て日々

2012年1月


2012年1月31日(火)はれ

昨晩夜中までトーラスのことばかり考えていたら、けさ朝飯にドーナツが出てきて、ちょっとまいった。

なぜ朝食がドーナツ?

午前中は \(H(K)\) くんのセミナー。午後はトポロジーの授業の最終回。やはりマイヤー=ヴィートリス完全系列の定義と例を一回の講義で済ますのは、証明の細部を省略したとしても少し無理があったようで、 5分くらい押してしまった。

歩数計カウント8,929歩。

アメリカのアイダホ州ボイジーの州立大学でほぼ年一回開かれている BEST (Boise Extravaganza in Set Theory) という、集合論研究者にはよく知られた研究集会シリーズがある。大阪府立大学のカダくんは、かつてこのボイジー州立大学にいたTomek Bartoszynskiに師事していたこともあって、BESTの常連というか「中の人」のひとりである。以前から常々、松山でなにか MOST という名前の集合論の研究集会シリーズを開けないものかと思っていた。Oで始まるいい言葉がないものか。テキが「悪ノリ気味の見せ物」という意味の Extravaganza なのだから、こちらは《Overなんちゃら》がいいかも、なんて考えていたのだが、「夢判断」という意味の Oneirocriticism という言葉があるので、これを採用して Matsuyama Oneirocriticism in Set Theory 略して MOST でいこう。さて、名前は決まった。あとは中身だ…って、そういう順番でいいのか。


2012年1月30日(月)はれ

あすの授業に備えて何度もトーラスのホモロジー群の計算を確認。決め手になるのはアーベル群の準同型がスプリットする条件のところ。\(f:A\to B\) がアーベル群の準同型で、ある準同型 \(g:B\to A\) について \(f\circ g\) が \(B\) の恒等写像になるとすれば、\(f\) は全射、\(g\) は単射だから \(B\) は \(g\) の像 \(\operatorname{Im}g\) と同型で、しかも \(A=\operatorname{Ker}f\oplus\operatorname{Im}g\) と直和に分割される。この状況を、“準同型 \(f\) がスプリットする”という。アーベル群でなくてもベクトル空間と線型写像のカテゴリーでも同様だから、あるいは二年生の線形代数の時間にやっているかもしれない。とくに \(B=\mathbb{Z}\) で \(f\) がゼロでない準同型である場合、\(A\simeq\operatorname{Ker}f\times\mathbb{Z}\) となるわけで、トーラスの一次元ホモロジー群が \(\mathbb{Z}^2\) と同型になることを示すにあたって、このことが決め手になる。

歩数計カウント9,442歩。


2012年1月29日(日)はれ

午前中、子供らを図書館に連れていき、昼食に中華風スープと焼きそばを作る。中華風スープには、昨晩の鍋のために用意して少し余ったくずきりと溶き卵とわかめを入れた。スープも焼きそばも、なかなかうまかった。午後は子供らにゲームをさせ、少し散歩をする。

昨年夏までの妻の仕事から出戻ってきた貰いもののVAIO PCV-LX53/BPがずっと放ってあったので、Debian 6.0をインストールしてみたが、起動時に画面が真っ暗になったしまう。ビデオカードのドライバがよくないとか、そういうことなのだろう。少し調べてみたら、PCV-LX53/BPのビデオカードはNVIDIA GeForce 2/MXなので、ビデオドライバは nv を指定すればいいということのようだ。それならそれでよいが、ドライバの指定を書き込むためにはシステムを起動しなければならず、そのためにはビデオドライバが正常に動作せねばならず、そのためにはドライバの指定を設定ファイルに書き込まねばならず、書き込むためにはシステムを起動しなければならず、以下同様の無限ループになってしまう。どこかにGUIブートをスキップしてコンソールにログインする方法が用意されていれば助かるが、きっとそうではなくて、GRUBの設定エディタでLinuxカーネルに渡すパラメータにビデオドライバを指定しなさい、という話になるのだろう。だがきょうはもうGRUBのマニュアルを読む気力がないので、また今度ということにしよう。


2012年1月28日(土)はれ

朝のうちに神戸を出発し、昼過ぎには松山に戻った。家族が駅に迎えに来てくれたので、4人でココスへ昼飯を食いに行く。【息子】は、ママが注文したハンバーグと一緒に出てきた焼けた鉄のペレットと、テーブルにある呼び出しボタンに興味を引かれたようだ。ちょっとお行儀が良くないのは困りものだが、好奇心旺盛なのはいいことだ。

帰宅すると、井関清志・近藤基吉『現代数学--成立と課題』(日本評論社,1977年)が届いていた。いまでも新刊書店で手に入るが、6,000円ちょっとする。今回はAmazonのマーケットプレイスで中古を探して、初版第1刷を送料と合わせて2,000円弱で入手できた。とはいえ、今月は本をいろいろ買いすぎだ。いいかげん読むほうに注力せにゃならん。

夕食には鍋。鶏肉と鱈と鰈を水炊きにする。


2012年1月27日(金)はれ

とりあえず、日記でもなんでもないが普段からときどき思い出して考えていることを書く。次の写真は、昨日神戸大学の建物で撮ったもの。言わずと知れた、男子トイレの小用便器である。

男性用小用便器が三つ。一番右のものには身障者用の手すり
大学の建物のトイレには、たいてい三つくらい並んでいます
駅や高速道路のパーキングエリアのトイレならもっと多いでしょうし
小さな酒場のトイレなら、一つしかないのが普通です

トイレの入り口は、この写真の右側にある。三つならんだ便器のいちばん右側のものに、身障者用の手すりが備えられている。さて、あなたがこのトイレに、小用を足しにやってきたとしよう。ひとまず、あなたは自分の足で満足に歩けると仮定し、しかも、あなたが来る前はトイレは空だったとする。

三便器問題
図: あなたはどの便器の前に立つか

おそらく、あなたは①に立つ。名刀村正か鉛筆ケズリかは知らぬが、愛用の得物を取り出して便器に向っている状態というのは、ほんの少しではあるがやはり不安なもので、そういうときは、隅っこにいる方が安心できるものだし、身体すれすれの位置に金属の手すりがあると、これまたほんの少しだけだが、身体を脅かされる感じがするからだ。

次に、もしもトイレが空でなく①が使用中だった場合、もちろん人にもよるが、多くは③を選ぶだろう。身障者用の手すりは不要な者には正直な話ちょっと邪魔なのだが、①に他の人が立っている場合、③の手すりが邪魔という理由で②を選ぶよりは、①の人との間に十分な間隔を確保したいという理由で③を選ぶものだ。①と③の両方が塞がっている場合に、あなたは仕方なく②に立つことになる。

つまりこの場合、手すりが必要ない人にとって、便器の優先順位は①③②である。便器としての機能には、どれも差はないのだが、誰でも無意識のうちにこの程度の判断はする。

で、俺が何を言いたいかというと、先客AさんとBさんの二人がいる所へ、三人めの利用者Cさんが松葉杖をついて入ってきたとき、ちょっと申し訳ないことになるなあ、ということだ。このCさんは脚が不自由で、手すりがないと用が足せないのだけど、手すりのない②が空いていて③が塞がっている。しかも、手すりのある③に立っているのは、自分の脚で体を支えられ、手すりを必要としないBさんである。おまけに、最初に①に立ったAさんは、高い確率ですでに用を済ませて立ち去っているだろう。つまり、①②という二つの手すりのない便器が空いているのに、手すりのある③を手すりを必要としないBさんが使っていて、手すりの必要なCさんが待たねばならない。そして、Bさんがそのことに気がついたとしても、彼とて、途中で場所を移ることは不可能なのである。

まあ、こういうことは、日常に潜む無数の小さな不条理のほんの一例にすぎず、大騒ぎするほどのことではないのかもしれない。だけど、改善する方法はあるように思う。空のトイレに最初に入ってAさんになった場合にまず②を利用するように普段から心がければいいのだ。そうすれば、手すりで体を支える必要のないBさんは、何も悩まず間違いなく①を利用するだろう。そこへCさんが来たら問題なく③が使える。そして、すでにAさんが①に立っているところへやってきたBさんになったときは②に立てばよいのだ。

以上「現実的には無視できる程度の危害の予感に対する動物的な不安に打ち克ち、無意識に任せず理性的に、最善の便器を選ぼう」という話であった。

まあ、俺だって、入ったトイレで①②とも塞がっていた場合に、いつ来るかわからない身障者のために③を空けて待つことまではしない。とすると、自分が③に立っている間に①と②が空いたら、話は結局振り出しに戻ってしまうのだ。だから、この話全体をジョークだと思ってもらって全然構わないわけだが、俺はできる限り上に言ったとおりに実行している。あと、最初っから②に手すりをつけてしまうというのも方法だが、残念ながら、俺はトイレの設計者ではないのである。もしも身近にトイレの設計・施行をする人がいたら、ちょっとこういう話をもちかけてみてほしい。義父は水道屋兼町会議員だから、今度妻の実家で話してみよう。

ちなみに、うちの大学の俺のオフィスのある建物は男子トイレが二階と三階にあるが、どちらにも手すりつきの小用便器がない。身障者用トイレは一階の女子トイレの近くにあるから、そこを利用すればいいという発想なのかもしれないが、どっこい、この建物にはそもそもエレベータがないのだ。脚の悪い学生さんが数学科に入学してくるまで、この状況は変わらないかもしれない。

スケルトンTスケルトンTスケルトンT

薬が切れると不安な気持ちが収められない。そのせいかどうか知らないが、歩いているとなんだかふらふらする。それで、午前中はホテルに籠り、午後だけ神戸大学へ行って講演を聴く。帰り道に三宮センター街の古本屋とジュンク堂書店に寄って、本を4冊入手。

きょう入手した4冊の本
山田無文『碧巖物語』
横内寛文『プログラム意味論』
大堀淳『プログラミング言語の基礎理論』
竹内外史『直観主義的集合論』

『碧巖物語』が500円、『直観主義的集合論』が3,000円で手に入ったのは嬉しかった。この二冊は三宮の《あかつき書房》で買ったもの。

歩数計カウント8,900歩。昨晩から用心していたのがよかったのか、外を歩いている間は薬が切れた影響は身体感覚的なものに限られ、感情面でつらいことにはならなかった。ただ、やっぱり少し疲れた。


2012年1月26日(木)くもり

朝になって、またまたMacBook ProのACアダプタを職場に忘れてきたことに気づく。妻に車を走らせてもらって取りにいき、それからJR駅で二人でコーヒーを飲む。9時15分発の「しおかぜ」に乗って岡山、そこから「のぞみ」に乗り換えて、神戸にやってきた。天気は悪くないが、ときおり雪がちらつく。

神戸大学のいつもの渕野さんたちの研究室で月曜日から開催中の、日墺二国間の研究集会 FWF/JSPS Joint Seminar on Forcing in Set Theory に出席し、発表と意見交換をするのが、今回の神戸訪問の目的だ。午後1時半ごろに着いてみると、さほど広くないセミナー室はほぼ満員。道中にノートの見直しができなかったこともあって、セミナー室には入らず、コモンルームで発表の準備をする。

発表は、10月にタマちゃんと議論していた、実数の加法群の部分群に関する内容だ。久々の英語講演で緊張する。開口一番、今回の話が«forcing»にはまぁーったく関係ないことを宣言し、(この時点で失笑する出席者若干、) 次に今回取り扱う問題を書き、「答えを知っている人はいますか」という。しばしの沈黙を受けて、オーストリア側のボスのSy Friedman先生が「いるわけないね」と言ってくれた。そこで俺が「そうですか。誰か知っていたらうれしいんだけど。そしたらこれで話をやめて遊びに行けるし…」と言うと一同ドッと笑ってくれた。まあ、これは«笑わせた»というより«笑われた»ということかもしれない。ともあれ、これで少し気が楽になった。「しかたがないなあ、話を続けます…」と、予定した内容を40分と少ししゃべって、無事に講演を終わらせた。

ところが、けっこう自信満々でしゃべり、質問にも答えた«FACT 3»の証明が、あとで考えたら間違っていた。このあたりから予想の反例が見つかるかもしれないので、よく調べてみよう。

キューネン本新刊のことは、ヨシノブくんや渕野さんを含め、その場の日本側参加者は誰も知らなかった。ただ、会場にはトロントと日本のあいだを行ったり来たりしているFrank Tall先生もいて「また訳すの?」と聞いてくれた。さて、どうでしょうね。まだ旧版の在庫が版元にある状況ですから、まずそれを買うように、先生皆に薦めてくださいよ。というのが、俺の答え。

Ω-ロジックに関するDavid Aspéroの講演でセッションが終わると、皆はAndrew Brook-Taylorの家で開かれるパーティーに出かけたが、俺は宿にチェックインしなければならないので別行動。宿はこれまでも何度か利用したことのある京町筋のヴィアマーレ。歩数計カウント8,968歩。

8時すぎに宿に着いてまず風呂に入り、一息入れて荷物を整理しているときに、いつもの薬を忘れてきていることに気付いた。毎日欠かさず飲まねばならない薬を忘れるとは、パソコンのACアダプタどころでない一大ポカである。しかも、きょうの分の薬をけさ飲んできたかどうかも、どうも思い出せない。

妻が宅配便でホテルに送ってくれるというが、この時刻からでは明日じゅうには間にあわない。薬が切れても、まあ命に別状はないが、周囲に迷惑をかけてはいけないから、明日はひたすらおとなしく過すことにする。自分から言いだしたオフ会もキャンセルせにゃならん。それで \(\Gamma_0\) さん (@Prooftheorist) と脳 (@noukoknows) に迷惑をかけた。ごめんなさい。3月末の京都の「つどい」のときに、必ず埋めあわせをします。


2012年1月25日(水)くもり

なんと、明後日だと思っていた神戸での研究発表は明日だった。わはははは。きょうのうちに気付いてよかったよ。準備しとこう。

iBooks Authorという電子書籍執筆のためのアプリケーションをアップルが無料配布している。さっそく試そうと思ってインストールしてみたが、数式入力にはMathTypeが必要とか、日本語の本を配信する経路(つまり日本版iBooks)がいまのところ存在しないとかで、現時点で実用に耐えるものではなかった。将来のことはわからないけど、当分はLaTeXを使ってPDF形式で作るということになりそうだ。

まあ、俺はたしかMathTypeは使ったことがないはず。大昔の68kMacの時代に触ったことくらいはあるのかもしれないけど、少なくとも実用レベルで使ったことはない。Microsoft OfficeにもOpenOffice.orgにもそれぞれに数式エディタがあるが、TeXシステムに馴染んだ者にとっては、かえってまどろっこしい。

まあ、どんなプラットフォームを使おうと、作者が努力しないことには作品はできあがらないんで、怠けている自分が一番の障害なんだけどね。

歩数計カウント10,838歩。


2012年1月24日(火)くもり

午前中 \(H(K)\) くんのゼミ。午後はトポロジーの講義だが、行列の計算で少ししくじり、おまけに《可逆行列》(かぎゃくぎょうれつ)という言葉の発音でもしくじってしまった。うーむ。はずかしい。

ぷよ
赤可逆行列 青可逆行列 黄可逆行列
(おまけに 紫可逆行列 緑可逆行列)

線形代数の授業では、可逆行列なんて舌を噛みそうな用語を使わず、逆行列をもつ行列のことを「正則行列」と呼ぶ。いっぽう、トポロジーの授業で扱うのはベクトル空間ではなくアーベル群なので、行列は基本的に整数行列のみだ。可逆というのは整数行列の範囲で可逆。つまり逆行列も整数行列になるという意味である。そのため、行列式はゼロでないだけでは十分ではなく、\(+1\) か \(-1\) でないといけない。もちろん、正則という言葉を、あらためてこの意味に修正して使えば舌は噛まないが、それよりも耳に馴染みの薄い「可逆行列」という言葉を、整数の範囲で可逆という意味ですぜと断わって使うほうがマギラワシくない。

歩数計カウント11,321歩。帰宅してみると、キューネン本新版と前後して昨日のうちに届いていたという (けど、どこにまぎれ込んだものか見当たらなかった) J.L.Bell «Axiom of Choice» (College Publications, 2009) を妻が見つけてくれていたので、さっそくチェックする。数学とか公理的集合論における選択公理の位置づけにも増して、数学の基礎づけの新潮流である圏論やトポスや高階直観論理との関連における選択公理の扱いという部分に注力しているのがこの本の新しさで、また著者らしさが出ているところだ。


2012年1月23日(月)くもり

午後は3月末の「つどい」で何を話すかの目鼻をつける。何を話すか決めるために、とりあえず頭の中にある関係ありそうなことを全部書いてしまう、といういつもの手法だ。というと、ちゃんと仕事をしているように聴こえるが、じつは明日の授業の準備やら週末の神戸での発表の準備やら月末が〆切の講究録の原稿の仕上げやら、やるべきことは山ほどあるから、実はこれは体のいい現実逃避である。

キューネン本新版表紙

歩数計カウント10,007歩。夜9時すぎに帰宅すると、新しいキューネン本が届いていた。まずはそのはしがき(Preface)を引用しよう:

本書は筆者が1980年に発行した『集合論 - 独立性証明への案内』を全面的に書きなおしたものだ. どちらの本も公理的集合論を勉強し終えてこれから連続体仮説(\(CH\))をはじめとする独立性証明について学びたいという読者を想定している. 今回, 書きなおしが必要になった理由は二つある.

第一に, 前著が出て以来30年あまりの間に集合論でたくさんのことが発見された. この本や前著はどちらも基本的なことに注力しているから, これらの発見のすべてから深刻な影響を受けるわけではないにせよ, いくぶんかは内容に反映されてしかるべきだ. たとえば, 前著の掉尾を飾ったのはマーティンの公理(\(MA\))と\(\neg CH\)の無矛盾性証明だと言ってよいが, こんにちでは, 初歩的な教科書においても \(MA+\neg CH\) と独立な諸結果についていくぶんかは議論すべきだし, 最低でも適正強制公理(\(PFA\))に言及くらいしているべきだ.

第二に, 数学においてモデル理論の手法がますます広く用いられるようになってきた. 公理的集合論 (\(ZFC\)など) の中で論理の構文を定式化してモデル理論の定理を証明すること, とくに集合論のモデルについての定理を証明することが可能だ. 論理学の専門家にはこの方法は1940年代以来よく知られたものであったけれど, 1980年の時点でもまだ, 集合論やその応用分野の研究者のなかに論理学にあまり詳しくない人は多かった. それで, 前著ではモデル理論的な手法を回避するためにひと苦労した. しかし, こんにちでは, 位相や解析のうち集合論寄りの分野を研究する人なら誰でもモデル理論の初歩を知っていて, 初等部分モデルの手法の応用くらいは心得ている. そこで, この本では, この手法についてまず第I章で論理学の初歩のおさらいの一部として述べたうえ, 続く各章で数学的な結果を導いたり独立性証明をするために応用している.

この改訂の結果として, ゲーデルによる一般連続体仮説(\(GCH\))の無矛盾性証明は, 前著においてはまるごとひとつの章だったものが, ひとつのセクション(《無矛盾性証明のやさしい例》と題された第II章の一部)へと格下げされた. その理由は, 集合論のモデルという(歴史上ゲーデルに端を発する)アイディアにひとたび親しんでしまえば, \(GCH\)のゲーデルによるモデルの構築は, ほとんど明白な作業であると思われるからだ.

というわけで、新版は Semi Open Coloring Axiom (\(SOCA\)) の応用とその\(MA+\neg CH\)からの独立性の証明をしたあと、適正強制法(Proper Forcing)についてのセクションでしめくくられている。なにしろ届いたばかりで、もちろんまだちゃんと読んではいないが、目次や序章から受ける印象としては、より現代的にアレンジしなおされた結果として少し敷居が上がった感じではある。ロジックの初歩についてはすでに別のテキスト (Kenneth Kunen: «The Foundations of Mathematics», College Publications (2009)) があり、まずはそちらから入るといいというわけだ。ただ、それについて序章には「あっちのテキストの内容のすべてが必要になるわけじゃあないよ」と書いてある。

この新しいキューネン本についてひとつ特筆すべきことはその価格だ。1980年の旧版がペーパーバック版でも一万円前後であったのに比較して、新版は三千円弱である。これにはかなりのおトク感がある。昨日書いたようにツイッターで話題にしたうえ即座にAmazonで注文したら、半日後には「一時的に品切れ」の状態になった。実は先日のベルナイス本Dover版も、俺が注文したぶんはすぐ届いたが、数日あとにかがみさんが発注したら1〜2ヶ月待ちの状態になったという。かがみさんが言うに、なんか「椅子とりゲーム」みたいになっているようだ。


2012年1月22日(日)くもり

昨日、ベルナイスの本が届いたばかりだが、きょうそのベルナイスの本のデータをちょっと確認したくて Amazon.co.jp を開いたら、キューネン本の新刊の情報が目に入った。これだ: Kenneth Kunen: «Set Theory», College Publications (2011/11). 旧版の訳者として、昨年11月にすでに刊行されていた新版のことを全然知らなかった不明を恥じるしかないが、ツイッターで聞いても、ミナミくんを含め、誰も気づいていなかったようで、タイムラインに一時衝撃が走った。とにもかくにも「お急ぎ便」で発注。明日には届く予定。そしたらまた書く。

学生さんたちの自主的な大学間セミナーの計画もツイッターなどのSNSを利用して効率的にできるようになった。3月に関西でなにかやるというので「小学校が春休みの時期なら参加するかも」と言って、計画に入れてもらった。ありがたいことだ。ちゃんと発表の用意をしておかなくては。

とかなんとか言いつつ、話はころっと変わる。

やるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひる

【警告】以下の文章は、作者が少々悪ノリした結果、生真面目な人に読ませるような文章にはなっておりません。くれぐれもご注意ください。

ストーリー:ある日、生徒はキレた。毎日毎日こうして学校で意味のわからない呪文のような授業を聴きつづけて何になるのか。自分は「決して短気ではない」が「こういう不条理には耐えられない」と思った。「学校で出会う不条理などカワイイものであるぞよ」などとしたり顔で説教したところで、いまのこの生徒には通じるまい。生徒は先生に食ってかかった…

まずはあの結城浩さんの作品を見ていただこう:(出典)

生徒「そんなことが世の中に出て何の役に立つんだよ!」
先生「答えてもいいが、まず『世の中』を定義してもらおう」

もう一つ:(出典)

生徒「そんなことが世の中に出て何の役に立つんだよ!」
先生「答えてもいいが、まず『役に立つ』を定義してもらおう」

ところがそのころ結城家では、ちょうど夕食の支度ができたらしい:(出典)

生徒「そんなことが世の中に出て何の役に立つんだよ!」
先生「答えてもいいが、晩ごはんの鍋ができたようだから、そっちが先だ」

なんと先生は生徒に答えずに夕食に行ってしまった。これを見過しにできる俺ではない。さっそく参戦した。(出典)

生徒「そんなことが世の中に出て何の役に立つんだよ!」
先生「ほう、中に出るとは異なことを聞くなあ。出たのであれば、そこは外なのだ。」

しかし、はぐらかすのではなく正面から受けとめ答えてやるのが教育者というもので…(出典)

生徒「そんなことが世の中に出て何の役に立つんだよ!」
先生「知りたいなら教えてやるが、わかるまで帰さんぞ」

先生としては、生徒が成長するようすを見るのは嬉しいものである:(出典)

生徒「そんなことが世の中に出て何の役に立つんだよ!」
先生「はい、反語表現はマスターしましたね。じゃあ次は修辞疑問…」

修辞疑問ってのは「ああ、なぜこの生徒はこのような不条理に耐え続けなければならないのであろうか!!」とか、そういうやつね。だが、そんなものは、わざわざ学校で教わらなくても自然にマスターできるのだから、この生徒のいらだちにも一理はある。ひとつ、世の中に出た人の意見も聞いてみよう:(出典)

生徒「そんなことが世の中に出て何の役に立つんだよ!」
利用者Fさん(40代男性)「そんなことを勉強していたおかげで、金運がアップしました」
利用者Mさん(30代女性)「語呂合わせもついていてとても覚えやすいんです、もう手放せません」
(※個人の感想です)

そのほか、「夜、トイレに立つ回数が減りました(60代男性)」とか「なんであたしがこんなオヤジにって、頭で思ってるのに、もういつのまにかメロメロで…あとで聞いたら、その人《そんなこと》をこっそり使っていたんですって、もうくやしくってぇ(20代女性)」などの感想が寄せられています。

さて、この話の舞台は高校だと思っていたが、そうでもないらしい…(出典)

生徒「そんなことが世の中に出て何の役に立つんだよ!」
先生「あら、ゼルプスト殿下ちゃん、お箸の持ち方は大切ですよ」

おっと、ここで結城浩さんからの反撃だ!! (出典)

「そんなことが世の中に出て何の役に立つんだよ!」
「晩ごはんの鍋美味しかった。あったまった〜」

このスレッドお化け、この期に及んでまだそんなことを言っているぞ、と思ったが、次の攻撃は効いた…(出典)

生徒「そんなことが世の中に出て何の役に立つんだよ!」
先生「○○○○○○■○■○■○■○■○■○○○○!」
生徒「な、何だよ…」
先生「漢字とひらがながきれいに交互に並んだなと思って」
生徒「それこそ何の役に立つんだよ!」

文理両系の若者の熱い支持を集めるライター結城さんの、まさに面目躍如、会心の一撃を受けて、生徒は我を失なった。せんせいもかんじが…いや、先生も漢字が出てこなくなる程度にはダメージを受けたようだ:(出典)

生徒「そんなことが□の□に□て□の□に□つんだよ!」
先生「ほら、ちょっとくらいかんじがよめないとこまるだろ?」
生徒「うううぅ…orz」

こうして、勝負は一時お預けとなった。その夜、生徒は悔しさをバネに、必死で漢字を勉強した。次の日:(出典)

生徒「そんなことが□の□に□て□の□に□つんだよ!」
先生「ほら、ちょっとくらいかんじがよめないとこまるだろ?」
生徒「へっ、そう言われて勉強したぜ…そんなことが君の為に敢て春の野に若菜つんだよ…どや!」
先生「やればできるじゃないか!」
生徒「へへっ、ちょっと字余りだけどな」

そして感動の最終回…(出典)

生徒「そんなことが□の□に□て□の□に□つんだよ!」
先生「お前の答えもなかなかいいが、先生ならこう答える:そんなことが春の野に出て君の為に若菜つんだよ!」
生徒「…ううっ、まだ先生にはかなわねえ…orz」
先生「これも字余りだがな。じゃ、授業をつづけようか…」

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まあしかし、俺としては、世に出て皆の役にちょっとでも立とうという気持ちのある生徒さんには、幅広くいろいろ勉強してほしいと思うわけです。いやマジで。そして、世のため人のためじゃなく、自分のために何が役に立つかわからんと言ってる人には、頼むから自分で真剣に考えて何が役に立つか自分で判断してくれ、と言いたい。たのんますで。


2012年1月21日(土)くもり

昼食にきつねうどんを作った。

このごろは、数理論理学の古典的名著というべき本がDoverやISHI Pressのリプリントで安価に手に入る。ありがたいことだ。先日から取り組んでいるゲーデル赤本に関連して、ベルナイスの本とタルスキの本のDover版を注文してあった。留守がちで佐川の配達の人にいつもご苦労をかけているので、今回はコンビニ受け取りを利用した。自宅の最寄りのコンビニは昨春オープンしたファミマだが、Amazonのコンビニ受け取りはローソンのみ。最寄りのローソンまでは徒歩5〜6分というところだ。受け取りには確認番号とパスコードが必要だ。Amazonからメールで知らされた番号をプリントアウトして持っていこう。メールはMacBook Proで受けるが、プリントは二階のVistaパソコンでする。どういうわけかMac/Windows間のプリンタ共有がうまくいかないのだ。MacBook Proでメールの文章をコピー&ペーストしたテキストファイルをDropboxに入れ、二階に上ってVistaくんで開いてプリントする。で、着替えて出掛けるわけだが、ちょうど半分くらい行ったところで、せっかくプリントしたその紙を忘れて出ていることに気づいた。これじゃあダメじゃん。仕方なく家まで一度引き返し、プリントした紙を確保した途端、iPhoneにもDropboxがインストールしてあることを思い出した。なんだこれで読めるじゃん。戻ってくることなかったじゃん。気が動転するとなかなか冷静な判断はできないものだ。

threebooks-20120121.jpg
届いた本は次の3冊:
P.Bernays «Axiomatic Set Theory»,
A.Tarski «Introduction to Logic and to the Methodology of Deductive Sciences»,
A.Tarski, A.Mostowski and R.M.Robinson «Undecidable Theories»


2012年1月20日(金)くもり

午前中は024くんのゼミ。やはりエルデシュ=角谷の定理にフォドアの補題は必要ない。024くんの「卒業研究のまとめ」には、そのことを書いてもらうことにしよう。歩数計カウント10,489歩


2012年1月19日(木)あめ

歩数計カウント 6,135歩。歩いたの片道だから少ないな。夜遅く帰宅すると、ケリーの『位相空間論』(ISHI Press版)が届いていた。

ケリーの本


2012年1月18日(水)くもり

午前中は910くんのゼミ。前原本第10章が終わったので、ここで一旦進むのをやめて、水曜日は三人の発表の準備をする。午後、大学院のおひとりさま向け講義。リクエストに応じてチコノフの定理と選択公理の同値性の話をする。授業開始15分ほど前に、縫田さんがブロクにチコノフの定理の話を書いたという情報を得てチェックしたのが思いのほか参考になった。感謝。

縫田さんのブログで指摘されてはじめて気づいたのだけど、チコノフの定理から選択公理を導出することだけが目的であるなら、一昨日の日記に書いたように \(A_i\) に補有限位相を与えずとも、\(A_i\) に密着位相を与え \(p\) を孤立点として添加すればそれでよい。そのほうが、位相の記述は簡単になる。では \(A_i\) に補有限位相を与えることにメリットはないのか、というと、これで \(T_1\) 空間に制限されたチコノフの定理から選択公理が導かれることがわかる、という利点がある。密着位相を使ったのでは、当然のことにいかなる分離公理も成立していないわけだからね。

夕食に麻婆丼を作った。市販の「麻婆豆腐の素」を使わずに作るのは初めてだ。子供たちには辛かったようだが、妻にはたいへん好評でうれしかった。ただし、自分では納得がいったわけではない。次回は甜麺醤をやめて中華スープ+和風の味噌という組み合わせで味付けしてみよう。ひき肉は多めに買ったので、肉味噌も作った。これを明日の食事の足しにする。

麻婆豆腐を調理中の図

歩数計カウント11,576歩。しかし、歩数が多かろうが少なかろうが、こんなもん毎日記録せにゃ意味ないなあと反省。


2012年1月17日(火)はれ

朝、すこし寝坊ぎみで、いつもより一本遅い電車で出掛ける。一日じゅうたいへんよい天気で、昨日の雨に洗われた冷たい空気がなんともさわやかだった。午前中はH(K)くんのセミナー。午後の講義は、(有限生成)アーベル群の構造について、実例に即して概略を話してアーベル群の階数の定義をしたあと、ベッチ数とオイラー標数の関係を示した。準備がそれなりにできていたので自分ではそれなりに納得のいく進み具合であったが、あと2回しか授業ができないことを思えば、もう少し進んだほうがよかったかもしれない。来週、行列の計算を駆使してホモロジー群を計算する手順を(球面を例にして)示し、再来週にマイヤー・ヴィートリス完全系列の話をして千秋楽、となりそうだ。

歩数計カウント11,043歩。


2012年1月16日(月)あめ

朝はいつものカフェでコーヒーを飲みながら、水曜日の大学院の講義に備えてチコノフの定理の復習をする。チコノフの定理の証明はさすがに何も参照せずにソラで書けたが、その逆の、チコノフの定理を仮定して選択公理を導くケリーの証明の細部が思い出せない。それで大学に行ってケリーの古い位相空間論のテキスト (John L.Kelley, «General Topology» Van Nostrand, 1955) を借り出してくる。たしかこれに載っていたはずと思って探すが見当らない。ケリーの本で見たというのは、どうやら、ケリーが証明したからケリーの本にあるだろうという俺の安易な思い込みに記憶が上書きされていたようで、冷静に考えると、俺がチコノフの定理と選択公理の同値性を知ったのは、河田敬義・三村征雄『現代数学概説II』(岩波書店, 1965年)によってであった。

そこで、『現代数学概説II』の152ページから154ページあたりを見て、その証明をフォローする。それから、キューネン本の演習問題にもこれが出ていたはず、と確認すると、第I章の演習問題[10]のうち(d)→(c)がケリーの結果である。ところがそこにつけられたキューネンのヒントが少々ミスリーディングだ。位相の記述が明瞭でない。こりゃいけない。これでは正解にたどりつけそうにない。そこで、演習問題解答集のページを更新して、ちゃんとした証明を書いた。

空でない集合の族 \(A_i\) \((i\in I)\) が与えられたとして, どの \(A_i\) にも属しない \(p\) を別に添加して \(X_i=A_i\cup\{p\}\) とする. この \(X_i\) に位相を与えてコンパクト位相空間にするのだが, その位相について, キューネンのテキストでは《点 \(p\) の近傍として補有限集合をとりなさい》とだけ書かれている. \(A_i\) に属する点の近傍をどう定めるかの記述は全然ない. このヒントを読んだ人が, 誤って \(A_i\) を離散集合とし, それに \(p\) を無限遠点として付け加えて一点コンパクト化する位相を \(X_i\) に与えたら, コンパクトなハウスドルフ空間ができる. だがキューネン本にも注意されているとおり, ハウスドルフ空間についてのチコノフの定理は選択公理を導かない. ケリーが与えた位相は, \(A_i\) に補有限位相を与え, それに孤立点として \(p\) を添加する形で得られる位相だ. つまり, \(p\in U\subset X_i\) をみたす集合 \(U\) はすべて \(X_i\) における点 \(p\) の近傍だが, \(A_i\) に属する点 \(a\in A_i\) の \(X_i\) における近傍とは \(a\in W\subset X_i\) であるうえ, 補集合 \(X_i\setminus W\) が有限集合であるような集合 \(W\) のことだ, と定める. この位相のもとで \(X_i\) はコンパクトな \(T_1\) 空間になるが, \(A_i\) に属する点どうしを分離する近傍のペアは(\(A_i\) が無限集合ならば)とれないから, ハウスドルフ空間にはならない.

この「ハウスドルフ空間に制限したチコノフの定理」は「単位元をもつ可換環には極大イデアルが存在する」という《極大イデアル定理》から導かれる。そして、極大イデアル定理からは選択公理を導くことはできない。極大イデアル定理からの選択公理の独立性証明にまではさすがにこの講義では立ち入れない。しかし、チコノフの定理の証明をきちんとたどれば、ハウスドルフ空間の場合のチコノフの定理にはなぜ極大イデアル定理でじゅうぶんなのか、を簡単に指摘することができる。このあたりを鑑賞することが、この証明を読む楽しみのひとつといえそうだ。

あと、ケリーの位相空間論のテキストには付録として集合論の公理的展開についての記述がある。これがいわゆる「モース=ケリー集合論」である。なので、この本にはゲーデルの赤本を読むための参考書という意味合いもある。さいわい ISHI Pressの安価なリプリント版 も出ているので一冊買うことにする。ぽちっとな。

午後は明日の講義の準備のための行列計算ばっかり。

やるきのないあひるやるきのないあひるスケルトンTやるきのないあひる

朝のうちに、不確定性原理のハイゼンベルクの不等式に対して小澤正直先生が提案した修正版、いわゆる小澤の不等式が、中性子のスピンの観測に関連して実験的に検証された、というニュースが話題になった。センセーショナルなもの言いが好きなマスコミがこれをさっそく「不確定性原理が破られた」とか「ハイゼンベルクの不等式に誤り」とか書いて物理学者の顰蹙を買っていたが、もちろん不確定性原理が誤っているわけではない。ともあれこれは量子力学の基礎をめぐる大変重要な実験結果であったようで、「小澤先生にノーベル物理学賞が?」なんて噂まで流れている。数学基礎論がらみで小澤先生を知る俺たちにとっても喜ばしい話で、「これで数学基礎論が注目されたらいいな」という希望もささやかれる。まあ俺としては楽観はしていないが、数理論理学的手法の応用への注目度があがってくれたら本当にうれしいし、そうでなくても小澤先生の業績が顕彰されるだけでも大変うれしい。

小澤正直先生のことは、これまでに2006年3月14日の日記に書いたし、2008年11月15日の日記にも少し書いてあるので、そちらもどうぞ読んでみてください。


2012年1月15日(日)くもり

妻子が教会の日曜学校に行っているあいだに、俺はコミセンの図書館に借りた本を返しにいった。図書館に新着本として置かれていた渡辺明『生成文法』(東京大学出版会)という言語学の教科書の装幀がとてもかっこよかったので、ジュンク堂に足を伸ばして買ってしまった。昼食はパパラーメンだが、いつもとちがって、さぬき麺心の生中華麺を使った。この麺はなかなかいい。午後、昨日子供たちがお片づけをきちんとして感心だったので、久々にセガサターンとWiiのゲームをさせてやる。

スケルトンT
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今日一日だけスケルトンTにしてみた
データの配布元は「モアイ部」http://moaibu.com/


2012年1月14日(土)くもり

国公立大学の教員の務めとして休日出勤してきた。かがみさんちの三女モカちゃんも受験の年だし、いがりすよぬすのように今年改めて大学受験を考えている知人がいる。受験生のみなさんが遺憾なく実力を発揮できるように祈るばかりだ。夕方、任務を終えて帰宅すると、子供たちががんばって家の中をピカピカに片付けてくれていた。うれしいことだ。歩数計カウント11,291歩。


2012年1月13日(金)くもり

センター試験会場設営のため休講なので、024くんのゼミをお休みにした。ところが大学に行ってみると、D教授もM准教授も普通にゼミをやっている。これはしまった。まあ仕方がない。いろいろの事務連絡を済ませ、少し「ゲーデルの赤本」を読む。夕方はピアノのレッスン。それからジュンク堂に行くが、何も買わない。歩数計カウント 10,215歩。

ゲーデルの赤本では集合論の公理系としてベルナイスの体系(NBG)を利用している。この体系はツェルメロ=フレンケル集合論(ZF)とちがってクラスを対象として認めている。一階の(クラスにかんする量化を含まない)論理式の帰納的な構成に対応した「クラス存在の公理」を用いることで、ZFでは無限個の公理の「図式」としてしか定式化できなかった分離公理や置換公理を有限個の公理で済ませることができる。NBGはZFとほぼ同等の集合論を有限公理化できるのだ。なかなかエレガントな公理系で興味深いが、ゲーデルのここでの叙述にはちょっと細かい点で不具合があるような気がする。クラスと集合を記号上も区別しているのだとしたら、集合がクラスであることを意味する述語 \(\mathbf{Cls}(x)\) を基本記号として導入しておく必要はない。クラスを走る変数と集合を走る変数を区別したうえで、外延性公理をクラス変数についてだけ定立しているとしたら「集合はクラスでもある」という第一の公理は「各集合にはそれと等しいクラスが存在する」つまり \[ (\forall x)(\exists X)\big[\,x=X\,\big] \] という形で定式化しておいてもらわないと困る。そうでもしないと、集合についての外延性公理の証明のしようがない。赤本には形式言語の説明がないので、クラスと集合の区別が言語に埋めこまれているのか、あるいは基本記号(無定義概念)とされる述語 \(\mathbf{Cls}(x)\) と \(\mathbf{M}(X)\) の使い方についての記述上の規約に過ぎないのか、そのあたりはいま一つはっきりしない。しかしまだ第二章に入るか入らぬかの段階であまり重箱の隅ばかりつついていても仕方がないので、もっと厳密な定式化はどうであるべきかについての結論は、もうすこし先の方での論理式の扱いなどをよく吟味し、ゲーデルに先立ってクラスを含む集合論を定式化したベルナイスとフォン・ノイマンの論文なども調べてから、よく考えて下すことにしよう。


2012年1月12日(木)くもり

朝、問屋町のヤマダ電機に行った。一番の懸案は無線LANアクセスポイントの機材を買い換えることだ。いままでロジテックのなんとかいう機種を使っていたのだが、これがなぜか、iPhoneや妻のノートパソコンとの相性が非常に悪い。そもそもこの機材にしたのも、その前の機材がiPadと相性が悪くてお話にならなかったせいだ。もうちょっとなんとかならないものなのか。それともWiFiの機器というのは基本そういうものなんだろうか? 新しい機材はcoregaのWLR300GNEというやつ。この選択は正解だったようだ。俺と妻のiPhoneやiPadそれから妻のノートパソコン「くまごろう(・人・)」という自宅のネットワーク機器との相性は現在のところ問題なし。そのうえ形が素直な箱型なので二階のパソコン周りがすっきりした。

そのほかに、妻がプリンタを買い換えたいというので、安く(8,000円弱)なっていたEPSONのPX-404Aを購入。スキャナ兼プリンタという複合機で、デジカメのデータを直接プリントする機能などもあるようだが、うちではもっぱらパソコンで作った文書のプリントに使う。それで、二階のデスクトップ機に接続して、Windowsのプリンタ共有で家中どこからでもプリントできるようにする。そのためにも、無線LANアクセスポイントの状態改善が必要だったわけだ。ただ、Windowsでリソースの共有っていうのをろくにやったことがないので、プリンタの共有設定は俺には難しく、ちょっと時間がかかった。

俺としてはプリンタもさることながら、スキャナが使えるようになったのがうれしいかな。

妻と二人で、フライブルク通りの大阪王将で昼食。


2012年1月11日(水)くもり

いつものように、午前中は910くんのゼミ。第二不完全性定理の証明は、第一不完全性定理のうち「ゲーデル文の証明不可能性」の証明に相当する部分を目的の形式的体系のにおいて実行できることの確認である。これは下手をすればここまで半年以上を費やしてやってきた内容全部をやりなおすことになる。やっぱりやっかいだ。

910くんの発表内容を吟味しつつ、ゼミ室の蛇口をぼんやりと見ているうちに、「水道のいちばん大元のバルブの修繕のときはどうやって水を止めるのか」という問題が気になりだした。

午後、大学院の講義。主な目標であった「バナッハ=タルスキの定理」の証明が完了した。俺としてはここで終わってもよかったのだけど、受講生おひとりさまの意向で、もう一週、こんどは「チコノフの定理と選択公理の同値性」について論じることになった。


2012年1月10日(火)くもり

大学ではきょうから本格的に授業再開。朝のうちHKくんのセミナー。午後はトポロジーの講義。朝はHKくんにもっと丁寧に準備してくるように指導したが、午後の講義では自分が準備不足を詫びねばならない始末。これはもう「セミナーや講義に準備不足で臨むと寿命が百日縮む」とかいう話にしなくてはなるまい。

しばらく行方不明になっていた歩数計を昨晩のお片づけの途中に娘が見つけてくれて、本日の歩数計カウント10,400歩。


2012年1月9日(月) 成人の日はれ

夕方から、子供らががんばってリビングをピッカピカにお掃除してくれた。【息子】がテレビの 「ちびデビ」 とかいうやつのファンで、きょう放映されたストーリーで主人公(?)の赤ちゃんたちが「おかたづけのれんしゅう」をするシーンがあったせいかもしれない。ホンマモンの育児というものを経験した目で見ると「ちびデビ」は笑止な内容であることが多いのだけど、今回ばかりは観せてよかった。まあ、なにせうちの子供たちのことだから、まだまだ「お片付け」が「整頓」と結びついておらず、なにかちょっと必要なものを探すだけでたちまち元の黙阿弥になってしまう怖れはあるが、それはおいおい学んでいけばいいことだ。いやあ、ありがとう>【娘】&【息子】

家のことを家族そろってやる時間がたくさんとれて、この三連休はなんだかほんわかと幸せなムードで終えることができた。

〜*〜*〜

夜、あの«ゲーデルの赤本»の邦訳というものが存在するべきだ、という意味のことを かがみさん が言い出した。ゲーデルの完全性定理と不完全性定理については基本文献の邦訳がすでに完了していて、現在も入手可能だが、ゲーデルの三大業績のうち、連続体仮説に関するものだけは事情が異なる。おそろしく古い(昭和21年初版)近藤洋逸訳が存在することは俺も知っているが、実物を見たこともない。英語原典 については、安価なリプリント版 もあるが、もともとがタイプ原稿の写植で読みやすいものではない。TeXで組みなおされて読みやすい 全集版 は高価でもあり、日本の一般読者に薦められるものではない。つまりは、連続体仮説の無矛盾性証明にかんする限り、ゲーデルの原典には少々アクセスしにくい状態にある。日本での集合論の認知度を上げ、数学・論理学・哲学の発展に資する意味もあって、かがみさんの提案には大賛成だし、今さらそんな仕事をやる奴は俺くらいしかいないだろうとも思っていたので、即座に「やりましょう」と返事をした。それは「俺がやるよ」という意味だったのだが、どうやらかがみさんは自分でやるつもりらしい。(→かがみさんの1月10日の日記) 素晴しい。全面的に協力する。


2012年1月8日(日)はれ

二階の一室は現在は物置になっていて、俺がいじって遊んでいた中古パソコンの残骸がどっさり置いてある。昨年4月に【息子】が小学生になって、もうそろそろ三学期が始まるのだから、早いとこ不用品を処分してこの部屋を【息子】のために明け渡してやらにゃならん。この部屋に、(ちゃんとした家具屋で買ったちゃんとした木工品の)箪笥が、中身がほとんど空のまま置いてある。いっぽう、寝室として使っている一階の部屋には子供の服を入れる(ホームセンターでテキトーに買ったプラスチックの)衣裳ケースがほとんどパンク状態で置いてある。もちろん二階に箪笥を置いたのにもそれなりに考えがあった(はずな)のだが、両者の役割を交換したほうが、つまり箪笥を降ろしてきて子供の服を片づけ、衣裳ケースは衣替えに備えて二階に置いておくほうが、現状でははるかによい。昨晩ようやくそのことに気付いたので、きょうの午後はその作業をした。

そのあと、近所の神社で「どんど焼き」をしているというので、家族そろって散歩を兼ねて、古いお札をもって出かけた。その足でスーパーへ出向いて食材を買い、夕食は焼き魚。


2012年1月7日(土)はれ

昼飯には、昨晩作ったトマトソースを、近所のマルナカで買える「さぬき麺心」の生パスタにからめて食う。自分で言うのも変だがとてもうまかったので、ひと玉150グラムの麺を3玉食ってしまった。

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これがその生パスタ
リングィーネとフェットチーネがあるが今回はフェットチーネ

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ひと晩寝かせたトマトソースはうまかった♪

お昼前に、妻子が15時すぎに戻るという連絡があった。妻はきっと疲れているだろうから、夕食の用意をしておいてやることにして、昼飯の片付けの直後におでんを仕込む。これまた、自分で言うのも変だが、うまかった。

偶然にも、妻も実家を発つ前に父親のためにおでんの作りおきをしてきたらしい。残った食材をいろいろ持ち帰ってくれたので、俺の作ったおでん第一弾を皆で食ってしまってから、追加でタネを入れて、明日の昼食もこれで安心。


2012年1月6日(金)はれ

朝、昨年の暮れにできなかった024くんの追加ゼミ。ゼミテキストの本来の目的である連続体仮説の独立性証明まではとても到達できなさそうなので、発表は連続体仮説に関連した「エルデシュ=角谷の定理」でやってもらうことにする。午後は少しアーベル群の勉強をしたり、演習問題解答集の目次ページの手直しをしたり。

エルデシュ=角谷の定理とは「ゼロ以外の実数の全体を、有理数体上線形独立な集合の可算和に分割できる」というステートメント。このステートメントが連続体仮説と同値であることを、Paul Erdösと角谷静夫が証明したのだった。

演習問題解答集では、解答者には実名で登場してもらっている。それで俺が解いた問題には「藤田」と名前が入る。この文字の並びが、常連解答者の 縫田光司さん の「縫田」と判別しにくい。それで、解答者に固有のバッヂを名前の前につけるようにしている。今回の手直しは、俺や かがみさん のようにツイッターでもある程度「正体」を明かしている人の場合、ツイッターのアイコンをバッヂとして表示するようにしようというもの。ツイッターでのアイコンの変更が自動的に反映されるように、Twitter.comのAPIにお伺いをたてて常に最新のアイコンを取得する。そのために APIのドキュメント を初めて読んでみた。文字が小さくて困ったが、ドキュメントは大変充実している。

ピアノのレッスンのあと、教室を出て見上げた夜空には雲ひとつなく、月がさやかに光っていた。夜は自宅でひとり日本酒を飲みながらツイッターでいろいろなことをしゃべった。酔った勢いでちとしゃべりすぎたが、今夜にかぎっては 結城浩さん もずいぶんブットバシていた。


2012年1月5日(木)はれ

電子書籍の販売サイト honto に登録してみた。iPadとiPhoneにアプリをインストールして、ひとまず山下和美『天才柳沢教授の生活』の26巻と、小池龍之介『考えない練習』を購入して読んでいる。「天才柳沢教授の生活」は書店で見かけなくなって久しいが、29巻まで出ている。電子書籍化され確実に手に入るようになったのはうれしいことだ。

ダウンロード販売ならではの現象として、男女の交わりをテーマにした「書店でレジに持っていくのが恥ずかしい系」の本がよく売れているようだ。俺はもうオヤジだから、そういう本が欲しかったら臆面もなく書店でレジに持っていって買ってしまうが、女性や若い人たちはそうもいかんのだろう。セックスをテーマにした本も玉石混交のようで、ステディなふたりがいいセックスをするための真面目な本は、こういう販路を通じてでも普及していってほしいが、圧倒的多数は両性の片側からの異性に対する幻想を無責任を煽るだけの本である。ポルノグラフィははっきりそういうものだし、ハウツー本でも一方的に都合よく相手をコントロールできるかのように言うものが男女両性それぞれに向けてゴマンと出ている。後者は、性幻想を利用して他人をコントロールすることを読者に勧めるわけだから、たんに読者を自らの性幻想に溺れさせるだけのポルノグラフィと比較しても、より罪が深い。そういうのは、なんというか、大嫌いだ。いっぽうのステディなふたりがいいセックスをするための真面目な本というので俺が想定というか希望しているのは、当事者それぞれの性幻想のコジレを解除して等身大の相手と向きあう姿勢へと人々を導く本であり、決して妙ちきりんなテクニックの指南書ではないよ。

豆ご飯を炊いて朝と昼に食った。夜はちょっとした野菜の炒め物とスーパーで買ってきたハムカツで簡単に済ませる。外で食事をするとどうしても肉類が多かったり揚げ物が多かったりするので、家にいるときはもっぱら野菜を食う。ただ、自分一人のための料理というのは、面倒ではないが張りあいがないな。


2012年1月4日(水)はれ

けっこう遅くなったが午後から大学に行き7時半頃まで勉強する。

妻の初夢は「白衣を着て学校に巣食う百日咳マンや麻疹マンを退治して回る保健戦隊」というものだったらしい。いまは主婦の傍ら不定期に特定保健指導の請負をしている妻だが、実は乳児たちや子供たちの保健衛生に人生を賭けた根っからの仕事人間なのだ。だから、うだつの上がらない三流数学者の俺が、妻を家庭の守りという立場に押し込めておくのは、あるいはみすみす一人の有能な人材を損なうことであるかもしれない。じゃあ、俺が主夫になるからお前稼いでこいと、言えるものなら言いたいが、いまの世の中はまだそれで一家4人が食えるでもなし、それに、俺も外に出て働かなくていい人間というわけではない。要するに、妻が仕事と家事の二足の草鞋を履くぶん、俺も同じように家事を分担すべきだという話になる。いまは料理はそれなりに分担しているが、たとえば掃除や洗濯はほとんど妻まかせである。このあたりからなんとかしていこう。元日に書いた《生活のリズムの乱調を直そう》というのは、思うにそういうことでもある。

やるきのないあひるやるきのないあひるやるきのないあひる

さて、ツイッターで誰かが発言し誰かがリツイートした言葉。字句は不正確かもしれんが「優秀な人はアドバイスを必要としない。愚かな人はアドバイスを受けても実行に移さない。だからアドバイスなんて無駄だからやめとけ。」という言葉について。アドバイスなんてやめとけとアドバイスしているところが自己矛盾的で面白い。面白いが、このアドバイスには同意できない。だって、「ではあなたはその優秀な人のほうですか愚かな人のほうですか」と尋ねられたと想像してみよう。答えはたいてい「アドバイスがいらないほど優秀でもないし、なんのアドバイスのしようもないほど愚かでもない」ということになるだろう。これでわかるはずだ。「優秀な人は助けを必要としない/愚かな人は助けようがない」というのは、わかりやすくて正論っぽいが、普通に生きている普通の人間には適用できない極論であり、詭弁である。

同じ構造を持った詭弁の別の例を考えよう。《素敵な異性にはなかなか相手にしてもらえない。ダメな異性の相手なんかしたくない。だから自分は異性とは交際できない。》というのはどうだろうか。確かにあなたは世界一の男や世界一の女を (いや、そういうのが仮にいたとして) 満足させられる器ではないかもしれない。しかし、そんなあなたにも、似合う相手はいるはずだ。なにも諦める必要はないのだ。大切なのは、縁を信じることだ。およそ人と人の交わりというのは縁のものである。誰かに一言アドバイスするだけのことだってそうだ。

ただ、誰しもよかれと思って言ったことが災いの種になった経験があるだろう。そんなときは、たしかに「アドバイスなんてするもんじゃあないな」という気持ちになる。「余計なアドバイスなんかして俺は自分が偉い人の気分を味わいたかっただけと違うか」と慚愧することもある。逆に、必死で頑張っている横から余計なことを言われてかえって失敗した、なんて経験もある。あるいは、いままさにアドバイスが必要な人のところに、適切なアドバイスができる人が現れて、適切なことを言ったとしても、たまたまその相手がつい先日アドバイスめかした詐欺の被害にあって酷い目に遭ったばかりで、せっかくの助けが受け取れない、なんてこともありうる。要するに、アドバイスは難しい。そういう意味では、アドバイスなんて、おいそれとするもんじゃない。

それでも、誰かの一言に助けられた経験は俺にもあるし他の人にもあるだろう。具体的なアドバイスでなくても、やさしい心遣いを感じて救われたこともあるだろう。そのとき助けてくれた人が特別素晴らしい能力をもっていたとは限らない。その前に余計なことを言って邪魔して帰った人のほうがあるいは気持ちも能力も優れていたかもしれない。すべては、なんというかあちらとこちらの状態のマッチングの結果である。さっきも言ったように、すべては縁なのだ。

人が人を助けるというのは並大抵のことではない。《俺が助けよう/俺なら助けられる》という考えは、たいてい思い上がり。単なる妄想である。つねに的確なアドバイスで確実に他人の行動を変える能力がある人間なんて、いるものではない。少なくとも俺はそういう人間ではない。だが、そんな俺でも誰かを助けたいと思うことはある。そんなとき、手を差し伸べられるときには、手を差し伸べればよいのだ。拒否されたらそりゃ不愉快かもしれんが、そのときは縁がなかったと思えばいい。差し出した手を快く受け取ってもらえたら幸せじゃないか。

みなさま先刻ご承知のとおり、俺はまことガサツな人間で (たとえば、昨晩も風呂あがりにヘアトニックと間違えてアフターシェーブローションを頭にふりかけていた、) バタバタを動きまわっては墓穴を掘って回っている。こんな人間がこれまでどうにか生きてこられたのは、ただただ他の人たちの助けがあったからだ。いや、俺だけの話ではあるまい。すべての生きている人やモノが、いま現にお互いに助けあっている。そう信じて、諦めず、かつ功をあせることなく、できることをやっていこう。


2012年1月3日(火)くもり

今回はなにせ前半寝てばかりいたから、妻の実家には8日間もいた気がしない。昼食のスパゲティを作って食ってから、俺だけ一足早く船で松山に戻った。


2012年1月2日(月)はれ

初夢は、なんというか、昔の女たち (複数) に次々と復縁を迫られるというまことに恐ろしいものであった。昼飯に昨年会得した味噌ラーメンを作る。義弟がコックなので緊張したが、テキも大人であるからテキトーに誉めてくれた。あと、夕食のおかずのうち一品 (牛スジと大根の煮物) を作る。夕食の用意の合間に【息子】(小学一年)に、三年生レベルの足し算を仕込んだりして楽しかった。

書き初めの写真その1 書き初めの写真その2
朝食後のひととき、【娘】の宿題でもある書き初め
言わんでもわかるだろうけど、右写真の作品は、左から【娘】・俺・【息子】のもの
しかし、「正月は休め」の書は「正月も働け」という作品と対をなすべきだ


2012年1月1日(日) 元日はれ

新しい年のハジマリである。なので、少々口幅ったいのは承知のうえで、年頭所感などというものを一発かますべきである。今年はとにかく「不妄語」と「節制」とを保ち、精一杯「勉励努力」する。それ以外の具体的なことは、いままで散々切ってきた空手形をちょっとでも回収しようという他は、ひとまずさし控えるべきな気がする。この数年、生活のリズムが乱調に過ぎる気がするので、まずそれからなんとかしたい。楽しみの話としては、ピアノの腕もさることながら、料理の腕をもっと上げたいと思う。昨年12月には精進料理の本と手打うどんの本を買ってきたことだし、楽しみながら、いろいろ試して経験を積んでいきたい。というわけで、みなさま今年も「て日々」をよろしくお願いします。

龍の絵
【娘】が描いた龍の絵
目がクリクリで可愛い