て日々

2011年12月


2011年12月31日(土)はれ

ようやく外に出る。午前中、妻の車で食材の買いもの等。それだけのことなのだが、5日ぶりなもので嬉しくてハイになる。箒を買って帰り、義母の介護で義父が忙しいために手薄になっている階段まわりの掃除などをやる。本当は昨年末のボーナスで噂の自走式掃除機ルンバをプレゼントしようかなどと妻と話しあっていたのだ。それくらいの気はあるのだが、なんだかんだでまだ実行に移せていない。

俺はいつも、何か言うと、二言めには「俺もあんまり人のことは言えないが」という言葉を差し挟む。だが、最近気がついたことに、これは蛇足というものだ。たいていの人は「人のことは言えない」ものだが、だからといって、人のことを言うのを止めるわけにもいかない。そのあたりのことをよく考えて、これからはもう少し、ものの言い方を改めようと思う。

なんだかずっとバタバタ忙しかったような、でも実によくサボったような、でも普段よりよく頑張ったような、日本中が踏んだり蹴ったりの目にあったような、女子サッカーがとうとう日の目をみたような、ビンラディンやらカダフィやらジョブスやら将軍さまやらのカリスマ的指導者が何人も他界したような、2011年は暮れていくのだった。

寒の底 窓開けて聴く 除夜の鐘 (旦)


2011年12月30日(金)はれ

いいかげん寝るのに飽きたが、さりとてまだ外出もできず。

娘がぶうぶう文句を言いながら冬休みの算数の宿題にとりくんでいる。たしかにかなりのボリュームがあるようだ。被除数が3〜4ケタ、除数が2ケタの割り算が1シートに20問。それが全部で16シートほどある。妻に頼んでコピーしてきてもらい、自分も解いてみる。休み休みやって、昼過ぎから夕方まで、半日かかった。割り算を習いたての子供なら、朝と午後にこればっかりやって、2〜3日はかかるだろう。しかしこれをやらないと割り算はできない。割り算ができなくて困るだけではなく、なんというか、きょう割り算の課題を面倒くさいといってサボる人は、明日は社会科の白地図の色分け課題を面倒くさいといってサボるだろうし、明後日には漢字の書き取り課題を面倒くさいといってサボるだろう。それはつまり、将来の自分を抵当に入れていまの安楽を買うことで、長い目で見れば、決して割に合う買いものにはならない。

自分が生き証人なんだから仕方がない。


2011年12月29日(木)はれ

インフルエンザは解熱後まる2日間は人と接触してはいけない。当然外出も控えるべきだ。ということで家でおとなしくしている。体力がないし、頭の回転が鈍すぎて、数学ができない。


2011年12月28日(水)はれ

午後3時ごろ解熱。でも、ひたすら寝る。


2011年12月27日(火)はれ

朝、発熱する。医者で診てもらうがインフルエンザの検査が陰性と出たので薬局でふつうのカゼ薬を出してもらう。ところが後になってやっぱり陽性だったとかで、医院から松山の自宅に何度も電話をもらっていたらしい。そりゃ出られませんて。タミフルを処方してもらう。ひたすら寝る。体温は一時39.6℃まで上った。昨日の日記に書いたようなことを引き続き考えていたので、寝ている間も脳裏に三角形と四角形と黒丸と白丸が飛び交い、\(\omega\) 上の超フィルターの3人組に追いかけられるイメージが反復して寝苦しかった。


2011年12月26日(月)はれ

朝、024くんの追加ゼミ、のはずだが、024くんやってこない。日を間違えていたらしく、あとで平身低頭のメールが届いた。昼、ゲストの先生を囲んでの昼食会。いつものことだが、正課の開講中は集中講義ができないので、12月23日から26日までという無茶な日程で数値解析の集中講義をしていただいたのだ。その後、教室会議が午後3時ごろまで続く。明日と明後日にはお休みを取らせてもらうことにして、ともかく一旦自宅に帰る。【娘】と【息子】がインフルエンザ発症の知らせ。京都へ行く計画は今年もパァだ。そんなら、俺がわざわざ今夜向こうへ渡る理由もないような気がするが、手伝い仕事くらいはあるだろうからやっぱり出向く。

瀬戸内海を渡る船の中でiPhoneでツイッターのタイムラインを見る。サイコロの一般化についての話題が出ていた。\(2\)以上の整数\(N\)についての\(N\)目のサイコロは簡単に考えられ、何の新味もないので、無限に多くの出目をもつサイコロについて考えるのだが、可算無限目のサイコロにして、すでに十分むずかしい。

出目の確率が均等だとすれば、それぞれの自然数\(N\)の出る確率はゼロでなければならない。とすると、可算無限目のサイコロは可算加法的確率測度を与えないことになる。なので「答:可算無限目のサイコロは存在しえない」とするか、あるいは、可算加法的確率測度の条件を緩めるかの選択を迫られる。可算加法性を有限加法性にまで緩めて、各整数の確率がゼロでありながら、\(\omega\)全体の測度が\(1\)であるような、\(\omega\)のすべての部分集合にたいして定義された有限加法的確率測度の存在であれば、(選択公理を用いて)示すことができる。そのような測度はつまり、数列空間 \(\ell^\infty\) 上の有界線形汎関数のうち、ゼロに収束する数列の全体 \((c_0)\) を零化するものを、\(\{0,1\}\) に値をとる数列に制限したもの (\((\ell^\infty)^*\)の要素のうち \((c_0)^\bot\) に属するものの定義域を部分集合 \({}^\omega\{0,1\}\subset\ell^\infty\) へ制限したもの) である。そうした汎関数としては、たとえば \(\omega\) 上の非単項超フィルターによる有界実数列の超冪からその標準部分をとる操作などが考えられる。ただし、超フィルターから得られる測度は、偶数の全体と奇数の全体のどちらかを \(0\) 他方を \(1\) と評価するから、出目が均等とはとても言えない。

それでも、非単項超フィルターが定める測度はすべての自然数に確率ゼロを与え、二つの数の互換によって事象の確率が変らないという程度の「一様性」はみたす。このことからわかるように、自然数の全体に均等な確率分布を与えるというのは、簡単な話ではない。そもそも一様な分布というのは、確率空間 (集合とその上の \(\sigma\)-加法的集合族とそこで定義された測度の組み合わせ) の性質ではない。たとえば、閉区間 \([0,1]\) に普通の測度 \(\mu(E)=\int_Edx\) を与えるのと、大きい数のほうへ偏った測度 \(\nu(E)=2\int_Exdx\) を与えるのとで、確率空間としては同型である (確率空間 \(([0,1],\mathcal{L},\mu)\) から \(([0,1],\mathcal{L},\nu)\) に \(x\mapsto\sqrt{x}\) という同型写像が存在する) けれども、後者を均等に分布した測度と考える人はいないだろう。

測度の分布が均等であるかどうかは、測度空間の属性ではなく、同じ集合に与えられた他の構造を参照して始めて意味をもつことなのだ、有限集合上の測度や閉区間上の測度では、そうした構造がたまたま自然に決まったので、サイコロのような均等な確率分布を与えることの概念的な困難が隠蔽されてしまっただけのことである。(連続体仮説を仮定しない状態で、基数 \(\aleph_1\) 上の一様な確率分布というものが何を意味するか考えてみるといい。) では、たとえば自然数全体の集合 \(\omega\) の上の有限加法的確率測度の「均等性」の基準として、われわれはどのような構造を参照すべきだろうか。

集合 \(A\subset\omega\) と、それを平行移動した \(A+n:=\{\,a+n\,:\,a\in A\,\}\) とが同じ測度をもたねばならぬ、と要請すれば、少なくとも、公差 \(d\) の等差数列はすべて測度 \(1/d\) をもつことになり、均等性のイメージに近くなる。そのような測度は、収束する数列全体の集合 \((c)\subset\ell^\infty\) 上で定義された汎関数としての \(\lim\) を \(\ell^\infty\) 全体の有界線形汎関数に(ハーン=バナッハの定理に訴えて)拡大することで与えることができる。いっぽう、\(\omega\) 上のすべての置換のもとで不変な有限加法的確率測度を与えることが不可能であるのは、すべての可算無限集合を、二つの可算無限集合に分割することが可能であることによって、容易に示すことができる。

自然数全体の集合 \(\omega\) 上の置換の群 \(S_\infty\) の部分群のうち、\(\omega\) 全域で定義された有限加法的不変確率測度を許すようなものの範囲を決定すること。マシュー・フォアマンらが、20年ほど前にこの線で研究をしており、バナッハ=タルスキの定理における逆説的分解の各集合がベールの性質をもつことがありうる、という驚くべき結果を出していたりした。いずれにせよ、サイコロという卑近な題材からでも、思いがけず奥深い数学的思索を引き出すことができるわけだ。


2011年12月25日(日)はれ

朝は10時過ぎまで寝ていた。昨晩の溶き玉子スープと残りご飯で雑炊を作って朝飯にしたあと、いつものシメジとシイタケの佃煮を作り、洗濯をする。午後は散歩がてら街へ出掛けた。県美術館で「ウッドワン美術館所蔵近代日本の絵画名品展」というのをやっているので観る。富岡鉄斎、横山大観、青木繁、岸田隆生、藤田嗣治などなど。美術史に疎い俺でもその名を知っている大家の作品が目白押しだ。だがこうやって絵を観て回っていて、結局のところ俺が好きなのは絵ではなく展覧会なんだということに気づく。美術館の陳列室という、展覧会に特化された広々とした空間が好きなのだ。もちろん作品にもよるのだけど、画廊の個展などはあまり面白がれない。音楽でもそうで、演奏もさることながら、しばしばコンサート会場の壁や天井のほうに興味が行ったりする。だからといって決して建築に詳しいわけでもない。なんなんだろうね、これは。

それから銀天街のはなまるうどんで遅めの昼食。裏通りの知る人ぞ知る珈琲専門店ル・ジャルダン・ドゥ・カフワで、コーヒーを飲みつつ Afra J.Zomorodian «Topology for Computing» (Cambridge University Press, 2005) を少し読んでから、ジュンク堂書店へ行く。中川孝訳注の『六祖壇経』(たちばな教養文庫1995年, 原本は筑摩書房1976年)が手に入ったのは大変ありがたい。それともう一冊、これも古い本で一松信『留数解析』(共立出版1979年)。

あとは、キスケの湯にゆっくり入って、おが多でラーメン食って、7時すぎに帰宅。全行程徒歩で、歩数計カウントは12,655歩だった。iTunesのジャズABC順再生は現在、フレディ・ハバード+クラウス・オガーマンの Lazy Afternoon だ。


2011年12月24日(土)はれ

朝のうちに妻子が帰省してしまうと、昼飯の材料を買いに出た以外は一日じゅう家でダラダラとしていた。日が日だけに、外食する気にもならない。少しだけピアノの練習をし、少しだけ読書し、少しだけゲームをやり、昼寝をする。

晩飯
晩飯は、こういう時しか食えない豆板醤もやし炒め
副菜は妻のお手製の煮豚に、溶き玉子とワカメのスープ

iTunesでジャズのプレイリストをいろいろ作りフォルダに集めた。フォルダ内の全部の曲をABC順に再生するということをやってみる。アーティスト順でもアルバム順でもなくトラックタイトルのABC順だから、ベイシーのAll Of Meの次がギル・エヴァンスのAlyrio、その次が山下洋輔のソロAmefuri(雨降りお月さん)というように、まあ事実上はシャッフル再生である。全部で376曲、35時間強あるので、もちろん一日で全部聴くことはできない。それに、ピアノの練習のときや、プレステのゲームをするときはさすがに止めにゃならん。昼ごろにヨーロピアン・ジャズ・トリオの A.H.Radio Man から再生を始め、夜中も1時過ぎになって、チック・コリア&ゲイリー・バートンの Feelings and Things とか山下洋輔フィールド・オブ・グルーブスの First Bridge あたりまで来て、続きは明日以降ということにした。


2011年12月23日(金) 天皇誕生日はれ

午前中は教会学校のクリスマス祝会なのだけど、俺はその礼拝には出ず、アトラクションもほとんど見ないで、アマンダコーヒーズで数学の本を読んだりして過ごした。もちろん【息子】が出る寸劇や【娘】の出るトーンチャイム演奏を見てやるべきだったのだけど、なんというか、自分がここにいてはいけない厄介者であるような気がしていたたまれなかったのだ。そうなると家族にまで邪魔者扱いされているような気がしてやりきれない。そんなわけで、ひとりで先に帰って昼食の用意をした。

いや、もちろんそうしたことすべて俺の思い過ごしなことはわかっている。あるいは、自分が果すべき役割を十分に果していないうしろめたさがそう感じさせているのかもしれない。いずれにせよ、そういうときはジタバタしては余計にことがややこしくなる。

午後は子供らが急に「大掃除しまーす」といって二階の【娘】の部屋の掃除を始めたので驚いた。姉弟が協力して階段や廊下までピカピカにしてくれたので両親は感激。おやつを奮発し、夕方からはプレイステーションとセガサターンを出してきて子供らにゲームをさせたのだった。

くまぐかつぷ
明日の朝帰省してしまう妻にひと足早く手渡した
プレゼントのタリーズのマグカップとクマ


2011年12月22日(木)はれ

昨晩、俺が寝ている間に、インターネット上の某所で、自分では数学がよく分かっていると思っているけど実際にはそうでない人が、そうとは知らずに東大の数学専攻の大学院生相手にトンチンカンな講釈をするという珍事があったのだそうだ。そのとき裏番組のツイッター上でなされたやりとりのまとめが Togetter に公開されていた。それを読んで思ったこと。生半可な知識をひけらかして恥をかくのは本人が悪いのだけど、どうやら今回は数学専攻の学生たちが野次馬的に面白がって、その半可通の人をオダテるかアオるかして、反応を楽しんでいたようなのだ。それは、知識のない人がでしゃばって恥をかくというのとはまた別に、恥ずべきことであるように思う。いま現在くり広げられているトンチンカンなやりとりに笑うのはまだ仕方がないが、もっと笑いたいがために影で口裏を合わせて相手を煽るというのはまったくいただけない。真面目な数学徒のやることでなはない。

話は変わる。ヒルベルト空間が完全正規直交系をもつという命題の証明にはどうやら選択公理が必要なようだが、さてそれでは、選択公理を除く集合論の公理系において、任意のヒルベルト空間が完全正規直交系をもつという命題から、選択公理ならではの帰結がどれくらい引き出せるだろうか。たとえば実数のルベーグ不可測集合の存在は導かれるだろうか。ありうる話だけれども、しかしどこから手をつければよいのかわからない。


2011年12月21日(水)はれ

910くんのゼミは前原本の第9章を読みおえた。第二不完全性定理を扱う第10章はちょっと頭がウニになりそうな部分であるから、冬休みに予習してもらうことにして、きょうはキリのいいところで終了。年明けのゼミで首尾よく第10章が終えられれば、卒業研究発表会のテーマを第二不完全性定理にしてもいい。

午後の講義は受講生病欠のためキャンセル。

夕方からヒルベルト空間の正射影について考えはじめる。内積空間についてはもちろん学部の一回生のときに勉強したわけだが、有限次元の内積空間の場合は直交分解の存在は正規直交基底の存在からすぐわかるので、その後29年、意識して正射影の存在証明をしたのは、ひょっとして今回が初めてかもしれない。可分なヒルベルト空間の場合は完全正規直交系の存在証明に選択公理もツォルンの補題も必要ない (ただし、完備性の概念を支える可算選択公理は必要だろう。) だから、閉部分空間への正射影の存在も、与えられたベクトルをその部分空間の完全正規直交系について「フーリエ展開」してしまえば示されてしまう。この論法は可分でないヒルベルト空間でも使えないことはないが、そのためには完全正規直交系の存在を直交分解の存在に先立って証明しておかなければならない。それは、ツォルンの補題を使うなり、シュミットの直交化を超限反復するなりの方法でできる。きっと、一般のウェイトのヒルベルト空間の完全正規直交系の存在証明には選択公理が本当に必要なのだろう。いっぽう、閉部分空間への正射影の存在と直交分解の存在と一意性には、点列を選び出す可算選択公理を超える強い仮説は必要なく、内積の計算規則と完備性だけで話は済む。

なぜ急にそんなことを言いだしたかというと、昨日買った中路貴彦『正則関数のなすヒルベルト空間』の最初のヒルベルト空間の理論の復習をしているところを眺めながら、リースの定理の証明くらい自分でできるよな、と証明を書き下してみたところ、途中でベクトルの直交分解を利用していることに気付いたから。むろん直交分解のことは知っているが、ふと思うに、俺は正射影の存在と一意性の証明をちゃんと理解しているだろうかと。学部生のころのこととて、どこかで図を見て納得して、ちゃんとした証明を勉強せずに先へ進んだんじゃなかろうかと反省して、自力で証明をつけようとした。さすがにこちらもこの道二十有余年のプロであるから、しばらく考えて自力で証明をつけられたものの、決して簡単ではなかった。

先週の水曜日には、《数学について考えるとき、昼のうちに情報を入れておいて、夜、布団のなかでうつらうつらしながら続きを考える、ということをよくやる。》と書いたが、きょうの場合は風呂で続きを考えるというのが有効だった。いずれにせよ、一人で静かにゆっくりとものを考える時間というものが必要だ。


2011年12月20日(火)はれ

ゼミは命題論理のシーケント計算の完全性。トポロジーの講義は0次元ホモロジー群と連結成分の関係。

夜は今週も市民コンサート機関誌作業。本来は夕方6時30分開始なのだが、皆が揃ったのは7時くらい。のんびりペースだもので夜の10時までかかってしまった。まあ、俺だって (次例会後の懇親会場の場所を確認しに行くついでとはいえ) 途中で抜けてジュンク堂で本を買ったりしているからね。買った本は2冊。中路貴彦『正則関数のなすヒルベルト空間』(岩波書店2009年)と古籏一浩『改訂第5版 JavaScript ポケットリファレンス』(技術評論社2011年)だ。


2011年12月19日(月)はれ

午前中、水戸納豆カレーなるものの話が出たこともあって、昼食には一番町のココ壱番屋まで足を運んできた。夕方、娘の算数の宿題の「表の穴埋め問題」が難しくて泣きそうになった。落ち着いて考えればなんでもない問題なのだが、子どもの相手をしているときにはその「落ち着いて考える」ことがなかなか許されない。


2011年12月18日(日)はれ

子供たちが教会学校の礼拝に行っているあいだ、俺は三越の近所に新しくできたアマンダコーヒーズというカフェに行った。わりといい感じだけど、開店が朝の9時というのが俺にはネックだ。基本的に夕方以降の待ち合わせとか飲み会帰りとかのお客さんがメインターゲットなのだろう。朝早く開いているカフェのほうが、俺には有り難いのだけど。ただ、ここはアルコールも出すというから、今度はまあ、そういう時間に来てみたい。

教会学校の【娘】のクラスは23日のクリスマス祝会でトーンチャイムをやる。楽譜が読めない【娘】とユーリちゃんは先週の練習で〈???〉状態だったようだ。教会学校では新顔のユーリちゃんにとって、楽しかるべき初めてのクリスマス祝会が辛い経験になってはいけないから、今週の練習には俺も顔を出して手伝ってやったほうがよかろうと、妻と話していたのだ。だが、実際練習に行ってみると、ユーリちゃんは要領を覚えて上手に合奏に参加していて心配なかったが、【娘】はあいかわらず〈???〉だった。タイミングを見計らって俺が合図を出してやっても、かえって混乱する始末。ううむ。

教会学校のあとは、【娘】のたっての希望でユーリちゃんを交えてコミセン近くのはなまるうどんで昼食をとり、それから子どもらをこども館で遊ばせる。その見守りは妻に任せて、俺は図書館に行き、散髪に行き、さらに近所の病院に入院している黒幕キヨミさんを見舞う。頭を打ったというので心配していたが、しゃべる様子はまったく普段と変らなかった。ひどく出血したため耳がやられたそうだけど、思ったより達者そうでひと安心。


2011年12月17日(土)はれ

昼食にパパラーメン。午後は一人で散歩に出掛け、宮西ハードオフでプレステのコントローラとメモリーカードを購入。コントローラが1,500円と、先日買ったPSone中古本体と同じ値段なのは、きっと最新のプレステ3まで共通のコントローラが使えるためだろう。だがうちにはWiiもあり、俺としてはなにしろ〈ぷよぷよ〉ができればいいので、プレステ2にも3にも興味はないのだった。


2011年12月16日(金)はれ

朝の駅で【息子】がある理由で非社会性を丸出しにして大声で騒いだので、夜になってから、両親と姉がこってりとお説教した。ありゃりゃ、先週の土曜日にもそんなことがあったような…


2011年12月15日(木)はれ

以下の三つのパラグラフはiOSデバイスにBluetoothキーボードを使って入力しiCloudに保存されたメモのコピー。

いつぞや大阪、いや神戸で買ったBluetoothキーボードを使ってiPhoneにメモを入力中。文字の入力に集中したいときにはいい。だけど、いつでもどこへでも持ち歩いて何かがなんでもこれで文字入力というのでは、せっかくのiPhoneの良さが活かせない。

替わって、同じBluetoothキーボードをiPadで使用。これだとだいぶ従来のパソコンに近い使用感になる。だけど、そうなると今度は文字入力にSKKが欲しくなる。

次はiPadでAppleのワイヤレスキーボードを使っている。

まあなんだかんだ言って、俺にとっては今のところパソコンのキーボードが一番安心して使える入力方法なのだが、それがなんで急にiOSにBluetoothキーボードなんて言いだしたかというと、月曜日からiPhoneユーザになった妻が文字入力に慣れなくて困っているからだ。俺が買って結局あまり使っていないBluetoothキーボードがあるから譲ってやろうと思ったわけ。2月に三宮のヤマダ電機で買ったエレコムのTK-FBP013EWHというキーボードなら、コンパクトで持ち運びもそれほど苦にならない。ただUS配列なのがちょっとやっかいだが、ともかくこれを妻に譲ることにした。

夕方はいつもの薬をもらいにいつもの医者に行く。日曜日に酒飲んで暴れたことなどを話した。ヒゲを剃ったらおかげさんで女子学生にコンパでモテました、などと余計なことを言ったら、即座に「それは、いまの顔とヒゲ面のチョイ悪オヤジとで、モテる相手が替わっただけよ」と返された。どうもドクターはヒゲ面のほうがお気に入りだったようだ。帰りに宮脇書店に寄って、【娘】に「ワミー」の50本入りセット、【息子】になぞなぞの本、自分と妻にMサイズのSHOT NOTEメモパッドを買った。


2011年12月14日(水)はれ

午前中910くんのセミナー。前原本の第9章。9.2節のSb函数の表現可能性の途中まで。まあ、このぶんなら来週には第9章を読み終えるでしょう。午後は大学院おひとりさま講義。回転群 \(SO(3)\) が 自由群 \(F_2\) と同型な部分群を含むことを証明する、この講義中でいちばんめんどくさい部分。先週せっかく気合いを入れて作ったレジュメの自分用のコピーを持って行くのを忘れたせいでダメダメだった。いや、レジュメを忘れたせいばかりではない。一週間前に一度内容をまとめたといっても、せめて授業の直前に見直しくらいはすべきだった。まあ、詳細は手渡したレジュメに書いてあるし、アイディアと大まかなストーリーは伝わったはずだけど。

数学について考えるとき、昼のうちに情報を入れておいて、夜、布団のなかでうつらうつらしながら続きを考える、ということをよくやる。で、先日から考えている正則函数のクラスの問題。函数空間の部分集合 \(A\) に対する定義域の点 \(z\) における値の集合 \(A(z)=\{\,f(z)\,:\,f\in A\,\}\) の関係を、これまではなんとなく、座標平面上の集合 \(A\) に対するX軸の点 \(x\) における切り口 \(A_x=\{\,y\,:\,\langle x,y\rangle\in A\,\}\) の関係と類比的に把握できるように漠然と思っていたが、どうやらそうではない、ということに気付いた。函数の集合と値の集合の関係は、«切り口»というより«射影»と捉えるほうが、より適切なようだ。

正則函数の空間では話が無駄に面倒なので、ひとまず閉区間 \([0,1]\) 上の連続函数の空間 \(C([0,1])\) で考える。平面上の点 \(P=\langle x,y\rangle\) に対して、\([0,1]\) 上の函数 \(u_{P}\) を、\(u_P(0)=x\), \(u_P(1)=y\) であって \(0<t<1\) の部分を線形に補間してできる一次式の函数としよう: \[ u_P(t)=(1-t)x+ty\quad(0\leq t\leq 1). \] このとき、対応 \(P\mapsto u_P\) は不等式 \[ \frac1{\sqrt{2}}\mathrm{dist}(P,Q)\leq \|u_P-u_Q\|_\infty\leq \mathrm{dist}(P,Q) \] をみたすから、位相的埋め込み写像になっており、その像は \(C([0,1])\) の \(\mathbb{R}^2\) と同相な閉部分集合である。平面の点集合 \(A\) に対して、\(C([0,1])\) の部分集合 \(A_*\) を \[ A_*=\{\,u_P\,:\,P\in A\,\} \] と対応させよう。すると、この函数集合 \(A_*\) の点 \(t=0\) における値の集合は、平面の点集合 \(A\) のX軸への射影と一致する。したがって、たとえば、実数の任意の \(\mathbf\Sigma^1_1\) 集合は函数のある \(G_\delta\) 集合の \(t=0\) における値の集合として実現できることになる。対応のほうをもう少し工夫すれば、この \(G_\delta\) 集合というのを閉集合に強めることもできる。同じように考えると、複素数の任意の \(\mathbf\Sigma^1_1\) 集合が整函数の空間 \(\mathcal{H}(\mathbb{C})\) の \(G_\delta\) 部分集合の原点 \(z=0\) における値の集合として実現できることがわかるし、\(n+1\) 個の \(\mathbf\Sigma^1_1\) 集合 \(A_0,A_1,\ldots,A_n\) が \(\mathbb{C}\) 上に与えられたときに \[ A_k=\{\,f(k)\,:\,f\in E\,\}\quad(k=0,1,\ldots,k) \] となるように \(G_\delta\) 集合 \(E\subset\mathcal{H}(\mathbb{C})\) を誂えることも (\(n+1\)箇所での値が \(n\)次多項式を一意的に定めるという事実を利用して) 可能だ。となると、けっこう好き勝手できる感じだが、すべての \(z\in\mathbb{C}\) における値の集合に一斉に条件をつけると、先日書いたエルデシュの定理を例として、話は急に難しくなるように思われる。


2011年12月13日(火)はれ

朝はHKくんのセミナー。命題論理のシーケント計算。午後はトポロジーの講義。剰余群の構成の説明をし、ホモロジー群の簡単な場合の実例の計算をやってみせるが、準備不足が祟って、ぜんぜんうまく喋れない。

夕方から市民コンサートの機関誌作業。仕切り屋のキヨミさんが交通事故に巻き込まれて入院中なものだから、みなさんなかなかエンジンがかからないようだが、それでも8時すぎには作業は一段落。たくさんある原稿の直しのいくつかを引き受けることにして、電車で帰宅。歩数計カウント11,450歩。


2011年12月12日(月)くもり

昨晩俺が妻のケイタイを壊してしまったもので、妻はたちまち困る。それで、仕事を早めに切りあげて帰り、妻を伴って近所のauショップに行く。Regzaも気に入ったようだったが、妻は結局俺と同じくiPhoneを選んだ。

昨日そのようなわけで家にある酒を全部捨ててしまったのだが、今夜は学生主催の学科のコンパにご相伴である。3回生から教員まで総勢50名ほど。いつにない盛況でたいへん結構な宴会となった。昨晩のこともあるので、俺は極力おとなしく飲み食いしながら、何人かの学生さんと話す。学生さんたちに嫌われていないと実感できるのは、ふだん彼らと積極的な交流をしない俺にとってありがたいことだ。


2011年12月11日(日)くもり

酒を飲みながらNHKドラマ「坂の上の雲」を観ていたら、凄惨な内容にすっかりやられてしまった。感情的になって家族に迷惑をかけた。こんなことならテレビなんか観ないで皆と一緒に晩飯を食えばよかった。

自分もいいかげんイヤになったので、今後は家では酒を飲まないことにする。家にある酒類も全部捨ててしまった。


2011年12月10日(土)あめ

一日中小糠雨が降ったり止んだり。夕方、【息子】が学校の宿題の日記にあまりにアホな冗談を書いたので両親および姉が延々と説教。おかげで夕食がずいぶん遅くなった。


2011年12月9日(金)くもり

ようやく先週の日曜日に予想した \(\Pi^1_1\) 集合の場合を確認。正しいには違いないが、この証明を書くのは少々やっかいだなあ。

夕方はいつものピアノのレッスン。来年のお題の楽譜が届いた。有名曲なので今回買った全音のピアノピースの他に、クラビノーヴァのおまけのヤマハの楽譜と、音楽之友社の曲集に収録された楽譜を持っている。それでも、発表会の曲となればレッスン中に楽譜が真っ黒けになるくらいいろいろな注意やアイディアを書き込むことになるので、毎年その曲のピアノピースを買うことにしているのだ。さて、今回のこの曲だが、この3種類の楽譜がそれぞれちょっとずつ違っている。全体が4拍子のなかに一小節だけ2拍子が挿入される場所がある、その小節がヤマハの楽譜では3拍子になっている。全音と音友の楽譜では3連×2拍のところを、ヤマハでは八分音符二つ×3拍。実際のいろいろな演奏を聞くと、どちらともとれるのだ。音友の楽譜には、他の二種の楽譜でc音のところがcis音になっているところが一箇所だけある。内声の目立たない場所で、これもうっかりすると聴き漏らしてしまう微妙な違いだ。全音ピアノピースは、他の二種の楽譜についていないタイがついている所がひとつある。他にも細かく見ればいろいろ違いがあるかもしれないし、指番号やペダルの指示の違いとなれば、もう数えきれない。


2011年12月8日(木)あめ

朝。けっこう気分のよい夢を見た。いや、詳しくは書かないが、淫夢とかそういう意味での気持いい夢ではないぞ。大きくて古い家に沢山の人がなんやかや出入りしているイメージというのは、俺にとってはけっこう重要なものであるようだ。

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朝に子どもらを学校へ連れていくタスクを免除してもらって
れんこんのきんぴらを作った


2011年12月7日(水)くもり

午前中910くんのゼミ。どうにか第8章が済んだ。第9章でテクニカルな補助定理の証明を片づければ、(第一)不完全性定理の証明が完結する。年内にそこまでというわけにはいかないかも知れないが、このペースなら発表会までのゼミの会期中には第10章も済むだろう。午後は大学院の講義、と思ったら、ただ一人の受講者が病欠のため、必然的に休講となった。ならば、と思ってレジュメの改訂にとりかかる。自由群というコンセプトをどう説明するかが鍵である。昨日帰り道を歩いているときに思いついたイメージを Asymptote で図像化してみる。

可換群 \(Z_2=\mathbb{Z}\times\mathbb{Z}\) ならば、縦横十文字の碁盤の目のようにイメージできる。札幌の市街地のような碁盤状に(しかも無限の彼方まで)張り巡らされた街路の、辻から辻への移動を、1ブロック東へ移動する \(a\) と1ブロック北へ移動する \(b\) というふたつの操作、およびそれらの逆操作 \(a^{-1}\) (西への移動) と \(b^{-1}\) (南への移動) で表現すればいいのだ。移動しないという“操作”は単位元1であらわされる。

figure-09-z2.png
交換関係 \(ab=ba\) が成立している可換群 \(Z_2\) のイメージ

ふたつの文字で生成される自由群 \(F_2\) もこれと同様に無数の十字路でイメージできるだろう。東へ1ブロック移動する \(a\) と 北へ1ブロック移動する \(b\) の役割も単位元1の意味も同じだ。だが、自由群の場合は、同じ目的地に行くための別経路というものが存在しないので、もと来た道を正確に逆に辿らなければ、同じ辻へ戻ることもできない。これを強いて図像化すれば、次のようなフラクタル状の構造がふさわしい。

figure-09-f2.png
交換関係が成立していない自由群 \(F_2\) のイメージ

このフラクタル図形は、無数の十字路で構成された単連結な弧状連結空間であり、トポロジー的には «8の字形の普遍被覆空間» と特徴づけられる。ここで言ったことは、8の字形の1次元ホモロジー群と基本群が、それぞれ \(Z_2\) と \(F_2\) に同型であることとも関連している。…なんてことは、この講義では言わないけれども。

この図を挿入し、また回転群 \(SO(3)\) が \(F_2\) と同型な部分群が含まれることの証明を増補して全部で4ページになったレジュメと、その次の回のためにハウスドルフの定理の証明を書いた2ページのレジュメを作った。ここまでくれば、今回の目標であるバナッハ=タルスキの定理まではあと一歩である。


2011年12月6日(火)はれ

朝からHKくんのゼミじゃわい、と思って大学へ行ったが、考えてみればHKくんは部活の試合で不在なのだった。先週予告されとったわい。それで、午後のトポロジーの講義の準備に時間を割くことができた。講義では鎖群の境界準同型の最重要な性質である式 \(\partial_{q-1}\circ\partial_q=0\) の証明を中心に、境界輪体群の定義まで進んだ。


2011年12月5日(月)はれ

エルデシュの定理に関して昨日までに考えたことを TeX で入力する。あとはミラーの方法の応用で \(\Pi^1_1\) の例の構成をするだけだが、久しぶりなので、まずミラーの論文を読んで詳細を思いださないといけない。書けたら10月にやったRIMS研究集会の講究録に載せることにする。まあ、この結果ひとつだけでは何でもない (たぶん新奇性もない) が、たとえばシルピンスキの《連続体仮説》にあるいろいろの命題を記述集合論的な観点から片っ端から調べていって一覧表にしたら、それなりに面白かろう。

夕刻、詳細は書かないが、またやっちまった。俺もまだまだ修行が足りん。当分 Twitter をお休みしよう。不妄語戒を保つにはそれしかないわ。


2011年12月4日(日)くもり

金曜日に書いた函数族についてのエルデシュの定理に関連して、記述集合論でいう \(\mathbf\Sigma^1_1\) や \(\mathbf\Pi^1_1\) にそのような函数族があるか考えてみた。予想としては、各点での切り口が可算であるような不可算な整函数の族は\(\mathbf\Sigma^1_1\) には存在せず、\(\mathbb{R}\subset L\) という条件のもとで \(\mathbf\Pi^1_1\) には存在する。

第一の予想を確認するには、整函数の不可算な \(\mathbf\Sigma^1_1\) 集合 \(A\) の点 \(z\in\mathbb{C}\) での切り口 \(\{\,f(z)\,:\,f\in A\,\}\) を考える。複素平面全体で定義された整函数は、その単位円周上の値で決まってしまうので、この問題を閉区間上の連続函数の空間 \(C([0,1])\) の \(\mathbf\Sigma^1_1\) 集合の問題へと帰着できるかと思って、昨日一日いろいろ考えたが、それはダメのようだ。次の手書きノートにあるように、\(C[0,1]\) の完全集合(したがってもちろん不可算な \(\mathbf\Sigma^1_1\) 集合)で、各点での切り口が高々2点集合になるものが作れる。(話のゆきがかり上、ノートでは定義域を円周 \(\mathbb{T}\) と書いているが、要するに同じことである)

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元のサイズ(950x420)の画像にリンクしています

この方法ではダメと出たので別の方法を考える。与えられた \(\mathbf\Sigma^1_1\) 集合が不可算であることも、また少なくとも一つの点におけるその切り口が不可算であることも、 \(\Sigma^1_2\) 文で書けるため、強制法によるジェネリック拡大によって真偽が変わらない。このことを使えば、第一の予想は証明できる。ただし、ひどく非構成的な証明であまり気持ちはよくない。

第二の予想についても作戦は立ててある。切り口が可算な整函数の不可算族を連続体仮説を使って作ってみせたエルデシュの議論をゲーデルの公理 \(V=L\) のもとでしかるべく精密化すれば、ミラー(A.W.Miller)が1989年の論文 (Arnold W. Miller, “Infinite combinatorics and definability,” Annals of Pure and Applied Logic, Volume 41, Issue 2 (1989), pp. 179-203) で使った方法によって \(\mathbf\Pi^1_1\) 集合になる例を構成できるだろうと思う。


2011年12月3日(土)くもり

水曜日に夕食に作って評判のよかった味噌ラーメンを昼食に再現。午後には「じぃ家」の青空市でイカを買い、夕食に煮物をつくる。それもまあまあうまかったが、妻が作ったカンパチの煮たのがすごく美味しくて感激した。


2011年12月2日(金)くもり

午前中は024くんのゼミ。最初の題材は連続体仮説をめぐるエルデシュ(Paul Erdös)の定理なのだけど、証明の泥臭いところがテキストで省略されていてどうしようもない。仕方がないので、そこはあとで考えることにして先に進み、定常集合にかんするフォドアの補題をやった。O2Cくんには証明の省略された部分の概略を改めて伝えて、来週までに再構成してきてもらうことにした。

《エルデシュの定理》 連続体仮説は次の命題と同値である: 複素平面 \(\mathbb{C}\) 上の正則函数の不可算族 \(\mathcal{F}\) で, 値の集合 \(\{\,f(z)\,:\,f\in\mathcal{F}\,\}\) がすべての点 \(z\in\mathbb{C}\) において可算となるものが存在する.

【証明】(前半) まずそのような函数族 \(\mathcal{F}\) の存在から連続体仮説が導かれることを示す. 必要とあれば \(\mathcal{F}\) から部分族を取り出すことによって, \(\mathcal{F}\) の濃度は最小の不可算基数 \(\aleph_1\) であると, 一般性を損なわずに仮定できる. いま, \(\mathcal{F}\) の二つの要素 \(f\) と \(g\) について, 両者の値が一致する点の全体を \(S(f,g)\) と書こう: \[ S(f,g)=\big\{\,z\in\mathbb{C}\,:\,f(z)=g(z)\,\}. \] ここで \(f\) と \(g\) が正則で, \(f\neq g\) であることから, \(S(f,g)\) は集積点をもたない.

<メモ> このことは複素函数論の一致の定理からの帰結である. \(S(f,g)\) が集積点 \(a\) をもつと, \(a\) において \(f\) と \(g\) の冪級数展開が一致する. \(f\) と \(g\) の冪級数展開が一致するような点 \(a\) の全体 \(E\) は \(\mathbb{C}\) の開集合である. いっぽう, ある \(n\) について \(f^{(n)}(z)\neq g^{(n)}(z)\) をみたすような \(z\) の集合も開集合だが, これは \(E\) の補集合にほかならない. つまり \(E\) は \(\mathbb{C}\) の開集合であると同時に閉集合でもあり, 空でないから \(\mathbb{C}\) 全体と一致する. したがって \(f=g\) となるが, このことは仮定に反する.</メモ>

集積点がないことから \(S(f,g)\) が可算集合であることがわかる. これには, 複素平面を可算個の有界集合(たとえば整数を切り口とする縦横の直線で区切られた正方形など)によって, \[ \mathbb{C}=\bigcup_{n=0}^\infty B_n \] と覆ってしまえばよい. 共通部分 \(B_n\cap S(f,g)\) は集積点をもたない有界集合であり(ボルツァーノ=ワイヤストラスの定理によって)有限であるから, その可算和である \(S(f,g)\) は可算集合となる. いま \(\mathcal{F}\) は濃度 \(\aleph_1\) であるから, 可算集合 \(S(f,g)\) の \(f,g\in\mathcal{F}\) 全体にわたる和集合 \[ S = \bigcup_{f\neq g\in \mathcal{F}}S(f,g) \] の濃度も高々 \(\aleph_1\) である. もしも \(z\notin S\) であれば \(f\mapsto f(z)\) は \(\mathcal{F}\) 上で単射で, 値の集合 \(\{\,f(z)\,:\,f\in\mathcal{F}\,\}\) が不可算になって仮定に反する. そこで \(\mathbb{C}=S\) となるが, このとき \(2^{\aleph_0}=|\mathbb{C}|=|S|=\aleph_1\), すなわち連続体仮説が成立する.

証明の後半は, 連続体仮説 \(2^{\aleph_0}=\aleph_1\) を仮定してこのような函数族 \(\mathcal{F}\) の存在を示すことになる. 渕野さんのテキストでもエルデシュの原論文でも, その細部の計算の部分が省略されている. 省略されているのは \(\{\varepsilon_n\}_{n\in\omega}\) という複素数の列をじゅうぶん早くゼロに近付くようにとるという話のなかの, では実際のところ \(|\varepsilon_n|\) がどれくらい小さくなればいいのかという部分なので, 専門家同志のコミュニケーションなら省略してもかまわないが, 4回生のゼミではそうもいかない.

【証明】(後半) 連続体仮説を仮定して, 複素数全体を \[ a_0,a_1,\cdots,a_\alpha,\cdots\qquad(\alpha<\omega_1) \] と順序型 \(\omega_1\) に整列させる. また \(\mathbb{C}\) において稠密な可算集合 \(D\) を固定する. 証明の方針としては, 可算順序数 \(\alpha<\omega_1\) に正則函数 \(f_\alpha\) を対応させて, \(\beta<\alpha<\omega_1\) のとき \(f_\beta(a_\beta)\neq f_\alpha(a_\beta)\) かつ \(f_\alpha(a_\beta)\in D\) となるようにする. そのうえで \(\mathcal{F}=\{\,f_\alpha\,:\,\alpha<\omega_1\,\}\) とおく. そうすると \(\mathcal{F}\) は濃度 \(\aleph_1\) の不可算族である. また各点 \(z\) について \(z=a_\beta\) となる可算順序数 \(\beta\) を考えると, \(\alpha>\beta\) なら \(f_\alpha(a_\beta)\in D\) なのだから, \[ \{\,f(z)\,:\,f\in\mathcal{F}\,\}\subset \{\,f_\alpha(a_\beta)\,:\,\alpha\leq\beta\,\}\cup D \] であり, 値の集合 \(\{\,f(z)\,:\,f\in\mathcal{F}\,\}\) は可算集合である.

さて, そのように \(f_\alpha\) をとれることを, \(\omega_1\) までの超限帰納法によって示そう. 可算順序数 \(\alpha\) をとり, \(\alpha\) 未満の順序数 \(\beta\) についてはすでに \(f_\beta\) が得られたものと仮定する. 全単射 \(\nu:\omega\to\alpha\) が存在するので, \(w_n=a_{\nu(n)}\), \(g_n=f_{\nu(n)}\) とおく. すると, \(f_\alpha\) のみたすべき要件は \(f_\alpha(w_n)\in D\) と \(f_\alpha(w_n)\neq g_n(w_n)\) ということになる. そのために, 複素数の列 \(\{\varepsilon_n\}_{n\in\omega}\) をうまくとって \[ f_\alpha(z)=\sum_{n=0}^\infty\left(\varepsilon_n\prod_{0\leq j<n}(z-w_j)\right) \] とすることを考える. すると, \(m\in\omega\) のときに \[ f_\alpha(w_m)=\sum_{n=0}^m\left(\varepsilon_n\prod_{0\leq j<n}(w_m-w_j)\right) \] となるから, \(m\) より大きな番号 \(n\) に対する \(\varepsilon_n\) の選択は, \(f_\alpha(w_m)\) には影響を与えない. 同様に \(\varepsilon_m\) の選択は \(f_\alpha(w_0),\ldots,f_\alpha(w_{m-1})\) という \(m\) 個の値に影響を与えない.

そこで, \(f_\alpha(w_0)=\varepsilon_0\) となることに注意し, まず \(\varepsilon_0\) を \[ g_0(w_0)\neq\varepsilon_0\in D \] となるようにとって, 以下 \(\varepsilon_1,\varepsilon_2, \varepsilon_3,\ldots\) を順次 \[ \begin{align} g_1(w_1)\neq&\varepsilon_0+\varepsilon_1(w_1-w_0)\in D\\ g_2(w_2)\neq&\varepsilon_0+\varepsilon_1(w_2-w_0)+\varepsilon_2(w_2-w_0)(w_2-w_1)\in D\\ g_2(w_3)\neq&\varepsilon_0+\varepsilon_1(w_3-w_0)+\varepsilon_2(w_3-w_0)(w_3-w_1) +\varepsilon_3(w_3-w_0)(w_3-w_1)(w_3-w_2)\in D\\ \vdots& \end{align} \] となるように選んでいくことにする. あとは, 結果として得られる級数 \[ f_\alpha(z)=\sum_{n=0}^\infty\left(\varepsilon_n\prod_{0\leq j<n}(z-w_j)\right) \] がいたるところ収束して \(z\) の正則函数になるように \(\{\varepsilon_n\}_{n\in\omega}\) を選べることを確かめればよい. (ここが, エルデシュの文書にも, 渕野さんのテキストにも書いてなかった部分.)

そのためにまず等式 \[ \begin{align} \prod_{0\leq j<n}(z-w_j)= & \prod_{0\leq j<n}\big((z-c)+(c-w_j)\big)\\ = & \sum_{j=0}^nP^n_j(c-w_0,\ldots,c-w_{n-1})(z-c)^{n-j} \end{align} \] に注目しよう. ここで \(P^n_j\) は \(n\)-変数 \(j\)-次の基本対称式を意味する. (\(P^n_0\) は定数 \(1\)である.) 稠密集合 \(D\) を \(D=\{\,d_k\,:\,k\in\omega\,\}\) と数列の形にあらわしたとして, \[ R_n=\max\left\{\big|P^{n}_j(d_k-w_0,\ldots,d_k-w_{n-1})\big|\,:\,0\leq k\leq n,\ 0\leq j\leq n\,\right\} \] とおく. すると, \(n\geq k\) のとき \(|z-d_k|\leq1/2\) の範囲で \[ \left|\prod_{0\leq j<n}(z-w_j)\right| \leq \sum_{j=0}^n\big|P^n_j(d_k-w_0,\ldots,d_k-w_{n-1})\big|\cdot|z-d_k|^{n-j} \leq R_n\sum_{j=0}^n2^{-(n-j)}\leq 2R_n \] となる. そこで, \(\varepsilon_n\) が \[ |\varepsilon_n|\leq 2^{-(n+1)}R_n^{-1} \] をみたすように選ばれていたとすれば, \[ \sum_{n=k}^\infty\left|\varepsilon_n\prod_{0\leq j<n}(z-w_j)\right| \leq \sum_{n=k}^\infty 2^{-n}=2^{-k+1} \] となるから, 優級数判定法により, \(f_\alpha(z)\) を定義する級数 \[ f_\alpha(z)=\sum_{n=0}^\infty\left(\varepsilon_n\prod_{0\leq j<n}(z-w_j)\right) \] は \(|z-d_k|\leq1/2\) の範囲で一様に収束する. ところが \(D\) の稠密性から, どの複素数のどんな近くにでも \(d_k\) の形の数が存在する. つまり, この級数は任意の点の近傍において一様に収束する, 多項式を項とする級数なので, その和 \(f_\alpha(z)\) は正則函数である.

<メモ>  基本対称式 \(P^n_j(x_0,\ldots,x_{n-1})\) というのは, \(n\) 個の変数 \(x_0,\ldots,x_{n-1}\) のうち \(j\) 個を掛けた \(j\)-次の単項式の \(n\mathrm{C}j\) とおりの変数の選びかたすべてにわたる和のこと. たとえば, \[ \begin{align} P^2_1(\alpha,\beta)=&\alpha+\beta\\ P^2_2(\alpha,\beta)=&\alpha\beta\\ P^3_1(\alpha,\beta,\gamma)=&\alpha+\beta+\gamma\\ P^3_2(\alpha,\beta,\gamma)=&\alpha\beta+\beta\gamma+\gamma\alpha\\ P^3_3(\alpha,\beta,\gamma)=&\alpha\beta\gamma \end{align} \] というぐあい.</メモ> 

こうして, \(\varepsilon_n\) を, \[ |\varepsilon_n|\leq 2^{-(n+1)}R_n^{-1} \] という範囲から \[ \begin{align} g_0(w_0)\neq&\varepsilon_0\in D\\ g_1(w_1)\neq&\varepsilon_0+\varepsilon_1(w_1-w_0)\in D\\ g_2(w_2)\neq&\varepsilon_0+\varepsilon_1(w_2-w_0)+\varepsilon_2(w_2-w_0)(w_2-w_1)\in D\\ g_2(w_3)\neq&\varepsilon_0+\varepsilon_1(w_3-w_0)+\varepsilon_2(w_3-w_0)(w_3-w_1) +\varepsilon_3(w_3-w_0)(w_3-w_1)(w_3-w_2)\in D\\ \vdots& \end{align} \] をみたすように順次選んでゆけば, 目的は達せられるわけである. このことは \(D\) の稠密性と \(\prod_{0\leq j<n}(w_n-w_j)\neq0\) であることにより, 可能である. 〔証明終〕

いや、意外と大変だなこれは。


2011年12月1日(木)くもり

Gregory Moore“Zermelo's Axiom of Choice: Its Origins, Development, and Influence” の Dover版ペーパーバックが来年9月に発売予定であるらしい(→Amazon.co.jpの該当ページ)。選択公理について史的観点から語るには必読の文献であるらしい。随分先の話ではあるが、廉価で手に入れられるのはありがたいことだ。

しかし、俺は今日もあいかわらず、たかだか10ページちょっとの英語論文を通読するのに午後いっぱいかけているんだから仕方がない。もっとペースを上げられるといいのだけど、そのためにも、怠ることなく量をこなす努力を続けないといけない。遅くてもあきらめないようにしなくちゃ。