て日々

2009年8月


2009年8月31日(月)はれ

俺は10年ほど前に会費滞納の廉で 日本数学会 を除名されている。学者としての社会的立場という観点からも数学の振興に貢献する意思を明確に示すという意味からも、再入会するほうがよいのかもしれないが、その場合滞納した会費はどうなるのだろうか。そりゃあ、除名処分までに滞納したぶんは収めるしかないが、もとの会員番号で復活させてやるから除名されていた期間の会費も納めなさいなんて言われたら、たちまちひと財産飛んでいってしまう。そのあたりが面倒そうなので日本数学会への再入会はいまのところ見送っている。日本数学会を除名されたからといってどこの学会にも所属していないわけではなくて、Association for Symbolic Logic (記号論理学協会, ASL) の会員ではある。そして、思うところあってこのたび 科学基礎論学会 にも入会することにした。入会申込書が受理されたというのできょう会費を送金した。先方から入金確認が戻ってきた時点で、正式入会ということになる。

とかなんとか言っているうちにもう8月も終わりだ。俺にとっては小学校時代の8月31日というのは親に尻を叩かれながら宿題を片付ける日だったのだが、【娘】はとっくに宿題を終わらせている。もちろん感想文も工作も日記も含めてだ。わが娘ながら、えらいなあ...(子供の前ではもちろん、宿題は やってアタリマエ だというタテマエを堅持しているのだけどね)

歩数計カウント8,343歩。


2009年8月30日(日)くもり

この3日間は妻が大学院で統計学の集中講義を受けている。それで一昨日と昨日は子供らを託児所に預けたのだけど、結構な託児料金が出て行ってしまうこともあり、俺の仕事のない日曜日くらいは俺が子供の面倒をみることにした。

朝食の残りと冷凍食品を使って弁当を作って出かけ、朝のうちは教会の日曜学校に連れて行き、それからロープウェイで城山に登った。【娘】のリクエストにより今回初めて天守閣にも入ったのだけど、天保山の忍者屋敷の恐怖体験 (→8月11日) が記憶に新しい【息子】はすっかり怖気づいている。鉄の扉をくぐって天守閣に入る直前に中庭で コワイコワイ イヤダイヤダ と大騒ぎして、通りかかったおばさんに 大丈夫よ と声をかけてもらったりしたところへ、先に入りかけていた【娘】が戻ってきて 怖くなかったよ と「証言」。それを聞いて【息子】はようやく じゃあガンバル!! と重い腰を上げた。このときの【息子】の 一大決心といわんばかりの表情と口ぶりは見物だった。さすがヲトコノコだ。かっこいいぞ【息子】。天守閣内でも 【息子】は薄気味悪がって 広場に戻りたいと訴えていたのだけど、外の景色の見えるところでは喜んでワイワイ言ってたりもしたので、本当のところはそれほど怖くはなかったのだろう。

その後、本丸広場で二人にソフトクリームを食わせ、県庁の裏手の道を徒歩で下山。電車で家に帰った。きょうは子供たちもよく歩いたぞ。それにしても普段の日曜日と比較して城山界隈の人出は少なかった。夏休み終了間際のせいか あるいは衆院選のせい かもしれない。俺たち夫婦は今日は一日じゅう授業と子供の世話で大変だとわかっていたから、期日前投票を済ませているよ。


2009年8月29日(土)はれ

今日も蒸し暑かった。朝から午後3時まで仕事。昨晩は仕事のことが気になってあまり眠れなかったがどうにか無事終わって ひと安心。昨年投稿したマトライくんとの共著論文について雑誌の編集委員からなんの沙汰もなく一年が過ぎたので「どねえなっとんか知らせてください」とメールした。 (といっても伊予弁でメールしたわけではないぞ。) そのメールを共著者であるマトライくんにCcしたら、半日くらいしてマトライくんからのメールが届いた。昨シーズンはトロントに留学していたが、今年はアメリカのラトガース大学に奥さん(物理学者)が職を得たらしい。それでマトライくん本人は No job, no money, no problem な立場だそうだ。ふむ。日本語でいうところの ひも ってやつですかしら。

タマシュ・マトライくん (俺と妻の間では タマちゃん で通っている) は30歳代の才気煥発なハンガリーの数学者。昨年6月エリチェでのカンファレンスで会って8月に共著論文を仕上げ、さる高名な学術雑誌に投稿中なのだ。くわしくは旧「て日」の2008年6月中旬あたりを見てください。

昨日、生協で注文していた冷凍のヤリイカが二杯届いたので解凍し、きょうの夕食には初めての試みとしてイカの墨煮を作ったのだけど、墨袋が小さかったところへ水をたくさん使ってしまったため、墨の色が薄く汁ばかりが多い煮物になった。なかなかうまくいかない。それで、煮上がったイカの身を取り出したあとのスープにご飯を入れて雑炊にしてみたら、これが思いのほか美味で結果オーライ。とはいえ肝心のイカの墨煮は不本意な仕上がりだったわけなので、いずれ再挑戦したい。

歩数計カウント11,300歩。


2009年8月28日(金)くもり

買うばかりで積ん読が多いとか 読書量が少ないとか 読むのが遅いとか 文字の上を目が滑っていくばかりで内容を理解できてないとか、いろいろ読書をめぐるコンプレックスがあるわけだが、そうしたネガティブな感じにどれほど根拠があるのか、ちょっと読む速度を調べてみた。題材にした本は、先日県立図書館で借りてきた 中川純男/加藤雅人(編)『中世哲学を学ぶ人のために』(世界思想社) の第II部「心と記号」だ。まずは携帯電話の付属機能「カウントダウンタイマー」をかけて20分間 他事(よそごと)をすべて打遣(うっちゃ)って読書に専念。20分間で11ページ、およそ200行を読んだ。時速600行、1時間あたり33ページという勘定だ。1時間ぶっ通しでこの難解な本に集中できればの話だけど。

それから、夕方託児所へ子供を迎えに行く電車の待ち時間と車内であわせて15分ちょっと続きを読む。8ページだから1時間あたり32ページ。先ほどの数値とほぼ同じ。ピアノレッスンのあと、またしても電車の待ち時間と車内であわせておよそ22分。14ページ。1時間あたり38ページ。少し早くなったようだが、前のところ (普遍論争や思弁文法を含む記号論を扱う第1章「記号論・意味論」、人間の本質としての理性的魂と身体との関係を扱う第2章「心の哲学」) と比較してわかりやすい話 (行為の善悪の根拠を問う第3章「行為の哲学」) に入ったことも関係するだろうし、章の見出しのぶん行数が少なかったことも理由のひとつだろう。いずれにせよ合計1時間ちょっとで合計33ページを読んだ。ざっとした通し読みにしては速くはないけれど、決して読みやすい本ではないことを思えば、遅くて仕方がないというほどでもないはずだ。専門的興味をもって精読するならもっとずっと遅くなるし、小説を楽しんで読むときなどはもっと速いだろう。もう少しデータを蓄積してみよう。理由もなく 読めない読めないと苦手意識を募らせるよりは、限られた時間にどれだけ読めるか やってみるほうがずっとマシだ。

それに 20分なら20分という時間を区切って集中するのはいい方法みたいだ。タイマーで20分なり30分なりを計れば、ベルが鳴るまでは安心して他のことをステおいていられる。ベルの音が自分を元の世界に引っ張り戻してくれるとわかっているから、安心してあちらの世界に行ける。そうでもしないと、出口が見えないことがプレッシャーになって、物事を実行に移すことに億劫になるケースがよくあるのだ。調子が出てきてベルが鳴っても続けたくなったら、もう一度タイマーをセットするなりあるいは時間無制限一本勝負に挑むなり、それはそのときに決めればいい。ふむ。要するに時間の使い方なんだな。

職場を出てから電停まで歩く間に、目の前を電車が通り過ぎて乗り逃がすということが頻繁にあるような気がしていたので、これも調べてみた。職場の門を出てから電停までは直線コースで歩いて3分。この3分間 あるいは「走れば間に合う」徒歩30秒程度のラストの部分を別にして2分半くらいの間に 電車が電停前の踏切を通過すれば、それを見た俺が「しまった乗り逃がした」と感じることになる。電車は10分に1度来るので、これは3回から4回に1回の頻度で起こる勘定である。問題はこの4回に1回の不都合を「頻繁」と思うかどうかだ。まあ、いずれにせよたいした不都合ではないのだけどね。

今日は台風接近の影響か かなり蒸し暑かった。託児所へ子供たちを迎えに行って、その足で湊町のチャーリーへ行ってラーメンを食わせ、その後、学校を終えて松山に戻ってきた妻の車に子供たちを乗せて、自分はピアノレッスンへ。このご時勢だから、ピアノ教室にもアルコール消毒ジェルが備えてあった。椅子の高さと位置を家での状態に近づけるよう調整したら少し弾きやすかったように思う。歩数計カウント9,562歩。


2009年8月27日(木)はれ

昨晩おそく、寝ているはずの【娘】が暑い暑いというもので水を飲ませてやったら、傍らで妻が寝言でうひひひひと笑って気色悪かった。昨日しんどそうにしていた【息子】は今朝はもうケロッとしている。そのほかには日記のネタらしいネタもないので、このごろまた歩数計カウントを書かなくなった理由を釈明しよう。お盆休みの間は歩数が7,000歩に満たない日ばかりで掲載する気がしなかったというのがひとつ。それと、お盆明けからこちら、どうせ人に会わないだろうという気楽さから暑さに負けてユニクロの古いジーンズにベルトもしないで仕事場に出かけていた。ベルトなしでズボンのウエストに歩数計をつけると まず間違いなく落として壊すか失さすかしてしまう。だから歩数計をつけずに出かけていたというわけ。

ところがそのジーンズは膝上のところが一箇所破れている。瞬間接着剤をこぼして固まった周囲の布に日頃の使用によるストレスがかかって破れたのだった。小さな破れだから気にせずはいていたのだけど、先日とうとうズボンをはくときに足の指をその穴に引っ掛けてビリリと大穴にしてしまった。こうなると はいて出かけられないので 膝上5センチくらいのところで切って半ズボンにしてやった。年甲斐もないといわれそうだが、涼しくていいぞ。

今日はその半ズボンにベルトをつけて歩数計もつけて出かけた。で、歩数計カウント8,643歩。


2009年8月26日(水)はれ

【息子】が昨晩えらく早く寝たと思ったら けさはなんだか元気がない。少し熱っぽいようだが咳も出ていないし、この程度の熱ならインフルエンザではない。このごろ妻が折に触れていうように、【息子】はまだまだ5歳前で体が小さくて弱く、疲れやすいのだ。普段ずいぶんやんちゃだから忘れがちだけれども。朝食を少し食べたあとみずから布団に戻って横になった【息子】を見て、こりゃ本当に具合が悪いんだと一同びっくり。さいわい夕方には機嫌が戻っていたけどね。


2009年8月25日(火)はれ

天気はいいが、朝夕はめっきり涼しくなった。連日飲んでばかりいるので向こう2〜3日お酒を控えよう。関係ないけど、集合論のノート作りも再開しなくっちゃ。


2009年8月24日(月)はれ

自宅の古パソコンに入れた OpenSolaris に GCC をインストールして mimeTeX をコンパイル。これで新しいサーバでも mimetex.cgi が動くようになり、先月27日に書いた懸案事項が片付いた。

伊予鉄の新車両
伊予鉄高浜線古町駅にて
今日から走り出した新型車両


2009年8月23日(日)はれ

まず日本史全体の大まかな流れをつかみたくて、河合敦『早わかり日本史』(日本実業出版社) を読んだ。班田収授法の施行(701年)から三世一身法(723年)までわずか20年ほどしか経過していないというのは、真面目に高校の日本史の勉強してりゃ誰でもわかるはずのことだが、すっかり忘れていたし、やっぱり驚きだ。そのまた20年後には墾田永年私財法(743年)が出る。こうして、公地公民(646年)という社会主義経済は100年足らずで崩壊してしまう。その後、皇族・貴族・寺社が争って土地を開墾して大地主になる。大地主は不輸・不入の権を主張して土地とその産物を独占し富を得る。これが荘園だ。自分たちの開墾した土地の経営を任された開拓者たち(開発地主)は荘園を守るために武装する。その武装集団が整理統合されて武家集団を作り、それがやがて貴族たちに代わって政権を担うようになる。うんと大まかに言えば、これが大化の改新以後鎌倉時代までの歴史の流れだ。あまりに大まかすぎて味も素っ気もないけどな。

さて、この本 (河合敦『早わかり日本史』) では、たとえば聖徳太子は実在しなかったという説が有力であることもきちんと書いているし、サービス精神も旺盛で、水戸黄門こと徳川光圀が長身の美男子で遊郭の常連さんであったなんてエピソードもある。検定済み教科書ではなかなかそうはいかないだろう。

南江戸のマクドナルドで遅い昼飯にダブルクォーターパウンダーチーズバーガーセットという長い名前のものを食った。夕食は五穀飯、マグロの刺身、塩茹でしたブロッコリー、ジャガイモ入りコンソメスープ。


2009年8月22日(土)はれ

【息子】の手の指にいつの間にかできている化膿傷の手当に妻が医者に連れて行っている間、俺が【娘】をコミセンの図書館に連れて行く。恒例の「きまぐれ土曜市」が文化ホールのロビーで開かれていてにぎやかだ。

俺も雑学っぽい本を何冊か借りようかと思った。妻の実家近く、柳井市大畠地区には 月性展示館 というのがあることには前々から気づいていたが、月性という坊さんのことはぜんぜん知らなかったので調べてみたら、幕末に尊皇攘夷を唱えて勤皇の志士を育て、また海防の重要性を長州藩に建白した人であったらしい。面白そうなのでいずれ展示館を訪ねてみようと思うけど、それ以前に俺の日本史の知識があまりに貧弱ではせっかくの展示が理解できない。山口県の周防地方在住とはいえ義父母はもともと長門地方(油谷&むつみ)出身だから、吉田松陰や戊辰戦争について彼らの前で迂闊なことを言って感情を害するようなことも避けるべきだ。先日も「萩市と彦根市が観光交流」というニュース(あの ひこにゃんが萩を訪れ 松陰神社に詣でたりしていた)をめぐってニアミスが発生したし。だから幕末関係の本を少し読んでおきたい。もちろん日本の歴史の中にいきなり幕末がぼよよんと登場したはずはないので、通史もざっと押さえておきたい。それに、このあいだ読んだリーゼンフーバーの『中世思想史』からの発展で、中世ヨーロッパのことも知りたい。思えば、こんな感じで興味の赴くままに本を読むということを最近忘れていた気がする。が、いざ貸し出し手続きをとろうという段になって、自分の図書館カードを家に忘れていることに気づいた。アホだ。

雑学は無用な知識だろうか。そうではない。今年の1月10日の「て日々」にも新聞に関するカントの意見を引用したが、知っていることが多ければ、それだけ新しい経験からも多くのことを引き出すことができる。「なんの役にも立たない石ころがここにある」という判断は「この石ころをなんの役にも立てられない自分がここにいる」ということに他ならない。石ころにせよ知識にせよ、それを無用のものにしてしまっているのは自分である。

夕食は牛スジを煮込んだ牛丼。脂っこいので頻繁には食えないが、最近のお気に入り料理である。


2009年8月21日(金)はれ

帰省していた妻子が帰ってきた。ピアノのレッスンではどういうわけか指が固くてぜんぜん弾けず。夕食は久万の台のココス。調子に乗って注文しすぎ、少し残してしまった。アホだ。


2009年8月20日(木)はれ

さて、どんな一日だったっけ。そうそう。職場のWebサーバの機種変更をしたのだった。古い PowerMac G4 (QuickSilver: PowerPC G4 733MHz / MacOS X 10.3) から Mac mini (Intel Core Duo 2.3 GHz / Mac OS X 10.5) に変更。ユーザアカウントをコピーしようにも旧マシンには「移行アシスタント」がないので、結局すべてのユーザアカウントを手作業で再登録した。まあ、10人足らずだからたいした作業量ではなかったがな。

それにつけても、家族がいないと毎日がつまらん。このごろは、うるさい連中がいなくて気楽でいいと思うのは、せいぜい最初の2日間だ。


2009年8月19日(水)はれ

いい天気だ。快晴で暑いが湿度は高くない。夏の終わりが近い。

一昨日の話の続き。きょうはお盆休みのあいだ返せなかった本を返しに県立図書館に行った。ダレン・オルドリッジという人の、そのものずばり『針の上で天使は何人踊れるか---幻想と理性の中世・ルネサンス』(柏書房) という本があった。ただし原著は Strange Histories, The trial of the pig, the walking dead, and other matters of fact from the medieval and renaissance worlds (奇妙な歴史 --- 中世ないしルネサンス社会における, 豚の審問, ゾンビ, およびその他の問題) と題されている。この本の第2章が天使・悪霊・来世などの信仰を扱っている。いわく、天使や悪霊の存在は中世においていたって真面目に信じられていたので、それらがどんな姿をしていてどんな生活をしているのかという問題についてもいたって真剣な学問的考究の対象となっていた。

ヨーロッパの思想家たちが、そんなことを考えるのは無駄だと言って問題を片付け始めたのは、やっと十八世紀になってからのことである。一八〇〇年代初頭、ヴィクトリア女王時代のイギリス首相の父であるアイザック・ディズレーリは「極細の針の上では、どれだけの天使が互いに押しあわずに踊れるだろうか?」と疑問をもった学者たちを茶化すことで、そうした感じ方への評価を下している。現代の西欧人であれば、そんな質問は馬鹿げているというディズレーリの意見に共感するだろう。だが、それはなぜだろうか?(同書46ページ)

というわけで、一昨日書いたスコラ学あるいは神学に対するネガティブ・キャンペーンを張ったのは、イタリア・ルネサンスの人文主義者ではなく、もう少し時代が下って、ニュートンらの自然科学研究の権威が確立しようとする頃の、イギリスの人であった。なるほど。18世紀の終わり頃といえば、ヴォルテール、ヒューム、ルソー、ダランベール、アダム・スミス、カントといった近代の始まりを告げるの思索者たちの業績が出揃った時期、いわば啓蒙思想の時代で、そろそろ天使について真面目に議論するのは馬鹿げているという意識が浸透しだした頃である。

逆に言えば、イタリア・ルネサンスの時代にはスコラ学に対する反発はあっても、天使や悪霊については依然として真面目に信じられていたと考えられる。17世紀末になっても、たとえばニュートン力学の「絶対時間/絶対空間」はいわば「神の身体」であり、その無限の広がりは神さまの無限の力と栄光をあらわすものに他ならないとニュートン自身によって信じられていたし、ニュートンは錬金術をも真剣に研究しており、賢者の石の原料となる赤い土を譲ってくれるようにジョン・ロックに手紙を書いたりもしたという(という話は、實川幹朗『思想史のなかの臨床心理学』(講談社選書メチエ)で知った)。天使や悪霊や来世を真面目に信じている以上はそれらについて真面目に考えないほうが不誠実なわけだ。

アクィナスら中世の思想家たちについて本当に注目すべきなのは、天国と地獄、天使と悪霊を完全に信じていたことである。この考え方を受け入れれば、彼らが抱いていた疑問が理性的で重要だったことが理解できる。死んだあとも魂が生きていることを信じていたら、その行き先を尋ねるのは当然だろう。また、肉体がいつか蘇ることを心から信じているなら、物理的な方法を尋ねたくなるのも当然だ。もちろん、人間には立ち入れない領域があるという主張も考えられる。実際、前近代社会では「厳密すぎる」神学の研究に対して、ときおりこうした主張がなされた。今日でも、人間の遺伝など、ある種の科学に対して慎重な人々が同様の主張をしている。しかしながら、知識は自由に追求すべきであると考えるのであれば、天国の物理的な側面や天使の生物学的な側面について考えをめぐらせた前近代の思想家たちの活動が道理にかなっていたことを否定するのは難しい。いや、そんな言葉では足りない。キリスト教徒の来世の存在を信じるのであれば、アクィナスたちが追い求めていた課題は、当時のどんな科学よりも重要だったはずだ。人類の永遠の運命を描くのだから。現代の西欧人の大部分がまだ死後の世界を信じているのなら、この研究課題を同様に精査しないことのほうが、かえって奇妙なのである。(同書80ページ)

死後の世界を信じない、霊魂の不滅を信じない、宗教とか関係ない いまの日本の一般の人々 (これには当然俺自身が含まれる) はそういう風潮の中で生まれ育ったから周囲の人と同じように考えているだけで、自分の信念の理性的根拠を十分に説明できるかと自問してみると、たいへん心もとない。いまは中世のように宗教が社会を統べる第一原理として機能しうる時代ではないから、宗教的信念が真面目な考究の対象とならずに野放しにされる傾向がある。これは言い換えれば、一般人の素朴な信仰心を悪用して人を操ろうとする悪いやつらがさしたる罰も受けずに存在しうる世の中だということを意味する。自分の身と心を守るためにも、自分の信念を理性的に再検討する態度が必要ということになりそうだ。こんなところからも基本的な理科教育・社会科教育の必要性が痛感される。

それはともかく、このオルドリッジの本『針の上で天使は何人踊れるか』は大変おもしろい。おすすめである。柏書房にはこういう宗教史関連のおもしろい本が多いね。

〜〜〜

話は変わる。先月の26日の日記には 「数学=証明」というのは、かがみさんでなくても、数学者ならみな思っている。 と書いていながら、今月の16日の日記に 単にある定理の証明をひととおり追って「なるほどなあ」と得心する、というだけではやっぱりダメで、その定理の記述している事態の範囲を正しく見極めることが必要だ。 と、一見矛盾するようなことを書いている。もちろん本人は矛盾しているとはこれっぽっちも思っておらんけど、読者はまごつくに違いない。はてさて、これをどう解決したものか。ひとまずは「数学=証明」は方法論の問題、「証明だけじゃダメ」は姿勢の問題、と言っておこう。定理の記述している事態の範囲を踏査してその限界を見極めることが定理の本質をより把握しやすくするというのは本当である。そして、そのような意図をもって反例を構成してみせた場合でも、それがまさに反例になっているということを確証するのはやはり証明なのである。あくまで「数学=証明」というのが大原則である。それでいて、定理の理解はその証明の理解とイコールではない。その定理の本質的条件が何であるかを検討したり、実例を構成したり、安易な一般化への反例を作ってみたりして、その意義と限界を見極める必要がある。そして、そんなときでも、われわれは証明という方法を決して手放してはならないのである。


2009年8月18日(火)はれ

SOURCENEXT eSHOPの広告メールの スリムタイプネットブック という表現を、どう読み間違えたか タイムスリップネットブック と勘違いして、興味津々で読みに行って「はてさてこれのどこがタイムスリップなのだろうか」と思ってしまった。数秒後に真相に気づいて爆笑。それにしても、ちょっとレトロなタイムスリップネットブックってのがあったとしたらどんなコンピュータになるだろう。案外、J-3100とか PowerBook 100とかの形だったりして。


2009年8月17日(月)はれ

いろいろの事情で時間がかかったが、ようやく クラウス・リーゼンフーバー『中世思想史』(平凡社ライブラリー) を読み終えた。これは古代キリスト教会の教父からルネサンス時代の人文主義者まで、長い期間にわたるいろいろの人々の思想を紹介している本。ページ数の制限もあってか、どうしても説明が駆け足になりがちで、そういう部分はどうしても難しかった。けど、勉強になった。読み終えて思うに、やっぱり歴史の知識は必要だ。いまの世の中がなんでこうなっているのかということを理解するためにも、高校レベルの世界史と日本史は復習すべきだな。とはいえ、高校の世界史の教科書では、中世ヨーロッパの思想といえば「哲学は神学の婢」というキャッチフレーズと「実念論 vs 唯名論 の普遍論争」というトピックがかろうじて取り上げられているくらいだったように思う。当然のことながら、実際の歴史はもっと厚みがあり変遷がある。そんなこんなでこれからの読書の幅が広がりそうだ。

しかしそれにしても スコラ学者は針の先に天使が何人立てるかなんて空疎な問題ばかりを論じている という有名な話は誰が言い出したんだろう。きっとイタリア・ルネサンスの時代に反スコラ的な新興の人文主義者たちが当時の正統派であるスコラ学に対するネガティブ・キャンペーンを張ったのだろうが、これについてはリーゼンフーバーの『中世思想史』には書いてなかった。まあ、書かんわなあ。

まずあり得んと思うけど、雑誌「スコラ」関係で検索して来た人のために (・∀・)つ <http://scola.jp/> ‥‥この雑誌のネーミングはいったいどうしたことかと、俺は以前から訝しく思っていたのだが、さすが物知りの Wikipediaさま も、この件 (と針の上の天使たち) についてはご存じないようだ。

というところで話は変わる。「ぷよぷよ通」がやりたいばっかりにEzアプリの「ぷよぷよ!セガ」の会員契約をしている。月額315円の定額制で、セガの他のゲームも追加料金なしでできるのだけど、たとえば「ファンタジーゾーン」を携帯電話の小さい画面と小さいボタンでやる気はしない。何か他に変り種はないかと思ったら「百人一首」があった。これはもちろん、ごぞんじ小倉百人一首でひたすらカルタとりをするだけのゲーム。やってみると、上の句だけでは半分も取れないことが判明。高校時代に一通り覚えたと思っていたが、その後ご無沙汰で頭から抜けてしまったようだ。いや、なさけないなさけない。といいつつ、ころもかたしきひとりかもねむ。

ちなみに「ぷよぷよ通」の実力は 対ナスグレーブ戦勝率3割というレベル。こちらもなさけない。


2009年8月16日(日)くもり

なにしろこの10日間というものネット界から遠ざかっていたので気づかなかったのだけど、俺が7月26日の「て日々」で くるるさんのことを 強制法という強力なツールを引っさげて集合論研究の最前線へ突進を続けるくるるさん と表現したことに、くるるさん本人が8月6日のブログでウケていた。俺はくるるさんを見ての印象を率直に書いただけなのだが、くるるさんは謙遜して、突進を続けるずっこけ続ける くらいにしておいてくださいと言っている。そこでさっそく「て日々」の表現を 強制法という強力なツールを引っさげて集合論研究の最前線へ突進しようとしてずっこけ続けるくるるさん と修正し、かつ (集合論の最前線付近にはなぜかバナナの皮が多いのだ) なんて注でもつけようかと思ったけど、他人を巻き込んでの悪ふざけはやめとく。

そういう意味(?)では、くるるさんのブログの 私が学生だった頃にすでに確立された研究者だったてなさくさん という表現は、私が学生だった頃には首尾よく今の職についていたものの研究者としてはその頃から現在に至るまでずっこけ通しの昼行灯のてなさくさん と修正してもらわにゃならん。

くるるさんのその日のブログの本題は、数学の定理の理解とは証明の理解がすべてかどうかという問いかけであった。さて、難しい問題だ。くるるさんのことだから、新しい研究成果を述べた論文を読む場合とか、あるいは自分の研究に関連した話題について現時点までに知られていることを勉強する場合といった文脈の話だろう。だとすると、「理解する」というのは「自家薬篭中のものとする」あるいは「使いこなせる」という意味になる。この場合、単にある定理の証明をひととおり追って「なるほどなあ」と得心する、というだけではやっぱりダメで、その定理の記述している事態の範囲を正しく見極めることが必要だ。

ただ単に応用できればいいという場合であっても、定理の成立する条件をきちんと調べ、本質的な条件を落とした場合に定理が成立しなくなるケース(条件を省略できないことを示す反例)を知っておくべきだ。どこかの古い本の序文にあったけど、数学の定理を応用する場面ではしばしば 2トントラックに3トン積んで走ってみる ような面白さもあるという。定理の技術的な条件については、そのやりかたで少し緩和しても「走れる」場合がある。そういう「違反」をしても事故が起きないのであれば、それはその定理がより一般的な事態の特殊ケースを述べているに過ぎないということを示唆する。守らないとたちまち事故が起きるルールこそが本質的な条件というわけだ。

こういう話をただ一般的にしていてもつまらないのでひとつ例をあげる。大学の微積分の時間に習うと思うけど、《閉区間 \([a,b]\) 上の連続関数の列 \(\{f_n\}\) が 関数 \(f\) に一様収束するならば, この区間における \(f_n\) の積分は \(f\) の積分に収束する》という定理がある。ここでは \(\lim_{n\to\infty}f_n(t)=f(t)\) のときに

$$ \lim_{n\to\infty}\int^b_af_n(t)\,dt=\int^b_af(t)\,dt $$

という「極限と積分の順序交換」が許されるための条件として、「閉区間」「連続関数」「一様収束」という条件がついている。一様収束という条件を落とすと、この定理はもはや成立しない。次のような反例がある。

底辺1/n, 高さ2nの山形のグラフをもつ関数
このように 底辺 \(1/n\), 高さ \(2n\) の山形のグラフをもつ関数 を \(f_n\) としよう

\(n\to\infty\) の極限では, 各点 \(t\) において \(f_n(t)\to0\) である.
一方,すべての \(n\) について \(\int_0^1f_n(t)\,dt={1\over 2}\) であるから, 積分はゼロに収束しない.

では、積分と極限の順序交換にとって一様収束は本質的な条件なのだろうか。どうもそうではなさそうである。

積分をルベーグ積分にまで広げ、関数の範囲を可測関数にまで広げ、収束の意味を概収束(a.e.収束)に緩めたとき、積分と極限の順序交換の本質的な条件として効いてくるのは「積分範囲の有限性」と「関数列の(一様)有界性」である。上に挙げた反例はこの文脈でもやはり有効で、ここにきてようやく、連続関数列の一様収束という条件は、より本質的といえる「関数列の有界性」を保証する十分条件の一つに過ぎなかったことがわかる。

さて、この例を引いて何が言いたいのかというと、こういうことだ。「数学の定理を理解する」という言葉で、その定理が述べている事態の本質をつかみ取るということを意味するならば、証明をたどってそのロジックを理解するだけでは、決して十分ではない。それどころか、事態の本質が定理のステートメントに書かれていないことすらあり、むしろ定理の限界を示す反例によってその本質が明らかになる例もあるわけだ。

ところで、俺に限らず数学者はこのように「本質的」「エッセンシャル」という言葉をよく使うのだが、実は俺はこの言葉がよくわからない。本質って何なんだろう‥‥

他の例。たとえば確率論でいう中心極限定理の場合、なぜそうなるのかということの直感的な説明はすぐできる。非常に多くの小さな要因が互いに独立に関与して決まる物理量の観測値は平均値の周囲に釣鐘型の分布をなすだろうということは、言われてみれば容易に納得がいくのだ。ところがそのように納得したからといって、誰もがすぐに中心極限定理にたどりつくわけではない。その「釣鐘型」を表現する数式を見出し、適切な数学的条件を選び出してステートメントを書き下し、それをきちんと証明する。こうしたことを成し遂げるには、やはりガウスの天才が必要だったのだ。ある分布が正規分布に近いということの数学的な定式化をどうするかという点一つとっても、先ほどの直感的・絵的な理解だけでは手も足も出ない。たとえ定理の本質が自ずと顕わだと思えても、やはり証明を読んだり定理の条件をいろいろ吟味したりする必要があるだろう。

だとしたら、ひとつの定理を理解するということは、実になんとも大変なことであるといえないか。

その定理を「知ってる」程度の理解ということであれば、もちろん話は別だ。しかし、このレベルでたとえばゲーデルの不完全性定理を「知ってる」ことが、実はかえって危険なことであるというのも、よく言われる話である。とかなんとかいいつつ、話は変わる。

〜〜〜

朝、予定通り公民館の掃除に行く。10分くらい早めに行っておこうと思ったのだけど、ちょっと腹具合が悪くて間際にトイレに行きたくなった。それでも約束の時間の2分前に公民館に行ったのに、すでに働き者の人妻‥‥ではなくて 奥さんたちが あらかた片付けてしまっていた。仕方がないので階段を丁寧に箒で掃くことにした。俺のあとにも何人かの奥さんたちがやってきていたから、人が余るくらいの態勢だと計画段階でわかっていたのだろう。まあ、営利団体や役所の仕事と違って、こういうことはたとえちょっとづつでも多くの人に参加してもらうのが正しいのだと思う。

30分ほどで帰宅し、10日間たまっていた「て日々」の更新を一気に済ませる。毎日簡単なメモを残していたので日数は揃うが、日記なんてものはその日に書かないとどうも臨場感がない。それに、興が乗ってきてついつい長文を書くなんてことも、日付が替わってからやるのでは、なんだか変なものである。これから書くのも、その日に書けばさぞかしおもしろかったのだろうけど もはや日付がわからない、そういうエピソードのひとつ。平生町の妻の実家での出来事だ。【娘】に宿題をやらせているとき、妻が「それが済んだら いちごみるく (商品名は忘れたが、お湯を注ぐだけでふわふわの泡が立つインスタントの苺オーレ) を飲もうね」と言った。そのあとの会話だ。

【娘】: 頭の中のノートに いちごみるく って書いたら ほかのことが書けんくて 宿題ができんなった
パパ: すきまの余白で算数の宿題くらいできることない?
【娘】: いっぱいいっぱい書いたから すきまがない
パパ: そしたら、いちごみるく 消して その上から新しく書いたらええやんか
【娘】: 消えんようにボールペンで書いてしもた
パパ: そやかて、いちごみるく って書く前には なんか書いてあったんやろ?
【娘】: いや。新しいノートやった
パパ: それやったら パパが新しいノートもう一冊買うてあげるわ
【娘】: ちゃうんよ。もうお金がないの。脳さんが心さんのところでバイトして一冊だけ買うたノートやから。

わが娘ながら天晴れな減らず口能力。みごとな屁理屈だ。これだけ当意即妙に頭が回転するんであれば、アホな親子漫才している間に宿題くらいなんぼでもできそうなもんである。実際、ひとたび胆をすえて集中して取り組めば【娘】はあっという間に宿題を終わらせてしまう。そして、一日分の宿題をやり終えると、すっかりハイになって、【息子】を相手にアホ唄を歌いアホ踊りを踊って大騒ぎする。ということは、本人としても 普段から 宿題やらなきゃ というプレッシャーがかかっているのだろう。

夕方、妻からメールで動画が届く。【息子】がいつものように消防自動車の絵本に見入っているのだが、鼻歌が「笑点」のテーマ曲の出だし部分だった。俺の耳には《そっそそ そどらそ (うん) らっ ら》と聞こえるあのメロディを【息子】は《そっそそ どどらそ らっらら ら》と覚えてしまったようだ。五拍目の休符がいちばんの特徴だと思うのだけどなあ。


2009年8月15日(土)はれ

夜の船で俺だけ先に松山に戻る。義父の出張中義母の介護をするので妻子はまだ戻れないのだが、俺は月曜日から普通に仕事があるし、明日の朝は公民館の掃除当番だからな。フェリーに乗り込み雑魚寝スペースの隅っこを確保したと思ったら、3人の(顔が同じだったので姉妹と思われる)母親たちに連れられた6人の子供たち プラス ティーンエージャーの女の子1人という団体さんをはじめ、数組の家族連れにあっという間に取り囲まれる。その後2時間あまり船内幼稚園状態となるが、おばさま軍団の世間話包囲網に比べれば、船内幼稚園のほうがはるかによい。


2009年8月14日(金)はれ

妻の実家にいるとどうしても て日々が「食い物ブログ」化してしまう。今日の昼飯は中華つけ麺とチャーシュー丼。チャーシュー丼の薬味は茗荷、葱、人参、錦糸卵、カイワレ大根。タレは馬路村のゆずポン酢に味醂としょうゆを追加したもの。自分で言うのもなんだか、うまかった。


2009年8月13日(木)くもり

今日の昼食も俺が担当。牛すじ肉と玉ねぎと豆腐と糸こんにゃくをしょうゆとみりんですき焼き風に煮込む。自分が言うのもなんだが、うまかった。それと、イカの生姜煮もつくった。というか、昨晩の生姜焼きの生姜が余っていたので「イワシの生姜煮」を作りたかったのだが、季節柄スーパーにイワシが全く出回っていなかったので、スルメイカの生姜煮に変更したのだ。おまけにイカワタのホイル焼も作った。生姜煮は少し残ったし、イカワタも仕事に行っている義父が帰ってきてから酒のつまみに出そうと思って残しておいた。

さて、きょうは柳井の金魚ちょうちん祭りの日。夕食も食わずに出向いたが、一昨年に来たときと比べて山車も少ない人出も少ない。あきらかにショボくなっているのでがっかりした。あとで義父に聞いた話によると、地元の企業が参入しなくなったうえ、市町村合併協議で柳井市が周辺町村を切り捨てるような行動をとっているせいで隣接する自治体の協力も得られず、柳井市の役場と商工会だけでなんとか盛り上げないといけないという状況になっているらしい。

金魚ちょうちん祭り
それなりに見物客は多かったのではあるが

夜店で食い物を調達するということもなく2時間ほどで帰宅すると、イカワタと生姜煮は義父母にきれいに食われていた。子供たちはほどなく寝てしまったからともかく、俺と妻は腹が減って困るので、子供を義父母に任せ、夫婦で近所のショッピングモールの「ばり嗎らーめん」へ行った。夜中に二人で外出なんてのは【娘】が生まれて以来、8年ぶりである。


2009年8月12日(水)くもり

早起きして新大阪から新岩国へ。岩国のシンボルである錦帯橋はきょう五年に一度の強度試験の日だそうで、小雨の中、制服の高校生たちが太鼓橋の上に並んでいる。岩国高校の生徒たちは橋の検査のときに人柱になったり、鵜飼のときに鵜になったり観月会のときに名月になったり、岩国の観光産業に一生懸命貢献している。頭が下がる。俺も赤いシャツを着て松山の観光産業に貢献しようかな。

夕食は義母が担当するが、冷凍食品の解凍ができておらず、一品足りない。急遽俺が豚の生姜焼きを作った。自分で言うのもなんだが、うまかった。


2009年8月11日(火)くもり

周防に戻る予定の日だったのだけど、前夜の静岡での地震のため新幹線のダイヤが大幅に乱れている。二時間くらいの遅れを覚悟しながら、新大阪近くのレストランで妻の知人である かいしゃのドクターさんと会食したのはいいが、いざ予約した のぞみの到着時刻になってみると、なんと運休になってしまっていた。きょうはもう指定席は取れない。自由席はおそらく200パーセント近い乗車率になるだろう。明日の ひかり指定席はとれたが、朝7時23分発だ。この時刻に京都から出向いてくる気にはならない。(8日に柳井で大枚はたいて買った切符を無効にしたくなかったので、新大阪から乗ることにこだわってしまったのだ。) もうこうなったら新大阪駅の近くに宿をとって、きょうはこのあと夜まで大阪で遊んでしまえ。運よく駅から至近距離のホテルに家族4人で一室とれたので午後2時に荷物を預けて外出、午後8時ごろまでひさびさに海遊館で遊んだ。天保山マーケットプレイスに「忍者屋敷」というアトラクションができている。おもしろそうなので子供を連れて入ってみたが、その実態は夏の遊園地によくあるお化け屋敷みたいなもので、子供たちはすっかり怯えてしまった。

人工降雪機
海遊館前広場で人工降雪機のデモ

ホテルの部屋は9階だった。6階には倉敷商業高校野球部、7階には天理高校野球部が投宿していた。妻の大好きな花の甲子園球児たちだが、エレベータの箱の中という至近距離で見ればちょっと汗臭い普通の高校生である。

歩数計カウントは14,436歩。妻子とほとんど一日中行動を共にしたのだから、子供たちも同じくらいの距離を歩いているはずだ。もっとも、行き帰りのけっこうな距離を【息子】をおんぶして歩いたのではあるが。ホテル代は完全に予定外の出費で、来月のカードの請求が怖いけど、めずらしく家族で行楽らしいことができたのでよしとする。


2009年8月10日(月)あめ

せっかく京都に来たのに家でくすぶっていては仕方がない。どこかに出かけよう。文化博物館の藤城誠治清治展に行きたかったのだが月曜日は休館である。雨が降っているからうろうろ歩きまわるのも子供連れでは大変だ。だもんで、結局は最寄りの駅から雨に濡れずに行けるJR京都駅近辺で時間をつぶすことに。伊勢丹で「大鉄道展」というのをやっている。これは鉄道マニアには面白いのだろう。俺は750円払って入場したものの、あまり心にヒットするものがなかった。HOゲージのジオラマがあったので【息子】は楽しんだらしい。昼食はポルタ「くまごろう」の京ラーメン。その後アバンティのブックセンターで本をいろいろ買う。といっても、自分用に買ったのは 弓削隆一・佐々木昭則『例解・論理学入門』(ミネルヴァ書房)だけで、あとは子供の本。帰宅後、夕食前に子供のデジカメ写真をプリントに出す。歩数計カウント11,559歩。


2009年8月9日(日)あめ

今日と明日は京都の俺の実家に泊まる。朝、妻の車に乗ってJR新岩国駅まで行き、こだまに乗って広島まで行き、ひかりレールスターに乗って新大阪まで行き、新大阪駅構内のマクドナルドで昼飯を食い、それから在来線で京都へ行く。周防も京都も小雨だ。妙心寺の お精霊むかえの日に合わせて帰ったのだけど、天気がよくなくて夜店を見に行く気にもならず。

ひかりレールスター
ひかりレールスターが到着
広島駅にて


2009年8月8日(土)くもり

妻の実家に世話になっていると、何しろすることがないので、せめてもの手伝いに昼飯を担当する。今日は「パパ冷やし中華」を作った。いつもの万丁中華めんを今回は持ってこなかったので、スーパーで買った半生麺を使い、なべ料理用の割下に酢とごま油を加えたタレを使う。簡単だからみなさんもどうぞ。その後、柳井へ出かけた。妻がJR便の指定席の予約をするあいだ、俺は手芸店で【娘】がパフェのミニチュアの飾り物を作るのにつきあう。

パフェの飾り物
【娘】の作品
高さ3.5センチくらい
ショーケースのイミテーションをうんと小さくしたような感じ


2009年8月7日(金)くもり

10日が前期の授業の採点の期限だ。週末から妻の実家に滞在する予定だったので、覚悟をきめて採点に徹する。昼休みごろ、どうにか夕方までに片付きそうな様子になったので、先に帰省した妻に連絡して今夜遅くに出向くことにする。夕方まで普通に仕事をして採点を済ませ、いったん帰宅して荷造りした大荷物を持ってピアノのレッスンへ。重い荷物を持った手ですぐにピアノを弾いたら、どうもろくな音が出ない。

船が柳井港に着いたのは夜の11時前。妻が車で迎えに来た。義父母は起きて待ってくれていた。遅くまで飲みつつ話す。歩数計カウント14,538歩。


2009年8月6日(木)くもり

スーパーホテルの朝食は安価な宿の無料サービスとは思えないけっこうな充実ぶりで満足。昼食はレクチャーの最中でテンションが上がっていたためあまり食えずローソンのおにぎり一個。だもんで、新居浜の仕事を終えて松山に戻ってから、夕食はちょっと張り込んでビッグボーイの大俵ハンバーグ。その後、家族のいないしんとした自宅で一時間ほどピアノの練習。

歩数計カウント9,563歩。


2009年8月5日(水)はれ

日中普通に仕事をして、夕方の電車で新居浜へ。明日は朝からここでちょっとしたレクチャーをすることになっている。宿は新居浜スーパーホテル。ベッドが写真のような感じの二段ベッドである。子供らをつれてきたら大喜びしそう。なんというか、きゃっきゃいいながら上段から下のセミダブルへダイビングして怪我するだろうな。たとえば客室電話がなかったり、自動販売機コーナーが1階だけだったりと、無駄なコストを徹底して削減している様子が見えるが、設備は新しく、客室は静かで清潔で、一泊4,980と安価なわりに居心地は悪くない。晩飯をどうしようか考えながらホテルを出て角を曲がったところに、なんと 天下一品 の店が・・・。どうやら、俺の知らない間に晩飯はすでに決定していたらしい。ホテルの枕は低反発素材で寝心地はいいが、明日のレクチャーの段取りが少し気になってあまり眠れず。

スーパーホテルの二段ベッド。

下の写真は、乗り物好きで消防士さんに夢中の【息子】へのサービスとして撮影し、妻にメールしたもの。

いしづち運転席
特急いしづち 運転席

いしづち
特急いしづち 最後尾車両

消火栓のふた
消火栓のふたが消防士さんの絵柄


2009年8月4日(火)はれ

黒川信重・小島寛之『リーマン予想は解決するのか--絶対数学の戦略』(青土社)を読んだ。黒川教授は国際的に定評のある大変優秀な数学者なのだけど、非専門家向けの文章で「数論は生物学だ」とか「ゼータ様の棲家」とかのトンデモ発言をしたり

$$ 1+2+3+4+\cdots=-\frac12 $$ $$ 1-1+1-1+1-1+\cdots=\frac12 $$

といった怪しい数式をさも当たり前のことのように書いたりするので俺は少々閉口していた。この本ではそれらにもきちんとした説明が与えられている。発散級数のこうした扱いはオイラーに端を発するというが、オイラー自身も、論理矛盾を生む「危ない」計算とそうでない計算の区別を認識していて、発散級数の和の意味づけについては何種類かの計算で検証しているそうだ。冪級数を解析接続した複素関数の値として合理化できるというのが、オイラー流の総和法に関するいまの数学の文脈でいちばん受け入れやすい説明ということになるだろう。

黒川教授をはじめとする最先端の数学者たちが開発に取り組んでいる \(\mathbb{F}_1\) スキームの数学は、複素数平面もp進数体もすべて含んだ究極の大風呂敷ということになるらしい。そこでこそ、発散級数の和が自然な意味づけを見出すのだろう。とすれば、実数直線でも複素数平面でもなく \(\mathbb{F}_1\) スキームこそが、もっとも自然な数学の場というものなのかもしれない。俺たちは、無限級数の和の意味づけは《スベカラク複素数平面上ニテ ε-δ 論法ヲモチヒテナスベシ》と頭から決め付けてしまっているので、オイラーや黒川教授が時々はマッド・サイエンティストに見えるのだが、\(\mathbb{F}_1\) スキームの数学やアラン・コンヌの不可換幾何学が大成して、あと100年もしたら、「こんな単純明快な数式がわからなかった」俺たちのほうが頭の古い守旧派だったといわれるようになるのかもしれない。

素数とリーマン予想の関連をめぐる、数理経済学者で数学エッセイスト小島寛之さんの初等的な解説がわかりやすくて助かる。たとえば次の文章。

例えば、半分、半分となって行く数の列 \(1,\,{1\over2},\,{1\over4},\,{1\over8},\,\cdots\) を考えてみよう。これらどこまでも終わらない無限個の分数を「全部」足し合わせた \(1+{1\over2}+{1\over4}+{1\over8}+\cdots\) はいくつになると考えたらいいだろうか。11番目まで加えると \(1+\left({1023\over1024}\right)\) となり、2にものすごく近いから、無限個全部足せば2となるのだろうな、という想像はつく。「結果は2」と当たりをつけて、\(n\)番目までの和と2との差を見てみると、それは \(2^{n-1}\) の逆数となる。 \(n\) が大きくなっていくと この逆数はいくらでも0に近くなるから、「無限個全部足すと、きっと2との差はゼロになって、無限和はぴったり2なのだろう」と想像するのが「自然」である。もちろん「自然」なだけであって、どうしてもそう考えなければならない、という根拠はない。「0にだんだん近づく」ことと、「無限回の操作後、実際0になる」こととの間にはいつまでも埋まらないギャップがある。無限和は実行不可能だし、有限和の範囲で見える関係が無限和になっても維持される、という根拠は何もないからだ。したがって、仕方ないから、「無限個全部足すと、差はゼロになって、和は2」という風に「取り決める」、つまり定義してしまうわけである。正式には、これを「無限和 \(1+{1\over2}+{1\over4}+{1\over8}+\cdots\) は2に収束する」という。(107--108頁)

級数の収束という事項についてこれ以上の説明は必要ないではないか、と思えてしまう。少なくとも俺にはこれ以上わかりやすく書ける気がしない。脱帽しつつ、話は変わる。

夜は市民コンサート機関紙作業。市民コンサート関連の用事が入るときはいつも何かしら別件で忙しい。今回も明日からの一泊新居浜出張を控えている。なんでこういつもタイミングが悪いのやら。とはいえ、機関誌の校正作業自体はいたってスムースに終了。妻子が帰省したので「久留米ラーメン松山分校」で一人晩飯。歩数計カウント12,755歩。


2009年8月3日(月)はれ

徒歩出勤の道すがら、麦藁帽子を買う。晴天の夏の日に外を歩こうとすれば、これがあるとないとで大違いなのだ。午後、学生さんが質問に来た。微分幾何の平面曲線の曲率の公式の導出という内容だった。学部時代には幾何ゼミ所属だったにもかかわらず、曲面の曲率とか計量とか接続とかになると俺の理解はきわめて危うい。が、これくらいならどうにかきちんと答えてあげられた。「計算しない数学」ばっかりやっている俺としては時々こういう計算まみれの質問がきてくれたほうがありがたい。

昔話。学部3回生の後期ごろからすでに心は集合論だったのだが、学部の卒業研究のテーマは射影幾何。テキストはE.Artinの "Geometric Algebra" で、「不可換体上の行列式」なんていうのをやったのを覚えている。これまた今にして思えばかなり理解があやふやなので、この本はいずれ再読してみたい。もちろん学部2回生のときには微分幾何の授業もとったのだけど、当時なにしろバイトに明け暮れていて、期末試験だけ受けて単位だけ頂戴して済ませてしまった。藤村先生ごめんなさい。

今日の質問に答えるにあたっては、ひねったことはせずいたって正統的な導出をした。けれども、平面曲線の曲率にはお気に入りの力学的な導出法がある。いまあなたは曲線 C 上を一定のスピードで走る車に乗っているとしよう。車が右にカーブすれば左向きに遠心力を感じ、左にカーブすれば右向きに遠心力を感じる。スピードが同じである場合、車が小回りすればするほど、感じる遠心力は大きくなる。曲線 C 上のある点 P を通過したときに感じる遠心力が、半径 R の円形のコース上を同じスピードで走るときに感じる遠心力と同じ大きさだったとき、点 P における曲線 C の曲率半径は R に等しい。いいかえれば、カーブの曲率は、カーブを一定のスピードで通過する車に乗っている人が感じる G (遠心力加速度) の大きさに比例する。 (比例定数は車のスピードに依存)。これなら、接線ベクトルとか法ベクトルとかの議論をすっ飛ばしていきなり曲率を定義でき、しかも曲率半径の意味を直感的にとらえることができる。

後日追記:とはいえ、この直感的な曲率の定義から実際に曲率の公式を導く計算の手間は、接線ベクトルと法線ベクトルを使う場合と比較してそれほど簡単になるわけではない。実質同じものを計算しているのだから、まあ当然か。

歩数計カウント9,078歩。


2009年8月2日(日)はれ

いつものように松山市の水源状況ページをチェックしたところが、今月の累計雨量が63.0ミリで、今月の平年雨量が102.3ミリとある。今月といってもまだ2日なのだから、これはつまり昨日一日で一ヶ月ぶんの雨量の六割くらいの雨が降ったことを意味する。とはいえ、きょうはずいぶんといい天気である。玄関まわりをかなりひさしぶりにちゃんと掃除した。できれば、いつもこれくらいにきれいさっぱりした状態を維持したい。午後はジョープラへ行ったが、まあ気晴らしに行っただけで、たいした買い物はしていない。夕方には近所のブックマートとブックオフをハシゴして、清水義範『おもしろくても理科』シリーズをひと山入手。これは妻へのサービス。なにしろサイバラを生徒代表にして清水義範が理科や社会科のレクチャーをしているというのは、うちの夫婦の日々の会話をぐいっとデフォルメしたような状況なのだ。俺も清水義範ばりに博識かつ教え上手になりたいものだ。あ、いや、がんばります。


2009年8月1日(土)くもり

今日から8月。昼食の「パパ冷やし中華」とおやつの蒸しとうもろこしを担当。