て日々

2009年7月


2009年7月31日(金)はれ

昨晩から【娘】が発熱。今朝には熱は下がったが、大事をとって家で休ませる。早めに帰宅して少し面倒をみたが、妻との連絡が不十分だったせいでちょっと右往左往した。今日はピアノのレッスンはないが、会議があるので職場に夕方から再登場。歩数計カウント11,888歩。


2009年7月30日(木)はれ

明日は線形代数の期末テストがある。それまでに先週の専門科目のテストの採点をしてしまわないとあとあと首が回らなくなるので、昼過ぎから夕方までかけてなんとか片付けた。午前中に Amazon から「あの (21日火曜日の日記参照) CPUは仕入れできなかったから注文キャンセルね」という通知が来た。仕方がない。医者に行く前にPCデポへ行ってCPUを買うことにしよう。とかなんとか思っているところへ、S教授が登場。来週の出張講義用にLaTeXのマクロを作れないかと頼まれていたのだった。土日に集中してハンドアウトを書いてしまいたいというので、それじゃあとマクロプログラミングに着手。藤田眞作『LaTeX2εコマンドブック』(ソフトバンククリエイティブ)などから見よう見まねで組み上げた。それほど難しい作業ではなかったが、それなりに時間はかかり、PCデポに行くどころか、医者の予約時間が来てしまった。S教授はいつもこのように登場するタイミングが悪い。医者には30分遅れて着き、当然順番は後ろへ回されていて、医者を出たのは午後7時半。PCデポ営業時間は午後8時まで。徒歩でも急げば間に合う。早足で歩いていって、AMD Athlon X2 5050e の一個だけ在庫のあったやつを購入。その後、ローソンでビールを買い、宮脇書店で【娘】の夏休み課題図書を買い、歩いて帰宅。歩数計カウント9,217歩。

シャワーを浴び夕食をとって、Athlon をびすた君に装着してみる。ひとまずハードディスクを切り離してテスト起動してみたところ大丈夫そうだったので、ハードディスクドライブを接続して普通に起動。「システムのプロパティ」を見ると、動作クロックは 2.6GHz である。もともとささっていたCPUは Sempron だった。それがデュアルコア Athlon に変わったのだから、ちょっとしたグレードアップである。心なしか動作がキビキビしているし、CPUクーラーのファンも交換され動作が静かになった。そのうえ、機内を掃除したさいにハードディスクドライブをしっかり固定しなおしたこともあって、先日までのおかしな共振音もなくなって、ますます静か。ほんの7,000円弱のCPUのおかげで、感覚的にはかなりの性能アップとなって、結果オーライである。とはいえ、10日ぶりのメールのダウンロードはちと面倒だった。

型番5000番台のAthlon X2はコード名を Brisbane (ブリスベン) という。7000番台のAthlon X2のコード名は Kuma (クマ) だ。うちのパソコンのCPUがクマだったら妻が喜ぶだろうということはわかっていたが、Kuma の電極ピンは Socket AM2+ 仕様で、Socket AM2 マザーボードとの互換性に自信がなかったので選ばなかった。しかしあとで調べてみると、AM2+マザーボードでAM2のCPUは使えないが、逆にAM2+やAM3のCPUはAM2マザーボードに挿して使えるらしい。そうと知ってりゃクマさんにするんだった。

話はかわる。医者に向かう電車の中や待ちあいの時間中、クラウス・リーゼンフーバー『中世思想史』(平凡社ライブラリー)を読んでいた。難しいが面白い。たとえばボエティウスがクリスチャンだったというのは、言われてみれば時代状況からはまったく当然のことなのだけど、この本ではじめて知った。カンタベリーのアンセルムスのあの「神の存在論的証明」は、カントが言うような「定義により存在する」と主張する単純な誤謬ではなく、理性の能力と理性的認識が向かう対象についての自覚的反省の上に立った推論だとリーゼンフーバーはいう。だとしたらデカルトは『方法序説』でアンセルムスの議論をほぼそのまま踏襲していることになる。かたや初期スコラ学、かたや近代哲学の源流。このあたりは大変面白い。


2009年7月29日(水)くもり

まだほんの少しかじってみただけなのだけど、Priest"An Introduction to Non-Classical Logic -- From If to Is" はなかなかいい本みたいだ。英語もけっこう読みやすい。

明日と明後日は医者やらなにやらで帰りが遅くなる。昨日も少し帰りが遅かったので今日は早めに帰宅したのだけど、家があまりに散らかっていて落ち着かない。またまた不機嫌になって子供を怖がらせてしまった。なんというか、もうしわけない。


2009年7月28日(火)くもり

湊町銀天街に面した円光寺の門には黒板が掲げられ、毎月いろいろと素敵な言葉が書かれている。称して「黒板大学」である。いつも感心しながら見ているのだけど、今月に限ってはちょっと引っかかるものがある。友人は あなたのためでなく 自分自身の利益のために 忠告する というトルストイの言葉なのだけど。

仮に、トルストイのこの言葉が真実だったとする。それを知ったあなたが「どうせ友達なんてそんなもんよね」とニヒルな気分になったとする。そうすると、それは、友人が自分の利益を度外視してあなたのために行動してくれるとあなたが期待していたことを意味する。友人の忠告が友人自身のためでなくあなたのためになることを望むあなたは、自分の利益のために忠告する友人と五十歩百歩ということにならないだろうか。もしも友人がその友人自身の利益のためにあなたに何かを忠告なり進言なりしたとして、それが本当に友人の利益になるというなら、友人を思いやる心のあるあなたとしては、何から何まで言われたとおりにしないまでも、ひととおり耳を傾けてやればよいではないか。無私の友情から他人が自分に何かをしてくれたのではないと知って残念がる前に、その人に自分がしたことについて省みたほうがいい。自分に都合よい行動を誘導するために親切ごかしてものを言ったことはなかったか。助けを求めるかれのサインを黙殺しておいて「それが本人のためだ」とか自分に言い聞かせたことはなかったか。感情のままに一方的な言葉をぶつけたことはなかったか。あなたが無私になれないなら友人たちも無私になれない。そして、ふとしたはずみにあなたが何の含むところもなく誰かに手を差し伸べることがあるのと同程度には、友人たちもあなたに無私の手を差し伸べているはずだ。

以上。しかしこんなことくらい俺が言わんでも誰でも考えるよなあ。と思いつつ、話は変わる。

今度は宮澤賢治『雨ニモマケズ』のこと。

俺は、なりふりを構う気持ちが強すぎるのだろうか。手帳に書き残し公表しなかった自戒・自省の言葉を後世の人々が発掘して愛誦するなんて、想像しただけでげんなりする。考えてみれば、『雨ニモマケズ』と並んで最も名高い『銀河鉄道の夜』だって遺作である。思うところあって公表しなかったものが死後に高く評価されていて、宮澤も複雑な心境なのではなかろうか。その『雨ニモマケズ』を、各地の人々が自分のお国ことばに翻訳して暗誦するコーナーがNHK教育テレビ「にほんごであそぼ」にある。岩手の人と風土を心から愛した宮澤があえて標準語で書いた、しかも私的な手帳の中身を、わざわざ各地の方言にして公衆の面前で暗誦するなんて、なんでそんなことをするのだろう。俺はこれを見るたびに割り切れない気持ちになる。俺が死後にそんなことされたら(されないけど)必ずや化けて出てさしあげる。

とはいえ、俺の大好きなショパンのワルツ変イ長調作品39の1だって、ショパンが投宿していたお城のお姫さまへの別れのメッセージとして書き残した私的な贈り物であり、したがって当然、生前には公表されなかったものだ。これなどは、死後に公衆の面前でラブレターを読み上げられるようなものである。悪趣味はお互いさまというわけね。

ところで、きょうの「にほんごであそぼ」では、どこか中国か四国の方言で『雨ニモマケズ』が語られていたのだけど、「西ニツカレタ母アレバ」の「ツカレタ母」が、なんと「ダレたオカヤン」と訳されていた。ちょっと想像してみる。

息子:(帰ってくる。元気な声で)かあちゃん、ただいまぁ!
ツカレタ母:(農具を土間に置き、手ぬぐいで額の汗を拭きながら) やあ、おかえり。こっちもやっと仕事が一段落したところだよ。すぐご飯作るからね。ふうっ。

息子:(帰ってくる。元気な声で)かあちゃん、ただいまぁ!
ダレたオカヤン:(茶の間に寝そべっている。Tシャツで手についたポテチの油を拭きながら)あ、おかえり。冷蔵庫の中のもん適当にチンして食べてぇ〜♪

なんなんだ、このイメージの違いは。そういって笑っていたら、妻が「ダレたオカヤンって、あたしのこと?」と自分を指さした。いや、あなたの場合はツカレタ母7に対してダレたオカヤン3くらいの配合率だと思う。(妻は、中国地方出身、四国在住である。) そして俺は「おかやん」という言葉からの連想で、久しぶりに「ゆうゆう亭」に行きたくなったのだった。そんなわけで、嫌いなコーナーとはいえ、きょうに限っては見てよかった。

午前中、散髪にいった。夜、帰宅したら Graham Priest "An Introduction to Non-Classical Logic -- From If to Is" (Second Edition, Cambridge UP, 2008) と 青木峰郎『普通のコンパイラをつくろう』 (ソフトバンククリエイティブ, 2009年) が届いていた。どちらも三千円台とは思えない内容の充実度と重量感。歩数計カウント11,410歩。


2009年7月27日(月)くもり

基本的に雲が多かったものの、午後の早いうちには久々に晴れ間もあった。太陽の光を浴びられるのは幸せなことだ。しかしきょうは一日じゅう頭がボッとしていて、仕事は全然はかどらなかった。

時計も歩数計も忘れて出かけたしねえ。

旧サーバはLinuxだったが新サーバはSolarisのようだ。おかげで、旧サーバ用にコンパイルした mimeTeX が使えない。再コンパイルするには手元に Solaris をインストールしたマシンが必要だ。退役した古いパソコンは何台かある。OpenSolaris なら気軽にインストールできる。しかし使いこなせるかどうかは別問題。さて、どうするか。


2009年7月26日(日)あめ

くるるさんのブログエントリ『3時間でわかった気になる強制法 その0』と、それに対するかがみさんのコメント『証明が重要であることについて』を読ませてもらったので、アト乗り的に所感を書かせてもらう。くるるさんとかがみさんはお互いに相手の言いたいことは十分わかっているだろうから、ここで俺が多少アホなことを言っても話が混乱することはあるまい。

強制法においては、かがみさんが重視する技術的細部には、じつは色々な実現方法がある。大きく三つに分けると、コーエンのオリジナルの方法(分岐強制法)、スコットとソロヴェイの方法(ブール代数値モデル)、シェーンフィールドが考案しキューネンの著書で紹介された方法(非分岐強制法)。それぞれに特徴がある。自分はキューネンの本に書かれた方法が親しいが、admissible setや算術のモデルなどに対応する「弱い集合論」では分岐強制法もいまだに使い道があるし、公理的集合論に堪能でない人たちにはブール代数値モデルのアプローチが取り付きやすいだろう。通常の十分強い集合論のモデルに応用するさいには、ブール代数値のアプローチでもシェーンフィールド/キューネンの方法でも得られる結果は同等だというところが大切だ。なぜ大切かというと、強制法が実際に応用される場面でくるるさんが挙げたいくつかの基本命題を出発点にして語れば、それによって、下の層にある技術的細部を隠蔽でき、結果として、どの流儀で強制法を学んだ人にも理解可能な形で書けるからだ。

これはおそらくソフトウェア開発の場合とある程度並行した議論ができると思うのだけど、強制法を「使う」場合には、強制法を「作る」場合に必要だった技術的細部の層まで降りていく必要に迫られることは多くはない。アプリケーションを開発する際にはOSが動いている層へ降りていく必要に迫られることは多くない。標準CライブラリにまとめられたAPIを利用してプログラムを書いていれば、Linux上で開発したプログラムが、ソースの再コンパイルによってBSDでも動くというわけだ。そのLinuxなりBSDなりのOSが、x86かPowerPCかSPARCか、どんなCPUで動いているのかも忘れていられる。これは実はとても有難い、大変なことである。これを利用しない手はない。くるるさんが「わかる必要なんてないんですよ」というのは、そういう意味だと思う。

いっぽう、かがみさんのいいたいこともわかるのだ。「数学=証明」というのは、かがみさんでなくても、数学者ならみな思っている。なにごとにせよ、こうすればうまくいく、という事実の集積があったとして、それを法則という形で知識として知っているだけでは満足せず、論理的に揺るぎのない保証を求めるのが数学なのだから。そこで、くるるさんが挙げた強制法の5つの基本命題がそんなにも有用なのだとしたら、その基本命題が成立するようなシステムはどうやれば作れるのか、という点を解明したくなろうというものだ。

たとえばここに、コンピュータの動く原理をぜんぜん知らず、プログラミング言語をただ単にデータ構造とアルゴリズムを記述する特別な記法としてだけ理解しているプログラマが仮にいたとする。おそらく、その人にとってはC言語のポインタなんてのは大変に理解困難な代物になる。なぜそんなものが必要なのか、扱いを間違えるとなぜトラブルが発生するのか。そういう点を理解するには、コンピュータの動く原理にまで一度は立ち返って学び直す必要があると思う。どのCPUであれアセンブリ言語での開発経験があればポインタは決して難しいものではないと言われるのには、そういう事情があるのだと思う。

だからといって、いまどきプログラミングをいきなりアセンブリ言語で学び始める人はない。俺だってかつてはBASICで FOR I=1 TO 10とかやって遊び、後には大学の演習でFORTRANをやり、それからTurbo Pascalに熱中し、8086のアセンブラを使い始めたのはその後だ。それでいいんじゃないかと思う。いまだったら最初はRubyでもVisual Basicでもいい。学ぶべき最初のことは、アルゴリズムを記述しそれをコンピュータに実行させるということなのだから。

それと同じく、微積分の教程も、いきなりデデキントの切断による数直線の構成なんてところから始まったりはしない。微分と積分の大まかなコンセプトを説明した後には、いくつかの基本命題(線形性、関数の積の微分、初等関数の導関数の公式など)を使っていろいろの計算をする。それらすべての基礎には数直線の連続性という根本原理があるわけだけど、それは天下りに仮定されているか、あるいは暗黙に了解されているだけのことすらある。そこから一歩を進めて連続性という性質を備えた数直線の存在証明 (連続体の構成) を学ぶのはすべての微積分ユーザの中でも「数学専攻」という一部分にすぎない。そして、連続体の構成にはデデキントの切断の方法とカントールの基本列の方法があり、どちらも同等である。この点は、強制法のブール代数値の方法とシェーンフィールドの方法の場合と同様だ。

強制法を教えたり学んだりという場合も、微積分の場合と同様でいい。強制法による独立性証明の方法 (あるいは少し広く現代的な集合論のコンセプトおよび技法全般) がもっと学びやすくなって、「集合論専攻」でない数学者にも強制法を使ってもらうことができるいっぽうで、「集合論専攻」の数学者はその方法論の技術的細部をきちんと理解している。その結果ユーザからのフィードバックが基礎理論にも上手に反映される。そういうのが理想だ。

そのようなわけで、強制法という強力なツールを引っさげて集合論研究の最前線へ突進を続けるくるるさんの立場からは「使えればよい」が真実である。いっぽう、くるるさんがそのツールに全幅の信頼を置いていられるのは、かがみさんの指摘しているとおり、納得がいくまで基本に立ち返る経験があってこそであろう。だからお二人は両立しようのない意見を対立させているわけでは決してないのである。

先日、木曜日の日記に少し書きかけたことでもあるが、俺はこのプログラミングと集合論の教程の比較を単なるアナロジーとは思っていない。要は、科学理論もコンピュータの実行環境も、多層化されている。だが、そのことについては、まだまだ本格的に書ける段階ではない。

さて、話は変わる。今夜は【娘】が教会キャンプで不在。【息子】ひとりだと騒いだとてたかが知れている。【息子】が眠ってしまったあと、大学院で統計の授業を受けてきた妻を相手に「因果と相関のちがい」についてレクチャーしてしまった。しかし俺も少しくらい統計を勉強しなきゃならんなと常々思っているのだから、妻にきょう勉強してきたことをもう少し語らせてやればよかった。


2009年7月25日(土)あめ

フジグラン松山に行き、妻の洟の薬とか明日の【娘】の教会キャンプのおやつとか、いくつか買い物をした。店を出てから夕食の食材が心もとなかったことに気づいて、しかしフジグランには戻らず、降り出した雨の中を萱町のエルベへ。食材ならこちらの方が安いしね。それで夕食には「夏カレー」を俺が作った。まあ、普通のカレーなのだが、妻や娘の言うところによると、ナスとトマトとオクラが入っているあたりが「夏カレー」なのだそうだ。


2009年7月24日(金)くもり

いくつか仕事上の懸案事項を片付けてピアノレッスンへ。ショパンのあの曲がだいぶ弾けるようになってきたと思ったら、最後の盛り上がりのところでやっぱりリキんでいる。力を抜いて弾いたほうがいい音が出て、そのほうが聴いている人にも表現が伝わるのだ。これじゃあ、サックスを吹いているときタチバナさんたちに口を酸っぱくして言われていたことと何も変わらない。いい歳をしてすぐに独りよがりでテンションをあげてしまうこの癖をいいかげんなんとかしないとな。

先日脚を折ってしまったAMD Sempronの代替CPUが届くのは月が替わってからになるようだ。それまで家ではパソコンが使えないかと最初は思ったけど、こんなときこそ長年親しんだMacintoshに再登場してもらえばいいじゃないかと気づいた。将来は【息子】の個室になる予定の現在は物置部屋から Mac mini (PowerPC G4 1.42GHz) を持ち出し、システムを再インストールして、現在 mi でテキストを入力中。Finderのフォルダウィンドウを見て、すっかり Windows の画面表示に慣れてしまっていたことをあらためて実感。それに、このごろPCでのキーボード操作にあまりストレスを感じなくなったと思ったら、今度はAppleキーボードのキー配列に戸惑うはめに。というのもPCキーボードのCTRLキーの位置にAppleキーボードではCaps Lockキーがあるからだ。そのうち感覚は戻るだろうけど、ちょうどその頃に びすた君の代替CPUが届くに違いない。


2009年7月23日(木)はれ

さて、書くことがないぞ。仕方がないからあまり意味のないことを書くけど、最近は「エミュレーション」という考え方が (コンピュータ上のエミュレータが大事という意味ではなくて、もうちょっと形而上学的な含みをもって) 大切な気がしている。それで、いままで敬遠していた「意味論」的なことを見直す気になってきた。だけどこの件についてはいまはまだ風呂敷を広げる段階にない。せっかく『哲学の歴史』シリーズ全巻揃ったんだし、ゆっくり楽しみながら進みましょう。

夕食にはお気に入りの万長中華麺を使ってラーメンを作った。


2009年7月22日(水)くもり

あさからどんより曇った鬱陶しい天気であったが、日食の起こる午前11時ごろ、薄日がさしてきたので、フロッピーディスクを壊して取り出したメディアを太陽にすかしてみた。携帯電話を空にかざしている人がたくさんいたが、まず写真には写るまい。ここはやはり、ヘタ絵でレポートしよう。

日食の観察

なかなか見ものだった。ただ、今回たまたま雲がフィルターになってくれたからよかったが、晴天だったらこの程度の仕掛けでは目をやられたかもしれない。

夕方、【娘】さんあてになにやら荷物が届いた。今年4月26日の日記に書いた河原学園の専門学校のイベントで【娘】が描いた絵が入選したそうで、賞状と賞品が送られてきたのだ。【娘】がもらったのはパティシェ学校の先生が選んだ「おいしいえがお賞」で、賞品はステッドラーの色鉛筆のちょっと豪華なセットだった。【娘】はうれしくてすっかり舞い上がっている。俺もうれしい。

きょうは、俺んとこのゼミ生Iくんがにゃごやでゃ〜がくの大学院に合格したと知らせに来たこともあり、妻がティーチングアシスタントを勤めた実習の締めくくりの発表会の日でもあり、いろいろうれしいことがあったので、俺と妻はハートランドビールで乾杯したのだった。


2009年7月21日(火)あめ

一日中雨がざあざあ降った。ついひと月前には渇水じゃ時間給水じゃと言っていたのに、ダムの放水も始まった由。要するに水瓶のキャパシティーが小さいのである。そして、夫婦そろって忙しい時期に天気に恵まれないと、洗濯ができず着るものがない。まあ、乾燥機を回すしかあるまい。

さて、かがみさんのWeb日記について。7月13日の日記のコメント欄でちょっと険悪なムードになっている。そのことは俺の責任ではないと思うが、二度ほど発言して少し関与しているのは確かなので、ここで自分の見解を述べたい。

かがみさんや常連コメンターのJoeさんは東北地方出身で、彼らの間には、サントリーの佐治会長の過去の発言のせいでサントリー製品に対する強い拒絶感がある。20年以上前の古い事件ではあるが、当時大阪商工会議所の会頭だった佐治会長が遷都論議のなかで東北地方を侮辱する発言をしたため、東北ではサントリー製品の大規模な不買運動にまで発展し、その後もを引いているのだ。仕方のないことだ。俺は関西出身者だが佐治会長の肩を持つ気はない。サントリーをボイコットまではしないけれど、不買運動が起こった事情も理解できる。

追記。失言した有力者の肩を持たない理由:公的なチャネルを使って不特定多数に向かって発言する場合、何を言ってもいいというわけにいかないのは当然のことだ。俺はここでは好きなことを書いているが、仕事の場ではそれなりに発言に気を使う。ブログや巨大掲示板で議論している人たちだって、たいていはそうだろう。ネット上の私的なブログで何を書いたところで所詮は small talk であるいっぽう、仕事がらみの発言はなんらかの権限とそれなりの責任を伴う発言となるからだ。教師にせよ政治家にせよ企業の会長にせよ、その役割に付随して与えられた発言権を、自分という人間に付随していると思ってはいけない。公的なチャネルに個人的な見解を流すことは、許されるべきではない。大阪商工会議所の会頭が遷都論議に関連して発言した内容は、必然的に公的なチャネルに流される。佐治会長がそのことを理解せずに発言したとは思えない。誰も彼が自宅で奥さん相手にボソっと言ったことをあげつらっているわけではない。なぜその人に大きな発言権が与えられているのかを、よく考えないといけない。

ここでの問題は、しかし不買運動の是非ではなく、実存の問題はパブリックな論理の問題に帰着できないだろう、という問題だ。

たとえばの話、東北地方出身の人にはサントリーあるいは関連会社の社員がまるでいないかというと、いるに違いない。その人はたいへん難しい立場に立つことになる。仮にサントリー不買運動の是非という問いに「然り、およそ東北出身者たるもの須くサントリーをボイコットすべし」との答えを出したとしよう。そのとき、その結論の普遍性を主張することは、東北地方出身かつサントリー関連会社社員という人に、自分の郷里を捨てるかあるいは会社を辞めるかという過酷な二者択一を迫ることになる。パブリックな論理はこの実存的な二者択一には答えを出してくれない。彼あるいは彼女は、郷里と会社のどちらを選んでもいいが、どちらも過酷であることに変わりはないのだ。

さてそうすると、不買運動の是非をパブリックな論理の問題に帰着させたところで、ひとりひとりの人間がその運動に参加すべきか否かの答えが出るわけではない。ましてや、推論の適切さなどをここでの論点にすべきではない。これは畢竟、「俺はボイコットする」「俺はボイコットしない」という問題なのだ。そういう問題をめぐって人が理ではなく利害や情で動くことを、恥ずべきこととは俺は必ずしも思わない。

それに、これは人さまの家に上がりこんでの茶飲み話 (ビールを飲みながらと言いたいところだが、家主のかがみさんは酒を飲まぬのだ) の座での議論なのだから、家主の迷惑顔を見たならさっさと矛を収めるべきだと思う。

そのようなことを考えながら床について、一夜明けたら、案の定かがみさんがこの件について日記に書いている。理性的に抑えた調子ながら、やりきれない気分がにじみ出ている。そりゃそうだろう。かがみさんは佐治会長の舌禍事件を知らなかった俺の能天気なコメントを読んで、俺がそれ以上アホなことを言わないよう状況説明をしてくれたまでで、俺を含め他の読者にボイコットを呼びかけたわけではないのだ。

二階のびすた君の話。Firefoxの問題は解決したけど、機内の埃と湿気のコラボレーションが悪さをしている可能性を考え、ケース内を大掃除した。メモリやディスクをはずし、たまった埃を掃除機で吸い取る。CPUクーラーにもひどく埃が巻き込んでいるので、はずして丁寧に埃を除去する。

そうしたら、組み立てなおすときに、CPUの電極ピンを折ってしまった。南無。あわててAmazonで新規発注。さてどうなることか。


2009年7月20日(月)/海の日くもり

せっかくの休日だが天気がよくない。朝昼の食事の用意と後片付けをし、子供と遊ぶ。Amazonが本を送ってくるダンボール箱でボールの迷路を作る。荷造り用の紙紐をカーテンレールに引っ掛けて小さなおもちゃを昇降させる。そういう単純な仕掛けを作っただけでも、【息子】には大ウケだ。紐を引っ張って何度も遊ぶうちに、くたびれた紐がたびたび切れるようになる。そしたら次は、鉤のところが回転するようになっているタイプのプラスチックハンガーに紐を巻きつけて、引っ張ればハンガーが「ヘリコプターみたいに」回転する仕掛けをつくり、一緒に遊んでやる。いっぽう、【娘】は空のペットボトルを畳の上に並べてゴムボールを転がすボーリング遊びを始めた。やってみると案外おもしろい。文字通り「子供だまし」の単純な仕掛けにも喜んで遊ぶ子供の姿に、俺もいい教訓を得た気がする。一緒に遊んでやる気さえあれば、凝った高価な玩具は必要ないのだ。父親としての面目を大いに施すと共に、休息時間を確保できた妻にも感謝されたのだった。

ブラウザが起動しないというか終了しないというか、VistaくんでのFirefox 3.5のトラブルは、インストール先を D: ドライブに変更することで解消。どうも C:\Program Files フォルダの保護機能が関係あるようだ。


2009年7月19日(日)はれ

一日家から出ず。ピアノを練習し、食器の後片付けをし、階段や便所を少し掃除したほかは、基本的に何もせずぐだぐだしていた。夜遅く妻子が寝静まってから 月本洋『日本語は論理的である』(講談社選書メチエ)を読み始める。面白いがちょっと引っかかるところもある。これは、自分がこの先考えていきたいテーマと密接にかかわる内容なのできちんと読みたい。


2009年7月18日(土)はれ

昨日の思いがけぬ大雨そのほか、いろいろの理由で、靴下がない。ということは、靴をはいて外出することができない。せっかく一昨日買った甚平を昨日は結局着れなかったので、甚平に草履で出かける。銀天街のauショップで携帯電話の機種変更をしてもらう。今度のはカシオ製 W63CA で、色は白。EXLIMケータイを名乗るだけあってカメラ機能が強力である。とはいえ800万画素は必要ないんじゃなかろうか。はなまるうどんで昼飯を食い、スリーエフで買った缶ビールを堀の内のベンチに腰掛けて飲む。それから県立図書館へ行った。


2009年7月17日(金)あめ

午前8時、職場に着くなり窓の外がひどい雨模様になった。午前中いっぱい降り続き、午後もぱらついたり止んだり。この分では、小学校のイベントも校庭でなく体育館での開催になるだろう。夕方は早めに帰宅して甚平に着替えてからピアノレッスンに行くはずが、ちょうどいい頃合いに、職場を抜けるに抜けられぬ用が発生した。職場を退出したのは午後6時前。今週に限って楽譜を持たずに来たのに、ピアノ教室に直行しても6時半のレッスンに間に合うかどうか難しい時刻だ。家でお出かけの支度をしているはずの妻に楽譜を持って出てもらい、小学校前で落ち合うことにした。それで、ピアノ教室には20分遅れで到着。先生は怒った顔ひとつせず、レッスンを10分だけ延長してくれた。

レッスン終了後 (途中のコンビニで缶ビールを買ってから) 小学校に舞い戻る。児童たちと公民館のおじさんおばさんたちが浴衣姿で踊っている。雨上がりの夏の夜、小学生と保護者でいっぱいの体育館は蒸し風呂状態だ。PTAのお母さんたちが盥に氷水を入れてビールやチューハイを売っているくらいだから、今夜に限っては小学校内でビールを飲むのも許されるのだ。ただし、一応体育館内は遠慮して外で飲む。自分が甚平を着てこれなかったのは残念だけど、浴衣姿で走り回る子供たちの姿は微笑ましいし、5・6年生の女の子たちなんかびっくりすっかり浴衣美人になっていて驚かされる。うちのアホ娘が3〜4年後にああなるとは信じがたい。

校庭では小学校の近所に事務所のある自民党のS元官房長官が来ていて、報道陣のインタビューに応えていた。Sさんはこの小学校の卒業生であり、毎年運動会にも顔を出している。衆議院解散を目前にして政局の大変なこの時期に、麻生降ろしの一翼を担っている中堅衆議院議員がこんなところにいるのが不思議な気もするが、地元の事務所の選挙戦態勢を大急ぎで整える必要があっての帰郷であろうし、さらに、そういうときだからこそ、地元のコミュニティーに顔を出しておくのが大切なのかもしれない。事情はどうあれ、つくづくタフだなあと思う。

代議士さんにはとてもかなわないが、今日は俺も一日中バタバタ動き回って、歩数計カウント16,066歩


2009年7月16日(木)くもり

きょうから幼稚園が夏休みになる。今朝は俺が【息子】を託児所に連れて行かねばならない。【娘】と3人で電車に乗り、いったん小学校の門前まで行ってから、ぐるっと大回りして託児所へ。そうしないと8時の開所まで時間をもてあますのだ。託児所につくなり【息子】はノリノリで奥へ走っていったと思うと、飛行機のオモチャをもって戻ってきた。「【むすこ】くんこれであそぶ」だそうだ。幼稚園が大好きな【息子】は、託児所に行く前にはいつも「ようちえんがいい」と我を張るのだけど、本人がその気になりさえすれば、なかなかどうして強かな適応力がある。さらに、今朝のゴキゲンの理由には、電車でお出かけという要因もあったにちがいない。

夕方、職場へ迎えに来た妻子と姫原パルティへ行く。【娘】の下駄を買うのが目的だが、少し小遣いをはたいて、俺の新しい甚平と草履も購入。明日は夕方から小学校の夏休み入りにあわせたイベントがあるのだ。妻も浴衣を着ようと張り切っている。俺と【息子】は甚平に草履で出かけることにしよう。途中で俺はピアノのレッスンに行ってそれから再合流する予定。そういえば、昨年の同じイベントの日には、俺はピアノのレッスンのことをすっかり忘れていたのだった。

歩数計カウント10,571歩。


2009年7月15日(水)はれ

運転免許証の更新。俺は車を決して運転しないのだけど、免許だけは15年前から持っているのだ。朝8時前のバスで出かける。免許の更新自体は面白いことでもなんでもないが、バスに乗って田舎にいくのはいい気分転換だ。運転免許センターは勝岡の海沿いにあり、緑が濃く空が広くて、たまにいくぶんには実に気持ちがいいところ。前回は犯罪者みたいだった免許証の写真だが、今回はもうちょっと柔和な顔つきに撮ってもらえた。もっとも、どう撮ったところで貧乏くさいオヤジであることに変わりはないがな。

行き帰りのバスと免許センターの待ち時間には、アミール・アクゼルの『相対論がもたらした時空の奇妙な幾何学』(ハヤカワ文庫) を読んだ。俺はアインシュタインのことをずっとスイス人だと思っていたし、数学が苦手だったと勘違いしていた。しかしこれはアクゼルによればどちらも誤り。アインシュタインは確かにスイスに職を得て住んでいたけど、南西ドイツの街ウルムで生まれミュンヘンで育ったドイツ人だ。そして、学校嫌いなので成績は悪かったが、数学そのもの、とくに幾何学は好きで得意だったようだ。アインシュタインが一般相対性理論を生み出すためにえらく苦労して数学の勉強をしたのは有名な話だが、これは決して数学が苦手だったからではなく、彼の構想する理論を記述するためにどのような数学がふさわしいのかを暗中模索していたからに違いない。

バスで市内へ舞い戻り、紀伊国屋書店へ行って中央公論新社『哲学の歴史』シリーズの第2巻「帝国と賢者」を買った。これでとうとう全12巻揃ったぞ。あ、あと別巻があるんだった。

愛と情熱のトマトビヤ

歩数計カウント12,822歩。写真は、ビールをトマトジュースで割ったもの。最近のお気に入りの飲み方だ。香りづけに少しレモンを入れるといい。


2009年7月14日(火)はれ

今日の妻の発言

戊辰戦争の「戊」ってどこの国だったっけ?

ちなみに妻は十二支を暗誦できない。【娘】 (小学二年生) はちゃんと言える。さすがに恥ずかしいので、妻には多少レクチャーして、「戊辰戦争」が「甲子園」「庚申庵」「壬申の乱」「ひのえうま」と同趣旨のネーミングだということを納得させた。しかしその一方で俺は今年の えと が思い出せない。要するに目くそ鼻くそである。


2009年7月13日(月)はれ

お絵かき教室に【娘】を迎えにいき、初めての経験として歩いて帰る。途中でダイキに寄って、庭掃除用の箒を買った。箒は大人サイズと子供サイズの二種類。「何で二つ買ったかわかるな?」「うん」などと会話する。

結局「びすた君」はリカバリーをかけることに。こんなこともあろうかと、ユーザードキュメントはもう一台の内蔵ハードディスクに保存する設定にしてあるので、Thunderbirdのメールボックスを別にすれば、面倒なバックアップの必要はほとんどない。


2009年7月12日(日)はれ

ごらぴー強化計画だ新サーバだと言っていたら、今度は黒いAcerパソコン、「二階のびすた君」がごね始めた。Firefox3.5のインストーラが起動しないあたりから雲行きが怪しくなりだした。Firefoxのほかに ウィルスセキュリティZERO も先日バージョンアップしたばかりだから、この両者の相性が悪いのかもしれない。それに、暑さのせいという可能性も考えられないではない。理由はよくわからないが、いずれにせよ、Firefoxはとうとう 3.0.11に戻しても起動すらしなくなったし、たとえばGoogle EarthやMobileMeコントロールパネルのアンインストーラも起動しない。これはかなり不便かつ気持ち悪い状態なので、早々にデータを退避して、いちどシステムを大掃除することにしたい。ってか、OSをXPに戻してやろうかしら。

などという自宅パソコン界の人間模様(?)をよそに、今日はいい天気であった。【娘】を教会学校に連れて行った。キャンプの申し込みをしないといけない関係で教会学校が終わるまでつきあい、その後、例によって教会の庭で【娘】がお友達と遊んでいる間、幼稚園の部屋で待つ。開け放しの窓を風が通り抜け、エアコンの必要を感じない。子供たちがきゃあきゃあと遊んでいる声が聞こえる。のんびりした、いい時間だ。娘のお友達のまぁちゃんのピアノが上手なので驚いた。

帰り道は日銀前に最近オープンした大きなテナントビルの下のローソンに寄ってちょっとしたおやつを買い、ベンチに座って少し休んだ。東京のビジネス街のレプリカみたいなデザインのこのビルが俺はあまり好きではないのだが、涼しい日陰とさわやかな風の通るベンチのあるスペースを用意してくれているのはありがたい。もっとも、ビルの周りにベンチがたくさん用意されている本当の理由はおそらく「建物内全面禁煙」ということであろう。


2009年7月11日(土)あめ

サーバを引っ越したのはいいけれど、旧サーバで使っていたいくつかの機能の再現方法がわからない。この「て日々」の最新ページを固定URIで返す方法にしてもそうだ。というわけでお願い:最新ページへのリンクを貼っている人は、URIを http://www.tenasaku.com/tenasaku/tepipi/latest.shtml から http://www.tenasaku.com/cgi-bin/tepipi-latest.pl に変更してください。もうひとつ、連絡用フォームも文字化けしていかん。まあ、こちらはなんとか自力で直せるとは思う。こうなりゃ、いままで敬遠していた PHPを勉強して機能の強化を図るとしよう。

図書館へ行った帰りに農協マーケットで揚げ物を買って昼食。

夜は4人そろって土曜夜市へ。甚平の脇のところがホツレていて着れないので俺だけ普段着。妻と子供たちは浴衣姿だ。2週間前に娘を連れてきたときと比べて人が多くにぎやかだ。


2009年7月10日(金)あめ

昼過ぎまではどんよりとしてひどく蒸し暑かった。そして午後4時ちょっと前頃から激しい雨が降り始め、7時ごろまで降り続いた。妻が講演会を聞きに言っているので、ピアノのレッスン後は湊町のかつれつ亭にてひとりで夕食。その後託児所前で妻子と合流。歩数計カウント11,929歩

さて、新しいレンタルサーバを契約したので、今週末には乗り換え計画を実行に移します。しばらく動作が不安定になるかもしれないけど、昨年のように「ぶち切れ」てデータを削除したとかじゃありません。数日のうちに落ち着くと思います。


2009年7月9日(木)くもり

ごらぴーのNetBSDの話。ネットニュースやメーリングリストの過去ログを検索してみたところ、ごらぴーのNetBSDがネットワークデバイスを認識しない理由は、EeePC内蔵のイーサネットアダプタに対応したドライバがNetBSDカーネルにはまだ組み込まれていないということらしい。無線LANデバイスもだめなので、とりあえずネットから切り離された状態で使うしかない。俺にはデバイスドライバを自前で調達する技術力はないのだ。それ以外にもやることはたくさんあって、たとえばシェルはBASHにしたいし、X Window System のウィンドウマネージャがデフォルトの twm では使いづらいので Oroborus をインストールしたい。ゆくゆくは日本語も使いたいから、ターミナルエミュレータは xterm から mrxvt に替える。それから nkf と Emacs をインストール。これらはすべてソースからのコンパイルだ。Emacsのコンパイルにはけっこう時間がかかった。あとはページャを lv にしたいところ。いくつかのプログラムはビルドの途中でエラーを起こすので、ソースファイルやMakefileの記述を手直ししながらエラーを回避しなければならない。楽しみながらもなかなか大変である。

朝は【娘】の求めに応じて電車で松山市駅までついていった。電車の中でメモ用紙をやりとりしながら「あったらこわいものシリーズ」遊びをした。せっけんアイス/ミートドーナツ/わさびまんじゅう/チョコカレー/カレー味はみがき/いちごのにっころがし・・・俺もがんばったが、【娘】もなかなかいいセンスである。歩数計カウント11,842歩。


2009年7月8日(水)あめ

気温が高い小雨の日。ちょっと歩くだけで蒸し暑くて汗だらけだ。【娘】が熱を出して学校をお休みしたので、俺も普段よりは出かけるのが遅くなったが、たまたま午前中は空き時間がある。

先日ソリッドステートドライブを買い換えた、うちの EeePC 701 (通称ごらぴー) の話。Windows環境を新しい32GBドライブに移してお役ご免になった古いほうの8GBドライブには NetBSD 5.0 をインストールする。デスクトップ機でインストールCDイメージをダウンロードしてCD-Rに焼き、外付けDVDドライブから ごらぴー を起動。それでインストール自体はうまくいったと思ったが、なぜかカーネルがネットワークデバイスを認識してくれない。少し調べてみる必要がある。

さて、このさい「ごらぴー強化計画」だ。これからはなにせ2枚のソリッドステートドライブを差し替え差し替え使うことになる。2ボタンのトラックパッドで X Window System を使うのは少々難しいので、外付けマウスも欲しい。そう考えると、ソリッドステートドライブ差し換え作業のためのねじ回しとピンセットと、USBマウスとACアダプタと、SDHCカード数枚、USBメモリドライブ数本を持ち歩くことになる。いままではシンプルな純正インナーケースで包んでリュックサックに入れていたけれども、これだけの装備を持ち歩くなら、専用バッグがあったほうがいい。それで、午前のうちに宮西のデオデオに行って ごらぴー のためのケースを購入。EeePC付属品のASUSマウスはあったが、これは職場でeMacに接続して便利に使っている。そこでマイクロソフトの小型USBマウスも追加購入。

ごらぴー専用ケース
現在のごらぴーバッグの中身
ごらぴー本体とインナーケース
ACアダプタ
USBマウス
USBメモリドライブ1本
交換用32GBソリッドステートドライブ (Windows XP起動用)
16GBと4GBのSDHCカード (4GBのはFreeDOS起動用)
128MBの古いSDカード
microSDアダプタ
それに ピンセットとねじ回し
これで、サイドポケットにはまだ少し余裕がある

デオデオを出て、んじゃあそろそろ職場に向かうかと思ったら、なんと妻のつくってくれた弁当を家に忘れて出てきている。あーあ。いったん帰宅して弁当を食い、午後のセミナーに間に合うように再出発。歩数計カウント9,901歩。【娘】の熱は夕方には下がった。


2009年7月7日(火)はれ

今年も誕生日が来て、45歳になった。俺はなんというか、年齢相応の落ち着きというか責任感というか貫禄というか、そういうものが一切ないので恥ずかしい。定期健診の結果が返ってきた。血圧の(下がりきったところが若干高い)ほかにはあまり心配するところはないが、所見欄には「LDLが低すぎるので要指導」とあった。妻に言わせると、中性脂肪50/HDL120/LDL62というのはちょっと珍しいらしい。HDLが低くLDLが高いと危ないそうだが、反対方向に標準値を外れた場合どういう指導をしてもらえるのだろうか。

ふむ。ActiveBasicのサイトが復旧したと思ったら昨日から今度はFreeDOSのサイトが行方不明だ。サイトといえば、てなさくコムのレンタルサーバをもうちょっと容量が大きくて料金の安いところへ引っ越そうかと思案中。いまどき容量100MBではさすがに足りない。そこへ、いまの3分の1くらいの料金で30GBまで使えるレンタルサーバサービスがあると聞けば、そりゃ心は動く。問題はネットワークの太さだけど、動的コンテンツをそれほど扱わないので、さほど問題にならないかと思われる。

日付が変わる頃にはFreeDOS.orgは復旧していた。

夕食は茜屋。ピリ辛みそつけ麺2玉食ったうえ、【娘】の分をすこし手伝ったので満腹。

後日追記:大事なネタを忘れていた。いい歳をして大学院生の妻は、この日は砥部町の保健センターに学部の実習生を引率して行き、砥部町 (というより旧広田村) のベテラン保険師さんがアルバムをひもときながら自分の仕事の来歴を語るのを聞いて帰ってきたらしい。妻が松前町で働いていた頃から、この保健師さんからは一度ゆっくり話を聞いてみたかったと思っていたそうで、思いがけない形で願いがかなってよかったのだけど、それで妻が言った感想が……

《あたし、長年保健師やってるけど、語れることなんか全然ないわぁ》

毎日のように自分の仕事について語りまくる妻が、挙句にそういう言の葉を吐いたものだから、てなさくはわが耳を疑ったのだった。

砥部焼き象さんマグカップ
妻が買ってくれた砥部焼きのマグカップ
幸せの青いゾウさん


2009年7月6日(月)はれ

なぜか家族そろって30分以上寝過ごした。【娘】をいつもの電車に乗せることもできないので4人そろって妻の車で出発。俺は【息子】の通う幼稚園から歩いて出勤。


2009年7月5日(日)あめ

【息子】が借りた本を返しに、4人そろってコミセンの図書館へ。このごろは、【息子】はのりもの関係の絵本ばかりを見たがる。【娘】とちがって、童話や昔話に自発的に興味を示すことはない。ただし、お話が嫌いというわけではなく、気に入った話は自分で何度も反芻したりする。まあ、個性の違いなのだ。

その後、土橋のバナナ館で食材を買う。3年前までこのあたりに住んでいて、その当時のことを【娘】はしっかり覚えているけれども、2歳前後だった【息子】にとって、その頃の印象は遠く薄れているようだった。バナナを買ってもらった【息子】は、そんなことはものともせず、大変ごきげんだった。


2009年7月4日(土)はれ

妻は昼前から、子供を託児所に預けて大学院の授業を受けに行ってしまった。妻は普通に昼間コースの大学院生なのだが、同級の大学院生のみなさんがみな社会人枠の入学だったとか、なんかそういう事情で、授業は土曜日ばっかりなのだ。では平日の昼間は何をしているかというと、教授の教育業務の補助のアルバイトのために、やっぱり毎日大学に行っている。おかげさまで授業料と託児料くらいはそのバイト料でまかなえるようだけど、こうなると「授業も受ける職員」なんだか「手伝い仕事もする学生」なんだか、よくわからない。こちらは毎日のように教育補助がらみのボヤキを聞かされるけど、それでも、学生として授業を受けるのは楽しいらしいから、大学院に入ったのはマチガイではなかったようだ。

昼食を本当に久しぶりに湊町の炎やラーメンで食った。職場に寄って EeePC (通称ごらぴー) を持ち帰り、家で少し昼寝した。そしたら寝過ごして「獣の奏者エリン」を見損ねてしまった。


2009年7月3日(金)くもり

夏のボーナスの力を駆って、長らく滞納していたピアノの月謝を払って肩の荷を降ろした。どうせボーナス月にならないと払えないのならと、年末分まで先払い。それで、年末にボーナスが出たら、また来年の1月分から半年分を先払いする。こうしておけば、ボーナス月にまとめ払いするのはこれまでと同じでも、あちらさんとこちら、双方の気持ちが違うってもんだ。っていうか、いままで心配かけてすみません>ピアノ教室。

歩数計カウント13,910歩。


2009年7月2日(木)はれ

メモ帳

写真は最近使っているメモ帳。ファミリーマートの無印コーナーで買った無地ページ100枚の文庫本サイズ。カードの支払い金額の覚書やらちょっとした計算やらのほかに、どうでもいいようなことがいろいろと書き込んである。何を思ったのかドーナツやおにぎりを描いたくだらない落書きもある。俺の死後に家族が遺品の中にこれを見つけて、「あ、お父さんこんなアホなこと書いとるわ。やっぱりアホやったんやなあ」とか言っているところを想像すると、なかなか恥ずかしい。さて、実はこのメモ帳は買って半年ほど使わないまま通勤用革リュックに入れて持ち歩いていた。小心なもので、買ったばかりの新品の真っ白なノートを使い始める踏ん切りがなかなかつかないのだ。しかし使ってみると改めて愛着が湧いてきた。当たり前のことなのだけど、使ってからのほうが自分にとって価値の高いものになった。そのかわり、商品としての価値はゼロになった。ものを使うというのはそういうことだ。商品として市場に出ているときには、ものは交換価値で測られるが、自分にとってのそのものの価値は、使うことによって改めて生み出される。そして、そのときには、ものはすでに商品でなくなっていなければならない。これは単なる当たり前のことなのだけど、しばしば忘れられてしまう。買ったものは高かろうが安かろうが使わないと価値がないのだ。自分は市場ではないのだから、市場価値つまり値段だけでものごとを判断してはいけない。市場価値の高いブランドものを身につけていれば満足な人が世の中にいるのは一向にかまわないが、自分がそういう人であろうとは思わない。

まあ、そうは言っても、気に入って買ったメモ帳を使い始める踏ん切りがつかないとか言っている時点で市場価値に毒されているようにも思われるし、ほかならぬ自分自身の市場価値が気になって仕方がないことを意味する「モテたい!」という心の動きがこの歳になってもまだ消せないでいるのだから、口ほどにもないというかなんというか。ごにょごにょごにょ、と口ごもりつつ、話は変わる…

夕方は月に一度の医者通い。その後の行動にはいくつかの選択肢がある。コースA:大手町から電車に乗って帰る (しばしば市民病院横のファミリーマートに寄る)。コースB:宮脇書店に行き本を物色して帰る。コースC:宮西町のブックオフやフジグラン松山に寄って帰る。コースD:コミセンの図書館に寄って帰る。今日はコースCで帰ろうかと朝のうちは思っていたのだけど、いざその時になってコースBを選択。ただし、自分のための本は買わず、二人の子供の読む本と、妻が喜びそうなグラフィック素材集のCD-ROMを買って帰った。歩数計カウント12,956歩。このところ職場に妻が迎えに来てくれる日が多くて歩数が伸びなかった。本当は毎日これくらいは歩きたい。

こう書くと市民病院に通院していると言ってるみたいだなあ。

明日の授業の準備になかなか身が入らず、困り果てつつ夜は更ける。ううむ。


2009年7月1日(水)あめ

いやあ、よく降った。断水も回避されたし、めでたいめでたい。

歴史上の著名な数学者たちの数学の基礎をめぐる論文を集めた、William Ewald: From Kant to Hilbert -- A Source Book in the Foundations of Mathematics, (Oxford UP,1996) という二巻ものの浩瀚な資料集がある。ド・モルガンとかハミルトンとかブールとかいった人たちの数理論理学にかんする先駆的な論考が原文で読める。数ヶ月前に生協で発注したら、あとになって「すみません下巻しか手配できません」と言われた。発注してしまったらキャンセルきかないし、下巻だけあっても困るし、どうしたものかと思っていた。それに、両巻それぞれ9,000円からするので、ここしばらくは入荷しても引き取りに行ける懐具合ではなかった。どうにかお金が工面できたので先ほど身請けにいったところが、知らない間に上巻も入荷していた。生協のインターネットショッピングサイトにも入荷の表示はなかったし、全然連絡ももらっていないし、どないなっているのやら。しかしまあ、手に入ったのはいいことである。

今年も半分過ぎて今日から7月。大学の前期の授業もそろそろ大詰めで、最後の締めを意識した展開にしないといけない。