朝、幸花は熱が下がってケロっとしている。妻は熱は下がったがダウンしている。いつまでも若いつもりで深夜に起きて3時4時まで仕事するのをいい加減にやめないと身体を壊すと常々警告しているのだけど、そうはいってもやらねばならぬことの総和は一定である(と本人が信じている)うえ、子供たちが起きていると仕事にならないのだから仕方がない。大学院の研究活動なんてのは、一生懸命やるのはいいが、命を削ってまでやることではないぞ。
かく言う俺も来月なかばの研究集会で発表すると宣言しておきながら、中身が全然決まらない。そろそろタイトルくらいは決めないといけないので、一日じゅう数学を考えていた。漠然としたアイディアを追いかけて、定義を少しずつ修正しては行ったり来たり、あちらがうまくいくとこちらがうまくいかず、手探りで迷い歩くばかり。疲れたらピアノに向かって練習兼息抜きをしてまた机に向かう(というのは言葉の綾であり、うちには勉強するためのまともな机すらない。自分のせいなのだけど)。そうこうするうちに、夜の9時をまわり、とうとう自分でも何をやっているのかわからなくなった。このまま続けても泥沼に深くはまりこむだけなので、いったん中断する。普段サボってばかりいる俺が、尻に火がついたからとて俄かにやる気を出したところで、できる事は知れている。自虐的な気持ちになりそうなところをなんとか抑えつつ、寝ることにする。いったん頭を休めて、明日また考えるだ。
床について目を閉じても、しばらくはまぶたの裏に![[未練がましく浮かぶ怪しい平面図形]](http://www.tenasaku.com/tenasaku/tepipi/resource/figure-091031.jpg)
こんな図が浮かんだり消えたりした
ハウスドルフ距離について考えていたからだ
深夜、幸花の熱が再発。インフルエンザではないが、確かに病気である。これはいったい何なんだろう。
タマちゃんとの共著論文の改訂版にもう一度目を通す。ほとんど直すところがなかったから、もう一往復すれば再提出できるだろう。だいぶ読みやすい良い論文になったと思う。タマちゃんのおかげだ。
不精な俺と違ってタマちゃんはテンションの高い頑張り屋である。アメリカ数学会紀要に出ることになったらしい彼の新しい論文 [Tamás Mátrai, Infinite dimensional perfect set theorems, to appear in Transactions of the American Mathematical Society] をダウンロードしてみた。これまた小さな字で(というのは紀要の書式なんだから仕方ないけど)30ページにわたる力作だ。俺との共著論文ではだいぶ手加減してくれているけど、タマちゃんの論文はいつも分厚くて、ひとつのテーマに取り付いたら、それをあらゆる方面から検討して、問題を立てて解いて応用して、しかもそれを全部書いてしまわないと気がすまないというスタイルだ。それでいて8年間のうちに25本の論文というスピード。俺にはとても真似ができない。俺は飽きっぽくナマケモノなので、少し考えて一通りのことがわかったら「ああわかったもういいや」となるし、わぁっと言いたいこと言ったら、突っ込んで議論せずに、すぐに「帰ってビール飲みたい」とか思ってしまう。それでまあなんでも広く浅くになってしまう。少しはタマちゃんを見習って広く深く物事を考えるようにしないとなあ。
ところで、驚いたことにタマちゃんはあの若さでエルデシュ数2を持っている。おかげでこの論文が通れば俺のエルデシュ数が4から3になる。そして、ダウンロードした論文が、「Mátrai が書いた Transactions of AMS の論文」という意味には違いないが、 Matrai_TAMS.pdf というファイル名だったのが面白かった。
夕方ようやく仕事の調子が出てきた頃に妻から幼稚園へ運動会の写真の注文に行けとの指令。今日が締め切りで、先生たちが待っていてくれるなんていうから行かないわけにいかん。とはいえ、どこへでも車で出かける妻とちがって俺はどこへでも徒歩で出向かにゃならん。仕事を中断して20分歩いて幼稚園まで行ったとして、たとえ写真の注文を瞬時に完了させても、それから20分歩いて戻ってきて仕事の続きをしていたらすぐにピアノのレッスンの時間が来てしまう。ということは、せっかく調子の出てきた仕事を切り上げて片付けて荷物を持って行かねばならぬ。だいたい、妻は昨日幸星を迎えに幼稚園に行っていたのだからそのときに注文しようと思えばできたはずである。釈然としない気持ちで頭上に不穏な黒雲をたなびかせながら出向いていく。
なにせうちの幸星は、被写体が被写体だけに、ろくに写っとりゃすまいと思っていたけれども、そこはプロの写真家の作品。ちゃんと一人ひとりが主役に見える写真がそろっている。あの日の幸星はずっとママと ゆかりせんせいに 甘えてばかりいた印象しか残っていないが、どうやって撮ったのか「一生懸命走るかっこいい幸星くん」のスナップがある。おまけに家族競技の綱引きのときの幸花や俺を撮ったスナップまである。子供の写真は俺と妻それぞれの実家に送るため2枚ずつ注文。俺のスナップはもちろん一枚でいい。無邪気な子供たちの写真に囲まれると、さきほどまでの黒雲モクモクの気持ちはすっかり和んだ。
無事に写真の注文も済み、ピアノのレッスンまであと20分。途中のコンビニで発泡酒を買い外のベンチで飲む。こういう状況で発泡酒を一缶あけたくらいでは俺は酔っ払ったりはしない。ピアノのレッスンが始まる頃には、なんというかすっかり開き直った気持ちになっていた。おかげでショパンのノクターンがこれまた開き直った演奏になって、聴いていた先生が言うには、いままでになく表現に気持ちが入っていたそうだ。
幸花の熱は下がらないが、インフルエンザの検査は3回とも陰性。A型インフルエンザなら反応が出るはずの検査ならしいから、新型インフルエンザというわけではなさそうだ。幸星と妻も微熱があるが俺はいまのところなんともない。歩数計カウント10,356歩。
24日のかがみさんの日記に、制限された選択公理のいろいろなバージョンの強さを比較するという話が載っていたので自分でも考えてみた。Pigeonhole Principle (ひきだし論法) を使ったりしてなかなか面白かったので、ノートを書いてかがみさんに送ろうとした。しかしメールを送信しようとした時にたまたまSMTPサーバがダウンしていたようで送信できず、仕方なしに自分のサーバに置いた。そのほうが多くの人に読んでもらえて、かえって好都合ではある。これ (091029a.pdf) と、これ (091029b.pdf) だ。寝不足頭で書いたので文章が変なところが多々あるけど、どうぞ見ていってちょうだい。
しかし, 前後の文脈の説明が足りないので, このノートをいきなり見たんではなんのこっちゃわからんかもしれない. 少し補足する. いま, Aを集合族 (集合の集合) とし, そのメンバー全部の和集合を∪Aと書くとき, f:A→∪A かつ ∀x∈A[ x≠∅ ⇒ f(x)∈x ] をみたす関数 f は, 集合族 A において定義され, そこに属する(空集合以外の)各集合からひとつの要素を選んで対応させる関数である. こんな関数を (A からの) 選択関数という. 選択公理は, どんな集合族 A もかならず選択関数を持つ, という主張だ. mを自然数としよう. ちょうどm個の要素をもつ集合のことを m元集合 と呼ぶことにする. m元集合ばかりからなる任意の集合族が選択関数を持つという命題をCmと書く. だからこれは選択公理の特別な場合である. 2以上のmに関するCmが選択公理のない集合論では証明できないこと. C2とC4が (選択公理を用いずに一方から他方を導出できるという意味で) 同値であること. C2とC3が (一方が他方から導出できないという意味で) 独立であること. などがわかっているらしい. そこで、上記のノートではC2とC4の同値性を俺なりに証明してみせ, さらに2元集合の可算族に制限された C2 からは4元集合の可算族に制限された C4 を導けないんじゃないのか, との疑問を呈し, そう判断する理由を述べた. いずれにせよ, 普通の数学からハミ出したような, 奇妙な世界の話だ.
夜、幸花が発熱。
朝、いつものコーヒーショップに寄った。ドアをあけて入り (って、アタリマエだ. 窓から入る奴があるものか. あいてないドアから入る奴もおらん.) 数歩進んで注文カウンターに取り付いて、いつものブレンドコーヒー200円を注文しようとしたときには、目の前にすでにカップが出されていた。もちろんミルクも砂糖もなしだ (俺は普段はコーヒーをブラックで飲む。) 「はやっ...」とつぶやくと、カウンターのおねえさんが「どうだ」という顔で笑っている。くやしいようなうれしいような。
金曜日の四年生のゼミでは萩谷昌己・西崎真也『論理と計算のしくみ』(岩波書店)を読んでいる。Wくんは述語論理のセマンティックスの説明がどうもいまひとつ理解できなかったらしく、昨日に引き続いて俺の部屋に来て長々と質問して帰った。Wくんは三年生まではトップクラスの成績だったように記憶しているが、ゼミで相手をしてみると、どうも思いのほか飲み込みが良くない。しかし、納得ゆくまで食い下がるところは評価できる。だからこちらもできるだけ根気よく質問に答えて説明する。とはいえ、相手が何をわかっていて何をわかっていないかはお互いわからないので、丁寧にやるには時間をかけて議論するしかない。こんなことくらいもう少しアッサリわかってくれりゃいいのにと思う一方で、しかしテキストの記述にも問題はあるようにも思う。なにしろセマンティックス以前の形式的言語の叙述を含めて、この本は全体に説明がアッサリしすぎているのだ。そこで、ひととおりWくんの得心がいったことを確認したあと、他の本 ([Jens Allwood, Lars-Gunnar Anderson and Östen Dahl, Logic in Linguistics, Cambridge 1971/1977] [Herbert B. Enderton, A Mathematical Introduction to Logic (second edition), Academic Press 2001] [Thomas Forster, Logic, Induction and Sets, Cambridge 2003] などなど) の該当する部分を見せて、同じことをこういう風にも書けるよ、という話をした。Endertonを見て、「英語が読めないと損なんですねえ」とWくん。何をいまさら。
歩数計カウント10,749歩。
午前中、プリントを刷って授業の準備をし、それから昨年書いた論文が昨晩遅く査読から戻ってきたので、そのことで共著者タマちゃんにメールを書く。午後は講義をし、学生の質問に答え、それから論文の修正版を作って、再び共著者タマちゃんに相談メール。昨日と打って変わって、夕方までずっとボケボケするような暇がなかった。ありがたいことだ。いや、皮肉でもなんでもなく本当に。
われらが業界のメーリングリスト Logic-ML に流れたアナウンスによれば、京都での来月の研究集会の次の週に神戸でラーソンさん (Paul Larson) が講演する内容は、いま現在俺の考えていることにかなり関連がありそうだ。大変興味があるが、11月の火曜日といえば、3日が祝日で17日は京都への出張のため休講。このうえ24日まで休講にするわけにはいかない。しゃあないので、名古屋と京都でラーソンさんに個人的に聞いてみるか。
結城浩の『数学ガール』シリーズ第3冊、『数学ガール/ゲーデルの不完全性定理』(ソフトバンク クリエイティブ)が届いた。数学的な内容は前2冊に劣らず本格的、むしろパワーアップしている。不完全性定理の解説書として出色の仕上がりになっているので、ぜひみなさん読んでみてください。
今日は休肝日にしようと思って帰りにコンビニでノンアルコールビールを2缶買った。コンビニのレジのおじさんが559円のつり銭を間違えて159円しかくれなかったので差額をもらおうと待っていたら、次にレジに並んだおねえちゃんの会計では「千円お預かりします」といいながら、レジ機のディスプレーに「預かり金額14,000円」の表示が。それに、俺の前のお客さんのときには、たしか肉まんを出し忘れてお客さんに指摘されていた。忙しい時間だったもので、おじさん少々お疲れだったらしい。忙しいときにポカが増えるのは俺も同じだから、つり銭を間違えられたくらいで怒ってはいけない。もちろんお金は取り返したけどね。
歩数計カウント11,955歩。
午前中は4年生のセミナー。今日のお題はキューネン『集合論』の第II章第2節「マーティンの公理」の前半。まだ強制法をよく知らないIくんにはまだ \(\langle s,F\rangle\) が \(\forall x\in F\;(\,x\cap d\subset s\,)\) を「強制する」という表現がぴんと来ない。そりゃそうか。そして、\(\mathbb{P}_{\mathcal{A}}\) の順序の定義(訳書73ページ定義2.7)のところで, 順序づけを逆方向に定義しているというミスを発見した。原書にない間違いである。はずかしい。
午後は体がだるくて仕方がなかったが、夕方から少し調子が出てきたので、パウリコフスキの古い論文 [Janusz Pawlikowski, Parametrized Ellentuck Theorem, Topology and Its Applications, Volume 37 (1990) 65--73] を読み始めた。1990年の論文で、これまでも何度か読みかけては なんだかんだで放棄していたものだ。しかしいまになって改めて読んでみると、なぜ放棄したかわからないくらい明快な内容だ。ただし、Elsevier社の学術雑誌の常として、えらく小さい活字で組んである。そういう意味では、40歳代も半ばの俺には少々つらくなってきた。そういえばセミナーのときも、手元から黒板に視線を移したときにはピントが合うまでにひと呼吸ふた呼吸待たねばならなくなった。もう若くないので仕方がない。体に無理のない範囲でがんばりましょう。
ひさしぶりにジョープラへ行った。かもとり権兵衛のうどんで昼食。それからダイソーでこまごました買い物。幸星がピカラのピーちゃんに会いたがる。3階のデオデオではたいていいつでも ピカラのキャンペーンをやっていて、前回来たときにはそこに着ぐるみのピーちゃんがいた。幸星はそういうことをしっかり覚えているのだ。ただ、キャンペーンはいつでもやっているが、残念ながらピーちゃんはいつもいるわけではない。
はに坊といいピカラのピーちゃんといい、幸星は空気で膨らました着ぐるみが好きなようだ。
ようやく玄関ドアのガラスを直してもらった。うちの窓ガラスはすべて二重なので割ると大変だ。
ジュンク堂へ行って本を二冊買った。小島寛之『キュートな数学名作問題集』(ちくまプリマー新書)と吉永徹美『独習LaTeX2ε』(翔泳社)だ。20年越し使っているTeXの独習本がなぜいまさら必要かというと、とにかく LaTeX2εが 奥の深いソフトだということにつきる。フォント周りのことや図の挿入など知らないことだらけで、リファレンス的な本が職場だけでなく家にも必要なのだ。職場には奥村晴彦『LaTeX2ε美文書作成入門第4版』(技術評論社)、藤田眞作『LaTeX2εコマンドブック』(ソフトバンクパブリッシング)その他があるから困らないが、家には現在なにもない。で、家にはこのさいだからいままで持っていないほかの本を置こうと思った、というわけ。
ピアノのレッスン。発表会間近になったショパンの夜想曲について、先生が「いやあ、一年かけて濃くなりましたねえ」と一言。これは決して「よくなりましたねえ」の聞きまちがいではない。まあ、内容が濃くなったということなのだろう。ヒゲではなくて。
ピアノといえば、最近、自主的に坂本龍一『ラストエンペラーのテーマ』の練習を開始。あと、家でハノンをさらうときに左手の薬指と小指が妙にこわばることに最近気がついた。他の曲、たとえばショパンを弾いているときは決してそんなことにはならない。これもそのうち先生に相談せねばならん。
9時から5時まで、それなりに仕事をしたはずなのに、全然誰とも口を利かなかったような気がする。
こないだまでは来月の研究集会ではお客さんに徹するつもりだったが、やっぱり研究発表をすることにした。まだ内容が全然まとまらないのだが、細部を後回しにして予稿を作ってしまう。主な結果の部分には堂々とハッタリを書いて、さて、これからがんばって証明しよう。こう言うと、なんか滅茶苦茶をやっているようだが、なに、提出用の予稿や抄録ではなく自分の発表のための予稿で、あくまで非公開のものだから、これでいいのだ。タイトルに An outline of my talk なんて書いて、自分にハッパをかけているわけ。
夕方、空港へ妻と幸星を迎えに行く。夕食に空港通のぐるめ亭へ行ったら湊町に住んでいた頃のお隣さんと遭遇。久しぶりにお互いそこそこ元気な状態で顔を合わせられてよかったわけだけど、まったく、どこで誰に遭うかわからんもんである。
歩数計カウント11,294歩。
さすがにこの時期は早朝にはけっこう肌寒い。昨晩の夜更かしのためかどうも気分がすぐれない。きょうあすは妻が奈良市内で開かれている公衆衛生学会に行っている。幸星を連れて行ったが、幸花は学校があるので松山に残る。
ところがそういう今日がたまたま小学校の授業参観日なもので、俺が参観に行く。道徳の時間で、シッポのないおサルのモンちゃんのお話を読んで、自分がモンちゃんのお友達だったらモンちゃんを遊びに誘うときにどういう言葉をかけるか、さらに、自分がモンちゃんだったらお友達の言葉を聴いてどんな気持ちになるか、そういうテーマで子供たちに考えさせる。悩んでいるお友達に優しく手を差し伸べてあげようという話なのだけど、子供たちの考えた手の差し伸べ方のほうが、原作よりもやさしくてステキだったぞ。
モンちゃんのシッポがないのはライオンにかじられたからだそうだけど、「ライオンに襲われたとき、とっさにシッポを切って逃げたんです」と脚色したくなったし、ロールプレイイングでモンちゃんの役をやる女の子がポニーテールだったもんで、お友達役の子がアドリブで「シッポあるやん」とカマシてくれないかなとか、授業参観中も例によって俺の頭の中は大運動会だった。
晩飯は幸花と二人でフジグランのフードコート。養命酒を買って帰宅。早く寝る。歩数計カウント14,753歩。
きょうはいろいろ片付けなければならない用事が重なったこともあって、いつになく頑張ったよ。
夕方、俺は市民コンサートの機関誌作業。妻は自分のブログに書いているとおり、学会発表直前の追い込み。ポスターセッションで発表をするのだが、肝心のポスターを刷れるプリンタがないと、大慌ての様子で電話してきた。ところが実はA3ノビ対応のインクジェットプリンタ (Canon PIXUS 6500i) が家にある。灯台下暗しというやつだ。念のためにというので求めに応じて、機関誌作業の途中でちょっと抜け出し、追加のインクカートリッジを買いにいく。機関誌は夜9時過ぎに仕上がった。9時半の電車を待つ気になれなかったので歩いて帰宅。てっきりプリント作業に没頭していると思っていた妻は、子供たちと一緒に寝床にいた。ちょっと拍子抜けするが、親が添い寝してやらないと子供たちがなかなか寝つかないので仕方がない。ただ、このまま放っておくと妻は朝まで一緒に寝てしまいかねないので、ほっぺをツンツンつついて起こす。プリンタは半年ほど使っていなかったので不安だったが、カートリッジを交換するだけでちゃんとプリントできた。そこでいつものパソコンをプリント作業のために妻に明け渡し、俺は隣室で久々にMac miniをいじった。妻が口頭発表の練習をしているのを壁越しに聞いていると、業務用のハキハキとした口調で標準語をしゃべるものだから、なんだか別人みたいだった。なにせ普段が普段だから、なんか新鮮で無意味にドキドキしちまったじゃないか。
朝は松山市駅から大学まで歩き、夕方には市民コンサート事務所に歩いていき、夜は歩いて帰った。ので、歩数計カウント15,100歩。
幸星の5歳の誕生日。アニバーサリー果子夢で作ってもらった《もふケーキ》でお祝い。大好きなチョコレートケーキに描かれたモ○○フのキャラクター。消防車のオモチャも買ってもらったし、幸星はゴキゲンだ。

歩数計カウント9760歩。
久々に、教会学校の日曜学校の礼拝に付き合った。オルガンの人が上手だった。それから、小学校のPTAバザーに向かう。教会と幼稚園が合同で毎年開いているバザーのような気合の入ったものではなく、体育館に品物を並べて売り買いするほのぼのした感じのもの。終わり近くになって安くなった小皿とガラスコップを少し購入。それから大街道で開かれているイベントを見に行った。幸花にプラ板細工をさせたり、食育俳句コンテストの人気投票をしてラディッシュの種をもらったりして帰った。帰宅後はずっと気になっていた家の周りの草引きを少しだけした。一時間半ほど黙々と地面と向き合って作業するというのは、やってみるとなかなか悪くなかった。だけど、秋もずいぶん深まりこれから寒くなっていくばかりのこの時期にわざわざ草引きをするのもなんだか奇妙なもので、本来ならこういうことは夏場にやるべきだと思った。
2年半前に今の家に移り住んで、最初の1年は草の一本も生えなかったので、いったいどんな土なのかと心配したが、2年めからはちゃんと雑草が生え始め、いまではそれなりに草ぼうぼうでひと安心。昨年なんか、植えてもいないトマトが勝手に生えてきて勝手に実り始めて驚いたが、あれは生ゴミの中に食い残しのトマトでもあって、何かの拍子に種がこぼれたにちがいない。
昨日書いたとおり、ブール代数とブール準同型のカテゴリーでの pushout の存在はストーンの双対定理を使ってコンパクト T2空間と連続写像のカテゴリーでの pullback の存在 (これはシンプルでわかりやすい) を経由して証明できる。証明はできるが、pushout のオブジェクトとして得られるブール代数の正体がまったく不明である。位相空間の pullback は直積空間の閉部分空間として得られる。とすればブール代数の pushout は直和ブール代数の剰余代数として得られる、と考えたくなる。だけどそうではなさそうだ。ブール代数の直積 A×B がストーン空間の直和 X+Y に対応することはすぐわかるのだけど、ストーン空間の直積 X×Y に対応するブール代数の操作は直和 A+B (これは直積 A×Bと実質的に同じ) ではない。むしろ 集合 X の冪集合と集合 Y の冪集合から 直積集合 X×Y の冪集合を作る操作のようなものだ。と説明してみても、それはやっぱり双対空間の直積をテコにして説明しているわけで、ブール代数としての直接的な関係は見えてこない。
幼稚園の運動会。先生たちの報告によれば幸星は家族がいない時には友達とうまくやっているようなのだけど、俺たちが見ていると、会の進行がうわの空になって、すぐに母親のほうへ走っていこうとする。両親と担任の先生とでたびたび困る。だが、本人は「いっとうしょうになれなかったの」とか「ダンスうまくおどれないからはずかしいの」とか言っていたそうだから、俺に似て自分で勝手に高いハードルを設定して自滅してしまう性分なのだろう。表現が下手なのでなかなか伝わってこないのだけど、頭の中ではかなり一生懸命いろいろのことを考えているようだ。
で、ついつい「一等賞になれなくてもいいの。一生懸命やることが大事なんだよ」と言ってやりたくなる。ただ、結果について話すときはこれでいいが、これから先のことについて話すときにはこれはちょっと引っかかる。この文脈で「一生懸命やる」というのは、一等賞をめざすのでなかったらいったい何なのだろう。幸星は自分にも親にも言葉を誠実に使うことを求める。だから「一生懸命やりなさい」という指示を幸星なりに「一等賞になりなさい」と解釈したとしても不思議はない。「一生懸命やる」を「ベストを尽くす」と言い換えたところで同じことだ。いったい何をめざしてベストを尽くせばいいのだろう。なにしろこれは運動会で、音楽でも美術でも文芸でもないのだ。
そして、ついついこんなことを考えてしまう俺が子供のころ、運動会が大の苦手だったことは言うまでもあるまい。
午後は、妻は学校。俺は仕事。子供たちは託児所に預ける。夕方俺が子供らを引き取りに行き、妻とは丸三書店で合流。夕食は茜屋。
午後の空き時間には、マサイアス論文で触れられている「完備ブール代数と完備準同型のカテゴリーにおける pushout の存在証明」について考えた。集合と写像のカテゴリーでも、 pullback は明快だが pushout はかなりわかりにくい。代数構造の入ったたとえば環と準同型のカテゴリーなどになると、もう俺には pushout の存在証明すらおぼつかない。環と準同型のカテゴリーでの pushout の構成がわかればブール代数でどうすればいいのかは見当がつきそうなのだけど。いっそのことコンパクト位相空間と連続写像のカテゴリーの pullback からストーンの双対定理を使ってブール代数のカテゴリーの pushout を作ってしまおうか。完備ブール代数と完備準同型のカテゴリーに双対な空間としては extremely disconnected コンパクトT2空間を考えればよいとして、完備準同型に双対な連続写像の性質は何だったっけ。これはどうも、子供の世話をしながらラーメン食っている片手間に考えてわかるような話ではない。
マサイアス論文での証明では、なんとブール代数値集合論を使う。慣れれば自然な発想に思えるのかもしれないが、いまの俺に言わせればこれはなんというか、海老で鯛を釣るの逆の…そうそう「牛刀をもって鶏を裂く」だ。
発表予定の学生さんが急遽就職活動に出かけたためセミナーはお休み。12日に行った歴史文化博物館から手紙が来た。「はに坊」に子供たちが出したファンレターにスタッフからの丁寧な礼状と、子供たち宛に「はに坊からの」お返事。子供たちはうれしくてぴょんぴょん飛び跳ねている。
休日をはさむ週によくあることだけど、今日はピアノのレッスンもお休みだった。歩数計カウント10,567歩。
引き続き、マサイアスの論文を読む。記号や用語に独特なのがあるうえ誤植が多いのでまごつくが、証明はきちんとしていて、文章は読みやすい。
きょうは自宅から歩いて医者に行き、歩いて帰った。帰りに宮脇書店に寄ったが、いまは何も買う気がしない。歩数計カウント9,002歩。
日中曇り。夕方から夜にかけて断続的に激しい雨。
今日もポカの日だった。なにしろ、職場に着いてから鍵がないことに気づいた。娘の通学の電車の時刻にあわせて家を出なきゃとあせるうちに、家に忘れてきたようだ。職場の部屋の鍵は事務室に行けば借りられる。仕事の間はそれでいいが、あいにくきょうは妻が朝から晩まで外出する予定なのだ。妻が家にいるいまのうちに鍵を取りに帰らないと、あとで困る。しかもこのとき午前8時10分。中心街ならともかく大学近辺の銀行ATMはまだ動いていない。財布はカラッポで、今日に限って ICい〜カード の残高もない。したがって電車で帰ることはできない。しゃあない。妻に電話したうえで歩いて家に戻る。ちょうど妻が出かける頃合いに家に着いた。鍵を確保し、妻の車で松山市駅まで運んでもらう。先日壊れて再発行してもらった ICい〜カード に残高を再チャージしてもらうためだ。その後、改めて大学まで歩く。帰りも歩いたのでまるまる二日分を歩いたことになる。結果、歩数計カウント17,686歩。歩数が稼げたことはよかったけど、鍵を忘れるなんて、いい歳をして情けない。
気を取り直して、"円満な一族" (Happy Families) というタイトルのマサイアス (A.R.D. Mathias) の古い論文を再読。タイトルからすると近代日本文学だが、内容は紛れもなく集合論の論文だ。集合論研究者の必読文献のひとつといっていい。Happy families というのは、無限集合の組合せ論という集合論の一領域でしばしば話題に上る maximal almost disjoint families すなわち MAD families ("頭に来た一族"?) という集合族のクラスに関連して、マサイアスが考案した別の集合族のクラス。個々のhappy familyは、ラムゼイの定理との関連で興味深い振る舞いを示す。実例としては、自然数の無限集合全体の族、ω上のMAD familyの生成するイデアルの補集合、そしてラムゼイ超フィルターなどがある。この論文ではこの"円満な一族"を軸に、いわゆるマサイアス強制法を導入し、ガルヴィンとプリクリ、シルヴァーらの先行する結果を強化したうえ、ソロヴェイのモデルにおいて分割の性質 \(\omega\to(\omega)^\omega\) が成立していることを証明する。また点集合のクラス \(\mathbf\Sigma^1_1\) に属する MAD family が存在しないことを示し、あわせて、選択公理を認めなければ"頭にきた一族"が存在しないこともありうることを示している。
昼間は普通に仕事。ただし月曜日がお休みだった分のしわ寄せは少し来ている。夕方からは市民コンサートの機関誌作業日。めんどくさくて後回しにしていた原稿入力を直前にやっつけるつもりが、フタをあけてみればなんだかポカだらけで、他のスタッフに迷惑かけまくりだった。基本的に粗忽な人間なので、ポカは今日に限らない。昨晩遅く、携帯電話のカメラで撮った写真をパソコン上で整理していたのだけど、ファイル名変更の自作スクリプトにバグがあって、写真40枚ほどをみすみすパァにしてしまった。原因は、ファイル名を変更する前に変更先と同名のファイルが存在するかどうかのチェックを怠ったことだ。これはショックが大きかったが、後悔先に立たず。ものすごく急ぐ作業ではなかったのだから (って、急を要する作業だったらなおさら慎重にならんといかんだけど) どのみちプログラミングせにゃならんのだからだったらちゃんとEXIF情報を調べて重複のないファイル名を生成させるべきだった。あるいはせめてバックアップを取ってから実行すればよかった。自分のアホさ加減に、しばし呆然。
歩数計カウント5,401歩。
卯之町の 愛媛県歴史文化博物館に行った。いまちょうど、広重の東海道五十三次シリーズが展示されているのだ。初めて行ったのだけど、意外に大きい建物でびっくりした。

エントランスホール兼通路
なんというか、空間を贅沢に使いすぎ
戸外のちょっとしたベンチで弁当を食い、それから展示を見る。常設の愛媛県の歴史の展示だけでもゆっくり見て回れば1時間半か2時間はかかる。なかなか見ごたえがあるが、小学2年生や、ましてや5歳前の小児にはまだちょっと難しいか。だがひとまず弥生時代の竪穴式住居の再現や海賊の軍船の模型などを見て遊びながら何かを非言語的にでも学んでくれればいいのである。いっぽう大正・昭和のレトロな町並みや民家を再現した展示は大人のお客さまへのサービスだな。浮世絵は、なにしろ面白かった。浮世絵には現代のポップアートに通じるものがあるというのは、もちろんみんなとっくに気づいていることだけど、実物を見るとあらためて得心がいくから不思議だ。

ちょっぴりレトロな民家の風景(違)に溶け込む幸星くん

はに坊と遊ぶ妻子
戸外の静かな田舎の風景や博物館のノスタルジックな展示のおかげで、ますます「リビングに畳」構想を実現したくなった。子供たち、とくに幸星は博物館の マスコットキャラクター「はに坊」 に一目惚れ。今回は博物館だけで、卯之町の散策まではできなかったが、開明学校などの文化財もまた日を改めて訪ねてみたい。
愛媛の歴史と文化なんていうと、神功皇后の新羅遠征とか額田王の「熱田津(にぎたつ)に船乗りせんと月待てば」の歌とか聖徳太子が道後温泉に来てどうのこうのとかいう、本当なら面白いけど実際はウソかマコトかハッキリせん話になりがちだ。そういう展示が一切なかったのは、歴史学・考古学の最近の流れを踏まえてそうなったのか、あるいは政治的な配慮か。俺には理由はわからないが、ちょっと意外ではあった。
歩数計カウント9,835歩。
昨晩遅くに作っておいたスルメイカの煮物をご飯にのせて朝食。美味。午前中、幸花をつれて愛媛県美術館で開催中の『ルートヴィヒ美術館所蔵・ピカソと20世紀美術の巨匠展』を見にいった。マティス、ピカソ、ブラック、カンディンスキー、シャガール、デルヴォー、キリコ、ウォーホル… 数こそ多くないものの、名だたる画家の作品があってなかなか見ごたえがあった。松山にいながらにしてキリコやデルヴォーの作品に触れられる (いや触っちゃダメか) なんて実にありがたいじゃないか。まだ8歳の幸花には難しかったようだが、名画の価値がわかるようになってから出かけるというのも、実は話が逆なんじゃないかという気がするので、これからも機会があるかぎりいろいろの展覧会につれていってやろうと思う。
それにしても、また ICい〜カード (伊予鉄道のプリペイドカード) がウンともスンとも言わなくなって交換する破目になった。これで3回目だよ。


美術館のある堀の内公園。野球場、競輪場、市民プール、それにがんセンターがあいついで転出した跡地にとくに何も建てず、広大な緑地公園として再生すべく、いま整備が進んでいる。その構想はすばらしいが、ゴルフの練習をするバカとかテントを張って住み込む奴らとかバーベキュー大会をやりだす連中とかが出てこないか、いまからちょっと心配だ。

美術館からの帰りの電車にオバケが出現

って、オバケの正体はこれ
午後、すこし昼寝をしてからフジグランへ食材その他の買い物に出かける。休日は刺身を買い求める人が多いらしく、夕方には鯛やカンパチのアラが大量に出るのだ。真鯛一匹分のアラが198円である。これを大根と一緒に煮物にして食う。安くておいしくて栄養豊富。言うことなし。あと、DVDプレーヤー2,980円というのを買った。歩数計カウント10,890歩。
先日(→先月14日)の市民コンサート例会の会場アンケートの集計を火曜日までにせねばならんので、木曜日に事務所へアンケート用紙の束をとりにいった。そしたら昨日「サイン色紙の抽選をするので明日の運営委員会に持ってきてください」と連絡があった。しまった、罠だったのか。俺は機関誌担当の運営委員なのだが、このごろは運営委員会にはぜんぜん顔を出していないのだ。仕方がないので運営委員会に出席。明日雨が降っても知りませんよ。運営委員会終了後、委員長の差し入れのシュークリームを食い、ジュンク堂書店に寄ってから帰宅。事務所の近所に子猫が3匹もいて可愛かった。そのうち一匹は黒猫だった。いつも事務所近辺をウロウロしているあの黒猫 (俺は勝手にルドルフとかジジとか銭丸とか呼んでいるが) の血が入っているに違いない。

これがその銭丸
2009年8月18日撮影
先日から考えている数学の問題のひとつは一昨日ちょっと触れた先行研究の論文で解かれている。しかもその解はあっけないほど簡単だ。帰りの電車の中でこれを知ったときにはかなりがっかりした。なんで気がつかなかったんだろう。だが自分のやることがまったく残っていないわけではないので、もうしばらく踏ん張ってみる。
俺はいつもこの調子で、しばしばすでに他の人が解いている問題にそうとは知らず熱くなってしまう。「思而不學則殆」である。いまさら性格を変えられるとも思わないが、できるだけ自分を戒めて他の人から学ぶようにしたい。
午前中は4年生のセミナー。お題は命題論理のシーケント計算。Kくんはそれなりにちゃんと準備してきているのだからもっと自信を外へ出せばいいと思うのだが。午後ホゲホゲとすごし、午後4時を回る頃にようやく頭が働き出したので数学を始めるが、調子が出てきた頃に時計を見ると5時半を過ぎている。こりゃいかん。ピアノのレッスンにいかねば。
かがみさんの日記でカーネル設定ファイルにパッチを当ててMacBookを64ビット動作させる方法を紹介していた。これまた楽しそうだ。いまでは俺もすっかりWindowsに転んでしまったが、本当のところ、できれば MacBook Pro を持ちたいとずっと思っているのだ。まあ当分無理だけどね。歩数計カウント7,283歩。
松山にはさほどの被害もなく台風は東日本に向かったようだ。朝、大学生協のカフェテリアに行ったら、BGMにビートルズがかかっていた。コーヒーを飲みながらBurgessの論文を少しだけ読んだ。ここで朝食をとって8時半からの授業に向かう学生さんも少なくない。少なくないが、決して多くもない。教師の身としては、学生さんにも朝食をちゃんととってから授業に出てきてほしいから、生協の朝食営業はたいへん有意義だと思う。その反面、俺にとってここにいる時間はゆっくりお茶しながら落ち着いて勉強できる貴重な時間なので、あまり混雑しないでほしいとも思う。まあそれは自分の仕事部屋を片付けて快適に仕事できるようにすればいいだけの話だけど。
先日から考えている問題にも、数は少ないながら重要な先行研究があった。面白いことに、どうやら超フィルターの場合は∃∀の場合よりも仮説として「弱く」なるらしい。そこで俺としてはそれを踏まえてその先を考えないといけない。
歩数計カウント11,302歩。
松山地方祭の本祭の日。この日は市内の小中学校は休校になってしまう。幼稚園はキリスト教系ではあるが、今日ばかりは市内挙げてお祭り態勢なのだからやっぱりお休みだ。それで子供二人が一日じゅう家にいて、台風が接近していて、もう内と外から大アラシである。
昨日から考えている数学の問題について。超フィルターの場合には反例なんかすぐに作れるはずだと思っていたが、少し調べてみて、むしろボレル集合に関してマーティンの定理に対応する結果が証明できるような気がしてきた。むろん決して簡単な話ではないが、方向としてはそっちだろう。超フィルターの場合のほうが他の量化子の場合より話がむしろ単純になるので、まずこの場合をよく調べて元々の∃と∀の場合と比較するという方針で行こう。
という記述から俺が何を考えているかわかる人がいたらすごいなあ。まあ、世の中にはちょくちょく本当にすごい人がいるもんだけど。
雨が少しパラついては止む。台風が近づいているようなので気をつけないといけない。
朝、いつもの店でコーヒーを飲みながら昨日プリントアウトした文献に目を通していたら、一般化された量化子(quantifiers)とそれに対応する決定公理(determinacy axioms)
というテーマを思いついた。こうしちゃおれんと研究室へ走っていった...というのは誇張表現だが、おかげで久々に数学らしいことをやった気がする。まだ端緒についたばかりだが、きちんとやるにはこれも普遍ベール集合のような絶対的
な対象に的を絞る必要が出てくるだろう。
松山の地方祭の提灯行列の日。例によって俺は参加できずだが、妻の報告によると、昨年は巡幸コースのなかばでリタイアした幸花は今年は全コースを踏破。甘えんぼの幸星がママのおんぶで楽チンしていてもやきもちを焼くこともなく、むしろママの荷物を代わりに持ってあげる気働きを見せたという。自分でも「ゆきかきょうすごくがんばったんよ」と言っていたが、たしかにえらいぞおねえちゃん。
歩数計カウント12,284歩。
だいたい、位相空間論でよく出てくる 離散集合 ってのは、離散してんだか集合してんだかハッキリしてほしい...いや、なんでもありません。
普遍ベール集合研究の先駆といえる、1970年代から80年代にかけての絶対 \(\mathbf{\Delta}^1_2\) 集合 (absolutely \(\mathbf{\Delta}^1_2\) sets of reals) の文献を集めた。哲学者として名高い John P. Burgess がどういう風の吹き回しかその時期にゴリゴリの記述集合論をやっていて、その論文 (Classical hierarchies from modern standpoint, I -- III) もこのテーマには欠かせない。絶対 \(\mathbf{\Delta}^1_2\) 集合のクラスは射影集合の階層の中ではZFCで普遍ベール性が証明できるぎりぎり一杯の切片である。当時はむしろZFCでルベーグ可測性が証明できるぎりぎり一杯の切片として研究されていたわけだ。このクラスの一番下の階層にボレル集合族があり、その上にセリヴァノフスキのC-集合の階層、コルモゴロフのR-集合の階層、ヴォートのボレルゲーム定義可能集合の階層などが乗っている。これらを歴訪するだけでも当分楽しめる。
後日追記:あとで知ったところによると、そもそも John P. Burgess は記述集合論の研究でPh.Dの学位をとったらしい。だからゴリゴリの記述集合論をやっていた人がそのあとで哲学に転じたという経過のようだ。あるいは、最初から二足の草鞋を履いていたのかもしれない。欧米にはそういう人はたくさんいそうだ。(2009年10月9日)
宵の口に小雨。歩数計カウント7,663歩。
昨日書いたようなわけで、問題は集合・論理・写像...それらの教え方である。全国の大学の数学の先生たちのあいだに、数学における論理の扱いについてきちんと筋道立てて教える必要があるという認識が広がりつつある。だから論理的な考え方の手ほどきをする本が、書店のビジネス書の棚に引き続き、数学書の棚にも並ぶようになった。もっとも、俺は論理をそれ自体として取り出して教えることの意味については、いまでは懐疑的である。以前にも書いたような気がするが、懐疑的になる理由を手短に言えば次のようになる。学生にも決して論理が使えないわけではない。使えないのはむしろ論理でなく抽象観念だ。とすれば、数学に埋め込まれた論理がうまくたどれないからといって論理をそれ自体として取り出して (≒抽象化して) 講義するのは逆効果だと思う。
抽象観念の扱いは、数学をやるには必須ではあるけれども、普通の庶民の生活感覚の中で培われるようなものではない。その抽象観念を扱う能力つまり抽象的思考能力が、過ぎし日々の数学科の学生に例外なく備わっていたのかどうか、俺にはわからない。いっぽう、こんにちの学生たちの抽象的思考力が損なわれている理由はいくつか推測できる。まず先に言ったように、抽象的思考力は、庶民の生活感覚の中で培われるものではなく、訓練を経て始めて身につくものである。抽象的思考力を養うためには、言葉を操る力をつけなくてはならない。それにはなにより本を読むのが一番だ。だが、いまどきは本を読まなくても他に楽しいことはたくさんある。つまり本を読まない学生が増えた。これがひとつ。次に、数学書の棚より先にビジネス書の棚に「論理的思考力」を養うと称する本が並びだした理由は、感覚や利害を共有しない他人と話をする必要に迫られることで論理の必要性を自覚するケースが多いことを示唆する。ところが、都会的なライフスタイルが津々浦々に浸透して、友人でも家族でも何でもない他人とうまくつきあう必要性を感じる場面は減少する傾向にある。(たとえばかなりの田舎町でも車で少し走れば大きなスーパーマーケットへ行くことができる。そこではたいてい終始無言で買い物ができるのだ。売り手、というかレジの人の対応が事務的・機械的で味気ないと思うことは時々あるが、考えてみれば買い物しているこちらのほうだってまるで機械みたいだ。) このことが、言葉をきちんと使うことを軽んじる人々を増やしていることも考えられる。言ってみれば、自分の殻から出なくても生きていける便利さを知ってしまったこと。そして最後に、各種メディアであまりに多くの人があまりに多くのことを言い過ぎていて、結果として口がうまい人は信用できないという信憑が広がっている可能性もある。すなわち言葉全般への不信。...ソフィストの蔓延に辟易しているだけでは、ソクラテスにもプラトンにもなれないのだが。
そういう文脈から手にとって見た 中内伸光『ろんり と 集合』(日本評論社, 2009年)。タイトルの「ろんり」は数学の議論を展開するのに必要にして十分な論理の実践的知識というくらいの意味で、論理学の研究対象としての「論理」と区別するためにすこしソフトな「ろんり」という表記にしているそうだ。なにせイラストが楽しい。イラストと共に、おやじギャグが適度に挿入されていて、それもうれしい。内容は、無味乾燥な論理と集合をどうやって教えるかという問題に対する、著者の試みを踏まえたもの。まあ多少の異議がないわけでもないが、数学者が数学のための ろんり を教えるのであるから、これくらい割り切ってもよいのかもしれない。昨日紹介した 斎藤毅『集合と位相』(東京大学出版会, 2009) とは対極にある やわらかい本。
しかし、これじゃあ日記だかなんだかわからんな。少しは日記らしいことも書こう。うちには 仲秋の名月の夜のおかずはトンカツ というけったいな不文律がある。今夜が仲秋の名月なのか (先月上旬の満月のことじゃなかったかな) それどころか本当に今夜が満月なのか (昨晩じゃなかったかな) 確信はなかったが ともかく、夕食は一口カツのみぞれ和えにした。歩数計カウント10,650歩。
天気はいいが風はすこし冷たい。秋の深まり。妻が大学に授業を受けに行っているあいだ俺が子供の面倒を見るはずだったのだが、体調がすぐれず託児所を頼むことになった。後期は毎週末に大学院の授業があるそうなので、こちらも心して協力態勢をとらねばならぬ。体調管理には気をつけなくては。託児所を使わずに済んだらその分のお金で茜屋にラーメンを食べに行こうと言っていたのだけど、そんなわけで今夜の夕食はパパラーメンとなった。まあ、子供たちはパパのラーメンを喜んでくれるので、それはそれでOKであった。
妻子のいない静かな家で、ピアノの練習をし、それから 斎藤毅『集合と位相』(東京大学出版会, 2009) を読んだ。全部で8章あるうちの最初の2章が、数学の共通言語というか数学科の教育用言語としての集合と写像の解説。どこまでも抽象的で具体例のない議論が続く。まあ仕方のないことなのだけど、この道二十有余年、具体例をたくさん知っている俺たちにとってすら、この領域はあまり面白くない。ましてやこれから専門的な数学を学ぶ数学科2年生にとって、具体例のない集合・写像の定義の羅列が面白いはずがない。なんとかしてこの部分を初めて学ぶ学生にとって面白いものにできないだろうか。いっそのこと具体例をゴッタ煮的に入れてしまうとか。集合・写像をやってから実数直線の位相、という順番をやめて同時進行でやってしまうとか。どうして数直線の集合論的構成が必要になったか、解析学の現代化の沿革を語りながら進むとか。この問題は人任せにはできない。人の書いた本に文句をつけている場合ではない。ふむむ。
午後にかなり強い雨。どしゃどしゃ。少しだけど雷鳴も聞こえたように思う。
ピアノのレッスン。本番一ヶ月前だからそろそろ仕上げにかからないといけない。この曲はほぼ全体にわたって右手がメロディーで左手は伴奏に徹する。伴奏をきちんと弾かないとメロディーが歌えないのは確かなのだけど、主役はもちろんメロディーのほうだ。いままで右手2左手8くらいの割合で意識が向いていたのを、主に右手を意識するように修正せにゃならん。それと、どうしても引っかかりがちなところが一箇所あるので、そこは鍵盤を押さえる指の位置に気をつけ手首のリラックスを心がけながらもう少し練習すること。あとは落ち着いて滑らかに弾けるように通し練習を怠らないこと。
メロディーと伴奏って、意識とその背後にある意識下の心の働きみたいだといつも思う。意識は心の働きの最上層に乗っかっているだけの存在であり、われわれが目の前に示された事物の意味を読み取るのも好悪の感情をもつのも、すべて意識下の心の働きが意識に写る物事に陰影を与えているからこそできることだ。音楽では、伴奏はメロディーに奥行きと陰影を与えてくれる。同じメロディーでも和音のつけ方を変えるとイメージががらりと変わる。写真や絵画でもそうで、パスポートの写真のように無地の背景の前に立って正面から光を当てた陰影のない平板な写真では、被写体がどんな美人さんでも それなりの退屈な写真になってしまう。陰影や背景は大切だ。意識に上らないところでやり取りされている情報が、意識の焦点のあった部分の意味づけに決定的な影響を及ぼすわけだ。見えないところで主役を立てる役割が大切なので、背景が前にしゃしゃり出て大見得を切ってはすべてがブチ壊しになってしまう。俺はまだまだこのあたりのバランスがうまく取れない。
というところで唐突に話は変わって、今日はじめて気がついたこと。1980年代後半に「ベルエア・ストリングス」というフュージョンテイストのイージーリスニング楽団を率いていた《リチャード・デューセンバーグIII世》という匿名ピアニストは実はあの 佐藤允彦 だったらしい。1985年と1986年に リチャード・デューセンバーグIII世 の名でアルバムをリリースし、1989年の第3アルバム『カプリチオーソ』でようやく正体を明かしている。学生の頃、第2アルバム『エスプレッシーヴォ』を聴いていたく気に入った俺と友人たちは、あれはリチャード・クレイダーマンなんじゃねえかと噂していたのだけれども。ちょっと懐かしく耳に心地よい音楽が聴きたくなって中古で『クラッシー』と『カプリチオーソ』を手に入れたが、肝心の『エスプレッシーヴォ』はなかなか見当たらない。もうしばらくあきらめずに捜索を続けよう。
歩数計カウント8,795歩。
薮から棒に宣言します。俺は Twitter を使いません。
聞かれもしないのになぜそんなことを言うかというと、もちろん自分も Twitter に魅力を感じているからだ。なにせ知人が何人も使っているので、楽しそうだなあと思って見ているし、そうでなくても俺が登録すれば喜んでフォローしてくれる奇特な人も世の中に何人かはいるに違いない。登録は無料で専用ツールも各種公開されているから敷居は低い。他の人が Twitter を使うことを非難する気も毛頭ない。結城浩さんの#onwriting のように有意義な試みだってある。にもかかわらず 俺に限って やらないほうがいいと思うからこそ、こうやって誘われる前から (というより自分自身の内から聴こえる誘う声に逆らって) 公言しているわけだ。
だって Twitter をやりだしたら きっと仕事も子供の世話も何もそっちのけでチャット三昧の日々になる。パソコン通信のチャットや IRC (☜リンク先はWikipedia) や ICQ などいろいろのコミュニケーションツールを使ってきた経験上、これは確実だ。そうなって後で困ることは目に見えている。それに俺の場合、きっと、Twitter で気が済んでしまうと日記を更新しなくなるか、たとえ更新しても内容がないようになるだろう。だが Twitter に限らずチャットのログは日記の代わりにはならない。なにしろどんどん流れて消えていってしまう。いっぽう、ブログにせよHTML直接編集にせよ、日記は蓄積されて残る。この 残ること が俺には大事だ。
上の段落で、IRC (internet relay chat) とは何ぞ?という人のために用語説明をリンクした。最初 IT用語辞典 e-Words の項目へリンクしようとしたのだけど、最近はどうしたものか e-Wordsの項目の記述 が広告に埋もれている。どこからが本文でどこからが広告なのやらさっぱりわからん。だから広告の入らない Wikipedia を参照するようにした。いっぽう、e-Wordsからリンクしている Metapedia というのは、使いようによっては便利かもしれない。ただ、俺としては なんちゃらペディア
の氾濫はもういいかげん勘弁してほしい。このごろは何かにつけて安易なネーミングが多くてつまらん...というボヤキから文化論・教養論へ話を広げるのは、また今度にしよ。
それにもうひとつ。こんなクダラナイ日記でも俺にとっては作文の練習という意味がある。ヘタクソなりに文章を整えながら書いている。それが面白くてやっているのだから、思う端から書いていくのが身上の Twitter とは違う。その違いをきっちり意識しWeb日記としての特長を活かしてより充実させる方向へ、俺としてはエネルギーを使いたい。
そのようないろいろの理由で、俺は Twitter には手を出さないことにする。その一方で、もっともっと Twitter が流行すれば、そのせいでブログが下火になって俺のサイトの相対的な価値が上がったりせんだろうか、などと不埒なことを考えてもいる。ただしそうなったら読者も減るんだろうなあ。もともと少ないけど。
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あっというまにもう10月。今月もがんばりましょう・・・とかなんとか言って、いきなり寝坊してしまった。昨晩は11時を待たずに寝たはずなのに、けさは7時すぎまで目が覚めなかった。いや、妻の携帯の目覚ましが鳴っているのを聴いた記憶がおぼろげにあるから、あるいは二度寝してしまったのだろうか。午後は床屋に行き、夕方はBOOK・OFFに行った。歩数計カウント8,171歩。