て日々

2012年12月


2012年12月31日(月)はれ

なぜ除夜の鐘は百八つなのか。

百八煩悩の起源については、「四苦八苦」から4×9+8×9=108と計算したのだろうと思っていたが、念のため調べてみたら、その他にも幾つかの説がある。眼耳鼻舌身意の六根それぞれに好・悪・平の三つの状態があり、そのそれぞれに染・浄の二つの状態があり、それらを過去・現在・未来の三世に割り当てた結果6×3×2×3=108となるという「六根説」。十二ヶ月・二十四節気・七十二候で12+24+72=108となるという「七十二候説」。108という数は、半端なようだが、108=2×2×3×3×3 なので約数も多く、いろいろな数合わせができる。そのことから、いろいろな説が生まれるのだろう。

こういうものの起源というのは簡単にはわからないものだが、上に挙げた三つの説のなかでは、どうも「六根説」に分があるようだ。そもそも百八煩悩が日本起源の説ではなさそうなのに、その起源が九九からのダジャレ的連想であるとは思えないだろうというのが「四苦八苦説」の弱点。二十四節気と七十二候を足すまではいいが、それへ四季を足すならまだしも、十二ヶ月を足すのはカテゴリー的に美しくないというのが「七十二候説」の弱点。「六根説」にはこれらの弱点はない。

とはいえ、掛け算九九とて、もともと古代に中国から伝来したもの。また「苦」と「九」は漢音では発音が異なるが呉音では同じ発音になるようだ。となると、「四苦八苦→百八煩悩」という発想が古代中国で行なわれた可能性も無下に否定できない。七十二候は、たとえばいまの時期なら「雪下出麦」を「ゆき わたりて むぎ いずる」と大和ことばで読んだりするから、日本のものかと思ってしまうが、これも古代中国の暦に起源があるらしい。とすると「四苦八苦説」と同様「七十二候説」も簡単には否定できない。ひとつの鍵として、スリランカの南伝仏教にも百八煩悩という考えかたがあるようなら、「四苦八苦説」も「七十二候説」も棄却されることになるだろう。いっぽう「六根説」だったら古代インドまで遡ってもおかしくはない。あと余談だけど、数珠の珠の数も108と決まっているから、仏具として数珠を使う習慣の分布から何かわかるかもしれない。

このように百八煩悩の起源をめぐっていろいろなことが考えられるわけだが、マジレスすれば、人の煩悩なんてものは、雑草のごとく次から次へと生えてくるもの。「方丈記」に《かつ消えかつ結びて久しくとどまりたるためしなし》という澱みに浮かぶ泡沫のようなものであるから、本来、それを数えあげたり分類したりすることに、それほど意味はない。煩悩を数えようなんていう発想はそれ自体がひとつの煩悩である。せめて大晦日の夜くらい、心を静かにして除夜の鐘を聴くにこしたことはない。

〜*〜*〜

次に、なぜ初夢は正月二日の朝の夢なのか。

これはきっと、夜明けとともに一日が始まるという数え方に由来する。元日の御来光があたらしい年の始まりということになれば、いまの考えで元日から二日にかけての夜がその年初めての夜ということになる。だから、その夜に見た夢が初夢ということになる。そういうことなのだろうと思う。

所変わればなんとやら、ヘブライやイスラムの発想では、日没とともに一日が始まる。ずいぶん前の話だが、神戸の角田譲先生が主催したある研究集会にヘブライの篤信家であるRichard A.Shore先生が招かれたとき、金曜日の夕方に「日没までに宿につかないと困る」といって大慌てでやってきて、すぐに部屋に引っ込んで翌日の夜まで姿を見せなかった。これはどういうことかというと、ヘブライの教えでは土曜日が安息日で一切の生産的な活動が禁じられ、そしてその安息日は真夜中ではなく日没から、つまりわれわれの感覚でいうと金曜日の夜から始まるというわけ。クリスマスが12月25日なのにクリスマスのミサは24日の夜に行なわれるというのも、きっとそういう理由で、われわれの感覚でいうところの24日の夜は、かの地の感覚では25日の夜なのだ。

やる気のないあひる

ようやく好天となった。年末恒例のプリウスの車内清掃をし、夜になってからやって来た義弟ヨースケくんを交えた七人で、これまた恒例となった鴨鍋を食いつつ、一年を振り返る。今年はまあとにかくいろいろあった。来年はいい年にしたい。


2012年12月30日(日)あめ

例年どおりきょう一日だけ義父が本家に帰る。これまで【娘】を毎年連れていってくれていたが、今年は【息子】も一緒だ。俺と妻と義母だけになると、家のなかがとても静かである。

昼食を作る。スーパーで売ってるさぬき麺心の生パスタ、フェットチーネに、自家製トマトソース。それはまあ、いつもの料理だが、サイドディッシュのサラダがうまく作れて満足。

8日前に半分読んだと言っていながら、やっとのことで、M.マシャル『ブルバキ 数学者達の秘密結社』(高橋礼司訳,シュプリンガー2002年)を読み終えた。どうもこんなペースでは生きているうちに積ん読の解消はおぼつかないなあ。しかしあきらめずに読み続けるとしよう。


2012年12月29日(土)くもり

パンツと靴下は替えを沢山持ってきたが、なぜかアンダーシャツの洗濯替えがない。靴は縫い目が綻びて雨の日の使用には堪えない。昨年のピアノの発表会の日に三千円弱で買った靴だから、もうそろそろ買い替えてもよいだろう。というわけで、ゆめタウン柳井に行き、アンダーシャツとステテコと靴を買う。

サンタさんが【息子】にくれたプレゼントは、古典的なペントミノをアレンジして難易度の幅を広くした、カタミノという木のパズル。【息子】にはもうひとつピンと来ないようで、むしろ俺や妻が喜んでしまっている。

ペントミノ
このカタミノで本来のペントミノに挑戦した。
なかなか難しかったが、好運にも正しい解を見つけた

カンさんにもらった無農薬レモンのおかげでカクテル作りが楽しい。だが、思うところあって酒を控えることを宣言している身なのだから、義父に勧められるままに飲むということも、そろそろやめよう。


2012年12月28日(金)はれ

18日に提出してもらったレポートの採点をする。出題時に「上端二箇所をホッチキスでとめなさい」と指示したので、全員それに従ってくれたのだが、意味を少々取り違えた人が数名あった。

上辺の左右に離れた二箇所にステープル
こちらの意図した処理はこれ

左上隅一箇所に二つのステープル
まあ、これも二箇所とめたのではある

誤解の余地のある指示を出したのは俺だが、しかし誤解した人たちは俺が何を思うてこの指示を出したと思ったのだろうか。ホッチキスでとめると言えば左上隅一箇所という先入主があることはじゅうぶんに想定できる。その上で、ステープルが一つでは弱いので二つとめろという意味に取ったのかもしれない。ただ、もしかして「二つとめる理由はわからんが、教師というものはえてして不条理な要請をするものだ」という先入主があったのだったら、ちとやりきれない。


2012年12月27日(木)はれ

午前中、伊予市郊外にある知人の果物農家を訪ねる。彼らは俺たち夫婦と一緒の吹奏楽団に所属していたかつての音楽仲間で、ご主人はユーフォニアム吹き、奥さんはバリサク吹きである。ご主人の音楽修行のために一時期カナダに渡って、音楽より農業の修行をして帰ってきたという、それだけ見ると変わった経歴。だが、柑橘類を無農薬で育てるという、聞いただけで気が遠くなりそうな大変な仕事を、自分たちだけでイチから始めてちゃんと事業として軌道に乗せているのだから、なかなかのスゴ腕である。とはいえ、夫婦とも、ちょうど今日の日差しのような、温厚な柔和な人柄である。前回われわれが会ったのは二人がカナダに渡る前で、まだ【娘】が揺り籠に収まっていた頃だから、11年ぶりということになる。しばし旧交を温め、おみやげに規格外になったレモンや蜜柑をいろいろと頂いた。

うちの子供らの校区のお店にも納品しているというし、ご近所の方はどうぞご贔屓に。Kahn's Fruits

菜の花の来る居咲き
田んぼにひと株だけ、季節外れの菜の花が咲いていた

午後の船で伊保田に渡り、一時間ちょっと車を走らせて妻の実家へ行く。


2012年12月26日(水)くもり

同僚のOg2さんが Coarse Geometry のいわゆる coarse structure というのを教えてくれた。一様構造 (uniform structure) というのが空間内の二点の近さというものの数学的定式化を与えるように、coarse structure は空間内の二点が “あまり離れていない” ということの数学的定式化を試みるものになっている。一様構造とcoarse structureの両者とも、距離空間の構造を一般化したものになっているが、これは「近さ」と「遠さ」の両方ともが距離関数によって表現できることに由来していて、一様構造が「近さ」を表現し「遠い」ということを表現しない一方で、coarse structure は「遠さ」を表現し「近さ」を表現できない。だからこれら二つの空間概念は間に距離空間の概念を挟んで両側に対峙しているかっこうになる。局所コンパクト・ポーランド空間の場合は、位相と両立する coarse structure はコンパクト化と対応しそうに思われるが、このあたりはまだきちんとはわかっていないらしい。ふむ。なかなか面白い。

蛇足ながら解説する.集合 \(X\) 上のcoarse structureとは \(X\times X\) の部分集合の族 \(\mathcal{E}\subset\mathcal{P}(X\times X)\) であって,次の条件をみたすもののこと:

  1. \(X\) の対角線集合 \({\mit\Delta}_X:=\{\,\langle x,x\rangle\,:\,x\in X\,\}\) は \(\mathcal{E}\) に属する;
  2. \(E\in\mathcal{E}\) のとき \(E^{-1}\in\mathcal{E}\);ただし \(E^{-1}=\{\,\langle y,x\rangle\,:\,\langle x,y\rangle\in E\,\}\)
  3. \(E_1\in\mathcal{E}\),\(E_2\in\mathcal{E}\) のとき \(E_1\cup E_2\in \mathcal{E}\);
  4. \(E\in\mathcal{E}\),\(E'\subset E\) のとき \(E'\in\mathcal{E}\);
  5. \(E_1\in\mathcal{E}\),\(E_2\in\mathcal{E}\) のとき \(E_1\circ E_2\in\mathcal{E}\) ;ただし \(E_1\circ E_2=\{\,\langle x,z\rangle\,:\,(\exists y)[\,\langle x,y\rangle\in E_1\land \langle y,z\rangle\in E_2\,]\,\}\)
  6. \(X\) の任意の2要素 \(x\) と \(y\) について \(\{\langle x,y\rangle\}\in\mathcal{E}\).

これに対して,集合 \(X\) 上の一様構造(uniform structure)とは \(X\times X\) の部分集合の族 \(\mathcal{U}\subset\mathcal{P}(X\times X)\) であって,次の条件をみたすもののこと:

  1. \(U\in \mathcal{U}\) のとき \({\mit\Delta}_X\subset U\);
  2. \(U\in\mathcal{U}\) のとき \(U^{-1}\in\mathcal{U}\);
  3. \(U_1\in\mathcal{U}\),\(U_2\in\mathcal{U}\) のとき \(U_1\cap U_2\in \mathcal{U}\);
  4. \(U\in\mathcal{U}\),\(U\subset U'\subset X\times X\) のとき \(U'\in\mathcal{U}\);
  5. \(U\in\mathcal{U}\) のとき,ある \(U'\in\mathcal{U}\) について \(U'\circ U'\subset U\).

どことなく,両者は双対になっているように見えるが,そのあたり,どうだろうか.両者を結びつけて,遠くも近くも面倒を見られる構造を作れないだろうか.

昨日と今日の二日にわたって位相空間に関連した面白い話を聞いたので、ひさしぶりに森田紀一『位相空間論』(岩波書店1981年)を書棚から引っ張り出して繙いてみる。いや、この本が長らく版元で品切れなのは残念なことだ。

歩数計カウント9,586歩。


2012年12月25日(火)くもり

函館の村重先生と大分の家本先生を迎えての昼食会と数学談話会と懇親会が催された。この頃は開講期間中の授業コマ数確保を厳しく求められるようになったもので、集中講義となるとどうしても夏休みや冬休みを削ってやることになる。学生さんたちも大変だが、講師の先生がたもそれに劣らず大変だ。

家本先生の談話会講演はたいへん興味深かった。Vietoris位相を入れた超空間の位相構造という、一般論としてはたいへん難しい領域の研究なのだが、対象となる底空間を順序位相を入れた順序数に限ることで、多少なりとも見通しよくまとまった結果が得られる。それでも思いがけず基本的なところに未解決問題が残っている。しかもそれが、いかにも集合論研究者の関心を引きそうな \(\omega\) 上の組合せ論に関する問題に翻訳できそうなのだ。ただまあ、いろいろのことに配慮してここに詳しくは書かないことにする。知りたい人は平田さんと家本先生の論文を読むよろし:[Yasushi Hirata and Nobuyui Kemoto “Orthocompactness versus normality in hyperspaces,” Topology and its Applications 159 (2012) pp.1169-1178]

俺としては、離散空間 \(\omega\) の超空間に入れたVietoris位相が、無限ラムゼイ定理との関連で導入されたEllentuck位相に一致する事実を家本先生に伝え、Ellentuckの1974年の論文のコピーを手渡した。\(\mathcal{P}(\omega)\) 上のクラシカルな距離空間の位相はコーエン強制に、Ellentuck位相はマサイアス強制に対応している。先日のトンプソン群に関するJ.T.Mooreのプレプリントでも使われていたように、ラムゼイ理論もこの頃また結構な盛り上がりを見せている。このあたりから家本先生の未解決問題への突破口が開ける可能性がなくもない。

それにしてもえらく寒い。懇親会でビールを飲んで酔っ払ったのと寒いのとで、歩いて帰れる自信がなく、二番町から珍しくもタクシーで帰宅。月がきれいな夜。歩数計カウント6,550歩。


2012年12月24日(月) 振替休日はれ

俺は家で昼まで寝ていたが、子供らは午前中に教会学校のクリスマス祝会で聖誕劇に参加した。妻はまたまた某巨大ショッピングモールの医務室のバイト。日が日だけに、おそらく恋人たちの坩堝となるに違いないかのショッピングモールの面白い土産話が聞けるかもと、下世話な期待をちょっとだけしていたが、とくにトラブルもなく業務は静かに終了したそうだ。それはなにより。

pork-ginger-20121224.jpg

夕食にはポークジンジャーを作った。つけあわせには、マッシュポテト、レタス、茹でてドレッシングに漬けたパプリカ、大豆もやしのポン酢和え、グレープフルーツ。これに白ご飯と、昨晩食ったフライドチキンの鶏ガラでダシを取った野菜のスープ。飲みものは、いただきもののフランス産スパークリンググレープジュース。地味ながらそれなりに豪華な晩飯になった。感謝感謝。


2012年12月23日(日) 天皇誕生日はれ

今朝の夢では、俺はミルカさんばりの才媛美少女三姉妹と食事しつつ会話していた。我々がいたのは、なにかイベントホールとレストランと会議室が同居している公共的な建物のようで、ホールの周りでは折しも若いバレリーナたちが舞台衣裳の準備をしていた。そんなこんなで眼福な夢だったが、どうしてそういう夢を見たのかはよくわからない。それに、残念なことに、才媛たちとの会話の内容もどうしても思い出せないのだ。とても示唆に富んだ知的な会話をしていたはずなのだが。

近所のマルナカで WAONカード なるものを作った。MacBook Proにインストールした GNUPLOT をバージョン4.6.1 にアップデートした。夜には第3回関西すうがく徒のつどいの運営会議に参加した。


2012年12月22日(土)くもり

今日も妻は某巨大ショッピングモールの医務室のバイト。俺は子供らと留守番をする。昨日のレッスンでツェルニー三十番練習曲の第1曲はマルをもらったので、今日からは第2曲をさらう。

水曜日の日記に書いたように、いま手書きということを見直そうと思っているところ。ボールペンのゼブラ手書きのすすめ というWebページを発見。


2012年12月21日(金)あめ

M・マシャル『ブルバキ - 数学者達の秘密結社』(高橋礼司訳、シュプリンガー数学クラブ2002年)をいま読んでいるところ。ブルバキは1930年代に、微分積分学の新しい教程を作る活動として発足したフランスの数学者の秘密結社であり、数学の全領域の基礎事項を公理的に扱った浩瀚な『数学原論』の刊行をその目的としている。(彼らの方法論はしばしば「構造主義」の名で呼ばれ、レヴィ=ストロースの人類学やフーコーの思想史との関連で語られる。)集合論が「数学の基礎」の地位というか評判を最終的に確立するにあたって、このブルバキの『数学原論』が果たした役割は大きい。

19世紀の終りから20世紀の最初の数年のあいだ、ボレル、ベール、ルベーグという「フランスのトリオ」がカントールの集合論を学んで解析学の刷新を試み、ついで選択公理論争と時期を同じくしてその試みから撤退し、古典解析の世界に戻っていった、その間の事情に俺は興味がある。つまり、本当の興味の焦点はブルバキ以前の世代にある。

集合論による解析学の刷新という課題は、ボレルらによってひとたび放棄されたが、ポーランドやロシアの数学者の貢献を経て、第一次世界大戦後にブルバキによって一応の達成をみた。解析との関係という視点から集合論の発展史をたどるにあたって、そのあたりの事情を無視しては通れない。で、半分しか読んでいない段階でいいかげんなことは言えないのだけど、ブルバキ世代とそれに先立つ世代の断絶は誰よりもブルバキ自身によって強烈に意識されていたらしい。そして、その断絶の最大の理由は第一次世界大戦がもたらした人的損害だろうけれども、どうもそれだけではない。というのも、敗戦国ドイツにおいてそのような断絶は、少なくともフランスのような規模では、見受けられなかったからだ。

ルベーグの積分論から派生した集合論の話題の流れを追いかけるのが当面の目的なのだが、話は思いのほか大きく広がっていきそうだ。もちろん、話に広がりと奥行きがあろうと思えばこそ、その流れを追う気になっているわけなんだけれども。

やる気のないあひる
やる気のないあひるやる気のないあひる

話は変わる。せんねん灸に火をつけるために、これまでは昨年の春に中華料理店でもらったマッチを使っていたが、さすがに使い切ったので、ライターを買おうと思ってひさしぶりに大学生協に行った。書籍部の数学書の棚を見ると「数論」という札の付された区画があって、そこには前原昭二先生とか竹内外史先生、田中一之先生なんかの数理論理学の本と、本橋洋一さんの「ゼータ解析」とかヴィノグラードフの『整数論入門』などなど整数論の本が、ごちゃまぜに置いてある。たまたま先客でいた整数論専攻のヤマサキP准教授とふたりで苦笑した。だけど、二年後に開講される新設科目「数理論理学」のことを、学生さんたちが「すうろん」と略称するようになる可能性は否定できない。

ツイッターでそういう話をしたら、それに対してカダくんが言うには、かの○府大理学部では、学部の一年生がすでに「しゅうろん」に取り組んでいるらしい。つまり「集合と論理」だ。

やる気のないあひるやる気のないあひる
やる気のないあひる

冬至だとてスーパーで柚子を買い、風呂に浮かべる。香りを楽しみつつ湯につかって身体を温めた。もっとも、柚子の成分の効果というより、表面をこすったり揉んだりしてにおいをかいだり、お湯に投げ入れたりの遊びが面白くて、普段より長く湯に入っていたというのが本当のところ。なんだかサルみたいだ。

歩数計カウント10,426歩。


2012年12月20日(木)くもり

ぼんてんぴょん!

藪から棒にいったい何だろうと思った方は 《こちら》 をご覧ください。別段、日記のタイトルが変わったわけではありませぬ。

やる気のないあひる

大学に行く途中のドラッグストアで新しい歩数計を買った。大学の自分の部屋の個人持ちの本を整理したらヘトヘトになった。なにしろ体力がない。それで、帰りにはまた別のドラッグストアに寄って香醋のサプリとサロンパスを買った。サプリはまあ、気休めにはなるだろう。

歩数計カウント6,478歩。

そういえば昨日と一昨日の日記はずいぶん素っ気ないものになってしまった。水曜日のゼミのことも、火曜日に『括弧の意味論』を読み終えたことも書いていない。理由は火曜日の夕方以降ちょっと体調が優れなかったからで、他意はないのだ。だけど、日々のことを書くのをやめてしまったら何のための「て日々」かわからなくなってしまう。なので、いまさらながら追記。


2012年12月19日(水)くもり

きょうは試しに雑記帳に手書きした内容をそのままここへ載せてみる。

*雑記帳のほかにテーマ別のお勉強ノートを持つこと
*小学生の書きとり練習帳も使ってみよう(字を書けるようになろう)
*ゼミの指導記録もちゃんと残そう

雑記帳は自分には必須だけれども、それだけではいつまでたっても 自分の頭の中が雑記状態を脱しない。頭の中で物事を整理できないならせめて紙の上で整理しよう。つまり、清書すること。

雑記帳は雑記帳と割り切って、残す必要があるたびに清書しようか。

このLogicalは確かにいい。このシリーズのノートと“スラリ”か“サラサ”か“ジェットストリーム”という組合わせが自分にはいいだろう。ここで安上がりにしようなんて考えなくていい。

手書きすることも大切だ。俺にはパソコンだけではどうもダメみたい。

そんなわけでフジグランにステテコを買いに行き、そのついでに蛍光ペンを2本買い足した。電子化は公開とアーカイブの段階では不可避だが、生産段階では形を気にしないでいちばん効果的な方法をとろう。

家でよく見たらステテコでなくモモヒキだった。まあいい。

あえて編集せずにそのまま載せているので、書いていることも「何をいまさら」という内容だし、作文のできぐあいとしても、とくに最後から二番目の段落などひどいもんだ。ちと恥ずかしい。高校生大学生の頃はそれなりに授業のノートというものをとっていたはずだが、それ以後は勉強したことのノートはレポート用紙に書いて区切りのいいところで綴じるという方法をとるようになった。その後パソコンを使うようになってからは、手書きのノートはごりごり計算したり思いつきを書きつけたりの雑記帳ばかりになったというわけだ。その状態で10年近くが過ぎ、ようやくこの10月あたりから再び、きれいなノート作りを心がけるように、考えを改めたところ。

蛇足ながら、Logicalというのはナカバヤシの「スイング・ロジカルノート」という大学ノートのこと。“スラリ” “サラサ” “ジェットストリーム” はいずれもボールペンの商標。いろいろ試したが、ノートとペンはそれぞれ、ロジカルノート(とくにクラシックB罫)とサラサクリップ0.5またはスラリ0.7という組合せに落ち着きそうだ。

翌日追記:《ゼミの指導記録もちゃんと残そう》なんて殊勝なことを書いているわりに、日記にゼミのことを一言も書いていなかった。年内のゼミの予定はこれで終わりと、一言のたまはせぬほどの、ひがひがしからん人のおほせらるること、聞き入るべきかは。返すがへす口惜しき御心なり。0-1くんは新キューネン本のI.9節を済ませ、910くんは新井本の4章を終わらせた。それで来週はゼミをやらないことにした。これで俺にとっても年内の授業は済んだことになる。といっても、授業以外の仕事がいろいろあるので、まだ冬休みというわけにはいかない。

後日追記:雑記帳には、「雑記帳は雑記帳と割り切って、云々」というパラグラフの前にもう一個、次のパラグラフがあった。なぜここへ転記し忘れたのかは謎。(2012年12月21日)

計算用紙はもっとぜいたくに使うべきだ。B4くらいの白紙を広げてちまちまやるとか。ページが改まると計算がわからなくなったり、ノートだと話題が混ざるのを怖れて前のページの余白にチマチマグチャグチャ書いてしまう。見通しがよくない。


2012年12月18日(火)くもり

朝、大学に行ってみるとMcYNくんがきて、これから先について思うことをいろいろ報告してくれた。午後、授業。ホモトピー同値なら基本群は同型、という話まではよかったが、ホモトピー同値の例の説明がぜんぜんうまくいかず、しまいには前でわあわあ喋っているだけというナサケナイ状態になった。しょんぼり。夕方、McYNくんと同期の卒業生ヒロカーズくんがわざわざ島根から訪ねてきてくれた。就職が決まったとのこと。それはめでたい。

後日追記:この日、木村大治『括弧の意味論』を読了。括弧の使用という言語学の本流からは等閑視されやすい現象に着目し、さらに広く括弧的現象というべき行為全般を考察する。括弧入れによる、文脈からの切り離しと他の文脈への接ぎ木の可能性、そして、特定の部分を現在の文脈から浮き立たせることによって他の世界への参照として「投写」する行為、それらが言語というものの使用にとっていわば本質的なものであることを結論づける。なにしろ話題の広がり方がワイルドというかアナーキーで、とても面白い本だったので、言語に関心のある人にはお薦めしたい。ただし、必ずしもわかりやすくはない。(2012年12月20日)


2012年12月17日(月)くもり

いつものように明日の授業の準備をする。せっかく「ホモトピー型が同じなら基本群は同型」の証明まで話が進み「リトラクト」の定義にも手が届こうというところなのだから、ブラウワーの不動点定理の話もしたいところだが、明日の時間内にというわけにはいきそうにない。なので、冬休み中に残り3回の内容を確認しつつ、時間がとれないか検討することにする。

数日前にどこかで言ったが、ここまで来ておいてブラウワーの不動点定理(の2次元版)の話をしないのは、なんというか、松山に来て道後温泉に入らないような、金沢に行って兼六園を見ないような、奈良に行って大仏さまに詣でないような、そういうタイプのもったいなさだと思う。

やる気のないあひる

ここでのもったいなさは「京都に行って金閣寺を見ない」もったいなさよりも大きく、「伊勢に行って神宮に詣でない」もったいなさよりは小さい。京都に観光に行って金閣寺を見ないというのはありうる。東京に行ってスカイツリーを見にいかないというのもありうる。なにしろ、他にも見るところがありすぎる。授業の題材を選ぶには、そういう取捨選択はつねに必要だ。いっぽう、伊勢に行って神宮に詣でないとか琴平に行って金比羅宮に詣でないというのは、わざわざそこまで行く理由がもはやわからないくらいのことである。ブラウワーの不動点定理に言及しなくても、この授業がそこまで無意味になるわけではない。もったいなさの度合いとしてその中間どころの「松山に来て道後温泉に入らない」「金沢に行って兼六園を見ない」「高知に行って桂浜を歩かない」くらいが、この場合の喩えとしてちょうどよい。

夜、昨年12月の日記に恥ずかしい間違いを発見して修正。いや、これは情けない。


2012年12月16日(日)くもり

きょうも朝昼晩と妻がいないので俺と子供らで過ごす。午前中、子供たちが教会学校に行っているあいだに、夕食のおでんの仕込みをしておく。それから3人で出かける。散歩がてら衆院選の投票場まで歩き、それからフジグラン松山へ行ってフードコートの「チャーリーラーメン」で昼食。売り場を適当に見てまわり、それから宮西のブックオフへ移動。これまた適当に見てまわるが、何も買わずに退散。ただし、あとでダイソーで【娘】に色画用紙、【息子】に将棋セットを買ってやった。【娘】はクリスマスの飾りを自作したいというし、【息子】は どうぶつしょうぎぷよぷよ のような対戦パズルゲームが大好きなのだ。

子供らを寝かせたあとは、iTunesでニコライエワの弾くバッハを聴き、先日買った福井直樹『新・自然科学としての言語学』(ちくま学芸文庫2012年)の第3章を読みながら、いつもより早く寝てしまう。


2012年12月15日(土)あめ

午後、コミセンの図書館に行く。思いたって日本の宗教史関係の本を4冊借り、それとは全く別系統の言語学の本、木村大治『括弧の意味論』(NTT出版2011年)を借りる。まだちょっとしか読んでないが、これが大変面白い。週刊誌の見出しの括弧の使用率についての定量的な調査から始まって、話は、庵点(つまり歌いだしの記号〽)、現象学的還元、革マル派機関誌のアジ文、デリダ=サール論争、ラムダ計算、などなどに広がっていく。でもまだ読みかけだから、これ以上のことは、読み終わってから書くことにする。


2012年12月14日(金)あめ

ピアノのレッスン。先月決めた方針に従って、来年の発表会の出し物を決める前にツェルニー30番をしばらく見てもらう。いつものことながら、ついつい力が入りがちになるところを注意される。

ピアノに限らず、脱力が必要だ。これからは普段の生活のなかでも、身体に余分な力が入っていないか意識したほうがいいと思う。歩いているとき、書きものをしているとき、足腰や肩に無意識に力を入れていないだろうか。それから、火曜日の日記にちょっと書いた「すれ違う人たちの視線を意識して表情を作ったり」云々というのもそうだ。なにも普通に歩いているときに、わざわざ難しい顔をしていなくてもいいのである。普段どうでもいいところで身体に力が入ってしまっていると、肝心のときに身体が硬くなって失敗したり、あるいは疲れて実力が発揮できなかったりすると思うのだ。


2012年12月13日(木)はれ

いつもの医者でいつものドクターにいつものような話をする。そして、いつもの薬をもらう。そのいつもの薬なのだが、このたびジェネリック医薬品というやつに替ったらしい。いつになく早く診察が終ったので、帰り道に家電店に寄って、ちょっとした買い物をする。


2012年12月12日(水)はれ

ゼミ。0-1くんは新キューネン本第I章9節の演習問題。910くんは新井本4.6節の有限版ラムゼイの定理。なのだが、最後のラムゼイ数の評価式のちょっとした計算で910くんも俺ももたついて、普段より30分ほど長びいてしまった。

ツイッターで高校の数学の先生 @mathpico さんから聞いたこと。辺の長さの比が7:5:3になる三角形のうち長辺に対する各はちょうど120度になる。

マスピコ三角形

高校の数学で習う余弦定理を使うと,このことは \(\cos 120^\circ = -\frac{1}{2}\) ということから出てくる.

図の三角形において \(\overline{\rm BC}=3\),\(\overline{\rm CA}=5\),\(\overline{\rm AB}=7\) とすると,余弦定理 \[ \overline{\rm BC}^2+\overline{\rm CA}^2-2\overline{\rm BC}\cdot\overline{\rm CA}\cos\angle\mathrm{C}=\overline{\rm AB}^2 \] より \[ \begin{gather} 9+25-30\cos\angle\mathrm{C}=49.\\ \cos\angle\mathrm{C}=-\frac{1}{2}. \end{gather} \] したがって \(\angle\mathrm{C}\) は余弦がマイナス2分の1になる角で,120度とわかる.

ある角が120度になる三角形で三辺の長さが整数であるものを、仮に「マスピコ三角形」と呼ぶことにする。ピタゴラス三角形(三辺の長さが整数の直角三角形)の120度版だ。

で、きょうの帰り道にはこのマスピコ三角形を与える式について考えていた。結果だけ書けば、0と1のあいだの有理数 \(t\) に対して、三つの有理数の比 \(1+t+t^2:2t+t^2:1-t^2\) の分母を払って整数比に書きなおせばマスピコ三角形が得られる。図のマスピコ三角形 \(7:5:3\) は \(t=1/2\) の場合だし、\(t=1/3\) とすれば \(13:7:8\) であり、これもマスピコ三角形である。この第二のマスピコ三角形が二等辺三角形にかなり近い。…というあたりから話はまだ少し続くのだが、「て日々」を数式てんこ盛りにするのは10月にやって懲りたので、そのうちTeXで書いてPDF文書にしてどこかに公開することにする。俺の興味は \(\sqrt{3}\) の近似分数のほうへ逸れていった格好になるが、俺とは別の筋で @mathpico さんご本人がマスピコ三角形を探求しておられる様子が、ツイッターのログから窺える。


2012年12月11日(火)はれ

トポロジーの講義.普遍被覆の話.普遍被覆への基点の逆像がループのホモトピー類と一対一に対応することを証明し,そのことを用いて円周 \(S^1\) とトーラス \(T^2\) の基本群を決定する.そのあとは普遍被覆の被覆変換群が基本群と同型になることを証明抜きで述べておわり.次回はホモトピー型と変形リトラクトの話をして,円筒や五円玉が円周と同じホモトピー型を持つことを示す.時間に余裕があれば,平面二つの穴をあけた図形の話をしよう.これは8の字形と同じホモトピー型をもち,基本群は二元生成の自由群である.二元生成の自由群 \(F_2\) については一年前(2011年12月7日の「て日々」)にも書いたのでそちらを見なさい.その日の日記に載せたフラクタル図形が8の字形の普遍被覆になっているわけだ.あと,この講義では年明けの残り3回でジョルダンの閉曲線定理の話をする予定.

帰り道には集合論で自然数全体の集合 \(\mathbb{N}\) を「空集合を要素にもち演算 \(S(x)=x\cup\{x\}\) のもとで閉じた最小の集合」と定義した場合にペアノの公準が成立することの証明について考えていた.実はこの定義では,ペアノの公準のうち \(S\) が単射になることを示すところが一番やっかいだ.正則性公理を使えばなんでもないが,そうでないとしたら数学的帰納法で補助的な性質をいくつも示すことになる.

正則性公理を仮定しないと \(V\) 上の演算としての \(S\) が単射であることは証明できない.というのも,ZFCから正則性公理をとり除いた体系は \(a=\{b\}\),\(b=\{a\}\),\(a\neq b\) をみたす集合 \(a\) と \(b\) の存在と整合するからだ.順序数の演算としてはその体系においても \(S\) は単射なのだが,そのことはもちろん,きちんと証明されなければならない.

歩く前にそういうパズル的な問題を頭にインプットして,歩きながら考えるといい.本もペンもメモ用紙もパソコンもないから,考えている内容に意識を集中することになる.

おまけに,余計なことを考えずに済む.人間というものは因果なもので,とくに考えるべきことがないとき,本当に頭をからっぽにして歩ければいいが,たいていは「何も考えずに歩く」のではなく「考えてもなんにもならんことを考えて歩く」ということになる.すれ違う人たちの視線を意識して表情を作ったり,ひとを恨んだり,自分を呪ったり.まあ古人のいう「小人閑居して不善を為す」というのを地でいってしまう.そんなことしてるくらいなら,数学の問題を考えているほうがよっぽどいい.

ただし,前方と足元には注意.


2012年12月10日(月)はれ

熱は一晩で下がった。ゆるゆると仕事に行くが、事務室に持っていくつもりの京都のお土産を忘れていた。


2012年12月9日(日)はれ

宿をチェックアウトして、高知名物日曜市を見て回る。あと、坂本龍馬記念館と桂浜の龍馬像を子供らに見せたいと妻が言うのでそちらへ出向く。記念館の南側のガラス張りの部屋で太平洋を眺めながらひなたぼっこするのはとても気持ちよかったが、それ以後は、外が寒くて仕方がない。どうも体調を崩したようだ。それで、妻子が龍馬像を見に行ってる間は駐車場に停めた車で寝ながら待っていることにした。

帰路、南国の明るい陽光とうって変わって、国道33号線沿いの山中は積雪。途中で休憩をかねて、子供らを外で遊ばせる。帰宅後検温してみたら、やはり熱がある。あれもこれも放棄してさっさと寝る。


2012年12月8日(土)くもり

宿で朝食後、妻は学会へ出かける。俺と子供らは散歩に出かける。高知城に行き天守閣に上がる。それから「ひろめ市場」で昼食。商店街を歩いて「はりまや橋」まで行く。やすみやすみ歩いて戻り、冨士書房をちょっとだけひやかして、午後2時ごろ、宿に戻る。その後は、宿の部屋で子供らとトランプをしたりしながら妻を待つ。さいわい学会発表は有意義だったようで、戻ってきた妻はすっかりハイになっている。

写真:高知城公園のランタン 写真:高知城公園のランタン 写真:高知城公園のランタン

夜には4人揃って、再び高知城へ。「冬のお城まつり」というイベントで、城山がたくさんのランタンで飾られている。寒いけど楽しかった。


2012年12月7日(金)くもり

研究集会は午前中で終わった。俺はひとりで京都駅へ行くが、電車の時間まで2時間以上ある。東本願寺に行ってみた。京都育ちの俺はこの寺の前を何度となく通りかかっているのに、足を踏み入れるのは今回が初めてだ。先日訪ねた東大寺もそうだが、これまた大きなお寺である。予期に反してあまりたくさんの参拝者はいなかった。御影堂の畳に座って親鸞聖人の像を拝む。いまちょうど御門と阿弥陀堂の改修工事中だったのが残念だ。

先週の月曜日に行ったばかりだが、昼飯にはやっぱりアバンティの銀座ライオンに行くことにした。今回は西原さんのほかに、オープン時に厨房のチーフだった杉田さんにも会うことができた。ちゃんと覚えていてくださったようで、ありがたいことだ。四方山な話を30分ほどする。西原さんの注ぐ生ビールの飲めるうちに、次にはぜひ誰か知人を連れて飲みにこようと思う。

さて京都から「のぞみ」に乗り、岡山で瀬戸大橋線に乗り換えるところまでは同じだが、今回はいつもの「しおかぜ」と違って「南風」に乗る。目的地は高知。予讃線は海沿いだからまだ景色に変化もあるが、ひたすら山間部を走る土讃線に夜に乗ると、窓の外に景色というものが存在せず、あたりはただ一面の暗闇である。夜の7時まえに高知に着き、松山から車でこちらに向かっていた妻子と合流。妻の学会発表のための旅行である。


2012年12月6日(木)くもり

午前中の池上くんの講演は、まずΩ-ロジックの概要をわかりやすくまとめ、さらにそれとブール値二階論理の意味論との関係を述べるというもので、たいへん興味深かった。

研究集会のきょうの予定が宮元さんの講演で終わった後、カダくんの買い物につきあって四条河原町の高島屋に行く。京都に住んでいたころにはちょくちょく出向いたものだが、いまではずいぶんご無沙汰だ。たしか13年前の春に自分たちの結婚式の引出物を選びに来たとき以来じゃないかと思う。カダくんが7階催事場のギフトセンターでなにやら選ぶあいだ、俺とミナミくんはいろいろの「ご進物好適品」を眺めながら待つ。久しぶりに訪れた京都高島屋のナツカシさと、高嶺の花の高価な贈答品に囲まれているナサケナさで、ちょっと涙が出そうだった。

それから新京極のカフェ・クリエで三人で話す。ミナミくんが \(\omega\) 上の \(F_\sigma\) イデアルのことを考えているというので、文献の情報を二つばかり知らせる。昨日ちょっとヨリオカくんも言っていたが、研究者どうし顔を合わせて話す機会をもつというのは、こんなふうに茶飲み話のついでに情報交換ができるということでもある。小さなことだが、これはたいへん貴重なことなのだ。

いや、俺がミナミくんに今回提供した情報が貴重だという意味ではないよ。


2012年12月5日(水)くもり

京都大学へ。数理解析研究所で開催されている集合論の研究集会に出席するためだ。

kurims-20121205.jpg

日本数学会の会員でない俺にとって、年に一度のこの集合論研究集会は、情報を得るための絶好の機会である。


2012年12月4日(火)はれ

午後の授業を済ませてJRに乗り、京都へ向かう。

この4月にFacebookを介して30年ぶりに連絡のとれた高校の同級生、ひのさんに会い、京都駅ビル内の居酒屋で旧交を温めつつ飲み食いする。おかげで、ピアノのほかに歌とフルートも練習しなおそうという新たな意欲が湧いてきた。


2012年12月3日(月)くもり

熱は下がった。明日に備えて養生しつつ、授業の準備をする。

また自分の不見識のためにかかなくてもいい恥をかいてしまった。ある難しい専門書を読もうとしてさっぱり理解できず、その難しさをぼやくだけにしときゃよかったものを、くやしまぎれに悪態をついて心ある人たちの顰蹙を買ってしまったのだ。慚愧。だがこのままで終ってたまるか。バカのままじゃ死ぬもんか。


2012年12月2日(日)くもり

少し熱があり頭痛がする。疲れが出たね。とにかく火曜日には治っていないといけないので、ひたすら寝る。


2012年12月1日(土)はれ

子供らを連れてコミセンの図書館に行く。子供らはそれぞれに自分の好きな本を借りる。このごろは、【娘】はミステリー系のジュブナイル小説、【息子】は「かいけつゾロリ」シリーズと決まっている。俺は俺で、蔵書検索をしてトポロジー関係の専門書を借り出す。このテの本はこのコミセンの図書館にはないと思われがちだが、決してそうではない。ただ、たいてい開架には置いてなくて、書庫に片づけられているのだ。

夕方、熱が出る。出張を控えているというのに困ったもんだ。