て日々

2012年8月


2012年8月31日(金)くもり

午前中、懸案だった散髪に行く。二ヶ月半ぶり。

大学に着いて、後期のテキストの変更についての掲示を出す。小林貞一『トポロジー』(近代科学社)を予定していたが、版元品切れ重版未定だというので変更を余儀なくされた。一樂重雄『位相幾何学』(朝倉書店)に変更できないか生協に相談したら、版元に確認してくれて、こちらも在庫が少々品薄ではあったが、9月中に重版されるということで、ひと安心。だが、このテキストを活用するためにも、授業内容は変えないといけないだろう。

夕方からシャクマトフ教授がやってきて、大田春外『はじめての集合と位相』(日本評論社)を置いていった。トポロジーといっても、わが数学科のおすすめは、野倉教授とシャクマトフ教授という二人の世界的権威を擁している集合論的トポロジー、位相空間論である。位相幾何を俺が講義するのは、言ってみれば逸脱である。高等学校の新課程にあわせたカリキュラム改訂の作業が進んでいること、今年度をもって野倉教授が定年退職なさること、この二つを合わせ考えると、俺たちがこの先どういう授業を展開していくか検討しなおす、いまは大事な機会である。わが数学科の位相空間論には永見啓応先生以来の伝統があり、国内に数すくない研究拠点の一つである。野倉先生の期待に反して俺がその伝統をあやうく台無しにしそうなわけで、反省せにゃならん。位相幾何はOg助教やHd准教授が俺なんかよりよほど上手に担当できる一方、位相空間論はそういうわけにもいかず、シャクマトフ教授と、僭越ながら俺が担当する。

で、何が言いたいかというと、つまり “俺が位相幾何を三年生の講義でやるのは、今年が最後だよ。”

赤い大輪の花
いつもの散髪屋に行く道でみかけた赤い花

ピアノのレッスン。先週の約束どおりテンポを上げる練習をしていたわけだけど、どうしても雑になる。メトロノームのタイミングに気をとられてしまう状態を早く脱しないといけない。


2012年8月30日(木)くもり

昼食を食ってから出勤。会議に出る。

新キューネン本(2011年版 “Set Theory”)の第II章にひととおり目を通した。第III章に進む前に、もういちど第II章の頭に戻って演習問題を解いていくか、それとも後期のゼミで扱う第I章8節以降を下読みするか。

いつもの薬を貰いに医者に行く日だ。いつもより15分早く医者に行ったら、予約時刻の3分前には診察が終わっていた。ちょっと得した気分になって、散歩がてら常と違う道を歩いて帰ることにした。宮西のブックオフで大上丈彦『数学のできる人できない人』(荒地出版社2002年)を買った。


2012年8月29日(水)くもり

オフィスのキャビネットから、13年前のコンピュータ・リテラシーの授業で配布した資料が出てきた。扱っている内容は、インターネットがなぜつながるか(パケット通信やらルーティングやらDNSとった仕組みの紹介)とか、HTMLとスタイルシート入門とか、Webブラウザ独占をめぐってマイクロソフトが提訴された事件についてのレポート課題とか、あとRFC2504だったっけかの日本語訳を配ってセキュリティ意識を高めようという話とか。当時は「こんなえーかげんなことでええんかいな」と思いながらやっとったように思うけど、なかなかどうして、それなりにちゃんと書いてある。ただ、俺のコンピュータに関する知識がその時期からほとんど進歩していない気がするので、いま同じことをやれと言われたらとても無理だ。


2012年8月28日(火)あめ

夜、膝が痛むので電車で帰ることにした。移動中はキューネン本2011年版を読む。市内電車が乗り換え駅に着いたのが郊外電車の時間の3分ほど前。待ち時間があっても本が読めるからかまわないと思っていたが、3分のあいだに、市内電車を降りる→い〜カードにチャージする→売店でお酒を買う→改札を通る、が済み、ほどなく郊外電車がきた。めずらしく乗り換えがスムーズで気分がよかった。ありがたいことだ。

手際よく動いて、うまく運んで、気分がいい。こういう日もたまにある。むろん、どうでもいいような小さなことなのだが、日記に書くほどのこともないと思って記録しないでおくと、しばらくして忘れてしまって、タイミングが悪くて不愉快だった経験ばかりが記憶に残ってしまう。それで「自分はいつも時間の使い方がヘタだ」という神話ができあがってしまう。たしかに俺は決して時間管理術に長けているわけではないが、いつもいつも失敗ばっかりしているわけではない。うまく行けば気分がいいし、うまくいかなくてもそれほど実害がないので、「どうせダメだし」と思わずに、もうちょっと機敏に身体を動かすようにしたほうがいい。

家の近くで田んぼの横を通ろうとしたら、田んぼからだしぬけにマガンが飛び出してきた。サギがいるのはときどき見かけるが、ガンは初めてで、しかもいきなり足元からバサバサっと出てきたので、けっこうびっくりした。まあ、鳥のほうでも、晩飯になるドジョウでもいないかと稲の間を歩きまわっていたら急に人間の姿が見えたわけで、驚いたのはお互いさまなのだろう。

子供らが寝しずまってから、自分だけ起きだして、新キューネン本の \(V=L\) からの \(AC+GCH\) の証明を読んでしまう。旧版と比較して、ずいぶん要領がよく、それでいて説明が粗くなったわけでもない。ずいぶん読みやすくなった。旧版で手強い演習問題だったものがいくつか証明つきの例題として収録されていることにも注目したい。


2012年8月27日(月)はれ

一日家にいて本を読む。昼食にそうめん、夕食には「ミニおでん」と麻婆茄子を作った。まあ、どれもたいしたものではない。安上がりに食事ができてよかったよかった。


2012年8月26日(日)はれ

妻が「佐田岬に行きたい」と言い出したので、突然ドライブに行くことになった。金欠なので外食は控え弁当を持っていくことにする。朝、妻子が教会学校へ行っているあいだに、俺が弁当を作る。

お弁当
おとなの分のお弁当
子供のも同じだけど、ちょっと小規模

お弁当は双海のシーサイドパークで食べよう、と思ったけど、たいへんな人で、駐車場もいっぱい。それで坂を登って「潮風ふれあい公園」に行った。ここの宿舎は若い学者たちを招いた小規模な合宿によいかもしれない。明るい夏の太陽の光の中、波の静かな伊予灘沿いの「夕やけこやけライン」を、金管バンド(救世軍インターナショナル・スタッフ・バンド)のCDをかけながら、ゆったりとした気分で走る。太陽と海があれば、それほどお金をかけなくても、幸せな気持を満喫できる。

佐田岬半島は四国の最西端に細長く突き出した半島だ。実は15年か16年前に、俺は一度佐田岬の灯台まで行ったことがある。Macintosh向けパソコン通信ソフト Jterm のメーカー「株式会社まつもと」(現アートマン21)が運営していたサポートBBS「まつのゆ」のメンバーのオフ会で、東京から来てくれたGTBさん、今治にいたMisaさんと一緒に、東京大学の大学院で半導体の研究をしていた八幡浜出身のTetsuhisaさん (三堂哲寿さん) に連れて行ってもらったのだった。当時の伊方町、瀬戸町、三崎町が合併して、現在は全体が伊方町になっている。当時から風力発電の風車はとくに瀬戸町にたくさんあったが、今回行ってみて、その数がずいぶん増えているように思った。妻の郷里の山口県の平生町と隣の上関町の関係もそうだが、原発ができると隣町の人が風力発電をしたくなるものなのだろうか。他の原発の付近ではどうなっているんだろうか。(いや、上関の原発はできていないし、ひょっとして、もう作られないかもしれないのだけど)

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旧瀬戸町の道の駅から、宇和海の眺め。

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半島全体にわたって、けっこうな数の風車が並ぶ。
まあ、伊方の原発のことを別にしても、たしかに風力発電に適した場所だとは思う。

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岬の駐車場から見下ろした海岸。
台風15号の影響か、波が高い。

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下のキャンプ場から灯台まで1キロくらい
右が外海側(宇和海)左が瀬戸内海側(伊予灘)
波の高さを比べてみてほしい

佐田岬の手前2キロメートルほどの、車で行けるぎりぎりまで行って、灯台へ向う遊歩道を歩きだしたのだけど、キャンプ場あたりでみた荒波に妻が怖気づいてしまったので、灯台へは行かずに引き返した。夜の8時半ごろに帰宅。灯台に行けなかったのは残念だけど、なかなか楽しいドライブだった。旧瀬戸町の道の駅で地酒を買ったので、また義父と一緒に飲もうと思う。

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いろいろな花が咲いていたよ


2012年8月25日(土)くもり

妻は午後から例の巨大ショッピングモールの医務室のバイトへ行き、帰宅後はろくに夕食も食わずに町内会の秋祭りの相談に出かけた。それで、俺が子供たちの夕食を作り、三人で「鷹の爪 the movie 3」を見て過した。


2012年8月24日(金)はれ

大学院入試の面接試験。朝10時から午後14時までかかった。冷房の効いた部屋にこもっていたので、まだまだ暑いはずの外の空気が心地よく感じられたくらいだ。夕方からはピアノのレッスン。そろそろ本番に向けてテンポを決めないといけない。いまの練習用のテンポでは遅過ぎて、音楽としては聴けない。自分でメロディーを口ずさんでみると、ピアノで弾くより思いがけず速いのだ。このテンポに合わせるつもりで、左手のアルペジオを練習しなおさないといけない。

レッスンが済んで帰りの電車。ドアのすぐ横に席を占めて座った。降りようとするときになって、自分が座っていた背中の近く、ドア付近のシートのところに、メスのカブトムシがしがみついていることに、はじめて気がついた。松山市駅からこっちで乗ってきたとは思えない。としたら、どこから乗ってきたのだろう。気がついたのが本当に降りる間際だったので、捕まえて外へ離してやることもできなかったが、その後無事に目的地(?)に着いただろうか。

レッスンから帰宅すると、妻子が浴衣に着替えて、町内のお寺の盆踊りに出掛けるところだった。行く夏を惜しんで俺ももう一度くらい浴衣を着てみたいのではあるが、ちょっと思うところがあって、今回は町内の盆踊りには出向かないことにして家で待っていた。

やるきのないあひる

昨日の正十二面体の工作で示唆されたフラクタル図形を描いてみた。FreePascalで計算して結果をAsymptoteのソースファイルとして吐き出させ、PNG画像にしてある。(こちらをどうぞ:[その1] [その2] [その3])まあ、たいしたものではない。

それにしても、正五角形というのはなかなか絶妙に面白い形だと思う。


2012年8月23日(木)くもり

毎年恒例の大学院入試。きょうは筆記試験。

〜〜〜

きょうツイッターで流した「正十二面体の作り方」の図解を再掲する。

正十二面体の作り方(1)
① まず、理想界の完璧な正五角形の不完全な似姿を作図します。
一辺を8cmとしました。
このあと補助線は消してしまいます。

正十二面体の作り方(2)
② 補助線は紛らわしいので消しました。対角線をつないで五芒星を描きます。
地面に描くとメフィストフェレスが来ますがケント紙なので大丈夫です。

正十二面体の作り方(3)
③ 五芒星の「芒」の二等辺三角形の辺(ABと書いた線分)の長さで正五角形の辺に分点を取ると、
五芒星中央の小五角形と合同な正五角形が五つ得られます。

正十二面体の作り方(4)
④ 六つの正五角形を並べた図形が出来たら、これを切り抜きます。
間の小さい二等辺三角形は取り除かず、
あとでのりしろにします。

正十二面体の作り方(5)
⑤ 切り抜いて少し折り癖をつけたところです。
ここまできたら鉛筆の線は消してしまって大丈夫です。
さて、同じものをもう一つ作らねばなりません。

正十二面体の作り方(6)
⑥ もう一個には、両者を貼り合わすためののりしろを設けましたが、
本来なら両方に交互に半数ずつのりしろを作ったほうが
仕上がりが綺麗かもしれません。

正十二面体の作り方(7)
⑦ 組み立て作業。なかなか難しいです。
プラトン先生ならずとも、ため息が出そうです。

正十二面体の作り方(8)
⑧ なんとか組み上がった、理想界の正十二面体の不完全な似姿。
糊が乾くまではうかつに触れません。(完)

「理想界の正五角形の不完全な似姿」とか「プラトン先生」とか言っているのは、この工作を始めたのが、幾何学図形を紙に描いたり模型を組み立てたりする作業のさなかにこそ、プラトンの「現実に出会う事物は理想界の真実在の不完全な似姿に過ぎない」という言葉が切実に納得できる気がするという話の流れだったからだ。[→ソース]

定規とコンパスで作図した正五角形は理想的に正確なはずなのに、実際にそれで正十二面体を組み立ててみると、あっちが余りこっちが足りず、ちょっとずつギクシャクしてしまう。そこでプラトン先生は、ため息をついて言った:「現実の事物は理想界の真実在の不完全な似姿に過ぎない」

プラトンのアカデメイアの門には(ピュタゴラス教団に倣ったのかも知れないけど)幾何学を知らぬものは入門を許さないと書いてあったというのは有名な話。それに、プラトンにはどうも現実界の事物は理想界の設計図にしたがって作られたものという考えがあったようだというのは、木田元さんの本を読んで学んだところだ。現実の事物が、理想界の真実在の完璧な実現ではなくさまざまの偶有性によって歪められているというプラトンの考えは、幾何学の作図にはなるほどぴったりとあてはまる。

話はコロっと変わるようだが、数学とはかけ離れた色恋の世界で、若い男の子は理想の女性像を追い求めて右往左往するものである。このときどうしても「現実の女の子は理想界の真の女性の不完全な似姿にすぎない」という態度になってしまいがちだ。若者にとっての男女関係というと、「恋人」という変数が先にあって、現実の異性がそこへ代入されるような格好になっている。ところが、現実の異性は(もちろん同性でも)、ありとあらゆる偶有性を束ねた「他者」であり、決してこちらの理想に合わせて作られているわけでない。それはとてもとても、幾何学の作図どころの話ではない。

…こんどの相手こそは理想的に似合いのパートナーなはずなのに、実際にそれで共同生活を始めてみると、あっちが余りこっちが足りず、ちょっとずつギクシャクしてしまう。そこでプラトン先生は、ため息をついて言った:「現実の事物は理想界の真実在の不完全な似姿に過ぎない」

人間関係のリアリティに対して理想界の真実在を引きあいに出されてはかなわないが、幾何学とエロースという組合せは、なんともプラトン的で面白いと思った。

ところで、上に延べたレシピでは、最初の正五角形の作図法には触れていない。これについては日を改めて触れることにしたい。


2012年8月22日(水)くもり

朝から平衡感覚がおかしく、少しめまいがする。一日家にいて、2011年版キューネン本 (Kenneth Kunen: Set Theory, College Publications, 2011) の第II章に目を通す。もちろんこのあたりの題材は旧版と大きく重なるわけだが、同じ素材でも扱いはだいぶ変わっていて、今回は数理論理学の基本的なところの知識を遠慮なく使っている。これはその部分を別の本 (Kenneth Kunen: The Foundations of Mathematics, College Publications, 2009) できちんと展開していることに加えて、集合論を応用する数学者の共通の予備知識の範囲が30年間のうちに変化したという事情もあるのだろう。

今日読んだ範囲では、演習問題II.4.21が面白かった。結果もさることながら、ヒントに述べられた論法に感服。まったく誰がこんなことを思いついたんだろうか。

集合論に関連して思い出したこと。学生時代のゼミでK.J.Devlinの “Constructibility” を読んでいたときのこと。構成可能的階層の重要な性質として、ゲーデルの圧縮補題 (Condensation Lemma) というのが出てくる。こんな命題だ:

\(\alpha\) を極限順序数とするとき,\(X\subset L_\alpha\),\(\langle X,{\in}\rangle\prec \langle L_\alpha,{\in}\rangle\) をみたす \(X\) は,ある(ただひとつの)極限順序数 \(\beta\) についての \(L_\beta\) と同型,すなわち \(\langle L_\gamma,{\in}\rangle\simeq \langle X,{\in}\rangle\) である.

ここで \(\prec\) は “初等部分構造である” というモデル理論的な関係をあらわす。実際にはこれは \(\Sigma_1\)-式の絶対性だけを要請する \(\prec_{1}\) に弱めてもかまわない。圧縮補題はゲーデルの構成可能的集合の宇宙が一般連続体仮説GCHをみたすことの証明に重要な役割を果たす命題だから、Devlinの本ではかなり早いうち(p.80, Theorem 5.2)に登場する。

セミナーでこの圧縮補題の証明を読んだときに、俺はちょっと考えた。

たとえば \(\alpha\) が \(\omega\) だった場合や、 \(\omega\) より真に大きい最小の順序数 \(\omega+\omega\;(=\omega\cdot2)\) だった場合,\(L_\alpha\) が「極限順序数がひとつもない」あるいは「極限順序数がちょうどひとつある」という文のモデルになっているという理由で、圧縮補題の \(X\) をどうとったとしても、対応する \(\beta\) は \(\alpha\) そのものでなければならない。とすると、\(X=L_{\alpha}\) となるほかない。同様に「極限順序数がちょうど \(n\) 個ある」という文を考えると、\(\alpha=\omega\cdot(n{+}1)\) の場合も圧縮補題は自明な働きしかしていない。いっぽう、うんと大きな順序数、たとえば \(\omega_1\) に対しては、\(X\) として \(L_{\omega_1}\) の可算な初等部分構造を抜き出せるので、\(\beta\) としても \(\omega_1\) より小さな順序数が現れることになり、圧縮補題は自明でなくなる。

さて、それでは圧縮補題が自明でない働きをする最小の順序数 \(\alpha\) が存在するはずだが、それは何か。

南山の宮元先生などは「お前さんはかわった関心の持ち方するなあ」とかわった感心のしかたをしてくれた。ちょうどそこへ登場なさった恩師篠田寿一先生に聞いたら「primitive recursive closedくらいは必要でしょうねえ」ということであった。

しかし、いま思えば、これはとてもprimitive recursive closedどころの話ではない。というのも、たとえば最小の認容集合 \(L_{\omega_1^{\mathrm{ck}}}\) においても、 \(\omega_1^{\mathrm{ck}}\) より小さい順序数はすべてが算術的に定義可能であるから、 \(\langle X,{\in}\rangle\prec \langle L_{\omega_1^{\mathrm{ck}}},{\in}\rangle\) をみたす \(X\) は \(L_{\omega_1^{\mathrm{ck}}}\) そのもの以外にはない。\(\omega<\alpha<\omega_1^{\mathrm{ck}}\) のときの \(L_\alpha\) でもそうで、\(\alpha\) 未満の順序数はどれもいわゆるrecursive ordinalであるから、\(L_{\alpha}\) において定義可能なのである。このように考えると、 \(L_{\alpha}\) が自明でない初等部分構造をもつような最小の極限順序数 \(\alpha\) は、もちろん可算順序数ではあろうけれど、かなりデカイものになるはずだ。

以上、旧キューネン本第VI章の演習問題を片付ける目標もあって、このごろ折にふれて構成可能的集合のことを考えているなかで、ちょっと思い出した次第。このあたりのことは、おいおいもっと詳しく考えてみよう。

翌日追記:誤字を修正し説明を少し書きなおした。

やるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひる

さてさて、ツイッターで知り合ったひらいずみ (@hrizm_math) くんがアズマキタ大学の大学院入試に合格したそうだ。これでひらいずみもかがみ (@kagami_hr) さんや木原 (@tri_iro) くんの後輩だ。めでたいめでたい。


2012年8月21日(火)はれくもり

今月も、住宅ローンほかの引き落としが済んでみると、まあ懐の寒いこと寒いこと。9月の「関西すうがく徒のつどい」はあきらめにゃならん。恥ずかしく、申しわけない。

H(K)くんのゼミ最終回。『論理と計算のしくみ』の線に従って、不完全性定理の証明。H(K)は来月末に卒業予定。来週の会議で卒業が確定したら、H(K)くんのために一席設けてやることにしよう。っても来月の給料日のあとだけど。


2012年8月20日(月)はれ

まだまだ残暑は厳しいのだが、暑さのピークが過ぎたのを感じる。夜にはコオロギたちの大合唱がやかましいくらい。今日の会議は長かったが、いろいろな人の意見を聞くことの大切さを改めて学んだように思う。帰りに道沿いのドラッグストアで養命酒とオランジーナとGREEN DA・KA・RAを買って帰った。

先日の韓国からの質問に答える。送ってもらったノートを見ると、ベル本第3版の29ページと31ページで演習問題として残された証明をかなり注意ぶかくたどっていて、質問は「この証明では帰納法の仮定のこの部分が使われていないようだがどうなっているのか」といった、まあ悪く言えば重箱の隅の話だった。ブール値モデルの方法にせよシェーンフィールド流にせよ、原子論理式の強制関係の定義に用いられる二重帰納法はなかなかややこしい。そのややこしいところをベル本は上手に処理しているし、質問の主のつけた証明も、手書きだから読みにくくはあったが適切だった。精密な読み方に恐れ入りつつ、「その仮定は確かに不要と思われる」とかなんとか返事を書いて送った。

ブール値モデルについては、ルベーグ測度の記述集合論に関連して気になっていることもあるので、自分でもそろそろ勉強し直すべきだと思う。


2012年8月19日(日)くもりあめはれ

日中短時間ながら、雷を伴ってひどい雨が降った。

俺が三食用意した。朝は子供にはバゲットでピザトースト。大人は昨晩の残りのドライカレー。昼は生ハムのパイナップル添えと、子供にはミニ焼豚丼。(だけど大人はロールパン。)夜は野菜2品と魚2品、それに素麺。夕食の友に久しぶりにカンパリを飲んだ。こう書くとなかなか豊かな食卓のようだが、それほどお金はかかっていない。生ハムと素麺は妻の実家で貰ったものだし、パイナップルだって妻が作る煮豚のために買ってきた250円の小玉を半分流用したものだ。魚料理というのも、実は5尾で258円の河豚の一夜干しと6尾で128円の子持ちししゃもである。


2012年8月18日(土)はれ

昼食にはパパラーメン。塩ラーメンにしたが少々薄味にすぎたかもしれん。午後は妻が例の巨大ショッピングモールの医務室詰めのバイトに出掛けたが、俺は俺で、大学のデータベースに大急ぎでデータを入力しなければならないと気付いて、仕方がないので子供らを連れて大学へ出かけた。そしたら、昨年度末にあらかた入力が済んでいて新規に入力すべきだったのはほんの数件だったうえ、日付を勘違いしていて明日でも間に合う話だった。なんだ。まあ、明日でいいと思っていて今日が締め切りだというよりはよほどいいけどね。俺が(口幅ったくて、研究室という言葉を使いたくないので)自分のオフィスで作業しているあいだ、【娘】は JOVO で遊び、【息子】はiPadでゲームをしておとなしく待っていた。そのあとはジュンク堂に連れていったが、とくに何も買わず。バイトから戻った妻はほどなく町内の集まり(秋祭りの係の顔合せだそうだ)に出かけてしまい、引き続き夜も俺が子供の面倒を見る。夕食には、昨日義父母のために作ったドライカレーを再現。ワインがなくて味醂で代用したので、だいぶ違う味になった。おいしいドライカレーの作り方は、もうちょっと追求する価値がありそうだ。

はい。いろいろあったとはいえ、一日じゅう不機嫌な顔で過したことを反省しています。ごめんなさい。


2012年8月17日(金)はれ

妻の実家で居候生活。(最終日)

キューネン本について昨日メールをくれた韓国人は学生さんではなくて、国際政治学の先生なのだそうだ。メールアドレスでWeb検索してみたところ、2008年のAssociation for Symbolic Logicの名簿にはすでに名前が載っているから、それなりに真面目にロジックの勉強をしている人には違いない。さてその人から、こんどはベル本について「もしお手元に本があるようなら教えてほしいことがあります」との文面とともに、手書きノートをスキャンした画像が送られてきた。(ベル本については昨年9月9日の日記を参照。)この時期に、かの国の国際政治学者とコンタクトするというのはなかなか奇遇なものである。まあ相手がどこの国の何の学者であれ、俺は俺のできることをするだけなんだけれど。で、ベル本はたしかに持っているが、いま手元にないし、即答できる質問でもなかったので、週明けまで待ってくれるようにお願いした。

昼食のざるうどんを作り、義父母への作り置きの惣菜として、しめじの佃煮とドライカレーをつくった。自分たちは夕食を取らず、いつものコースで、周防大島の伊保田からフェリーに乗って帰った。三津浜に着いてから、ラムーで適当な食材を買って、夜9時まえに帰宅。皆疲れたが、妻が一番大変だったろうと思う。

黄昏どきの周防大島
伊保田へ向う車から撮影した、周防大島の夕空


2012年8月16日(木)はれ

妻の実家で居候生活。

本当なら昨日俺ひとりが松山に戻っているはずだったのだが、まあ細かいことはおこう。午後は【息子】の自由研究にすったもんだしつつ、夕食を妻と協力して用意した。

韓国とも中国とも、日本はいろいろ難しい問題を抱えているのだけど、学術交流はそんなこととは関係なく進めるべきだ。昨晩職場のメールアドレスに、韓国のチョンブク(全北)大学の学生らしき人からキューネン訳本についての問い合わせが届いた。曰く、自分は集合論の独学を始めたところだが、このキューネン訳本には演習問題の解答がついているのか。そうだとしたら自分のような独習者にとって大変ありがたいのだけれども、と。すぐに返事を送った。この訳本に関心を示してくれてありがたい。訳本自体には演習問題の解答はついていないが、自分と同僚たちが解答をつける努力をしているところだ。 http://tenasaku.com/academia/answers/ を見なさい。これまでに364問のうち185問に解答がついているが、最も手強いVII章とVIII章はまだまだ手付かずだ、と。今朝、丁寧なお礼のメールが届いた。(以上のやりとりには英語が用いられた。)さて、日本の大学生は、アメリカ人が出版した英語の本の演習問題の解答を求めて、第三の言語への翻訳者を探し出して問い合わせをし、さらに、その言語で書かれた情報源を示されて、きちんと感謝を述べられるだろうか。チョンブク大学のウェブサイトには、朝鮮語はもちろんのこととして、英語フランス語中国語日本語のページが用意されている。どのページにも国際競争力を激しく意識している様子が見える。俺たちはこういう人たちと、時に対抗し合い、時に協力しあって生きていかねばならない。そう思うと、どうも俺たちは(というと語弊があるので、俺は)余裕をかましすぎのような気がしてくる。

2012年8月19日追記:実はこの人は学生さんではありませんでした。翌日の日記を見てください。


2012年8月15日(水)くもり

妻の実家で居候生活。

義弟のヨースケくんが帰っていった。ちまちま読んでいるHawkinsの本も、きょうどうにか第3章へ入った。

MarriageTheoremこと縫田さんが「数学の天分を示す若い人が現れたときに、その天才を潰すことなく数学の進歩へ貢献させられるような、特別な教育コースがあってしかるべきだ」という趣旨の発言をしており、そのことですこし話し合った。

天才を潰さずに適切な教育を施す道が欲しいという考えには、俺も大賛成だが、それに公教育の制度という形をとらせるべきだという意見には反対だ。制度改革に対してすぐに実績を求める官僚的発想がどれだけ教育を歪めているかを思うと、公的な教育制度の整備には悲観的にならざるをえない。

そして、縫田さんの発言にあった「数学だけはすばらしくよくできるが数学以外がからっきしな人が、数学で身を立てられるようにする」という考えにも、俺としては賛成できない。というのも、「社会全体がその人のためだけに特別に道をあけてやらねばならぬほどに数学だけがよくできる天才」というものが想像できないからだ。数学を研究することが社会への貢献となりうるためには、なんらかのかたちで社会との交流のチャンネルを確保しないといけない。長年の教師生活を経て、俺は、数学を学ぶ上でなにより大切なのが言葉の理解力・広い意味の国語能力だと考えるようになった。だとすると、数学以外がからっきしダメな人は、数学も早晩ダメになる可能性が高い。

制度面と資質面のこの考えからして、「数学の天才のためのコース」を無理に設置しても「数学以外がまるでダメで数学だけ人並みの人のコース」あるいは「数学以外はやりたくない人のためのコース」という、なくもがなのものに堕してしまうだけだと、俺には思われる。このように懸念を伝えると、縫田さんはそれには同意してくれた。

数学の天分をもつ若者を見つけ、その天才を潰すことなく適切な教育を授ける、というもともとの目的に対して、即効性のある政策など、俺には思いつかないが、なにより大切なのは、むしろ普通の人の教育の平均レベルを上げることだと思う。これは、普通の人が普通の人に授ける教育のレベルの向上、すなわち、教育する側の平均レベルの向上という意味で。それがあって、はじめて普通でない才能を見つけ、それを潰すことなく育てる道が開く。

それからあとは、本当に天才が現れたときにその活動の自由を保証するために必要なもの、すなわち資金をプールしておくこと。世の数学者の中には、本当の天才のための英才教育ならノーギャラでアウトリーチ活動するに吝かでない人も多かろう。そういう人材のプールというか、コミュニティの形成。要するに、どんな事業にでもつきものの、カネとヒトの確保。

ところで、「本当の天才の受け皿」という着想は、将棋や囲碁の世界のプロ棋士の登用の道になにかそんな制度が用意されているところからきたそうだ。俺は(数学者としても三流だが)囲碁や将棋については完全なる門外漢だ。だが、数学と囲碁・将棋の位置づけの違いくらいはわかる。囲碁や将棋、それに限らず野球もサッカーも、幅広い層をなす愛好者がいて、その頂点というべき位置にプロがいる。一方の数学は、すべての国民に学校教育の場で強制的に教えられている。もとより、それは受験のためなどではない。数学が経済や工業技術などの社会を支える仕組みの一環であると認められているからだ。数学の愛好者もいるにはいる。その存在は大事な論点を提供する。しかしそれにしても、囲碁・将棋と数学を、社会的な文脈で単純に比較することはできない。

この話、いくらでも長くなりそうなので、今日のところはこのへんで。


2012年8月14日(火)あめくもり

妻の実家で居候生活。

義弟のヨースケくんがやってきた。夕食に牛すじと大根の煮物を作って、まあまあ好評。


2012年8月13日(月)くもり

妻の実家で居候生活。

昼飯に冷やし中華を作った。義弟のヨースケくんが帰省する予定が一日延びた。

田尻くんから届いていたキューネン本演習問題の解答を3題公開。この本の演習問題に解答をつけるプロジェクトも、いろいろな人の協力を得て、すでに364題のうち185題を消化。数のうえでは半分以上をこなしたことになる。ウスバくんによると、1980年のこの本の第VIII章の路線で定式化された反復強制法は、現在ではすでにちょっと窮屈で扱いにくいと考えられているそうだ。となると、このプロジェクトの意義にも疑問が生じることになる。まあ、それはそうかもしれない。俺だっていつまでも2008年に出した訳本のメンテナンスばっかりしていてはいけないのだ。


2012年8月12日(日)くもり

妻の実家で居候生活。

昼飯にフェットチーネを料理した。妻が昨日こちらへ戻る直前に、京都の実家近くのエディオンで新しいノートパソコンを張り込むという快挙をなしとげたので、設定を手伝ってやる。


2012年8月11日(土)あめくもり

実家を辞して山口の義父母のもとへ戻る。子供たちはいとこたちとの別れを惜しむことしきり。今日は各地を突然の雷雨が襲い、山陰線も新幹線も少々ダイヤが乱れたが、どうにか夜10時まえに義父母宅へ戻った。

ちょっとずつ読み進む感じだったジェイムズ『プラグマティズム』を帰りの新幹線で読み終えた。ざっと読んだだけで、深い理解はおぼつかない。だがテーマの重要さだけはよくわかったので、この先何度かこの本には立ち返らないといけないと思う。


2012年8月10日(金)はれ

姪甥娘息子妻俺の6人で観光に出かける。地下鉄の東山駅から白川端を歩き、祇園石段下から八坂神社、円山公園から八坂の塔を見て清水寺へ。清水寺では千日詣りと言うて、この時期だけ特別に本堂内に入って内陣の仏像をみることができた。これはうれしかった。京都の観光地についてはいろいろ愚痴をこぼしたいこともなくはないけど、書かない。昨日の日記に書いたのと同じような事情で行程について妻と行き違いがあり、いろいろまごついたが、子供らは頑張ってついてきてくれた。

円山公園のあひる
円山公園にて やるきのないあひる

八坂の塔で記念撮影
八坂の塔の前でひと休み

音羽の滝
清水寺境内の音羽の滝

八坂神社で帽子をかぶったまま参拝してしまったリコちゃんと【娘】が、あとで気がついて、二人で遠くから本殿に向かって脱帽して「すみませんでしたっ!」とお辞儀したのは面白かわいかった。

清水寺詣でから帰宅した時点で、歩数計カウント17,425歩。その後、【娘】のお気に入りの服に、蚊取り線香の火で穴が開いてしまったので、アップリケを買いに近所のスーパーへ行き、ついでに義父にプレゼントするために伏見の酒を買った。歩数計を着けずに行ってしまったが、この往復で2,000歩くらいは費やしているように思う。


2012年8月9日(木)はれ

朝早くに妻の実家を発ち、新岩国から京都に向かう。新大阪までのこだまの格安きっぷでの旅行だ。新大阪で素直に在来線に乗り換えて京都へ向かえばよかったのだが、くだらないちょっとした用件のために、妻が大阪駅に行きたいと言いだした。大阪駅の駅舎はこのごろようやく新装なって、綺麗でオサレになっている。JR大阪駅の人の流れが以前とはまったく様変わりしたおかげで、そうでなくてもややこしい梅田界隈で、長年培った土地勘が狂ってしまい、俺は大変困った。妻の用件を済ませるのには中央口北側の特設ブースに行けばよいというのだが、まずもって、電車を降りた自分がどこにいるのかがわからない。改札を出たコンコースがまさか地下ではないことは明らかだが、地上何階なのかもわからない。そして、妻の持っている資料にある案内図は簡略すぎて何が描いてあるのかわからない。(いまにして思えば、敗因はホームからエスカレーターでさらに上に行ってしまったことだ。かつてはホームより上に駅舎のフロアなど存在しなかった。)

俺ひとりの出張旅行のときなら、こんなことはなんでもない。言葉の通じないパリの駅の有料トイレや、夜のパレルモの下町から生還したこともあるわけで、適当に迷っているうちに周囲の様子も非言語的・感覚的につかめてくるし、目的地に至る手段もわかってくる。ところが、妻と子供を引率していると、行程について妻といちいち相談し、現在の状況を子供にいちいち説明し、ショーウィンドウに誘われてふらふら動きまわる妻子を追いかけ回し、などなど、要するに、自分以外の同行の思惑を斟酌せねばならん。そんなことを意識してしまっては、非言語的な勘の働かせようもない。

それに、新しくて清潔でピカピカのオサレなビルディングなんて好きじゃない。まるでトイレみたい。着飾った若い女どもがカッポカッポと歩いているところに混じって道に迷っているなんて、トイレに現れたゴキブリみたいな惨めな心持ちには、できればなりたくない。

そんなこんなで新しい大阪駅ビルがすっかり嫌いになった俺は、妻子にわがままを言って道を渡り、阪急梅田駅側に移動。新梅田食道街で昼食を済ませ、ヒロタのシュークリームをおみやげに買って、阪急で京都へ移動することに。阪急経由で実家に帰るには大宮から嵐電に乗るのがいいのだが、なんと、このごろの阪急京都線特急列車は、桂に停車し、大宮には停車しない。時代は変わったのだ。烏丸で阪急を降り地下鉄で行くことにした。

その後、【息子】の歯は抜けるし、【娘】が地下鉄四条駅のホームに荷物を置き去りにして乗車してしまい、烏丸御池駅から慌てて引き返さねばならなくなるし(しかも慌てた妻が阪急烏丸駅に電話で連絡してしまうし)というハプニングがあった。結局、実家についたのは午後3時を少し回ったころ。けっこうくたびれたが、いとこのあっくんと再会した【娘】と【息子】は大喜び。ほどなくリコちゃんもやってきて4人で再会を喜び合う子供たち。

この時点で、歩数計カウント6,623歩。

夜は浴衣に着替えて、妙心寺のお精霊迎え〈おしょうらいむかえ〉に行く。子供の頃は毎年来たもんだがこのごろはご無沙汰で、【娘】4歳【息子】0歳のとき以来である。狩野探幽法眼守信の雲龍図の下で、皆でお釈迦様に手を合わせる。


2012年8月8日(水)はれ

いつもかぶっている帽子は少し小さい。暑い中歩いて出勤すると、額に帽子のあとがついていて恥ずかしい。

大学院ゼミでは順序数の性質をカントール標準形のところくらいまでやったが、冪の整列集合としての実現を記述をした部分だけは、何度か説明しても910くんがどうもわからんと言うし、今後使うとも思えないし、すっ飛ばすことにした。大体、置換公理が自由に使える状況下では、順序数の冪を整列集合として実現せねばならん必然的な理由はない。

ゼミは夏休みに入り、後期の進行予定を決めるため9月25日に再集合。

自分はその後、三津浜から船で柳井に渡る。待合室と船上で、井上靖『天平の甍』を読んだ。ちょうど読み終える頃に船が柳井の港についた。実は中学生の頃に映画の『天平の甍』を団体鑑賞で見たことがある。よくわからなかったというのが正直なところだが、ラスト近く、誰かが主人公を呼ぶ「普照!」という声だけがいつまでも心に残った。思えば俺にとって、原作を読むことはその時からの宿題だった。


2012年8月7日(火)はれ

H(K)くん欠席のため、四年生ゼミは0-1くんの独演。二つの有限集合の和集合がまた有限集合となることを定義から示すという演習問題を、0-1くんが自力で解いてきたのはなかなかよかった。そんなもん当たり前じゃんか、と思ってはいけない。自然数の定義はしたが、自然数の加法がまだ定義されていない状態で、\(\mathit{BST}^-\) 集合論という弱い集合論で、無限の公理を使わずに証明しなければならない。問題はさらに、二つの有限集合の直積が存在してまた有限であること、有限集合の冪集合が存在してまた有限であることを示しなさい、と続く。以下に、解答の概略を書く。

キューネンの2011年の本 “Set Theory” における集合論 \(\mathit{BST}^-\) は,外延性,分離(内包性),対,和,空集合の存在,といった基本的な公理に,“冪集合の公理と置換公理図式の選言” という変わり種の公理図式を加えたものだ.そんな不恰好な公理図式を使うのには,ちゃんと理由がある.

集合論の展開の途中で,二種類の自然なモデルに出会う. 一方の,極限順序数 \(\alpha\) に対する \(R(\alpha)\) では冪集合公理が成立するが一般には置換公理がダメ.他方の,正則基数 \(\kappa\) に対する \(H(\kappa)\) では置換公理が成立するが一般には冪集合公理がダメ.さりとて,両方を禁じ手にしてしまうと,今度は弱すぎてなんにもできない.キューネンの \(\mathit{BST}^-\) には,これらの自然なモデルにおいて成立する定理を示すのに必要にして十分という実用的な目的で編まれた公理系だ.この適度に弱い集合論で基本的な性質をあらかじめ展開しておいて,あとの議論を見通しよくしよう,という狙いがあるわけだ.とはいえ,個々の定理の証明に際しては,「冪集合公理の場合」「置換公理の場合」という,従来どおりの場合分けが,その都度必要になる.

【自然数の定義】 順序数 \(\alpha\) が,後続順序数であり,しかもそのすべての要素が \(0\) または後続順序数のみからなるとき,\(\alpha\) は自然数と呼ばれる.

【有限集合の定義】 集合 \(A\) からある自然数 \(n\) への単射が存在するとき(このことを記号で \(A\preccurlyeq n\) と書く),\(A\) は有限集合と呼ばれる.

【2つの有限集合の和集合がまた有限集合になることの(0-1くんによる)証明】 \(A\preccurlyeq m\),\(B\preccurlyeq n\) のとき,\(A\cup B\preccurlyeq (m\times \{0\})\cup(n\times\{1\})\) となることはすぐにわかる.そこである自然数 \(s\) に対して \((m\times \{0\})\cup(n\times\{1\})\preccurlyeq s\) となることを証明すればいい.そこで,固定された個々の自然数 \(m\) についてこれを自然数 \(n\) に関する数学的帰納法で証明する.\(n=0\) の場合は \(s=m\) とすればよい.\((m\times \{0\})\cup(k\times\{1\})\preccurlyeq s\) のとき \((m\times \{0\})\cup(S(k)\times\{1\})\preccurlyeq S(s)\) となることがわかるので,\(n=k\) の場合から \(n=S(k)\) の場合が導かれて,数学的帰納法の原理によってすべての \(n\) についてある自然数 \(s\) が \((m\times \{0\})\cup(n\times\{1\})\preccurlyeq s\) をみたすことがわかる.【証明終】

【有限集合の冪集合が存在する(俺による)証明】 まず,すべての自然数 \(n\) について,その冪集合 \(\mathcal{P}(n)\) が(集合として)存在し,しかも有限であることを,\(n\) に関する数学的帰納法で証明しよう.まず \(\mathcal{P}(0)=\{0\}=1\) で,\(1\) は自然数であるから \(n=0\) の場合は問題ない.次に \(\mathcal{P}(k)\) が集合として存在し,有限であったとする.\(S(k)\) の部分集合のうち \(k\) を要素として含まないものは \(k\) の部分集合である.したがって \[ \mathcal{P}(S(k))=\mathcal{P}(k) \cup \big\{\,a\cup\{k\}\,:\,a\in\mathcal{P}(k)\,\big\} \]が成立する.冪集合の公理が成立している場合は \(\mathcal{P}(S(k))\) の存在には問題がなく,そうでない場合には,置換公理によって \(\big\{\,a\cup\{k\}\,:\,a\in\mathcal{P}(k)\,\big\}\) も集合である.\(\mathcal{P}(k)\) と \(\big\{\,a\cup\{k\}\,:\,a\in\mathcal{P}(k)\,\big\}\) のあいだには \(a\mapsto a\cup\{k\}\) で一対一対応がついており,\(\mathcal{P}(k)\) が有限であるから \(\big\{\,a\cup\{k\}\,:\,a\in\mathcal{P}(k)\,\big\}\) も有限であり,両者の和集合である \(\mathcal{P}(S(k))\) も(上で証明したことによって)有限集合となる.このように \(n=k\) の場合から \(n=S(k)\) の場合が導かれるので,数学的帰納法による証明が完了する.

次に,\(A\) を一般の有限集合とする.\(A\preccurlyeq n\) なる自然数と単射 \(f:A\to n\) をとる.冪集合の公理が成立している場合は \(\mathcal{P}(A)\) の存在には問題がなく,そうでない場合は \[ \mathcal{P}(A)=\big\{\,{f^{-1}}''b\,:\,b\in \mathcal{P}(n)\,\big\} \]であることから,置換公理によって \(\mathcal{P}(A)\) は集合である.また \(a\mapsto f''a\) は一対一対応であるから \(\mathcal{P}(A)\preccurlyeq \mathcal{P}(n)\) であり,\(\mathcal{P}(A)\) は有限集合である.【証明終】

【2つの有限集合の直積集合が存在してまた有限集合となることの証明】 順序対が \((a,b)=\{\{a\},\{a,b\}\}\) と定義されたことにより,\(A\times B\subset\mathcal{P}(\mathcal{P}(A\cup B))\) である.\(A\) と \(B\) が有限集合であるときは,上に述べたことにより \(A\cup B\) が有限であり,\(\mathcal{P}(A\cup B)\) が存在して有限,さらに \(\mathcal{P}(\mathcal{P}(A\cup B))\) が存在して有限となる.したがってその部分集合である \(A\times B\) も存在して有限である.【証明終】

堀之内の県立図書館とコミセンの市立中央図書館へ行って本を返し,宮脇書店に寄って帰る.歩数計カウント13,550歩

夕食
昨日のような夕食を二日続けるわけにもいかず。


2012年8月6日(月)はれ

午前中に一人で松山に移動。家に寄らずに職場へ行き、普通に仕事する。夜、腹は減るが自分一人のためだけに料理する気になれず、スパゲティに適当なオイルと少しの具とスパイスをかけて食う。歩数計カウント7,924歩。


2012年8月5日(日)はれ

テストの採点は終った。昼飯はすだちおろしうどんにしたが、シーズンオフとてすだちが一粒198円もした。一粒では6人前取れないので、俺と妻は夕食のために買ったレモンで我慢。晩飯には先日好評だったムニエルを再現して義父母にも食べさせる。自宅はプロパンガス、義父母の家はIH調理器なので火加減がわからず少々焦がしてしまったが,どうにか食えるものにはなった。


2012年8月4日(土)はれ

採点の途中だというのに瀬戸内海を渡って妻の実家に行くことに。週明けには戻って採点済みのテストを返却する約束をしている。ということは、今日明日で採点を終わらせデータの入力まで済ませねばならん。行きは妻の車で運ばれるだけなので問題ないのだが、週明けにたくさんの答案用紙とパソコンをもって一人で松山に戻るのはいやだ。それで仕事用のノートパソコンは持っていかないことにして、うちのデスクトップPCを車に積んで運ぶことにした。


2012年8月3日(金)はれ

期末テストの採点にとりかかる。途中、3年生ゼミの最終回。ルベーグの優収束定理を証明する。これをやらねば面倒な思いをしてルベーグ積分を勉強した意味はない。どうにか『はじめてのルベーグ積分』の第6章まで読んだ格好になった。ぜひ8章まで続けて読むように薦めたあと、ファトゥーの補題で≦が等号に置き換えられない例と、優収束定理での優函数の仮定が必要であることを示す例を説明してお開き。

【解説】可測集合 \(E\) 上の正値可積分函数の列 \(\{\,f_1,f_2,f_3,\ldots\,\}\) について不等式 \[ \int_E\liminf_{n\to\infty}f_n(x)\,dx \leq \liminf_{n\to\infty}\int_Ef_n(x)\,dx \] が成立する、というのがファトゥーの補題。この不等式が等式にならない例としては、閉区間 \([0,\pi]\) 上で \[ f_n(x)=1+\cos nx\quad(n=1,2,3,\ldots) \] を考える。すると、\(x\) が円周率 \(\pi\) の無理数倍のときに \(\liminf_{n\to\infty}f_n(x)=0\) となるので \[ \int_{[0,\pi]}\liminf_{n\to \infty}f_n(x)\,dx=\int_{[0,\pi]}0\,dx=0 \] となる一方、高校の数学で勉強するとおり \[ \int_{[0,\pi]}f_n(x)\,dx=\int_0^\pi(1+\cos nx)\,dx=\pi \] だから、実際 \[ \int_E\liminf_{n\to\infty}f_n(x)\,dx < \liminf_{n\to\infty}\int_Ef_n(x)\,dx \]になっている。ただし、この例の \(\liminf_{n\to\infty}f_n(x)=0\) の検証には、ディオファントス近似論のディリクレの論法を借りるのだけど、ちょっとめんどくさい。

〜*〜*〜

数学ネタをもう一つ。被覆のルベーグ数の話。距離空間 \((X,d)\) のコンパクト部分集合 \(K\subset X\) と、その開被覆 \(\{U_1,U_2,\ldots,U_n\}\) が与えられたとする。コンパクト集合の話なので有限開被覆だけを考える。このとき、正の数 \(\delta\) をうまく選ぶと、\(K\) の各点の \(\delta\)-近傍がどれかの \(U_i\) に含まれるようにできる。そのような \(\delta\) のことを、この開被覆 \(\{U_1,U_2,\ldots,U_n\}\) のルベーグ数と呼ぶ。この名の由来は、アンリ・ルベーグが次元論を展開したさいに補題としてこのような数の存在を示したことによるのだと思うが、まだ未確認。で、このルベーグ数の存在証明について、きょうツイッターでちょっと不正確なことを言ってしまった手前、ちゃんとした証明を書こうと思う。

【証明】被覆 \(\big\{U_1,U_2,\ldots,U_n\,\big\}\) のメンバー \(U_i\) はどれも空集合ではないと仮定しても一般性は損なわれない.空間 \(X\) の各点 \(x\) から,開集合 \(U_i\) の外部までの距離を \(\varphi_i(x)\) と書くことにする.つまり \[ \varphi_i(x)=\inf\big\{\,d(x,y)\,:\,y\in X\setminus U_i\,\big\} \] である.この \(\varphi_i(x)\) は \(x\) の連続函数である,というのも,不等式 \[ \big|\,\varphi_i(a)-\varphi_i(b)\,\big|\leq d(a,b)\quad(a,b\in X) \]が成立するからだ.また,開集合の性質から, \[ x\in U_i\iff \varphi_i(x)>0 \]となることに注意しよう.ここで \(n\) 個の開集合 \(U_1,U_2,\ldots,U_n\) について,各点での函数 \(\varphi_i(x)\) の最大値をとって,それを \(\varphi(x)\) と呼ぶ: \[ \varphi(x)=\max\big\{\,\varphi_1(x),\varphi_2(x),\ldots,\varphi_n(x)\,\big\}. \]すると,これも連続函数である.いま \(K\) の各点は少なくともひとつの \(U_i\) に属するのだから, \[ x\in K\implies \varphi(x)>0 \] となっている.コンパクト集合 \(K\) 上の実数値連続函数はある点で最小値をとる.その最小値を \(\delta\) としよう.すると, \[ \begin{gather} \delta>0, \\ x\in K\implies (\exists i\in\{1,2,\ldots,n\},\;\varphi_i(x)\geq \delta) \end{gather} \] が成立する.いま,\(x\in K\),\(\varphi_i(x)\geq \delta\) だったとすると,\(d(x,y)<\delta\) のとき \(y\in U_i\) であるから \(x\) の \(\delta\)-近傍は \(U_i\) に含まれることになる.どの点に対してもそのような番号 \(i\) が見つかるのだから \[ \forall x\in K,\exists i\in\{1,2,\ldots,n\},\;N(x,\delta)\subset U_i. \]つまり \(\delta\) が \(K\) の開被覆 \(\{U_1,U_2,\ldots,U_n\}\) のルベーグ数になっている.【証明終】

歩数計カウント10,711歩。


2012年8月2日(木)はれ

期末テストだけでなく先週提出してもらった宿題のレポート問題も採点せにゃならんので、ひとまずそちらにとりかかる。連続な全単射であるが同相写像ではないような例をあげよ、という問題では、講義でやった半開区間から円周への写像を答えてもらえればよかったのだが、思いがけず、次のような例が挙げられていた。2つの要素 \(a\) と \(b\) からなる集合 \(X=\{a,b\}\) において、 \[ \begin{gather} \tau_1 = \big\{\,\emptyset,\{a\},\{b\},\{a,b\}\,\big\}\\ \tau_2 = \big\{\,\emptyset,\{a\},\{a,b\}\,\big\} \end{gather} \]とすれば、 \(X\) 上の恒等写像が \((X,\tau_1)\) から \((X,\tau_2)\) への写像として連続だが逆向きには連続でないので要件をみたす。単純でわかりやすい例だ。この解答を採用している人が随分たくさんいた。友人グループでレポート提出前にお互いに答えを確かめ合うのはよくあることで別段悪いことではないので、同じ解が続出するのは、まあかまわない。その中に、皆とは独立に同じ例に到達し、書き終えたあとで、 \[ \begin{gather} \tau_1 = \big\{\,\emptyset,\{a\},\{b\},\{a,b\}\,\big\}\\ \tau_2 = \big\{\,\emptyset,\{a,b\}\,\big\} \end{gather} \]つまり離散位相vs密着位相という対比にしたほうがよかった、とコメントしている人がいたのが面白かった。しかし、実際にこちらの例を採用した解答は皆無だった。とはいえ、全員が全員、誰かひとりの解答をコピーしたわけではない。不思議なものである。

ツイッターでそういう話をしたら、同じ集合で位相を変えて恒等写像、というだけでは面白くない。同じ空間上の自己写像で全単射連続でありながら同相写像でない例が欲しい。と、かがみさんが、言い出した。それでしばらく考えたが、こんなのはどうだろうか。整数全体の集合 \(\mathbb{Z}\) 上に、負の整数 \(a=-1,-2,\ldots\) に対応する単項集合 \(\{a\}\) と、非負整数全体の集合 \(\mathbb{N}=\{0,1,2,\ldots\}\) によって生成される位相を与える。つまり、 \[ \tau=\big\{\,A\subset\mathbb{Z}\,:\,A\cap \mathbb{N}=\emptyset\text{ or }\mathbb{N}\subset A\,\big\} \] と定めよう。これは、負の整数のところで離散位相、非負整数の部分では密着位相を与えていることになる。このとき、写像 \[ x\mapsto x+1 \] は位相空間 \((\mathbb{Z},\tau)\) からそれ自身への連続な全単射だが、逆写像が不連続だから、同相写像ではない。

歩数計カウント8,998歩。


2012年8月1日(水)はれ

午前中、位相の講義の期末テスト。テキストおよびノート持ち込みを許可し、基本的な定義と例の理解を問う問題を多めに出す。午後は大学院のセミナー。集合のランクと累積階層の性質とくに反映定理。

歩数計カウント9,308歩。