て日々

2011年10月


2011年10月31日(月)くもり

久々に三番町ガーデンプレイスカフェでコーヒーを飲む。昨日まで出張と来客とでバタバタしどおしだったし、そもそも、今年度後期が始まってからは、週三日は朝一番からゼミがあるから、ここに座って本を読むなんて贅沢な時間はせいぜい週2日しかとれない。この週三日のゼミというのは大変なのだが、3人の卒業研究ゼミ生がそれぞれ別々のことをやるんだから、やむを得ない。来年度はなるたけゼミを分けずに済むようにしないといけないが、それでも前期のあいだ9月卒業予定のHKくんのゼミだけは別になるだろう。


2011年10月30日(日)あめ

午前中、小学校のバザー。俺も今回は食器を中心に少し買い物をする。バザーの片付けをしながら、午後は【娘】のお友達のユーリちゃんを交えて5人でドライブに行くことにしようと相談する。大街道のジーンズショップで仕事中のユーリちゃんのお母さんにひとこと告げてから、まずJR松山駅近くのスーパーで子供達にアイスクリームを食べさせ、それから駅にタマシュとアンナを見送りに行く。

タマシュとアンナは午後の電車で大阪へ移動し、明日の飛行機でハンガリーへ戻るのだ。

ほんとうにいろいろありがとう。京都のご両親にくれぐれもよろしく
いや、お安い御用だ。俺は数学的なことで面白い話を提供できなかったのを申しわけなく思ってる
そんなことはない。あれはこの数年間に聞いた中では一番面白い問題だ。近いうちに何か貢献しようと思う
俺も、もうちょっと頑張ってみるわ。
京都も松山も素晴らしい街だ。忘れがたい思い出ができた。
ぜひまた来てくれよ
うんうん。そうしたい
いや、こっちがブダペストに行きたい。金持ちになって俺をハンガリーに招待しろ
あ、金持ちにならなくてもそうしたいところだ。いつになるかはわからんが…

俺は今回、なんというか、タマシュに「リア充の権化」を見た気がする。奴は若く、才気に溢れ、子供のような好奇心をもち、何事にも積極的だ。昨日など、さすがに「これちょっと俺たち家族ぐるみで振り回されたな」と思ったくらいだ。いや、俺も彼くらいの年齢のときにはそれくらいのエネルギーはあった。しかし、15年前、30代前半の俺は本当に「残念な時期」のさなかにあり、同棲中の女とのくだらない心理戦に連日連夜エネルギーの大半を消費していた。あの若かった頃に失ったものはもう取り返せないが、いまはそれなりに幸せだし、この年齢からでも、多少はタマシュの前向きで実際的な姿勢を自分も見習うべきだと思った。

さてさて、見送りを済ませてまた車に乗り、今度はフジグラン重信へ。バザー会場でちょっと食べたくらいの軽い昼飯だったので、まずはフードコートで小腹をみたす。女たちが「かわいいものやさん」を見て回っている間に俺は【息子】を連れてデオデオに行って iPhone のケースを買った。iPhone4用のケースで全体の形とサイズはぴったりだが、iPhone4Sでは側面のボタンの位置がほんのちょっと違っているらしく、そのままではミュートスイッチが操作不能になってしまうので、帰宅後側面の穴をヤスリで少し削って調整。夕食は久々のパパラーメン。やっとこさ、家族で過ごす日常が戻ってきた。刺激的で楽しかったがなかなか大変な二週間だった。


2011年10月29日(土)くもり

今日は家族で出かけ、11時に道後でタマシュとアンナと合流。道後商店街を少しうろうろしたあと、市内電車でJR松山駅へ行く。タマシュがぜひもう一度双海の海岸に行きたいと言い出したからだ。六人で、JRに乗って伊予上灘まで出かける。シーサイド公園で海産物の料理を食い子供を砂浜で遊ばせる。最初から宣言していたとおりタマシュがいきなり海パン姿になって海に入って行ったので、周りの人々はみな驚いていた。俺としても、水温が波がクラゲがと、思いとどまるように何度も警告したのだが、本人は聞きゃしない。逆に「どうして日本人は泳がない?」と聞かれる。俺は答える。日本人は7月1日から8月の半ばまでしか泳がない。これはなんというか、ある種の宗教的信念のようなものだ。改めて聞かれればたいていの人が「いかなる宗教にも属していない」と答える日本人だが、大多数は実際には無宗教ではなく、「日本教」とでもいうべき、ある種の民族宗教のうちにある。仏教とキリスト教を稀有な例外として、一般には宗教はそれ以外の文化と切り離せない。それで、キリスト教や仏教のような意味では宗教ではない、というのが、彼らの言う「無宗教」なのだ、と。タマシュはそれに答え、カトリックの国とプロテスタントの国の国民性の違いを引き合いに出して「たしかに宗教のあり方は文化に影響する」と言ったが、俺が言いたかったのはそういう話ではない。たとえ文化の他の部分と相互に影響しあう相関の中にあるものとしても、キリスト教や仏教といった「宗教」は「それ自体」として取り出し、取り扱われうる。俺は、日本の宗教のそうした部分(すなわち神道や仏教といった表層の教義体系)の下に流れる、なんというかある種アミニズム的な宗教心のことを言いたかったのだが、残念ながら、俺にはそういう話を英語で出来るだけのスキルはない。これまでクロサワとか安部公房とか川端康成の話をいきなりタマシュとアンナに振られてタジタジとなったお返しに、彼らの同国人ポラニー兄弟を引き合いに出してやろうかと思ったが、俺とてそれほど詳しくないので自粛。


2011年10月28日(金)はれ

さて、われらが愛媛大学のキャンパスには付属博物館の「愛媛大学ミュージアム」 がある。わがボスであるN教授が館長である。昆虫標本の膨大なコレクションや「世界一硬い人工ダイヤモンドとその製造装置」の展示などがあって、意外と見応えがあるのだ。今日は館長自らがタマシュとアンナを案内してくれた。しばらくして俺の部屋に戻ってきたタマシュは、出し抜けに「それで、この先数十年のあいだに日本はどうなると思う?」と言い出した。俺はこう答えた。かつて日本がやったように中国や韓国が良い品物を安く生産することで経済的に大きく発展している。中国は金持ちになり、日本の不動産を買ったり日本の会社に出資したりして、日本国内で影響力をもつようになるだろう。それに対して現在の日本の政府は少々弱腰だから楽観できない。ただ、それと同時に、豊かになった中国や韓国では生活水準が上がり、生活のコストも上がって、人件費が高騰するだろう。となれば、その中国や韓国の企業にしたところで、安い労働力を求めて他の国へ進出せざるを得なくなる。かつてアメリカが、いま日本が、それを経験している。その先がどうなるのか、俺には全然わからない。子供たちが職に就けないかもしれないことは心配だ。しかし、自分自身のことを言えば、歳をとることも、死ぬことすら、別に怖くはない。それより怖いのは、妻に先立たれることだ。仏教徒のいいところは、死が不可避であることを、粉飾も欺瞞もなく単なる事実として受け入れられることだ。タマシュ「ミドリはお前さんより若いんじゃないのか?」俺「うん。9歳若い」タマシュ「じゃあ大丈夫だろう」俺「そう思う」…それから少し数学の議論をするが、ほどなくピアノのレッスンに行く時間になった。

先週一週間全然ピアノに触れていなかったわりに、先生の前で弾いてみると、思ったほどは崩れていなかった。とはいえ、本番まであと2週間ちょっとという時期であるから、これからもっと磨きをかけにゃならん。

レッスン後、花園町の 「カフェ・カバレ」 で、俺たち一家4人とタマシュ夫婦で夕食。


2011年10月27日(木)はれ

昨晩タマちゃんが言うには、談話会を終えてみて、けっこう疲れていることに気づいたから一日休みたい。無理に行ってもあまり生産的にはならんだろう。というわけで、きょうはタマちゃんが来ない。こちらも授業も何もない。それで、自分も少し頭を休め、昨日までの話を少し咀嚼することに時間を用いた。昼食は妻と二人で勝山町交差点近くのカフェレスト。午後は会議に出る。いっぽう、タマちゃんたちは道後のガラス美術館に行ったあと、双海の海岸に行って夕日を見て感激して帰ってきたらしい。


2011年10月26日(水)はれ

午前中はKくんのゼミ。前原本の第6章、自然数論に入る。半年で論理式を記号列として読むことにはずいぶん習熟したKくんだが、この第6章などは、形式的体系において展開できる自然数論を、しかし普通の数学のように展開しているところだから、そろそろ記号列の棒読みからは卒業して欲しいところだ。Kくんはわりとよくできるほうではあるが、数学とメタ数学の線引きを正確にできるところまではまだ至っていないようなので、そのあたりを今後丁寧に指導してやらねばならん。午後は大学院の講義。整列定理を仮定してツォルンの補題の証明をする。その論法は整列定理を仮定して極大イデアルの存在証明をした前回の議論とほぼ同じ。

夕方には日本でのタマちゃんの最後の学術的用務である談話会講演。チェコの Ondřej Zindulka という人によって最初に導入された monotone metric space という新しい距離空間のクラスに関する話で、定義がシンプルなだけにわかりやすく面白い話だった。俺も途中でずいぶん口を挟んだので、談話会というよりセミナーみたいな雰囲気になったが、発表のあと色々な人から質問も出ていい感じで終わることができたのはなによりだった。もちろんそれは俺の手柄ではなく、タマちゃんの話の上手さと題材の面白さのおかげだ。

夕食はアミティエ。タマシュとアンナのほかに、アンナの知り合いで POSTECH(浦項工科大学) から訪日している金圭(キム・キュウ)という韓国人の物理学者が参加。物腰の柔らかい好青年だ。日本と韓国の間にはまあいろいろあるわけだが、もちろんそれはこのキムさんのせいではない。迎え撃つのは俺とドミトリ教授とN教授。日本人ハンガリー人韓国人ロシア人。これにシェフのフィリップがいれば五カ国の人が集まる形になったところだ。なかなか国際色豊かな会食で楽しかった。

めずらしくバスにて帰宅。


2011年10月25日(火)はれ

午前中、後期開始のHくんのゼミ。萩谷・西崎『論理と計算のしくみ』を読む。前原本とは違った計算論的観点からの不完全性定理へのアプローチだ。だけど、本人インカレの直後という理由で準備が十分でなく、一時間くらいで終わってしまった。それで、こちらが不安に思っていた午後の講義の準備に当てさせてもらった次第。さてその午後の講義はユークリッド空間内の点の配置の「一般的な位置」というやつの定義から、アフィン結合、凸結合、と定義して、最後に「単体」の定義をしたところで時間が来たので、小テストに「3次元ユークリッド空間 \(\mathbb{R}^3\) のこれこれの4点は一般的な位置にある。そこで、以下に上げる各点をこいつら4点のアフィン結合であらわせ。こいつら4点の定める単体に属するのは、このうちどの点か。」というのを出題。講義のあと、ほどなくして研究室にタマちゃんが登場。俺にとっての積年の未解決問題について議論する。きょうはタマちゃんは草餅を食っている。「ヒロシも食うか?」というので丁重に断ったら「なぜ甘いものを食わない?」と聞かれた。仕方がない。「アルコールが入ってないからだよ!」と答える。


2011年10月24日(月)はれ

朝、タマちゃんをホテルまで迎えに行き、大学へ連れてくる。学科の人々に紹介し、仮のオフィスの鍵を渡す。昼食に「せとりあん」に連れて行く。タマちゃんはカルネのランチで、豚肉のトマト煮込み。俺はペッシェのランチなのだが、これがサンマの香草焼きで、腹ワタも骨もそのままなもので、どう見ても西洋料理には見えなかった。デザートはいるか、コーヒーは飲むか、と聞いたら、コーヒーは飲まないが何か甘いものが食いたいというので「えみか」に連れて行った。タマちゃんは大福を二個買って、そのうち一個を歩きながら食いはじめた。「これはいい!」といってとても幸せそうにニコニコしている。どうも小豆餡が大好きなようだ。


2011年10月23日(日)はれ

午前中、タマシュとアンナを連れて 妙心寺 に散歩に行く。本坊の境内の山門や仏殿のあたりは子供のころしょっちゅう遊んだところだが、いまの子供はどうなんだろう。いや、なにはともあれ、仏殿のお釈迦さまを礼拝し、それから「不浄の左手を向けないように時計回りに回るんだ」と説明しながら法堂の方へ進むと、僧院のあたりにたくさんの人がなにやら作業をしている。どうやら時代劇の撮影をしているようだ。聞くと、お正月のテレビドラマ「忠臣蔵」の場面らしい。なにしろタマシュはサムライに会いたがっていたので、これはなんとも好都合な偶然である。

しばらく撮影を見学し、それから、この地に生まれ育って47年の俺にして初めて、拝観料を払って法堂の雲龍図を見ることにした。法堂の天井いっぱいに描かれた龍の図は、狩野探幽の傑作で、もちろん一見の価値のあるものだが、なに、お盆の「お精霊むかえ」の時に来れば、別にお金を払わなくても見られるのである。だが今回はお客さんを案内しているのだから、方丈の受付で500円払って、作務衣を来たお姉さんの解説を聞きながら、雲龍図と国宝の黄鐘調の鐘、それから少し離れたところにある「明智風呂」を見る。

見学を終え「明智風呂」から出て、日本庭園が見たいというタマシュたちを 退蔵院 に連れて行くと、なんと仏前結婚式が始まるところだった。黒紋付の新郎と白無垢の新婦がご本尊さまの前にしずしずと進み出るのを、元信の庭の隅からこっそり見せてもらう。昨日うちで水炊きを食ったときに、日本の花嫁衣装を見てみたいとアンナが言っていて、松山に俺とみどりが結婚した時の写真があるから見せてやるよとか話していたばかりで、これまたなんとも好都合な偶然である。あまりのことに「きょうは俺は何も段取りしてないよ」と冗談めかして言ったけど、段取りしようとしてできる話じゃないでしょこれは。それに、午前中は完璧な快晴だったし、彼奴らの日頃の行いがよほど良いにちがいない。それに、これでタマシュとアンナの日本の印象がよくなれば、俺としても日本とハンガリーの親善に多少なりとも貢献できる。ありがたい話である。

そうこうするうちにお昼も近くなったので、バスに乗って三条河原町に移動。タマちゃんとアンナのお気に入りの「むさし」で寿司を食い、一日延期された時代祭の行列を見に行く。維新の志士の行列を皮切りに時代を遡る行列を、こちらも遡るように見て、吉野時代(後醍醐天皇と楠木正成の時代)まで遡ったところで烏丸御池に着き、アンナが疲れて眠そうにしはじめたし、松山行きの電車の時間も近づいたので、引き上げることにした。地下鉄で実家に帰ってタクシーで八条口へ向かう。

松山に夜7時半ごろ着くと、妻子が迎えに来ていた。いったんタマシュとアンナをホテルに送り届け、折り返して皆で「クッチーナ・ペペ」へ食事に行く。【息子】がはしゃいでしまって大変だった。


2011年10月22日(土)くもりあめ

今日は時代祭が開かれる予定だったのだが、あまり天気がよくない。明け方に雨がふり、そのせいか時代祭はさっさと順延になってしまった。

今夜はタマシュ夫婦を実家に招いている。彼らなりにホテルに荷物を預けて観光するからというので、ホテルに午後4時に迎えに行くという約束になった。俺も、昨日までの疲れもあったから、朝から実家でボケっとしていたのだけど、午後3時前に、ずっとこの調子じゃ仕方ないから四条通のジュンク堂書店でも行くかと思いなおして家を出た。雨がまた降り始めていた。いつもなら天神川御池まで歩いて地下鉄東西線に乗るところだが、雨を避けるために、最寄り駅からJR線で二条まで行って、そこで地下鉄に乗り換えた。市役所前で地下鉄を降りると、雨はますますひどくなっている。新京極のアーケードを通ってホテルの近くまで行く頃には、もう前が見えないくらいのものすごい雨脚だ。これはジュンク堂に行っている場合ではない。きっとタマちゃんたちも観光をさっさとあきらめていることだろう。そう思った俺は、約束の時間まであと40分もあるが、予定を変えてホテルに行くことにした。アーケードからホテルまでほんの50メートルほど、傘をさして走り抜けただけで濡れネズミになった。これはかなわん。事情をフロントに伝えて、ロビーで待たせてもらうことにした。フロントの人たちは嫌な顔ひとつせずにタオルを貸してくれた。ありがたいことだ。

タマちゃんたちは約束の時間の10分ほど前にあらわれた。案外ケロッとしている。濡れなかったのかと聞いたら、確かにひどい雨だったがもう上がったよ、との返事。彼らも雨を避けて新京極のアーケードに入り、雨が止むまで待っていたのだそうだ。ホテルの外に出ると、たしかに雨は止んでいる。なんじゃこれは。拍子抜けしつつ、なにはともあれ、高島屋の前まで移動してタクシーに乗り込む。

タマシュと奥さんのアンナを実家に泊めようというのは俺の考えたことだが、俺たち一家にとってはただの古ぼけた家であるから、気に入ってもらえるか心配でもあった。ところが、初めて日本に来た彼らにとって、木造の家の和室に宿泊するのは新鮮な体験だったようで、逆に申しわけなくなるくらいに感激してくれた。玄関をあがってすぐの三畳間に木製の和風のガラス棚があって、ほとんど利用せぬまま古くなった1960年代のブリタニカ百科事典やら、父の好きな古代史の本やらが納まっているのだけど、そんなものでも「宝物みたいだ」と言ってくれた。我々にはただの古本の山だが、異文化体験って、まあそういうものかもしれない。刀はあるか、弓は射るのか、といろいろ聞かれる。おいおい、俺はサムライでもニンジャでもないよ。たしかに母は武家の出身だが、父は根っからの商人だし、父方のご先祖は百姓だったはず。

夕食に鶏鍋、京都で言うところの水炊きをごちそうし、安いものではあるが、日本酒をふるまった。といっても、タマシュも奥さんもほとんど酒を飲まない。母は英語はちんぷんかんぷんという感じだが終始愛想よくしてくれた。父が入院しているのはちょっと残念だが、いい時間を過ごすことができた。ありがたいことだ。

好奇心旺盛なタマシュは、さっそく自慢のデジタルニコンで家の中を撮影していた。あとで見せてもらったら、ご先祖さまの位牌の写真まであった。実家では、母の宗旨の関係で、位牌を仏壇に置かず、違棚に並べてあるのだ。そういうこともあろうと思って、あらかじめ「これは俺たちのご先祖のシンボルだから、触っちゃダメだよ」と念を押してあったのだけどね。


2011年10月21日(金)くもり

四条河原町のホテルに3泊めの朝。朝食を食い、落ち着いてコーヒーを飲みつつ、きょうやるべきことを再確認する。この時間はとても貴重だ。どうも、朝食には栄養以外にも大事な意味がある。

きょうが研究集会の最終日。いろいろ気が抜けないので、落ち着いて数学のことを考える時間はあまりない。それはまあ当然だ。なんといっても、他の参加者が心置きなく数学に集中できるようにその他の面倒を引き受けるのが研究集会の幹事の役割なのだ。なんとかすべての講演が無事に終わって、参加者からねぎらいの言葉もかけてもらって、ようやく報われた気持になった。今夜は実家に戻るのだが、夜7時に行ってみても母が不在で鍵がかかっている。近辺には気軽に立ち寄れる喫茶店もろくにない。しかたがないので、駅前の広場でベンチに腰掛け、コンビニで買ったチューハイを飲みながら時間をつぶす。広場では高校生たちが楽しげに語りあっている。俺が高校生だった30年前と比較して駅前の風景はまるで別物だし、学校の制服も違うし、なによりこの高校生たちはひょっとしたら俺の同級生の息子・娘たちかもしれない。だが、部活の帰りに、ちょっとしたお菓子や飲みものの買える店に立ち寄って歓談するその姿には、時を超えて変らないものがある。()

一時間ほどもしてからようやく母から帰宅の知らせ。戻ってみると、俺がきっと他の数学者たちと晩飯を食って帰ると踏んでいた母は食事の用意をしていない。父が入院していて実質母の一人暮しだから、食材もろくにない。仕方がないので急遽俺が近所のスーパーに行って食材を買い、うどんと煮物を作った。

歩数計カウント17,249歩。あと、iPhone4Sが入荷したと連絡があった。出張から戻り次第受けとれるはずだ。


2011年10月20日(木)はれ

きょうは前もってやるべきことのリストを作って臨んだ。そして、前に出てしゃべるのを座長に任せた。このふたつのおかげで、ずいぶん気が楽だった。むろん、裏方として動きはしたし、来年の幹事を誰にするか常連メンバーと相談もした。やるべきことはやったと思う。おかげで、昨日より身体的に疲れたとはいえ、昨日よりはるかに気分がいい。

昼食は農学部前のベジタリアンレストランTOSCA(リンク先はタベログ)。夕食は木屋町の「串安」(リンク先はぐるなび)。どちらもなかなかよかった。歩数計カウント14,720歩。

厳格な菜食主義者のディリップと酒を汲み交わしながら「俺は仏教徒を自称しているが、食うために殺すことを厭わない。しかしそれ以外にはゴキブリも蚊も決して殺さない。実際我々にはゴキブリを殺さなければならない理由はない。いっぽう家に住みついた蜘蛛が蚊や蠅を食うことは完全に容認している。彼らはそれ以外に生きる道がないからだ。」とかなんとか説明した。ディリップは理解してくれたが「食うために動物を殺さねばならないという事情は昔ほど深刻ではない。野菜や穀物は昔と比較してはるかに容易に手に入り、それらで栄養を完全に補給できるからだ。」とも言った。それはよくわかる。俺にもシンプルな食生活への憧れというか志向はあるのだ。


2011年10月19日(水)はれ

RIMS研究集会開幕。自分の英語のダメさ加減を痛感。だって、今出川通りを歩いていていきなり「これらの石仏はみな白い前掛けをしているがそれは何故か」「赤い前掛けとはどうちがうのか」などと聞かれたり「京都御所は事前に申し込めば見せてもらえるそうだが土曜日はダメというのは本当か」「南禅寺から四条河原町のスーパーホテルに戻るにはどのバスに乗ればいいか」などと聞かれたら、そりゃあ即答のしようがございません。「知らない」と答えることを1ダースも繰り返せば、自信もなくなります。日本語であれば「この石仏は地蔵菩薩であり親に先立って幼くして死んだ子供が成仏することを助けてくれるかたです。前掛けをしているのも花が飾られているのも、人々が供養して善根を積むためにボランティアで奉仕しているのです。」くらいのことは答えられるんだけど、日頃いろいろサボっているせいで、英語ではこれしきのことも言えない。しかし、他の真面目な数学者たちはこれをその場で言えるだろうか。タマシュやソレツキさんの英語は聞き取りやすいが、なかにはひどく訛った英語をしゃべる人もいて、それも厄介だ。昨日伝えた数学の問題についてタマシュが考えたことを説明してくれたのだが、ろくに頭が回らず、生返事しかできない。それも申しわけなく恥ずかしかった。

研究集会の日程を3日にしてしまったせいで、スケジュールが非常にタイト。いやしかし、だからこそ一昨日と昨日と続けて神戸大学でセミナーが開けたわけだから、文句を言われる筋合いもないのだが、しんどいことに変わりはない。自信喪失ぎみで初日のセッションを終えて、熊野神社のからふね屋珈琲店で一息入れる。

落ち込むのをやめて落ち着こう。聞かれて答えられなかったことで後から調べて伝えて意味のあることについては調べておこう。言いたくても英語では言えなかったことについてはどう言えばよかったのか考えておこう。そうしたことの繰り返しもなしに、ある日突然好きなことを好きなように英語で言えるようになっているなんて、絶対にありえない。あとはリスニング。これは場数を踏むしかない。世の中に英語教材は星の数ほどあるが、たいていはネイティブスピーカーの綺麗な発音が収録されている。だが、実際の場面では非ネイティブどうしの変な発音でのコミュニケーションが主なのだ。素早く相手の訛りに適応することが大事。そして、聞きとれなかったことについては「いまなんて言ったの?」と聞き返す度胸をもたないといけない。リスニングを向上するために自分の発音を直す努力も必要だ。

昼食はお気に入りの 天下一品北白川店。夕食は一人で、四条富小路を少し上がったところにある 麺屋虎杖(いたどり)の カレーつけ麺。夕食後、四条のジュンク堂で少し本を見て、ただし何も買わず、コンビニでビールを買って宿に戻る。調べてみると、10月には京都御所の土曜の観覧も可能だが、そのためには9月中に申し込みをしないといけない。時代祭については京阪の祇園四条駅でチラシを見つけたので明日コピーして皆に配ることにする。懸案だったタマ妻の保険についてはすでに情報を受けとっていてお金を振り込むだけ。それだけのことを調べて必要事項を大学の事務方とタマシュにメールし終ってから、風呂に入り、そしてビールを飲む。一晩ゆっくり休んで、明日またがんばるしかない。朝、徒歩で京大に向ったこともあって、歩数計カウント15,883歩。


2011年10月18日(火)はれ

生まれ育った地元の、四半世紀のうちにすっかり様変わりした町並みを歩いて、父が入院している病院に行く。つい数年前までアグレッシブなムードを醸し出していた父も、病気をしてから油っけがすっかり抜けて、見るからに「正しい年寄り」になっている。だが口だけはまだまだ達者で相変らずだ。できるだけ手と口だけはマメに動かして、頭が弱くならないようにしてほしい。父には学歴とかアカデミアとかに対するコンプレックスが少々あるようで、いまだに大学入試やノーベル賞の話が大好きだ。「もう本は書かへんのか?」などと言うから「いや構想はあんねけど、あんなだらしない本は2回書くわけにいかへんから、次はもっとちゃんとした本にせないかん。もっと専門的な本にするさかい、いつになるやわからんけど、そんな言うてくれるんやったら、お父さんが生きてるうちに書くことにすっさかい、まあ、書き終わるまで生きとり」と答えた。両親と話すときばかりは俺も京都弁が戻ってくる。年末には妻子を連れてきて、父に孫の顔を見せてやらねばなるまい。

病院からJRの駅まで歩き、電車で京都駅へ。アバンティの書店で一冊だけ数学の本を買い、地下の銀座ライオンでカツカレーを食う。アバンティのテナントも、四半世紀のうちにもちろんいろいろと入れ替っているが、レストラン街の銀座ライオンと千房とスエヒロと杵屋あたりは健在。上の階の洋服屋も、なんというか、派手めの若い女狙いのキッチュなムードがあいかわらずどころか、かつての宝石屋や和菓子屋のような高級感のあるテナントがおおむね引き払ってますます顕著にB級路線まっしぐらなので、変な言いかただが、「実際以上に懐しい」感じがする。19歳から20歳にかけての、ほんの一年間だが、アルバイトのために日参していたので、ここには他のファッションビルにはない愛着を感じる。

いったん実家に帰って少し昼寝をし、父の書棚から、案の定開いた形跡がほとんどなく新品同様のキューネン訳本を取り返して、四条河原町近くの宿へ移動。俺は今年のRIMS研究集会の幹事で、もっぱらここに宿をとっているはずのゲストの数学者たちに応対する責任もあるので、早めにチェックイン。行ってみてわかったのだが、先月宿泊者名簿をファックスしたとき、俺がまぎらわしい書きかたをしていたせいで、予約に間違いがあった。他のゲストが来る前に気がついてよかった。きょうの神戸セミナー(バルセロナのバガリアさんがΩ-ロジックを語る)を泣く泣く諦めたのは、実は正解だったのだ。だが、チェックインしてしまえば特にすることもないので、Skypeで妻子と通話したり、昨晩のソレツキさんとの会話がきっかけで思い出した数学の結果をノートに再現したりして過ごす。

夜も7時半ごろになってようやく、神戸でセミナーを終えた人たちが移動してきたので、皆で夕食に行く。インド南部の出身で菜食主義を厳格に守っているディリップをまじえての食事なので、どこへ行くかが大変問題だ。日本人ばかりなら焼き肉にでも行きたいところだが、今回ばかりはそうもいかない。悩んだ末に「このさいインド料理がいちばん無難」という冗談半分の解決法を提案したら、ディリップが近所にうってうけのインド料理屋があることを思い出してくれて、そこへ10人で連れだって行く。 アショカの京都店。場所は四条寺町のサイゼリヤがあるビルの3階。シュリヴァスタヴァさんとサルバディカリさん、バガリアさん、アンドリュー、サム、ベルンハート、ディリップ、謎の東洋人フチノさん、サカイくん、そして俺。あとからゲシュケさん (Stefan Geschke) が参加。うまい料理がそこそこリーズナブルな値段で食えて、かなり満足。昨日といい今日といい、料理には恵まれている。しかし昨日といい今日といい、タマシュと奥さんが会食に参加できなかったのは残念だ。タマシュと奥さんは伏見稲荷に行ってきたそうで、疲れたから早く寝る、とのことだった。


2011年10月17日(月)はれ

電車で神戸へ。神戸大学のロジックセミナーに顔を出す。発表者は Sławomir Solecki, Shahi Mohan Srivastava, Tamás Mátrai という豪華メンバーだ。Soleckiさんの話は抽象化・代数化されたセッティングでの有限ラムゼイ理論へのアプローチ。ラムゼイの定理や双対ラムゼイ定理(グレアムとロスチャイルドの定理)など関連する結果が群の集合への作用のをうんと弱めたアクトイドという構造にかんする定理によって統一されるよ、という話。arXivにプレプリントも上っている。Srivastavaさんの話は “可算生成の弱いσ代数に定義された確率測度はボレル確率測度に延長できる” という古い結果を、可測空間上の確率測度の族への可測写像に対して一斉に、かつ、可測性を保って適用するという、ある種の単葉化(Uniformization)の話で、なんだかとっても《記述集合論》していた。Tamásの話はヒルベルト空間の有界作用素の族にいろいろな位相を入れたときに、どんな性質が「典型的 (typical)」になるかというテーマ。弱位相と強位相とではそれぞれにユニタリ作用素の族の果たす役割が重要だが、ノルム位相ではまったく様子が違う、という話だった。本人のホームページにプレプリントがある。タマシュの話は、例によって、導入とまとめのところにジョークがふんだんに入っていて楽しかった。

セミナー後、六甲道の小料理屋で夕食。メンバーは、Soleckiさんと奥さん、Srivastavaさんと奥さんのSarbadhikariさん、Joan Bagariaさん、ブレンドルさん、サカイくん、Dilip Raghavanくん、それに俺。2人のポーランド人と3人のインド人と1人のドイツ人と1人のスペイン人と2人の日本人がイギリス人の言葉で会話する。今夜は俺は京都の実家に泊るのでSoleckiさん夫婦と一緒にJRに乗って帰る。芦屋の駅では、乗り換えでバタバタして二人に申しわけなかった。新快速なんか俺一人ならまず利用しないものだし、乗り換えなんてアーバンライフなものには慣れていないのだ。


2011年10月16日(日)はれ

こどもたちを教会学校に連れて行き、それから大街道で松山市主催の「みんなの生活展」というのを見る。最初は、さっと見て早く帰って昼飯を家で食うつもりだったのだが、いろいろのブースを見てまわると意外に楽しくて、ずっと見てまわっているうちに、【娘】の同級生ユーリちゃんのお母さんの洋服屋さんの前まで来た。時は午後1時。ユーリちゃんのお母さんが家に電話してユーリちゃんを呼び出してくれて、うちの4人とユーリちゃんがいっしょにお昼を食べ、そのあと【娘】とユーリちゃんが一緒に遊ぶ、という話がまとまった。

間伐材利用のアルプホルン
あるブースでは間伐材を削って作ったアルプホルンを展示していた。
無理を言って吹かせてもらったら、ぽへー♪ という感じでソフトな音が出た…
…と思ったが、案外大きな音だったらしく、沿道の店のおばちゃんが驚いていた

ユーリちゃんが来るまでの間、JTのブースでもらったゴミ袋とトングを持って、道に落ちたゴミを拾いながら銀天街まで足を延ばす。auショップにiPhone4Sの実機が展示されている。触ってみると、パソコンのキーボードやiPadに慣れた手では、意外と文字が打ちにくいし、どうやらテザリングもできない設定になっているらしい。それはやっぱり魅力が半減だなあとは思うけど、これだけしばしば妻の実家に帰省していて、そのたびにネットワーク機器がガラケーだけになるのもやはり不満であり、その点iPhoneがあればメールとTwitterだけでもパソコンと同じく使えるはず。月賦にすると機材の代金もそれほど負担にもならないようなので、また時代の流れに乗ってみるつもりで、機種変更の予約をしてきた。

道端のゴミを拾う活動というのは、月一回くらいのペースで定期化してもいい気がする。俺がいまの【娘】や【息子】くらいの年齢だった頃と比べて、タバコの吸殻や犬のウンコなんかは随分少なくなった。だがそれでも、日曜日の繁華街にはやはり飲み物の空容器などを放置していくおバカちゃんがまだまだいる。ゴミ拾いは、実際やってみるとわかるが、なによりもゴミに対する意識が変わる。だから、ゴミ拾いの活動で人を啓発する機会が増えれば、ポイ捨てする人たちを根絶はできないまでも、考えもなく手元の不要物を道に捨てる人は減るように思う。いや、実際のところ40年前と比べればずいぶん減っているわけだし。

さてさて、ユーリちゃんを交えて、まずは昼飯。銀天街のはなまるうどん。それから、またちょっとずつゴミ拾いをしながら、円光寺の境内の公園で遊ぶ。ユーリちゃんに iPad のエアホッケーを教えたら、あっという間にコツを覚えて強くなった。

いろいろあって一日楽しかったが、予期に反して長く街にいたので、明日の出張の準備が遅れているのだった。


2011年10月15日(土)くもり

どうやら、【娘】の小学校は『坂の上の雲』でおなじみ明治の俳人正岡子規の母校でもあるらしい。昨日10月14日は子規の誕生日。今年は道後の「子規記念博物館」の開館30周年でもあり、子規の後輩である【娘】たち4年生が絣の着物を来た子供のころの「のぼさん」に扮して道後の温泉街をパレードした。俺はパレードには行けなかった。というのも、携帯電話を忘れて出かけたうえ、集合時間を間違えてずっと銀天街のサンマルクカフェで講義のレジュメを作っていたからだ。だが、この子規さんのイベントは各種メディアの取材を受けて、【娘】も新聞記者のインタビューに答えたらしい。

少なくとも翌日の愛媛新聞と朝日新聞愛媛版ではちゃんと写真入りの記事になっていた。とくに、朝日にはインタビューに答えた【娘】の発言が一言だけだが掲載されていたよ。そして、どちらの記事の写真でも、パレードについて歩いていた妻がチラっと写っている。(2011年10月16日記入)


2011年10月14日(金)あめ

このところたくさん書いて「お徳用て日々」だったので、今夜はさらっといきます。ピアノレッスン後、職場の飲み会。10月1日に新規採用された若い解析学者100,000,000さんの歓迎会だ。ミキ学科長に説教されて、念書を一筆書いてきた。

念書
平成24年度秋に, 科研の申請を, もしも しなかったならば,
罰ゲームとして, 頭を丸めヒゲを剃ることを, お約束します.
平成23年10月14日 ふじたひろし

また生えてくるとはいえ、髪もヒゲも惜しいっちゃあ惜しいので、ずっとサボってきた科学研究費補助金の申請を来年にはやらねばなるまい。いや、冗談はともかく、数学の振興という面から考えても、盛んに研究している姿勢をもっとアピールしたほうがいい。だから、ミキ学科長と相談して申請のモチベーションを上げる秘策を練ってきた。それは何か? いやあ、それをいまここに書いたら秘策じゃなくなっちゃうから…


2011年10月13日(木)くもり

整列集合の基本的な性質について書いてしまったのだから, 勢いを駆ってツェルメロの整列定理の証明も書いてしまおう. この講義で採用している素朴集合論的な立場では, 整列集合の理論に先立って順序数を使うわけにいかないので, ツェルメロの論法に近い方法を使う:

証明のあらすじはこうだ: 集合 \(A\) の部分集合からの選択関数 \(F:\mathcal{P}(A)\setminus\{\emptyset\}\to A\) が与えられたとして, \(A\) の部分集合を定義域とする整列集合のうち「各要素がそれを切り口とする切片の補集合から \(F\) によって選ばれる代表である」という条件をみたすもの全体を考え, それを \(\mathcal{X}\) とする. この \(\mathcal{X}\) に属するふたつの整列集合を任意にとってみると, 相異なるふたつの整列集合が同型になることがないうえ, 必ず一方が他方の切片になっている. そこで, \(\mathcal{X}\) に属する整列集合すべてを重ねあわせることで、長い整列集合 \(A^*\) を作ることができるが, このとき実は \(A=A^*\) となっていることがわかる. こうして \(A\) は整列可能となる.

公理的集合論では, どんな整列集合よりも長く整列された順序数全体のクラス \(\mathbf{ON}\) を定義できるから, 超限再帰によって整列定理を証明できる:

上の証明と同じく選択関数 \(F:\mathcal{P}(A)\setminus\{\emptyset\}\to A\) が与えられたとして, クラス関数 \(\mathbf{G}:\mathbf{ON}\to A\cup\{A\}\) を \(A\setminus\mathbf{G}{“}\alpha\neq\emptyset\) のとき \(\mathbf{G}(\alpha)=F(A\setminus\mathbf{G}{“}\alpha)\), \(A\subset\mathbf{G}{“}\alpha\) となったら \(\mathbf{G}(\alpha)=A\) とすることで再帰的に定義できる. \(A\setminus\mathbf{G}{“}\alpha\neq\emptyset\) であるかぎり \(\mathbf{G}(\alpha)\notin\mathbf{G}{“}\alpha\) となるように選ばれていくので, もしも \(\mathbf{G}(\alpha)=A\) となる \(\alpha\) が存在しないなら \(\mathbf{G}\) が \(\mathbf{ON}\) から \(A\) への単射となってしまう. しかし, \(A\) が集合, \(\mathbf{ON}\) は集合でないので, これは置換公理と矛盾する. \(\mathbf{G}(\alpha)=A\) となる最小の \(\alpha\) をとると, \(\mathbf{G}\upharpoonright\alpha\) は \(\alpha\) と \(A\) のあいだの全単射になっているから, \(A\) に \(\alpha\) の順序づけを誘導することで, \(A\) は整列可能である.

昨日の日記にも書いたとおり, ツェルメロによる整列定理の証明は論争の種となった. フランスの解析学のグループからの批判は, もっぱら選択関数というものの非構成的性格に集中し, 《実例を与えることなく対象の存在を主張できるか》という問題をめぐって展開されたのだった. 選択関数をブラックボックス化してその存在を認めてしまえば, 整列定理の証明のアイディアは, 運動会の玉入れの判定のときのように, まだ選ばれていない要素をひとつづつ次々に選んでは並べていく操作を可能な限り長く続ければ, いずれすべての要素を整列させることができるだろう, というシンプルな発想に帰着する. 上に概略を述べた二つの証明は, この同じ発想の二つの表現である. 整列定理そのものは非構成的な存在定理だが, 選択関数が与えられて以降の議論は案外構成的になっていて, 同じ選択関数 \(F\) からは, どちらの方法によっても(単に同型であるというのではなく) 同一の順序づけが与えられる. すなわち, 第一の証明で得られた順序づけの順序型は第二の証明の \(\alpha\) と一致し, その \(\alpha\) から \(A\) への順序同型写像は第二の証明の \(\mathbf{G}\upharpoonright\alpha\) と一致する.

そのことを確認したうえで, ここでは二つの証明の性格の違いに注目しよう.

第一の証明をここでは概略だけ述べたが, 詳細を検討すると, この証明がたいへん非述語的 (impredicative) なものであることに気づく. ある一定の条件をみたす整列集合をすべて集めた大きな集合 \(\mathcal{X}\) を考え, その最大の要素をとりだすことで \(A^*\) が得られるのだから, 探し求めていた整列集合 \(A^*\) は, そもそもの最初から \(\mathcal{X}\) という集合に入っていたことになる. つまり, \(A^*\) は, \(A^*\) 自身を要素として含むより高階の集合を媒介として定義されている.

この論法は, ボレル集合の\(\sigma\)-集合族を《すべての区間を含む\(\sigma\)-集合族を全部もってきた, その共通部分》と定義するのと同様の非述語的性格をもっていることになる.

第二の証明は, 選択関数 \(F\) という「外部装置」にお伺いを立てることによって順序数に要素を割りあてていく「機械」の記述になっている. ここでは第一の証明にあった非述語的性格は姿を消しているように見える. 「十分多くの順序数が存在する」という前提に非述語性 (impredicativity) が集約されているわけだ. 公理的集合論では, この前提は置換公理によって保証される.

さきほどボレル集合の族について言ったことを引き継いで言えば, 第二の証明の論法は, 生成元としての区間から可算和と補集合の演算を繰り返して, これらの演算について閉じるまで集合族を拡大していくことによってボレル集合の\(\sigma\)-集合族を与える, という方法に対応する.

整列定理の証明とボレル集合の族を例に出したが, 別の例として, 群の部分集合が生成する部分群の定義においても, その部分集合を含む部分群全部の共通部分を考えるという, 非述語的に上から押さえ込むような定義と, 要素の演算結果を集合に追加して, 群の演算について閉じるまで部分集合を拡大していく構成的な定義とを対比することができる. 要するに, こうした対比は, 数学の実践のなかでしばしば出会う, かなり普遍的なものなのである. 演算の結果から閉包を再帰的に作っていくことで, 非述語的に与えられた対象を構成的に再把握すること. これは再帰理論のひとつの基本テーマになっていて, 1970年代にはすでに モシュコヴァキス (Y.N.Moschovakis) による «Elementary Induction on Abstract Structures» (North-Holland Publishing 1974/Dover 2008) というモノグラフがこのテーマに沿って書かれている.

構成可能的集合の宇宙 \(L\) も, 非述語的には《集合論の最小の内部モデル》と特徴づけされる対象を再帰的・構成的に作っていくことで得られる. この \(L\) についてゲーデル自身が語っているとおり, 再帰的な定義においては, 非述語性は十分多くの順序数の存在という前提を充足させるところに集約される.

それでは, 《十分多くの順序数の存在の要請》という特定の形の impredicativity に, 他のあらゆる impredicativitynon-effectivity を還元してしまえないだろうか.

その構想は集合論においては巨大基数公理という形であらわれる.

もちろん \(L\) と \(V\) では順序数がちょうど同じだけある, とも言える. だが, じつは \(L\) は狭いクラスなので, それだけ多くの順序数を扱いきれない可能性がある. たとえば, 可測基数や超コンパクト基数のような巨大基数があると, (\(V\) の) 最初の不可算基数 \(\aleph_1\) のはるか手前で, \(L\) の構造はある意味で「飽和」してしまう. それが \(0^\sharp\) の理論の教訓である. とすると, 巨大基数は十分多くの順序数の存在を保証するというより, 順序数の多さを正しく評価する手段の存在を保証してくれるものなのかもしれない...ふむ...

2011年10月16日追記: しかし実際のところこのツェルメロの証明が、本質的に非述語的なのか、あるいはそうでもないのか、ちょっと自信がなくなってきた。この日に書いたようにこの証明が「たいへん非述語的」なのであれば、公理的集合論における順序数上で再帰的に定義された函数の存在証明も、同じ程度には非述語的ということになる。そういえば、前原昭二『数学基礎論入門』でも算術の形式的体系における再帰的定義は暗に2階の対象に言及する形で行われている。個々の値を再帰的に計算しているだけならともかく、定義された函数を、形式的体系における「対象式」なり集合論的な意味での「函数」なりとして捕えようとすれば、その議論はある程度の非述語的性格をもたざるを得ないということなのかもしれない。

やるきのないあひる

もちろん, こんな「危い」話はレジュメには書かない. 書くのは整列定理のツェルメロ流の証明だけだ. 張り切ってパソコンに向って \(\TeX\) のコードを入力していたら, 不意に iPad のアラームが鳴って, 虚を突かれた俺はびっくり飛びあがった. そうだ. きょうは医者に薬をもらいにいく日だった. 医者でいつものように血圧を測る. やはり少々高めだ. 先生が「やせりゃ問題ないんだけどね」と言う.

先生> ビールがいけないね
 俺> ええ. まあ夏場は毎日ガバガバ飲んでたし, いまも日に一缶くらい飲みますからねえ
先生> ウイスキーか焼酎にしなさい
 俺> …せせせ, せんせいそれどーゆーアドバイスで…
先生> ビールの糖類がいけないから, 蒸留酒に替えなさいって
 俺> ふつうそういう時って《酒やめんと危ないよぉ》とか言うもんじゃ…
先生> やめられたらそれに越したことないけど, やめれんでしょ?
 俺> ぷぎゃー, そのとおりです

お見通しであった. まあ, ビールがおいしい季節も過ぎたし, ウィスキーに替えるのにやぶさかではないが…


2011年10月12日(水)くもり

誰が言いだしたか知らないが(嘘)、きょう10月12日は16進表記で0A月0C日だから、Axiom of Choice すなわち選択公理の日なのだそうだ。というわけで、あまり選択公理がらみという話でもないが、いきなり数学ネタ。

半順序集合 \((A,\leq_A)\) と部分集合 \(S\subset A\) を考える. いま \(A\) の要素 \(a\) が \(S\) の上界であり, しかも \(a\notin S\) であるなら, これを \(S\) の「強い意味の上界」と呼び, そのような \(a\) があるとき, 集合 \(S\) は「強い意味で上に有界である」ということにしよう. 定義からすぐわかるとおり, 各要素 \(a\in A\) を切り口とする切片 \[ \mathrm{seg}_A(a):=\big\{\,x\in A\,:\, x<_A a\,\big\} \] は強い意味の上界 \(a\) をもつから, 強い意味で上に有界である. また, 要素 \(a\in A\) が集合 \(S\subset A\) の強い意味の上界であるためには \(S\subset\mathrm{seg}_A(a)\) であることが必要かつ十分である.

つぎに, 集合 \(S\subset A\) について, \(x\leq_Ay\) かつ \(y\in S\) のとき 必ず \(x\in S\) となるなら, \(S\) は「下向きに閉じている」ということにしよう. これは \[ \forall s\in S\big(\,\mathrm{seg}_A(s)\subset S\,\big) \] というのと同じことである. これまた定義からすぐわかるとおり, 切片 \(\mathrm{seg}_A(a)\) は下向きに閉じている.

たとえば有理数全体の集合 \(\mathbb{Q}\) を通常の順序で全順序集合とみなしたときには, \(\sqrt2\) 未満の有理数の全体のように, 強い意味で上に有界で下向きに閉じているが切片でない部分集合が存在することになる. いっぽう, \((A,\leq_A)\) が整列集合である場合には, 強い意味で上に有界で下向きに閉じている部分集合 \(S\) に対して, \(a\) として \(S\) の強い意味の上界のうちで最小のものをとれば \(S=\mathrm{seg}_A(a)\) となる. すなわち,

定理: 整列集合においては, 強い意味で上に有界で下向きに閉じた集合は, すべてある要素を切り口とする切片である

ということになる. じつはこの命題の逆も, つぎの形で成立する.

定理: 全順序集合 \((A,\leq_A)\) の強い意味で上に有界で下向きに閉じた集合がすべてある要素を切り口とする切片であるなら, この全順序集合は整列集合である.

〔証明〕 仮に整列集合でないとすると, \(<_A\) にかんする無限降下列 \[ a_0>_Aa_1>_A\cdots>_Aa_n>_A\cdots \] が存在する. 集合 \(\{\,a_n\,:\,n\in\omega\,\}\) を \(C\) とおき, その下界全体の集合を \(S\) としよう. 各 \(a_n\) は \(S\) の強い意味の上界になっている. また \(S\) は下向きに閉じている. そこで仮定より \(S=\mathrm{seg}_A(a^*)\) をみたす要素 \(a^*\in A\) がとれる. このとき \(a^*\notin S\) だから \(a^*\) は \(C\) の下界ではなく, ある \(n\in\omega\) について \(a^*\nleq_Aa_n\) となる. 順序づけ \(\leq_A\) が全順序なのでこのとき \(a_n<_Aa^*\) となる. すると \(a_n\in\mathrm{seg}_A(a^*)=S\) となる. つまり \(a_n\) が \(C\) の下界ということになるが, このことから \(a_n\leq_Aa_{n{+}1}<_Aa_n\) が導かれて矛盾する. 証明終.

なお, 互いに比較不可能な二つの要素のみからなる半順序集合を考えると, この定理の「全順序集合」というところを「半順序集合」に緩めることはできないとわかる.

以上, これは久しぶりに整列集合の性質についてレジュメを書くことになってあれこれ考えているうちに思いついたもので, まあ, あまり使い道があるとも思えないが, 知って邪魔になるものでもなし, 念のために記録しとくのだった.

やるきのないあひる

さて、きょうは「選択公理の日」であるばかりでなく「選択公理とバナッハ=タルスキの定理」を論じる大学院の講義の日でもある。この講義、しかしどうやら受講者は実質一人だけになるようだ。まあ大学院の講義なんてそんなものかもしれないし、そうと割り切れば、ターゲットが絞られているぶん、かえってやりやすい。その受講者1名さまはN教授のゼミ生で、位相空間論を専攻し、しかもいまちょうど GO-space (generalized ordered topological space) の理論を勉強しているところだという。それならツォルンの補題もさることながら、整列集合や順序数の理論を知っておくにこしたことはない。それで、選択公理と整列定理の同値性の証明を正攻法でやることにする。その準備段階として、整列集合の性質の基本のところをきちんと証明つきでレジュメに書こうとしているわけだ。整列集合の理論については、学生時代に勉強して、ずいぶん めんどくさく ややこしかった印象が残っていたが、いま自分で書き直してみると、それほどのことはない。ただし、自分では明快なつもりでいても、初めて学ぶ人にとっては、俺が初心者だったときと同じように ずいぶん めんどくさく ややこしく感じられることは十分ありうる。そう考えると、トリヴィアルなことや簡単なことも侮ることなく、ていねいに書く労を厭わぬように心がけなければならないと気づかされる。

やるきのないあひるやるきのないあひる

ところで、「選択公理の日」を本当に制定するとしたら、10月12日より9月24日がふさわしい。というのも、ツェルメロが整列定理の最初の証明を手紙でヒルベルトに知らせたのが1904年の9月24日だから。選択公理が世のひとに知られるようになったのは、この手紙を読んだヒルベルトが、その証明を論文として Mathematische Annalen 発表するように促したことによる。

ツェルメロの証明は国際的な論争を巻き起し、ドイツとフランスの数学者の精神風土の違いを期せずして明らかにすることになったのだけど、この論争をきっかけとして、その翌年ルベーグがあの「解析的に表示される函数について」という長編論文を発表し、それが記述集合論の礎となったのだった。こうして、話は昨日の日記に書いたグレアム&カンターの本とも関わってくることになる。

あ、ここで念のため書いておきますけど、この『無限とはなにか?』を読んでも、数学的な意味での「無限とはなにか?」がわかるようにはなりません。プロティノスやウィリアム・ジェイムズの哲学には言及していますが、数学の話題に深く触れているところは少ないし、その少ない数学的概念の解説も、あまり的確とはいえないので、モスクワ学派やボレルたちフランス解析学派の 数学 の概要を知りたいという期待をもって読んだら、がっかりすることになりそうです。もちろん面白いしいろんなことを考えさせられる良書ではあるんですけど、そもそもこれは、モスクワ学派の人と思想を回顧しながら宗教思想と数学思想の関係を考える、という本であり、数学の本というわけではないのです。じゃあ、その数学的側面を知りたい人はどうすればいいのか、というと…ゴホッ、ゲホゴホ…


2011年10月11日(火)くもり

読んだ本のレポート。といっても、今日読み終えたというわけじゃなくて、土曜日には読み終わっていたのだけど、連休中の日記はごらんのとおりそこそこ分量があるので、これといって書くことのない普通の日に書くのだった。

ローレン・グレアム/ジャン=ミシェル・カンター共著『無限とはなにか? カントールの集合論からモスクワ数学派の神秘主義に至る人間ドラマ』(吾妻靖子訳, 一灯舎 2011年)。原書は Loren Graham and Jean-Michel Kantor “Naming Infinity: A True Story of Religious Mysticism and Mathematical Creativity,” Harvard University 2009.

邦訳のサブタイトルが内容の概略を語ってくれている。モスクワ数学派とは、エゴロフを源流としルジンのもとで大いに興隆したモスクワ大学の数学の一派で、そこには、アレクサンドロフ、ウリゾーン、ススリン、コルモゴロフ、ヒンチン、シュニレルマンといった大数学者が名を連ねている。この本でとくに注目されているのはエゴロフとルジン、そしてロシアのダ・ヴィンチとの異名をとったパーヴェル・フロレンスキーの三人だ。フロレンスキーは数学者であるとともにロシア正教で異端とされた讃名派という宗派の司祭であった。讃名派は特別な「イエスの祈り」を唱えることで神との神秘的一体化を経験する、ギリシャ正教でいうヘシュカズムを特徴としているが、その神学は「神の名は神であり、神を名付けることは神を作りだすことだ」と解釈できるようなものであったため、正統なロシア正教の教義からは異端とされたようだ。しかし、著者たちは讃名派の神学の「名付けることで存在者に実在を与える」という発想に注目する。そこには、カントールの集合論に通じるものがあるからだ。

エゴロフ、ルジン、フロレンスキーという「ロシアのトリオ」に対比する目的で、この本ではボレル、ベール、ルベーグという「フランスのトリオ」についてもかなりのページ数を割いている。カントールが創始した集合論が、当初は応用を念頭に置かずにカントールとその弟子たちによって展開されていたのだが、積極的に集合論を応用し、函数論の刷新の可能性を示したのはボレルの功績であった。ベールは集合論の採用によって存在が全面的に認められることになる不連続函数の理論を展開し、ルベーグはボレルの測度概念を拡張して新しい積分論の基礎とした。このように、解析学への集合論の応用の道を開いた「フランスのトリオ」だが、彼らはほどなく超限集合論には背を向けて古典的方法論に引き返してしまう。著者たちは、その理由をフランス文化におけるデカルトの伝統、すなわち、なによりも明晰さを重んじる姿勢に見出している。彼らには数学と哲学と神学を一緒くたに考えようという発想はないが、カントールの思想はまさにそういう方向を模索するものであった。また、集合論が「指名できない対象の存在」という要請を含むことが、ツェルメロの整列定理の証明をめぐる論争を通じて明らかになった。そうした事情が、フランスのトリオが集合論に見切りをつけた理由であろうというのだ。この三人の転向は俺も気になっているところなので、たいへん参考になった。また、この本でルベーグは記述集合論の祖父のような扱いになっている。ルベーグが重視した、数学的対象を指名すること (nommer) が、ロシアの讃名派の神学に呼応し、のちにルジンをして記述集合論の創始に向かわせたのだろう、というわけだ。

ロシアのトリオは讃名派の信仰を共有し、数学とともに神学についても語りあう同胞だった。ロシアの文化的伝統に従って、数学の思想は哲学や倫理の問題とも重ねあわせて論じられた。この文化的伝統は、カントールの集合論を受け入れる土壌として好適だった。エゴロフとルジンはフランスで学び、ボレルやルベーグの知己を得て、集合論をロシアに紹介する。名づけること(定義すること)の重要性をルベーグから学んだルジンは、第二級順序数のすべてを網羅する記数系を探し求めたり、ボレル集合でないルベーグ可測集合を実効的に指名しようとする。そうした試みのなかで、学生のススリンがルベーグの1905年の論文「解析的に表示できる函数について」に些細な誤りを発見する。ルジンはただちにその誤りが重大な結果を生むことに気づく。ススリン集合、いまでいう \(\Sigma^1_1\)-集合発見の瞬間である。彼らは、ボレル集合より真に広い、実数の名付けられる集合のクラスを発見したのだ。1916年10月のことだそうだ。このとき、記述集合論が誕生したといってよい。

「指名すること/名付けること」を重視するルジンのこの姿勢は、しかし弟子のアレクサンドロフには受け継がれなかったらしい。アレクサンドロフは「難しすぎる問題」(おそらく射影集合の性質をめぐる独立命題だろう)をルジンに与えられたせいで、記述集合論を快く思っていなかったようだ。アレクサンドロフとウリゾーンを源流とする位相空間論は、ルジンの記述集合論に対するオルターナティブであり、選択公理を全面的に援用し、指名できない対象の存在を完全に容認する。のちには結局そちらがブルバキにも採用され、数学の基礎概念として主流になっていく。

エゴロフとフロレンスキーは讃名派の信仰をソヴィエト体制下でも隠さなかったがゆえに、反動的インテリゲンチャの汚名を着せられ当局に殺されてしまう。ルジンは信仰を隠してモスクワ大学に残ったが、彼もまた、スターリン時代にあわや粛清寸前の憂き目にあう。この時代のロシアの人々の思想を語るには、スターリン独裁下の政治という、泥臭いというよりもはや血腥いと言わねばならないものが、どうしても関わってくる。この部分は、読んでいて暗澹とさせられた。

そのほか、ウリゾーンの死の顛末などにも触れていて、内容豊富で面白い本である。ただ残念ながらちょっと訳がおかしなところがあった。プロティノスの哲学を解説する次の文章:

彼の考えた体系には「絶対者」、「霊」、そして「魂」という三つの中心的な要素がある。「絶対者」はすべての存在を超越し、プロティノスが「流出」と呼んだプロセスを通じて、「霊」や「魂」を含むすべての存在に実在を与える。(154ページ)

これはまあ、わからないでもない。ありとしあらゆるもの(存在者)の 存在それ自体 は、それら存在者の地平を超越している、というのは、まあよくある考え方だから。が、次の一文は理解できなかった:

プロティノスの世界観の一部は、「霊(知的存在)」は「絶対者」の瞑想を通じてほかのすべての実在と関連のある基盤として機能する形態を生み出す、というものだ。(154ページ)

知的存在である霊は、絶対者を瞑想してなにかを生み出すのか、それとも瞑想している絶対者を通じてなにかを生み出すのか。「ほかのすべての実在と関連のある基盤として機能する形態を生み出す」はどういう区切りなのか。「ほかのすべての実在と関連のある」「基盤として機能する形態」を生み出すのか、それとも「ほかのすべての実在」と「(関連のある基盤として)機能する形態」を生み出すのか、それとも「機能する形態」を「ほかのすべての実在と関連する基盤として」生み出すのか。そもそも「形態」とは何のことか。さっぱりわからない。

きっと、この「形態」というのはプラトンのいわゆるイデアあるいはアリストテレスのいわゆるエイドス(形相)のことなのだろう。細かいところはやっぱりわからないが、もの《がある》という事実存在は「絶対者」からの流出であり、それが何《である》かという本質存在のほうは、「絶対者」を看取する「霊」が関与して生み出される、と言いたいのだと、とりあえず推測するしかない。

このあたりの読解についてはTwitterで 山椒魚K さんに、イデアもエイドスも「見る」という意味の動詞 eido から派生したことばだという情報をいただいたほか、何人かの方のアドバイスをいただいた。ここで改めて感謝の意を表したい。しかしもちろん、上に書いたことの責任はすべて俺にある。(いや、責任はむしろ訳文にあると言いたいんだけど。) いずれあらためてプロティノスについて調べなくてはなるまい。

さて、記述集合論の源流を探るためには、フランスのトリオのほかにルジンの論文も読むべきだということがわかった。それに、この本ではあまり大きな役割を担っていないが、ハウスドルフの貢献もある。むむっ。がんばらなくちゃ。


2011年10月10日(月) 体育の日はれ

お昼前に義父母の家を出発。周防大島(屋代島)の伊保田港に向かう。そこから船に乗って松山へ戻るのだ。周防大島では高齢化・過疎化で余った土地が別荘地として売られている。産業らしい産業が農業と林業と漁業しかないから、たくさんの人が住むにぎやかな所にするのはこの先も難しいだろうが、別荘にはちょうどいいかもしれない。海はおだやか。見晴しはいい。海水浴場が目の前にある。海産物が豊か。人里から離れているといっても車を一時間も飛ばせば橋をわたって対岸の柳井まで行ける。沿道の別荘を横目に見ながら、ひとつお金持ちになってここへ別荘を建てて友達を呼んで酒を飲もうなんて、妻と夢物語にひとしきり花を咲かせる。

酔って雑魚寝するような歳でもないからちゃんとした客室が必要だね。
テレビは要らねえや。
けどネットワーク接続は要るね。
無線とか届かないだろうから光ケーブルか。
CATVはあるはずだから可能なんじゃない?

自宅のローンでひぃひぃ言っている身の程を顧みず、夢は広がる。このさい、学術会議ができるような会議室を作って、集合論の会合を開いてしまえ。

とすると、10人くらいは泊まれるだけの客室がいるね。
あと、会議室とダイニング。
談話室というかラウンジもあるにこしたことはない。
厨房だって手伝いのおさんどん3人くらい立てるようにしないと。
あと風呂がいる。露天風呂。
海水風呂ってどう?
夏場のあせもとか一発で治りそう。
けど、冬場半年放っといたらフジツボだらけになったりして。
うーん。管理が大変だから却下ね。

なに、管理が大変もヘチマもあるものか。所詮すべては夢のまた夢である。住宅ローン返済中のビンボーでグータラな一介の大学教師が、しかももうすぐ五十歳の声を聞こうという頃になって一躍お金持ちになるなんてことがあるはずはない。もしも、なにか偶然の積み重ねで俺が長者さまになったとしたら、それはそれで、俺が常々腹を立てている《世の中の不公平さ》のまぎれもない実例になってしまうことだろう。ただ、お金が手に入ったら、俗っぽいことに使うんじゃなく、学術振興のためにちょっとでも貢献できる使いかたをしたいとは思ったのだ。まあ、その前に自宅のローンを片づけないといけないんだけどね。

世の中にはお金もちの学者さんも (とくに医学系には) いて、客間はともかくセミナー室と露天風呂を自宅に実現してしまった例もある、とは医療系の学者に知り合いの多い妻の報告。数学ではちょっとありえない話だ。ううむ。あの《双倉図書館》は実現できないのだろうか。

考えてみれば、集合論の会合を開くのに別荘なんか必要ない。道後温泉のホテルにでも会場を借りれば、もっと立派なおもてなしができる。大学を会場にしていいのであれば、お金だってほとんど要らない。やるべきことは、お金を稼ぐことではなく、そんなふうに人と人の交流する機会を作ることであり、また、その機会に自分が実質的な貢献ができるように精進することだ。あと、現実の自宅をもっと綺麗に片付けなくちゃ。というわけで、車が伊保田に着くころには、話もめでたく現実に戻ってきた。

夕食のカレーを作ったら大変好評。三津のラムーで買った牛スジが赤身たっぷりだったのが幸いだった。


2011年10月9日(日)はれ

義父母が山口国体の競技を見にでかけるというので、俺たちは4人でドライブ。介護の手伝いのためにしょっちゅう帰省するが、遠出するのは久しぶりだ。防府天満宮と山口県立美術館へ行った。

防府天満宮はたまたま花神子社参式という行事の当日だった。ちと早く着きすぎたようで、花神子さんの行列は見れなかったが、これから花神子さんを迎えに行くのであろう、花籠や馬をたくさん見ることができた。防府天満宮の年間通じての最大のイベントは11月の御神幸祭なのだけど、きょうの花神子社参式はそのプレイベントで、花神子さんが一夜づくりの御神酒をもって社参するのは、御神幸祭の大行司さん小行司さんがその役目を無事に果せるようにという、いわば陣中見舞という意味があるそうな。ふむ。

京都の祇園祭でもそうだけど、こういう御稚児さんが登場するお祭りを見ると、お祭りが済んだあとの御稚児さんの運命が心配になってしまう。いまどきの日本で人身供犠などあり得ないから、これはもちろんとり越し苦労なのだが、雛祭りの雛人形にも、遠足の前夜のてるてる坊主にも、お祭りの御稚児さんにも、なんとはなしに、遠い昔の血の匂いを感じるのだ。いや、すみません縁起でもないこと言って。

ジョリーパスタで昼食をとり、山口県立美術館の「防府天満宮展」に行く。ところが、子供たちは美術館に行くより図書館前の公園で遊びたいというので、期せずして夫婦のデートとなった。で、「防府天満宮展」というのはもちろん防府天満宮の宝物の展覧会。とくに「松崎天神縁起絵巻」は見応えがあった。

天神信仰のはじまりは、無実の罪で左遷され太宰府で憤死した菅公の怨霊を都の人々が怖れたということなのだけど、疫病や落雷といった災厄を「ありゃ菅公の祟りに違いない」と当事者以外の人々にまで言わせるものがなければ、天神さまを祀ろうなんて話にはならんわけで、当時から菅公左遷の政変劇は人の噂になり「みっちゃん(道真)にいちゃもんつけて太宰府送りだなんて、トッキー(藤原時平)もヒドいわよねえ」と言われていたんだろう。天神信仰の霊験を記している絵巻の第五巻に、いわれなく酷い目に遭っている人を天神様が助ける話が多いのも、つまりはそういうことだ。もとはそうやって、濡れ衣を着せられた怒りを収めようという形で始まった天神信仰だが、時代が下るにしたがって、七福神並みになんでもありの現世利益の神さまになっていった様子が、展示品からもうかがえる。

京都の北野天満宮まで目と鼻の先の妙心寺界隈で育った俺は、やはり北野天満宮を贔屓したいから、防府天満宮が「日本最初の天神さま」と自称して「扶桑菅廟最初」なんて巨大な石碑まで立てているのを見ると「京都なる北野天満宮こそ、天満宮の本宮なれ。あやなきことな申しそ。」とかなんとか古語で文句を言いたくもなるが、酒垂山に菅公を祀る古い祠ができたのが天神さまの最初だというのは本当のようだ。むろん太宰府には太宰府の、北野には北野の言い分があるので、このあたりはいろいろ読んだり調べたりすると楽しいだろうと思う。

美術館を出て子供たちと合流。公園に「山中健児の碑」というのがあった。誰だよヤマナカケンジって、と思って横をみると「最後の山中健児、卒業50周年記念」という石柱。最後のヤマナカケンジ? なんじゃそりゃ、と思ったらどうやらヤマナカではなくてヤマチューで、つまり「旧制山口中学の若者たち」のことだった。わははは。


2011年10月8日(土)くもり

入院先の病院から父が一時帰宅するので電話でもかけてこいと母が言うのだが、すっかりおっさんになった倅一人が電話するよりは孫の元気な声を聞かせるべきだと思ったし、自宅で一人で燻っていても仕方がないので、予定を変更して海を渡る。妻の実家から電話すると、父は体こそだいぶ弱っているようで、声に力がなかったが、意識はすこぶる明瞭なようだ。ハンガリーからタマシュ夫婦が来たときに実家に一泊させる話をしたら、いつもの調子で「すき焼きにするか?」と来た。父にとっては、ごちそう=すき焼きなのだ。ただ「わしが居らんでも、お母さんと相談してあんじょうやんなさい」と言ってもいる。頭のほうは心配ないが、病気は予断を許さない。本当なら子供たちを連れて見舞いに行くべきなんだろう。甲斐性なしで申しわけない。

けさは、11時40分の船に乗ると決めていたので、11時の出発前に自分の弁当と手土産のお惣菜(いつもの肉味噌ときんぴられんこん)を作ってたいへん慌しかった。義父母の家での夕食は海鮮鍋だったのだが、近所のマックスバリューに買い物に行くと、それを見越したかのように、スチロールトレイにカワハギやタラの切り身をラッピングして「海鮮鍋」とラベルを貼ったものが並んでいて、なんというか、悔しかった。ここのマックスバリューはいつもこうで「君たち大衆は、こんなようなものを食おうっていうんでしょ、どうせ」と言わんばかりなのだ。それがまた義父母の打ちだす路線をいちいち正しく予測しているところが侮れないのだが、天邪鬼の俺にはやっぱり悔しい。


2011年10月7日(金)くもり

サーバのアクセスログによると、同僚の (イニシャルだと二人ともYさんになってしまうので属性で呼びますけど) 巨人さんとゼータさんが、どうやら数日前にこの「て日々」を見てくれたようだ。そもそもが公開の日記だから見てもらって大いに結構だし、見られて困るようなことは書いていないのだけど、なんだかやっぱりちょっと妙な気分だ。もっとも、妙な気がするのは相手も同じだろう。ふむ。「てなさく世界」のホームページを見ればTwitterアカウントもわかるわけで、そちらを見るともっと妙な気がするはずだよ。

朝のOくんのゼミはOくん発熱のためお休み。子供たちの小学校は松山の地方祭のためお休み。同じ理由でピアノのレッスンもお休み。義父母の世話のため妻子は帰省してしまった。自分は、散髪に行ったほかはとくに何も手につかず。まあこういういろいろ低調な時はおとなしくして、読みかけのグレアム/カンター『無限とはなにか?』を読みおえてしまおう。


2011年10月6日(木)はれ

とてもとても気持ちのいい快晴。朝、Steve Jobsの訃報に接した。アップルの創業者にして指導者。ある意味、世界を変えた人。

俺もアップル製品との付き合いは長い。大学院時代に Macintosh SE や IIfx に触れたのが最初で、初めて買ったパソコンは Macintosh LC II だった。それ以後、Windowsも使うが基本Mac派で、いろんなMacをいじってきたし、いまは懐しいQuickTake100なんてのも使ったし、iPod も何台も買った。いまこの日記を入力している MacBook Pro や、日々持ち歩いている iPad もアップルの製品。先月横浜で旧交を暖めた仲間たちをはじめ、Macを使っていたおかげで知りあえた知人がたくさんいる。

iPad で表示したジョブスの遺影

仕事中は iPad の自動スリープを無効にし、バックライトの明るさを最大にして、ジョブスの遺影を掲げたApple.com のトップページを表示させておいた。ご冥福をお祈りしたい。

久々に夕食に茜屋のラーメン。


2011年10月5日(水)あめ

水曜日の午前中はKくんの卒業研究ゼミ。前原本の4章が終った。5章は来週一回で済むでしょう。と、ここまでは昨年のゼミとほぼ同じペース。昨年は週2回のゼミをやってどうにか前原本を通読したけど、今年はゼミ生3人がそれぞれ別々のことをやるから、一人にかけられる時間は限られている。今年度前期は2人が交代で別テーマのゼミをやっていたことを思うと、昨年度の半分の時間でほぼ同じ分量を読んでいるわけで、進捗としては悪くない。あとは理解がどれだけ進むかだ。

午後の大学院の講義では「選択公理とバナッハ=タルスキの定理」というテーマで話す。受講生少なくてちょっと残念だが、好きなテーマで話させてもらえるのは自分の頭の中を整理するいいチャンスである。

午後から小雨。ちょっと寒くなりそう。


2011年10月4日(火)くもり

火曜日の午前中は後期から卒業研究をとることになったHくんのゼミ。と思ったら、Hくん病欠のためお休み。午後は3年生向けの位相数学の授業。昨年と同様、位相幾何の初歩のところをやる。その後、夜9時頃まで明日の大学院向け講義のためのレジュメ作り。環の極大イデアルの存在の整列定理を用いた証明をツイッターで呟いたら、思わぬ方向に話が発展して楽しかった(→Togetterまとめ)。

お昼は久々の愛妻弁当。【娘】は一日学校を休んだが、熱は一日で下がったようだ。


2011年10月3日(月)くもり

子供らの小学校は運動会の代休でお休み。二人ともあまり元気がない。【息子】はちょっと熱があるみたい。と思っていたら、夜には【息子】は快復し、替って【娘】が発熱。


2011年10月2日(日)くもり

運動会当日。

わが妻とワニ准教授の奥さんは、PTA競技の裏方として活躍。ワニさんも来ているはずなのだが、見つけられなかった。俺も、【息子】の大玉転がしとダンスは観たものの、午後の部は眠くてたまらんのでドロップアウトし、職場へ移動して昼寝。妻の報告によると、娘の出演する高学年のダンスはとてもすばらしかったそうだ。ううむ。観れなくて残念。

ダグラスと15年ぶりに話ができた。ダグラスは街でわりと評判のいい語学学校の社長で、三人の子供はそれぞれうちの子供らと同じ小学校に通う。長男ダグラスJr.と【娘】、次男ショーンと【息子】は、それぞれ同学年。だから子供たちどうしは毎日顔を合せているし、俺は子供を連れていく道でダグラス奥さんとはよく顔を合わすのだけど、こういうイベントのときでないとパパ・ダグラスには会えないからな。


2011年10月1日(土)はれ

いがりす (@igaris) が「ウツがツレになりまして」などと意味不明なことを言うもので、なにか切り返してやろうと、YouTubeで「ツーレロ節」を発掘。コーラスが3拍子でリフは2拍子の5小節進行という、ふしぎな拍節感をもつこの曲は、もとは台湾民謡だそうだ。

一昨日夕食に行った「じぃ家」に、きょうは日の高いうちに食材を買いにいく。土曜日の午後限定で、地物の魚とオーガニック野菜の市をやっているのだ。野菜を何種類かと、アジとイカを買う。