て日


2004年 2月分


2004年2月29日日曜日

逃げる2月...

今度は童謡の傑作「とんでったバナナ」をサックス5重奏にアレンジしてみた。そのとき参考にした「"日本童謡唱歌全集—ピアノ伴奏付"」は、2,800円という手ごろな価格ながら、収録曲数も多く、きちんとピアノ伴奏がついていてかなり有用そう。図書館で借りたもので少々古そうにも見えたので、多分ダメだろうと思いつつもAmazonで検索してみたら、意外にも在庫があるらしく「2〜3日以内に発送」だったのでさっそく注文。


2004年2月28日土曜日

吹奏楽の練習だ。基礎練習用の楽譜を指揮者が書いてきて全員に配ったのだけど、そのタイトルが「ビールとお茶漬け」だ。なぜかというと、指揮者O久保にとって毎日欠かせない大好物、というか、命の糧なのだからだそうだ。「わたしの場合はカレーだな」「わたしだったらチョコレート」という声がちらほら。俺の場合は、何だろうね。


2004年2月27日金曜日

あっという間に一週間が過ぎて、ピアノのレッスンだ。全然練習できてないよ。一日30分でも練習できりゃ随分違うだろうと思うんだけど。まあ、しかし誰のせいでもなく自分が悪いんだから、文句は言わない。


2004年2月24日火曜日

ちょっとずつ春めいた陽気になってきてますなあ。ってことは花粉の季節か...あ〜あ。

ちょっと遅めに起き出したら妻子はもう出かけたあとで、ダイニングテーブルの上に三越の紳士服セールのチラシが置いてあった。そこへ「価格と品質の両立が理想でした。」というキャッチフレーズが書いてあった。「理想でした(ので、がんばって実現しました)。」と言いたいのか「理想でした(けど、実現できませんでした)。」と言いたいのか、あるいは「理想でした(が、これからは違います)。」と言うつもりか...。そんなことを考えて、しばらく楽しめた。って、このチラシ、きっと妻が「あんたももうちょっとシャキっとした服を着なさい」というつもりで、見えるところに置いていったのだろうと思う。ふむ。そうなのだ。たしかに、着るものにもちょっとは神経を使うべきだ。


2004年2月23日月曜日

市民コンサートの機関誌作りだがちょっと今日はエネルギー不足でちっとも気持ちが入らなかった。ごめんね>他の担当者のみなさん。


2004年2月22日日曜日

瀬戸内海を渡って妻みろりの両親が孫の顔を見にやってきた。

Finale 2004を使ってサックスアンサンブルの楽譜を作った。以前にちょっと手を付けて放っておいたアレンジもの。もろもろの理由で曲名は伏せるけど、誰でも知っているポピュラーな曲ね。演奏会のウチアゲのときに、途中まで作ったものをFinaleで再生してウィンドの楽員の何人かに聴かせたらけっこう評判がよかったので、いい気分が持続しているうちにと思って、張り切って完成させたのだ。来週の練習のときに合わせられたらいいんだけど。

Finaleで楽譜を書くのは楽しい作業だが、自分が使っているプリンタの印字可能範囲をちゃんと把握してページレイアウトをきちんと考えておかないと、印刷するときに苦労する。実際今回もだいぶ神をも恐れぬ、じゃなくて紙をムダにしてしまった。なにしろ、紙代とトナー代で一枚あたり2.5円かかる。今回はもう200円分くらいヤッてしまっているかもしれない。


2004年2月21日土曜日

吹奏楽の練習。はじめてオットーリンクのメタルマウスピースを使って合奏に参加。ティップの開きが大きいせいか、柔らかいリード (一応バンドレンの3半だけど少し古くなったから) では音程が全然定まらない。しかもエボナイト製に比べて外径が細いから、アンブシュアも変えないといけない。途中でしんどくなってセルマーのエボナイト製に戻したら、慣れているはずのマウスピースの感触にびっくり。これは、演奏会が近づいたらどちらか一方を使うようにしないと、どっちつかずでどうしようもなくなりそうだ。ジョーの言うには、一日のうちにマウスピースを取り換えたりするとアンブシュアが壊れるからやめたほうがよいとか。オットーリンクのベルメタルは音色的には悪くないので、7月の演奏会ではこちらを使うことにする。ちょっとずつ慣らさないとなあ。

合奏した曲はサマコン2004の第1部の予定曲。「ディスコ・キッド」が懐かしい。今回演奏するのは、作曲者自身が改訂した新版だ。1978年度の吹奏楽コンクール課題曲として使われた初版とは、譜割りやリピートの付き方が少し違っているし、初版にあった二種類のアクセント > と ∧ の書き分けが、今回廃止されて > で統一された。譜割りの変更は作曲者の考えなんだからかまわないが、アクセントの区別が廃止されたのはとても残念。> は長い「ダー」、∧ は短い「ガッ」というタイプのアクセントで、演奏表現上、まったく別物なのだ。


2004年2月20日金曜日

松山に戻って来て、媛彦温泉でのんびり。やっぱり家族と一緒に松山で過ごす時間がいいな。だけど、神戸への出張は楽しくかつ有意義ではあった。

夜には、団員用の演奏会のCDを作ってパワーブックのCD-Rで焼いた。一枚焼くのにかかる時間はせいぜい4分くらいだが、枚数が多くて大変。


2004年2月19日木曜日

月曜日の午後に電車に乗って神戸へ。火曜日から今日までは、神戸大学でプチ仕事だった。JR六甲道駅ちかくの宿舎から神戸大学のキャンパスへ行くにはかなりきつい坂を登っていかねばならない。適当に体が温まった頃に着く。ちょうどよい有酸素運動だ。神戸大学の建物は六甲の山麓に段々畑のように建てられているから、なにしろ眺めがよい。そういう意味ではいい気分だが、発表の準備が終わっていなかったので、精神的な余裕はあまりなかったな。

明日は移動日でオフにしてあるから、今夜は京都の実家に泊まる。


2004年2月15日日曜日

何しろ昨晩は明け方までカラオケでエキサイトして歌ったもので、今日はろくに声が出ない。まず歌ったのは、楽団OBのT岡君に乗せられて、「宇宙猿人ゴリ」だの「怪傑ライオン丸」だの、昔の特撮映画のテーマ曲。それから、サザン「太陽は罪な奴」、チェッカーズ「ふれてごらん」、風「ささやかなこの人生」など。俺は新しい歌は知らないので、古い歌で歌詞のいいやつを選んで歌う。俺以外 (ITインストラクター、チャンピオン、営業マン、寿司屋、人妻) は全員歌がうまい。そして、それぞれ選曲にポリシーが感じられた。

世の中にはいい歌が一生かかっても歌いきれないくらいたくさんある。

一夜明けて、今日はとても天気が良かった。春が近い。昨日の大風が嘘のようだ。自転車でモスバに食事に行ったり、のんびりと過ごした。だいいち昨日が昨日なので、今日は体力的にも「のんびり過ごす」以外の選択肢は考えたくないのだ。


2004年2月14日土曜日

演奏会当日。

「レニングラード」には、ちょっとリズムの取り方が難しい伴奏のパートがある。このパートを担当する楽員は、練習の時、ほぼ毎回入り方を間違えていた。かなり前からみんな心配していた。今だから言うが、「これ、他の楽器に変えるか、何か重ねたほうがよくない?」という意見もマジで出たのだ。だが、そうはならなかった。

何人かの先輩たちが何度もアドバイスをした。本人も、本番の日が近づいた頃に指揮者に相談に行った。指揮者は棒の振り方を、主旋律そっちのけで伴奏のリズムの取り方がわかりやすい形に変えた。それで、今日の舞台リハーサルでは、リズムの取り間違いは克服された。指揮者は言った。「あなたがこのパートをきちんと演奏できるレベルに到達したことが、これでわかったから、たとえ本番で失敗したとしても、ここにいるみんなは、絶対に文句を言わない。」楽員から拍手が起こった。本番の演奏も見事にこなした。だから、客席で本番の演奏を聴いた人には、これがどのパートの話だか、決してわからないはずだ。親切に手取り足取り(←比喩)指導したTさんも偉かったし、楽員を信頼してあきらめずに指導した指揮者も偉かったが、やはり一番偉いのは本人だ。よくがんばったね>本人

俺はこの件に関しては、ハラハラしながら傍で見ているだけだったが、いい勉強になった。

さて、どの演奏会でも、初めて演奏会のステージに乗る人もいれば、今回のステージを最後に楽団を去る人もいる。そのメンバー構成でステージに乗るのはそのとき一回限り。つねに最初で最後だ。今回は、トランペットを中心に新メンバーを迎えたばかりである一方で、ベテラン(というには若すぎるが)のフルーティストM田とオーボエまゆげちゃん、それからバリサクYOKが退団を控えているので、特にそのことを強く意識させられた。

今日の演奏は、もちろんアラもたくさんあるけど、松山ウィンドらしい熱い演奏になった。一昨年にやはりショスタコの11番をやったときも感じたことだけど、本番の演奏は、終わるのがもったいないくらい、本当に楽しい。

ウチアゲの2次会で朝4時半までカラオケ。チャンプとジョーのデュエットが聴けてよかった。


2004年2月13日金曜日

夕方から演奏会前日リハーサル。やっぱりホールで演奏できるのっていい。明日はいい演奏にしたいな。


2004年2月12日木曜日

USBメモリディスクもずいぶん安くなった。256MBのが7,000円弱だったので新しいのに買い替えたが、容量が大きくなった反面、サイズが小さくなって、キーホルダーとして使おうにも今までのキーリングが通らない。


2004年2月11日水曜日/建国記念日

午前中はのんびり過ごし、午後はサックスの練習をした。演奏会直前の最後のアガキの自主トレというわけだ。知人のご厚意で、本日休業の喫茶店を借りることができた。感謝感激雨霰。しかしたとえば第3楽章のソロの吹き方についてはまだ最終的な結論が出ない。楽章の前半と後半に一回ずつ、譜面づらとしては全く同じソロがあるのだ。これを同じに吹くべきか変えて吹くべきか。まあ、そんな芸の細かいことができるほどウマくないだろうと言われたらそれまでなんだけどさ。夕方からガリクソン君が自主トレに合流。この人は初心者だけどなかなか練習熱心だから、正しい方向づけさえ与えられればすぐ上達するだろうと思う。


2004年2月10日火曜日

娘の体調がよくない。子持ち共稼ぎ核家族はこういうとき大変困る。


2004年2月9日月曜日

胃の調子が良くないので午前中はお休みにして寝ていた。そしたら車を運転する夢を見た(実際には俺は免許を取って10年になるが一度も公道を走ったことがない)。夢の中の風景の元ネタは先日同業者Kくんに連れられて北見から網走へドライブに行った印象だろう。だけど夢の意識(というのかどうかわからないけど)では、そこは九州のどこか、たぶん佐賀か熊本だった。一人で公道を走るなんて初めてなのに怖いなあ。なんていいながら、交差点でバイクの群れをかき分けて無茶な右折をし、海沿いの道や山裾の道をどんどん走る。並行して走る線路を、6本の電線に一度に接触する奇妙なパンタグラフをつけた電車が通りすぎる。これがアクセル、これがブレーキ、ありゃ、これは何だ、とか、走りながらひととおり操作してみるなどという、夢ならではのことをしながら、どうにか目的地に着くと、車は電池で動くおもちゃに変っていた。だが、そのおもちゃは、会議室の壁を突き破って隣室へ走っていきそうなくらい強力で、さりとて手を触れずに操作するためのリモコンもついていない、厄介なおもちゃなのだった。


2004年2月8日日曜日

お昼ごろ、ちょっと用があって高島屋にいった。エレベータに乗り合わせた女性二人が「やっぱり踊らされてるよね。ほら、たとえば節分の太巻きとか」という話をしていた。先日北見で会った若い同業者Yくんもそういう意味のことを言っていたし、メディアの宣伝に乗って節分の太巻きを食うなんてやっぱりおかしいと思っている人は少なくないらしいと知って安心した。

スーパーの食材売り場のポスターに恵方を教えてもらう筋合いはない。

まあ、それを言い出せば聖バレンタインの日のチョコレートもクリスマスイブの恋人ごっこもメディア主導のイベントだ。だからといって、母の日のカーネーションとか土用の丑の日の蒲焼きとか、メディアの宣伝するものすべてを生活から排除していったら、その末に、これが俺たちの生き方だと胸を張って言えるものがどれだけ手元に残るか、非常に心許ない。

コロッと話は変わる…

今日は演奏会直前の追加練習。一時間ちょっとパート練習をした。サックスパート7人中、4人しか参加できなかったが、効果はあった。もっと早くにやっておけばよかったと思う。全体の合奏もやった。それなりに気合いの入った合奏になった。しかし、本番まで合奏に全員が揃うことが当日のゲネプロを含めて一度もないというのは、いままでにないことだ。演奏会が近づいたことで、これまで潜在していたいろいろな問題が見えてきたように思う。

俺たちの楽団松山ウィンドオーケストラは、もちろん他の活動もするが、究極的には定期演奏会を開くために存在している。そのために一年近く練習を重ねてきたわけで、本番の日が近くなると程度の差こそあれ誰もが神経質になる。指揮者とて例外ではない。実際、昨日の練習では同じところを2回連続で振り間違えていた。つなぎの部分を1小節飛ばして次の入りを指示したのだ。楽員一同頭上に「?」マークを飛び出させながらも、音楽はそれでも止まらずに進行した。指揮者はさすがに練習が終わってすぐに気がついたみたいで、「明日もう一度やります」と某所で書いていた。が、今日の合奏ではやらなかった。何か考えがあってのことかも知れないけど。

神経質になったり悩んだり泣いたり、そうしたことを一度は乗り越えて、その末に平常心を取り戻した人は、なんといっても強い。これは、何も知らず何も考えないバカであるがゆえの平常心と、一見は似ているが全然違う。この楽団の演奏会で何度もステージを踏んで、俺はそういったことも多少は学ぶことができた。定期演奏会としては9回目だが、フル編成の出番としては、14日の演奏会が楽団として21回目で、俺にとって19回目だ。ずいぶんと場数を踏んだものだと思う。だが、道はこの先まだまだ長い。

幸せという花があるとすれば
その花の
蕾のようなものだろうか
辛いという字がある
もう少しで
幸せになれそうな 字である

(街のお寺の黒板でみた星野富弘の詩から無断引用)


2004年2月7日土曜日

午後は市民コンサートの定期総会。俺はサークルを組んでいないので議決権はないが、運営委員に名を連ねている関係で出席した。話を聞きながら窓の外を見ると、雪が舞っていた。会場は市民会館の会議室だが、ちょうどその頃、大ホールではコロッケの公演が開かれていて、中ホールではピアノ教室のM先生たちのコンサートのリハーサルが行われていた。

夜は吹奏楽の練習。プレイバックを聴いてみると、本番まで残すところ一週間だというのに問題山積。どうなることやら。


2004年2月4日水曜日

ううむ。ボケボケしている間に記述集合論が面白がられる時代になってしまったぞ。こうしちゃおれん。勉強しなくては。

立春とはいうが、みぞれまじりに小雨が降ったりして、ずいぶん寒い日になった。関西で「お水取りが済まな 暖こうならへん」と言うのと同じように、松山には、お椿さんが済めばもうすぐ春が来る、と言い伝えられている。毎年のお約束のように、お椿さんのあと数日は本当に暖かい日が続いて、松山市民に「ほらやっぱり」と思わせるのだが、しばらくすると必ずまた寒い日が戻ってくるのだ。それでも、南堀端の梅はもう開花しはじめている。寒い冬を黙って耐えて、春が近づいたら忘れずに黙って花を開かせる。植物は偉いね。


2004年2月3日火曜日

節分だもんで「鬼は外・福は内」と唱えながら豆をまく。あとの掃除が大変だがそれはまあ仕方がない。豆をぶつけて追い払っては鬼がかわいそうだから「鬼も内」と唱える、という人もいるが、俺はそれには賛成しかねる。鬼は「外」から入り込んでくるものとは限らない。もっとも恐ろしいのは、自分の心の奥底に潜んでいる鬼だ。そいつらに打ち克つ力を授けてもらうためにこそ、節分には「鬼は外」なのだ。「鬼」とか「悪」とか「闇」の恐ろしさを、表面的な善意で毒抜きしてはいけない。

赤い顔をして毛深くて角を生やしてトラ縞のパンツを履いている鬼はむしろ分かりやすいが、人を欺いて陥れる本物の鬼は、福の神のお面をかぶって白い清潔な衣を着て、明るい優しい声で歌いながらやって来る。14日の演奏会でとりあげるショスタコーヴィチ『レニングラード交響曲』の第1楽章が、ちょうどそんな具合に、「やさしそうな鬼」に取り憑かれた人々が破滅に向かって突進していく様子を描いている。

それまでの音楽の流れを中断して、小太鼓が軽快な行進のリズムを打ち始めると、シロフォンのソロで、明るい能天気なメロディーが歌われる。それは一見まったく人畜無害な、「どこかの誰かが考えた新しいすてきなアイディア」だ。そのすてきなアイディアが、徐々に、いわば口コミで広がっていく。途中に、ジョーのアルトと俺のテナーのソロの掛合いがある。ジョーがひと節歌うごとに、俺がその節を鸚鵡返しに繰り返す。この部分はたいへん象徴的な重要な意味を持っていると、俺は考える。「まだ知らない人にも教えてあげたい」という善意の情熱にかられて、人々が「すてきなアイディア」を周囲に啓蒙しているようすが、ここでは表現されているのだ。練習しはじめた最初のころは、ジョーの表現をできるだけそのまま繰り返そうと俺は思っていたが、そうではなくて、掛合いの間に、ちょっとづつ「尾ヒレがついていく」ように演奏したほうがいいと、最近は考えている。そのほうが、最初は人畜無害だった「すてきなアイディア」が、いつのまにやら地に足のつかないデマとなって広がっていくようすを、よりよく表現できると思うからだ。

やがて、「すてきなアイディア」はどんどん広がっていって、いつの間にかすべての人を巻き込んだ熱狂的な大行進となる。途中で一度だけホルンが一言「これってちょっと変かも」と疑いをさしはさむのだが、もはや抑えの効かなくなったオーケストラは、異論に一切耳を貸さない問答無用の勢いで「すてきなアイディア」を叫び、驀進する。ところが、この大行進が誰の目にも明らかな暴力的な勢いを得た頂点で、音楽は突然転調し、さきほどのホルンの「これってちょっと変かも」のメロディーを歌い始めるのだ。さっきまで威勢よく行進していた、その同じ人々が、一転して口々に「変だ。やっぱり変だ!」と言い始める。そうかと思うと、やっぱり「すてきなアイディア」でいいじゃん、どこも間違ってないじゃん、と言い出す連中も現れて、音楽は急激に混乱の度合いを増し、加速しながらカタストロフィに向かって転げ落ちていくのだ。

これは、戦争のさなかに書かれた曲ではあるが、目に見える戦争よりある意味でもっと恐ろしい、人間の業でもあり現代社会の宿命的な弱点でもある、善意の衣を着た愚かさの罠を表現した音楽だと俺は考える。風向き次第で右にも左にも付和雷同する人間の愚かさや、群集心理の恐ろしさといったものを、ひとことの言葉も用いないでここまで痛烈に表現した音楽は他にない。

というわけで、今夜は節分ではあるが、俺としては、恵方に向かって太巻きの丸かぶりという「どこかの誰かが考えだしたすてきなアイディア」は拒否することにした。実を言うと、京都の町の中心部には節分に太巻きの丸かぶりをする風習があるらしい程度のことは、小学校の図書館にあった『こども風土記』という本で読んで、30年前から俺は知っていた。だが、京都の街はずれの俺の実家にも山口の片田舎の妻の実家にもそういう習慣はなかったし、多少不確かな記憶ではあるが、その『こども風土記』に書かれていたことによれば、太巻きを食うのは年男年女に限られたように思う。きっと俺の実家では節分に太巻きを食ったに違いないと気を利かせた妻が、今夜はわざわざ太巻きを買ってきてくれたのだが、まあそういう理由で、包丁で切って普通に食ったぞ。


2004年2月2日月曜日

ヘタレているうちに月が改まってしまった。このところ体調が悪い。

夕方ごろからどうにか仕事の調子が出はじめ、パソコンに向かってベキバキボキと文章を入力しているところへ電話が鳴った。ありゃりゃ。市民コンサート機関誌部のミーティングをすっかり忘れていた。しゃあないので作業を強制的に一段落させて、続きをどうしようか考えながら歩いて出向く。8時半ごろ帰宅。いつになく品数が多く彩りのある食卓だ。疲れていてあまり食欲はないが、それでも食ってしばらくすると体のだるさがとれて気持ちが少し楽になる。なるほど「食べることは生きることの根っこ」だな。

いろいろ背負い込んでしまうと、しかしどうしてもピアノの練習の優先度が下がってしまう。う〜む。


2004年2月1日日曜日

松山ウィンドの演奏会前なので追加練習。短時間ではあったが、けっこう実のある練習になったように思う。これは言い換えると、普段の時間の使い方がヘタなのだ。普段は練習場所が午後5時から使えて、合奏がだいたい6時半に始まるのだから、それまでの1時間半は自分たちで好きなように練習できる時間。俺たち社会人は週一回の練習時間を確保するのが精いっぱいなのだから、この1時間半をどう使うかで運命が決まる。