て日々

2012年10月


2012年10月31日(水)くもり

いやそれにしても、随分肌寒くなったもんだ。

0-1くんのセミナーでは、\(R(\alpha)\) の定義をした。このあたりから本格的に冪集合の公理が必要になる。910くんのセミナーは超フィルターの話。それで、今月の4日に書いた話のちょっとした不備に、セミナー中に気がついた。

というのも、フィルターが単項フィルターであることと、全メンバーに共通の要素があること(有芯フィルターであること)とは同値でないからだ。たとえば、数直線などのハウスドルフ位相空間で集積点の近傍フィルターを考えてみよう。ハウスドルフ空間(あるいはより広く、T1空間)の集積点には最小の近傍はないので、近傍フィルターは単項フィルターではないが、その集積点自体は全ての近傍に属するわけだから、フィルターのメンバーすべてに共通の要素は確かにある。というわけで、単項でない有芯フィルターはたしかに存在する。芯のないフィルターは確かに非単項フィルターだから、このマチガイで先日の議論そのものが破綻することはない。だが、ちょっと恥ずかしいマチガイではある。

以上、数学の話ではあるけど、数式を使わないようにそれなりに努力してみた。なにしろ今月は日記を数式てんこ盛りにしてしまったもので、自分のMacBook Pro (Intel Core2 Duo, 2.53GHz, MacOS X 10.8.2) でも少し重く感じられるようになった。数学関係者でない読者のみなさん、ごめんなさい。


2012年10月30日(火)くもり

授業はほぼ予定どおり進んだが、小テストをする時間が取れなかった。Microsoft Officeを買ってもらって職場のPCにインストールした。MacOS版を持っているが、事務方から届くWordやExcelの様式を開いた時に、どうもレイアウトが正しく表示されなくて苦労するのだ。

カップラーメンの空き容器に財布の小銭をちょいちょいと放り込んでいたら、4千円ほどになっていたので、先日止められたクレジットカードの最後の請求に備えてカード用の口座に入金することにした。来月10日にその支払が済めばこの口座の用途がなくなってしまうけど、また小銭カップラーメンをして、ちょっとずつでも貯金していこうかな。きょうは妻が仕事だったので生協の弁当を昼に食ったけど、愛妻弁当の日には生協の弁当代400円を「つもり貯金」していくといいのかも。

夜は市民コンサートの機関誌作業。俺が編集後記を書く順番だったが、ろくなネタがないもので先日の【息子】とのやりとりを書いた:

うちの息子、今年8つになりましたが、まあ、面白いやつです。昨年くらいまでは、夕食の時間などに「お姉ちゃん呼んできて」と頼むと、階段の下から二階に向かって「おねえちゃあ〜ん」と絶叫して戻ってきたもんです。つまり「呼んで」きたわけです。言葉の上では正しいのですが、やっぱりどこか変です。仕方がないので、この頃は「お姉ちゃん連れてきて」と頼むように、こちらが作戦を変更してます。

そういうちょっとオカシナ息子ですが、このごろは少しは人間らしい話もできるようになり、先日、二人で散歩に行ったときには、落語の「じごくのそうべえ」の話をしてくれました。鍛冶屋と山伏と医者が地獄に落ちるんだけれども、剣の山で鍛冶屋が剣を打ち直して鉄下駄にしたり山伏が釜茹地獄を呪文でちょうどいい湯加減にしたり、医者が閻魔大王のお腹の筋を引っ張り回して困らせたり、そういう大騒ぎをして娑婆に送り返されてしまうという話です。上手に話せるようになったもんだと感心しましたけど、息子の感想は「チエをつかってじごくをクリア!!」でした。なんだかTVゲームみたいです。父親としてそこはちゃんと教えてやろうと思って「たしかに知恵も使うたんやけど、鍛冶屋も山伏も医者も、プロの技術があったから、知恵が活かせたんやね。手に職をつけるというか一芸に秀でるというか、一生懸命仕事をして身につけたワザがあったからこそ、地獄をクリアできたんやと思うよ。」と申しました。さて、そう言ってから思うに、地獄でサバイバルできるワザ、俺自身には何か身についているかなあ。誠に心許ない父でありました。

2012年10月29日(月)はれ

お昼まえにちょっとした用があって街に出たので、NTT近くの 二番町ステクル食堂 でひとりランチ。580円の生姜焼き定食だったが、肉が柔らかったのと、味噌汁の具が野菜たっぷりだったのとで、値段のわりにお得感があった。そのうちまた行くことにしよう。

午後はいつものように明日の授業の準備をする。明日のお題は位相空間の連続写像が基本群の準同型写像を誘導すること、それと、その構造が基点の選びかたによらずに決まること。

授業の準備の合間に、週末に届いた韓国のチョイ教授からの質問に返事のメールを書いた。今回の質問はススリン仮説をススリン木の存在問題へ還元するあたりの議論にかんするもので、不明点はベル本 (John L.Bell, Set Theory – Boolean-Valued Models and Independence Proofs, Third Edition, Oxford 2005) の記述の不正確さに由来するものだった。幸い、チョイ教授には一度でわかってもらえたようだ。


2012年10月28日(日)くもり

妻は【娘】を連れて外出しているので、【息子】を連れてダイキにいく。先日スーパーで買った黒烏龍茶のパックがなかなか口当たりよくて妻にも好評だったので、ひとつお茶の煮出し専用のヤカンを新調することにしたのだ。最大容量3リットルで適正2.2リットルだから、一日ぶんのお茶くらいは一度に沸かせる。

【娘】の貯金箱からコインを出して遊ぶことを【息子】が何度叱られてもやめないのは、話を聞いてみれば、「ぷよぷよ」の連鎖のシミュレーションがしたいからなのだそうだ。なるほど。じゃあオモチャのコインとかでもいいのか、と聞くと、それでいいという。それでダイキやダイソーでそのようなものを探すが見当らず、昼食後はフジグランまで【息子】を連れて行くが、これというものがない。ボードゲームなんかで使うオモチャのチップがいいのだろうと思うのだが、いざ探してみると意外に売っていない。何種類かの小さな丸いものが沢山あればいいわけだけど、色画用紙を切ったのとか、プラスチックのおはじきとか、代用になりそうだが、【息子】の基準ではどうもパッとしないようだ。


2012年10月27日(土)くもり

午後から、妻はあの巨大ショピングモールの医務室詰め。【娘】はお友達とおでかけ。俺は昼寝をしたり、【息子】と「ぷよぷよ!!」で遊んだりして過ごす。

やるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひる

昨日のうちにどうにかサイ本の§1.1を読み終えた.次の§1.2からいよいよFine Structure Theoryに入るのだけど,これが大変手強い.もっとはっきり言って,命題1.7がさっぱりわからない.順序数 \(\alpha\) によっては \(J_\alpha\) 上に \(\Sigma_2\) Skolem function が存在しないことがあるという命題なのだが,そうであるからには,それに先立つどこかにきちんと書いてあってしかるべき \(\Sigma_2\) Skolem function の定義が,そもそもどこにも書いてない.まあ,\(\Sigma_1\) Skolem function は前のページできちんと定義されているから,\(\Sigma_1\) を \(\Sigma_2\) にそのまま読み替えなさいということなのだろう.

だがその \(\Sigma_1\) Skolem function の定義がまた異様だ.そもそも Skolem function というのは,ある構造 \(M\) で \[ M\models \forall x_1\cdots x_n\exists y\varphi(x_1,\ldots,x_n,y) \] になっているときに \[ M\models \forall x_1\cdots x_n \varphi\big(x_1,\ldots,x_n,f(x_1,\ldots,x_n)\big) \] をみたすように \(x_1,\ldots,x_n\) に \(y\) を対応させる関数 \(f:M^n\to M\) のことだ.そこで,\(\Sigma_1\) Skolem function といえば,再帰的(recursive)に列挙された2変数 \(\Sigma_0\) 式のリスト \[ \varphi_0(x,y),\varphi_1(x,y),\ldots,\varphi_n(x,y),\ldots \]に対して \[ M\models\forall x\big[\;\exists y\varphi_n(x,y)\rightarrow \varphi_n(x,h(n,x))\;\big] \] を成立させるような, \(M\) 上 \(\Sigma_1\) 定義可能な部分関数 \(h\colon \omega\times M\to M\) のことだとするのが標準的な定義である.しかしサイ本では, \(M\) 上 \(\Sigma_1\) 定義可能な部分関数 \(h\) が任意の \(X\subset M\) について \[ \big\{\,h(n,x)\,:\,n\in\omega,\;x\in {}^{<\omega}X\,\big\} \prec_{\Sigma_1} M \] をみたすとき,これを \(\Sigma_1\) Skolem function と呼ぶ,と定義している.これは通常の定義より弱いもののように見える.ただし,サイ本で \(J_\alpha\) 上に実際に与えられる \(\Sigma_1\) Skolem function は,従来の定義の条件をみたすものになっている.

また,デブリン本第II章第6節などを見ればわかるとおり,通常の \(\Sigma_n\) Skolem function の定義では,関数 \(h:\omega\times M\to M\) は \(M\) 上でなんらかのパラメータに相対的に \(\Sigma_n\) であればよいとされるのだが,サイ本ではパラメータへの言及は認められていない.

このようにサイ本においては,\(\Sigma_n\) Skolem function の定義が,機能面では存在量化の除去という機能から \(\Sigma_n\) 初等部分構造の構成という副次的な機能へと弱められている一方で,定義可能性に関してはパラメータを認めないという形で強化されている.デブリン本とサイ本とで,\(\Sigma_n\) Skolem function の定義はこうした二重の意味で異なっているため,《ある \(J_\alpha\) には \(\Sigma_2\) Skolem function が存在しない》というサイ本の命題1.7は,用語をデブリン本の意味で理解すると間違いということになる.

思うに,こうした食いちがいは,\(\Sigma^*\) アプローチと呼ばれる fine structure theory の新しい方法への再編に関連して現われたのだろう.なので,決してなおざりにはできない.なおざりにはできないが,とにかく,いまの段階では命題1.7の証明が何を言っているのかサッパリわからない.そもそもこの命題1.7は,それに続く \(\Sigma_n^*\) という論理式のクラスを導入する動機づけを与えるために,\(\Sigma_1\) でうまくいった Skolem function の構成が \(\Sigma_2\) 以上では思うようにいかないですよ,という例を出すためのもののようだ.同様の例はデブリン本第II章の演習問題でも論じられる.なので,命題1.7をいまの時点で理解するのは諦め,ひとまずその内容を認めて先に進むことにしよう.

サイ本の第1章をひととおり読んだら,一度デブリン本なりジェンセンの原論文なりに当って,この点に限らずいろいろと確認しなければならない.なにしろ現時点では \(J_\alpha\) の定義が従来のものと同値であることの確認すら取れていないのだ.


2012年10月26日(金)くもり

一日家でくたばる。ピアノのレッスンだけは行こうと思ったが、なんだかんだで15分も遅れてしまった。O野先生、いつもすみません。


2012年10月25日(木)くもり

15年前にフランスでの国際会議で初めて英語での発表をしたあと「いやー緊張しました」と言ったら、その場にいた大先輩方に「えーフジタくんでも緊張することあんの?」と驚かれた俺だが、妻だけは、俺が緊張に極度に弱いことを知っている。先週金曜日の紀要編集委員会の合意にもとづいて、委員長の俺がきょうの教授会でひとこと申し述べることになった。22年前の着任の挨拶以来この歳になるまで、教授会で正式に発言したことなんかなかったので、今回ばかりは緊張してしまい、昼飯は喉を通らないし、会議中は議事もなんだか上の空。しまいに手が汗だらけになった。とはいえ、発言内容は事前に作文して他学科の委員にも事前でメールで知らせてあるから内容に問題はないし、そもそも教授会後半の細々した報告事項なんかみんなそれほど熱心に聞いちゃいないことくらい、俺も重々知っている。それなりにちゃんとしゃべって責任を果たしてきたが、結果として、愛妻弁当にありついたのは午後4時を過ぎてからでしたとさ。


2012年10月24日(水)くもり

きょうのゼミは、二人とも整礎的関係とか整礎部分とか再帰とか帰納的定義とかの、慣れればなんでもないけど、最初はあれこれと重箱の隅をつっつかなければならない話題だった。いやあ。小難しかった。

昨日の日記に書いたようなわけで、サイ先生の本のノート作りにとりかかる。たいへん凝縮されたスタイルで書かれているので、かなりつっこんで行間を読まねばならない。とくに証明は、ひと言なにか書いてあるごとに長々と計算して確かめながら進まないといけない。とてもイェック本のようにはスラスラと読めないが、わかれば面白い。

Fine Structure and Class Forcing
サイ本と俺のまとめたノート


2012年10月23日(火)あめくもり

体調が思わしくないので勉強もはかどらないが授業だけはきちんと済ませる。きょうの授業で基本群の定義を済ませ、その位相不変性の議論へと進む。このさい職場の自分のホームページに手書き講義ノートをスキャンしたJPEGデータをアップロードしていくことにした。でも、やっぱりここからはリンクしない。

電話代を振り込むために銀行ATMに寄ってお金を下ろす必要があったし、少しくらいは読書の時間が取れるかと思って、帰りは市内電車で松山市駅に回ることにした。本を買うお金はないが、昨日あのような話をした成り行き上、ジュンク堂書店にも寄ってみる。数学セミナー11月号の江田勝哉先生の記事を立ち読みする。うん。第二不完全性定理はわかりにくい。改訳・文庫化されたフーコー『知の考古学』を手にとって「いや、今はこんな本を読んでいる場合ではないな」とつぶやいたり、共立の『カラー版数学事典』を見て「ちょっと高いなあ」と思ったり、登坂 宣好『微分方程式の解法と応用』(東京大学出版会)を見て「昨日相談に乗った高校生くんには、案外こういう本がいいかもなあ」と思ったりしつつ、何も買わずに退散。

やるきのないあひるやるきのないあひる

電車でサイ先生の本を見ながら考えていたら,先日から引っかかっていた疑問点が解決した.最初に普遍 \({\mit\Sigma}_n\) 述語 \(W_n(e,x)\) を構成するときに土台となる構造について,推移的集合 \(S\) であって \(\langle S,{\in}\rangle\) が対の公理と \({\mit\Sigma}_0\)-分離図式と “推移的閉包の存在” をみたすもの,という条件をつけておきながら,その \(W_n(e,x)\) をテコにして定義されるジェンセン階層 \(\langle\,J_\alpha\mid \alpha\in\mathrm{ORD}\,\rangle\) については,各 \(J_\alpha\) が対の公理と \({\mit\Sigma}_0\)-分離図式のモデルになることだけ証明して推移的閉包について触れていないので,こりゃ妙だなと思っていたのだ.というのも,普遍 \({\mit\Sigma}_n\) 述語の存在証明に用いられた前提を各 \(J_\alpha\) がみたすことを保証してやらなければ,再帰的定義が機能しなくなるはずだからだ.だが,よく考えると,各集合 \(x\) の推移的閉包 \(\mathrm{tc}(x)\) が存在せずとも,各集合 \(x\) がなにか推移的集合の部分集合になっていさえすれば,普遍 \({\mit\Sigma}_n\) 述語の存在証明にはそれで十分だ.そしてそのことならば,\(J_{\alpha+1}\) を定義する途中段階にあらわれる \(J_{\alpha,n}\) がいずれも \(J_{\alpha+1}\) に要素として属する推移的集合である,という形で,きちんと証明されている.市内電車で洋書を広げて一人で「なるほどそういうわけかあ、ふんふん」と小さくつぶやいている怪しいおっさんである.ともあれ,これで安心して先へ進めるぞ.

とはいえ,ジェンセン階層の \(J_\alpha\) が推移的閉包 \(\mathrm{tc}(x)\) を作る操作のもとで閉じているというのは,宮元忠敏さんからの20数年前の伝聞だが,本当のようだ.証明はよくわからないが,このくらいのことは,いずれ自分で確認せにゃなるまい.

あと,18日の日記で触れたサイ先生のFundamenta論文と,いま読んでいる“Fine Structure and Class Forcing” の第1章は,記号の文字遣いに僅かな違いはあるものの,ほとんど同じ内容である.ということは,サイ先生のサイトでPDFファイルをもらってくれば,ページ数の割にちょっと高価なこの本の少なくとも最初の一章だけは無料で読めることになる.そしてその部分だけ見ても,ジェンセン階層の定義から凝縮補題(condensation lemma)の証明,\(\Diamond\) や \(\Box\) の証明,モラス(morass)の存在証明など,かなり内容豊富.ありがたいことである.


2012年10月22日(月)くもり

午前中は明日の授業の準備をし、昼飯食ってからは木曜日の学部の会議での発言の下書きをし、校友会事務所へ来月の講演会の宣伝について相談に行き、部屋に戻ってデスク周りの片付けをし、夕方には教室会議に出る。それから、高校の後輩から届いた相談メールに返事を書き、コンビニへ荷物を受け取りに行く。自分の勉強はほとんどできなかったが、それなりに仕事はしたぞ。

後輩からの相談は高校一年生の息子さんに読ませる数学の本のオススメは何か、というものだった。『数学ガール』シリーズを筆頭にいろいろ挙げた。ツイッターでも人に請われて紹介したからここには繰り返すまい。ツイッターでたくさんリツイートされたりふぁぼを貰ったり、相談主の事情を離れて本のリストだけがずいぶんと反響を読んでしまっているは意外だった。ここに挙げたリストがすべての高校生におすすめというわけでは決してないし、万一「読んで損した金返せ」と言われても責任は負えないからな。


2012年10月21日(日)はれ

午前中、小学校のバザーに出かける。風邪ぎみの【息子】は留守番。【娘】は友達と合流。俺は子供の面倒を見るとか運営を手伝うとかではなく、家で使う湯呑みを買いに行っただけ。湯呑みと小皿、それと妻の着れそうな冬物のパジャマ、合わせて1,500円の買い物をして帰る。【娘】はお友達と買い物をしたあとは公園へ遊びに行ったりしたらしく、夕方に戻ってきた。

バザーでは5年生が手作り品を売る企画があったのだが、【娘】は手伝っていない。【娘】の理由の説明が十分でなかったといって、妻がしきりに心配する。この頃どうも【娘】と妻の話し合いはケンカ腰になりやすいので、妻が夕食の支度をしている間、俺が【娘】を連れ出して散歩しながら話を聞く。聞いてみれば、つまりは教会学校に行っていたら売り場の準備の集合時間に間に合わないなあという、【娘】なりの判断があったというだけのことで、まあそれほど大した話ではなかった。しかし年一回のバザーと毎週の教会学校とを秤にかけて教会学校を選ぶというのも解せん。【娘】と【息子】が小さいときに教会附属の幼稚園に世話になったとはいえ、うちはクリスチャンの家ではないのだ。

父親しては、売り場の準備を手伝うか教会学校に行くかの【娘】の判断が適切でなかったのではないかという点と、こういうときの【娘】の説明は毎度のことだが要領を得ないという点、この二つについて少し小言をいった。

本好きの【娘】は将来は小説家になりたいというのだが、その割に普段のおしゃべりがどうにもまとまりがないので心配になる。本を読むにしても、ラノベ的な、楽しく読んでアハハと笑ってさあ次の本、なんてものばかりでなく、読み終わったあとしばらく考え込んじゃうようなのも、少しは間に挟んでみたらいいのにと思う。

たとえばうちにはエンデの『はてしない物語』とかル・グゥィン『ゲド戦記』とか、先日妻の友人がくれた『モモ』があるぞ。『ルドルフとイッパイアッテナ』の三部作はどうだ? 【娘】は『モモ』は読んだそうだけど。

俺たちが小学生だった頃のことはもうだいぶ印象も薄れてしまったが、この頃の国語の勉強は、大事なことをキチンと伝えるコミュニケーション術に大きなウェイトを置いている。そのあたりを【娘】にはもうちょっと真面目にとってほしいところだ。


2012年10月20日(土)はれ

とてもよい天気。休日出勤。あまり勉強ができず気持ちが焦る。

かの秀才、いまはUCBにいる池上大祐くんから、ジェンセンの包摂定理の文献についてメールで教えてもらったので引用する。リンクは俺がテキトーにつけたもの。

日記を見ると Jensen の covering lemma に関する文献を探していらっしゃるようなので,関連するもので日記に挙がってなかったものを書かせてもらいます。

1. E. Schimmerling, Covering properties of core models, in S.B. Cooper and J.K. Truss (eds.), Sets and Proofs, 281-299, London Math. Soc. Lecture Note Ser. 258, Cambridge Univ. Press, Cambridge, 1999

2. E. Schimmerling, The ABC's of mice, Bulletin of Symbolic Logic 7 (2001) 485-503

3. R. Schindler and M. Zeman, Fine Structure, Handbook of Set Theory, Volume 1, Chapter 9, 2010

(4. R. Schindler, Set theory. Exploring independence and truth, to appear)

1. は,Jensen の covering lemma について,inner model theory の現代的な手法で証明の概略を書いたもので,証明をきちっと追うのには向いていませんが,雰囲気をつかむのにはいいと思います。

2. は,\(0^\sharp\) などを mouse とみなす,といったこのトピック付近のことを inner model theoretic に紹介したもので,inner model theory の基本的な考え方や雰囲気を知るのにいいと思います。

3. は,現代的な fine structure theory の基礎について,ほぼ予備知識ゼロで読めるようにかかれたもので,covering lemma の証明は書いてありませんが,weak covering の重要な場合には現代的な証明がついています。(そこにいくまでに大分準備しますが。)Jensen の L の fine structure と合わせて読むといいと思います。

4. は,未だに出版されていませんが,3. の続きとして Jensen の covering lemma の証明がフルに載っています。出版について何かわかったらお知らせします。

僕自身は,Jensen の covering lemma については,Jensen の L の fine structure の論文を読んで fine structure を勉強してから,Devlin, Jensen の L の covering lemma の論文を読みました。その後,上に挙げた文献も読みましたが,現代の fine structure の基礎を知っている場合は,上記の 1, 3, 4 の文献のやり方の方が見通しがいいと思います。
Fine structure をこれから勉強する場合は,Jensen の論文が,最初からきちんと書かれていてよいと思います。

Fine structure を使わない covering lemma の証明については,文献にあたったことがないのでコメントできません。

長々と書いてしまいましたが,fine structure を知っている人,楽しむ人が日本に増えるのはとても嬉しいことなので,ぜひ頑張ってください!

押忍!! 頑張ります。池上くんありがとうございます。


2012年10月19日(金)はれ

ピアノのレッスン。本番一ヶ月前らしく焦りが出る。そして、例年ならそろそろ来年の出し物をどうするか考えている頃だが、これはやっぱり、もう一度ツェルニーやなんかをさらうのがいいんじゃないかと先生と相談する。百番を済ませて三十番をやらずにいきなり四十番を始めて途中で沈没、という状態だったので、ためしに三十番を見てもらうことに。

きょうは【息子】の8歳の誕生日。普段はいろいろ小言ばかり言わねばならぬ【息子】のことではあるが、今日だけは皆で「ええところ」を探してほめてあげる。歯磨きを忘れない。時間がかかっても宿題をちゃんと終わらせる。約束したことをきちんと守る。寝相がよくて寝顔が可愛い。楽しみを見つけるのが上手。歌がうまくて声がいい。などなど。そして、近所のケーキ屋さんで買ったショートケーキでお祝い。パパとママからのプレゼントは(ちょっとした行きがかり上)ズボンとシャツと、あとはイヨノ助サンのマスコット。


2012年10月18日(木)くもり

15年ほど使い続けて、ホーローの片手鍋に穴が開いた。ぶつけたりしてホーロー引きにヒビが入るとそこから侵食がひろがって穴が開くようだ。手頃な便利な鍋で、煮物づくりのときにたいへん重宝していたが、穴が開いては仕方がないので、ダイキに行ってステンレスの片手鍋を購入。同じく使用頻度が高くて割れてしまったプラスチックの片手ザルの代替品のステンレスのザルとあわせて1,500円くらい。

雨は止んだが風が強くて外に出るとあっという間に身体が冷えてしまう。体調がすぐれないので、午後は家でおとなしくしておく。明日と明後日は休めないからな。デブリン本をぱらぱらめくりつつ、これから腰を据えてこれを読破して、次にはサイ先生の本を読むぞと決意を新たにする。サイ先生の本にいきなり取りついても、いまはまだ絶対に理解できないだろうけどな。

サイ先生 (Sy David Friedman) の論文 “The \(\Sigma^*\) Approach to the Fine Structure of L,” Fundamenta Mathematicae. Vol. 154, pp. 133-158. は、上記サイ先生の本 “Fine Structure and Class Forcing” (de Gruyter) の流儀での fine structure theory の展開を概説して \(\Box\) 原理やモラスなどの構成を述べている。Fundamentaを購読していなくても、サイ先生のサイトでこの \(\Sigma^*\) 論文の原稿をダウンロードできる。案外、これから入るのがいいかもしれない。さっそく分厚くて重いイェック本を本棚に片付けてこちらに取り組む。

あと、デブリン本は、いまでは無償でダウンロードできる状態にある。ジェンセンの原論文もそうだ。


2012年10月17日(水)あめ

久々にまとまった雨が降った。職場の窓から窓の外の雨模様を眺めるのは嫌いではないが、ただ右膝と腰の関節が痛んで歩けないのが困る。

昨日職場に置き忘れたメモを見て、やはり昨日補題18.35がわかったと思ったのは早合点だったことを知る。結果自体は間違っちゃいないのかもしれないが、証明としては信用ならない。それによく読んでみたら、なんてこった、イェック本での包括定理包摂定理の証明は、最初の補題の証明が怪しいのみならず、一番大事で一番ややこしいところを「長くてつまらんから、あとはマギドアの1990年の論文か、そのうち出るカナモリさんの本を見てね」とアウトソーシングして終わるという、概略の証明説明としての意味しか持ちようもない代物だった。これを読んだだけでは包括定理包摂定理が「わかった」と言うわけにいかん。ちゃんとした証明を読まねば。

現在俺が手に入れられる資料でジェンセンの包摂定理の証明をしているものといえば、サイ先生 (Sy D. Friedman) “Fine Structure and Class Forcing” (de Gruyter) なる本と、学生時代に読んだのと同じデブリン (Keith J. Devlin) の本“Constructibility” (Springer)と、あとはデブリンとジェンセンの初出論文 “A Marginalia to a Theorem of Silver” くらい。これらを比較しながら、ぜひ \(0^\sharp\) を極めたいと思っている。

午後はセミナー。13時前から18時ちょっと過ぎまで。途中で選手交代するとはいえ、なかなかの長丁場で大変だった。


2012年10月16日(火)くもり

位相の講義。基本群を定義するために、ループのホモトピーなるものを考え、ループ全体の集合において「連結」と「逆まわし」という操作を定義する。それらの操作がホモトピーを保存することを証明をしたら、のちに基本群と呼ばれることになるホモトピー類全体の集合 \(\pi_1(X,x_0)\) 上に演算が定義される。きわめて杜撰だった2週間前の初回と比較して、準備にけっこう時間を割いたので、今回はそれなりにちゃんとしゃべれたと思う。次回はこれで本当にホモトピー類の全体が群をなすことを検証し、さらに「基本群の位相不変性」に話を進める予定。

ノート
準備した講義ノート。
実際には全体の三分の二しか使わなかった。

やるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひる

イェック本第18章は、このあとジェンセンの包摂定理 (Jensen's Covering Theorem) についての議論で締めくくられる。この包摂定理こそ、現代集合論の精華といってよい驚くべき結果。

【ジェンセンの包摂定理】 \(0^\sharp\) が存在しないとすれば,順序数の不可算集合はどれも,同じ濃度の構成可能的(すなわちクラス \(L\) に属する)集合に含まれる.

この定理の証明には、学生時代に一度は触れている。というのも、大学院の自主セミナーでデブリン (Keith J. Devlin) Constructibility (Springer, 1988) なる本を皆(俺、青木邦匡、米澤佳己さん、宮元忠敏さん、倉田令二朗先生、…)で読んだことがあるからだ。セクションごとに分担して、\(0^\sharp\) の理論の最初の部分を俺が読み、包摂定理の証明の部分を米澤さんにやってもらった。なにぶん20年以上前の話で、細かいことはキレイサッパリ忘れている。せっかくここまで \(0^\sharp\) の復習をしたのだから、この機会にぜひ包摂補題の証明を読み直したい。

そういうわけでイェック本の包摂定理の証明を読み始めたのだけど、どうも具合がよろしくない。いっとう最初の補題 (Lemma 18.35) の証明がなんだか怪しい。けさ、いつものカフェで読んだときは、なんじゃこりゃ変やないか、と思い、お昼に職場で読みなおして、なんやそんなことかと思って紙に書きつけたけれども、その紙を持って帰らずに家でもう一度読んだら、またまた変に思える。どうも昼に「わかった」と思ったのが勘違いだったような気がする。この不具合をどうしたものかと思ううちに、エネルギー切れで寝入ってしまった。


2012年10月15日(月)くもり

なんだか妙に忙しかった。910くんと0-1くんが相次いで質問にきたが、910くんの質問はテキストの文章の紛らわしい表現に文字通り惑わされてよくわからなくなった点をたずねに来たんだし、0-1くんは中学・高校レベルの at most というイディオムがわからない、という話だった。何なんだよ一体。ちょうど一年前に約束したとおり、科研費の出願書類も書かねばならないし、それとは別に今週末に迫った業務の準備のためにいろいろと計算もせねばならん。まるで仕事みたいだった。(いや、まぎれもなく仕事だってばよ。)

イェック本第18章、引き続きキューネンの定理を読み終える。キューネンの定理とは、\(0^\sharp\) の存在が、自明でない初等埋め込み \(j\colon L\prec L\) の存在と同値であると主張する。\(0^\sharp\) は実質的にはたかが \(\omega\) の部分集合のくせに、その存在/不在がこのように真のクラスである \(L\) の構造に甚大な影響を及ぼす、なんとも不思議な存在だ。

そういう純理論的な興味深さもさることながら、この \(0^\sharp\) というオブジェクトに俺が感じる魅力のかなりの部分を「ゼロ・シャープ」という名前に負っていることも確かだ。もしもこいつが、ゼロ・シャープという名前でなくて「整礎・共終・非凡なエーレンフォイヒト=モストフスキ集合」と定義どおり呼ばれていたら、その概念の重大さは認めつつも「これについて知りたい」という情熱をこれほどに喚起することはなかったように思う。

つくづく、ネーミングは大切だ。


2012年10月14日(日)くもり

日曜日ではあるが、家族と別行動のあいだ、職場に顔を出してイェック本の続きを読む。それで、EM集合という概念の、イェック本での定義に不具合をみつける。まあ、これは定義だけの問題で、ここを修正しても実質的に変更をこうむるのはほんとうにごく少数の箇所であるのが不幸中の幸いかと。


2012年10月13日(土)はれ

【娘】が体調不良のため、気持ちのいい好天の一日をほとんどすべて家にこもりきりで過ごした。昼飯のきしめんを作ったり、子供らと一緒になってWiiでゲームをしたり。お勉強も少しばかりやった。イェック本にしたがって \(0^\sharp\) に関するシルヴァーの定理の証明を読み終え、ついでのことに、可測基数がラムゼイ基数であることの証明を思い出してノートに書き出す。


2012年10月12日(金)はれ

先日から、イェック本第18章でゼロ・シャープを復習中。今夜はようやくゼロ・シャープの定義に到達。すなわち、整礎的で非有界で非凡なEM集合が高々ひとつしか存在しないことを証明し、存在した場合その唯一のものを \(0^\sharp\) (ゼロ・シャープ)とよぶ、と定義する。そこまでノートを作って、満足してビールを飲んで寝てしまった。

そんなわけで、復習はそれなりに進んだが、ノートは少々悪ノリぎみで、区切り線が水平線になって帆掛け船が通ったり、

ノートの一部

余白にモグラが顔を出したりした。

ノートの一部

証明が一段落するたびに落書きタイムだったわけだ。もちろん、そこらへんの女子中学生・高校生だったらとっくに気付いて実践していることだけど、蛍光マーカーと色鉛筆でノートをカラフルにするだけでも、勉強のモチベーションはけっこう下支えされる。色や落書きをノートの内容と関連づけようとしたり、目的別に色を使いわけようとしたりは、現在のところはしていない。まあ、俺のことだから、そのうちそういうこともやり出すかもしれないが、いまのところは、要するに楽しく続けられることが大事。


2012年10月11日(木)くもり

午後、大学院向けの \(\LaTeX\) とプレゼンテーションの授業の2回目。きょうは \(\LaTeX\) システムが各自のパソコンにすでにインストール済みであることを前提に、ソースファイルの基本と、数式モード、セクションとサブセクションとパラグラフ、それらの間の相互参照の管理、というベーシックなところを話して、実習してもらった。しかし、\(\LaTeX\) の数式ひとつとっても、その内容は膨大なもので、俺自身全容を把握しているとはいいがたいし、とても一回の授業で理解できるものではない。だから、ぜひ適切な情報源を探し時間をみつけて自習してくれるように、繰り返し強調した。おすすめのリファレンスとして奥村晴彦『\(\LaTeX2\varepsilon\) 美文書作成入門』(技術評論社)と吉永徹美『独習 \(\LaTeX2\varepsilon\)』(翔泳社)を挙げた。

授業の前はレジュメ作りに忙しく、授業のあとはあとで、チョンブク大学の国際政治学の先生からふたたび届いたベル本についての質問に答えるメールを書く。それで、ゼロ・シャープの復習はほとんど進まず、EM集合の非凡さの特徴づけまででおしまい。


2012年10月10日(水)くもりあめ

昨日の続きだけど、つまり、やらねばならないことが溜まって気がかりになっていることが、頭が回らないような気がする原因だと推測される。だったら、溜まったタスクのうちどれでもいいから手のつけられるやつひとつに手をつけてしまおう。

一番厄介なのは科研費の申請書を書くことだけど、これは頭が働きださないことには手をつけられない。むしろ書くことの決まっている別件の申込書を書いてしまおう。先日カード払いからコンビニ払いに切り替えたレンタルサーバの請求がさっそくきているから、職場近くのファミマで払い込みを済ませよう。昨日書いたようなわけでゼロ・シャープの理論の復習をしたいので、手頃なところでイェックの本の第18章を勉強しよう。

昨日某所でつぶやいたとおり、同じやるなら楽しくやった方がいいので、ひとつノートをカラフルにしてみたらどうだろうか。そういえばもうひとつ、頼まれた文書作りもあったわい。これまた締め切りが近いから今日のうちに案を作っとこう。

枠線などに色鉛筆を使用したノートの写真

ゼロ・シャープの復習は一日で終わるというものでもないが、ひとまず区切りのつくところまで(具体的にはEM集合の基本と、整礎性と共終性の特徴づけまで)おさらいした。しばらく足の遠のいていた「いつものカフェ」にも足を運んだ。レンタルサーバの払いの他にもうひとつ大事な支払いがあったのも、今朝振り込まれたこども手当でなんとかした。0-1くんと910くんのゼミもちゃんと見た。生協に届いていたパターソンの本Amenabilityも引き取りに行った。

今日に限っては、それなりにやるべきことはひととおりやったと言ってもバチは当たるまい。とはいえ、それほど大したことはしていないわけだから、人並みの活動ができる程度にやっとこさ回復した、といったほうがより正確かもしれない。


2012年10月9日(火)くもり

世間では火曜日だがわれらが愛媛大学では月曜日のスケジュールで授業を行う。そして俺は日曜日のスケジュールで(以下省略)…いや実際、頭がまるで働かない。いよいよバカになったんじゃないかと思ってしまうくらいだが、そうではなくて、きっと、締め切りが近いのに手をつけていないいろいろなタスクが頭の中で焦げ付いているのだろう。めんどくさいことを後回しにして、ますますめんどくさいことになっているわけだ。

Samiのゼロ・シャープ論文をひととおり読んだ。SacksとJensenの定理についてはSacksの論文を引用して済ませているし、そもそもベールのカテゴリーの論法に対応するコーエン強制法は基数を壊さない。となると、この論文の方法はSacksとJensenの定理の証明には使えないかもしれんと思った。

ともあれ一度Harringtonのゼロ・シャープ論文やMansfield and Weitkampの該当箇所を復習しておこう。ということはSteel forcingやpointed perfect set forcingやBarwise compactness theoremについて勉強しなおすことになる。アレもせんといかん、コレもせんといかん…


2012年10月8日(月) 体育の日はれ

久々に一日じゅう家族揃って過ごせてよかった。昼飯はダイソーで買ってきたきしめんで安上りに済ませたが、自分で昆布のだしをとったり油揚としいたけを煮付けたりして、手作りの味にはなったと思う。夕食は刺身用の魚の短冊を安く買ってきて丼にした。


2012年10月7日(日)はれ

松山の地方祭の日。妻は昨晩東京から帰ってすぐに夜中まで町内会の祭の打ち合わせに行っていた。そして朝の4時から夜まで公民館の神輿の基地につめていて、帰りがまた夜中である。妻が町内会の役員を引き受けているからでもあるし、そうでなくとも、そもそも祭とはそういうものなのだ。うちは喪中のため子供が参加できないので、妻だけが大活躍。その間、子供の面倒は全部俺が見る。

教会学校に子供らを迎えに行き、ちょっとジュンク堂を冷やかし、お昼にはマツチカのお好み焼き屋で買ったテイクアウトのお好み焼きと焼きそばを堀端で食う。それから堀之内で子供らを遊ばせて、俺は小一時間昼寝した。【娘】は四つ葉のクローバーを見つけ、【息子】は木の実をいっぱい拾ってペットボトルに入れてガラガラ鳴らしては喜んでいる。天気のいい日は外で走り回るだけでも子供には素敵な娯楽なのだ。

夕食にはギョウザを作り、子供らにも包ませる。子供らに夕食を食わせて、ひと休みするつもりがソファーで居眠りしてしまった俺を見て、子供らは自発的に歯磨きをすませて寝てしまった。


知らん間に【娘】が描いていた家族の絵
【娘】は家族にもっともっと仲良しで
もっともっとハッピーになってほしいと
やっぱり願っているらしい。
オトウサンとしてはいろいろ反省せねばならぬ


2012年10月6日(土)くもり

妻が昨晩から東京に行っているので俺が子供の面倒を見る。東京行きは珍しいが、週末に俺が子供の面倒を見るのはすっかり毎度のパターンになってきた。昼飯にシーフード焼きそばを作り、晩飯には【娘】のリクエストでビーフシチューを作った。どちらも好評なのはよかったが、この金のない時期に牛肉は厳しかったぞ。


2012年10月5日(金)はれ

あいかわらず生活リズムが乱調で、昼の早いうちはどうもやる気がでない。頭が回転しだす頃には夕方で、ピアノのレッスンの時間である。あわてて仕事を打ち切ってオフィスをあとにするが、いろいろ大事なものをバッグに入れ忘れてきたことに、電停で市内電車を待っている間に気づく。いまからオフィスに取りに戻ってはレッスン時間が半分になってしまう。そして今夜は妻が出かけていて子供らだけで留守番をしているから、レッスン後には急いで家に帰ってやらにゃならん。オフィスに戻っている場合ではない。というわけで、家に帰ってもiPhoneが充電できん。まあ、そりゃあ忘れる自分が悪いのだが、このところの余裕のなさは何なんだろう。

これはもう仕方がないと腹を括り、電停で論文のコピーを取り出して読み始める。Ramez Samiのちょっと古い論文で、《\(\;\Sigma^1_1\)-ゲームの決定性から \(0^\sharp\) の存在が導かれる》というLeo Harringtonの定理を、Steel forcingやomitting Typesを使わずに証明するものだ。この論文ではベールのカテゴリーの論法がそれらの技法の代役を果たす。

Forcingと比べると、俺にはベールのカテゴリーの方がよほどなじみ深い。それでも、forcingとベールのカテゴリーの議論は大きくみれば同じ系列の論法になっているわけで、この定理の証明に関する限り、Steel forcingの方法とSamiの方法はかなり近い類縁関係にあるだろうという気はする。Omitting Typesについては、これまた俺にとってはforcing以上に縁遠いのであまり語りたくないが、発想の根っこにおいてforcingに共通するものがあることは確かなようだ。とすると、Steel forcingやomitting typesでできることで、Samiの方法でもやれるよ、というようなことが他にもあるんだろうか。たとえば、JensenとSacksの定理はどうだろうか。

JensenとSacksの定理は、可算な認容順序数(admissible ordinal)がなんらかの自然数の集合Aについての \(\omega_1^A\) の形になると主張する。この定理はJensenとSacksそれぞれがもっと強力あるいは精密な命題へと発展させている。そのいちばんの原型になる許容順序数一個の場合も、ステートメントはわかりやすく綺麗なのに、何通りかある証明がどれもややこしいのだ。


2012年10月4日(木)はれ

朝、小学校へ読み聞かせボランティアに行く。出し物は前回 (7月6日)と同じ、『ええところ』(くすのきしげのり作 ふるしょうようこ絵, 学研)だ。5年生の【娘】のクラス。さすがに2年生のクラスとは聴く態度が違う。しかし前回は【息子】のクラスの隣の教室、今回はおねえちゃんの教室、となると、次回はぜひとも【息子】のクラスに行ってやらねばならん。

作中、あいちゃんが「手のあったかいのが、わたしの、ええところ?」と驚いて聞き返すシーンが印象的なので、ぜひそこを上手に読んでやろうと、廊下で時間待ちの間に声を出さずに「てぇの、あったかいのんが、あたしの、ええところぉ?」とコテコテの関西弁丸出しのクチパクを練習していたら、たまたま通りかかった【娘】のクラスメートのなずなちゃんが怪訝そうに見て行った。よほどすっトボケた顔をしていたに違いない。

読み聞かせ終了後、祝谷の「珈琲蔵人 珈蔵」へ行き、妻のおごりで普段とちょっとちがう高級なコーヒーを飲む。

珈蔵のコーヒーセット
この写真はiPhoneを忘れて出てきた妻の求めで撮影したもの
だから手前が、妻の注文したコーヒーセット
コーヒーの値段プラス100円でお茶菓子とシャーベットがついてきた
俺が飲んだのは「山祇」(やまつみ)という銘柄のコーヒー580円で、
これは、まろやかでいて実に輪郭のはっきりしたすばらしい味だった。

Justin Mooreがあの論文を撤回してしまったため、明日のセミナーは無期限延期となったが、いずれ来るべき時に備えて勉強しておこうと、珈蔵の窓際の明るい光のなかででStevo Todorcevicの本 “Introduction to Ramsey Spaces” (Princeton, 2010)を開く。10時前まで座っていたが、平日朝のこの時間に、珈琲専門店がビジネス用途でないお客さんたちで繁盛している様子を見るのは、ちょっと意外なことであった。しかし、不愉快な意外さではない。

午後はTeXの演習の授業一回目。初回だから、なにはともあれ受講者のパソコンにTeXをインストールし、文書入力の作業の流れを理解してもらわにゃならん。パソコンといえばWebとメールとMicrosoft Wordしか知らない市民コンサート事務所みたいな受講者がいたとしたら、今回が一番難しいことになると思って、準備しながらちょっとビクビクしていた。だが実際始まってみると、受講者がもってきたパソコンは学内無線LANに問題なくつながり、あべのりさんのインストーラで問題なくインストールが済んだし、標準的なインストールで日本語ローカライズされたTeXWorksも含まれているから、コマンドプロンプトでちまちま作業するに及ばない。案ずるより産むがやすしというか、心配することはなかった。俺が停滞している間にも、世の中は先へ進んでいっているわけだ。うん。俺もちょっとくらい新しいものをとり入れて前進しなくちゃね。

やるきのないあひる

決定公理 \(\mathrm{AD}\) から \(\aleph_1\) が可測基数であることを導く.この話も今日が三日目.そろそろケリをつけなくちゃ.

念のために,可測基数の定義を復習する.

空でない集合 \(S\) の部分集合の集合 \(\mathbb{F}\) が次の条件をみたしていたとしよう.

  1. \(S\in\mathbb{F}\) であり \(\emptyset\notin\mathbb{F}\) である.
  2. \(A\in\mathbb{F}\) かつ \(A\subset B\subset S\) のとき \(B\in\mathbb{F}\) である.
  3. \(A\in\mathbb{F}\) かつ \(B\in\mathbb{F}\) のとき \(A\cap B\in\mathbb{F}\) である.

この条件をみたす集合族 \(\mathbb{F}\) のことを 《\(\;S\) 上のフィルター》(filter on \(S\))という.フィルターは,集合 \(S\) の要素のうち“ほとんど全部”という曖昧な表現に意味を与えるもの,と考えられる.\(S\) の要素 \(x\) にかんする命題 \(\mathrm{P}(x)\) が《ほとんどすべての \(x\) について成立する》ということを, \[ \big\{\,x\in S\,:\,\mathrm{P}(x)\,\big\}\in\mathbb{F} \] と解釈しようじゃないか,というのがフィルターの使い道というわけだ.

集合 \(S\) 上のフィルター \(\mathbb{F}\) が《超フィルター》(ultrafilter)であるというのは,それが追加の条件

  1. どの \(A\subset S\) についても \(A\in\mathbb{F}\) または \(S\setminus A\in\mathbb{F}\) が成立.

をみたすことをいう.

なにか \(S\) の空でない部分集合 \(S_0\) があったとき, \[ \big\{\,A\subset S\,:\,S_0\subset A\,\big\} \] は \(S\) 上のフィルターである.この形のフィルターを,集合 \(S_0\) の生成する単項フィルター(principal filter)という.それ以外のフィルターを非単項フィルター(nonprincipal filter)という.フィルター \(\mathbb{F}\) が非単項フィルターであるためには,全体の共通要素がないこと(\(\bigcap\mathbb{F}=\emptyset\))が必要十分である.単要素集合 \(\{x_0\}\) の生成する単項フィルターは超フィルターである.

後日追記:この上に述べた必要十分条件の言明は間違っていた。全メンバーに共通の要素がないことは、非単項であることの十分条件ではあるが、必ずしも必要ではない。これについては今月末の日記を参照。しかし確かに十分条件ではあるから、これ以降の議論には特に修正の必要はない。(2012年11月2日金曜日)

フィルターの条件iiiにより,フィルターの有限個のメンバーの共通部分がまたそのフィルターのメンバーになることがわかる.この性質を,無限個のメンバーにまで延長できる場合がある.\(\kappa\) を無限基数としよう.集合 \(S\) 上のフィルター \(\mathbb{F}\) が《\(\;\kappa\)-完備》であるとは,\(\kappa\) 個未満のメンバーの共通部分をとる操作のもとで閉じていることをいう.すなわち \[ |I|<\kappa,\;(\forall i\in I)\big[\,A_i\in\mathbb{F}\,\big]\implies \bigcap_{i\in I}A_i\in\mathbb{F} \] となることをいう.定義により,すべてのフィルターは \(\aleph_0\)-完備である.非単項フィルター \(\mathbb{F}\) は \(\kappa>\big|\mathbb{F}\big|\) のとき \(\kappa\)-非完備であるから,濃度 \(\kappa\) に制限のない \(\kappa\)-完備フィルターは単項フィルターだけである.

【定義】濃度 \(\kappa\) の集合 \(S\) 上に 非単項 \(\kappa\)-完備 超フィルターが存在するとき,\(\kappa\) を可測基数と呼ぶ.

歴史的には,可測基数の概念は測度問題の研究から析出されてきたものである.このことについてはイェックやカナモリの本で触れられているとおりだ.カナモリ本の訳書(A.カナモリ著,渕野昌訳『巨大基数の集合論』)を別にして,日本語でこのあたりのことを詳しく書いた本はあるのだろうか.いずれきちんと書いてやらねばらなんと思っている.

さて,可測基数の第一の特徴は,それが「巨大だ」ということ.選択公理 \(\mathrm{AC}\) のもとでは,可測基数 \(\kappa\) は到達不能基数であり,またそれより小さい \(\kappa\) 個の到達不能基数が存在する.だから,これから証明しようとしている《\(\;\aleph_1\) が可測基数である》という命題は,選択公理を含む通常の集合論においてはナンセンスである.

決定公理 \(\mathrm{AD}\) のもとで \(\aleph_1\) が可測基数になったとすると,選択公理を含む集合論の内部モデルで,そこでは真の \(\aleph_1\) がとんでもない巨大基数になっているようなものが存在することになる.このように,決定公理は実数の集合にかんする命題だが,巨大基数公理(の無矛盾性)を含意する.先に紹介したカナモリの本のテーマの一つに,決定公理の強さが巨大基数公理の階層のなかで正しく見積られるようになるまでのプロセスの概説がある.

話をフィルターに戻す.

【定理D】\(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\)(一昨日の日記を参照)を仮定する.チューリング次数の全体 \(\mathcal{D}\) の部分集合の集合 \(\mathbb{F}\) を \[ \mathbb{F}=\Big\{\,\mathcal{A}\subset\mathcal{D}\,:\,\exists\mathbf{a}\in\mathcal{D}\big(\,\mathcal{D}_{\mathbf{a}}\subset\mathcal{A}\,\big)\,\Big\} \] と定義すれば,この \(\mathbb{F}\) は \(\mathcal{D}\) 上の非単項 \(\aleph_1\)-完備フィルターである.さらに,決定公理 \(\mathrm{AD}\) のもとではこの \(\mathbb{F}\) は超フィルターである.

まず \(\mathbb{F}\) がフィルターの条件iとiiをみたすことは明らかとしてよいであろう.また,チューリング次数の錐については昨日触れたように等式 \[ \mathcal{D}_\mathbf{a}\cap\mathcal{D}_\mathbf{b}=\mathcal{D}_{\mathbf{a}\cup\mathbf{b}} \] が成立するので,条件iiiも成立する.どのチューリング次数 \(\mathbf{a}\) に対しても,チューリング次数 \(\mathbf{a}'\) を \(\mathbf{a}<\mathbf{a}'\) をみたすようにとれて, \[ \mathbf{a}\notin\mathcal{D}_{\mathbf{a}'}\in\mathbb{F} \] となるため \(\bigcap\mathbb{F}=\emptyset\) となる.したがって \(\mathbb{F}\) は非単項フィルターである.

ここで \(\mathbf{a}'\) の作り方にまで立ち入る余裕はないが,\(\mathbf{a}'\) として \(\mathbf{a}\) の《チューリング・ジャンプ》というものをとれば \(\mathbf{a}<\mathbf{a}'\) となることがわかっている.というよりむしろ,チューリング次数論の文脈で \(\mathbf{a}'\) と書いたらまず間違いなく \(\mathbf{a}\) のチューリング・ジャンプの意味だと見なされる.

あとは \(\mathbb{F}\) の \(\aleph_1\)-完備性,すなわち可算個のメンバーの共通部分のもとで閉じていることだが,選択公理の使用を \(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\) の範囲に留めてそのことの証明をするためには工夫がいる.\(\mathbb{F}\) のメンバーの可算列 \(\mathcal{A}_n\) (\(n=0,1,2,\ldots\)) が与えられたとして,次数の列 \(\mathbf{a}_n\) (\(n=0,1,2,\ldots\)) を \(\mathcal{D}_{\mathbf{a}_n}\subset\mathcal{A}_n\) となるようにとりました,といったら,見かけ上 \(\mathbb{R}\) の部分集合の可算列に制限された \(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\) の範囲を越えた選択をしてしまっている.これが本当に可能であることを確かめる必要がある.そのため, \(\mathcal{P}(\omega)\) の部分集合 \(\mathbf{A}_n\) を \[ \mathbf{A}_n=\big\{\,A\subset\omega\,:\,\mathcal{D}_{\mathrm{deg}(A)}\subset\mathcal{A}_n\,\big\} \] と定めよう.\(\mathcal{A}_n\) は次数の錐を含むのだから \(\mathbf{A}_n\neq\emptyset\) である.この列 \(\langle\mathbf{A}_n:n\in\omega\rangle\) に \(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\) を適用すれば,\(\omega\) の部分集合の列 \(\langle A_n:n\in\omega\rangle\) を \[ A_n\in\mathbf{A}_n\quad(n=0,1,2,\ldots) \] となるようにとれる.そこで \(\mathbf{a}_n=\mathrm{deg}(A_n)\) とおけばよい.とはいえ証明の役に立つのは \(\langle \mathbf{a}_n:n\in\omega\rangle\) よりむしろ \(\langle A_n:n\in\omega\rangle\) のほうだ.\(\omega\) の部分集合 \(B\) を \[ B = \big\{\,2^n\cdot(2k+1)\,:\,k\in A_n\,\big\} \] と定め,\(\mathbf{b}=\mathrm{deg}(B)\) としよう.すると,各 \(n\) ごとに \(A_n\leq_\mathrm{T} B\) であるから \(\mathbf{a}_n\leq\mathbf{B}\) であり, \[ \mathcal{D}_\mathbf b\subset\bigcap_{n\in\omega}\mathcal{D}_{\mathbf{a}_n} \subset \bigcap_{n\in\omega}\mathcal{A}_n \] となり \(\bigcap_{n\in\omega}\mathcal{A}_n\in\mathbb{F}\) となる.したがって \(\mathbb{F}\) は \(\aleph_1\)-完備である.

最後の \(\mathrm{AD}\) のもとで \(\mathbb{F}\) が超フィルター になることは,昨日証明した定理Cからわかる.以上で定理Dが証明できた.

あとひと息だ.最後の関所,計算可能順序数の話をしよう.

\(\omega\) 上の二項関係 \(R\) が集合 \(B\subset\omega\) から計算可能であるとは,ご神託(昨日の日記参照)として集合 \(B\) をもちいて,自然数 \(m\) と \(n\) を入力したら,関係 \(mRn\) が成立しているかどうかを判定して出力してくれる,ご神託つきプログラムが存在することをいう.この意味で計算可能な,\(\omega\) の整列順序づけになっている二項関係を,\(B\) から計算可能な整列順序という.\(B\) から計算可能な整列順序の順序型になっているような順序数のことを,\(B\) から計算可能な順序数という.ご神託つきプログラムは可算個しかないので,\(B\) から計算可能な順序数の全体は可算順序数の可算集合である.その上限は,\(B\) から計算可能でない最小の順序数ということになるが,それも可算順序数である.

(後日追記) 上の記述ではここで選択公理[\(\aleph_1\) の正則性]を使うみたいだが,実際には \(\omega\) の部分集合の順序型 \(\omega_1^A\) の整列順序関係をきちんと定義できるので,選択公理は不要だ.だがもちろん,それはそのように書かないとわからないな.(2012年10月8日月曜日)

【定義】集合 \(B\subset\omega\) から計算可能でない最小の順序数を \(\omega_1^B\) と書く.

あきらかに,\(A\equiv_\mathrm T B\) のとき \(\omega_1^A=\omega_1^B\) である.だから,\(\omega_1^B\) は \(B\) のチューリング次数によって決まる.その意味でチューリング次数 \(\mathbf{a}\) に対して \(\omega_1^{\mathbf{a}}\) という表記を用いることにしよう.\(\mathbf{a}\leq\mathbf{b}\) のとき \(\omega_1^{\mathbf{a}}\leq\omega_1^{\mathbf{b}}\) ではあるが,\(\mathbf{a}<\mathbf{b}\) だからといって \(\omega_1^{\mathbf{a}}<\omega_1^{\mathbf{b}}\) になるとは限らない.

可算順序数 \(\alpha<\aleph_1\) に対しては,\(\omega\) 上の順序型 \(\alpha\) の整列順序関係 \(R\) が存在する.この \(R\) について集合 \(A\subset\omega\) を \[ A=\big\{\,2^n\cdot(2m+1)\,:\,mRn\,\big\} \] と定義すると,\(R\) は \(A\) から計算可能であるから \(\alpha<\omega_1^A\) となる.したがって集合 \[ \Big\{\,\omega_1^{\mathbf{a}}\,:\,\mathbf{a}\in\mathcal{D}\,\Big\} \] は \(\aleph_1\) において共終(=上に非有界)である.

この集合は \(\aleph_1\) の閉非有界(club)部分集合を含むが,それ自身は \(\aleph_1\) において閉非有界でないことが知られている.

さて,最後に \(\aleph_1\) の部分集合の集合 \(\mathbb{U}\) を \[ X\in\mathbb{U}\iff \big\{\,\mathbf{x}\in\mathcal{D}\,:\,\omega_1^{\mathbf{x}}\in X\,\big\}\in \mathbb{F} \] と定義しよう.定理Dにより,\(\mathbb{U}\) が \(\aleph_1\) 上の \(\aleph_1\)-完備フィルターであることが導かれる.とくに,決定公理 \(\mathrm{AD}\) のもとでは \(\mathbb{U}\) は超フィルターである.

可算順序数 \(\alpha<\aleph_1\) に対して \(\alpha<\omega_1^{\mathbf{a}}\) となる次数 \(\mathbf{a}\) をとれば, \[ \mathcal{D}_{\mathbf{a}}\subset\{\,\mathbf{x}\in\mathcal{D}\,:\,\omega_1^{\mathbf{x}}>\alpha\,\}\in\mathbb{F} \] であるから \[ \{\,\xi<\aleph_1\,:\,\xi>\alpha\,\}\in\mathbb{U} \] となる.したがって \(\mathbb{U}\) は可算集合を含まず.とくに非単項フィルターである.こうして,最終目標の定理が証明された.

(後日追記) 可算集合を含まないことは,非単項であることの十分条件というより,むしろ必要条件なので,ひとこと削除した.(2012年10月8日月曜日)

【定理E】\(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\) のもとで,上に定義されたフィルター \(\mathbb{U}\) は \(\aleph_1\) 上の非単項 \(\aleph_1\)-完備フィルターである.さらに \(\mathrm{AD}\) のもとでは,\(\mathbb{U}\) は \(\aleph_1\) 上の非単項 \(\aleph_1\)-完備 超フィルターであり,\(\aleph_1\) は可測基数である.

なお,この定理はイェックの本 (Thomas Jech, “Set Theory — the third millenium edition,” Springer-Verlag 2003) には定理33.12の(i)として収録されている.その証明では,チューリング次数の代わりに構成可能性次数(すなわち \(A\in L[B]\) なる擬順序関係から導入される順序構造)を用い,\(\omega_1^A\) の代わりに \(\aleph_1^{L[A]}\) を用いている.それはイェックの本の文脈においては適切な改変だが,ここでその証明を再現しようとしても,やっぱり同じくらい長々と説明することになっただろうと思う.

ともあれ,三日がかりの長い証明におつきあいくださってありがとうございました.


2012年10月3日(水)はれ

午後はまず0-1くんのセミナー.それから910くんのセミナー.910くんが読んでいる新井敏康『数学基礎論』(岩波書店)の第4章はけっこう恐ろしくて,非常にたくさんのことがさも簡単そうにサラっと書いてある.それを910くんがいつもの調子でサラっと読んでしまうと,こちらもサラっと通してしまいそうになるが,それではゼミをする意味がないので,ところどころ立ち止まって細部をつっついてみないといけない.

やるきのないあひる

決定公理 \(\mathrm{AD}\) から \(\aleph_1\) が可測基数であることを導くという話をしているところなのだけど,きょうはいったんチューリング次数の話に寄り道する.

ゼロを含む自然数全体の集合を \(\omega\) と書き,自然数の無限列全体の集合を \(\omega\) から \(\omega\) への函数の全体という意味で \({}^\omega\omega\) と書く.あ,いかん.これでは書き出しが昨日と同じじゃないか.

自然数の集合全体,すなわち \(\omega\) の部分集合全体の集合は \(\mathcal{P}(\omega)\) と書かれる.\(\mathcal{P}\) はPowerの意味で,\(\mathcal{P}(\omega)\) を \(\omega\) の冪集合(powerset)という.

自然数の集合 \(A\in\mathcal{P}(\omega)\) が 計算可能(computable)であるということを,自然数 \(n\in\omega\) を入力として受けとったら \(n\in A\) か \(n\notin A\) かを判定して出力してくれるコンピュータのプログラムが存在すること,と定義する.また,自然数の函数 \(f\colon\omega\to\omega\) が計算可能であるということを,自然数 \(n\in\omega\) を入力として受けとって自然数 \(f(n)\) を出力してくれるコンピュータのプログラムが存在すること,と定義する.多項関係 \(R\subset\omega^r\) や多変数函数 \(f\colon\omega^r\to\omega\) についても,同様に計算可能性を定義できる.

ここで「コンピュータのプログラム」と言ったが,コンピュータの言語で何が書けるかは処理系に依存する面が多分にあるのではっきりしない.厳密にやるには言語仕様をきちんと定義せにゃならんけど,いまはあくまで概略の説明だけが目的だから,大雑把な説明で勘弁してもらおう.ひとまず,整数のデータ型だけを扱い if とか while のような標準的な制御構造をもち,算術演算として +-* をもち,比較演算として ==!=<<=>>=,論理演算として &&||! をもつ,小規模な手続型言語を考える.こんなオモチャみたいな言語では何もできないようだが,開発効率というものを度外視してプログラムできる/できないだけを問題にするかぎり,現実のコンピュータで計算できてこの言語で計算できない函数や集合は存在しない.

と,能書きだけではイメージできないから例を示す.偶数全体の集合は計算可能である.次のようにプログラムすればいい

function isEven(n) { // n が偶数かどうか判定する var i; if ( n < 0) { n = - n; } i = 0; while (i*2 < n) { i = i + 1; } if ( n == i*2 ) { return TRUE; // あらかじめ定義された「真」をあらわす定数を返す } else { return FALSE; // あらかじめ定義された「偽」をあらわす定数を返す } }

現実のマイクロコンピュータでも,たとえばZ80CPUなどは掛け算のインストラクションをもっていない.しかし,整数の掛け算と割り算は足し算と引き算と論理演算をつかってプログラムできる.しかし,今回の言語では掛け算だけ組込みにしてある.これを使って自然数を自然数で割った余りを返すプログラムを書いたら次のようになるだろう.

function remain(x,y) { // 整数 |x| を 整数 |y| で割った余りを返す if ( x == 0 ) { return 0; // 便宜上ゼロをゼロで割っても余りはゼロとしよう } if ( x < 0 ) { x = -x ; } if ( y == 0 ) { ... なにがしかのエラー処理 ... } if ( y < 0 ) { y = -x ; } k = 0; while ( x > k*y ) { k = k + 1; } return x - (k - 1)*y; }

したがって,割り算の剰余を返す函数は計算可能である.

素数全体の集合も計算可能である.次のプログラムはものすごく効率が悪いが,そのことはプログラムが存在して後の問題であるからここでは考えない.

function isPrime(n) { // n が素数かどうか判定する var i,j; if ( n < 0) { n = - n; } i = 1; j = TRUE; while (i*i < n) { if ( remain(n,i) == 0 ) { // 函数 remain() はさっき定義したもの j = FALSE; break; } else { i = i + 1; } } return j; }

まあ,このような調子で,整数にかんするいろいろの概念や函数についてプログラムが書けることになる.とはいえ,プログラムというものは所詮は記号の有限列であるから全部で可算無限個しかない.いっぽう,自然数の集合全体 \(\mathcal{P}(\omega)\) は可算でない.ということは,自然数の計算可能でない集合が存在することになる.

話はここからだ.自然数の集合が,計算可能でないとしても,いったい《どの程度計算不可能か》ということを考えるために,さきほどのプログラム言語の仕様をすこし拡張する.

現実のプログラミングの世界では,計算できないデータがあるなんてことはあたりまえのことだ.たとえば,ワープロソフトのユーザがそのソフトで何を書こうとしているかを,ソフトの開発者が前もって知っているなんてことはありえない.オペレーティングシステムの開発者はどんなアプリケーションがそのシステムで稼動するか予知しているわけではないが,それでもアプリケーションとのインターフェイス(API)を設計しなければならない.

プログラムを書いている段階で詳細のわからないデータは,別ファイルで用意して実行時に読みこんだり,必要に応じてネットワークを介してサーバに問い合わせたりする.そうした場合,ソフトウェアの開発者にもエンドユーザにも,それら外部データの全容はわからない.わかっているくらいなら問い合せない.

要するに,数学以外の世界では,プログラムは必要に応じて外部に接続してデータを問い合わせながら動いているわけだ.

自然数の集合や函数を計算する我々のプログラミング言語も,外部のデータを取り込めるよう拡張しよう.プログラムの途中で外部のデータベースにアクセスして,与えられた集合 \(B\in\mathcal{P}(\omega)\) に自然数 \(x\in\omega\) が属するかどうかを教えてもらえることにする.

つまり,与えられた集合 \(B\) に x が属しているか否かに応じて TRUE または FALSE を返す組込み函数

query(x)

が用意されているものとする.ただし,個別の数値についてその都度「属する」「属さない」を教えてもらえるだけで,実行時に与えられるのがどんな集合か,プログラムの側で指定することはできない.また,与えられた集合が全体としてどんなものであるかは,プログラムの内部からはわからない.この,聞けば答えてくれるがその全容はわからない外部のデータベースとしての集合 \(B\) のことを,《ご神託》(oracle)という.

そう.オラクルといえば,データベースソフトウェア大手の会社名にもなっている.

さて,自然数の集合 \(A\) が《集合 \(B\) から計算可能》ということを,《集合 \(B\) をご神託として接続しておくことにより,自然数 \(n\) を受けとって \(n\in A\) か \(n\notin A\) かを判定して出力してくれる,ご神託つきプログラムが存在する》という意味だと定義しよう.函数や関係の \(B\) からの計算可能性についても同様に定義する.

たとえば,どの集合 \(A\) も \(A\) 自身から計算可能である.なぜなら,\(A\) そのものをご神託にしてしまえば query(x) 一行だけのプログラムで \(A\) に属するかどうかは判定できるから.また x が入力されたら !query(x) を返すプログラムを考えれば,\(A\) はその補集合 \(\omega\setminus A\) から計算可能でもある.

もともとの意味で計算可能な集合はどんな \(B\) からでも計算可能だし,空集合 \(\emptyset\) から計算可能な集合というのは,query(x) を部分をすべて定数 FALSE に書き替えたプログラムで計算可能なんだから,もともとの意味で計算可能である.

やっとこさ,今回の話で一番大切な定義:

【定義】自然数の集合 \(A\) が自然数の集合 \(B\) から計算可能であるとき \[ A\leq_{\mathrm{T}} B \] と書く.この式を《\(A\) は \(B\) にチューリング帰着可能》(Turing reducible)と読む.また \(A\leq_{\mathrm{T}} B\) かつ \(B\leq_{\mathrm{T}}A\) であるとき \[ A\equiv_{\mathrm{T}} B \] と書いて,《\(A\) は \(B\) とチューリング同値》(Turing reducible)と読む.

こうして \(\mathcal{P}(\omega)\) 上に関係 \(\leq_{\mathrm{T}}\) と \(\equiv_{\mathrm{T}}\) が定義された.すぐにわかるとおり,\(\leq_{\mathrm{T}}\) は反射的(すべての \(A\) について \(A\leq_{\mathrm{T}}A\))かつ推移的(\(A\leq_{\mathrm{T}}B\) かつ \(B\leq_{\mathrm{T}}C\) のとき \(A\leq_{\mathrm{T}} C\))である.そこで \(\equiv_{\mathrm{T}}\) は反射的・推移的かつ対称となり, \(\mathcal{P}(\omega)\) 上の同値関係になる.

【定義】商集合 \(\mathcal{P}(\omega)/\equiv_{\mathrm{T}}\) を \(\mathcal{D}\) と書く.集合 \(A\in\mathcal{P}(\omega)\) の同値類を \(\mathrm{deg}(A)\) と書いて \(A\) の《チューリング次数》(Turing degree)と呼ぶ.

チューリング次数の集合 \(\mathcal{D}\) には \(\leq_{\mathrm{T}}\) によって自然に半順序づけが導入される.計算可能性理論 (Computability Theory) においてはこの半順序集合の構造そのものが大きな興味の対象になっている.

なお,函数や関係についても,それらのグラフをあらわす自然数の集合に変換することでご神託として利用できる.たとえば函数 \(f\colon\omega\to\omega\) に対して集合 \[ B_f=\big\{\,2^n\cdot(2\cdot f(n)+1)\,:\,n\in\omega\,\big\} \] を対応させておけば,\(f(n)\) の値は \(B_f\) をご神託として \(2^n(2k+1)\in B_f\) となる \(k\) を小さい順に探していけば見つかるし,逆に,\(n\) が与えられるごとに \(f(n)\) の値がわかる仕掛けが存在するならば,自然数 \(x\) が \(B_f\) に属するかどうかは \(x=2^n(2k+1)\) をみたす \(n\) と \(k\) について \(k=f(n)\) となるかどうかを判断すればいいので計算できる.この意味で集合 \(B_f\) と函数 \(f\) は計算可能性の意味で同等だと考えられる.そこで \(A\leq_{\mathrm{T}} f\) という式や \(\mathrm{deg}(f)\) といった次数がそれぞれ \(A\leq_{\mathrm{T}}B_f\) とか \(\mathrm{deg}(B_f)\) のこととして,意味をもつことになる.\(\mathrm{Seq}\) 上の函数として定義された「作戦」についても同様である.

で,このチューリング次数の話が決定公理の話とどうつながるか.それに \(\aleph_1\) が可測基数という巨大基数の条件をみたすことに,なんでチューリング次数が関係するのか.

本当のことを言えば \(\mathrm{AD}\) のもとで \(\aleph_1\) が可測基数になることの証明にチューリング次数を使うというのは「そうやれば,チューリング次数のことを知っている人には簡単だよ」というだけで,\(\aleph_1\) の可測性という事態の本質に迫るものではないかもしれない.

にもかかわらず,こうして長々とチューリング次数について書いている理由は,ひとつには,これまでもこの「て日々」で何度かチューリング次数(や,その類似であるhyperdegree)が話題になっており,これから先そういう機会が増える気がしていること.一度はきちんと説明しておくべきだという理由である.それに,このあと述べる「チューリング次数の決定性」は,\(\aleph_1\) が可測基数であることの証明に使われるだけでなく,それ自身が \(\mathrm{AD}\) の応用として重要だという理由もある.なので,もう少し我慢してつきあってください.

以下ではチューリング次数を太字のラテン小文字 \(\mathbf{a}\),\(\mathbf{b}\),\(\mathbf{c}\),等々であらわすことにする.とくに計算可能な集合のチューリング次数 \(\mathrm{deg}(\emptyset)\) を \(\mathbf{o}\) と書く.

次数 \(\mathbf{a}\) に対して《\(\;\mathbf{a}\) を頂点とするチューリング次数の錐》 \(\mathcal{D}_{\mathbf{a}}\) を \[ \mathcal{D}_{\mathbf{a}}=\big\{\,\mathbf{x}\in\mathcal{D}\,:\,\mathbf{a}\leq\mathbf{x}\,\big\} \] によって定義しよう.どの錐 \(\mathcal{D}_{\mathbf{a}}\) も不可算無限個の次数を含む.また,ふたつの次数 \(\mathbf{a}\) と \(\mathbf{b}\) に対して,その共通の上界 \(\mathbf{c}\) をとれば, \[ \mathcal{D}_{\mathbf{c}}\subset\mathcal{D}_{\mathbf{a}}\cap\mathcal{D}_{\mathbf{b}} \] となるから,どの二つの錐の共通部分も不可算集合になっている.ここで \(\mathbf{a}\) と \(\mathbf{b}\) の共通の上界を作るには \(\mathbf{a}=\mathrm{deg}(A)\),\(\mathbf{b}=\mathrm{deg}(B)\) という集合 \(A,B\subset\omega\) をとって \[ A\oplus B=\big\{\,2n\,:\,n\in A\,\big\}\cup\big\{\,2n+1\,:\,n\in B\,\big\} \]とおいて(これを \(A\) と \(B\) の計算論的和と呼ぶ)その次数 \(\mathbf{c}=\mathrm{deg}(A\oplus B)\) を考えればよい.こうやって決めた \(\mathbf{c}\) は,特に \(\mathbf{a}\) と \(\mathbf{b}\) の最小上界 \(\mathbf{a}\cup\mathbf{b}\) になっている.半順序集合 \(\mathcal{D}\) は任意の2要素の最小上界が存在する《上半束》(upper semilattice)になる.しかし,2つの次数 \(\mathbf{a}\) と \(\mathbf{b}\) の最大下界 \(\mathbf{a}\cap\mathbf{b}\) は存在しない場合があるので,束にはならない.ともあれ,任意の2つのチューリング次数 \(\mathbf{a}\) と \(\mathbf{b}\) について \[ \mathcal{D}_{\mathbf{a}}\cap\mathcal{D}_{\mathbf{b}}=\mathcal{D}_{\mathbf{a}\cup\mathbf{b}} \] が成立する.したがって,有限個の錐の共通部分はふたたび錐になる.

そして, \(\mathrm{AD}\) の重要な帰結であるチューリング次数の決定性というのは,次の命題である.

【定理C】\(\mathrm{AD}\) を仮定する. チューリング次数の任意の集合 \(\mathcal{A}\subset\mathcal{D}\) に対して,\(\mathcal{D}_{\mathbf{a}}\subset\mathcal{A}\) をみたす次数 \(\mathbf{a}\) か\(\mathcal{D}_{\mathbf{b}}\cap\mathcal{A}=\emptyset\) をみたす次数 \(\mathbf{b}\) の,いずれか一方が,かならず存在する.

二つの錐は必ず共通要素をもつので,そのような \(\mathbf{a}\) と \(\mathbf{b}\) は共存できない.すなわち存在するとしてもどちらか一方しか存在できない.少なくとも一方が存在する,というのが,チューリング次数の決定性である.

定理Cの証明をする.チューリング次数の集合 \(\mathcal{A}\) が与えられたとする.次のようなゲームを考えよう.先手と後手が交互に自然数を言いあって,自然数の無限列を作る

(先手)\(a_0\) \(a_2\) \(\cdots\)\(a_{2n}\) \(\cdots\)
(後手) \(a_1\) \(a_3\)\(\cdots\) \(a_{2n+1}\)\(\cdots\)

すると \(f(n)=a_n\) (\(n=0,1,2,\ldots\)) として函数 \(f\colon\omega\to\omega\) が定まる.もしも \(\mathrm{deg}(f)\in\mathcal{A}\) ならば先手の勝ち,\(\mathrm{deg}(f)\notin\mathcal{A}\) ならば後手の勝ちとしよう.このゲームを \(G(\mathcal{A})\) と表記しよう.

決定公理により,ゲーム \(G(\mathcal{A})\) には先手の必勝法または後手の必勝法がある.

先手の必勝法 \(\sigma\) が存在した場合を考える.\(\mathbf{a}=\mathrm{deg}(\sigma)\) としよう.このとき \(\mathbf{x}\geq\mathbf{a}\) をみたすすべての次数 \(\mathbf{x}\) が \(\mathcal{A}\) に属する.そのことの証明: \(\mathbf{x}\geq\mathbf{a}\) であったとして, \(\mathbf{x}=\mathrm{deg}(B)\) となる \(B\) をとろう.仮定により先手の必勝法 \(\sigma\) は集合 \(B\) から計算可能である.そこで \[ a_1<a_3<a_5<\cdots<a_{2n+1}<\cdots \] を \(B\) の要素の数えあげとして,後手にこのとおりに \(a_{2n+1}\) を選ばせ,先手に必勝法 \(\sigma\) のとおりに応じさせたとしよう.無限列 \(\langle a_{2n+1}:n\in\omega\rangle\) も \(\sigma\) も \(B\) から計算可能であることにより,対局の結果として得られる \(f=\sigma*[\langle a_{2n+1}:n\in\omega\rangle]\) も \(B\) から計算可能である: \(f\leq_{\mathrm{T}}B\).ところが作り方から \(B=\{\,f(2n+1)\,:\,n\in\omega\,\}\) なのだから,\(B\) は \(f\) から計算可能である: \(B\leq_{\mathrm{T}}f\).こうして,\(\mathbf{x}=\mathrm{deg}(B)=\mathrm{deg}(f)\) となるが,\(\sigma\) が先手の必勝法であったことから,\(\mathrm{deg}(f)\in\mathcal{A}\) である.したがって \(\mathbf{x}\in\mathcal{A}\) となる.

こうして,ゲーム \(G(\mathcal{A})\) に先手の必勝法がある場合には \(\mathcal{D}_{\mathbf{a}}\subset\mathcal{A}\) をみたす次数 \(\mathbf{a}\) が存在することになる.

ゲーム \(G(\mathcal{A})\) に後手の必勝法 \(\tau\) がある場合,\(\mathbf{b}=\mathrm{deg}(\tau)\) とし,上の議論で先手と後手の役割を交換して同様に議論すれば, \(\mathcal{D}_{\mathbf{b}}\cap\mathcal{A}=\emptyset\) となることがわかる.これで定理Cが証明できた.

さてさて,このチューリング次数の決定性から \(\aleph_1\) が可測基数であることの証明をしようとすれば,さらに「計算可能な整列順序」の話をしないといけない.明日はその話をして,いよいよ証明を完結させよう.


2012年10月2日(火)はれ

位相の授業の開講。直積位相と部分空間の話を大急ぎで済ませてホモトピーの話に飛び込むという粗忽な授業をしてしまった。来週は月曜日授業になるのでお休み。次回以降はもうちょっとていねいにせねばなるまい。

ジャスティン・ムーアが、証明に間違いがあるからといってプレプリントを引っ込めてしまい、みんなビックリしている。それがまた俺もヨリオカくんも見過したほんのちょっとした命題、おそらく他のたいていの人も「ふんふん、なるほど」と通りすぎてしまいそうなところに間違いがあるというのだから困る。詳細は伝わっていない。金曜日のセミナー、部屋も押さえたし、D教授も聴きたいと言ってくれているのだけど、さて、どうなることやら。

やるきのないあひる

さてさて,昨日の話の流れからいって,決定公理 \(\mathrm{AD}\) から \(\aleph_1\) が可測基数であることが導かれることを証明せにゃならん.いやその前に,そもそも決定公理とはなにか説明しよう.

0を含む自然数全体の集合を \(\omega\) と書き,自然数の無限列全体の集合を \(\omega\) から \(\omega\) への函数の全体という意味で \({}^\omega\omega\) と書く.で,二人の人が交互に自然数を言いあうゲームをしている:

(先手)\(a_0\) \(a_2\) \(\cdots\)\(a_{2n}\) \(\cdots\)
(後手) \(a_1\) \(a_3\)\(\cdots\) \(a_{2n+1}\)\(\cdots\)

こんな調子でずっと続けていくと,自然数の無限列 \[ \vec a=(a_0,a_1,\ldots,a_{2n},a_{2n+1},\cdots)\in{}^\omega\omega \] が一つ定まることになる.あらかじめ \({}^\omega\omega\) の部分集合 \(A\) を指定しておけば,結果の無限列 \(\vec a\) が集合 \(A\) に入れば先手の勝ち,入らなければ後手の勝ち,というルールのゲームができる.勝敗条件である集合 \(A\) と,各時点でのそれまでの両者の動きがすべて公開されている.この種のゲームを「集合 \(\omega\) 上の完全情報2人ゲーム」と呼ぶ.

たとえば \(A\) として \(a_0=0\) をみたす列の全体が指定されれば,先手が最初に \(0\) を言えばいいから先手必勝だ.\(A\) として \(a_0=a_1\) をみたす列の全体が指定されれば,後手が先手の \(a_0\) と同じ数を \(a_1\) として出せばいいので,後手必勝である.もうちょっと難しい例として,\(A\) が可算集合だったばあい,その要素を一列にリストして対角線論法の要領で可能性を潰していけば後手が勝てる.同様の理由で \(A\) の補集合が可算だった場合は先手必勝である.

さて,決定公理は,あらゆる \(A\subset{}^\omega\omega\) について,こうして定義されたゲームには,先手か後手のどちらかの必勝法が必ずあると主張する.

必勝法の定式化はこうだ.自然数の有限列全体の集合を \(\mathrm{Seq}\) と書く.作戦(strategy)とは函数 \(\sigma:\mathrm{Seq}\to\omega\) のことだとする.作戦 \(\sigma\) と無限列 \(f:\omega\to\omega\) が与えられれば,後手が \(f(0),f(1),f(2),\ldots\) を順に言い,先手は作戦 \(\sigma\) のとおりに応対してできる対局

先手\(a_0=\sigma(\emptyset)\) \(a_2=\sigma(\langle a_0,a_1\rangle)\) \(~\cdots~\)\(a_{2n}=\sigma(\langle a_0,a_1,\ldots,a_{2n-1}\rangle)\) \(~\cdots~\)
後手 \(a_1=f(0)\) \(a_3=f(1)\)\(~\cdots~\) \(a_{2n+1}=f(n)\)\(~\cdots~\)

が考えられる.この対局の結果できる列 \((a_0,a_1,a_2,\ldots)\) を \(\sigma*[f]\) と書こう.同様に,先手が \(f(0),f(1),f(2),\ldots\) を順に言い後手が作戦 \(\sigma\) のとおりに応対してできる対局

先手\(a_0=f(0)\) \(a_2=f(1)\) \(~\cdots~\)\(a_{2n}=f(n)\) \(~\cdots~\)
後手 \(a_1=\sigma(\langle a_0\rangle)\) \(a_3=\sigma(\langle a_0,a_1,a_2\rangle)\)\(~\cdots~\) \(a_{2n+1}=\sigma(\langle a_0,a_1,\ldots,a_{2n}\rangle)\)\(~\cdots~\)

の結果を \([f]*\sigma\) と書こう.

作戦 \(\sigma\) がすべての無限列 \(f\) に対して \(\sigma*[f]\in A\) をみたすとき,\(\sigma\) は先手の必勝法(winning strategy)であるという.またすべての無限列 \(f\) に対して \([f]*\sigma\notin A\) となるなら,作戦 \(\sigma\) は後手の必勝法である.先手と後手の両方の必勝法が同時に存在しないことは明らかだけれど,与えられた集合 \(A\subset{}^\omega\omega\) に対して,先手か後手のどちらかの必勝法が存在するということは,まったく自明ではない.決定公理は,それが「必ずある」と主張する.

これが決定公理 \(\mathrm{AD}\) (Axiom of Determinacy) である.選択公理 \(\mathrm{AC}\) を用いれば,先手にも後手にも必勝法がないような \(A\subset{}^\omega\omega\) の存在を証明することができる.作戦全体の集合を整列させて超限再帰的に対角線論法を用いればいいのだ.つまり \(\mathrm{AD}\) は \(\mathrm{AC}\) とは相容れない.

選択公理 \(\mathrm{AC}\) が数学においてどれだけ有用であるかを思うと,それと相容れない決定公理 \(\mathrm{AD}\) の出る幕はないように思える.ところが,\(\mathrm{AD}\) はもともと \({}^\omega\omega\) の部分集合にかんする命題である.\({}^\omega\omega\) は連分数展開を通じて正の無理数全体の集合と一対一に対応するため,決定公理は実数の集合にかんする命題とみなすことができる.だから,いわゆる実解析の領域に話を限ると,選択公理とは相容れないが有用で興味深い,いろいろな命題が決定公理から導かれる.

そのような例を紹介しよう.閉区間 \([0,1]\) に含まれる,両端が有理数であるような閉区間全体の集合は,可算集合である.そこで,先手は \([0,1]\) に含まれる有理閉区間を言い,後手はそれに答えて「左」または「右」と答える,という問答も,\(\omega\) の要素を言いあうゲームの形で表現できる.

(先手)\(I_0\) \(I_2\) \(\cdots\)\(I_{2n}\) \(\cdots\)
(後手) \(I_1\) \(I_3\)\(\cdots\) \(I_{2n+1}\)\(\cdots\)

ここで,\(I_0\),\(I_1\) 等々は \([0,1]\) に含まれる有理閉区間である.後手の選ぶ \(I_{2n+1}\) はその直前に先手が言った \(I_{2n}\) を中点で分割した左右半分のどちらかでなければならない.先手の選ぶ \(I_{2n}\) はその直前に後手が言った \(I_{2n-1}\) に含まれなければならない.このルールを破ったプレイヤーは判定負けになるものとしよう.先手後手ともにルールを守って対局が済めば,縮小閉区間列 \[ I_0\supset I_1\supset I_2\supset \cdots I_n\supset \cdots \] が得られる.ここで,後手が毎度毎度区間を半分にわけていることからわかるとおり,区間 \(I_{n}\) の幅はゼロに近付くから,これらに共通に含まれる実数 \(x\) がただひとつ存在する: \[ \{x\}=\bigcap_{n=0}^\infty I_n\;. \] 先手と後手が区間の縮小と分割によって指定した実数 \(x\) が,あらかじめ定められた集合 \(E\subset[0,1]\) に属すれば先手の勝ち,属しなければ後手の勝ちというゲームを考えよう.これを \(G^{**}(E)\) と表現する.

これとよく似たゲーム \(G^*(E)\) では,\(G^{**}(E)\) と同様に \([0,1]\) に含まれる有理閉区間を選んでいくのだが,今度は後手は,先手の選んだ区間の左右の半分を選ぶという制限を緩めて,先手と同様に後手も,相手が直前に選んだ区間に含まれる有理閉区間を選べばよいというルールに変更する.すると,縮小閉区間列の共通部分は一点にまで縮む保証はないが空にはならないので,その共通部分が集合 \(E\) の要素を含めば先手の勝ち,そうでなければ後手の勝ち,というゲームを考える.これが \(G^*(E)\) である.

証明は略すが,これらについて次の定理が成立する:

【定理A】\(E\subset[0,1]\) とする.(1) ゲーム \(G^{**}(E)\) が先手必勝であるための必要十分条件は,\(E\) がカントール空間 \({}^\omega2\) と同相な部分集合を含むことである.(2) ゲーム \(G^{**}(E)\) が後手必勝であるための必要十分条件は,\(E\) が可算集合であることである.(M.デイヴィス)
【定理B】\(E\subset[0,1]\) とする.(1) ゲーム \(G^{*}(E)\) が先手必勝であるための必要十分条件は,ある区間 \(I_0\) に対して \(I_0\setminus E\) がベールの第一類集合となることである.(2) ゲーム \(G^{*}(E)\) が後手必勝であるための必要十分条件は,\(E\) がベールの第一類集合であることである.(バナッハ&マズール)

したがって《実数の任意の集合はベールの性質をもち,また可算でなければ連続体濃度を有する》ということが決定公理 \(\mathrm{AD}\) から導かれるわけだ.

また,\(\mathrm{AD}\) が選択公理 \(\mathrm{AC}\) とは相容れないけれども,実解析学を展開するにあたって有用な次のような弱い選択公理 \(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\) が \(\mathrm{AD}\) から導かれる:

【\(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\)】実数の空でない集合の列 \(A_0,~A_1,~\ldots,~A_n,\ldots\) が与えられれば,数列 \(\{x_n\}_{n\in\omega}\) を \[ x_n\in A_n\quad(n=0,1,2,\ldots) \] となるようにとれる.

決定公理から \(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\) を導く証明はやはりゲームを使いる.まずゼロ手目に先手が番号 \(n\) を指定し,それ以後の先手の動きは勝敗には関係なくて,後手が自然数の無限列を選び,10進展開なり何なり,あらかじめ定められたしかるべき方法でその無限列が \(A_n\) の要素をあらわしているなら後手の勝ち,というルールだ.どの \(A_n\) も空ではないのだから先手に必勝法がないのはあたりまえだ.いっぽう,後手の必勝法があるとすれば,それは先手の言う \(n\) をみて \(A_n\) の要素を作る作戦になっているはずだから,まさしく \(A_n\) からの選択函数になっている.

この弱い選択公理 \(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\) は,弱いといってもなかなか強力で,おかげで

といった実解析で有用ないろいろな命題が保証されることになる.

長くなってきたから今日はここまで.続きはまた改めて.

翌日追記:とはいえ,あとこれも言っておきたい.さきほど「実解析で有用ないろいろな命題」といって挙げたのは \(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\) からの帰結で,(選択公理を含む)通常の数学で得られるものだ.ルベーグ積分論を含む実解析の基本的なところはこのように選択公理を \(\mathrm{AC}_\omega(\mathbb{R})\) に弱めた集合論で展開できる.さらに決定公理 \(\mathrm{AD}\) を用いることで

といった,\(\mathrm{AC}\) のもとでは成立しない(したがって「通常の数学」とは少し様子の異なる)さまざまな結果が導かれる.そこで, \(\mathrm{AC}\) の代わりに \(\mathrm{AD}\) を採用した実解析を考えようという提案がなされたこともある.たとえば文献[Jan Mycielski and Hugo Steinhaus, “A mathematical axiom contradicting the axiom of choice,” Bull. Acad. Polon. Sci. Sér. Sci. Math. Astronom. Phys. 10 (1962) 1–3.]など.さらにその歴史的背景については志賀浩二『無限からの光芒 —— ポーランド学派の数学者たち』(日本評論社)など.

とはいえ,具体的な函数方程式をめぐる結果にまでその影響が及んだという話は聞かない.そして \(\mathrm{AD}\) の実解析への影響の大部分はSolovayのモデルにおいて得られるものと一致する.むしろそうした現象のほうに,すなわちいろいろな公理の変更にも関わらず理論のコアになるべき部分が不変であるという事態のほうにこそ,数理論理学的な分析の目が向けられるべきであり,その意味では \(\mathrm{AC}\) と \(\mathrm{AD}\) のどちらを正しい公理とするかなんてことは,もはや問題にならない.


2012年10月1日(月)くもり

さて大学でも本格的に後期の授業が始まった。俺の受け持ち授業は火曜日3限の3年生向けの位相の講義と、主に木曜日に不定期に開く大学院生向けのTeXとプレゼンテーションの演習。位相の講義では一樂重雄『位相幾何学』(朝倉書店)の第5章の内容に沿って基本群をやり、ジョルダンの閉曲線定理の証明をする。

午後,院生の910くんが質問に来た.\(\kappa\) が無限基数で,各 \(\alpha<\kappa\) に対し濃度が \(\kappa\) 以下の集合 \(X_\alpha\) が対応しているとき和集合 \(\bigcup_{\alpha<\kappa}X_\alpha\) の濃度がまた \(\kappa\) 以下であること(新井敏康『数学基礎論』(岩波書店)の系4.4.21の1)の証明のどこに選択公理が要るのかわからない,ということだった.そこで証明をざっと見直し,最初に各 \(X_\alpha\) から \(\kappa\) への単射 \(f_\alpha\colon X_\alpha\to\kappa\) が与えられている,というところでもう選択公理を使っちゃってるんだよ,と指摘した.そこを通過してしまえば,あとは選択公理と一応無縁にできる:

記号の簡略化のためにまず \(X=\bigcup_{\alpha<\kappa}X_\alpha\) としよう.写像 \(u\colon X\to\kappa\) を \[ u(x)=\min\big\{\,\alpha<\kappa\,:\,x\in X_\alpha\,\big\}\quad(x\in X) \] によって定める.つまり,和集合の要素 \(x\) が初めて \(X_\alpha\) に属する最初の番号 \(\alpha\) を \(u(x)\) とする.つぎに写像 \(g\colon X\to\kappa\times\kappa\) を \[ g(x)= \langle u(x),f_{u(x)}(x)\rangle\quad(x\in X) \] と定める.もしも \(x,y\in X\),\(x\neq y\) で \(u(x)=u(y)=\alpha\) なら \(f_\alpha(x)\neq f_\alpha(y)\) のはずで,このとき \(g(x)\neq g(y)\) となるし,\( u(x)\neq u(y) \) であればなおのこと \(g(x)\neq g(y)\) である.したがって \(g\) は単射である.いっぽう,単射 \[ \kappa\times\kappa\to\kappa \] の構成は定理4.4.20で済んでいるから,\(X\) から \(\kappa\) への単射が存在することになる.

行きがけの駄賃に,選択公理とカルテジアン積の関係についての次の定理を紹介しよう.

【定理】選択公理は次の命題と同値である:任意の無限集合 \(X\) について,直積 \(X\times X\) から \(X\) への単射が存在する.

【証明】選択公理から \(X\times X\) と \(X\) の間の全単射を与える証明は,上に引用した議論で済んでいる.逆を示すには,空でない集合 \(A\) が与えられたとして,\(A\) からある順序数 \(\alpha\) への単射が存在することを示せばよい.そこでまず無限順序数 \(\alpha\) を単射 \(\alpha\to A\) が存在しないほどに十分大きくとる(この点については後述).そして \(X=A\cup\alpha\) としよう.\(\alpha\) は無限順序数なので \(X\) も無限集合で,仮定により単射 \(F\colon X\times X\to X\) が存在する.ところで \(A\times\alpha\subset X\times X\),\(X=A\cup\alpha\) であるから,このとき単射 \[ F\colon A\times \alpha\to A\cup \alpha \] が存在することになる.各 \(a\in A\) ごとに,対応 \[ F_a\colon \xi\mapsto F(a,\xi)\quad(\xi<\alpha) \] は \(\alpha\) から \(A\cup \alpha\) への単射であるが,\(\alpha\) から \(A\) への単射は存在しないのだから,どの \(a\in A\) についてもある \(\xi<\alpha\) について \(F(a,\xi)\notin A\) となっている.そこで写像 \(u\colon A\to\alpha\) を \[ u(a)=\min\big\{\,\xi<\alpha\,:\,F(a,\xi)\notin A\,\big\}\quad(a\in A) \] と定めれば,対応 \[ a\mapsto F(a,u(a))\quad(a\in A) \] は \(A\) から \(\alpha\) への単射となる.【証明終】

いや,質問にちゃんと答えたあとではあるが,いきなりこんな話を聞かされる910くんも気の毒ではある.

この証明では,順序数 \(\alpha\) を単射 \(\alpha\to A\) が存在しないように十分大きくとる必要がある.選択公理のもとでは,そのような最小の順序数とは \(|A|^+\) にほかならない.しかしここでは選択公理に訴えずに \(\alpha\) の存在を証明しないといけない.これはハルトークスのアレフ \(\aleph(A)\) というもので,\(A\) の部分集合の整列順序づけの順序型の上限と定義される.

集合 \(A\) の部分集合の整列順序づけの全体は \(A\times A\) の冪集合に含まれるはずだから冪集合の公理と分離公理により集合であり,それら整列順序づけの順序型の全体も,置換公理により集合となる.したがって \(\aleph(A)\) は順序数として確定する.もちろん選択公理のもとではすべての集合 \(A\) について \(\aleph(A)=|A|^+\) が成立するが,選択公理と相容れない集合論においてはそうではない.たとえば決定公理 \(\mathrm{AD}\) のもとでは,連続体の濃度 \(2^{\aleph_0}\) と最小の不可算基数 \(\omega_1\) とは比較できず,まさにその理由により \(\aleph(\mathbb{R})=\aleph_1\) となる.念のために言えば,この場合は基数としての \(|\mathbb{R}|\) は定義すらされていない.整列可能集合の濃度に相当する基数については,決定公理からも数々の興味ぶかい結果,たとえば \(\aleph_1\) が可測基数になることなどが導かれるのではあるが.選択公理を手放してしまうと,基数はもはや集合のサイズを計る一般的なモノサシとしての役目は果さない.