て日々

2009年4月


2009年4月30日(木)はれ

歩数計カウント58,560歩。いや、カウンターを上下逆に見てた・・・9,585歩。市民コンサート事務局へパソコンのメンテナンスに行った。今後必要になりそうなデータをコピーし、ディスクの断片化の進み具合を調べ、ウィルススキャンをかける。まだ少しやりたいことが残っているうちに妻子が迎えに来てしまったので、少し迷ったが一緒に帰ることにした。昨晩は【娘】が脚の痛みを訴えて俺も妻もあまり寝ていない。医者で診てもらったところ、レントゲンに異常は見られないが、骨がまだ成長期に差し掛かる前の状態でもあり、おそらく痛みは成長痛だろうということだった。【娘】はレントゲンの撮影台が「ゆうえんちみたいだった」といって喜んでいた。


2009年4月29日(水)/昭和の日はれ

ああ。「昭和の日」なんて名前になっちまって・・・

休日の朝と昼のメシを俺が用意するという習慣がすっかり定着しつつある。ちょっと注文が遅れたせいで米がないので、朝はうどんを茹でた。昼はトマトソースを作ってスパゲティにした。ディチェコの麺500グラムを4人で食った。かなりボリュームがある。

午後、姫原のパルティへ行った。ジッパーつきのちいさなポリ袋を買った。それで何をするかというと、部品箱の中の抵抗器のうち袋で買ったものをきちんとまとめなおすのだ。色帯が読めないわけじゃないが、本数が多いものは同じものをまとめておけば楽だからな。それから、ミスドで家族でおやつ。こういうのってなんだか久しぶりだ。

手作業でHTMLタグの書き換えをしながら入力しているこの日記だけど、コピペで変更していると時々ミスをして複数の要素に同じidをつけていたりする。そろそろ自動化ということを考えるべきだ。この連休にはそういう作業もできればいいなと思っているが、どうも家にいると子供が走り回っているのが気になってそういう作業にとりかかれない。それでどうしても休日はダラダラするかお出かけするかの二者択一になってしまう。来る日も来る日も「きょうは家族でダラダラ過ごしました」みたいな日記ではどうしようもない。


2009年4月28日(火)はれ

午後は3年生のセミナー。夕食は家族で茜屋。歩数計カウント11,501歩。


2009年4月27日(月)はれ

朝、例によって駅に行ったら娘が定期券を忘れてきている。取りに戻る時間はないので切符を買ってやった。今日はいつもの中心街の駅まで同乗したが、改札をでてすぐに財布のラスト千円札を自分のい〜カードにチャージしちゃったもので、帰りのこども料金100円の切符を買ってやるだけの残高も残らなかった。時刻は朝の7時半である。銀行のATMも動いていない。仕方がないので午後の娘の下校時間に駅へ迎えに行ってやった。一緒に帰宅して宿題を見てから職場に戻ったが、そんなこんなで歩数計カウント17,601歩。夕食にチャーシュー丼を作った。酒ばっかり飲んでいるわりにこのごろはちゃんと腹が減るのがありがたいが、もう若くはないので無茶は避けなきゃならんとは思っている。


2009年4月26日(日)はれ

基本よい天気だったのだが、朝のうちは風もあり、午後は小雨がぱらついて、夕方には虹が出たりもした。午前中、【娘】を日曜学校に連れて行き、その後ベスト電器で携帯電話のネックストラップを買ってやったり、専門学校のイベントで絵を描かせてもらったり、銀天街で鶏のから揚げとフレンチフライを買ったり。

描く【娘】
【娘】さんお絵かき中

夕方からは一家4人で買い物に行き、それから俺と【娘】は本屋に寄って、妻の大好きな米澤 穂信の小鳩くん小佐内さんシリーズ『秋季限定栗きんとん事件(上)』を買って帰った。そんなわけで、日曜日ながら歩数計カウント13,138歩。


2009年4月25日(土)くもり

朝は小雨。朝食はラーメン。午前中、雨上がりの戸外へ一人で散歩に出る。BOOK・OFFで【娘】の好きな寺村輝夫「王さま」シリーズの本と大雪師走『ハムスターの研究レポート(1)』を見つけた。散歩の帰りに冷凍のむきエビを買い、昼食は焼き飯。今回はエビ入りコンソメ味にした。夕方からダイキに行ってこまごました買い物。リビング兼ダイニングの窓の下にカラーボックスを3つ並べて、そこらへんに散乱している妻子のこまごましたものを片付けさせることにする。もうほとんど幼稚園方式だ。歩数計カウント6,352歩。ただし、朝の散歩は含まない。

昨日の話の続き。よく考えてみれば、俺だってOK山RK大学のTK中先生に借りたポテンシャル論の本を十数年越し返していない。返すべきだ。そして、返す前には読むべきだ。ううむ。


2009年4月24日(金)くもり

歩いて仕事に行き、2コマの授業で教室内を歩き回り、職場から繁華街へ歩いて新任の先生たちの歓迎会に出席し、歩いて帰宅した。おかげで歩数計カウント20,896歩。久々の二万歩越えだ。4月に入ってからというもの、金曜日の歩数は有意に多い。理由は、講義を2コマもっていることと、ピアノのレッスン日であることだろう。今日は歓迎会のためにピアノを休んだけど職場から30分くらいかけて歩いていくこともあるのだ。

帰宅したらAmazon.co.jpから岩波全書『微分積分学 I』と『フーリエ級数』が届いていた。どちらも、人に貸して帰ってこなかった本だ。そりゃまあ返さない奴らが悪いのだが、貸した本が帰ってこないなんてのは、案外よくあることなんだから、俺も相手をよく見てから貸すべきだった。高木貞治『初等整数論入門』も、『現代数学概説 II』も、きっと帰ってこないだろう。高木貞治はともかく『現代数学概説』はこれから入手できるだろうか。


2009年4月23日(木)はれ

夕方、いつものように薬をもらいに医者に行った。先生に「最近ちょっと貫禄つけてきたことない?」と言われたのは少し意外だった。「そうですかねえ、でも見掛け倒しやから。」と答えたが、先生が言うには、貫禄とかそういうものは見かけからつけていったんでかまわないし、そもそも人が内側にもっているものはいずれなんらかの形で表出されずにはいないから、本当に見かけだけということはありえないそうだ。確かに少し面の皮が厚くなったというか、あまり人前でうろたえないようになったことは事実だ。まあ、開き直っただけなのだろうけど。

医者からの帰りにBOOK・OFFでほげほげと古本を見ていたら、【娘】が38.8度の発熱と自宅から連絡。フジグランで水分補給用にポカリスエットを買って帰宅。歩数計カウント13,976歩。


2009年4月22日(水)はれ

あんまり書くことがないなあ。携帯をサイレントにしていると一昨日みたいなことがあってマズイと思ったけど、かといって会議中にCメールの着信音が「ポッポー♪」なんて鳴き声を立てるのもやっぱり恥ずかしい。会議には携帯を持ち込まないようにするか、こまめに切り替えるしかない。仕方のないことだ。歩数計カウント12,325歩。


2009年4月21日(火)はれ

きょうは午前のうちに Robin Thomas: A Combinatorial Construction of a Nonmeasurable Set, American Math. Monthly, vol.92/no.6 (1985), pp.421-422 という、ちょっと古い論文を読んだ。この論文では、グラフ理論の有名な定理をルベーグ不可測集合の存在証明に応用するというアイディアを紹介している。

その定理とは グラフが二分グラフであるための必要十分条件はそれが奇数サイズのサイクルを含まないことである というものだ。二分グラフ (bipartite graph) とは、頂点全体の集合が二つのグループに分かれ、どの辺も一方のグループの頂点を他方のグループの頂点につないでいるようなグラフのこと。同グループの頂点間を結ぶ辺は存在しない。次の図のようなイメージ

[PNG] 二分グラフの例

二つのグループを女組と男組と呼ぶことは真っ先に思いついたけど、それではちょっとお下品なイメージになりそうだ。「船で旅立つ人たちと桟橋で見送る人たちをつなぐ紙テープ」ってのはどうだろう。たとえはきれいだが、見送る側が船上の複数の相手のテープをもっているのは少し変な気もする。……って、まあそんなことは置いといて、この図のグラフにはサイズ6のサイクルが含まれている。辺をひとつたどるごとに、右グループから左グループへ、また左グループから右グループへと移動することになるので、奇数本の辺をたどって出発点に戻ってくる奇数サイズのサイクルは、二分グラフには存在しない.

で、この論文でのルベーグ不可測集合の存在証明を、詳細をはしょって概略だけ書くと次のとおりだ。

ふたつの実数 \(x\) と \(y\) が \(|x-y|\in\{\,3^k\,|\,k\in\mathbb{Z}\,\}\) という条件をみたすときに \(x\) と \(y\) を辺でつなぐことにすると, 数直線 \(\mathbb{R}\) を頂点の集合とするグラフが得られる. このグラフは奇数サイズのサイクルを含まないので二分グラフになる. この二分グラフの頂点のグループを \(A\) および \(B\) とすると, これらはいずれも, \(3^k\) の形の数による平行移動で相手の中へずらしこんでしまえる: $$ \forall k\in\mathbb{Z}\bigl(A + 3^k\subseteq B,\quad\;B+3^k\subseteq A\bigr) $$ ところが, 正測度のルベーグ可測集合を十分小さな幅だけ平行移動した像と もとの集合との交わりは (シュタインハウスの補題により) 空ではないはずなので, \(A\) も \(B\) もルベーグ不可測である.

先に引用した二分グラフの特徴づけ定理を 無限に多くの頂点をもつグラフに対して証明するには 選択公理が必要なのだが、そのことは一見しただけではわかりにくい。まるで選択公理を使わずにルベーグ不可測集合の存在が証明できてしまったように見える。そこが巧妙で面白いところだ。そして、ふつうはルベーグの密度定理を使って証明されるシュタインハウスの補題に、初等的でエレガントな別証明が与えられているのも、この論文の特徴。なかなか面白かった。

夕方、妻子と小学校で落ち合い、大街道の三越へ。藤城清治版画展が開かれているからだけど、会場がデパートの催事場だから、展覧会というより展示即売会だ。昨年の愛媛県美術館の展覧会にかかった切り絵作品のレプリカで、それなりにきれいだし、ちょっとがんばれば手が届かないこともない価格ではあったが、うちにはおさるのジョージばりのやんちゃ坊主がいるから、いまは美術品に手を出すわけにいかない。

夜、妻子が寝静まってから、午後に少し読みかけたもうひとつの論文 Matthew Foreman and Friedriich Wehrung: The Hahn-Banach theorem implies the existence of a non-Lebesgue measurable set, Fund. Math., vol.138 (1999), pp.13-19 を読み終えた。内容はタイトルのとおりで、通常の集合論から選択公理を取り除き、代わりに抽象解析学の基本定理といえるハーンとバナッハの定理を仮定して、ルベーグ不可測集合の存在を示している。これまた面白い論文だったし、この論文を読んだ結果として、ハーンとバナッハの定理のブール代数版から元のバージョン (実ベクトル空間版) を導く方法がわかったのは収穫だった。

[解説] ハーンとバナッハの定理のブール代数版とは, 任意のブール代数に有限加法的確率測度がつく という命題. これはあきらかに, 素イデアル定理 (任意のブール代数は少なくともひとつ超フィルターをもつ) から導かれる. というのも, 超フィルターは有限加法的二値測度とみなされるからだ. いっぽう, ハーンとバナッハの定理のオリジナル版は実ベクトル空間上の線形汎関数にかんするもので, バナッハ空間について書いた関数解析のちょっとした教科書には必ず載っているから, 説明は省略. ハーンとバナッハの定理も素イデアル定理も, 通常は選択公理 (その一つの表現としてのツォルンの補題) によって証明される. 選択公理を除いた集合論では, これらの命題を証明することはできない. 先月24日25日の日記を参照.

そのほかきょう特筆すべきことといえば、朝食 (四人分) と弁当 (自分と【息子】の二人ぶん) を俺が用意したことだ。弁当のおかずは、ホーメルのランチョンミート(いわゆるスパムの減塩版)をフライパンであぶったのと、きんぴらごぼうと、ほうれん草のおひたしにポン酢をかけたもの、それに冷凍もののエビシュウマイ。見た目は豪華だが、きんぴらごぼうに醤油を使いすぎたうえに、あとから妻が気を利かせてご飯にちりめんじゃこをトッピングしてくれたせいで、えらく塩分の多い弁当になってしまった。俺は自分の責任だから当然だが、【息子】もちゃんと完食してくれたのでありがたかった。

歩数計カウント11,375歩。


2009年4月20日(月)くもり

午後から天気が崩れ雨が降り出した。たいした降りではないが、風はかなり強い。夕方には妻が気を利かせて迎えに来てくれていたのだが、携帯をサイレントにしていたものでなかなか気がつかず心配をかけた。ごめん。歩数計カウント8,580歩。

旧 .Macサイトでは「自分用<その他>関連情報源」というリンク集を公開していた。内容は電子工作がらみの内容とMIDI規格がらみの内容が主だった。Windows/DOS関連情報源 の手入れをしたついでにこれも整理して、電子工作関連情報源 という名前で再スタートさせた。本来ならその他に「Macintosh関連」の手入れもせにゃならんが、実際にMacをほとんど使わなくなったので、いまひとつやる気が出ない。だもんで、Mac関連のリンク集は廃止するかもしれない。


2009年4月19日(日)はれ

朝食には焼き飯を作った。お昼には近所のスーパーでお弁当を買って城山に登った。登りはロープウェイを使い、下りは徒歩だ。天気がよくて暑いくらいで、本丸の公園でお弁当を食べるのはたいへん気分がよかった。。それからジョープラへ買い物にいった。子供たちが夕食はうどんにしてほしいというので俺が乾麺を茹でて ざるうどんにした。おかずはイワシの煮付けと白菜の煮物だ。妻が学生になってしまったからには、週末の飯の用意を代わってやるくらいのことは平気である。ただ、そのぶん妻の学業において得るものがなければ困る。

昨日と今日のうちに『真実一路』を通読。ひと昔まえの人々の言葉遣いや暮らしぶりにはたいへん好ましいものが感じられ、読むのは楽しかった。しかし、母はあのとき、いったい何を思って、あまり夢や希望や救いがあるとも思えないこの話を、登場人物の義夫と同じ小学5年生だった俺に読ませようとしたのだろうか。それだけは最後までわからずじまいである。

歩数計カウント11,083歩。


2009年4月18日(土)くもり

数ヶ月ぶりに散髪した。といっても、ほんのちょっと切っただけだ。

数ヶ月ぶりにコミセンの図書館にも行った。数学の本何冊かと、あとは12日に書いたようなわけで山本有三『真実一路』を借りた。隔週土曜日夕方から妻が大学院の授業を受けに行くので、そのときは俺が子供たちの面倒をみる。今夜はその第一回目。夕食にはカレーとジャーマンポテトを作った。

歩数計カウント5,607歩。


2009年4月17日(金)くもり

昨日に引き続き《自分用Windows/DOS関連情報源》の手入れをしようと思った。MinGW のホームページや粂井さんのサイトなどは、当然リンク集に追加すべきだ。ActiveBasic.com に接続できないのがちょっと心配だ。NASMのバージョンが2.05.01に上がっている。FreePascal のバージョン2.2.4が最近出たらしい。こいつらはさっそくダウンロードしなくっちゃ。そんなふうに、あれこれやっているうちに時間がなくなって、結局リンク集の手入れが終わっていない。

先日からMinGWのインストールも何度か試みているが、粂井康孝さんの猫でもわかるWindowsプログラミングの最初の例が、なぜかMinGWではコンパイルできない。というか、コンパイルはできるが、リンクの段階で API関数 _GetStockObject@4 の参照が解決できないと文句を言われてしまう。なにしろリンクの仕組みをちゃんと理解していないから対処の仕方もわからない。このあたりも勉強しなくっちゃなあ。なにしろ、かつてPC-9801の全盛期に、MS-DOS上で Turbo Pascal と Turbo Assembler を使って遊んでいた俺としては、C言語もいいが、できれば FreePascal や NASM で Windows アプリケーションを作れるようになりたいという、ちょっと無謀なことを思っている。粂井さんの本で勉強しているのはその前段階に過ぎない。普通と違うことをやるんだから、いろいろのことを自力で解決できるようにならねえとな。

さて話は変わって、大学院生になってしまった妻にはジャマイカから来た留学生のクラスメートがいる。ああ見えて高校時代から英語が好きだった妻は、いろいろと留学生の手助けをしつつ、ドタバタと毎日を過ごしている。絵に単語を書き込んで医療関連用語の英語と日本語をお互いに勉強したりもするそうで、だったら「ヘタ絵日記」のネタには困らないはずだと言ったら、とりあえず一枚だけ見せてくれた。

ヘタ絵で国際交流
拡大画像(360dpi)にリンクしてます

とはいえ、俺が本当に見たいのはもちろん『ヘタ絵日記:大学院生みろりのドタバタ研究ライフ』である。

金曜日なのでピアノレッスンに行き、子供たちへのお土産を買いにミスドに寄って電車で帰宅。歩数計カウント18,342歩。


2009年4月16日(木)くもり

ひさびさに、旧.Macサイトで公開していたリンク集 《自分用UNIX/Linux関連情報源》 の手入れをした。URLが変更されたり商標が変わったりいろいろあるが、日本国内のLinuxやUnix系の専門情報誌が軒並み休刊してしまったのは少々さびしい...とはいえ、久しぶりに見に行ってなくなっていることを寂しがるくらいなら、日頃からもっとご愛顧してやるべきなのである。

消えていた『消えた反物質』は万年床の下から出てきた。先日探したときには、その上に【息子】が寝ていてわからなかった。やはり、ダイニングに置いて寝たというのが俺の記憶違いで、寝室に持っていってたようだ。妻よすまん。歩数計カウント10,521歩。


2009年4月15日(水)はれ

夕食時、【息子】がふざけてズボンを下ろして尻を出して踊り始めた。妻が笑いながら「そこに【息子】のおしりがあるの知ってるから出さなくてもいいよ」と言ったのが気が利いている。俺が便乗して何か言いかけ、逡巡していたら、妻は「なに? 私の胸はどこにあるかって? うーん。いまじゃ【息子】のお尻のほうが大きいわ」

以上、妻の許可を得て掲載。きょうは書くことがなかったので助かった。

歩数計カウント15,200歩。


2009年4月14日(火)あめ

ノーベル賞物理学者小林誠さんの『消えた反物質』(講談社ブルーバックス)のこと。宇宙を構成する物質の究極の構成単位は3世代6種のクォークおよびそれと同数のレプトンであるとする「素粒子の標準理論」を、とくに素粒子物理にみられる「CP対称性の破れ」という現象のメカニズムの説明という点に重きをおいて解説してくれる本だ。一般向けにしちゃけっこう難しく、よくわからんのではあるが、CP対象性の破れというのは、電子・陽子・中性子といった普通の「物質」と、陽電子・反陽子・反中性子といった「反物質」とのバランスが、K中間子という粒子の崩壊現象においてだけなぜか崩れていて、両者の振る舞いを支配する物理法則がちょっとだけ非対称になっていることを意味するらしい。クォーク理論が最初に構想されたときには、クォークには u, d, s の3種類しかないと思われていたが、やがて c を加えて2世代4種となり、CP対称性の破れを説明するために小林さんと益川さんをはじめとする研究グループが t と b を提唱し、3世代6種のクォークを含む理論として完成する。小林さん益川さん南部さんのノーベル賞受賞理由はこのクォーク理論への貢献である。

さて、俺は昨晩、スーパーで売ってるフルボトル400円くらいの安い赤ワインをコップ酒しながら、ダイニングでこの『消えた反物質』を読んでいた。むずかしいよぉわからんよぉと思いながらも読み進み、いよいよ「反物質が稀にしか見られず、宇宙が物質だけで構成されているのはなぜか」という大きな謎に挑む最後の章の手前まで読んだ。そこでいったん本を置いて寝室へ行ってごろんと横になった。たしか夜10時半ごろだ。午前3時過ぎ、目を覚ますと、またしても妻が夜中に起きだしてガサゴソと仕事をしている。そんなら俺も本の続きを読みワインの続きを飲もうと置きだした。ダイニングの、さっきまで俺が座っていたところでは、妻が くまごろー(・人・) と まる子(-_ |||) を広げて作業中だ。ダイニングチェアの上に置いたと思った本がない。妻がどこかに移したのだろうと思ったが、覚えがないという。二人で小一時間探したが見当たらない。「消えた『消えた反物質』」では駄洒落にもならん。なんというか、推理小説のいよいよこれから謎解きというところで本を紛失したというツラい状態なのだ。なんとかしてくれ〜。

・・・と叫んでみてもなんともならんかったので、それは横へおいといて「ギャラリー」をてなさく世界に移転して再開する作業に着手。ついでに既存ページのスタイルシートもちょっとだけいじった。

歩数計カウント12,781歩。


2009年4月13日(月)くもり

鍵本聡『高校数学とっておき勉強法』(講談社ブルーバックス)という本を読んだ。なかなか面白かった。心あるプロの数学者はこういう本には否定的に傾きがちだけれども、俺はこれはこれで存在意義のある本だと思う。

まず、「数学のテストでいい点を取る能力」と「数学の研究でいい仕事をする能力」をはっきり区別している。前者は限られた時間の中でベスト・パフォーマンスをめざす時間的・音楽的能力、後者はたっぷりと与えられた時間の中でベストな造形をめざす空間的・美術的能力と表現されている。興味深い比較だし、なにより両者に価値の優劣をつけないところが好ましい。そのうえで、この本では意識的に前者にフォーカスすること、すなわち、数学のテスト(学校の定期試験、模擬試験、大学入試)でいい点をとるための勉強法を述べると宣言している。こういうことを早い段階で宣言してくれるのは好ましい。そう割り切って読めば、単元ごとの数学的内容にあわせた勉強法とか、生活時間のスケジュールの組み方、参考書の選び方、模試のデータの活用の仕方、読みやすい答案の書き方などなど、大変有益なアドバイスが多数盛り込まれている。

一番気に入ったのは、次のようなたとえ話。授業を聞いて理解するのは、誰かの演奏する音楽を聴いて「いい音楽だなあ」と感動するのと、頭の使い方として同じ。いい音楽をいくら聴いてもそれだけでは演奏ができるようにならないのと同じように、数学ができるようになるためには自分が問題を解かないといけない。音楽の場合と同様、授業で習う前に問題に取り組んでもいいくらいだ。著者のこの指摘はその通りだと思ったし、うまいこと言うなあと思った。俺はかつて自転車の乗り方の例をよく使ったものだが、音楽の演奏のほうがたとえとしてうまい気もする。この伝でいけば、講義がプロのリサイタルなら、演習の時間は音楽教室でのレッスンということになる。学生さんをノセるためには「カラオケ大会」とでも表現したほうがいいかもしれない。聴いているだけではだめだってことがすぐ伝わるからね。

勉強法という点でいえば、基本的な問題の解法パターンをひととおり学んだあとはひたすら問題を解いていくべし、という一言に集約できるだろう。まるで数学を「暗記科目」であるかのように語るこの主張には賛否両論があるだろう。ただし、著者は数学を暗記科目だと言ってはいないし、決してそんなことを思っていないであろうことは序文を読んだだけでわかる。それに、数学が好きで得意で有名大学の数学科に進んでそのまま数学者になったような人たちだって、高校時代には数学の勉強法として、学校の授業なり本なりから基本パターンを学び取ったあとたくさんの問題を自分の手で解くというサイクルを繰り返していたはずだ。ただひとつ違うところがあるとしたら、彼らは誰かにアドバイスされたからではなく、解く楽しみに導かれて問題を味わいながら自発的にそうしていた、という点だけだろう。これはむろん大切な点だ。だけど、楽しむことを教えることはできない。そうである以上、無理や無駄のない勉強法、授業やテストとの上手につきあい方、問題集や模試の有効利用、そういうプラクティカルな方法論を伝授することは合理的だと俺は思う。

もちろん俺も著者にすべての点で賛成というわけではないけれども、読んでみる価値はあると思うので、高校1年生の愛娘をお持ちの数学科出身のプログラマーのお父さん(ほとんど名指しですな)も、ご一読のうえ娘さんにも読んでもらってはどうだろうか、なんてお節介なことを思っている。

歩数計カウント11,737歩。


2009年4月12日(日)はれ

日曜学校のイースター礼拝。お父さんが幼稚園についていくと、手持ち無沙汰でさびしい思いをするので、もう日曜学校には付き添わないぞと決めているのだけど、イースターだけは東雲学園のグリーンチャペルという屋外の集会設備を借りて、礼拝のあと、子供たちのお楽しみイースターエッグ探しをする。そういうときはまあ、妻だけでは大変であろうから、付き添ってやるにやぶさかではない。10時過ぎにいったん帰宅して、妻に代わって昼食を作る。昨日サニーマートで買ったスパムランチョンミートと野菜で炒め物を作ってご飯に盛り付けた丼物を作った。それと、日曜学校でもらってきたイースターエッグだ。午後は【娘】の通学定期券の更新手続き。【娘】の携帯電話の新規契約。それから、菓子夢へケーキを受け取りに行く。なにしろきょうは【娘】の8歳のバースデーなのだ。

定期券の更新に一家そろっていく理由はないのでそれは妻にまかせ、俺は【娘】を連れて紀伊国屋書店に行って子供の本を選んだ。

子供の読む本を子供に選ばせるのもいいが、最初のうちはやっぱりそれだけではダメで、幼稚園のうちは絵本を親子で楽しむ時間をとるべきだし、子供が小学生くらいになると、子供の興味を引きそうな本を親が見つくろって子供たちの目の触れそうな場所にさりげなく置いておく気長な作戦も必要だ。というのも、自分の子供時代を振り返ると、最初はやはり家にある本を適当に手にとって読み始めたように思うからだ。小学校低学年ごろの読書体験で覚えているのは、3歳年上の兄のために両親が買った小学生向け教科別百科事典みたいなのがあって、ある時期俺はその算数の巻と社会の巻ばかり眺めていた。別の時期には小学館百科事典の別冊『原色昆虫図鑑』とか『日本の美術』とか、そういうのを眺めていた。そのときそういった本の内容をどれだけ理解できていたのか、それは怪しいものだが、そういう時期があって今の自分があることは確かである。両親がこの手のシリーズ本を気前よく買っていた真意はわからないが、知識の全ジャンルから好きなところだけつまみ食いできる境遇にあったことはまことに幸運だった。

かえって、誰かに読めと薦められた本を読んだという覚えがない。小学校5年生の頃のこと、「何か読む本を買ってきてほしい」と親にせびったことがあって、そのときに母が買ってきたのは山本有三『真実一路』だった。これはもう、タイトルを見ただけでダメだった。ヒネクレ気味のバカ息子に母親が買い与える本のタイトルが『真実一路』だったというシチュエーションが、当時の俺には恥ずかしくて受け入れがたかったのだ。とはいえ、現在に至るもその小説の内容をからっきし知らないというのは、別の意味で恥ずかしいので、母が生きているうちに読んでおこうとは思う。もともと『主婦の友』の連載小説で、後に昼の主婦向けドラマとして何度もリメイクされているそうだから、いまの俺ならともかく、子供の頃の俺が読むことを恥じるような内容の本ではなかったかもしれないではないか。

まあ、そのようなわけ(?)で、俺が【娘】に無言で薦めようと思って選んだのは、学研の新ひみつシリーズ『からだのひみつ』『星座と星うらないのひみつ』だ。【娘】の諾否を確認せずに買い、例によって散らかっているリビングに放置しておいた。とりあえず手にとってマンガとして面白がれるところだけ面白がって読んでもらえればいいのである。【娘】はさっそく『からだのひみつ』を見てケタケタ笑っていたから、この作戦はまずまずの成功のようだ。ちなみに本人の選んだ本は「しずくちゃんの本Vol.5」だった。あと、【息子】のための絵本『しんかんくん ようちえんにいく』を買った。

晩飯は雑炊。しかしケーキをたらくふ食った子供たちはあまり夕食を食わなかった。

歩数計カウント5,041歩。


2009年4月11日(土)はれ

妻が大学の院生部屋に忘れ物をしたというので、皆でドライブがてら出かけた。俺と子供は医学部キャンパスの片隅にあるベンチで妻が忘れ物を回収して出てくるのを待つ。のどかな春の日。周りにはたくさんの桜の木。なかなか気分がいい。昼食は川内のモンジュリ。その後、見奈良のクールスモールへ行って、靴を買った。先月妻の実家の近所で買った靴は、長さと幅はよかったが、歩いてみると甲が締め付けられるような感じで足に合わなかったのだ。クールスモールの二階は空きテナントが増えてちょっとさびしい状態になっていた。そういえば土曜の午後だというのにあまり人も多くなく、その意味でもさびしかったが、これはまあ、ちょうど菜の花の盛りを過ぎた時期であることも関係があるのだろう。この裏手には、このあたりでは知らぬ人のない広い菜の花畑があって、花盛りには見渡す限りの黄色い花の海になる。その時期には人でいっぱいになる。すると、菜の花の盛りを過ぎたいまの時期には、みんな「クールスモールはこの間いったばかりだし」と、他の場所へ行くというわけだ。

それから久米のサニーマートで食材を買い足す。夕食は先日買った中華乾麺の残りを使ってラーメン。この乾麺は職場近くのサニーマートで買ったのだが、久米のサニーマートにはなかった。味もそこそこ悪くなく、ボリュームたっぷりで使いでがあるので、月曜日にでも買い足すことにする。

歩数計カウント7,094歩。


2009年4月10日(金)はれ

一昨日のようなことで、.Mac (現MobileMe)に置いたデータを引き払ったら、けさになってアップルからメールで、7月7日づけで.Macホームページと.Macグループを廃止するという連絡が届いた。あまりといえばあまりにタイムリーだ。俺のやってることを見ていたんじゃないだろうか。

ピアノのレッスン。きょうは左手ばっかり注意された。ゆっくりのテンポで練習しなくっちゃ。歩数計カウント18,426歩。


2009年4月9日(木)はれ

前期開講日。木曜日には2年生向けの演習の授業がある。命題P→Qの例として、あまりよい例でもないのだけど、「宿題ができたらプリン食べていいよ」というのを使った。うちの娘にいつも言っているセリフだが、娘はしばしば宿題をする前にプリンを食べている。この場合、Pが偽でQが真になってしまっているわけだが、この状況はP→Qという命題に反するわけではない。P→Qが命題として偽になっているのは、「宿題を済ませたのに、プリンが食えない、どないなっとんじゃぁ」という状況だけである。とまあ、こんな具合に【娘】をダシに使ってしまったので、帰りにローソンに寄って、子供たちへのおみやげにバナナプリンを買った。こういうとき、いつもタナボタでおいしい思いをするのが【息子】である。

いつもは閑古鳥の啼く声も聞こえぬほど静かな環境なのだけど、今日に限って、用があって仕事部屋に来る人が多かった。といっても、一度に来るのは一人なので、にぎやかになったというわけでもない。歩数計カウント15,872歩。


2009年4月8日(水)はれ

二年生になった【娘】はひとりで電車に乗って学校に行くようになった。俺は一年かけて身につけた早起きの習慣をみすみす崩したくないので、【娘】と一緒に駅まで行って、駅でバイバイして歩いて仕事に行くことにする。このルートだと、歩く距離は増えるが、小学校に寄っていくいままでのルートよりも20分も早く、7時50分には職場についてしまう。ますます一日が長い。

歩数計カウント11,114歩。

さて、長らく使ってきた .Mac (現MobileMe) だが、年額9,800円をケチることにして来年1月の契約更新はしないことにした。何ページかのHTML文書やMadニュースを置いていたし、MobileMeギャラリーもあったのだけど、それらのデータはそれぞれ別のところに置くことにする。以前よりもわかりやすい場所に置くので、アクセスしやすくなるはず。まあ、しばらく待っていてください。


2009年4月7日(火)はれ

あんなヤボなこと書かにゃあよかったのだが後悔先に立たず。学問研究の「役に立つ/役に立たない」二分法について。例によってのらりくらりと長文を垂れ流してみる。

世界は二分法(ある基準に該当するか/該当しないか)で測られる。ただし、二分法の軸のとり方は多数ある。「食える/食えない」「面白い/面白くない」「美しい/美しくない」「役立つ/役立たない」・・・。このこと自体は思考の枠組みなんだから変えようがない。さしあたり問題になっているのはそのことではなくて、多数ある二分法の軸のうちで、とりわけ「役立つ/役立たない」が、学問分野の評価基準として圧倒的に優勢な「主軸」になっている状況のことだ。たとえばわれわれのような数学者や、あるいは文学部の哲学科や国文学科などの研究者たちは、この状況には批判的にならざるを得ない。

なぜか。

「役に立たない」と評価されるのが心情的に悔しいからだろうか? それはあるけれども、本人たちは研究する価値があると思えばこそ研究しているわけで、これは社会批判的口ぶりで物申す理由にはならず、むしろボヤキとしてつぶやかれるべきものである。

哲学や数学や文学が、本当は役に立つのに誤って役に立たないと評価されているからだろうか? そういう事例もあるかもしれない。もしそうだとしたら、それはそのつど事実を明らかにしていけばよいわけで、これは「役立つ/役立たない」が主軸であることに対する批判をなす理由にはならない。

本当の理由はもちろん「役に立たない」と評価されることによって不利益をこうむるからである。どんな基準によるにせよ社会的に価値なしと評価されたことによって不利益をこうむる者は、その評価に抗議する正当な理由をもつわけだ。この場合、不利益とは、ありていにいえば、研究資金および人材の確保が難しくなるということだ。研究にはテマヒマがかかる。テマはお金という問題を生み、ヒマは世代を超えて研究を継続していく人材の確保という問題を生む。だから研究者は、望もうが望むまいが、お金(研究資金)の獲得と人材の確保に心を悩ませなければならない。まあ学問研究に限らず、およそあらゆる人間の社会活動にコストの問題と人材確保の問題はつきものだ。お金と人材という言い方が生々しすぎるなら、適切かどうかわからんが、いまその問題を「テマヒマの保障の問題」と仮に表現しよう。学問研究のテマヒマの保障をいかにして与えるのか。このテマヒマの保障の確保という文脈においてこそ、「役立つ/役立たない」二分法への異議申し立ては切実な意味をもつ。それ以外の文脈では、われわれは本来そうした基準にもとづく価値判断に対しては超然としていられるし、むしろそうすることに誇りを持っている。

俺たちは「われわれのやっている研究は役に立つのだ」ということを立証するために汲々とするのでなく、「目先の役に立たないからといって、価値がないというわけではない」ということを立証せねばならない。しかも「だから、もっと研究費ください」と胸を張って言い、かつ、お金を持っている人が「じゃあ、金を出してやろう」と言ってくれるという、そういうレベルで、このことを立証しなければならない。そのためにはどうすればいいのか・・・みんな模索している。いい方法があれば、俺だけにこっそり教えてほしい。

昨年は、決して目先の役には立たない、けれども優れた研究で、日本人研究者がノーベル賞を4つももらった。役に立たないかもしれない学問分野での研究の価値が認められた事例で、まことに喜ばしい。だけど、だからといって、研究のテマヒマの保障を得るためにはまずノーベル賞を取りましょう、とか言われても困るわけだ。ひょっとしたら賞をもらえるかもしれない、まさにその研究をするためにこそ、テマヒマの保障が必要なのだから。また、日本人にノーベル賞受賞者が出ることは、自然科学研究の顕彰のための宣伝効果はもちろんあるが、湯川・朝永・江崎の時代と比べると、そうした効果も近年では薄れてきているようにも思われる。それほどまでに、俺たちの時代は「目先の用」に心を奪われてしまっているわけだ。この風潮はもちろんまったく好ましくない。このままじゃあ、現在の「目先の利益」を支えているテクノロジー自体の継承と発展もおぼつかない。その意味でもなおのこと「目先の役に立たないからといって、価値がないというわけではない」ということを、人々にわかってほしい。目先の役に立たないものが、あるいは持っているかもしれぬ価値を正しく見極める目を、人々にもってほしい。まあ、その結果として、やっぱりお前のやっていることは価値ないぞ、と言われる可能性は、もちろん受け入れねばならんけどな。

そのためにさしあたってできることは、いかに迂遠に見えようとも、俺たちの考える「価値あるもの」について、きちんと考え、その考えを、できる限り多くの人に、ていねいに伝える、ということだけかもしれない。このあたりに、大学というところが教育機関と研究機関を兼ねている理由と意義があるといえそうだ。たとえば、数学やロジック、とくにゲーデルの言ったことに興味を持つ人は近年どうやら増えている。しかし、日本語で読めるすぐれた解説は決して多くないし、たいていは、入手しやすくもない。この状況は、改善しないといけない。そして、改善するとしたら、俺たちがやるしかない。

カイワレの花
これは本文と関係のない
玄関先のカイワレの花
一昨日は【娘】が摘んでしまったが
けさ見たらまた咲いていた

とまあ、このあたりが結論で、以下は蛇足である。

[蛇足1] 物事が「役立つ/役立たない」の判断は、その背後にもっと大きな価値の体系があって、はじめて可能になる。だが、その価値の体系を参照しさえすれば、すべての人間の活動に対して一次元的な優劣の評価が可能なのかというと、決してそうではあるまい。

[蛇足2] 老荘思想は「無用の用」を言う。『荘子』などをひもとけば、「役に立つ」ものが早死にし、「役に立たない」ものが長寿を全うする例は枚挙にいとまがない。これは、人為に対する「用」からこぼれ落ちたものが、かえって自然に対する「用」に適う、ということを例示している。『正法眼蔵随聞記』には、道元禅師の宋での修行時代の思い出話として、経論の文献を読んでいたら兄弟子に「何の役に立つのか」とからかわれた、というのがある。「理解して、日本に帰ってから人々に教え示してやろうと思います」と生真面目な道元は答える。「それは、何の役に立つのか」と兄弟子はさらに問う。「他の人々を仏法に導き、助けることになります。」 「それで結局は、何の役に立つのか」 現にいま、お前さん悟っておらぬではないか、というわけだ…。「役に立つ」ことを立証しようとすると「実際にこれこれの場面で役に立つ」と言わなければならない。ところが今度はその「実際のこれこれの場面」とやらが、それ自体として価値のないものだという話になると、この立証は失敗に終わる。「役に立つ」を価値の基準として持ち出すことには、このような危険性がある。「何の」役に立つのかという形で、他のものを参照するしかないからである。この参照の矢印は最終的にどこへ向かうのだろうか。「無用の用」は矢印の先が一通りではないことを教えてくれるし、道元禅師の先輩僧は、経論を読むという道元の行為の矢印の先が修行の目的すなわち道元自身の成道に向かっていないことを指摘してくれたのだった。『存在と時間』のハイデガーは、この矢印をたどる人間の視線を「配視 Umsight」とよび、これらの矢印は究極的にはわれわれ自身へ向かう「配慮」という意識の働きを構成すると論じている。そういう意味では「役立つ」とは「われわれ自身の幸福を増進するために役立つ」ということにほかならないが、この究極の目的を果たすために何をどうすればいいのかはまったく定かではなく、俺たちはみな仕方なく右往左往しているのだ。

[蛇足3] 個人レベルでは、誰しも「面白い/面白くない」基準を「役立つ/役立たない」より優先させるにやぶさかではないと思う。かつて、ある人に「数学の研究ってどんなことしてるの?」と聞かれて、とっさに「うんと大きな整数nについて、2のn乗を10進展開すると、数字がいっぱい並ぶけど、その数字の分布を調べたりしてる」と、そのとき一番気になっていた問題を答えたら、すぐさま、「それって役に立つの?」と聞かれた。「乱数表をつくるのに役立つかも知れん」と答えたけれども、むろん本心では、「こんなアホなこと役に立つわけないやろ。知りたいからやってるだけや。」と思ったものだ。この人は純然たる好奇心から数学者がどんなことをしているのか知りたがったのかも知れず、あるいは、自称数学者の俺がどんな話題を好むのか話の糸口をつかむために最初の問いを発したのかもしれない。いずれにせよ、俺はこの人の最初の問いに答え損なった(発問者の好奇心にかなう答えではなかった)わけで、この俺の答え損ないの結果として「役に立つ/役に立たない」自己評価を求める第二の問いがでてきたことは間違いない。

[蛇足4] だけどみなさん、「役立つ/役立たない」以外の基準でいろいろなものが評価されるようになっても本当にいいんですか? 大学の授業が「萌える/萌えない」とか「カワイイ/カワイくない」とか「すべすべしてる/してない」とかの基準で評価されたり、あるいはCO2排出量で評価される世の中になんか、俺はなってほしくないですけど。

で、日常に戻って、午前中、ゼミ生再集合。前期のゼミは毎週水曜日午後。だがこの時間帯はどういうわけかゼミのゴールデンタイムで、ゼミ室の確保に苦労する。大学院志望のIくんにはキューネン『集合論』、就職希望の二人には萩谷・西崎『論理と計算のしくみ』を読んでもらうことにした。歩数計カウント10,819歩。


2009年4月6日(月)はれ

歩数計復活。14,215歩。


2009年4月5日(日)くもり

少々肌寒い。ほげほげと過ごす。昨年秋に玄関先にバラ撒いてしまったカイワレがいつのまにか薄紫色の花をつけている。写真を撮ろうと思っているうちに、【娘】が摘んでしまった。(-人-)


2009年4月4日(土)あめ

兵庫県の伊丹から妻の友人の さまんさ が、娘のゆうなちゃん、息子のとうやくんを伴ってやってきた。あいにくの天気ではあったが家族4人が松山市駅前で出迎え、坊っちゃん列車で道後へ移動。昼食後、道後界隈をしばし散策した。同業者にして朋友であるさまんささんを前にして、妻は例によって子供そっちのけ旦那眼中になしのマシンガン業界トークに突入するかと思ったが、今回はどういう風の吹き回しか、そうはならなかった。体調がよくなかったということでなければ、俺がふだん釘を刺しすぎているのかもしれない。

某所から一年ほど前に出戻ってきた古いミニタワー型PCに、Debian GNU/Linux 5.0 (lenny)をインストールした。現在、試運転としてこうやってGEditで「て日々」を編集中。このPCはかつて Debian potato をインストールして使っていたものだ。Celeron 700HMz CPUでは、デスクトップ環境が大きく進歩した現在のDebianを走らせると、さすがに軽快とはいかないが、TeX環境を入れて文書の編集をするくらいのことにならば、まだまだ使える。ホコリをかぶらせているよりはいい。

夜遅くなって、そろそろ寝ようと横になってから、先日公開したノートで論じていた数列空間 \(\ell^1\) の回帰性が、(選択公理を可算選択公理に弱めた体系で) \(\ell^\infty\) 上のバナッハ一般極限の不存在と同値になっていることに、いまさら気がついた。こりゃいかん。ノートを更新しなくっちゃ・・・って、今日は遅いからメモだけ書いてもう寝るけどね。


2009年4月3日(金)くもり

夕方、市民コンサートのパソコンの面倒を見に事務所へ行った。メモリを384MBから1GBへと一挙に3倍弱に増強し、「休止状態」を使わない設定にしてディスク領域を確保した。実際にこの端末を使うおばさまたちには、何のことやらわからぬだろうが、それとなく使い勝手は向上しているはずだから、それなりに感謝するように。

その後、ピアノのレッスン。この数日、ツェルニーはそれなりにさらっていたが、ショパンをろくに練習していなかった。こりゃいけない。家の楽器とのタッチの差を吸収するために、教室のピアノを5分でも10分でも好きに(ということはつまり、デタラメに)弾かせてもらえる時間があると、もっとレッスンの実も上がるような気がする。しかし教室には30分刻みのレッスンのスケジュールというものがあるから無理は言えない。


2009年4月2日(木)はれ

入学式も間近で大学周りは人だらけの車だらけだ。午後2時半ごろに遅い昼食をとりに外へ出たが、その時間でもなか卯がほぼ満席状態。さいわい天気もよく風邪も治り加減なので、散歩をかねて警察署前の そば吉まで行った。

いい歳して大学院の新入生である妻が健康診断を受けに保健管理センターに行ったが、学部生の定期健診とご相席で、なかなか順番が来ないことをメールでしきりにぼやいていた。つい2年前までは、役場勤めだった妻が地域の検診でぼやかれる立場だったのだけどね。

今日の午後は、数列空間 \(\ell^1\) の回帰性が \({\rm ZF}+{\rm AC}_{\aleph_0}\) と矛盾しないことの証明をまとめたノートを書き上げた。いつものところに置くので興味のある人はどうぞ。


2009年4月1日(水)はれ

昨年のような気の利いたエープリルフールネタは思いつかない。というより風邪が治らず頭が働かないので、気の利かない単なる日記ネタすら思いつかない。子供たちが『天空の城ラピュタ』のビデオを大喜びで観るのにつきあった。その後テレビで「8時だョ全員集合」スペシャルという長時間番組をやっていて、これまた子供らが大喜びだったのだが、体調を崩している俺としては、夜中まで子供が大騒ぎするのは少しつらかった。