て日


2006年 4月分


2006年4月30日日曜日

昨年のいまごろ (→2005年4月24日) 道後公園へ行ったら「夏めく」という季語で俳句大会をやっていてどーたら書いた覚えがあるけど、きょうは本当に「夏めく」という言葉がぴったりの快晴の一日だった。教会付属の幼稚園の日曜学校が終わって、園庭で遊んでいた子供たちだが、砂に水を混ぜての泥団子づくりが嵩じて、水を撒きちらかしてわざと水たまりを作り、ビッチャンビッチャンやりだした。【息子】にとっては初めての泥遊び。地べたにペタリと座り込んでスコップでバケツの中の泥水をかき混ぜていると、同じ年頃のキコちゃんが水道からペットボトルに水を汲んでせっせとバケツに運ぶ。なんか「職人とその女房」みたいないい光景になった。

一同いいかげん水遊びに飽きた頃あいを見計らって、俺が【娘】に足を洗わせ、妻が【息子】にシャワーを浴びさせた。ところが、俺たちが水たまりを砂場の砂で埋めて片付けはじめた時分になって、それまで年長さんらしく黙って様子を見ていたキコちゃんのお姉ちゃんのココちゃんが、片づけのお手伝いから次第に逸脱してお遊び開始。キコちゃんと二人でハネをあげながら走り回りはじめた。そこまで我慢していた反動か、これが止まらない。見かねたママさんがキコちゃんにシャワーを浴びさせ着替えさせたあとも、ココちゃんひとりが止めても止めてもバシャバシャ遊んでいる。まだ6歳になるかならずとはいえ、けっこうな美少女が下着姿でキャッキャ言って走り回っているのだから、ママさんは気が気じゃない。

普段は冷静な女の、スイッチが切り替わって普段の理性の足枷から解き放たれた姿というのは、俺たち男にとって、美しく魅力的でもあり、かつ恐ろしくもある。とかなんとか言ったところで、当年とって六歳さんでは仕方がない。いい具合に腹も減ったし、つられて【娘】と【息子】までお遊び再開してはたまらないので、泥で汚れた床をモップで拭いて、お先に失礼。


2006年4月29日土曜日

吹奏楽の練習。今日はなんだかよく鳴っていた。それでいままで気にならなかった細部の音の合わないのが気になりだしたということも若干あるにせよ、全体に、合奏が楽しかった。演奏会も近いことだし、毎回こうだといいな。あと一ヶ月ちょっとあるから、まだ多少の浮き沈みはすると思うけど、なんだか希望が見えるね。

10年以上サックスを吹いてきたけど、持ちかたが間違っているのではないかということに初めて気がついた。右手の親指の使い方なのだけど、俺はずっと、フルートを構えるときと同じように、親指の先で楽器を押していた。それで、サムフックなるものを、「なんでこんなものついてるんだろう」と思っていたのだけど、正しくは親指の関節のあたりをサムフックにひっかけるようにするらしい。どうりで毎度毎度薬指がつりそうになると思った。やれやれ、もう一度教則本をよく読んで持ちかたを矯正しなくちゃなあ。

練習後の晩飯は久々に焼き肉。姫原の「じゃんじゃか」のレシートを持って隣のナムコランドへ行くと、レシートの3,000円分でメダル100枚を出してくれる。今回は8人で2,000円の喰い放題コースだったので、メダル500枚だ。タチバナさんと肉zはそれで遊んで帰るというが、ガリクソンの車に乗せてもらっている俺はゲーセンには行かずに帰宅。


2006年4月28日金曜日

夕方、例によってピアノのレッスン。全然練習できていないで行ったら、先生に「今日はなんかいつもより力はいってますね」と言われた。つまり、固くなっていたのだろう。自分で意識していない意識が行動に出るというのが、面白いとかなんとか言っている場合ではないけど、面白い。

夕食は久々に茜屋のラーメン。店に入って席についてから、空腹と眠気でワーワーごねだした【息子】、ラーメンが運ばれてきたとたん、パチッとスイッチ切り替え、お目々キラキラになった。げんきんな奴め。

掲示板のスクリプトに手を入れたついでに、過去ログにさかのぼって表示する機能もつけた。まだ、「ひとまずつけてみた」程度のもので、あまり便利じゃないけどな。


2006年4月27日木曜日

何もしなかったので書くことがないです。


2006年4月26日水曜日

夕方から雨が降ったので、安全で快適な (いや、それほど快適ではないけど) 仕事場から出る踏ん切りがつかず、帰りが遅くなった。

掲示板に懸案のブラックリスト機能を実装した。今後は、アダルトな広告を書き込んだホストは片っ端から書き込み拒否リストに載せるからな。そのことを掲示板で告知して「そうなってからいくら謝ってもお父さん許さないからね」と書いたら、妻がその言い回しを妙に気に入ったらしい。

一昨日は「演習問題がいきなり難しい」と書いたけど、しかしEngelkingの『General Topology』はたいへん丁寧に書かれている。数年前に新版も出て(すぐ売り切れたので持っていない)、現在に至るまで標準的な教科書の地位を守り続けているのもよくわかる。だから、数学教室の図書室に数冊あるけど、どれも見事に使い古されてボロボロだ。集合論でいえばおそらくKunenの『Set Theory -- an introduction to independence proofs』がそれに近いけど、Kunenが強制法による独立性証明というただ一つのテーマに絞り込んだ書き方をしているのにくらべて、Engelkingはけっこう多くの内容をカバーしている。いわばA.Levyの『Basic Set Theory』とKunenを合わせたくらいかな。


2006年4月25日火曜日

妻の誕生日だ。夕方、一家で閉店まぎわのいよてつ高島屋に行って「くるりん」に乗ったあと、8階のとんかつ屋で夕食をとり、さらに宮脇書店へ行った。ケーキも何もない、とてもささやかなバースデーだった。プレゼントは日曜日に前倒しで渡してある。

今日になって初めて気がついたのだけど、Mac OS X版のFirefoxでは、コマンドキーを押しながらマウスホイールをまわすと、文字サイズを連続的(?)に変更できる。偶然気がついて、最初何が起こったのかわからずびっくりしたが、これは便利だ。おそらくWindows版にもLinux版にも同様の機能があるはず。

あ、元の文字サイズに戻すには コマンド+0 だよ。


2006年4月24日月曜日

Engelkingの『General Topology』(1977年版)の第6章を読む。演習問題がいきなり難しい。「それが知りたくて読んでるんだってば」ということが演習問題になっていたりするわけで。

うちの掲示板がスパムの標的になりだした。早いところ「ブラックリスト機能」をつけないとなあ。


2006年4月23日日曜日

桜のシーズンが終わったらちゃんとハナミズキのシーズンがやってくる。自然の営みというものはえらいもんだ。近所のハナミズキの枝に小枝を集めた鳥の巣のようなものがあった。おそらく、人通りの少ない時期に鳥が巣をかけはじめたが、新学期が始まり、朝8時過ぎに登校を急ぐ高校生たちの黒い流れにびっくりして放棄、というところかと思われる。

はなみずきと鳥の巣

午前中、妻が整体に行っている間、俺が子供たちを散歩に連れ出す。午後は4人揃ってグーグー昼寝をして、夕方から歩いて高島屋へ。7階で京都の老舗なんちゃらという催し物をやっている。下鴨茶寮とか五建とか松葉とか、たしかに名の通った老舗が出店していた。


2006年4月22日土曜日

演奏会が近づいてようやく人の集まりがよくなりだした。練習後、役員会。夜中の1時過ぎまで、いろいろなことをああだこうだと相談する。


2006年4月21日金曜日

勤務先で、数学談話会の発表ということをした。普段は集中講義に来てくれた非常勤の先生にお願いするのだけど、これからは月に1回は談話会をやろう、話してくれる人がいないときは自分たちでやろう、ということになって、まず俺が話すことになったのだ。先日投稿した論文の内容について、それなりにちゃんと話をした。それが終わって、さあピアノのお稽古に行かなきゃと思っていたら、S教授がやってきて「さっきの話だけど、あの定義はこうした方がよくないか」と言うので「そうかもしれないけど、本質から外れたところでムダに難しくなるからイヤだ」とか応戦しているうちに、6時を回ってしまった。ピアノのお稽古は6時半からだ。

今日は徒歩で出勤した。松山市駅に近いピアノ教室まで、歩けば30分はどうしてもかかる。電車に乗ろうと電停に行った。しかし、電車が来ない。JR松山駅から城北へまわって松山市駅に帰る1番と、逆に大街道から城北へ回る2番の電車が、それぞれ10分ごとに運行していて、普通は交互に来るのだけど、なぜか2番を2回見送って、さらにもうしばらくしてからやっと1番の電車が来た。電車に乗るときにちらっと時計を見たら、すでに6時27分。しかし、電車に乗ってしまったら電話連絡もできない(混んだ電車内で携帯電話を使うわけにはいかないのだ。) 結局、ピアノ教室についたのは6時50分。同じ遅刻でも、歩いた方が10分ほど早くついた計算になる。O先生は親切に普通どおりに時間をとってお稽古してくれた。残業手当がつくわけでもなかろうに、申しわけない。


2006年4月20日木曜日

今日は『雑用かたづけ日』と認定していろいろやっつけた。そもそも朝飯の用意をしたのも俺だ。それから、娘を幼稚園へ送って行き、散髪に行き、県立図書館で市民コンサートの例会プログラム曲目の資料作りをし、マンションの管理会社の変更に絡んだ書類その他いくつかの書類を処理し、会議にも出て、医者へも行った。そのあと書店へも行ったぞ。あす雨が降ったら、それは日頃グータラな俺が珍しくいろいろ片付けたせいかもしれない。


2006年4月19日水曜日

今日も俺が娘を自転車に乗せて幼稚園へ行った。共稼ぎ核家族というのは、家族の誰が倒れても大変だ。


2006年4月18日火曜日

・・・とかなんとかほっと一息ついている場合ではなかった。昨日の朝、【息子】が熱を出したのだった。昨日はそれで妻が医者に連れていき、俺は【娘】を自転車に乗せて幼稚園へ連れて行った。けさは妻が【娘】を託児所へ連れて行って幼稚園のバスを待たせ、俺が【息子】を病院に預けに行った。病院へ迎えに行ったのも俺で、そのあと1時間半ほど、家で【息子】の面倒を見たわけだけど、まだ言葉を話せない子供の世話は俺にはできないことが判明。言葉が出なくても、身振りなり何なりで要求を伝えてくれればいいのだけど、なぜか【息子】はそれも上手にできない。たとえば、首を横に振るのが、【息子】の場合は否定の身振りとは限らないのだ。そういう子供が自分では表現していない気持ちをこちらが推し量って、あれが欲しいですかこうされたいですかといろいろ試みるなんてことは、俺にはとてもできない。二〜三度提案して拒否されたら、もういやになる。別に【息子】が悪いわけではないのだが、お互いにとって緊張ばかり高まってつらいひとときだった。


2006年4月17日月曜日

ようやく給料日だ。滞っていた家賃を振り込んで、一息ついて、無駄遣いはできないけど文庫本を何冊か買った。ちくま文庫の桂枝雀爆笑コレクションがこれで全5巻完結だ。


2006年4月16日日曜日

イースターだというので、教会の日曜学校は特別に東雲学園のグリーンチャペルを訪れてイースターエッグ探しをするという。妻子は喜んで出向いて行ったが、俺はそれには行かず、少し家の掃除をして、少し考え事をして、のちほどロープウェイ乗り場で妻子に合流。いい天気だ。せっかくだからと、4人でロープウェイに乗って城山に登り、本丸で日光浴。帰りは、俺が子供2人とロープウェイに乗り、妻はリフト。下りはとくにリフトの方が気分がいいので、俺がサービスしたわけだ。それから、最近改装したロープウェイ街を4人で少し散策。午後には娘を図書館に連れて行ったり、(それで俺たち夫婦のお気に入り、矢玉四郎の童話を5冊まとめて借りてきたり)、洗濯物を干すのを手伝ったり、俺の口から言うのもなんだが、なんか「愛妻感謝デー」みたいだった。妻に言わせると、いろいろ手伝ってもらえるのも感謝デーだが、まる一日子供と一緒にいて俺の機嫌がもったことのほうがよほど愛妻感謝デーなのだそうだけど。まあそれはともかく、いい一日だった。


2006年4月15日土曜日

例によって吹奏楽の練習である。例によってリードの第2楽章はしんどいのだが、やりがいがあるのでついついがんばってしまう。第3楽章で気分変えないといけないのだけど、第2楽章が終わる頃にはすっかり酸素不足だ。フォーレ「レクイエム」の終曲の楽譜が上がってきた。チャイムとマリンバとオルガンで極楽気分を演出している。テナーはことさらに音数が少ない。練習後、ジョイフルで晩飯。マエストロとなかレまソも来て、県民文化祭で何をやるか、あーでもないこーでもないと相談。


2006年4月14日金曜日

さて、9日の日記に書いたアルヴォ・ペルトの第3交響曲だけど、全曲を通じて用いられる大切なモティーフを最後に念を押すようにトゥッティで演奏して終わる、そのモティーフが「カニ・カニ・カニ」と言っているように思えて、口に出して「カニ・カニ・カニ」と歌っているうちに、そうとしか聴こえなくなってしまった。そう思って聴いていると途中に「くらげ・くらげ・くらげ・・・」と言っているようなところもあるな。

ついでに、1日の日記に書いた黙示録の怪物レヴィアタンの話。あらためて黙示録を読み返してみたところ、1日に書いた話はあんまり正確じゃなかった。大天使ミカエルと戦って地上に叩き落とされる怪物(黙示録第12章)はレヴィアタンとは別のやつ(「悪魔とかサタンとか呼ばれ全世界を惑わす年を経た蛇」黙示録第12章第9節)で、そいつがそのあとでレヴィアタンを海から呼び出し(黙示録第13章)、天使の軍とふたたび戦うため、あるいは地上を制覇するために、ハルマゲドンという場所に仲間を結集させる(「三つの霊は、ヘブル語でハルマゲドンという所に、王たちを召集した。」黙示録第16章第16節)という話だった。よく知られた獣の数666というのは、このレヴィアタンを象徴する数字として黙示録に登場する(「ここに、知恵が必要である。思慮のある者は、獣の数字を解くがよい。その数字とは、人間をさすものである。そして、その数字は六百六十六である」黙示録第13章第18節)。だがその話の結末は、聖書にはあまりはっきりとは書かれていないようだ。というのも、龍とレヴィアタンが地上の王たちをハルマゲドンに召集したその次の節には、『第七の者が、その鉢を空中に傾けた。すると、大きな声が聖所の中から、御座から出て、「事はすでに成った」と言った。』(黙示録第16章第17節)と書かれていて、そのまま話は次のエピソードに移ってしまう。続く第17章では、幻視者ヨハネに天使がレヴィアタンの7つの頭と10の角の意味を話して聴かせるが、その言葉は謎解きというよりそれ自体が謎であって、結局レヴィアタンとその手下の地上の王たちがどうなったのか、はっきりとは書かれていないのだ。おそらくは「大バビロン」(というのは、暴君ネロの率いる大ローマ帝国の暗喩) を象徴する淫婦とともに、永遠の火で焼かれているということになっているのだろう。

しかしいずれにせよ、キリスト教の信仰の本質とはかけ離れたように見えるこうした神話的エピソードや奇怪な幻視に満ちた黙示録という書物が聖書の掉尾を飾るというのが、俺にはずいぶんと面白く思われる。著作権フリー聖書のWebサイトがあったので、黙示録のページにリンクさせてもらおう。上のパラグラフの引用文もそこから借りた。興味のある人は自分で黙示録を読んでみてくださいな。

ところで、レヴィアタンという名前は黙示録にはまったく書いていない。サタンに権威づけられて地上の王たちの主人となるこの海の怪物 (要するにこれまたローマ皇帝の暗喩であろう) をレヴィアタンに違いないと思うのは、旧約聖書の『ヨブ記』に出てくる海の怪物レヴィアタンをこいつと同定しているわけだ。『ヨブ記』というのは、信仰心が厚く善良でまったく非の打ち所のない人ヨブを、サタンに挑発された神が理由もなく不幸のどん底に叩き落とすという、聖書全巻中いちばんの異色作。ヨブにふりかかった災難は神に対してヨブが罪を犯した天罰に違いないと言う友人たちに答えて、ヨブは、自分は何も間違ったことはしていないと、どこまでも主張する。友人たちとヨブとの問答が『ヨブ記』の主要な部分なのだが、最後になってついに、神みずからがヨブに答える。その答えがまたとんでもないもので、俺には「居直っている」としか思えない。俺はこの世のすべてのものの創造者にして主人だ、牛の怪物ベヘモットとか海獣レヴィアタンとかを見よ、お前にはこんな連中を捕まえたり手なずけたりできないだろう、人間ごときが小賢しいことをガタガタぬかすな。神はおおむねそのような意味のことを言うのだ。その後結局、ヨブを間違った方向に説得しようとした友人たちを叱り、最後まで自分の信仰を曲げなかったヨブを以前にも増して幸福な状態に戻してやるということはしたが、サタンにそそのかされた自分というものについての反省などは一言もない。そりゃあ、あんまりだ。というわけで、この『ヨブ記』という書物のことが、俺の心のどこかに、いつもひっかかっている。

ぜひみなさんも『ヨブ記』を読んでみてください。旧約聖書に収録されているほか、「ヨブ記」だけ抜き出されて岩波文庫にあります。んで、C.G.ユングの「ヨブへの答え」(みすず書房)と、もう絶版になったけど、H.S.クシュナー 「なぜ私だけが苦しむのか--現代のヨブ記」(岩波同時代ライブラリー)も、あわせて読まれることをお勧めします。


2006年4月13日木曜日

ロープウェイ街が、最近舗装し直して見違えるようにきれいになった。おかげで徒歩通勤が楽しい。今日の昼飯は、そのロープウェイ街に最近オープンしたお好み焼き屋のテイクアウト。なかなか旨かったが、広島風お好み焼きを、いろいろの事情で冷めてから喰ったので、焼きそば部分がダマになって喰いにくかった。喰いにくかったが、旨かったことは旨かったので、次は関西風を試してみようと思う。


2006年4月12日水曜日

仕事の話のマクラに使おうと職場の庭で花を摘んだ。タンポポが二輪、シロツメクサが二輪。もう一輪の花は、子供の頃にホトケノザだと親に教わったものだが、どうやらいわゆるホトケノザとは違う草らしい。

職場の庭で摘んだ花

早いもので、【娘】の5歳の誕生日だ。


2006年4月11日火曜日

昨日からの雨の中を歩いて出勤。懸案事項のうち2件やっつけて、肩の荷を少し降ろす。もっとも、肩の荷はいっぱいあって一度に全部は降ろし切れないわけだけど。夕方には雨は上がり空に明るさが戻っていた。まあそんなこんなで、晩飯に妻が作った豚肉と厚揚げの煮物がとてもうまかった。

とかなんとか言っていたら、妻のパソコンが起動しなくなった。どうやらマザーボードの不調で、俺には直せない。もとより中古品でしかも半年以上無事に使えていたからには、メーカー保証など効かない。あ〜あ。さいわいデータは無事なので、しばらくの間は俺のThinkPadでしのいでもらおう。


2006年4月10日月曜日

朝から雨が降ったりやんだり。このシーズンは実は意外と雨が多いのだ。【娘】の中耳炎はやっぱり鼓膜切開で膿を取り除かねばならず、大泣きする【娘】を看護婦さんが無理から押さえつけるような感じで処置をしたそうだ。何も悪いことをしていないのにこんな目に遭ってべそをかいていた【娘】だが、ママが連れて行ってくれたミスドで託児所のおともだちのマーちゃんに会って、いっぺんで機嫌が直ったとか。友達って大切だな。

それほど悪くない気がしてきたので、いま手入れをしている論文もどこぞの学術雑誌へ投稿することにしよう。


2006年4月9日日曜日

今治市民吹奏楽団の演奏会へチラシはさみに行く。昨日マエストロの言っていたアルヴォ・ペルトの第3交響曲のCDが俺の家にもあった(!?)ので、さっそく今治へ向かうガリクソン車中で聴いてみる。なるほどたしかにペルトらしい音だ。しかし、終わりかたがなんだか唐突だな。チラシはさみ作業を済ませ昼飯を食って、差入の酒を買いに今治大丸へ行く。『魔界への誘い』なんて名前の酒があって、これはなかなか松山ウィンド的だとは思ったが、ちょっと気になることがあってそれは選ばなかった。今治市吹の老舗らしい演奏会を聴いたあと、近所のフラカッソで、ガリクソンとばっすぃーに手伝ってもらって後援申請の書類を書いた。やはりばっすぃーの字はすばらしいぞ。


2006年4月8日土曜日

午後は、市民コンサート事務局の輪転機を借りてチラシを刷る。明日の今治市民吹奏楽団の演奏会に持っていくのだ。

夕方からいつもの練習だが、今日は通し演奏をやった。毎回のことだが、演奏会2ヶ月前のこの時期に通しをやるとボロがいっぱい出る。練習後、マエストロのたっての希望により、何人かで南堀端の夜桜を見つつ飲む。


2006年4月7日金曜日

ちょいと用事があって、昼日中に山ぞいの住宅街へ歩いて行った。春の陽射しとそよかぜがいい気持ちだった。

ピアノのO先生のレッスン開始。M先生とポイントの置き方は違うけど、たとえば、トリルは指の力で弾こうとしないで手首を揺らすようにしたほうがいいですよ、というアドバイスをもらえて、目からウロコ的に嬉しかった。これからよろしくお願いします。


2006年4月6日木曜日

春らしい、陽射しの明るい日になった。あちこちの公園で桜が満開。今週末は花見客でお堀端もにぎやかになることだろう。

アラン・ルヴォーの古い論文を読んで、火曜日に自分の書きかけの論文に見つけた穴をふさいだ。


2006年4月5日水曜日

昨日よくなりかけていたのに雨の中を歩き回ったものだから、やっぱり微熱が続く。


2006年4月4日火曜日

機関誌作りの作業があるので、雨の中を市民コンサート事務局へ行く。咳が止まらず、頭がボーっとしているからろくに役に立てなかった。

鍵束の先につけていたUSBメモリディスク。外側が金属製だから頑丈だろうと思っていたけど、頑丈なのは外側だけで、まず鍵束のリングを通す穴の部分がはずれ、次には中身がスコンと抜け落ちてしまった。うわあっ。書きかけの論文やら何やら、大切なデータが入っているから、これには慌てた。基板とUSBコネクタだけになってしまった本体から、幸いにもデータを読み出すことはできたので、最悪の事態は避けられたが、ううむ・・・ それほど手荒に扱ったつもりはないけどなあ・・・


2006年4月3日月曜日

微熱が続く。


2006年4月2日日曜日

今シーズンはどうにか逃れられそうだと思っていたが、やはり喘息が出た。ゲホゲホやっているうちにまた熱が38度まで上がった。けっこうつらかったが、家族にはなかなか理解してもらえなかった。


2006年4月1日土曜日

吹奏楽の練習。フォーレの『レクイエム』の第6曲「リベラ・メ〜我を解き放ち給え」の楽譜が配られた。原曲のテンポ指示(二分音符=60)の倍(四分音符=60)というバカ遅テンポが指定されている。ゆっくりゆっくり進む。

Libera me, Domine, de morte aeterna, in die illa tremenda, quando coeli movendi sunt et terra. Dum veneris judicare saeculum per ignem. (主よ、わたしを永遠の死から解放してください。あの恐るべき日、天地が動く時に。あなたが火によって永遠の裁きに来られる時に)

通常のレクイエムでは独立した曲として歌われる「怒りの日」が、この「リベラ・メ」の中間部になっている。黙示録のイメージが描き出される。天使の吹くラッパの合図で地獄の釜のふたが開き、被造物中最強最悪の怪物レヴィアタンが登場して、大天使ミカエルの率いる天軍と最後の決戦をする。当然、俺たちはレヴィアタンの役。うひひ。レヴィアタンはあまりにも神の言うことを聞かず暴れてばかりだったので、神ご自身の手で取り押さえられ、地下の牢獄で最後の審判を待っているのだ。

Dies illa, dies irae, calamitatis et miseriae. Dies illa, dies magna et amara valde. (その日は怒りの日。災いと嘆きの日。大いなる苦しみの日)

それで気がついたことがある。天使のラッパの合図はホルンが担当するのだけど、7音からなる信号音のフレーズを7回(最後の1回は4音に縮小されているけど)演奏する。ちゃんと数合わせがしてあるわけだ。黙示録にかぎらず聖書にとって7と12は特別な数で、最後の審判に先立って世界に襲いかかる天変地異もすべて7回を一区切りとしている。本当の意味がどうなのかは知らないが、7は神が天地創造に費やした日数、12はイスラエルの失われた12枝族にかけてあるのだろう。一週間が7日であるのも、イエスの最初の弟子が12人であったとされるのも、聖書の「数合わせ」の一環だ。

練習終了後、役員会。やはり俺の頭は実務に向いたおつむではない。どちらかというと、世情に惑わされず世の中に背を向けて聖書の数合わせの研究なんかしているべき脳みそなのだ。だもんで、今回の演奏会以後、役員からは降りることにしよう。