て日々

2010年10月


2010年10月31日(日)くもり

今日もきょうとて調子が出ない。子供たちと教会学校へ行ったが、どうも気分がすぐれず、ひとりで先に帰って寝てしまう。どうやら昨日いつもの薬を飲み忘れていたのが影響しているようだ。それに昨晩は妻子が寝てしまってから、コップ一杯の梅酒を一気飲みしてしまったし。今日は酒を控えることにして、家でおとなしくしていよう。仕事のことを考えても、ろくな考えにならない。ピアノの練習をして過ごす。

今日になってようやく再生してみたのだけど、【息子】の誕生日にプレゼントした公文の楽器カードに付いていたCDは、各楽器の音色がよくわかり、サンプル演奏の選曲も渋くて、なかなかよかった。ハープのサンプル演奏はピエルネの小協奏曲の第2楽章だった。初めて聴いたこの曲がとても美しくて、さっそくiTunesで探して買ってみた。ううむ。確かに美しいのだけど、iTunesで買った演奏よりは公文のCDに入っていた演奏のほうがいいな。曲は形どおり3楽章あって、だけどなんだか構成がしっかりしていないので、通して聴いてみるとちょっと不満が残った。特に終わり方はなんだか悪い冗談みたいだ。同時収録されていたロドリーゴの協奏曲のほうがよかったな。それでも、世の中には美しい音楽が沢山あるもんだと、改めて思った。

昼食にスパゲテイを作り、夕食にカレーを作った。子供たちはそれなりに喜んでくれたが、カレーはひどいやっつけ仕事である。昼食のスパゲティは缶入りのミートソースを使ったが、ちとソースの量が少なかったので、ナスを油炒めしたものとガーリックを加えてボリュームを増した。夜になって少し気分が直ってきたので、5日ぶんの日記を書く。そうこうしているうちに、今年の10月が終わってしまうのだった。


2010年10月30日(土)くもり

天気も良くないし、気力が湧かないが、それでも腹は減る。昼食にラーメン。夕食にナスと豚肉の炒め物を作る。それに、定番のかみなりコンニャク、ブナシメジの佃煮。

行ったことのある都道府県について思い出してみた。通過しただけじゃだめで、宿泊した経験があるところ。北海道(札幌, 江差, 大沼, 北見)、宮城(仙台, 松島)、茨城(つくば)、埼玉、千葉、東京、山梨(山中湖)、神奈川、石川、静岡、長野(志賀高原)、福井(名前失念したけど敦賀近くのどっかの温泉に学生時代に行った)、愛知(名古屋に4年住んだ)、岐阜(中津川)、三重(伊勢, 賢島)、滋賀(彦根に母方の祖母がいた. 他に中学時代のワンゲルで比良山系, 高校時代の部活で草津あたりのなんちゃらいうキャンプ場)、京都、大阪、和歌山(子供の頃家族で白浜に遊びに行った)、兵庫、岡山、鳥取(関金温泉)、広島、山口(妻の実家関連のほか, 下関, 萩, 湯田温泉)、香川、高知、愛媛、福岡、長崎(雲仙)、熊本、大分、鹿児島。とくに記載のないのは学会出張などで県庁所在地付近に滞在。

実家が京都だから奈良には何度も行ったが宿泊はしていないと思う。他に投宿したことない県は、沖縄、宮崎、佐賀、徳島、島根、富山、ずっと飛んで、群馬、栃木、福島、青森、山形、新潟、秋田、と、ここまで思い出して、ふーやれやれと寝てしまった。よくよく考えたら、岩手県を忘れている。

けっこういろいろな所に行っているもんだが、あきらかに、東北と日本海側が弱い。島根大学には集合論的トポロジーの先生もいらっしゃるわけで、日本海側に数理論理学や集合論のご用がないとは思えない。こうなりゃあ、がんばって47都道府県全部回りたいね。


2010年10月29日(金)くもり

松山に戻って普通の金曜日。だが午前中は全然調子が出ず、家で寝ていた。午後から大学へ行き、すこし事務作業をして、それから卒業研究のセミナー。前原『数学基礎論入門』の、いよいよ第8章「ゲーデルの不完全性定理」だ。頭がウニになりかねない所だから、丁寧に読んでいこう。ゼミのあと、リア充1号くんが岩波文庫版ゲーデル『不完全性定理』のことを聞きにきて「あ、700円なら買います」と言って帰っていった。クールそうな風貌に反して、わりと熱心な奴なのだ。

ピアノ・レッスン。細部が気になって、音楽の方向性が見えなくなる。気持ちを一度リセットしよう。


2010年10月28日(木)あめ

研究集会4日めにして千秋楽。結びの講演はアムステルダムで学位をとってヘルシンキでポスドクをしている池上大祐くんのブラックウェル・ゲームの決定性に関する研究報告。英語のジョークを交えつつ興味深い内容を丁寧に分かりやすく話してくれたので一同大喜び。幹事をした酒井くんや昨日発表した薄葉くん、それに池上くんと、日本の集合論研究者にも、優秀な人が育ってきている。俺にはもう最前線へ戻る力も尽きてきているが、せめて将来のあるこの人たちの力にはなりたい。とか何とか言っていたら、来年度のこの研究集会の幹事の引き受け手がないらしく、俺にお鉢が回ってきたので、そういう形ででも役に立てるならとお引き受けした。この数年の発表やコースのレベルを維持するのは大変かもしれないけれど、その部分は謎の東洋人フチノさんや他のみなさんに知恵を借りることにしよう。

今さら何ができるかわからないけど、ひとまず勉強を再開しよう。「可測基数ノート」とか気になっていたからな。あれはウォシュの定理をちゃんと証明するなんて方針を立ててしまったのが行き詰まりの原因だ。そこを後回しにして面白いところを先に書いてしまおう。そうしようそうしよう。

京都駅でおみやげの漬物を買って松山へ戻る。特急しおかぜの松山駅着が19時23分。家に着いたのが20時ごろで、思ったより早かった。


2010年10月27日(水)はれ

研究集会3日め。Foreman先生のレクチャーが完結した。膨大基数(huge cardinal)に関する無矛盾等価性が証明できるほどにまで内部モデルの理論が発展していることに驚く。膨大基数なんてものは、何かとっても強い結果を出すために「これだけデカけりゃあ、文句あるまい」って感じで上から押さえこむように出てくるもんだと思っていたし、俺はそうでなくても、ミッチェル次数の高い可測基数の内部モデルってあたりですでにネを上げているような奴だからね。

天一で昼飯を食ったあと、神楽岡今出川のUniverse Coffeeで一息。ガラス張りの明るい落ち着いた店である。松山市一番町の「喫茶カーディナル」とともに、集合論カフェと認定したい。いや、認定するだけで何もしませんけど。夜には懇親会。セッション終了から時間があったのでヨリオカくんと世間話をしながら北白川から河原町まで歩き、蛸薬師のドトールで少しだけ数学話をした。

木屋町テディ工房  木屋町テディ工房

銀行へ実弾補給に行かねばならない俺は、海外からのゲストを宿から懇親会場へ連れて行かねばならないヨリオカくんといったん別れ、四条河原町のみずほ銀行ATMでお金をおろし、先斗町へ移動する。途中に「木屋町テディ工房」なる くま専門店 があった。これは見過ごすわけにいかない。妻と娘へのおみやげを買い、店の人に頼んで店内の写真も撮らせてもらった。懇親会の会場は先斗町の「春神」というわりと新しい店。俺は焼酎二杯でさっさと沈没し、閉会を待たずに失礼して、阪急と嵐電を乗り継いで帰った。


2010年10月26日(火)あめ

研究集会2日め。午前中はForeman先生とSoukup先生の面白難しいレクチャーの続き。午後はヨリオカくんウスバくんの発表のあと、ミュンヘンのChristoph Weissさんの «The combinatorial essence of supercompactness» という発表。これがなかなか興味深かった。

マーティンの公理の拡張であるPFA(適正強制公理, Proper Forcing Axiom)の無矛盾性は、よく知られているとおり、超コンパクト基数が存在する宇宙をジェネリック拡大することで示される。PFAは \(\mathrm{AD}^{L(\mathbb{R})}\) を導くから、無矛盾性の強さの意味で、しかるべき大きさ(無限個のウッディン基数相当またはそれ以上)の巨大基数公理に相当するはずだ。そして、PFAと超コンパクト基数の存在が実は無矛盾性の強さの意味で等価なのではないか、という未解決予想がある。Weissさんの発表は、この未解決予想へのひとつのアプローチだった。その概略は次のとおり。

基数の弱コンパクト性は「木の性質」プラス「到達不可能性」によって特徴づけされる。この「木の性質」に「定常性の条件」を付け加えて「玄妙な木の性質」というものを考えると、それと「到達不可能性」による、玄妙基数の特徴づけが得られる。Weissさんは、強コンパクト性と超コンパクト性の違いは、この弱コンパクト性と玄妙性の違いに対応すると指摘する。というのも、木の性質の \(P_\kappa\lambda\) 版を考え、それが「強コンパクト性 マイナス 到達不可能性」というものになっていること、それに、玄妙な木の性質の \(P_\kappa\lambda\) 版が「超コンパクト性 マイナス 到達不可能性」になっていることが示されるのだ。面白いことに、基数 \(\omega_2\) が任意の正則基数 \(\lambda\geq\omega_2\) についてこの「玄妙な木の性質 \(P_{\omega_2}\lambda\) 版」をみたすことが、PFAから示されるという。つまり、PFAのもとでは、 \(\omega_2\) が「超コンパクト マイナス 到達不可能性」というべき性質をもつ。あとは、「玄妙な木の性質 \(P_{\omega_2}\lambda\) 版」を保ちながら、\(\omega_2\) が到達不可能だと思っているような内部モデルに移行できれば万々歳ということになるのだが、いまのころ、この最後の詰めのところで悪戦苦闘している状態のようだ。

2年ほど前に弱コンパクト基数や玄妙基数(ineffable cardinals)について少しばかり集中して勉強したことがあったおかげで、この話の流れはよくわかった(細部はわからない)。そして、PFAが超コンパクト基数と無矛盾性の意味で等価であるという未解決予想に、だいぶ近付いているようだという印象をもった。発表の中では、神戸大学の酒井拓史くんの研究結果も引用されていた。

セッション終了後、百万遍の喫茶店で数学雑談。俺と吉信くんカダくんヨリオカくん、それと上條くんの5人。実数の順序集合の次元型の比較についてのシルピンスキの古い論文や、\(\aleph_1\)-稠密集合の順序型についてのBaumgartenerの結果などを参照しながら、ああでもないこうでもないと語る。松山にいたのではこういう時間はもてないので、毎年秋の数理解析研究所での会合は、俺にとってとても貴重なのだ。

やる気のないあひる

昼休みに吉岡書店(の支店のほう)に行った。アヤシゲな本を3冊ばかし買ったなかに、オスカー・ベッカー『数学とパラ実存 ピュタゴラスの現代性』(中村清訳, 工作舎, 1992年)というのがある。原題を Dasein und Dawesen--Gesammelte philosophische Aufsätze というらしい。Daseinはもともとは「そこにあること」だけど、ハイデガーが深遠な含みをもたせて使った言葉として「現存在」と訳されている。いっぽうのDawesenというのは何だろう。きっとベッカーの造語なのだろう。ふつう Sein=存在 に対して Wesen=本質 と解されているからといって、「現本質」なんて言ってはわけがわからない。この本ではどうやら「現前存在」という訳語を使っているようだ。そういう話を謎の東洋人フチノさんに投げかけてみた。フチノさんならDawesenをどう訳しますかと聞いたら、フチノさんは「存在の本質」と即答した。なるほど。


2010年10月25日(月)あめ

京都大学数理解析研究所での研究集会。1日め。二年ぶりに数解研に来てみたら、お化粧直しも終ってすっかりきれいになっていた。これがために、昨年は楽友会館に場所を移しての開催だったのだ。

午前中は大阪府立のカダくん、南山の宮元先生の講演を聴く。カダくんの話はpoint-\(G_\delta\) なLindelöf空間の濃度の話。面白そうなので、松山に戻ったら論文を読んでみたい。

昼食は北白川の天下一品銀閣寺店。それから早稲田の上條くん、静大の依岡くんと3人で進々堂で珈琲。依岡くんが上條くんに木曜日に話す発表内容についていろいろ聞いている。俺は横から少し口を挟む。順序体やアロンシャイン順序を完備化した順序位相空間の話で、超現実数に心惹かれる身としては興味津々だ。

午後はForeman先生とSoukup先生のレクチャーとn_slenderこと中村くんの研究発表。Foreman先生のレクチャー «Chang's Conjecture, generic elementary embeddings and inner models for huge cardinals» は、Chang's Conjectureの膨大基数を仮定して無矛盾性の証明された拡張版から、逆に膨大基数のモデルを得ようという話。Soukup先生のレクチャーはpcfを応用して実数の集合に関する基数不変量のスペクトルというものを調べる話だった。中村くんの発表は不可換版スレンダー群(n-slender groups)の融合積がまたn-slenderになるという結果の紹介だった。


2010年10月24日(日)くもりあめ

明日からのRIMS研究集会に向けて、きょうは移動日なのだが、午前中は妻が所用で出かけるので子供たちの面倒をみる。

出張に出かける日に雨というのは、仕方のないことだけど、なんだか面白くない。JR松山駅にはスーツ姿に楽器ケースを抱えた人たちがいっぱい。吹奏楽コンクールの出演者が引き上げるところなのだ。なにせ休日でもあるから 特急しおかぜの指定席は満席。仕方がないから追加料金4,000円払って、生まれて初めてグリーン車に乗る。ったく、おかげでエキストラ出費だわい、と吹奏楽を恨みそうになるが、悪態をついてはいけない。コンクール出演者のなかには、「全国大会ぃ? 松山ぁ?...」という奥さんの冷たい視線に見送られながら自腹切って来ているお父さんも必ずいるに違いないのだ。大変なのはみんな同じ。

新大阪から在来線で京都へ。夜の8時半ごろ到着。夕食はおでん。


2010年10月23日(土)くもり

MathJaxのインストールが終わった。これからは $$ p\mathrel{\|\kern-0.26em{-}}\neg\varphi~~\mathrm{iff}~~\forall q\leq p\big(q\not\mathrel{\|\kern-0.26em{-}}\varphi\big) $$ なんて数式がmimeTeXより簡単に入力できる。PCのブラウザなら表示もmimeTeXより高品位になるはず。

土曜日だがちょいとした任務のため出勤。任務終了後、いったん帰宅してから【娘】の社会見学のため伊予かすり会館へ行く。夜は妻の郷里からやってきたホルン吹き兼イラストレーターの「ルンホのハナちゃん」と、うちの4人とで、とりでん松山三番町店にて会食。ハナちゃんは、ひめぎんホールで開催される吹奏楽コンクール全国大会を聴きに来たそうだ。


2010年10月22日(金)くもり

水曜日の授業でメビウスの帯が平面の部分集合と同相でないことを論じた。そのときから、球面が平面の部分集合と同相でないことの証明のほうが難しい気がしていた。球面の各点は平面と同相な近傍をもつから、球面を平面へ埋め込んだとしたら、その像は平面と同相な平面図形の和集合になるだろう。だから《平面図形が平面自身と同相であれば、その図形は平面の開部分集合になっている》ということがいえたら、球面の像がコンパクトな開集合となって矛盾する。同じ論法で閉曲面すなわち縁(ふち)のないコンパクトな2次元多様体が平面図形と同相にならないことが証明できる。だがその《平面図形が平面自身と同相であれば、その図形は平面の開部分集合になっている》という直観的には明らかに思える命題の証明が少しやっかいだ。というのも、平面と同相な部分集合が埋め込まれているのが平面ではなく3次元空間だったら、もちろんそこでは開集合にはならないわけで、埋め込む先の空間が2次元であることを証明に本質的に利用するはずなのだ。距離空間の理論の一般的なツールではなく、どうしても位相幾何的な発想が必要とされる。

きょう思いついた証明には、ジョルダンの曲線定理を使う。ジョルダンの曲線定理というのは《円周と同相な平面図形は平面の残りの部分を二つの連結成分に分け、両者の境界となる》という、直観的にはいかにも自明なようで、証明しようとするとひどく大変な大定理だ。実は、水曜日の講義でメビウスの帯を平面に埋め込めないことを証明してみせた時にもジョルダンの曲線定理を証明ぬきで認めて使ったのだ。

詳細に検討すると、《平面と同相な平面図形は開集合》の証明では、そのほかに円周と同相な曲線をそれによって囲まれた領域内の一点にまで連続的に収縮させるホモトピーは必然的にその領域のすべての点を通過するということも必要だ。これもまた直観的には明らかだが、証明には位相幾何的なアプローチを必要とする。なかなかどうして、やっかいなものだ。

あるいはしかし、俺が難しく考えすぎているのかもしれない。ストレートで見通しのよい証明があるのかもしれない。近いうちに幾何学専攻のOさんに聞いてみることにしよう。

やる気のないあひる

夕方にはピアノのレッスン。本番が近くなり少しあせりが出てきて、どうも音に集中できない。あと、火曜の朝からかれこれ4日がかりで続けていたMathJaxのインストールは今夜こそ終わりそうだ。


2010年10月21日(木)あめくもり

夕方、今日は早く帰ろうかなと思っているところへ、ゼミ生のtk8くんが来て連絡と質問をして帰った。質問の内容は、ゼミテキストである前原昭二『数学基礎論入門』の定理7.13に先立つ議論のこと。ε-式の構成が表現可能性を保存しないという内容で、そういう例を示すには不完全性定理を先取りして、個別の自然数 n についてはそれぞれ F(n) が証明可能なのに ∀xF(x) は証明不可能であるような論理式 F(x) を用いなければならない。このあたりの話がこの本の面白いところなのだが、まだ不完全性定理に触れてもいないゼミ生たちにはまだ難しいだろう。

tk8くんが帰ってから、ツイッターで開区間と半開区間の濃度が等しいことを証明しようとする学生さんに助け舟を出したりなどして、それから、自分も帰ることにした。早く帰る計画が未遂に終ったので、思い直してジュンク堂へ行くことにした。いつものように4階の数学書のコーナーに行ってみると、2回生のtk2くんがいた(ゼミ生のtk8くんとはもちろん別人だ)。簡単にあいさつを交してから、気を遣わせないように少し離れた棚の前に立つ。自分の本が見当らないことを確認して「3回生のn-単体くんが買ってくれたからに違いない。よしよし。でも次が補充されなかったらイヤだなあ」とか思っていたら、tk2くんが「あの、数学の質問があるんですけどいいですか」と言う。線形代数の演習で出た問題の話だったのだが、彼が言う問題の設定は曖昧だったので、それだけの設定ではどっちにでも転びうるということを、書棚を座標平面に見立てながら例をあげて説明。きっと問題の文脈に対する彼の読み込みが足りなかったのだろう。tk2くんは決してボンクラではなく、わりかしよくできる今年の2回生のうちでもわりかしよくできるほうだとは思うのだけど。

もういっぺん問題をよく見直してみてねと言ってtk2くんのもとを立ち去り、3階の哲学書のコーナーへ行く。『ヘーゲルを総理大臣に』という、哲学版「もしドラ」みたいな本のことを伝え聞いて、読んでみようかと思っていたのだけど、それは見当らず、代わりにアレクサンドル・コジェーヴの『ヘーゲル読解入門--「精神現象学」を読む』(国文社)というのを見つけた。中をのぞいてみるとこれが案外面白そうだったので、少々値が張るが買うことにした。

ヘーゲルという人は、なにしろあんな顔でああいう本ばかり書くもんだから、さぞかし気難しい恐い人だろいうという印象がある。だけど、しゃべりが面白かった可能性はある。たとえば長谷川宏訳『論理学』(作品社)序文の

「人間が悪魔から逃れても、悪がなくなるわけではない」とメフィストフェレスはいうが、残った悪は、一切の疑いも批判もなしに信頼されるだけに、以前よりも何倍もたちがわるい。(長谷川訳, 14ページ)

のあたりを、あの倉田令二朗先生の口調を思い出しながら読んでいると、なんとも痛快だ。倉田令二朗をご存知ない人は、仕方がないから、ビートたけしを二割ほど泉谷しげるの方向へ引っ張ってダミ声にしたような調子を想像してみてくださいな。


2010年10月20日(水)くもりあめ

きょうの講義では単体的複体の定義と例、そして単体同型写像について話した。直前に慌ててやったとはいえ、模型の工作など、それなりに準備もがんばったし、ペース配分もよく、けっこう手応えがあった。いつもより質問も出たし。やっぱり毎回これくらいは準備して授業に臨まんとダメだわ。こういう感じで続けられたらいいな。

授業のあと質問にきたn-単体くん(仮名)が「ジュンク堂で先生の本買いましたよ」と言ってくれたのもうれしかった。

さてしかし、今回の単体的複体の話からコロッと変わって、次回はアーベル群の理論。これを今回と同じ調子でできるかどうか、全く自信がない。ふむ。アーベル群の初歩のところの一般論なんて、まあ面白くないに決まっているが、しかしそこをうまく話すのが教師の腕の見せどころ。出張のための休講と祝日が続いて、次の講義までに3週間あるから、その間に授業全体の目標設定とからめてしっかり準備しましょう。

月曜の夜に始めたMathJaxのインストール、といってもサーバにデータを転送するだけなのだけど、全然終わらない。一個一個は小さいファイルながら、3万個以上のファイルがあり、データ量としては16MBそこそこのものがローカルなNTFSディスク上で124MB分のクラスタを使用している。それでFTPでのデータ転送のオーバーヘッドがやたら大きいのだ。ZIPファイルを送り込んであっちで解凍できればなんでもない話なのだが、レンタルサーバの悲しいところだ。週末までに終わるといいが。


2010年10月19日(火)はれ

【息子】の6歳の誕生日。俺からは、このごろ楽器に興味が出はじめた【息子】に公文のCD付き楽器カードなるものをプレゼント。ママからはプラレールの電池で動くひかりレールスター。【娘】は手作りのカードと、これも手作りの「あざらし飛行機」という、よくわからないけどなんだかかわいいものをプレゼント。

【息子】はこれまで4月の【娘】や妻の誕生日には「【むすこ】くんのたんじょうびはぁ?」としつこく聞いたし、幼稚園の9月生まれのお友達の誕生会では、こともあろうに「○○くんだけたんじょうび、ずるい!」とかなんとかゴネたらしい。ところがきょうはその○○くんが【息子】にお祝いのカードをくれた。申しわけなくかつ有難いことだ。【息子】も自分の誕生日が来て皆にお祝いしてもらって、ゴネるよりお友達におめでとうといえばよかったなと、ようやく得心した様子だった。まあ、自分が祝われる番が実際に回ってこないことには、いくら言葉で諭しても効き目はあるまい。こういうふうに経験を積んで、なるたけ早いとこ稚拙な自己中心性からは脱却していってもらいたいところだ。俺も人のことは言えないが。


2010年10月18日(月)はれ

現在この「てなさく世界」ではmimeTeXで数式を表示している。しかしこれには少々不満がある。CGIだからURLにTeXのコードを書くので、バックスラッシュ(\, 0x5c)やスペース(0x20)をいちいち%5cとか%20とかURLエンコードせにゃならん。出力がラスタグラフィクスであまりきれいでない。表現力も高くなくて柔軟性を欠く。とはいえ数式を使うたびに自分で画像データを用意するなんてこともやってられないから、まあ他に方法もないし、という感じで使っていた。ところが最近AMS(アメリカ数学会)のWebサイトではMathJaxというのを使いはじめた。これはTeXのコードで数式をWebに表示できるAjaxのアプリケーション(というのかな)だ。mimeTeXと比較して、表示はきれいだし、本文中にTeXのコードで書いた数式をJavaScriptでレンダリングする方法なので、記号をURLエンコードする手間もいらない。これはなかなかよさそうだ。ひとつ「てなさく世界」でも使ってみることにする。

ただし、いいことばかりではない。当然ながらブラウザが単なる画像表示だけでなくJavaScriptとCSSに対応している必要がある。クライアント側のCPUの力が足りないマシン(たとえばiPadなど)では、レンダリングに時間がかかって少々表示がもたつく。それに、レンタルサーバの場合インストールが厄介だ。(二日後の日記を参照)


2010年10月17日(日)はれ

きょうは小学校のバザーに出かける。教会のそれこそ朝の新宿駅前みたいなにぎわいのバザーと比較すると、小学校のバザーはのんびりしていて楽しい。もちろん、小規模なバザーといえども、PTAの役員さんたちにはいろいろご苦労もあろうかとは思うのだけども。

俺は普段の食事に使う皿を安く買う。妻は【息子】が来年着る制服をお下りで安価に入手できて大喜び。その【息子】は体育館のマットで なおくん と遊んでごきげん。【娘】は俺たちとは終始別行動。昨日 まぁちゃん や ヒナタちゃん と児童館で遊んだときに、きょうのことを約束していたそうで、きょうも俺たちが帰ったあと、しばらくお友達と遊んで、一人で電車に乗って帰ってきた。

夕食はパパラーメン。今週末はあんまり料理をしなかったなあ。


2010年10月16日(土)はれ

【息子】が年長さんになってしまって、幼稚園の運動会も今年かぎり。昨年は母親や先生にヘバリついて離れなかった【息子】だが、今年はそれなりに集団行動もできるようになっていた。一年で少しは成長したらしい。ご褒美というには地味だが、昼飯はロッテリアのテイクアウト。毎朝ロッテリアの前を通学している【娘】は えびバーガーがどんな味か気になっていたらしい。


2010年10月15日(金)はれ

朝、5時に目がさめた。二度寝するとろくなことはないので、起きて朝食と弁当を作ることにした。レンコンのきんぴらとかみなりこんにゃくを作り、ウインナーを茹で、きゅうりとかまぼこをスライスする。これにデザートのりんごを添えて弁当のできあがり。学校給食のある【娘】のほかは3人とも弁当がいる日なのだ。朝食は冷奴と野菜サラダと、昨夜のスープの残り。それに弁当に入れたこんにゃくやきんぴらの残りもある。いつもいつもできるとは限らんが、惣菜づくりをこまめにしていれば弁当に冷凍食品を使わずにすみ、冷蔵庫も財布もヨロコブ。

セミナーは前原『数学基礎論入門』第7章に突入。いよいよ形式的体系のメタ数学的分析が本格的に始まって、学生さんたちもさすがに取り付きにくそうだ。ここの所は特にコンセプチュアルに難しいだろうから、焦らず丁寧に進もう。祝日を含む週なのでピアノのレッスンはお休み。


2010年10月14日(木)はれ

毎晩のように酒を飲んでいる。量は多くないが、酒代が週1,000円〜2,000円くらいかかっているはずで、この習慣を改めれば月々5,000円ほど節約できる勘定だ。それに俺はもともと酒には強くないので、あまり飲むと身体を壊してしまう。この頃は頭がすっきり冴えた状態になることがなかなかないのも、あるいは酒のせいかもしれない。まあそのようなわけで、試しにしばらく家飲みを控えることにする。妻にそういったら「全廃することもないのでは」という意見だったので、お酒はなにかメデタイことがあったときのお楽しみということにする。

ところで、この頃は【息子】は楽器に夢中のようだ。しょっちゅうフルートがクラリネットがチューバがとかいっている。それで、子供向けの「楽器図鑑カード」なるものを買ってやることにした。


2010年10月13日(水)はれ

朝、いつものカフェに寄らず大学会館2階のカフェテリアに行く。コーヒーだけなら73円である。始業前に朝食をとっている学生さんたちでけっこう繁盛している。朝日の差し込むカフェテリアで若者たちが朝飯を食っているというのは、まあただ単にそれだけのことのはずなのだけど、不思議と生きる希望の湧いてくる光景だ。きょうの授業の準備を9時半ごろまでして頭のエンジンが温まった頃あいに自分のオフィスへ向う。

けさの夢では、レトロ調の食堂の看板に赤い文字で《マスターのダブリでB5二枚がいらない所さ》と書いてあるのを見た。夢の中ではこれを「ここで数学のディスカッションをすると店の亭主が計算用紙をくれるんだ」と解釈していた。しかしそんなことわざわざ看板に書くやつはいないだろう。大学用語では、マスターは修士(課程)、ダブリは留年または再履修、B5は学部5年生という意味だが、そう思ってみてもやっぱりこの言葉の意味は不明だ。こりゃいったいどういう了見の夢なんだ。

弁当には昨晩の夕食後に作ったれんこんのきんぴらとえのきの佃煮を入れた。主菜は妻の自慢の鶏ハムだ。なかなかうまかった。授業は単体的複体の定義まで進むつもりだったが単体と重心座標の話だけで終ってしまった。慣れないテーマで講義すると、しゃべる量の見積りがなかなかうまくいかない。


2010年10月12日(火)はれ

もちろん、きょうは火曜日である。しかし、きょうは月曜日である。つまりアレだ。月曜日が休みになるケースがあまりに多いので、授業時間確保のため月曜日スケジュールで授業を行なうというやつ。四国の田舎大学だからこれでいいが、都心の大学ではかけもちの非常勤講師も多いから勝手に曜日をずらすこともできず、仕方なしに祝日でも授業をしているらしい。きょうび、どこの大学も授業時間確保に大変苦慮している。先日、夏休み中だというのに集中講義が開かれたのもそのためだ。といっても、きょうの俺の場合、火曜日にあったはずのセミナーが流れてしまい、月曜日には授業がない。月曜日は午後をオフィスアワーにしているので、きょうは自室で明日と明後日の授業の準備をした。並行して準備していると、ときどき自分が何をやっているのかわからない状態になる。

このごろは月曜ばっかり祝日になるので、ピアノ教室もレッスン日のやりくりが大変らしい。そのせいかどうか、数年前からお月謝据え置きで年間レッスン回数が2回減ってるんですけど...

夜、【娘】と【息子】と俺の3人でまたまた神経衰弱をやる。【息子】が一夜にして上達しているので驚く。昨晩なんか上手にできなくて怒ってギャーギャーわめいていたのに、今夜は落ち着いてよく観察していくつもペアを作っている。子供の学習能力はすばらしい。そして、最初に情緒面でのハードルを越えないと実力を発揮できないのは、俺にも身に覚えのあることだ。


2010年10月11日(月) 体育の日くもり

昼食にきつねうどんを作った...って、この連休こんなのばっかり。なかなかうまくできて満足。で、つゆを多めに作って余らせてしまった。煮物に使えそうだがどうしようか。そうだ夕食におでんを作ろう。という話になって、家族4人でラムーに練り物を買いに行った。そしたら、フジグランでは298円くらいするハマチのアラ一匹分が98円だ。妻があら炊きも作ろうと言いだした。結果、ハマチのアラ炊きと炊き立てご飯と昼に作ったブナシメジの佃煮で立派に夕食が済んでしまうくらいで、おでんはたくさん残った。一晩寝かせるくらいがうまいだろうからいいんだけどね。

おでん
とりあえず鍋が一杯。煮こむ前の状態。


2010年10月10日(日)はれ

朝食にはオムレツとコールスロー。昼食にスパゲティを作った。午後、久々にジョープラへ。夕食は妻が担当。夜には、ダイソーで買ったトランプで遊ぶ。神経衰弱なら【息子】も参加できるが、大人はゲームそのものより子供たちを楽しませることに神経を使うから、勝負はたいてい【娘】の一人勝ちだ。


2010年10月9日(土)はれ

このごろ、週末の俺はめっきり厨房(といっても思春期の子女ではなくキッチン)の番人クッキングパパである。豚肉と白菜を茹でて中華スープで味付けして朝食のおかずにした。昼食にラーメンを作った。夕食には、カレーのほかに、もやしの和え物と、鶏レバーの煮物を作った。夕食の用意のついでに、明日に備えてトマトソースを作った。


2010年10月8日(金)あめ

金曜日の午後にも四年生のセミナーをやることになった。学生さんたちとしては『数学基礎論入門』の第6章を終える予定だったようだが、こちらのツッコミが多かったため最後のε-記号の節だけやり残してしまった。しかし、来週には第7章「自然数の関係および関数についての形式的な表現の可能性」に入れそうだ。この章以降がようやく、ゲーデルの不完全性定理の証明とその周辺の話題ということになる。つまり本題に入るまでに半年以上かかったわけだ。ここからは週に5時間くらいセミナーをすることになるので、もう少しスピードアップするはず。少なくとも第8章「ゲーデルの不完全性定理」までは大丈夫と見たが、この本の不完全性定理の証明のうち形式的表現可能性にかかわる面倒な部分は次の第9章「補助定理の証明」に回してあるので、ぜひそこまでは進むべきだ。もちろん、本来なら最後まで読んでしまいたいところだ。

セミナー後、ピアノのレッスン。そろそろ発表会本番を視野に入れてテンポ設定や表現の話。先生がCDを聴かせてくださった。その演奏は、聴いていてこっちが息苦しくなるくらい主要部のリタルダンドが大袈裟だったのと中間部の響きの美しかったのが印象的だった。

今夜はそれから第2回目のゼミ飲み会。会場は不二子マイケルだが、学生さんたちが気を使って8時開始にしてくれたので、どこかで小一時間つぶさにゃならぬ。それで、初めて銀天街のタリーズに行ってみた。銀天街は、連休前の金曜日の夜7時過ぎとは思えないほど静かだった。タリーズに席を占めてから、いつもの小難しい本を全部仕事場に置いてきてしまったことに気づく。こりゃいかん。じゃあiPadでネットでもするかと思っても、ビルの半地下の奥の席だからイーモバイルのポケットWifiルータが回線に接続できない。まあ、しゃあない。せっかくの機会だからと、ゼミテキストを読む。

算術の形式的体系で表現可能な関数は (具体的な入力が与えられるごとに出力の関数値を具体的に与えるような) 計算手続きをもつ。その理由はこうだ。与えられた記号列が形式的体系における形式的証明になっているかどうかのチェックは機械的な手続きとして実現できる。 \(f(x)\) が表現可能な関数だということは、具体的な自然数 \(m\) と \(n\) を実際に与えたとき、命題 \(m = f(n)\) が真ならばこの形式的体系で式 \(m = f(n)\) に対応する論理式が証明され、\(m = f(n)\) が偽ならばこの形式的体系で式 \(m \neq f(n)\) に対応する論理式が証明される、ということ。肯定か否定の証明が必ず存在することが保証されているのだから、 \(m = f(n)\) か \(m \neq f(n)\) の証明が見つかるまですべての記号列を片端からスキャンしていけば、いずれ \(m = f(n)\) かどうかがわかる。だから、たとえば 数 0 における値を計算するには、\(0 = f(0)\), \(1 = f(0)\), \(2 = f(0)\), … という一連の命題(記号列)について、その命題か否定命題の証明を探していけば、いずれは正しい値がわかる。ものすごく気の長い話だが、表現可能な関数 \(f(x)\) の値を計算する手続きを、こうして与えることができる。

問題はその逆「計算手続きをもつ関数は、表現可能である」のほうだ。この命題は正しい。しかし、それを示すためには、まず「計算手続きをもつ関数」の範囲を明確にして数学的な定義を与える必要がある。つぎに、計算手続きというものの数学的定義に対応して、形式的体系において関数を表現する論理式を構成することになる。これは、いってみれば、計算の手順を形式的体系にエミュレートさせることだ。そのさい、エミュレーションが正確に実行されることを保証してやらないといけない。なかなか面倒だ。

ゲーデルの不完全性定理の肝となるのは「記号列 \(y\) が論理式であり、記号列の列 \(x\) が論理式 \(y\) の証明であること」を意味する関係 \(x\mathrm{B}y\) が表現可能であるという事実である。(そしてこれは前原本第9章で証明される「補助定理」の一つでもある。) 記号列の列 \(x\) が論理式 \(y\) の証明であるかどうかのチェックが機械的な手続きであること自体は見やすい道理だから、この事実は上に述べた「計算手続きをもつ関数は、表現可能である」という一般的定理の特殊ケースということになる。特殊ケースを特殊ケースとして個別に片づけてもいいし、ゼミではそうする他ないだろうが、実際のところ、ここまで来れば、すでに再帰関数の理論の門前に佇んでいるようなものである。

…とかなんとか考えているうちに飲み会の集合時間になった。前回参加できなかった紅一点が妙に無口だったので、男子学生たちが「もっとなんか先生に質問とかせにゃ」とけしかける。そう促された当人が先生(つまり俺)に聞いてくることなんて、まあたいてい決まっている。しかしパーティー会場にキノコが生えていた話ばかりでも仕方ないので、「最近した人助け」とか「最近人に助けられたこと」とかを学生たちに順に語らせていたのだけど「いま自分が自慢したいこと」の話をしているうちに、男子学生3人がいずれもかなりの「リア充」であることが発覚したのだった。N2iくんなんか、このほど教員採用試験に合格ったうえ「いまは彼女いないんですけど、毎週会ってる人はいます」というリア充っぷりだ。すばらしい。

カゼ気味なので二次会には行かず。何年ぶりかでタクシーとかいうものに乗って帰宅。


2010年10月7日(木)はれ

きょうは一日 自宅で養生しているつもりだったのだけど、業務の打ち合わせのための招集召集メールが来たので出かける。まだ咳が出るが、熱は下がっている。天気がいいので、外に出て日光に当たるのは気持ちがいい。夕方、いつもの医者に行く。いつもの薬(ルボックスとデパケンR)のほかに、蔘蘇飲なる喉と胃腸のための漢方薬を出してもらった。


2010年10月6日(水)はれ

水曜日の講義では位相幾何の初歩をやる。図形のホモロジー群の計算と、ホモロジーの幾何学的意味の理解が目標だ。本当なら今夜は三年生の飲み会に呼ばれているのだけど、風邪で調子が出ないのでキャンセルさせてもらった。もうしわけない。

それとは全然関係ないけど一言。俺は学者のはしくれとして、柘植利之と篠田寿一の弟子であることを誇りに思うと同時に、ものの書き手としての森毅と倉田令二朗の芸風を強く慕うものである。というわけで、これからよりいっそう精進します。


2010年10月5日(火)はれ

昨晩、夜勤さんと Twitter で長々とやりとりして睡眠不足。おまけに明け方ずいぶん肌寒かったので、とうとう風邪をひいてしまった。後期の四年生のセミナー再開の日なのだが、どうにも頭が働かない。


2010年10月4日(月)くもり

今日の朝飯と昼の弁当は栗ごはん。昨日俺と【娘】がむいた栗を一晩漬けてから炊いたのでとても柔らかくふっくらとした味わいでおいしかった。

ゲーデル著作集の第二巻のソロヴェイの解説文を読む。集合論においてゲーデルの業績を理解しソロヴェイの業績を理解することは欠くべからざる基礎訓練なのだ。とかなんとか言っていたら、Amazom.comからのメールでイェックの『Multiple Forcing』のペーパーバック版が出ているとの連絡。24.99ドルなら買おうかな。(後日追記: 一日たって Amazon.com を見にいったら、ペーパーバック版はすでに入手不可になっていた。どうしたことやら。)


2010年10月3日(日)くもり

きょうも子供らを教会学校へ連れていく。10月最初の日曜学校なので、10月生まれのお友達のお誕生会をする。といってもお誕生日カードをもらい、ひとりずつ何歳になったかとかなんとか報告して、それからみんなで「お誕生日の賛美歌」を歌っておしまい。今月19日で6歳になる【息子】は、自分のお誕生会の番がまわってくるのが待ち遠しくて仕方なかったのだ。

ワグナーの名曲「ワルキューレの騎行」の話。【娘】はこの曲が大好きなのだが、【息子】はこれが怖くてイヤだと言う。《極上パロディウス》でこの曲がかかるときの情景やYouTubeのこの音源についている絵が恐怖を誘うらしい。だが、「ウィリアム・テル序曲」の嵐の場面や「星条旗よ永遠なれ」が大好きなんだったら、「ワルキューレの騎行」が怖いはずはない。そこで、【娘】やパパとひとしきり Photo Booth でアホ写真を撮って遊んで【息子】の気持がほぐれている頃あいに、三人一緒に座って「ワルキューレの騎行」を聴いてみた。そしたら、音楽そのものは別段怖くもなんともないということを【息子】もわかってくれたようだ。

朝食はうどん。昼食の野菜サラダは定番のゆずぽん酢が見あたらなかったので夏場に麺だけ使って残してあった冷やし中華のスープで代用。なかなか好評だった。夕食の買いものに行くついでに、天気が悪くて干せなかった洗濯ものをコインランドリーの大型乾燥機で乾かす。ラムーで秋刀魚そのほかを買ってコインランドリーに戻る。家族で力を合わせてホカホカの洗濯ものをたたむ日曜の午後。なんとも幸せな気分だ。妻が焼いてくれた一匹58円の秋刀魚はとてもうまかった。


2010年10月2日(土)くもり

幼稚園で先日の「いもほり遠足」のフォローイベント「やきいもパーティー」が開かれた。俺を含むお父さんたちがかまどを組んで炭火をおこし、お母さんたちと子供たちが芋をアルミホイルに包む。芋が焼けるまでのあいだにちょっとしたゲームをする。まあ、それだけのことなのだが、子供たちと一緒に わあわあガアガア と過ごすのはとても楽しい。

夕食に小松菜と油揚げの煮浸しを作ったらうまかった。青菜が食卓に上がるのは本当に久しぶりだ。


2010年10月1日(金)はれ

不快ではないがかなり奇妙な夢を見て目覚めた。子供も大きくなってきたから、親子4人で和室でゴロンと雑魚寝するというスタイルはそろそろ限界。

一時間目は昨日の続きでプレゼンテーション演習。受講者持参のノートパソコンにW32TeXをインストールしてもらい、基本的な作業の流れを体験してもらった。昨日確かめたとおり、ノートパソコンを持ってこれるのは10人中4人だったので、教室所有のノートパソコン3台と自分の研究用に使っていた古いThinkPadを用意した。自宅にデスクトップパソコンを持っている人には、インストールディスクを持って帰って作業してもらう。そもそもパソコンを持っていない人もいるので、腕に覚えのある受講者に院生研究室の共用パソコンへのインストールをお願いした。これで、TeXをいじれませんという状況は解消されたはずなので、あとは次回以降の授業の運び方を俺が工夫するだけのことだ。

竹内外史『新版 ゲーデル』(日本評論社1998年)を読み終えた。「ゲンツェンの死」という文が特に印象に残った。平和な社会でのほほんと生きていられる自分の境遇が、いかにありがたい恵まれたものであるか思い知った。もっときちんと勉強しないと先人たちに申しわけないと思った。

夕方、ピアノのレッスンの前に楽器店に行き、来年の出し物の楽譜を買い、ついでにお願いして、ボストンのグランドピアノを弾かせてもらった。発表会の会場のスタインウェイより、俺はこっちのボストンのほうが好きだ。だが、どうあがいたってどっちも絶対買えないから、まあ安心しなさい。レッスンでは今週もこってりしぼられた。ひととおり弾けるようになってかえって雑になっているところは確かにある。あとひと月半のあいだにそういう雑な凸凹をなくして磨き上げないといけない。