て日々

2009年1月


2009年1月31日(土)くもり

妻はちょっと大事な用事で3時まで外出。俺がそのあいだ子供の面倒をみた。くたびれた。少し昼寝をしてから、ローソンLoppiで来月下旬の出張の飛行機代の支払いをする。妻が楽天トラベルで予約してくれていたのだ。コンビニ決済を利用するのは初めてだが、これは結構便利かもしれん。

夜は市民コンサートが加盟している「松山の文化をはぐくむ会」の新年会にダシモノ要因として参加。25日の日記に書いたとおり、ダシモノはハーモニカ。おいしいお酒と鍋料理を堪能したうえ、市民劇場さんのダシモノ「俳句甲子園もどき」でなぜか1位になって、伊予柑を5つももらってしまった。

伊予柑をもって帰る途中、体調を崩して道端に倒れこんでいる女性がいたので、気付け薬のかわりに伊予柑を食べさせた。気を取り直した女性から、お礼に反物をいただいた。その反物をもって歩いていたら、牛車で通りかかったさる高貴なお方がその反物に目を留められ、牛と交換してくださった。その牛に乗って家路をたどっていると、通り道に面した長者の屋敷で、観音さまが年老いた長者どんの夢枕に立って「これから牛に乗って通りかかる男を跡取りにせよ」とお告げがあったとかなんとかで…

帰宅後、というより就寝後いったん目を覚まして、昼間のうち子供たちの世話をしながらスキをみて考えていた数学の内容についてまとめなおしたら、どうにかうまい証明方法が見つかった。こういうことがあるから、子供がうるさくてイライラさせられたとしても、簡単に投げ出したりはしないほうがいいのだ。まあ、いずれにせよ大した内容ではないけどね。


2009年1月30日(金)はれ

弁当を忘れて出かけてしまった。帰宅して食ったのが午後5時すぎ。中年になってこれはちょっとキツい。その後、ピアノのレッスン。

最近復刊した竹内外史『層・圏・トポス』(日本評論社)が届いた。


2009年1月29日(木)はれあめ

【娘】が微熱。だがインフルエンザではないらしい。午後から看病を交代するつもりで午前中で仕事を切り上げて帰宅したが、【娘】は案外ケロッとしていた。夕方から雨。毎月のお約束で、医者に薬をもらいにいった。

先日から ineffable cardinal についてのノートをまとめようといろいろ勉強しているのだけど、その準備段階の弱コンパクト基数 (weakly compact cardinals) の話を独立させて、先にまとまった PDF ファイルにしようかと考え中。弱コンパクト性は、それが自然で本質をとらえた概念だからだろうけど、無限言語に関するコンパクト性に関する性質、アロンシャイン木に関する性質、無限グラフの色分けに関する性質、高階論理式による記述不可能性という、見かけ上かなり毛色の違ったいくつもの観点から定義できる。そのあたりの話をひととおり書くだけでも、かなりの分量になりそうなのだ。

ところで、集合論研究者のみなさん。あなたは

$$ \exists\kappa\;\biggl(\,\kappa\rightarrow\bigl(\aleph_1{}^L\bigr)^{<\omega}\,\biggr) $$

という巨大基数「公理」を自然なものと認めますか?


2009年1月28日(水)はれ

ひさしぶりに妻と二人ランチ。昨日も今日も天気がいいのだけど、いまは塗装工事のために仕事場の建物が梱包されたような状態で、外の様子がぜんぜんわからない。そこへ朝8時過ぎに入って夜に出る暮らしをしていると、昼間の天気はわからないのだ。ランチは大街道のいよぎんATMから横道に入ったところにあるCABIN(キャビン)という食堂。ハンバーグがうまかった。いまどきの若い衆にウケるような店ではないが、俺も妻もこういう地味さはわりと好きである。


2009年1月27日(火)はれ

先日、思うところあって古いノートを引っ張り出して整理した。面白いことに、環論の勉強をしたときのノートが一番ていねいで、自分が書いたとは思えないくらいきれいに書かれていた。代数は数学のいろいろな分野のなかでも、俺にとっていちばん苦手意識の強いところだ。(ただし、まったくわからないおかげで苦手意識の持ちようもない分野もあるから、代数がいちばんワカッテイナイという意味ではない。)きっとそのせいで謙虚にゆっくり勉強していたのだろう。で、ていねいに勉強した環論が、じゃあ身についたかというと、その後ぜんぜん使わないので、きれいに忘れている。勉強したことは、時々思い出して活用しないといけない。それではじめて勉強したことが身につく。つまり「学びてしかして時にこれを習う。また悦ばしからずや。」

で、古いノートを整理して何をしたかったのかというと、集合論の勉強をした痕跡を探していたのだ。大学院時代に Devlin の本を米澤さんたちと購読して、どうにかイェンセンの Covering Theorem の証明をフォローしたのだった。ときおり倉田令二朗先生が参加され、Ehrenfeucht を「エェレンフォイヒト」と読むと教えてくださったりした。ノートを見る限り、俺も積極的にコメントを書き込んだり細部を埋めたり、けっこうがんばっていたことがわかる。

だが、しょせん古いノートは古いノートである。その後ながらく「学びて時にこれを習う」をしてこなかった俺は、すべてを改めて勉強しなおさないといけない。


2009年1月26日(月)くもり

昨日に引き続きかなり寒い。今シーズンはじめて帽子と手袋を着用。この帽子は5年前に仕事で北見へ行ったときに東急百貨店で買ったもの。残念なことに、北見の東急百貨店は一昨年秋に閉店してしまったそうだが、インターネットで知りえた情報によれば、その跡地は北見市が買い取り、大規模小売店舗と市役所の分室がなかよく同居した コミュニティプラザ・パラボ として再生している。小さな映画館もあってけっこう素敵な空間のようだ。

帽子と手袋

そして、インターネットでヴァーチャル北見ツアーを敢行してわかったのだけど、あの隠れた名産品「北見のオニオンスープ」と「オホーツクビール」は通販で買えるらしい。とくに「北見のオニオンスープ」は強くお奨めだ。


2009年1月25日(日)ゆきくもり

次の土曜日に某所で何か演奏しないといけないのだが、いまサックスも手元にないしキーボードを運べず伴奏者も頼めないし、どうしようかと思っていたのだけど、まあ新年会のかくし芸のようなものだと割り切って、ハーモニカを吹くことにした。この先、【娘】が小学校で使うかもしれないので、普通の学用品のハーモニカにしよう。それで、【娘】を連れてフジグラン松山に買い物に行った。寒いけれどものんびりした日曜日である。

先月の 集合論ハッタリ大構想の部分をはじめ、過去の「て日々」に出てきた数式も mimeTeX で表示するように、気がついたところから書き換えていく。

2010年11月20日追記: その後, mimeTeX から MathJax に乗りかえました。現在では、 mimeTeX は2009年1月23日の「mimeTeX 導入したよ」のデモとして表示している他は使っていません。


2009年1月24日(土)くもりゆき

午前中、本当に久しぶりに キスケの湯 に行った。薬草湯に入った後ちょっと熱めの大きな湯船で体を温め、ジェットバスでこりをほぐす。ゆっくり体を温めたおかげで、湯上りに飲むビールのうまかったこと。その後、電車で久米に行き、オフハウスで塩と胡椒の器を買う。妻の好みに合わせて「目が点のクマ」のペアを選んだ。そこで研修に行っていた妻子と合流して、茜屋へ遅めの昼食を食いに行ったら、奇遇にもミキ教授と子たちと、ミキ教授のお義母さまがいた。帰宅後は、二階の部屋の掃除をした。

塩と胡椒の器
妻はこういう「媚びのないクマ」が大好き


2009年1月23日(金)くもりあめ

かがみさんのところで前々から使われていて、便利そうだなあと思っていた mimeTeX を、「てなさく世界」のサーバにもインストールしたぞ。これで、たとえば

集合の列 $\left\langle A_\alpha\,\middle|\,\alpha<\kappa\,\right\rangle\in\prod_{\alpha<\kappa}{\cal P}(\alpha) は, 任意の集合 A\subset\kappa に対して \big\{\,\alpha<\kappa \,|\, A\cap \alpha=A_\alpha\,\big\}\kappa の定常部分集合になるとき \Diamond_\kappa-列と呼ばれる.

なんてことが、けっこう自由自在に書けるようになる。CGIに送るURLを書くのが大変だが、そこはそれ。Perlか何かで変換用のスクリプトを書けばよいのだ。わはは。といっても、日記にちょっと数式を書きたいという程度の用途を越えて、本格的な数学を展開する文書を Web で公開するとしたら、やっぱり TeX で書いて PDF に変換ということにするだろうと思う。

2010年11月20日追記: その後, mimeTeX から MathJax に乗りかえました。現在では、 mimeTeX はこ3日にデモとして表示している他は使っていません。上記の数式はMathJaxでは

$$ \left\langle A_\alpha\,\left|\,\alpha<\kappa\,\right.\right\rangle\in\prod_{\alpha<\kappa}{\cal P}(\alpha) $$ $$ \big\{\,\alpha<\kappa \,|\, A\cap \alpha=A_\alpha\,\big\} $$

のように表示されます


2009年1月22日(木)くもりあめ

ポンジュースの「愛媛みかんストレートジュース」とポッカのレモン果汁を焼酎と混ぜて炭酸で割るとおいしい。それに、これなら缶入りのスクリュードライバーよりは安上がりなはずだ。今回使ったジュースは、濃縮還元でないストレート果汁で、おいしいけれどちょっと量が少なめだったので、子供たちに(もちろんお酒を入れずに、単なるオレンジジュースとして)飲ませると、カクテルにする分があまり残らなかった。妻とふたりで取り合うようにして飲んだ。


2009年1月21日(水)くもりあめ

先週土曜日に組み立てた棚の補強のための金具を買おうと思って、帰りにダイキに寄った。美沢のダイキに行くときは、必ずペットショップの小動物のコーナーを見に行く。すでに午後6時を回っていて、そろそろハムスターたちも目を覚まして活動を始めているし、きょうは大きなモルモットがいて、しきりにキューキュー(というかピュィーンピュィーン)と鳴いていた。実にかわいい。


2009年1月20日(火)くもり

POV-rayで作画した数学CGアニメーション Dimensions というのをみつけた。オープンソースのレイトレーシングCGソフトウエア ROV-ray をフル活用して制作され、クリエーティブコモンズライセンスに則って公開されている。

すばらしい。これは幾何学だけど、集合論でこんなの作れないかなあ・・・

そこで、「数学の美しさ」について少し考えた。

俺に限らず、数学を教える立場のひとはみなそれぞれ、「数学は美しい」「数学の美しさをすべての人に伝えたい」と思っていることだろう。しかし考えてみれば、絵描きさんや写真家さんたちだって、みな、自分たちの見つけた美を人々に伝えたいと願って日々努力しているはずだ。数学の美しさを伝えたいと思えば,絵描きさんや写真家さんが精進しているのと同じように、表現手段を見つけ、表現力に磨きをかけなくちゃならない。幾何学に王道はないというが、美術や音楽にだって、王道エル・カミーノ・レアールがあるわけではない。伝えたい美が数学の美であろうが風景の美であろうが、美を人々に伝える難しさや意義は同じだろうし、おそらくは、それは数学の研究の片手間にちょっとやってみるというお気楽なものではない。では俺たちは、数学の美をすべての人に伝えるためにどれだけの努力をする用意があるだろうか。そのために「象牙の塔」から出て行く覚悟があるだろうか。また、立場を変えて、自分がひとりの受け手になったとき、たとえばひとりの写真家あるいはひとりの画家が伝えようと悪戦苦闘している「視覚の美」と、ひとりの音楽家が伝えようと暗中模索している「音の美」を、「すべての人」の一員として真摯に受け取る用意があるだろうか。

アニメーション映画 Dimensions はたしかに美しい。それは数学の「美しいプレゼンテーション」(という表現は「美しくないプレゼンテーション」の論理的可能性を示唆する)であり「美しい数学」(という表現は「美しくない数学」の論理的可能性を示唆する)のプレゼンテーションである。プレゼンテーションの内容が数学だから美しいという結びつきがあるわけではない。バッハのフーガやエッシャーの版画や安野光雅の絵本にも、数学的な美が現成している。しかしそう言ってみたところで、美しいのはあくまでもDimensionsのCGでありバッハのフーガでありエッシャーの版画であり安野光雅の絵本である。そうした実例をもって「数学が美しい」と結論するのは論理の飛躍であろう。バッハにも安野にも、美しいけれども必ずしも数学的ではない作品はいくらでもある。数学的だから美しいというわけではない。「数学の美」を「視覚の美」「音の美」よりも上位に置くのは思い上がりというものである。

では、「数学の美」とは何なのか。そういうものがあるとして、俺たちはそれをどう把握しどう表現すればいいのか。


2009年1月19日(月)くもり

職場の工事が佳境に入っていて、なかなか仕事に集中できないが、だからといって何もしないでいるわけにもいかない。思い立って ineffable cardinalsubtle cardinal についてのいろいろな結果をまとめたノートを作りはじめた。集合論の標準的な教科書であるJechKunenの本でも、ineffable が演習問題にちょっと出てくるくらいで、subtle に至っては定義すら載っていない。そして、Kanamori"Higher Infinite" にはどちらも載っていない。そんなわけで、いろいろな結果をまとめたノートを作るといっても、あれやこれやの文献に断片的に載っている情報を調べ上げなければならず、なかなか面倒だ。もっとも、どこにもまとまっていないからこそ改めてノートを作る意義もあり、だとしたら、そのノートを作るためのまとまった情報源がないのは当たり前で、そんなことを嘆いていても始まらない。


2009年1月18日(日)くもりあめ

珍しく朝から夕方まで休日出勤。それなりにくたびれて帰宅すると、安野光雅の絵本『壷の中』と、森毅との共著『すうがく博物誌』(ともに童話屋刊)が届いていた。『壷の中』はとても美しい不思議な本だ。小学校へボランティアの父母が時々絵本の読み聞かせをしにいっており、俺がやるとしたら安野光雅の絵本がいいだろうと思って取り寄せたのだ。もう一冊の『すうがく博物誌』は、高校生の頃に京都の市立図書館で見つけ、それ以来大好きな本。


2009年1月17日(土)くもり

台所に置く新しい整理棚を組み立てた。通販で安く買ったもので、機能的なデザインではあるがあまり丈夫なつくりではない。そのうえ、木ねじを通す下穴が仕様どおりにあいていない箇所があって困った。午前中いっぱいかかって組み立て、やれやれと昼飯を食いながらビールを飲み、午後は少し昼寝をした。


2009年1月16日(金)くもり

一昨日書いたことの訂正。Windows環境のotfパッケージを使うのに必要なのはフォントのエンコーディングを指定するCMapファイルと、dvipdfmxコマンドが参照するフォント指定の*.mapファイル (それと、フォントを埋め込む場合には実際のTrueType/OpenTypeフォントファイル) だけみたい。だから、どうやら $TEXMF/packages はコピーしなくても大丈夫そうだ。てっとり早くするには、 \Program Files\Adobe\Reader x.x\Resource\CMap ディレクトリにある UniJIS-UTF16-HUniJIS-UTF16-V$TEXMF_LOCAL/fonts/cmap ディレクトリにコピーしてから、フォントを埋め込まない設定のマップファイル (otf-noembed.map) をDVIファイルと同じディレクトリに置いて

dvipdfmx -f otf-noembed.map hoge.dvi

のようにやればよろしい。いちいち -f オプションをつけるのは面倒だ、ということであれば、このマップファイルを $TEXMF_LOCAL/fonts/map/dvipdfm ディレクトリに置いておき、$TEXMF/dvipdfm/config/dvipdfmx.cfg ファイルのコピーを $TEXMF_LOCAL/dvipdfm/config ディレクトリに作って、その末尾に

f otf-noembed.map

という一行を付け加える。もちろん、mktexlsr をお忘れなく。ともあれ、サンプルのファイルをひととおり置いておくから参考にどうぞ

☆ ソースのTeXファイル hoge.tex
☆ それを platex コマンドで処理した DVI ファイル hoge.dvi
☆ それを dvipdfmx コマンドで上記のとおり処理した hoge.pdf
☆ フォントを埋め込まない設定のマップファイル otf-noembed.map

そして、昨日のかわいい雪だるまは、Adobe Reader 9をインストールするとついてくる新バージョンの小塚フォント(KozMinPr6N/KozGoPr6N)の字体だと思われる。PDFにせよTeXにせよ、フォントがらみのことはいろいろ複雑でややこしい。


2009年1月15日(木)くもり

朝、まだ暗いうちに目を覚ました息子が寝ぼけ眼で不機嫌そうに「おうちがちがってる」「こんなの【むすこ】くんのおうちじゃない」と言い出した。朝起きようという時間なのにこんなに暗いのは間違っている、という意味だったのだと推測するが、家の主のパパが聞いている横でその発言はいい度胸である。息子の一番の理解者であるママみろりによると、このごろの息子は少しずつ客観的な外界の存在を認識できるようになってきて、いままで無条件に抱いていた幼児的な万能感が維持できないことに気づき始めているのだろう、ということであった。俺の見るところでは、最近の息子は、知的能力が育ってきていることは認められるが、周囲の人間が自分を常に最優先に扱ってくれないことに常に不満を抱いているように見える。なかなか難しいお年頃だ。

昨日設定したWindows上のTeX環境でotfパッケージを使ってタイプセットしPDF化した文書を、EeePC上のAdobe Readerで表示してみたところ、雪だるま印の文字がすごくかわいくなっているので驚いた。これを入力するにはotfパッケージのコマンド ¥ajSnowman を使う。温泉印とリサイクル印は¥ajHotSpring¥ajRecycle{0}である。

Adobe Readerの画面キャプチャ
こんなかんじ


2009年1月14日(水)くもり

今日は【娘】さんが鍵っ子なので、早めに帰るつもりだったが、なかなか思うに任せなかった。

職場のWindowsマシンのTeX環境を整備して、otfパッケージを本格的に使えるようにした。奥村晴彦さんの本『LaTeX2ε美文書作成入門 改訂第4版』(技術評論社2007年)の付録CD-ROMからインストールされるTeX環境をそのまま使い、奥村本第13章の指示通りにやれば、MacOS Xではとくに何の変更もなしでotfパッケージが使えるのだけど、Windowsではそうなっていないみたいだ。そこで、必要なファイルをMacOS X版の環境からWindowsにコピーした。具体的には、MacOS X版の$TEXMF/fonts/cmap/ptetexディレクトリと$TEXMF/packagesディレクトリをWindows版の$TEXMF_LOCAL以下の該当箇所にコピーすればよい(オリジナルの$TEXMFは上書きしちゃいけない)。あと、dvipdfmxのフォントマップファイルにフォントの指定を追加する必要があるが、それは奥村本第13章の指示通りにやればよい。これはそもそも、年度末を前に発表会などが増えるこれからの時期には人名に正しい漢字を使った文書を作りたい、というD教授の頼みに応じるための作業だったのだが、なにしろD教授はいつも登場するタイミングが悪く、おかげで帰るのが遅くなったのだった。


2009年1月13日(火)くもり

このところ日記の更新が遅れがちなのは他でもない。自宅のパソコンのある二階の部屋に暖房がないせいで、こんな寒い日には、長文こねくり回しゴタク垂れ流し日記を書くためにパソコンの前で時間を費やす気にならぬ、というのが、第一の理由である。もちろん、子供が寝静まってからリビングでノートパソコンを使って編集すりゃあいいのだが、子供と一緒に寝入ってしまうことが多い。これが第二の理由である。しかしそんなこと言っていたら何もできない。時間がうまくやりくりできないと、つい、今度時間のあるときにまとめて、なんて思ってしまいがちだが、こういうものは少しずつでも毎日続けるべきだ。これじゃあ、一昨日と同じである。

先週に引き続き、夜は市民コンサート機関誌作業。少しずつではあるがおやつをみんなが持ってくる。おかげで帰宅後に夕食があまり食えず、妻に申しわけなかった。帰りの電車と、布団のなかでも少しだけ Marker の本の第2章を読み進み、レーヴェンハイム=スコーレム定理を読み終えて、次には Back and Forth method (行きつ戻りつ論法?) の話に入る。難しくなってきたから、慎重に進もう。


2009年1月12日(月) 成人の日くもりゆき

時折粉雪がちらつく寒い一日だった。そのせいか妻の体調が思わしくなかったので、食事の用意は三食とも俺が担当。妻は昼寝もしてリフレッシュできたという(けど、翌日午前2時まで夜なべでパソコン作業しとる。毎晩そんなことしてりゃ体調も崩すわな)。子供らがけっこうな時間自分たちだけで遊べるようになってきたので、少し楽になった。夕食後、四人で「ごちそう絵あわせカード」なるもので神経衰弱ゲームをやった。あのマイペース【息子】が子供なりにゲームのルールを理解して楽しめるようになったことと、あのやさしい【娘】がいざというときには殺気立った勝負士に豹変することがわかって面白かった。それぞれ成長の証である。


2009年1月11日(日)くもりゆき

昨日はとうとう Marker を読まずじまいだった。時間がうまくやりくりできないと、つい、今度時間のあるときにまとめて、なんて思ってしまいがちだが、こういうものは少しずつでも毎日続けるべきだ。反省しつつ第二章の冒頭部分を読む。

ツェルニー四十番練習曲の第七曲の、冒頭の左手の16分音符のパターンを練習していったら、【娘】が「きらくに きらくに… と聞こえる」と言い出した。先生にも脱力が十分でないと言われているところなので、さっそく楽譜に「きらくに きらくに」と記入し、頭の中で唱えながら練習する。娘よすばらしいアドバイスをありがとう。


2009年1月10日(土)くもりゆき

ええ。もちろん雪のアイコンも用意してありましたとも。昼食は川内のモンジュリ。

昨日はなぜか手元に本が見当たらなくて書けなかったけど、カントの引用で本当に書きたかったのは、「イスカンダル」のことではなく、新聞のことだった。カントは『自然地理学』の序文で次のように書いているという。

多くのひとびとは、新聞の報道など、およそどうでもいいようなことだ、とみなしている。そのことの原因は、ひとびとがその報道をみずからの置かれた場と関連づけてとらえることができないからにほかならない。彼らは、陸地、海洋、および地球の全表面について、何の見解ももっていない。しかしながら、そうでなければ、たとえば、氷海への船の航海について、何かあることが報ぜられると、そのことは、もっとも深い興味の対象となりうる。というのは、いうまでもなく今日ほとんどなくなってしまって、それだけにただ非常に待望されている発見とか、または、氷海を通っての全ヨーロッパ横断航海とかいう、今日ではまったくの可能性にとどまっていることがらとかが、かならずや、きわめて重大な変化を受けるにちがいない、と考えられるからである。(坂部恵『カント』214ページからの孫引き)

俺もいまは新聞を取ってないし、一時期のようにはラジオのニュースも聞いていない。まあ、一日に一度か二度、NHKのニュースサイトをチェックする程度だ。世界は関心の持ち方に応じて広くも狭くもなる。自分の目や耳をふさいで世界を自分から狭くしてしまうのは間違いであると、二百年も前にカントに指摘されていたのだった。


2009年1月9日(金)くもりあめはれ

朝はどんよりと曇っており、お昼まえに激しい雨が降り、夕方からは晴れて夜は明るい月夜になった。なんとも変な天気だ。夕暮れ時には濃いオレンジ色の夕日が建物を染めて美しかった。きっと高校三年生の諸君は校庭の楡の木陰で空を見上げて涙していたことだろう…って、ネタが古すぎます(それに、ニレは落葉樹だからこの時期は木陰もへったくれもないね。)

Googleスカラーというサイトでは対象を学術論文や学術書に限定した検索ができる。たとえばタイトルに Does size matter? を含む文献を検索したら424件あり、また、タイトルに Size doesn't matter を含む文献を検索したら62件あった。集合論やモデル理論だったら、研究対象の性質上、圧倒的に Size does matter が優勢という話になりそうだ。…って、何を調べてるんだろうね。

今日は、昨日の日記に書いたジュリア・ロビンソンの定理についての解説記事 (Dan Flath and Stan Wagon, How to Pick Out the Integers in the Rationals: An Application of Number Theory to Logic, American Mathematical Monthly, Vol.98, No.9, (Nov., 1991), pp.812--823) を読んだ。ハッセ-ミンコフスキの定理の解説もあって、勉強になった。この記事の時点でヒルベルトの第10問題の有理数版は未解決だったらしいけど、いまではどうなんだろう。…って、昨日といい今日といい、これじゃあ、プロフェッショナルな数学者としてのプライドのカケラもない発言ですね。

今年最初のピアノのレッスンの帰りの電車で、いつもチマチマした時間のあるときにチマチマと読み進めている 坂部恵『カント』(講談社学術文庫) の続きを読んだ。カントの著作を紹介する第3章の最初には『自然地理学』の序文が引用されている。そこにはこんな記述があった。ペルシャには長いあいだ二人の統治者がいて、一人はイスファハン、一人はカンダハルにいた。両者が雌雄を決しなかったのは二つの都市を海より広いケルマン沙漠が隔てていたからだ、云々。他のことなら、ふむふむといいながら読みすごしているところだけど、この二つの都の名前をみて、なるほど『宇宙戦艦ヤマト』に登場する地球の危機を救うお宝を持つ惑星の名前「イスカンダル」というのは、イスファハンとカンダハルを合わせたペルシャ人たちの夢の都の名前だったんだと気がついて、ずいぶん面白かった。この名前は、たしかニーチェだったか稲垣足穂だったかの本 (この二人の作家を並列するのも変だけど) で見かけたことがあるから、西崎義展あるいは松本零士の創作によるものではない。…って、だからどうしたということもないんだけど。


2009年1月8日(木)くもり

学校が始まった。例によって【娘】を連れて行くので朝7時過ぎに出発。寒いし久々の早起きなので調子が出ない。

昨日に引き続きDavid Markerの本を読む。有理数体 \((\mathbb{Q}, {+}, {\,\cdot\,}, 0, 1)\) において自然数の構造 \((\mathbb{N}, 0, {+},{<})\) が体論の1階言語で定義可能 (1940年代の、ジュリア・ロビンソンの定理) だとは、恥ずかしながらいままで知らなかった。なにしろモデル理論についても数論についても、こちとら門外漢なのだ。ちょっとびっくりして、コーヒーショップで「へぇ〜っ」と声を上げてしまったが、しかし、代数構造 \((\mathbb{Q}, {+}, {\,\cdot\,}, 0, 1)\) の1階理論が(判定アルゴリズムをもたないという意味の) undecidableであるというだけなら、さほど驚くべきことではない。フェルマーの最終定理の証明に400年を要したことからもわかるとおり、特定の代数曲線上に有理点があるかないか、という問題は、一般にはとてつもなく難しく、全数学史を通じてつねに新しい数学を生み出す豊かな母胎となっているのだから、 \((\mathbb{Q}, {+}, {\,\cdot\,}, 0, 1)\) の1階理論がペアノ算術を実質的に含むというのも、実はそれほど意外なことではないのだろう。このジュリア・ロビンソンの定理を聞いて俺が驚いたのは、きっと俺の頭の中には、「可算で自己稠密な全順序集合」あるいは「可算で自己稠密な距離空間」という、有理数の全体という対象のトポロジカルなイメージばかりがあったからだ。順序構造あるいは位相構造としての有理数全体の集合は均質でどこもかしこも同じ顔をしているから、そこでは算術の構造のような論理的に複雑な対象を定義することはできない。学部学生時代から代数の苦手な(というより、まじめに勉強したことがほとんどない)俺にとっては、有理数というのはそういう、あまり面白くない対象だったのだ。


2009年1月7日(水)くもり

朝、昨晩のご飯が残っているから久々に「パパチャーハン」でも作ろうかと冷蔵庫をあけたら、七草のパックが入っていた。妻が七草粥を作ろうと買っておいたようだ。妻が寝ている間に俺が四人分のお粥(残飯の炊きなおしだから正確にはオジヤなのかも)を作る。すずなとすずしろ(つまり蕪と大根)は分量が多いので、残った分はベーコンと舞茸を加えて炒め物にしてしまう。きょうは朝からいまにも泣き出しそうな曇り空である。い〜カードを作り直すために松山市駅までいかないといけない。窓口が平日の昼間しかあいていないのだ。

その後、まつちかのUCCでコーヒーを飲みながらDavid Marker"Model Theory: An Introduction" (Springer-Verlag, 2002)を少し読んだ。大学院レベルのモデル理論(というのはファッションモデルやプラモデルの批評ではなく、数学的構造をその構造を語る言語との相関という観点から調べる数理論理学の部分領域)の標準的な入門コースのテキストで、Bulletin of Symbolic Logicの書評でも好意的に紹介されており、実際わかりやすく書かれたいい本なのだが、なにしろ誤植やうっかりミスが多い。といっても、数学の専門書となると、そうしたミスの全然ない本のほうがむしろ珍しいから、訂正しながら読むことも必要で、それはそれで勉強にもなるのだ。その後、紀伊国屋書店へ行くと、前田利鎌の『臨済・荘子』(岩波文庫, 1990年)が再刊されていた。うれしくて早速購入。そんなこんなでお金を使ったので、昼食は少し安く上げて、はなまるのしょうゆうどん。


2009年1月6日(火)はれ

職場の建物はいま外壁の塗り替え工事中だ。で、塗装の前に古い塗料を剥ぎ取らないといけない。今日は俺の部屋の窓の向こう側で、グラインダーのガガガガゴゴゴゴギュイィィィーンというすごい音がする。こりゃたまらん。

なか卯で遅い昼食をとったが、あの音のなかでは文献を読むどころではないから、部屋に戻る気がしない。ノートとペンだけは持って出ているので、座るところさえあれば考え事くらいはできる。まだ年明け早々なので期待していなかったのだが学食があいていた。助かる。日当たりのよい席をとって、じゃあコーヒーでも飲もうと、自販機の紙カップのコーヒーを買うことにした。最近のこの手の自販機には液晶ディスプレーやら自動開閉扉やらついていて気が利いている。しかも、今回に限って、液晶ディスプレーに「あたり」の文字が。あたり? 紙カップ入りのコーヒーがもう一杯出てきても困るなあと思ったら、そうではなくて、代金が戻ってきた。カップのデポジット料金だけでも取りゃあいいのに。

紙カップ珈琲の当たりとは...
幸いにして、こうはならなかった

夜は市民コンサート機関誌の校正に行った。市内電車で行ったのだけど、なぜか降車時に い〜カードがうんともすんとも言わない。こういうことが前にも一度あったが、ICカードが壊れるということが時たまあるらしい。


2009年1月5日(月)くもり

仕事初めだがちっとも身が入らなかった。先が思いやられるなあ。

一か月前と比較して、このごろどうも考えが後ろ向きでよくないが、それでも自分のやるべきことを再確認できたという程度の意義はある。集合論の研究という点に関して言えば、俺は "Recursion Theoretic Methods in Studies of Set Theory" というテーマをもっと真剣にとりあげ掘り下げるべきだ。たとえば、古い話だが、Leo HarringtonAnalytic Determinacyと0#の存在の同値性を証明した議論をみてみよう。可算なオブジェクトに対するRecursion Theoreticな考察が巨大基数の問題とどのように絡み合っているのか、そのようすは実に面白いのだけど、Harringtonの定理の証明は、Steel強制を使うHarrington自身の証明、ある種の無限言語でのomitting typesの論法に訴えるMansfield&Weitkampの証明、よりRecursion Theoreticに可算順序数のコードからの定義可能性を考えるRamez Samiの方法が知られていて、どれも難しい。こうした既存の証明を検討し関連性を調べるだけのことでも、何もしないで自分の足元を掘っているよりはマシだ。


2009年1月4日(日)はれ

お昼過ぎに妻の実家を出発し、午後の船で松山に戻ってきた。小さなフェリーは混んでいて、船室に途中乗船の俺たちの席はないので、航行中は車の中で過ごした。おかげで昨日午後から読みかけていた『木田元の最終講義』(角川文庫ソフィア)を三津浜港に着く前に読み終えることができた。港の近くのラムーで食材を買い、【娘】に手伝ってもらって夕食のポークジンジャーを作った。醤油とみりんの配分を間違えたか生姜が多すぎたかで少し辛くなったけど、妻と【娘】は喜んで食ってくれた。

仕事も何もせずに世話になりっぱなしの一週間というのはいかなグータラの俺でも最後には少々心苦しいものだ。明日からがんばって仕事しよう。


2009年1月3日(土)はれ

明け方はなかなかの寒さで、戸外の桶に薄氷が張っている。取り出してみるとなかなかに美しい幾何学模様だ。

妻との共同作業で昼飯を作った。鍋で簡単に作れる鶏肉の燻製。俺は野菜を切ってコンソメスープで煮てつけあわせを作った。それで残った煮汁は本来なら捨ててしまうものなのかも知れないが、いい味が出ていたので塩コショウを足してワカメとゴマを入れ、昼食に添えるスープを作った。さらに、食い終わった鶏の骨は捨てる前にダシをとって、夕食の白菜のスープに流用。

元日にはDoddが1983年にJournal of Symbolic Logic (Volume 48, Number 1, March 1983)に発表したCoreモデルの論説を読み、今日にJensenが1995年にBulletin of Symbolic Logic (Volume 1, Number 4, December 1995)に書いた "Large Cardinals and Inner Models" を読んだ。どちらも非専門家向けの概説でしかないので、それだけを読んでもどうなるものでもないが、後者にはJensenの哲学的立場がかなりはっきり表明されていて興味深かった。昨年達成できなかった百冊以上の読書に加えて、今年はなるたけ多くの学術論文を読むように普段から心がけたい。すっかりナマクラになってしまった俺の集合論のセンスを取り戻すためにも、これからたくさん読まなくてはいけない。


2009年1月2日(金)はれ

初夢はよく覚えてないけど、なんせ仕事に行かなくちゃあとかなんとか思っている夢だったように思う。

下松のTHE MALL 周南へ行った。妻の古くからのネット経由の知人である ゆうまま さんとの初めてのオフ会のためだ。だから、俺は単に子供たちの面倒を見についていっただけだ。昨年の元日早々ここで眼鏡を新調したのを思い出す。妻の実家に来てからの四日間というもの海のものばかり食っているので、昼飯にソースカツ丼を食った。夜には、買い置きしてあった挽肉を使って肉味噌炒めをつくった。


2009年1月1日(木)/元日はれ

今年の目標は「お片づけをしっかりすること」「勉強できる環境を作ること」だ。もっと本を読みたい。もっといろんなことを知りたい。バカのまま死ぬのはいやだ。