て日


2004年 4月分


2004年4月30日金曜日

今日は京都で妻子を連れて観光した。銀閣寺に行こうと思ったがちょうど93系統のバスを逃してしまったので、あっさり方針転換してJRで嵯峨嵐山へ。駅前で人力車に乗り野々宮神社に行った。(このときの俺たちの姿は、あとで写真をみた両親によると「漱石先生みたい」だったそうだ。) そこから歩いて嵐山へ行き、渡月橋のたもとでレンタサイクルを借りて、落柿舎と二尊院へ。二尊院は小学校の遠足の「嵯峨野めぐり」で、引率の先生に「本尊が二人 (お釈迦さまと阿弥陀さま) おられるから二尊院というけど、まあ子供の観るところじゃないから中は観に行かないよ」と言われたので、それ以来30年間にわたって、「俺ごときが立ち入ってはならない尊い寺」であるかのように印象づけられていた。しかし冷静に考えればそんなはずはないので、30年の恨みを晴らすべく、拝観料500円を払って入ってみた。自転車の子供座席で寝込んでしまった娘を抱えた妻が門前で待っていたので、長居はできなかったが、なかなか落ち着いた雰囲気のいいお寺だった。

とはいえ、お金を払わないと境内に立ち入れない寺というのは、もはや仏教の寺院とは言えないのではないかと、俺は思う。そうかと思うと、二尊院の隣の久遠寺 (だったっけか) は、「当寺院は観光寺院ではありません。信徒以外の方の立ち入りはご遠慮ください」という看板を立てていた。まあ、気持ちはわかるが、それもちょっと違うと思う。「信徒」というものの範囲をどう設定しているかにもよるけれど、もしも「檀家以外入るな」という意味だとしたら、「金のない奴は入るな」と同じくらい、了見が狭い。いい加減な心がけの人間を入れてはならない神聖な場所はあって当然だし、維持管理にお金がかかることも理解はできるが、あくまで原則としては、寺というものは、少なくとも本尊にお参りするところまでは、すべての人に門戸を開放しているべきだと思うのだ。法律上の位置づけがどうであれ、宗教的な意味では、お寺は和尚さんたちの私有物であってはならない (仏さまの弟子は私有財産を持つべきでない) のと違うだろうか。

嵐山といえば、俺が子供のころは、観光客はそれなりにいたけれども、特に何があるわけでもなく、風光明媚で閑静な市民の憩いの場所という感じのところだった。ところが、1990年前後のタレントショップの流行の時期を境に雰囲気が変わってしまった。今日も修学旅行のガキ...いや、生徒さんたちが大挙して押し寄せ、まるでお祭りの日のようだった。ほとんど20年ぶりに嵯峨野に行って、野々宮あたりの竹林の雰囲気はとても懐かしく心が和んだが、嵐山の変貌にはちょっと寂しくなったな。

いやいや、観光地として開き直ったからこそ、人力車サービスなんて粋な商売も可能になったわけで、悪いことだとは言い切れないのだ。いずれにせよ、いろんなものが見聞できて妻の観光衝動も満たされたようだし、いい旅行だったよ。明日は吹奏楽団の総会が開かれるので、妻と娘を実家に残して、俺だけ先に松山に戻ってきた。妻子は明日には山口 (妻の実家) へ移動。

実家の近所の古本店で、中古のゲームボーイアドバンスSPを購入。普段はめったにゲームをしない俺だが、このゲーム機に関してはフリーソフトウェアによるプログラム開発環境が (LinuxマシンやMacintosh上で) 構築できるらしいと聞いて、 面白そうだから是非試してみたいと思ったのだ。大きさも手ごろだし、たとえばPIM (予定表やアドレス帳などの個人情報管理) ツールとかテキストリーダーなんかが作れたら楽しいと思うのだ。 (情報源は、UNIX USERの連載記事) ・・・とかなんとか言いながら、昔なつかし「パックマン」と「ゼビウス」のゲームパックは買ったんだけどね。(本当は「テトリス」と「極上パロディウス」が欲しいんだけど...ないかな)


2004年4月29日木曜日/みどりの日

朝の7時過ぎに神戸の六甲アイランドに着いた。朝食は船で済ませたので、JR住吉駅でコーヒーだけ飲んで、ハーバーランドへ。遊覧船に乗り、MOSAICでシュラスコを食った。いい具合に疲れた頃に再びJRに乗り、京都へ。

FreeDOS上でTurbo Pascal 5.5 が使えることになったので、昔とった杵柄のPascalを思い出そうと思った。それで、以前、Cで書いたプログラム (これ) をPascalに書き換えようと思ったのだけど、どうも標準の Read 手続きを使う限り、入力エラーの処理が自分では記述できないみたいだ。「実数のパラメータを読み込み、これこれのデータを吐き出す」というプログラムだからって、ユーザが数値データを入力するとは限らないじゃないか。何か方法があるかと思って古い教科書を探してみたのだけど、途中のプログラム例に「ここで入力される N は 定数 Nmax 以下の値でなくてはならない」なんて説明があって唖然。そもそも入力時エラーという発想自体がない。プログラムとデータをすべて取りまとめたバッチジョブを何枚ものパンチカードに打ち込んで、耳を揃えてメインフレーム機に読ませていた時代の教科書だから、データを読み取る段階でのエラーというものに真剣にとりあう必要がなかったということかもしれない。


2004年4月28日水曜日

Debianをインストールするために昨晩使った方法はマシンの普段の起動に使うには向いていない。Linuxカーネルをブートするためだけに、いりもしないPC-DOSを、低速で信頼性の低い外付けフロッピーディスクドライブから起動しないといけないからだ。それに、ブートすべきLinuxカーネルも同じフロッピーディスクから読み込むことになり、これに大変時間がかかるのだ。loadlin.exe とFreeDOS と PC-DOS がちょっとずつ噛み合わないせいで、LOADLIN を使うかぎり、どうしてもそういう迂遠な方法で起動せざるをえない。

そこで、LOADLINをやめて、より新しく高機能で柔軟でエレガントなGRUBを使うことにした。GRUB (Grand Unified Bootloader) はもとは Erich Boleyn という人の始めたプロジェクトだが、現在はGNU Project (Free Software Foundation)のサイトからテスト版という形でダウンロードできる。

とか何とかいいながら、今夜はダイヤモンドフェリーに乗って神戸へ。京都の実家へのプチ帰省なのだった。


2004年4月27日火曜日

VersaProはFreeDOSとDebian GNU/Linux 3.0 (woody) のデュアルブートでいこうと思う。で、両OSを再インストールした。なかなか一筋縄では行かなかったぞ。というのも、 (1) FreeDOSでは loadlin.exe がうまく働いてくれない。(2) PC-DOS は FreeDOS のディスクを認識してくれない。 (3) woody の インストールシステムが起動してしまうとフロッピーディスクドライブとCD-ROMドライブが認識されなくなる。というトリレンマ ( = 競合する3条件) があったからだ。

これを切り抜けるためには、次のような回りくどい方法でwoodyをインストールする必要があった。

  1. 必要最小限の構成でPC-DOSの起動フロッピーディスクを作り、それにCD-ROMドライブのデバイスドライバと loadlin.exe と Linux カーネルイメージ (linux.bin) を置く。
  2. 次にFreeDOSを起動し, CD-ROMからFreeDOSパーティション上にwoodyインストールシステムの linux.bin, rescue.bin, drivers.tgz ファイルをコピーする。
  3. 先ほどのブートフロッピーで起動し、インストール用 初期RAMディスクをCDから読む設定で loadlin を走らせる。
  4. woodyインストールの早い段階でFreeDOS のディスクを /dos という名前でマウントし, そこからカーネルとデバイスドライバをインストールする。
  5. Base System とそれ以降の内容はPCカード経由でネットワークからのダウンロードによってインストールする。

これで、普通はFreeDOSが起動し、(i)で作った起動フロッピーを使えばwoodyが起動するという仕組みを作ることができた。しかし、これではカーネルの更新のたびにフロッピーを作り直す必要があるし、Linuxカーネルがブートするまでにめちゃくちゃ時間がかかる。ハードディスクから直接 woody が起動できるように、loadlin はやめて syslinux とか GRUB とか、もう少し高機能なブートローダを使うべきだな。


2004年4月26日月曜日

夕方の4時頃に市民会館の近くを通った。今日は倉木麻衣のライブがあるらしい。開場までまだまだ時間があるというのに、大ホール前のテラスには、若いお姉ちゃんたちが何組かうろうろしていた。ダフ屋らしき男も4人くらいいた。松山にもダフ屋がいるのかあ、などと変なところで感心してしまった。しかし「愛媛県在住、専業ダフ屋」ではとても食えないだろうから、あれは「愛媛県在住、兼業ダフ屋」「広島(あるいは福岡?)在住、出張ダフ屋」「住所不定、ジプシーダフ屋」「倉木麻衣ツアー同行、専属ダフ屋」の4人だったに違いない。

妻の誕生日(昨日だけど)のお祝いにケーキを買いに出かけた。月曜日はラ・ブランシュがお休みなので、菓子夢に行く。いい感じの小さなデコレーションケーキがショーケースにあったので、クッキーに「Happy Birthday」の文字入れをしてもらう。しかし、残業疲れの妻は子供を寝かしつけるうちに自分も一緒に寝てしまったのだった・・・ううむ。

ケーキの行く末に一抹の不安を残しつつ話題はコロッと変わる。

キーボードはコンピュータを使うときになくてはならないデバイスでありながら、コンピュータの仕組みを説明した本などでの扱いが比較的軽い。そりゃあCPUやRAMの仕組みの方が大切なのかもしれないけど、キーボードの仕組みについてまったく知らないでは、やっぱり済まされないので、解説書でのこのキーボード軽視は、なんとかならないものかと思う。

なぜこんなことを言うかというと、とても多くのキー配列に対応しているはずのFreeDOSのキーボードドライバが、どういうわけか日本語106キーボードに未対応だからなのだった。だから、いまのところ俺はいわゆるJIS配列キーボードがいわゆるASCII配列にマッピングされた状態でFreeDOSを使っている。たとえば、JIS配列では[Shift]+[2]は二重引用符 ["] だが、ASCII配列では [@] になるし、ティルダ [˜] は入力できなくなってしまう。英文字や数字の配列などおおまかには共通なので、いまのところそれほど困ってはいないが、早いとこなんとかしたい。KCコマンドを使うと新しいキー配列に対応させることは可能なので、KCコマンドの説明書(英語)を読んで、キー配列の定義ファイルを書けばよい。ただし、それにはキーボードの入力信号がどうやって特定の文字コードに対応づけられるのか、その仕組み (スキャンコードとキーコードと文字コードの違いとか) を理解する必要がある、というわけだ。

それに、キーボード配列の問題はPPC版LinuxをMacintoshで使うときにも別の形で発生する(→ [参考] Debianプロジェクトの関連記事)。ソフトウェアの国際化にからむ多くの問題の一側面に過ぎないといえばそれまでだけどね。


2004年4月25日日曜日

陸地がすべて海に呑まれてしまう夢。吹奏楽でコルネット担当に配置替えになる夢。長距離列車で移動しながら合宿する夢、などなどを見て目覚めたら、熱は下がっていた。

昼間はまだ少し熱っぽく頭痛もした。それでずっとイライラしていてあやうく忘れるところだったのだけど、今日は妻みどりの誕生日だ。先日買ったExcel本を妻に手渡そうとしてそのことを思い出し、これまた少し前に決めて買っておいた小さなプレゼントを添えて渡すことができた。誕生日はラ・ブランシュのケーキでお祝いしようとか言っていたけど、これは明日に延期。妻の勧めでバファリンを飲んだら、夜には熱は下がったし食欲も出てきた。きっと明日は普通に動けるだろうと思う。

過去ログページに備え付けた「て日」専用Google検索フォームがバグっていたので修正。まあ、俺しか使わないだろうけどね。


2004年4月24日土曜日

朝からなんだか体がだるいなあ胃がもたれるなあと思っていたら、夕方になって熱が出た。またしても吹奏楽の練習お休み。あれよあれよという間に39度を超えたのでさすがに頓服を飲んで寝込む。妻もこのところしんどそう。大人二人が体調ダメダメで娘だけが元気なのでとても大変。

寝ていると、古い記憶が自動的にいろいろと蘇ってきた。わっ、これって死ぬ前に記憶が走馬灯ってやつ? だけど、記憶の蘇り方は「走馬灯方式」ではなかった。閉じた目の前に膨大な数の光ディスクの集積が登場し、その一枚一枚に昔の経験が記録されているんだけど、記録の内容は映像ではなく言葉だった。つまり、ビジュアルな幻覚はたしかにあったのだけど、見えたのは記憶が蘇ってくる仕掛けの部分だけで、当の記憶そのものは普通に思い出しているのとなんら変わらない。「故郷の風景」とか「子供のころかわいがってくれたおばあちゃんの姿」とかのありがちな映像もなかった。


2004年4月23日金曜日

提出しなければならない急ぎの書類があるので職場に顔を出した。「ああ、書類書かないと」と思っただけで頭に血が昇って顔が熱くなってきた。こんな調子でちゃんと連休明けに復帰できるんだろうか。・・・とか何とか言いながらも、計算機室に捨て置かれていた古いMS-DOSの本をちゃっかり持ち出してきていたりするのだった。

FreeDOSでプログラムを書くには、もちろん開発環境が必要だ。アセンブラとしては NASM (Netwide Assember) というのがオープンソースで開発されている。あとは、ボーランドの Developer Network に Museum (博物館?) というページがあって、驚いたことに、Turbo PascalやTurbo Cなどの古いバージョンのソフトを無料でダウンロードして使ってヨロシということになっている。ボーランド社およびすべてのオープンソース開発者に感謝!


2004年4月22日木曜日

鼻の病気で託児所を休んだ娘を公園に午前中のうちに連れていって遊んでやった。いい天気だ。公園の藤棚はもう花の盛りを過ぎていたけど、あふれる陽光に透き通るような木々の緑が美しかった。うわっ、柄にもなく文学的だなあ。

夜も更けてから宮脇書店へ行って、Excel使いの妻のためにExcel関数のリファレンス本を買った。自分は時代遅れのMS-DOSのリファレンス本 (システムコールなどの解説) が欲しいけれど、まさか新刊書店にあるはずもなく、古書店を当たることになる。Amazonに行くとマーケットプレイスでいくつか見つけることができる。便利な世の中だ。


2004年4月21日水曜日

FreeDOSがなかなか面白い。先日からPowerBook G4上のVirtual PCと中古のVersaPro NXにインストールしていろいろためしているところ。FreeDOSを使う第一の理由は、DOSでも使わにゃあVersaProにLinuxをインストールしようがない(かといって、そのためにWindows98を入れるのは大げさすぎる)という点にあったが、使っているうちにFreeDOSそのものが面白くなってきた。この先、アセンブラと、できればCかPascalの処理系を入れて遊んでみたい。やりたいことはたくさんある。日本語の表示(DOS/V化)は大変だろうけど、キーの配列くらいはまともにしたい。PCカード経由のTCP/IPネットワーキングなんてことは可能なんだろうか? メーカー製のCD-ROMディスクドライバ(NinjaATAカードのドライバ)をフリーなものに置き換えることは可能だろうか?


2004年4月20日火曜日

3歳の誕生日の前ごろから、娘はよくゴネて泣くようになった。知恵がついてきて、やりたいことが増えたのに、自分でできることは限られているし、親はすぐにダメダメと言うし、自分が何をやりたいか他人に伝える能力すら未発達で、不満ばかりがつのるということなのだろうと、一応は推測される。

赤ちゃんのうちは要求内容もシンプルだから、泣いて親に訴えればたいていのことは解決したのだけど、多少はものがわかり始める三歳児となると、泣いていても解決できないタイプの要求だって出てくる。それなのに、これまでどおり泣きをパワーアップすることで突破口を開こうとすると、かえって袋小路に入り込んでしまう。

早いとこ学んでほしいのだけど、自分の抱えた問題を正しく認識し適切に他者に伝達できれば、たいていの問題はあらかた解決したも同然である。もっとも、それは言うほど簡単なことではない。大人だって、それがなかなかうまくできなくて苦労しているわけだし。こればっかりは、時間をかけて経験を積んでいくしかないし、また、どんなに時間をかけてでも学ぶ価値のあることだ。だから、親としても、楽をしたいからといってご機嫌ばかりとって甘やかすのはそろそろやめにして、正面から子供の訴えにとりあう覚悟をしないといけない。

もしも、三歳児の直面している問題が、俺がいま言ったとおり、ようやく目覚めはじめた自我が初めて経験する現実の壁なのだとしたら、この時期を《反抗期》なんて呼ぶのは親の身勝手というものかもしれないな。


2004年4月19日月曜日

今朝は怖い夢を見た。妻によると、叫び声をあげながら目を覚ましたそうだ。俺の覚えているところでは、怖い夢を見て、恐怖の叫びをあげながら(実際叫んでいたそうだけど)目覚めたと思ったら、なぜか自分は病院かなにかのベッドの上にいて、つまりはそれもまだ夢の続きだった。そこからもう一度目が覚めて、今度は妻子の声がした。まだ半分寝ぼけた頭で「そうだよ現実の世界にはやっぱりこの人たちがいないとね。それにしてもややこしい夢を見たもんだ」と思った。夢には、京都の寺町通り、松山の三越、名古屋の大学の建物、大阪の道頓堀などが入れ混じって登場した。なぜかヒグマも登場した。過去にやり残してきたことや将来の気掛かりに責め立てられるような夢だった。


2004年4月18日日曜日

娘を風呂に入れてやる。珍しく自分からシャンプーすると言い出した。小さな頭を泡ブクブクにしてやってから、「流すから下向いて目をつぶって、ちょっと我慢してね〜」といってザァーっと流したら、案外ケロっとしている。自分の子供だったころのことを考えても、こういうのは一度平気になってしまうと、あとは断然やりやすい。うんうん。ちょっとずつ成長しているのね。


2004年4月17日土曜日

吹奏楽の練習。ちょうどよい柔らかさのリードでまあまあ吹きやすかった。先日編曲したサックス四重奏の曲を初めて合わせた。まあまあ、それなりの音がしてひと安心。


2004年4月16日金曜日

娘を託児所に預けにいって、ちょっと寄り道してJALシティ近くの喫茶店に入った。そしたら、ラッパのOさんがいて、朝食をとっていた。って、この話はこれだけ。


2004年4月15日木曜日

更新さぼりがちですまん (って、誰か読んでますか?) サイトの更新が進まない罪ホロボシに、過去ログ目次に「て日」専用のGoogle検索フォームを設置したよ。ただし、現在のところ、Googleに保存されている「て日」のデータは昨年の12月半ばの分が最新みたい。


2004年4月13日火曜日

お昼前に洗濯物干したら午後から雨。

Mac OS X版GNU Emacsの新しいスナップショット(Carbon版アプリケーション)では、マウスのクリックでカーソル位置を指定できる。これは助かる。


2004年4月12日月曜日

昼間は上着を着ていると汗ばむくらいの陽気だった。今日は娘の3歳の誕生日だったので、行くつもりだったピアノのリサイタルはキャンセル。

デスクの下にフロッピーディスクが何百枚も死蔵してあった。もはや必要あるまいと思って捨てることにしたのだが、プライベートなデータが記録されたディスクもあるから、そういうのは念のために分解して、中の記録メディアをハサミで切ってから捨てる。個人情報を保護しようと思うと、個人情報を反故にするにもなかなか手間がかかるのだった。


2004年4月11日日曜日

食い物ネタはこのさい独立したリンク集ページとしてメンテナンスしていくことにして、「お気に入り:食い物編」を公開した。いっぽう、ソフトウェア関係のリンクなどは、自分以外使わないだろうし、アシが早くてメンテナンスが追いつかないので、ホームページからのリンクを外して私的な利用に限ることにした。

先月上京した折にいった六本木の「吉野」はWebサイトがないけどぜひ紹介しよう、なんて思っていたら、そのとき一緒に行ったWebサイト開発者 (クジラこと小宮さん) の手でページが開設されてちょうど今日オープンしたところだった。すばらしいタイミングだ。

それにしても、愛媛県内の情報のWeb上での蓄積もひと頃と比べて豊富になってきたと思う。食い物系の情報はとくにそれが顕著だね。だから、自分のリンク集は、もとよりcomprehensiveであることなんか目標にせず、自分が人様にお勧めしたい店だけを自分勝手に掲載することにする。


2004年4月10日土曜日

遅い昼飯を食いに「ざ・どん」にいった。後ろのテーブル席の女子高校生たちが、俺がメシを食っている間ずーっと切れ目なくしゃべり続けていた。ブレスの間ぐらいしか声が途切れない。ほんと、あんなにしゃべり続けて、いつ食うんだろう。

体力と気力が足りないので、珍しく練習を休んで家でゆっくり過ごし、練習終了後の役員会にだけ顔を出した。ココスのキャラメルクレープはとても甘かった。(だが、上には上がある。京都の「からふね屋珈琲店」のあんみつは、もっととんでもなく凶暴に甘いよ。)

食い物ネタついでに、お気に入りの店の情報:

■ 炎やラーメン 湊町4丁目。ドトールの角を入ったところ。わりとちょくちょく昼飯を食いにいく。

■ 麺工房茜屋松山本店 北久米。畑寺のキスケパオとか媛彦温泉とかある通りを南下。夕食どきに家族でいく。俺も妻も、ここでは普段の倍くらい食ってしまう。

■ 頬白 三番町とヤサカ通りの交差店。おもてなし用。いざというときにお客さんを連れて行きましょう。

■ リストランテ クアトロ 生石町(フライブルク通り)。イタリア料理店。特別な人と二人でゆっくりと食事をしたいときなんかにどうぞ。

リンク先は店の公式サイトか、459iとか愛媛こまちのグルメ情報サイトなんで、お店の詳しい情報はそちらを見てください。


2004年4月9日金曜日

こういうことは、まあよくあることなんだろうけど、Yahoo!の愛媛県ローカルニュース4月8日分の宇和海の養殖真珠の核入れのニュースと宇和島周辺の市町村合併のニュースの見出しが入れ替わってしまっていた。もう修正されたかな? 一応、キャプチャーを残しておいたよ。(→ news-1.jpg, news-2.jpg)

んで、宇和島市はどうやら法定協議会離脱を決めたらしいんだけど、ひょっとしてこれって、あのときのあの地区のあの市と同じことを考えてるんだろうか。[合併の核になるべき▲▲市が離脱]→[法定協議会が解散に追い込まれる]→[△△町を除く1市2町で再出発]→[あとは好きなだけ▲▲市ペース]ってシナリオ、いつだったか中予地区でありましたけど。

ところで、もうそろそろ「感動をありがとう」と「突然の書き込み失礼します」は勘弁してほしいんですけど。


2004年4月8日木曜日

またやってしまった。PowerBook G4のハードディスクがまっさら... で、OSの再インストールには何の問題もなかったけど、仕事をしばらく休むことになっちゃったのでMicrosoft Officeの再インストールができないのだった。仕方がないから、しばらくの間はメールはClassic環境のOutlook Expressで読み書きすることにしよう。


2004年4月6日火曜日

フェリシモだったか何だったかの最近のカタログで、伊藤かずえがインタビューに答えていた。30代も半ばにさしかかっての結婚と出産と育児を語る、という、まあよくあるパターン。「ヒロインをいじめる意地悪で冷たいライバル美少女の役」で活躍していた若い頃、仕事の合間に通信教育でドレスメーキングを勉強していたというのがとっても意外。そしてもちろん、若さをテコにしない美貌。これがなにより俺にとってはすばらしかった。

娘は最近ちょっとパパっ子になっている。かわいいんだけど、おかげで娘が起きている間はろくに本も読めない。


2004年4月4日日曜日

南堀端の桜(1)
南堀端の桜(2)
桜の花のアップなんて
日本全国どこでも見れるんだけど
なぜかみんな撮影したくなるもんなんですね。

午前中雨が降ったせいでちと寒かったけど、南堀端で花見をしてきた。天気はまずまず。桜は満開。だけど、桜の名所のはずの堀ノ内公園には、意外なほど花見客が少なかった。その理由は明らかで、朝の雨と、風の冷たさのほかに、なんといってもセンバツの決勝戦が夕方4時44分試合開始だった。04年4月4日4時44分って、4だらけだなあ、なんて感想はともかく、地元(というよりご近所)の済美高校が初出場で初優勝をかけて戦うんだから、花見どころではない。俺たちも花よりもダンゴよりもラジオの実況中継に熱くなっていたのだった。いや、優勝してよかったよかった。

花見の席
夜桜

松山城南堀端の夜景
南堀端からJALシティを望む夜景は
けっこう絵になります


2004年4月2日金曜日

ピアノのレッスン。なかなか練習時間がとれない。教材の曲集には好きな曲ばかり入っているので楽しみなんだけどね。きょう「ミスター・ロンリー」が通って、次は「思い出のサンフランシスコ」だ。ツェルニー100番は次回も69曲め。こちらはいつになったら終わるやら、遠い道のり。


2004年4月1日木曜日

というわけで、年度初めなのである。

最近、MacJournalというソフトを使い始めた。これはいわば日誌エディタで、業務日誌のようにテキストが日付時刻の系列で並ぶ形式のデータを作るのに適している。しかも、Weblogとの連携にも優れているという(ただしこれは俺がblogをやっていないので確かめようがないけど)。このMacJournalと、最近の新しいMacを買うとバンドルされているOmniOutlinerなどを併用して、こまごましたメモなどを気軽に残してしかもあとで参照しやすいという状態を作っておけば便利だろうと思う。

俺はなにか思いついたら、とにかくすぐにそこにある紙に鉛筆で書き込んでしまわないと、たちまち忘れてしまう。そのうえ、きちんと整理してものを書くのが、以前にも増して苦手になってきたので、仕事で使うノートも混乱しがちだ。ときどき「頭の中を整理整頓する日」というのを設けないと、どうしようもなくなる。