て日々

2013年4月


2013年4月30日(火)あめ

妻がSPCのランチパスポートにこっているので,このごろ時間の余裕のあるときはしばしば二人で昼食を食いに行く.きょうは束本の千房に行った.お好み焼きでお昼も,たまにはいい.

そういえば以前,「おかずにお好み焼き」の是非をめぐってヨリオカくんと意見が分かれたことがあった.ヨリオカくんに言わせれば「おかずにお好み焼き」はまったく普通のことだそうだ.そのときは受け入れ難いと思ったのだけど,きょう千房のランチで実行してみたら,なかなかどうして,悪くなかった.というわけでヨリオカくん,わたくし考えが変わりましたので,今度どこかで一緒にお好み焼き食いましょう.

やる気のないあひる

うちの子供らはある市立小学校に校区外から通わせてもらっている.なので,同級生と放課後に遊ぶということが,普段はちょっとやりにくい.学校が早じまいする日などに子供どうしで約束して児童館に集合したり家を行き来したりしている.で,この時期恒例の担任の先生の家庭訪問のために,きょうも学校が早じまいであった.【娘】と【息子】の担任の先生もそれぞれきょうの午後うちに見えたらしい.

【娘】が幼稚園以来の友達のそよちゃんを家に招くことを先週から決めている.お友達が家に来るくらいのことは,まあ普通のことなので妻に任せていたが,夕方になって「そよちゃん急遽お泊まり決定!!」と連絡が入った.うちに人を泊めるのはかなり久しぶりのことだし,【娘】の友達がお泊まりするのは初めてのことである.そうなったら,家のあるじとしては早く帰っておもてなしをせねばならん.もう少し早く知っていたら,明るいうちに近所を散歩するくらいのことはできたのだが,連絡を受けたのが夕方になってからのことだったので,まあ,おもてなしといってもなにができるわけでもない.皆で揃って夕食を食べ,近所の温泉に行った.

【娘】とそよちゃんが風呂に行く用意をしながら「着替えのバッグはどっちが持つ? ロッカーの鍵はどっちが持つことにしようか.」と細々と相談するのを見て,女の子は本当に小さなことを言葉にするものなのだなあと感心した.俺がたとえば通勤中に「腕が疲れたから鞄を左手に持ち替えようかな」「電車で座れたラッキー♪」「いーカードは財布から出してポケットに入れといたほうがええな」「さてどの本を読もうか」「鞄のファスナーを左手で開くか右手で開くか」「もうすぐ降りる駅に着くから本は片付けよう」「傘がジャマやな」とか声に出さずに考えているような無数のことを,彼女らは自分の中で完結させずに,しじゅう仲間どうしで交換しあっている,そういう感じである.ということは,彼女らの口から出るのはできあがった意見ではなく,結論に至る前の考えの断片であるらしい.ふむふむ.娘がものごとを説明する言葉が要領を得ない,その理由の一端を見た気がする.これ,脳の性差だ,いや文化的ジェンダーだ,とかごちゃごちゃ言う前に,俺ももうちょっと考えを口に出すべきかもしれないとは思った.

学校が早く終わる日はお友達と遊ぶチャンスだから,【息子】も友達を家に招いて一緒にゲームをしたいと思っていたようだが,きょうになって急に声をかけたので,あいにく約束は取れなかったそうだ.お姉ちゃんのところだけにお友達が来たとて,【息子】がちょっとやきもちを妬いていた.それをなだめるのは俺の役目で,「どうぶつしょうぎ」その他で遊んでやりつつ,こういうときにはお客さんの気持ちを第一に考えようね,と少しお説教.

そよちゃんは幼稚園のころから【娘】と同級の,【娘】いわく《大親友》で,うちの天然アホむすめとなぜかとても馬が合う,明るくて素直なよい子なのだが,【娘】と違ってちゃんと躾がゆきとどいており,声楽やバレエをたしなむお嬢さまという一面を持ち,おまけにテストはみな100点という才媛である.煎じて【娘】に飲ませるんで爪の垢ください.いっぽう,ヨリオカくんというのは他でもない,静岡大学准教授であるわが畏友,依岡輝幸さんのこと.集合論の研究に賭ける情熱の留まるところを知らぬ,いわば学者の鑑である.そして,大阪育ちの彼はお好み焼きが大好きなのである.


2013年4月29日(月) 昭和の日くもり

妻と娘が家の片付けに勤しむ(理由は翌日の日記を参照.)俺はおつかいと称してホームセンターやらドラッグストアやらに出むく.美沢のダイキからマクドナルドが撤退して,たい焼きをメインにしたファーストフード店が入った.いわゆるB級グルメだが,こういう店のほうがダイキには合ってるような気がする(※個人の感想です).ホットドッグはけっこううまかったし(※個人の感想です),コーヒーも悪くなかったし(※個人の感想です),店員のお姉ちゃんもかわいかった(※個人の感想です)ので,また寄ることにする.


2013年4月28日(日)はれ

司馬遼太郎『花神』全巻を読了。すぐさま、昨日県立図書館で借りた『月性』にとりかかる。こちらはさすがに小説のように楽ちんでは読めない。

午後、皆で散歩に出る。ローソンでおやつを買って南江戸公園に行く。たくさんの子供たちが遊んでいる。葉桜の下でママさんたちが車座になって談笑している。気候がいいときはお金をかけなくても楽しめるもんである。

散歩しながら「一年じゅうこういう気候やったらええねんけど」と俺が言ったら、【娘】が「海水浴もアイスクリームもほしいから暑い日もあったほうがいい」と答えて言う。たしかにそうだ。ビールだって暑い日のほうがうまい。

【娘】の運動靴が破れているので、南江戸公園からフジグラン松山まで歩いて行って買い替え、電車で帰宅。夜は「すうがく徒のつどい」運営Skype会議。ただし俺ごときが口を挟むまでもなく、ふゅーりー・のうこ・ふぇいくの《第4回主催トリオ》がいろいろなことをテキパキとやってしまう。

というより、俺なんかが再々口を挟まにゃならんようでも困る。昨年同様、参加できるかどうかが怪しいのだ。もっとも今回は旅費の問題ではない。今年の9月は島根のカンファレンス京大RIMSの研究集会、自分の主催する「数理論理学ゼミ合宿」、愛媛で開催される日本数学会秋季総合分科会と、例年になくイベントだらけでスケジュールにほとんど空きがない、「第4回関西すうがく徒のつどい(特盛)」の予定日は、いまのところ空いているのだが、それがまた数学会の直前だ。数学会員でないとはいえ俺とて数学の飯を食う開催校の教員だから、現地スタッフとしてのお手伝いだけはせねば義理が立たぬ。


2013年4月27日(土)はれ

午前中、重信JAの市場に《えひめグリークラブ》を聴きにいった。レンゲ畑にはミツバチがせわしなく働いている。上空で雲雀がぴぎゃろぺぎゃろぴいとうるさいくらいに啼いている。

東温市重信のレンゲ畑

ひめグリは最初の2曲ほどは調子が出てなくて心配だったが、尻あがりに調子よくなって、黒人霊歌をやりだしたあたりからは響きが安定して声が広がりだした。そうなると、最初は退屈そうに余所見ばかりしていた【息子】もおとなしく聴きはじめた。(【息子】はすべてにおいてそういうふうにバカ正直で現金なのだ。)最初ちょっと調子が出なくて心配なのは、アマチュア楽団はどこでもそうだ。聴いているわれわれの百倍くらい、演っている彼らのほうが不安なのは、俺も似たような活動をしていた時期があるから、よくわかる。ともあれ、ひめグリのみなさんお疲れさまでした。楽しいステージでした。

午後は県立図書館に行き、小難しい本を数冊借りる。県立図書館では5冊を3週間借りられるのでありがたい。松山市駅前でキリンのなんとかいうノンアルコールカクテルの試供品をもらった。


2013年4月26日(金)はれ

いい天気である。が、少し風は冷たかった。集合と位相の演習はいまのところ順調だ。先週までと違う順番で指名しても、ちゃんと準備してきてくれている。ありがたいことだ。ピアノのレッスンはあいかわらずツェルニー。まあ手が動かんこと動かんこと。


2013年4月25日(木)はれ

朝、【娘】の表情が冴えない。電車の時間が近づいてもまだ食卓に向かってムスっとしている。【息子】が先に出発してしまってから、ようやく話してくれたところでは、【息子】がつねづね駅や電車で傍若無人に大きな声で騒ぐものだから、昨日とうとう別の学校の小学生が【娘】に「ちょっとしずかにしてね」と苦情を言いに来たというのだ。【娘】も普段から【息子】にさんざん注意しているのだが、どっこい【息子】は聞きゃあしない。二人で電車通学ができるようになったと思って、【娘】の小学校入学時に始めた朝の登校時に俺が一緒に電車に乗って行く習慣を、昨年度からやめていた。【息子】の頭のネジの具合が他の子供とずいぶん違うというのは赤ん坊のころから思っていた。こういうものは成長すれば自然に治るというものでもない。油断して【娘】にいらぬ苦労をかけてしまった。すまぬ。というわけで、しばらくの間、また朝に子供らといっしょに出かけることにする。

やる気のないあひる

午前中の講義は大田春外『はじめての集合と位相』(日本評論社)に則って進める。きょうは第2章をやるのだが、この「数学者のための論理記号の紹介」というテーマが俺はどうも苦手だ。

「集合と位相」の授業のこの段階で求められるのは「普通の数学の文章の論理構造」を的確に読み取り、適切に扱うことである。そのさい論理和・論理積・含意といった論理演算は、普通の文章の背後にある論理構造としてあらわれるものである。世の中の「集合と位相」のテキストで扱われる「論理」の章は、数学の文章表現の背後に隠れた論理構造を顕在化し意識的に整理する概念的なツールとしての論理の導入になっているだろうか。少々疑問である。ましてや、真理値表による論理式の値の計算というのは、論理学あるいは計算機科学でこそ重要かもしれないが、普通の数学にそれほど関係はない。

大田本はロジック研究の伝統がある静岡大で、集合論的トポロジーの専門家である大田先生が鈴木信行さんやヨリオカくんの意見を参考にしつつ書いた本であり、

註2.24 教科書や授業の黒板など実際に数学を学ぶ場面では,論理演算子を使って書かれた命題を目にする機会はあまりない.論理は数学を縁の下で支えていて,表舞台では数学は通常の言語で表現される.その際に,命題を正しく,わかりやすい表現で書くことは,別の難しい問題である.また,命題 \(p\rightarrow q\) やそれが真であることは,\(p\Rightarrow q\) で表されることが多い.同様に,\(p\leftrightarrow q\) に対しては,\(p\Leftrightarrow q\) が使われる.本書でも,本章以外では,これらの習慣に従おう.

という註などは、著者の高い見識を示すものだと思う。(命題 \(p\rightarrow q\) と「その命題が真であること」の区別を、あなたは理解するだろうか。) それでも、この章に関する限り、俺としては考えばかり先に立って講義の準備がろくに進まない。それでまあ、ひととおりの用語その他を紹介し、上のような疑念をも語って、お茶を濁すようにして講義を終わらせた。

やる気のないあひる

誕生日プレゼント:くまさんリュックとくまさん文房具
【娘】や【息子】が3歳くらいの頃ならばともかく
リュックサックとしての実用性はもとより断念している
妻が自分の大事なものをしまうポーチとして使ってくれることを期待

さてきょうは妻の何回目だったかの誕生日である。【娘】は自分で手製のバースデーカードを作っている。俺は仕事を早じまいして高島屋でプレゼントを買った。高島屋7階では季節はずれの北海道物産展をやっている。それで北見のオニオンスープとロイズの生チョコもプレゼントに追加した。

やる気のないあひる

夜遅くなってから木田元『ハイデガー拾い読み』を読了。さすがに「わかった」とは言えないが、大変おもしろかった。いつか挑戦しようと思っている『現象学の根本問題』への手引きとしてもありがたかった。さて、この『ハイデガー拾い読み』文庫版224ページで、平凡社ライブラリー版『ニーチェⅡ』の500ページに相当する部分の改訳をしており、2つの訳を対照してみると、いちばん大事な核心部分の術語が、平凡社ライブラリー版で「エンテレケイア」、木田訳では「エネルゲイア」になっている。これらはともにアリストテレス哲学のキーワードであるらしく、ハイデガーによる両者の釈義は『ハイデガー拾い読み』に繰り返し言及されている。しかし同じテキストの同じ箇所が、かたや「エンテレケイア」かたや「エネルゲイア」になった理由について木田さんの言及はない。ただ、「平凡社ライブラリー版の499ページから500ページにかけてのパラグラフ、ただし引用には拙訳をもちいる」と出典を記してあるだけだ。いったい何がどうなったのだろう。むろんいまここで考えてもわかることではないので、この謎は後日の読書の薬味としてとっておくことにして、司馬遼太郎『花神』新潮文庫版中巻を読み始める。


2013年4月24日(水)あめ

…とかなんとか思っていたら、本当に朝からえらいこと雨が降っている。すまん。俺のせいだ。

水曜日は朝からゼミ3連発。4年生のゼミでは前原昭二『数学基礎論入門』(朝倉書店)第2章に入る。卒研ゼミ生ふたり(sk10くんとm10くん)がそれなりにちゃんと準備してくれているので進みは早い。910くんのM2ゼミは新井敏康『数学基礎論』(岩波書店)第5章。ラムゼイの定理とコンパクト性定理を使ってエーレンフォイヒトとモストフスキ定理の証明をするのだが、あとの議論との兼ね合いからであろう、有限ラムゼイ定理を使った証明になっている。これが集合論の内部でたとえば \(0^\sharp\) の理論で同じエーレンフォイヒトとモストフスキ定理を扱う場合だったら、無限ラムゼイ定理でぱっと済ませるのだが、ここでの目標はパリスとハリントンの原理であるから、初等算術で扱える有限ラムゼイ定理を使わないといけない。0-1くんのM1ゼミではKunenの“Set Theory”2011年版(College Publications)を読む。選択公理を扱うセクションI.12に入った。あの手強い演習問I.11.7はまだ片付かない。ゼミが終わる頃には雨もすっかり上がっていた。


2013年4月23日(火)はれ

きょうは「時間割の変更について担当者とかけあう」とか「他部署の担当者を紹介して間をとりもつ」とか「電話で根回しをする」とか、俺らしくもないことをずいぶんとやった。こりゃあ、明日は雨だ。


2013年4月22日(月)はれ

朝のうち、散髪に行き、それからフジグラン松山へ行って、TSUTAYAで司馬遼太郎『花神』新潮文庫版中巻・下巻を買う。すぐに読みたいところだが、しかし木田元『ハイデガー拾い読み』を先日『花神』上巻と一緒に買ったので、さきにそっちを読み終えたくもある。

午後、研究室にいたら、思わぬ人が現れた。けど、詳しくは書かない。業務上の秘密だからね。


2013年4月21日(日)はれ

昼食にはきつねうどんを作った。一袋五人前の半生麺を二袋買ってまず一袋茹でて、ちょっと多いかなと思いながら出したら、妻子が食ってしまった。それで俺は残ったもう一袋をぜんぶ食ってしまった。さすがにこれはちょっと苦しかった。副菜にもやし炒めを作り、さらについでに夕食の仕込みとして、いつもの白菜と油揚げの煮浸しを作った。

昨日と打ってかわって好天で、こりゃ家でくすぶっているのはもったいない。昼食をとってから皆でドライブ。双海のシーサイドパークにいく。なかなか楽しかったが、なんだかんだで『花神』中巻を買いにいけなかった。


2013年4月20日(土)あめ

天気がよくないのであまり活動しない。昼食に焼きそばを作った。あとは酒を飲みながら『花神』を読んで一日を過ごす。深夜に上巻を読み終えた。

たとえば、江戸へ向う蔵六が、宇和島を出発して卯之町と大洲で先輩に挨拶をしてから松山に着き三津浜から船で大坂へ向ったというように、いろいろ知っている地名が出てくる。なにしろ俺たちは愛媛県在住で、そのうえ妻は周防出身だからね。周防大島経由で妻の実家に行くときにはいつも遠崎の「月性展示館」の前を通るのだ。僧月性はどうやら『花神』の物語にはまったく登場しないのだが、かなり最初のところ、蔵六が大坂の適塾から小郡郊外の鋳銭司村へ帰省するくだりで、機会をとらえて(それちょっと強引なんじゃないのと思われるような形で)言及されている。このあたりはストーリーに直接関連しそうにもないたくさんの地名を書き残す細部の作り込みの一環で、著者のサービス精神というものかもしれない。

それに、根っからの学者・技術者である村田蔵六を中心に描かれるこの『花神』には、「意識の高い」志士たちがわあわあ右往左往しているばかりの物語より、おなじ幕末史でもよほど親しみを感じる。というわけで、早く続きを読みたい。


2013年4月19日(金)くもり

きょうの演習の授業はあんまり進捗ないかもなあと覚悟していったのだが、あけてビックリ。初回の先週は俺がさんざん助け船を出してやっと5問だったのが、今回は学生さんたちがちゃんと8問準備してきてくれている。昨日の講義の自己評価が低かった俺には、思いのほか多くの人がそれぞれに準備をしてきてくれたのがとても有り難かった。このペースを維持できるといいのだけど。

演習の授業では、発表された解答が間違っているのは全然かまわない。むしろ「解答者がよくはまる穴」にきっちり落ちている誤答を出してくれたほうが授業がやりやすい。誤答からどう立ち直るかを議論するほうが、最初から非の打ちどころのない正解を出されるより有益な場合が多いからだ。だから、間違った解答を発表しても減点はしない。まるきり支離滅裂なことを堂々と書かれてもそれはそれで困るのだが、なによりいちばん困るのは皆が失敗を怖れて発表しないことのほうだ。このことは、機会があるごとに繰り返して言うことにしよう。

ピアノのレッスン後、例によってジュンク堂に寄って文庫本を二冊買う。司馬遼太郎『花神』上巻と、木田元『ハイデガー拾い読み』、いずれも新潮文庫。


2013年4月18日(木)くもり

講義。大田春外『はじめての集合と位相』第一章の後半。集合演算が「ブール代数」であることを示す演算法則はすべて出揃ったが、実際にブール演算を実行して「式を簡単にする」などなどの例題に時間を割くことはできなかった。この先も時間との闘いになりそうだ。ちょっとマズイなあ。それに、しゃべりがどうしても早口になってしまう。大事なところはゆっくりと、いかにも大事そうにしゃべるくらいの区別はしているつもりだが、それ以外のところがすっ飛んでしまっても困る。話すことを厳選せにゃならん。


2013年4月17日(水)くもりあめ

うちは狭い和室に4人が「散らばって」寝ている。昨晩少し寒かったのに娘に毛布を取られてしまいあまりよく眠れなかった。お互い寝ている間のことなので娘を責めるわけにはいかないが、一日調子が出ない。日中すこし雨が降ったが夕方帰る頃には上がって月が見えていた。

やる気のないあひる

午前中の4年生ゼミではひとまず前原本の第1章をすませた。ゼミ生3tくんの書く「論理式」の「式」の字が、崩しすぎたもので「犬」みたいになっていたのが面白かった。910くんのゼミは超積によるコンパクト性定理の証明(新井本 系5.4.4)まで。0-1くんのゼミはセクションI.11の終わりまでやる。先週てこずった問題(I.11.7)は、具体的な順序数であれこれ計算を繰り返すうちに感じがつかめてきて、どうにか解けそうな流れになってきた。

次の問題(I.11.8)は0-1くんがちゃんと解いてきたのだが、よく読むとなんだか話がおかしい。

こういう問題だ:順序数の超限列 \(\langle\,\delta_\xi\,:\,\xi\in\mathrm{ON}\,\rangle\) を次のように再帰的に定義する \[ \left\{ \begin{aligned} \delta_0=&\,\aleph_0; \\ \delta_{\xi+1}=&\,\aleph_{\delta_\xi}; \\ \delta_{\lambda}=&\,\sup\{\,\delta_\xi\,:\,\xi<\lambda\,\}\quad(\lambda\colon \text{limit}). \end{aligned} \right. \] このとき、任意の極限順序数 \(\eta\) について \(\delta_\eta=\aleph_{\delta_\eta}\) が成立することを証明せよ。

この問題は、言葉通りにはなにも間違っていない。ただ、そのあとの解説に

連続体濃度 \(\mathfrak{c}\) が \(\delta_{\omega_1}\) に等しいことがZFC集合論と矛盾しないから \(\mathfrak{c}=\aleph_{\mathfrak{c}}\) ということはありうる。いっぽう、ケーニヒの定理により \(\mathfrak{c}=\delta_\omega\) となることはありえない。

とあるのを見ると、著者Kunenがなにか思い違いしていることがわかる。というのも、アレフ系列の最初の不動点 \(\delta_\omega=\aleph_{\delta_\omega}\) に到達したら、 \(\delta_{\omega+1}=\aleph_{\delta_\omega}=\delta_\omega\) であるから、そこで列の成長は止まってしまい、それ以後 \[ \delta_\omega=\delta_{\omega+1}=\delta_{\omega+2}=\cdots \] となるほかないからだ。ということは \(\delta_\omega=\delta_{\omega_1}\) であって、こいつはいずれにせよ共終数 \(\omega\) だから、連続体濃度に等しくはならない。

問題をちょっと手直しして(二番目の式の右辺に注目) \[ \left\{ \begin{aligned} \delta_0=&\,\aleph_0; \\ \delta_{\xi+1}=&\,\aleph_{\delta_\xi+1}; \\ \delta_{\lambda}=&\,\sup\{\,\delta_\xi\,:\,\xi<\lambda\,\}\quad(\lambda\colon \text{limit}). \end{aligned} \right. \] と定義しなおしてみよう。これでも、\(\eta\) が極限順序数のとき \(\delta_\eta\) がアレフ系列の不動点になるという性質は保たれるし、今度はいつでも \(\delta_{\xi+1}>\delta_\xi\) となることが保証される。それにより、アレフ系列の不動点すなわち \(\alpha=\aleph_\alpha\) をみたす \(\alpha\) は、すべてある極限順序数 \(\eta\) について \(\alpha=\delta_\eta\) となる。Kunenが意図したのは、きっとこの性質だと思う。連続体濃度はアレフ系列の \(\omega_1\) 番目の不動点にはなりうるが、それより小さい不動点にはなりえないというわけだ。


2013年4月16日(火)くもり

「数理論理学ゼミ合宿」の参加者は順調に集まって、すでに21人になった。それだけ期待されているということだろうから、その期待に応えられるように準備せにゃならぬ。

妻が作ってくれた弁当のおかずは鶏肉の煮物で、これが実に美味かった。夕食は土曜日にバーベキューから持ち帰った野菜を使った牛肉の炒めものだった。


2013年4月15日(月)はれ

足立恒雄『フレーゲ・デデキント・ペアノを読む』(日本評論社)を読み終えた。いくつかの点で大変勉強になった。一つは数学基礎論のいわゆる論理主義の始祖とされるフレーゲが実在主義的な数学観をもっていたこと。もう一つは直観主義数学の主唱者ブラウワーの思想が「直観主義vs形式主義」の対立関係といったわかりやすい図式に収まるような代物ではないこと。フレーゲはもちろんのこと、ブラウワーも「数学の危機への対応」のために自分の思想を展開したわけではなさそうだ。20世紀初頭の「数学基礎論論争」をめぐるいくつかの事項について、考えなおす機会が与えられた。

きょうも帰りにジュンク堂に立ち寄った。野本和幸『フレーゲ哲学の全貌』(勁草書房)、近藤和敬『数学的経験の哲学』(青土社)、金森修(編)『エピステモロジー』(慶應義塾大学出版会)、松阪陽一(編訳)『言語哲学重要論文集』(春秋社)、岩波文庫版谷川俊太郎詩集、などなどをチェックするが、お金がないので何も買わずに帰宅。もちろん読んでみたい本はたくさんあるが、いまは読むべき本に事欠いているわけではない。事欠いているのは読む力のほうだ。

さて、ジュンク堂といえば、いつぞや(→2月8日)買ってくるなりたちまち【娘】に奪われた元素周期表下敷きを、【娘】の悪友の+(3x3)くんが欲しがっているという。+(3x3)くんはちょっとした元素マニアらしい。で、「どこで売っているのか聞かれた」と【娘】いうので「ジュンク堂の4階だ」と教えてやる。「ジュンク堂って、あの、あそこの、市駅の前の本屋よね。」と【娘】はいう。その説明ではわからないからと、【娘】に「ジュンク堂はどこにあるか」を言葉だけで説明するように求める。【娘】は日頃あれだけ本ばかり読んでいるわりに、こういうときの作文がまったく要領を得ない。

娘:「市駅の近く。」
俺:「近いかどうかは場合によるし、+(3x3)くんとこからは市駅の反対側になるで。やりなおし。」
娘:「あの銀天街入って最初の…」
俺:「最初って?」
娘:「ああ。市駅のほうから入って最初の出口の…」
俺:「出口って、おまえさん銀天街は建物とちゃうでぇ」
娘:「あ。そうそう市駅前から銀天街に入って最初の」
俺:「ふんふん。」
娘:「靴屋の角のとこ曲がってメガネ屋の交差点のとこにある緑色の看板のあるビル!!」
俺:「うん。まあそんなもんやろ。」
妻:「そやけど+(3x3)くんのうちから行くのに銀天街は遠回りやろ」
娘:「えぇ?」

娘にはもう少し作文力をつけさせないと、先行きが心配だ。しかし、実際には+(3x3)くんには「ジュンク堂」と言っただけで通じるはずなのだ。こういう言葉の実践的な使用ということにかけては俺たち夫婦は容赦なく厳しいのだが、少し加減を知るべきかもしれない。


2013年4月14日(日)はれ

昨日のバーベキューのおりに余って貰って帰った文旦を朝食時に食い、皮は風呂で使う。とはいえ柑橘の皮を入れる専用の布袋はないので、近所のダイソーで下着用ランドリーバッグなるものを買って代用することにした。散歩がてらに一人で出向く。ダイキにも寄った。洋服の難ものを安売りしていたので1000円のジャケットと800円のパジャマを買った。

結城浩さんの新刊『数学文章作法 基礎編』(ちくま学芸文庫)が届いた。理系の若者の熱い支持を集めている小説『数学ガール』シリーズの著者が、数式を含む文章をわかりやすく書くコツを惜しみなく伝授してくれるというのだから、ありがたい本である。そして結城さんの文章の「心がけ」は、なにも数式を含む文章に限らず、なにかを人に説明する文章を書く人すべてにとって有益であるはずだ。

それにしても、書き下ろし初版がちくま学芸文庫というのはすごいことだと思う。この本、首都圏のいくつかの書店ではサイン本が手に入るらしい。それはうらやましい。そのことをめぐって、結城さんとこんなやりとりがあった:

:そうか首都圏の書店で買うとサイン本が手に入ったりもするのか。結城さんこんど本にサインしてください。(結城浩『数学文章作法 基礎編』ちくま学芸文庫、とっても好評発売中)
:@tenapi はい、わかりました。Kunen本にサインと交換に! (^^)
:@hyuki いえ、Kunen本のサインはウィスコンシンにもらいに行ってください。俺がサインするのは僭越というものです。
:@tenapi わーん(´・ω・`)
:@hyuki だって、結城さんが訳した「幸福な王子」の本にサインしようとしたところへオスカー・ワイルドがきて「へいわだやどぅーいん!!」とか言ったら、やっぱり怯みませんか?
:@tenapi 訳者は原書を読者に届けている大事な仕事をしているのですから、サインくらいしてもいいのでは?(?????) 翻訳者の名前とCopyrightが表示されるのもゆえなきことではないのでは。※個人の感想です
:@hyuki うーん。俺はそうは思いません。訳者の仕事はたしかに大切ですが、なんというか仲人みたいな役割、頃合いをみて引っ込むべき役割だと思うのです。 ※個人の感想です
:@tenapi そうですね。賛成です(あれ?)
:@hyuki それと、俺は字がすーぱー下手なんです。
:@tenapi (*'-'*) .。oO(くっ…殿下のサインをゲットするのは難易度高そうだな…何か策略が要りそうだわい…
:@hyuki なんか申しわけなくなってきたので、こんなものでよろしければお会いした時に書きます。
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:@tenapi ステキ!
:大学教師あるいは数学徒としての藤田は、著作にサインするような大それた存在ではないのです。
:より正確には、これまで世に問うたものがそれほど恥ずかしいものになってしまったことを反省していて、なんとかしたいと思っているのです。
:@tenapi 違うんですよー。サインは「偉いから」するんじゃなくて、もらった人が読むモチベが上がるからするんですよー※個人の(ry
:@hyuki ではこんなのにします(^^)
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:@tenapi あはは…わーん (^^)
:@tenapi ともあれいつの日かお会いしたいですね
:@hyuki こちらこそ、あの本やこの本の著者から「お会いしたい」と言ってもらえるなんて!! (実際会ったときお互いに「なんや人間やんか」と言ってそう…)
:@tenapi (^^)

ともあれ、理系の学生さんも技術者さんも教師のみなさんも、みんなこの『数学文章作法 基礎編』を読むように。文章力は文系の人のためだけのものではありませんから。

宵の口に雨。雷鳴も聴こえたように思う。妻が作った夕食の鯖のカレー味ムニエルが美味かった。


2013年4月13日(土)はれ

数学科の新入生歓迎会。野外活動センターでのバーベキューだ。いままで何度も参加しているが今回は【娘】と【息子】を初めて連れていった。結果、【娘】はお世話上手な四回生のお姉さんたちに上手にかまってもらってそれなりに炊事を手伝ったりしていたが、【息子】は予想通りというかなんというか、最初から人との交流などまったく眼中になくフィールドアスレチックとすべり台に夢中で、そのくせ肉ばかりよく食い、片付けの時間になってからリヤカーで遊びだして皆に迷惑をかけた。ゴメン。

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朝みかけた、玄関先のイチゴの小さな花。


2013年4月12日(金)くもり

金曜日は4限に演習の授業。2回生の専門科目はいずれも演習と講義がペアになって半期で合わせて1科目4単位という仕組みである。なので、2回生の専門科目を落っことすと再履修に週2コマを取られる。すると3回生以降の専門科目が取れなくなって芋づる式に留年ということになりかねない。学生さんも大変だが、「落すと大変」なのは教えるほうも同じことであり、さりとて誰でもかれでも合格させるというわけにも行かないとすると、できるだけ皆が合格ラインに逹するように指導を徹底せにゃならん。そのへんの事情は、ある程度もののわかる学生さんたちにはもちろん理解されているのだが、はてさて。

テキストの演習問題に \(\{4,6,8,12,20\}\) という集合を説明法(内包的記法)で書けというのがあって、演習クラスのもう一人の担当者の山Pさんと二人で頭を捻ったのだが、これという答えが見つからなかった。それで授業で正直にそのように話したら、あとで一人の学生さんに「それは正多面体の面の数ではないですか」と指摘されてびっくり。集合の内包的記法は「いかなる基準で要素を集めたか」を記述するものだ。要素のリストである外延的記法だけを見て「わたしはどういうつもりでこれを書いたでしょう」というのだから、これは現場に残された痕跡から犯人を推理せよという問題である。金田一耕介ばりの名探偵でなければ、そうそう出題者の真意を言いあてられるものではない。だが、言われてみればたしかにこれは 正 \(f\) 面体が存在する数 \(f\) の集合に一致する。他の規則性がどうにも見当らないところを見ると、きっとそれが「正解」なのだろう。なんとも頭のよい若者もいたものだ。まあ、この問題はそういう「?」と「!」が目的の問題なのだろう。

昨日買った誕生日プレゼントは妻が用意した袋に入れて夕食時に娘に手渡した。


2013年4月11日(木)くもり

「集合と位相I」の講義第一回。昨年度後期の講義と同様にA4裏紙にノートを用意する。昨晩用意した2枚半をなんとかこなせるかと思ったが、やってみると2枚ぶん喋ったっところできっちり時間になる。これはつまり、頭で考える内容上の区切りよりも、手を動かして書いた作業量のほうが、実際のしゃべりの量と正しく対応するということだ。次回からこのことを肝に銘じて、内容上の区切りと時間制限がうまく釣り合うように準備しないといけない。

仕事のあと医者に行った。指定の時間より10分も早く行ったが他に待つ患者さんが誰もおらずすぐに呼ばれた。おかげで、ドクターと無駄話のようなやりとりをたくさんした割に、妙に早く済んでしまったので、帰りにはいろいろ寄り道。まずコミセンの図書館に行き、さらにフジグラン松山に行った。明日が【娘】の12歳の誕生日なので、オトーサンとしてはそれなりにプレゼントを張り込んでやらねばならんからね。

これまでは本を買ってやっていたのだが、今年に限って、本は先日ひと山買ってやったばかりなので、ちょっと路線を変えて、和風雑貨の店で扇子と手ぬぐいと根付を選ぶ。扇子と手ぬぐいはウサギの柄のピンク基調のもの。根付はペアの子ブタのガラス細工がポイントで、これは娘が気に入りそうだ。

買い物を終えて帰りがけに、店の中央エスカレータのところで妻の友人 ばう に遭遇。この人とはいろいろ話したいというか挨拶しておかにゃならんこともあるのだが、それを言おうと思ったところへ息子さんからの電話が入ったようなので、言いたいこと全部省略してバイバイして電車で帰宅。


2013年4月10日(水)くもり

ゼミ生再集合。四年生のゼミのガイダンスをしてからテキスト(前原昭二『数学基礎論入門』)の「はしがき」を俺が読んでコメントし、午前中はそれで終わり。午後は910くんの新井本ゼミをしてから0-1くんのKunen本ゼミ。集合論や順序数上の計算論でよく使われる順序数のペアの順序づけ \[ \begin{align} (\xi,\eta)\triangleleft(\beta,\gamma)\iff & \max\{\xi,\eta\}<\max\{\beta,\gamma\}\lor \\ &\Big[\max\{\xi,\eta\}=\max\{\beta,\gamma\}\land \big[\,\xi<\beta\lor (\xi=\beta\land \eta<\gamma)\,\big]\Big] \end{align} \] のもとで \((\alpha\times\alpha,\triangleleft)\) の順序型が \(\alpha\) になるために、indecomposableな \(\mu\) によって \(\alpha=\omega^\mu\) と書けることが必要十分となることを示せ、という演習問題が思いのほか手強くて、解決せぬまま時間切れとなった。


2013年4月9日(火)くもり

昨日の日記はなにも2013年4月8日月曜日という日に特に関係した内容ではない。普通に毎日を生きているだけの一介の大学教師の身には、毎日ネットで公開するに足りるようなことがそうそう起こるはずもないのだから、こんなことでも書かないと、日記のネタに困るのだ。

意気込んでブログを始めたはいいがネタ切れになって、結局ほとんどすべての記事が「どこそこの店へ誰それと行ってあれとこれを食いました」「これこれの新製品を使ってみました」になってしまっている例はたくさんある。その「いつ誰とどこへ行った」「いつ何を食った」「何を買った」のチョイスがその人らしさを醸しだすのではあろうし、極論すればいまの世を生きる人間は畢竟「その人が何にお金を使ったか」によって語るしかないとも言えるだろう。いつどこからいくらの収入を得ていつどこでいくら支出したという出納の明細をきちんと記録すれば、それは確かにその人を特定するに足る情報の束になるだろう。食事にしても同様だ。だけど、まさかブログの主が皆が皆、そこまで意識的に割りきってやっているわけではあるまい。むしろ、ブログをやろうなんて人はたいてい、そういう客観的なデータに現われない「自分という観点」を表現したくてやっているのだ。それなのに、毎日をきちんと生きていればいるほど、「面白いことをブログに書く」という活動に割く時間などとれなくなる。

いやまあ、「ツイッターで気が済んでしまう」というのも大きな理由のひとつかもしれないけど。

おまけに、俺は他所さまで他人さまに作ってもらって自分は食うだけのものを、写真に撮ってブログに載せたりはしない。いろいろ道徳的な意味あいをつけてもいいが、いちばんの理由は簡単で、自分で作った料理の写真を載せるということを時々やるので、混乱を避けるためだ。それでみすみすブログのネタの選択の幅を狭めているわけだ。とはいえ、仮にも大学の教師の看板を掲げているからには、「こんな本を読みました」でブログを埋め尽すことくらいはできねばならぬ。つまり俺の場合はネタ不足は普段の努力が足りんことを意味する。精進せねば。

なにしろこの「て日々」はガラケー用CGIの仕様のおかげで日付がもれなく連続していないといけない。そして、ガラケーしか持ってない愛読者を実際に知っている。だから何としてもすべての日の日記を書く。そちらが優先事項なので、このようにいわゆる「日記」ではないことを掲載することもあるのだ。読者よ許せ…というより、けっこうマジでご意見ご感想を待ってます。


2013年4月8日(月)くもり

先月29日の日記を注意深く読めばわかってもらえるかと思うけど、俺は「子供たち」という言葉と「子供ら」という言葉を可能な限りきちんと使いわけている。まあ俺のやることだから時々ええかげんになっているが、原則として、自分の子というか「身内」の子供を「子供ら」あるいは「子ら」と書き、そうでないの子を「子供たち」と書いている。

いわゆる子供をあらわす一番基本的な言葉は「こ(子)」だ。こいつがそれ以上の解析のしようのない基本語で、「こども」という言葉は、基本語である「こ」に、「わたくしども」「野郎ども」と同様の「ども」をつけた謙譲語だ。俺のガキの頃、40数年前の京都では、自家の子を「子ら」と呼び他家の子を「子たち」と呼ぶ呼びわけがまだ生きていた。なので、自分の子はともかく他家の子を「ども」と呼ぶのは、俺としては少し心苦しい。とはいえ、現在では一人の子にも「子ども」を使うくらいで、「子供」はもはや「こ+ども」という分析がこじつけに思えるくらい一つの単語として成熟している。そうした事情の間でバランスをとって、「子供たち」と「子供ら」を使いわけているというわけだが、他の人たちにこんな細かいことを強要するつもりはない。要するに、どうでもいい話である。


2013年4月7日(日)くもり

足立恒雄『フレーゲ・デデキント・ペアノを読む』は、書名とは逆にペアノ,デデキント,フレーゲの順に読んでいく。 この三人は20世紀の初頭に現代の自然数の理論の基礎を築きあげた功労者なのだが、それぞれの人柄も思想もずいぶん異なっている。後世の数学史家、とくにハイエルノールトやグラティン=ギネスによる評価では、ペアノはずいぶん貶されている。ご都合主義的で思想的な深みがないという理由のようだ。しかし足立先生はあくまで数学者の視点から、ペアノの記号法が柔軟で使いやすいことなどを評価して、ペアノの名誉回復を求めている。

なるほど自然数の公理のまとめ方をみても空間充填曲線の構成法をみても、ペアノはとても頭のよい人だったと見える。ところがその頭のよさが深さを感じさせないもんだから、技術を継承するよりは思想を掘り起こそうとする後世の学者に、みすみす貶される。

そういう話をしたら、頭がよくて思想がない例の最たるものとして、かがみさんはジョン・フォン=ノイマンを挙げた。なるほどフォン=ノイマンも後世の学者にいろいろ貶されており、とくに佐々木力先生は、今後誰にもフォン=ノイマンの轍を踏ませまいと願って『20世紀数学思想』(みすず書房,2001年)を書いた、とまで言っている。こうまで言われると、もう「けちょんけちょん」どころの騒ぎではない。


2013年4月6日(土)くもり

【2013年4月15日月曜日記入】どんな日だったか思い出せないので、あんまり日付に関係ないことを書く。

先日『ゴルギアス』を読んだので、こんどは『パイドロス』を読もうと思った。この岩波文庫版は、28歳くらいのころに一度読んでいる。冒頭、少年パイドロスが弁論家のリュシアスから受けとった書きものをソクラテスに読んで聞かせる。リュシアスの弁論のテーマは恋愛だったが、これが奇妙なことに「少年は彼に恋していない者にこそ身を任せるべきである」という説の弁明なのだ。28歳の俺にはまだそれは言葉のトリックで奇説を信じさせる詭弁としか思えなかったが、いま読みなおしてみると、必ずしてもそういう話ではなくて、性急で野蛮で独善的な恋情よりも、もっと徳性からにじみ出るようなゆっくりした愛情をこそ尊ぶべきだという説なのだ。だとしたら、なかなかどうして、40歳過ぎてからの俺の持論にぴったり重なっているではないか。古代ギリシャの話だから、ここで語られているのは少年とその指導者であり先輩である男性との間の恋愛なのだが、男女の別をうるさく言いさえしなければ、現代の人間関係にもじゅうぶん通用する話だ。

もちろん、『パイドロス』全体の眼目は、このあとソクラテスがリュシアスをはじめとする弁論家たちの活動にどういう評価を下すか、というところにあるわけだけど、それはまた後の話だ。自分の愚かさから招いた10数年の苦境を経て俺がようやく辿りついた結論を2千3百年前のプラトンが余すところなく説いていたこと、そして20年前の自分が、後に自分が全力で同意することになるこの弁論全体をまるきり受けとり損ねていたことに、俺はひとまず驚いている。


2013年4月5日(金)くもり

例によって、ピアノのレッスン後にジュンク堂に行って足立恒雄『フレーゲ・デデキント・ペアノを読む』(日本評論社)を購入。雑誌「数学セミナー」の連載記事を増補したものだそうだ。整数論の碩学が、現代的な自然数の理論の基礎がどのように築かれたかを独自に調べた論考で、数年前に連載していたのを、知ってはいたがなんだかんだで読まずじまい。しかし本になったからには買って読まねばならぬ。


2013年4月4日(木)くもり

夕方,妻子が帰ってきた.妻は帰省中も子供の面倒をみたり炊事をしたり,父親に成り代って母親の介護をしたり,合間を見て自分の仕事を片付けたり,決してラクチンしていたわけではない.なので,夕食の用意から片付けから風呂の用意から,ひととおり俺がやって,妻には「お客さん」してもらう.夕食には野菜炒めと冷奴.それから,先日作りおきしておいたきんぴらもある.

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近所のマルナカで食材を買ったついでにWAONカードのポイントを確認したら,すでに707ポイントあったので,700円分のWAONのチャージに交換してきた.しかしこれはつまりWAONですでに14,000円ほど買いものをしていることを意味する.このごろは地元のフジを含め,どこのチェーン店も顧客の囲い込みを目指して同様の電子マネーの導入を進めていて,ややこしくなりそうだ.なんか江戸時代の「藩札」みたいな話になってきたりして.

ところで,「55歳以上のお客様限定の特典つきWAONカード」を作るのは別にかまわないけど,それに《G.G.WAONカード》という名前をつけるのはマズくないですか.いや そのG.G.が《Grand Generation》の意味だと説明はしてもらってもですよ.じじぃの…じゃなくて,男性の利用者だっているんですから.ええ.俺もあと6年して55歳になったら持とうと思ってますとも.じじぃWAONカード.


2013年4月3日(水)はれ

昨日の雨が嘘のような好天だ.すかさず洗濯をする.洗濯機が回っている間は待っているしかないので,廊下と階段の掃きそうじをする.洗濯物をベランダに干してから大学に行き,研究室の書棚の整理をちょっとだけする.

先月27日の日記に書いたように「数理論理学ゼミ合宿」なる催しを企画している.きょうはそのWebページを公開し,参加者の募集を始めた(7月末締め切り.定員30名.)これは主に,数学全般に興味があるけどどうも数理論理学は勉強する機会がなくて,という学生さんをターゲットにしている.時期が数学会の秋季総合分科会の直前になってしまうが,まあそう言わずに参加してください.

数理論理学ゼミ合宿のご案内
(http://tenasaku.com/academia/mathlogic-seminar.html)


2013年4月2日(火)あめ

昨晩10時すぎに寝たわりに今朝も10時まえまで寝ていた.これまでは妻子が帰省してしまうと最初の二・三日は静かでいいやと思ったものだが,今回は昼寝しているうちにいなくなっていたせいもあって,なんだか即日で寂しかった.しかし,そんなことを言っていても仕方がないので,本を読んだり料理をしたりして過すのだった.


2013年4月1日(月)はれ

今年はジョークなし.夕食後に,もやしの和え物を作り,れんこんのきんぴらを作る.明日の食事のためだ.腹が減っていないときのほうが余裕をもって料理できる.

れんこんのきんぴら