て日々

2024年5月

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大学へ行くときに、いつも持っていくMacBook Proを家に忘れて行った。なんだか今日はいつになく荷物が軽いなあと思ったらそういうことだったのね。それで、原稿を書き進めるのは今日のところはあきらめて、調べ物とメモに徹する。

午後には卒研ゼミをやる。テキスト第1章の演習問題を終わらせ、セクション2.2の \(\mathbb{N}\) と \(\mathbb{R}\) が対等でないことの証明まで読んだ。第1章の演習問題9は \(X\) が無限集合であるという仮定を入れないとうまくいかない。

夜はピアノのレッスンに行った。例によってあまり進捗がなくて、どうも先生に顔向けできない。

ある原稿の催促が来た。締切を二か月ほど過ぎている。引き受けたものは書かねばならない。あと二週間だけ待ってもらうことにして、ちと巻き上げて書く。

自宅のトイレの水洗レバーが長年の使用に耐えかねて壊れていたので交換した。交換用の部品はDCMのネット注文で取り寄せ、近所のDCM店舗で店頭受け取りにした。タンクの外のレバー部分だけ交換するという選択肢はなくて、タンク内でチェーンを引っ張る腕の部分までを新しい部品に交換することになる。説明書を見ながら30分ほど作業して、自分でちゃんとできた。それでまあ、普通に戻っただけと言われればそれまでなのだが、トイレに行くたびに「ああ壊れてるんだ。直さなきゃ」と思わなくて済むだけありがたい。

今度は、米沢富美子『猿橋勝子という生き方』(岩波科学ライブラリー, 2009年)を読んだ。猿橋賞という女性科学者に贈られる賞があることは、数学基礎論の大先輩である八杉満利子先生が第5回(1985年)に受賞なさってるので知っていたが、賞に名を残す猿橋勝子のことは、恥ずかしながら、まったく知らなかった。第五福竜丸が被曝したビキニ環礁の水爆実験の後の放射能の調査をはじめとして、地球化学を研究して国際的に高く評価された業績を残し、後進の女性科学者のために基金を設立し、世界平和のために提言した、そういう人であったらしい。この、おそらく初めての伝記を読んで、とんでもないガッツとバイタリティの持ち主だったんだなあと思うと同時に、科学研究の世界にも男女差別というか格差というか、男女の扱いの違いはかつて歴然とあったし、今もあるだろうことを、忘れてはいけないと思った。著者の米沢富美子は第4回猿橋賞受賞者で、5年前に亡くなられたが、こちらの東洋経済ONLINEの記事にあるとおり、この人もなかなかの偉人である。

寝方が悪かったのだろうか。朝起きてみると、肩がバキバキにこっていて、偏頭痛がする。右目の奥にも痛みがある。目の悪さが肩こりと頭痛の原因なのか、肩こりが頭痛と眼底の痛みの原因なのか、まあ考えてわかるものではないが、ツボを押さえたりアンメルツを塗ったりして痛みを和らげながら過ごす。

県立図書館へ本を借り換えに行った。往復歩いたので、けっこういい運動になった。借りてきた本のうち髙橋裕子『津田梅子 女子教育を拓く』(岩波ジュニア新書, 2022年)を今夜のうちに読んでしまう。

月々定額を払っている以上は Amazon Prime の見放題プランを使わない手はないので、いまさらだけど、阿部寛主演の映画「異動辞令は音楽隊!」を視聴した。もうちょっとコミカルな展開を期待したのだけど、思いのほかシリアスで、ちゃんと刑事ドラマだった。観終わってから、みんなそれぞれ大変なんだから、俺もボンヤリしていてはいけないなあと(ボンヤリと)考えた。

きょうも伊藤之雄『伊藤博文』を読む。あせっても仕方がないので、まあゆっくり読もう。

午前中、えらく強い風が吹いた。午後は気持ちよく晴れた。

いつもの集合論Zoomゼミは発表者の体調不良のためお休みとなった。

伊藤之雄『伊藤博文 — 近代日本を創った男』(講談社, 2009年)を読み始める。読みやすく面白いが、なにしろ600ページほどもあるので大変だ。

歩いて大学に行く。少し汗をかいた。パソコンに向かって、教室のホームページの更新などなど、少し作業をする。きょうは本を読むのも少しサボった。いや、Kunen の Set Theory (College Publications, 2011) のいくつかのセクションを読んだには読んだのだが、そんなのはたぶん、読書のうちに入らない。

きょうは良い天気だ。弁当を作って半袖で大学へ出かける。

津田梅子関係の読書を続けるなら、次は生田澄江『もう一人の女子留学生 瓜生繁子はどう生きたか』(22世紀アート)に進むべきなのだが、ちょっと寄り道して、志茂田景樹『花の嵐 — 明治の女帝・下田歌子の愛と野望』(PHP, 1984年)を読むことにしよう。

それでもって、ぼちぼち数学の勉強を再開せにゃならん。

午後の卒研ゼミのとき、隣の市立東中学校のグラウンドでそのまた隣の東雲小学校の子供たちがワイワイと走り回って遊んでいた。東中学校と東雲小学校の間には塀がない。代わりに金網のフェンスがあり(いやまあ、塀がなくてフェンスがあるというのも、扉がなくてドアがある、猿がいなくてモンキーがいる、みたいで変なんだけど、それはともかく)それも途中で切れて通路になっていて、両校の校庭を繋いでいる。もちろんいろいろのルールはあるのだろうが、簡単に行き来ができるのだ。

小さな子供たちは、校庭をワイワイと走り回っているだけで楽しめる。子供のお楽しみ能力はすばらしい。ジイさんになるとそうはいかない。すぐに息がアガるし、脚も悪いから、そもそも走り回ることができない。つまり、お楽しみ能力より前に、体力がない。しかし、よくしたもので、いざジイさんになってみると、今度は子供が校庭を楽しくワイワイ走り回って遊んでいるのを眺めるだけで楽しい気分になれる。ありがたいことである。

さてそれで、卒研ゼミでは『現代集合論の探検』のセクション1.12で順序集合の話の続き(最大・極大・上界・上限などの定義)をやり、それから第1章の演習問題のうち1〜5までをやった。集合算の問題は基本的に定義通りにやるだけなのだが、演習問題2の

二重に添字付けされた集合族 \(\{X_{\lambda,\mu}:\lambda\in\Lambda,\mu\in M\}\) に対して等式 \[ \bigcap_{\lambda\in\Lambda}\bigcup_{\mu\in M}X_{\lambda,\mu} = \bigcup_{f\in M^\Lambda}\bigcap_{\lambda\in\Lambda}X_{\lambda,f(\lambda)} \] を示せ

というのは、選択公理を扱う第4章で出してほしかった。というのも、この等式が常に成立するという命題は、まさに選択公理そのものの別表現だからだ。

夜はピアノのレッスンに行く。相変わらず、あまり進捗はない。次のピアノの出番は8月31日の夜と決まった。

レッスンから帰宅後、夜中までかかって『花の嵐』を読み終えた。これは下田歌子の評伝であって小説ではないが、直木賞作家 志茂田景樹の手になるだけあって、これまで読んできた学者然とした人たちの著作とは、さすがにだいぶ趣が違う。主人公を綺麗に描こうなんてハナっから思っておらず、腹黒いところ醜いところも描いたうえで、それはそういうものとして肯定する。維新の政治家たち、とくに伊藤博文の描き方がえげつなかった。

ちと寝坊した。朝10時20分からリモート会議に出る。大きな組織には、いろいろ考えねばならんことがあるもんだなあ。

7月の人間ドックの予約が確定してひと安心。

古川安『津田梅子 — 科学への道、大学の夢』(東京大学出版会)を読み終えた。梅子が二度目の留学のときブリンマー大学で生物学を専攻し、科学者のたまごとして将来を嘱望されたことが、のちの女子英学塾での教育と、さらに梅子の没後の津田塾大学の発展に、おおいに関連があるという話であった。それに、梅子よりひと世代若い平塚らいてうや山川菊栄といった女性運動家と比較して、梅子が天皇中心の国家主義に疑いをはさまない明治時代人であり続けたことも指摘している。この、科学史とジェンダー論の両面からのアプローチは、これまで数冊読んだどの本にもない視点であった。

きょうは一日中雨降りである。少し本を読み、少し買い出しに出かけ、それ以外は、ほぼ一日中家でダラダラしていた。だけども、なにしろ Apple Watch が《さあ運動せい、やれ運動せい、いますぐ運動せい》と言うもんだから、夜になってから少し室内ウォーキングをしてノルマを果たした。

食材を買い出しに行ったスーパーで豚スペアリブが安かったので、買ってきた。作り置きにと思ってフライパンで焼いた。ソースは肉汁にトマトソースを加えて少し煮た。なかなか美味しくできたので嬉しい。

きょうは晴れで最高気温26℃の予報なので、シャツも半袖にした。そしたら、予報ほどは気温が上がらなかった。外を歩いている時はいいが、建物の中ではちょっと肌寒く感じた。なかなか難しいね。

昨日整理した本のうち、これは手元に置いてても仕方ないなと思った40冊ほどをブックオフに持っていった。その代金でドライヤーを買おうかなと思った。ブックオフの2階がオフハウスなので探してみたけど、タイミングが悪くて置いてなかった。DCMとかダイレックスとかで新品をみると、値段がピンキリである。さーてどうしようかな。確かに髪はだいぶ伸びたが、ドライヤーがなくてもそれほど切実に困っているわけじゃないから、もう少し考える。

ジャニス・P・ニムラ『少女たちの明治維新 — ふたつの文化を生きた30年』(志村昌子+藪本多惠子 訳, 原書房, 2016年) を読み終えた。明治初期から大正期までにわたって、また日米両国にまたがって、初めての女子留学生3人(山川捨松・津田梅子・永井繁子)の生涯をたどる、なかなかの大河ドラマで、最後にはちょっと泣かされた。

では次は 古川安『津田梅子 — 科学への道、大学の夢』(東京大学出版会, 2022年) を読もう。最近すっかり津田梅子に取り憑かれているなあ。しかし、ニムラが描きだした女子留学生のドラマの真のヒロインは捨松であるようにも思う。

捨松は容姿端麗・頭脳明晰・明るく前向きな性格でおまけにスポーツ万能の、いわゆる完璧超人で、語学でも学識教養でも決して梅子に引けを取らない。梅子もそのことをちゃんとわかっていた。梅子は女子の教養教育のための私塾の建設をなしとげたが、本当ならそれは捨松が中心になってやるべきだと、当初は梅子も捨松も思っていた。だから捨松の結婚を梅子は心から祝福できなかったし、その気持ちは捨松にも理解できただろう。苦悩のすえ自分のキャリアを断念して陸軍卿大山巌伯爵の奥方となり、家庭を守りながら、数多くの社会団体の顧問として社会活動を指揮し、日本の貴婦人たちに慈善事業の意義を伝え、また梅子のキャリアを支援する。「幸福な王子」のツバメや「ベルばら」のアンドレに比してしまっては皮相にすぎるだろうが、捨松の生き方には、どこか悲劇的な気高さがある。

話は変わる。いま、太陽黒点が大暴れして大規模なフレアが発生しているという。そのせいで猛烈な磁気嵐が発生していて、例えばウィーンなんかでも、普段は見れないオーロラが見れたそうだ。ちょっとした天変地異である。水星逆行は先月中に終わったようだが、磁気嵐は占星術でいう水星逆行なんかよりよほど現実的な通信と交通の危機である。深刻なトラブルがなければいいが。

物置になっている和室に段ボールに詰めた本が6箱分もある。何年もにわたって積み上げたり引きずったり開けたり閉めたり出したり入れたりやっているうちに段ボールがずいぶん傷んできた。それで、一度本を全部箱から出して畳の上に積んでみたら、改めてその量に圧倒された。よくまあこんなに本を積んだもんだ。さてどうしたものか。元の箱は破れがひどくてもう使わないほうがよいだろうが、新しく箱を買ってきて詰め直すのも芸がない。まあ、そのうちよい方法が見つかるまで、ここに適当に積んでおこう。

7月の誕生日の次の週のどこかで人間ドックに行くことにして申し込みをした。職場の共済組合から補助が出るのがありがたい。人間ドックは5年ぶりである。

昨日の日記に書いた平尾昌宏『日本語からの哲学』はコミセンの図書館にあるらしい。借りてこよう。明日以降でもいいが、鉄は熱いうちに打てというし、(飯は熱いうちに食えというし、服は暑い時は脱げというし、)時間がある今朝のうちに行ってしまおう。

…というわけで、自転車でコミセンへ行ってきた。天気がよく、涼しくて気分がよかった。『日本語からの哲学』を含む4冊を借りてきた。

午後は集合論Zoomゼミをやる。\(\mathbb{N}\) とその上の構造をもとにして \(\mathbb{Z}\) とその上の演算と順序を定義する、わりとよくある話をしたのだが、整数の掛け算が矛盾なく定義できていることの証明で発表者も俺も詰まってしまって、そこで時間切れとなった。仕方がないので宿題とし、夕食後に考えてなんとか証明をつけた。

飯を食ったとか薬を飲んだとか洗濯をしたとか、そんなことばかり書いても仕方ない。それくらい何もない平和な日だった。とはいえ、風が吹いて、思いのほか肌寒かった。

アリス・ベーコン『華族女学校教師のみた明治日本の内側』を読み終え、ジャニス・P・ニムラ『少女たちの明治維新 — ふたつの文化を生きた30年』(志村昌子+藪本多恵子訳, 原書房, 2016年)に取りかかる。明治維新関係のみならず、それと同時代のアメリカの人々についても調べる必要を感じる。南北戦争前後、スティーブン・フォスターとかマーク・トゥエインの活躍した時代は、アメリカが独自の文化を生み出しはじめた頃といってもいい。明治4年に初めての女子留学生としてアメリカに渡った5人の少女らは、その時代の直後のニューイングランドという、アメリカの心の故郷のような時と場所に送り込まれたわけで、いわば日本とアメリカ双方がもっとも充実した、類まれな時代に居合わせたことになる。

アメリカというか、新世界の人々は、自分たちの国は新しすぎて独自の文化がないというコンプレックスをいまだに抱いているというが、そんなことはないと俺は思う。アメリカという国なくしては、ジャズもミュージカルもなかったはずだから、そのことをアメリカは誇っていいと思う。俺は決してアメリカ贔屓の人間ではなくて、むしろ日本の政府が何かにつけアメリカの腰巾着みたいに振る舞うのを苦々しく思っているのだけれども、かの国にもいいところが全然ないわけじゃないし、いい人が全然いないわけでもないはずだ。それに、新しいといえば合衆国にもまして新しい国である南米のアルゼンチンが、タンゴという独自の文化をちゃんと生み出していることは、このところ集中的に学んだばかりだ。

思うに、独自の文化というものは、その外側を意識しないかぎり見えてこないものなのだろう。たとえばアリス・ベーコンが『日本の内側』でしきりに日本の民藝の美しさを褒めるいっぽうで、当の日本人にはそれこそアメリカの文化・文明のほうが輝いて見えたように、自文化は当たり前すぎてその価値がかえってわからないものなのだ。

またその逆に、例えば日本なら日本に住むわれわれが、なんとなく日本独自の文化・伝統だと思っているあれやこれやの、どれがどこまで本当に古い起源・伝承に根ざしているのか、そのことも反省せねばならない。反省というか、そういう起源に遡って考えることは、むしろ楽しい、とても面白いzzことであるはずだ。

そんなことやあんなことを考えながら、久々に松山三越のジュンク堂書店に行ってみる。平尾昌宏『日本語からの哲学 — なぜ〈です・ます〉で論文を書いてはならないのか?』(晶文社, 2022年)などなど、興味深い本はいくつもあったが、なにしろお金がないので、何も買わない。

興味関心は広がる一方だが、さて、俺は一応は数学者ということになっているのだ。その方面で期待されていることがないわけでもないのだぞ。おいおい。どうするんだ。まあ、某所パルタジェですでに「文系数学者」という異名をとっているし、畏友・岩田直樹には「頭が文系で心が理系の人」と看破されているし、これも宿命なのかも。

なんか書くことがないなあと思いながら書き始めたのに、これはまた、ずいぶんと長文を書いてしまった。

最近は「て日々」を、毎日書いて、月曜日までの一週間分を火曜日の朝にサーバにアップロードして更新し、そして更新したらTwitter/XとFacebookで告知する習慣になっている。

連休が明けたので、弁当を作って、自転車のギアとスタンドに油を注して(そういえばロック周りに注油するのを忘れてたけど)、大学に行く。うちの大学はきょうは月曜日のスケジュールで授業をする日だが、出席者の希望にしたがい、普段どおり卒研ゼミをやる。もっぱら同値関係や順序の抽象的な話で、具体例を考えたり概念を図示したり、いろいろ工夫しながら進めた。とてもゼミらしいゼミで、大変よかった。

夜は3週間ぶりにピアノのレッスンに行った。3週間もあったのに進捗がなくて、自分でも情けない。

iPhoneのミュージックライブラリに入れて長らく忘れていた、エルガーの「エニグマ変奏曲」(ボールト指揮のロンドン交響楽団)を聴いた。ホルストの「惑星」とのカップリングだったのだが、この「エニグマ」も改めて聴いてみると迫力のあるいい曲だな。

引き続き、津田梅子関係の本で、今度は アリス・ベーコン『華族女学校教師のみた明治日本の内側』 (久野明子訳, 中央公論社, 1994年)を読む。アリスが1888年(明治21年)から翌1889年にかけて日本に一度目の滞在をした折の記録だ。100年あまりのあいだにわれわれがすっかり忘れてしまった日本の人々の姿が好ましい。

今日も天気がよい。朝食のあとシャワーを浴びて半袖に着替える。予報では26℃まで気温が上がるという。一日、半袖で過ごせそうだ。

愛媛リエート吹奏楽団の第17回定期演奏会を聴きにコミセンへ行ってきた。前半は普通だった。もちろんいいところもたくさんあったけど、やや不満だった。いっぽう、休憩後の後半のステージは手話やダンスやペンライトなどなど、いろいろ工夫があって楽しかった。吹奏楽のコンサートを聴く側に回ったのは何年ぶりだろう。これからはちょくちょくいろんなコンサートに出かけたいな。

とても天気がよい。午前中は洗濯をして、家の表の草引きをした。

昼寝のあとは科研費の報告をチクチクと入力した。

それからテレビ朝日の2022年のスペシャルドラマ《津田梅子 — お札になった留学生》を Amazon Prime で視聴した。場当たり的で無策な政府に右往左往させられながらも自分の人生を自分できちんと選択して生きていく女子たちと、その友情が描かれていた。これは100年以上前の物語だが、さて、いまはどうなんだろうね。梅子を演じた広瀬すずも捨松を演じた池田エライザもとてもよかったが、伊藤英明の演じる津田仙と佐久間由衣の演じる繁子が俺にとってはイメージぴったりだった。

久野明子『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』(中公文庫)を朝のうちに読み終えた。大山巌の妻となってからの捨松は、陸軍トップの夫を支えるため、常に忙しく働いた。家庭を守るだけでなく、看護学校の設立・運営のために日本で初めて慈善バザーを開いたというし、日露戦争では銃後の婦人たちを組織し、特に貧しい家庭の支援に奔走し、また赤十字の活動に参画した。その傍で津田梅子の女子英学塾の運営にも携わり、アリス・ベーコンをはじめとする友人を介してアメリカの篤志家の寄付を募った。決して単なる良妻賢母の枠には収まっていなかったと俺には思える。

それとともに、この本を読んで、女子の友情というものについて認識を新たにした。捨松とアリス、梅子とランマン夫人、捨松と梅子と繁子、彼女らの友情と助け合いは生涯続いた。友情は「情」にとどまらず、相手のためにできることはやるという「覚悟」でもあるのだと知った。

午後は、でぃぐにゃんこと510くんに誘われて出かける。久々に神戸から松山へ遊びに来た510くんをパルタジェに連れて行こうと思っていたら、510くんはちょうどするがくんと2人でパルタジェでランチを食っているという。それなら話は早い。ワイン1本さげて出向いて行った。510くんには昨年10月に京都で会っているが、するがくんに会うのは、以前この店で関家さんのライブを聴いて以来だから、1年半ぶりだ。神戸の博士課程にいる510くんの最近の研究の話を聞いたり、憲法記念日にちなんだ話をしたりして、楽しませてもらった。

夜はするがくんがアルバイトに行くという。どこに行くのかと聞けば、すぐそこの「ふしおん」である。そんな理由で、夕食はカズノさんと510くんと俺とで「ふしおん」のスペイン料理となった。

久野明子『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』を読みながら、明治日本の「欧化政策」について考える。考えているうちに危険な方向に考えが進みそうになってきた。こりゃいけない。さらに勉強しよう。

なんだかんだ言っているうちに5月になった。ただし、今日は小雨が降り、ちと肌寒い。

懸案事項のうち、理学部公開講座のSDGs推進室への後援申請と大学院の英語版ホームページの件を片付ける。次は科研費の報告を書かねばならない。これがまためんどくさいが、連休明けが締め切りである。しゃあない。やりましょう。データを集めるためには、研究分担者にメールも書かねばならん。タイムリーに返事がくるといいが、さてさて。仕事を後回しにしても、いいことなど何もないのに、めんどくさがりなのでどんどん後回しにして自分で自分を追い詰めてしまう。

こないだから梅子捨松関係の本ばかり読んでいるが、そろそろ、変分法関係の本を読んで6月からの授業の段取りをつけないといけないのである。だがなんというか梅子捨松の本が面白くていかんのだわ。橘木俊詔『津田梅子』を読み終えたので、久野明子『鹿鳴館の貴婦人 大山捨松』(中公文庫)にとりかかった。