て日々

2011年1月


2011年1月31日(月)はれ

聞くところによると、けさの最低気温は氷点下3℃だったそうだ。朝、道を歩いていたら、路面にこぼれた「水」を踏んで足を滑らせそうになった。打ち水が凍る程度には寒かったらしい。

日中は、仕事部屋の壁に古いベースボードヒーターがあったのを撤去する工事が入っていた。カバーや放熱フィンの撤去はなんでもないのだけど、コンクリートの床を削って配管を撤去する音がすごい。たまらず室外に出る。こんどは寒くてかなわん。といって、そうそう行くところがあるはずもない。仕方がないので、生協で早飯を食ったり、書庫へ入り込んで古い書物を物色したりして過ごす。

妻はきょう修士論文発表会で、さすがに子供の世話どころではない。俺のほうは夕方から数学談話会の司会をする。5時半までの講演のあと質疑応答なのだけど、6時までに幼稚園に【息子】を迎えにいかないといけない。幼稚園までは20分かかる。議論百出することは学術講演会としては結構なことなのだけど、私的な理由で今回は気が気でなかった。


2011年1月30日(日)はれ

天気はよいが風が吹いてえらく寒い日だ。妻は修論発表会の練習のため登校。中古セガサターンが届いた。リモコンは1個しかついていなかったが、いつだったかの引越しシーズンに粗大ゴミ置き場で拾ったリモコンが仕事場にあるので、子供たちを連れてとりに行った。それから高島屋に行った。高島屋に移転した紀伊國屋書店に行ったのは初めてだ。帰宅して夕食の用意をするが、身体の節々が痛い。微熱がある。昨晩は妻が微熱を出して、暖かい食いものをと思って粕汁を作ったのだが、その残りが自分にも役に立った。


2011年1月29日(土)はれ

次の月曜日に修士論文発表会を控えている妻のために、またもやオサンドンな週末。

消火栓について調べもの学習中
お絵描き教室に娘を迎えに行った帰りに,
小学校の宿題の ご近所の消火栓調べにつきあう
普段気にもしていないが, 探してみると沢山ある


2011年1月28日(金)はれ

これからのゼミは2月19日・20日の発表会の練習。今日は最初なので、ひとりずつ、時間を気にせず自分の思うように話してもらった。来週から、4人の発表の間で内容の調整をしながら、練習を重ねる。

ピアノのレッスンに行ったら、俺の今年の発表会の出し物を別室で弾いている人がいて、しかもかなり上手で、なんというか、やりにくかった。そんなの気にするほうがどうかしている、と言われればそのとおりなんだけど。

そういえば今日、ツイッターで ʕ·ᴥ·ʔ  ʕ·ᴥ·ʔ こんな顔文字が流れていた。念のために、画像ファイルも用意しておこう。

くまみたいな顔文字
(ブラウザによっては見えないかもしれないのでPNG画像をご用意)


2011年1月27日(木)はれ

ベートーヴェンの第三交響曲「英雄」の話。ちゃんと聴くのは初めてなのだけど、とくに第一楽章がとても斬新というか実験的な音楽に思える。流れるような三拍子の中に突如としてビート感を無視したようなトゥッティの和音の鉄槌が連打されたり、クライマックスにとんでもない不協和音が鳴り響いたり、古典派といいながらもずいぶん現代的な音だ。というわけで、参考にと思ってスコアを買ってきた。


2011年1月26日(水)くもり

セガサターン用のゲームソフトを中古で買ったので、どこかでセガサターン本体を調達せにゃならん。たしか宮西のHARD・OFFにあったと思って夕食後に行ってみたが、プレイステイション、ドリームキャスト、ニンテンドー64、ゲームキューブ、それからPCエンジンとかPanasonicのREALなんちゃらいうものまで、中古ゲーム機が数々あった中に、どういうわけかセガサターンは見当らず。まあAmazonのマーケットプレイスで買うとしよう。iPadをネットワークに接続したくて、フジグラン松山に行ったら、二階から上は改装のための閉店投げ売りムード満点になっていた。いくら閉店投げ売り大廉売超お買い得でも、いらんもんを買うわけにいかん。ミスドで少し勉強し、お酒だけ買って帰宅。

なぜネットワーク接続のためにフジグラン松山なのかというと、そりゃもちろん、フードコートに行けばマクドナルドがSoftBank WiFiのアクセスポイントを提供しているからです。

妻子は夕方から妻の所用で西条へ。NPO法人が請ける予定の事業をめぐる会議に妻が出ているあいだ、うちの子供(小3長女+6歳長男)は法人のボスの家でボスの子たち(中1長女+小4次女+4歳長男)と遊ぶ。遅くなることが予期されていたので夕食と風呂まで世話になって、子供は帰路の車内で爆睡。帰って来たときにはすっかりマグロの水揚げだった。あとで聞くに、なんだかとっても楽しかったようだ。うちの子供はなにせ俺と妻の子供だから、親に似て社交下手なのではないかといつもちょっと不安なのだけど、なんというか、友達というのはありがたいものだ。こうなると、俺たちの家も、子供が友達くらい呼べるように整えなくちゃならん。


2011年1月25日(火)くもり

ゼミは今週金曜が締め切りの卒業研究発表会の予稿を書く作業。


2011年1月24日(月)くもり

次年度後期に大学院の講義をひとつ受け持つことになったので、「選択公理とバナッハ=タルスキの定理」というテーマでやることにする。バナッハ=タルスキの定理は病的な事例として引用されることが多いけれど、こういう特論の題材としてはまことに好適だと思う。選択公理の役割は顕著だし、かといって集合論の公理化云々の「ややこしい話」はしなくていいし、自由群や行列といった普通の数学を適度に必要とするし、理解できたら面白いし、数学そのものはそれほど難しくもないし、かといって簡単すぎるほど簡単でもないし、おまけに数学というディシプリンの性格について反省を迫る哲学的な含みもある。ただ、バナッハ=タルスキの定理だけでは15回の講義はできないので、その前に数学における選択公理の応用例について少し勉強してもらうことにしよう。学部生向けの講義は次年度も基本的に今年度の内容を踏襲するが、テキストは変えることにする。


2011年1月23日(日)くもり

天山のジャスコに行った。傘立て、鷹の爪、紙ねんどなど、さしあたり必要なコマゴマしたものを買い、フードコートで昼食をとった。それから2階の くまざわ書店 に行く。自然科学系の啓蒙書の品揃えが思いのほかよい。「数学ガール」シリーズは3冊そろっていたし、チャンドラセカールの伝記ディラックの伝記ドーキンスのアンチ宗教論、あと、これとかこれなどなど、ついつい大人買いしそうになったが、決して懐具合がよいわけでないことを思いだして断念。

その後、束本の生協マーケットに行った。食材の買いものもしたが、主な目的はコイン精米機を使うことだ。年越しの帰省のおりに、義父が本家からもらってきた玄米を30キロばかりおすそわけしてくれたのだ。ありがたいことだ。で、玄米のまま保存するほうがいいので、さしあたり必要な5kgくらいずつ、必要になるたびに精米する。長期保存する玄米に虫がつかないための鷹の爪というわけだ。

コイン精米機のガラス戸の前にはおこぼれ目当てのハトがたくさん待機していた。俺がハトに向かって「あげないもんねー」と言ったら、【息子】が「ハトさんかわいそうじゃんねえ」と言った。どうやら【息子】にも小動物を慈む気持はちゃんと生まれているようだ。いやあ、パパだって、人間がこぼしていったものをハトさんが拾うことにまで目クジラを立てたりはしないんだよ。だけど、パパは京都のおじいちゃんやおばあちゃんから、お米を粗末にすると目がつぶれるとかいう迷信がかった教育を受けてきた旧弊なオっさんだから、お米をこぼさないようにとても気をつけてるんだ。

もちろん、俺は自分の子供に「お米を粗末にすると目が云々」とは言わない。そういうのはなんの根拠もない迷信であるうえ、目の疾病についての誤解を生みかねないからだ。だが、お米に限らず食い物を大事に扱うことは教えたい。だから、まずもって自分が食材を大切にし食事を残さず丁寧に食い、子供たちにもそうするように教え、機会あるごとに「食べるってことは、草や木や動物の命をもらうってことなんだよ。だから無駄にしちゃだめだし、食べたら、死んで食べ物になってくれた生き物の分までしっかり生きないとだめなんだよ」とか「江戸時代まではお金の値打ちがお米で決まっていたんだよ」という話をする。

さて、俺たちは夫婦そろって少なからぬ年月をそれぞれ一人暮らししていて、結婚したときにも家財道具も適当に持ち寄って暮しはじめたものだから、いつまでたっても下宿人の生活感が抜けないのが困りもの。いまの家に引っ越してもうすぐ4年になるが、なんと今日まで傘立てというものを置いていなかった。傘立てをジャスコで買ってきて、それを玄関に置いたら傘がすっきりと片付いたという、当然といえばあまりに当然の結果に、あらためて感激しているテイタラクだ。まあ、こういう細かいところから、生活を改善していかないといけない。


2011年1月22日(土)はれ

午前中、Wiiの「ぷよぷよ!」で「とことんぷよぷよ」を2時間ぶっ続けでやったらけっこう疲れた。昼食にきつねうどんを作ることにして近所のスーパーへ行った。外は少し寒かったが、空気が澄んで天気がよかった。家でゲームなんかしているのはもったいない。けどまあ、なんだかんだで、ほとんどお出かけもせず。


2011年1月21日(金)はれ

ピアノのレッスンのあと、中学校で理科を教えながら放送大学で数学を勉強しているという人に請われて、不完全性定理の説明をすることになった。松山市駅ビルの新しいドトールで7時過ぎから2時間ほど、隈部先生の放送大学テキスト『数学基礎論』と、どこで手に入れたのかその人が持ってきた過去問の解答例を題材に、いろいろと話をする。やはり、記号論理とか数学の形式化というところを理解してもらってからでないと、不完全性定理の正確な理解は望めないと思った。


2011年1月20日(木)はれ

ガスレンジのガラス天板が割れた状態で長らく使っていた。二年ほど前、たまたま五徳が正しく取り付けられていなかった状態で俺がフライパンを乱暴に置いたら、五徳がガラスを強打して、割れてしまったのだ。しかしこの状態では家にお客さんも呼ぶこともできないから、直すことにした。ガス屋さんがきて新しい天板に換えてくれた。それだけでキッチンがぱあっと明るくなったように感じた。妻が言うには「今までなんか荒んだ気持で料理していたのが、あらためてわかった」とのこと。ごめん。俺のせいだ。

昼食には、妻とふたりでココスに行った。季節柄「苺フェア」なんてのをやっている。こういうのを見ると、【娘】を連れてきてやらにゃあ、とも思うのだ。


2011年1月19日(水)はれ

トポロジーの講義。先週またしても時間配分がまずくて、ノート8ページ分準備したうち6ページしかこなせなかった。だから今回は最初から5ページしか準備しなかった。おかげで時間には余裕があった。結局ノート5〜6ページの分量が適切なのだろう。ただ、今日はどうもうまく話せた気がしない。小テストのできはみな一様によかったが、これはきっと問題が簡単すぎたんだろう。ともあれ、これで簡単な図形のホモロジーの計算くらいはできるわけだから、残りあと3回の授業では、ホモロジーの幾何的な意味について話すことにしようと思う。


2011年1月18日(火)はれ

卒業研究セミナー。ありがたいことに、どうにかあと数回で前原先生の『数学基礎論入門』を読み終えられそうだ。

夕方からは市民コンサートの機関誌作業。夜9時半の電車で帰る。塾帰りと思われる小学生が何人も乗っている。うちの子供たちの場合、もう無理やり寝かしつけているくらいの時刻なのだが。

帰宅後、妻から周囲の大学院生たちの話を聞く。看護学という分野の特徴として、研究の社会的意義は明確で、研究者としての責任とか義務の意識は高いようだ。いっぽう、研究が楽しくてたまらんという、研究課題に惚れ込むようすは、あまり窺えない。どちらかというと、「ちょうだいした数値さまを大切に使わせていただく」とか「ちゃんと結果出さないと研究に協力してくださった皆さんに申しわけない」とかね。人間相手の研究というのは、そういう気持になるものなんだろうか。

数学だと、これはまるで逆だ。数なり図形なりの世界が面白くて、時を忘れて探求する一方、それが何の役に立つか、研究結果をどう社会に還元するかということには、おおむね無頓着だ。世の人々がどういう悩みをかかえているかが、数学の問題の魅力とか価値を上げたり下げたりすることはない。たとえば、19世紀のドイツでも21世紀の日本でも、リーマン予想の意味や価値は変わらない。まあ、確率過程論から金融工学という新しい応用分野が生まれた例や、コンピュータ・グラフィクスによる可視化のおかげで離散力学系の研究がおおいに興隆した例もあるから、数学者のとりくむ問題が世の中の動きと完全に無関係とまで言い切ってしまうわけにはいかない。ふむ。しかしいずれにせよ、いくら義務感や責任感があっても、問題そのものへの熱意と没頭がなければマトモな数学の研究などできっこないという点は、間違いがないように思う。


2011年1月17日(月)はれ

やらにゃならんことが溜ってしまってどうしようもない。頭が働かず、このところ毎日ひどく寒いこともあって、きょうは一日じゅう憂鬱だった。


2011年1月16日(日)はれ

妻子が出かけてしまったので、適当に昼食を食い、夕食のおかずの仕込みをして一息入れたあと、自分も外出。フジグラン松山の3階フードコートでボレル本を読んでいたら、店内アナウンスで「○○さま、お連れさまがお待ちですので4階カーテン売り場までお越しください」と、知人の名前が呼び出されていた。ちと懐しいめの名前を耳にしておやっと思ったので、読書を中断して、こっそり4階まで見に行ったが、それらしい姿は見えなかった。入れ違ったか、同姓同名の別人だったのだろう。その後、デオデオとブックオフに寄って、しかし結局なにも買わずに帰宅。

数学者Greg Hjorthの思いがけぬ訃報が届いた。記述集合論の分野で目覚ましい業績をあげている人で、とくにボレル可測同値関係の理論とヴォート予想に関する研究の第一人者である。それにチェスの世界でもかなり名の知られたプレイヤーであるらしい。まだ若く、死ぬには早すぎる。なにかの間違いであってほしい。


2011年1月15日(土)はれ

週末恒例、昼食のラーメンだが、今日は仕上りがいまひとつだった。


2011年1月14日(金)はれ

昨日の日記に書いたようなことを、Twitterで実況ツイートしながら考えていたわけで、仏文の解釈が二転三転する過程を全世界に公開したことになる。さすがにこれは学者としてかなりマズイのではないかと心配になった。送信する前によく考えよう。

きょうはいろいろの理由でゼミがお休みだった。夕方からピアノのレッスン。


2011年1月13日(木)はれ

少し二日酔い気味だったので、午前のうちに散歩がてら道後温泉へ行って風呂に入ってきた。

やる気のないあひるこれもやる気のないあひるこれまたやる気のないあひる

以下、あいかわらずボレルの本の話。

この本(1898年の『函数論講義』)を読もうと思ったのは、ルベーグの測度論・積分論に先だつ時期の解析学への集合論の応用についてその現状を知りたかったからだ。しかし思いのほか時間がかかっていて、このままではいつまで経ってもルベーグを読む段階に入れない。ひとまず集合論を展開した前半の三章を読んだので、後半の函数論をあと回しにして (いやもちろんここにこそ、求めていた集合論の応用の実情が開陳されているのだろうけど)、三つの「覚書(Notes)」を読んでしまおう。

第一の覚書で、ボレルは一般の集合の濃度について論じている。1898年の当時まだボレルは濃度の比較可能性に対して、肯定的な見通しのもとで証明を試みていたように思われる。もちろんその試みは成功しない。というのも、一般の集合の濃度の比較可能性は選択公理と同値な命題で、選択公理を証明しようと試みるということだからだ。ボレルはこの問題への手掛りを探してカントルの論文を熱心に読み、また1897年のチューリヒ・コングレスでカントル本人に会って、直々にシュレーダー・ベルンシュタインの定理のことを教わったりしたらしい。それで、このノートではシュレーダー・ベルンシュタインの定理の証明が詳しく述べられている。この重要な定理の、かなり早い時期の紹介ということになるかもしれない。

ふたつの集合 \(A\) と \(B\) が与えられているとする。記号 \(A_1\) と \(B_1\) で、それぞれ \(A\) と \(B\) のなんらかの真部分集合を意味するものとしよう。このとき、次の四つの場合が考えられる:

  1. \(B\) と濃度の等しい \(A_1\) が存在するが, \(A\) と濃度の等しい \(B_1\) は存在しない;
  2. \(B\) と濃度の等しい \(A_1\) は存在しないが, \(A\) と濃度の等しい \(B_1\) が存在する;
  3. \(B\) と濃度の等しい \(A_1\) が存在し, \(A\) と濃度の等しい \(B_1\) も存在する;
  4. \(B\) と濃度の等しい \(A_1\) も \(A\) と濃度の等しい \(B_1\) も存在しない.

第一のケースと第二のケースは、それぞれ「\(A\) の濃度が \(B\) の濃度より大きい」「\(A\) の濃度が \(B\) の濃度より小さい」ということを意味する。第三のケースは、\(A\) と \(B\) として濃度の等しい無限集合をとったときに、また第四のケースは濃度の等しい有限集合をとったときに成立する。以上のことを指摘して、ボレルは次のように問う:

第三・第四のケースにおいて, 二つの集合 \(A\) と \(B\) が等しい濃度をもつと確かに言えるだろうか?

第三のケースでは \(A\) と \(B\) が確かに等しい濃度をもつというのが、シュレーダー・ベルンシュタインの定理だ。残る第四のケースについてこの問いが肯定的に解ければよいが、そうでないと、お互いに相手より大きくも小さくもなく、さりとて等しくもないという、どうにも大きさが比較できないふたつの濃度が存在することになる。

ボレルはこの問題について次のように言う:

Tout en souhaitant vivement que cette question importante s'eclarcisse, il nous parait bien difficile que l'on puisse tirer une démonstration précise et rigoureuse des hypothèses purement negatives du quatrième cas, si on laisse à l'idée d'ensemble toute sa génélalité.

試訳: この重大な疑問が解消されることを切望しているものの, 集合の観念をまったく一般的にとってしまうと, 第四のケースのまったく否定的な仮定から精確で厳密な証明を導きだすのはたいそう困難に思われる.

訳してしまうとどうとうことはなさそうだが、この文をこう解釈するまでには、ずいぶん迷った。なにしろ第四のケースの肯定解は選択公理の別表現であり、そのうえボレルは数年後(1904年)にツェルメロの整列定理における選択公理の使用に噛みついて、アダマールと論争をまきおこすことになるのだ。俺にとっては、その論争に引っ張り出されたルベーグの反応にこそ興味があるわけだから、ここでボレルが選択公理を証明しようと頑張っているとはまさか思わない。それで、«des hypothèses purement negatives du quatrième cas» という表現を「第四のケースに対する否定的な予想」と誤読してしまった。しかし、そうだとすると «des hypothèses» と複数形で言われるはずがない。それで、次には「第四のケースの仮定がまったく成立しないという予想」という意味なのかとも思った。\(A\) と \(B\) が無限集合である場合に第四のケースが起こらないというのが、濃度の比較可能性にほかならないからだ。だが、この解釈もトンチンカンだ。直前に、濃度の等しいふたつの有限集合の場合にこの第四のケースになると明言した、その舌の根も乾かぬうちに「このケースはまったく成立しない」なんてこと言うはずはない。それにそもそも、普通に辞書を引けばわかるように «une hypothèse» はあくまで議論の前提としての「仮定」「仮説」「想定」であって、アサーションとしての「予想」ではないのだ。結局、帰宅して、晩飯食って、一眠りして、夜中に目が覚めて、ようやく妥当と思われる解釈にたどりついたというわけ。

参考までに「無限集合について第四のケースが発生しない」という主張がツェルメロの整列定理と同値であることの証明を述べよう:

すべての集合が整列可能だったならば、無限集合 \(A\) と \(B\) を整列させてその順序型を比較すれば濃度の比較ができて、第一のケースか第二のケース、あるいは両者が等しい濃度をもつ第三のケースのいずれかとなる。

いっぽう、整列不可能な集合が存在するならば、そのひとつを \(A\) としよう。\(A\) は無限集合である。\(A\) の整列可能な部分集合の順序型となりうる順序数をすべて集めてきてその集合を \(B\) としよう。このとき、\(B\) は整列可能、\(A\) は整列不可能だから、\(A\) と濃度の等しい \(B_1\) は存在しない。また、\(B\) と濃度の等しい \(A_1\) があれば、その \(A_1\) は \(B\) と同型な整列順序づけをもつ。ところが \(A\) は整列不可能であるから \(A\neq A_1\) で、\(A_1\) に属さない \(A\) の要素 \(a\) が存在する。これを \(A_1\) の“うしろ”につけ加えて \(B\) の順序型より長い \(A\) の整列可能部分集合を作れることになり、\(B\) の定義に矛盾する。したがって、\(B\) と濃度の等しい \(A_1\) も存在せず、第四のケースで両者の濃度が等しくない場合になっている。

たとえば、ソロヴェイのモデルや決定公理 \(\mathbf{AD}\) のもとでは、連続体の濃度 \(\mathfrak{c}\) と最小の不可算順序数 \(\omega_1\) がこの比較不可能関係にある。


2011年1月12日(水)はれ

トポロジーの講義。ただし今日の内容はほぼ線形代数。

ボレルの本を第3章のしまいまで読んだが、この章で展開された測度論的な議論については、やはり少し謎が残る。この点を誤解している論者もいるようだが、ボレルはここで抽象的な測度空間の公理論的展開を提唱しているわけではない。

ボレルにとって測度というのは彼が可測集合と呼んだ点集合それぞれに固有の量であり、測度空間の構造に相対的に決まるものではない。測度の基本性質として「完全加法性」「正値性」「可算集合が正測度をもちえないこと」を挙げ(この部分だけ見れば公理論的展開を示唆すると言えなくもないが)、すぐその後に「閉集合はすべて可測である」という命題の証明を述べていることを見ても、それは間違いない。もしも可測性が測度空間の構造に依存して決まるものであるなら、なんの限定もなく「閉集合は可測」などという命題が述べられるはずはないのだ。それに、この書物が全体として『函数論講義』と題されており、集合論が主題でありながらその解析学への応用を念頭に置いている、と著者が明言している。ルベーグの積分論に先立つこの時期に、測度論的な方法を解析学へ応用するというのは、もっぱらこの書物で展開されているとおりの点集合論への応用が目指されていると考えられる。抽象的測度論が云々されるには早過ぎる段階なのだ。

いっぽう、のちに記述集合論の文脈で展開されたボレル集合族とそのメンバーの測度との同時再帰による構成的定義をここに読み込むのも、適切とは思えない。

となると、ボレルがここで言わんとしたことは何だったのかは、なんともハッキリしないことになる。結局のところ、ただ、測度の区間の可算和に自然に定義される測度を、完全加法性をテコにしてできるかぎり多くの点集合に拡張し、その範囲にある点集合を可測集合と呼ぼう、という提言だけがある。この提案が実行に移されるのは、ルベーグの1905年の論文『解析的に表示される函数について』からなのではないかと思う。要するに、抽象的測度論の萌芽も構成的測度論の萌芽もここに見られはするが、あくまで萌芽的段階に留まっている。


2011年1月11日(火)はれ

ようやく通常の授業再開。きょうは卒業研究セミナーと3年生セミナー。それが済んでから明日の講義の準備をして、さらに少しだけボレルの本を読む。そうこうするうちに夕方になって、妻の車で帰宅。

妻は修士論文を無事提出できたようなので、スパークリングワインを買って帰って乾杯。ただし、スーパーで売ってる500円の350ml瓶のやつね。と思ったら、市民コンサート機関誌の作業日であることをすっかり忘れていた。黒幕安倍さんのメールで思い出し「すみません見逃してください」と平身低頭。


2011年1月10日(月) 成人の日はれ

子供をつれて近所を散歩する。道を隔てた工場の倉庫あとが、なにやら工事していると思ったら、どうやらスーパーになるらしい。ときおり仕事帰りに寄って中華麺を買うあの店と同系列だ。あの麺が近所で買えるようになるのはうれしいし、きっとお酒も扱うだろうから、便利にはなるのだけど、この道の普段の混みぐあいや、いつも世話になっている近所の小さなスーパーのことを考えると、ちと心境複雑だ。

夜にはゼミの新年会。場所は二番町の「海鮮釜居酒 花火」(店舗情報: グルメこまち, ホットペッパー.jp, イーノ)。料理もそこそこうまくて、コストパフォーマンス的に大変よかった。

この3日間、おさんどんに徹していた。なにせ、夕食の準備をひととおり済ませてから、自分だけ外食する予定だったことを思いだしたくらいだ。授業の準備も文献読みもろくにできなかったのが少々気になってもいたので、新年会は一次会だけで失礼し、酔いざましに歩いて帰った。帰宅後、少しだけでもやっとこうと思ってボレルの本を広げた。


2011年1月9日(日)くもり

二日後に修士論文提出〆切を控えた妻はどうにも家事どころではないが、さりとてメシは食わねばならず、子供の世話もせねばならぬ。だから昨日から妻になりかわって俺が主夫をしている。朝食にオムレツ、昼食に冷しうどん、夕食に豚汁を作る。


2011年1月8日(土)くもり

引き続きボレルの古い本を読む。ルベーグの積分論(1902年)に先立つ1898年のこの著書で、ボレルは集合の大きさのひとつの目安として測度の論法を積極的に用いている。あの名高いハイネ=ボレルの定理の証明もあるが、閉区間のコンパクト性を示すと解釈されているこの定理にしてからが、ここでは測度論的考察の補助として登場しているのだ。不可算な零集合の存在も、実質的にここで指摘されている。どうも測度論に関するかぎり、ルベーグよりボレルの貢献が大きくかつ重要なようだ。

いろいろわかることもあって面白いのだけど、たとえば次の文章の解読には百万時間かかった:

Nous avons insisté sur cette démonstration parce qu'elle nous a paru de nature à clairer un peu la conception que chacun peut essayer de se faire du continu. Apres avoir réfléchi à ce fait, que l'on peut enlever d'une droite tous les points compris dans chacun des intervalles \[ \frac{p}{q}-\frac{1}{q^3},\;\frac{p}{q}+\frac{1}{q^3} \] et qu'il reste encore des points, en infinité non denombrable, on sera moins disposé à croire que l'on sait ce que c'est que le continu et à raisonner sur lui comme sur une notion intuitive et parfaitment claire. (E.ボレル『函数論講義』原書44ページ)

試訳: この証明をことさらに述べたのは, 誰しもがそれぞれ作りあげているであろう《連続体》の概念にさらなる光をあてる性質のものと思われたからだ. 《直線から \(p/q-1/q^3,\,p/q+1/q^3\) の形の区間を全部取り去ってもなお不可算無限に点が残る》という事実について熟考したあとでは, 連続体が何であるかよく知っていると信じたり, それについて直観的で完璧に明白な観念同然に論じたりする気も失せようというものだ.

数直線上に、いかなる区間においても稠密でないがなお (正の測度をもち、したがって) 連続体の濃度をもつ集合が定義できることを、測度論的な考察によって示したあとでこう言っているわけだが、とくに後半の構文が妙にややこしくて、なかなかわかりにくかった。複雑な構文の外国語の文を解読するとけっこうな達成感があるが、ヨコのものをタテにできたことで満足していてはいけない。先へ進もう。


2011年1月7日(金)くもり

朝のうち不定期開講の集中講義の授業。きょうが最終日。午後から会議。夕方からピアノ。それが済んで、ドーナツを買って帰る。いまキャンペーン中のクマ顔の形のが売ってなくてちょっと残念だったが、帰りの電車で、あのクマ顔のモデルがリラックマであることに気づいて、残念感はあらかた消えた。


2011年1月6日(木)くもり

ゼミ生からの連絡はなかったが、昨日書いたような事情であるから、一応朝から研究室に控えていなければならない。夕方にはいつもの医者に行く。先日と打って変って患者さんが少なかったので、いつだったか妻と議論した「血圧計の最初の被験者」の話や、地球中心部の温度をどうやって測ったかなんて話を、お医者さまにもした。予期はしていたが、血圧計の話は、あまりわかってもらえなかった。


2011年1月5日(水)くもり

基本あまりいい天気ではないのだけど、ときおり陽が差したり曇ったり時雨れたり、妙な空模様だ。

夜には妻子が戻ってくるので おでん を作って待っていた。一人では気楽だがつまらん。早く帰ってきてくれと思うのだけど、いざ帰ってくると、妻子はやっぱりだらしないので、つい小言を言ってしまう。妻はなにかにつけ不器用だし、子供たちはうるさくて勝手気儘だ。だが俺にはこいつらが可愛くて仕方ない。どんな組合せでも家庭というところに嵌め込んでしまえば人間は幸せになる、なんて一般化はできないだろうが、俺はいまのこの家族がいてくれることをありがたく思っているし、妻子のいない寂しい気楽さと妻子のいる楽しい煩わしさのどちらが幸せかと尋ねられたら、躊躇なく後者を選ぶ。

3年生ゼミの受講者からのメールが、どういうわけかしばしばSPAMフィルターにひっかかる。「6日朝に補講してもらいたいんですけど」というメールを一昨日のうちに受けとっていたのに、今日の深夜になるまで発見できなかった。一応「明日の朝10時に来れますか?」という返事をしたけど、いまからじゃあ無理だろうな。


2011年1月4日(火)はれ

いい天気だ。昨日はあんなこと書いたけど今朝はしっかり二度寝してしまい、目がさめたら朝も10時だった。簡単に食事をしてピアノの練習をして、お昼まえに家を出る。あまり腹も減っていないがリズムを崩したままではいけないので、丸源ラーメンで葱入り肉そばを食ってから大学へ。冬休み中とて訪れる人もなく静かなもの。ボレルの第3章を読みはじめる。夕方にはジュンク堂へ行った。

今年になって高木貞治の著作権の保護期間が終了したので、名著『解析概論』を共同作業で入力してオープンアクセス可能な場所 (→http://ja.wikisource.org/wiki/解析概論) に置こうという活動をLaTeX本でお馴染みの奥村晴彦先生が提唱しておられる。自分が参加する可能性も視野に入れて、興味深く見ていこうと思う。


2011年1月3日(月)はれ

作り置きのかみなりこんにゃくを作り、昼食のつけ麺を作り、昼食の片付けをして、妻の実家を辞した。明日からの仕事に備えて、俺だけ先に松山へ戻るのだ。偶然にも なめ一家が同じ船に乗っていた。三津浜の港は雨。傘は持っていない。仕方がないのでタクシーを使う。すぐそこにタクシー会社があって乗り場に人がいるのが見えているはずなのに、なかなか空車が来ない。15分ほど待ってやってきた車の運転手さんが言うには、この正月は帰省客が妙に少なかったわりに今日に限って車が足りないくらい忙しいそうだ。雨も船が港に着く直前に降りだしたそうで、まあ、いろいろ妙なことが重なる日もあるものだ。

この休暇中に本をじっくりと読む姿勢を取り戻せたのは幸いだった。これもネットワーク環境が劣悪な状態に一週間留め置かれたおかげかもしれない。あるいは気が散る要因のない田舎で過したせいかもしれない。理由はどうあれ、けっこう気力が充電できた気がする。ありがたいことだ。この調子で一年がんばろう。


2011年1月2日(日)はれ

E.ボレル『函数論講義』の第II章はディオファントス近似と連分数の理論に終始している。まず代数的数が高々可算個しか存在しないことを示し、初めて超越数の例を示したリウーヴィルの理論を手際よく紹介し、連分数展開の一般論を解説する。どう見ても、これは函数論でも集合論でもないが、説明が明快で結果が興味深いので、読んで損はない。

さて、代数的でない実数の史上初の例は1844年にリウーヴィルによって与えられた。たとえば、\[ \frac{1}{10^{1}}+\frac{1}{10^{1\cdot2}}+\frac{1}{10^{1\cdot2\cdot3}}+\cdots+\frac{1}{10^{1\cdot2\cdots n}}+\cdots \] などがその一例だ。リウーヴィルは代数的実数の有理数近似についての性質を巧妙に用いて具体的な超越数を示したわけだが、そのさい「代数的数でない実数が存在する」ということ、または一歩進んで「代数的数でない実数が無数に存在する」ということは言ったとしても、1844年の時点で「代数的数よりそうでない数のほうがうんと多い」とか「代数的数でない実数が連続無限個存在する」とは言ったはずがない。その時代と現在とでは、実数直線のイメージも大きく違っているはずだ。超越数論がその端緒についた時代には、代数系としての実数体のイメージと幾何学的な連続体のイメージとは、どのように結びついて (あるいはどのように結びつき損なって) いたのだろうか。

ボレルを引用しよう

定まった《解析的》手続きで定義される数が代数的か否か判定することに帰着するこの問題は, 接近のための一般的な道筋というものを示し得ないため, 幾何学者に提起される問題のうち最も困難なものの一つである. その数が定義された仕方に応じて, 目的に至るための手段がまるで違ったものになりかねないのだ. (E.ボレル『函数論講義』, 25ページ)

自然対数の底 \(e\) が超越数であることは1873年にエルミートによって, また円周率 \(\pi\) が超越数であることは1882年にリンデマンによって証明された。俺とて、これらが「解析的手続きで定義された」数であることを認めるに吝かではないが、それでも《解析的手続きで定義される数》という概念がここで明確に提示されているとは、どうしても思えない。ボレルが言う《(集合が)与えられている》ということや、記述集合論の創生期に重要視された《エフェクティブ》ということも同様で、実際にアダマールはボレルやルベーグに向かって「それは心理学の問題だ」と言い放ったのだった。

では、それらに実際的かつ認識論的な根拠をもって数学的に明確な定義を与えることは不可能なのだろうか。《計算手続き》に対するチャーチの提唱のようなものの可能性は、ここにはないのだろうか。

読めば読むほど、いろいろな疑問が湧いてくる。

やる気のないあひるこれもやる気のないあひるこれまたやる気のないあひる

昨晩の寒さはその前の年越しの晩ほどではなかったが、そのぶん湿気は多かったようで、朝には妻のプリウスが霜でシロクマ化していた。初夢は「妻子と別行動で家に帰ってやれやれと着替えているところへ教え子 (女子2, 男子1くらい) が押し掛けてきて, 俺の家族の写真を撮らせろと言う. 着替え途中の妙な格好で女子学生たちと押し問答しているところへ妻が帰ってきて云々」という、よくわからないものだった。意味がよくわからないしあまりハッピーでない夢をこのところよく見るのは、寒さのせいか。きょうも子供たちは大はしゃぎで外を走り回り、バケツの水に張った氷で遊んでいる。午後も少し遅くなってから、下松のザ・モール周南へ。妻の実家に戻ってから、急遽お好み焼きを10枚以上も焼くことになってしまった。


2011年1月1日(土) 元日はれ

さて俺にとって、今年はまだまだ「読む年」である。「書く」構想がないではないが、そのためにも読むことをないがしろにはできない。

数学の本なんてものは、先日からやっているように、もう全文筆写するくらいの緩いペースで読んだのでちょうどよいようだ。どうせやるなら専用の大学ノートを用意して、丁寧にやることにする。E.ボレル『函数論講義』のフランス語原典は、この方法で、ゆっくりとながらちゃんと読めるようになってきた。ありがたいことだ。

(後日追記) 今年の目標 《19世紀後半〜20世紀前半の数学文献(英独仏)をひと山読むこと。請け負ったふたつの研究集会を有意義なものにすること。自分に罵詈雑言を投げかけないこと。荒い言葉や汚い言葉を極力口にしないこと。なんにせよ努力を惜しまないこと。》 (1月4日)