て日々

2018年7月


2018年7月19日(木)はれ

昨晩は、時間こそ長くはなかったが、久々によく眠れた気がする。きょうも朝から、とある業務であんな計算やこんな計算をしなけりゃならん。昨日は睡眠不足でろくに使いものにならなかったが、きょうは大丈夫。ありがたいことだ。

午後は卒研ゼミ。A7くんがエルブランの定理、nCoくんがa.d.集合族の話。ゼミが済んだらまた朝と同じ業務に戻らにゃならん。これから2〜3週は、俺ごとき窓際要員ですらほとんどの空き時間が埋まるほど、この業務のスケジュールがたて込んでいる。ただし、きょうは医者に行く日なので、早めに抜けさせてもらう。

いつもの医者に行って、最近の悩みごとについて相談に乗ってもらう。客観的な情況にとりたてて変化がないのに自分の感情だけが昂っているとしたら、まあテンションが上がってるってことでしょうから、感情の起伏を抑えるほうの薬の分量を増やしましょうか、ということ。昼間眠くて仕方ないなら20分の仮眠を必要に応じてとるように、ということ。あとは、空き時間が多過ぎるのはどのみちよくない、忙しくしてなさい、ということ。

【20分の仮眠】というアドバイスの要点は次のとおりだった。(1)少し離れた場所にタイマーを置いて寝る.(2)タイマーが鳴ったら止めに行って顔を洗う.(3)長く昼寝すると夜に眠りにくくなるから短く.(4)それで作業を再開して眠ければまた仮眠する.

医者が済んで薬を出してもらって、帰りにどこかでひと息入れようと思ったが、医院と家を結ぶ経路にカフェらしいカフェがないので、フジグランのミスドに行ってカフェオレとエンゼルフレンチ。このごろは隣りのタリーズコーヒーに入ることが多くなって、ミスドは久しぶりだ。本を読んだり昼間の業務で懸案になった計算をパソコンで確認したりしてる間、店員さんが定期的にカフェオレのおかわりを持ってくる。体の組織の8割方がカフェオレに置きかわった頃、手土産のドーナツを買って帰宅。歩数計カウント9,886歩。


2018年7月18日(水)はれ

朝から某所でこの時期特有の学内業務。その後、研究室で受け持ちの学生さんの海外渡航届出書にサインしたり、nCoくんの質問に答えたりする。1年生のY'zくん、夏休みに語学研修でアイルランドに行くらしい。アイルランドいいなあ。羨ましい。ケルト音楽、アイリッシュウィスキー…。

nCoくんの質問はキューネン本第II章のΔシステムの話。後半の、帰納法で \(x_\mu\) を選ぶところがさっぱりわからんとnCoくんが言うので、図を描いて説明する。図のひとつくらい描いておいてもらわんとイメージが湧かないとぼやくnCoくんを「イマジネーションは、こういう議論を通して育てるものだよ」と宥める。著者が図を載せたとすれば著者のイマジネーションに発したその図が読者を拘束するだろう。証明を読んで俺が図を描いて説明すれば、その図は俺のイマジネーションと画力の枠から出ない。それらは、参考にはなるだろうけど、nCoくんはnCoくんで、自力でイメージを涵養せねばならん。著者の描いた図といえども、それがザ・正解というわけではない。それに、ヘタな図がミスリードすることも皆無ではない。

午後、数理論理学の講義。きょうからセマンティクスの話。構造の定義と例。項の解釈の定義と例。原子論理式の解釈。きょうはこれまででいちばん出席者が多かった。初回より多くて不思議なくらいだ。

講義のあとは朝と同じ学内業務に戻る。夕方からは昨日の作業の続きで、2013年までの「て日々」の書式を整える。これでスマホでも多少は読みやすくなったと思う。いずれもっと大幅に手を入れて改装することも考えねばならんけどな。

歩数計カウント11,365歩。


2018年7月17日(火)はれ

午前中、2か月ぶりに散髪にいく。頭が軽くなった。

新入生セミナーAのポスターセッション後半。いろいろなテーマの発表があったが、ポスター発表という形式の場合、数学をテーマに選ぶとどうしても見劣りがする。数学科とはいえ俺の受け持ち学生の3つのグループは数学以外のテーマを選んだ。しかし他チームの中には数論や複素解析などのゴリゴリの数学をテーマとする発表もあって、やはり伝え方に苦労していた。

古い「て日」(2002年10月〜2008年7月の日記)を手入れした。再利用しやすいように文字コードをUTF-8に変更する。ファイル名やエントリのIDを現「て日々」のやり方と統一する。書式をHTML5に合わせる。スマホで見やすいようにビューポート設定を加える。tableタグを使ってコンテンツを配置しているところを改める。画像の置き方を統一する。古くなったリンクを削除する。娘や息子の実名を伏せる。そして、思い出したくない痛い出来事をなかったことにする。けっこう手間がかかった。なんでこんな一文にもならんことに労力を注ぎ込んでいるのかといえば、記録というものが俺には大事だからだ。定期的に読み返して、自分を取り戻すためだ。

あのころ、俺は仕事とピアノの他に、市民コンサートや吹奏楽の練習に定期的に出かけており、子供たちも小さかったから、いろいろ話題を提供してくれた。そのうえ、今と違って、言いたいことをツイッターに吐き出して気が済む、ということがなかった。いまの「て日々」より当時の日記のほうが数段面白いのは当然なのだ。

「て日」の手入れが済んだら、次は2013年までの「て日々」も同様に整えねばならん。本当を言えば、レスポンシブデザイン化ということをしたいところだが、まあ、それは追い追いやることにする。

歩数計カウント11,290歩。


2018年7月16日(月) 海の日はれ

娘の作ったハッシュドポークライスで少し早めに昼食にして、妻と娘と3人でエミフルMASAKIに行く。自分の靴と娘の新しい服を買うためだ。倅は退屈するだろうから留守番。数年前までジャージとか黒いTシャツとかそんなのばかり着ていた娘だが、このごろ実は アクシーズファム がお気に入りらしい。さすがにそう何度も買ってやれるもんではないけどな。俺の靴は普通にABCマートでGTホーキンスのウォーキングシューズを買った。

帰り道、空港通りの海響市場で夕食の食材を買って16時半ごろ帰宅。夕食は刺身(鮭・はまち・鯛・鰹タタキ)と、イカとホタテのねぎ塩焼き。祝日だがピアノのレッスンがあるので、ねぎ塩焼を作るところまで俺がやって、刺身を切るのは娘に任せる。このごろは、キッチンに立てる人間が3人になったので、休日くらい、妻にはくたばっていてもらおう。

で、19時からピアノのレッスン。このごろは、8月のイベントの曲を見てもらっている。運指の工夫の必要なところなど、いろいろと指導をもらった。レッスン後はジュンク堂書店にちょっとだけ寄った。いま陳列の変更作業の最中らしい。これまで3階にあった哲学書のコーナーが4階に引っ越してきた。ひとまず数学や物理の本とコンピュータの本と哲学の本が4階に揃ったのは、俺には便利で嬉しい。そのあと、いつものドトールコーヒーには行かず、市内電車で萱町へ移動して元町珈琲へ。


2018年7月15日(日)はれ

午前中、高校野球地方大会の、ムスメの通う学校の試合をテレビで観戦。若い奴らが何にせよ一生懸命に打ち込んでいる姿は尊い。高校野球に限らず、学校の部活、あるいはもっと広く若者をとりまく情況については、いろいろ言いたいことがないでもないが、それは生徒たちの責任ではない。

昼食には小豆島の素麺を食い、少し昼寝をしたあと、例によってゲーム漬けの倅を外へ連れ出す。きょうは松山市駅から市内電車で道後の温泉街に行くことにした。まず長い石段を登って伊佐爾波神社に詣で、倅におみくじを引かせる。第一番大吉を引いて、倅は喜んでいる。俺は思うところあって、きょうは神籤を引かなかった。石段を下り、次は湯神社にお参りして、冠山駐車場から道後温泉本館へ回る。商店街を抜けて、からくり時計前のベンチに座って倅にソフトクリームを食わせ、自分はALL-FREE ALL-TIMEを飲む。三連休の中日なので、そぞろ歩く浴衣姿の男女が多い。なかなか眼福。少なくとも家でボケボケしているよりはずっといい。

夕食は野菜炒め。昨日買ったもやし2袋を使わねばならないので、もやし炒めを多めに作った。ほかに満願寺とうがらしを炙り、冷蔵庫にあった昨日の残りの煎り鶏を温めなおす。夕食後は普段より多めにピアノの練習の時間をとった。禁酒が一週間続いた。あまり気負わずにテキトーに続ける。

日記を読み返してみると、今月1日にも倅を連れだして神社に行っておみくじを引いている。そしてその晩のおかずももやし炒めだった。どうも変りばえしなくて申しわけない。うん。俺は新しい料理を覚えるべきだ。


2018年7月14日(土)はれ

午前中は温泉に行った。暑い日の午前中だからか、いつになくすいていた。昼食にサラダうどんを作った。紙ごみを紐で縛り、車に積んでフジ松江店にリサイクルポストに持っていく。自分用の靴下が黒系のしかなかったので、明るい色の靴下を6足買った。普段はそれほど気にもしないが、夏場は半ズボンだってはくので、靴下が黒だけではちょっと合わせにくいと思ったのだ。それと、クール素材の敷物を買った。いかにも妻好みのシロクマ柄だ。これはリビングに敷く。

思い立って、ノンアルコールビールを箱買いすることにした。もしも酒を箱買いすると言ったら大反対して運転をボイコットするだろう妻が、これには二つ返事で車を出してくれた。安く買えるかと思って高山町のダイレックス三津店に行ってみたが、ノンアルコールの箱売りはしていなかった。向かいのレディ薬局三津店にもない。まあ、限られたスペースに効率よく商品を陳列せにゃならん店員の立場になれば、俺だってこの売り場でノンアルコールは箱売りしない。スーパードライとか、ストロングゼロとか、そういう売れ筋のもののケースを置くだろう。しかし、今回の俺のテーマはあくまで「ノンアルコール」かつ「箱買い」である。それで、中央通りのラムーに行って、サッポロプレミアムアルコールフリーの24本入りケースを買った。ペヤング超大盛りが1個178円で、コンビニで買うより30円か40円も安かったのだが、こちらの箱買いは見送った。

夜、ある出版社からのメールでの問い合わせに返事を書く。一度にたくさんのことを聞かれると、答えを作文するのが難しい。単に聞かれた順番に答えたのでは、こちらの考えが説明できないし、考えをそのままの順序で書いたのでは、何に対する答えなのかわかってもらえない。設問の大枠に対するこちらの考えをひととおり開陳してから、個別の質問に箇条書きで答える。2時間ほどかかった。


2018年7月13日(金)はれ

川北稔『世界システム論講義 — ヨーロッパと近代世界』(ちくま学芸文庫)を片手に電車に乗って、科学論には近代の世界史についての視点が不可欠よのぉなどと考えながら大学へ行き、生協で新しい本を3冊買った。ジョルジョ・アガンベン『実在とは何か — マヨラナの失踪』(上村忠男訳,講談社選書メチエ2018年)、ヴォルフガング・ギーゲリッヒ『魂の論理的生命 — 心理学の厳密な概念に向けて』(田中康裕訳,創元社2018年)、三田一郎『科学者はなぜ神を信じるのか』(講談社ブルーバックス2018年)。読むべき本が溜まるいっぽうだ。

午後、「数理論理学」の講義。期末テストを8月1日水曜日にするか3日金曜日にするか、1日の午前中には幾何学のテストがあるはずで、同じ日に2つのテストはイヤだという考えもあれば、それでもいいから早く終わらせようぜという考えもある。それで授業のはじめに出席者に挙手してもらったら、みな3日がいいという。というわけで、期末テストは8月3日金曜日。自筆ノート持ち込み可。

きょうの講義は、述語論理における一般化定理。公理の集合 \(\Gamma\) と論理式 \(\varphi(x)\) について \(\Gamma\vdash\forall x\varphi(x)\) であることと、もともと\(\varphi(x)\) に含まれず \(\Gamma\) で言及されてもいない定数記号 \(c\) について \(\Gamma\vdash\varphi(c)\) であることとが同値であるという定理だ。証明を見ればわかるとおり、これはすべての変数 \(v\) について(それが \(\varphi(x)\) の自由変数 \(x\) への代入条件をみたすかぎり) \(\Gamma\vdash\varphi(v)\) であることと同値になる。坪井先生のテキストではさらに、代入条件をみたすある変数 \(v\) について \(\Gamma\vdash\varphi(v)\) であることとも同値だと主張するが、これには実は \(v\) が \(\varphi(x)\) に自由変数として出現しない (したがって \(\varphi(x)\) の自由変数 \(x\) に \(u\) を代入してできる \(\varphi(u)\) の自由変数 \(u\) に \(x\) を代入した結果がもとの \(\varphi(x)\) と同じになる) という条件が必要で、文字通りには正しくない。たとえば \(\varphi(x)\) が \(v\cdot x\geq 0\) だったら、これは原子論理式だからもちろん \(v\) は \(x\) への代入条件をみたすし、\(\varphi(v)\) すなわち \(v\cdot v\geq 0\) は順序体の形式的体系で証明できるけれども、\(\forall x\varphi(x)\) すなわち \(\forall x(v\cdot x\geq 0)\) は証明できない。とまあ、反例を挙げながら話した。次に、背理法の原理を説明。最後に、昨年と同様、次回以降への布石として《この形式的体系は通常の数学の証明に必要な論理の法則をすべて再現できるだろうか。できるとして、そのことはどうやって確かめられるだろうか。すべての数学を形式化してこの論理体系で展開すればいいだろうか。それなら確実かもしれないが、しかし数学はわれわれがここでこうやって喋っている間もどんどん発展を続けていて、その全部を再現するというのは事実上不可能。では、どうするか。》と言って、きょうの授業はおしまい。

講義のあと研究室に引っ込んで、本日〆切のちょっとした学内業務に取り組む。少し疲れた頃合いに、小休止をして立ち上がったら、どうも尻のあたりに違和感がある。なんだろうと思ったら、知らない間にズボンが派手に破れていた。

ユニクロの古い黒デニム。左の尻ポケットの下から横へ7センチほども破れている。

古いズボンだから、尻の骨の当たるところから布が傷むのは仕方がないが、こんなになるまで気がつかなかったのは不覚だ。さっき床に胡座をかいたときに破れたのか、あるいはひょっとして、この状態で電車に乗り、生協の本屋に行き、教壇に立ってロジックの講義をしていたのか。むむむ。かのダフィート・ヒルベルトは、穴のあいたズボンで講義をしても一向気にしなかったというが、俺はむしろ穴があったら入りたい。ロッカーに置いたスーツのズボンにはき替えて仕事を続け、できあがったものを担当のD教授に手渡したら、そそくさと大学をあとにする。この派手な破れかたでは、このズボンは廃棄にするしかない。このさいだから、フジグランに行って1本ズボンを買い足そう。

電車にフジグラン松山に移動。3階のTHE SHOP TKでセールをしている。なかなかいい感じのがあったので試着室で合わせてみると、サイズはいいが、フォルムが細すぎる、スキニータイプのズボンである。これでは、仕事にはどのみちはいて行けないから、真面目なブルーグレイをやめてレンガ色を選ぶ。これに明るいオレンジ系のトップスをうまく合わせれば、来月京都の某所でフルートを吹くときの衣装にいいかもしれない。次に4階でコクヨのソフトリングノート5mm方眼B4サイズ、それとビクーニャの4色ボールペンを買って、1階のタリーズコーヒーに行く。ソイラテを飲み、買ったばかりのノートに買ったばかりのボールペンでぐちゃぐちゃと走り書きしながら、アガンベン『実在とは何か』を読む。

なかなか難しいが、どうやら、この論考でアガンベンはシモーヌ・ヴェイユを長々と引用しながら、量子力学や確率論が実在に向かうのを諦めて可能性の重ね合わせばかりを相手にしていることを批判している。面白いけど、確率や物理を真面目に研究している側としては、これは「そんなこと言われても」と言うしかないだろう。たとえ「実在」と「可能性」が別物でお互いに相容れない対立概念だとしても、複数の可能性の重ね合わせのように振る舞っているのは、ほかならぬ粒子たちである。べつだん物理学者が観念の遊戯として確率解釈を物理学に持ち込んだわけではないし、すべての確率の計算に還元したからといって、物理学者が「実在とは何か」という問いを等閑視しているわけでもない。

倅を塾に迎えに行っていた妻にフジグランに回ってもらって、同乗して帰宅。


2018年7月12日(木)くもり

朝、出かける準備をしていたら、キッチンカウンターの下に置いたローテーブルの上にダイナブックのACアダプタがあるのが見つかった。ここは、いろいろなものが積み上がって、しかも変転窮まりなくつねに流動しているところ。しばしば思わぬものが思わぬ隙間に紛れ込んでいる。なるほど自室や立ち回り先をいくら探しても出てこんわけだ。ともあれ、これでひと安心。

午前中は昨日読んだGarnirの古い論文に関連して岩波数学辞典第4版の「線形位相空間」の項目を読んだりして過ごす。

Garnirの論文では選択公理を可算族に制限するかわりに《実数のあらゆる集合がルベーグ可測である》という仮説(彼の言葉では「ソロヴェイの公理」)を置いて関数解析を展開するとどういうことが言えるか、ということを論じているのだけど、ここで得られた結果に関する限り、必要な仮説をルベーグ可測性よりも真に弱いものに置き換えられるように思われる。さしあたりそのことを確認し、次はできれば数年前に \(\ell^\infty\) の双対空間について考えたこととの関連も調べよう。本当は類似の結果を関数空間 \(L^\infty\) で考えたいところだが、この場合は双対空間における \(L^1\) の補空間を \(\ell^\infty\) の場合のように具体的に定義できるかどうかがそもそもわからない。わからないが、そういうことを考えるのは、実はとても楽しい。

午後は卒業研究ゼミ。nCoくんがケーニヒの定理の証明と基数の冪乗の話をして、キューネン本第I章を済ませる。A7くんは就活のためお休み。

夜、帰宅してみると、「数学セミナー」8月号と、一昨日注文したスペアのACアダプタが届いていた。届いたスペアは純正品と定格が同じで寸法が少し大きめの互換品。これは家に据え置きにして、普段は研究室に純正品を置こう。このダイナブックは電池の持ちがとてもよいので、出張のとき以外は、それで困ることはあるまい。

歩数計カウント10,672歩。夕食は娘の作った親子丼。なかなか美味しかった。月曜日から禁酒継続中。いろいろの不調が酒のせいであることが、いよいよハッキリしてきた。ううむ。


2018年7月11日(水)くもり

昨日からダイナブックのACアダプタが見当らない。昨日の朝に行ったカフェか銀行にあるのだろうと思ったが、問い合わせたところ、どうもそうではないらしい。家のどこかからひょっこり出てくる可能性もあるが、あまり期待できない。電池の残量があるうちに、近々更新が必要になりそうなデータをUSBメモリにコピーしてダイナブックをシャットダウン。スペアのアダプタを(Amazonでは見つけられなかったので)楽天市場で注文した。数日は、パソコンを持ち歩くのはやめよう。

「数理論理学」講義の9回目。前回やり残した∃除去の推論法則の詳細をやって、次に仮定をもつ形式的証明の話をし、いわゆる「演繹定理」を証明。

演繹定理とは、閉論理式の集合 \(\Gamma\) と閉論理式 \(\phi\) があったとき、任意の論理式 \(\psi\) について \(\Gamma\vdash\phi\rightarrow\psi\) と \(\Gamma\cup\{\phi\}\vdash\psi\) が同値であるというもの。われわれは論理演算 \(\rightarrow\) について《\(\phi\rightarrow\psi\) とは、\(\phi\) という仮定のもとで \(\psi\) が成り立つことにほかならない》と、インフォーマルには理解している。このインフォーマルな理解がフォーマルな論理体系に適切に反映されていることを、演繹定理は意味する。だから、意味内容を考えれば当たり前のことになってしまうけれども、ごく少数の推論規則だけを認め公理からの導出ですべての論理法則を確証しようとするヒルベルト流の論理体系においては、これは有用不可欠な定理である。まあ、そうはいっても、証明はそんなに難しくはない。もう一つの、∃除去の推論法則については、2010年6月29日の日記に少し書いてるので、そっちを見てください。

夜は元町珈琲に行ってH.G.Garnirという人の古い論文を読み、少し食材を買って帰宅。休肝日3日目。歩数計カウント16,581歩。

やる気のないあひるやる気のないあひるやる気のないあひる

この数日「数学の勉強において暗記は是か非か」という話題がツイッターを賑わしていた。俺は数学者あるいは研究者として成功しているとは言えないし、そもそも勉強嫌いなので、本来ならば勉強法を云々する資格がないのだが、因果なことに大学の教員などという稼業だから、学生さん相手に勉強法の話をする必要に迫られることはある。

大学教員が勉強法を語るとしたら、受講者全員にその科目の勉強法を語るか、個々の学生が自分に適した勉強法を考えるのにつきあうか、このどちらかだろう。いずれにせよ《数学の勉強法という名の一般論》がありうるかどうかという問題とは、一応別の話になる。俺は、何かの試験に合格させることを目的として人にものを教えることは、ないというか、できない。(大学院生時代に予備校の講師のバイトを紹介されたが1週間でクビになった実績あり。)何らかの話題について、聞き手がある程度体系だった理解をしてくれることを目的に説明するということになる。そこで「理解」というものの成り立ちを考え、それを目指して進む。以下の話は、そういう目標を前提として読んで欲しい。

今回話題になっている、暗記を排除するかしないか、という話に対する答えは明快で、「前もっては、何も排除しない」

昨日配信の結城浩メルマガでは、受験勉強のスケジューリングが話題に上がっていた。以前に質問箱に来た話題だとしたら、TLにも流れたんだろう。そこでは、入試当日という絶対的デッドラインを睨んで全体像を描き、個別項目の進捗を自分で把握しなさい、というアドバイスがあった。大きなプランの中で作業をする。それは大事なことなんだろう。(18歳のときに俺にできていたかどうか。たぶん全然できていなかったはずだ。)ただ、個々の作業は、いつでも一個のトピックに対してなされる。この一個のトピックに取り組む姿勢として、あらかじめ何かを排除してはいけない。できることは何でもしないといけない。

暗記の是非については、相転移Pがツイートしてたように「ほんとうにくだらなくて」と言ってしまえばそれまでなのだ。勉強ということをするにあたって、有効かつ合法的な手段はなんであれ採用しなければならない。となると、話は「暗記は有効か」という論点に移るが、そりゃ有効になる場合があるでしょうよ、と言わざるを得ないだろう。

たとえば公式なら公式を、まず覚え、それを使いこなせるように演習問題をひと山やる。最初の段階は暗記でかまわない。だいいち、覚えてなきゃ使えない。

ただ、使い道や値打ちがわかってくれば、そのうち(ちょっと適切な言葉が見つからないんだけど)手に馴染むというか、親しみが湧くというか、そういう状態になる。それが理解の第一歩だ。それからは、その公式が生えてる地面とかその周辺の風景にも目が向くようになるだろう。

数学のトピックは歴史上の人名のような偶然的な任意定数ではなくて、背景に議論の流れが必ずある。その議論の理解が進み、納得できれば、もはやそれは、身についた状態になっているわけだから、もう暗記とは呼ばれない。勉強というのは、そのような状態を目指して進むもののはずだと俺は思う。だから、暗記の段階で止まっていては仕方がないというのも本当なのだ。

それでも、暗記の段階で止まっていては仕方がないというのと、勉強法として暗記を排除するというのとは、全然別のことだ。そもそも、暗記すらできないなら、使いこなす段階へ進むための道が断たれているわけで、もう仕方がないではないか。ついでに言えば、暗記の段階で止っていては仕方がないというのは、ひとまずヤミクモに記憶するしかない歴史上の人物の名前にしても、元素の周期表にしても、およそ学ぶに値するものなら、何であれ同じことだろう。

ツイッターで流れてきた研究者さんたちの意見では「研究者は手持ちのカードが多くなきゃいけない。覚えてなきゃ仕方がないから、暗記も大切」というのが多いように思った。が、彼らが「暗記」という言葉で意味しているのは、きっと公式が生えている地面やその周辺の風景まで含めたその土地に、ある程度馴染んでいる状態のことだ。

というわけで、結論としては「暗記の是非」が「暗記もアリですか?」という意味だとすれば「是(できることは何でもやろう)」だし、「暗記だけしか能がないけどいいですか?」という意味だとすれば「非(学問をなめんな)」である。

いや、長くて雑で読みにくい文のうえ、結論が当り前すぎて申しわけない。


2018年7月10日(火)はれ

朝、いよてつ高島屋前の広場にはクマゼミの声がする。夏だ。

三番町ガーデンプレイスカフェでコーヒーを飲みながら、D.A.Martinの2003年の論文を読んだ。内容は決定公理からルベーグ可測性が導かれるというMycielskiとSwierczkowskiの定理の第3の証明だが、ゲームのルール自体がとてもシンプルなのが特徴だ。そのゲームの議論でうまく可測性が示せるという証明も、追っていくのは難しくない。しかし、細かいところで疑問が少し残ったので、あとでもう少し考えよう。

そうこうするうちに、郵便局の開く時刻になったので、中央郵便局に行って、赤十字の「平成30年7月豪雨災害義援金」にいくらか送金した。窓口の局員さんの話では、災害義援金などの寄付金は本来なら振込手数料が免除になるはずだが、機械ではそこの判断をしてくれないのでATMからの振込では通常の手数料がかかることになる。だから、できれば窓口を利用してくださいとのことであった。まあ、手数料はたいした金額でないから、どうしても人と対面したくない、あるいはできない場合は、ATMからでもいい。寄付してやってください。

新入生セミナーAの授業は、いよいよポスターセッション。2回のうち1回め。いろいろ思いもよらないテーマの発表があって楽しかった。来週もがんばりましょう。その他にも、仕事の進捗が少しだけあったのでよかった。昨日に引き続き休肝日。


2018年7月9日(月)はれ

きれいに晴れた。昨日までの大雨が嘘のようだ。山を見ると、太陽の光を浴びた木々の緑が目に鮮やかで、これは美しい景色と言わざると得ない。しかし、大雨で日本中に沢山の死者が出ていることを考えると、この美しい世界というものが、実に残酷なものに思われる。パスカルの『パンセ』ではないが、人間は葦のように弱い。だから、多くの人と連帯して、強くならにゃならん。そのためにも、よく考え、よく学び、そしてよく働かにゃならん。酒の飲みすぎで腹を壊している場合ではない。

日本赤十字社が明日から「平成30年7月豪雨災害義援金」の受付を始めるという。義援金・支援金のいろいろな窓口がある中でも、赤十字は信用してよいと、俺は思っている。雀の涙ほどで申しわけないが、明日さっそく郵便局から送金することにしよう。

夜は例によってピアノのレッスン。それからドトールコーヒー。『線形代数と量子力学』を読んで少し計算する。といっても、随伴写像の存在とその線形性とか、射影作用素が線形であることとか、正規行列の対角化とか、そのあたりの、要するに線形代数の復習レベルだ。


2018年7月8日(日)あめ

雨はほぼ上がっている。しかし、この雨で、全国で70人、愛媛県内だけでも18人が、洪水や土砂災害で亡くなったという。(しかも、行方不明者がたくさんいるから、これから犠牲者が増える恐れがある。)大洲など肱川水系には集落がまるごと水没したところもある。えらいことだ。さりとて、今のところ俺には何もできない。せめて、どこかの窓口から些少の義援金を送ろうと思う。

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さて、以前からの約束だったから、娘をエディオンに連れていって、ワコムのペンタブを買ってやる。パソコンは、しばらく倅に使わせていたLenovo Ideapad 300を娘に回して、お得意のお絵描きをさせる。倅にはもう少し小振りのLenovo Ideapad Flex 10を使わせる。ただしこれはHDDが遅くてつらいので、SSDに換装したい。交換用のドライブはあるが、自分でやるとWindowsの移植ができなさそうなので、業者に連絡してやってもらおう。

エディオンから市内電車で移動してお絵描きソフトの参考書を探しにジュンク堂へ行く。そのあと、娘はアニメイトに行きたいというが、さすがにお供する気にならないので、別行動で小一時間銀天街をうろうろし、サンマルクカフェで合流。サンマルクカフェのフレンチトーストはすごく甘かった。マツキヨで 《麻婆豆腐の素》と《かに玉の素》を買って、17時すぎに帰宅。夕食は俺が担当。玉子がすでに1パックあるところへ、昼に妻がもう1パック買ってきたので、夕食には玉子料理をしようと思ってかに玉にしたのだ。市販の《素》を使う手抜き料理だが、形を綺麗に作るのがとても難しい。それと、冷蔵庫に長いこと置いてある豆腐が使えるもんならと《麻婆豆腐の素》を買ってきたのだが、その豆腐はさすがに古くなっていたので、近所のスーパーで買い直し。ついでに甘長ししとうを一袋(3個)買ってきて、炙って削り節と醤油をかける。


2018年7月7日(土)あめ

54歳の誕生日。何人もの人からお祝いのメッセージを頂戴した。妻が新しい弁当箱をプレゼントしてくれた。ありがとう。

早朝5時、iPhoneの警報音に起こされる。土砂災害の恐れがあるための避難指示だ。山沿いの人は避難するようにとのこと。うちはどう考えても山崩れに巻き込まれることはないので、ヘタに動かず、ひとまず家でおとなしくしておく。さすがに、週末恒例の温泉にも行けない。

先日帰りがけに本町のファミマで見切り品ディスカウントになっていたの買ってきた「キューピーチョレギサラダドレッシング」というものが、サラダにかけるのもいいが、むしろ焼き飯の味付けに好適であることを発見。玉子と豚肉と刻み高菜で焼き飯を作って、ソースとしてこのドレッシングを使うとなかなかいい。読者もやってみ。で、朝飯にそれを作って白ごはんがなくなったので、昼飯は中華つけめんにした。それと、久々に、ゴーヤと豚肉のオイスターソース炒めを作った。倅がゴーヤを食わないと思って、長らく使わずにいたが、先日あらためて聞いてみたら「いや食べるよ」とのことだった。これから真夏にかけて、炒めものや焼きそばの具に使ってみようと思う。夕食も作る気だったが、長々と昼寝しているうちに妻が作ってしまっていた。


2018年7月6日(金)あめ

各地で天気が大荒れで、九州北部に大きな被害。京都でも桂川や鴨川があふれそうだとか。実家の母によると、桂川流域は周山から淀まで避難指示。鴨川にヌートリアが出没することはこれまでもあったが、ツイッターで流れていたレポートによると、イノシシもシカも出たし、とうとうオオサンショウウオまで現れたらしい。

松山も、いまのところ平穏だがずっと雨が降って、11時現在、大雨と洪水の警報が出ている。こんな日だが、朝から大学院入試関連の業務。昼休みには会議があり、そのあと講義があるから、ヘタすると14時半まで昼飯が食えないかもしれないと警戒していたが、10時半には業務終了でひと安心。昼休みの会議というのははっきり言ってうちの教室の悪習だが、今回は20分足らずで終了。結局あまり心配することはなかった。

「数理論理学」講義。さすがにこの天気だから、お客さんの入りが少ない。高座に上る者として、こういう日は、わざわざ来てくれた人にサービスしてお得感を持って帰ってもらうべきなのか、あるいは今後の授業の進行を考えて、あまり新しいことを言わずに済ませるのがいいのか、迷うところだが、少なくとも「せっかく来たのになんだこのダラシナイ芸は!!」と言われることだけは避けねばならん。授業の冒頭でそういうことを言ったら、最前列の秀才172くんに「そんなこと考える学生いませんって」と笑われた。

講義は形式的証明の例。三段論法、等号の対称律、等号の推移律と説明したあと、論理式への項の代入条件(代入したら束縛変数になる変数が項に含まれていないこと)について問う小テスト。それから、ラベルつきタブローによる命題論理のトートロジー判定の手順について話した。トートロジーについては真理値表の方法をすでに紹介しているし、今後の授業で必須というわけではないが、面白く有用である。そういう意味で、こういう出席者の少ない特別な日に触れる特別なトピックとしてふさわしい。


2018年7月5日(木)あめ

昨日は天気がよかったが、今日はまた雨。時々やんだりしながらも、夜まで降り続いた。

午後は卒業研究ゼミ。A7くんは足し算やかけ算を表現するラムダ項の例と、ラムダ項が正規形をもつかどうかの判定アルゴリズムが存在しないことの証明など。nCoくんは共終数など、基数の理論の初歩的なところ。

仕事場の新しいプリンタ、沖データC332dnwが届いた。これで、小テストやら原稿やらの印刷がスピードアップする。

左がC5900dn, 右がC332dnw
業務の引き継ぎについて語りあうOKIのプリンタ2台

前のC5900dnは長年にわたって本当によく働いてくれた。古い「て日」の記述でも2007年の6月に登場しているから、かれこれ11年以上になる。このごろ、印刷結果にトナーがこぼれたような汚れがちらほら見え始めた。そろそろ定着器とかベルトユニットとかの(二度目の)交換時期なのだ。それで、見積をとったところ、どう考えても新しい新品の(という日本語は変だけど)プリンタを買ったほうが安いぞこれは、ということになった。

天気もよくないし、明日の朝も早いし、今夜はパソコンをもたず、いつも持ち歩く本もほとんど全部置いて帰る。荷物が軽くていいや。


2018年7月4日(水)はれ

このところずっと同じことばっかり言ってる気がするが本当にこれはまずい。昼間に働いて夜に休むのがヒトというものの正しい生き方だと思うのだが、このごろは、昼間に眠くて仕方がない。今日など、研究室で読み書きをしていると、たびたび寝落ちして、おまけにいろいろ妙ちきりんな夢まで見た。海外旅行でもないのにまるで時差ボケだ。とかなんとかいいつつ、まあ何もしなかったわけではなく、第4章の赤入れをファイルに反映し、nCoくんの質問に答え、数理論理学の講義(推論規則と形式的証明の概念)をやり、夜になってから、いくつか事務仕事を片付ける。帰り道のコンビニでお酒を買って、ほろ酔い気分で歩いて帰ったら、普段40分のところ、2時間かかった。ベンチに座り込んでツイッターしてる時間が長すぎたからだけど。歩数計カウント13,215歩。


2018年7月3日(火)あめ

天気もよくないし気分も乗らない。パソコン屋さんに見てもらって、プリンタの部品交換を手配。夕方は新入生セミナーの授業。1年生たちがいそいそと発表の準備をするのを見守る。電源の壊れた先代Windows PCの廃棄。帰宅途中のスーパーで明日の弁当の食材などを買って帰る。歩数計カウント12,112歩。夜に届いた見積書を見る限り、プリンタは新品を張り込んだほうがむしろ安上がりのようだ。


2018年7月2日(月)はれ

朝は三番町ガーデンプレイスカフェに行く。次に市役所に行って固定資産税を納める。11時に仕事場のプリンタのメンテナンスに業者の人が来てくれると思って10時前には研究室入りしていたのだが、1日勘違いしていた。プリンタのメンテナンスは明日だった。先週金曜日の授業でやった小テストの採点と集計。集合論テキストの手直し。

古いノートを少し整理。雑記帳がわりにしていろんなことを書いたダイソーのスケッチブックが、ずいぶん増えた。一番古い日付が2015年の4月ごろだから、3年くらいのあいだに12冊ほど使った。まあ、たいしたことは書いてないのだけどね。読み返してみると、ヒルベルト空間がどうしたとか、ホモロジー代数がどうしたとか、多少は勉強しているのだけど、どれもこれも、ぜんぜん身についていない。つまり、なんというか、知識の歯車が噛み合っていないのだろう。しかし諦めることはない。めげずに続けましょう。とかなんとか言いながら、半年前のRSL(というのは記号論理学協会ASLの論文誌The Review of Symbolic Logicのこと。2017年12月発行の第10巻第4号)を開く。目的は量子集合論についての小澤正直先生の論文だけど、不完全性定理の拡張にかんする菊池誠(神戸の)と倉橋くんの論文も載っているし、「フッサールはゲーデルの不完全性定理を学んだか」というテーマについての哲学史的な論文も載っている。

夕方、向う半年分の月謝を先払いしてから、ピアノのレッスンに行く。しばらくは、ブルグミュラーはお休みして8月のイベントの曲と11月の発表会の曲を見てもらう。俺の場合、常に脱力が課題だ。それに、そもそも、もっと楽器に触れる時間を増やさにゃならん。レッスン後はドトールでひと息入れる。いつものコーヒーではなく、パインヨーグルトというものを飲んだ。歩数計カウント12,893歩。


2018年7月1日(日)はれ

今日は朝のうちに、昨日行かずじまいだった温泉に行った。昼食は今日も半田そうめんだが、娘と倅と俺の3人でそうめん一袋だと、俺と倅には物足りないので、追加で信濃のそばを茹でた。これからのシーズンは昼飯にそうめんやそばが嬉しい。阿波の半田そうめんは小豆島やなんかのそうめんと比較して太めでコシがある。なんか、ひやむぎに近い。そうめんにもいろいろあるんだな。

半田そうめんと小豆島の「島の光」の比較
上が半田そうめん
下が小豆島の「島の光」

午後は倅を連れて、井手神社に行っておみくじを引く。参拝のとき40円お賽銭を出したら小銭がなくなったので、千舟町のローソンで飲み物を買ってお金を崩したが、うっかりしていて、500円玉+30円という結果になった。おみくじは1回100円だが、まあいい。神社に戻って参拝からやりなおす。500円をお賽銭箱に入れて、自分と倅がそれぞれおみくじを引く。俺二番大吉、倅十一番大吉だ。

続いて立花町を散歩。大音寺にも詣でる。雲が多いけれども、それなりに夏らしい日射し。けっこう暑いので自分がかぶっていた帽子を倅にかぶらせる。それで天山のイオンまで行って、フードコートでひと休みしてから、2階で自分の帽子を買い直し、ついでに小銭入れを買い替える。どうしてもたくさんのポイントカードを持ち歩くことになるので、札入れと小銭入れを別にしているのだが、とくに小銭入れは傷みが激しい。前回買い替えたのは一昨年の11月13日だそうだ。それから電車で帰宅。歩数計カウント12,825歩。

コンパクトなサーキュレータ
夕方にはダイキに扇風機を買いに行った

夜、夕食の足しに、もやし炒めを作った。彩りを考えると「うすくち醤油」を使うべきだと思った。

妻が借りてきたNHKの『神の数式』のDVDを、夕食後に観た。といっても全4話のうち第2話までで、ヒッグス粒子の存在が確認され、素粒子の標準理論が完成したところまで。なかなか面白かった。エモいBGMや中二病的な演出などなどは蛇足だと思ったけど。

ヒッグス粒子発見が話題になった数年前にも思ったが、《真空が粒子で埋め尽されていることに起因する物質の動きにくさが質量の起源だ》という説明は、どうも腑に落ちない。「動きにくさ」というと、どうしても摩擦のようなものをイメージしてしまうが、ニュートンこのかた一貫して、質量とは「速度の変えにくさ」であり、それは、単純な「動きにくさ」ではない。たとえば《クルマは急に止まれない》で、速いものを遅くすることへの抵抗もまさに質量のハタラキなのだ。また、アインシュタイン以後は、質量はエネルギーと等価であるらしい。このことと「動きにくさが質量」という説明との整合性も知りたい。まあ、このあたりの疑問については「ちゃんと理論を学べ」と言われれば、それまでなのだろう。

いっぽう、質量をもつ物質の間には、互いに引きあう重力がはたらく。重力のカラクリの説明は、まるまる宿題として残ってしまうらしい。それで、この『神の数式』の第3話と第4話では、重力を含めた究極の理論(超弦理論)がとりあげられるのだそうだ。早く続きを観たいが、妻も倅も早々にドロップアウトしていた(娘にいたっては、最初から乗ってこない)ので、もう借りてきてくれないかもね。