て日


2006年 12月分


2006年12月31日日曜日

俺が朝からやる気というものを一切見せずにだらだらしている横で、妻は台所の掃除に邁進している。普段は掃除に手が回らないだけで、キッチン周りの油汚れのことが、実は気になっていたらしい。妻が頑張ったおかげで、台所はきれいになったが、両親に放っておかれた子供たちのいたリビングはすっかりいつものとおりのカオス状態だ。あはは。

カオス状態といえば、例年の「三日坊主めくり御教訓カレンダー」を買いに書店に行ったら、数学書の棚にアリグット&サウアー&ヨーク『カオス〜力学系入門』(シュプリンガー・ジャパン)1〜2巻があったので購入。先日、これの原書を2巻合わせた値段の倍くらいの大枚をはたいて取り寄せたところだ。訳書は12月28日発行とあるからずいぶん新しいが、原書を買った頃には訳書を刊行する準備は着々と進んでいたわけで・・・あ〜あ。あ、しかしよく見ると、訳本は全部で3巻まであるらしいぞ。

さすがに人通りの少なくなった大晦日の夕暮れの街から帰宅すると、妻が料理を作っている。年越し蕎麦の他に煮物が一品という質素なものではあるが、なかなかうまかった。いろいろの事情で普段はダメダメだが、時間とやる気さえあれば、妻はちゃんとうまい料理が作れるのである。・・・というわけで、ワインで乾杯して、来年もよろしく。


2006年12月30日土曜日

【娘】と【息子】の病気は徐々に快復に向かっている。少しは出かけさせないと、子供たちがエネルギーをもて余して困る。自転車に【娘】を乗せて買い物に行くことにした。まずセブンスターに行ってハーブティーと切り餅を買い、次にダイキに行って、自宅でだらだらするとき専用の厚手の靴下を何足か買った。これがあるとないとで、寒い夜の過ごしやすさが大きく違うのだ。あとは、ウオノメの貼り薬と養命酒だ。ダイキの近くにコスモスとかいう名のドラッグストアがあるので行ってみた。一応は薬屋なのだが酒と食品の扱いのほうがはるかに大きい。薬の他に、もう1種類のハーブティーと、ビールを買った。それにしても、ドラッグストアというのはどうしてどこも、照明が無駄に明るいんだろうな。

すっかり重くなった荷物を持って帰宅。あれやこれやを買ったと妻に話しても返事に元気がない。なんじゃこいつ、と思ったら、テレビで金田一耕助シリーズの『女王蜂』を再放送していて、ちょうど謎解きの場面だった。おかげで栗山千明ファンの妻は気が気でない。そんな買い物じゃなんじゃどーでもいい話は後にしろ、という気分だったに違いない。ごめん。(けど、買って帰ったチョコレートはドラマが終わる頃にはしっかりなくなっていた。)


2006年12月29日金曜日

【娘】の絵本がたくさんありすぎて片付かなくて困るので、子供たちも親たちも顧みないようなやつをいくつか処分することにした。ボタンを押すと電子音のメロディーが流れるタイプのものが数冊ある。【息子】はこういうのがわりと好きなのだが、俺はどうにもこれが我慢できないので、ドサクサまぎれに処分。ただし、電気仕掛けの部分だけを取り出して改造すれば、おもちゃとして再利用できそうだと思って、動物の鳴き声の絵本の電子回路部分を活かして、スイッチまわりの基板だけを自作し、スピーカーと電池を大きめのものに交換して、VHSテープの外箱に組み込んでみた。これなどは、大きなスピーカーに交換することで少しは音がよくなったが、メロディーが出てくるタイプのは、たいてい、スピーカーを替えたくらいではどうにもならないくらい音がしょぼい。


2006年12月28日木曜日

ここ数日【娘】が夜中にずいぶん咳き込むので、医者に連れて行ったら気管支炎だそうだ。おかげで京都への年末帰省プランは完全にパアになった。午後、家で【娘】の面倒を見ながら子供部屋を片付けた。


2006年12月27日水曜日

【娘】を耳医者に連れて行くと、滲出性中耳炎で、両耳に分泌液が溜まっていたので切開。【娘】はこれが怖くて仕方がない。わあわあ鳴いて大暴れするが、手慣れた看護師さん数名にむんずと押さえつけられてしまう。父親の俺は、術後にべそをかいている娘を慰める役だ。【娘】は待合室で泣きながらもしっかりと「ドーナツ・・・」とつぶやいた。こういうときは、よく我慢したご褒美にミスドに連れて行く習慣になっているからだ。フジグランのミスドに連れていってドーナツ二つを食い終わる頃には、機嫌が直っていた。


2006年12月26日火曜日

一転して雨だ。

【息子】の快復がいまひとつなので、年末には俺と【娘】の二人で京都に行くことにする。【息子】の成長ぶりを両親に見せる機会がなかなかなくて残念だ。

託児所の向かい側で、この数ヶ月、賃貸マンションの建設工事をしていた。数日前、とうとうマンションが完成し、ということは、いつも朗らかに挨拶をしてくれる加藤茶似の交通整理のおっちゃんとのお別れの時が来てしまった。残念だなあと思っていたら、俺だけでなく、託児所の職員の皆さんもママさんたちも皆、異口同音に名残惜しいと寂しがっている。ああ。人柄って大事だなあ。しばし、朴念仁で愛想のない自分を反省。


2006年12月25日月曜日

この数日は暖かだ。厚着をして歩くと肌着が汗でぐっしょり。

ようやく、『3001年終局への旅』を読んだ。『LaTeX2ε美文書作成入門』の改訂第4版が出ていたので入手。あと「トランジスタ技術」2007年1月号にはMSP430というちいさなマイコンボードの付録がついている。この雑誌は俺にはレベルが高すぎて難しいが、オマケの魅力に負けて買うことにした。


2006年12月24日日曜日

今朝は高校に戻った夢を見た。《高校生に戻っているのだが、ちゃんと一度卒業したことはわかっている。午後の授業がなんとも締まらない。今は京都で歯医者をしているシラハラ君と「なんでだろう」と話してみると、理由はどうやら、ホームルームに担任の先生が登場しないことにあるらしい。担任は定年間近の理科の先生で、最近やる気を喪失気味なのだ。》きっと、この理科の先生というのが俺自身の非社会的な性質の反映なのだろうと思う。

しかし、目覚めてから考えてみるに、いま高校へ戻ったとして、これでも数学者のハシクレだから、少なくとも数学に関しては当時に劣らずできるだろうし、物理だって同様だ。現代社会や国語なら関連づけできる経験の蓄積が少しはあるし、日本史や世界史だっておおまかな流れはわかっている。それに、英語に関しては当時とは比較にならないくらい修行が積んである。さすがに大学受験となると心もとないが、普段の授業についていく程度のことなら、たいていの教科はうまくやれるはずだ。ただし、体育実技はまったくダメだろうと思う。

夜、子供たちと妻のところにはサンタクロースが来たが、俺のところだけ来なかった。


2006年12月23日土曜日

義父母が孫の顔を見にやってきた。昼食の席に東急イン1階の「精進庵」を予約してあったのだが、なんと義母が船の時間を間違えていたらしく、予定していたより30分ばかり遅れての到着となるという。店に連絡したところ、昼食のオーダーストップが14時で閉店が15時。船は13時15分に三津浜に着く。むずかしいタイミングなので、妻が車に子供を乗せて三津浜へ両親を迎えにいっている間に、俺だけ先に店に入って注文しておくという作戦をとった。一行が到着したのが14時ちょっと過ぎで、注文しておいた料理も必要十分だったから結果オーライだったが、けっこうヒヤヒヤした。それはともかく、「精進庵」は (玄関先のクリスマスツリーを別にすれば) 店の雰囲気も良く、出てきた料理がみなおいしかったので、一同満足。お客さまを連れて行くのに好適かと思われる。

義父は10月の【息子】のバースデープレゼントも買ってないから、高島屋で何か買ってやると言ってくれた。そこで、ちょっと値が張るうえにかさばるが、木製の汽車の乗り物を買ってもらった。

おもちゃの汽車
こんなやつ

吹奏楽の練習のあとは、先週の忘年会に参加できなかったマエストロを中心に仕切り直して飲む予定だったのだが、当のマエストロが二日酔いだしタチバナさんは風邪気味だしで、お流れとなった。電車で帰ろうと電停のベンチに座ってから、練習場に2ヶ月ほど自転車を置きっぱなしであることを思い出した。鍵はポケットにあるが、練習場がすでに施錠されている可能性もあり、荷物も多く面倒なのでやっぱり電車で帰ることにした。寒い電停で長らく待った甲斐があって、車内でちょっと面白いものが見れたので、これまた結果オーライ。


2006年12月22日金曜日

託児所のクリスマス会があるが、開始時刻がピアノのレッスンと重なっている。普通ならばこういう場合妻が子供二人を連れて行き、俺が後から到着して のーぷろぶれむ なのだが、あいにく【息子】が風邪をひいて外出不可。ということは妻は【息子】の面倒をみるため家にいなければならない。仕方がないので、ピアノが終わってから俺が【娘】を自転車に乗せて行き、二人でちょっと遅れて参加。

今日の任務

この託児所のクリスマス会、5回目の参加にして初めて、パパママ寸劇の役がついた。演し物は「どうぞのいす」で、康平くんのパパ扮するクマさんの置いていったハチミツを食べて代わりにパンを置いていくキツネが、俺の役だ。気の利いたアドリブはできなかったが、ちょっとオーバーアクションぎみにお行儀悪くハチミツをなめて、壷を抱きかかえて「あぁ〜〜〜おいしかったぁ」と言ったらみんな笑ってくれたので、「こぎつねコンコンやまのなかぁ〜〜♪」と唄いながら退場。まあ、こんなもんでしょう。


2006年12月21日木曜日

昨晩はそんなわけで「いまは思い出せないだけで、これまでだっていいことやうれしいことがたくさんあったんだから、これからだって悪いことばっかりじゃないぞ」といい聞かせながら就寝。今朝、目が覚めた瞬間、風邪がだいぶよくなっていることに気づいた。風邪をひいたら、薬のんでゆっくり寝るに限る、という話。

テレビでNHKのうたのおねえさんが「静かな湖畔の森の影から〜♪」と唄っている。妻が「どうすりゃいかが、と(カッコウが)鳴くんだっけ?」と言ったのを、俺が「え? イカが鳴くの? なんて鳴くんだろう」と混ぜっ返すと、すかさず【娘】が「タコー♪タコー♪」と唄った。文字で書くとアレだけど、わが娘にしちゃうますぎる答え。


2006年12月20日水曜日

たしか機関誌の作業日だと思って市民コンサート事務所に行ったら誰もいない。22日の間違いだったらしい。22日といえば、すでにピアノのレッスンと託児所のクリスマス会が重なっている。言ってもしょうがないが、市民コンサートの会合はどうしてこういつもいつも間が悪いんだろう。

体調が悪いと気分もすぐれず、すっかり頭まで悪くなった気がしてしょんぼり。早く寝よう。


2006年12月19日火曜日

カラ咳でも体力を消耗する。頭がぼーっとしてきたので、一日くたばって過ごす。


2006年12月18日月曜日

この時期には毎年、カラ咳が出て、ちょっと喘息ぎみになる。宅配便の荷物を受け取ってから医者に行って抗生物質をもらった。出た薬は2種類で、ひとつは朝晩の食後に飲み、もうひとつは夕食後に飲む。それとは別に、抗鬱剤を朝食後に飲むことにしているもんで、もうなにがなにやらわからない。


2006年12月17日日曜日

小雨が降ったりやんだり。時々、木枯らしが吹いては、みぞれが混じる。寒い。

カンファレンスに来た人たちのうち、謎の東洋人フチノさんと、カダくんヨリオカくんウスバくんは、今日も残って、昨日から始まったトポロジーのシンポジウムにも顔を出している。そもそも今回のカンファレンスはトポロジーのシンポジウムのサテライト企画だったから、これはまったく自然の成り行きだ。彼らが午前中の一時間ちょっとの時間を昨日じゅうぶんにできなかったディスカッションに当てたいというので、俺の研究室を使ってもらった。ディスカッションが一段落してから、皆はシンポジウム会場へ出かけ、俺は部屋に残って少し仕事をした。お昼に再度合流し、ランチはいよてつ会館の中華料理。その後、お土産を買いたい人たちを三越に案内し、大街道バス停前で解散、となった。

夕方からは、今月3日と同様に営業演奏の練習。俺の書いた楽譜は「アリア・カンティレーナ」「ジェラシー」「素顔のままで」の3曲。指揮をしたマエストロから、音域に対する楽器の割当の選び方がまずいところを何箇所か指摘された。とくに「アリア・カンティレーナ」は現状のままでは伴奏とメロディーのバランスが悪すぎると自分でも思う。じつは編曲している時点でそのことはうすうす予期はしていたのだけど、どう直せばいいかわからなかったのだ。いっぽう「ジェラシー」は響きが良いと言ってもらえた。この曲の大詰めの、サックスの3声体でメロディーを吹く部分は、期待したとおりの音がしてうれしかった。頭の中で考えてもFinaleのプレイバックで確認しても、本当のところどんな音がするのかは、実際に演奏してみないとわからない。指揮者が編曲に関してはベテランなので、俺としては勉強になる。俺はいまのところドラムスの楽譜が書けないので、これも今後、パオ象の意見を聞きながら勉強したい。

次は24日の夜に練習しようかという案も出たが、さすがにそれは即刻廃案となり、さりとて平日の夜もみな予定が合わずで、年明けの7日と8日の連休にまとめて練習しようという話になった。

mixiの800番めのアクセスはnoieさんでした。おめでとう!! 何も出ません。


2006年12月16日土曜日

そんなわけで、温泉に入りたいという参加者数名とともに道後で朝湯を浴び、大学までの道を歩いた。これは学術プログラムの準備体操としては理想的だったのではないかと思う。そのせいではないだろうけど、限られた時間枠の中で内容の濃いカンファレンスができた。ただ、ディスカッションの時間を十分に取れなかったのは残念だ。こういった専門性の高い小規模なカンファレンスでは、プレゼンテーション40分+ディスカッション&休憩20分くらいが理想的か。

夕方はいつものとおり吹奏楽の練習。オーバーホールから戻ったばかりの楽器を持って、電車で練習場へ。オーバーホールの結果、ピッチの癖が変わっているはずなので、きょうの練習では替え指を一切使わずに演奏。ピッチはだいぶ修正されているが、まだ十分検証できてはいない。鳴りやすくなったのは確かだ。練習後、楽団の忘年会。今回はどういうわけか学生ら20歳代の若い人たちがおらず、大人ばかりの静かな飲み会となった。


2006年12月15日金曜日

小規模かつ非公式な学術カンファレンスを今日明日の2日間の日程でやる。そのために5人の学者さんが訪ねてきた。夕食には、彼らをおなじみ松山バーガンディに連れて行った。料理も酒も大変好評だったので、紹介したこちらもうれしい。隣のテーブルで飲み食いしていた女性4人のグループが、素面のときは標準語もどきを話していたのに、酒が入るに従ってコテコテの伊予訛りになったのが、皮肉にも面白かった。ちょっと飲んだくらいで馬脚を現すような気取りなら、最初からしなければいいのに。心根が卑しいと思う。今夜の締めは、からし屋のオロチョンラーメン。明日は道後温泉で朝湯を浴びてから大学で学術プログラムに移る予定。俺は研究発表のトップバッターなので少し準備をしないといけない。明日の朝、風呂に行ったりしている場合ではないかもしれないな。

あと、全然関係ないけど、「カピバラさん」は妻の好みのツボに入っていると思う。


2006年12月14日木曜日

なんか今日も金曜日のような気がして仕方がなかった。結局その理由は、金曜日から週末にかけての会合に意識が行っちゃってるということなのだろう。

今朝はなんとも妙な夢を見た。敵の探査用小型ロボットに見つからないように行動し敵の勢力圏から脱出しなければならないのだが、その敵というのがどう考えても普通の人間ではなく、異星人かなにかなのだ。寝る前に『2061年』を読んだせいかもしれないが、あの小説とこの夢ではストーリーのつながりが全然ない。


2006年12月13日水曜日

なんか今日が金曜日のような気がして仕方がなかったのだが理由はわからない。

子供たちが寝静まってから『2061年宇宙の旅』を読んだ。フロイド博士が百歳を超えて生きているという設定が妙だと思ったら、やっぱりそういう展開だったか・・・。というわけで、残るは『3001年終局への旅』だ。モノリスの創造者の謎が解けるのかどうか。興味津々だが、今週末はSF小説を読んでいるどころではなさそうだ。


2006年12月12日火曜日

『海馬〜脳は疲れない』を読んでよかったと思ったことの一つが、よく言われる「経験こそが自分の財産になる」という言葉に脳科学の観点からの裏付けが与えられるということだ。著者のひとり池谷さん自身が、あとがきで「この本は、私を含め、この地球上に生きるすべての人への応援歌である」と書いているとおりで、この本は、気持ちを楽にして積極的に行動するように促してくれる。

たとえばの話、ピアノの練習をしながら、「音符を一つ弾くごとに、脳細胞が火花を散らしてネットワークを拡大させていく」イメージを思い描くと、なんか、弾けば弾くほど頭が良くなるような気がして、とても前向きな気持ちになれるじゃないか。そして、すくなくとも「練習すればした分だけうまくなる」という意味では、「弾けば弾くほど頭が良くなる」というのはウソではない。


2006年12月11日月曜日

夜、ガリクソンから連絡があった。家に呼んで夕食につきあわせ、その後、近所の羅座亜留(らざある)で話を聞く。要するに本人の進退問題だ。ここで詳しくは書く気がしないが、鶏口牛後という言葉もあり、ウィンドで牛後に落ちるより、あちらで鶏口に立つほうがいい。そういう意味で、これは彼にとってチャンスではあるが、単細胞なくせして妙にフヌケなところがあるガリクソンのことだから、俺としては楽観はしていない。ともかく、練習について若干の技術的なアドバイスをして、宮脇書店へ行って楽典を一冊買わせた。

笑うバッグ
今日の話とは関係ないけど
昨日の横浜での買い物のときに妻が買った予備のバッグ
なぜか不敵な面構えで笑っている


2006年12月10日日曜日

クジラん&れいこさんの結婚パーティーの日。もちまえのハッタリ精神でサックスを少しとキーボードを少し演奏した。キャパシティ70名の店に100名近く呼んだもので店には立錐の余地もなく、伝家の宝刀テナーを出して組み立てることすらできず、サックスはもっぱらRingo師匠の持ってきたヤマハのソプラノを吹いた。それすら、準備時間中の最初の音出しの一瞬を普通に息を入れて吹いたら、5秒で店の奥さん(これがまた、昨日テレビで見た浅田真央をもっときれいにしたような美人)が飛んできて「まわりが普通の住宅街なんで、すみませんけど」と出ばなをくじかれる状態。だもので、実はサックスはほとんどまともに演奏していない。もっぱら、クジラん提供のヤマハS80で、即興演奏および無難な曲をその場アレンジで弾いてゴマカスということをやった。ざっくばらん、かつアトホームなパーティーで、「ではここで一曲」という改まった演奏のチャンスがなかったのが実は幸いで、馬脚を現さずに済んだ。

二次会じゃないけど、パーティーがお開きのあと、近所のデニーズで【娘】がめちゃくちゃハイになっていた。家でなら緊張がほぐれ疲れが出て、甘えんボモードで不機嫌になるところなのだろうけど、ごんぱぱ一家、とりわけ 素敵なまゆお姉ちゃん がいたので、サービス精神全開となったものと思われる。俺もすこし煽ったけどね。【息子】もごんぱぱに遊んでもらってご機嫌だった。

今回のお約束として、帰りの便のキャビンアテンダントも美人なのだった。離陸するころから怖がって機嫌の崩れた【息子】に一足早くジュースを持ってきてくれたお姉さんなんか、びっくりするほどの美人だと俺は思ったのだが、【息子】は差し出されたジュースにただ一言「イヤッ!」。まあ、そういいながらも、受け取って飲んで機嫌を直したけどね。着陸のときも怖い怖いと大騒ぎした【息子】だが、無事着陸したとたん、安心したのか「キャハハハハ・おもしろい・もいっかい!」だと。一回のフライトで二回着陸はできんわ。

昨日、出発前の松山空港で【娘】に ぷっちょ を買ってあげた。往路の飛行機の席に着いた【娘】は ぷっちょを幸せそうな表情で食っていた。羽田でカバさんちの みつきちゃん (4歳) に会って、別れ際に【娘】は ぷっちょを一粒差し出した。なんというか、【娘】にとって ぷっちょは特別なときだけ口にできる贅沢品であり、いわば 愛の証し なのだろう。ぷっちょごときでこれだけ幸せになれる【娘】がいとおしくなった俺たちは、昨日のうちに「帰りもぷっちょ買ってやるからな」と約束。ところが帰り道は、手持ちの現金も底をつき、それよりなにより、バタバタしどおしで、ぷっちょを買うどころじゃなかった。帰宅してから【娘】はそのことを思い出したので、妻が夕食を買いに行くついでに買ってくるはずだったのだが、あいにく近所のローソンには置いてなかった。それを聞いて【娘】はとうとう泣き出した。慌てて俺がヤマザキデイリーに改めて買いに走って一件落着。


2006年12月9日土曜日

横浜行きの日。

午前中に羽田に着いた。JAL機の俺たちの座っている区域を担当してくれたキャビンアテンダントは、二人とも美人だったが、俺の目にはどうみても、松山ウィンド元団員で元ミス松山のキヤマと幼稚園のメグ先生だった。羽田の第2ターミナルのマーケットプレイスでしばらく時間をつぶして、妻のオフ会で、カバさん一家+ハナさんと合流して昼食。飛行場の見えるアメリカンディナー・ザ・ベイのハンバーガー。サイズもアメリカンなのでみんな苦労していたようだけど、俺と【娘】と、カバさんのご主人 (情報科学系の学者さんで、あの「生協の白石さん」の高校時代の同級生) は完食。俺にはハナさんは、お酒好きのところといい風貌といい、「さーちゃんとおんちゃんに、さらにもう一人の姉がいました。」としか見えなかったが、まあそれはともかく、噂どおりの美人さんだった。

午後、横浜へ移動。天気さえよければいろいろ行きたいところもあったのだけど、この雨では仕方がない。ホテルに荷物だけ預けて、チェックイン時刻まで、馬車道界隈をうろうろする。妻のタリーズコーヒーびいきは今回の旅行で決定的になった。妻にとっては、出先でちょっと一服するコーヒーショップは、ドトールでもスタバでもシアトルズでもなく、タリーズでなければならない。理由はまあ、お察しいただけると思うけど。タリーズは徳島、高松には出店しているが、松山はまだだ。早く来てくれと妻は言っている。

夕方、妻子をホテルに残してRingo師匠と明日のパーティー会場の下見に行く。楽器の配置の段取りをして、さあ帰ろうと店を出かけたところで、同じく打ち合わせにきた新郎新婦に遭遇。手間が省けていいや。クジラんの奥さんは俺たちが想像していたよりまともそうな魅力的な女性だった。といっても、あのクジラんがマトモでない相手を選ぶはずはないので、俺たちの想像力が偏っていただけのことだろう。夕食は俺たち一家とRingo師匠で中華料理。


2006年12月8日金曜日

睡眠不足で仕事のエンジンがなかなかかからず、片付いたときにはピアノのレッスンに遅刻しそうな時間だった。楽器店に電話したところ、O先生には俺のあとのレッスンの予定はないが、帰宅するためのバスの時間が迫っているという話。なにしろ先生はクマなので(今年8月11日の日記参照)、三坂峠を超えて帰らなければならない。いままでも遅くまで残らせたことがあるが、大変申しわけないことをしていたわけだ。しかしそうはいっても、いまから時間をさかのぼって定刻にレッスン室に登場することはできない。25分遅れで行くと、先生はピアノを弾きながら待っていた。ツェルニー(百番練習曲の第92番)だけだけど、きちんと丁寧に見てくれた。次からは定刻に行けるようにもっと努力しなくちゃ、と思いながらも、来週は仕事関係でゲストが来る予定なので、お休みさせてもらうのだった。


2006年12月7日木曜日

朝から雨だ。明後日の横浜行きの天気はどうだろうね。

3日の日記に書いた編曲、とりあえず2曲大急ぎで書き上げた。今回は編成が独特なので、いままでサックスアンサンブルの楽譜ばかり書いていた俺にとってはなかなか勉強になる。Finaleで書いたからある程度はプレイバックで確認しながらやっているけれど、実際に演奏したときどんな音がするものか、はっきり言ってできばえに自信はない。ヴィラ=ロボスの「アリア・カンテイレーナ」は、チューバ担当者が肉zでなかったらはっきりいって演奏不可能なんじゃないかと思われる。それにサックス特にテナーは、目立っちゃいけないパートのくせに、無駄にしんどい。もう一曲はガーデのコンチネンタルタンゴの名曲「ジェラシー」で、大好きな曲でもあり、楽しんで書いたので音出しが待ち遠しい。

本当は「ショウほどすてきな商売はない」を編曲するつもりだったのだけど、この曲を編曲するというのは、伴奏のリズムを決め、曲の構成を決め、前奏と間奏を作ることを意味する。いわば、素材だけが与えられ、これで何かおいしい料理を作りなさい、と言われているわけだ。それで、手が止まってしまった。なんだかんだ言って、リズムに関しては、まだまだ修行が足りない。時間もないのでこの曲は放棄して、ひとまず「アリア・カンティレーナ」をやることにした。一口に編曲と言っても、「ショウほどすてきな商売はない」だと、いわゆるアレンジメントで、与えられたテーマによる作曲という傾向が強い。一方、「アリア・カンティレーナ」の場合は、完成品の図面をもとにして音色だけを別の楽器に置換えるトランスクリプションだから、まだしも話が早いのだ。で、それは一晩で片付いたので、昨日と今日で、以前にいちどサックス5重奏に編曲したことのある「ジェラシー」をやっつけた。これもアレンジメントだけど、タンゴの場合はミュージカルの歌ものと比較すれば、リズムパターンはだいたい決まっているし、曲の構成もほぼ一定で、いわば自由度が低い。それに、一度扱ったことのある題材だから、けっこう気が楽だった。

いやしかし、いちびっていろいろ書いておいてから、出てきた音がヘボヘボだったらいけないから、この話題は音出しするまでいったんお預けにしておこう。


2006年12月6日水曜日

アポロ11号が月面に着陸して人が初めて月に足跡をつけたのは1969年。俺がちょうどいまの【娘】と同じ5歳のガキの頃だった。そりゃあもう、本当に世界的な大ニュースだった。なにせ幼稚園児だった俺が覚えているくらいだ。さてその時の、初めての足跡の写真と説明文がNASAの児童・生徒向けサイトにある(LINK)。そのときは、とにかく世界じゅうがアポロ計画の話題でもちきりだったから、ガキの俺もこの写真は何度も目にした。

人類最初の月面の足跡
この写真だ

ガキの俺は「足跡やのになんでへこまんと盛り上がってんにゃろ」と(京都弁で)思ったが、そのときは「月っちゅうのは不思議なところやねんなあ」とか、いい加減に(京都弁で)納得して済ませていた。謎が解けたのは、その30年後、結婚直前だか直後だかに、妻と二人で北条の海岸(旧196号線沿いのアイスクリーム屋の裏あたり)を散歩していて、砂浜に残された鳥の足跡を写真に撮ったときだ。プリントされた写真の鳥の足跡が盛り上がって見えたので、俺はすぐに月面の足跡の写真のことを思い出した。しげしげとプリントを観ているうちに、盛り上がって見える理由がわかった。

試しに、さっきの写真を180度まわして上下を逆にしてみよう。

跡足の面月の初最類人
こうなる

これなら、足跡らしくへこんで見えるだろう。背景を切り捨てて足跡だけを写真に撮ってしまうと、周囲の状況がわからないから、どの向きから光が当たっているのかわからない。そうなると人間は無意識のうちに、光が上から差し込んでいると想定してしまう。だから、写真に写った光と影の加減によって、へこんでいるはずの部分が盛り上がって見えることがあるというわけだ。

で、なんでいまになってこの話をするかというと、『2001年宇宙の旅』を読んだ直後に『海馬〜脳は疲れない』を現在読んでいて、そこでこの現象が取り上げられていて、それで思い出したからだ。『海馬』は、月面の足跡の話こそ出てこないけど、これまたとても面白い本なので、足跡の話に興味を持った人は、ぜひ『海馬』も読んでみてください。

月面の足跡の写真を図書館で探していて、『ビヨンド』という天体写真集を見つけた。惑星探査機の撮影したデータをもとにした、月や木星や、木星の衛星たち、それに、土星の環などの精細な写真がいっぱい収録された、たいへん大きくとても美しい本だ。古書店でもなかなかの高値がついているようだ。この本を借り出して、家で【娘】に見せたが、【娘】はまだ、土星とか木星とか言われてもわからないし、そもそも「地球」というものを理解できていないので、天体の写真というものが理解できない。月面は実はデコボコだ、というあたりまでは興味を持ったが、あとはさっぱり。代わりに、『みんなのかお』を喜んで何度も見た。それでも、【娘】と【息子】がもう少し大きくなった頃に、『ビヨンド』そのものでなくても、似たような本がまた出るだろうから、一冊こういう宇宙に関する本を買って置いておこうと思うのだった。


2006年12月5日火曜日

『2010年宇宙の旅』を読了。これまたなかなか面白かったが、最大の謎はまだ解決していない。引き続き『2061年』と『3001年』を読むことにしよう。

これは4冊全部を読み終えてから「読書欄」に書くべきことかもしれないが、『2001年』と『2010年』を読んで思うのは、登場人物 (ただし人間サイド) がやっていることが、少々時代の先を読みすぎている面はあるにしても、それほど大きな飛躍を含んでいないということだ。自意識をもち神経症にまでなるコンピュータとか、人間を生きたまま冷凍保存しておく技術などは、いまのところ実現していないが、あながち不可能ではないと思われる。このシリーズはそういう現実に近いレベルの近未来の人間が、超人間的な知性と遭遇するという話なのだ。外惑星へ旅をする宇宙船だって、光子ロケットだとかタキオン粒子エンジンだとかではなく、ウランだかプラズマだか、なんらかの燃料を焚いて加速し、航路の大部分を慣性運動するというアポロ計画以来の由緒正しい航法で飛んでいる。木星や土星についての、NASAの深宇宙探査の調査結果 (執筆時における最新のデータにもとづく) も含まれている。コンピュータ科学者がミンスキーとかホフスタッターとかだったり (たぶん『心の社会』のミンスキーと『ゲーデル・エッシャー・バッハ』のホフスタッターのこと)、地球外生命探査 (SETI) について国際学会で熱弁をふるう学者がカールと呼ばれていたり (コーネル大学のセーガン教授のことに違いない) という読者サービスもある。そういう、事実をきちんとふまえた虚構だからこそ、楽しんで読めるのだと思う。これがワープ航法だとか亜空間通信だとかテレポートだとかの存在を前提としたスペース・オペラになると、嘘ごとが多くなりすぎて、俺にはかえって楽しめない。たとえばの話、スター・ウォーズなんかよく考えると、舞台が宇宙である必然性はなくて、魔法界が舞台であっても、それほど問題はないわけだ。

さて、そういう面白い本を読んだことで、日常に埋もれてつい忘れがちになる「面白いことへの渇望」がよみがえった気がする。思えば、俺は自分を刺激の少ない安全な場所に長いこと置きすぎた。10年前の俺には確かに精神的な安全地帯へ避難する必要があった。あのときはどうしても、やすらぎが必要だった。しかし、その状態で10年を過ごす理由はなかったと思う。心だって体と同じで、安静にしすぎると衰える。昨晩【娘】に言ったとおり、楽勝でできることを繰り返しているだけでは実力はつかない。若い脳科学者の池谷裕二さんは糸井重里との共著書『海馬〜脳は疲れない』の中で、このことを「生きることに慣れてはいけないんです」と言っている。

あ、こんなこと言ったからといって突然家を飛び出して冒険の旅に出たりはしないからご安心を。


2006年12月4日月曜日

夜もだいぶ遅くなっていたが、【娘】にひらがなの「ぬ」と「な」の練習をさせ、数字の勉強 (皿やカップを数え、先日用意した数字のカードとの対応を答える) も少しさせた。

【娘】は左利きで、文字というものは右手で書くようにできているから、きれいに形を整えるのは難しい。正しい筆順で書くためには、右利きの我々が「引いて」描く線を「押して」描く必要が出てくる。また、とくに意識して逆にしない限り、右利きの人はマルを時計回りに描く。左利きの人の場合はこれが自然に反時計回りになる。だから「ぬ」や「な」のようにマルのある文字 (ほぼ全部時計回り) も、左利きの【娘】には書きにくいはずだ。実際「ぬ」を描かせても「み」の縦棒を90度回転させたような妙な形になるので、何度かやり直させた。

【娘】は基本的にはひらがなと数のお勉強にきわめて積極的なのだけど、今夜は時間が遅く眠気もあったので、「むずかしい」と音を上げそうだった。俺は、そういうとき「難しいかもしれないねえ。でも、楽勝でできることをいくら繰り返しても実力はつかないよ」と、およそ5歳の子供に理解できそうもない答え方をする厳しいパパなのだ。もちろん、これは誰よりもまず俺自身に向けるべき言葉なのだけど。


2006年12月3日日曜日

午後、アイリッシュハープとフルートのコンサートに行った。今回の会場は県美術館の講堂。百席弱のこじんまりとしたホールで、サイズ的には室内楽の発表会にいい感じだけど、残響が多いから、金管楽器などの大きな音の楽器だと「お風呂」になるかもしれない。ハープにはちょうどいい残響だと思ったが、演奏した仙波さんによると、低音がハウリングしていたそうで、音楽用にはちょっと苦しいようだ。それでも、演奏内容はなかなか素敵だった。幼児同伴可ということだったので【娘】と【息子】を連れて入った。音楽に反応のよい【息子】が途中で大きな笑い声を上げたので、妻が抱っこして慌てて退場。【娘】はどうにか最後まで聴いていたが、とても退屈そうだった。

1月下旬にちょっとした出番があるので、夜になってから、松山ウィンドの何人かのメンバーとマエストロの学校で練習。今回やった曲はモーツァルトとロッシーニだが、話の流れで俺も1曲編曲することになってしまった。次の練習まで、ということは11日までにやらないと。ううむ。


2006年12月2日土曜日

吹奏楽の練習。テナーの新人が登場。二十歳そこそこの華奢な女の子だが、横で演奏した感じでは、音色もしっかりしていて、音量も出ている。なかなか頼もしい。これで俺もようやく隠居ができる、とか言っていたら、マエストロに「ヒゲサク先生が隠居したら松山ウィンドやなくなるやんか」と言われた。そりゃどういう意味なんだろう。


2006年12月1日金曜日

とうとう今年も師走だ。笑って年が越せるように、あと一息がんばりましょう。

アーサー・C・クラーク『2001年宇宙の旅』(伊藤典夫訳, ハヤカワ文庫)を読んだ。映画のほうはテレビで放映されたときに一度観ているが、ずいぶん印象が違う。しかしいずれにせよ、大変面白かった。続編も読むことにしよう。このところずっと「知るための」本ばかり読んできた (というより、読もうとあがいてきた) が「楽しむための」本も、もっと読むべきだと思った。

金曜日の恒例、ピアノのレッスン。ツェルニーを二曲 (No.92とNo.93) さらっている。バッハはあいかわらず手つかず。妻の職場の忘年会のため妻子は外食。会場は松山バーガンディだった。妻の報告によると、職場の人間模様がなかなか多彩なのでヒメノさんたちにアキレられたらしい。俺は自宅でおとなしく、朝の残りのご飯でコンソメ味のおかゆを作って食った。