て日々

2026年8月

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毎日暑い。だいぶ暑さに慣らされてしまった感がある。

引き続きサマースクールの講演の準備で、下書きノートを作る。全4回の講演のうち第1回と第2回のノートがほぼできた。全体の山場はこのあとの第3回で、まだカケラも書けてないが、これについては昔に書きかけた原稿の蓄積もあるので、あまり心配はしていない。第4回をどうするかを決めねばならんが、このあたりになると、他の講演者とのすり合わせが必要だ。

少し寝坊した。朝食をとり、洗濯をし、昨日買った豚ロースの塊を煮豚にした。三野博司『アルベール・カミュ』(岩波新書)を少し読んだ。お昼前にコミセンの市立図書館に行って本を借り換えて、散歩がてら歩いてエルベに行った。ズワイガニの缶詰と豚挽き肉を買って帰り、近所のスーパーでネギを買い足して、シウマイを作った。日記には書いてないが3日(月)に初めての手包みシウマイを作って、そのときの皮が余っていたのだ。作って試食してみたところ、前回より一味足りない。やはりカニよりもホタテのほうがシウマイには合うのかもしれない。

夕方から正気に戻って、サマースクールの講演の準備をした。講義第1回の下書きを済ませたが、これが60分に収まるかどうか、予断を許さない。ともあれ明日以降、第2回から第4回までの下書きをして、その後で内容の調整をする。

朝、洗濯を済ませたあと、昨日書いたような事情で、きょうも大学に行って、残っていた前期の成績処理を完了させた。これで肩の荷が下りたが、すぐさま、18日からのサマースクールで話す内容の準備にとりかからねばならん。

そのあと例によって一色楽器に油を売りに行ったあと、例によって散歩を兼ねてゆるゆると帰った。街では官製の夏祭りで松山野球拳おどりというイベントをやっている。以前には何度か見に行ったこともあるが、どうやら毎年同じことなので、俺としてはいまさら見に行く気はしない。ただ、踊りに参加するグループの出発点でありゴールでもある堀之内公園にはいろいろな露店が出ていたので、そちらを冷やかしてみた。それで、アンケートに答えてちょっとした景品をいろいろともらった。

毎年同じで驚きはないけどやめるわけにもいかないというイベントが、役所や学校にはけっこうある。とくに夏休みにはそういうのが集中しがちだ。自分だってそういうイベントを仕事のうえで開催せねばならんこともある。もう、いろいろ仕方がない。ただ俺としては、一度は自分の目で見て面白いかつまらないか判断しよう、というだけだ。

帰り道にスーパーで鶏手羽元を買い、堀之内で景品にもらったハーブソルトで味付けしてフライパンで蒸し焼きにした。ちょっと塩気が多いかもしれんが、まあこれはこれで食えるはずだ。

まだ熱っぽいが、いろいろの事情で、休むわけにいかない。無理のない範囲でがんばるしかない。お粥を食べてパブロンを飲んで大学に行く。

20時すぎまでゆるゆるとがんばったが、昨日やり残した分が足を引っ張ったこともあって、ノルマを果たせなかった。しゃあないから明日も大学に行くことにする。

ジョン・ヘンリー/東慎一郎(訳)『十七世紀科学革命』(岩波書店)を読了。科学の歴史が他の文化や政治、経済、宗教などの活動と切り離せないことがあらためて強調される。

数学的な技法と魔術の伝統の中で培われた実験的手法が、近代の自然科学が始まるにあたって、緊張を孕みながらも、古い自然哲学を書き換えていくようすが描かれている。それまで数学は商人や技術者の実践的技術であり、実験的手法は魔術師や錬金術師の領分であったわけで、それらが自然哲学に統合されていく過程の背景には社会や経済の変化のあったことが考えられる。十七世紀の科学者というか自然哲学者には「革命」の意識はなかったかもしれないが、十七世紀後半から十八世紀にかけての啓蒙思想の勃興の背景に、知識体系の革命的変化があったことは間違いない。

この本は先日読んだロイ・ポーター『啓蒙主義』と同じ叢書「ヨーロッパ史入門」全10冊のひとつである。どうりで文献参照の付け方とかが似ていると思った。

妙な夢をみて汗だくになって目が覚めた。熱がある。なんてこったい。今日と明日は前期の成績をつけねばならんので仕事を休めないのだ。

朝のうち、数学図書室で業者の人たちと書籍の移動の打ち合わせをした。立ってると少し辛い。今夜の飲み会はキャンセルさせてもらうことにして、薬局でパブロンを買ってきた。テストの採点をするのだが、ときおり頭痛がするもんで、休み休みやる。思うように進まない。これは週末も出動せねばならんかも。

水曜日だが木曜のスケジュールで授業をする日なので、午前中は卒業研究ゼミをやった。1階述語論理の極大無矛盾集合の性質をやり、極大無矛盾集合の存在証明をした。ストラクチャがあれば極大無矛盾集合の存在は明らかなのだけど、なにしろ完全性定理への布石なので、ここではストラクチャの存在を仮定しないで示す必要がある。

午前中は大学院のゼミで様相論理K、KT、KTB、S4、S5の完全性と有限モデル性質について考えた。午後はほとんどくたばっていた。

いつものように火曜の夜はピアノのレッスンに行った。少し面白くなってきた。

いまはジョン・ヘンリー/東慎一郎 訳『十七世紀科学革命』(岩波書店, 2005年)を読んでいる。読みやすくはないが、いろいろ考えを刺激されて面白い。

午前中、9月修了の修士論文の審査ということをした。

午後は13時から17時まで長〜い会議があった。ちょっと疲れた。

今朝は《美容院で髪を黒く染める夢》を見た。

きょうはジョン・ヘンリー/東慎一郎(訳)『十七世紀科学革命』(岩波書店, 2005年)を読む。17世紀の科学革命を中世との断絶とみるか連続的変化とみるかで科学史の書き方が大きく異なるし、そもそも科学革命の時代には科学という概念がなかった。そういう意味で、科学革命という概念自体が再検討される。難しいが面白い。

昼過ぎにちょっとした用をすませに外へ出た。ついでにショッピングモールの文具店をひやかす。いろいろな工夫を凝らした目新しい文具を見ていると、この新しいノートとペンでバリバリ仕事する自分という幻想を抱かされ、ついつい買いたくなるが、金がないから我慢する。バリバリ仕事するのは文具でなく自分なのだから、いま手元にある文具を上手に使えばいいのである。ボールペンもメモ用紙も未使用のノートも、家にいくらでもある。仕事が捗らないのを文具のせいにしてはいけない。

午後にはブックオフに行って少しだけ本を売った。外が暑い。

M.H.ニコルソン『ピープスの日記と新科学』(白水社)を読了。全編をとおして、ピープスの日記を手掛かりの一つとしつつ、初期の王立協会の活動と、それに対する世間の反応を追いかけている。

いろいろ注目すべき情報を得た。王立協会の創立者の一人ジョン・ウィルキンズが自然の事物に即応した人工言語の構想を(ひょっとしたらライプニッツに先立って)持っていたこと。それどころか100年以上を遡ってフランシス・ベーコンが2進法による暗号コードを(こちらははっきりとライプニッツに先立って)構想していたこと。国王チャールズ2世が思いのほか開明的で、王立協会のことは笑いのタネにしながらも、自身が科学好きであったこと。

訳者の浜口稔は、暗号や人工言語に深い関心のある人らしく『言語機械の普遍幻想』(ひつじ書房)という研究書もものしている。これもチェックせねばならん。

第2編の輸血がらみの話は、正直なところ読んでいて少々気分が悪くなった。第3編では王立協会を茶化して回るウィットたちのことが大きく取り上げられている。17世紀イングランドで発展しはじめた新しい科学が、社会にただちに受容されたなんてことはまったくなかったことを知った。娯楽の少ない時代だからか、王立協会の面々のキテレツな実験はバラッド作者や劇作家たちの揶揄の格好の対象だったようだ。

…俺はこの歳なので、1990年代の「オウム真理教事件」を知っている。あの連中は組織的なテロ活動をしたので断罪されて当然だが、あの忌まわしい「弁護士家族失踪事件」「地下鉄サリン事件」が疑われる前には、彼らは世間に、歓迎はされないけれど、揶揄の対象、コンテンツとして、面白がられていた。王立協会とオウム真理教を同列に並べてはいけないし、うまく言えないのだけど、世間というものの無責任な面白がり方というのは、時代を超えているのだなあとは思う。

なんでもコンテンツ化して面白がる現代のコミュニケーションは、(いや現代に限らないのかもしれないが)俺には病んでいると思える、が、怒っても仕方がない。どうしたものかと考えるばかりだ。

俺はべつだん王立協会とオウム真理教を併立させて物事を相対化させたいのではない。それをやっているのは、俺ではなく(こんな言い方したくないとも思うけど)大衆社会のほうだ。そして、俺がいま関心を持っている17世紀〜18世紀の啓蒙思想というものは、そういう大衆社会(という言葉は当時なかったと思うが)を改善できる、あるいは少なくとも大衆を善導できると考えた思想だった。それから300年ちょっと経過したが、いまはどうなんだ。ここには明らかに(本音では取り組みたくないけど)取り組むべき問題がある。

…「パンとサーカス」という言葉を思い出す。どうやら、これは古代ローマ時代から続く同じ問題だ、しかしだからといって現代が免罪されるわけでもない。その理由を書こう。

今日読み終えた『ピープスの日記と新科学』の第3部によると、風刺詩人のサミュエル・バトラー(ただし17世紀のほう。ユートピア小説『エレホン』を書いた19世紀の作家とは別人)は王立協会の活動をさんざんコケにしたバラッド(俗謡)を書いたが、そのために王立協会の研究成果をかなりちゃんと追いかけている。あるいは、バトラーが追いかけなくても、世間が追いかけてかなり詳しいことが伝わっていたのかもしれない。それがなければ、彼らの活動を茶化したバラッドなんか書けない。どこが痛いところかわからなければ痛いところは突けないからね。王立協会がボケてバトラーら市井のウィット(才人・文人)がツッコむという力学が成立している。このバランスが文化の成熟度なのではないかと俺は思う。

ところで、ウィットたちの風刺と比較すると、当時の大学のスコラ学者の反応は論外なものだったようだ。『ピープスの日記と新科学』の198ページから少し引用する。

ジョン・ウォリスも1669年7月14日にロバート・ボイル宛の手紙で〔オクスフォード大学の講堂の落成を祝った〕式典について書いている:

サウス博士は大学の演説者として長い演説をしました。前半はクロムウェル、狂信者たち、〈王立協会〉、新哲学への風刺まじりの悪罵であり、つづいて大主教、講堂、副総長、建築家、画家を褒めそやしてのお追従、最後に狂信者たち、秘密礼拝集会、包容主義、新哲学を呪い、彼らを地獄ノ業火ニ葬ルベシと弾劾したのです。

笑止なのは、この講堂を設計したのが王立協会設立の功労者であるクリストファー・レンだったことだ。

王立協会と新哲学を呪詛し、その場の権威者たちを褒めそやし、最後は地獄の業火に葬れとまで言う。その演説をしている当の講堂を設計したのが、王立協会の中心人物クリストファー・レンだった。ロバート・サウス博士というのはオクスフォード大学の偉い先生だったのだろうが、これでは他人を批判しているようで自分の恥をさらしているだけである。ボケてツッコまれるのはいい。ボケにツッコむのもいい。だが、こういう形で後世に恥の記録を残したくはないものである。

そんなわけで、世の中には、ボケとツッコミの適度なバランスが必要なのだが、その一方で、世の中というのはどうやらいつもツッコミ過剰で、みんな誰かがボケてくれるのを待ちかまえている。しゃあないので、俺のような浅学菲才の者がボケに回らにゃならない。

思うに、17世紀イギリスは、たとえばコーヒーハウスやニューズブックに象徴されるように大衆社会の萌芽が見える。だけど、まだまだ消費対象としてのコンテンツが貧弱だった。だからその中で常識はずれの尖った活動をしている王立協会が、常識を背景とした才能あるウィットたちの餌食になった。

それで現代だ。いまはツッコミ過剰かつコンテンツ過剰で、ボケとツッコミのバランスが一見取れているようだが、さっき書いた《王立協会がボケてバトラーら市井のウィット(才人・文人)がツッコむという力学》が、どこまでもミクロ化してしまっている。それにツッコミが「笑いのめす」方向にいかずに「責める」行為になりがちだ。べつだん悪いことではないのだろうが、面白くない。

面白くないのは、イヤである。

われわれには、新しい王立協会も必要だけど、それ以上に、世の中の動きにきちんと目配りをして、どこにツッコむかを正しく見抜いたうえで的確にツッコむ、真のウィットが必要なのかもしれない。ボケもツッコミも、どうやらいっぺん顔を洗って出直すべきなんだ。

とかなんとか考えながらいつもの土曜日と同じく一色楽器に行った。サックスの木村先生と、その弟子でいまや高校生になった1.10.1.6.10くんが来たほかは、いたって静かだった。まあ、島谷がいなかったのが大きいな。それから地下BALで一杯飲んで、歩いて家路をたどる。