった。うん。多い。雨も花も多いが、それより言い間違いが多い。


2017年4月10日(月)あめ

長らく入手困難になっていたJ.N.クロスリー他著・田中尚夫訳『現代数理論理学入門』(共立出版, 1977年)が、このほど復刊した。

復刊 現代数理論理学入門
(版元のページへリンク)

原書は J.N.Crossley, et al. «What is Mathematical Logic?» (Oxford University Press, 1972) で、1990年に安価なDoverのペーパーバック版が出ている。

扱っている題材は数理論理学の基本中の基本というべき内容だ。述語論理とその完全性、モデルの概念、コンパクト性定理とレーヴェンハイム=スコーレム定理、チューリング機械と帰納的函数、算術体系の不完全性、公理的集合論の基本、選択公理および連続体仮説の無矛盾性と独立性。これだけの内容について、テクニカルな詳細には踏み込まず、しかし議論の「気持ち」や証明のアイデアは十分に伝わるように解説されている。これらはいずれも、数理論理学とその隣接領域を学ぶ人たちがぜひ知っておくべき基礎事項だ。原書の出版後45年を閲しているからとて、そうした必須の基礎事項を平易に解説するこの本の意義は、決して失われてはいない。

訳文は田中尚夫先生らしさが出ていて、少し硬いが、大変丁寧で正確なので、慣れれば案外読みやすい。そして、訳書には原書にない詳しい「訳者解説」がついている。実をいうと、俺が初めて「連続体仮説の独立性」の証明を勉強したのは、この「訳者解説」からだった。

それ以前に田中先生の著書『公理的集合論』(培風館)を読んで強制法の基本は知っていたが、『公理的集合論』においては強制法の応用として選択公理の独立性の証明を詳述し、替わりに連続体仮説の独立性証明は割愛していたのだった。

とはいえ『現代数理論理学入門』における強制法の解説はさすがに古い。本文に収録されているのはコーエン以来の分岐強制法の解説だし、「訳者解説」は、シェーンフィールド流の非分岐強制法による、連続体仮説の独立性のほぼ完全な証明だが、強制関係まわりの定義が最近のものと違っていて少々遠まわりである。訳書が出版されて数年後に Kunen, «Set Theory» (North-Holland, 1980) が出て、その流儀がデファクト・スタンダードになった。

その1980年のKunen本ですら、近年の集合論研究者の目からは(とりわけ第VIII章の反復強制法の理論が)古くさく見えるそうだ。Kunenもその後、強制法とその応用を解説しなおした新版 «Set Theory» (Collage Publications, 2011)を上梓している。

だから、この『現代数理論理学入門』の題材の中では、最後の強制法の解説だけが、当時まだ新しく開発中の理論だったという理由で、今日の観点からはちょっと頂けないものになっている。30年前の俺にとっていちばん有難かった部分が、復刊してみるといちばん有難くない部分になっていて、なんとも皮肉なことだが、まあ、時の流れだから仕方がない。

そういう古さはあるのだが、全体としてみれば数理論理学の秀れた解説書である。興味のある人は書店でちょっと手にとってみてくださいな。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

ピアノのレッスンではブルグミュラー18の練習曲の第4番が通った(ことにしてもらった)。引き続き第6番をやり、それと並行して、発表会の出し物を決めるためにポピュラー系のとある曲をやることにした。イージーリスニング系なので、力を込めずになにげなく弾かねばならん。ここのところが、いまの俺には難しいのだが、しかしもともとそのテの音楽がやりたくてピアノを習い始めたんだから、初心に返ってちょっとがんばってみようと思う。


2017年4月9日(日)くもり

妻と「散歩がてら桜の花でも見に行きたいね」とか話していたのだが、倅の入学式までに靴やら何やら買わねばならない。おまけに、珍しく部屋の掃除なんぞ始めてしまったので、一日中バタバタして散歩どころではなかった。

先日ICをいくつか人に譲って、手元に同じICが3個残った。残ったものは俺としても有効活用したい。ついては、IchigoLattePanCakeの制作に再挑戦しよう。というわけで、秋月電子通商に足りない部品(コネクタ類のみ)を発注。


2017年4月8日(土)くもり

午後、当初の約束通り娘を連れてジュンク堂書店に行く。自分は読む本がなくて困っているわけではないが、それでも、『孔子物語』からの流れで、ちくま学芸文庫版『十八史略』を買うことにする。

今度中高一貫校の4年生すなわち高1相当になる娘は、俺なんかよりよほど読書好きだ。平家物語がどうしたとか萩原朔太郎がどうしたとか中原中也がどうしたとか、渋いところも押さえている。だが「名探偵コナン」にハマってからというもの、銃がどうたら、ミリタリーがどうたら、毒薬がどうたら、そんなことばかり言うので、こちらは少々辟易している。

ともあれ、本だったら買ってやると約束して出かけたので、娘はさしたる迷いもなく「これにする」と言って、とある高名な著者の本を選んだ。いや、娘よ、たしかにこの著者は頭がよくて文章がうまい。このひとの書くものは、狙撃ともミリタリーとも毒薬ともひとまず無縁で、日常を大切に生きているひとの等身大の気持を綴って余すところがない。そんなふうにいまを生きる大人の女の視点というものを、これから大人になるお前さんも知っておくに越したことはない。だから、お前さんがこのひとの本を読みたいと言うなら止めはしない。それになんと言っても約束は約束だから買ってやる。だがしかし、初老のオトーサンがこのひとの著書をひと山レジに持って行く光景というのは、対世間的にどうなのよ。などとぼやきつつ、文春文庫『壇蜜日記』1〜3『壇蜜歳時記』(大和書房)を買ってやる。

きょう買った本5冊
「娘が読みたがってね」と俺が言っても
たぶん誰も信じないだろう


2017年4月7日(金)くもり

昼間のうちはぜんぜん調子が出ない。夕方からノソノソと講義の準備を始める。今期の「集合と位相I」は、火曜から金曜までに1コマずつ、計週4コマで、講義2コマ演習2コマを1クォーターでやる。昨年まで同じ日に講義1コマ演習1コマというのを週2日やっていたのがバラけた格好だ。内容はこれまでと同じだが、今回の変化で演習との連携が良くなるか、悪くなるか。いや、悪くはならないよな。

この「集合と位相I」は2回生向け。1回生後期の「数学基礎」で集合と写像の基本をやったのを受けて、「集合と位相I」は同値関係の話から始まる。なので最初に「関係とは」と論じることになる。毎度思うことだが、二十歳そこそこの若い学生さんたち相手に《関係》を論じるのは難しい。数学の話に徹してサラっと行けばいいのだが、要らぬサービス精神を発揮して日常的な例を挙げようなどとすると、どうも話が下世話になる。


2017年4月6日(木)あめ

午前中薄曇り。午後から小雨。

毎月はじめの木曜日にやってくる洋書の業者さんに、新刊を薦められた。(Ellina Grigorieva, «Methods of Solving Sequence and Series Problems», Birkhäuser 2016) 専門分野のモノグラフではなく、IMO(国際数学オリンピック)などに出題された数列に関するいろいろな問題を幅広く解説した本だ。お茶会等々の話題づくりに役立つかと思って自腹切って買うことにした。

院生2名が来れないので、今週もCooper本講読ゼミはなし。先週に引き続いて、510くんの質問に対応する。2つのうちひとつはほぼ即答できたが、もうひとつ(Cooper本Exercise 9.3.3)が難しい。

そんなわけで、またしてもタクシーで医者に行くことになった。医院はずいぶんすいていた。ドクターが「きょうは時間があるから、ちょっとこれやってみてください。あたしも習いたてなんで、あなたテストケースになって」と言ってAQテスト(自閉症スペクトラム障害指数テスト)なるものを出してきた。

ドクターのものの言いかたがずいぶんケアレスに聴こえるかもしれないが、いつでもこうというわけでは決してない。俺はこの医院には長く通っているし、たまたまきょう気分が安定してたし、俺が先月27日に弓削島に行ってアービンジャー・インスティテュートの本を読んだことを話した、そういう話の流れもあったしで、多少は持ちかけやすかったのだろう。あるいはひょっとしたら、雑な言い方をあえてすることにより、テストを気楽に受けさせて適切に診断結果を出そうという、ドクターのハカリゴトだったかもしれない。いずれにせよ、時と相手を選ばずにこんなゾンザイな言いかたはしないはずだ。

テストは「社交的な場を楽しいと思う。」といった設問に《あてはまる/どちらかというとあてはまる/どちらかというとあてはまらない/あてはまらない》の4択で答えるというもの。しかしたとえば「人の気持ちや考えを理解するのは苦手だ」といった質問に《あてはまる》と答えたとして、自分で心の底からそう思っているのか、普段から周囲の人に「お前、こうだから」と言われてるからそう答えてるのか、わからなくなる。それに、社交的な場で人と話をするのは楽しいとは思うが苦手意識もある、という場合、「社交的な場を楽しいと思う。」に《あてはまる》と答えていいものかどうかわからない。そんな感じで、ついつい考えこみそうになるが、あえて考えなしに直感でぽいぽい答える。結果はボーダーラインだった。

薬をもらって帰宅して、ひさびさに4人揃っての夕食。その後、明日の夕食時に妻が手を抜けるように、おかずを2品、豚ホルモンの野菜炒めと、小松菜&油揚げの煮浸しを作った。

あと、きょうはいろいろの話の流れで下村湖人『論語物語』(→青空文庫)を読んだ。


2017年4月5日(水)くもり

ふと思い立って山越のマリカリクリカに昼メシを食いに行った。国道沿いの古びたビルの地下にあるライブ小屋を兼ねた店で、店内の調度はヨーロッパ風、かかっていた音楽はカリンバをフィーチュアしたアフリカ風、食っているものはラーメンだからアジア風だが、新大陸由来の赤唐辛子がたっぷりかかっている、という無国籍な昼メシである。ひさしぶりにオロチョンラーメンを汗をかきながら食って、小さく幸せを感じた。あと、夕方にはフジグラン松山に新しくオープンしたタリーズコーヒーに行って、ソイラテを飲みながら Chong と Yu の本を読んだ。

小さく幸せを感じたといえば、クレジットカードの代金支払い専用にしている銀行口座の、普段あまり使わないキャッシュカードの暗証番号が長らく思い出せずにいたのを、ようやく思い出した。小さなことだが、懸案がひとつ片付いたわけで、これまた小さく幸せなことだ。ありがたいありがたい。

先日からの不用品処分のついでに、一昨年の9月〜10月ごろにイキオイでまとめ買いしたけれども使い切れそうにもない、LPC1114FN28という(IchigoJamやPanCakeやIchigoLatteのコアになっている)ICを人に譲ることにして、FacebookのIchigoJam-FANグループで募集をかけた。4人の人から応募があったので、返信用封筒を送ってもらってそれにICを2個ずつ入れて送り返す。きょうは4人のうちの2人にまず送った。このIC、すでに製造中止になっているらしく、このごろは入手困難になっているそうだ。うちで死蔵しておくより、誰かに活用してもらったほうがいい。

昨日作った牛すじと大根の煮物は、一日寝かせたおかげでけっこういい味になっている。多めに作ったこともあって、これは明日戻ってくる妻子にも食わせたい。それで、晩飯にちょっとだけ食って、残りはラップをかけて冷蔵庫へ入れた。


2017年4月4日(火)はれ

一昨日と昨日は風呂に入らなかったので、きょうは朝風呂に入ってから出発。今朝も天気がいい。いつもの道を大学に向かう。昨日の夕方そこらへんの空間をうめつくすように飛んでいた大量の羽虫の死骸が、今朝にはもう用水の水面に浮いている。なんともはかない命である。まあしかし、人間の命だって、きょう明日とは言わずとも、いつか終わることに違いはない。そう思って生きてる現在を大事にするほかない。

午前中は毎年恒例、新2回生ガイダンス。写真を撮る役目をすっかり忘れていたが、今年はやけに欠席が多かったので、撮っても仕方がなかったろうという話もあった。午後は卒業研究ゼミの初回。10kくんと枝eくん、それとITくんの3人が今年度のゼミ生だ。今回は10kくんが 上江洲忠弘『集合論』(遊星社) を読んでハイネ・ボレルの定理の証明と最小の帰納的集合としての \(\mathbb{N}\) の定義をやり、続いて枝eくんが 戸田山和久『論理学をつくる』(名古屋大学出版会) の第1章と第2章の内容を発表してくれた。

夕食には、豚肉とゴーヤを入れた焼きそばを作った。明日の朝飯の足しになるかと2玉作ったのだが、結局全部食ってしまった。しかも、食ったあとで思い出したら、きょうは昼飯も焼きそばだった。まあいいけど。晩飯を食ったあと、明日晩飯のおかずにしようと、牛すじと大根の煮物を作った。


2017年4月3日(月)はれ

朝、たまには気分を変えようと、伊予鉄の古町駅から平和通を歩いて大学へ行くことにした。ついでにサークルKで歯ブラシを買う。仕事場で使っている歯ブラシの毛が硬くて、歯茎から血が出るようになったので、柔らかい歯ブラシに換えるのだ。ついでに、昼メシになるものを何か買っておこうと、カップ麺を2種類買う。レジのお姉さんが終始にこやかだった。おかげで、こちらもちょっと幸福度が上った。天気もよく、歩いていると気持ちがいい。

大学に着いたら、池上くんから、2月に彼が松山に来たときに議論した内容についてメールが届いていた。少し考えて返事を送る。あとは例によって古い文献をいろいろ見て考えを整理する。Harringtonの名高い《\(0^\sharp\)論文》で、決定公理のもとでは順序数 \(\omega_1\) からボレル集合の階層 \(\mathbf\Sigma^0_\beta\) への単射が存在しないことの証明を読む。ソロヴェイのモデルでも同様の結果が成り立つことは、Jacques Sternのこれまた古い論文で証明されている。思うに、池上くんのメールにあった問題には、このあたりの話が関連しそうだ。

夕方、子供の学校の制服をクリーニング屋に取りに行かねばならないので、ピアノのレッスンの前に一度家に戻る。大学の北側の用水の上を夥しい数の小さな羽虫が舞っている。前が見えないというと大袈裟だが、うっかりすると、道を歩きながら虫を口や鼻から吸いこんでしまいそうだ。暖かい春先の夕暮れとて蚊柱が立つのに不思議はないが、こんなに大量なのは滅多に見ない。

スーパーでお惣菜を少し買い、併設のクリーニング屋で仕上がった服を受けとって帰宅。ベランダの洗濯物も取り込んで、炊飯器をセットして、ピアノの練習をウォーミングアップ的にちょっとだけしてから、電車でレッスンへ。現在のお題は、ブルグミュラー18の練習曲の第4曲。そろそろ仕上げに入るので次に第6曲をさらう。レッスン後はいつものようにジュンク堂に行くが、お腹も減ったこともあって、何も買わず20分ほどで退散して、8時の電車で帰宅。


2017年4月2日(日)くもり

妻子が山口県に数日間帰省する。いつものとおり、静かな家は気楽だがつまらない。午前中はいい天気だったので、散歩に出た。伊予鉄の西衣山から、愛光のほうへ歩いた。松山に住んでかれこれ26年になるが、松山市考古館に来たのは初めてだ。

歴史以前の時代から、松山平野はけっこう栄えていたらしい。松山城のある勝山も総合公園のある山も古墳だらけだし、大学の敷地内にも弥生時代前期の遺跡(文京遺跡)が残っている、というより、弥生時代の遺構の上に大学が建ってると言ったほうが正確なくらいだ。考古館ではそういった遺跡の出土品の調査結果を展示していて、なかなか興味深い。

高床式の倉庫らしき建物
考古館の敷地内に建つ
復元された高床式の建物
これが考古館というわけではない

考古館を見学してから総合公園に行った。

通称・フライブルク城
JRの車窓からも見える総合公園の展望塔
姉妹都市フライブルクとの提携を記念して
「フライブルク城」と呼ばれている

総合公園の「坊っちゃん夢ランド」周辺には、ピクニックの家族連れがいっぱいいた。13時すぎになって、小雨がパラつきだしたころに、南江戸のラーメンりょう花で昼食。家に帰ったのが13時40分ごろ。3時間くらい外出していたことになる。その後、少し昼寝する。雨音が大きくなり、雷の音がする。午前中とはえらい違いだ。しかし16時半くらいになると雨は止んでいた。

夕食には、小松菜の煮びたしと、大豆もやしの和えものを作った。昨晩作ったひき肉の炒めものは一日寝かせていい味になっていた。


2017年4月1日(土)はれ

4月1日だが、どうもこのごろは、エイプリルフール用の気の利いたウソなんかは思いつかない。なので正直に書く。新年度である。ムスメは中高一貫校の4年生になり高校生扱いとなる。セガレは中学生になる。今年はそういう節目の年だ。俺や妻のほうは、まあ相変わらずだが、これまで以上に健康に気をつけて、できれば楽しく生活していければいいなと思っている。妻と子供らが家の片付けをしている傍らで昼飯の用意を担当し、夕食の用意も半分くらいやった。写真は、昼食後に漬け込んだキュウリとニンジンの浅漬だ。妻子にも好評で夕食時にたちまちなくなった。

小鉢に盛った、きゅうりとにんじんの浅漬。胡麻がふってある。

セガレが中学生になるので、物置にしていた2階の1室をセガレの個室として明け渡さねばならない。それで妻がいろいろと不用品の整理をしてくれたのだが、NECのモバイルギアMC/R550や、兄嫁から譲り受けた往年のMacintosh Quadra 650など、懐しいものが続々と出てくる。モバイルギアは、いま思い返しても、いいデバイスだったと思う。出張に持って行って家で留守番をしている妻に旅先から手書きメッセージをFAXで送った新婚時代を思い出す。だが、いまとなっては、もう廃棄処分にするしかない。Quadra 650も同様だ。

NEC モバイルギア MC/R550
Macintosh Quadra 650

モバイルギアをはじめとするWindows CEマシンや、VisorやCLIEのようなPalmOS機、それからSystem 7までのMac OSに感じた「かわいらしさ」のようなものが、どうもこのごろのパソコンやモバイル機には感じられない。俺たちが歳をとって感性が鈍っただけなのかもしれないけど、もっとなんというか「ドット絵」的なものが生き残っていてほしい気もするのだった。