て日


2004年 6月分


2004年6月30日水曜日

今日は朝からなんだか銀行のATMが混雑してるなあと思ったら月末だった。なんだかんだで6月も終わり。ってことは、今年も半分終わっちゃったのね。

ちょいと用があって上野町の生涯学習センターへ行った。市駅からバスで30分。下原町で降りて歩いて15分。けっこう遠い。文化施設としてはあまりにも不便な立地条件だが、周辺ののどかな田園風景は好きだ。県民小劇場の舞台係の人と打ち合わせをしているときに、たまたま見学の人が来たので、俺も一緒に生涯学習センター自慢の緞帳を見せてもらった。何が自慢といって、光ファイバーを織り込んで、緞帳自体が電飾になっているのだった。なかなか綺麗だったが、こういうものは後になればなるほど次々すごいものが出来てくるものだから大変だ。そのうち全面が有機ELか何かの大画面モニタになっている緞帳とか実現しかねないもんな。

第一緞帳第二緞帳第二緞帳の電飾

さて、帰りはタクシーで天山まで行き、ダイエーの かもとり権兵衛 で天ぷらうどんを食い、アプライドで中古の液晶モニタを買った。手ぶらなら歩いて帰ることも考えないではなかったが、液晶モニタは15インチとはいえけっこう大荷物だったので、立花から市駅までは電車に乗った。この液晶モニタは家に持ち帰って試したところ、中央部に2個か3個常時点灯するドットがあって、画面全体が暗い色調を表示している時にはちょっと気になる。まあ、安かったし、発色もよくて見やすいし、G3くんにつないで普段どおりに使っている分にはそれほど問題ないからオッケー。

なに? 昨日託児所にいたあの子は、ハルちゃんじゃなくてエナちゃんなの? いやあ、ごめんなさい。ちょっと雰囲気似てたから間違えたよ。


2004年6月29日火曜日

俺にしては珍しく中身の濃い一日だった。けど、それをすべて書くわけにもいかないので一つだけ。朝9時前に、託児所へ娘を連れていったときのようすを、のちほど妻にCメールで送った文章のまま紹介しよう。時刻はCメール送信時刻ね。

[6/29, 10:15] ××託児所玄関にて(1) 走ってきたハルちゃんがいきなりチュ♥ー☆! 【娘】ちゃん呆然。
[6/29, 10:18] ××託児所玄関にて(2) そこへダンゴ虫が登場して子供たちの熱い視線をひとりじめ!
[6/29, 10:21] ××託児所玄関にて(3) しゃがみ込んだ【娘】ちゃんの背中に「バイバイ」と声をかけるパパ(^_^)/
[6/29, 10:25] ××託児所玄関にて(4) ヌッと振り向き「あらまだいたの?」と言わんばかりの【娘】ちゃんでした【完】

まあ、こういうのは、万人に面白いとは俺も思ってなくて、状況が想像できる人だけに面白がってもらえればいい話なんだけど。


2004年6月28日月曜日

街で若い女たちを見るたびに、俺はユヴェナリスみたいに「この人たちの美しいボディーに美しい精神が宿りますように」とお祈りしたい気分になる。このローマの風刺詩人の言葉は、しばしば「健全な身体に健全な精神が宿る」という形で引用されている。元の詩句は岩波文庫の『ギリシア・ローマ名言集』(柳沼重剛 編)で見ることができる。《健全な精神が健全な身体に宿りますようにと祈るべきである》(原文: ornandum est ut sit mens sana in corpore sano) もとの詩の文脈からいうと、下世話な願いを神様にお祈りするのはやめて、せいぜい「私の体を健やかにしてください。そして、その体に健全な精神を宿らせてください」と祈ろう、という話らしいのだ。つまり、「自分の体が健康であってほしい、そのうえに、精神も健全でありたい」と願うのがいちばんマトモだ、という話であって、決して「お前たち、体を鍛えろ。そしたら、精神もひとりでに健全になる」という体育会系モットーではない。

そんなわけで(?)、俺は街を闊歩する若く美しい女たちを見るたびに、「美しいボディーに美しい精神が宿りますように」と祈ってしまう。だが、こんなのはもちろん大きなお世話である。そんなことをお祈りしてる暇があったら、俺は自分の身体と精神を健全にするように心がけるべきなのだ。無意味に命をすり減らすようないまの生き方をすぐにでも改めないといけない。


2004年6月27日日曜日

妻が言うには、夢に出てきた「くまランチ」は、ランチとしては普通のもので、それをクマのコックさんが持ってきてくれたという話だった。そりゃつまらん。とかなんとか言っていたら、妻はがんばって夕食に俺が昨日書いたような「くまランチ」を作ってくれた。

くまランチ

つけあわせのマカロニはクマの形だ。これは今日たまたま、アイテムえひめのワールドマートで見つけた。旗の立っている焼き飯の具が鮭だというのも、さりげなくクマ関連だったりする。

マエストロO久保から演奏会の曲目解説最終回の原稿が届いた。俺が楽団のホームページ管理人をやっているのだから、俺のところに原稿が届くのは当然なのだけどね。この原稿で、マエストロは演奏曲目のベルリオーズには全然触れずに、いまの楽団 (自分の楽団および類似のアマチュアバンド) に対して思うところを書いている。原稿を添付したメールには、だからこれを読んだらおまえは「て日」に自分の思うところを書け、とあった。日記の内容をリクエストされるなんてのは前代未聞だが、まあそれはいい。

届いたWordファイルをHTML化して見栄えを少し整えるくらいは朝飯前だが、今回ちょっと苦労したのは写真だ。いつもは文のテーマに沿った怪しげな写真をGooleのイメージ検索で探してきて貼り付けるのだが、今回は妻子が寝静まってから、自分で被写体を用意して撮影した。

文面はたしかに、こんなお手軽な食い物を(しかも赤くて辛いやつまで添えて)人様にお出ししたらいかんよ、という話なのだけど、松山ウィンドの団員にはこの写真の意味がすぐにわかるはずだ。前回のショスタコーヴィチの解説もそうだったが、マエストロは明らかに、この曲目解説を団員たちに読ませたい、団員たちにわかってほしい、と思って書いている。少なくとも俺は、この文章は団員たちが読むべきだと思った。だから、俺も団員に向けて写真を用意することにした。缶よりは瓶のほうがいいだろうとか、この銘柄はマエストロの好みじゃねえなとか、そのへんも考えたが、この場合は、自分が毎日飲んでるやつを、自分の好物のツマミと一緒に出したので間違っていないと思う。

さて、マエストロが提起した問題について、というより、いまの楽団について、思うことを書け、というリクエストに答えないといけない。だが、俺の場合、楽団について思うことというと、このごろは若い女の子が増えていい感じだなとか、らっきょさんの体調はどうなんじゃろかとか、そういう地面スレスレの話ばかりになってしまう。我ながら、まったくどうしようもない奴である。

ふむ・・・

市民コンサートの会合で、ある人が言っていたことに、中学・高校の吹奏楽部の出身者はたくさんいるが、悲しいことに、まったくといっていいほど、クラシック音楽の愛好者層とは重なってこない。たしかにそうかもしれない。俺の経験から言っても、吹奏楽部員といえども音楽の趣味に関しては水泳部員や園芸部員とほとんど変わりはない。コアなクラシックマニアやジャズマニアは園芸部より吹奏楽部を選ぶ可能性が若干高いかもしれない、という程度のことしか言えない。そういうマニアックなやつ以外は、そのとき流行っている音楽を皆と一緒に追いかけているだけのミーちゃんハーちゃんが、やはり圧倒的に多い。

そんな彼ら (だいたい、女の子の方が多いけどね) でも、学校を卒業してからでも吹奏楽の活動を続けようと思うことはある。俺がそうだったように、きっと、高校時代の部活動がとても楽しかったのだろう。それはそれですばらしいことだ。そこで、任意団体としての一般吹奏楽団というのが登場してくる。え? だとしたら、街のアマチュア吹奏楽団の普通の団員たちは、楽しかった青春の日々の思い出をズルズル引き伸ばすことしか望んでいないということなのだろうか? そうかもしれない。

そんな団員たちに「新しい生き方」の可能性を提示できない限り、吹奏楽団の活動は結局、居酒屋の代わりに練習場に行き、酒のグラスの代わりに楽器を持ち、世間話の代わりに合奏をするということにしかならない。まあ、俺自身は、そんなことするくらいなら本物の居酒屋で本物の酒を飲んでいたいけど。

だからといって、世の中に無数にいる普通の人々、これといった趣味もなく、仕事と、家族の世話と、身近な人々の人間関係のゴタゴタと、あとはマスコミの提供する話題についてのおしゃべりだけを、毎日繰り返して生きている人たちに向かって、俺が、「君たちの人生ってつまらんのよね」と言ったとしたら、それはとんでもなく失礼というものだろう。

「普通の人生」を非難しても、いいことはなにもない。暴力的な強制以外の方法で「普通の人たち」を動かすためには、彼らを「誘惑」しないといけない。自分がいかなる理想に燃えているのか、自分がどんな夢を見ながら生きているのか、その夢があるおかげでいまの自分がどれだけ幸せであるか、そのことを態度で示さないといけない。「普通でない人生」があることを、しかもそれが書物やテレビ画面の中にではなくいまここにあり、選ぶ気さえあれば誰にでも選べるものであることを、理屈でなく実践で示さないといけない。

そういうことを考えていたかどうかは知らないが、マエストロはやはりそういう誘惑者の道を選んできたように俺は思う。そして、《ポップスステージをやらない》《吹奏楽コンクールに出ない》《本番の衣装は必ず黒礼服》という俺たちの楽団のことを、これこそ自分の居場所だと思っている古株メンバーたちには、そんなマエストロの心意気は十分に通じているし、新しいメンバーたちにも、ここには何かただならぬものがあるということだけは伝わっていると、俺はそう思う。

たくさんの人が集まって自発的に活動してる団体であるからには、安易な方向へ流れていってしまう可能性はつねにある。それを食い止める確実な方法というものを、俺は知らない。だが、この団体が俺にとって面白い場所であり続けてほしいと願うからには、俺は少なくとも俺の意見とか(音楽のことだから)好みとかを、あえて臆面なく主張する責任だけはあると思う。そして、できれば、そういう奴が増えてくれれば面白いと思う。逆に、一歩引いた位置から批評ばかりする奴にはなりたくないし、そういう連中ばかりの世界にはできれば近寄りたくない。市民コンサートの運営にかかわっていながら、いま一歩のところで鑑賞団体の活動に一生懸命になれない理由はそれだ。(うわっ、とうとう書いちゃったよ。)

いやしかし、本当はこんな偉そうなこと書ける立場じゃないんだよな。たとえば他団体の演奏会でチラシを配付して宣伝するなんてのは、俺が担当すべき仕事だったのに、私事にかまけてコロッと忘れていて反省しているし、昨日の練習でも、基礎的な技量の足りなさを思い知らされた。練習時間が少ないだけでなくて、最近は音楽そのものをあまり聴いていない。そんなこんなで、以前より音楽に対する動機づけが低下しているかもしれない。安易な方向へ流れているのは俺自身かもしれないと思っていたところだけに、団について思うことを書けというリクエストは、ひょっとして「反省しなさい」という意味かと思っちゃったよ。


2004年6月26日土曜日

妻は普段は元気で普通に働いているが、なにせ妊娠6ヶ月なので、さすがに疲れやすいようで、このごろ土曜日になると決まって長い昼寝をする。これは体が、というより胎児が要求する休息なのだから仕方がない。仕方がないのだけど、妻の昼寝のあいだ俺が娘の面倒を見ていると、妻が起きてくる頃にはちょっと疲れてしまって、ちょうど吹奏楽の練習が始まる夕方5時頃に、こんどは俺の方に眠気が襲ってくる。これがなかなか辛いのだった。

それはともかく、今日の昼寝のとき、妻は、最初は仕事の夢ばかり見たけど、後半には「くまランチ」の夢をみたそうだ。くまランチってなんだろうね。きっと、チキンライスの小山のてっぺんにクマの絵の旗が立っていて、ハンバーグにテディベア型の耳がついていて、デザートにハチミツのたっぷりかかったワッフルとか、ひょっとしたらBEARHOLICのベアケーキかなにかが出てくるランチなんだろう。と思って想像図をペイントソフトで描きかけたけど、あまりにもヘタヘタなので廃棄。


2004年6月25日金曜日

いやあひどい大雨だった。大雨洪水警報が出て、雷も鳴って、こないだの台風のときよりよっぽど荒れたな。Yahoo!天気情報の天気図みても、「梅雨でござい」って感じの気圧配置だしね。


2004年6月24日木曜日

生物のDNAの塩基配列って、9割くらいまで、遺伝情報としての意味を持たない《ゴミ》なんだそうだけど、ここが実はDNA開発者 (ってことは神さまか) の広告スペースだったりしたらイヤだな。「工期6日間のスピード施工! 世界の設計・施工から、森羅万象の運営管理まで、天地創造のエキスパート、エホバ工務店におまかせください。」とか書いてあるんだったりね。あるいは神さまが「あたしのはじめての手作りDNA、カレ喜んでくれるかな、キャッ♥」とかなんとか、独りごとを書き込んでるのかもしれないけど。

広告といえば、たとえば『トランジスタ技術』という雑誌は本当に広告が多くて、紙面の半分以上が広告スペースだったりするんだけど、最新の技術情報をカバーする記事と、製品カタログの意味を持った広告が混在することで、業界専門誌としての役割をよりよく果たせるわけで、これはこれで意味のあることなのだった。

コロっと話は変わる。

夕方、古本屋で物理学の本を買ってドトールでコーヒーを飲みながらちょっと読んだ。「荷電粒子は本当に慣性運動できるんかいな」とかなんとか疑問に思いつつ隣のテーブルを見ると、まつげパーマに黒Tシャツのねぇちゃんが、ベンゼン環やらなにやら化学式がいっぱい書かれたプリントに蛍光マーカーで印をつけながら勉強していた。その向こうのテーブルの色気のあるドレス姿のお姉さまは、帆布のカバーのかかった文庫本を手に一心に読書していた。大きな丸テーブルの一角に席を占めたビジネスマン姿のにぃちゃんは、仕事の資料だろうか、本とノートを広げて一所懸命に書き書きしていた。まあもちろん、人間関係のゴタゴタの千歳一日のごとき話ばかりを切れ目なくしゃべり続けるねえちゃんたちも確かにいたのだけど、そういう人ばかりじゃなくて、なににせよ勉強とか読書とかをしている人も少なからずいると知って、ちょっと安心した。俺も負けていられないから、ちったぁがんばろう。

「荷電粒子が慣性運動できるのか」という疑問というのはこういうことだ。荷電粒子が運動すれば、そのまわりの電場に変化が生じる、電場が変化すれば磁場が発生し、しかも荷電粒子が移動するにつれてその磁場もまた変化するはずで、そうすれば電場と磁場がお互いの変化を誘導しあって、要するに電磁波を生み出すことになり、その電磁波のエネルギーの形で、もとの荷電粒子から運動エネルギーが失われていくのではないかという、そういう疑問だ。荷電粒子が加速度運動、たとえば円運動をするときにはこれが確かに問題になる (原子核のまわりを回る電子のエネルギーレベルは量子化されているはずだという、その理論上の根拠の一つがこれだ) けど、慣性運動の場合には、磁場は発生しないのだろうか、だとしたら、こんどは、電流の周りに磁場が発生する(アンペールの法則)というのが、なぜなのかがわからなくなる。まあ、電磁気学をきちんと理解してしっかり計算したらわかることなんだろうけど、勉強し始めたばかりの俺にはいまのところわからんのだった。


2004年6月23日水曜日

昨日と今日とかけて、広瀬立成『真空とはなんだろうか』(講談社ブルーバックス)を読んだ。なかなか面白かったが、「常識をはるかに超えたなんちゃら」なんて修飾語を平気で何度も挿入する大げさな国語表現だけは、なんとかならんもんかと思った。それと、ここで扱われているテーマは「真空」というより「時空」と言ったほうが正確なんでないかと思う。まあしかし、そのへんを割り切った上で、最近の高エネルギー物理学の知見をもとに素粒子論と宇宙論が融合してゆくさまを解説した啓蒙書と思えば、これはこれで悪くない。ゲージ場の量子論や超ひも理論の説明が超特急すぎて何が何やらわからんとか、強引なこじつけめいた記述が何ヶ所もあるとかいうのは、これはもう無理難題のイチャモンというもので、本格的な解説にはもっともっと分厚い何冊もの本が必要なはずのものだから仕方がない。詳細な理解は及ばなくても、「ミクロのスケールで見れば、真空はカラッポの空間ではなくて、さまざまな物質やエネルギーが絶え間なく生成消滅を繰り返すダイナミックな場だ」とか「世界は本当は10次元あって、空間3次元プラス時間1次元のわれわれの時空では、その一点一点に残りの6次元ぶんの自由度が小さく押しこめられている」とかいうのは、なんというか、ちょっと夢のある話じゃないか。

そうはいっても、もうちょっと文章のうまい人に書いて欲しかったとは、ちょっと思った。まあそれはお互いさまだわね。


2004年6月21日月曜日

台風は見事に日本列島を縦断していったみたいだけど、松山は静かなものだった。

体内時計というのかなんというのか、生活のリズムが崩れっぱなしだ。そうでなくてもストレスに弱いのだから、その分もっと自己管理をきちんとしないといけないんだけどね。妻に言わせると、俺はどうでもいいことでいちいちカリカリと怒ったりして、わざわざ自分から幸福度を下げに行っているように見えるんだそうだ。確かに、化粧品やら何やらの広告に《わたしらしさ》とか書いてあるだけでもうダメだ。もっとも、これがなぜダメなのか、いまここで説明していては、それこそ自分から進んで幸福度を下げることになるのでやめておくけどさ。妻が言うには、俺はこんなのにいちいち過剰反応してエネルギーをムダ遣いするから、肝心な時に実力を発揮できないんだそうだ。こんなもの、《タワシらしさ》とか《ワラジらしさ》の書き間違いと思って見過ごしちまえばいいんだと、妻はいう。なるほど、そうかもしれない。しかしそうなると、今度は《和菓子らしさ》《轍らしさ》《蕨らしさ》と、どーでもいいバリエーションを豊富にすることにエネルギーをムダ遣いしてしまいそうだ。怒ってカリカリしているよりはこのほうが楽しいけどね。

17日の話の続きをちょっとだけ。90を4つの平方数の和であらわす方法は9とおりもあったのに、96を4つの平方数の和であらわす方法は 96 = 82+42+42+02 というただ一通りしかない。一般的な傾向としては大きな数ほど組み合わせの数は多くなるのだけど、単に大きければいいというわけではないようだ。どんな規則性があるのかよくわからない。こういう計算を手作業でやるのは、楽しいけど大変なので、「与えられた自然数を4つの平方数の和であらわす方法を、すべて調べ上げるプログラム」を Chipmunk Basicを使って書いてみたので、興味のある人は参考にしてください(→リスト)。あんまり効率のことを考慮してなくて、あきらかにムダの多い計算をしている。カッコ悪いので、そのうち改良版をつくるかも。


2004年6月20日日曜日

台風の影響か、最高気温が35℃あったそうだ。といっても、風が吹いたから、まあしのぎやすかった。湿った熱い風が吹いて、アジアの夏って感じだったよ。夜になって、愛媛県には暴風警報と波浪警報が出てる。まだ外は静かなもんだけどね。明日朝9時の予想天気図では台風は四国を直撃する格好になってるし、こりゃ明日は仕事にならんかもな。


2004年6月19日土曜日

吹奏楽の練習。まー暑かったのなんの。シャツが汗でドボドボ。演奏会も近いので練習後いつものように晩飯を食いながらの打ち合わせだったのだけど、今日に限ってはファミレスの前に風呂屋に行きたかったな。


2004年6月18日金曜日

いまこの部屋は物置化してしまっているので、いっそのこと壁一面に棚を作り付けてしまおうと思っている。これまで、安物のカラーボックスやらなにやらで場当たり的にモノを収納していたけれども、もう少しシステマティックな収納法を考えないと、なかなか人間の住む家らしくなってくれないのだ。DIK (なに、いまはダイキホームセンターというの?) あたりで棚の材料を買って自分で工作しようと思って、いまモノの整理をしながらアイディアを練っているところだ。そのうち写真入りでレポートするからね。


2004年6月17日木曜日

数学ネタ。どんな自然数も4つ以内の平方数の和で表現できるというラグランジュの定理というのがあるのだけど、90を4つ以内の平方数の和で表わす方法はなんと9とおりもある。まあ、どうでもいいようなことだけど、気がついて面白かったから書いておきます。

90を4つの平方数の和で書く
90を4つの2乗の和であらわす方法は9とおり


2004年6月16日水曜日

う〜ん。体調いまいち。ほんとうに基礎体力がないなあ。


2004年6月14日月曜日

俺は時々、あたりまえのことがたまらなく不思議に思えて困ったりする。たとえば、300×2 と 2×300 が同じ結果になるのが、正しいんだというのは露ほども疑わないけど、不思議といえばひどく不思議だ。

だって、300人から2円ずつもらうことと、二人から300円ずつもらうことは、作業の内容としてはまったく異なっていて、結果として集まる金額がたまたま一緒なだけだ。交換法則ですらときどきこんなふうに不思議に思えるのに、ましてや分配法則 (136+127)×5 = 136×5+127×5 なんてのになると、日々これを利用していながら、そのたびに不思議で仕方がない。反対に、不思議さをあまり感じないのは結合法則、たとえば 2×(4×5) = (2×4)×5 ってやつだけど、話がここまで来るともう 2×20 と 8×5 が同じだってことからして不思議に感じられてきて「そもそも計算って何?」という哲学癖状態に突入してしまう。

小学校で縦横にオハジキを並べた絵で説明してもらったことを覚えていないわけじゃあないんだけど、そうなると、オハジキの個数と土地の面積と体重とローンの残高がどれも同じ計算規則で扱えることが不思議で仕方なくなる。うんと形式的になら、ペアノの自然数論の公理系から論理的に導き出す証明だって一応知っている。だが、それが本当に俺たちの慣れ親しんだ「数」についての議論なのかどうか、確信は持てない。形式論理とはそういうものだ。

もちろん、こういう疑問にばかりとらわれていると日常生活に支障をきたすので、すぐに考察を打ち切って現実に戻るようにはしているけど、ときどき、ふっと、「ああ、人間は、何も知らずに生まれてきて、何もわからないまま死んでいくのね」とムナシクなってしまう。というわけで、俺の人生も後半にさしかかってきたわけでもあるから、そろそろ誰か、数というものについて、直感的な明証性と論理的な必然性とをあわせもった単純明快な説明をしてくれ。


2004年6月13日日曜日

一点の曇りもない快晴。こりゃあ外出しないわけにはいかない。砥部町総合公園へピクニックに行った。明るい陽射しと涼しい風。美しい風景。缶ビール片手に芝生に寝転がる。本当、この世界もまだまだ捨てたもんじゃない。娘をひざに抱っこして大すべり台で滑ったり、おもしろ自転車コーナーで3人乗り自転車を楽しんだりした。大変気持ちよい休日だった。いい年をしてちょっとがんばってしまったなあ。


2004年6月12日土曜日

音楽ネタ

俺には、アタック後にアンブシュアが緩みピッチが不安定になるのをヴィブラートでごまかすという癖があった。最近そのことをジョーに指摘されたので直そうと思っている。そのためにはリラックスしたままアンブシュアを引き締める必要がある。いまは顎の筋に力が入りすぎている。だから、一回の練習で3曲とおすと、最後には疲れてアンブシュアを締められなくなっている。まあ、演奏による疲労にはブレスという要因も入ってきてややこしいのだけど。

もう一つ音楽ネタ。たとえばどこかの喫茶店で話をしているとき急に「いまかかってるBGMのことだけど...」という話になったとしよう。急いでBGMに意識を向けたあなたの目はどこを見ているだろうか。普通に音を聞くときは無意識のうちにに音源の方を見ようとするものだが、喫茶店のBGMにかんしては、どこから聞こえてくるか知ったところで意味がないので、聞こえてくる音に意識を集中したとしたら、目はどこでもない空中を見据えたまま固定されるはずだ。だれでも、聴くことに集中すると、目は据わる。吹奏楽の合奏中の演奏者の視線はどうだろうか。ひとりひとりが、他の楽器の音すべてを全体の響きとして聞きながらそれにあわせて自分の音を調整しないといけない。とすると、演奏者の視線が音源の方を向くことはありえない。そもそも、音源の方向というものがない。

もちろんそういうときには指揮者を見ているのが正しい。今日の合奏では最初のウォームアップ練習の時に「なんで視線がよそを向いている人がこんなにいるんですか」と指揮者が苦情を言った。その直前の指揮者の指示がたまたま「遠くに音を飛ばすことを意識してください」だったせいもあって、たしかに、俺はそのとき正面の窓から見える山並みを見ていた。だからずいぶん耳の痛い指摘だったのだが、おかげでたちまち《じゃあ音に気持ちを集中しているときの目の動きってどうなんよ》という心理学的問題意識が頭を支配してしまって、その後はその問題をずっと脳の内側のバックグラウンドで考えながら演奏していたような気がする。俺の考えでは、音に全神経を集中したときの視線の方向には、誰も責任を持てないはずだ。ただし、視線が泳いでいる(目が動いている)のは、音より視覚情報に意識が向いている証拠だから、演奏中にあってよいことではない。指揮者の苦言はひょっとしたらそのことを言いたかったのかもしれない。あとで指揮者に直接聞いてみようと思っていたのだが、演奏会準備の打ち合わせのドサクサがあって、忘れてしまった。


2004年6月11日金曜日

せっかく書いた昨日と今日の日記、手違いで消してしまった。あ〜ん。頑張って思い出して書こう。

今日届いたフリーWebサイトの広告メールのサブジェクトに「ちょっと変わった父の日プレゼント」とあった。ちょっと変わった父のための特別な日というのは、まるで俺のためにあるような日なので、ぜひみなさん俺に何かいいものをプレゼントするように。しかし「ちょっと変わった父の日」とはいつなのかね。

なにしろ、趣味で電子工作というものをやってみようと思ってエレクトロニクスの勉強をしていたつもりが、いつのまにかWikipediaで成層圏のことを調べていたりするので、俺の勉強はものすごく遅い。しかしまあ、ラジオに詳しい人ならエレクトロニクスと成層圏の間を補間できるかも。

・・・というのはさっきまで書いていた日記のほんの一部だけど、結局のところ手違いで消えてしまっても実害が全然なさそうな内容だなあ。


2004年6月9日水曜日

昨日までに引き続き (以下同文)...なのだが、昨日の鍼テープのおかげか、頓服を飲まずに持ちこたえて、夕方には熱も37度台に降りてきた。平熱が36.3℃くらいなので、普通なら36.8℃でもつらいくらいなのだが、昨晩39.2℃というのをやっているから、37.4℃でも極楽だ。まだ頭はけっこうズキズキするが、これもどうにか我慢できる。「寝るのに厭きた」なんてナマイキなことを考えられる程度には回復したので、家事を少し、散歩を少しした。読書やパソコンいじりはまだまだ頭に響く。ズキズキ("-_-;

夜になって帰ってきた娘の面倒を見ていたら、ちとコタエた。治りかけで無理するとこじれるから注意しなくちゃ。


2004年6月8日火曜日

昨日までに引き続き (以下同文)

すべて放棄してひたすら寝る。しかし放棄したからといって頭痛は治まらなかったので、夕方、いつも馬鹿につける薬をもらいにいくO先生のところへ相談にいった。状況をひとしきり説明すると先生はやおら俺の肩をつかみ二三度ぐいぐいと揉んで、「そりゃ肩凝りだ」と断定。鍼テープというものを首筋や肩のツボに貼ってくれた。20カ所くらい、探る様子もなく指で押さえてはテープを貼っていく。その瞬間だけ、チクリという感触がある。

おつむに器質的な損傷があるなんて悲劇的な話じゃなさそうなのはひと安心だけど、このひどい頭痛の原因が本当に肩凝りだとしたら、それも恐ろしい話だな。


2004年6月7日月曜日

一昨日・昨日に引き続き (中略) きょうは平日だから日中家で寝ている限りは静かなものだ。

医者にいって薬を出してもらった。午前11時前に痛み止めの薬を飲んだ。1時過ぎごろから効き目が出てきて、熱と頭痛が引いたので、ちょっと家事をした。3時ごろから6時半ごろまで寝で、起きたらもとどおり熱も頭痛も戻ってきていた。この三日間ずっとこの調子だ。養生のしかたがどっか間違っているらしい。


2004年6月6日日曜日

昨日に引き続き、熱がありひどい頭痛がする。ひたすら寝ていたいところだが、子供が走り回っているとそうもいかないので、妻が一日中子供を遊びに連れていってくれた。おかげでよく眠れた。

書いてて思ったけど、「子供を遊びに連れて行く」と「子供を連れて遊びに行く」とは、ちょっと違うね。


2004年6月5日土曜日

熱がありひどい頭痛がする。ひたすら寝ていたいところだが、子供が走り回っていてそうもいかない(泣)。歩くとみぞおちのあたりが痛むので吹奏楽の練習も休むことにした。


2004年6月4日金曜日

朝、娘を自転車に乗せて託児所へ。3人そろって家を出たのがマズかったのか、娘は託児所までの道中は「ママーママー」とベソをかきっぱなしだった。しかし、託児所前でお友達のハルちゃんと遭遇。子供二人は、一言も交わさないうちに、たちまち大喜びでキャッキャ♪と興奮状態。小さな子供は照れも衒いもなく感情をまっすぐに素直に表現する。すばらしい。

夕方にはピアノのレッスン。管楽器でもそうだが、弱く優しく弾くところでも打鍵はしっかりしないと、ビクビクしていては音が出ない。だもんでM先生に「気をつけすぎると鳴らないんで、気をつけてください」と言われた。「気をつけすぎないように気をつけるんですね」とかなんとか返事したとたん、音楽の練習中に使ってはならないナンセンス中枢神経が発火してしまい、ゲラゲラ星人になってちょっとも弾けなくなってしまった。ちなみにレッスンのお題は《枯葉》だった。繊細な音楽ほど、ゲラゲラ星人が出やすいのかもしれない。


2004年6月3日木曜日

やっと散髪に行けた。視界が明るくなった。気持ちが軽くなった q(^-^)p サイフも軽くなった(T_T)

物置化している部屋の片づけに着手。こりゃ当分かかりそうだわ。


2004年6月2日水曜日

先日アスクルでちょっとした買い物をした。文房具がいくつか段ボール箱に入って届いた。緩衝材(クッション)として、大きな紙を丸めて詰め込んであった。広げると、幅60センチ、長さ160センチくらいだ。床に広げて娘と一緒にクレヨンでお絵描きをしてみると、これが大変楽しい。同じ緩衝材用の紙は長さ350メートルのロールで3千円弱だそうだ。子供のお絵描き用に一巻き注文しよう。

買いたいものが決まっているときには、Amazonやアスクルの通販はすごく便利だ。雑誌を定期購読にするのも同じで、買い忘れる心配がなくなる。確実に手に入る。だけど、店をあれこれ見て回る楽しみもまた捨てがたい。そして通販で買うときも店に足を運ぶときも、財布の紐をしっかり握っておかないと、あとでビックリすることになる。


2004年6月1日火曜日

そんなわけで6月である。

MacPeopleは毎号楽しみにしているのだけど、一番好きな「アイテー虚言録」と「雑記んとっしゅ」を本屋で立ち読みしてひとしきり笑ったら、もう買う気が半減してしまった。あ〜でも7月号には、ビル・アトキンソン(昨年9月30日の日記参照)の来日関連の記事が載ってるんだよなあ。これまた見逃せないなあ。どうしようかなあ。迷い中。

ビル・アトキンソン来日関連のリンク
株式会社帆風のアナウンスメント|CNETのニュース| PCUpdateのニュース|masaさんのレポート

それはともかくとして、『トランジスタ技術』と『Interface』を定期購読することにしたぞ。まだ手続きしてないけど、『UNIX USER』もそうしようかな。