て日々

2012年3月


2012年3月31日(土)あめくもり

朝6時に大阪南港に着く。あいにくの雨だ。妻の旧友ノブエさんが迎えてくれた。ノブエさんと俺と妻と子供二人でデニーズで朝食。店に入るとキッズメニューが三人分出てきたことを妻が妙に喜んでいる。妻はいい歳なのに時々子供に見間違えられる。そしてそれを自分の手柄のように喜ぶのだ。困ったやつ。

実家で昼飯を食って京都大学へ。「関西すうがく徒のつどい」に参加するためだ。京大といえば、数理解析研究所には何度となく行っているのに、理学部の建物にはいるのは、実はこれが初めてだ。

今回利用させてもらうのは宇宙物理学の研究チームのいる4号館で、数学科ではない。俺が京大理学部数学科の建物に立ち入る日は来るのか来ないのか。

さて自分の発表は、命題論理のコンパクト性、一般カントール空間のコンパクト性、可換環の素イデアルの存在という、互いに同値な三つの存在定理をテーマに選び、他の数学の領域と交流する数学の一分野としての数理論理学の姿を浮かび上がらせるというもの。一昨日の午後に思い立ってiOS版Keynoteをインストールし、大急ぎで作ったスライドでのプレゼンテーション。何人かの人には肯定的に評価してもらえたようだが、自分では大いに不満だ。黒板に書きながらの発表についてはそれなりの年期が積んであるが、スライドを使ったプレゼンテーションはそれとは別物だ。慣れないメディアを使っての発表には十分なリハーサルが必要だと思い知った。とはいえ、色々な仕掛けを工夫しながらスライドを作るのは楽しいので、機会があればまたやってみたいとは思う。

その後の懇親会に妻子を連れて参加。妻はともかく、久々に従姉のリコと再会してもっと一緒に遊びたい幸花は不満顔。子供が眠そうになってきた頃合いに、お開きを待たずに引き上げ、タクシーで実家に戻る。

それにしても、学生主導の学術的な試みが所属も立場もバラバラな人たちを50人近くも集めてそれなりに成功裏に終わるというのは大したことだ。もっぱらツイッターだけで緩やかにつながっていた人たちが協力しあっての勉強会開催というのは、もちろんこれが初めてではないだろうけど、ツイッターのゆるさと自由さがうまく作用した面白いつながり方だと思う。@nekoyade (の中の人 @noukoknows ) はじめスタッフの皆さん、おつかれさま&ありがとうございました。


2012年3月30日(金)はれ

京都への移動には、新居浜東港を午後8時40分に出発する大阪行きのフェリーに乗る。大きな船だ。船内に風呂もあればレストランもある。普段平生の妻の実家へ渡るために利用する柳井=三津浜航路のフェリーとは、格が違う。幸星は「ホテルみたいだー」と大喜び。

かつては同規模のフェリーが大阪から別府へ向かっていて、それが松山にも寄港していたため帰省に利用できたのだが、松山から大阪へは淡路島経由で陸路の移動ができるようになったせいか、この航路は昨年あたりに無くなってしまった。

子供たちが寝てしまってからも俺は寝台の狭い空間でiPadを使ってスライド作り。ストーリーをひととおり入力し終わってバタンキュー。視覚効果の仕上げは明日の午前中に持ち越し。


2012年3月29日(木)くもり

910くんの大学院ゼミを一足早く始める。新井本1.1節の、いろいろな代数系の理論を論理式で書く話のところで910くんが律儀に証明をつけようとして沈没していたので、そこはざっと読むようにアドバイス。初回は1.3節までを読んだ。次回は1.4節「コンパクト性定理」から。

「つどい」での発表はホワイトボードを使うかPCを使ってスライドを映すかどちらかで、ホワイトボードがどうも好きになれない俺は久々にTeXでPDF版のスライドを作ろうかと思っていた。昨日Web公開版の資料が杜撰な仕上がりにせよ一段落したのできょうの午後はその作業にかかろうとしていたが、どうも気乗りがせぬまま午後をダラダラと過ごし、夕方になってダメだこりゃとなった頃に、もうこうなったらKeynoteでスライドを作ってやれと思い立った。といっても、iPadにもMacBookにもKeynoteは入っていないし、そもそも使ったことがない。ひとまずiOS版をインストールして使ってみる。何とかなりそうだ。

ただ、VGAアダプタがないとプロジェクターへの映像出力はできない。宮西のデオデオに行って店の人に聞くが、取りよせたら一週間はかかるという。ツイッターでつどい参加者に呼びかけ、アダプタを持っていて使わせてくれる人を探すと、ひらいずみさん @hrizm_math がiPod touchでの発表を予定していて、アダプタを貸してくれるという。ありがたい。念のため明日の午後出発の前にあらためてヤマダ電機でもう一度アダプタを探すことにし、さらに安全策としてMacBookにもMacOS版Keynoteをインストールして万全を期す。

アニメーションのプレビューを繰り返しながらKeynoteでスライド制作をするのは、メモリを256MBしか積んでいない初代iPadには少々荷が重いようで、しばしばアプリが落ちる。RAMを512MB積んでプロセッサが2コアになったiPhone 4Sなら多少はマシかもしれないが、しかしあの小さな画面でKeynoteのスライドを作るのは老眼ぎみの目には少々つらい。iPadで、使っていない他のアプリなどを極力停止させ、さらにそれらが確保した非使用領域を解放して空きメモリを増やすように管理用ユーティリティをインストールして、時々メモリの使用状況をチェックしながら作業する。


2012年3月28日(水)はれ

またまた深夜までかかって今度こそWeb版レジュメを書き上げ公開 (→なげやりアカデミア) したが、落ち着いて見直すとつまらない誤記がたくさん見つかって凹む。

歩数計カウント9,513歩。

ところで、PDF文書をWebに置くというのは我々のような学者稼業では当たり前の行動だ。しかし改めて考えてみると、案外変な話かもしれない。

というのはこういうことだ。世界全体という視野に立てば、知はハイパーテキスト的あるいはリゾーム的に展開している。そして、俺たちが何かを学び知ってそれを真に理解したときに俺たちの内に形成される知もまたハイパーテキスト状のものであろう。内にも外にもハイパーテキスト的に展開する知を学び取るための主要なメディアが、しかし依然として紙に印刷された文書だったり印刷物をモデルにしたPDFなどのデジタルデータだったりという、ハイパーでないテキストだ。さらに、俺たちはそのハイパーでないテキストを配布するためのツールというかチャンネルとして、Webというハイパーテキスト的メディアを利用している。このあたりが俺には変に思われる。なんというか「ちょんまげ宇宙服」ってな感じなのだ。

たしかにLaTeXとPDFは論文執筆と配布のプロセスを大きく変え、俺たち執筆者に恩恵をもたらしてくれたのだが、TeXとPDFにつきまとう「ページ」という概念はPCやタブレットのディスプレイには不要だし、そもそも知識の伝達と蓄積にとって本質的なものでもない。そのあたりは、音楽の記録と流通においてビニール円盤やカセットテープが本質でも何でもなくたんに便利に利用可能な手段であったのとまったく同じことだ。

このあたりはもっと変わるべきだし、変わっていくだろう。そのためには、もちろん俺たち書く側・教える側の発想の刷新が必要だ。意識の変革なんてものは、すぐには起こるまいけれども、知識の入れ物=メディアのほうが先にどんどん変わっていっているのだから、流れとしては必然だと思う。

もっとハイパーテキスト的に展開する学びの方法があってしかるべきだというのは、なにも俺ひとりの独創的な意見ではあるまい。実際そういう方向で新しい教材作りの可能性を探る試みは、すでに e-Learning などの形で始まっているのかもしれない。だが現段階ではまだまだコンテンツ製作の技術的な難しさがハードルとなっているように思うし、そうなると、試みが小さく箱庭的に完結してしまわざるを得ない。技術的なハードルが下がえば「なるほどそういうことか」といって使いはじめる人が増え、やがて当たり前のことになるだろう。逆に人々が「ここはどうしてもこうであってほしい」と思っていることの実現を阻む要因がテクニカルな困難さだけであったとしたらそれは時間はかかってもいずれ解決されると期待できる。そういう形で、技術の革新と意識の変革は手を携えて進行していくことになるだろう。

知識のハイパーテキスト的な《中心なき集積》が進行中なのは歓迎すべき事態だが、現時点ではそれはまだ、むしろググってコピペして一丁あがりという、学びの対極にある残念な利用のために受け入れられているという面のほうが大きいかもしれない。これからもっと変わっていくだろうけどね。


2012年3月27日(火)はれ

新年度の卒業研究ゼミ開始。いままでにないハードな道のりだけど、がんばりましょう。

深夜まで大学に残って「つどい」のレジュメ作り。チコノフの定理の証明を書いて、これで難しいことはたいてい書き終えた。あとは予備知識的に集合の記号の定義をするところを書いて、コンパクト位相空間について書いて、全体のブラッシュアップをしておしまい。…って、それはWeb版レジュメのことで、発表用のスライドはあらためて作らにゃならん。わはははは。けっこう大変。


2012年3月26日(月)はれ

昨年九月から貯めていた幸花の貯金箱のお金を銀行へ持って行った。思ったより多くて、五千円ちょっとあった。なかなかたいしたもんだ。まあ、幸花が貯めたというより俺が財布の小銭をちょいちょい入れていった分が多いんだとは思うけどね。またちまちま貯めて、次は夏休みに持っていこう。

きょうもレジュメの作文をしようと仕事場まで出かけたが、MacBook ProのACアダプタを忘れて愉快なサザエさんだった。週末の退勤時と週明けの出勤時にはMacBook Proを持っていくことにしているのだけど、よくACアダプタを忘れる。それでMacBook Proは必要なファイルをDropboxにコピーするためだけに起動し、他の作業は全部Windowsパソコンでやった。そのために、TeXの処理系の再インストールをしたり、Google日本語入力をインストールしたり、いろいろ余計なことに時間をとられた。

研究環境改善策の一環として、そろそろこのパソコンのOSをWindows7以降の新しいのに変えて、さらにファンをもっと静かなやつに変えたいな。新年度の研究費がおりたらそのあたりのことをまとめてやってもらおう。

大学生協にて戸次大介『数理論理学』(東京大学出版会)を購入。ベーシックなところを詳しくきっちり書いている印象。

戸次『数理論理学』の表紙
「戸次」は「ベッキ」と読みます

学生時代に先輩たちと議論した数学ネタを書こうと思ったけど、暖房のない寒い部屋で頑張る気がしないので延期。


2012年3月25日(日)はれ

昨日ある方から竹内外史先生の『数学基礎論の世界』(日本評論社1972年)が復刊されているという知らせを受けた。それは一大事だ。今朝になってジュンク堂書店の松山店にも在庫があることがわかったのでさっそくお取り置きを依頼し、午後に出向いて購入。しかしこれ、日本評論社のWebサイトにも見当たらないし、Amazon.co.jpのリストにも上っていないし、どうなっているのやら。

竹内『数学基礎論の世界』の表紙
英語タイトルとして
A jewel box of logic
とあるのが気が効いている

長らく品切れだったため、手に取るのは二十数年前の学生時代に大学の図書館にあるのを読んで以来。本当に久しぶりだ。数ある竹内先生の本のなかでも出色の面白さで、俺にとってはこれと 『線形代数と量子力学』(裳華房) が二大ベスト竹内本である。

ロジックという分野を多くの人に知ってもらうためにも、ロジック研究の《現在》を広い層の読者に向けて誰かが書かねばならないとは、みんなわかっている。だが、これだけ幅広く、こんなにわかりやすく、ここまで面白くは、いまでは誰にも書けないんじゃないかと思う。

足元にも及ばぬとわかっていながら書かねばならないのは大変につらいところだが、さりとてこの分野に何も貢献しないままクタバルのはイヤなので、あきらめずに努力する。


2012年3月24日(土)くもり

オープンソースカンファレンス 2012 ehime に行ってきた。セミナーは聞きたいものに時間の合うやつがなかったのだが、展示はなかなか面白かった。baserCMS とか KNOPPIX/Math とか、仕事に使えそうなヒントも得られた。お土産の伊予柑も得られた。

感想: なにせ俺はもっと情報収集にマメになったほうがいいな。天地創造の神さまじゃないので、すべての情報を自分の中から生み出すことなんかはできないし、妻子が町内の映画会に行ってる家で留守番しながらホゲホゲ言っている本日ただ今、世の中のどこか俺の知らないところで、なにか面白いことが起っているかもしれないじゃないか。

Writings for iPad のおかげでノートをDropboxに置けるようになったのはいいけど、WritingsはiPhone対応ではない。iPhoneのDropboxアプリは文書の閲覧に特化されていて変更はできないから、同じ文書にアクセスして手軽に追記できるiPhone向けアプリが欲しいと思ったので、PlainTextというアプリを入れてみた。Writingsのエレガントさこそなけれ軽快で使い心地は悪くない。ただ、Dropboxサーバへの自動アクセスがちょいと頻繁すぎるきらいはあるな。

翌日追記: PlainTextでは設定画面でDropboxサーバへの自動アクセスを無効にできる。自動アクセスを有効にしているとほとんど一語入力するごとにアップロードされて (Dropboxに接続している他のPCが忙しくなったり) なかなか大変だから、普段は自動アクセス無効で使うことにする。

夕方から本屋に行って、娘のために 『くもんの小学4年の総復習ドリル』 を買った。それと 『iPhone4S仕事便利帳』 を買ったついでに、高校レベルの英語の復習をすべく、文明堂のカステラ、ではなくて文英堂の『シグマベスト試験に強い英文法要点ハンドブック』 を買ってきた。『ダジャ単』 なる英単語本もあったので、さっそくダジャレ大好きの受験生いがりす (@igaris) に知らせた。

歩数計カウント10,181歩。


2012年3月23日(金)あめ

きょうは大学の卒業式の日。しかしあいにくの天気だ。なにも今年の卒業生ばかりがことさらに日頃の行いが悪かったわけでもあるまいに、一生に一度のイベントの日くらいいい天気にしてやったらどうなのよ。天気の神様は非情なもんだな。いや、本当のところはもちろん、卒業式の日に雨が降ったのは今年が初めてではない。季節の替わりめのこの時期は大気の状態が不安定になりがちで天気が崩れやすいというだけのことなのだ。思春期の若者の機嫌みたいなもんだ。

朝、妻子が出かけてから、家でほんの少し資料の作文をして、ちょっとした用件で銀行へハンコをつきに行ってから、マクドナルドで朝食。お気に入りのソーセージエッグマフィンセットがふだん440円のところ安いほうのコンボで350円で済んだので、100円をホスピタリティハウスのなんちゃら募金箱へ寄付。

卒業式、学位記授与、写真撮影のあとは学部主催の祝賀パーティーが学内で開かれて、年に一度きょうだけはそこで昼間からタダ飯タダ酒がいただけるのだが、今年は何となく気が進まなくて、自室で「つどい」の資料の作文をしていた。ピアノのレッスンに行ってから、学科の学生が開いてくれる謝恩会に少し遅れて参加。

学生さんたちの大部分は、これでお互い今生の別れになることだろう。だがひょんなことで再会する可能性もあるのが人生の面白いところ、縁というものの面白いところだ。だからみんなこれからも前を向いてしっかり歩んでください。お元気で。

一次会で離脱して大学に戻り、ほんのちょっとだけ作文の続きをやって、徒歩で帰宅。歩数計カウント15,324歩。


2012年3月22日(木)はれ

昨日のように自分を叱る日記を、もう一日続けるわけにはいかない。日々をそのように過ごすべきではない。

手と目を使う単純作業をするとき、耳が空いているなら、並行して何か耳だけでできることをしたい。ラジオを聴こうか。いや、PodcastでNHKニュースが手に入るから、iTunesでニュースをチェックすることにしよう。なにせ新聞もとってないんだから、せめてその程度には外界に関心を持つべきだわ。

まあ本当は単純作業はおしゃべりしながらするに限るのだが、相手がおらんのだ。

ニュースといえば、iPhoneに ニュース! なるアプリを入れた。これは通常のニュースが講読できるほかに、登録したキーワードに合致するニュースを集めてくれる。さっそく「数学 or 物理 or 科学 or サイエンス」というキーワードを登録してみた。いまのところ、ちゃんとそれなりのものを選んできてくれている。妻だったら同じアプリでさっそく「クマ or ベア or 熊」というキーワード登録をするところだろう。

あと、文字入力をもっと効率よくしたいので、Flick Fan! でゲーム感覚で練習しようと思う。こんな調子で、身の周りのデジタル機器をもっと自分中心あるいは人間中心の知的活動のツールとして再組織しよう。コンピュータに限らず、たいていの物は持ってるだけじゃあ意味がないからな。

月末の「関西すうがく徒のつどい」のためのWeb版資料を作り始めた。まず紙幅の心配のないWeb版資料を作ってすべての素材を書き出す。次に発表内容を絞り込んでスライドを作り、最後にA4一枚もののハンドアウトを作るという計画だ。書き始めると面白くなってきて調子が出てきてしまった。いいところで子供らの夕食の準備に帰らねばならん時間になり、作りかけのファイルを Dropbox に放りこんで無理やり中断して帰宅。歩数計カウント12,775歩。あんまり歩き回った覚えがないので意外だ。今度は歩数計が敏感すぎるのかもしれない。

菜の花のおひたしを作るつもりで鍋を火にかけながら、iPadでTextasticを起動してDropboxに入れたさっきのファイルの続きを書いていたら、せっかくの菜の花がこげついてしまった。あーあ。


2012年3月21日(水)はれ

日記の下書きはWritingsのワークスペースをDropboxと同期させて書くように方針変更。そのほうが結局楽だし。

きょう息子が帰宅するのが午後2時ごろだ。いつもなら学校でお姉ちゃんを待って一緒に帰ってくるのだが、卒業式の前日で準備作業の忙しい日だとて、それもできない。普段なら妻が在宅していて何ら問題なしのケース。しかしあいにく妻はきょうも仕事で徳島にお泊りだ。仕方がない。俺が午後の仕事を切り上げて帰る。夕食はおでん。歩数計カウント13,777歩。まあきょうに限っては、俺が半日仕事を休んで何とかなったけど、こんなことでいいのか悪いのか。

保健師としての妻の経験と知識と見識は埋もれさせておくべきではない。地域保健・公衆衛生・育児支援といった事項についての知識は、その性質上すぐさま社会に還元しなければ意味をなさない。理学部での研究はそうではなく、人々の暮らしとの関わりはとても間接的で、容易に見えてこない。だが、理学部の研究活動だって、だからと言って止めてしまうわけにはいかないのだ。まあ俺の場合は家庭の事情で研究ができなくなっているのではなく、あくまで自分の精神保健の問題だが。

いや、話がおかしくなった。家の面倒、子供の世話、これらは結局ケースバイケースで、すべての家庭に適用されるべきユニバーサルな運用規程などはないほうがいいのだ。ただ、子供を一人前に育て上げ、かつ、自分たちの日々の暮らしを支える。それだけでいい。あとは家々でそれぞれに筋を通せばいいのだが、うちには筋もヘチマもなく、ただ毎日の成り行きがあるばかり。それというのも、他でもない俺が毎日を受け身に安逸に過ごしているからだ。旧「て日」と現「て日々」に「仕方がない」という言葉がどれほど頻出しているかを見れば、俺が普段から物事を受け身で考えるようになってしまっていることは明らかだ。日記にネガティブなことを書かないと心がけたはいいが、結果このごろは書くに値することが何もなくなってるじゃないか。日記のくだらなさは俺のくだらなさの表現にほかならない。

と書いた手前、grepとwcを使って、俺が日記に《仕方がない》と書いた回数(パラグラフの数)を数えてみた。旧「て日」で121回、昨日までの「て日々」で99回だ。これは《ありがとう》が、「て日」で35回、昨日までの「て日々」で25回であることと比較すれば、ずっと多い。この傾向は変えるべきだ。

いや、また話がおかしくなった。きっと俺は理詰めできちんとものを考えられるタイプの人間ではないのだろう。しかし、だったらなおのこと、日々の暮らしに筋が必要だとは思う。まず自分の身の回りをきちんとしよう。仕事場を片付けて作業環境を改善しよう。寝るときには寝て、起きているときにちゃんと起きていよう。あとのことはそれからだ。

2012年3月23日金曜日追記: 後になって、俺は《ありがとう》より《ありがたい》を多用していることを思い出した。《ありがたい》は旧「て日」で64回、「て日々」で46回使われている。これを《ありがとう》と合わせれば、旧「て日」で99回、「て日々」で71回となる。だから確かに《仕方がない》よりは少ないが、遠く及ばない、というほどのことでもない。データは公平に集めないといけないな。


2012年3月20日(火) 春分の日くもり

昨日一日お休みした幸星はケロっと快復して朝から絶好調。昨晩突然の腹痛で心配させてくれた幸花も何事もなかったように快復した。冬の間、とにかく二階が寒いので、座った状態での作業のためにはできれば二階に上がりたくない。そんな理由で、二階のVistaパソコンがほとんどほったらかしでプリントサーバ専用機と化していた。そのパソコンのメンテナンスもそろそろ考えないといけない。少々古くなったとはいえ、デュアルコアAthlon2.3GHz2.6GHzだからまだまだ働けるはず。ディスク容量だって余裕がある。妻のためにMicrosoft Officeを入れてやろう。自分ももっと何か積極的に利用したほうがいい。

そういえば、このごろはすっかり好奇心が萎えてしまっている。新しいものを追求する情熱が枯れてしまったら、学者稼業なんぞできはしない。ということはつまり、死活問題なのだ。

先日、学生時代に開発を手伝ったパズルゲーム「DOS版TAMTAM」を今でも再配布してくれているWebサイトを見つけた。花沢正純さんがN88BASICを用いて開発したものを、米澤佳己さんが Turbo Pascal v3 で再実装した際に、PC-9801シリーズのコンピュータのグラフィックス論理IOルーチンを呼び出してN88BASIC相等の描画機能を実現するライブラリを俺が作ったのだった。このライブラリはその他に何人かの先生に図形描画のために利用してもらったりもした。1990年春の「DOS版TAMTAM」リリースから22年を経て、花沢さんはもはやこの世の人ではない。

配布パッケージにはソースファイルも含まれている。LHARC自己解凍プログラム形式のパッケージを「解凍レンジ」で展開し、ライブラリのソースファイルを久しぶりに読んでみる。プログラムもドキュメントもそれなりに一生懸命書いている。専門的なプログラミングの勉強はしなかったが、体力と情熱と自由な時間はあったからね。それに比べていまはどうだろう。あの頃よりも強力な自前のパソコンはあるし、ドキュメント類だってはるかに手に入りやすくなった。ソフトウェアの複雑度は増したが、開発環境はずっと便利で、しかも無料で手に入る。何もできないのは、他のどんな理由でもなく、自分が何もしていないからだ。どこかで道を間違えたのかもしれない。あの頃の半分でもいいからエネルギーを取り戻して、もう一度体調をととのえて、積極的に物事に取り組めるようになりたい。

TAMTAMの動作環境はPC-9801シリーズのMS-DOS3.0以降。いまさらそんなものを持っている人もいるまいが、PC-9801にはオープンソースのエミュレータもあるし、なにより、WindowsなりLinuxなりiOSなりに再実装してくれる人が現れるかもしれぬという希望のもと、ZIP形式に変更したパッケージを、ここにおいておく。

Download tamtam-pc98-msdos.zip [58kB]

妻は徳島へ泊りがけの仕事に出かける。昼食に作ったうどんはなかなかうまかった。夕食には鶏レバーのもやし炒めを作ったが、そちらは子供には不評。


2012年3月19日(月)くもり

昨晩から幸星が発熱。ところが妻は仕事で高松に行かにゃならん。午後の早いうちには戻れるというので、午前中は俺が家にいて幸星の面倒を見ることに。昼食はおじや。38度台の熱のある幸星は、機嫌は悪くないがさすがにおとなしい。妻の帰りが思いのほか遅かったこともあって、こちらから時間指定したにもかかわらずゼミ生910くんに待ちぼうけを食らわせ、さらに職場の会議にも遅刻。いや、申しわけない。ごめんなさい。

やるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひる

すっかり平身低頭しつつ、話は変わる。

平日はノートパソコンを持ち帰らないが、iPadの純正メモAppでメモを残せば、それがiCloudと自動的に同期してくれるので、日記の下書きには重宝していた。ところがこの頃どうしたわけか、この純正メモAppが妙に使いにくくなった。スタイル設定などできないはずなのに文書の途中でフォントが変わってしまうことがあるうえ、長い行の折り返しやコピー&ペーストの挙動がおかしいのだ。こんなくだらない駄文でも、俺なりに言葉を選んで書いているから、そこそこ集中を要する。それなのにアプリの挙動がこう変では、気になって作文できない。日記を途切れさせないためにも、純正メモAppの代替品が必要だ。先日は、手書きノートが書きやすくなってありがたいと言ったが、この場合はあとでMacで Jedit X を使ってHTML化するのだから、テキストが文字情報としてMacに転送できないと困る。それさえできれば、書体やページレイアウトなどは関係なく、プレーンテキストがどんどん入力できればよい。余計な機能はいらない。むしろインターフェイスがシンプルなほうが、安心して作文に集中できる。

なにかいいものはないかと思ってiTunes Storeを物色していて見つけたのが、Writings for iPad というアプリだ。起動すると画面がテキストペイン(とオンスクリーンキーボード)だけになる。メニューボタンすら、テキストペインをタッチするまでは姿を消している。これはいい。とくに、外付けBluetoothキーボードを使っているときは極楽だ。あとはこれがiCloudと同期してくれたら言うことなしだが、これだけ使用感が快適なら、そこんとこは、まあiTunes経由の転送でも我慢できる。(それに、お望みならDropboxとの同期が可能だ。)

キャプチャ1 キャプチャ2 キャプチャ3 キャプチャ4
(それぞれフルサイズのキャプチャ画像にリンクしてます)
Writings for iPad のスクリーンショット
第3世代iPadのRetinaディスプレイだったらもっと綺麗なんだろうなあ

いっぽう、LaTeXやHTMLやJavaScriptといった言語のコーディングをしたいのであれば、Textastic がオススメだ。こちらは、いろいろな言語のシンタックスハイライトが可能なうえ、FTPサーバと交信してリモートファイルの編集ができたり、内蔵プレビューアでHTMLのプレビューができたりするスグレモノである。

キャプチャ1 キャプチャ2
(それぞれフルサイズのキャプチャ画像にリンクしてます)
Textastic のスクリーンショット

いや、我ながら雑誌のレビュー記事みたいな日記だなあ…。 まあ、いずれにせよ大事なのは書き続けることだ。日記は毎日書きましょう!!


2012年3月18日(日)あめくもり

椿さん、といっても伊予豆比古命神社のことではなくて、ツイッターでフォローしあっている @Mr_Tsubaki のことだ。椿さんは全国のローカル線の秘境駅を訪ねることを趣味にしていて、4月からNAISTの学生になる直前の春休みを利用し、木曜日に四国入りして、高松から鈍行列車で高知、宇和島と回って昨晩松山に着いた。今日の午後に八幡浜を発つ船で大分へ渡り、明日には豊肥本線で熊本へ移動。それから肥薩線、吉都線の駅を見て回る計画だそうだ。以前なにかの話の折に軽い気持で「四国に来ることがあったらおいしいものご馳走するから」と請けあった覚えがあったので、昼飯をおごって約束を果すことにした。JR松山駅の交番裏の喫茶店で会ってみると、知的な感じのする育ちのよさそうな好男子である。「北斗」で定食を食いつついろいろなことを話す。NAISTでは自然言語処理の研究をするそうだ。身の回りの言語活動すべてが研究対象になる楽しそうな分野である。ぜひ楽しい研究生活を送って面白い研究成果を出して、いずれは人と話のできるコンピュータを作ってほしいと思う。

駅前広場から交番の角を曲った横丁には昔ながらの喫茶店が二軒ある。椿さんとの待ち合わせのために、そのうちの「キタ」という店に今回初めて行ったが、いまではめっきり少なくなった昔ながらのスタイルの、なんというか、「正しい喫茶店」である。コーヒーもまあまあうまかったので、いずれまた行くことにしよう。

その後、大学の自室で月末の発表の準備のためのノートを書きあげ、歩いてジュンク堂へ行く。難しいことで定評のあるジャック・デリダの本 (『声と現象』の高橋允昭訳、理想社版) と、難しいことで定評のある場の量子論の本を買う。さてどうなることやら。


2012年3月17日(土)くもり

筑波で看護学の博士課程の研究生活をしているハナさん (参照: 旧「て日」2006年12月9日/2007年10月25日) が松山にやってきたそうだ。妻はハナさんとヨシコ先生を引き合わせるために午前中から出動。俺は子供らのために昼食のラーメンを作り、部屋の片付けをさせてから、いつものようにゲームをやらせる。ラーメンのスープには ユウキ食品の「味王」 あるいはそれに類似のねり状の中華スープの素を使い、醤油か味噌か塩で味を決め、ニンニクと刻みネギを入れる。普段はそこへ胡麻油を加えるのだが、今回は思いたって代わりにラードを使って醤油味のスープにしてみた。すこし変化が出てこれはこれでいいと思った。


2012年3月16日(金)くもり

先月下旬の休日出勤の代休日。家でホゲる。iPad用のタッチペンを買ったおかげでiPadでのノートテイキングが一気に実用レベルに達した気がする。ありがたいことだ。iPadの手書きノートには Note Taker HD を利用している。いろいろの手書きメモアプリを試したが、複数使いわけることもなかろうと思って、いまのところこれ一本。とはいえ、うちではいまのところもっぱら子供のお絵描きツールになっている neu.Notes もシリアスなノートテイキングに耐える品質のようだし、ほかには Noteshelf もいいかもしれないとは思っている。

夕方はピアノのレッスン。自分では気付けない点について的確なアドバイスをもらえることの有り難さを痛感。


2012年3月15日(木)くもり

(同月18日記入) 実家の母から父の病状と月末の俺達の帰省についてのメールが届いた。が、Apple Mail が迷惑メール扱いにしてしまったおかげで、18日にようやく気付いた。困ったもんである。


2012年3月14日(水)はれ

昨日と今日は、集合論の難しい論文を理解してもいないまま写経のようにノートに書き写していたが、二日目の夜になってさすがにバカバカしくなってやめた。もっと基本的なところからやり直そう。いきなり難しい論文に取りついた理由は、早く研究に復帰しないといけないという焦りがあったからだ。しかし、いまさら功を焦っても仕方がない。ゆっくりやろう。

歩数計カウント10,512歩。


2012年3月13日(火)はれ

ようやくお日さまが顔を見せてくれた。

昼間は家にいて、集合論の論文を読んでいた。宵の口から買い物に出かけ、フジグランで養命酒と靴ベらを買い、BOOK OFFに足を伸ばす。幸花のために青い鳥文庫を二冊買い、HARD OFFでは中古品のBluetoothキーボード付きiPadケースを買った。幸星のためにおもちゃの双眼鏡を210円で買ったのだが、店員さんが「こちら保証がつかないんですけどよろしいですか?」いや、これ、保証されましても…

ケースつきキーボード

で、現在、Bluetoothキーボードを試用中。音楽の再生コントロールができるほか、ホームボタンや選択キーなどがついているのがありがたい。US配列で、キーピッチなど慣れない部分もあるが、それは最初は仕方がないことだ。それに、このごろMacといえばMacBook Proばかり触っているので、かつてのUSB接続のAppleキーボードの感覚をすでに失っているくらいで、キーボードというものは毎日使って手に馴染んだものが一番なのだ。ともあれ、これでiPadでの文章入力も楽になるぞ。

ただ、ケースとキーボードのセットを常に持ち歩くと、どうしてもノートパソコン並みにかさばるようにはなる。iPad の魅力である軽快さが損なわれる憂いはあるね。


2012年3月12日(月)ゆきくもり

入試の監督のために出勤するが、家を出るころから雪が、ドカシャバズカシャバ、どんどこヘイ!! っと言わんばかりの勢いで降りだした。なんじゃこれは。三月中旬にしてはえらい冷え込みだ。傘は持っていたものの、うっかり手袋もせずに出てきたもので、パソコンやら本やら入れたバッグが重くて指がちぎれそうだった。こういうときの常として、職場に着いたらほどなく雪は止んで晴れ間すら見えだした。入試当日の思わぬ雪のおかげで大学周辺の交通は大渋滞になったようだが、入試そのものは滞りなく無事終了した。


2012年3月11日(日)くもり

きょうは小学校区のイベント「城山サーキット」に出かける。子供たちがお城山に登り、途中のチェックポイントでゲームをしたりクイズに答えたりして、散策路を一周して学校に戻る。だが、競争ではない。それから、公民館でカレーを食う。「おたのしみ抽選会」があるが、抽選券を妻に預けて、俺は離脱。いつものカフェでコーヒーを飲む。ただし日曜日の午後にここにくるのは本当に久しぶりだ。3時まえに帰宅して昼寝。歩数計カウント14,294歩。

iPadを買ってほどなくインストールした Space Invaders: InfinityGene というゲームを、今ごろ思い出したようにやっている。やってみると意外に面白い。BGMも気にいって、iTunes Store でRemixアルバム “Infinity Gene Evolutional Theory”(ZUNTATA) を買ってしまった。シューティングゲームのBGMらしい緊張感はあるが、思いのほか瞑想的な音楽である。

インベーダー
タイトーのシンボルともなった
スペース・インベーダー

幸花はこのインベーダーのドット絵がかわいくて好きなのだそうだ。そう言われてみれば、どことなく愛嬌はあるね。


2012年3月10日(土)くもり

昼食はパパパスタ。ミートソース。やっぱりミートソースは前の晩くらいに作って寝かしといたほうがええぞ。

午後はかなりひさしぶりにジョープラへ。デオデオに行って新しい歩数計とLEDランタンを購入。フードコートで「たいやきパフェ」なる珍奇な食いものを試す。たい焼きの皮のようなものの上にチョコバナナアイスと生クリームがパフェになって乗っている。たい焼き部分の皮の中身はカスタードクリームだ。食ってみると悪くはない。

夕食に檜扇貝というのを焼いた。幸花は平気で食ったようだが、貝独特のエグみが子供の口に合わなくても不思議はない。幸星は予想外の味に戸惑っている。口の中で貝柱を持て余しながら泣きそうな顔で「あうあうあーこれまずいー」と言って、おねえちゃんやママの顔をチラチラ見る。その意図するところは明らかだ。ところが、そうは問屋が卸さない。おねえちゃんもママも「ごっくんしなさい!!」と強硬だ。おねえちゃんはそれどころか「ちゃんと好き嫌い言わずに食べないと丈夫なカッコイイ男の子になれないよっ!!」と幸星に説教しだした。その間も幸星は口の中の貝を持て余す。「食べられないなら吐き出しなさい」と誰かが言ってくれるのを幸星が待っているのは明らかだが、俺としては幸星が貝を食わないことより、食えないものを吐き出すことの許可を待っていることが気に入らない。こういうときついつい演説を始めがちな妻と幸花に席をはずさせ、しばらく黙って幸星と向き合う。

俺は「なにがなんでも飲みこめ」とは言わない。だがどのみち、いつまでも口の中に食いものを溜めておくことはできないので、飲み込むか吐き出すか、どちらかにするほかない。そりゃあ子供にはちょっとばかし難しい味の食いものかもしれんが、毒でもなんでもないのだから、我慢してぐっと飲み込めばそれで済むし、あるいは、本当に食えないんなら、誰が何と言おうが吐き出せばいいのだ。ただ、どちらにせよ、自分で決めて、自分で実行しないといけない。ママやおねえちゃんに自分の意図を汲みとって世話してもらうことに慣れ切ってしまっている幸星だが、そろそろ自分の身体を動かすことを覚えてもらわにゃならん。

…というような考えをもちろん口では言わず、黙って前に座って幸星の様子をみる。10分ほども睨めっこをしていたが、吐き出そうとしない。こうなると、予想外の味の食いものを身体が受け付けないという状態はとっくに脱している。相手も意地になっているだけだ。「パパは怒っているわけではない」ということを言外で分からせながら「飲んじゃいなさい」と言ってきかせる。それで最終的には幸星はなんとか飲み込んだようだ。 (こちらのスキをみて捨ててしまってから飲み込んだふりを決めこむズルさは、幸星にはない。良く言えば誠実、悪く言えば馬鹿正直。その正直なところを大切にしながら育ててやらにゃならん。) 空っぽになった口の中を見せて「これは、こうせいのすきなたべものなんだ」と自分に言い聞かせて食べたと幸星が言ったので、「よくがんばったね」と褒めてやった。


2012年3月9日(金)くもり

ピアノのレッスンに遅刻。いつもすみません。いま練習している曲の楽譜の三つのバージョンが家にある。それぞれにちょっとずつペダルや指番号の指示が違っている。原則として全音ピアノピースに従うが、「ここはなんでこうなってるねん?」と思ったときなどに他のバージョンの楽譜も参照する。


2012年3月8日(木)くもり

このところ、天気のところがずっとくもりだが、決して書き替えるのをサボっているわけではないぞ。このごろは本当にずっと天気が悪い。責任者出てこい。そろそろお天道さまを出せ。

昨日の日記には長々と戯言を書いたが、あれは決して昨日書いたものではない。実は、昨晩は、自分がもう長いこと目星いことをやっておらず、最近では情熱をもって物事に取り組めないことを嘆きながら、夜中まで研究室でくすぶっていた。「ろくに仕事していない。こんなことじゃいけない。」と思って、好きな本も読まずにいたのだが、「こんなこと」だけでなく「あんなこと」「そんなこと」も、どうせ何一つできなかった (というのは言葉の綾で、本当は先週の木原くんのセミナートークのとき取ったノートを清書したり、書棚を整理したりはしていた。) んだから、本くらい読んでりゃあよかった。早い話が、鬱状態になって、ひたすらじっとしていた。

だが、けさ早く @patho_logic が「久々にKanamori読んだら燃える」とツイートしていたのを見て、気が晴れた。自分が燃えられないにしても、ほかの人が燃えるためのきっかけや場所を提供できるのであれば、それでいいじゃないか。俺はどうも「できなかった」ことを過大評価し「できた」ことを過小評価しがちだ。

そんなわけで、昨日のうちに読んでいるはずだった『ファインマンさんの流儀』を、今日ようやく読み終えた。数々の奇抜なエピソードで知られるファインマンさんだが、この本はそういう面白おかしいキャラクウターとしてのファインマン像を紹介することを拒否し、比類なき物理学者としてのファインマンの業績と、その背後にある独特の考え方を描くことに注力する。少々難しいがよい本だ。


2012年3月7日(水)くもり

わが理学部キャンパスの通路の要所要所に,こういう看板がある。

逆走禁止!! 一方通行<br>ルールを守りましょう

一方通行の道を逆走するのは大変危険だし、ルールを守るにやぶさかではない。それでも、この看板を見ると、なんとなくおかしくて頭がよじれる。

すぐに目につくのは「逆走禁止ってのは一方通行ってことだし一方通行ってのは逆走禁止ってことじゃん」というトートロジーである。ただ、俺に言わせれば、それは大した問題ではない。同義反復といっても、誰も決して

一方通行!! 一方通行

とか

逆走禁止!! 逆走禁止

とか書いたわけではない。これはたとえば「煙草を吸うな!! ここは禁煙だ。」というのと同じで、同義なことを別の角度から表現したものを重ねあわせ、意図をより鮮明にしようとしているのだということは理解できる。俺が面白がっているのはむしろ、オマケのように添えられている

ルールを守りましょう

という表現だ。うん。ルールを守りましょう。

ここまで言って俺が何を面白がっているかわかってもらえない人にどこが面白いか説明したとして (たとえ理解してもらえたとしても) 同じように面白がってもらえるとは、俺だって思っていない。しかし、やっぱり、たいていの人には、説明しないとわかってもらえないだろうから、ちょっと説明するわ。

理学部構内が一方通行になったのは一昨年前二年前からだから、比較的新しいルールだ。新しかろうが古かろうが、ルールはルールである。ただ、一方通行であることはキャンパスそのものの佇まいから見てとれる種類のことではないので、当然そこには「一方通行」であることを知らせる表示がなければならん。そこでこの看板の登場だ。その文言は当然、

逆走禁止!! 一方通行

となるであろう。ここまでは、まったく自然なことである。

ところで、看板設置者だって、これが比較的新しいルールであることを知っている。「これがルールなんだよ」と念を押す表現を追加すべきだと、彼女または彼は考えた。俺が面白がっているのは、そこで出てきた表現が

これがルールです

でも

そういう決まりなんです

でもなく

ルールを守りましょう

である、という点なのだ。(うーん。これじゃあまだわかってもらえないなあ。)

看板の設置者すなわち理学部当局の担当者は、

これがルールです

では、人に何かを呼びかける標識としての据わりがよくないと考えたのであろう。あるいは「お前さんこれがルールかい? へっ。どう見たって看板じゃねぇか」と絡まれる可能性を想定したのかもしれない。だからといって

確かにこれは看板ですが
上に書いてあることはルールなんです

なんて長々としたためたら、読みながら通る車両がよそ見運転になって、かえって事故を起こしそうだ。そもそも

これがルールです

とわざわざ告げるのはなぜかというと、もちろん

おまえら全員このルールを守れ

と言いたいがためだ。だから、正直にそう書けばいい。担当者はそう考えたはずだ。

さて、この

ルールを守りましょう

すんませんがルールを守ってください

というほど卑屈でもないし

ルールを守らんかコラ

ほど居丈高でもない。丁寧で品があるが必ずしも下手に出ていない。それに

ルールを守ってみませんか

というような、逃げ場を残した表現でもない。毅然としていながら横柄でもなく、アカデミズムの牙城である理学部キャンパスにおける一方通行表示の添え物としてまこと相応しい表現である。言語表現としてのバランスから言っても、この表現をおいて他に選ぶものはなさそうだ。

しかし考えてみれば、ルールの制定者には、ルールの制定者としての権限がある。そして、今回の場合、ルールを制定した理学部当局は、またルールの執行者でもある。そういう立場であるから、もっと堂々と

つべこべ言わず守れ

とか、場合によっては

おとなしく言うことをきけば
手荒なマネはしない

とか、言って言えないことはないし、むしろ言いたいところである。とはいえ、理学部当局といえども理学部全構成員の代表として秩序維持のためにルールを制定しただけであるということを考えれば、スジ論として

わたくしたち理学部構成員は
ルールを守りましょう

と言うべきだということになる。いや待て。一方通行のルールは理学部構成員だけが守ればよいという筋合いのものではない。ここを通行する以上は、外来の車両の運転者にも同じルールを守ってもらわねばならない。じゃあ、

わたくしたち理学部構成員
ならびに外来の車両は
ルールを守りましょう

と書こうか。いや、これって、つまり全員ってことなんだから、

すべての人と車が
ルールを守りましょう

でいこうか。うーん。それもおかしいぞ。全員にあてはまることなんだったら、もう主体を明示する必要はないじゃないか。うんうん。日本的な美意識から言っても、主語はいらない。端的に

ルールを守りましょう

でいこう。そういう取捨選択のプロセスを経て、この表現が、ここに登場している。

わかるだろうか。要するに、これこそは、民主主義国民国家における権力の発動の典型的な形式なのである。

とまあ、そういう意味のことを俺が言うと、妻は「書いた人そこまで考えてないし」という。俺の考え方のセンスに一定の理解を示しつつも、こういうことに関する限り、妻自身は、健全な一介の常識人に過ぎない。俺は、書いた人がそこまで考えてないとは、絶対に認めない。ただ、この看板を書いた人が俺のこの文を読んだら、もちろん「いやそこまで全然考えてないですから」と言うだろうとは思う。実際には、彼女または彼は、自分がそこまで考えたということを意識していないだけなのだが。

さて、長々と説明したが、これでも、まだ俺がこの

ルールを守りましょう

に感じるおかしみの核心ではない。実はこの表示が面白いと俺が感じた本当の理由は、この表示が《ルールを守れという呼びかけは、人間のいかなる部分に呼びかけているのか》という哲学を誘うところにある。

いや、俺が言いたいのは、決して《はたして「ルールを守れ」はルールか?》という表層の論理パズルの面白さではないぞ。同じパズルなら、そんなものよりは、数独のほうが俺にはよほど面白い。

ただ、ここにそういう論理パズルがある、すなわち、ある種のパラドクシカルな混乱があるという事実から、

ルールを守りましょう

と呼びかけられているのがルールそのものが呼びかけているレベルより高次のいわばメタレベルでなければならない、ということが示唆される。この呼びかけに従うか否かという決定が行なわれる意思決定のメカニズムは、とりもなおさず

逆走禁止!! 一方通行

という呼びかけあるいは命令に従うか否かという決定が行なわれる意思決定のメカニズムを律するレベルにあるはずだからである。

たとえば、俺が、キャンパス内一方通行というルールを知りながら、自転車なりバイクなりでキャンパスのこの区域を逆走したとする。このように意図的にルールに反した行動をとったからには、「一方通行だけど逆走しましょう」と意思し、その自分の意思に従ったということであり、「一方通行なので正しい向きに走りましょう」と意思したうえで、それに反した行動をとってしまった、ということではありえない。そうした行動をとる者に

ルールを守りましょう

と呼びかけるというのは、さて、どういう意味をもつだろうか。ルール通りに行動しようという意思をもちなさい、という呼びかけなのだろうか。ルールは「かくかくしかじかのように行動するべきである」と告げ知らせているが、

ルールを守りましょう

というこの呼びかけは、さらに一段踏み込んで「かくかくしかじかのように意思するべきである」と告げ知らせてくれているというわけだ。では、告げ知らされているのは、誰なのか。行動でも意思でもない、もっと上位の何か…タマシイかな…

このように考えていけば、自然に、《とどのつまり、ルールとはなにか》、あるいはもっと詳しく言えば《人の行動を律するもの、とりわけ、人をその意思決定の最終段階において、すなわち実際の行動を決定する段階において、律するものは、ぎりぎり決着のところ、なにか》という問いへと誘われる。

はいそこのアナタ。「なんや、結局オカシイのはこの看板やのぅて、お前さんのアタマやんか」とか言わないように。


2012年3月6日(火)くもり

朝、ゼミの時間から一時間過ぎてもゼミ生 \(H(K)\) くんが登場しない。先週の金曜日に来年度のゼミの予定を知らせたので、それで今期の予定が上書きされてしまったのかもしれない。困ったもんだ。午後は昨日書いたレジュメに Asymptote で図をつける作業をした。

ヤングの不等式
ヤングの不等式を図に訴えて“証明”し,

関数の一様距離と平均距離を比較する例
関数の一様距離を平均距離の定数倍で上から押えることができないことを示し,

ε-近傍のイメージ
ε-近傍のイメージを伝え,

内点と境界点と外点のイメージ
内点と境界点と外点の違いを説明する…

黒板にチョークで描けば一瞬ですむのだけど、印刷にかかるものを作ろうとなると、これしきのものにもそれなりに手間がかかる。そして、こうやってがんばって図を描いても、黒板で図を描かずに済ませられるかというと、やはりそうはいかないのだ。というのも、ライブで図を描きながら説明を加えるアニメーション効果は、印刷された図からは得られないからである。それでもやっぱり図を入れておけば、読む人の助けにもなろうし、自分だってあとで助かるはずだ。


2012年3月5日(月)くもり

卒業研究発表会の代休日その2。だが家でMacBook Proを広げて新年度の授業のレジュメを作る。自分でしゃべりたいこと全部書いて先に配ってしまおうという魂胆なのだ。だが、何度も話してきた授業内容とはいえ、15回分プラス演習問題が一晩で書きあがるわけもない。8つのセクションのうち2つまでがなんとか内容が固まったところで時間ぎれ。しかしエンジンがかかったことは確かだ。

しかし距離空間の例を紹介するのに、わざわざヘルダーの不等式やミンコフスキの不等式の証明まで書く必然性はないのだ。どうも自分で自分の首を締めている気もするな。

午後には本を少しだけブックオフに持っていった。


2012年3月4日(日)くもり

子供らが教会学校に行っているあいだ二番町のアマンダコーヒーで本を読んで待つ。コミセンの図書館に返却に行くと、文化ホールは市民文化フェスティバルだかなんとかいう催しをしていて、けっこうな人出だ。昼飯がわりのお好み焼きと、あと、娘にせがまれてケーキを買う。こども館でも高校生がイベントをやっている。学校行事にせよ何にせよ、3月は案外とイベントが多いのだ。


2012年3月3日(土)はれ

いやあきょう一日、子供がウルサかったわ。朝食はパパオムレツ、昼食はパパラーメン(塩味)、夕食はママが作り、ひなまつりにちなんで蛤のお吸い物とお寿司だった。午後には食事のときに幸星の座る椅子の修繕をした。

先日ツイッターで発言したことに関連して、池上くんからメールが来ていた。池上くんはいまはバークレーでポスドクをしている、記述集合論の若手研究者である。俺のようなヨタ者とはちがって、彼はスジガネ入りの現役である。

まず俺の発言

英語で書いたら文法ミスった。個々にはZFCと整合するがお互いは矛盾しあう二つの \(\Sigma^1_3\) 命題はあるのか。(posted at 11:22:31)
\(\Sigma^1_3\) 命題は、たとえば「 \(L\) に属しない実数がある 」「\(L\) 上のランダム実数が存在する」「 \((\aleph_1)^L\) は 可算である」「\(0^\sharp\) が存在する」などなど、《\(V\) の \(L\) からの超越性》の言明になっている場合が多い。(posted at 11:25:23)
ということは、真な \(\Sigma^1_3\) 文が多ければ多いほど \(V\) は \(L\) から遠ざかることになり、その意味では「宇宙が豊かである」ということになる。で、最初に戻って、それら \(\Sigma^1_3\) 文が互いに整合的かどうか、が問題になる。(posted at 11:30:00)
もちろん、このさいだから、アカラサマに矛盾するものを除いて、成立してしかるべき \(\Sigma^1_3\) 命題が、すべてあらかじめ成立しているような \(V\) というのが可能か、可能ならそれはどんなものか、考えたい。(posted at 11:32:09)

池上くんのコメント

これは set forcing extension に限って言えば可能で,例えば,任意の集合に対してそのシャープが存在すれば,set forcing で forceable な任意の \(\Sigma^1_3\) 命題は \(V\) で成り立っています。上の結論の consistency strength の upper bound は確か \(\Sigma_2\)-reflecting cardinal くらいで,シャープより真に弱かったと思います。詳しくは,Feng, Magidor, and Woodin の “Universally Baire Sets of Reals” をご参照ください。

俺のもうひとつの発言

「CCC強制可能な \(\Sigma^1_3\) 文はすでに真」は\(\mathrm{MA}+\neg\mathrm{CH}\)から出そうだな。(posted at 12:34:03)

池上くんのコメント

これは仰るとおりで,\(\mathrm{MA}_{\aleph_1}\) から, 「CCC強制可能な \((H(\omega_2), \in)\) 上の \(\Sigma_1\) 文 (パラメータ付) はすでに真」 が出ることと,任意の \(\Sigma^1_3\) 文は,\(\omega_1\) をパラメータとした \((H(\omega_2), \in)\) 上の \(\Sigma_1\) 文と同値であることから従います。後者については,例えば,\(\Sigma^1_3\) 文 \(\phi\) に対し, \[ \phi \iff \exists x\in\mathbb{R}\Big[\; L_{\omega_1}[x] \vDash \phi \;\Big] \] であり,後者は \(\omega_1\) をパラメータとした \((H(\omega_2), \in)\) 上の \(\Sigma_1\) 文で表現できます。

俺が書いた返事のメール(昨日午前11時30分ごろ)

池上さま、

ご連絡ありがとうございます。Forcing Absoluteness にかんしては、
「十分多くのWoodin Cardinalがあれば \(L(\mathbb{R})\) の Theory が forcing extension
に関して不変になる」ということを、風の噂で耳にしておりました。

ご指摘の1番については、このようなformulationさえわかれば、証明は自力で
なんとかなりそうに思います。

ただ、dagger のようなより強い可測基数に関する sharp の対応物についても
「成立してしかるべき」であると考えられるので、これは実は forcing だけの
話ではないだろうということも、ツイートした際に念頭にあったのは確かです。

ご指摘の2番は自分で証明できました。あとで考えれば、これは Bartoszynski-
Judah の本でさんざん問題になっている\(\Sigma^1_3\)-\(P\)-absoluteness に
ほかなりませんね。

コメントは煩わしいどころか大変ありがたいです。むしろ、わたくしへの
私信ではTwitterでの目撃者に益するところが全然ないのが残念です。
池上さんが Twitter でツッコミを入れてくださるか、それが難しいようなら、
わたくしが「イケガミダイスケがこのように教えてくれた」という形で
ツイートすることをお許し願えればと思います。

では!!

ふじた

池上くんからさらに返事があった。その主な部分だけ掲載させてもらう。俺の返事の前半に関するコメントだ。

任意の集合に対してその dagger があったとすると,当然 sharp もあるわけで,\(\Sigma^1_3\) forcing absolutenessは成り立つのですが,\(\Sigma^1_4\) forcing absoluteness は成り立ちません。理由は,任意の集合に対してその dagger がある inner model で \(\Delta^1_3\) wellordering of the reals を持つものがあるからです。(\(L_{\mu}\) が \(\Delta^1_3\) wellordering of the realsを持つことと同じノリの議論です。)

余談になるかもしれませんが,もう少し補足させてください。Woodin cardinal 一つに対する sharp の対応物があって \(M_1^{\#}\) と呼ばれていますが,任意の集合に対して \(M_1^{\#}\) があれば,\(\Sigma^1_4\) forcing absoluteness が成り立ちます。(そして,これだけからは \(\Sigma^1_5\) forcing absoluteness は成り立ちません。) 一般に,ordinal \(\alpha\) にたいして Woodin cardinal alpha 個に対する sharpの対応物 \(M_{\alpha}^{\#}\) が定義できます。(\(M_0^{\#}\) は \(0^{\#}\) と思ってください。) 任意の自然数 \(n\) を fix したとき,もし任意の集合に対しその \(M_n^{\#}\) が存在したとすると,\(\Sigma^1_{n+3}\) forcing absoluteness が成り立ちます。\(L(\mathbb{R})\) の forcing absoluteness は,任意の集合に対しその \(M_{\omega}^{\#}\) が存在するときに成り立ちます。任意の集合に対するその \(M_{\omega}^{\#}\) の存在は,例えば PFA からも出るので,PFA から \(L(\mathbb{R})\) の forcingabsoluteness が出ることもわかります。

一般に,large cardinal から帰結される forcing absoluteness は,必要な large cardinalproperty に対する sharp の存在から出ることが多く,一般にこういうことが任意の large cardinal propertyに対して成り立つかどうかは今後の inner model theory の発展にかかっています。

以上、池上くんの許可を得て掲載。

どうです。ありがたいじゃありませんか。素晴しいじゃありませんか。これを俺あての私信として俺のメールボックスの肥やしにするのはもったいない。だが、ツイッターに流すにはコマギレにせねばならず、そうすると他のツイートとごっちゃになって順不同に届いたり、とりこぼしたりする可能性もある。それよりは、ここへ書いて、ツイッターでは、イケガミくんの返事を「て日々」に載せたよー、と誘導するほうがいい。


2012年3月2日(金)くもり

新年度の卒業研究ゼミ生の配属が決まった。9月卒業予定の\(H(K)\)くんの他には、俺が担当するのは一人だけ。集合論志望の0-1くんだ。面接してみたところ、卒業後は進学希望だというし、けっこうやる気満々だったので、これまでより少し高めのレベル設定をして、記号論理の基本のところをざっとやったあと、いきなりキューネンの新版 “Set Theory” に取り組むことにした。このゼミには0-1くんと\(H(K)\)くんの他に大学院生の910くんにオブザーバーとして参加してもらうほか、整数論ゼミからT1くんがオブザーバーとして参加希望だ。となると、T1くんに逃げられないことが、ゼミ運営のひとつの目標ということになる。卒業研究ゼミは火曜日の午後。910くんの大学院ゼミは木曜の午前中。次年度前期にはこの他、位相数学の講義と三年生ゼミがある。

実は自分のゼミには0-1くんの他にあと1〜2人来るかと思っていた。というのも、俺のゼミは例年定員(5名)に満たず、学生に人気のMM准教授のゼミなどから定員超過であぶれた人を受け入れるのが常だからだ。来月の中旬にはゲーデルの不完全性定理を論じた東北大の田中一之先生の新しい本が出るそうなので、それを採用してもいいなと思っていた。今回はその必要はなかったわけだが、今後のためにもこの新しい田中先生の本はチェックしておかなくては。


2012年3月1日(木)くもり

午前中は木原くんの研究報告第二弾。近年の拡張されたチューリング次数の研究から派生した不連続函数の計算論の話題。まだはっきりしない部分もあるが、直観主義算術の上に立てられた古典論理的原理の階層が、ボレル可測函数に対するベールの第1クラスの新しい階層への分類に対応する可能性という、記述集合論ファンとしては耳よりな話だった。そのことを書いた木原くんたちの論文は、なんと106ページにわたる超大作。だが俺とて数学者のハシクレ。これはひとつ勉強してフォローせねばならぬ。

お昼すぎに木原くんが帰ったあと、妻が久しぶりに作ってくれた弁当を食って、一息入れようとソファーに寝転んだら、そのまま3時半まで爆睡してしまった。自分の研究結果について熱くかつ朗らかに語る木原くんと比較して、まあ俺の意気地のないことよ。4時半には家に銀行の人が保険の書き換えの説明に来るので、慌てて店じまいして帰宅。歩数計カウント9,329歩。