て日


2004年 8月分


2004年8月31日火曜日

あたらしいiMacかっこいいね。ただ、第2子出産を間近に控えているいまは、新しいパソコンなんぞに手を出している場合ではない。初産ほどじゃないけど、なにかとモノイリなのだ。・・・とか何とか言っている間に、8月も終わり。

秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞ驚かれぬる (藤原敏行)

娘を託児所に迎えに行った帰り道のこと。道端で鳴く虫の声に、娘は「セミの音だ」という。「いや、あれはコオロギだよ。」と俺。そういえば今夜はずいぶん涼しい。昨晩の嵐から打って変わって、静かな秋の気配を感じさせる夜になった。それにしても、フライパンに残ったコゲのような、申しわけ程度しかない市街地の雑草の茂みの中で、よくもまあ毎年毎年、秋を忘れることなくコオロギの唄い始めることよ。雑草とコオロギの、生命力と律義さに頭が下がる思い。いやほんと、ヒトの思惑なんて自然の営みの前にはナニホドの意味もないのかも知れない。謙虚にならなくては。


2004年8月30日月曜日

一日寝て過ごしたので、書くことがありませぬ。外では風がビュービューいってます。台風16号です。各地で大きな被害がでています。大変です。

某所で「今日の占い」をチェックしたら、「仕事面では、朝起きたらまず1日のスケジュールを確認するようにしましょう。」と書いてあった。朝起きたらまず、なんて、そういうことは「明日の占い」で言って欲しいなぁ。もっとも、朝一番にスケジュールを確認するなんてのは、毎日の習慣になってはじめて意味のあることなんだけどね。


2004年8月29日日曜日

一夜明けて、きょうは、余土中学校吹奏楽部のコンサート。なのだが、会場がどこだったか忘れた俺は、あやうく●ックスオケの演奏会に行くところだった。昨日は南第二中が生涯学習センターだったから、てっきり余土中もどこかのホールでやるんだと思い込んでいたうえに、図書館へ行くためにキャメリアホールの前を通ったら、ロビーでサックスの練習をしている生徒さんたちがいたので、勘違いが強化されてしまったのだ。あぶないあぶない。

余土中学校のコンサートは、お向かいの余土小学校の体育館を借りての演奏だ。いってみると、オープンな気楽な雰囲気でのんびりと進行しており、これはこれでまたいい感じ。余土小の金管バンドと肉Zの勤めるさくら小の金管バンドもゲスト出演。小学生が《テキーラ》を演奏しているときに、余土中のSR先生 (マエストロO久保の恩師) は客席の後ろで中学生たちと一緒に輪になって踊っていた。きっと、あの先生はこういうことが本当に芯から好きなんだろう。

と、まあ、非常に楽しい演奏会だったが、俺たち一行の ガキども 子供らがあまりにもお行儀悪かったので、終演を待たずに退散。


2004年8月28日土曜日

コンサートのメインは、マエストロO久保の指揮する、南第二中学校の吹奏楽部。その合間に、俺たち松山ウィンドオーケストラと、近隣の小学校のジュニア吹奏楽団が、それぞれ何曲かずつ参加する。中学生の演奏は、コンクールのときにも増して、パワーと集中力がすばらしかった。

俺たちの演奏した『春の猟犬』を聴いて、中学生たちはO久保先生に《あたしらもあの曲やってみたい》と要望したという。気に入ってもらえたのね。よかったよかった。

夕方から、二番町の牛角にてウチアゲ。普段の食い放題よりちょっと高級な焼き肉。ゆずサワーがおいしかった。

来週からは県民文化祭にむけて頑張りましょ。


2004年8月27日金曜日

いやあ、やっぱりウォーミングアップはきっちりやらんと、ろくな音が出んわ。

明日は中学生のコンサートに俺たちがゲスト出演。負けないように頑張ってきます。


2004年8月26日木曜日

今朝、またまたろくでもない、妙な夢を見た。

夢:《どこかの、それほど大きくない街にいる。原付の保険が切れたので、バイクショップに相談に行く。若い店員が親切に相談に乗ってくれるが、この店員はなぜか話しながら後ろから抱きついてきた、気持ちいいような悪いような、変な感じ。背中に当たる胸のふくらみも話す声のトーンも女のものだが、振り返ってみると、まだ20歳になるかならんかの若い男だ・・・。なんだそりゃ。店を出ると。外はなぜか休日の神戸ハーバーランドのような人込み。なにかのお祭りなのだろう。しばらく歩いてから、ズボンのポケットと財布がナイフで切られ、財布の中身のほとんどを抜き取られていたことに気がつく。犯人はさっきの店員とその仲間に違いない。店へ怒鳴り込もうと引き返す。早く行かないと、犯人は祭りの人込みに紛れて逃げてしまうだろう。が、身体が重く、なかなかまっすぐ歩けない。その店は海辺か河辺の土手に建っている (やっぱりハーバーランド?) ので、裏から近づくと、倉庫の二階に店があるように見える。》

とかなんとか書いていると、能天気な夢を見て楽しそうだと思われるかもしれないけど、あんまり妙な夢を見ると、目が覚めたときにどぉ〜っと疲れているのよね。


2004年8月25日水曜日

宮沢賢治の『ポラーノの広場』を、きょう初めて、青空文庫で読んだ。涼しげなイーハトーヴォの風景と純朴な若者たちの希望に満ちた表情が目に浮かぶような、すてきな物語だ。マックユーザは先刻ご承知だろうけど、Mac OS X Panther のフォント管理アプリケーション "Font Book" では、日本語フォントの表示サンプルにこの『ポラーノの広場』の一節が引用されている。

Mac OS X Pahter の Font Book

Mac OS Xがらみでもう一つ。アップルの日本語サイトで導入事例として紹介されているエス・ピー・シーという会社は、自宅から目と鼻の先のご近所だったりする。見慣れたビルがアップルのサイトで大きく紹介されていて驚いた。あ、駐輪場がPhotoshopの魔法で消されてますな。


2004年8月24日火曜日

久しぶりに、妻と二人でランチタイム。チサンホテルの点心酒家に行った。その後、託児所へ娘を迎えに行き、妻と娘は幼稚園の面接へ。二人でランチに出かけるというのは、面接のために午後だけ仕事の休みをとった妻の発案なのだが、妻にとっては心からリラックスできるボーナスタイムだったらしい。いいことだ。俺としては、いい気分で中華料理を食いながら、「家での食事が気分的に落ち着かない理由の一つは、ムード作りをさぼっていることにあるかもしれないなあ」などとちょっと反省した。妻のお気に入りの(俺はキライだけど)通販のカタログにあるような《セレブな午後のくつろぎのひとときを/わたしらしく小粋にアレンジ》(げ〜気持ち悪ぅ)な生き方を少しは見習うべきかもしれない。


2004年8月23日月曜日

昼間はすこし晴れ間も見えたが、夕方から激しい雷雨。

このところ、夜あまりぐっすり寝させてもらえない。そのぶん、できれば昼寝もする。このところ妙な夢をよくみる。「宿屋で借りた自転車で秋葉原に行く夢」「古い木造のお屋敷へ訪ねていって、そこの住人に、この家を土地ごと買いますなどと、大きなことを言っている夢」「商店街の魚屋さんの前に自転車を置いたら、荷台とサドルの上にトロ箱をいっぱい積まれてしまった夢」などなど。ばかばかしくて分析する気にもならんけど、秋葉原はともかく、そろそろまた都会の空気が恋しくなってきたのは事実かも。


2004年8月22日日曜日

次の土曜日にまた吹奏楽の出番があるので、今日は追加練習の日。昼間、パートあるいはセクション別の練習とか個人練習とかをやって、夜に合奏。非常に実のある練習になった。本番直前で音楽の方向性もだいたい定まっているし、楽員の意識も高まっている。昨晩の通常練習の時にはすでに今日の追加練習の予定は周知されていたので、今日は昨日の練習でとくに気になった部分を集中的に合わせることができた。俺たちの楽団には、パート練習のための決まった時間はないので、こういう練習の機会は大変貴重なのだ。個人的には、新しくおろしたリードが大当たりで、コントロールが楽だったのも幸いした。本番もこのリードでいこう。

しかし、さすがにチトくたびれたな。


2004年8月21日土曜日

吹奏楽の練習のあと、例によって皆で夕食へ。高砂町から谷町のガストまで自転車で行くのはつらいので、しばきやパオの車で運んでもらった。帰りは再びパオの車で練習所の近くまで運んでもらったのだけど、高砂町は北向き一方通行。遠回りさせては申し訳ないので、木屋町で降ろしてもらった。しかし、夜も11時前だから、練習所の駐車場は当然のことに施錠されていた。不覚だ。面倒でも高砂町まで回ってもらっていたら、改めて家まで乗せてくれるように頼めたのにね。幸い明日も同じ場所で練習するので、楽器やら何やらは持たずに帰れる。そこで、歩いて帰ることにした。30分近くかけて歩いて帰ったら、娘がまだ起きていてびっくり。いったん寝たけど、妻が『熱闘甲子園』を見ようと居間へ出てきたときに、一緒に起きてしまったらしい。きょうびの子供はなかなか健康的な生活をさせてもらえないわけね。


2004年8月20日金曜日

ピアノのレッスン日。11月下旬に発表会があるので、そろそろそのための曲の練習に入らないといけない。今年は、妻の大好物、久石譲の《Friends》をやるぞ。がんばりましょう。

一日二錠ずつ飲む薬があるのだけど、ときどき飲み忘れるので、薬の袋にちいさなカレンダーを入れてチェックすることにした。

戦時中の、もとい 、先日の、「金髪女はアホだ」というメールは、要するにエロサイトの広告であることが判明。なんじゃ。つまらん。週末を狙ってその手のメールを集中的に発送する業者がいるらしいな。


2004年8月19日木曜日

きのう、注文していた洋書が何冊か届いた。それで、『奇想、宇宙をゆく』の感想文に、原書を見てわかったことを追加で書いた。それと、きょう読み終えたブルーバックス『宇宙核物理学入門』の感想も「てなさく読書欄」に公開した。だけど、これらの本に書かれていることを本当に理解するためには、量子力学とか素粒子論について詳しく知る必要がある。それで、A.Zee著『Quantum Field Theory in a Nutshell』という本も取り寄せた。タイトルの意味はもちろん「場の量子論・早わかり」だけど、逐語訳だと「木の実の殻に入れた、量子の畑の理論」となる。ずいぶん大きな (536ページある) 木の実だこと。表紙の絵柄が麦畑かなにかの畑 (field) だってのも、洒落が利いてていい・・・頑張って読まないと。

いっしょに、伊武雅刀『Môn-Jah』も届いた。「子供達を責めないで」を20年ぶりに聴いて爆笑。子育てに悩む立場になってから聴くとこりゃタマリマセン。歌詞というかセリフは秋元康の作。この人は昔からこういうのを書かせるとうまかったのね。


2004年8月18日水曜日

御幸寺山 (みきじさん) について しつこくWeb検索を続けるうちに、家木治さんという、最近物故された松山の洋画家のことを知った。家木治の世界というWebサイトがある。ギャラリーのページでは御幸寺山や松山城、石鎚山など、愛媛県の風景を描いたすばらしい絵画のスライドショーを見ることができる。パソコン用の壁紙もダウンロードできる。27日まで伊予銀行一万支店でロビー展をやっているらしい。職場にも近いからちょっと行ってみよう。


2004年8月17日火曜日

きちづくりって・・・(^^;

上の写真は、某県某町の役場に勤めるナニガシさんがメールで送ってきてくれた、絶妙な誤植。どんな基地を作るんでしょうね。なんらかの国家的プロジェクトの秘密基地だったりしたら、この写真を見たあなたも俺も命が危ないから、今夜は戸締まりをしっかりして寝ようね。

誤植を訂正したつもりが、次には「もちづくり課」か何かになってたりして。

ついでのことに、「まちづくり」を「まちずくり」と誤記しているWebサイトがどれくらいあるか、Googleで調べてみたら、397件ヒットがあった。「まちくづり」ですら、5件ヒットした。しかし、このテの誤記は俺もやっているかもしれない。気をつけなくちゃ。


2004年8月16日月曜日

きのうダイソーで買った一枚105円のお皿は、その晩から大活躍。ちょうどいい大きさのお皿がいままで足りなかったのだ。なにしろ、[ちょうどいい大きさ]→[よく使う]→[早いこと割れる]という宿命があるからね。

一枚105円のお皿

金髪女を責めないで、というお話・・・

職場のメールアドレスは公開しているので、毎日かなりの数の迷惑メールが届く。たいていは、読まずにゴミ箱直行なんだけど、けさ、「A JOKE」というサブジェクトで、こんな文面のHTMLメールが届いた。ま、ありがちなアメリカンジョークだな。

An office exec was interviewing a blonde for an assistant position, and wanted to find out a little about her personality. "If you could have a conversation with anyone, alive or dead, who would it be?" "I'd have to say the living one."

試訳:
会社の専務が秘書をひとり雇うことにした。面接に、ブロンドの女がやって来た。
人柄を知りたいと思って、専務は訪ねた
「どんな人とでも、会って話ができるとしよう。
いま生きている人でも、もう死んでいる人でもいいんだけど、どういう人と話す?」
「そりゃ、生きてるほうに決まってるでしょう」

A blonde with two burnt ears went to the doctor, who asked what had happened. "The phone rang, and I accidentally picked up the iron." "What about the other one?" "They called back."

試訳:
病院に、両耳をやけどしたブロンドの女が駆け込んできたので、医者はたずねた。
「どうしちゃったんですか?」
「電話が鳴ったんで、うっかりアイロンをとって耳にあてちゃいました」
「もう一方の耳は?」
「もう一回かかってきたんですよ」

文章はこれだけだった。普段HTMLメールを開かない設定にしているので、インライン画像は見れなかったし、リンクも開かなかったから、どういう広告メールだったのかはわからない。「ブロンドの女はバカだ」という差別的プロパガンダでなければ、バカにつける薬か毛染め剤の宣伝なのだろう。

というわけで、次は、迷惑メールは開かないほうがよい、という話・・・

まず、差出人に心当たりのないメールの添付ファイルを不用意に開くと、ウィルスにやられてしまいかねない。トロイの木馬型ウィルスってやつですね。だから、心当たりのないメールは開かずに削除するのがよろしい。

HTMLメールを自動的に表示する設定にしていて、送られてきたHTMLメールに <IMG> タグが含まれていると、こちらの知らない間に、メールソフトが自動的にどこかの (差出人が指定する) Webサーバにアクセスしてしまう。これは「いま俺はメールを読んでるよ〜」ってことを、わざわざ差出人に知らせているってことだ。それで、迷惑メールの送り主 (spammer) に「なるほど、このアドレスに送れば読んでもらえるのね」と判断する材料を与えてしまう。なにせ spammer は 下手な鉄砲も数撃ちゃなんとやら で、無数のメールアドレスに同じメールを送っているから、いま現に使われていて、確実に受け取ってもらえるメールアドレスだとわかると、そいつぁアリガタイとばかりに、更なる迷惑メールを送り付けてくれるだろう。それを予防するためにも、心当たりのないHTMLメールは開かないのがよい。

迷惑メールは、郵便受けに入るアヤシイ金融業者や風俗営業のチラシと同じで、いまさら撲滅することは不可能なので、もう相手にしないのが一番。読まず開かずゴミ箱へ直行。そのためにも、「HTMLメールの画像を自動的に表示しない」「プレビュー表示をしない」「添付ファイルを自動解凍しない」などの設定を (できる限り) すべきだし、それができない電子メールソフトは、なるべく使わないほうがいい。

済美高校勝ってよかった、という話・・・

いやあ、かっこいいねぇ鵜久森くん。打ってホームラン守ってファインプレーだもんなあ。福井君は、相手の投手にデッドボール喰らわせて、次の打者にもあわやデッドボールかという場面 (ストライクゾーンで当たったからデッドボールじゃないらしい) があった、そこで動揺するかと思ったら、それどころか、牽制球で2塁走者刺殺したり、これまた大活躍で完封勝利。かっこいいねぇ。

夏の甲子園という晴れ舞台で大活躍できる球児たちは、本当にうらやましい。大きな晴れ舞台を与えられていることもそうだし、その晴れ舞台で力を出しきって活躍できる強さもうらやましい。

もちろん、厳しいトレーニングを重ねてきたのだろう。試練に耐え、その上に大輪の花を咲かせる。たくさん食ってたくさん働く。たくさん息をすってたくさん吐く。何かに賭けて何かをつかむ。幸福な人生とは、つまりそういうことなのだろう。彼らと比べて、俺はなんとつまらない人生を歩んできたことか。世間に背を向け、くだらないことにばかりこだわり、失敗を恐れ、努力を怠り、こうして高校球児たちの倍以上の年齢になるまで、時間を無駄に過ごし続けてきた。怠惰・安逸。もう、情けなくて涙が出るよ。

生きてるうちは取り返しもつくとはいうものの、ねえ・・・


2004年8月15日日曜日

ダイエー南松山店に買い物に行った。先日うっかりケトバシたら穴があいてしまったバケツの代わりやら、娘の新しい靴やら買った。お盆休みだからなのか何なのか、3,000円でガラポン抽選1回とか、1,000円分のレシート提示で玉子6個パックをプレゼントとか、10,000円ごとに500円の商品券を還元とか、いろいろお得っぽかったので、思い切って今度生まれてくる子のための新しいベビーカーも買った。なんじゃかじゃの合計で、ガラポン抽選8回分の権利を獲得。妻と俺は白玉ばかり出したが、娘が3等 (3,000円相当のギフトセット) を1回と4等 (500円商品券) を2回当てた。店の人いわく「欲がないと強いなあ〜」。ギフトセットは、馬路村の柚子製品詰め合わせだった。合計5,000円くらい還元された感じで、お得感満載。ダイソーでかわいいお皿も買えたし、余は満足ぢゃ。

柚子製品の詰め合わせセット内容
これが馬路村セットだ

話はコロっと変わって、最近愛用のソフトウェアのこと。Dr.Betotteでメトロノーム音とコード進行を無限ループ再生した上に、Forestで自然環境のSEをこれまた無限ループで重ねる。コード進行は

C → G on B → Bb → F on A → Ab → C on G → D7 on F# → G7

という、よくあるパターンを自分でプログラムしてみた (やり方はDr.Betotteのヘルプ画面を見てね)。テンポは4分音符=60bpmで、4分の3拍子にする。これを、Excelのデータ入力の作業とか部屋の片づけをしているときにBGMがわりに使うとなかなかよいのです。あと、筋トレをする時に、60bpmの4拍子で8小節のコード進行パターン(合計32秒)をBGMとしてループ再生しておくといい。30秒サイクルの運動をするのに、数字で30数えるより、このほうが気持ち的にゆったりとトレーニングできるのだ。あとは、休日などに、メトロノーム音をミュートして、コード進行と、Ocean Wavesで生成した海の波音を重ねたものをボケーッと聴いて脳みそのシワを伸ばすとか。もちろん、楽器の練習にまともにメトロノームとして使うこともできる。というわけで、Dr.BetotteとOcean WavesとForestは、オススメです。


2004年8月14日土曜日

大洲へ行った。大洲市民吹奏楽団の演奏会を聴くためだ。19時開演だが、松山駅15時28分発の長浜まわり各駅停車に乗って行った。缶ビールを飲みつつ、車窓に広がる伊予灘や肱川の景色を楽しみつつ、本を読みつつ、のんびりと2時間かけて行った。会場の大洲市民会館は大洲城のお膝元にあり、JR大洲駅からは歩いて15分ほど。国道を歩くと、松山ではついぞ耳にしないミンミンゼミの声が聞こえる。

大洲の街。お金もうけのことしか考えない人の目には「不景気・さびれている」とばかり見えるかもしれないし、実際、産業面では切実なものがあるのだろうが、そういうことにトンと疎い俺には、懐かしさを感じさせる《いい》町並みだ。

演奏会では、小さいながらバランスよい編成の、伸び伸びとした演奏を楽しめた。客席から拝見する限り、萎縮したり舞い上がったりした演奏者はひとりもいない。すばらしいことだ。


2004年8月13日金曜日

昼食後、久しぶりに御幸寺山に登った(コチラもご参照)。さっきまで知らなかったけど、標高164mらしい。規模こそ小さいがしっかりと山らしい山だ。炎天下に有酸素運動で、どっと汗が出た。街で聞くセミの声は、まだクマゼミとアブラゼミばかりだが、御幸寺山に足を踏み入れると、すでにツクツクホウシが主だった。晩夏である。頂上に着くまでは木立にさえぎられて景色は見えないが、頂上からは市内が一望される。

風の中 己を責めつつ歩く/この道しかない 春の雪ふる
《陰徳を積む》ということについて考えてみた。

御幸寺山への登山口は、御幸寺の裏手にあり、種田山頭火の終焉の地、一草庵に近い。護国神社の前の通りに立つ、一草庵への道しるべには、山頭火の句《風の中 己を責めつつ歩く》と《この道しかない 春の雪ふる》が記されている。かつて東長戸や山越に住んでいた頃は、この通りが通勤路だった。思うに任せぬ生活の中で、悩みを抱えながら通るこの道で、《風の中 己を責めつつ歩く》の句を見つけたときには、まるでこの道しるべが、俺が通るのをずっとここで待っていたかのように思われたものだ。

しかし考えてみれば、御幸寺山に登るという、取り立てて言うほどのこともない行為ひとつにしても、俺ひとりの力でできることではない。足下を見れば、踏み固められた山道に石を積んで段を作り、石が崩れぬように杭が打たれている。蔵王権現に帰依した何人もの人々が登山路を切り開き、踏み固め、さらに、どこの誰とも知らぬ後の世の登山者のためにと、石を積んで段を作り杭を打った。そのおかげで、脚に古傷のある俺でも、食後の腹ごなしの散歩がわりに、軽い気持ちでここに登ることができるのだ。

下りは祝谷へ降りる道を選ぶ。御幸寺山の東側に広がる祝谷は、比較的高級感の漂う高台の住宅地であるため、最近は分譲マンションの建設が盛んなようだ。マンションを建てるために山を切り開き砂を運び礎石を敷き詰める。登山道に石段を積むことと比較すれば、もちろんこちらの方がはるかに大事業だ。だが、誰ともわからぬ誰かのために、ただ踏みつけられるためだけに積まれた石段の方が、俺には尊く思われた。


2004年8月12日木曜日

決して、知識のない人を笑ったりしてはいけない。

いや、何の話かというと、「関東ローム層」という言葉を知らない人が職場にいるといって驚いていた妻が、自分では「森の石松」を知らないらしいので、びっくりしたのだ。「大久保彦左衛門」 (→昨年8月6日の日記参照) に続く、世代間ギャップ時代劇編第2弾だ。まあ、大久保彦左衛門も清水次郎長も国定忠次 (忠治)も、テレビ時代劇に登場しないし、さりとて日本史の教科書にも載っていない。調べたわけではないが、おそらく司馬遼太郎の歴史小説でも扱っていないだろう。したがって、わが妻みろりにとっては知らない人であって当然なのだった。

それにしても、森の石松ですよ。「旅行けば駿河の国に茶の香り」「江戸っ子だってねぇ/神田の生まれよぅ」「すし食いねぇ、茶も飲みねぇ」の、森の石松ですよ。ううむ。大久保彦左衛門のときよりショックがデカイなあ。

昔々、『クレージーの無責任清水港』という映画があった。なぜか非常に面白かった記憶があるが、1966年公開といえば、俺だって当時はまだ2歳だから、この映画を封切館で観たわけではない。その10年後くらいに、テレビでリバイバル放映されたのを観たのに違いない。で、この映画を観て筋が追えて話を面白がれるためには、少なくとも「清水次郎長」「森の石松」という名前についてなんらか知っていなければならない。ベースとして、「清水次郎長伝」の知識とイメージが映画を観る人々の間に共有されていて、それではじめて、植木等演じる追分三五郎のC調ぶりとか、ハナ肇の次郎長、谷啓の石松の「らしさ」を楽しむことができる。なにしろこれは大河ドラマじゃなくて娯楽映画であるから

海道一の親分といえば、そう、ごぞんじ清水次郎長でございます。この次郎長一家に転がり込んだ追分三五郎が引き起こす、大騒動、珍騒動。演じるのはこれまたごぞんじクレージーキャッツ!(卓を扇子でバンバン叩く) ハナ肇の次郎長、谷啓の石松、そしてもちろん、三五郎を演じるのは植木等だ!(扇子でバン!) こりゃあ観なきゃぁ損だよっ!

ってな売り方 (神田山陽の声色で読んでね) をしていたに違いない。ここで「ジロチヨってだれぇ?えぇ〜、知らなぁ〜い」という反応が帰ってくるようなら、娯楽映画としては失敗になる。

まあそんなわけで、ぎりぎり俺たちの世代(昭和30年代生まれ)までは、清水次郎長だの森の石松だのは、誰でも知っている庶民のヒーローだったのだ。その時期までは、浪曲とか講談 (の題材だった物語) が庶民の知識・教養のベースとして機能していて、テレビや映画がそうした物語から題材を選ぶことが当たり前だった。しかし、いま現在、テレビが題材を探しに行くのは浪曲でも講談でも歌舞伎でもなくて、漫画だぁね。あとは、アメリカとか韓国に買い付けにいく丸投げ路線とか。そう考えると、テレビってのは何かを創造するメディアというより、(物語を)消費するメディアなんだな。その点では、物語を生み出す側にいる漫画やゲーム(ドラクエやFFのような)のほうがまだいい。

調べてみたところ、「清水次郎長伝」はアニメにもなっているらしい。あと、こちらもどうぞ。俺としては、娘が成長した頃に「聖徳太子って知ってる?」と聞いて、娘が「知らない」と答えても驚かないように、いまから心の準備をしておかなくては。

ざっとこれだけ書いて、ひょっとして清水次郎長がらみのビデオがコミセンの図書館にあったりはすまいか、と探しに行ったら、ちょうど除籍本の放出が始まったところで、新潮世界文学《カミュ I》《カミュ II》《チェーホフ》の3冊を手に入れることができた。こりゃありがたい。みろりが森の石松を知らなかったおかげだ。こういうこともあるから、くれぐれも、知識のない人を笑ったりしてはいけない。


2004年8月11日水曜日

朝、妻の使ってるコンタクトがズレて、上瞼に巻き込んで出てこなくなった。妊娠8ヶ月のお腹に応急処置のアイパッチ。これじゃまるで、「タヌキが森の石松を演じているの図」だ。森の石松に車を運転させるわけにはいかないので、妻は電車出勤。レンズは仕事の空き時間に眼科にいって取ってもらったけど、眼球にちょっと傷がついていたので目薬を処方してもらったらしい。夕方、俺が娘を託児所に迎えに行った頃に、妻から帰りの電車に乗ったというメールが入ったので、娘と二人で駅までお出迎えに行った。“松山夏まつり”の時期なので、電車には浴衣姿の乗客もちらほら。

夜、「アレルヤ・ラウダムス・テ」と「コマンドー・マーチ」の楽譜が届いた。思ったよりうんと早かったな。演奏会のアンコールに「コマンドー・マーチ」はどうだろう。まあしかし、28日の「春の猟犬」が一段落するまでは、こいつらはお蔵入りにしとこう。(ウチアゲはビアガーデンでもいいな。このメンバーでは普段行けないし。)

あ、妻の目はそれほど心配ないみたいです。


2004年8月10日火曜日

享楽と安逸の地に、突如として水銀の毒を含んだ災厄が降りかかった、という話・・・

娘がテレビを見ている時は要注意だ。集中力を奪われているうちに、おしっこやうんちをしてしまっている可能性が高い。今朝も案の定、娘は朝飯もそこそこに、テレビにくぎ付け。黙ってうんちをしていた。むりやりテレビから引きはがしてトイレに連れて行き、汚れたパンツを俺が洗っている間に、娘は居間にあるタタミ一畳分ほどの大きな鏡を倒して割ってしまった。あ〜あ。さすがにこの時ばかりは娘にも即座に ゴメンナサイ が言えたけど、割れた鏡のあと始末をするには、娘は邪魔でしかない。さっさと託児所に連れて行こうと思ったら、娘はなんと「ごはんは?」と言い出した。これにはパパちょっと怒ってしまった。ご飯そっちのけでテレビ見てたのはあなたでしょ?テレビかご飯かどっちかにしなさいって、さっきからパパ言ってたでしょうが・・・。

テレビを見せてしまうと、おしっこもうんちも知らせられない。ご飯も食べない。こりゃいかん。俺だって『ルドルフ』は見たいが、こうなりゃ仕方がない。テレビ禁止令じゃ!

さあ、割れた鏡の後始末が大変。なにしろ、散らかった居間に置き去りにされた掃除機の上に倒れ込んで割れたのだ。鏡の破片を取り除いて安全を確保するには、タタミ一畳分の破片の下から、まず掃除機を救出しなければならない。クッションやら座布団やら、ファブリックものは念のため廃棄処分だ。物置棚の下もソファーの下も、きれいに掃除機をかけて破片を取り除かないといけないが、なにせこの部屋は昨晩から散らかったままだったので、どうしても、片づけと破片の除去をある程度同時進行する必要がある。普段は履かないスリッパを履き、暑いけど念のために長袖のデニムシャツを着て、さらに念のためにゴム手袋を、と思ったら、左手しか見当たらない。右手はどこだ・・・ベランダにあった。一昨日、娘が水遊びに使ったままだったから、中に水が入っている。こりゃいかん。薄くって頼りないけど、台所仕事用のポリ袋みたいな使い捨ての手袋で代用。

・・・かなりメンドくさかった。それもこれもすべて俺の自業自得だと言って言えないことはないんだけど、先に出勤した妻についCメールでやつあたりしちゃったよ。まあいずれにせよ、娘がケガをしなかったのがなにより幸いだわ。

娘の無事に胸をなで下ろしつつ、話はコロっと変わる。

「てなさく読書欄」の参考にと、Amazonのサイトで『物理学と神』と『奇想、宇宙をゆく』のカスタマーレビューを比較してみた。俺はどちらかというと『奇想、宇宙をゆく』に軍配を上げたいのだが、カスタマーレビューは圧倒的に『物理学と神』に好意的で、『奇想、宇宙をゆく』はケチョンケチョンだ。もしもその理由が、『物理学と神』の著者である池内了が名古屋大学教授でそこそこ名のしれた宇宙物理学者だということだったりしたら救いようがないが、そのへんどうなんだろうね。

『奇想、宇宙をゆく』のレビューでは「著者もそれほど理論を深く理解していないので・・・」なんて言っている。なんでわかるんだそんなこと。そして、そうだとしたらどうまずいんだ? たしかにこの本には互いに関連性の見えにくい多くの理論の、ある意味では表面的な解説がずらずら並んでいたが、それでも俺には十分面白かったぞ。ひょっとして、「専門家以外は黙ってろ」的発想からそんなこと言ってるんだろうか。だとしたら困ったことになる。そんなこと言われた日にゃあ、啓蒙書を読んでなにがしか理解したところで、そのことについて何か語ることは許されないわけだから、啓蒙書の存在意義からして否定されてしまうのだ。仕方がない。今後はAmazonのカスタマーレビューは参考にせずに自分の足だけを頼りに進みましょう。

あ、鏡が割れて残された大きな額縁みたいな板にコルクボードを貼りまわして、掲示板にしたらどうだろうな・・・


2004年8月9日月曜日

こりゃムスメ、頼むからもうちょっと寝かせてくれ。娘はこのところ、毎朝起きるのが早いうえ、寝起きの機嫌が悪いのだ。う〜む。こんなのがもうすぐ二人になるんだよなあ・・・


2004年8月8日日曜日

昨晩の練習後の話し合いは、楽団の抱えた懸案事項のいくつかを解決の方向へ動かした点で有意義だったが、自分のバカさ加減・能天気さ加減を思い知らされる結果にもなった。そんなことなら利口ぶらずに普段からもっと能天気にしてりゃいいのにね。2時過ぎに帰宅してもすぐには寝つけなかった。

だが、なにしろ娘が起きちゃうのだ。今朝は5時過ぎ起床だった。仕方がないので俺が朝メシ代わりにハムエッグを作った。ご飯は昨晩の残りがあった。妻も起きてきた。妻も意外と体調がよく、娘の機嫌も悪くなかったので、洗濯やら掃除やらいろいろはかどった。洗濯が一段落し、布団を干して、さあ一休みして冷たいビールでも飲もうかしら (もっとも、冷蔵庫のストックは金曜日で尽きていたんだけど) と思って時計を見たら、まだ朝の9時過ぎだ。もうお昼前かと思った。早起きは三文の得。ただし、自分と娘のために二人前作ったハムエッグを妻と娘に食わせた俺は、朝飯を食っていなかった。

やっぱりビールがのみたい。炒め物をするための竹杓子もなくなっているし、なぜか醤油さしもない。10時半ごろ、南江戸のセブンスターへ自転車で買いに行った。そしたら、うちにあったゾウさんのガラスコップの姉妹品のクマさんネコさんイヌさんウサギさんがいたので急いで購入。ゾウさんのコップは、昨年ダイエーで、クマさんウサギさんとトリオで買ったのだが、クマさんとウサギさんが割れてしまっていたのだ。これまで、娘はゾウさんのコップを偏愛していたが、俺が買って帰ったラインナップをみて、さっさとネコさんに乗り換え。ゲンキンなものだ。

ネコグラス クマグラス ゾウグラス
ウサギグラス イヌグラス

うちはベランダが東向きなので、布団干しは天気のいい日を見計らって午前中に済ませる。昼過ぎになって、娘が外出したがっている。妻は近所の市場くらいまでなら歩けそうだという。久々に3人で歩いて行く。もらいものの長茄子があるので、麻婆茄子の素を買って帰る。麻婆茄子の素は4種類あり、105円から197円までと、値段に大きな開きがある。105円のリケンのやつを買った。作ってみたが、いまひとつソースの味が茄子に馴染んでいない。茄子の炒め方か、あるいは切り方が良くなかったのかもしれない。この世界も (どの世界?) 奥が深いな。

午後には娘にプール遊びもさせてやった。早朝から昼寝もせずにいろいろがんばった娘は、午後7時にはコトンと就寝。俺たちも10時過ぎには寝た(と思う)。


2004年8月7日土曜日

甲子園も開幕したし、もうすぐアテネオリンピックだから、前もって言っとくけどな、あんたら頼むからテレビに向かって「感動をありがとう」とか言わないでくれよ。そんなに感動に飢えてるんなら、いますぐ一色楽器で楽器を (クラリネットかトロンボーンが好都合だけど、このさい何でもいいや) 買って松山ウィンドオーケストラに入団しなさい。マエストロと肉Zにシゴかれつつ必死で練習して、来年の第10回定期演奏会に俺たちと一緒に出なさい。も〜死ぬほど感動できるよ。保証します。

あ、いや、他の楽団でもいい。吹奏楽でなくても合唱でもいいし、音楽でなくてもいい。足腰の強い人なら登山でもいい。要は、お客さん気分で茶の間にいながらにして感動だけもらって行こうなんて思うのはやめてくれってこと。感動は、自分の手で闘い取るものだよん。

ところで、日本の家庭に、テレビはくまなく普及しているんだろうけど、「茶の間」ってやつはどれくらい普及してるの? うちにはないなあ。


2004年8月6日金曜日

昨日、図書館に行こうと思ってキャメリアホールの横を通ると、ホールのロビーで楽器の練習をしている高校生たちがいた。ホールの前にいた子らに聞いてみると、中央高校の吹奏楽部だそうだ。「明日本番です。聴きに来てください」と言われたから「うん時間があいてたら来るね」と返事した。近所(というか目と鼻の先)のホールで、地元の県立高校の吹奏楽部の演奏会が開かれる。しかも入場無料。となると、聴きに行かない手はない。ないのだけど、演奏会の時間は、たまたまピアノのレッスンの時間とかぶっている。来週はお盆でレッスンが休みだし、27日は自分たちのリハーサルのため休まないといけない。つまり今月は2回しかレッスンを受けられないのだ。だもので、今日はレッスンを休んでまで演奏会を聴きに行くことはできなかった。残念だ。ごめんよ>きのうの子ら。

最近、娘の甘えんぼぶりが目に余るなあと思っていたが、きょう託児所でこんなことがあったそうだ。エナちゃんとハルちゃんと【娘】ちゃんの3人で遊んでいたら、エナちゃんとハルちゃんがおもちゃの取り合いで喧嘩を始めてしまった。その様子を見ていた娘は、同じおもちゃを作って(謎)、二人に「これあげる」と差し出し、保育士さんが駆けつける前に事態を収拾したという。わが娘ながら、偉いぞ【娘】ちゃん。明日 (今日はもう夜遅いからダメ) りんごジュース買ってやるからな。


2004年8月5日木曜日

うわっ、昨日はメレアグロスの名前を間違えて全部メナンドロスと書いていた。恥ずかしいから修正。メナンドロスは喜劇作家の名前らしい。どこで間違えたのやら。


2004年8月4日水曜日

娘が少々朝寝坊なもので、妻は俺にあとを任せて出勤してしまった。託児所に連れていかないといけない。外は雨だ。自転車というわけにもいかず、タクシーに乗る金の持ち合わせはない。行けるところまで傘をさして歩いて行ってみようと思って出かける。案の定、100メートルも行かないうちに、娘は自分の持った小さなビニール傘のことを《おもい》と言い出した。娘が何を望んでいるかはもちろんわかっている。が、あえて物分かりが悪いふりをする。「重いねえ。それで?」《おもい》「だから?」《おもいのっ》「傘は重い。これ(標識の柱)は白い。【娘】ちゃんの靴は赤い。あそこの車は大きい。重いって言葉だけじゃ、それだけしかわからないよ」と10分くらい問答。「ちゃんとお願いができない子は置いて行っちゃうよ」と言うと、ようやく両手を広げた格好で《だっこするの》と要求らしいものを口にした。とどめに「そういうときはどう言うの?」と聞くと、ついに《だっこしてクダサイ!》・・・これを言わせるまで、決してだっこしてはいけない。雨の路上で押問答もつらいが、そこは辛抱する。抱き上げて「【娘】ちゃんのほうが重いよ、アハハッ」と笑うと、娘もうれしそうに笑った。抱っこして歩いて託児所まで行くのは確かに重いけど、周りの交通に気を配りながら幼児のおぼつかない足取りにつきあうよりはまだ楽だ。いや、それにしても苦労した。

兄の古マックはQuadra650だった。CPUアップグレードカードがささってPowerPC化してあるらしい。radiusの拡張ビデオカード、Ethernetカード、ASCII配列のADBキーボードと、驚いたことに古い角マウスがついている。これはMIDI専用じゃちょっともったいないかな。それに、予想していたミニタワー型ではなかったので、ピアノの横に置くことはできない。さてどうしたものか。

『カリドンのアタランタ』も届いた。どうやら珍品の部類に入るものらしく、古本とはいえ定価で売られていた。そもそもスウィンバーンの作品をマトモに和訳・紹介した本は多くないらしいのだ。読んでみると、けっこう面白い。あらすじはこうだ:

カリドンの地を治める王がアルテミス女神に捧げ物をするのを怠った罰として、アルテミス女神は猪の化け物を送ってカリドンを荒らさせる。この猪を退治するためにテーセウスやアキレウスといった英雄たちが各地から呼び集められる。アルカディアから来た女狩人アタランタは紅一点だ。王子メレアグロスはアタランタと協力してみごとに猪をしとめるが、その偉業の記念として皆に分配すべき猪の皮をアタランタひとりにプレゼントしようとして、叔父たちと口論となる。メレアグロスは、母親の諌めもむなしく、アタランタに恋してしまっていたのだ。メレアグロスは喧嘩のすえ二人の叔父たちを殺してしまう。母である王妃アルタイアは、兄たちの死の顛末を知ると、息子メレアグロスの不死身の秘密であった薪を暖炉に放り込んで燃やしてしまう。この薪は、メレアグロスの誕生を祝福した三人の運命の女神が「この暖炉の薪の燃え尽きぬうちはこの子が死ぬことはない」と予言したため、母アルタイアが火の中から拾い上げて隠しておいたものだった。命の薪が燃え尽きてしまったため、メレアグロスもまた、アタランタの目の前で息絶える。

スウィンバーンが模範としたギリシア悲劇と同様、ここでも神々の定めた運命に立ち向かおうとする英雄の偉業と、それにもかかわらず最終的には勝利を収める運命の暗い力とが描かれる(本物のギリシア悲劇、たとえばソフォクレスの『オイディプス王』には遠く及ばないけどね)。とくにアルテミス女神とその化身ともいえる女狩人アタランタの冷酷さがきわだっている。リードの『春の猟犬』のタイトルの典拠となった部分は、この長編詩劇のなかでももっとも有名な部分で、作者自身もうんざりするくらい何度も引用された、いわば代表作中の代表作らしい。これは、狩りの隊長が前口上を述べた直後に、コーラス隊がアポローンとアルテミスの兄妹を讚えて歌う歌だから、『春の猟犬』をアルテミス讃歌とみなす先日の俺の解釈は間違っていないはずだ。しかし、明るく快活な『春の猟犬』の曲調はスウィンバーンの詩劇全体を覆う悲劇的で不吉なムードとは相いれない。かえって謎が深まったようにも思う。


2004年8月3日火曜日

昨日までと打って変わって気持ちのいい晴天。台風一過というやつだ。

忘れてしまっていた会員番号の控えが見つかったので、MusicStore.jpに3曲分の楽譜を注文。リード『アレルヤ・ラウダムス・テ』、ボサンコ『I'll not Turn Back』、バーバー『コマンドー・マーチ』だ。パタパタパタパタ・・・(←お金に羽根が生えて飛んでいく音)

珍しく兄から電話があった。お払い箱になった古いMacを譲ってくれるらしい。ありがたいね。届いたらエレピの横に置いてMIDI専用機だ。いやしかしそれにしても、あっちの部屋の片づけが滞ってるなあ。きちんと片づければ、パソコン2〜3台分の部品はでてくるんだが・・・


2004年8月2日月曜日

『春の猟犬』について土曜日に書いたことの、修正と補足。

A.リードの『春の猟犬』のタイトルの典拠となっているA.C.スウィンバーンの詩は『カリドンのアタランタ』というタイトルだ。滋賀県立大学の植村盛人という先生によって1988年に邦訳が出版されている。《春の猟犬が冬の足跡を追うときには...》というのはこの詩の最初のコーラスの出だしの語句であるらしい。この本を読めば はるイヌ のタイトルの謎は最終的に解決するはずだ。近隣の図書館 (愛媛県立図書館, 松山市立図書館, 愛媛大学図書館, 松山大学図書館, ...) のどこにもこの本は所蔵されてないし、版元でもすでに絶版みたいだが、さいわいAmazon経由で古本を入手できそうだ。

シエナ・ウィンド・オーケストラのWebサイトには、富樫哲佳という人の、この曲をめぐるコラムが掲載されている。そこではこの冒頭の句が「春の猟犬たちが、冬が残した轍(わだち)の上を進む時、女神アルテミスが、草原や暗がりを雨音で満たす・・・」と訳出されている。なるほど、スウィンバーンのいう「諸々の月の母」というのは、ギリシャ神話のアルテミス女神 (ローマ神話でいえばディアナ女神) のことなのね。だけど、狩りの女神アルテミスは男嫌いの永遠の処女神のはず。その点にちょっと疑問は残る。

あらためてアルテミス女神について調べてみた。光と理性と芸術の神アポローンの双子の妹。牝鹿あるいは牝熊に象徴される狩りと森林の女神。生まれてすぐに狩の道具一式をゼウス神にねだりに行ったほどの狩り好きで、「遠矢射る女神」との異名をとり、普段はニンフたちとともに猟犬を引き連れて野山を駆け巡っている。しかし、兄神アポローンを訪ねるときだけは弓矢を置いて美しく着飾り、歌い踊る女神に変わる。崇拝者には慈悲深い一方、復讐心に燃えるとひどく執念深い。たとえば、水浴中の自分の姿を覗き見た狩人アクタイオーンを鹿の姿に変え、彼自身が連れていた猟犬に噛み殺させた話は有名。スウィンバーンの詩のタイトルになっているカリドンのアタランタ (あるいは、カリュドーンのアタランテ) は、アルカディアの王の娘だが、男の子を欲しがっていた王に捨てられたところを、アルテミスの遣わした牝熊に育てられアルテミスの養女となった、男勝りの狩の名手、いわばアルテミスの化身らしい。

以上、主な参考文献はフェリックス・ギラン『ギリシア神話』(青土社)、ロバート・グレイブス『抄訳ギリシア神話』(PHP新書)、沓掛良彦(編訳)『ホメーロスの諸神讃歌』(ちくま学芸文庫)だ。最終的な結論は『カリドンのアタランタ』を読んでから下すべきなのだろうが、スウィンバーンのいう「春の猟犬」の飼い主がアルテミス (あるいはアタランテ) であり、リードの『春の猟犬』をひとつのアルテミス讃歌と解釈できることの証明としては、これで十分だろう。

とかなんとかいう考証を、俺がフレッシュネスバーガーでビール飲みながらやっている頃、市民会館では吹奏楽コンクールの審査結果が発表され、マエストロの指揮した中学校が四国大会へ進むことが決まったらしい。おめでとう!


2004年8月1日日曜日

というわけで、マエストロの指揮する中学校の吹奏楽コンクールでの演奏を聴いてきた。ひとりひとりは決して上手いとはいえない生徒たちだが、一丸となって見事な合奏を聞かせてくれる。すばらしいものだ。昨日は「中学生に負けるわけないよ〜」などと豪語したが、視点を変えると、まるっきりかなわないとも言えるんだよなあ。音楽ってものはつくづく一筋縄ではいかない。

昨年5月11日の日記にちょっと書いた《I'll not Turn Back》という曲の楽譜が、MusicStore.jpの通販で手に入るかもしれない。本当はそれとは別のリードの曲の楽譜を注文するために検索していたんだけど、このさいこれも一緒に注文だ。