て日


2003年 3月分


2003年3月31日月曜日

桜の花も開きはじめて、春らしくなってきましたな。

明日から新年度。心を入れ替えてがんばりましょ。


2003年3月30日日曜日

リニューアルしたフジグラン松山に初めて行った。食品売場がまるっきり変っていた。キリンクラシックラガーの缶入りが出てたので、さっそく6本パックを買ってきた。シアトルズ・ベストもできて期待大なんだけど、ゆっくり見てまわる時間がなかったのが残念。


2003年3月29日土曜日

エアコンのクリーニングに来てもらった。2台で1万4千円だった。これ、タバコのヤニが一番大変らしいのだけど、それはうちでは問題にならない。ただし、ホコリは凄かったらしい。掃除してないもんなあ。恥ずかしい。

Performa6420にMFU2E-221を入れたら、MacOSでは便利になったけど、Linuxが起動しなくなった。Linux育てゲー計画頓挫中。どうしたもんかね。

今度のマウスピースはC*で標準的なティップオープニング(マウスピースの先端部の開き具合)のやつ。これまでのは少し開きの大きなC**だった。で、替えてみた印象では、低い音域が出しやすくなったのと、全体に演奏が楽になった。いまさら言ってもしょうがないけど、1月の定演の前に替えるべきだったかもしれない。その一方で、いままでより、高い倍音成分がやや少い暗めの音になったかもしれず、曲によってはC**のほうが好ましい場合もあるかもしれない。様子をみながら使いわけていこうと思う。

東京で買った中古アルトサックスはどうかというと、ヤナギサワらしく、なかなか音程が定まらない。けっこう吹き込んで感覚をつかまないといけないようだ。だが、悪い買い物ではなかったと思う。


2003年3月28日金曜日

サックスのマウスピースのこと。いままでセルマーのC**を使っていたがC*に替えてみようかと思って買ってきた。明日の練習からさっそく使ってみる。


2003年3月27日木曜日

鳴門と松山の4つの中学校と、うちの近所の私立高校、5校の吹奏楽部が共同で開いたコンサートに行ってきた。どの団体もそれぞれに特徴がある。

とくに、サックスと金管にドラムス1台クラリネット1本という編成でジャズに特化した鳴門第二中はとても楽しかった。たった一本のクラリネットの使い方がすばらしい。これが入るだけで音色がガラっと変る。編成が特殊だから、レパートリーはすべて独自編曲のはずだ。大変だろうがこれからもがんばってほしい。

われらが大久保の率いる松山南第二中、30人でハチャトゥリアンとショスタコーヴィチ他2曲というあいかわらずのチャレンンジャーぶり。「スパルタクス」はすごくよかった。ショスタコでちょっとパワーダウンしたのが残念だったなあ。


2003年3月25日火曜日

あさからずっと、霧雨。

神保町をうろついていたら、すずらん通りの中古楽器店でヤナギサワのアルトサックスが6万円で出ていた。10年〜15年前のモデルだというが、保存状態はよく、ちいさなヘコミが何ケ所かある以外は程度はまあまあ。試奏してみたらそこそこいい感じだったので買ってしまった。あとは、カーニハン・プローガー「ソフトウエア作法」とD.R.Stinson「暗号理論の基礎」を明倫館書店で買った。昼飯は三省堂地下の「BEER膳 放心亭」古風なとてもいい感じのビヤホール。大変気に入った。

秋葉原ではmathey MFU2E-221を買った。これは一枚のPCIカードでFireWire×2, USB×2, 100BASE-TX×1の役割をしてくれるというもの。これで、PCIスロットが一基しかあいてないPerforma6420でもいろいろ使えるようになるはず。駅ビルの「古炉奈」でひと息。古風なとてもいい感じの喫茶店。コーヒーちっと高いけどね。

夜。ネットな友人のKと晩飯、というか酒。新宿の裏通りの地下の居酒屋。最近失恋したというKの話を聴く。深夜まで延々と話しこんだ。

Kを元気づけようと話したいろいろのことが、口先だけの言葉にならないように、俺もしっかりしなくちゃ。


2003年3月24日月曜日

今回の上京の目的は駒場で開かれている学会。講演を聴いたり出席者どうしで情報交換したりしていろいろ触発された。やっぱり、田舎でくすぶってばかりいないで、あちこちへ積極的に出かけていって刺激をうけないといけないなあと感じた。帰ったらがんばってやりかけの仕事を片付けようと思う。

朝、駒場へ向かう京王井の頭線の車内で、ドアにとまっているテントウムシを見つけた。ドアがあいたときに外へ放してやろうと思ってつかまえて手に乗せていたけど、乗ってくるお客さんが多くて果たせず、結局駒場に着くまで手のひらに乗せたまま。胸の前で手のひらを上に向けて広げたお地蔵さんポーズ。おかしな奴と思われたかも知れない。駒場についてホームで手から落としてやると、テントウムシは羽を広げて飛んでいった。

夜は、大学時代の同級生N君と、昨日の話にも出たY君。三人で恵比須で飲み食いしてきた。


2003年3月23日日曜日

仕事で東大に来た。本郷には何度か行ったが駒場は初めてだ。俺は引き続き笹塚に宿泊しているのだけど、神戸の学生のY君は、今朝バスで新宿に着いて、幡ヶ谷から歩いて駒場まで来たというから驚いた。

笹塚周辺はいい感じだ。生活感があって昭和のニオイがして。ここだったら俺でも窒息せずに暮らせそうだなと思う。(って、暮らせと言われたわけではないけど。)


2003年3月22日土曜日

合羽橋の道具店街に行った。ここは言ってみれば秋葉原の厨房用品版。大阪ナンバの道具屋筋もそうだけど、あれよりもっと大規模に、調理器具の店、什器の店、プラスチック製食品サンプルの店、コックさんの服の店、椅子とテーブルの店、暖簾と幟の店、等々が通りの両側にずらりと並ぶ。見て回るだけで楽しかったし、たとえばコーヒーメーカーとか中華鍋とか、うちに一個欲しいなと思う品々もあったけど、結局「置く場所ない/使いこなす才量ない」と思いとどまった。

それにしても、この街で食堂を開店しても誰も本気の食堂とは思ってくれないだろうね。「本日のランチ」とか掲示しても、「この掲示板いくら?え?売り物じゃねえの?」とか言われそうだ。ひとつ角を曲がるとがらっと変わって仏壇の街だってのも、なかなか面白い。

夜は浦和の「百万石寿司」でオフ会。付き出し・刺身・寿司・吸い物・お茶までどれをとっても文句のつけようのない美味しさだった。堪能した。


2003年3月21日金曜日(春分の日)

京王新線に乗って新宿へ。都庁前の公園を少し散策したあと、駅南の高島屋タイムズスクエアに行ってきた。ファミリアで娘の靴と服をさがしたり、東急ハンズを見て回ったり、紀伊国屋書店で本を見たり。

ヨトバシカメラ西口本店でキャノンのデジカメ&カラープリンタのデモをやっていて、娘の写真を撮ってその場で印刷。デジカメは持ってるからいいけど、コンパクトで置き場所に困らない高画質カラープリンタにはちょいと心が動く。紀伊国屋書店ではMPW(MacOS ClassicのApple純正開発環境)について何か資料はないかと思ってさがしてみたが、和書にも洋書にも全然なし。まあ当然か。標準の開発環境としての地位はずいぶん前にCodeWarriorに譲ってしまっていたし、そもそもMacOS Classic自体が、もう忘れられてゆくほかない古いテクノロジーだからね。

休日の新宿は、おもったよりのんびりしていたし、電車でも子供をだっこした妻に席を譲ってくれる親切な人ばっかりだった。(というのは言い過ぎで、俺とほぼ同時に笹塚駅の改札を出たおっちゃんは、切符を持たずに、または未精算の乗り越し切符で、自動改札を強行突破していた。)


2003年3月20日木曜日

MacOS XとMacOS 9のデュアルブートでTeXのデータを共有しようとすると、人間の側で用意するデータはJIS(つうかISO-2022-JPつうのか)コードで行末LFにすればいいけれど、Classic版pLaTeXの吐く *.aux の行末コードをMacOS X側で受け付けてくれず問題が起こるようだ。どうするのがいいか考え中。

家族三人、夜の飛行機で東京へ。笹塚の宿についたのは午後11時をまわってからだ。強行軍だね。


2003年3月19日水曜日

(10日の記述の訂正) 岩波文庫版を買って調べてみたけど、「南泉斬猫」は『碧巌録』にはなかった。『無門関』にあります。勘違いでした。失礼しました。

喫茶店「麦」が立ち退きのため閉店するらしい。水不足のときにタンクに水を溜めて営業していたのを覚えているくらいだから、けっこうつきあいは古いのだが、俺は実はあまりいい客ではなくて数えるほどしか足を運んでいない。それなのに、店のお姉さんは俺のことを、単に顔と名前が一致というレベルでなく覚えていてくれるのだからすばらしい。こんないい店がなくなるのは残念。どこかで復活してほしいものだ。

と書いて思ったのだけど、「顔と名前が一致する」ってのは、言葉どおりにとったら恐いね。たとえば妻なんかものすごく顔色悪そうだし、俺は某楽団の某団員の言うとおり自分のことをヒゲと呼ばないといけないし、その某団員だって眼球が「柔らかいけれども歯ごたえのあるカラフルな駄菓子の一種」になってしまっている。いや、彼女の場合むしろ逆に「眼球を食ってぷにぷにした歯ごたえを楽しむ」タイプかもしれんが。


2003年3月18日火曜日

昨日までの病欠&看護休みを経験して思ったのは、サボリ屋の俺でもやはり仕事を辞めたりしたら後悔するだろうし、そもそも仕事がなかったら、仮に食うに困らなくても自分をもて余して困るだろうなということだ。実際にはいまの仕事をやめたら他の仕事で食っていく才量はないから、現職にいられるのがありがたいと思ってもうちょっと真面目に働くことにしよう。

出張に備えて、外出先でiBookを快適に使えるようにMacOS 9を再インストールした。MacOS X 10.2を入れるときに削除して以来、MacOS 9は入っていなかったのだが、手持ちの通信アダプタがMacOS X 不対応 (未対応ではなくサポートの予定なし) なので、出先ではMacOS 9のほうがよいのだ。さいわい、Postinoのメールボックスの仕様は各バージョンで共通なので、メール環境に関してはシームレスだ。文書の入力は、データはもちろん両OSで共有するし、ちょっと無駄が多いがそれぞれのOS向けにTeX環境をインストールしておき、それぞれに気に入ったテキストエディタを入れておけばOK。MacOS XではJeditとAqua版Emacs、MacOS 9では用途別にYooEdit+Jedit+ミミカキエディットを採用。

本当はMacOS 9でもEmacsが使いたいんだけど、開発元サイトで Emacs 21 does not run under Mac OS Classic on a machine with more than 256 MB of RAM. The Mac OS X version does not have this restriction. と書いているからには、640MBいっぱいいっぱい積んだこのiBookではダメなんだろう。

ミミカキエディットのHTMLシンタックスの表示色はEmacsのとそっくりで面白い。


2003年3月17日月曜日

やっとこさ快復したぜ。6日ぶりに風呂入ったぜ。気分もあらたに仕事するぜ。滞ってるプロジェクトに問い合わせのメールが来て冷汗ものだぜ。「Linux育てゲー」の子供システムちょっとグレてるぜ。でもLinuxいじりは所詮オアソビだぜ。後回しにしてもいいぜ。それよりiBookのMacOS XにpTeXとghostscriptをいれて文章書き上げる方が先だぜ。

ふだん自宅でくつろいで(コワレて、ともいう)いるときには、上の段落の文末の「ぜ。」を「ぴぴ。」に一括置換したような言葉使いで話す。すなわち

やっとこさ快復したぴぴ。6日ぶりに風呂入ったぴぴ。気分もあらたに仕事するぴぴ。滞ってるプロジェクトに問い合わせのメールが来て冷汗ものだぴぴ。「Linux育てゲー」の子供システムちょっとグレてるぴぴ。でもLinuxいじりは所詮オアソビだぴぴ。後回しにしてもいいぴぴ。それよりiBookのMacOS XにpTeXとghostscriptをいれて文章書き上げる方が先だぴぴ。

文字にするとまったくアホみたいだ。っつうかアホだ。こんなことディスクロージャーしても仕方がないが、これは某所で夫婦でピアノの生演奏を聴きながら一杯やっていたときに(ってことは娘の生れる前だな)妻の言った言葉が俺の耳に「ウィンドでも仲良しぴぴ。」と聴こえたことに由来する。

それぞれの夫婦の間にはその夫婦だけしか知らない、その夫婦だけにしか通じない、夫婦だけがわかちあえる、たくさんの小さなこと(そしてたぶんいくつかの大きなこと)がある、というわけだ。うむ。なんとなく意味ありげでいいね。


2003年3月16日日曜日

まる4日微熱が続いたが、頭痛は我慢できる程度に収まってきたし、食欲もでてきたので、明日は出勤できそう。だけど、今日の午後になって妻も娘も37度台半ばとなり、そろって微熱ファミリーになってしまった。あ〜ぁ。もっとも、娘(もうすぐ2歳)の場合37.2度くらいが平熱だし、機嫌もいいし、口数が前より多くなったみたいだから、「知恵熱」かもしれない。案の定、夕食が終る頃には娘だけ平熱に戻った。


2003年3月15日土曜日

Zzzz... ずびび... zz...


2003年3月14日金曜日

Zzzz....


2003年3月13日木曜日

昨晩から熱がでてダウン。ひたすら寝るです。Zzzzz.....


2003年3月11日火曜日

パソコンまわりを片付けていたら、'95年7月から'96年3月という古い日記(マックのテキストファイルを入れたフロッピーディスク)が出てきた。読んでみるとやっぱり恥ずかしい。いちびって青いことばかり書いて、脳内の事情を垂れ流している。そして、当時も今も、たぶん物心ついてからずっと、考えるばかりで行動しないという姿勢だけは一貫してしまっている。なんとも恥ずかしい。このページは公開日記だから、まあそこまでひどくはないにしても、いずれ同じように「恥ずかしい過去」になる運命なんだろうな。


2003年3月10日月曜日

禅の古典『碧巌録』に「南泉斬猫」という一段がある。(3月19日訂正: 本当は『碧巌録』にはこの話はありません。『無門関』にあります)

南泉和尚が寺の境内を歩いていると、雲水(=修行僧)たちが子猫を取り囲んで問答をしているところに出くわした。南泉和尚なにを思ったか、やおら典座(=台所)から包丁を持ってきて、猫を捕まえて弟子たちにこう言った「さあ、この猫を斬ってしまうぞ。なにか仏法に適ったことを言ってみろ。そしたら助けてやろう。」雲水たちは呆気にとられて何も言えない。南泉和尚は仕方なく猫を斬った。

その日の夕方、外出していた一番弟子の趙州が帰ってきた。南泉和尚は趙州にその日の出来事について話した。趙州は聞きおわるが早いか、師の足元から履物を奪いとって部屋から飛び出した。南泉和尚その姿を見て「あなたがいてくれたら、猫を救うことができたろうになあ。」

日本のある禅師(名前失念)はこの公案について「猫を殺さねば弟子を指導することができぬなどということがあるはずはないとは、南泉にもわかっていたはずだ。猫を斬ることで南泉は自分自身をも斬殺し、救いの唯一の可能性である趙州の帰りを待つ他はなくなった。駆け去る趙州に合掌する南泉の姿が目に浮ぶ。」と書いている。

どんな場合でも、大切なのは適切な行動だ。「言うべきことを言う」のが最適な行動である場合もあれば、そうでない場合もある。不殺生は仏弟子の戒律のうちで最も基本的なものだから、猫を救うことは同時に師の南泉を救うことでもある。雲水たちと南泉はどこで失敗し、趙州はいかにして南泉を救ったのか。

・・・いや、俺はよくムダに考えすぎて頭がウニになる(と同時に体が固くなる)ので、時々この話を思い出して自分をいましめているんですわ。


2003年3月9日日曜日

先週からの捜し物はなかなか見つからない。当たり前だ。すぐ見つかるくらいなら、それは「捜し物」ではない。

ありそうなところを探して見当たらないから、ありそうもないところを探すことにして、大掃除を兼ねて家の中を隅々まで探していたのだが、共稼ぎ核家族の悲しさで、作業がなかなかはかどらないのだ。

仕方がないので、実家に「あれ、なかなか見つからんけど、どないしよ」と電話した。というのも、4年前にあること(…って俺の結婚だけど)に関連して父が作ったメモがいまになって実家で必要になったので探していたのだ。そしたら母が「ああ、あれな。昨日こっちで出てきた。おかしいなあ、そっちに送ったはずやのになあ」……、まあ、そんなこったろうと思った。もっとも、父のことだからコピーを作って一部こちらに渡してくれたという可能性はある。大切なデータのバックアップはきちんと取らないとだめだってことだね。

こんなことでもなければ大掃除にとりかかることもなかっただろうから、掃除にとりかかるきっかけを与えてくれたということで両親には感謝しとこう。がんばって掃除しなきゃ。(……とか言いながらパソコンで日記書いてます)


2003年3月8日土曜日

まっさらのディスクパーティションにソースからLinuxシステムをインストールするというのは、ちょうど「育てゲー」のようなもので、軌道にのりだすと面白くて仕方ない。ひとまずログインできるようになったので、次にはルートディレクトリを書き込み可能にして再マウントしたいが、その前にEXT2ファイルシステムのfsckをインストールしないといけない。そのソースは http://e2fsprogs.sourceforge.net/ にある。/etc/init.d のシェルスクリプトが動くためには grep, sed, awk なども追加したい。フロッピーディスクを使うには、FATファイルシステム用のユーティリティーが必要だ。いやはや、こりゃきちんとインストールノートを残しておかないとわけのわからんことになりそうだな。


2003年3月7日金曜日

glibc-2.5.5のコンパイルは夜中の3時過ぎに見たら終っていたので、所要時間は6時間ちょっと。PowerPC603ev 200MHzというプロセッサの仕事だと思えば遅くはない。これから、Gregさんの論文にあるようにsysvinitとncursesとbashとそれから...、使えるシステムめざして頑張ってみよう。


2003年3月6日木曜日

先日からの大掃除で、妻が友人から借りている漫画がひと山でてきた。「Papa told me」と「天才柳沢教授の生活」だ。…って、土曜日までに大掃除のカタをつけないといけないから、漫画読んでる場合じゃないんだけど。“Papa told me”のほうはあまり感心しないが、“天才柳沢教授”はとてもいい。徹底的に冷静でちょっと変わり者のようだけど、実は驚くほど純真で無欲で、絶対に人を見下さない、そんな柳沢教授がいろいろな人と出会う。教授はスのままで接しているのに、出逢った人たちは自分のほうから勝手に救済されていく、そういう話だ。ふむ、「タターガタ=如来」ってのはあるいはこういう人のことなんだろうかなどと、バカな考えが浮ぶ。俺としてはパンクにーちゃんの初登場シーンを是非とも見たいので、週末にBOOK・OFFで足りない分を探すことにしよう。

Googleのトップのバナーがきょうはミケランジェロだったので驚いた。誕生日かなにか、関連した記念日なのだろうか。

PowerMacintosh 9600/233にSonnet Tempo ATA 133を装着して増設したATAハードディスクからもLinuxをブートすることは可能であるとわかった。ただし、カーネルをしかるべくチューンアップ(2.4系カーネルでPromise PDC20268サポートを有効に)する必要がある。あとは、加賀電子のSTF-EZ40GLP(だったかな)をなんとかLinuxが認識してくれないだろうか。自宅の青白G3の内蔵ハードディスクを外してこれを入れたら、高速&大容量で、CPUはG3/300MHzのままなのにマシンの体感速度が飛躍的に向上。しかも音もとても静かで、大変気に入っているのだけど、残念なことにLinuxはこのカードを認識してくれない。

現在Performa6420のDebian (woody)上でglibc-2.2.5をコンパイル中。iBookや9600/233で試して問題なくコンパイルできることはわかっているから、部屋の片付けの間、バックグラウンドでやらせていたのだけど、5時間半たっても終わらない。カーネルコンパイルの比じゃないね。XFree86のコンパイルより、あるいは時間がかかるかもしれない。

つまり、Greg O'KeefeさんのHow To Build a Minimal Linux System from Source Codeのようなことを、PowerPCマシンでやろうとしているわけだ。だいたいはGregさんの書いているとおりにやればいいのだけど、「4. Kernel」と「5. Lilo」のところはPowerMacintoshの場合はだいぶ違う。PowerMacでもiMac以降のNewWorld機とベージュのOldWorld機では違うから、そのうちこのあたりの手順をどこかへまとめて公開しようと思う。

ただ、Performa6420のようなOldWorld機の場合、benhさんのBootXというツール(MacOSアプリケーション/機能拡張)でLinuxを起動することになり、それをもソースからコンパイルするとなると、CodeWarriorが必要ということになりそうだ(いっぽうNewWorld Mac用のブートローダyabootはLinuxシステム上でコンパイル可能)。MPW用にBootXのプロジェクトファイルを書き換えることは可能だろうか?それに、欲を言えば、BootXはもうちょっと使い勝手をよくしたいのだけど。


2003年3月3日月曜日

娘は妻の実家で散髪してもらったらしい。ボサボサだった髪がすっきりして、かわいさアップ‥‥って、親馬鹿だな。

昨日から、ある物を探す目的で家の中を大捜索。ついでに、めったにしない大掃除だ。子供が生れて以来、というより、その1年半前の引越しのとき以来片付いたためしのないこの家のなかを、隅から隅まで整理しなおさないといけないが、夜だけ、しかも子供の相手をしながらなので、なかなか進まない。だけどまあ、あきらめずにやりましょう。


2003年3月1日土曜日

妻子が帰省中なので、ひとりで過す昼間の家の中が妙に静かだ。外が雨模様で街の騒音が届きにくいということもあるのだろうけどさ。久々にゆっくりピアノの練習ができるのはいいけど、やっぱりこの家には3人いないとつまらん。

微熱があるが吹奏楽の練習にいく。空席が目立つが、高校生団員7名は全員来ている。そのうち3年生3人は今日が卒業式だったはず。マジメだなあ。俺なんか高校卒業の日は部活の連中とドンチャン騒ぎしてたよ。

「ゴジラ」の曲をやる。伊福部昭の映画音楽をわりかし素直に吹奏楽に移してあって興味深いが、サキソフォンの構造上の最大の弱点である低いド#とシの交代が頻繁に出てくる。こりゃ相当練習しないとなあ。あとで聞いたところによると指揮者は微熱どころかインフルエンザか何かで吐き気と腹痛をこらえながら来ていたらしい。おいおい。

昨日、iBookのLinuxシステムのgroffを最新バージョンのソースを使ってバージョンアップしたら、マニュアルページが見れなくなって慌てた。理由はもともとあったバイナリとコンパイルしたものとでインストールされる場所が違うからで、設定ファイルを編集したら見れるようにはなったが、ページャ less で表示する部分だけは、おかしくなったまま直せない。w3m を使うようにしてしのいでいるが、マニュアル関連の設定は下手にいじらないほうがいいみたいだな。