て日々

2009年12月


2009年12月31日(木)はれ

朝のうちに柳井のベスト電器へ行って、義父母へのプレゼントにデジタルフォトフレームを買った。午後は年末恒例、プリウスの車内清掃。赤ちゃんグッズを積まなくなったこのごろは荷物が少ないぶん楽になったが、その代わり汚れはひどい。今回も、【息子】のチャイルドシートをのけたら座席に飴玉がこびり付いていた。それに、昨晩中途半端に降った雪のせいで、今年に限っては車内清掃より洗車のほうが先決かもしれない。が、俺が運転する車ではないので、それは妻の判断に任せる。

かがみさん の日記は復旧した。やはり仕事の疲れがたまってポカをやったらしい。きつそうだったもんな。せめて正月くらいはゆっくり脳みそのシワを伸ばしてください。

というわけで今年も大晦日。いろいろあったようななかったような、あっというまの一年でした。今年もいろいろな人にお世話になりました。おかげで元気で年を越せそうでなによりです。ありがとうございます。来年もよろしく。


2009年12月30日(水)くもり

昨年同様、【娘】がじいちゃんに連れられて油谷へ。【息子】一人では騒いでも知れている。昼飯には「北京のウィーン人」(→9月23日の日記を参照)を作った。なぜか かがみさん の日記が読めなくなっている。携帯電話のPCサイトビューアでのアクセスなのでそのせいだろうか。あるいは仕事の疲れがたまったせいでうっかり rm -rf . を入力してしまったか。心配だ。

三浦佑之『浦島太郎の文学史』(五柳書院, 1989年)を読了。この本で著者は、浦島説話の起源は丹後地方の伝承や神話ではなく、伊予部馬養の創作になる、神仙思想を背景とした恋愛小説であったに違いないと論じている。丹後国風土記逸文の浦島説話や日本書紀雄略天皇二十二年条の記述は、伊予部馬養の小説作品に展開されたストーリーを国家の正式な記録文書にふさわしく要約したもので、「群書類従」に収録された平安時代の『続浦島子伝記』の前半部分が、馬養のオリジナルのストーリーに最も近いと考えられるというのだ。この結論だけ見るとあまりにも突飛に思われるが、もちろんその結論に至るまでにたいへん綿密な考証がついている。その証明を詳しく検証する能力は俺にはないが、この説が浦島説話の起源として蓋然性の高いものであるとは認められる。浦島説話に興味のある人にとっては、これは必読書だ。三浦の導いた結論を鵜呑みにする必要もなかろうけれども、知らずに済ますことはできない。

今月のはじめに俺が浦島説話を引き合いに出した動機は、要するに自分が浦島さんになってしまっているような気がするということだった。昔話としての浦島太郎の物語の深層にある心理のしくみについては、河合隼雄『昔話と日本人の心』で見事に説明されている。河合隼雄の本の目的は、多くの人に受け入れられ語り継がれてきた昔話のなかにそれを語り継ぎ受け継ぐ人々の心の深層のメカニズムを読み取ろうというものである。そういう目的からしてみれば、物語の出発点が創作であるか伝承であるかという点はあまり関係がないのかもしれない。いっぽう、三浦佑之は、最初から文字表現として構想された浦島説話は神話などの口承文学と同列に扱えないと主張する。この論点は取り上げる価値がありそうだ。

多くの人が浦島太郎の物語に興味を持っていて、浦島太郎を研究した本も (邪馬台国と卑弥呼に関する本ほどじゃないだろうけど) たくさんあるし、Web上に「浦島説話研究所」というサイトもある。そのように浦島説話が人々の関心を引く理由の一端は、たぶん昔話としての浦島太郎の物語の不条理さにある。亀を助けた善行の報いが竜宮上での数日の遊興だけで、その後は故郷の喪失と自分自身の老いが待っている、というのは、なんとも割に合わない感じがする。「したきりすずめ」や「鶴女房」などの他の動物報恩譚では、こんなことはない。その不思議さが心に残るのだ。ところが、この形での「浦島太郎」の物語は明治の児童文学者の巌谷小波(いわや さざなみ)の創作になるものといってよいらしい。というのも、それ以前の、中世から近世の浦島説話は丹後の浦島明神の起源説話という意味をもっており、丹後の筒川、木曾の寝覚ノ床、あるいはその他のどこにせよ、土地と切り離しては考えられないという意味で、昔話というより伝説というべきものだった。江戸時代にはこうした宗教性は忘れ去られたというより故意に無視されて、数々のパロディー作品が生み出されもした。そして最終的に、巌谷小波がこの話から地域性を抹消し、かつ玉手箱を開けた後の顛末を抹消して、現在の形のお話に仕立てた。そのお話が、明治40年ごろから昭和25年ごろまでの40数年にわたって小学校の教科書に採用され続け、すべての国民に浸透した。教科書への収録がなければ「浦島太郎」が他の多くの説話や伝承から抜きんでてここまでポピュラーな昔話として知られることはありえなかった。とはいえ、巌谷小波がリライトした「浦島太郎」は、伊予部馬養や高橋虫麻呂による神仙思想にのっとった男女の交わりのストーリーという起源からも、それを引き継いで中世に仏教説話の報恩譚と本地垂迹説の要素を取り込んだ浦島明神の起源譚という形態からも切り離されたため、早い話がなんのことかわからない物語になってしまっている。それでかえって神秘的な不思議さを獲得したともいえるのだが、この不思議さは、鶴が人間に身をやつして恩返しにくるとか、竹の節やら桃の実やらから赤ちゃんが出てくるとか、そういったタイプの不思議さとは違い、行為とその報いとのバランスがとれていないという、説話にとって致命的な不条理さだ。話し手と聞き手のインタラクションを不可欠の契機とする口承文学においては、こうしたバランスの悪さはたちまちなんらかの合理的な形に修正を受けてしまうはずだ。要するに、「浦島太郎」は、口伝による継承には耐え得ないもので、最初から文字媒体の存在を抜きにしては考えられない物語なのだ。話が前後するが、三浦佑之の浦島説話研究の出発点は、「浦島太郎」の昔話が口承文学とは考えられないという、古事記研究の第一人者ならではの、この直感であった。

ところで、「竹からうまれたかわいい女の子」の不思議さが「亀を助けた報いが玉手箱」という不条理よりは自然に受け入れやすいとはいっても、かぐや姫が長じて後の話の展開を考えれば、竹取物語もまたずいぶんと不思議な物語である。あるいはこれもまた「書かれる」ことによってしか存在し得ない物語であったのかもしれない。

浦島太郎をめぐって何冊かの本を読んでみて、俺としては行き先として蓬莱山に代わって竜宮が採用されるに至った経緯にも興味がでてきたし、この調子で来年は「かぐや姫」や「一寸法師」についても調べてみようかな、なんて思っている。


2009年12月29日(火)はれ

妻の実家に世話になるときにはしばしば俺が昼飯を担当する。きょうは昼食に牛すじ大根を作った。足立恒雄『「無限」の考察』(講談社, 2009年)を読んだ。数学者にとって無限とは何か、じつにわかりやすく、しかし正確に書いている。


2009年12月28日(月)はれ

久々に自分のズボンを買った。【娘】の勉強にと山口県の地図を買い、正月に遊ぶために「かいけつゾロリおやじギャグかるた」というのを買った。


2009年12月27日(日)くもり

難波完爾先生の『集合論』(サイエンス社, 1975年)が届いた。Amazon.co.jpで買えたのだが、届いた本は1990年の初版第4刷で、価格表示も消費税率3パーセントのときのままである。この本は学生時代に一冊買って、まだ持っているのだけど、少し傷みが目立つようになっていて、気になっていたのだ。ただ、どうしていま新品が手に入ったのかわからない。わからないけれども、来年度の四年生のゼミで集合論希望の学生がいたら、場合によってはこの本をテキストに採用してもいいかなと思っている。論理体系を扱う第1章に難波先生の持ち味が出ていてちょっとばかし取り付きにくいけれども、第2章以降の集合論の展開の部分はうちの学部の四年生にはちょうどよいかもしれん。

このテキストにはわりとよく知られた間違いがある。順序数κが到達不可能基数であることと R(κ) がZFC集合論のモデルになることとが同値だという命題が証明つきで載っているのだけど、じつはこの命題は正しくない。もっとも、難波先生の証明のどこがどう間違いなのかを説明するのはなかなか難しいし、反例を示すのはもっと難しい。難波先生には申しわけないが、専門分野としての集合論の堂に登るには、この間違いを正せるかどうかが鍵になるとさえいえる。

夕方の船で柳井に渡る。フェリーはガラガラ。今年も妻の実家で年越しだ。いつもタダ酒飲んでばかりでは心苦しいので、キリンのクラシックラガーを1ケース持って行く。


2009年12月26日(土)くもり

朝、自宅の二階の部屋の掃除に着手。毎週のことだが午後は子供の世話をする。昼飯を食わせてからコミセンの図書館へ行った。この一年のうちに【息子】が興味のある本を自分で選ぶようになったので、俺も自分の読みたい本を選ぶ時間がとれる。【息子】は迷わずさっさと選ぶが、【娘】は慎重というか優柔不断というか、ほっとくといつまでも迷っている。図書館を出て、ロビーでりんごジュースを飲ませ、こども館でしばらく遊んでから、公園でさらにしばらく遊んで、電車で帰宅。

NHK教育テレビのアニメ『獣の奏者エリン』は今日が最終回。このアニメの美術と音楽はとてもいい。だから、ストーリーがいまいち把握できていないはずの【娘】も喜んで観ていた。しばしばストーリーと関係なさそうに挿入される花や虫たちのカットが実は話の流れや人物の心の動きを暗示している点もすばらしかった。ただ、全編のしめくくり方については、最後の2回をつづめて1回にまとめたほうが緊迫感が出たんじゃないだろうか。最終回後半が少し内容希薄な印象を与えたのは残念だ。しかしいずれにせよ、この難しい話を美しくアニメ化したことは賞賛に値すると思う。


2009年12月25日(金)はれ

オフィスで何年も整理していなかった書類キャビネットをあけて不要な書類を処分。シュレッダーにかけなきゃならん紙がたくさんあって大変だった。今年最後のピアノレッスン。ツェルニー40番の第11曲がようやく通った。ドビュッシーは右手と左手のリズムの噛みあわせがよくないので、テンポを落としてきっちり練習しなくてはいけない。先生から子供たちにお菓子をいただいた。歩数計カウント12,374歩。


2009年12月24日(木)はれ

CDを2枚。溝口肇の『yours; tears』と平原綾香の『マイクラシックス』が届いた。平原綾香のCDはあのヒット作「ジュピター」をはじめとした、クラシックの名旋律のアダプテーションである。ただし、ほとんど原型を留めないような大胆なアダプテーションもある。この盤で俺にとっての目当ては第5曲「シェヘラザード」だ。もう一方の溝口肇のCDは懐かしいめのポピュラーのメロディーをいたってオーソドックスにチェロで演奏しているもの。「ウィア・オール・アローン」とか「イエスタデイ・ワンスモア」とか「愛はきらめきの中に」とか。これはなにか、詩の朗読のバックに流すといいかもしれない。それにしても溝口肇がこんな男前だとはいままで知らなかったなあ。

いろいろの事情で何度か中止になった金曜日のゼミの埋め合わせに、午前と午後、普段の2回分のゼミをやってきた。まことに大雑把ながら帰納的関数の理論の概略をすませて、これで年明けにはようやく不完全性定理の証明に取りかかれる。夕方、帰ろうと外へ出ると警備員さんが「楽しいクリスマスをお過ごしください」と言ってくれた。ありがとう。帰宅後、夜は子供たちがハイになって大騒ぎしてなかなか寝付かなかったが、深夜おそくにちゃんとサンタさんが来てくれてひと安心。歩数計カウント9,503歩。

やる気のないあひるこれもやる気のないあひるこれまたやる気のないあひる

このさいだから、今月いっぱい浦島太郎のネタで引っ張ってしまおう。なんと、浦島太郎の相方の乙姫さまにはお姉さんがいる。三舟隆之『浦島太郎の日本史』を読んで知ったことだが、「乙姫」という名前は決して「おととの姫=魚の姫」ではなく、「弟(おと)の姫」つまり「二番目の姫」あるいは「年下の姫」という意味であるらしい。上方落語でいう「こいさん=こいとちゃん」というやつだ。では、姉姫はどこでどうしているかというと、これがまた驚いたことに仏さまになっている。竜王の娘は法華経の功徳により未来の世界で如来として衆生を済度するであろうという予言が、ほかならぬ法華経自身(提婆達多品)にすでに書いてあるのだ。大乗仏教で女人成仏という教義をハッキリ書いたお経は、(少なくとも日本で広く布教されたお経の中では) これが最初で、そのため法華経提婆達多品は平安時代の貴族階級の女たちの信仰を広く集めた。浦島説話が仏教色を強めていく過程で、竜宮のお姫さまはおもてなしするだけで結婚はしないという話になった。しかも、なにしろ竜王の長女である竜女(りうにょ)は法華経の重要キャラクターなので、浦島さんのおもてなしは妹の姫がすることになったと、そういう流れらしい。

ところが、いつどのようにして、行き先が常世の国から竜宮に変わったのかはわからない。それに、いつから亀の背中に乗って海を渡っていくことになったのかも、わからない。たとえば、室町時代の『御伽草子』の浦島太郎の物語はすでにかなり仏教色が濃くなっているが、助けられた亀は美女に姿を変えて浦島太郎の前にあらわれ、二人は舟に乗って竜宮に行く。そこでは決して亀が乗り物扱いされていない。しかし江戸末期には亀の背に揺られての長旅に疲れた浦島の姿を茶化すような川柳が(「浦島の尻 六角の形だらけ」とか)いろいろと作られているそうで、この間三百年のどこかで物語が変化したことは間違いがない。

仏教色を強めていくといっても、浦島太郎の物語が仏さまの教えにかなうものになっていくわけではない。そもそも、因果応報とか輪廻転生とかの思想は、仏教が開花する土壌としてのインド古来の思想である。仏教はむしろ因果や輪廻からの解脱を説く教えであるから、浦島太郎の物語の登場人物が前世の因縁がなんちゃらいうのを仏教思想の影響だというのは、実際そのとおりなのかもしれないけど、なんだか妙なものである。

なにせ日本の仏教というのはインドのお釈迦様の教えと比較するとびっくりするほどの変貌ぶりだ。そもそも、お釈迦様の教えには先祖供養などという発想はカケラもない。神仏にせよなににせよ、供養すれば善根を積むことになるというのは、仏教以前からあるインド古来の信仰であって、仏教は僧たちの生活を支えるためにその信仰をおおいに利用したけれども、決してお釈迦さまが「仏を礼拝すれば功徳がある」なんてお教えになったわけではない。むしろ「私が死んでからは、わたしの説いた法を頼りにせよ。自分たち自身を灯明とせよ」、つまり自分たちでしっかりやれと教えられたのだ。それに、お釈迦様は涅槃に入る直前に弟子たちに「私の葬式のことは世俗の人たちに任せなさい」と遺言しているくらいだから、仏教と葬式の結びつきもお釈迦様の教えにはない。こうしたことはすでに秋月龍珉『誤解された仏教』(講談社学術文庫)に詳しい。

ではなぜ日本では、死んだ人が仏になり、先祖を供養することが功徳になるのだろうか。

お寺にはいま現在それ以外の収入源がないという実際的な問題は、お坊さんたちには切実でも、結果論であるから、いまは措く。加地伸行『儒教とは何か』(中公文庫)では、先祖供養の重視は仏教のもともとの教義になく、むしろ儒教に代表される東アジア土着の宗教意識あるいは死生観だという。この指摘は示唆的だ。

先日読んだ内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったか』(講談社現代新書)でも触れられているし、河合隼雄『昔話と日本人の心』でも言われているとおり、日本人はこれまで、自然と濃密に触れ合い自然の恵みを受けて生活していることを深く意識してきた。そこでは、死とは自然に還ることである。自然環境と先人の恵みを受けて生き、死んだら自分も自然に還って今度は子孫を養う、というのが、日本的人生の大団円である。こうして、祖霊崇拝と自然崇拝が重なり合う。いっぽう、古代中国では、戦争に勝った一族は敗者を決して根絶やしにはしなかった。根絶やしにすると祖霊を祀るものがいなくなって祟りが起こると考えられたからだ。仏教はこうした東アジア的宗教意識を塗り替えるのではなく、そこへ浸透し混交する形で定着したというわけだ。

とはいえ、祖霊崇拝は儒教や神道の重視するところでもあるのだから、日本における仏教と死との結びつきを説明する理由としては、これだけでは不十分だ。江戸時代の檀家制度の強制などいろいろの理由が考えられるが、いまのところ自分では納得いく説明が見つからない。

それにしても、仏教なり儒教なりキリスト教なりの表向きの教義よりも土着の人間観・死生観のほうが強かなのだとすれば、教義とはいったい何なのだろうか。

浦島太郎から、日本の昔話へ、そこからさらに民俗や宗教史へと、興味が広がっていく。


2009年12月23日(水)/天皇誕生日はれ

朝、《近所の高校の吹奏楽部の部室でフルートで「アドロ」を吹いたら、だれかがギターで合わせてくれた》という夢を見た。夢の中で演奏していたフィンガリングのキーはAマイナーだったが、夢の中で鳴っていた音のキーは (起きてすぐにピアノで確認してみると) F#マイナーだった。仕方がない。俺は絶対音感がないのだ。しかしなぜ「アドロ」なのか。まあ、好きな曲ではあるが。それにしても、F#マイナーで「アドロ」とはまたフルート向きではない。なにせ Cis-H-Cis と始まるのだが、フルートではこの最初の Cis が全部の指を上げた音で、音色も音程もなかなか決まらない。G管のアルトフルートで(記譜上はBマイナーとなる)オクターブ下を演奏すると案外かっこいいかもしれないが、G管で記譜Bマイナーとなると今度はサビの部分が決まらない。なので、フルートで「アドロ」なら、やっぱりAマイナーがいいと思う。

妻子が教会学校のクリスマス会に行っている間にトカゲヤでベルトを買い、ジュンク堂で昔ばなし関連の本を追加する。三浦佑之『浦島太郎の文学史』、関敬吾編岩波文庫版『日本の昔ばなしI&II』、新潮文庫版柳田国男『毎日の言葉』『日本の昔話』『日本の伝説』、岩波文庫版『御伽草子、上下』、以上8冊。岩波文庫版『日本の昔ばなしIII』は書店にはないがAmazonマーケットプレイスで古書が手に入るので発注。


2009年12月22日(火)はれ

講義。距離空間の点列コンパクト部分集合の、全有界性、可分性、第二可算性、リンデレーフ性と進み、コンパクト性を導く。みずから難しい証明は一日一個という原則を立てたのではあるが、冬休みをはさむことになるので大定理(というほどではないが)の証明は年内に済ませたかったので、今日にかぎっては最初から終わりまで難しい証明の連続だった。まあまあうまく話せたとは思うが、聞いているほうは大変だったろうな。歩数計カウント12,598歩。


2009年12月21日(月)はれ

三舟隆之『浦島太郎の日本史』(吉川弘文館, 2009年)は大変面白い。奈良時代以降、王族・貴族のあいだに神仙思想の流行があり、浦島太郎が長寿の神様として信仰を集めるようになったとか、平安時代には医者の止めるのも聞かず水銀入りの丹薬飲んで寿命を縮めた天皇がいたとか、宮廷の歌人のあいだで「開けてくやしい」玉手箱を「明けてくやしい」逢引きの夜にひっかけた言葉遊びがあったとか。

きょうは市民コンサート機関誌作業日。事務所のパソコンのウィルスセキュリティが働かなくなって、自腹切って再インストールしてやったのに復旧しない。使用年数から考えると、そろそろハードディスクに物理的なエラーがあってもおかしくない。プログラムはハードディスクを交換してから再インストールすりゃいいが、データは消えてしまったら取り返しようがない。ひどいことにならないうちに早急にバックアップをとっといたほうがいい。だが、事務所に出入りするおじさまおばさま方はパソコンに詳しくないから、たとえバックアップの必要性を認識したとしても、やりようを知らない。じゃああなたやってくださいよとなるに決まっている。ふむ。困ったものだ。


2009年12月20日(日)はれ

昨日ずいぶんサボったので、きょうは埋め合わせに三食とも俺が用意。昼食には油揚げを煮てきつねうどん。夕食は牛すじ大根、白菜とベーコンの煮びたし、肉ミソ、それとほうれん草のポン酢和え。夕食のおかずの料理は日の高いうちに済んだので、ご飯が炊けるまでの間に、4人そろって近所のダイキまで歩いて行き、こまごました買い物。子供たちは昨日と今日あまり外に出ていないのでエネルギーをもてあまし気味だったようだ。夕方には『ハウルの動く城』のDVDを観た。夕食はみんなよろこんで食ってくれたけど、今日の食事は全体にちょっと塩分が多かったかな。


2009年12月19日(土)はれ

体調というか精神面で不調なので、一日家でダラダラしていた。例によって妻が学校に行っているので子供の面倒をみる。ただし、やったのはDVDプレーヤの操作と昼飯の世話くらいで、基本的にほったらかし。


2009年12月18日(金)はれ

朝はセミナー。しかし工事の音がひどかったので普段から声の小さいKくんの声が全然聞こえず。仕方なしに自分のオフィスに場所を移して続行。述語論理の話をざっと済ませて、ようやくチューリングマシンの話に入った。はたして不完全性定理にたどり着けるだろうか。学生さん3人を入れるために急ごしらえにせよ部屋を片付けたため、居心地はよくなったが、なにしろ寒かったのと、毎朝欠かさず飲まねばならぬ抗うつ剤を昨日と今朝つづけて飲み忘れたもので、午後からはまるで調子が出ない。ピアノのレッスンをお休みさせてもらい、晩飯も食わずに家で寝込む。毎冬恒例の咳がでるが、熱はない。歩数計カウント10,409歩。電車で帰ったわりに歩数があるのは、昼食時にちょっと遠出したからだ。といっても行き先はロープウェイ街のsova sova(リンク先はグルメこまち)で、その前に一番町まで妻を迎えに行ったぶんの歩数があるというわけ。


2009年12月17日(木)はれ

仕事中はインターネットラジオをかけっぱなしである。お気に入りは SoloPianoRadio.com で、リラクセーション系のピアノ音楽ばかりを流している。このタイプの無料ストリーミングは各種あるのだけど、どれを聴いても、挿入されるCMが、たいてい 美しい音楽を楽しんでいただいているでしょうかぁ? とか おいしいワインをしかもお手ごろな価格で楽しんでみたいと思っていますかぁ?てな具合で、疑問文から始まる。そのむかし、デール・カーネギーがセールスの極意のひとつとして「イエスと答えさせる質問から始める」ということを言っていたが、それがセオリー化しているわけだ。どのみち、こちとら英語は外国語なので、多少CMが入ったところでそれほど耳障りにもならないのだが、どの局のどのCMも判で押したように同じなのが妙な感じではある。俺だったら、というか日本だったら、もちろん「毎度ありがとうございます」から始めるところだ。時たまテレビなどで米国の政治家やタレントが出てきてしゃべっている映像をみるが、彼らは決してカメラから目をそらさない。みなさまご承知のとおりメリケンの人々は表情も身振りもわりかし大きいのだけど、プロのしゃべり手になると、声の抑揚にあわせて体をゆするようなアクションをしながらも、視線はじっと一点を見ていて、それはもう恐ろしいくらいだ。お国柄というのかなんというのか、ところ変われば品変わるである。

夕方から会議、6時前に終わって医者に行き、宮脇書店に寄りつつ歩いて帰る。寒かったので風呂にゆっくりつかると気持ちよい。歩数計カウント16,200歩。

宮脇書店では古語辞典を立ち読みして「あるじ」と「ぬし」の意味の違いを再確認し、またことわざ辞典をいろいろ調べて「ブタもおだてりゃ木に登る」ということわざがどの辞典にも載っていないことを確認した。いまではすっかり定着した感のあるあの言葉は、じつはタツノコプロのアニメ「ヤッターマン」のスタッフが作った新作ことわざなのだ。

昨日はあのようなことを書いたが、高砂の翁嫗の小道具の箒と熊手が最初からそういうオヤジギャグ的語呂合わせのために持たされたものだとは、俺は思っていない。いっぽうに箒と熊手を持った翁嫗というキャラクターがいて、他方に「お前百までわしゃ九十九まで」という言葉があって、それで誰かが両者を無理やりこじつけたとしか思えない。鏡餅のデザインにしてもそうで、橙が「代々栄える」で昆布が「よろこんぶ」だとかいうのは、誰かが正月休みの閑にまかせて御屠蘇気分ででっち上げた理由に違いない。そもそも鏡餅は神々への供物であり、わざわざ鏡に似せてかたどったことにも必ずや呪術的な意味合いがあったはずだ。「身は是れ菩提樹、心は明鏡の台」と歌った禅僧もいたくらいで、古来鏡は神霊あるいは魂のシンボルであった。だからこそ、古代中国の王さまが属国に鏡を下賜したり、神社のご神体が鏡だったりするわけだ。そうした本来の起源が忘れ去られたあるいは封印された結果として、語呂合わせで理由をでっち上げる必要が生まれたとは考えられないか。

河合隼雄『昔話と日本人の心』(岩波現代文庫)の第5章が浦島太郎の物語を扱っている。河合は二つの点に注意を喚起する。ひとつはもちろん、海や常世に象徴される無意識界へ誘われるままに沈潜し、時を忘れてまどろむ浦島太郎に 永遠の少年 元型の顕れをみるという点。これは俺が今月1日に書いたことと附合する。もうひとつは、丹後国風土記の亀姫という逆ナンパ美女が、鎌倉・室町の頃には清純な乙姫様となり、さらに婚姻のモティーフが抜き去られた、その女性観の変遷ということ。かぐや姫的な清純な処女性を帯びたキャラクターへとお姫様が変貌した結果、肉体的・土着的な亀のイメージが分離され、それに仏教説話の因果応報のモティーフが加味された結果「助けた亀に連れられて」という話になったということらしい。「鉢かつぎ姫」のような例外はあるものの、日本の昔ばなしのお姫さまは、ディズニー的に王子様と結ばれてめでたしめでたし、とは滅多にならないのだが、その理由はこの女性性の両極化という点にあるのかもしれない。巻末には、香川県仲多度郡で採集されたという浦島太郎の民話が同じく岩波文庫の関敬吾編《日本の昔ばなし》シリーズから転載されている。このバージョンの浦島話では、乙姫さまがくれる玉手箱は三段の重箱で、一段目に鶴の翼、二段目に煙、三段目に鏡が入っていたという。しかも、乙姫さまは浦島に、「途方にくれるようなことがあったらこれをあけてみなさい」というのだ。つまり、これをあければ本当のことがわかる、と乙姫さまが言うバージョンの話がたしかにあり、また、それが、玉手箱に鏡が入っているバージョンでもある。俺が今月1日の日記に書いたことは、丹後国風土記にこそないものの、近世の民間伝承にはあった。あながち大はずれなことは言っていなかったようで安心した。


2009年12月16日(水)くもり

どうも明け方に雨が降ったらしい。朝のうちけっこう寒くしかも薄暗かったのでみな寝坊した。

昨晩、寝床で、漢字では「主」という同じ字が当てられる「あるじ」と「ぬし」はもともとの意味がだいぶ違いそうだというようなことを考えた。「あるじ」はいわば制度上の「主」だが、「ぬし」には、「あるじ」にない霊的な支配力が認められているように感じられる。山の所有者は山の「もちぬし」だけれども、山の「ぬし」というと、その山に古くから住んでいるトトロとかオオカミとか山猫とか白狐とか、なにか物の怪じみたものを感じさせる。

いっぽうの「あるじ」という言葉には、どうやら「客を迎える人」という意味合いが強いらしい。自分も辞書を引いてはじめて知ったのだけど、「あるじまうけ(饗設け)」という言葉がある。これは決して「商店の主が大儲けする」という意味ではなくて、主人役として客をもてなすことをいうそうだ。ちなみに、「客」は「主」に対する漢字だけど「きゃく」という音読み以外の読み方があまり知られていない。「あるじ」の逆の、訪れてもてなされる側の人のことは、和語では「まろうど」という。「客人」と書いたら「きゃくじん」だが、場合によっては「まろうど」と読んでもおかしくはない。語源はおそらく「まれなひと」つまり、普段いない人という意味だろうと推察される。

いっぽうの「ぬし」は、住処に下手に足を踏み入れると、もてなすどころか祟ったりしそうだ。「あるじ」は表にでて働き、「ぬし」は裏に潜んで支配する。どうも漢語には「ぬし」と「あるじ」のこの区別はないように思われるがどうだろうか。

このごろなんというか「乙姫様バッシング」をしていたわけだが、今朝のNHKニュースによると、深海魚の珍品である リュウグウノツカイ が富山県黒部市の海岸に打ち上げられていたそうな。銀色で体調4メートル。乙姫様から俺たちへのことづけでもあったのかな。わらわに向こうて ねがちぶきゃむぺいん とやら申すものを張っておるのは ソチたちか? けしからぬやつらじゃ。一度こちらへ参れ。白ケムリぱっぱと降りかけて ジジババ…いやいや、お爺さんお婆さんにしてくれる。いまなら竹箒と熊手を持たせて高砂のコスプレで記念写真サービスつきじゃ。どうじゃ? とかなんとか。いやいや、歳なら放っといたら自然にとりますから。でも夫婦で高砂の翁嫗の格好で記念写真というのは、いっぺんやってみたいかも。

てなさく翁とみろり嫗
箒と熊手には
「お前百(掃く)まで、わしゃ九拾九まで(熊手)」という
オヤジギャグばりの語呂合わせがある由


2009年12月15日(火)はれ

朝、気がついてみると、いつもの薬2種類のうち一方だけが6日分足りない。1シート10錠が5日分だから、シートごとなくしたにしても足りなさが半端なのも奇妙だ。とはいえ奇妙だろうがどうだろうが薬がないと困るので、診察を一週間早めて17日にしてもらう。

講義はいよいよハイライト。距離空間の部分集合についてのボルツァーノ・ワイヤストラスの性質(点列コンパクト性)とハイネ・ボレルの性質(コンパクト性)が同値であることの証明である。学生さんたちにとってかなり難しいことは承知の上。だけど、途中に、「可分性」「可算基底の存在」「リンデレーフ性」といった停車駅があり(ただし今回は途中下車はしないけれども)、丁寧に論証のステップをたどっていくといろいろなことがわかって結構面白いはずだ。それでもやっぱり難しいだろうから、今週と来週の二回にわけて証明する。今日は、コンパクト性から点列コンパクト性を導く。先週、ボルツァーノ・ワイヤストラスの定理(数直線上の閉区間の点列コンパクト性)の証明をこってりとやっているので、ここはまだしも理解しやすいはずだ。

夜、いつものように【娘】が九九の暗誦をするのに付き合う。九九そのものはだいぶ言えるようになってきたのだけど、このごろの【娘】はなにしろ普段のお行儀がなっちょらんので、今回からは、俺がまず正座し、【娘】にも正座させて、暗誦のときに姿勢が乱れないようにすることにも注意を払う。これはけっこういい。子供の躾のためにとどまらず、正座すれば自分の腰もしゃんとする。しかし、これで気持ちがすっきりするからには、俺だって普段の姿勢がなっちょらんということである。ダイニング改造計画(→9月20日のて日々)が出てくるゆえんである。


2009年12月14日(月)はれ

10000×3 = 3×10000 という等式について。

一万人から3円づつ集金することと3人から一万円づつ集金することとは、仕事の内容としてまったく異なる。だが集金総額は同じだ。ふたつの物事が同じか同じでないか、それは場合によるのだが、だからといって 10000×3 = 3×10000 という式の真偽が見方によって変わるわけではない。何を求めたいかを正しく見抜き、求めるべき結果に影響を与えないような区別を上手に忘れ去ることが、算数が得意になるために必要な資質なのだけど、忘れ去るとここで言ったことが、無価値なものとみなして切り捨てるという意味でないということも、付け加えなければなるまい。いったん忘れ去ったとしても、必要とあればあとで思い出せないといけない。上手に忘れ上手に思い出せる人が、数学を自在に使いこなせる人である。

10000×3 = 3×10000 という等式に話を戻せば、掛け算が 一人当たりの集金額×集める人数 をあらわしていると読めば、要するに「集金される金額が同じ」だと言っている。そして、この場合、この式が言っているのはそれだけである。決して、一万人から3円づつ集める作業と3人から一万円づつ集める作業が「仕事として同じ」だと言っているわけではない。

数式を理解するのにお金や食い物に譬えると理解しやすいものだが、しかしそれぞれの譬えにはおのずと限界がある。正の数を財産、負の数を負債と解釈している時点では、不適切な解釈とはいえないが、負の数に負の数をかけて正の数を得るという数学的言明に対して「借金を借金したら財産になる」という解釈をしたら不適切である。この例のように、うまい譬えでせっかく納得しかけても、少し話が進むと譬えが通用しなくなることはよくある。このあたりは「数学が苦手」と自称する人々にとって文句のあるところだろう。しかし残念ながら、数学的命題が解釈と整合しないことになったら、まずたいていの場合は、修正すべきなのは数学的命題のほうではなく、その解釈のほうなのだ。では、数学的な言明についてのある解釈が適切で他の解釈が不適切であるという判断はなぜ可能なのだろうか。

数学的命題の解釈の正当性の保証はいかにして得られるのか。個別の解釈について、たとえば「借金を借金する」という解釈について、それが不適切である理由を (金額×金額なんて掛け算をしたところでその結果は理解不能だ、とか) 個別に指摘することはできるだろう。ひとつひとつのケースには対応ができる。だが、個別の議論によって汲みつくせない適切さの基盤のようなものはなくてもよいのだろうか。このあたりのことに共通の了解がなければ、「うまい説明」と「巧妙な言い抜け」の区別がないことになりはしないだろうか。数学的言明の解釈の正しさとは何だろうか。それがわからない限り、アドホックな説明を持ち出せば持ち出すほど、またその説明が上手なものであればあるほど、「ものは言いよう」という印象のみを残し、聞き手を不毛な相対主義に傾かせる危険がありはしないだろうか。数値的根拠のない議論の説得力はレトリックに依存しがちで、そのため実質を失う危険があるけれども、しかし数値や数式がレトリックとして入り込んだ議論というものがあるとしたら、そのほうがよほど厄介である。となると、数学的命題の解釈 (広い意味での応用) の適切さを吟味する方法があったほうがよい。

そもそも、数学的言明の正しさは他の言語表現の正しさとか適切さのモデルとなりうるものかどうか。とくに、数学的言明の正しさをモデルとして、数学的言明の解釈の適切さを云々してよいものかどうか。あきらかに、この問題に数学は答えを出さない。

やる気のないあひる

話はころっと変わる。GmailやiGoogleのテーマとして、俺はTea Houseというのを愛用している。菅の笠をかぶったキツネくんが、東洋風な建物で質素に風流に暮らしている。時刻によって絵柄が変わる。琵琶や笛を演奏することもあり、書をしたためることもあり、友人のサルくんを招いて食事をすることもある。池に小舟を浮かべて遊ぶこともある。庭の桃の木の世話や、もちろん掃除や洗濯もきちんとやる。小鳥たちや虫たちとも友達だ。夜遅くにはキツネくんは眠っているが、ユウレイキツネたちが遊びに来て、庭で碁に興じている。なんだかとってもうらやましい、ステキな暮らし方だ。俺たちにもこういう暮らしができるだろうか。ステキな暮らしのキーワードはなんといっても「マメさ」だから「便利さ」への甘えを断ち切る勇気さえあれば、あとは努力次第だな。

Googleテーマ TeaHouse

説明文によると、It's always tea time with a teahouse on your iGoogle homepage. Get to know the friendly characters as they go about their day in the Japanese countryside. だそうだから、一応「日本の田舎の風景」ということになるらしい。ううむ。ちょっと違う気がするが、俺たちだってイギリス風とアメリカ風をはっきり区別できるかといわれると怪しいものだから、まあお互いさまだ。


2009年12月13日(日)くもり

朝から授業に出かけた妻の代わりに、一日家にこもる。少しピアノの練習をし、子供のために少し工作をしてやった以外は、これといって何もする気がしないし、何も手につかない。これは妻がいないせいでも子供たちが騒いでいるせいでもなく、好調/不調の波がたまたまそういうところに来ているということだろうと思う。そういう日はおとなしくしているに限る。ヘタに「何かしなくちゃ」と思うと、そのあせる気持ちが、こういうときにはついつい妻子への八つ当たりになってしまうのだ。だから何もせずひたすらボケーっと過ごす。


2009年12月12日(土)くもり

午前中は幼稚園のクリスマス礼拝。妻と【娘】は参列したが、朝から酒気帯びの俺は遠慮する。そのあいだに、ひとまず楽器店に行ってピアノ教室の月謝を払う。6月に約束したとおり、ボーナス月に半年分を先払いにするのだ。ついでに店内のスタインウェイをちょっとだけ弾かせてもらう。さすがすばらしい弾き心地だが、なにせ九百六十万円は庶民には高嶺の花だ。クリスマス礼拝終了後、園児ひとりにつき保護者ひとりが祝会で昼食という運びになる。はみ出した俺と【娘】は湊町のはなまるうどんで昼食。それからGET3階のSeriaで自分の靴下と子供のおもちゃを買い、明屋書店をひやかす。午後は妻が授業に出るので子供たちと家ですごす。夜、戻ってきた妻と入れ替わりに、学生主催の学科忘年会に出かける。小ぢんまりした飲み会のつもりで計画したらしいがいつのまにか40人の団体さんとなっている。とはいうものの、皆に声をかけたわけでもないらしく、三年生が多数参加しているわりに、四年生はほとんど来ていない。なにか人間模様のようなものを感じさせて釈然としないものがあるが、まあ、誘ってもらえたのはそれなりに嫌われていない証拠と思うことにする。例によって二次会にちょっとだけ顔を出してから抜け出して、歩いて帰って歩数計カウント16,362歩。

このところ昔話ばかり読んで数学をやっていないように思われてもくやしいので, 聞かれもしないのに書いておくと, \(\mathbf\Delta^1_2\) 集合のルベーグ可測性と集合論の世界の \(\mathbf\Sigma^1_3\)-\(\mathbb{B}\)-絶対性との, よく知られた同値性が lightface な性質のものかどうか, つまりパラメータなしの \(\Delta^1_2\) 集合のルベーグ可測性の仮定からパラメータを含まない \(\Sigma^1_3\)-文の \(\mathbb{B}\)-絶対性が導かれないかどうか考え中. 9月にヨリオカくんに聞いた問題を俺流に片付けるには, どうもこれが必要なようなのだ. ブール値 \([\varphi]_{\mathbb{B}}\) の定義を細かくたどりなおすことが鍵になるように思っている. それで, ブール値集合論や1970年代のGerald Sacksや田中尚夫先生によるルベーグ測度のRecursion Theoreticな分析についてもぼつぼつ復習している.


2009年12月11日(金)あめ

雨のせいにしてよいものかどうか、どうも仕事の調子が出るのが夕方になってしまう。遅れを取り返そうといい具合に仕事をしているうちにピアノのレッスンの時間が来てしまった。あわてて職場をあとにするが電車を逃す。10分後の次の電車に乗るよりは上一万の電停で道後温泉から来る3番系統の電車をつかまえるほうが若干早いだろう。それでも、ピアノ教室に着いたのは30分のレッスン時間が半分過ぎてからだった。O野先生、いつもすみません。

花園町の電飾
この時期恒例の、花園町のイルミネーション
だけど道行く人の足を止めさせるには
もうひと工夫が必要なようだ

夕食は茜屋のラーメン。行きの車の中で、あの店はきっとクリスマスツリーを置いていないはずだと妻と話す。案の定、クリスマスらしいことは全然したことがないらしい。これからもクリスマスツリーなんか置かないでくださいとお願いしつつ、ラーメン美味。歩数計カウント8,537歩。


2009年12月10日(木)あめ

一日じゅう、雨が降ったりやんだり。妻が体調を崩して子供たちを迎えに行けないというので俺が代わりに行く。まず幼稚園で【息子】を引き取り、小学校に向かう。【娘】が同級生の家の前まで一緒に歩きたいというので【息子】の手を引いて付き添った。思えば【息子】もずいぶんとお利口さんでついて歩けるようになったものだ。【娘】と比べて飲み込みは早くはないが、たしかに成長しているのだ。夕食はパパラーメン。ただしサラダ仕立て。なかなか好評。歩数計カウント11,489歩。

内山節『日本人はなぜキツネにだまされなくなったか』(講談社現代新書2007年)を読んだ。面白かった。内山によると、1965年(昭和四十年)ごろを境に、キツネにだまされたという話が生み出されなくなった=人々がキツネにだまされなくなったらしい。俺が生まれたのは1964年(昭和三十九年)で、ちょうどその転機のころである。知人がキツネにだまされたという話は聞いたことがないが、そういえば母からカワウソにだまされる話を聞いたことがあるわい。

俺は小学生になったかならないかの頃に一度連れて行かれたときのおぼろげな記憶しかないが、母方の親戚が住んでいた滋賀県の稲枝あたりが舞台だ。JR東海道線が高速化して大阪への通勤圏に入って、いまではずいぶん人口も増えたようだけど、当時まだまだ田んぼだらけだった。話はこうだ。このあたりに限らず滋賀県の近江盆地ということろは、琵琶湖に注ぐ川がたくさん流れている。ある人が、祝い事だか法事だかがあって、川上にある本家に呼ばれ飲み食いする。当時のことだから食い残しは折り詰めにして持って帰る。昔のマンガによくあった、ヨッパライの必須アイテムの、あの折り詰めだ。夜、折り詰めにした料理を持って、ほろ酔い加減で川沿いに家路をたどっていると、ヒタヒタと、後ろをついてくる足音がする。はて誰だろうと振り向くと、誰もいない。おかしいなと思いつつも歩を進めると、しばらくしてまた足音がする。振り向くと誰もいない。こんなことが数度繰り返されると恐ろしくなって。逃げるように家に帰る。家に帰り着く頃には、折り詰めの料理がきれいにカラッポになっている。しまった、あれはカワウソのしわざだった。なんか、そういう話だった。

さて、『日本人はなぜキツネにだまされなくなったか』では、この「なぜ」という問いに対する答えは六通り挙げられている。キツネにだまされた話をしてくれた当人たちに「どうしてこのごろはみなキツネにだまされなくなったんでしょうね」と問いかけて答えてもらったことをまとめたものだから、著者の推理ではなく、だまされていた当人たちが判断した答えだ。かつてキツネにだまされながら暮らしていた村人たちの、村をとりまくコミュニティ(自然環境を含む)全体とのやり取りの中で培われていた、いわば「キツネにだまされる能力」ともいうべきコミュニケーション能力が失われていった過程を、村人たち自身の視点から考察しようというのだ。だからこれは、タイトルから想像されるような謎解きの本ではない。

また、修験道の話や馬頭観音の話などは俺にはたいそう新鮮だった。そういう各論の部分から多くの刺激を得たものの、しかしそれでも、本全体の趣旨には疑問を呈さざるを得ない。というのもこれは結局「失われた自然/失われた楽園」の物語の一章に組み込まれるほかない本だからだ。山や河や草花や他の村人たちといった周囲の世界とのコミュニケーションの中で自分を確認するというより自分を形成していく人間、という論点は、意図しているかどうかは別にして、これはハイデガーが『存在と時間』で唱えた現象学的存在論の日本的なアダプテーションであり、内山は失楽園の物語というモティーフをもハイデガーと共有しているように思われる。近代化がいかに深い迷い道であるか。近代化によっていかに我々が多くの貴重なものを失ったか。そういう話はわかりやすくカッコイイけれども、それでも我々が近代という理念(イデー)にすがりたくなった理由はあったわけだから、近代を乗り越えた先にしか、この先われわれが進むべき道はない。かつて、『都市は、発狂する。』(カッパブックス)で栗本慎一郎は、ムラから排除された者たちをやさしく生き延びさせる都市こそが人間にとっての自然であったのに、いまや東京を始めとする大都市をムラの論理が支配するようになった。その結果、都市は発狂の縁に立たされている、と告発した。この『日本人はなぜキツネにだまされなくなったか』に対して、そういう論点を対置しうるだろう。

その一方で、この本『日本人はなぜキツネにだまされなくなったか』には、歴史に対する態度について再考を迫る論点がある。そこは評価すべき点だ。われわれは、そもそもなぜ、歴史を必要とするのか。過去の出来事に対する、コミュニティー全体に共通の視点をもつためだ。たとえば「日本史」の成立は日本が全体としてひとつの国民国家すなわち「わたくしたち日本国民の国」という共同体となったこと (あるいは、国民国家として存立していることを為政者が人々に納得させようとしたこと) を意味する。古代中国では、王朝が交代したさいに前の王朝の正史を書く。もちろん、政権交代を正当化するためであるから、その目的のもとに古い記録は取捨選択され、どうしても「前の王朝の末期はこんな酷い時代でしたよぉ」という話になる。歴史は、過去に対する視点を固定するものであり、正しい歴史を記述しようという要請は、政治的な意図を離れては存在し得ない。とすると、いかなる政治的立場に立つとしても、排除された観点は必ず存在する。また、制度史や社会史を離れれば、技術や風習のように伝承されるものの記憶は、文化の変遷と共に消え去ってしまう。そこに「語られない歴史」「見えない歴史」が残されることになる。20世紀後半には、そうした語られない歴史を掘り出そうとする考古学的な営為の必要性が認識されるようになった。

とすれば、たとえば先日から興味を持って調べている浦島説話にしても、ただひとつの正典を見つけ出しそれに対する神話学的あるいは深層心理学的な分析を施すだけでは不十分であることは明らかだ。この点については考えさせられた。


2009年12月 9日(水)くもり

夕方、昨日三越で見た「ゆたんぽくまさん」なるものを妻へのプレゼントとして購入。その後、ジュンク堂まで歩いてまた少し本を見て、電車で帰宅。歩数計カウント10,122歩。

コーヒーハウスにて
朝一番の授業のない日の朝は
行きつけのコーヒーハウスで勉強していることが多い
それでもたいてい9時半までには
職場に着くようにしている
写真は昨日たわむれに撮影したもの


2009年12月 8日(火)はれ

出かける途中、駅までの道で【娘】が泥だらけの一円玉を拾得。泥だらけでは財布に入れるわけにもいかないし、そもそもこのあたりの地面はけっこう犬の糞まみれなんだという話をしたら、【娘】はもとの場所に置きなおしにいった。電車を降りて小学校に行くまでの道でも、【娘】はいきなり路上でしゃがみこんで、今度はビーズを拾い上げ、大事そうにポケットにしまった。おいおい、あまりそういうふうに路上の物を拾うもんじゃないよ。

ところが、三番町のいつもの交差点まで来ると、電柱の下に誰かのクレジットカードが落ちている。路上のものを拾うなと説教した舌の根も乾かないうちではあるが、これは見過ごしにはできない。確認すると、三越のカードだ。有効期限も来ていない。交番にまっさきに届けることを考えたが、警察はカードの持ち主に連絡をとることができない。カードの取引先銀行は三井住友で、松山支店がないわけではないが、どうやら法人向け業務専門でカードの扱いをしている気がしない。となると、三越に届けるのが最善である。それで三越が開店するのを待って7階のカウンターに届けた。

三越に行ったついでに明屋書店に寄る。お金がないので何も買わないが、面白そうな本はたくさんある。大街道の明屋書店では、棚が「宗教」の棚と「歴史」の棚に挟まれて「哲学・思想」の棚が小さく立っている。「宗教」と「歴史」とくに古代史関連はいろいろとトンデモさんを排出しがちなジャンルだけれど、だからといって「宗教」と「トンデモさん」がほぼ同義語扱いになりそうないまの日本は、それはそれで心配だ。間違って「哲学・思想」までトンデモさん扱いになるようなら、こちとら身が危ないから逃げる準備を始めにゃならぬ。とかなんとか思っていたら、その「哲学・思想」の棚に西部邁『焚書坑儒のすすめ』(ミネルヴァ書房)という本があった。焚書坑儒というのは秦の始皇帝がおこなった大規模な思想弾圧で、「実用的でない」学問の書物を焼き捨てさせ、反体制分子をかくまった儒学者たちを見せしめのために生き埋めにしたという残虐なもの。始皇帝にとっては「役に立たない学問研究」はすべてトンデモだったわけだが、その始皇帝も後に不老長寿の仙薬をもとめて徐福を旅立たせたりしている。実学だけでは自分の老いと死という問題が解けず、それでいわば宗教的なもの (まあその当時の意識では神仙思想は立派な「科学」だったのかもしれないが) に逆襲されているといえそうだ。さて、西部のこの本は(立ち読みでチェックした限りでは)決して始皇帝のようなことをせよと主張しているのではない。昨今の経済学説・政治思想の迷妄を憂う内容で、なかなかに面白そうであった。だがなにせそのとき所持金が千円弱であったから、読む気はあったが買えなかった。また今度。

『大辞林』にはこうある:【焚書坑儒】中国、秦の始皇帝が行なった思想弾圧。紀元前二一三年、医薬・卜筮(ボクゼイ)・農事関係以外の書物を焼きすてさせ、翌年、批判的な言論をなす学者数百人を咸陽で坑(アナ)埋めにして殺したと伝える。(Wikipediaの項目へリンク)

後日追記:一説によると、焚書坑儒に至るそもそもの発端に、始皇帝の不老不死願望があったらしい。不老不死の妙薬を作ると称して始皇帝から資金援助を受けて研究していた男が、始皇帝の剣幕を恐れて逃げ出したので、ニセ学者は許さんという話になったということらしい。そして、不老不死研究なんてことに財力をつぎ込む朝廷に対して、税金の無駄遣いをするなという趣旨の批判的な主張をする学者たちを弾圧した。いずれにせよひどい話だが、始皇帝の望みが最初から不老長寿にあったこと、そして仙術の研究はいまの科学研究に近い扱いを受けていたこと、この二点は確認しておく価値がある。(2010年1月1日)

午後はいつもの講義。コースの後半ではコンパクト距離空間の話をする。先週のテストの採点がまだできていない。ごめん。三越への往復と授業のおかげで、妻が車で迎えに来てくれたにもかかわらず久々の一万歩越えで、歩数計カウント11,283歩。


2009年12月 7日(月)はれ

昨日に引き続きえらく寒い。週末に子供の世話をがんばると月曜日に気が抜けてしまい、なかなかやる気がでない。困ったものだ。歩数計カウント7,000歩弱。


2009年12月 6日(日)はれ

【娘】を教会学校へ連れていき、待っている間に県立図書館へ足を運ぶ。高橋虫麻呂が浦島説話を詠んだ万葉集1740番の歌と、同じく浦島説話を書き留めた日本書紀雄略天皇二十二年の条を読んだ。岩波文庫版『日本書紀』の注によると、日本書紀にいう「別巻にあり」は伊予部馬養の作品のことをさすと考えられるらしい。浦島説話の時代設定が雄略天皇の時代(これがいつごろのことなのかも実は諸説あるようだ)とみなされている理由はいろいろ考えられるらしいけれども、いまひとつはっきりしない。いずれのバージョンでも浦島子の行き先は『蓬莱山』あるいは「とこよのくに」すなわち神仙の住む永遠のユートピアである。海底の竜宮城は登場しないし、お姫さまと直接話をつけて仙界に連れて行ってもらう設定になっていて、亀を助けたお礼にというモティーフも登場しない。助けた亀に連れられたわけでもなく、鯛やヒラメの舞い踊りも見られないとなると、学芸会での上演のしようがなく、みんな困ってしまう。

万葉集1740番、高橋虫麻呂の長歌には、反歌(かえりうた)がついている(万葉集1741番)これもやはり「自分の愚かさで箱をあけてしまって後悔先に立たずよねぇ」という意味の歌で、丹後国風土記の引用文に添えられた歌と同趣旨である。しかし昨日の日記に書いた妻の解釈のように、まったく別の読み方だってある。大人の知恵と経験があってはじめて、子供向けのおとぎ話から深い教訓を引き出せるという一例であろう。

ダダさんという方が、「中原中也とダダイズム、京都時代」というサイトで中原中也の伝記と日本史についていろいろ考察していて、浦島説話についても触れている。ある夜、雄略天皇の夢枕に天照大神が立たれ、「伊勢にひとりぼっなんてさびしいわ。ろくに食事もできないから、あんたなんとかしなさいよ。」とおっしゃったとかで、古くは丹後で祀られていた豊受大神が伊勢に遷されたという記録があり、このことが伊予部馬養の筆になる浦島説話とも何か関連があるだろうという話だった。勉強になった。


2009年12月 5日(土)はれ

昨日の日記を読んでの妻のコメントが面白いから紹介する。

カメ姫は嶼子に箱を手渡した時点で見切りをつけている。本当にまた戻ってきてほしくて、戻ってくると思っているなら、いままで大事にとっておいた若さと美しさを封じ込めた箱をみすみす手渡すはずがないからだ。箱を手渡してしまえば、いくら「あけちゃダメだからね」と言ったところで、あけてしまうのは時間の問題である。それでも、あけたのは本人であり、本人が悪いという話になる。つまりカメ姫は責任を問われない。きっと嶼子はたまたま発覚した氷山の一角であり、カメ姫は今もそんなふうに男を連れ去っては使い捨てているに違いない。千年二千年前から、女たちはこんなふうに男とつきあってきたのだ。

念のために言うけど、これは俺が考えたことではなく妻の見解だ。コケットリーで男を操る女たち (てなさく世界用語でいうところの ラフレシアン) に対しては、妻はこのとおり容赦なく厳しい。

さてその妻は今日は大学院の授業のある日。だから、俺が昼食と夕食を担当し、妻の留守中は子供の面倒をみる。久しぶりにコミセンの図書館へ行った。平凡社版とは別の風土記の抄訳が見たくて、小学館「日本の古典を読む」シリーズの第2巻と第3巻を借りてきた。あとは吉田敦彦『日本の神話』(青土社)、ジョセフ・メイザー『ゼノンのパラドックス』(白楊社)、足立恒雄『数 その体系と歴史』(日本評論社)。子供たちが思い思いの本を選ぶのにつきあいつつ、自分の借りる本も選ぶので、なかなか大変だ。その後、千舟町五丁目のフレッシュネスバーガーで一息入れて、電車で帰宅。

さて、小学館版「日本の古典を読む」第3巻ではこの浦島説話について編者の次のような解題が付記されている。(293〜294ページ)

*浦島説話として知られる話。風土記より前に伊予部馬養(いよべのうまかい)の作が存在したと記されているが、それより前に水江の浦の島子の名があったことが、この話の冒頭部と『日本書紀』雄略天皇二十二年条の記事からわかる。当代の文人伊予部馬養が、赴任先の丹後国を舞台に「水江」(湖の意)で漁をする「島子」の原話を元にして、海洋性と神仙思想とを付加し、漢文作品として作り上げたものを転載したのがこの風土記の話。その馬養の作品には歌は無かったが、風土記では末尾に歌が五首加えられている。後に高橋虫麻呂(たかはしのむしまろ)はこの話をベースにして独自の浦島作品を作っている(『万葉集』巻九・一七四〇〜一七四一番歌)

再び平凡社版『風土記』に戻って、伊予部馬養についての注釈を読んでみよう。(平凡社ライブラリー版『風土記』427ページ)

伊預部馬養連: 持統・文武朝に活躍した学者官人。撰善言司に任じられ『大宝律令』の撰定にも参画し、『懐風藻』にも詩篇を残し、彼の撰になる浦島子伝(現存しない)は有名であった。彼が丹波守に任じられたのが何時かは不明。

ふむふむ。やはり風土記の浦島説話は持統天皇の朝廷から丹後国に赴任してきたインテリが中国風にアレンジしたもののようだ。思ったとおりだが、作者の名前までわかっているとは知らなんだ。ということは、全国各地にある徐福伝説も同じように、中央から各地に赴任した中国の文物に造詣の深い官吏によって広められたのだろう。乗りかかった舟だから、次には万葉集の高橋虫麻呂の作品を読まねばなるまい。さて、この小学館本の抄訳には、伊豫国風土記の逸文からは道後温泉の起源説話だけが収録されている。しかし、他に大三島の大山祇神社の由緒や天山(あまやま)という地名の由来が(他の書物に引用されるという形で残された)風土記逸文として知られている。奈良時代からすでに越智郡(風土記の表記は「乎知の郡」)とか野間 (現在の今治市乃万、農耕用の野間馬の産地) とか天山とか伊佐爾波の岡とかいう地名があったというのは驚きだが、天からある女神が降臨した際に体が二つに分かれて、ひとつは大和国の天の香具山になり、もうひとつは伊予国の天山になったという伝承は、さすがにアホくさい。

ちなみに、ウェブ上には「浦島説話研究所」公式ブログがある由。


2009年12月 4日(金)はれ

いい天気になった。午後、雲ひとつない青空の中、ジェット機が街の上で旋回を続ける。けっこう低いところを何度もぐるぐる飛び回るもので、気になって仕方がなかった。まあ、着陸許可待ちの旅客機には違いあるまいが、もしも爆撃機だったりしたら 松山市最後の日で、爆弾の1ダースも落とさぬうちに街は壊滅。俺たちゃ助からない。まさかとは思いながらも、なんだか物騒で落ち着かなかった。夕方、出張から戻ったD教授がお土産にチョコレートをくれた。仕事で授業を代わっただけなのに気を遣わせて申しわけない。

注文していた2冊の平凡社版『風土記』が届いた。案の定同じエディションである。浦島太郎について先日(→12月1日)書いた話をさっそく確認したが、あのとき書いたことは、どえらい勘違いであった。丹後国風土記はそのほとんどが逸失してしまっているそうだけど、天橋立の由来の部分や浦島説話の部分は幸いにも残っている。浦島説話「水の江の浦の嶼子の物語」の概略は次のとおり。

むかし、水の江の浦に、嶼子という たいそうな美男子がいた。嶼子はあるとき、ひとりで海へ漁に出て三日目に、亀を釣り上げた。亀は変じて美女となり「あたし、仙界の神女なんだけど、すっごいイケメンの男子が珍しくひとりで海に出てるもんだから、訪ねてきたわけ。怪しいもんじゃないから仲良くしてね」などと言う。嶼子が喜ぶと、「じゃあ一緒に蓬莱山まで来てちょうだい」と神女はいう。これが現実の都会でのできごとだったら、このあと嶼子は街はずれのビルの一室で黒服マッチョメン数人に取り囲まれ、有り金を全部巻き上げられることになるわけだが、これはまあ、お話であるから、ふたりはあっという間に本当に蓬莱山に着く。蓬莱山は中国の説話にしばしば出てくる、仙人の住むユートピアである。そこに豪華絢爛の御殿があり、カメ姫さまと呼ばれるその神女は、この御殿のお嬢様というわけだ。嶼子は下にも置かぬもてなしを受け、カメ姫と夫婦になり、しばし楽しく暮らすが、あるとき望郷の念に駆られて暇乞いをする。カメ姫は「なによ、ずうっと一緒にいようって約束したじゃない、信じられなぁい」と泣いたけれども、嶼子は せめて両親に会って事情を話すためにしばらく帰省させてくれと 妻や舅を説得する。カメ姫は「あたしへの愛情が変わらないってんなら、この箱を大事に持っててよ。絶対あけちゃダメだからね」と小さな櫛箱を嶼子に手渡して送り出す。郷里に戻るとすでに300年が経過しており、親族の行方もわからない。半月ばかりさまよい歩いた嶼子はカメ姫恋しさのあまり櫛箱を開けてしまう。櫛箱からかぐわしい蘭の香りの雲が立ち上ると、嶼子の若さと美しさも一緒にどこかへ飛び去ってしまう。そのとき、約束を違えた自分は もはやカメ姫に会うことも叶わないと、嶼子は悟るのだった。

丹後国風土記に収録されていたという浦島説話のこのバージョンは、日本昔話によくある異類婚姻譚であるよりも、中国民話によくある「仙界に遊んで時を忘れる」話の変種という側面が濃厚だ。丹後国風土記バージョンでは、浦島は亀を釣り上げたのであって、助けたのではない。しかもどう見ても、亀のほうが故意に好きこのんで釣り上げられている。したがって、竜宮の竜王が部下の受けた恩義を返すために浦島を接待するという経済人類学的モティーフが入っておらず、むしろ天女に浦島が逆ナンパされてしまっている。乙姫様ならぬ天女は竜ではなくカメと同一人物である。いつどこで二人になったのだろう。行き先は海底の竜宮城ではなくて海の向こうのユートピア蓬莱山で、御殿の記述といいなんといい、完全に中国民話からの借り物である。そして、ここが俺の勘違いだったのだが、カメ姫はやっぱり「この箱をあけないでちょうだい」というのだ。仙人と一緒に暮らすために若さと美しさが失われないよう箱に封じ込めてあったというわけだ。俺の勘違いはいったいどこで混入したのだろう。ううむ。ともあれ、この丹後国風土記バージョンでは、浦島太郎の物語はほとんど中国風であって、風土記成立の時代背景を考えると、むしろ今でいう翻訳小説、海の向こうの目新しいストーリーである。とても丹後の片田舎で口伝されていた古い物語とも思えない。かつての丹後国いまの京都府与謝郡にはあの 徐福伝説 が残っているというのも、偶然の一致ではあるまい。説話を採取した人物が中央すなわち天武・持統の朝廷から派遣されたインテリさんだったとしたら、この地に徐福伝説が残ることも中国民話風の浦島説話も、わりかしあっさりと説明がついてしまう。いっぽう、浦島太郎の物語の現行のバージョンは、どこかでそれこそ海幸彦・山幸彦の神話と混交してしまっているのだろう。

歩数計カウント9,903歩。このごろはどうもなかなか一万歩に達しない。


2009年12月 3日(木)くもり

いつものコーヒーショップでいつもの論文の続きを読む。いつものタバコの煙が、今朝はいつになく気になる。しまいに咳が出だしたので退散。こちらの体調の問題らしい。午後は出張中(行き先は大分だったと思う)のD教授のピンチヒッターとして二年生の授業をする。妻が車で迎えに来てくれたので、授業があったわりに歩数が伸びない。それでも(電気代ガス代の手続きのため)銀行ATMの近くで降り、それからスーパーに寄って帰ったので、歩数計カウント9,827歩。もう少しスーパーでうろうろ迷えば一万歩の大台に乗せられたのだが、なにせお金がないので大した買い物はできない。今日の買い物だってかなりつつましくて、自分用の「麦とホップ」と妻用の「カクテルパートナー」と子供用の森永プリンで、しめて400円弱。夕方からは、あるNPOの会議に出かける妻のピンチヒッターで子供たちの面倒をみる。飯の世話をし、宿題の九九の暗誦につきあい、寝床でお話を読んでやった。

浦島太郎、というより乙姫様の言動についてもう少し詳しく調べるため、Amazonで『風土記』を発注した。平凡社ライブラリー版と東洋文庫版の2冊なのだが、これってひょっとして同じエディションだったかも。比較するために2冊買ったつもりが、うっかりしていた。


2009年12月 2日(水)はれ

落合仁司『数理神学を学ぶ人のために』(世界思想社, 2009年)という本を購入。以前の『地中海の無限者』(勁草書房) や『ギリシャ正教・無限の神』(講談社選書メチエ) では、ギリシャ正教の神学はベルナイス・ゲーデル集合論と同型だなどという言語道断な発言をしていた著者だが、新しいこの本ではもう少し態度が穏健になっていて、数学特に公理的集合論が証明する定理を神学的に読むのが数理神学であると言っている。つまり物理学や経済学に数学が応用されるように神学に数学が応用されてもよいはずだという主張になっている。そのこと自体を否定する気はないので、ちと読んでみることにしよう。ただ、数学者にとってはとんでもなく読みにくい本ではある。数学を扱っていながら、数学らしい言葉づかいをしないし、ざっと見たところあまり本質的ではないが、用語のカンチガイもある。たとえば、無限集合の、補集合が有限集合であるような部分集合全体がなす集合族のことをフレシェ・フィルターと呼ぶのだけど、この本では ω の部分集合のうち補集合が ω の要素であるものの全体をフレシェ・フィルターと呼んでいる。だからこれは間違いである。ただし、そこでの議論はフレシェ・フィルターが可算集合であることに眼目があるので、まあ修正可能な範囲である。こういうレベルで揚げ足をとることはたやすい。が、ひょっとしたらもうちょっと内容に踏み込んで批評する価値があるかもしれないので、ちゃんと読んでから、日を改めて論じることにしたい。

昨日の日記に書いた浦島太郎考で言及した海幸彦・山幸彦の神話について。三浦佑之『口語訳古事記[完全版]』(文芸春秋, 2002年) で確認したら、山幸彦が妻を娶るのは海幸彦と対決する前だった。古事記の記述によれば、海幸彦と山幸彦の兄弟は天から降臨したホノニニギがオオヤマツミの娘コノハナに産ませた子なのだが、やっつけられる兄の海幸彦すなわちホデリは九州の異民族である隼人の祖とされ、弟の山幸彦すなわちホヲリ(またの名をホホデミ)は後にカムヤマトイハレビコすなわち神武天皇の祖父となるので、天皇家の祖神のひとりである。妻はワダツミ(海神)の娘トヨタマヒメであり、海幸彦ホデリの宝である釣り針を探してワダツミの宮にたどり着いたホヲリに姫が一目惚れしたことになっている。しかしながら、トヨタマヒメが子を産むのはホオリがワダツミの力を借りてホデリを服属させてからだ。通い婚ということなのだろうが姫はワダツミの宮で暮らしており、出産に際しては、天つ神の子を海で産むわけに行かぬという理由で陸に上がってくる。出産中はもとの姿に戻っちゃうから見ないでちょうだいと妻のトヨタマヒメに言われたホヲリだが、こういうお話の常として、つい覗き見をしてしまう。トヨタマヒメのもとの姿は八尋もある大きなワニであり、その姿を見られた姫は深く恥じ、子供を残してワダツミの宮に帰り、ホヲリとは二度と会うことはなかった。異類婚姻譚の典型だ。で、自分が三人兄弟の次男なのでちょいと気になったのだが、そもそもホデリはホノニニギの長男、ホヲリは三男だったはずなのだ。次男のホスセリは生まれたという事実しか記述されていない。夭逝したということかもしれない。イザナミの三貴子のうち第二子ツクヨミもそうだが、どうも三人の真ん中は軽視されてしまうらしい。ふむ。

後日追記:古い日本語でワニというのはアリゲータとかクロコダイルとかの類ではなく、サメとかフカのこと。(2010年1月1日)

陽の高いうちはやる気がぜんぜん出なくてつらかったが、夕方から頭が回転しだしたので、レゾニエ(Jean Raisonnier)とシュターン(Jaques Stern)の古い(1985年)論文を読む。「すべての \({\bf\Sigma}^1_2\) 集合がルベーグ可測であるときには、すべての \({\bf\Sigma}^1_2\) 集合がベール性をも有する」ということがこの論文で証明されている。この論文に限らず、記述集合論へ強制法を応用した結果の多くはボールド体(パラメータあり)の文脈で述べられ証明されているのだけど、細字体(パラメータなし)の結果を導くように証明を手直しできるかどうかを確認しないといけない。たとえば dominating real forcing の場合のように、これがストレートにはうまくいかない場合もあるのだ。レゾニエとシュターンのこの論文は、なにせ重要なことが述べられていることはわかっていたから、もちろんもっと以前、たしか15年前くらいにも一度読みかけている。ところが、そのときは最初の「確率論的に独立な開集合の列をとるよ」というところがいきなり理解できなくて、3ページで放棄してしまったのだ。いま読み直してみると、なんのことはない、ちゃんと理解できて、しかも面白い。あの頃の俺はいったい何をしていたんだろう。いや、本当は具体的にどんな暮らしをしていたかあまり思い出したくもない時期なのだが。

それにしても、なかなか歩数が伸びない。歩数計カウント9,423歩。


2009年12月 1日(火)はれ

早くも師走である。いやまあしかし師走が普段より早く来たわけではない。気持ちの余裕なくバタバタした日々を過ごして時の経つのを忘れていたのは他ならぬ自分なのだから、「時の経つのは早いものだ」だなんて、早いのを時のせいにしてはいけない。浦島太郎が老人になったのは、決して玉手箱のせいではない。

そこで話は大脱線して、浦島太郎について考察…

海の竜王は子分の亀を助けた浦島太郎を竜宮城に招いて接待をする。だがそれは借りを返すこと、すなわち経済行為であるから、いくら手厚くもてなしたとしても、竜宮城の住人が浦島太郎のためを思っている保証はどこにもない。むしろその逆で、竜宮城での飲めや歌えの日々は、努力と成長を放棄し夢を見続けるようにそそのかすものだ。これはユング心理学の意味での母親コンプレックスあるいは「グレート・マザー」の現れである。とすると、浦島太郎は地上に戻った時点で客観的にはすでに老人だったのであり、見知らぬ通行人にはまぎれもなく道に迷った哀れな老人の姿が見えていたはずだ。わかっていなかったのは本人だけ。だから、浦島太郎の玉手箱の中に入っていたのは煙ではなく鏡だったのではないかと、俺はひそかに疑っている。

ところで、子供が浦島太郎の話を聴いて疑問に思うのは「なんでわざわざ、あけちゃならない箱をくれたのか」ということだろう。実は浦島太郎の古い形を伝える『丹後国風土記』の記述では、乙姫様は玉手箱を手渡すときに「決してあけてはならない」とは言っていない。むしろ「これをあければ本当のことがわかります」という意味のことを言う。(後日追記:ここのところは俺の思い違い。12月4日の日記を見てください。) いっぽう、「見るなと言われたものを見てしまう」というプロットの民話はなにしろたくさんある。「鶴の恩返し」とか「見るなの座敷」とか。雪女とか信太の森のキツネ女房とかもその部類か。古事記には、根津国に赴いたイザナミをイザナギがたずねていく話があるし、兄の海幸彦を斥けた山幸彦が後に娶った姫が竜の姿に戻って出産しているのを山幸彦が見てしまってどうしたこうした、という話もある。イザナギとイザナミを別にすればこれらはすべて、異界から嫁をもらう「異類婚姻譚」である。乙姫様だって正体は竜であるから、浦島太郎の物語も異類婚姻譚に分類できないこともない。そんな関連によって、途中で話が融合してしまった結果、「玉手箱をあけてはならない」という、子供たちにまで乙姫様の行動は不可解だと指摘されるような変化が生じたのだろう。(翌日追記:海幸彦・山幸彦の話にはちょいとした誤認があった。12月2日の日記を参照。)

それでも、この変化はこのお話にとって有害な変化であるとは思わない。「この箱をあけたら本当ことがわかる」というのは正しい指摘なのだが、どのみちそんな指摘はコンプレックスの渦中にあって成長を拒んでいる人の耳には入らない。あけたら本当のことがわかる。だからこそ、あけることは恐ろしいこと。「あけてはならない」という話になる。

やる気のないあひるこれもやる気のないあひるこれまたやる気のないあひる

中間テストの監督をしつつ、ランダム強制がらみの問題を考える。先日まで考えていた問題はポシャったようなので、コマをひとつ戻して、9月に大阪での数学会に顔を出したときにヨリオカくんに示唆された Chris Freiling の古い論文から派生した記述集合論の問題を考えているところなのだ。だいぶ状況が明らかになってきたので、まとめて先月の京都での研究集会の講究録に載せることにする。

歩数計カウント9,685歩。こりゃいかん。もっと歩くべきだ。