て日々

2013年2月


2013年2月28日(木)あめ

午後3時頃に(ということは現地では午後10時ごろ?)スティール(John Steel)のセミナーを聴講している池上くんがツイッターでつぶやき始めたので、横から茶々入れをして、いろいろ聞かせてもらった。その後の根元くんとのやりとりも含めて、池上くん自身がツギャっているので、詳しくはそちらをどうぞ:

池上くんのTogetter: Inner model theory seminar.
池上くんのTogetter: 二階算術と集合論での決定性

現代の集合論は、なるたけZFCの範囲に踏み留まってその限界を見極めようという実証主義的なSaharon Shelahの流儀(Shelahlogy)と、あらゆる可能な巨大基数を備えた宇宙を想定してその姿に迫ろうとする実在論的なHugh W.Woodinの流儀(Woodinology)に二分されるという話をつくばの塩谷さんがしていた。John Steelは両者の間のどちらかというとウッディンに近い位置にあって、内部モデルの精緻な理論を駆使して、ウッディンが上から押さえ込んだものを下から捕まえようとする。どれもとても難しくて俺にはよくわからんのだが、WoodinologyはSteelologyに支えられることで、はじめて実り多い結果を生むように思う。そして、数学以外の分野ではあまり考えられないことだが、方法論的・思想的に両極にあるシェラとウッディンが共著論文を書いていたりもする。もちろん、それらはどれも物凄い結果を出している。

池内紀『ことばの哲学 -- 関口存男のこと』(青土社)を読了。それなりに興味深い内容ではあったが、この独文学者がこの独語学者のことを書くのであれば、もっといくらでも面白く書けたのではないかと思った。初出誌『現代思想』にふさわしいスタイルを目指したのが、あるいは桎梏になったのかもしれない。

その関口存男のドイツ語教本の音声を、仕事帰りにiPhoneで聞く。見出し部分では「ばいしゅぴるぜっつぇ〔番号〕」という。何度もくり返されるので、それだけは覚えてしまう。帰宅したらひとつその「ばいしゅぴるぜっつぇ」とやらを辞書で調べてやろうと思いながら歩く。

帰宅して辞書を引くが、そのままでは載っていない。しかし「ばいしゅぴる」は Beispil か Beispiel にちがいないとあたりをつけて調べると、どうやら Beispielsätze といっているらしい。Beispiel は《例》であり SätzeSatz 《言明, 文》の複数形だから、ばいしゅぴるぜっつぇ “Beispielsätze” はつまり《例文》だ。知っている人にはわかり切ったことなのだろうが、気づいたときにはなかなかうれしい。


2013年2月27日(水)くもり

ツイッターでの出来事。卒業を間近に控えたある高校生から「数学の集合の勉強をしたいけど高校の数学しか知らないのでどうしたらいいですか」というお尋ねがあった。僭越ながらお答えする。高校の数学から大学の数学への橋渡しには嘉田勝『論理と集合から始める数学の基礎』(日本評論社,2008年)を読むといい。集合という《ことば》の大学以降の数学での使われ方について知るには大田春外『はじめての集合と位相』(日本評論社,2012年)がいいだろう。いやちょっと待て。べつだん「おすすめの本を教えろ」と尋ねられたわけではないのだった。それならもうちょっと別のことも言わなくては。で、《秘密にせんならん話でもなかろうからここで続きを言いますと、高校数学を超えて先へ行くには、①「数学とは証明なり」と心得ること、②文章をよく読むこと、③可能な限り多くの実例を自分でいじること、が肝要です。あと、数学書は手で読みましょう。》(→ログ) これを読んだ人のなかには「何を今さら」「高校数学は“超える”というほどのものじゃないでしょ」という反応をした人もいた。すでに超えちゃっている人にとっては、そりゃそうだろう。いま高校を卒業しようという人に向けて語っているという文脈がわからなければ、こう言われても仕方がない。最初の質問がDMで届いて、本の紹介をDMで返して、これは秘密にするような話題でもあるまいと考えて続きの部分を公開し、とはいえ、@ つきで元の質問の主にメンションすると、その人がDMを使った意図を損うかもしれないので、通常ツイートで続きを書いたというわけなのだが、さすがにこれは説明されねばわからないだろう。

嘉田本は現在中古市場で法外な値段がついているが、さいわい版元で重版中だ。

初級文法書を読み終えたので、ゲーデルの1931年の論文 «Über formal unentscheidbare Sätze der Principia Mathematica und verwandter Systeme I»の講読を始める。原文をノートに書き写し、辞書と文法表を頼りにすべての語句の語義と機能を調べあげる。つまり、数学の研究というよりまだドイツ語の勉強の続きのつもり。ゲーデルのこの論文には少なくとも3種類の邦訳と2種類の英訳、さらに膨大な関連情報がある。このゲーデル論文の詳細な解説書と言うべき前原昭二『数学基礎論入門』(朝倉書店,1977年,復刊2006年)を使ったゼミの指導だって俺は何度もやっている。だから困ったときのカンペには事欠かない。そういうカンペ類が存在せず自分もきちんと勉強したことがなくてあまり詳しくないゲンツェンの証明論の論文を読んでその講読の様子をツイッターで中継するということをしたほうが、よほど自他のためになると思うのだが、それはこのゲーデルの論文を読み終えてからだ。最初は1日1パラグラフくらいのペースで進むことにする。

ゲーデル論文の講読を中継しない理由はもうひとつある。ゲーデルは1978年にアメリカで亡くなっていて、著作権保護期間が満了していないため、その論文を一字一句漏れなく云々しようとすると、権利上のややこしい問題がありそうだ。いっぽうのゲンツェンの著作権の保護期間はすでに満了している。彼は1945年にプラハで35歳の若さで亡くなっているのだ。ただ、それはプラハを接収したソヴィエト連邦軍の収容所における非業の死であり、疎かな扱いは許されない。著作権の問題はいろいろ複雑だが、重要な文献の著者の夭折を喜ぶようなことはあってはならない。


2013年2月26日(火)あめ

妻が「保温式弁当箱」を買ってくれた。昼食のご飯があたたかいのはけっこううれしい。ありがとう妻よ。

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最後の第24課「数詞」を済ませて、ドイツ語文法書(大岩信太郎『やさしいドイツ語文法』三修社1998年)を予定どおりのペースで読み終えた。とはいえ、これだけではまだまだ文法をマスターしたとは言えない。というのも、冠詞や形容詞の格変化をよくわかっていなくてこれまでも作文課題がメタメタだったのだ。そこでこれからは実際の文章を丁寧に解析しながら読むことを通じて、そういう知識を補っていかなくてはならない。いや実際、読むべきテキストはいくらでもあるのだ。


2013年2月25日(月)くもり

喉が痛くて昨晩よく眠れなかったせいか奇妙な夢をみた。


2013年2月24日(日)はれ

午後、子供らを連れて宮西のブックオフに行ったら、一昨日ジュンク堂で買うのを我慢した本(これ)が幸運にも見つかって、半額で手に入った。【娘】はまたしてもミステリー系ライトノベルをほしがった。そういうのはもうポテチや柿ピーと同じで本当にキリがないのだが、古本でもポテチ一袋よりはまだ値が張る。まあ読むなと言っても無駄なので、それを読むなら先にこれも読めと、トールキンの『ホビットの冒険』上下巻を一緒に買ってやった。あと、うちにあるエンデの『はてしない物語』も読んでもらおう。

ドイツ語は第22課「接続法(3)--間接話法」をやった。直接話法にせよ間接話法にせよ、ある発話を他の文脈で引用できるというのが言語というものの面白いところだ。直接話法がテープレコーダー(いや、このごろはむしろICレコーダー)やカメラのようにできるだけそのまま発話という出来事を再現しようとするのに対して、間接話法は一度聞き手の理解のフィルターを通過しているところが違う。直接話法では、発言のその部分が現在の発言者に属するものではないという事情が、文字言語ならカギ括弧などの引用符で、音声言語なら声色を変化させることなどで表現される。間接話法でも、発話される文が現在の発言者と切り離された借りものの言葉であることを表現する方法が用意されていて、ドイツ語の場合そのために動詞が接続法で使われる。(フランス語でも同様だ。)そういう性質上、直説法でひととおりの表現ができないと接続法は使いこなせないわけで、文法書ではどうしても後ろのほうで扱われることになる。そのせいで、大学の第二外国語の文法クラスなんかでは、接続法に到達するまでに学期が終わってしまったりする。俺がフランス語の接続法をよく知らないのもそのせいだ(あのクラスでは接続法はおろかたしか直説法単純過去もほとんど触らなかったくらいだし。)ただ、大学で初めてフランス語を習ってからもう30年が経過しようとしていて、その気さえあれば勉強する暇はいくらでもあったはずだ。なので、言いわけはやめよう。そろそろドイツ語文法の教科書は読み終わるわけだから、すぐにとは言わないがいずれフランス語の文法の復習もこんな調子でやろうと思っている。ここでも何度も書いているように、これからフランス語とドイツ語の文献をひと山読まにゃならんのだ。

それにしても、フランス語やイタリア語の教科書とドイツ語の教科書とを書店で比較すると、タイトルから表紙のグラフィックから腰オビのキャッチコピーから、あらゆる点で、なんというか、想定される読者層の違いのようなものを感じる。フラ語とイタ語からキラキラと《あたしたちオシャレでしょ♪》光線が放射されていて、なんともはや。

この季節のお約束のアレルギー性鼻炎が、夜になって急にひどくなった。普段から目がよくない上に鼻と喉がやられると、だいぶ「病気」な心持ちになる。薬は飲んでいるのだが、お医者さんによるとこの薬は効きはじめるまでに2週間くらいかかるらしい。きびしいな。


2013年2月23日(土)くもり

子供らを連れてなか卯に昼飯に行く。日課のドイツ語文法は、接続法第I式を用いる要求話法。«Der schlafende Löwe erwache endlich!»(眠れる獅子、ついに目覚めるべし)とか «Wer unter euch ohne Sünde, der werfe den ersten Stein auf sie!»(お前たちのうちで罪のない者が彼女に最初の石を投げるがいい)というぐあいに使われる。どちらかというと古風な、廃れつつある表現だそうだ。なんだか厨二病御用達という感じがする。

数学の教科書なんかでよく使われる «Let \(f\) be a mapping» の let be に相当するものとしては、フランス語では «Soit \(f\) une application» というぐあいに être の接続法現在 soit を使う。このあたり、ドイツ語ではどうなのだろう。手元の資料ではすぐにはわからない。(2013年3月28日追記:ゲーデル論文を通読しての結論として、ドイツ語でもフランス語同様 sein の接続法 sei を用いて «Sei \(f\) eine Abbildung» という表現を使うらしい。)

晩飯は焼き塩鮭に副菜として小松菜と油揚げの煮びたし。来週ちょっと時間に余裕がなさそうなので昼間に引き続き夜にもドイツ語をやって第21課の非現実話法まで済ませた。一日一課のペースを守ったほうがいいような気もしたし、いま体力と時間に余裕があるなら、他の本を読んだりピアノの練習をしたりの他のことをすればいいのでもあるが、まあ要するに、やりたいのである。


2013年2月22日(金)はれ

俺にしては珍しく社会性を発揮して、小学校の授業参観に行き【息子】のクラスの学級懇談会にまで参加してきた。参観したのは【娘】のクラスの算数の授業で、なんか与えられた条件によって推理するゲームのようなことをやっていた。楽しそうだったけど、【娘】に言わせれば普段の授業は決してこんなものではない。妻の報告によると、【息子】のクラスの授業もなんだかミニ学習発表会的なものになっていたようで、要するに参観日向けのよそ行き授業である。できれば普段の授業のありのままを見たいものだ。【娘】のクラスの参観をした俺が【息子】のクラスの学級懇談会に行ったのは、【娘】のクラスの懇談会で妻が司会をする段取りになっていたからだ。で、【息子】のクラスの懇談会は「混んだんかい?」と思ったら全然そんなことはなく、むしろ閑散としていたので、参加しただけでも担任の先生にかなり有難がられた。時節柄この一年を振り帰るというテーマだったので、アホで社交性のない【息子】に対するクラスメートの暖かい友情に感謝の言葉を述べた。学校への要望はという議題には特に意見しなかった(放課後に児童がもっと気軽に運動場を利用できるように制度を改めてほしいという要望が出ていた。)あとで思うに「もうちょっと普段着の授業を参観させてください」と言えばよかった。

(翌日追記)夕方ピアノ教室に向かう前に業務日誌をつけ忘れて仕事場をあとにした。電停で気付いたが戻るわけにもいかない。ろくに業務らしいことをしていないせいでもあるが、それでも書くことがなにもなかったわけではない。追って月曜日に書くつもりでメモをとる。電車に大街道から乗ってきたお姉さんが持っていた紙袋から、フライドチキンのおいしそうなニオイがして、空腹を刺激して大変困った。きっと東急インのスリーバーチュでテイクアウトしたんだろう。

夕方は例によってピアノのレッスン。ツェルニー三十番の第5曲。右手と左手の譜割りが

楽譜の一部

となっている一種のポリリズムで、ちょっと気を抜くと、右手のリズムがベタベタの阿波踊り、あるいは逆に詰まりすぎの蚤のダンスになったり、左手のリズムが右手に釣られてチャラリーチャラリーになったりする。まあ、先週と今週それなりに練習したのでどうにかマルをもらった。ツェルニーをやることにしたのは正解だった。ここ数年は一年じゅう発表会の曲だけ練習していたが、ツェルニーのほうがよほど技術の訓練になる。発表会の曲は夏ぐらいに選ぶことにしよう。

カントール論文集の表紙

ピアノのあと、ジュンク堂に行った。ドイツ語の文法を簡便にまとめた変化表みたいな本を買おうかと思って手にとったけど、それはいまの教科書を読みおえてからのお楽しみにすることにして、結局何も買わずに帰宅。そしたら、先日注文したカントール論文集が届いていた。

一昨日の夜に、試みにゲーデルの不完全性定理論文 «Über formal unentscheidbare Sätze der Principa Mathematica und verwandter Systeme I» の最初のいくつかの文を辞書を引きながら読んでみた。時間はかかるがちゃんと読める。これはうれしい。今月に入ってからずっと自分に詰め込み教育を施してきて、いいかげん疲れが出てきていたところだったが、やっただけのことはあったみたいだ。おかげでまたモチベーションが回復した。論文と辞書を見くらべながらムスカになって「読める。読めるぞ!!」と叫んだのだった。


2013年2月21日(木)はれ

自分の専門分野では、20世紀前半ごろまでの歴史的に貴重な論文の多くがフランス語で書かれた。ボレルのあの『函数論講義』やルベーグの積分論や「解析的に表示できる函数について」など。初期のフンダメンタ・マテマティケ掲載論文も多くがフランス語だし、シルピンスキの『連続体仮説』も近藤基吉の「補解析集合の一意化」論文もフランス語で書かれた。記述集合論を歴史的な面まで含めて学ぼうとすれば、だからフランス語の知識は必須である。

とはいえ、その頃にもドイツ語で書かれた重要な文献だってある。たとえばハウスドルフが \((\omega_1,\omega_1)\)-ギャップの存在を証明した論文とか、フレビッチが補解析集合のうちで \(G_\delta\) 集合を特徴づけた論文や、無限集合の置換群についてのウラムとシュライエルの論文などなど。もう少し遡れば、そもそもカントールもツェルメロもドイツ語で書いていたわけだし、ゲーデルの完全性定理も不完全性定理も、ゲンツェンの証明論も、原論文はドイツ語だ。

そのようなわけで、俺としては大学の第二外国語にフランス語を選んだのは正しかったと思っているが、いままで立ち入ったことにないあっちの森にもどうやらお宝が埋まっているようだから、今後はそっちにも入ってみようと思っている。

もっとも、俺がもしも「ちゃんとした数学者」だったならば、いまどき英語さえ使えればとくに不自由はないのである。俺には数学研究の最前線を突っ走る力はすでに(というか始めっから)ない。だからといって何もしないでいるのでは気持ちが悪い。なので、せめてこれから最先端へ向かって走りだそうとする若い人たちの助けになることをしたい。そしてそれはたとえば「歴史屋さんになる」というのとは、ちょっと(いや、全然)違う。


2013年2月20日(水)はれ

昨日は出かけるのも帰るのも妙に遅くなって気持も身体もつらかった。生活リズムを立て直すためにも、きょうは朝のうちに活動開始してそのぶん夜はあまり頑張らずに早く寝てしまうに限る。そう思って、午前のうちにドイツ語の第17課「関係代名詞」をやった。昨日の日記に例を挙げたように、語学なんてことをやるとどうしても、文脈から切り離された短文をいろいろ読んだり書いたりせねばならず、そのたびに楽しい不条理感を味わうことになる。きょうも和訳の課題にこんな例文があった

Die Bank, auf der Sie sitzen, ist frisch gestrichen.
訳:あなたの腰かけているそのベンチはペンキ塗りたてです。

これ、一度は本当に言ってみたいものだ。きょうのような美しい青空の下、公園のベンチでくつろいでいる人のそばに立って、その耳元で《でぃーばんく あおふであ じーしっつぇん いーすと ふりっしゅ げしゅとりっひぇん》と、静かにゆっくりと、しかし明瞭に、ささやく。

そうかと思えば、作文の課題のひとつはこんな文だった

私がひそかに愛していた少女はほかの男性と結婚してしまいました。
訳:Das Mädchen, das ich heimlich liebte, hat einen anderen Mann geheiratet.

こちらは実際に言ってみたいとは誰も思うまいが、しかし誰しも若い頃に似たような経験をするものである。

最後の作文課題の文は、考えようによっては恐ろしい

私はあなたがいまおっしゃったことを決して忘れないでしょう。
訳:Ich wird nie vergessen, was Sie jetzt gesagt haben.

口は災いのもと。人に恨まれるようなことを言わないように心がけたい。

くまー くまー くまー くまー

久々に気持ちのよい晴天である。 午後は0-1くんと910くんのゼミをやる。今年度のゼミはこれで最後なんだが、両者ともあまりキリのよくないところで終ってしまった。まあ4月に続きから再開するからよいようなものだけど。というわけで、3月中にがんばって準備しておいてくださいね。

0-1くんには「4月からゼミの時間を増やしてくれますよねっ。このペースじゃ間にあわないですから。」と頼まれた。状況が許せばゼミの回数を増やすに吝かではないが、さて、新4年生のゼミもあるし、どうなることやら。


2013年2月19日(火)くもり

久しぶりに県立図書館に行った。数学の本2冊と哲学の本1冊のほか、池内紀の『新編綴方教室』(平凡社)や『ことばの哲学 関口存男のこと』(青土社)を借りてきた。堀端では梅が咲いていた。世間じゃあ桜ばっかりがもてはやされるが、誰の目にも春の訪れが明らかになった3月の終わりごろになってから今更のように「はーいみなさんお待たせしましたぁ☆じゃじゃ〜ん♪」と派手に開花する桜より、まだ残寒厳しい頃に香り高い花を開いていち早く春を告げる梅のほうが、俺は好きだ。

松山で俺が『ことばの哲学 関口存男のこと』を図書館で探しているちょうどそのころ、東京では みやや わぎょー (@nolimbre)が、関口存男主宰の古い雑誌「初級ドイツ語」のことを調べに国会図書館に行っていたそうだ(「のらんぶろぐ」の記事)。数年前に著作権保護期間を満了した関口存男の文章を電子書籍化する活動をしているそうだ。ふむ。みややのほうが俺より(年齢以外では)何かにつけ、ずっと先を行っている。

(翌日追記) 帰りが遅くなったがブックオフに寄って本を買った。主たる目的は大西英文『はじめてのラテン語』(講談社現代新書)を“買い戻す”こと。だが子供向けの将棋の本とか江戸川乱歩の「少年探偵」シリーズとか、子供らがそれぞれ喜びそうな本を何冊か買ってやる。千野栄一『言語学の散歩』(大修館書店)を入手できたのは予想外の収穫であった。

くまー くまー くまー

まあそんなわけで、このごろは毎日一課ずつドイツ語の教科書を読んでいる。授業も済んで卒業研究発表会も済んで春休みになったから、いままで夜にやっていたのを明るいうちにやるように変えた。きょうは第16課「形容詞の比較」である。和訳の課題が

Ich bin am glücklichsten, wenn ich bei dir bin.
訳:君のそばにいるときが,ぼくは一番しあわせだ.(加山雄三かっ!!)
Ich lese nicht so gern. Ich höre lieber Radio und am liebsten sehe ich fern.
訳:私は読書をあまり好まない.ラジオを聞くほうが好きだし一番好きなのはテレビを観ることだ.(DQN大衆乙〜)

とか、まあ人生いろいろあるからいいようなもんだけど、ちょっとどうなのよ、と思わせるものだった。ところが…(つづく)


2013年2月18日(月)あめ

いま読んでいるドイツ語の文法書は今月4日にも書いたように大岩信太郎先生の2003年の教科書だ。したがって当然、2006年施行の新正書法には未対応だ。ドイツ語を勉強する目的は100年ほど前の古い文献を読むことなわけで、文法書が新正書法に対応している必要などはない。うちで使っている三修社の現代ドイツ語辞典は旧正書法なので、その意味でもちょうどいい。研究室に置いた三省堂のクラウン独和辞典第4版は新正書法対応なので、ときどき「あれれ」と思うことになる。

大岩信太郎先生の教科書で不満なのは正書法の新旧ではなくて、各課の課題 (Übung) の解答が問題の直後に書いてあることだ。解答を見ずにゆっくり考えたいので、いちいち解答を紙で隠して使っている。そのためにわざわざ、あとからはがせる紙用の接着剤(コクヨ ペーパーボンド 20ml, タ-100)を買ったくらいだ。


2013年2月17日(日)くもり

卒業研究発表会の2日め。午前中にうちのゼミの0-1くんの発表。人前で話をするのにあまり慣れていない0-1くんだが、何度も繰り返し練習した甲斐があって、上手とまでは言えないにせよ実にちゃんした発表になった。質問にも自分の考えで答えていたし、言葉が少々ぎこちなかろうがどうしようが、原稿を読むだけの発表よりよほどいい。上出来上出来。そのあと休憩を挟んでD教授のゼミの発表の座長を俺がやる。これは昨年公刊されたD教授と博士課程の学生さんとの共著論文の内容を解説するというもの。オリジナルな研究成果でこそないが、数学科の卒業研究発表でそこまで新しい結果が発表されるというのはなかなか珍しい。こうなると、お客さんが少ないのが残念である。

午後は少し昼寝をしてから、発表会最後のHD准教授のゼミの発表の時間までドイツ語をやる。そのあと、大学内のレストラン「セトリアン」で懇親会になるのだけど、会費を払おうにも現金の持ち合せがないので、銀行へ調達に行かねばならない。ところが大学近くの愛媛銀行湯築支店は日曜夕方とてシャッターを下しており、その斜向いのファミマ道後北代店のATMでも「現在このカードは使えません」と弾かれる。上一万の伊予銀行ならいいかと行ってみるとやはりシャッターが下りている。そのとなりの愛媛信用金庫も同様だ。仕方がないので愛媛銀行大街道支店まで行ってお金を降ろす。早足で大学に戻ってどうにか間に合ったが、結局2kmほど徒歩でうろうろしたことになる。一連の所要時間30分ちょっと。もちろん、前もっての準備をちゃんとしておけばこんな大立ち回りを演じる必要はないのだ。

夜8時になって懇親会がお開きになった。二次会に行った人たちもいたようだが、俺は研究室に戻る。少し飲みすぎたなあと思ってソファーに横になって、仮眠をとること1時間半。それから昼間にやり残していたドイツ語の作文課題を片付けるのに1時間。歩いて帰宅するころには酔いはすっかりさめていた。

このごろの学生さんのコンパでは「二次会」の出欠を前もって確認し会場を予約するようだ。結婚披露宴の二次会ならそういうこともあるだろうけど、俺にはこれは一次会の延長に思える。まあ、時代が変わったということなのかもしれない。それに、飲み会の段取りひとつとってもいろんな考え方があるのだろう。

それより、妻は昨晩のお出かけのときに飲みすぎたとかで一日寝込んでいた。俺が不在のあいだ【娘】が察して食事の用意などを代ってくれたようでありがたい。しかし、酒豪の家系に育った妻にして、正月に続いてまたまた二日酔いとは珍しいことである。普段の無理が祟って調子を崩しているのではないかと心配だ。


2013年2月16日(土)くもり

きょうは妻がNPO法人主催の研修のスタッフとして出動する。午前中に子供を連れてコミセンの図書館に行く。コミセンに行ってみると、驚いたことにロビーで結婚式が始まろうとしていた。いろいろの企業や団体が合同で企画していることではあるにせよ、結婚式自体は本物のようだ。なんというか勇気のあるカップルもあるものだなあ。まあそれはともかく、俺たちは11時過ぎまで図書館にいて、スタニスラス・ドゥアンヌ『数覚とは何か?』(早川書房)などを借りた。それからはなまるうどんで昼食をとって電車で帰宅。午後は家にいて子供らと掃除をしたり遊んだり。夕方帰ってきた妻は、夜には町内会の役員の納会に行くという。研修で出たという仕出し弁当を3人前持って帰ってきてくれたので、俺と子供らはそれを夕食にする。


2013年2月15日(金)くもり

前にも言うたが、西村敏男・難波完爾『公理論的集合論』(共立出版)が4月上旬に復刊する運びとなった。表紙のデザインはもちろんプロのデザイナーさんがするのだけど、共立出版の営業のスタートレック蟻さん (@1738310)に復刊を再三慫慂していた関係で、俺がデザインの提案をさせてもらった。集合論は数の無限集合 \(\mathbb{N}\) から始まるという意味に著者が西村&難波という「ふたつのN」であることを重ね、さらに対角線論法が集合論の最初の跳躍板になった事情をも暗示する、まあなんかそういうデザインになっている。本の内容は数学の専門書なのにとんでもなく面白いので、復刊の暁にはみなこぞって買うように。というか、売れてくれんと、復刊を薦めた俺の立場がない。

月曜が祝日だったため、ピアノ教室は今週お休み。


2013年2月14日(木)はれ

昼頃は温かく春めいた晴天。ただし、夜中ごろには雨。

昨日できなかったドイツ語第10課の文法のまとめ、残り少しの部分を午前中に家でやり、大学に行ってから演習問題をやった。こういうものは毎日ちょっとずつやるに限るのだが、昨日は時間が思うに任せなかったからなあ。

午後、D教授が来て3月のN教授の教え子たちのパーティーの段取りについて相談。さらに、15年前に俺とD教授が共著で書いた論文のうちお蔵入りになっている部分をリバイバルさせようという算段をする。そろそろN教授が定年を迎えようという現在でも俺が万年助教に甘んじてろくすっぽ論文を書かずにいることを教室のメンバーの何人かが気にしてくれているようである。それに、D教授の言うところでは、このお蔵入りした研究結果自身、俺が思うようなしょーもない結果では決してない。事実、他の人の論文に “unpublished preprint” という形で何度か引用されてもいるらしい。いずれにせよありがたい話である。なのでがんばってもう少し勉強することにしよう。

ここでCM。来月12日発売の雑誌『数学セミナー』4月号の特集「新入生のための数学書ガイド」に俺も寄稿することになっているので、新入生でない人もぜひ読んでください。きょうゲラが届いたし、一昨日発売された3月号の次号予告に俺の名前も載っていて、そろそろ情報公開していいころだと思うので。

帰宅して、夕食後にドイツ語の第11課(再帰と非人称)をやる。これには2時間半かかった。

え、バレンタインデー? 何ですかそれ? …いや嘘々。妻がチョコをくれた。ありがとう。


2013年2月13日(水)くもり

«9:00〜13:00» 修士論文審査会。12時半には終わると予測されていたので安心していたがとんでもない。いくつかの発表には教員から質問が続出してきっちり13時まで続いた。こちとら12:50からセミナーであるから、12:55に審査会を中座して昼飯も食わずにセミナーへ。

«13:00〜14:00» セミナー前半。0-1くんの卒業研究発表の練習を見てやる。話の内容はだいぶ安定してきたが、話に間というものがない。それに緊張している様子がありありとわかる。時間がタイトすぎるせいもあるが「大丈夫だから安心せい。落ち着いてしゃべりなさい」と何度も声をかける。

«14:00〜14:30» 休憩時間。昼飯を買いに売店に行く。講義棟の廊下を通っていくと、S23教室の真ん中にA准教授が着席して4年生の発表の練習を見ている。その隣のS22教室では、H准教授が同じように真ん中に着席して4年生の発表の練習を見ている。同じような格好で同じ事をやっているのが面白かった。そのまた隣のS21教室では化学科の4年生が発表の練習をしている。要するにどこの教室でも誰かしら4年生が卒業研究の発表の練習をしている。買ってきた昼飯を研究室で大急ぎで食い、お茶を飲む。

«14:30〜17:00» セミナー後半。もう一度0-1くんの発表のリハーサルをしてから、910くんの新井本購読。きょうは第5章の量化記号消去のところをやる。普段ならこれで18時前まで続くところだが、910くんの準備の都合で17時に終わってしまった。

«17:00〜18:10» 予定外に時間が空いたので、すかさずドイツ語をやる。第10課「動詞の3基本形。過去と未来。」ドイツ語の直説法の過去時制と未来時制の変化は、過去形や未来の助動詞 werden に人称に応じた活用があるせいで英語よりは複雑だが、直接法に過去形が3種類もあるフランス語よりはよほどシンプル。例によってスイングロジカルルーズリーフに文法のまとめを書くが、未来時制のまとめにかかる前に18時すぎになった。

«18:10〜18:45» 審査を終えたM2院生たちの飲み会に誘われているのでそろそろ移動せにゃならん。で、18時30分きっかりに集合場所のラフォーレ前(というのは現在では言葉の綾になってしまったが)に行くが、誰もいない。おっと間違えた。集合時間は18時45分じゃないか。「そのことをちゃんと思い出していたら、もうちょっとドイツ語の勉強が続けられたであろうに」と、ドイツ語の接続法第II式(フランス語の条件法過去、英語の仮定法過去完了)の直訳みたいなことを思ったが、いまさら仕方がないので、明屋書店で時間をつぶす。

«19:00〜21:00» 三番町の居酒屋でもつ鍋。昨年の同じ趣旨の会でも思ったが、M2と教員との飲み会というのは、学部生を交えた飲み会よりはるかに雰囲気が和んでいる。学位論文の審査が一段落したあとで院生たちもリラックスしているし、6年目ともなるとお互い気心が知れているからね。

«21:00〜21:30» 酔っているとはいえそれなりに早足で松山市駅に移動。ホームで電車を待つ。

«21:30〜» 電車で帰る。車内では橋爪大三郎/『はじめての言語ゲーム』(講談社現代新書)の続きを読む。帰宅し、ドイツ語の続きには手をつけず寝る。


2013年2月12日(火)あめ

金曜日に代休をとるというのはもちろん自分で仕組んだことだけど、4連休は長い。こう休んでばかりいるとかえって辛い。

7日木曜日の夕方、帰宅するときに荷物がバッグに入りきらず、パソコンを置いて帰ることにしたのだけど、それと一緒にUSBメモリディスクを仕事部屋に忘れて帰ったせいで日記の更新がたっぷり一週間滞ってしまった。

そうそう。あの時は、パソコンと本をなんとかバッグに詰めて持って帰ろうと四苦八苦しているところへ、妻から「帰りに詰め替え用リンス買ってきてください」とメールが来てブレイクダウンしたんだった。重くて大きいバッグを持って40分歩いて帰るだけでもけっこう大変なのに、そのうえスーパーに寄るのは無理筋だ。だが、一旦「わかった」と引き受けたからには、「ごめんやっぱ無理」と言いたくはない。というわけでパソコンを持たずに帰ったわけだが、パソコンがないぶん、普段より子供とも向きあえたし本も読めたし、休みをのんびりと過ごせたし、かえってよかった気がする。これも妻がリンスのおつかいを頼んでくれたおかげだ。もっとも、あの詰め替え用リンスは、4日後の昨日俺が風呂に入ったときもまだ開封されていなかったような気がしたけど。

朝のうち晴れ間も見えたが午後からは雨。


2013年2月11日(月) 建国記念日はれ

イオンで新しいシャツを買い、フジグラン重信まで足を延ばし、フードコートで昼飯を食ったあと新しい通勤バッグを買った。

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本や書類だけでなくノートパソコンをも運ぶことを考えて
サイズを重視したうえ、機能重視で選ぶ
(仕事部屋で翌日撮影)

メアリアン・ウルフ『プルーストとイカ』(インターシフト,2008年)を、気に入ったところを抜き書きしてEvernoteに保存しつつ1日1章のペースで読んで、ようやく読了。ところどころ大変難しいが、重大かつ興味深いテーマについて該博な知識とデータにもとづいて書いていて迫力がある。俺が下手に要約するより、本文から何箇所か引用しよう。

視覚や発話など、読字の構成要素であるプロセスは遺伝子にプログラムされているのだが、読字自体は次世代に直に伝わる遺伝子プログラムを持たないプロセスなのである。そのため、この最下層〔遺伝的なプロセス〕より上の四層〔ニューロンのネットワーク・脳の回路構成・認知システム・読む行為〕が読字にかかわるとなると、一人一人の脳が読字能力を獲得しようとするたびに、必要な経路の形成の仕方を初めから学ばねばならない。これが読字を --- そして、あらゆる文化的発明を --- 他のプロセスとは異なるものにしている理由、資格や発話などのあらかじめプログラミングされているプロセスのように、子どもたちに生まれつき受け継がれない理由のひとつである。【28頁】
私たちが本に心をとらわれると、本は命を持って、自らの命を生きる。読む者はその命の世界につかの間招かれた客であって、その反対ではない。【213頁】
…、文字を読む脳の三つの重要な役割は、パターンの認識、ストラテジーの計画、そして感じることである。流暢に読解する読み手の脳画像には例外なく、私たちの情動生活の中枢である辺縁系とその認知システムに接続する経路の活動が活発化するというかたちで、これがはっきり現れる。【215頁】
ディスレクシアは、脳がそもそも、文字を読むように配線されてはいなかったことを示す最もよい、最もわかりやすい証拠である。私はディスレクシアを、脳の編成が全く異なったものになりうることを日々の進化のなかで思い出させてくれるものだと考えている。文字を読むには不向きでも、建築物や芸術作品の創造やパターン認識に不可欠な編成もある。パターン認識の舞台が古代の戦場であろうと、解剖のスライドの上だろうと、変わりはない。脳の編成のこうしたバリエーションのなかには、近い将来、さまざまなコミュニケーション様式の必要条件となるものもあるかもしれない。【315頁】
発達の途上にある読み手について検討を続けるなかで私が得た最大の結論は、警告である。今の子どもたちの多くはまさに、ソクラテスがそうなって欲しくないと思ったもの、つまり、自分には知識があると錯覚しているために知的潜在能力を伸ばせずにいる情報解読者集団になる寸前ではないかと心配なのだ。私たちがしっかりと指導さえすれば、そうならずに済む。これはディスレクシアの子どもたちについても言えることである。【331頁】

コメント:ソクラテスが云々というのはプラトン《パイドロス》での文字言語批判を指す。「情報解読者集団」という言葉は本書の用語としての《解読》と《読解》の対照を踏まえて理解する必要があろう。解読は単に文字表記された言葉を音声ベースの言語知識に引き移す過程。読解はそれよりはるかに高度で、書かれた言葉の描き出す世界やその住人の意識の流れに自らを移入させる過程である。そのとき読者は、書物の中のもう一つの世界に入りこんで、あたかも現実の世界で行動するように、推論し、仮説を立て、検証しつつ進むことで、いわば現実の枠を超えて生を拡張する。

この『プルーストとイカ』は、読書の指導にあたっている小学校の先生がたや、子供の発達相談を受ける言語聴覚士さんなんかにとっては必読書なんじゃないかと思う。『NASAより宇宙に近い町工場』と『プルーストとイカ』を続けて読んだおかげで、俺も、もっと腰を据えて本を読もうという気持ちになった。図書館の本の返却期限まであと6日間ある。残る『はじめての言語ゲーム』をさっさと読んでしまおう。


2013年2月10日(日)はれ

愛媛マラソンというのをやっているので、午前中は迂闊に出かけられない。テレビ中継を見ながら昼食のラーメンを作る。スープを味噌味にして隠し味に豆板醤を少し入れたらたいへんうまくできて満足。

愛媛マラソンは単なる陸上競技ではなく、地域ぐるみ住民参加型のちょっとしたお祭り騒ぎという側面を強調したおかげで、おおいに盛り上っているようだ。もちろん、上位グループはシリアスな陸上競技としてタイムを競っているのだが、一般参加者には、【娘】と【息子】の小学校の音楽の先生もいるし、【息子】の同級生のお父さんであるビストロのオーナーシェフがいるし、他ならぬ中村時広知事がいるし、昨日散髪屋で隣りに座った人も出ると言っていたし、中には妙なコスプレで走る奴がいたりもする。そして沿道の給水所では普通のスポーツドリンクだけでなく、ポンジュースを供しているブースがあったり、坊っちゃん団子を配っているブースがあったり、踊りでランナーを元気づけるダンスチームがあったり、ギャラリーに豚汁やいもたきを配る農協のボランティアもいたり。ゴールの堀之内公園に行くと、広大な緑地に地元の名産品の屋台がたくさん出ている。要するに、マラソンにかこつけて愛媛県をアピールするスポーツイベントとしてプロデュースされている。しかし、それはそれで、いい試みだと思う。

午後、マラソンが落ち着いた頃合いに家族4人で散歩を兼ねてボーリング場へ出かける。子供らにはまったく初めてのボーリングであり、俺にとっても2年ぶりだ。スケジュールが合わなくて先日の町内会のボーリング大会に行きそこなった子供らにボーリングを体験させるために来たのだが、【娘】はあまりピンとこなかったようだ。【息子】はiPadのゲームを通じて少しボーリングを知っているが、まだボールをまともに転がせないもんで不本意な結果になり悔しそうだった。俺もぜんぜんうまく投げられず、スコアはたったの62点である。

Gaisi Takeuti: Proof Theory
それと、昨年10月に予約注文していた竹内外史先生の本
Gaisi Takeuti “Proof Theory, Second Edition”(Dover版)が届いた。
いつも床に置いてばかりなので、今回は【息子】に持たせて撮影


2013年2月9日(土)くもり

妻はまたまた某巨大ショッピングモールの医務室詰めのバイト。昼食にパパチャーハンを作り、その後、子供らをコミセンの図書館に連れていく。ところが俺は先日借りた本を読んでいるところなので借りるものがない。それで、近所のいつもの散髪屋に行くことにした。

その1000円カットの店が発行しているスタンプカードの記録によると、前回は昨年11月18日。ざっと83日ぶりということになるが、その11月のときは81日ぶりだった。このごろの俺は11週から12週くらいの間隔で散髪をするらしい。ってことは次は4月下旬、27日土曜日というところかな。

夕食はおでん。ドイツ語は昨日6課までやったので、今日は振り返りとまとめの日にしようと思っていたが、事実上はサボってしまっていた。これはいけない。七日に一度「振り返りとまとめ」を入れようと思っていたが、次回からそれはナシにしてどんどん進んでしまおう。


2013年2月8日(金)ゆき

先月半ばの休日出勤の代休日。雪がちらつく寒い日となった。午前中はほとんど寝て過ごし、妻の車で重信のエベレストフードへ昼飯を食いにいく。あの『ランチパスポートVol.2』掲載の500円のランチ(鶏肉とほうれん草のカレー&ナンまたはライス)を食い、プラス100円でマサラティーを飲む。500円とはいえ、ナンのおかわりは自由ということもあって、ボリュームも味も文句ない。

エベレストフード店内
店内は落ち着いたムードでまことに結構

夕方からはいつものようにピアノのレッスンに行く。ツェルニー三十番は5曲目に入る。自宅のクラビノーヴァは真ん中のGのあたりのキーの反応が妙に重くなっている。鍵盤の下に何か異物が紛れ込んでいるに違いない。ツェルニー三十番みたいなのは軽快さが命だから、近々またメンテナンスに来てもらわないことには、練習に大いに差し支える。

レッスンのあとはジュンク堂書店に行った。子供らが読むといいなと思って松本孝典『親子で読もう 地球の歴史』(岩波書店)を買い、ドイツ語文法の勉強の副読本にと関口存男著・関口一郎改訂『復刻版 関口・新ドイツ語の基礎』(三修社)を買った。それと、自宅のダイニングテーブルでルーズリーフの用紙に書くことを考えると下敷が必要だったので、「元素周期表下敷き」なるものを買ったが、これは持ち帰って10秒で【娘】に奪われた。

元素周期表下敷きの図
ムスメはこの表の意味を知って欲しがったのだろうか


2013年2月7日(木)くもり

アマゾン『ゲオルク・カントール数学および哲学論文集』 (Georg Cantor: Gesammelte Abhandlungen mathematischen und philosophischen Inhalts, Springer Verlag) なるものが新品で出ているのを見つけたので、ちと値が張るが買うことにした。なんでも、イギリスから届くらしい。

いや、もちろんそれは大学の学科図書室にあるのだけどね。こういう基本的な重要文献は自腹で買いたいというのもあるのよ。


2013年2月6日(水)くもり

水曜日の午後はいつものようにゼミをやる。まず0-1くんの卒研発表の練習。先週はずいぶんダメ出しをしたけど、一週間かなり頑張って準備してきてくれたらしく、ずいぶん改善している。だがまだ規定の時間に収まりきらないのと説明が明瞭でないところもあるので議論しながら作戦を考える。910くんのゼミはモデル理論の \(\kappa\)-範疇性というあたりの話だった。

テキストには、ねじれのない可除アーベル群の公理系は任意の不可算基数 \(\kappa\) について \(\kappa\)-範疇的で完全だが \(\aleph_0\)-範疇的でないという例が出ていて面白かった。ねじれのない可除アーベル群とは、とりもなおさず有理数体 \(\mathbb{Q}\) 上のベクトル空間である。ということは、\(\mathbb{Q}\) 上のベクトル空間が「ぼくは2次元です」とか「ぼくは3次元です」とかを主張する閉じた文をアーベル群の言語あるいは \(\mathbb{Q}\)-ベクトル空間の言語では書けない。アーベル群の言語の \(n\) 個の自由変数をもつ論理式 \(\varphi(x_1,\ldots,x_n)\) をどのようにとっても、\(\mathbb{Q}\)-ベクトル空間 \(A\) において \[ a_1,\ldots,a_n\text{ が }A\text{ の基底 }\iff A\models\varphi[a_1,\ldots,a_n] \] となるようにはできない。(これができたら「ぼくは \(\mathbb{Q}\) 上 \(n\)-次元だよ」と主張する閉じた文が書けることになって、可除アーベル群の公理系の完全性と矛盾する。)面白いものだと思う。ただし、スカラーの全体を動く別種の変数を入れた混合言語 (many-sorted language) のほうが、もっとベクトル空間の理論に適している。そして、混合言語でならば「基底であること」はその定義を素直に書き下せるのだ。

妻の提案で夕食は近所のラーメン屋。帰宅してからドイツ語をやる。(第4課:動詞の現在形(2)。sein や haben など重要な不規則動詞。)どうやら自分が思っているより疲れているようで、めったヤタラと書き損じをしてしまって悲しくなった。


2013年2月5日(火)くもり

日中眠くてほとんど仕事にならん。これはまた夜に熱でも出る流れかと危惧したが、単に昨晩の睡眠不足とこの数日の少食のせいであるらしかった。夕食後、ドイツ語の勉強をする。(第3課:冠詞と名詞の格変化。あの「であですでむでん」というやつだ。)いまの文法書を終えるまでは一日一課のペースで続けるつもり。


2013年2月4日(月)あめ

今日から次年度の卒研ゼミを選ぶために学生さんたちが「研究室訪問」にやってくる。それに加えて、期末テストの答案を返すということを始めたものだから、かなりの数の学生さんがいっときに来て対応に追われた。まあしかしテストの答案は半数の人がすでに取りにきたし、明日からはもとどおり落ち着くだろう。

昨日からドイツ語文法の自主勉強をはじめた。教科書には大岩信太郎『辞書なしでどこからでも読める やさしいドイツ語文法』(三修社2003年)を採用、というか、ずいぶん以前に買って放り出してあった文法書で、今さらこれ以外に選択肢は考えられない。文法書の付録音声CDはiTunesで読み込んでiPhoneに転送してある。辞書は大学の仕事部屋に三修社の定番の辞書『学生版現代ドイツ語辞典』(1989年,第47版)があり、iPhoneには三修社のもっと新しい辞書『アクセス独和辞典第3版』が入っている。さらに自宅にはなぜか三省堂『クラウン独和辞典第4版』がある。昨日【息子】の図工の材料を買ったついでにダイキで仕入れておいたナカバヤシのスイングロジカル・ルーズリーフを使ってノートを作る。この間から講義ノートなどで実行しているように、蛍光マーカーなどを活用してカラフルにして、ノート作りを楽しくし、かつ書いたものを印象に残りやすいようにする。

昨日コミセンの図書館でちょっと確認したら、開架の語学の棚に8冊ほどあるドイツ語文法の教科書の半数が、この大岩信太郎先生の本だった。さすが大岩先生、著書が多いわ。

後日追記:上のパラグラフの辞書の情報がことごとく間違っていたので修正。ドイツ語をやらにゃならん気はずっとしていたので、文法書と辞書はすでに揃っていたわけだ。(2013年2月7日木曜日)

ドイツ語の勉強中

勉強を始めたといっても、いまはまだ、全24課あるうちの第2課だからやっと直説法現在の動詞の活用が出てきた程度。とても生のドイツ語が読める段階ではない。早いところ文法の基本をマスターして、カントールの無限集合論やゲーデルの不完全性定理論文の原文に触れてみたいものだ。一方にはもちろんボレルやルベーグやベールのフランス語の文献も控えている。あれも読まんならん、これも読まんならん。うおおおお。

パジャマくま

昨日読んだ植松努『NASAより宇宙に近い町工場』のことを夕食時に【娘】に話して聞かせて、読むように薦めたら、横で聴いていた【息子】が、ええーっ人工衛星って人が作るものなの?と驚いていた。まさに著者の植松社長の思うツボだ。「実際に作れるようになったのはそれほど昔じゃないし、作るには難しい計算をいっぱいしなければいけないんだけど、どういう計算をすればいいのかは、350年も前のイギリスで、ニュートンという人がみつけていたんだよ。」と説いて聴かせる。

木の上のリンゴの実や、【息子】くんが食べこぼしたご飯粒は下に落ちるけど、お月さまは落ちてこないでしょ。リンゴでもご飯粒でも、人間の作った機械でも、月のように高い所で月と同じように動かせば落ちてこないんだよ。みんなの役にたつ機械を、ロケットで空に上げて落ちてこないように地球の周りを回るようにしたのが人工衛星だよ。

説得の甲斐あって【娘】は『NASAより宇宙に近い町工場』をさっそく読み始め、面白がっている。諦めずに薦めてよかった。読みながら、「ロケットが音速を超えて飛ぶとどうしてバーンって大きな音がするの?」とか聞くものだから、

ロケットが進みながらたてる音が一度に届くからだよ。ゴキブリをいっぱいまき散らしながら走っている人が、もしもゴキブリと同じ速さで走ったら、その人がここに着くのと、あちこちでまき散らしたゴキブリがここに着くのが全部同時になっちゃうでしょ。それと同じこと。

と説明したら、理屈はわかったようだけど、さすがに気持ち悪がられた。そりゃそうか。


2013年2月3日(日)くもり

小学校の音楽発表会。ただし【娘】は解熱後やっと一日で、まだ出席停止状態。朝8時に【息子】を学校に送り届け、いつものコーヒーショップでひと息つきつつ、竹内外史『層・圏・トポス』の第二章の始めのところを「直積とイコライザのある圏にはプルバックがある」の証明くらいまで読む。そろそろ時間かなと出向いてみると、例年どおり体育館は満員。ちょうど【息子】を含む2年生がステージに上がりだすところだった。【息子】も大人しく整列していたが、遠目にはなんだか、ふざけて得意技の「志村けんの顔真似」をしているように見えた。まあそれはともかく、【息子】が他の子たちに混じってちゃんと集団行動を取っていることを確認して、俺もひと安心。次の3年生の発表を聞きかけたところで、なぜかめまいがしてきて、じっと立っているのが辛い状態になったので退出。今度はアマンダコーヒーに行って焼きたてのソーセージパンを食いカフェモカを飲んだ。昨日コミセンの図書館に行ったのに自分が二週間前に借りていた本を返せなかったのがさすがに気になっていたので、仕事部屋にちょっと寄って本を回収し、それから小学校に舞い戻って【息子】と電車で帰宅。

パンダのアイコン

午後は昨日に引き続き、ひとりでコミセンの図書館に行った。数学の本を二冊と、橋爪大三郎『はじめての言語ゲーム』、植松努『NASAより宇宙に近い町工場』、メアリアン・ウルフ『プルーストとイカ』を借りる。ダイキで【息子】が学校で使う図工の材料を買い、ダイキで【娘】が小銭を溜める貯金箱を買って帰宅。春めいた暖かな日だったが、建物の中はお構いなしに暖房中。冬服に厚い上着を着て歩きまわった俺はすっかり汗ばんでしまった。

節分とて、夕食は鰯の煮付け。それから炒り豆。うちでは間違っても太巻きまるかぶりなぞせぬ。

パンダのアイコン

夜、ひとまず植松努『NASAより宇宙に近い町工場』(ディスカバー21)を読む。なかなかいい。

著者は、北海道夕張市のとなり町、さびれゆくかつての炭鉱の町で、リサイクル作業場のパワーショベルに装着する電磁石ユニットを作っている町工場の社長。この電磁石ユニットが事実上シェアを独占していて、けっこうな利益を上げているが、彼の会社では、他の事業として「宇宙開発」をやっている。こちらはまったく「利益」を生まないが、北大の先生と共同で固体燃料小型ロケットの開発をし、人工衛星を作り、世界に3台しかない微小重力実験場の一つを自作して世界中の研究者に利用してもらい、共同研究を通じてノウハウを交換する。そうしたことを通じて、決してお金で買えない、価値のあるものを得ているという。この宇宙開発事業は、この世から「どうせダメ」という言葉をなくしてしまうための手段だと、著者は力説する。

“夢”が大好きなどこかのブラック経営者さんたちとはひと味違う、実績に裏打ちされた力強い楽観主義がすばらしい。読んでいてこっちも元気が出る。そして、それだけでなく、普段の子供らや学生さんたちへの接しかたなどについて反省を促されたのも確か。

これは妻や、とりわけ【娘】にも読んでほしい本だ。だが妻はともかく【娘】はどうだろうな。この本は先日Skypeのメッセージでチャットしたときにのうこ (@noukoknows…っても、鍵アカだからみなさん読めないですね) に薦められた本だが、俺はこれまで人に薦められた本は今回のような少数の例外を除いてほとんど読んだためしがないし、とくに親が持ってきた本だけは絶対に読まなかった。【娘】はそんな俺の娘で、俺に似て少々偏屈なところもある。まあしかし本の趣旨に沿うなら、どうせ読まないだろうからと諦めるんじゃなくて、読んでもらうためにどうするかを考えなくちゃ。たとえば先に著者のことを話して聞かせるとか。


2013年2月2日(土)はれ

期末テストの採点と点数の集計をすませた。午後にはインフルエンザの解熱直後で外出できない【娘】になり代ってコミセンの図書館に行って本を借り換えてやる。もちろん【娘】の読みたい本を俺が選べるわけもないが、先日買ってやった江戸川乱歩の「少年探偵」シリーズ2冊は気に入ったようだし、これなら迷わずに見つけられるので、このシリーズから5冊借りて帰る。本当は俺の借りた本の返却期限もきょうなのだけど、本は職場に置いてあり、大学ではきょうAO入試をやっていて、俺の仕事部屋はその面接会場廊下をへだてた斜向いだ。これは迂闊に近づかないほうがいい。


2013年2月1日(金)あめ

午後、ツイッターのTLを見ているうちに、だんだん気持ちが憂鬱になってきた。だがそれはフォローしているツイッターユーザの発言のせいではない。むしろ原因はハッキリしている。火曜日に実施した期末テストの採点に手をつけていないことだ。これまでにも、こういうことはよくあった。滞っているタスクのことが気になって他のことをする邪魔になるというのは、いたって正常な心の動きではあるが、滞っているといっても、今回は自分が面倒くさがって先伸ばしにしていただけなのだから、情ない話である。来週の火曜日には採点を済ませて返却できるようにすると約束してあるので、結局、週末に家でやるほかなくなる。仕事を先伸ばしにしてロクなことがあったためしはない。さしあたり、解答と一緒にわたす解答例プリントだけは作ったのだが。

夕方、いつものようにピアノに行く。ツェルニー30番の第3曲を終えて、つぎの第4曲もなかなか綺麗な曲だが、綺麗な曲を綺麗に弾くには、強弱のバランスが大切で、これがまた難しい。先日の講師コンサートの感想を聞かれたので、電子楽器やスクリーンの使用はスポンサーとの関係で止められないんでしょうから、もう割り切ってカメラワークや照明なんかにも凝ってショーアップする方向で考えるのもひとつの方法かもしれません。中途半端なのはよくないです。という意味のことを言った。しかし、音楽教室の先生は芸人ではないのだから、ショーアップといっても限度はあるだろうな。

レッスン後、ミスドに寄ってドーナツ食ってカフェオレ飲んで、少しだけリード『初等代数幾何講義』を読んだ。それから電車で帰宅。雨の中をパソコンと期末テストの答案と本とiPadとその他モロモロを持ち帰るのは大変だった。あとで計ったら、荷物は13kgあった。

夜、【息子】が『あたたかい木』(くすのき しげのり 作、森谷明子 絵、佼成出版社)を音読してくれた。あの『ええところ』の作者くすのき先生の作品で、まことにけっこうなお話なのだが、それについては皆さん読んでいただくことにしよう。「あたたかいき」とか「わかいしょくぶつがくしゃ」とか、読みにくい言葉を含むお話を、それでも【息子】がいっしょうけんめい音読したあとの夫婦の会話:

「あたたかい木は、とっても背が高かったんだって」「たかいあたたかい木!」
「木の幹が真っ赤だったかもしれないよ」「あかいたかいあたたかい木!」
「根っこにつまづいて転んだら痛いよね」「いたいあかいたかいあたたかい木!」
「とっても硬い丈夫な木材になるだろうね」「かたいいたいあかいたかいあたたかい木!」
「どんな音がするか叩いてみたいね」「たたきたいかたいいたいあかいたかいあたたかい木!」

妻子が寝入ってから、とにもかくにもテストの採点に手をつけ、5問中2問を片づけた。今夜これだけやっておけば、明日には全部済むはず。