て日々

2016年8月


2016年8月31日(水)はれ

一昨日・昨日と比較すると少し夏らしい日になった。とはいえ暑すぎることもなく、すばらしい晴天である。

このサイトの「本を出しました」のページに先月末に出た『キューネン数学基礎論講義』の紹介を掲載した。それで思ったのだが、そろそろ「てなさく世界」全体のデザインをスマートフォン向けに変更したほうがいいのかもしれない。この「て日々」だけはビューポート設定というのをやってiPhoneなどでも多少読みやすくなっているが、他のページは何年もほったらかしである。10年以上前のHTMLの知識でやっているからどうしようもないが、パソコンのWebブラウザ専用の固定デザインというのは、もはや時代遅れなのだろう。


2016年8月30日(火)はれ

きょうもかなり涼しい。それに晴れたり曇ったり時雨が降ったりで天気が一定しない。なんだか急に秋が来たみたいなムードになった。 いやまあ、もうすぐ8月も終わりなんだから遅かれ早かれ秋が来るには違いないのだけど。


2016年8月29日(月)くもり

昨日までとは打って変って、驚くほどの涼しさ。こりゃまた急にどうしたんだろう。

夕方、ピアノのレッスンの時刻を勘違いしていつもより1時間早く出かけてしまった。これはいけない。だが戻るのもアホくさい。仕方がないので、一番町の「珈壇」で炭焼珈琲を飲みながら本を読んで過ごす。昨日から読んでいた柳谷晃『日本を救う数式』(弘文堂 2016年)を読了。それとイツァーク・ギルボア『合理的選択』(みすず書房 2013年)を少しづつ読み進める。

さてそのピアノのレッスンは「ツェルニー30番練習曲」のいよいよ最後の第30曲。両手のオクターブ・ユニゾンで十六分音符の音階を弾くのだが、正確に弾こうとすればするほど、どうしても手首が固くなる。難しいもんだ。

ようやく「ツェルニー30番」が終わりそうなので、次に何をやるかという話になった。順当に「ツェルニー40番」というのもひとつの手だが、ソナチネとか、あるいは他の曲を題材にして技術の練習をすることもできると先生はおっしゃる。まあ、来週まで考えさせてもらうことにする。

きょうは「珈壇」の炭焼珈琲にお金を使ったから、レッスン後はバーにも書店にも寄らずに帰宅。


2016年8月28日(日)くもり

午後は外出。リニューアルした天山のイオンに行ってみた。書店や文具コーナーなどおしゃれになっていたし、1階には洋酒や輸入食品などを扱う専門店ができていて、たとえば扱っているウィスキーの銘柄も増えていた。リニューアルから日も浅いこともあってか、なかなかの人出だった。次に朝生田のジョープラに行ってみる。うーん。お客さんが少ない。俺としてはイオンよりジョープラを贔屓にしたいところなのだけど。とかなんとかいいつつ、フードコートで一休みしてムスメにクレープを食わせ、2階の文具生活、3階のエディオンと見て回る。そろそろ買い替えの時期とて、エディオンでヤマハとカワイの電子ピアノのカタログをもらって帰った。


2016年8月27日(土)はれ

午前中は妻が仕事で宇和島に行っている。そのことを見越して昨日の帰り道に中華麺を買ってあったので、子供らの昼食にラーメンを作る。今回は醤油ベースのスープ。具には、妻の作り置きしてくれている煮豚を使った。天気が崩れるかもしれんという予報だったが、結局は一日晴れていた。そんなことなら洗濯もやっておくんだった。


2016年8月26日(金)はれ

例によってCooper本講読ゼミ。S-m-n TheoremFixed Point Theorem(またの名をKleeneRecursion Theorem)をやった。この本のS-m-n Theoremに対するケンモホロロの扱いは時代の変化を感じさせる。さて、発表者510くんは新井本の記述からタイル貼り問題の決定不能性に興味をもったという。この件については恥かしながら詳しいことを知らなかったが、調べてみるとコンピュータサイエンス方面でいくつもの論文が出ている。


2016年8月25日(木)はれ

昨晩また家でゴタゴタしたのがすっかりイヤになって、昼間はずっと家でくたばっていた。詳細はここには書くわけにいかぬ。

午後、妻の友人のところで、これまた詳細を書くわけにいかぬが、ある事件が発生。妻は友人の手伝いのために急いで四国中央市まで出かけることになった。それはいいが、うちの子供たちの夕食の時間と俺が医者に行く時間とが重なっている。俺が何か作ってから出かければいいのだが、この暑い時期、あまり早い時間に作りおきするわけにもいかない。普段は大学から電車とバスを乗り継いで行く医者に家から行くのは初めてのことで、所要時間が読めない。

頭の弱い俺はこういう「突如振って湧いた案件のため先が読めない」という状態が苦手でついつい情緒不安定になってしまう(そして妻を困らせてしまう)のだが、仕方がないので、メシを炊き、スーパーで出来合いの白身魚フライと、あと「かに玉」の素を買ってきて作り、適当な頃合いに食うようにムスメとセガレに伝えてから、医者の予約時刻の40分ほど前に家を出る。ターミナル駅まで電車に乗ってバスを待っていては、かえって間に合わないだろうから、歩くことにする。事前にはわからなかったが、家から医者まで、徒歩での所要時間は40分弱で、つまり結果的にちょうどよい時刻に医者に到着した。やってみればできるもんである。案ずるより産むが易しという諺もある。それで、昼間はかなりグジャグジャな気持ちでいたのが、ずいぶん気分がよくなった。ありがたいことだ。

一昨年の移転で職場からは医院がずいぶん遠く不便になったが、歩いて40分なら、自宅からの距離は移転前とあまり変化がないということになる。帰りも歩き、自宅近くのコンビニで自分の夕食のおかずを買う。妻は出先で夕食をとり、夜中近くになって帰宅した。おつかれさま。

そしてそしてこれまた関係ない話だが、ドライコーラという無糖で無色透明の炭酸飲料があったので試してみたら、炭酸水にコーラの香りがついたという感じのもので、意外と自分の口に合った。ウォッカや焼酎の割りものにいいかもしれない。


2016年8月24日(水)はれ

お昼ごろに県立図書館へ行った。ゲーム理論と社会的選択理論の参考書を何冊か借り出した。東雲神社の境内で一息入れてから大学へ移動し、生協で64GBのUSBメモリディスクを張り込んだ。このごろiCloud Driveの同期が不調で、自分のWebサイトのソースファイル(この「て日々」を含む)をMacBook Proで更新しても他のパソコンにその変更が反映されないのだ。普段はMacBook Proを持ち歩かないので、これでは「て日々」の更新が気軽にできない。空いた時間にどこででもデータにアクセスし更新できるのがクラウドのいいところなのだが、これでは意味がない。それで、Webサイトのデータのオリジナルを保存できて、しかも持ち運びとアクセスに便利な入れものが必要になったというわけ。それにしても、64GBが2,700円とは、USBメモリディスクも知らぬ間にずいぶん大容量になったものである。


2016年8月23日(火)はれ

赤十字病院前の電停から理学部までは通常は一本道なのだが、思い立って理学部には裏門から入ることにして、日赤横の新しい市道を歩いてみた。東雲小学校は全面リニューアルで、なかなか素敵な校舎が建っている。市立東中学との間の垣根は撤廃されるらしい。面白い試みだと思う。

大学では、図書室の作業を2時間半。その他の時間は、昨日買った本をチェックする。ケン・ビンモアの本を理解するには、俺としてはゲーム理論の初歩から勉強しないといけないようだ。ふむ。


2016年8月22日(月)はれ

夜はピアノのレッスン。そのあと、ざっと5か月ぶりにGarakta Cafe&Barに行ってウィスキーを2杯飲んだ。まずジャックダニエルのオンザロック。それからサントリー「知多」をハイボール。「知多」を飲むのは初めてだ。噂どおり軽い口当りだった。Garaktaの雰囲気も少しだけ変わったが、そんなことはまあいい。これからまた足を運ぶことにしよう。それからジュンク堂書店へ行った。例によって数学書のコーナーに行ったら、ケン・ビンモア『正義のゲーム理論的基礎』(NTT出版2015年)という本があった。いや、これは社会学とか政治学のコーナーにあるべき本のはずなのだが… だが前書きの記述に心を掴まれて買うことにした。ほかに大田春外『楽しもう射影平面』(日本評論社2016年)など、あわせて4冊、久々に散財した。


2016年8月21日(日)はれ

県立図書館に本を返しに行った。先月30日に5冊借りたが、結局2冊しか読めなかった。いろいろナサケナイ。


2016年8月20日(土)はれ

うちの理学部ではきょうとあす「親子で楽しむ科学実験」というイベントを開催している。小学生とその保護者を対象に、実際に手を動かして科学実験に参加してもらおうという趣旨なのだが、ホスト役は理学部の教員だけでなく、市内の高校の理科クラブにも参加してもらっている。2年前には出し物を担当したこともあるが、きょうの俺の役目は写真係。

きょう研究室で再確認したら、昨日の日記で触れたStillwellの論説の掲載誌はAmerican Mathematical MonthlyではなくBulletin of American Mathematical Societyだった。全文がPDFで公開されている。[John Stillwell, “The word problem and the isomorphism problem for groups,” Bull. Amer. Math. Soc. 6 (1982), 33-56.]


2016年8月19日(金)はれ

午前中は大学院入試の面接。午後はCooper本講読ゼミ。第4章に入ってテューリング機械のゲーデル数化の話。そのあとは昨日の続きでCooper本をSoare本やShoenfield本とあわせて読んでいるうちに夕方になった。Shoenfield本の巻末に、補遺として群の語の問題についての解説が載っている。群の語の問題の理解は当初からCooper本ゼミの目標に入れてあり、かつてAmerican Mathematical Monthlyに1982年にアメリカ数学会の会報に掲載されたJohn Stillwellの論説を読む予定にしている。このShoenfield本の記述も参考にしよう。あと、このテーマについては他に、竹内外史がヒルベルトの第10問題と合わせて書いた古い本がある。それにも目を通しておかにゃならぬ。


2016年8月18日(木)はれ

日中、大学院入試の監督と採点。それにちょいとした打合せ。Cooper本第6章をノートを取りつつ読みなおす。“creative sets”とか“simple sets”とかが登場する。Friedberg Splitting Theorem (Exercises 6.2.9--6.2.10)というのがほぼノーヒントで演習問題になっていて、わからなくて困ったが、Soare本を参照して解決した。一度満された要請(requirement)害される(injured)ことのない、ごく初歩的な優先度法(priority argument)なのだが、この文脈で演習問題として出されて自力で解くのは、ちょっと難しいと思う。

夕方からは妻の頼みで「鉛筆シャープ」なる太芯のシャープペンシルを買いにフジグラン松山へ回った。


2016年8月17日(水)くもり

このごろはどこへ出かけるにもグレーのハンチングをかぶっていたが、先週の旅行中にどこかに置き忘れてきたらしい。山口で瓦そばを食った時のような気がするが、よくわからない。夏も終わり近いとはいえ、まだまだ日差しが強く、昼間の外出には帽子が欲しい。仕方がないので、近所のダイキで新しいのを買った。

あたらしい帽子の自撮り
まあ、どうというほどのものではない


2016年8月16日(火)くもり

暑さと腰の痛みでへばる。午後、妻子が戻ってきた。というわけで明日から日常に復帰。


2016年8月15日(月)くもり

この一週間ほど、暑い中をあちこちに出かけて、少々くたびれた。洗濯とメシの用意をし、少しピアノの練習をし、少し本を読んだが、きょうは基本的に家でダラダラと過ごした。


2016年8月14日(日)はれ

妻とムスメと俺の3人で山口市へドライブした。昼飯に瓦そばを食い、湯田温泉にある中原中也記念館というところへ行った。小さいがいい施設だと思った。「太宰治と中原中也」という企画展を見た。それから、ムスメの希望で中也の墓を訪ね、続いて瑠璃光寺に行った。

瑠璃光寺の池と五重塔

夜の船で俺だけ先に松山へ戻った。船は少々混んでいたが座れないほどではないし、客室のテレビでオリンピックのサッカーの試合の中継を流していたのを見ていたら退屈しなかった。夜10時前に帰宅。


2016年8月13日(土)はれ

昨晩たくさんの同級生と再会したおかげで、Facebookの友達が一夜にしてずいぶん増えた。

昼飯にすだちおろしうどんを作り、午後3時ごろまで実家にいて、その後、新幹線で徳山へ移動。妻とセガレに合流する。妻の実家に一晩だけ世話になるのだ。手土産に京都の水茄子の漬物を持っていった。


2016年8月12日(金)はれ

ムスメがどこで調べてきたのか洛北の蓮華寺に行きたいというので連れて行った。閑静ないいところだった。叡電で行ったのだが、鞍馬行きの便がずいぶん混んでいる。みな貴船に涼みに行く人たちなのだろう。対して八瀬行きはけっこう空いていた。その後、四条河原町近辺をうろうろして、四条通りのジュンク堂に寄って実家に帰る。

実家でシャワーを浴びて一息ついてから、俺は夕方からもう一度出かける。ジャズのライブに出かけるのだ。会場は神泉苑近くの小さなハコ。ボーカル松並順子、ピアノ樋上千聡、ベース堤下功一。松波と樋上は俺の高校の同級生。堤下は樋上が呼んできた強力な助っ人だ。実は高校生のころ、音楽の授業のときに、松並のピアノ、樋上のエレキベース、そして俺のフルートとヤベくんのギターというメンバーで、一度だけジャズの真似事をやったことがある。高校卒業後それぞれ別の道に進んだのだが、松並は東京でジャズシンガーとして活動して、数年前に活動休止して京都に戻ってきた。その松並が別の同級生に連れられて出かけたジャズバーで、たまたま樋上がピアノを弾いていたのが再会のきっかけらしい。そのときの話で、じゃあ再会を記念して一緒に演奏して、かつての同級生をお客に呼ぼう、という話になったという。だから、15人ほど集まったお客は、高校の同級生ばかりだ。

そういう集まりだからお前も参加しろと樋上に勧められるまま、何曲か混ぜてもらって、フルートを吹いてきた。なにせ人前でフルートを演奏するのは3年前の吹奏楽部の記念演奏会以来だから、ちと冷や汗ものの演奏になったが、お客さんはみんな心やさしい大人だからウケてくれた。ありがたいことだ。30年ぶりのセッションを楽しませてもらった。だが残念なことに、高校で一緒に演奏したヤベくんとはもう二度と会えないのだった。


2016年8月11日(水) 山の日はれ

京都に帰省。京都行き高速バスは席が取れなかったので、昼間の大阪行きのバスに乗る。新大阪でJRに乗り換えて京都に向かう。丹波口駅近くの料理屋で母と兄弟たちおい姪たちと晩飯を食ってから実家へ移動。それにしても、5時間以上かかるバスにムスメが終始おとなしく乗っていられたのには感心した。いつまでも子供ではないのだなあ。


2016年8月10日(水)はれ

京都への帰省に備えて、ムスメに財布を買ってやるのだが、あまり女の子らしいものは好みでないらしく、紳士用の二つ折りの札入れをフジグラン松山で買う。あと、ムスメには帽子とスケッチブックを買ってやり、京都行きの手土産にちょっとしたお菓子を買う。晩飯は近所のラーメン屋。


2016年8月9日(火)はれ

朝から会議があるが、途中で抜けて数理論理学の再テストをしなければならない。先週の期末テストのとき、インターンシップとやらのために大学に来れなかった学生が若干名いるためだ。テストを終えて戻ると、会議もそろそろ終わりの時間であった。その後は、前期の成績入力をし、Cooper本の第5章から目を通す。ところが第6章に入ったあたりで居眠りをしてしまった。本を読んで内容を考えているつもりが、いつのまにか眠っていた。このごろ夜が寝苦しいもんで昼に皺寄せが来ている。

昨日から妻とセガレが一足早く山口の実家に帰っている。夕食にはゴーヤの味噌炒めか何か食いたかったが、ムスメがゴーヤはいやだと言うもので、クックドゥーの回鍋肉にメニュー変更。仕方がない。ゴーヤの料理は自分一人のときか、妻と二人だけのときに作ることにしよう。


2016年8月8日(月)はれ

今度は自分の勤める大学のオープンキャンパス。高校生や親御さんたちがキャンパスにやってきて、けっこうにぎやかになる。もっとも俺の役目は写真を撮ることだけ。それ以外の時間は、明日に備えて数理論理学期末テストの再テスト用問題を作ったり、Cooper本の第4章に目を通したり、図書委員の作業をやったり。

夜にはピアノのレッスン。表現についていろいろ指導をもらったので、ちゃんと練習しなくちゃ。レッスンは7時半に済み、その15分後には銀行ATMでお金をおろしてICい〜カードにチャージをして帰りの電車に乗っている。そういう普段はあまり見せない早技をやってみせたのは、家でムスメが腹を空かして待っているからなのだった。


2016年8月7日(日)はれ

昨日に引き続き、今度は家族4人でしまなみ海道を尾道へドライブ。ムスメと妻が尾道市立大学に行っている間、俺とセガレは千光寺公園に行き、眼下に迫る尾道水道と向島の景観を堪能した。千光寺に詣で、ロープウェイに乗って下山し、艮神社にもお参りし、商店街をJR尾道駅まで歩いた。午後、駅前で妻たちと合流し、ラーメン屋で遅い昼食をとって松山に帰った。3月にちょっと立ち寄ったときにも思ったが、尾道というのは、文化財と景観に恵まれた、なんとも風情のあるいい街だ。ただし、マイカーで行く所ではないと思った。そして、2日連続で遠出をしたものだから、家族4人そろってくたびれた。


2016年8月6日(土)はれ

ムスメの学校の夏休みの宿題に「大学のオープンキャンパスに行ってレポートしなさい」というのがあるそうだ。それで、きょうは妻の車で高知市までドライブし、高知大学を訪問。ただし、小学生のセガレには大学のオープンキャンパスはまだ早すぎるから、ムスメと妻がオープンキャンパスに行っている間、俺はセガレと一緒に高知県立美術館へトリックアート展を観に行った。午後は4人でひろめ市場で昼食をとってから桂浜をちょっとだけ見物した。暑かったけど楽しかった。

トリックアートで天井に貼り付く

ただ、帰り道、川内インターチェンジ近くで火事があったのには驚いた。川内の《らくれん》の工場の近くで、何かがもうもうと煙を上げて燃えていた。あとで聞いたところでは、高速のすぐ横を走る一般道で、車2台が正面衝突して炎上したという。恐しい話だ。


2016年8月5日(金)はれ

例によってCooper本講読ゼミ。函数の表現可能性についてのテキストの記述が雑だったので少し話が滞ったけれども、他の文献をみて解決。

算術の論理式 \(\varphi(x,y)\) が函数 \(f\colon\mathbb{N}\to\mathbb{N}\) をペアノ算術PAにおいて表現するというのは、Cooper本の定義では、\(f(m)=n\) のとき \(\mathrm{PA}\vdash\varphi(\dot m,\dot n)\) であり、\(f(m)\neq n\) のとき\(\mathrm{PA}\vdash\neg\varphi(\dot m,\dot n)\) である、ということだ。つまり函数 \(f\) のグラフが2項関係として論理式 \(\varphi\) で表現されることを意味する。いっぽう、前原昭二『数学基礎論入門』など他のテキストでは、\(f(m)=n\) のとき \(\mathrm{PA}\vdash\varphi(\dot m,\dot n)\) であることと、\(\mathrm{PA}\vdash\exists !y\varphi(\dot m,y)\) であることを要求する。また、函数の値の一意存在を主張する第2の式において、より強く \(\mathrm{PA}\vdash\forall x\exists !y\varphi(x,y)\) を要請する流儀もある。各論理式 \(\varphi\) に関してこの3つの定義は同値ではないが、論理式を選び直すことで「函数 \(f\) が算術の論理式によってPAにおいて表現可能」という函数の性質の話にすれば同値になる。ところがCooper本の説明では、大事なところにミスプリントがあったもので、表現可能性が同値であることの証明がたどれなくなっていた。そこで、Mendelson本Enderton本を参照して穴を埋めた次第。


2016年8月4日(木)はれ

松山市駅に行って来週の帰省のバスの切符を買った。職場では、期末テストの採点、卒業研究ゼミ、職場のウェブサイトの更新、いくつかの打ち合わせ。洋書の業者さんが来たのでSoare本の代金を払った。スキマ時間に『ビールの科学』(講談社ブルーバックス 2009年)をちまちまと読む。読むとやっぱりビールが飲みたくなる…というのは正確ではないな。本当は何も本なんか読まなくてもビールは飲みたいわけで、そうはいっても飲んでばかりもいられないから代りに読んでいるようなところがある。


2016年8月3日(水)くもり

きょうもなかなか暑かった。わりかしボケボケと過ごした。


2016年8月2日(火)はれ

午前中、数理論理学の期末テストを実施。あとで学生さんたちに聞いたら、簡単すぎたらしい。まいったなこりゃ。

妻が出張から帰ってきた。少々お疲れのようだ。夕食には空港通りの「萬楽」に行ってラーメンを食った。

☆☆☆☆☆

期末テストの監督をしながら考えたこと。この講義のテキストでは命題論理の演繹については扱わず、すべてのトートロジーを論理の公理として扱う流儀であった。これに対して、例えばウカシェヴィツの公理系を採用することで公理を少なくすることができる。いつぞやの「数理論理学ゼミ合宿」では、前原昭二『数学基礎論入門』の路線に沿って、その流儀を採用したのだが、前原本でもゼミ合宿の講義資料でも、ウカシェヴィツの公理系からすべてのトートロジーが証明できることの確認はなされていない。この確認はいわゆる「命題論理の完全性」を示すということに帰着する。

命題論理に関する限り、「証明可能」を意味する \(\vdash\) の働きは、モーダス・ポネンスと演繹定理と背理法の原理によってとらえ尽されている。

モーダス・ポネンスは \(\Gamma\vdash\varphi\) と \(\Gamma\vdash\varphi\rightarrow\psi\) から \(\Gamma\vdash\psi\) を導いてよいとする。

演繹定理は \(\Gamma\cup\{\varphi\}\vdash\psi\) と \(\Gamma\vdash \varphi\rightarrow\psi\) が同値だと主張する。

背理法の原理は \(\Gamma\cup\{\neg\varphi\}\) が矛盾することと \(\Gamma\vdash\varphi\) が同値だと主張する。

この三つの基本原理の他に、あとは論理式 \(\varphi\) が仮定の集合 \(\Gamma\) に属するときは \(\Gamma\vdash\varphi\) である、と要求するだけで、命題論理の(論理記号として \(\rightarrow\) と \(\neg\) を用いて書かれた)すべてのトートロジー \(\varphi\) について \(\vdash\varphi\) が示される。というのは、命題論理の完全性の証明に必要な原理がこれで尽されているからだ。もちろん、ウカシェヴィツの公理系 \[ \begin{gather} A\rightarrow(B\rightarrow A),\\ (A\rightarrow(B\rightarrow C))\rightarrow((A\rightarrow B)\rightarrow(A\rightarrow C)),\\ (\neg A\rightarrow \neg B)\rightarrow(B\rightarrow A) \end{gather} \] とモーダス・ポネンスを基礎にすれば、演繹定理と背理法の原理が証明でき、命題論理の完全性が成立する。逆に上に述べた基本原理を仮定すると、ウカシェヴィツの3つの公理が導出できることがわかるのだ。

自分なりに命題論理の完全性を示す筋道を最初からたどってみると、そこで用いられるトートロジーは

  1. \(A\rightarrow A\)
  2. \(A\rightarrow(B\rightarrow A)\)
  3. \((A\rightarrow(B\rightarrow C))\rightarrow((A\rightarrow B)\rightarrow(A\rightarrow C))\)
  4. \((\neg A\rightarrow A)\rightarrow A\)
  5. \(\neg A\rightarrow(A\rightarrow B)\)
の5パターンであった。このうち(i)は、(ii)と(iii)から証明できることがわかる。ということは、(ii)〜(v)の組みあわせも、命題論理の完全な公理系になっているはずだ。(ii)と(iii)はそれぞれウカシェヴィツの第1の公理と第2の公理そのものなので、ウカシェヴィツの第3の公理のかわりに(iv)と(v)があればよいというのがキモなわけだが、実際に(ii)〜(v)からモーダス・ポネンスを用いてウカシェヴィツの第3の公理を導出しようとすると、できないことはないが、なかなか大変だった。


2016年8月1日(月)はれ

妻が出張中なので、朝昼晩のメシの段取りと洗濯を俺が担当した。といっても、食べ物は妻が作りおきしてくれているものも多少あるし、天気がよくて洗濯ものもよく乾くから、それほどの苦労はない。

午後には卒業研究ゼミ。「角の三等分」に関連して、体の拡大の基本のところをやってもらう。夕方には大学から歩いてピアノ教室へ向かうが、少し早く出すぎたようなので、夕暮れどきの堀之内公園のベンチで時間をつぶす。3週間ぶりのピアノのレッスンでは、ペダルの踏みかたひとつで音楽が変わることを知った。面白いものだ。明日の朝食のためにコンビニでパンを買って帰り、けさのうちに作っておいたひき肉の味噌炒めで晩飯にする。